東方不死死 第34章 「涙に誓う」
早朝、まだ開店前の香霖堂の前で風見幽香と別れた妹紅は、そのまま南へ飛び迷いの竹林にある隠れ家に向かう。因幡てゐと会う必要を感じた為である。
先日、永遠亭との戦闘で勝利した妹紅は八意永琳に八雲紫に会うよう指示をしたが、居場所が全く分からない紫と会う事は至難の業といえる。恐らく永遠亭側は八雲紫と会う為様々な策を労しているところと思われる。
藤原妹紅は、その神出鬼没の八雲紫と確実に会える日時と時間と場所を知っている。それをてゐを経由して永遠亭に報せようとしたわけである。
今日のスケジュールは、このままてゐと会って、その後香霖堂に行く予定である。香霖堂に関しては魔理沙の件でいくつか聞きたい事があったためで、魔理沙が死亡後何故数日間蘇生可能な状態を維持できたのか、その謎に対する自分なりの答えの成否を確かめるためである。
夜は再び魅魔を呼び出し、パチュリー・ノーレッジと会う予定である。ここで十六夜咲夜と会見出来る可能性がある。彼女が来るか来ないかで今後のこちらの動きに一定のベクトルが働くだろうと予測できる。
そして明日は、白玉楼で行われる三賢者会議である。この会合に関しては出席を見合わせるよう八雲藍から要請を受けており、妹紅はこれに応じている。この選択は今後の妹紅に大きな影響を与える事になるが、今はそれを知る由はない。
この三賢者会議を境に紫の異変は具体性を帯びると帯びると思われる。
異変が具体的に進み始めれば、妹紅としてやることは一つ。ただ、その前に色々とやっておかなければならないことがある。
まずクリアしておかなければならないのが永遠亭の問題である。これは、八雲紫と八意永琳の相互不理解で起こる事故で幻想郷滅亡という最悪の事態を招く恐れがあり、真っ先に解決しておかなければならない案件である。
昨日の戦闘で八意永琳を打ち破った妹紅は、八雲紫に引き合わせて互いに協力するよう要請した。それが上手くいっていればいいだろう。しかし、まだ八雲紫に会っていないとするなら助け船を出さなければならない。
隠れ家に着いた妹紅は周囲を見回し変化がないか確認する。
視線を巡らすと、上体を起こし耳を立てこちらを見ている一匹の兎と目が合う。その兎は妹紅と視線が合うと文字通り脱兎の如く永遠亭の方向に走って逃げる。
「てゐに発見されたな・・・。」
てゐに発見してもらうために隠れ家に来た妹紅としては計画通りである。時機に来ると思うので、妹紅は下草の上に寝転がって考え事を始める。
今朝方幽香に吸血鬼に関わりすぎるなと警告に近い助言を受けた事が頭から離れない。
魅魔との協力関係はあくまで魔理沙に関してのみで、吸血鬼に肩入れするということは当初全く考えていなかった。しかし、吸血鬼戦争が今回の異変と無関係でない事を知り妹紅はそこに首を突っ込もうとしていた。
吸血鬼に肩入れするということは、幽香が言うように八雲紫と敵対する事と同義である。
妹紅はこの異変に際して八雲紫に全面的に協力することを約束しており、このまま魅魔に偏ってレミリア・スカーレットの王家復活に手を貸せば紫を裏切る事になる。
紫と敵対しない。しかし、魅魔の協力もしたい。
ジレンマである。
この件に関しては、幽香の意見が正しいと妹紅は思う。レミリアに関しては中立的な立場でいるべきだろう。
「しかし・・・。」
だが妹紅には一つ気になる所があった。十六夜咲夜である。
咲夜の本当の能力は、思念という世界にアクセス出来る力で、自分の中に思念として存在する八雲藍と交信出来る可能性を持っている。
会って話がしたいというわけではない。思念体となった事で生前のように話せる状態ではない事も分かっている。問題は彼女の持つ膨大な歴史と知識である。何か困難な問題にぶつかった時、十六夜咲夜の力を借りて藍の知識を利用出来ないだろうか?
「・・・十六夜咲夜か・・・。」
不死人狩りで戦った事はあっても、普通に会話をしたことはない。吸血鬼の件はおいておくとしても、十六夜咲夜とは個人的に交友を持ちたいと思い始める妹紅である。
「咲夜がどうかしたの?」
突然声を掛けられ思考の世界から引き戻される妹紅。気付けば誰かに顔を覗き込まれている状態で、迂闊な自分に驚いて飛び起きる。
「て、てゐか・・・びっくりさせないでよ・・・。」
声をかけたのは因幡てゐだった。
「何回も呼んだのに・・・で、咲夜がどうかしたの?」
「あ、いや、私も時間を止めてみたいなー・・・なんてね。」
咄嗟に誤魔化す妹紅。
「ほんと、人間の欲は尽きないねー。」
敵対者に対してはともかく、知人・友人に対しては嘘が下手な妹紅だったが、その咄嗟の嘘も友と呼べる者の言うことは疑わないてゐは真に受けてしまい、人間の業の深さを嘆く。なんとなく罪悪感を覚える妹紅。
「それにしても・・・まさか師匠に勝つとは思わなかったよ。」
昨日の戦いをしみじみ語るてゐ。
「そんなことを言いに来たわけじゃないでしょ?永琳から紫捜索を任されてるんでしょ?」
寝ころんだ状態から上体だけ上げてあぐらをかく妹紅。昨日の戦闘の話はあまりしたくないので最初から確信を突く。
「そうそう!ズバリ聞こう!八雲紫はどこ?」
今現在最も重要な事を思い出し、びしっと人差し指を真っ直ぐ妹紅に向けるてゐ。
因幡てゐは、妖怪の間では、悪戯うさぎ、性悪うさぎ、腹黒うさぎなどと呼ばれ評判はすこぶる悪い。しかし、人間の里では幸運のうさぎなどと評判は正反対である。
幻想郷では人外の存在であっても、例えば上白沢慧音のように好んで人間に荷担する者も少なくなく、因幡てゐもその一人といえる。
因幡てゐは永遠亭に属し敵対的立場であっても人間である妹紅に陰で便宜を図り親切にしている。特に妹紅に対して良くしているのだが、それは妹紅がてゐに対して一定の敬意を示しているからでもある。
神話にも登場するてゐをそれなりに敬う姿勢を見せるのは幻想郷では妹紅だけである。何故なら神話と地続きともいえる幻想郷では、時代を経て外界では敬われるようになった様々な存在と隣り合わせで暮らしているためか、その偉大さや有難味に気付いていない者が多く、幻想郷に後から来た妹紅は、外の世界の常識を持ち客観的に幻想郷を見ることが出来たため、そういった恐れ多い存在に対して敬意を示す行動を自然に取るからである。
因幡てゐはそんな妹紅が気に入っているのである。
他の妖怪や人間と情報交換をする場合、少しでも優位に事を運ぶように考えながら交渉するところだが、妹紅はてゐに対してはそうした駆け引き無しで慧音と会話するように素直に応じる。てゐも普段のような狡さは見せない。
「明日の正午、白玉楼で紫ら数名と会見することになっているわ。」
妹紅は質問に答えながら、てゐの格好を見て、それがおかしいと気付くがそれについて聞くのはあとまわしにすることにする。
「ほう!白玉楼とな!ってことは西行寺幽々子も一緒か・・・。」
「会見のホストらしい。」
「ふーん・・・。」
ホストかどうかなどはてゐには興味がないらしい。
「明日の正午あたりにキツネが家に迎えに来るから、周囲に兎を配置させておけばいいわ。」
「もう既に配置してる。」
「白玉楼ってキーワードは会話の中で向こうから出してくると思うし、出なければ私が出すように仕向けるから。」
妹紅からてゐを経由して直接永琳にその情報を知らせると、情報源がどこかを追及され密かに会っている事がばれてしまう。ここは妹紅と藍の会話を配置した兎を経由して永琳に伝えるようにするのが安全である。
妹紅の家に既に兎が配置されているとの事なので、今ここでてゐに報せなくとも良かったのだが、無駄に動き回って苦労させることもないだろう。
「わかった!ありがとう妹紅。」
話が済んだところで、妹紅はてゐの変な格好を指摘する。
「ところで、その格好は?」
見れば唐草模様の風呂敷を首の前で結んでそのまま背負い、右手には何故か紙の束を持っている。何をしているのか、何をしようとしているのか分からない格好をしているのである。
「ああ、そうだ、忘れてた。」
何かを思いだしたかの様に、手に持っていた紙束を足元に無造作に置き、風呂敷を首から外すと中から『文々。新聞』で包んだ何かの塊を取り出す。膝を曲げてしゃがんだてゐは地面においた風呂敷の上の新聞の包みを取り、中から数個の竹の子の皮につつまれたおにぎりを取り出す。
「ちゃんと食べてないんでしょ?」
普段ろくに食べてない妹紅を心配しておにぎりを握って来てくれたてゐ。
その気持ちは涙が出るほどありがたいが、昨晩屋台でたらふく飲んで食った手前、食べたくないとは言えないので黙って頂戴する。
てゐの小さな手で握ったおにぎりは上手く三角にならずほぼ真ん丸だが、手に塩をふって握っているので程良い塩気でとても美味しく、中にある梅干しの酸味が食欲のなかった妹紅の胃を刺激する。
「ほれは?」
口の中がいっぱいでちゃんと発音できない妹紅はてゐが無造作に地面に置いた紙の束を「それ」と顎で指す。それは白い薬紙で便所で使うにはもったいない紙である。
「ああ、これ?師匠がいらないから外に捨ててきてって・・・。」
「いらないなら便所で使えばいいんじゃないの?」
「まー普通はそうなんだけどさ・・・。」
「・・・。」
てゐはそれ以上何も言わずに紙の束を妹紅に渡す。
「・・・私に見せる為に・・・かな?」
「たぶん・・・。」
永琳からの贈り物と捉えた2人は微妙な顔をする。見たら三日以内に死ぬ「呪」という文字をびっしりと・・・など、主に悪い方にばかり考えてしまう。
外に出ようとするてゐを呼び止めてわざわざこれを捨てるように言うのは、どう考えても不自然である。言葉通りではない別の意味を考えるのが普通で、てゐは、妹紅にこれを渡せという事なのだろうと判断して捨てずにそのまま持ってきたわけである。
「永琳はこの事知ってるのかな?」
この事とは、ここで敵同士である2人が密かに会っている事である。
「知らないんじゃない?」
「何でそう思う?」
「ダンゴ虫が2匹、石の下で何かを企もうが感心ないでしょ?」
永琳にとって人間とはその程度の存在なのである。
「・・・それもそうか・・・でも。」
「これが妹紅へのプレゼントだとするなら・・・。」
「てゐが私に会いに来ることを分かってて・・・。」
「ま、考えるのはやめよう。私達の行動に関心を示すとするならそれはそれで大きな進歩だし。」
「・・・それもそうね。」
気を取り直してその紙の束を1枚めくる妹紅。
「・・・何だこれ?」
「私も来る途中見たけどさっぱりわからなかったよ。」
妹紅はてゐにも見えるように地面に紙束を置いて一枚一枚めくる。
図面の様にも見えるが、その図形はどうやら丸いもののようで、図のまわりに読めない文字がびっしりと書き込まれている。
設計図、図面、資料といったものだということは分かるが、いまいちの図の円形という以外に完成品のイメージがつかめない。平べったい円か球体なのか円筒の断面か。
「てゐ、この字読める?」
「これは師匠達の世界の文字だね。レイセンなら読めるかも、だけど、私は読めない。すまん。」
「いや、別に謝らなくていいけど・・・何の為にこれを・・・これほんとにゴミなんじゃ・・・。」
おにぎりを食べながら妹紅は必死にこの意味を考える。やがて食べ終え手についたご飯粒も残さず舐め取る。
てゐはそれを見て、残りのおにぎりを竹の子の皮の包みをとって妹紅の前にさりげなく差し出す。妹紅は無意識にそれを掴んでほおばりだす。
役目を終えた竹の子の皮の包みを自分の前に置いたてゐは、そのまま妹紅が考え事をしているのを尻目に、自分のおにぎりをゆっくり味わう。
用意した6個のおにぎりはたちまち無くなり、てゐが1個、妹紅が5個平らげたが、皮は3枚ずつそれぞれの回りに散らかっている状態にてゐは細工する。
「ん、あ?」
妹紅は何かに気付いて一度てゐに向き直って周囲をキョロキョロし自分だけ多く食べていないか確認し、ゴミの量を見て安心しまた思考に戻る。てゐは何事もなかったかのように、だらだら食べていた1個目のおにぎりをようやく平らげる。
そうしたてゐの心配りに気付かず、図面とにらめっこしていた妹紅であるが、あるページに興味を示し、めくる手を止める。
それにはてゐも興味を示し、身体を乗り出して顔を近づけた。
そのページに書かれているのは、今まで単純な線だけで書かれていた図とは違い、かなり多くの線を使ったリアルな完成品のイメージを現していた。
「球か・・・。」
妹紅は片手に持てるくらいの大きさの玉をイメージして、それをジェスチャーでてゐに見せる。
「もっと大きいんじゃない?」
「大きいか・・・あ、そうか、こいつがもしかしたら幻想郷を滅ぼすモノじゃないか?」
輝夜が見た未来のビジョンに出てきた幻想郷を滅ぼす存在ではないかと妹紅は気付く。それなら永琳が妹紅に見せようとする理由がつく。
「そういえば、昨日帰ってから色々説明してもらったけど、師匠が昔作ったモノが空から降ってくるみたいなこと言ってた。」
「こいつがソレってことか・・・。」
これが紫の異変を台無しにして輝夜に幻想郷の滅びのビジョンを見せた原因と断定する妹紅。
「ただの球っぽいけど、一応兵器みたいだね。」
「兵器・・・なるほど、爆弾ってことか・・・。」
「恐らくね。」
しばし、押し黙る2人。
「もっと、もっと、こーーーんくら大きい爆弾なんじゃない?」
紙に書かれているのはあくまで形であって実際はもっと大きいものではないかと、先程掌に乗せる動作を見せた妹紅に、それを否定するように両手を広げて大きな円を描いてみせるてゐ。
「永琳の作るものなら、そんなに大きくならないんじゃないかな?」
科学の力とやらで扱いやすい様に小さくするのではないだろうかと予測する妹紅。
「いや、案外大きいのが好きなんだよ師匠は。うな丼も具の大きいのを先に選ぶし。」
それはただガメツイだけだろうと思いつつ、妹紅は大きさの指標となるような情報がないか紙に目をやる。
そしてすぐに完成品のイメージ像の下に尺度を現す目盛りを発見する。
「ん?ここだけ洋数字だな・・・。」
「書き直してるね。あきらかに・・・。」
「やっぱり、私に見せるためか・・・。」
目盛りの右端に「0」、五等分された目盛りの左端に「5」と書いてある。そして「0」の下に「k」「m」と小さく書かれている。
「けー、えむ・・・って何のこと?」
「恐らく、長さの単位でしょ。」
アルファベットは既に幻想郷に普及して読み方は知れ渡っている。しかし、それを言葉として読み書き出来る者は幻想郷ではまだ少ない。
妹紅とてゐも当然アルファベットは知っているし読む事が出来るが、単語や文章としての意味を理解する事は出来ない。
「寸?」
「尺じゃない?」
「いや、けーえむ、だから間(けん)だな。」
「お、それだ!妹紅あたまいいー!」
「えーと、これが五間で、この五間が1こ、2こと・・・。」
人差し指と親指で0から5までの目盛の長さをおおよそ測る。その指定規1本分が約8本でその図の直径になることが分かった。
「40間か・・・。」
40間はメートルに直すと約72メートルになる。
「長いね。」
2人は同時に空を見上げて、それが空から降ってくる様子を思い浮かべる。
「でかいな・・・。」
「でかいね!」
「でかいよな・・・。」
「でかい!でかすぎ!」
想像すればするほどその大きさに驚く2人である。
ふりかかる禍として幻想郷の住人に認識してもらうにはこのくらい大きくて目立たないと駄目だとも思う妹紅。吸血鬼を悪者にしようとする紫の企みは幽香から聞いていたが、それとは別の謎の物体が現れればレミリアらが直ぐに悪者扱いされることはないだろう。勿論後で難癖はつけられるだろうが・・・。
妹紅は再び考え始め、てゐはその様子をこれといって特に不思議がる様子もなく黙って見ている。この思考に埋没して周囲を無視する行動は永琳がよくやることなのでてゐとしては見慣れたものだった。不死身になると周囲を気にする必要がなくなるのだろうと・・・。
誰の仕業とも分からない謎の物体が幻想郷を襲う・・・というシナリオで異変を構築していけば、特定の誰かが罪を負う事はないだろう。むしろ幻想郷の住人が結束するチャンスで、吸血鬼もそれに含まれれば魅魔と連携しなくても自然な形で良い方向へ導けるかもしれない。
妹紅は一定の結論に達し、ふと顔をあげると退屈そうにゴロゴロ転がっているてゐを見つけて慌てて謝罪する。
「妹紅ってば、師匠に似てきたなー。」
「は?どこが?」
永琳と一緒にされて露骨に嫌がり眉を吊り上げる妹紅。
「そうそう、師匠ってば妹紅に負けてからとんでもない事になってるんだよ。」
話をそらすてゐだが、そのそれた話も興味深い。
「・・・何がどうとんでもないことになってるの?まさか荒れまくってレイセンが半殺しになってるとか?」
「逆、逆。昨日からずっと機嫌が良くてニコニコしてるんだよ。」
「はぁ?ウソつくにしても、もっとマシなウソつきなさいよ。」
あきれ顔で肩をすくめて両手を広げる動作をする妹紅。
「妹紅にウソはつかないってば。本当にそうなんだよ。」
聞けば、昨日の敗戦直後から何故か機嫌が良く永遠亭に帰還してからも同じで、特にレイセンに付きまとっては戦い振りを褒めてみたり、ねぎらいの言葉をかけて肩を揉んでやったりなど、今まで見せたこともない行動をし始めたのである。
「いやー、涙目になって、怯えているレイセンは面白かった。」
「普段どんだけなのよ・・・。」
そんな事は慧音がよく妹紅にすることで珍しくもなんともない。
「よく、半殺しって言うだろ?それって少し大げさな表現でしょ?でもうちは違うんだよ。半殺しどころか、ほぼ殺しさ。薬で一発で直せるから、お仕置きといえば死ぬ直前までやるよ。心臓が止まっても無理矢理動かして戻しちゃうし。」
「鬼だな・・・。」
永遠亭の実態を知った妹紅は、改めて連中とは相容れない存在だと認識する。
「その鬼が改心した・・・って信じる?」
「信じられないな・・・。」
「妹紅に負けた事で何か変なスイッチが入っちゃったみたいでさ。」
「昨日の戦いで、途中から様子が変わったからな・・・やっと血が通いはじめたってことか・・・。」
「正にそんな感じ。表情も違うし。」
ちょっと見てみたくなる妹紅。
「でも、そんな一瞬で変わるものかな・・・内面はそう簡単に変わるとも思えないけど。」
「そうでもないよ。ミスチーなんか幻想郷にすごく適応して変化したし。あいつ、最初めっちゃ凶暴で、人喰いばっかしてたんだから。」
思いがけず昨日知り合った屋台の店主の過去を聞く。元々商売をするような妖怪ではなく純粋に人を襲う妖怪だったが、幻想郷に来てからすぐに変化し適応してしまったのである。
妹紅は自分もそうだったと気づく。岩老郷に入ってから最初はただの穀潰しでしかなかった。ある事件がきっかけで世界観が代わり、そこから一気に成長がはじまったのである。
永琳もそうなのだろうか。
「ほんと良かったよ。」
「良かったのはレイセンだろ?」
「うん、これでレイセンも少し楽になれるだろう。」
「てゐはずっとレイセンを気に掛けてたからな・・・。」
てゐの本質を知らない者は、普段のレイセンに対するてゐの行動を見て単に苛めているだけとしか見ないだろう。しかし、てゐを知る妹紅としての感想は全く逆で、てゐの行動はレイセンの保護である。
「あんなポンコツうさぎ、見てたら誰だって気にかけたくなるさ。」
「あいつは、てゐに救われているってこと気付いているかな。」
「そんなこと気付かなくていいよ。」
因幡てゐは幻想郷中に情報網を持っているため、八意永琳から有為な存在と認められ、敵対しない限り何をしても自由という特別な権限を情報網と引き換えに与えられている。
てゐの悪戯に巻き込まれた時のレイセンのミスは、てゐの顔に免じて罰を軽減される。これがもしレイセン一人のミスなら文字通り半殺しにされ、新薬などの実験台にさせられてしまうのだ。
てゐは同じミスを繰り返す一つ抜けているレイセンがこれ以上ミスを重ねないように適度に悪戯という形で迷惑をかけ、責任を分散させていたのである。だいたいそうでもしてやらないと、毎日のようにキツイ体罰を見るハメになり、レイセンにはそうした事に関する耐性があっても、見ているてゐとしては精神的に耐えられないのである。
妹紅はてゐと話をしながら苦しくなってその場で寝転ぶ。精神的に苦しいわけではなく、物理的に胃が苦しいからである。
「おかしいな・・・そんなに食べたかしら・・・。」
まんまとてゐにおにぎりを5個食わされた事に気付かない妹紅。てゐとしても別に悪気があってそうしたわけじゃない。ただ、3個食べきったあたりから、ちょっと悪戯してみたくなっただけである。石ころとか食べられない物を食わせたわけでもないし、このくらいの悪戯は許してもらえるだろう。
それにしても、まさか5個も平らげるとは完全に予想外だった。次は6個に挑戦しようと目論むてゐだった。
「そ、そういえば輝夜は?」
永琳やレイセンについては話したが、輝夜の話が出てこない妹紅は、つい彼女の名前を口にしてしまう。
「気になる?」
微妙な声のトーンの変化を感じ、ニヤニヤして妹紅を覗き込むてゐ。
「いや、別に・・・。」
身体を横にしててゐに背を向ける妹紅は、何故か無性に敗北感を覚え、聞かなければよかったと後悔する。
「姫は、この件にはもう関わらないって。全部師匠に任せて部屋に篭城してるよ。」
「・・・そう。」
「墨と筆、大量の紙を持ち込んで部屋中書き散らかしてるよ。」
「ふーん。」
妹紅は関心なさそうに聞く。昨日の戦闘去り際に昔の輝夜の事を少し話したが、負けず嫌いの輝夜の事、戦いには負けても歌(短歌)では負けないと意気込んだのだろう。
「全然書けなくなって自分でも驚いてたよ。」
「・・・そりゃー性根が腐ってるからよ。」
「昔は腐ってなかったってこと?」
「地上には時間の概念があるんだ。時が経てば忘れもするし劣化もする。あいつは自分が劣化していることに気付いてないのよ。」
劣化と言っても能力が落ちているという意味ではない。あくまで人間として身につけた素養の事である。月の世界には劣化という概念がないので、輝夜は地上で身につけた歌や芸事の素養が今もそのまま自分の身に備わっていると思い込んでいるのである。
永琳はずっと輝夜のそばにいるため、その劣化を感じる事はむずかしいだろう。昔の輝夜と、今現在の輝夜を完全に分けて比較出来る妹紅には、今の輝夜の劣化がよく分かるのである。
「ふ~ん、昔の姫ってどんなんだったのか、見てみたかったね。」
妹紅は輝夜の話などはやく止めにしたかったので別の話題を出す。
「そう言えば、この竹林っていつからあるの?里では津波によって運ばれた・・・とか伝説になってるけど。」
実は前から聞きたかった事である。
「竹林が現れたのは、吸血鬼戦争の時だなー。妹紅はこの戦争の事知ってる?」
妹紅は思わぬ場所で思わぬ言葉を聞く。狐、いやここでは兎か?何かにつままれている気分になる。やはり、この吸血鬼戦争の問題からは無関係ではいられないのだろうか。
てゐは妹紅の微妙な変化に気付いたが、それには触れず話し始めた。
約500年前に幻想郷が隔離された当時、迷いの竹林のあった場所は広い平原で、その南側に大きな湖があった。この湖は境界の外まで飛び出しており全体が分からないほど大きい。泳いで対岸に渡ることが物理的に出来ず、何よりその対岸が遠く霞んで見えなかった。それだけ広い湖だったのである。
幻想郷がまだ外の世界と地続きだった頃、因幡てゐは幻想郷事業の運営には関わってはいなかったが初期の頃から事業に賛同していたため、幻想郷入りの予約と一等地の確保はかなり前からなされていた。
当時の因幡てゐは、自分以外にも妖怪化した兎の軍団を率い、一つの勢力として博麗の里南部にあてがわれていた平原に陣取っていた。
吸血鬼戦争開戦後間もなく、湖の対岸から大きな塊が津波のようになだれ込みあっという間に平原を呑み込む。一夜にして湖と平原が広大な竹林に取って代わり、この津波の難を逃れた因幡てゐと生き残った妖怪兎達は目の前の信じがたい光景に途方に暮れるしかなかった。
てゐは、手勢を率いて謎の竹林を調査、そこで人間と思しき2人の女性と遭遇。降伏勧告を無視して失った部下の仇と、土地の奪還を目論んだが歯が立たず一人生き残ったてゐは敗走。
特に面識はなかったが有名人で名前はよく知っている風見幽香を頼ろうと竹林脱出を目論むが道に迷い、追いつめられたてゐは降伏し拘束される。
ここで蓬莱山輝夜、八意永琳、そして永遠亭という存在を知ったてゐは、他の兎達と同じように実験の検体にされそうになったが、他の兎と明らかに違うてゐに興味を持った永琳は、配下になるように説得する。
神話時代から生にしがみつき、どんな困難にも狡猾に生き延びてきたてゐは、死ぬ事よりも生きる事を選び永遠亭に下ったのである。
その後てゐは、永遠亭には入らずその周囲で彼らと距離を置いて過ごす。
200年が過ぎた時、永遠亭に戦いを挑む無謀な人間が現れる。藤原妹紅である。
てゐは妹紅と敵対する立場にあったが時間を掛けて打ち解けていき、戦い以外の場所ではよく話をするようになった。
西暦1969年に外の世界で起こったアポロ計画によって人類は初めて月に到達する。この時、月の防衛軍が緊急配備され、その際レイセンが敵前逃亡という形で地上に降り永遠亭入りする。
レイセンは比較的最近幻想郷入りしたもので、竹林に迷い込んだレイセンを妹紅が発見し、それを報されたてゐが永遠亭に導いたのである。これがてゐとレイセンの出会いである。
生還を前提としない永琳への連絡役として綿月家から捨て駒にされたレイセンを、捨て置くことも出来ない永琳はこのまま永遠亭に置くことを決め、現状、実験のモルモットにしか使えないレイセンに何か仕込ませて助手に使えるよう弟子にする。
当時のレイセンは、精神不安定な鬱病の様な状態で月の兎としての体を為しておらず、てゐが言うようにまさに「ポンコツ」状態だった。言われないとやらない、身が入らないので同じ失敗をするなど、とにかく使えない存在だった。
ミスをすれば永琳のキツイお仕置きが待っている。元々僕として使われるよう作り出された月の兎は肉体的なストレスに対して強い耐性があり、精神面が壊れているレイセンであっても体罰などの苦痛には強く、むしろそうした刺激を与える方がレイセンの脳に好影響を与え回復するのではないかと永琳は考え容赦しなかった。
そうした事情はあったものの、てゐはそれを見ている事が出来ず、水をかける、穴に落とす、転ばせる、滑らせる、うどんを頭からぶっかけるといった可愛らしい悪戯でレイセンの壊れた脳を刺激し、恥ずかしい、みっともないという社会的感覚に繋がる新しい感情を芽生えさせる事に成功し、その後少しずつ感情を取り戻していった。
レイセンに興味を持ち、放っておけなくなったてゐは、レイセンを見守る口実として永琳に自ら弟子入りを志願し永遠亭入りすることになる。そして、この時、今現在の永遠亭の構成が完成したわけである。
因幡てゐとかなり長い時間話し込んだ妹紅は、胃が落ち着いたところで暇を請う。
下で手を振るてゐの姿が見えなくなり、正面に向き直った妹紅の表情はいつも通りの厳しさに戻る。
既に陽は高く、遠く前方に見える里の家並みから炊煙が立つのが見える。
からっと晴れて湿度も低いせいか無意識に高度を上げてしまうが、里の先の魔法の森のさらに先に湖を見る事が出来た。あの辺は年中霧に覆われているため、遠くから湖面が見えるのは珍しい。
その湖の向こうに小さく豆粒のような建物が見える。あれが紅魔館だろう。吸血鬼戦争当時は、城塞があったそうだが、それが今残っていたらどんな景色になっていたのだろうとふと考える。
永遠亭が幻想郷隔離初期に移動してきた事は初めて知ったが、そこで因幡てゐが吸血鬼戦争とは別の場所で、存亡をかけた戦いを行っていたのである。
それなりの勢力であった妖怪兎の軍団は津波に呑み込まれ一夜にして消える。当時風見幽香らはこの謎の竹林の出現を認識しており、その調査前に吸血鬼戦争の転機となる吸血鬼の一部投降があったため、竹林の調査は行われなかった。もしこのタイミングが変わっていれば永遠亭と幽香の間で激しい闘争が行われ、幻想郷東部の北と南で戦争は泥沼となっていただろう。
もしそうなっていたら、今幻想郷は存在していないだろうと妹紅は思う。歴史に「もし」は禁物だが、ここで幻想郷事業が頓挫していれば、当然妹紅も幻想郷入りしていないわけで、その時自分はどこで何をしているのだろうか・・・。
妹紅は高度を徐々に落としながら里の東側を緩い弧を描くように迂回しながら飛び、魔法の森入口付近の香霖堂を目指す。
香霖堂の前に着いた妹紅は、しばし店を眺める。
「さて、どんな方法で攻めるか・・・。」
向こうの出方次第でどんな状況にも対応できるよう頭の中でプランを練る。
魔理沙の第一発見者といってもよい森近霖之助はある重要な情報を知っている。魔理沙が死亡後、長時間蘇生出来る状態を維持した謎を知っていると妹紅は睨んでいる。
妹紅はその謎について粗方目星はついているのだが確証が欲しい。これは、妖術使い、問題の解決家としての意地の様なものである。
森近霖之助は頭が回る。のらりくらりとこちらの追求をかわしてくるだろう。
簡単に尻尾は見せないと思うが、逆にこういうタイプは攻略方法が確立されているのでやりやすい相手でもある。一番難しいのは何を考えているのか思考に一定のベクトルが働かないバカである。例えば妖精とか・・・。
永琳からの贈り物と思われる謎の設計図の束は丸めてポケットにぎゅっと押し込んでいる。身体のサイズに合っていない大きめのモンペなので、ポケットがいっぱいに膨らんでもそれほど窮屈にはならない。見た目的には見苦しくなるが・・・。
「・・・こんなものでも、注意を引くのに役に立つか・・・。」
意外と重要なアイテムになるかもしれないと思う妹紅である。
「・・・よし、行くか。」
険しい表情を緩め、客らしい顔になる妹紅。
香霖堂の扉を開けると、直ぐに「いらっしゃい」という男の声が聞こえる。
薄暗い店内の更に影の中にいてこちらから目視できなかった店主は、客の顔を確認し慌て気味に席を立って影の中から姿を現し近付いてくる。
「いらっしゃいませ、妹紅さん。」
妹紅の前に歩み寄った香霖堂店主森近霖之助は、店の扉が開いた時の挨拶とは明らかに態度がかわり、とても丁寧な応対をする。
妹紅はそんな店主の態度が少し大袈裟に見え、露骨に訝しげな表情を見せる。
その妹紅の態度に気付いた店主は、その理由を話し始める。
「今朝、風見幽香さんが来ましてね。」
店主は頭を掻きながら、客を出迎えにわざわざ席を立つ自分自身に戸惑っている様子だった。意識してそうしたわけではなく、魔理沙の恩人を見て身体がそう自然に動いてしまったという事である。
「全部聞いたのね?」
「何をもって全部かどうかはわかりませんが・・・。」
その場に居合わせていない妹紅は幽香がどのまでしゃべったのかは分からない。頭を掻きながらあははと愛想笑いする、つかみ所がない店主。
「ちょうど良かった。その事で一つ聞きたい事があって来たのよ。」
霖之助が妹紅のポケットの中身に興味を示している様子を感じながら、容疑者を取り調べる様な面持ちで大柄な店主を見上げる。その妹紅のただならぬ雰囲気を感じギクリとして気を引き締める霖之助。
「ど、どういった用件でしょう?」
カウンターの前の幽香がいつもくつろいでお茶を飲む席に妹紅を案内しながら、前を歩く妹紅に声はおどけてながらも鋭い視線をなげかけ妹紅の真意を探ろうとする店主。
店主が眼鏡を直す動作をする瞬間を見計らって妹紅は口を開く。
「霖之助さん、あなたは重要な事を隠しているでしょう?もちろん、魔理沙の件で。」
顔を傾けて長い髪の毛の間から霖之助の表情を伺う妹紅。その霖之助は右手の中指で眼鏡を直そうとする動作のまま一瞬固まってしまい、その様子を妹紅に見られてしまう。
思わず動きを止めてしまった事で心を見透かされたと理解した霖之助はしまったと後悔する。店主として客の態度や雰囲気などから様々な情報を読みとる事は得意だと自負していたが、今正にそれを自分がされてしまったのである。このまま言いなりになって何でもペラペラしゃべるか、とぼけるか、色々な選択肢が脳裏を過ぎる。
「座ったら?」
不意に妹紅に袖を引かれて、されるがままに幽香が座る椅子に座らされる霖之助。完全に妹紅に主導権を握られる。
椅子に座った、というより座らされた霖之助は、相対的な頭の高さが逆転し妹紅から見下ろされる形になる。
妹紅は霖之助に顔を近づける。霖之助は思わず妹紅の目を見るが、妹紅はなぜか自分ではなく自分の少し後ろに目の焦点を合わせているように見え、後ろに何があるのかと一瞬そちらに気が向く。
その瞬間妹紅は右手を霖之助の左肩に置いて重心を前にし身体を右手一本で支える様にする。
妹紅が完全に身を預けてきたことは、肩にかかる重さから理解できる。ここで変に動いたら倒れて危険だと、生物としての本能が働きバランスを取ろうとする。
「霖之助さん、これから私は独り言を言うわね。あなたは何もしゃべらなくていいわ。その代わり私から顔を反らさないでね。」
口元に妖しい笑みを浮かべる妹紅。
霖之助はここで身体を動かすと、腕一本で体重を支えている妹紅がバランスを崩して自分に覆い被さってくるということを容易に想像することが出来、自然と意識がそうならないようにしようと動く。
この妹紅の態度は、無数にある尋問術の一つで、頭が良く機転の利く者に対するやり方である。
能力の高い者は同時にいくつもの思考処理が出来る。尋問してもとぼけ、ウソの答えをはき、さらにこちらを混乱させようと情報操作を目論むのである。
身体をあづける行為は、こうする事で意識の一端を体のバランスを取る事に向けさるためである。視線を敢えて外すのも気にする者には非常に効果がある。
妹紅は相手に余計な思考をさせない為に今宣言した通り独り言を始める。
「あなたに『ある事』を依頼したのは、魔理沙のお父さん、マルキの主人ね?」
突然の真実に心臓が大きく鼓動する霖之助。その音が耳に聞こえそうな錯覚を覚える。
「い、いや、それは・・・。」
否定しようとした霖之助の唇に左手の人指し指をそっと添え、自分は独り言を言っているだけだと思い出させる。妹紅のそのしなやかな体の動きに少女ではなく女性という意識を強く感じ、したくもない想像をしてしまう。
「独り言の邪魔はしないの。」
否定や言い訳が出来ない事は弁の立つ者としてはストレスになる。
視線は相変わらず自分ではなく、後ろ、又は自分の中身を見ているようで、これが霖之助の意識に絶妙なノイズを与え、思考を分散させる。
「マルキの主人の亡くなった奥さん、霧雨サーヤは・・・霧雨家のお墓には『いなかった。』」
妹紅は確信に迫る言葉を子供にお話を聞かせる様に自然に言い放つ。当然霖之助はそれに反応する。しかし、この時の霖之助の反応は困惑や否定という態度ではなく、明確な怒りだった。そう、意図的に過去形で言い、あたかも見てきた様に言う妹紅が、やってはいけない墓荒らしをしたと思ったからである。その反応を見た妹紅はすぐさま次の言葉に繋げる。
「冗談よ。大丈夫、私は霧雨家の墓の場所なんてしらないから。」
その言葉にはっとなってカマをかけられた事と、それを咄嗟に見抜けなかった事に愕然とし力が抜ける霖之助。怒りが収まる、というよりどこか別の場所に一瞬で飛ばされたような印象を受ける。
怒りが消えた瞬間、自分の中が空っぽになっていることに気付くが、思考範囲を限界まで狭められてたった一つの感情を引き出された事を理解する。
普段怒らない霖之助が一瞬で沸点に達したのは、妹紅の仕掛けた様々なノイズによって霖之助の思考能力が極限まで削ぎ落とされ、直情的な感情しか出せない状況に追い詰められていたからである。
凄まじい敗北感が押し寄せ放心し、全く思考が働かなくなった。初めての経験である。
この霖之助のリアクションは妹紅が霧雨家の墓をあばいて確かめたと思った事による義憤であり、それこそが「魔理沙の母親サーヤが、霧雨家の墓に居ない」ということを裏付けるものとなった。サーヤの遺骨がどこにあるかなど普通の人は考えもしないはず。もし霖之助が何も知らなければ怒りを示す前にその言葉の意味を考えるはずである。
霖之助は完全にしてやられたとショックを受けた。風見幽香の脅しも八雲藍の挑発も八雲紫の手癖の悪さも全て自分の才覚で乗り越えて来た。しかし、藤原妹紅には完全にしてやられた。
「(プロの仕事だ・・・。)」
カマをかけるのは誰でも出来る。しかし、カマをかけられている事を気付かせない技術は誰もが持っているわけではない。
妹紅はスッと霖之助から離れ、体を横に向けて壁に掛かっている魔法の森の地図を眺めながら、さらに独り言を続ける。
「魔理沙を勘当するにあたって、大事な一人娘とご先祖様と縁が切れる事を憂いたマルキの主人は、無き妻に愛娘の守護霊になってもらおうと霧雨家の一門から魔理沙同様追い出し縁を切った。」
霧雨魔理沙とサーヤは霧雨家とは無縁になって、ただの母と子という関係になったのである。
霖之助は背中を丸め、両肘を膝に置いて組んだ手の上に頭を乗せうな垂れた。誰にも言うなと親父さんと慕うマルキの主人に口止めされた秘密が知られてしまったのだ。
「マルキの主人は、独立を世話した信頼できる森近霖之助にサーヤの遺骨や位牌を預けた。遺骨を預かった森近霖之助は西洋墓地にそれを隠した。西洋墓地に現れた魔理沙はそこで静かに眠っていた怨霊達を怒らせ殺されたが、霧雨家から離れて魔理沙の守護霊となったサーヤによって完全なる死から免れた・・・。と、まーそんなところかしらね。」
風見幽香の口から藤原妹紅の凄さは聞いていた。しかし、全くと言っていいほどその実感がなかった。いくら風見幽香の言葉だとしても自分で直接確かめていない人物を信じるほどお人よしではない。しかし、この藤原妹紅の能力を知った森近霖之助は幽香の言葉が正しかった事を痛感した。
「ただひとつ解せないのが・・・。」
妹紅が何か言いかけた時、霖之助の言葉がそれを遮った。
「サーヤさんが自分を離縁するように親父さんの枕元に立ったそうなんです。サーヤさんの遺骨も持って来た親父さんがそうぼくに言って、このことは他言無用だと・・・。」
霖之助は全てを話す気になっていた。この人なら信頼出来ると・・・。
「・・・なるほど・・・サーヤが全部預言して先回りしていたのね。」
「親父さん自身は魔理沙が死んだ事は知りません。私のところにサーヤさんがいると思っていますし、魔理沙はそのサーヤさんに守られていると今も思っています。」
「・・・。」
「西洋墓地に魔理沙が来る事を予見して、そこに自分を隠すようにと、サーヤさんが枕元に立って、それで言われた通りにしたんです。」
妹紅は霖之助に一度向き直った後、また壁の地図に目をやる。
「西洋墓地ってどこ?」
「里と紅魔館を線で結んだ丁度中間あたりです。」
「ここ?」
地図には何箇所か×印がついており、そこに何かがある事を示している。霖之助が教えた場所にも印がついており、妹紅は指をさして確認した。
「ええ、そこです。行くんですか?」
「・・・機会があったら言ってみようかしら・・・。」
この時点で行くかどうか決まってない妹紅。
「気をつけてください。かなり危険ですからね。」
妹紅は右手の手の平で右の目を覆い、見えている左目で『転写眼』を発動する。
転写眼とは、目に映っている物を網膜に焼き付けて記録する妖術の一つで、普通の人間がやると確実に失明する。
この術は妖術使いや陰陽師などの自分では使えない相手の技を盗む時に使い、片目を失う代わりに上手くいけば相手の奥義などを盗み取ってしまう強力な忌術である。
以前の妹紅では自動的に傷が治るので、焼かれた網膜は回復してしまいこの術は使えなかった。しかし、身体の治癒機能が変化した今の妹紅は、この状態を維持することが出来る。
妹紅は左目に焼き写した魔法の地図を、白い空呪符に映して携帯用の魔法の森を地図を作りもんぺに戻す。焼き写した映像は必要ないので傷ついた網膜は修復して治す。
「地図、借りるわね。」
「え?ええ、どうぞ。」
妹紅の動作の意味が理解できなかった霖之助だが、その言葉でようやくその意味を理解する。
妹紅は用事が済んだので帰ろうと、店主に声を掛けようとしたが、椅子に深く腰を落としすっかり意気消沈している霖之助を見る。
これは、妹紅との勝負に負けたというより、心の中に封じ込めていた魔理沙に対する想いが前面に出てきてしまった為だろうと妹紅は感づいた。
「(霖之助さんの中では魔理沙は生きてもいないし死んでいないのね・・・。)」
妹紅はそんな霖之助を見かねて歩み寄って肩に手を置く。
「全て知っていて、魔理沙と普通に会話するのは、とても辛かったでしょう。」
「・・・。」
「今までよくがんばったわね。後の事はすべて私に任せて。必ず魔理沙を返すから。」
その言葉を聞いた霖之助は、我慢していたものが全て崩れ落ち、その場で声を出して泣き出す。幽香に魔理沙に甘いとよく言われる霖之助だが、それはしようがないのだ。
「・・・必ず元に戻すから・・・。」
込み上げる感情に声が出ない霖之助は、その妹紅の言葉にただただ頷くだけだった。
早朝、まだ開店前の香霖堂の前で風見幽香と別れた妹紅は、そのまま南へ飛び迷いの竹林にある隠れ家に向かう。因幡てゐと会う必要を感じた為である。
先日、永遠亭との戦闘で勝利した妹紅は八意永琳に八雲紫に会うよう指示をしたが、居場所が全く分からない紫と会う事は至難の業といえる。恐らく永遠亭側は八雲紫と会う為様々な策を労しているところと思われる。
藤原妹紅は、その神出鬼没の八雲紫と確実に会える日時と時間と場所を知っている。それをてゐを経由して永遠亭に報せようとしたわけである。
今日のスケジュールは、このままてゐと会って、その後香霖堂に行く予定である。香霖堂に関しては魔理沙の件でいくつか聞きたい事があったためで、魔理沙が死亡後何故数日間蘇生可能な状態を維持できたのか、その謎に対する自分なりの答えの成否を確かめるためである。
夜は再び魅魔を呼び出し、パチュリー・ノーレッジと会う予定である。ここで十六夜咲夜と会見出来る可能性がある。彼女が来るか来ないかで今後のこちらの動きに一定のベクトルが働くだろうと予測できる。
そして明日は、白玉楼で行われる三賢者会議である。この会合に関しては出席を見合わせるよう八雲藍から要請を受けており、妹紅はこれに応じている。この選択は今後の妹紅に大きな影響を与える事になるが、今はそれを知る由はない。
この三賢者会議を境に紫の異変は具体性を帯びると帯びると思われる。
異変が具体的に進み始めれば、妹紅としてやることは一つ。ただ、その前に色々とやっておかなければならないことがある。
まずクリアしておかなければならないのが永遠亭の問題である。これは、八雲紫と八意永琳の相互不理解で起こる事故で幻想郷滅亡という最悪の事態を招く恐れがあり、真っ先に解決しておかなければならない案件である。
昨日の戦闘で八意永琳を打ち破った妹紅は、八雲紫に引き合わせて互いに協力するよう要請した。それが上手くいっていればいいだろう。しかし、まだ八雲紫に会っていないとするなら助け船を出さなければならない。
隠れ家に着いた妹紅は周囲を見回し変化がないか確認する。
視線を巡らすと、上体を起こし耳を立てこちらを見ている一匹の兎と目が合う。その兎は妹紅と視線が合うと文字通り脱兎の如く永遠亭の方向に走って逃げる。
「てゐに発見されたな・・・。」
てゐに発見してもらうために隠れ家に来た妹紅としては計画通りである。時機に来ると思うので、妹紅は下草の上に寝転がって考え事を始める。
今朝方幽香に吸血鬼に関わりすぎるなと警告に近い助言を受けた事が頭から離れない。
魅魔との協力関係はあくまで魔理沙に関してのみで、吸血鬼に肩入れするということは当初全く考えていなかった。しかし、吸血鬼戦争が今回の異変と無関係でない事を知り妹紅はそこに首を突っ込もうとしていた。
吸血鬼に肩入れするということは、幽香が言うように八雲紫と敵対する事と同義である。
妹紅はこの異変に際して八雲紫に全面的に協力することを約束しており、このまま魅魔に偏ってレミリア・スカーレットの王家復活に手を貸せば紫を裏切る事になる。
紫と敵対しない。しかし、魅魔の協力もしたい。
ジレンマである。
この件に関しては、幽香の意見が正しいと妹紅は思う。レミリアに関しては中立的な立場でいるべきだろう。
「しかし・・・。」
だが妹紅には一つ気になる所があった。十六夜咲夜である。
咲夜の本当の能力は、思念という世界にアクセス出来る力で、自分の中に思念として存在する八雲藍と交信出来る可能性を持っている。
会って話がしたいというわけではない。思念体となった事で生前のように話せる状態ではない事も分かっている。問題は彼女の持つ膨大な歴史と知識である。何か困難な問題にぶつかった時、十六夜咲夜の力を借りて藍の知識を利用出来ないだろうか?
「・・・十六夜咲夜か・・・。」
不死人狩りで戦った事はあっても、普通に会話をしたことはない。吸血鬼の件はおいておくとしても、十六夜咲夜とは個人的に交友を持ちたいと思い始める妹紅である。
「咲夜がどうかしたの?」
突然声を掛けられ思考の世界から引き戻される妹紅。気付けば誰かに顔を覗き込まれている状態で、迂闊な自分に驚いて飛び起きる。
「て、てゐか・・・びっくりさせないでよ・・・。」
声をかけたのは因幡てゐだった。
「何回も呼んだのに・・・で、咲夜がどうかしたの?」
「あ、いや、私も時間を止めてみたいなー・・・なんてね。」
咄嗟に誤魔化す妹紅。
「ほんと、人間の欲は尽きないねー。」
敵対者に対してはともかく、知人・友人に対しては嘘が下手な妹紅だったが、その咄嗟の嘘も友と呼べる者の言うことは疑わないてゐは真に受けてしまい、人間の業の深さを嘆く。なんとなく罪悪感を覚える妹紅。
「それにしても・・・まさか師匠に勝つとは思わなかったよ。」
昨日の戦いをしみじみ語るてゐ。
「そんなことを言いに来たわけじゃないでしょ?永琳から紫捜索を任されてるんでしょ?」
寝ころんだ状態から上体だけ上げてあぐらをかく妹紅。昨日の戦闘の話はあまりしたくないので最初から確信を突く。
「そうそう!ズバリ聞こう!八雲紫はどこ?」
今現在最も重要な事を思い出し、びしっと人差し指を真っ直ぐ妹紅に向けるてゐ。
因幡てゐは、妖怪の間では、悪戯うさぎ、性悪うさぎ、腹黒うさぎなどと呼ばれ評判はすこぶる悪い。しかし、人間の里では幸運のうさぎなどと評判は正反対である。
幻想郷では人外の存在であっても、例えば上白沢慧音のように好んで人間に荷担する者も少なくなく、因幡てゐもその一人といえる。
因幡てゐは永遠亭に属し敵対的立場であっても人間である妹紅に陰で便宜を図り親切にしている。特に妹紅に対して良くしているのだが、それは妹紅がてゐに対して一定の敬意を示しているからでもある。
神話にも登場するてゐをそれなりに敬う姿勢を見せるのは幻想郷では妹紅だけである。何故なら神話と地続きともいえる幻想郷では、時代を経て外界では敬われるようになった様々な存在と隣り合わせで暮らしているためか、その偉大さや有難味に気付いていない者が多く、幻想郷に後から来た妹紅は、外の世界の常識を持ち客観的に幻想郷を見ることが出来たため、そういった恐れ多い存在に対して敬意を示す行動を自然に取るからである。
因幡てゐはそんな妹紅が気に入っているのである。
他の妖怪や人間と情報交換をする場合、少しでも優位に事を運ぶように考えながら交渉するところだが、妹紅はてゐに対してはそうした駆け引き無しで慧音と会話するように素直に応じる。てゐも普段のような狡さは見せない。
「明日の正午、白玉楼で紫ら数名と会見することになっているわ。」
妹紅は質問に答えながら、てゐの格好を見て、それがおかしいと気付くがそれについて聞くのはあとまわしにすることにする。
「ほう!白玉楼とな!ってことは西行寺幽々子も一緒か・・・。」
「会見のホストらしい。」
「ふーん・・・。」
ホストかどうかなどはてゐには興味がないらしい。
「明日の正午あたりにキツネが家に迎えに来るから、周囲に兎を配置させておけばいいわ。」
「もう既に配置してる。」
「白玉楼ってキーワードは会話の中で向こうから出してくると思うし、出なければ私が出すように仕向けるから。」
妹紅からてゐを経由して直接永琳にその情報を知らせると、情報源がどこかを追及され密かに会っている事がばれてしまう。ここは妹紅と藍の会話を配置した兎を経由して永琳に伝えるようにするのが安全である。
妹紅の家に既に兎が配置されているとの事なので、今ここでてゐに報せなくとも良かったのだが、無駄に動き回って苦労させることもないだろう。
「わかった!ありがとう妹紅。」
話が済んだところで、妹紅はてゐの変な格好を指摘する。
「ところで、その格好は?」
見れば唐草模様の風呂敷を首の前で結んでそのまま背負い、右手には何故か紙の束を持っている。何をしているのか、何をしようとしているのか分からない格好をしているのである。
「ああ、そうだ、忘れてた。」
何かを思いだしたかの様に、手に持っていた紙束を足元に無造作に置き、風呂敷を首から外すと中から『文々。新聞』で包んだ何かの塊を取り出す。膝を曲げてしゃがんだてゐは地面においた風呂敷の上の新聞の包みを取り、中から数個の竹の子の皮につつまれたおにぎりを取り出す。
「ちゃんと食べてないんでしょ?」
普段ろくに食べてない妹紅を心配しておにぎりを握って来てくれたてゐ。
その気持ちは涙が出るほどありがたいが、昨晩屋台でたらふく飲んで食った手前、食べたくないとは言えないので黙って頂戴する。
てゐの小さな手で握ったおにぎりは上手く三角にならずほぼ真ん丸だが、手に塩をふって握っているので程良い塩気でとても美味しく、中にある梅干しの酸味が食欲のなかった妹紅の胃を刺激する。
「ほれは?」
口の中がいっぱいでちゃんと発音できない妹紅はてゐが無造作に地面に置いた紙の束を「それ」と顎で指す。それは白い薬紙で便所で使うにはもったいない紙である。
「ああ、これ?師匠がいらないから外に捨ててきてって・・・。」
「いらないなら便所で使えばいいんじゃないの?」
「まー普通はそうなんだけどさ・・・。」
「・・・。」
てゐはそれ以上何も言わずに紙の束を妹紅に渡す。
「・・・私に見せる為に・・・かな?」
「たぶん・・・。」
永琳からの贈り物と捉えた2人は微妙な顔をする。見たら三日以内に死ぬ「呪」という文字をびっしりと・・・など、主に悪い方にばかり考えてしまう。
外に出ようとするてゐを呼び止めてわざわざこれを捨てるように言うのは、どう考えても不自然である。言葉通りではない別の意味を考えるのが普通で、てゐは、妹紅にこれを渡せという事なのだろうと判断して捨てずにそのまま持ってきたわけである。
「永琳はこの事知ってるのかな?」
この事とは、ここで敵同士である2人が密かに会っている事である。
「知らないんじゃない?」
「何でそう思う?」
「ダンゴ虫が2匹、石の下で何かを企もうが感心ないでしょ?」
永琳にとって人間とはその程度の存在なのである。
「・・・それもそうか・・・でも。」
「これが妹紅へのプレゼントだとするなら・・・。」
「てゐが私に会いに来ることを分かってて・・・。」
「ま、考えるのはやめよう。私達の行動に関心を示すとするならそれはそれで大きな進歩だし。」
「・・・それもそうね。」
気を取り直してその紙の束を1枚めくる妹紅。
「・・・何だこれ?」
「私も来る途中見たけどさっぱりわからなかったよ。」
妹紅はてゐにも見えるように地面に紙束を置いて一枚一枚めくる。
図面の様にも見えるが、その図形はどうやら丸いもののようで、図のまわりに読めない文字がびっしりと書き込まれている。
設計図、図面、資料といったものだということは分かるが、いまいちの図の円形という以外に完成品のイメージがつかめない。平べったい円か球体なのか円筒の断面か。
「てゐ、この字読める?」
「これは師匠達の世界の文字だね。レイセンなら読めるかも、だけど、私は読めない。すまん。」
「いや、別に謝らなくていいけど・・・何の為にこれを・・・これほんとにゴミなんじゃ・・・。」
おにぎりを食べながら妹紅は必死にこの意味を考える。やがて食べ終え手についたご飯粒も残さず舐め取る。
てゐはそれを見て、残りのおにぎりを竹の子の皮の包みをとって妹紅の前にさりげなく差し出す。妹紅は無意識にそれを掴んでほおばりだす。
役目を終えた竹の子の皮の包みを自分の前に置いたてゐは、そのまま妹紅が考え事をしているのを尻目に、自分のおにぎりをゆっくり味わう。
用意した6個のおにぎりはたちまち無くなり、てゐが1個、妹紅が5個平らげたが、皮は3枚ずつそれぞれの回りに散らかっている状態にてゐは細工する。
「ん、あ?」
妹紅は何かに気付いて一度てゐに向き直って周囲をキョロキョロし自分だけ多く食べていないか確認し、ゴミの量を見て安心しまた思考に戻る。てゐは何事もなかったかのように、だらだら食べていた1個目のおにぎりをようやく平らげる。
そうしたてゐの心配りに気付かず、図面とにらめっこしていた妹紅であるが、あるページに興味を示し、めくる手を止める。
それにはてゐも興味を示し、身体を乗り出して顔を近づけた。
そのページに書かれているのは、今まで単純な線だけで書かれていた図とは違い、かなり多くの線を使ったリアルな完成品のイメージを現していた。
「球か・・・。」
妹紅は片手に持てるくらいの大きさの玉をイメージして、それをジェスチャーでてゐに見せる。
「もっと大きいんじゃない?」
「大きいか・・・あ、そうか、こいつがもしかしたら幻想郷を滅ぼすモノじゃないか?」
輝夜が見た未来のビジョンに出てきた幻想郷を滅ぼす存在ではないかと妹紅は気付く。それなら永琳が妹紅に見せようとする理由がつく。
「そういえば、昨日帰ってから色々説明してもらったけど、師匠が昔作ったモノが空から降ってくるみたいなこと言ってた。」
「こいつがソレってことか・・・。」
これが紫の異変を台無しにして輝夜に幻想郷の滅びのビジョンを見せた原因と断定する妹紅。
「ただの球っぽいけど、一応兵器みたいだね。」
「兵器・・・なるほど、爆弾ってことか・・・。」
「恐らくね。」
しばし、押し黙る2人。
「もっと、もっと、こーーーんくら大きい爆弾なんじゃない?」
紙に書かれているのはあくまで形であって実際はもっと大きいものではないかと、先程掌に乗せる動作を見せた妹紅に、それを否定するように両手を広げて大きな円を描いてみせるてゐ。
「永琳の作るものなら、そんなに大きくならないんじゃないかな?」
科学の力とやらで扱いやすい様に小さくするのではないだろうかと予測する妹紅。
「いや、案外大きいのが好きなんだよ師匠は。うな丼も具の大きいのを先に選ぶし。」
それはただガメツイだけだろうと思いつつ、妹紅は大きさの指標となるような情報がないか紙に目をやる。
そしてすぐに完成品のイメージ像の下に尺度を現す目盛りを発見する。
「ん?ここだけ洋数字だな・・・。」
「書き直してるね。あきらかに・・・。」
「やっぱり、私に見せるためか・・・。」
目盛りの右端に「0」、五等分された目盛りの左端に「5」と書いてある。そして「0」の下に「k」「m」と小さく書かれている。
「けー、えむ・・・って何のこと?」
「恐らく、長さの単位でしょ。」
アルファベットは既に幻想郷に普及して読み方は知れ渡っている。しかし、それを言葉として読み書き出来る者は幻想郷ではまだ少ない。
妹紅とてゐも当然アルファベットは知っているし読む事が出来るが、単語や文章としての意味を理解する事は出来ない。
「寸?」
「尺じゃない?」
「いや、けーえむ、だから間(けん)だな。」
「お、それだ!妹紅あたまいいー!」
「えーと、これが五間で、この五間が1こ、2こと・・・。」
人差し指と親指で0から5までの目盛の長さをおおよそ測る。その指定規1本分が約8本でその図の直径になることが分かった。
「40間か・・・。」
40間はメートルに直すと約72メートルになる。
「長いね。」
2人は同時に空を見上げて、それが空から降ってくる様子を思い浮かべる。
「でかいな・・・。」
「でかいね!」
「でかいよな・・・。」
「でかい!でかすぎ!」
想像すればするほどその大きさに驚く2人である。
ふりかかる禍として幻想郷の住人に認識してもらうにはこのくらい大きくて目立たないと駄目だとも思う妹紅。吸血鬼を悪者にしようとする紫の企みは幽香から聞いていたが、それとは別の謎の物体が現れればレミリアらが直ぐに悪者扱いされることはないだろう。勿論後で難癖はつけられるだろうが・・・。
妹紅は再び考え始め、てゐはその様子をこれといって特に不思議がる様子もなく黙って見ている。この思考に埋没して周囲を無視する行動は永琳がよくやることなのでてゐとしては見慣れたものだった。不死身になると周囲を気にする必要がなくなるのだろうと・・・。
誰の仕業とも分からない謎の物体が幻想郷を襲う・・・というシナリオで異変を構築していけば、特定の誰かが罪を負う事はないだろう。むしろ幻想郷の住人が結束するチャンスで、吸血鬼もそれに含まれれば魅魔と連携しなくても自然な形で良い方向へ導けるかもしれない。
妹紅は一定の結論に達し、ふと顔をあげると退屈そうにゴロゴロ転がっているてゐを見つけて慌てて謝罪する。
「妹紅ってば、師匠に似てきたなー。」
「は?どこが?」
永琳と一緒にされて露骨に嫌がり眉を吊り上げる妹紅。
「そうそう、師匠ってば妹紅に負けてからとんでもない事になってるんだよ。」
話をそらすてゐだが、そのそれた話も興味深い。
「・・・何がどうとんでもないことになってるの?まさか荒れまくってレイセンが半殺しになってるとか?」
「逆、逆。昨日からずっと機嫌が良くてニコニコしてるんだよ。」
「はぁ?ウソつくにしても、もっとマシなウソつきなさいよ。」
あきれ顔で肩をすくめて両手を広げる動作をする妹紅。
「妹紅にウソはつかないってば。本当にそうなんだよ。」
聞けば、昨日の敗戦直後から何故か機嫌が良く永遠亭に帰還してからも同じで、特にレイセンに付きまとっては戦い振りを褒めてみたり、ねぎらいの言葉をかけて肩を揉んでやったりなど、今まで見せたこともない行動をし始めたのである。
「いやー、涙目になって、怯えているレイセンは面白かった。」
「普段どんだけなのよ・・・。」
そんな事は慧音がよく妹紅にすることで珍しくもなんともない。
「よく、半殺しって言うだろ?それって少し大げさな表現でしょ?でもうちは違うんだよ。半殺しどころか、ほぼ殺しさ。薬で一発で直せるから、お仕置きといえば死ぬ直前までやるよ。心臓が止まっても無理矢理動かして戻しちゃうし。」
「鬼だな・・・。」
永遠亭の実態を知った妹紅は、改めて連中とは相容れない存在だと認識する。
「その鬼が改心した・・・って信じる?」
「信じられないな・・・。」
「妹紅に負けた事で何か変なスイッチが入っちゃったみたいでさ。」
「昨日の戦いで、途中から様子が変わったからな・・・やっと血が通いはじめたってことか・・・。」
「正にそんな感じ。表情も違うし。」
ちょっと見てみたくなる妹紅。
「でも、そんな一瞬で変わるものかな・・・内面はそう簡単に変わるとも思えないけど。」
「そうでもないよ。ミスチーなんか幻想郷にすごく適応して変化したし。あいつ、最初めっちゃ凶暴で、人喰いばっかしてたんだから。」
思いがけず昨日知り合った屋台の店主の過去を聞く。元々商売をするような妖怪ではなく純粋に人を襲う妖怪だったが、幻想郷に来てからすぐに変化し適応してしまったのである。
妹紅は自分もそうだったと気づく。岩老郷に入ってから最初はただの穀潰しでしかなかった。ある事件がきっかけで世界観が代わり、そこから一気に成長がはじまったのである。
永琳もそうなのだろうか。
「ほんと良かったよ。」
「良かったのはレイセンだろ?」
「うん、これでレイセンも少し楽になれるだろう。」
「てゐはずっとレイセンを気に掛けてたからな・・・。」
てゐの本質を知らない者は、普段のレイセンに対するてゐの行動を見て単に苛めているだけとしか見ないだろう。しかし、てゐを知る妹紅としての感想は全く逆で、てゐの行動はレイセンの保護である。
「あんなポンコツうさぎ、見てたら誰だって気にかけたくなるさ。」
「あいつは、てゐに救われているってこと気付いているかな。」
「そんなこと気付かなくていいよ。」
因幡てゐは幻想郷中に情報網を持っているため、八意永琳から有為な存在と認められ、敵対しない限り何をしても自由という特別な権限を情報網と引き換えに与えられている。
てゐの悪戯に巻き込まれた時のレイセンのミスは、てゐの顔に免じて罰を軽減される。これがもしレイセン一人のミスなら文字通り半殺しにされ、新薬などの実験台にさせられてしまうのだ。
てゐは同じミスを繰り返す一つ抜けているレイセンがこれ以上ミスを重ねないように適度に悪戯という形で迷惑をかけ、責任を分散させていたのである。だいたいそうでもしてやらないと、毎日のようにキツイ体罰を見るハメになり、レイセンにはそうした事に関する耐性があっても、見ているてゐとしては精神的に耐えられないのである。
妹紅はてゐと話をしながら苦しくなってその場で寝転ぶ。精神的に苦しいわけではなく、物理的に胃が苦しいからである。
「おかしいな・・・そんなに食べたかしら・・・。」
まんまとてゐにおにぎりを5個食わされた事に気付かない妹紅。てゐとしても別に悪気があってそうしたわけじゃない。ただ、3個食べきったあたりから、ちょっと悪戯してみたくなっただけである。石ころとか食べられない物を食わせたわけでもないし、このくらいの悪戯は許してもらえるだろう。
それにしても、まさか5個も平らげるとは完全に予想外だった。次は6個に挑戦しようと目論むてゐだった。
「そ、そういえば輝夜は?」
永琳やレイセンについては話したが、輝夜の話が出てこない妹紅は、つい彼女の名前を口にしてしまう。
「気になる?」
微妙な声のトーンの変化を感じ、ニヤニヤして妹紅を覗き込むてゐ。
「いや、別に・・・。」
身体を横にしててゐに背を向ける妹紅は、何故か無性に敗北感を覚え、聞かなければよかったと後悔する。
「姫は、この件にはもう関わらないって。全部師匠に任せて部屋に篭城してるよ。」
「・・・そう。」
「墨と筆、大量の紙を持ち込んで部屋中書き散らかしてるよ。」
「ふーん。」
妹紅は関心なさそうに聞く。昨日の戦闘去り際に昔の輝夜の事を少し話したが、負けず嫌いの輝夜の事、戦いには負けても歌(短歌)では負けないと意気込んだのだろう。
「全然書けなくなって自分でも驚いてたよ。」
「・・・そりゃー性根が腐ってるからよ。」
「昔は腐ってなかったってこと?」
「地上には時間の概念があるんだ。時が経てば忘れもするし劣化もする。あいつは自分が劣化していることに気付いてないのよ。」
劣化と言っても能力が落ちているという意味ではない。あくまで人間として身につけた素養の事である。月の世界には劣化という概念がないので、輝夜は地上で身につけた歌や芸事の素養が今もそのまま自分の身に備わっていると思い込んでいるのである。
永琳はずっと輝夜のそばにいるため、その劣化を感じる事はむずかしいだろう。昔の輝夜と、今現在の輝夜を完全に分けて比較出来る妹紅には、今の輝夜の劣化がよく分かるのである。
「ふ~ん、昔の姫ってどんなんだったのか、見てみたかったね。」
妹紅は輝夜の話などはやく止めにしたかったので別の話題を出す。
「そう言えば、この竹林っていつからあるの?里では津波によって運ばれた・・・とか伝説になってるけど。」
実は前から聞きたかった事である。
「竹林が現れたのは、吸血鬼戦争の時だなー。妹紅はこの戦争の事知ってる?」
妹紅は思わぬ場所で思わぬ言葉を聞く。狐、いやここでは兎か?何かにつままれている気分になる。やはり、この吸血鬼戦争の問題からは無関係ではいられないのだろうか。
てゐは妹紅の微妙な変化に気付いたが、それには触れず話し始めた。
約500年前に幻想郷が隔離された当時、迷いの竹林のあった場所は広い平原で、その南側に大きな湖があった。この湖は境界の外まで飛び出しており全体が分からないほど大きい。泳いで対岸に渡ることが物理的に出来ず、何よりその対岸が遠く霞んで見えなかった。それだけ広い湖だったのである。
幻想郷がまだ外の世界と地続きだった頃、因幡てゐは幻想郷事業の運営には関わってはいなかったが初期の頃から事業に賛同していたため、幻想郷入りの予約と一等地の確保はかなり前からなされていた。
当時の因幡てゐは、自分以外にも妖怪化した兎の軍団を率い、一つの勢力として博麗の里南部にあてがわれていた平原に陣取っていた。
吸血鬼戦争開戦後間もなく、湖の対岸から大きな塊が津波のようになだれ込みあっという間に平原を呑み込む。一夜にして湖と平原が広大な竹林に取って代わり、この津波の難を逃れた因幡てゐと生き残った妖怪兎達は目の前の信じがたい光景に途方に暮れるしかなかった。
てゐは、手勢を率いて謎の竹林を調査、そこで人間と思しき2人の女性と遭遇。降伏勧告を無視して失った部下の仇と、土地の奪還を目論んだが歯が立たず一人生き残ったてゐは敗走。
特に面識はなかったが有名人で名前はよく知っている風見幽香を頼ろうと竹林脱出を目論むが道に迷い、追いつめられたてゐは降伏し拘束される。
ここで蓬莱山輝夜、八意永琳、そして永遠亭という存在を知ったてゐは、他の兎達と同じように実験の検体にされそうになったが、他の兎と明らかに違うてゐに興味を持った永琳は、配下になるように説得する。
神話時代から生にしがみつき、どんな困難にも狡猾に生き延びてきたてゐは、死ぬ事よりも生きる事を選び永遠亭に下ったのである。
その後てゐは、永遠亭には入らずその周囲で彼らと距離を置いて過ごす。
200年が過ぎた時、永遠亭に戦いを挑む無謀な人間が現れる。藤原妹紅である。
てゐは妹紅と敵対する立場にあったが時間を掛けて打ち解けていき、戦い以外の場所ではよく話をするようになった。
西暦1969年に外の世界で起こったアポロ計画によって人類は初めて月に到達する。この時、月の防衛軍が緊急配備され、その際レイセンが敵前逃亡という形で地上に降り永遠亭入りする。
レイセンは比較的最近幻想郷入りしたもので、竹林に迷い込んだレイセンを妹紅が発見し、それを報されたてゐが永遠亭に導いたのである。これがてゐとレイセンの出会いである。
生還を前提としない永琳への連絡役として綿月家から捨て駒にされたレイセンを、捨て置くことも出来ない永琳はこのまま永遠亭に置くことを決め、現状、実験のモルモットにしか使えないレイセンに何か仕込ませて助手に使えるよう弟子にする。
当時のレイセンは、精神不安定な鬱病の様な状態で月の兎としての体を為しておらず、てゐが言うようにまさに「ポンコツ」状態だった。言われないとやらない、身が入らないので同じ失敗をするなど、とにかく使えない存在だった。
ミスをすれば永琳のキツイお仕置きが待っている。元々僕として使われるよう作り出された月の兎は肉体的なストレスに対して強い耐性があり、精神面が壊れているレイセンであっても体罰などの苦痛には強く、むしろそうした刺激を与える方がレイセンの脳に好影響を与え回復するのではないかと永琳は考え容赦しなかった。
そうした事情はあったものの、てゐはそれを見ている事が出来ず、水をかける、穴に落とす、転ばせる、滑らせる、うどんを頭からぶっかけるといった可愛らしい悪戯でレイセンの壊れた脳を刺激し、恥ずかしい、みっともないという社会的感覚に繋がる新しい感情を芽生えさせる事に成功し、その後少しずつ感情を取り戻していった。
レイセンに興味を持ち、放っておけなくなったてゐは、レイセンを見守る口実として永琳に自ら弟子入りを志願し永遠亭入りすることになる。そして、この時、今現在の永遠亭の構成が完成したわけである。
因幡てゐとかなり長い時間話し込んだ妹紅は、胃が落ち着いたところで暇を請う。
下で手を振るてゐの姿が見えなくなり、正面に向き直った妹紅の表情はいつも通りの厳しさに戻る。
既に陽は高く、遠く前方に見える里の家並みから炊煙が立つのが見える。
からっと晴れて湿度も低いせいか無意識に高度を上げてしまうが、里の先の魔法の森のさらに先に湖を見る事が出来た。あの辺は年中霧に覆われているため、遠くから湖面が見えるのは珍しい。
その湖の向こうに小さく豆粒のような建物が見える。あれが紅魔館だろう。吸血鬼戦争当時は、城塞があったそうだが、それが今残っていたらどんな景色になっていたのだろうとふと考える。
永遠亭が幻想郷隔離初期に移動してきた事は初めて知ったが、そこで因幡てゐが吸血鬼戦争とは別の場所で、存亡をかけた戦いを行っていたのである。
それなりの勢力であった妖怪兎の軍団は津波に呑み込まれ一夜にして消える。当時風見幽香らはこの謎の竹林の出現を認識しており、その調査前に吸血鬼戦争の転機となる吸血鬼の一部投降があったため、竹林の調査は行われなかった。もしこのタイミングが変わっていれば永遠亭と幽香の間で激しい闘争が行われ、幻想郷東部の北と南で戦争は泥沼となっていただろう。
もしそうなっていたら、今幻想郷は存在していないだろうと妹紅は思う。歴史に「もし」は禁物だが、ここで幻想郷事業が頓挫していれば、当然妹紅も幻想郷入りしていないわけで、その時自分はどこで何をしているのだろうか・・・。
妹紅は高度を徐々に落としながら里の東側を緩い弧を描くように迂回しながら飛び、魔法の森入口付近の香霖堂を目指す。
香霖堂の前に着いた妹紅は、しばし店を眺める。
「さて、どんな方法で攻めるか・・・。」
向こうの出方次第でどんな状況にも対応できるよう頭の中でプランを練る。
魔理沙の第一発見者といってもよい森近霖之助はある重要な情報を知っている。魔理沙が死亡後、長時間蘇生出来る状態を維持した謎を知っていると妹紅は睨んでいる。
妹紅はその謎について粗方目星はついているのだが確証が欲しい。これは、妖術使い、問題の解決家としての意地の様なものである。
森近霖之助は頭が回る。のらりくらりとこちらの追求をかわしてくるだろう。
簡単に尻尾は見せないと思うが、逆にこういうタイプは攻略方法が確立されているのでやりやすい相手でもある。一番難しいのは何を考えているのか思考に一定のベクトルが働かないバカである。例えば妖精とか・・・。
永琳からの贈り物と思われる謎の設計図の束は丸めてポケットにぎゅっと押し込んでいる。身体のサイズに合っていない大きめのモンペなので、ポケットがいっぱいに膨らんでもそれほど窮屈にはならない。見た目的には見苦しくなるが・・・。
「・・・こんなものでも、注意を引くのに役に立つか・・・。」
意外と重要なアイテムになるかもしれないと思う妹紅である。
「・・・よし、行くか。」
険しい表情を緩め、客らしい顔になる妹紅。
香霖堂の扉を開けると、直ぐに「いらっしゃい」という男の声が聞こえる。
薄暗い店内の更に影の中にいてこちらから目視できなかった店主は、客の顔を確認し慌て気味に席を立って影の中から姿を現し近付いてくる。
「いらっしゃいませ、妹紅さん。」
妹紅の前に歩み寄った香霖堂店主森近霖之助は、店の扉が開いた時の挨拶とは明らかに態度がかわり、とても丁寧な応対をする。
妹紅はそんな店主の態度が少し大袈裟に見え、露骨に訝しげな表情を見せる。
その妹紅の態度に気付いた店主は、その理由を話し始める。
「今朝、風見幽香さんが来ましてね。」
店主は頭を掻きながら、客を出迎えにわざわざ席を立つ自分自身に戸惑っている様子だった。意識してそうしたわけではなく、魔理沙の恩人を見て身体がそう自然に動いてしまったという事である。
「全部聞いたのね?」
「何をもって全部かどうかはわかりませんが・・・。」
その場に居合わせていない妹紅は幽香がどのまでしゃべったのかは分からない。頭を掻きながらあははと愛想笑いする、つかみ所がない店主。
「ちょうど良かった。その事で一つ聞きたい事があって来たのよ。」
霖之助が妹紅のポケットの中身に興味を示している様子を感じながら、容疑者を取り調べる様な面持ちで大柄な店主を見上げる。その妹紅のただならぬ雰囲気を感じギクリとして気を引き締める霖之助。
「ど、どういった用件でしょう?」
カウンターの前の幽香がいつもくつろいでお茶を飲む席に妹紅を案内しながら、前を歩く妹紅に声はおどけてながらも鋭い視線をなげかけ妹紅の真意を探ろうとする店主。
店主が眼鏡を直す動作をする瞬間を見計らって妹紅は口を開く。
「霖之助さん、あなたは重要な事を隠しているでしょう?もちろん、魔理沙の件で。」
顔を傾けて長い髪の毛の間から霖之助の表情を伺う妹紅。その霖之助は右手の中指で眼鏡を直そうとする動作のまま一瞬固まってしまい、その様子を妹紅に見られてしまう。
思わず動きを止めてしまった事で心を見透かされたと理解した霖之助はしまったと後悔する。店主として客の態度や雰囲気などから様々な情報を読みとる事は得意だと自負していたが、今正にそれを自分がされてしまったのである。このまま言いなりになって何でもペラペラしゃべるか、とぼけるか、色々な選択肢が脳裏を過ぎる。
「座ったら?」
不意に妹紅に袖を引かれて、されるがままに幽香が座る椅子に座らされる霖之助。完全に妹紅に主導権を握られる。
椅子に座った、というより座らされた霖之助は、相対的な頭の高さが逆転し妹紅から見下ろされる形になる。
妹紅は霖之助に顔を近づける。霖之助は思わず妹紅の目を見るが、妹紅はなぜか自分ではなく自分の少し後ろに目の焦点を合わせているように見え、後ろに何があるのかと一瞬そちらに気が向く。
その瞬間妹紅は右手を霖之助の左肩に置いて重心を前にし身体を右手一本で支える様にする。
妹紅が完全に身を預けてきたことは、肩にかかる重さから理解できる。ここで変に動いたら倒れて危険だと、生物としての本能が働きバランスを取ろうとする。
「霖之助さん、これから私は独り言を言うわね。あなたは何もしゃべらなくていいわ。その代わり私から顔を反らさないでね。」
口元に妖しい笑みを浮かべる妹紅。
霖之助はここで身体を動かすと、腕一本で体重を支えている妹紅がバランスを崩して自分に覆い被さってくるということを容易に想像することが出来、自然と意識がそうならないようにしようと動く。
この妹紅の態度は、無数にある尋問術の一つで、頭が良く機転の利く者に対するやり方である。
能力の高い者は同時にいくつもの思考処理が出来る。尋問してもとぼけ、ウソの答えをはき、さらにこちらを混乱させようと情報操作を目論むのである。
身体をあづける行為は、こうする事で意識の一端を体のバランスを取る事に向けさるためである。視線を敢えて外すのも気にする者には非常に効果がある。
妹紅は相手に余計な思考をさせない為に今宣言した通り独り言を始める。
「あなたに『ある事』を依頼したのは、魔理沙のお父さん、マルキの主人ね?」
突然の真実に心臓が大きく鼓動する霖之助。その音が耳に聞こえそうな錯覚を覚える。
「い、いや、それは・・・。」
否定しようとした霖之助の唇に左手の人指し指をそっと添え、自分は独り言を言っているだけだと思い出させる。妹紅のそのしなやかな体の動きに少女ではなく女性という意識を強く感じ、したくもない想像をしてしまう。
「独り言の邪魔はしないの。」
否定や言い訳が出来ない事は弁の立つ者としてはストレスになる。
視線は相変わらず自分ではなく、後ろ、又は自分の中身を見ているようで、これが霖之助の意識に絶妙なノイズを与え、思考を分散させる。
「マルキの主人の亡くなった奥さん、霧雨サーヤは・・・霧雨家のお墓には『いなかった。』」
妹紅は確信に迫る言葉を子供にお話を聞かせる様に自然に言い放つ。当然霖之助はそれに反応する。しかし、この時の霖之助の反応は困惑や否定という態度ではなく、明確な怒りだった。そう、意図的に過去形で言い、あたかも見てきた様に言う妹紅が、やってはいけない墓荒らしをしたと思ったからである。その反応を見た妹紅はすぐさま次の言葉に繋げる。
「冗談よ。大丈夫、私は霧雨家の墓の場所なんてしらないから。」
その言葉にはっとなってカマをかけられた事と、それを咄嗟に見抜けなかった事に愕然とし力が抜ける霖之助。怒りが収まる、というよりどこか別の場所に一瞬で飛ばされたような印象を受ける。
怒りが消えた瞬間、自分の中が空っぽになっていることに気付くが、思考範囲を限界まで狭められてたった一つの感情を引き出された事を理解する。
普段怒らない霖之助が一瞬で沸点に達したのは、妹紅の仕掛けた様々なノイズによって霖之助の思考能力が極限まで削ぎ落とされ、直情的な感情しか出せない状況に追い詰められていたからである。
凄まじい敗北感が押し寄せ放心し、全く思考が働かなくなった。初めての経験である。
この霖之助のリアクションは妹紅が霧雨家の墓をあばいて確かめたと思った事による義憤であり、それこそが「魔理沙の母親サーヤが、霧雨家の墓に居ない」ということを裏付けるものとなった。サーヤの遺骨がどこにあるかなど普通の人は考えもしないはず。もし霖之助が何も知らなければ怒りを示す前にその言葉の意味を考えるはずである。
霖之助は完全にしてやられたとショックを受けた。風見幽香の脅しも八雲藍の挑発も八雲紫の手癖の悪さも全て自分の才覚で乗り越えて来た。しかし、藤原妹紅には完全にしてやられた。
「(プロの仕事だ・・・。)」
カマをかけるのは誰でも出来る。しかし、カマをかけられている事を気付かせない技術は誰もが持っているわけではない。
妹紅はスッと霖之助から離れ、体を横に向けて壁に掛かっている魔法の森の地図を眺めながら、さらに独り言を続ける。
「魔理沙を勘当するにあたって、大事な一人娘とご先祖様と縁が切れる事を憂いたマルキの主人は、無き妻に愛娘の守護霊になってもらおうと霧雨家の一門から魔理沙同様追い出し縁を切った。」
霧雨魔理沙とサーヤは霧雨家とは無縁になって、ただの母と子という関係になったのである。
霖之助は背中を丸め、両肘を膝に置いて組んだ手の上に頭を乗せうな垂れた。誰にも言うなと親父さんと慕うマルキの主人に口止めされた秘密が知られてしまったのだ。
「マルキの主人は、独立を世話した信頼できる森近霖之助にサーヤの遺骨や位牌を預けた。遺骨を預かった森近霖之助は西洋墓地にそれを隠した。西洋墓地に現れた魔理沙はそこで静かに眠っていた怨霊達を怒らせ殺されたが、霧雨家から離れて魔理沙の守護霊となったサーヤによって完全なる死から免れた・・・。と、まーそんなところかしらね。」
風見幽香の口から藤原妹紅の凄さは聞いていた。しかし、全くと言っていいほどその実感がなかった。いくら風見幽香の言葉だとしても自分で直接確かめていない人物を信じるほどお人よしではない。しかし、この藤原妹紅の能力を知った森近霖之助は幽香の言葉が正しかった事を痛感した。
「ただひとつ解せないのが・・・。」
妹紅が何か言いかけた時、霖之助の言葉がそれを遮った。
「サーヤさんが自分を離縁するように親父さんの枕元に立ったそうなんです。サーヤさんの遺骨も持って来た親父さんがそうぼくに言って、このことは他言無用だと・・・。」
霖之助は全てを話す気になっていた。この人なら信頼出来ると・・・。
「・・・なるほど・・・サーヤが全部預言して先回りしていたのね。」
「親父さん自身は魔理沙が死んだ事は知りません。私のところにサーヤさんがいると思っていますし、魔理沙はそのサーヤさんに守られていると今も思っています。」
「・・・。」
「西洋墓地に魔理沙が来る事を予見して、そこに自分を隠すようにと、サーヤさんが枕元に立って、それで言われた通りにしたんです。」
妹紅は霖之助に一度向き直った後、また壁の地図に目をやる。
「西洋墓地ってどこ?」
「里と紅魔館を線で結んだ丁度中間あたりです。」
「ここ?」
地図には何箇所か×印がついており、そこに何かがある事を示している。霖之助が教えた場所にも印がついており、妹紅は指をさして確認した。
「ええ、そこです。行くんですか?」
「・・・機会があったら言ってみようかしら・・・。」
この時点で行くかどうか決まってない妹紅。
「気をつけてください。かなり危険ですからね。」
妹紅は右手の手の平で右の目を覆い、見えている左目で『転写眼』を発動する。
転写眼とは、目に映っている物を網膜に焼き付けて記録する妖術の一つで、普通の人間がやると確実に失明する。
この術は妖術使いや陰陽師などの自分では使えない相手の技を盗む時に使い、片目を失う代わりに上手くいけば相手の奥義などを盗み取ってしまう強力な忌術である。
以前の妹紅では自動的に傷が治るので、焼かれた網膜は回復してしまいこの術は使えなかった。しかし、身体の治癒機能が変化した今の妹紅は、この状態を維持することが出来る。
妹紅は左目に焼き写した魔法の地図を、白い空呪符に映して携帯用の魔法の森を地図を作りもんぺに戻す。焼き写した映像は必要ないので傷ついた網膜は修復して治す。
「地図、借りるわね。」
「え?ええ、どうぞ。」
妹紅の動作の意味が理解できなかった霖之助だが、その言葉でようやくその意味を理解する。
妹紅は用事が済んだので帰ろうと、店主に声を掛けようとしたが、椅子に深く腰を落としすっかり意気消沈している霖之助を見る。
これは、妹紅との勝負に負けたというより、心の中に封じ込めていた魔理沙に対する想いが前面に出てきてしまった為だろうと妹紅は感づいた。
「(霖之助さんの中では魔理沙は生きてもいないし死んでいないのね・・・。)」
妹紅はそんな霖之助を見かねて歩み寄って肩に手を置く。
「全て知っていて、魔理沙と普通に会話するのは、とても辛かったでしょう。」
「・・・。」
「今までよくがんばったわね。後の事はすべて私に任せて。必ず魔理沙を返すから。」
その言葉を聞いた霖之助は、我慢していたものが全て崩れ落ち、その場で声を出して泣き出す。幽香に魔理沙に甘いとよく言われる霖之助だが、それはしようがないのだ。
「・・・必ず元に戻すから・・・。」
込み上げる感情に声が出ない霖之助は、その妹紅の言葉にただただ頷くだけだった。