東方不死死 第33章 「それぞれの想い」


 外界では大政奉還によって江戸から明治に移り時代は一気に加速する。
 近代文明の急速な発展によって様々な事象が過去の遺物となって忘れ去られ、それらがかつてない程大量に幻想郷に流れ込み始める。
 閉鎖された空間でなだらかな進歩を続けていた幻想郷に、急激な時代の加速が訪れようとしていた。
 これを憂慮した博麗神社と八雲紫ら妖怪の賢者達は、これまで緩く繋がっていた外界と幻想郷を強固な結界で隔絶し、外界の影響を極限まで押さえる大結界を施す事を決める。
 西暦1885年、明治18年。『博麗大結界』施行。
 八雲紫はこの博麗大結界の施行で力を使い果たしてしまい、崩壊した肉体を再生する100余年、外界の人間に転生し続ける事になり、その間紫の代理として幻想郷の管理者が魅魔に代わる。

 吸血鬼王家を継承するスカーレット姉妹が500年の眠りから覚める西暦1941年。その5年前の1936年あたりから吸血鬼王の帰還説が幻想郷中で噂されるようになり、それに呼応するように地下に潜んでいた闇の勢力の動きが活発になる。
 吸血鬼戦争時に参集に遅れ不参加だった氏族、戦後逃亡して指名手配を受けている戦犯等が、王女を擁立して再び歴史の表舞台に出ようと各地で主導権争いを始める。
 風見幽香とその配下にあった『ヴェントルー』の元アルカードの重臣達の一団がこの主導権争いに参加して他の勢力を圧倒し、翌年1937年には反幻想郷勢力の吸血鬼がほぼ一掃された。
 年が明けた1938年、八雲紫の代理で幻想郷代表の地位にいた魅魔と、風見幽香の配下の吸血鬼との間で『吸血鬼条約』が締結される。これは、吸血鬼側と幻想郷側の事実上の和睦で、幻想郷のルールに準ずる事を約束し、吸血鬼に対する理由のない迫害を行わないことを双方が宣言するもであった。この時吸血鬼側の代表として何れ復帰するであろうレミリア・スカーレットの名前で署名された。


 この一連の騒動はレミリア・スカーレットが幻想郷に復帰する上での障害を取り除く為の魅魔の深慮遠謀の一環であった。
 反幻想郷勢力を一網打尽にしたこの戦いにおいて、旧アルカード派の穏健派吸血鬼がこれを制し、吸血鬼条約を締結して幻想郷に歩み寄った。
 これによってレミリア・スカーレットの支持母体となる『ヴェントルー』を中心とした旧王家の評判は向上し、レミリアらの幻想郷復帰の下地が完成した。
 反吸血鬼派の八雲紫が不在の間に、スカーレット姉妹の再入郷の裏工作をした魅魔の職権乱用ともとれる行為も、反幻想郷派の闇の勢力をほぼ一層した功績は余りに大きく、八雲藍や大天狗らもこの行為を責める事が出来ず、これを承認するしかなかった。


 吸血鬼戦争後、強者という抑止力を大勢失っていた幻想郷東部では、各地で弱小同士の小競り合いが後を絶たず、更にその後も続々と幻想郷入りする新参に対し古参との間に起こる確執など、幻想郷は長い混乱期に入る。
 吸血鬼条約締結以降、闇の勢力が激減したことで今現在の和な幻想郷の姿になったが、それはつい70年程前の話である。
 西暦1941年にレミリア・スカーレットは目覚め1960年に幻想郷に戻る事になるが、この時期紅魔城は完全に解体されて久しく、城は天狗側の戦利品として妖怪の山に分解して持ち運ばれ建築資材として残らず再利用されてしまった為、ここに巨大な城塞都市があった面影はない。
 唯一当時の面影として残っている紅魔館は、吸血鬼の『トレアドール』の氏族に与えられた館で、主はレミリアの母、セレーネ・スカーレットであった。
 魅魔は、レミリアの生まれた家であり、アルカードとセレーネが最期を迎えたこの館を戦争の褒賞として接収し別荘として利用していた。

 戦中、特に失策も無く劣勢時には最前線で懸命に戦線を維持し、指揮官としても魔導師としても評判の良かった魅魔だが、戦後処理で敵である吸血鬼に温情を求めた事で評判を著しく下げ、裏切り者として扱われる事が多くなった。
 その一方で八雲紫は、徹底して吸血鬼排除を謳い魅魔と唾を掛け合うような激しい論争を繰り広げ、結果として重罰を科し多くの者の恨み辛みを汲み取った事で評判が上がる。早々に魅魔についた博麗神社の評判が相対的に落ちたのは言うまでも無く神社のある人間の里もその後苦難の道を歩む事になる。


 1960年、スカーレット姉妹とパチュリー・ノーレッジらが幻想郷入り。その時代から幻想郷に巫女が生まれなくなり、博麗神社の衰退が目に見えて分かるようになる。また、里の出生率が低下し、老人が長生きをしはじめるようになるのもこの時期で、これはレミリアらの入郷による妖の力の増加が無関係とはいえなくもない。
 1979年、博麗神社の神主が現状の打開の為、博麗神社の信仰を集める為外界に出奔し、1996年あたりから、信仰の回復の兆しが見え始める。
 1990年、博麗霊夢・霧雨魔理沙が同日誕生。
 1997年、後に十六夜咲夜という名前を与えられる9歳の少女が幻想郷入りする。この娘が十六夜昨夜と名乗るのはその2年後である。
 2000年、魅魔が博麗神社に対して謀反を起こす封魔事件が発生し、当時10歳の博麗神社の巫女、博麗霊夢がそれを退け魅魔は隠れる。
 その同年、魅魔と入れ違いになるような形で八雲紫が幻想郷に復帰し、衰退した博麗神社と平和になり過ぎ毒気の無くなった幻想郷に驚愕する事になる。
 この状況を打破するため、吸血鬼戦争後の幻想郷混乱期に魅魔が提唱したものの、裏切り者の戯れ言と周囲の反対で紫が却下していたスペル・カードによる疑似戦闘システムをここで導入する事を決める。
 1年をかけて幻想郷東部にスペル・カードルールが広まった2002年夏、紅魔館のレミリア・スカーレットによる紅霧異変が起きるが、これは導入後初めてスペル・カードルールが適用された異変となった。
 この異変は、弱り切った幻想郷の本能を呼び覚ます起爆剤となり、思うように衆知のすすまなかったスペル・カードによる弾幕戦闘が一気に広まるきっかけとなった。
 仇敵である吸血鬼に救われた形の八雲紫は魅魔の置き土産を苦々しく思うと同時に、これは魅魔の遺言と受け取り、レミリア・スカーレットの存在を承認することとしたわけである。


 魔法の森と呼ばれる異様な気を放つ深い森は、幻想郷で唯一妖怪の住まない場所である。
 東西に長いその森、博麗の里と博麗神社を直線で結ぶそのちょうど中間地点に一軒の家があった。霧雨魔理沙が経営している霧雨魔法店の自宅兼店舗である。
 その家に、悪霊の魔道士魅魔と最強の妖怪風見幽香、不死身の人間藤原妹紅がいた。
 家の中は魔法の光に満たされているものの、外から見る建物は真っ暗で光の欠片一つ漏れていない。魅魔の結界によって完全に外と中が隔離されているためだろう。
 魅魔は、十六夜咲夜について詳しく説明し終え、じっと話を聞いていた幽香と妹紅の反応待っているところである。

 妹紅は顔を上げて魅魔ではなく幽香を見た。
 十六夜咲夜の驚くべき真実を聞かされたにも関わらず、眉一つ動かさなかった事が気になったからである。
「幽香は知っていたの?咲夜の事・・・。」
「ん?」
 自分に話しかけられると思わなかった幽香が魅魔側に重心を置いていた身体を妹紅側に向けて組んでいた腕を広げて身振りを交えて説明する。
「具体的にはわからなかったけど、前に萃香が咲夜の能力を時間を止める能力ではなく、空間を入れ替える力だと言っていたのよ。」
「・・・そうか。」
「密度を自在に操る萃香なら簡単に見破るだろうな。」
 時間を止めても空間を共有していれば、行動等による空間密度の変化は発生する。A地点からB地点に移動した際の空間移動の痕跡が見えないということは、一旦別世界に移動した事を示す証拠となる。
 幽香は事前にその情報を知っていたので、魅魔の話も特に驚かなかった。
「情報概念空間か・・・。」
「幻想郷的に言い直せば思念界ってところかしらね。」
「強い想いは目に見えない形となって残る。物理世界では目視出来ない情報が蓄積される空間というわけだ。」
「でも、それって思念を作った元の人の個別の空間ではないの?」
 妹紅の中に八雲藍の思念が存在している。しかし、それと自由に交信する事は出来ない。ただ藍の思念界が妹紅の中に存在しているだけである。
「そうだ。思念界というのは個人的な空想空間だ。しかし、感受性が強い者や訓練を受けた術師等はそれとアクセスする事は可能だ。」
「つまり咲夜はその思念に自由にアクセス出来るって事?」
「それは正解でもあり、不正解でもあるな・・・。」
「どういうこと?」
「思念というのは、情報を誰かに伝える為に残すものだ。」
「ええ、それはわかるわ。」
「つまり、例えば妹紅の中にいる藍の思念は妹紅の為かもしくは誰か特定の者の為に情報を保存提供する存在というわけだ。」
「ええ。」
 魅魔の説明に頷き続ける妹紅。
「思念とは命も魂も存在しない情報だけの一方通行の存在だ。しかも対象が限定されている。思念は無数に存在するが、対外的に情報を発信する思念は驚くほど少ない。」
「なるほど、こちらから自由にアクセスするというより、発信する情報を受信できるという感じね?」
「うむ、その受信している状態が、時間を止めていることと類似しているわけだ。」
 妹紅が藍の世界に取り込まれ、数千、数万年という時間を過ごしたが、戻ってきた時は移動した時と同じ場所と時間だった。十六夜昨夜はそれと似たような事を行っているということだろうか?だとするなら、咲夜は自分の持つ本来の能力を知らず、その副産物を自己の力と勘違いしている事になる。
「アルカードは重要な情報を発する思念体としてどこかに残っているわけね?」
 この件に関しては妹紅より幽香の方が理解が早い。
「そう、咲夜はそのアルカードの情報をレミリアに伝える伝達装置というわけだ。」
「だから、予言書は咲夜以降敢えて書く必要がなかったのか・・・。」
「書かない理由はレミリアの心を動かす為ともいえるが、その後の具体的な方法については咲夜を経由した父と娘の対話で成されるのだろうな・・・。」
 そう言いながら魅魔の表情が寂しそうな影を纏う。
「500年という時を設定したのは、この咲夜という個性が誕生する時代に合わせるためかしら?」
 幽香が独り言の様につぶやく。
「うむ、咲夜が400年後に生まれるとするなら、レミリアの刑期は400年となっていただろう。」
「今正に、色んな運命が交差する時なのね・・・。」
 八雲紫らの運命、妹紅らの運命、レミリア、アルカードらの運命、それら個別に進む運命のタイムラインがある一点で交差する『運命の交差点』が目に見える現実となって立塞がる。
「ねぇ、魅魔。」
「ん、何だ?」
 妹紅の表情が変わった事に気付いた魅魔は神妙な面持ちで返事をする。
 レミリアをアルカードに任された使命を帯びていながら、昨日魅魔は魔理沙と共に墓に行く覚悟だと言っていた。妹紅は魅魔の行動になんとなく矛盾を感じていたが、咲夜の話を聞いて納得した。
 咲夜がレミリアの僕となった時点で魅魔の役目は終わったのである。500年という時をレミリアに費やし大事な友人も僕も託し、可能な限り力を注いだ。しかし、咲夜が咲夜という名を与えられた時、全てこの咲夜に奪われたのである。
 妹紅はこの時の魅魔の喪失感を思わずにはいられなかった。
 この反動が博麗霊夢への愛情へ変換されれば良かったが、その前に魔理沙が現れてしまった。喪失感の反動は魔理沙への偏愛にかわり、取り返しの付かない結果となったのである。
「・・・適わぬな。」
 妹紅に図星を当てられ戸惑いと諦めの表情を見せる魅魔。そこへ幽香が優しく声を掛ける。
「知ってる?パチュリー・ノーレッジの呪いが解かれているのを。」
 レミリアと同じくらい気に掛けていたパチュリーの呪いが解かれている事をこの時初めて知る魅魔。
「それは本当か?一体誰が・・・。」
「パチュリーを外に連れ出したのは魔理沙よ。」
「!」
 人目もはばからず驚愕の表情を見せた魅魔は、すぐに後ろの魔理沙に振り向く。
 その後魅魔は、寝ている魔理沙の顔に頬を寄せそのまましばらく泣き暮れる。
「今にして思うと、全て無駄じゃなかった・・・というわけね。」


 泣き崩れる悪霊の後姿を見ながら妹紅と幽香は高さの違う肩を並べて語り合う。
「色々な因縁が絡み付いてわけがわからなくなってるわね。」
「・・・そうね。」
「これからどうするの?」
「どうするって?」
「魅魔の件、最後まで付き合うかってことよ。」
「・・・問題はそこね。私の役目が終わった後、それを元に吸血鬼も天狗も動くわけでしょ。」
「果たして紫の茶番でみんな動くかしらね・・・。」
「大規模な爆発になるとおもうけど・・・。」
「隕石が落ちて途中で爆発しても、満月が砕けても、へーってな感じの幻想郷で、どれだけのインパクトになるというの?」
「・・・うーん・・・それもそうだな・・・あ!そうだ。」
「ん?どうしたの?」
 妹紅はここである重要な事を思い出した。
「今回は大丈夫かも・・・。」
「へー・・・で、その自信の根拠は?」
 妹紅の自信あり気な横顔を見て、その理由に関心を示す幽香。
「永遠亭の連中がこの異変に正式に参加する。恐らく紫に協力すると思う。」
「・・・なるほど・・・確かに何か凄そうな事になりそうね。」
 そうなった経緯は敢えて聞かない幽香。しかし、ここで妹紅の表情が険しくなったことに気付く。
「どうしたの?」
「自爆した後、どうなるか正直わからないな。」
「どういうこと?まさかこのままおさらばとか言わないわよね?」
 身体を魅魔の方に向けて話していた2人だが、妹紅の突然の告白を聞いて身体ごと振り向く幽香。そして妹紅もそれにあわせて正対する。
「紫は恐らく自爆の力が収まるまで霊夢の結界に閉じ込めるか、スキマを使ってその力を外界に逃がすつもりだ。そうなると、私はしばらく復帰できないと思う。」
 死んでおさらばする気ではない事を知って安堵する幽香だが、この妹紅の話は恐らく事実であり、そうなるとこの異変の後のレミリアと天狗の件に関与出来ない恐れがある。
 妹紅は、後の事で魅魔らに協力出来ない可能性を示したのであるが、幽香としては、あまり吸血鬼の問題、強いては魅魔に偏り過ぎるのもどうかと思い、妹紅の戦線離脱はそれはそれで良いのではないかと思い始めていた。
「妹紅、復帰の時期が不透明なら、今のうちに咲夜に会っておくか?」
 しかし、その時、気を取り直した魅魔が2人の会話に参加する。
「レミリア個人は悶々としていて構わないけど、こういう流れになるって事は、連中に教えておいたほうがよいと思うわ。」
 妹紅は魅魔に同意する。
「後の事を心配するより紫の異変と魔理沙の件をどうすかを論じるべきじゃない?」
 幽香はあえて魅魔の意見を否定してみる。
「私は別にどっちでもいいけど、魅魔と咲夜を会わせるにしても私の術が必要になるでしょ?」
「・・・それもそうね。」
 妹紅の意見は最もで幽香も渋々了承する。
「予言書にわざわざ『時間を止める能力』と書いているから、本人もレミリアらもそう信じているだろうな・・・。」
「咲夜がそれに自力で気付くには、止めたと勘違いしている時間の中で、偶然思念体の情報を受信するしかないわよね。」
「そういうことになるな。レミリアはともかく、少なくとも咲夜とパチュリーには予言の成り行きについて我々がこう結論づけているという旨だけでも報せておかないと、いざという時何も出来なくなる。」
「それにしてもなんで嘘を書いたのかしら?」
 妹紅が首を傾げる。
「時間を止める力の事か?」
「それは多分、ドッペルゲンガーの介入を避けるためじゃない?」
 妹紅の疑問に答えを出したのは幽香だった。
「ドッペルゲンガー?」
 妹紅にとって初耳の言葉である。
 ドッペルゲンガーとは、自分ではない自分と同じ姿をした存在で、これとの遭遇は死を意味するといわれている。
 自己像幻視によって自己発生する妖で、特殊な体質や特異な思考も持つ、俗に言うところの変人がよくこれに遭遇して死ぬ事が多い。
 所謂思念体であるため、自己の理想像が実体化してしまう特徴がある。誇大拡張さらた自己投影によって生み出されたドッペルゲンガーが活動しはじめると、弱い現在の自己を排除して成り代わろうと頻繁にオリジナルに干渉してくることになる。
 ドッペルゲンガーを現世に呼び出す事が出来る者は余程の変わり者だけだが、十六夜咲夜の場合、思念界と自由に行き来できるため、そこでドッペルゲンガーと遭遇する確率が非常に高くなるのである。

 時間を止めるという概念は、周囲の時間は止まっていても自分の時間は動き続けるというもので、その為、寿命のある人間は止める時間が長ければ長いほど、相対的に老けるのが早くなるという事である。
 レミリアの漠然とした成長願望を発生させるために、今後のスケジュールを詳しく予言書に記述出来ないアルカードは、十六夜咲夜という稀な個性を情報伝達の手段に使おうとしたわけであるが、咲夜がここで自重しなければドッペルゲンガーに殺されてしまう可能性が高くなる。そこで、ほぼ同じ効果といっていい時間を止める能力と信じ込ませ能力の使用を自己規制する暗示をかけたのである。
 普通の人間の感覚であれば、時間が進み過ぎないように自重して極力止める時間を抑えるはずである。
「このことは事前にアルカードから聞いたが、時が来るまで黙っているようにと念を押された。」
「今がその時って事かしらね・・・でも、魔理沙と墓まで行ってたらどうするの?」
「あの時はもはや世界がどうなろうとどうでもよかったからな。」
 ニヤりとする魅魔。
「呆れた。」
 幽香が肩をすくめる。昨日の魅魔を見ていない幽香は、自暴自棄なその姿が想像出来ないが、妹紅はその落ち込んでいる魅魔をこの目で見ていた。
 その魅魔は、魔理沙を救う事とレミリアらを成長させ、さらに幻想郷の未来に責任を持つという複数の目標が備わり、その目は力に溢れており昨日とは別人のようだった。


「妹紅、これを。」
 魅魔はいつの間にか手にしていた卓上で使う小さな呼び鈴を妹紅に渡す。
 ベルを妹紅に渡した魅魔は、一枚のカードを何も無い空中から取り出す。
 久しぶりに見る魅魔の魔法を見る幽香は相変わらずどこから出したかわからない魅魔の手品のような手さばきに感心する。
 魅魔の額の前に複雑な紋様の魔法陣が現れ、カードがその中心に置かれ、呪文の様な紋様が高速でカードに流れ込む。
 真っ黒に見えたカードは見る見る半透明に変わり、見るからに魔法の力が掛かっていると思わせる姿になる。
「この呼び鈴を紅魔館近くで鳴らせば然るべき者がやってくるだろう。その者にこれを渡して戻って来てくれ。」
 そういって今魔法の力を施したカードを妹紅に渡す魅魔。
「わかったわ。ちょっと行ってくるわね。」
 妹紅はカードを受け取ってそのまま玄関に向かったが、そこで魅魔が妹紅の後姿に向かってパチンと指を鳴らす。その瞬間姿が消えた妹紅は外に立っていた。
 魅魔の存在を隠す強力な結界を家に施している為、今は自力で出入りすることは出来ない。
 外に飛ばされた妹紅は一瞬驚いてから家を一瞥すると肩をすくめて、入る時にどうすればいいかは考えず紅魔館に向かって飛び上がった。
 妹紅がいなくなった魔理沙の家で、魅魔と幽香は久々に2人きりで話す。主に妹紅中心の話だが、底の見えない能力の高さを賞賛する内容でばかりであった。


 約20分程経って戻った妹紅は、魅魔の魔法で外から家の中に強制的に引き込まれる。
「おかえりなさい。どうだった?」
 笑顔で出迎える幽香。魅魔と談笑していたその余韻の残る笑みである。
「ただいま、どうって、ただ紅い目の使い魔に渡してきただけよ。」
「ルビーは元気そうだったか?」
「警戒して怖い顔してたけど、別におかしな様子はなかったわよ。」
「そうか、それは何よりだ。」
 懐かしそうに微笑む魅魔。
「来るかしらね・・・。」
 独り言の様に呟いて若干白み始める窓の外を見る幽香。
 妹紅が戻ってから15分程過ぎた頃、外に何者かの気配を感じた幽香が窓に向けていた顔を向き直ってほっとしたように呟く。
「来たわ。」
 それを受けて魅魔が頷き、魔法を発動させる。
 外から見ると真っ暗で中が見えず、付いてきたルビーに真意を確かめようとした矢先の出来事だった。パチュリーは暗がりから一気に光の中に取り込まれ腕で顔を覆った姿で、妹紅らの目の前に現れる。
「久しぶりだなパッチィー。ルビーも。」
「ミーナ?いえ、今は魅魔というべきかしらね。で、これはどういうこと?あなたは死んだと聞いてたけど・・・。」
 パチュリーにとって魅魔は、幻想郷入りに力を尽くしてくれた恩人である。レミリアからみても偉大な存在で、彼女からの呼び出しとあれば応じないわけにもいかない。しかし、死んだという噂があり、信じてはいなかったが一応その事を問いただす。
「この通り、ピンピンしている。」
 幽霊が元気とかピンピンしているとか普通言わないと思いつつ警戒心を解かない紫色の普段着に身を包んでいるパチュリー。
「今日呼んだのは重要な話をするためだ。」
「・・・そのお話と、この人達は何か関係あるの?」
 魅魔の左右にまるで護衛の様に佇む風見幽香と藤原妹紅を見て、露骨に警戒心を見せるパチュリーである。
 風見幽香の名前を知らない者は幻想郷にはいないだろう。それだけ有名で名実共に最強の妖怪である。そして、藤原妹紅。不死人狩りでフランドール・スカーレットを連れ、戦わせた過去がある。緒戦で1度対戦した以外は戦闘はしていないが、その後フランドールの付き添いで何度も会っている。その不死人狩りのある時期からフランドールの様子が一変し破壊の衝動が収まっている。原因は藤原妹紅だと断定しているが、一体彼女は何をしたのか前から一度会って話をしたかった相手である。
 いずれにしてもここいる3人は幻想郷でも最強クラスの者達である。その迫力にパチュリーは気圧されそうだが、表情は常に平静を装っていた。
「そろそろ夜明けだ。あまり長く話せないが一つだけ。十六夜咲夜と話がしたい。その仲立ちをしてもらえないだろうか?この3人いずれも咲夜とは面識がなくてな・・・。」
「咲夜を?何故?」
 てっきりレミリアの名前が出ると思っていたパチュリーだが、予想していなかった名前が出て驚く。何故咲夜なのか?もしかしたら予言書に書かれていない空白を埋める事実を知っているのだろうか。
「本当はゆっくり話がしたいのだが、残念ながら今日は時間切れだ。先程ルビーに渡したメモリーカードを見てもらえばすべて分かると思うが・・・。」
 カードを大事そうに胸元に持って後ろに傅くルビーに一度振り向いて魅魔に直るパチュリーは、ここで初めて後ろのベッドで魔理沙が寝ている事に気づく。
「そのカードに必要な情報が全部入っていると思う。それを精査した上でそっちの判断で動いてくれて構わない。ただ、余り時間がない。明日の夜・・・いや、今日のかな?答えを教えてほしい。」
 魅魔の代わりに妹紅が続けた。
 その様子を黙って見ていた幽香だが、パチュリーの態度にある一つの特徴を発見する。藤原妹紅に対して敏感に反応しているのである。
 妹紅が一歩前に出て発言した時も等距離を保つ為に露骨に一歩下がっていた。
 これは妹紅自身も気付いた。そして、この態度に既視感があった。屋台の店主、ミスティア・ローレライが最初にとった態度に似ていると思ったのである。
 魅魔とパチュリーが話している時もこちらを何度もチラ見していた。
「(そういえば、こいつやあいつも不死人狩りに参加してたっけな・・・。)」
 妹紅の言うこいつとはパチュリーのことで、あいつとはフランドールの事である。
 全てを破壊する能力で、妹紅は何度も殺されている。余りにも沢山殺されたので、妹紅はフランドールに少し細工をしておとなしくさせていたのであるが、どうもその事を根に持っているようである。


 空が白み始め、もうすぐ夜明けが訪れる。
 別れを惜しみつつ魅魔が戻り、魔理沙の家を閉ざしていた封印が解かれる。魔理沙自身は胸の呪符を取らない限り目を覚まさない。
 パチュリー・ノーレッジは、ベッドの前で昏睡状態の魔理沙を見つめていた。
「・・・一体何をしたの?」
「さっき説明したでしょ?」
 魔理沙の秘密は魅魔が戻った後に手短に説明していた妹紅。
「そうじゃなくて・・・フランに一体何をしたの?」
 振り向いたパチュリーは妹紅を不満の目で睨む。
 自分は完全に眼中にないというパチュリーの雰囲気を感じて喧嘩に群がる野次馬的立場で傍観を決め込む幽香。


 西暦2003年秋、永夜異変の後に起こった『不死人狩り』で、藤原妹紅は幻想郷東部で極悪人というレッテルを貼られ指名手配される。
 数多くの妖怪に狙われた妹紅は、3ヶ月弱朝から晩まで心休まることなく戦闘を強いられていた。
 攻撃対象が極悪人でしかも不死身ということで、パチュリー・ノーレッジは、フランドール・スカーレットのストレスの解消に利用しようと画策する。
 そしてフランドールは、壊れてもすぐに直る面白いおもちゃを見つけ、以後毎晩の様に竹林にやってきては妹紅を破壊して遊んでいたのである。
 当初、パチュリーが付き添いで一緒に来ており、適当にやらせて引き時を選んで上手くこの化け物を制御していたが、ある時フランドールが一人でやってきて、まる1日妹紅は殺され続けるという状況に陥ったのである。
 止め時を決めていた保護者がいない自制心の無いフランドールは、全く壊れない妹紅を最初は面白がっていたが、反撃する事もなく一歩一歩近付いてくる妹紅に次第に恐怖を抱くようになる。

「な、何で壊れないんだ!いい加減壊れろよ!」
 防御不可能な絶対破壊攻撃の前に成すすべなく肉体が砕け散る妹紅。しかし、一瞬で再生して何事もなかったのようにフランドールの前に現れ、また一歩近付く。反撃するのがバカらしくなり所謂ゾンビアタックで相手の精神を責める戦法にでる妹紅だった。
 生き返った瞬間殺される、いわゆるリザハメ状態の妹紅は、歯止めの効かなくなったフランドールの攻撃をただひたすら浴び続ける。
 最初は遊んでいるだけの子供ような表情が、次第に残忍な笑みに変わり、やがて口が大きく裂けた真っ赤な瞳の化け物に変わる。いつもならそこで終了である。しかし、今日はいつも一緒にくる紫の魔法使いがいない。
 やばいと感じた時には身体は疲労の限界に達し、逃げようにも逃げられない状態になっていた。
 しかし、フランドールも疲れてきたらしく手数が減り始め、その代わり何故死なないのかと問うようになり、露骨に苛立ちを見せていた。
 赤い目の化け物から怯えた少女の表情になった時、妹紅はこのはた迷惑な吸血鬼の子供をおとなしくさせるチャンスと見て、話術に絡めて暗示をかけようと試みた。
「そんなに壊すのが面白いか?」
「黙れ!」
 よろよろと近づく妹紅をまた一撃で葬るフランドール。妹紅はリザレクションをするとまた話しかけながら近づく。
「来るな!死ね!死ね!死ね!」
 何度も殺され、その度に起き上がる妹紅は一歩ずつフランドールに近づいていた。
 追い払おうと必死に攻撃してきたフランドールは、いつの間にか大きな竹を背にしていたことに気付く。無意識に後ずさりしていたのである。
「な、何で死なないんだ!(こ、殺される!)」
 相手を倒そうとする闘争心よりも恐怖心に負けたフランドールは失禁し、そのまま泣き崩れる。
「何で死なないんだよ・・・助けてお姉さま・・・。」
「全てを破壊できると言っても、心は砕けないようね。」
 ポケットに手を突っ込んだいつもの妹紅は、迷子の子供のように泣きじゃくる完全に抵抗を止めたフランドールを見下ろす。
「心?」
 心という言葉に反応したフランドールを妹紅は見逃さなかった。
「お前は形がないと壊せないのか?」
 問いかけに顔を上げたタイミングを見て、しゃがんで視線を合わせる妹紅。突然の妹紅の接近にはっとなって隙を見せたフランにすかさず催眠妖術をかける妹紅。
 完全に心の隙を突かれたフランドールは簡単にその術にはまる。
「よく聞け、フランドール・スカーレット。」
 妹紅から目を離せなくなったフランドールは言われるがままに話を聞く体勢になった。
「お前は優しい娘だ。好き好んで破壊しているわけじゃないよな?」
「うん、私はただ、みんなと仲良く遊びたいの・・・それだけなのに・・・。」
「なのに?」
 妹紅はフランドールの心に巣くう病魔を探るため精神診断を始める。
「なのに、あいつがいつも邪魔するんだ!」
「あいつって誰?」
「分からない、でもあいつが囁くんだ!壊せ壊せって!」
「(なるほど、そいつを何とかすればいいんだな・・・。)」
 妹紅は妖術使いとして様々な問題を解決してきた。精神異常者は狐憑きなどといって、超常的な何かに操られていると思われていた。その為、精神病患者は妖事として扱う機会も多く、その治療のノウハウを妹紅は持っていたのである。
「その悪い奴はどんな色をしている?」
 手を顔の前でゆっくり左右に動かし催眠術を掛け続けながら優しく諭す様に問いかける妹紅。
「色・・・分からない、色なんてない!」
 首を振って否定するフランドール。
「いや、色はあるだろ?例えば・・・赤?いや黒か?」
 妹紅は空の白呪符を取って黒く染めてフランドールに見せる。催眠術に掛けられているフランドールは誘導尋問されるように黒だと思い込む。
「そうだ!黒だ!真っ黒な奴だ!」
「多分そいつには目があるだろ?」
 そういって妹紅は黒い呪符につりあがった二つの目を白抜きにする。
「そうだ!こいつだ!でも・・・あいつはもっと怖い顔をしている!」
 妹紅はフランドールの話に合わせ、目を紅く塗り、大きく裂けた口を白で抜き、牙なども入れてアレンジする。
「ひ、そ、そいつだ!助けてお姉さま!」
 それを見たフランドールは悲鳴を上げて姉の名を叫び、その場で頭を抱えてうずくまり振るえはじめる。
 フランドールの言う『あいつ』とは、破壊の衝動である。それは本来形のないものである。妹紅はその形の無いものに形を与え、それをフランドールにイメージとして刷り込ませる事に成功した。
「(よし。)」
 妹紅は膝を曲げてしゃがんでいたが、尻をついてあぐらをかき、視線を下げフランを見上げるような体勢になる。
「フランドール・・・いや、フラン。何を怖がっている?お前には何でも破壊する力があるじゃないか?」
 付き添いの紫の魔法使いが呼ぶ愛称を使い親しげに言葉をかける妹紅。頭を抱えていたフランドールが、はっとなって頭をあげる。
「さ、顔を上げて、この憎たらしいあいつを見てみろ。」
 言われるがままに、上体を上げ妹紅の呪符を見る。上がらない腰を必死に上げて逃げようとするフラン。
「さー目を瞑って・・・そう。見えなければ怖くない。そのまま、そのまま、ゆっくり頭の中にあいつを思い浮かべるんだ。」
 フランドールは言われた通り素直にそれを実行する。
「さーやってみろ。お前の力でそいつを壊せ!」
 妹紅は強く言い放った瞬間、持っていた呪符を爆破する。
「あ!」
 ボンという大きな音に驚いて目を開けたフランドールは、目の前で四散する「あいつ」を見る。
「やったあ!出来たじゃないか!すごいぞフラン!」
 妹紅は子供を騙し透かす様に大げさに喜んで見せる。つられてフランドールも笑顔になり、破壊の衝動を自ら破壊したと信じ込む。
 衝動を抑える術を知った、いや、そう信じ込まされたフランドールは飛び上がって周囲を走りまわっていた。そんなフランドールに妹紅は声をかける。
「フラン、これから「あいつ」が出てきたら今みたいにして倒すんだ。その力を悪を倒す正義の力にかえるんだ。そうすればいつまでもみんなと楽しく遊べる。」
「うん、分かった!あ、あれ?」
 声をかけらたてフランドールが妹紅に振り向いた時、そこには誰もいなかった。
 竹林の中に素早く身を隠した妹紅は、しばらく周囲をキョロキョロして妹紅を探すフランドールが諦めて帰るまでやりすごす。
「やれやれ・・・これで明日から死なずに済むな・・・。」
 フランドールが飛び去った空を見上げながら、頭を書いて安堵する妹紅だった。


「・・・そういう事だったの・・・。」
 当時の事情を妹紅から説明され、身体から力が抜けるパチュリー。
「あー、やっぱ、あれか・・・フランドールらしくなくなって気持ち悪いか?なんなら術解くけど?」
 しどろもどろで言い訳する妹紅は言い終えて、パチュリーの様子がおかしい事に気付いて動きを止める。下をむいたまま肩を小刻みに震わせ独り言のように何かをしゃべりはじめる。
「・・・フランが目覚めてからずっと、毎日、毎日、ファミリア達が破壊されてきたの・・・。落ちついてからも突然発作の様に凶暴になって・・・危ない時もあった。魔法で攻撃して気を失わせたり、マヒさせたり、眠らせたり・・・。」
 フランドールの部屋は破壊されたファミリアの血で染まり、パチュリーは部屋が汚れないようにファミリア達が死後すぐに気化する様に改良したりなど、常にフランドールに振りまわされる生活をしていたのである。
「あの日、私は喘息の発作が出て外に出られなかった・・・一人で行っては駄目と言っておいたのにフランは一人で行ってしまった。」
 あの時来なかったのは喘息の発作だったのかと当時を思い出す妹紅。
「帰ってきた時のフランの笑顔は忘れられなかった。最初は殺されて偽物で誤魔化そうとしていたと思って何度も調べたけど、フランそのものだった。」
 その日を境にフランドール・スカーレットはファミリアを殺す事は無くなり、それどころか常に笑顔を絶やさない紅魔館のアイドル的存在になっていたのである。
 不安定な心とその小さな身体にそぐわない大き過ぎる力。自分でもどうすることも出来ない破壊の衝動。しかし、フランドールは妹紅から一種の催眠術で自己暗示をかけられ、感情を擬人化して、ネガティブな感情を破壊して打ち消す方法を学び、その反動でポジティブな感情が前面に表れる様になったのである。
 紅魔館の雰囲気が一変したのもその時からで、恐ろしい悪魔が潜んでいるという噂も次第になくなって、来客が増えるようにもなった。
「藤原妹紅・・・どうして?どうしてあなたは、そんなことが出来るの?」
「え?あ、いや、精神的な病気とかそういうのは、一応治療法や対処法が確立されてて・・・。」
「違う!私が言っているのはそういうことじゃないの!」
 妹紅はパチュリーの質問に答えようとして、何故か否定され戸惑い幽香を見る。幽香もお手上げの表情でそっぽを向くが、妹紅のおどおどしている様子がおかしてくたまらない。
「私が言いたいのは、そういうことじゃなくて、何故、あれだけ殺されまくったフランを治療しようと思ったのかって事よ!」
 小さな身体から想像できない程大きな声で叫ぶパチュリー。
「そ、そりゃー、これ以上殺され続けるのはご免だし・・・。」
 どう考えても悪くないのにひたすら腰が低い妹紅。
「別の方法もあったでしょ?」
「別の方法?」
 少し錯乱気味のパチュリーの言葉に戸惑う妹紅。そこに幽香が助け船を出す。
「大人しくさせるなら、手足を切り落とすとか、いっそ殺しちゃうとか・・・って選択肢もあるんじゃない?」
 幽香らしい選択肢であると妹紅は不思議と納得する。そしてパチュリーは幽香の言葉に頷き、妹紅に迫って納得出来る答えを要求する。
 妹紅はあの不死人狩りにおける無抵抗に近い弾幕戦闘が多くの妖怪に様々な感情を呼び起こしてしまった事に改めて気付き、その影響が小さくない事も同時に知る。
 今まであたふたしていた姿勢を真っ直ぐにし、パチュリーと正面から向き合う妹紅。
「・・・フランドールを哀れんでやったわけじゃない。私はあの不死人狩りで他の誰も傷つけてはいない。フランも同じ・・・ただそれだけよ。」
「納得出来ないわ。あなたは何も感じない人なの?それとも神様にでもなったつもりなの?」
 痛み苦しみを一方的に負う事に対して、何も反撃しないということは、単なる不感症か寛容な心を持つ聖者かということだろう。いずれにしても普通ではないというのがパチュリーの主張である。
 このパチュリーの発言にカチンときたのは本人ではなく横で聞いていた風見幽香であった。
「この不死人狩りは、永遠亭の個人的な恨みを八雲紫が幻想郷のガス抜きに利用したものなのよ。悪党でもない人間を悪党に仕立てて、殺したいのを我慢していた妖怪達の前にぶら下げて与えたってわけよ。所謂冤罪ね。でも、そこで反撃して相手を殺したら正当防衛どころか過剰防衛扱いされて、本当の罪人になってしまうでしょ?」
「で、でも、だからって・・・。」
「あのまま反撃して、フランドールを傷つけたらあんたらは当然報復するでしょ?事が大きくなって吸血鬼がまた何かやらかしたってなったら、困るのはレミリアじゃないの?そうならないように気を配るのが、魔法使いの見識なんじゃないの?魔法だけぶっぱなせばいいってもんじゃないでしょうが魔法使いは!」
 凄みを効かせてパチュリーに迫る幽香。
「そ、そんなことはわかっているわよ!」
 負けじと言い返すパチュリー。パチュリーを良く知っている者は、風見幽香に真っ向から立ち向かう今の強気のパチュリーを見たら皆驚くことだろう。
「それとも何?藤原妹紅という名の山猿如きがそんな知略使うなんて信じられない、生意気だとでもいいたいわけ?」
 一人でしゃべって一人で興奮する幽香が、半分キレて怯えたパチュリーの胸ぐらにつかみかかろうとしたが、妹紅がそれを制す。
「そこまでにしておきなさい。まったく・・・。」
 妹紅の一声で動きを止め引き下がる幽香に、妹紅を過小評価していたパチュリーは驚く。この様子だと妹紅の方が上の様に見えるからだ。
「負の連鎖が起こる事を防ぐ目的は確かにあったけど、私としては別に一方的に我慢していたわけじゃないのよ。」
「どういうこと?」
「追ってくる妖怪を永遠亭に呼び込んで連中とニアミスさせて争わせていたのよ。この不死人狩りの元凶は蓬莱山輝夜よ。やつに一泡吹かせる為に、あなた達妖怪を利用させてもらっていたのよ。」
「そうだったの・・・。」
「永遠亭に頭下げさせたし、八雲紫も反省した。こっちとしては最高の気分よ。」
 落ち込むパチュリーを慰める妹紅。しかし、幽香はまだ収まらない。
「っていうか、あなた、四の五の言う前に先に言う事あるんじゃないの?」
「幽香!」
 険悪な雰囲気も収まろうとしているところに水をさす幽香を睨む妹紅。
「・・・私は・・・自分が許せなかった・・・。」
 幽香の言葉に反応するように、パチュリーは肩を大きく震わせ涙をこぼしはじめる。
「裏にある様々な理由を暴いて連中の駒にならないように、常に気を配っていなければいけない立場なのに・・・。私達はフランのことで疲れていた・・・利用されている事を知りながら、安易に楽な選択をしてしまった・・・。ごめんなさい、本当にごめんなさい。」
 パチュリー・ノーレッジは、妹紅に謝罪をしてその場に土下座するように泣き崩れる。泣きながら何度もごめんなさいと声を詰まらせながら謝る。
 それを見た妹紅はオロオロして幽香を見て助けを求めるが、その幽香は生意気な魔法使いを土下座させ満足そうにニッコリと微笑み、どこで見つけてくるのか可愛いひまわり柄のハンカチを妹紅に手渡す。
 意外と気の利く幽香に対し、気の利かない自分が情けないと思いつつ、八つ当たりに幽香を睨み付け乱暴にそのハンカチを奪い取った妹紅は床に伏せているパチュリーの肩を起こしてハンカチを渡す。ありがとうと言って受け取り涙を拭くパチュリー。ゆったりとした服装で気付かなかったが、想像以上に身体の線が細い事に気付く。喘息の持病があると知っていたが、身体はだいぶ弱そうで心配になる。
 落ちついたパチュリーは妹紅に支えられながら立ちあがり、幽香に明日返すとハンカチのお礼を言う。どうやら幽香のハンカチだということは気付いているようだ。
「風見幽香・・・。」
「ん?何?何か文句ある?」
「あなたは、不死人狩りには参加していないわよね?」
「当たり前でしょ。」
「・・・流石ね。」
 パチュリーは幽香を素直に賞賛したあと妹紅に向き直る。
「フランの件は本当にありがとう。」
「どういたしまして・・・って、あのままでいいってことね?」
「ええ、このお礼は何れさせてもらうわ。」
「お礼はいいわ。それより、今回の件を・・・。」
「レミィの件は私達全員の問題でもあるから、それはまた別よ。それに私も咲夜もあの予言書の最終ページを見ているわ。みんなそこを目指している。あなたたちもそこを目指しているのなら、むしろこちらから協力を頼みたいくらいだわ。」
 そう言ってパチュリーは右手を差し出し、それに応じた妹紅と握手をする。
「今度遊びにきて。フランが会いたがっているから。」
「え?あ、いや、また、そのうち・・・。」
 フランドールがすっかりトラウマになって微妙な顔をする妹紅を見て今日初めて笑顔を見せるパチュリーだった。


 しばらく無言で魔理沙を見つめていたパチュリー・ノーレッジも、日の出前に紅魔館へ戻っていった。
 風見幽香と藤原妹紅も魔理沙に貼った呪符を外してそのまま家を出る。
「少し歩きましょうか。」
「うん。」
 霧雨魔法店から里まで歩く場合、魔法の森を蛇行する獣道のような狭い道を通らなければならない。
「すっかり荒れちゃったわね・・・。」
 獣道のような細い道を進む幽香だが、彼女の力でそうなっているのだろう、下草や周囲の茂みが幽香を避けて綺麗な歩道に変わる。妹紅は幽香の後ろについてその綺麗になった道を楽に歩くことができた。
「もう参拝客なんていないんでしょうね。」
 参拝客は完全にゼロというわけではない。秋頃に冬を越すための薪を調達しに、魔法の森を越えてくる薪売り業者が本陣山に来る。そのついでに神社に参拝するのである。
「このまま、吸血鬼達の協力をするつもり?」
 前を歩く幽香が振り向かず妹紅に話しかける。
「・・・なんか不満そうね。」
 幽香の声のトーンから、微妙な雰囲気を感じとる妹紅。
「吸血鬼に協力するってことは、紫達や天狗とも敵対する事になるかもしれないのよ?」
「深入りは止めろってこと?」
「そうじゃないわ。それを分かってて魅魔に力を貸そうとしているかどうか聞いてるのよ。」
「・・・。」
 妹紅は即答を避けた。というより出来なかった。
 今回の異変は、紫に協力すると同時に自身の目的を達成させるための踏み台に利用しようと画策している。だが、別に紫と敵対する気は全くない。
「魅魔は強かだから、妹紅を取り込みたいのはわかるけど・・・余り深入りしないほうがいいわよ。」
「・・・何が言いたいの?」
「私はね、魅魔が大好きなの。そして、それと同じだけ紫も好きなのよ。」
 幽香は「あなたもよ」と心の中で付け足す。
「・・・魅魔にばかり肩入れしているようにみえるか・・・一応、永遠亭を紫につける為に努力してるつもりなんだけどね。」
 幽香はそれを聞いて立ち止まり身体を傾けて妹紅の顔を見る。妹紅はその目を見て一瞬背筋が凍る。今まで見せたこともない鋭い視線が妹紅の真意を見透かすように貫く。
「・・・。」
 すぐに前を向いて再び歩き出す幽香。少し間をおいて追いかける妹紅。
「紫はね、自分で自分を悪い方に追い込む癖があるの。皆で考えたことでも最期は全部自分で背負ってしまう。誰かがしっかり見ててやらないとだめなのよ。」
「その役目は幽香じゃだめなの?」
「私じゃ駄目ね。お互い昔から知りすぎてて。恥ずかしくてお互い本心を見せられないのよ。それに吸血鬼に関しては最初から私は魅魔についていたし。」
「・・・。」
「魅魔に肩入れするならそれはそれでいいけど、それなら、それと同じだけ紫にも気に掛けてほしいのよ。」
 正直で曲がった事が嫌いな幽香としては裏で魅魔に荷担し、紫にそれを黙っている事はとても心苦しい事だった。吸血鬼に関しては戦争時からの繋がりで魅魔との間に深い繋がりがあり、これを今更どうすることも出来ないのは分かっている。しかし、今回の異変に関しては必ずしも吸血鬼は関係無いことである。紫の異変に便乗して過去を蒸し返す様な事は魅魔はともかく幽香としてはあまり心地よいものではないのである。
 幽香は、自分が魅魔に肩入れし紫と敵対的な立場になる吸血鬼の問題に関して、妹紅までグルになって紫と敵対したのでは、紫が可哀想に思えるのである。
「・・・わかったわ。」
「ありがとう。妹紅。」
 妹紅は幽香のその思いを汲み取って吸血鬼に関しては中立的立場で関わることを心に決めた。
東方不死死 第32章 「禁書の牢獄」


 ローマ帝国がキリスト教を公認した時代、教会の勢力は未だ拡大時期にあり、数十年後にローマ帝国国教へ繋がる過渡期にあった。
 ユダヤ教から分離したキリスト教の一派は他の教義や思想を異教として弾圧し、あらゆる思想や哲学が集約されたアレクサンドリア図書館は彼らにとって危険な存在とみなされ攻撃の対象となっていた。
 アレクサンドリア図書館がキリスト教徒の攻撃によってその貴重な蔵書の多くを失う中で、特に貴重な物は混乱のドサクサに紛れて別の勢力によって持ち出され、その他世界各地の貴重な品々と共に地中海を渡って彼の地に隠されたのである。
 本名かどうかは定かではないが当時の魅魔はミーナと呼ばれ、彼女はキリスト教の修道士としてその最前線にいた。神を信じ総司教キュリオスに言われるがままに異教徒の街、施設を破壊し、略奪、人殺しもやり、西暦415年ヒュパティアの虐殺にも参加していた。
 血走った目で異教徒追い立てる魅魔は、アレクサンドリア図書館に致命的なダメージを与えた作戦にも従事し、その中で異教徒が持ち運ぶ物資の行き先を突き止める任務を帯びて積荷を積んだ船を探し当てて乗り込むが、そこで見ることを禁じられていた禁書を初めて目にすることになる。
 魅魔はそこで様々な真実を目の当たりにし自身のしてきた罪を知ると、心から反省し潔く彼らに降伏した。
 本の輸送をしていた集団は、魔法使いのギルドに雇われた運び屋専門の傭兵で、ギルドはアレクサンドリア図書館の蔵書を喉から手が出るほど欲しがっており、キリスト教の襲撃に便乗して傭兵を雇って盗人行為をしたわけである。
 魔法ギルドに対して直接敵対行為をしていない魅魔は、形式的な裁判を受けた後、許され真実と真理を追究する魔法使いに転身した。最初の任地として、蔵書の保管庫の管理責任者の一人として派遣され、そこで働く同僚の魔法使い司書と恋に落ちて結婚し女児を出産する。
 ここで、魅魔の運命を変える悲劇が起こる。
 魔法使いはキリスト教にとって異教であり、その魔法使いの指名手配リストにかつての信徒ミーナの顔を発見した教会は裏切り者を抹殺するために暗殺者を派遣する。
 しかし、魅魔は魔法使いとしての先天的才能があり、数年で大魔道士に成長していたため暗殺者は容易に近づくことができなかった。
 娘の首も落ち着き、少しだけ目を離せる時期になった時、暗殺者が魅魔の元に現れ乳飲み子の娘をさらい、魔法使いにとって不利な場所に誘いだし、娘を盾にして魅魔の命を奪おうとする。
 娘の命と引き換えという条件で差し出した命だが、その思いは叶わず娘もまた殺害されそうになる。この時魅魔は心の底から神を呪った。今まで嘘を教えられてきた教会は憎んでも、神の存在は信じ敬ってきた。その神をこの時、初めて憎悪したのである。
 まだ息のあった魅魔は娘を救うために魂を対価として悪魔と契約して暗殺者を葬る事に成功したが、同時に魅魔自身も契約が果たされ命を落とした。
 売り渡した魂は教会に対する恨みが強く、魂を引き取った悪魔はその魅魔の怨念を制御出来ず逆に飲み込まれ、魅魔はそのまま悪魔と怨霊が融合した大悪霊になってしまったのである。
 西暦420年の事である。


 魔法使いギルドによって管理されていた禁書の図書館は、西ローマ帝国滅亡以後、ブルグント王国、神聖ローマ帝国と所属国を変えていき、フランス王国領に移った時には既に忘れ去れ数世紀が経っていた。
 神聖ローマ帝国時代は、『監獄図書館』と名づけられ、当時は既に地中に埋められてはっきりとした場所が不明になっており、その周辺の深い森に住む悪霊が図書館を守っているというお伽話が伝説として語られる程度だった。


 西暦1441年、禁書の牢獄。

 窓一つない閉鎖された空間。そこは本来光が存在しない闇の世界であるべき処だが、超常的な力に支配され常識が通用しない世界となっていた。
 陽光を取り入れる窓が一つも存在しないにも関わらず、この空間を目視出来るのは、そこが魔法の光で照らされているからで、それはすなわち魔法使いがこの空間を支配しているということである。
 正方形の部屋を3つ以上ならべて出来たような長方形の部屋。魔法の光で照らされる場所は四角い部屋の片側の一部だけでそれ以外は光が闇に融けてしま部屋全体を見通す事は出来ない。天井も同様に闇が行く手を遮りどれくらい高いのか下からはわからない。
 長方形の部屋であるため壁は広い面が2つ、狭い面が2つ向かい合っているが、魔法の光が存在する片側の狭い面以外の全ての面が本棚になっており、残りの面は石壁で、そこに巨大な振り子時計が時を刻んでいる。
 時計の大きさはありふれた家の煙突より高い。こんな大きな時計でも天井の闇までだいぶ距離があり、このことからこの部屋がいかに大きいかがわかる。
 見えない天井まで続く本棚もまた途中から闇に埋もれており、夥しい数の本が保管されている事が理解出来る。これだけ高い位置に本があるとどうやってそれを取ればいいのか?答えは簡単である。この部屋の住人が空を飛べる魔法使いという点を思い出せれば・・・。
 本棚は壁面だけではなく、床の上に存在し迷路の様に並べられている。
 大きな振り子時計のある側だけ本棚はなく、時計を背後に置くように机と椅子のセットが置かれている。その横に常に稼働中の魔法陣、机を挟んで反対側にティーセットが並ぶ飾り棚とL字型のカウンターテーブルがあり、その奥に小さなワイン棚が見える。
 その夥しい本の量からそこは図書館であることには間違いが、机周りの状況から魔法使いの書斎といった方が適当かもしれない。

 その机に一人の老婆が座って本を読んでいる。
 老婆は腰が大きく曲がりそのせいか身体も小さく見える。やせ細って筋ばった腕が本のページを時折めくるが、栄養が足りず痩せているというより、もうじきお迎えが来そうな老衰状態と診るべきだろう。しかし、その目には未だ力があり、表情だけ見ればまだまだ死にそうにはない。
 一心不乱に本を読むその老婆は何かの気配に気付き顔を上げる。
 先程まで険しい表情だったその顔は、今は何故か満面の笑みが溢れている。この顔を見ればあと数十年は生きそうであるが、重い腰を上げるその動作は緩慢で、助けが要りそうな程弱弱しかった。
「ミーナ!」
 しわがれた声がそう叫ぶと、その視線の先の本棚の影から一人の魔法使いらしい装束を身に纏った人物が現れる。
「パッチィ!」
 『ミーナ』と呼ばれた人物は、呼びかけに応じて魔法使いの象徴ともいえる尖った帽子を脱ぐと、30代から40代と思しき女性の優しく微笑んだ表情が現れ、椅子から立ち上がって不自由な身体を必死に動かして近づこうとする『パッチィ』と呼ばれた老婆に駆け寄って抱擁する。
「よく来たねミーナ。もう会えないと思ったよ。」
 腰が曲がって抱きつこうにも上手く抱きつけず、端から見れば女性の腰にタックルをしているようにも見えなくもないその老婆は、自分の寿命をある程度知っているかの様に、旧友との再会を心から喜んだ。
「もう何年も生きれそうにないからね。最後に会えて本当に良かったよ。」
 ミーナと呼ばれる女性に支えられて椅子に戻されながら老婆は涙ぐむ。
「げんー・・・なんだっけ?」
「幻想郷。」
「そう、それ。それが出来たらもう会えないと前に言ってたけど・・・ここにミーナが居るって事は結局そのげん何とかは無しになったのかい?」
 ミーナと呼ばれる魔女は、その幻想郷と呼ばれる場所では魅魔と呼ばれ畏れられている悪霊の大魔導師である。その魅魔はパッチィと呼ぶ老婆に相槌を打ちしながら、いつの間にか手に持っていたベルを1回振る。
 そんな唐突とも言える魅魔の動作であったが、老婆から見ればいつも通りという感じで特に気に留める様子はない。
 音の鳴らないベルの魔法の波動によって、横にある魔法陣が反応し強い光を発する。耳障りな衝撃音と天井に伸びる光の筋と共に魔法陣から1体のファミリアが召喚される。
 ファミリアとは幻想郷の言葉に言い換えれば小悪魔や使い魔となり、要するに主人の言いつけを忠実に守る悪魔の召使いの総称である。
 魅魔はその身に悪魔の遺伝子を取り込んでおり、それによって魔界の門を強制的に開く事が出来る。
 普通の魔法使いが召喚できるファミリアは夜魔リリムが精一杯といったところだが、魅魔は淫魔リリスを僕にしている。
 本来リリスはどんなに格が違っていても誰かの使い魔になるような性格ではない。
 このリリスとの出会いは、博麗神社によって怨念を祓ってもらった後、一時ヨーロッパ方面に里帰りして魔法使いギルドに挨拶がてら仕事の依頼を受けてリリスの討伐をした際、その時倒したリリスの命乞いに対して名前を奪って主従契約する条件を飲ませて助命し、以後このリリスは魅魔の所有物としたのである。
 紅い瞳と同じ色の長い髪の毛、一見すると衣服の装飾品のように見える伸縮自在の小さな翼、髪飾りの様な小さく目立たない角を持ち、娼婦のような艶やかな表情と優雅な物腰が印象的である。普通は一糸纏わない全裸を好むリリスだが、人目が悪いので魅魔は召使いのような地味な衣服を着用させている。この姿であれば、誰もリリスだとは思わない。

「久し振りだね『ルビー』。」
 老婆にルビーと呼ばれたその使い魔は、妖しい笑みを含んだ表情で声の主に対して恭しく礼をする。その名の由来は深紅の瞳と同じ色の宝石で、魅魔が名づけた僕としての名前である。
「おや?それは?」
 顔を上げたルビーが両手に何かを抱えている事に気付く。どうやらそれは柔らかい毛布にくるまれた小さな赤ん坊で、一人ずつ両手に抱え、さらに両肘に大きく重そうな荷物を引っかけている。恐らくそれは子供達に必要な荷物だろう。
「ルビーの子かい?」
 予想もしていなかったその質問に思考が止まって一瞬固まるルビーは、その後肩をすくめ苦笑いしながら首を振ってそれ否定する。
「この娘達は吸血鬼の子供だ。」
 困った表情のルビーの代わりに魅魔が答える。
「吸血鬼!こりゃまた驚いたねー・・・生きている内に生で本物を見る事が出来るなんて・・・運が良いやら悪いやら・・・。」
 真理の探究者である魔法使いにとって未知との遭遇は好奇心を掻き立てるものである。書物の中でしかその名前を知らない老婆にとって、これ程の幸運はない。あと残り僅かな寿命が恨めしい限りである。
 魅魔は、ルビーの抱えている子供を引き受け、荷物から解放された彼女にお茶の準備をさせる。
 その後、幻想郷で起こった吸血鬼戦争の事の顛末とその裏事情を説明した魅魔は、弟子であり親友でもある老婆にこの不幸な吸血鬼の乳児達の面倒を見て欲しいと願い出る。
「他でもない、ミーナの頼みともあれば聞かないわけにはいかないねー・・・でも、私はもうじき逝っちまうよ?次に頼んだ方がいいんじゃないかえ?」
「私はもう自由にここには来れないんだ・・・少なくともこの子達が目覚める500年の間はな・・・。」
「そうかい・・・500年じゃ次はミーナの顔を見ずに逝ってしまうことになるね・・・。」
「私の替わりに、この子達の良き母、良き姉、良き友となってはくれぬか?」
「ああ、喜んで引き受けるよミーナ。」
「ありがとうパッチィ・・・恩に着る。」


 西暦487年。
 西ローマ帝国が滅亡すると、台頭する北方のフランク王国の影響が次第に南下し、当時ガリア地方からアイルランド方面を活動エリアとしていた魔法使いギルドは、エリア拡大の為にゲルマン地方に活動拠点を移すべく移動を開始する。
 ギルドが直轄運営していた禁書の保管庫の蔵書関係は、この時期ほとんどが写本されオリジナルの存在意義は骨董的な価値しかなく、保存の為にかかる費用や労力の無駄を考えるとこれ以上の維持は難しくなったため放棄する事が決まる。
 この時期魅魔は博麗によって救われ人間としての自分を取り戻した直後で魔導師として復帰しており、管理者が減って寂しくなったかつての仕事場、禁書の保管庫に娘の墓参りがてら里帰りしていた。
 魅魔の娘は奇跡的に命を拾い、父親に育てられ母の跡を継いで魔法使いとして生き、子どもを生んで母親としてその天寿を全うした。享年67歳である。
 自分に似ず凡庸だった事が幸いして重責と常に距離があり、魔法使いとしてはともかく人の親としては幸福な人生を送ったようである。
 魅魔が悪霊になったのは、娘が殺されたと勘違いしたためで、この違いを博麗によって知らされた事が悪魔から人に戻る決め手となったのは言うまでもない。

 放棄される書庫は、元々主要施設が地下にあったため人が退去した後は地上部破壊放棄し土を盛って埋め隠す事になっており、その任は魅魔が引き受ける事になっていた。
 この時魅魔は運命的な出会いを経験する。
 禁書の書庫の最後の管理人には娘が一人おり、それがだいぶ変わった娘で一日中書庫に籠もって本を読みあさり、空腹で気を失うまでそれを続け、更にこれを成人になるまで何度も繰り返していたため、家事全般女としても、それ以前に人としてもろくに働く事が出来ずにいかず後家になっていた。
 魔法使いの家の出でありながら一切魔法とは無縁だったその娘に魅魔は魔法の手解きをしてやったが、最低限の魔法は使えるようになったものの魔法を学ぶ時間よりも本を読む時間が惜しいらしく正式な魔法使いとしての肩書きを得る程にはなれなかった。

 西暦488年。書庫封印の日、管理人一家全員が北に出立し魅魔が最後の見回りをしている時、中にあの娘が大量の食料と水を確保して籠城しているところを発見する。
 聞けば近隣の村から背格好が同じ娘に金を渡して身代わりに立て、家族を騙して書庫に忍び込んだというのである。娘は家族ともほとんどしゃべらず、いつも深々と帽子を被っていたので、特別な演技も必要なく変装する側にとっては簡単な仕事だった。
 その事実を知った魅魔は怒りを通り越して呆れ果て、しばらくその娘と向かい合って話を聞く事にした。驚くことに本に関しては饒舌で、話し始めたら止まらず、それなりに長い付き合いではあったが、初めて彼女の本性を知った魅魔だった。
 読んだ時は意味が分からない事でも、別の本で身につけた知識を基に、その本に戻ると意味が分かり、それらが無限に連鎖して自分の血となり肉となる感覚、彼女にとっての生きている実感がそこにあるのだと言う。
 本を読んでいる時が生きている時だと豪語する彼女からこの書庫を取り上げることは彼女自身の実質的な死を意味すると共に、その強い意思が祟りとなって禍を起こすと心配になる魅魔。
 ここから出したら一生魅魔を呪うと、書と共に朽ちる事を決意する娘。魅魔自身もこの蔵書を読んで目が覚め教会から離脱する事が出来た事をしみじみと思い出す。
「永遠の命が欲しい!一生本を読み続けられる朽ちない体が欲しい!ミーナの様になりたい!」
 そう思うのは何もこの娘だけのことではない。魔法使い達は、人間の短すぎる寿命に嫌気が差して人外の存在に身を換える者が大勢いる。魅魔がこんな身体になってもギルドが平然と受け入れるのはそうした背景があるからでもある。
 彼女自身も魔導を学べばそれも充分可能だったが、彼女はその学ぶ時間すら惜しんで本を読んでいた。
「お前のその望み叶えてやろう。両親には死んだと伝えておく。それでいいな?」
 決意に満ちたその表情を見た魅魔は決断し、それを実行した。
 それは、魅魔が最も得意とする魔法のカテゴリ「呪い」だった。
 娘の魂はこの書庫という場所に永遠に縛られる呪いを掛けられ、人外の存在に転生し肉体が朽ちても生まれ変わる事が出来る特別な身体を手に入れる。

 呪いはその言葉どおりに捕らえれば非常にネガティブなものに感じられるが、どんな暗黒魔法も人を救う力にはなれないのに対し、ただ一つ呪いという存在だけが人を救う力を生み出すことが出来るのだ。
「そなたは今書庫の住人として永遠を得た。」
「・・・。」
 呪いを掛けられた娘の肉体はズブズブと腐り始め、歩く死体の様におぞましい姿に変化する。しゃべろうにも声が出せない。娘は騙されたと焦り、魅魔を睨む。しかし、魅魔は優しい眼差しが、絶望と恐怖に犯された娘の黒い心を漱ぎ落とす。
「お前は一度死んで転生する。これまでの記憶はもう無くなるが、お前が再び本を読める年齢になるまで私が責任を持って育てよう。だから安心して逝け・・・。」
 今まで人間だった娘は土くれのような塊になって床に崩れ落ちる。魅魔はそこに残された紫色の美しい衣服をそっと取り上げ、残された土くれに手を入れて何かを取り出した。
 それは生まれたばかりの赤ん坊だった。
 抱かれた途端泣き叫ぶ赤子に戻った娘を優しくあやす魅魔。呪われた身体に人間と同じような栄養は必要なかったが思わず服をまくり乳房をだして授乳させようとしてしまう母親の顔の魅魔。
 亡き娘を思い出しながら魅魔は満足そうに乳房にむしゃぶりつく赤ん坊を胸に抱いたまま、失った人としての身体を悼むようにうずくまって泣き続けた。


「その話は何度聞いても飽きないよ。」
 リクエストした魅魔との思い出話に耳を傾けながら呪いによって死んだように動かず寝ているレミリアを胸に抱く老婆は、その可愛いらしい寝顔を見て思わず微笑む。
「吸血鬼だろうが、子供のうちはまるで天使だね。」
「・・・そうだな。」
 フランドールを胸に抱き老婆の言葉に同意する魅魔。
「この子達の呪い・・・解ければいいのにねえ・・・。」
「この子達よりお前の呪いの方も心配したらどうだ?」
「呪いをかけた本人が言うことかね?」
「優れた魔導師となったお前にはもはやこの呪いは意味がないだろ?魔術で自分の身体などいくらでも好きに転生できるだろうに。」
「私はね、この図書館が気に入ってるんだよ。」
 目を細めて周囲を見渡しながらしみじみと語る老婆。
「この子達は何れ幻想郷に戻る時が来るだろう。その時お前も一緒にくるといい。」
「無理にここを出たら呪いは成就される。そうなったら私は滅ぶだけさ。」
「きっとお前を連れ出す者が現れる。」
「そうだねー。もしそうなるなら、白馬に乗った美男子の王子様がいいねー。」
「またそれか?白馬の王子ばかりだな。」
 これまで何度も自分を連れ出すのは白馬の王子だといい続ける老婆。
「生まれてこの方、人間といえば本にあるような王子様しか知らないからね。」
 老婆は人間だった頃の記憶は無い。先代の記憶も引き継がれないので、残っている記録と魅魔という存在がそれぞれの歴代の自分を一つに繋げているだけである。老婆自身がその目で見た生命体とは、悪霊と悪魔と、今しがた初めて見た吸血鬼だけで、人間という存在を一度も見たことがないのである。
「残念ながら人間界には、しわくちゃの老婆を迎えにくる物好きな王子は存在しない・・・もし迎えに来る者がいるのなら、それは死に神が黒い魔法使いだけだな。」
「ふん、何だっていいさね。」
 初めから迎えに来る者がいるなど期待していない老婆である。

 西暦1441年当時の老婆は、西暦1147年に生まれた3代目である。その後1449年に3代目はこの世を去り、同時に4代目が誕生することになる。
「これから先500年はここに来る事は出来ない。今までずっと赤子のお前を私が面倒を見てきたが、次からはそうはいかないな・・・。」
「放置してても勝手に育つだろう?」
「身体は育つさ・・・だが親のいない子供がどんな大人になるか・・・ろくな者にはならんぞ?それでもいいのか?」
「それは困るねー・・・。で、何か策はあるのかい?」
 策があると想定して質問する老婆。
「うむ、このルビーをお前にやろう。」
「え?」
 想定していなかった答えに驚いた老婆は咄嗟にルビーの顔をまじまじと見てしまい当然そこで目が合う。この件はすべて了承済みという表情でニッコリと微笑み返すルビー。
「いいのかい?物のように簡単に貸し借りできるものではないんだろ?」
「ルビーのグランドマスターは私だ。お前を順位2位のマスターとして登録すればルビーの意思など関係ない。」
「でも、それじゃールビーが可愛そうだろう?」
「そんなことはないさ。ルビーはお前を気に入っているぞ?なぁ?ルビー。」
 臆面もなく笑顔で頷くルビー。やらされているわけではなく、本心でそうしているようだ。
「そもそも3代目、お前を育てたのはルビー同然だぞ?」
「そういえばそうだったね・・・ルビー・・・それじゃーよろしく頼むよ?」
 そう言ってパチュリーが身体を傾けてルビーの方を向いて立とうとする。しかし、それよりも早くルビーの方から歩み寄り椅子の前に跪く。
「すべて準備は出来ている。頭に手を乗せるだけでマスター認証は出来るはずだ。」
 無言で頷いた老婆は、手が届くように膝近くに寄せるルビーの頭に優しく手を添えるように置く。
 掌に小さな魔法陣が開くとルビーは一瞬痙攣し、魔法陣の光が消えると同時に立ち上がり、普段とは違う畏まったお辞儀をする。ルビーは動作を少しオーバーに見せる癖があるが、これは、声をほとんど出さないルビーの自己表現の手段で、気障に振舞っているわけではない。しかし、今の動作は、マスターに対する忠誠心からくる礼であった。
「後の事は全て任せるぞ。」
 グランドマスターの命令に再び畏まるルビー。
「それからパッチィ。これは冥土の土産だ。お前もだが、次代にも宿題を出しておこう。」
 そう言いながら魅魔は机に手を置いて魔法陣を開くと、そのまま手を持ち上げ何冊かの本を魔法陣から引き出す。
「これは?」
「これはルビーのコピーを作るための研究資料だ。時間は500年ある。自力で解明して自分の魔法にするのだな。」
「コピー?何のために?」
「先程も言ったがフランの方が少々厄介だ。目覚めた後、安定するまで何が起こるかわからん。落ち着くまでルビーのコピーにフランの世話をさせるといいだろう。」
「なるほど・・・デコイに使えってかい・・・それにしても、そんなにやばいのかい?その子は?」
 魅魔に抱かれているフランドールを見ながら未だにこの乳児が凄まじい力を持っている事が信じられない。
「ああ、お前が死んでもどうということはないが、ルビーに死なれては困るからな。」
 真顔で言って、言い終わってから破顔する魅魔。
「そりゃーそうだ。」
 ゲラゲラと仰け反って笑う老婆。しわくちゃの顔がさらに酷くなる。
 そうやってしばらく笑いあう2人は、笑い声のトーンが落ちるにつれて、それが別れの時を報せる合図である事を感じ取る。
「さて、老い先短い老婆の老後の楽しみが増えたところで、お別れだよミーナ。」
 先に切り出したのは老婆の方である。
「うむ・・・。」
 魅魔は立ち上がり別れの抱擁を求めたが、老婆は面倒くさそうに手を振って魅魔を追い払う。
「こっちは時間がないんだ。もう行きな。」
 よっこらせと立ち上がった老婆は魅魔に目もくれず冷たく言い放って背を向け、抱いていたレミリアをルビーに差し出すともらった資料を取り、研究に役立ちそうな他の本を探しに本棚へよろよろと歩き出す。
 レミリアを抱きながら新しいマスターの後を追おうとするルビーは、何かに気付いて立ち止まり魅魔に振り向く。魅魔はそれに応じて一度だけ頷き、最後に老婆に渡すはずだったアルカードの予言書とフランドールをルビーに託し声に出さず目で別れを告げる。
「(2人とも達者でな・・・。)」


 魅魔の気配がなくなった禁書の牢獄に、一人乗り残された老婆は手に持っていた資料を落としてその場で泣き崩れる。魅魔の前で泣き崩れればいらぬ手間を取らせるだけである。魅魔には魅魔の都合があり、彼女にとって自分が重荷になることだけは何としても避けたかった。安心して魅魔は幻想郷とやらで仕事が出来るように強い自分を見せなければならないのだ。
「そうだったね・・・今は一人じゃないんだね。」
 優しく背中をさするルビーの温もりを感じたパチュリーは涙を拭いて、その腕に捕まるように立ち上がる。
「ルビーだってつらいだろうにね。」
 何かを諭す様にゆっくり首を振るルビー。
「・・・ありがとね。」
 別れはつらいものである。しかし、死んで記憶をリセット出来る自分はそのつらさをそこで終わらせる事が出来るが、ミーナもルビーもずっとつらい別れを記憶に留めて生きていかなければならないのだ。その事に比べたら幸せなのだと自分に言い聞かせる老婆だった。



 禁書の牢獄に6代目が誕生して23年が経過した。
 人間で言えば既に成人に達している年齢ではあるが、閉鎖された呪われた空間内では、他者という尺度が存在する社会という名の時間の単位がないため、成長の度合いが年月と比例するとは限らない。今だあどけなさの残る少女はこの空間ではまだまだ幼児も同然だった。

 いつも当たり前のように傍らにかしずく紅い目と紅い髪の悪魔は何も語らないが、この場所に残された膨大な資料から自分のルーツを紐解き今は自分が誰なのかをある程度知ることが出来る。
 系譜を遡ると、初代は西暦488に誕生し、349年の生涯を閉じると同時に2代目が誕生し、2代目は西暦837年に誕生して310年生きて3代目が西暦1147年に生まれている。
 この3代目の死に際に何か重要なものを誰かに託され、それと同時に受け継がれたお伽噺の本が今自分の手元にある。
 その予言めいたお伽噺の表題のプレートに『亡き王女のための七重奏』とあり、その表題を描いたのが先代5代目で、それまで無題だった事が判明している。
 4代目は西暦1449年に生まれ、この4代目の残した研究資料は膨大を極め、手に負えない程の資料が残されている。すぐにでも研究に着手したいところだが、生まれてから間がなく、さらに今手元にあるお伽噺の運命の時が目前に迫っている為、真偽が気になって落ち着いて作業が出来ないでいる。
 345年生きた4代目は西暦1794年に死去。同時に誕生した5代目はこれまで300年以上生きていた他の自分達とは違い124年しか生きていない。残された記録とルビーの記憶から、重要な何かを復活させる為の段取りに魔力を使い果たして早死にしたらしい。
 そして6代目の自分は西暦1918年に誕生し現在23歳である。


 西暦1941年。

 この年、500年の時を超え何者かが永い眠りから目覚める。と、予言書や他の資料にある。
 最初はお伽噺か何かと思っていたが、ルビーがルビーそっくりの使い魔達を召喚し始め、何やら慌ただしく準備を始めている様子から本当に何かが目覚めようとしている事がわかる。短命だった先代がもう少し具体的な情報を残してくれていれば、自分も何かできるのではないかと思うのだが、如何せん何も分からない。
 しかし、ルビーの様子を見ていると全て心得ている様で、ここは彼女に一任するのが得策であると判断した。
 小さな子供用のベッドを2つ、本棚を幾つか端し寄せてスペースを作って並べている。まるで産卵期を迎えた親鳥が忙しなく巣の準備をしているようである。もしかしてルビーが子供を生もうとしているのだろうか?
 2人きりだったこの『ヴワル監獄図書館』も7人の使い魔が増えて私とルビーも含めて合計9人になった。広いと思っていた図書館も今は狭く感じる。

 数日が過ぎた頃、ルビーが一冊の楽譜を差し出してくる。題名は『亡き王女のための七重奏』。お伽噺と同じタイトルである。これは偶然だろうか?しかし、これは神を称える歌だ。悪魔に賛美歌の七重奏を謡わせようというのか?結果がどうなるか楽しみでもありしかし危険でもある。恐らく結果は後者になるに違いない。

 動いていない大きな振り子時計。いつ止まったかは記録にない。少なくとも自分が物心付いた時には時計は止まったままである。
 なぜ急に時計の話になったのかいくつか理由がある。
 問題にしたいのは止まっている事ではなく、その止まり方である。止まる事自体はしようがないにしても、その止まり方が普通ではない。振り子が大きく横に振れたところで止まっている。何かの衝撃で急に動きだしそうだ。
 そして、時計を問題にしたい最大の理由が、すまし顔のルビーがその危険な時計背にするように自分を立たせ、向かい合うように使い魔達を整列させているのだ。不満そうな表情を見せる使い魔達。時計の事が不満なのではなく、神を讃える歌を謡わなければならないことに対する不満だろう。私は歌はどうでもいい。この危険な時計と悪魔の歌の挟み撃ちが気に入らないのだ。
 有無を言わせず指揮棒を持たせられた私は、僕のはずのルビーにそれを振れと命令される。本当にやっていいのだろうか?色々な意味で悪い予感しかしない。もしかしたら、先代の壮大な悪戯なのかもしれない。いや、むしろ悪戯であってほしい。
 ルビーは、忠実な僕であると同時に、自分を育ててくれた母であり、姉のような存在である。
 時折見せる妖しく値踏みするような艶かしい表情を見ると、まるで自分の成長を別の意味で楽しみにしているようでなんだか怖い。僕でありながら彼女の命令には逆らえないので、この先、ルビーと上手くやっていけるのか不安である。

 全ての準備が整ったと目で知らせるルビーの合図で私は指揮棒を振り下ろし使い魔達に謡えと命令する。
「どうにでもなれ!」
 悲鳴の様な絶叫が図書館に木霊する。当たり前だ。悪魔に神を称えさせるなど、吸血鬼の口の中にニンニクを無理矢理突っ込むようなものである。
 鼓膜を切り裂く様な絶叫と悲鳴の七重奏は、共鳴現象を引き起こし図書館全体を振動させる。もはや賛美歌どころか歌としての体をなしていない。声を出せないのか出さないのかルビーは私の傍らで必死に耳を塞いでいる。そして、最も恐れていた事が起こる。
 あの振り子時計が衝撃波のような悲鳴によって突然動き出したのである。
 振り子は向かって右から左にスイングして壁の本棚にぶち当たると、大きな音を立てて一瞬そこで止まり、その後勢いを失って右にゆっくりと戻る。そしてすぐに何事も無かったかのように正常な反復運動を始める。
 自分の立っていた場所に本棚や本の破片がばらばらと降り注ぎ、思わず前に倒れ込んでそれをかわし床に伏せた。間一髪、我ながらよく身体が動いたと感心する。その状態でほっと胸を撫で下ろした瞬間、駄目押しの様にまた衝撃を受ける。時計の長針と短針が12時を指して、悪魔達の悲鳴よりも大きな時報の鐘が鳴りだしたのである。
 ゴーンという鐘の音の轟音は私の身体を芯から震え上がらせたが、そこで奇跡とも思える現象が起こる。
 悪魔達の悲鳴をかき消すかと思われたその鐘の音は、不協和を生み出していた悪魔達の声の不要な音域を打ち消し必要な音と共鳴して隠れていた美しいハーモニーを浮かび上がらせたのである。
 この今にも天使が舞い降りそうな荘厳な音に気付かない悪魔の歌い手達。唖然としてぽかんと口をあけるルビー。完全に心が奪われ放心する私。
 しかし、この美しい歌声とその場の雰囲気を強く否定する存在が突如現れる。
「うるさーい!やめろー!」
 その声と共にこの世の全ての音が破壊されたかのように耳障りな無音の静寂が訪れる。
 しばらくそうしていると先程とは明らかに性質が違う地震の様な振動が視界を揺らす。何も出来ずただ何かが起こる事を待つしかないのかと、ルビーに目をやるが彼女もこの状況に困惑している様子である。それを見てより一層不安が募る。ルビーは段取りは指示されても、結果は全くしらされていないようである。

 それにしても、今の声は誰だろう?

 振動は床から起こっており、すぐに変化が目に見える形で現れる。
 部屋の中央に大きな魔法陣が現れると、その上の本棚を端に押しのけ、フラットになった床の石畳が魔法陣の円周に沿って外側から中央に向かって順に下に落ち込んですり鉢上の階段を作る。本で見たあり地獄を思い出した。
 唖然とするしかない、恐らく先代の仕込んだ壮大な仕掛け。この仕掛けで何者かの復活を演出するために文字通り身命を注いだのだろう。凄いのか凄くないのか分からないが、とにかく驚いたのは確かである。
 立ちあがって恐る恐るすり鉢の縁に移動して中心を見下ろす。そこには美しく装飾された石の棺が一つあるのが見えた。
 階段状に傾斜したそのすり鉢の底に石棺があり、吸い寄せられるようにゆっくりとその場所に降りた。いつの間にかルビーも後ろにいた。とても心強い。
 石棺に近付き手を伸ばして触れようとした時、それを待っていたかのように石棺の蓋が勢い良く上に飛び上がり見えない天井にぶつかると、少し間をおいて破片の雨が降り注ぐ。
「あぶない!」
 私は、先の「うるさい、やめろ」という叫び声に幼さを感じ、石棺の中に子供が居ると咄嗟に感じて落ちてくる石棺の蓋の危険性を自分の身を顧みず報せた。どうせここで死んでも生まれかわれるから・・・。
 しかし、その甲斐もなく、落ちてきた蓋は石棺から現れた小さな人影によって粉々に砕かれる。
 巻き上がった埃が静まると、石棺の上に一人少女が立っていた。
 その姿は10歳前後の子供にも見えたが、資料にも存在しない異様な羽を持ち、燃え盛る真っ赤な瞳と耳まで裂ける口が醸し出す邪悪な笑みが、それが普通ではない何かであることを示していた。
 背中を少し丸くして今すぐにでも襲いかかりそうな体勢のその小さな怪物を危険と判断したルビーは間に立塞がり、私を守ろうとする。
 その時、先程の声とは違う別の落ち着いた美しい声が音楽を奏でるように響く。
「止めなさいフラン。この人達は敵ではないわ。そうでしょ?」
 その怪物の後ろにもう一人少女のような姿が現れる。この目の前の怪物はフランと呼ばれた。そして語尾は私に向けられたものだとわかった。
 彼女の存在がこの空間の空気を一瞬で入れ替えてしまった。私はその時の感想を後にそう日記に記した。
「あ、貴女は?」
「私はレミリア・スカーレット・・・そして、この子が妹のフランドール。私たちはそれしか知らないの・・・ところで貴女は?」
 後ろにいるルビーを無視して私を指命するレミリアと名乗る少女。名前と姉妹である事以外知らないというが、どうやらこの図書館の主が誰かと言うことは直感で分かるらしい。
「私はパチュリー・ノーレッジ。この図書館の主・・・とは言っても私も生まれたばかりで他の事はよくわからないの・・・。」
「ふーん・・・似たもの同士ってことね。ところで私が何者なのか、ノーレッジさんはご存知?」
 ノーレッジと姓で呼ばれる事にとてつもない違和感を感じる。
「名前で呼んでくれていいわ。」
「分かったわパチェリー。」
「パチュリーよ。」
「失礼、パチュリー。私の事もレミリアと呼んでもらって構わないわ。」
 幼いながらも気品と気高さが声に備わっており、ただの子供でない事はわかる。


 最初に名前を間違えたレミリアは、その後も何度か同じ間違いを繰り返し、何時の間にかその間違った呼び方を元に愛称で呼ばれる事になった。そしてその頃には私も彼女をレミィと愛称で呼んでいた。
 私とルビー、そして新たに加わった2人の吸血鬼の姉妹を加えた4人家族で、今は楽しい日々を送っている。
 フランの発作でファミリアを沢山失ったが、このファミリア達はその為に存在しているので、可哀想だが仕方がない。しかし、その尊い犠牲のお陰で最近は犠牲者がだいぶ減った。
 お伽話の本かと思った『亡き王女のための七重奏』という題名は先代がつけたものだ。あの壮大な仕掛けの意味がこのタイトルに込められていたことは身を持って知った。それだけにこの本はただのお伽噺ではなく重要な意味を持っているとわかる。
 レミィはこの本の主人公の王女を自分に重ね合わせてすっかりその気になっているが、確かにこの本はレミィを題材にした本だと確信できる。私やルビーと思しき人物も登場しているからだ。
 しかし、この本が書かれたのは500年前。何故私達がここに登場するのだろうか?結論としてはありきたりであるが、これはお伽話の形をした予言書なのだ。
 となれば、私達が、いやレミィが取るべき行動はこの予言書に沿う事である。
 予言書によるとこの後、誰かが迎えにやって来て、王女、つまりレミィはどこか別の場所に旅立つ事になる。そこで新たな従者を従えて、その従者の導きよって最高の僕を手に入れる・・・という未来を辿る事になる。
「私は・・・どうすればいいんだろう?」
 この予言書に私とレミィの出会い以降の事で私と思しき登場人物の記載はない。
 レミィ達がいなくなった後、またルビーと2人でここで過ごすことになるのかもしれない。
 楽しい日々を過ごしつつも、先の見えないこの状況に悶々とする日が多くなっていった。


 生まれてから42年が経った西暦1960年。レミィが旅立つ時が来た。
 具体的にどうやって旅立つのかわからないのに、それを信じて全く疑う気配がない。これは彼女達が正真正銘中身も子供だからなのか、単に能天気なだけだからなのか・・・。
 一つ確信している事は、自分はこの図書館から出る事は出来ないという事である。
 外界から来た人間に連れ出して貰わないかぎりこの呪いからは逃れられない。そして、この場所に来れる人間など一人も存在しない。

 魅魔と名乗った悪霊の大魔導師が私を懐かしそうに見る。この人?がレミィ達を私から奪う悪者だろうか?
 2人の吸血鬼姉妹共々彼女に抱きしめられ、どんな顔をしていいのか分からない。この悪霊にとって自分は懐かしい存在であるのはわかるが、私にとってこの悪霊は他人でしかない。いや、他人ではない敵だ。私にとって身内はルビーと、この吸血鬼姉妹だけなのだ。
 泣いている悪霊を他人ごとの様に感じながら、この悪霊の所有物であるルビーともお別れをしなければならないのかと思うと怒りを覚える。

 私はここで全てを失うのだ。

 未来という希望に満ちた光の中にいるレミィ、フラン、魅魔、ルビーの4人に対して、自分だけが闇の中に取り残されたような、そんな惨めな気持ちなる。
 みんな、私を置いていかないで!私も連れて行って!もう一人はイヤ!誰か!誰か!誰か!お願い!私を迎えにきて!私を連れ出して!お願い!誰か!
「・・・!」
「・・ェ!」
「・チェ!」
「パチェ!聞いてるの?パチェったらぁ!」
 呼ばれている事に気づき、顔を上げると間近に親友の頬を膨らませた顔があった。その後ろの3人の顔も不思議そうにこちらを見ている。
 何かに気付いたかのように大嫌いな魅魔が近づいてくる。
 魅魔が私の目の前で跪くと目の高さが逆転する。見上げる魅魔の表情は明らかに私を哀れんでいる目だった。そんな目で見ないでほしい。余計に惨めになってくる。
 生まれつき喘息という魔法使いにとって致命的ともいえる持病を持ち、身体が弱く、そのせいか身長もあまり伸びなかった。恐らく歴代の私の中で今の私が一番出来が悪いのだろう。先代のあの壮大な仕掛けなど私には到底出来ない。
「パッチィ・・・いや、パチュリー・ノーレッジよ。3代目までの付き合いでしかない私にとって、今のお前は全くの他人かもしれない。だが、お前は確かに私が生んだ私の娘だ。」
 そう言って魅魔は優しく私を包み込んだ。
 悪霊のくせに・・・罵ろうとしても次の言葉が出ない。必死に声を出そうとしても、私の中にいる別の私がそれを拒む。私は耐え切れず、魅魔の背中に腕を回し、しがみついて泣いた。
「呪いの本質、醍醐味を知っているか?大きな制約によって生じる鋭い尖った力を利用する魔法だ。お前は喘息というハンデを背負っている。だが、それは発想を変えれば呪いと同じ、制約でしかないのだ。」
 私は思わず悪霊の腕から逃れその顔をまじまじと見つめた。
「お前は気付いていない。だが私もルビーも気付いている。お前の魔力はその制約によって強く増幅されていること・・・。」
「え?」
「皆が300年かけて得た力も、お前なら数年でマスターできる。お前の喘息は、強すぎる魔力を抑えるための制限装置だと思えばいい。な?そう思えば何も後ろ向きに考える必要はないだろう?」
「でも・・・。」
 私はまだ納得がいかない。
「出来ないと思ったら魔道はそこで終わる。常に前を向き、立ちはだかる困難を克服するのが魔道の真髄だ。お前が望めばそれは成功の始まりだ。さぁ、お前は何を望む?」
「私は・・・。」
「私は?」
「私はレミィたちと一緒に幻想郷に行きたい!」
 私は今まで言えなかった言葉をようやく口にした。そして魅魔もそれを待っていた。
「うむ、ならばその願い叶えよう!」
「でも、無理よ!・・・私はここから出れない・・・。」
「諦めたらそこで終わりだぞ?」
「でも、どうやって!」
「幻想郷にはレミリアたちの居場所が既に存在する。だが、そこはかつての大戦以降封印された閉鎖空間になっている。」
「閉鎖空間?」
 まるでここと同じである。
「私はこの牢獄を幻想郷の紅魔館、レミリアの家の真下に移設させることが出来る。」
「・・・やっぱりだめよ・・・移設させただけでは出れないわ・・・。」
「お前の魔道はそんなものか?何故どうすれば繋がるか考えない?」
 両肩を強くつかまれじっと目を見る魅魔。頭ではわかる・・・でも、いざそれを実行するとなると出来るかどうかわからない。
「フラン、お前ならどうする?パチュリーはここを頑なに動きたくないそうだ。」
「簡単だよ!私達の家を図書館につめこんじゃえばいいのよ!」
「!」
 私はまるでハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
「どうだ、パチュリーできそうか?」
「ええ、出来るわ!これなら出来る!」
 図書館という存在を自分に重ねて過小評価していたことに気付いた。紅魔館の中に図書館を詰め込んでも私は紅魔館に入れない。でも、図書館の中に紅魔館を取り込むという発想なら・・・私は紅魔館にも入れ、レミィ達と一緒に行動が出来る。結局外にでれないのは同じだけど、でも、それはレミィも同じ。そして、幻想郷とやらに行けば、もしかしたら誰かが外から連れ出してくれるかもしれない!
 闇に覆われていた私の心に光が差す。
「紅魔館を取り込むのはお前の仕事だ。お前なら出来る。出来なければ出来るまでがんばれ!」
 両肩を掴む腕の力を一度ぎゅっと強めてから立ち上がる魅魔。
「あ、ありがとう・・・み、ミーナ。」
 今の私に出来る精一杯の贈り物だった。
「・・・懐かしい響きだ。ありがとうパッチィー・・・達者でな。」
「ルビー・・・これでお別れね・・・。」
 私はルビーにも別れの挨拶をしたが、彼女は意外な態度をとった。首を横に振って別れを拒絶したのだ。
「ルビーはとっくにお前のものだ。」
 魅魔は500年前、マスター認証ではなく、権利譲渡をしていたのである。
 涙が止まらなかった。これほどまで自分が大切にされていたのに、一時でも恩人を嫌いになった自分が許せなくなる。
「レミリアとフランのこと、くれぐれも頼んだぞ。」
「任せて!2人は私が必ず守るわ!」
 その私の決意に満ちた強い言葉に満足するように頷くミーナ。
 いつの間にか周囲は光に覆われ、私とレミィ、フラン、ルビー、そしてミーナの姿だけしか見えなくなっていた。
 やがて背を向けたミーナが私達4人と反対方向に歩き出し、光の中に溶けて行く。
「また会いましょう、偉大な魔道士よ・・・次会う時は新しい従者達もいっしょよ。」
 いつの間にか私の手を握っていたレミィが光の向こうにいるであろうミーナとの再会を誓う。
 レミィの握っている手と反対の手にフランがぶら下がるようにしてはしゃいでいる。この状況に動じている様子がない。流石吸血鬼である。
 背後にルビーの眼差しを感じながら、新しい未来が今目のまで開いていくのを全身で感じる。

「さぁ、行きましょう。」
 西暦1960年、私達は幻想郷入りした。
東方不死死 第31章 「吸血鬼戦争」


 西暦1430年、世界と地続きだった幻想郷が八雲紫と博麗神社の結界によって概念の世界に移設され、物理世界から隔離される。
 その幻想郷隔離計画と同時に進められた幻想郷移住計画によって世界各地から様々な妖物(あやかしもの)が幻想郷に参集し、その混乱がまだ収まらない西暦1433年前後から吸血鬼の犯行と思われる様々な事件が頻発し、後に吸血鬼戦争と呼ばれる幻想郷史上、最大にして最悪の大戦へと発展することになる。

 幻想郷では当初、吸血鬼というと紅魔城にいる『アルカード・ブルブラド』という高貴な吸血鬼の王とその一族を指していたが、吸血鬼には10以上の氏族が存在し、単一及び友好的な氏族が集まった血盟を形成し、それらがバラバラに幻想郷入りして血盟単位で行動していた。
 吸血鬼は、発生起源から存在している始祖族と、それら始祖族との血の交換、つまり吸血によって吸血鬼化した純血種と、純血種の吸血によって吸血病に感染して疑似吸血鬼化した亜種族に大分される。
 始祖族は基本的に吸血本能は無く、吸血自体がある種の儀式的行為に近い。個体が非常に強い一方で生殖力が低いため、種族繁栄の為に吸血を行い純血種を作る事によって一族を増やす。一般的な妖怪などと違い、一族など集団を重視する氏族が多く、群れる性質があるので周囲に大きな影響を及ぼすことが多い。
 純血種は、一般的に知られる目撃例の多い所謂ヴァンパイアの事で、吸血し血の乾きを満たさなければ肉体を維持できない性質を持つ種族である。それ以外では、普通の人間や妖怪と同じように知能を持ち吸血鬼になる以前の性格や性質がそのまま吸血鬼後も反映される。
 血の乾きに満たす以上に吸血行動を多用すると獣化し怪物になってしまう。多くの純血種は高潔で誇り高い種族であるため、獣化を恥とし節操のある行動を取る。
 どの氏族を始祖に持つかで吸血鬼後の性質が決まるわけではなく、性質や性格が変わるのは氏族に感化された結果からである。
 邪悪な氏族によって吸血鬼となった純血種は、その時点で邪悪になるのではなく、その命で動くことで次第に邪悪な存在に感化されるというわけであり、元の性格、性質に従って行動する者は、邪悪な氏族から抜け出る者もいる。例えば、教会に仕えるテンプルナイトが吸血鬼化しても、最後まで神に殉じて正義を貫こうとして吸血鬼と戦い、血の乾きを倒したヴァンパイアで満たし、人間に一切手を出さない者もいた。
 基本的に氏族=血盟だが例外もある。貴族として名高い『ヴェントルー』族には、多くの氏族から離脱してきた高潔に生きるヴァンパイア達が集まる傾向にあり、複数の氏族で構成された寄り合い的血盟になっている。

 純血種によって吸血鬼化した者は、所謂吸血病と呼ばれる病気に感染し、この亜種レッサーヴァンパイアは人間性が失われ野獣化して凶暴になる。氏族・血盟の上位存在に従う性質があるので制御は簡単だが、血の乾きに堪えられず吸血した純血種がそのまま亜種を放置した結果、その亜種が野生化して事件を起こす事がある。
 純血種以上の吸血鬼は特定の手順をふまなければ殺すことは出来ないが、この亜種は普通の人間や妖怪の様に生命活動を停止させれば殺す事が可能である。


 全血盟の王を自任し、人間とも共存してきた最も高貴な一族、アルカードを長とする『ヴェントルー』族は、最も知名度の高い血盟で、教会からも黙認され人間社会で一貴族として領土も持っていた。
 時代の流れで人間との共存が不可能となってきた折りに、魅魔の取り計らいで幻想郷計画を知り入郷となったわけであるが、この一族は平和的で幻想郷入り後すぐに八雲紫や博麗神社と平和条約を締結し湖畔と紅魔城周辺の領有を認められていた。
 その一方で『ヴェントルー』以外の吸血鬼の各血盟がそれぞれ独自に入郷し一部の血盟が人間や妖怪の狩りを始め、当時そうした複数の血盟が存在していることを知らない幻想郷の住人及び入郷者は、その吸血鬼の罪を紅魔城に問うしかなく、その状況を巧みに利用する卑劣な血盟が『ヴェントルー』を貶める為に暗躍を始める。
 勝手に貴族を自称する『ヴェントルー』族と対立していた『トレメール』族が巧みに立ち回って、他の血盟の罪を『ヴェントルー』に擦り付けて対立を煽り、『ヴェントルー』に対する深刻な不審感を幻想郷側に持たせる事に成功する。
 状況が劇的に動き始めたのは『トレメール』族にそそのかされた『ギャンレル』族が、天狗の領地に侵入してしまった時である。
 強い団結と組織力で領地を守り、西の妖怪の山を領土として宛がわれ幻想郷の東側には関わらない事を取り決めていた天狗は、東西の境界線を厳重に警備していた。
 原生の森で静かに暮らそうと考えていた平和的で自然に帰依する『ギャンレル』族の性質を『トレメール』が利用し、安全だと偽って『ギャンレル』を妖怪の山へ導き、それを侵入者と見なした天狗は迎撃を行い、この戦いで敗れた『ギャンレル』は友好的な『ヴェントルー』に保護を求め紅魔城に入る。
 そしてこれを『トレメール』が利用する。『ギャンレル』の天狗領への侵攻は『ヴェントルー』の指示によるものと責任転嫁し、『ギャンレル』が『ヴェントルー』のいる紅魔城に入った事をその証拠とした。
 そして、『ヴェントルー』に他意ありとして幻想郷との平和条約は無効と周辺に工作をはじめたのである。
 『マルカヴァイン』『ツィミーシィ』『アサマイト』などの好戦的で邪悪な血盟が周辺で独自に行動し、悪事を働いている事も手伝い、当初良かった『ヴェントルー』の評判は『トレメール』によって著しく下げられる。
 その後、吸血鬼のギャング集団と言われる『ブルハー』が人間の里に目を付け騒ぎ始めた事がきっかけで、天狗側は博麗神社の要請で遂に治安維持活動に乗り出し、東西の境界線を越えて吸血鬼狩りを始め、周辺に散らばる中立的な血盟を含めて大規模な吸血鬼狩りに発展した。
 この混乱の首謀者とも言える『トレメール』もまた、天狗の力を過小評価し過ぎてその被害に会い、行き場を無くした敗残血盟を集めて紅魔城に入り、『ヴェントルー』に命乞いをし、全血盟の王と認め忠誠を誓う事を約束し保身の為に他の血盟諸共その軍門に下る。
 自業自得な血盟に対して彼らを保護する義務は無く、友好血盟だけを保護しても不義にはならなかったのだが、その以前から保護していた『トレアドール』の姫を愛人に持ってしまった為に、保護を拒めばそれは女を貢がなかった所為であると曲解された挙げ句、話に尾びれがついてそれを『トレメール』や『ラベノス』に利用される危険性を見越し、本意では無かったが全血盟を統べる王を正式に名乗る事をアルカードは決める。
 吸血鬼、特に『ヴェントルー』は非常に気高く誇り高い一族であるため、スキャンダルを嫌い恥とする傾向がったが、それ以外にも理由があった。
 全血盟が結束した時、全世界を統べる全知全能の王が誕生するという予言が吸血鬼の世界では伝説として言い伝えられており、平和的・友好的な血盟にはアルカードにそれを望む声も当然あった。反平和主義の反アルカード派が力を失った今こそが平和な吸血鬼の未来を構築出来るチャンスと見たアルカードは、それに応じたわけである。
 結果として罪人を保護したアルカードは幻想郷との間の平和外交のカードを手放し、吸血鬼の単一国家を形成すべく動きだす。それはすなわち幻想郷に対する宣戦布告でもあった。
 西暦1436年、4年に及ぶ大規模な消耗戦、吸血鬼戦争の幕開けである。



 吸血鬼戦争の始まりは、鞍馬山と『ギャンレル』との間で起こった遭遇戦からという説と、人間の里救援の為、天狗が治安維持活動に全軍を出撃させた掃討作戦からとする説、全血盟が紅魔城に終結してアルカードに忠誠を誓った時からとする説といくつか説が存在するが、吸血鬼側の集結に呼応して幻想郷側が討伐軍を組織し、現在の博麗神社の建つ東端の山で魅魔、博麗神社神主、鞍馬山僧正坊、比良山次郎坊の4人で吸血鬼打倒を誓い作戦会議を行った時が正確な開戦日時とするのが幻想郷の正史である。

 当時の状況として、幻想郷の西側、妖怪の山と呼ばれる山岳・丘陵地帯は天狗の領域で、7名の大天狗が幻想郷入りしており、そのうち6名が里(領地)の設営を行っていた。
 幻想郷入りした大天狗は、愛宕山太郎坊、鞍馬山僧正坊、比良山次郎坊、飯綱三郎、大山伯耆坊、彦山豊前坊、大峯前鬼坊の7名で、大峯前鬼坊だけが里の設営を行っていない。白峯相模坊は崇徳天皇の怨霊を鎮め、強いては日本国の守護の為に一人残った。彦山豊前坊は天津日子忍骨命の天下りで、大天狗の中では最も格が高い存在だが、幻想郷入りの根回しをした鞍馬山僧正坊を大天狗筆頭に推挙し、現在も鞍馬が大天狗筆頭である。
 吸血鬼王アルカードが根城とする紅魔城は、湖の西岸一帯に広大な城壁を持つ巨大な城塞で、現在残っている紅魔館は、その広大な敷地内に建つ館の内の一つである。その紅魔城に隣接しているように西に鞍馬山と北に比良山の領地が存在し、開戦前から領地の境界線をめぐって小競り合いが続いていた。
 幻想郷の殺さず戦うというルールに則り、幻想郷入りした各地の妖怪に身を持ってそれを教育する役目を請け負った魅魔と風見幽香は、それぞれ幻想郷の東部の北と南に領地を宛われていた。その北側エリアに紅魔城があったために必然的に魅魔が吸血鬼を担当する事になる。
 猛威を奮う吸血鬼に対して東の西の出身に捕らわれない反吸血鬼連合が自然発生し、それを魅魔が統率する事になる。
 魔法の森を隔てて南に博麗の里があり、『ブルハー』の襲撃を退けた博麗神社は、里に入っていた他の友好的な妖怪、幻想郷事業に早くから賛同していた妖怪らと共闘する形で魅魔の連合軍に加わる。
 数人の大天狗と知古のあった魅魔は天狗側と共同戦線の提案を行い、これを了承した鞍馬山と比良山が正式に連合軍に参加。他の大天狗からも一部軍が派遣され鞍馬山と比良山を支援した。
 魅魔率いる本体が現在の博麗神社の建つ東端の山に本陣を置き、南を博麗神社、西と北を鞍馬山、比良山という吸血鬼に対する大包囲網戦が展開されることになる。
 後に本陣山と名付けられた現在博麗神社の建つ山で、魅魔、神主、鞍馬山、比良山の4者の作戦会議によって魅魔を総大将とした幻想郷連合軍の結成が正式に決まり、それと同時に『アルカード・ブルブラド』に対して宣戦布告を行う。


 開戦当初、幻想郷連合軍の圧倒的な物量の前に吸血鬼及びそれに組みする闇の軍団は戦線を後退。死霊術に長ける『ジョヴァンニ』が敵味方の死体を有効的に活用して何とか戦線を維持するのが精一杯だった。
 その後、大天狗として里を設営せず領地を持っていなかった事で自由に動けた大峯前鬼坊が弟子達を率いて魅魔の主力に参戦。これによって吸血鬼側の東部戦線が崩壊し湖まで後退する。
 軍団としてまとまりに欠けていた吸血鬼軍は、開戦当初は血盟単位で動いていたが、それぞれ特徴があり能力が偏っている氏族中心の血盟は、軍団として運用しずらく東部戦線の崩壊を機にこれを反省し軍団の再編が行われる。
 再編された軍勢の主力は、各血盟から選抜された純血種の部隊指揮官の下に亜種、獣人、死霊を置く構成で、魔術師であり策士でもある『トレメール』の始祖長が『ジョヴァンニ』の死霊使いを参謀に置き司令官として陣頭指揮を取ることになる。
 これが功を奏して東部の戦線を湖より東に押し返す事に成功。
 義勇軍の集まりでもある魅魔の幻想郷連合軍の主力は、士気は高いものの集団としての行動に不馴れで、吸血鬼軍の組織的な反撃に戦線を後退。こちらも部隊再編を行い、陣頭指揮を大峯前鬼坊の一番弟子『太白山白鳳』に当たらせた。軍事に非凡な才能がある白鳳は、天狗の仏法の力を前面に押し出し、闇の軍勢を蹴散らして戦況は幻想郷連合軍の優勢で進む。
 こうした軍勢同士の戦いが終戦まで続けば、敵同士でも賞賛しあえ、現状の吸血鬼に対する強い不信感と嫌悪感は生まれなかったもしれない。

 吸血鬼戦争が血みどろの消耗戦に突入するのは、開戦から1年が経った頃からである。

 吸血鬼軍で最前線に立つのは主に好戦的で武力の高い血盟であったが、アルカードらの『ヴェントルー』を中心とした平和的な血盟が実権を握っているという、前戦の者からすれば面白くない状況が続いていた。
 これに不満を持った血盟が、爵位などの地位を求めアルカードに対し談判を始め、状況が状況だけにアルカードはそれを了承し、各血盟の戦功氏族に高い地位と権限を与えた。
 有能であるが戦いに不馴れな貴族らの地位が相対的に落ちた事で『ヴェントルー』の権力に陰りが見え始める。策士である『トレメール』がアルカードの側近を次々に失脚に追いやり、軍の首脳部が反貴族派で占められると、今まで禁止としていた卑劣な戦法が解禁されはじめる。
 捕らえた捕虜を純血種に換え、血の乾きという拷問で寝返らせた元幻想郷軍の幹部を捕虜交換を利用して敵陣に侵入させ、幻想郷連合軍の中に様々な亀裂を生じさせる火種を植え込む事に成功する。
 軍内に内通者がいることが発覚すると、疑心暗鬼に駆られた幻想郷軍は浮き足立ち、優位に進んだ戦況は膠着状態となる。この時期、あらゆる卑怯な手口が用いられ、多くの味方が強制的に敵の手に堕ちた。
 純血種させらた者の中には幻想郷を裏切る事をよしとせず、血の乾きに処刑されるまで耐え続ける者も大勢おり、吸血鬼らはその凄まじい精神力を持つ妖怪達を畏れるようになり、それが一層酷い攻撃へと駆りたたせた。
 かつての味方、親兄弟、親友が一夜にして敵となって襲いかかり、同士討ちのような状況がこれ以後終戦まで続くことになり、兵力的な消耗と会わせて精神的な消耗が幻想郷軍を弱体化させていく。

 開戦から2年後、膠着状態から遂に劣勢になった幻想郷軍は各方面で戦線を後退させた。
 この時期、ようやく八雲紫が幻想郷の安定化に目処が立って戦場に現れ、厳しい戦況に自ら戦線に立ち、スキマの能力で神出鬼没に立ち回って敵の幹部など重要人物をスキマ送りにして暗殺し、吸血鬼の快進撃を止める事に成功する。
 吸血鬼側も八雲紫の能力を警戒して動く事が出来なくなり、紅魔城を中心に広範囲に紅い濃霧を発生させスキマを封じる事に成功したが、攻めに出られず戦況は再び膠着する。この時期戦線を押し返す気力を失った幻想郷軍は、主力の魅魔の軍勢が6割、博麗神社が5割、比良山が5割、そして最大の激戦区である鞍馬山が8割以上兵力を失い、主だった人材を多数失った事で数字以上に戦力は疲弊していた。

 約1年近く膠着していた戦況に変化が生じる。
 吸血鬼軍では、貴族穏健派から和睦の案が出され、それに猛反する武闘派との確執が深刻化。ここに来てアルカードが変心し武闘派を支持して穏健派の粛正を始める。
 大規模な粛正によって『ヴェントルー』以下、穏健派の血盟がほぼ死に絶えたが、その一部が紅魔城の脱出に成功し風見幽香に保護を求めた。

 この戦争時の風見幽香は、幻想郷の博麗の里を含めた南東部を担当し単独で行動していた。吸血鬼の様な大きな氏族を作らない小さな勢力に対して単身で挑んでそれを撃ち破り、幻想郷のルールを身を持って教え、それを繰り返し、一定の場所に留まらずに移動しながら戦闘を繰り返していたのである。
 吸血鬼側で大規模な粛正が行われた開戦から3年経った時期は、南東部は粗方平らげ、幽香に服従した者達が集まり勝手に風見組を旗揚げしてちょっとした軍団規模の集団となり、南部に突如現れた謎の竹林の調査をする直前だった。
 紅魔城から命からがら逃亡してきた吸血鬼の集団が幽香に保護を求めにやってきたわけだが、この時期、幻想郷連合軍から離脱してきた敗残妖怪達が多数風見組に鞍替えしていたため、彼らは吸血鬼を激しく拒んだが、連合軍に直接参加していない吸血鬼を知らない幽香達は、各地の様々な妖怪らを吸収し、死神すら配下に加えており、吸血鬼に対しても特に拒む理由もなく幽香はあっさり彼らを受け入れた。
 開戦から3年半が過ぎた頃、幽香に下った吸血鬼らが風見幽香を新しい主と決め忠誠を誓い、その証として吸血鬼の完全な滅ぼし方を教える。

 吸血鬼の始祖や純血種は、肉体が崩壊し灰になっても大地から生気を吸収し、蝙蝠や小動物に姿を変え、そのまま自身の寝床、主に棺桶に、戻って完全復活する事が出来る。
 紫外線に弱く、局所的には撃退は十分可能で護身方法も時間と共に開発されてきたが、それでも完全に殺す事は出来ず、戦線は行き詰まっていた。
 攻め込んで領地を回復しても誰かが捕まってしまえば敵の戦力を増やすだけで、またすぐに挽回される。
 こんな状況下で吸血鬼の完全な滅ぼし方を知った幽香は、すぐさま北部の魅魔に合流した。
 吸血鬼の滅ぼし方を得た幻想郷連合は、攻勢に出て捕らえた吸血鬼幹部を次々滅ぼして行き、博麗の歴代の巫女で最強と言われた博麗霊夢が天照大神を降ろして城を常時覆って擬似的な夜を作り出していた紅い濃霧を消し去り、籠城していた残存吸血鬼に対して幽香を先頭に疲弊していない風見組がを急襲し城内を制圧した。
 たった数日で数年に及んだ消耗戦が終結したのである。
 風見幽香が参戦して3日で城が落ち、当時この戦争に参加していた者はこぞって「神風が吹いた」とこの劇的な幽香の参戦と勝利に湧いた。風見幽香の妖怪最強説を確固たるものにしたエピソードである。

 この時期、戦争に関する実権はアルカードには無かったが、戦争を引き起こした責任を取る立場にあり、その後半年に渡って戦後処理が行われる事になる。
 この戦いで夥しい被害を出した鞍馬山と比良山、及び吸血鬼戦争の前哨戦ともなった治安維持活動を行った天狗勢は断固たる処置を求めたが、状況を意図的に悪化させた邪悪な吸血鬼の戦犯が一掃され、今後危険性が無いと判断した連合軍総大将の魅魔が温情を求め、その処分のあり方で幻想郷の各勢力が対立する。
 天狗勢と言っても彼らの意見はこの戦争に参加した全ての者の総意と同義で、八雲紫と博麗神社、大峯前鬼坊も当初これを支持し魅魔は孤立する。
 この戦争終結の立て役者ともなった風見幽香は、配下に吸血鬼がいることを理由に、吸血鬼の全てを死罪にしようとするそれらの意見に反対して魅魔側に付き交渉は難航。
 戦争首謀者のアルカード・ブルブラドの死罪は確定し、幽香についた吸血鬼は無罪とし、それ以外の吸血鬼は死罪とする吸血鬼王家滅亡の決定に魅魔が猛反対。
 自身が元悪霊であり、博麗神社の温情によって現在がある事を必死に訴え、このまま酷い仕打ちを架せば吸血鬼王は怨霊となって幻想郷に禍を起こすと、崇徳天皇に例えてその怨霊を静める為に未だに向こうの世界に留まる大天狗白峯相模坊の名を出して天狗の私怨を糾弾する大演説を行い世論の流れを変える魅魔。
 その後、博麗神社が魅魔に賛同し、吸血鬼の被害が最も大きかった鞍馬も私怨を捨て苦渋の決断をして魅魔に賛同。しかし、その他多くの妖怪、人間らの私怨を汲み取る形で八雲紫が最後まで重罪を訴え魅魔と対立し交渉はさらに難航した。

 アルカード・ブルブラドとは遠縁の戦時中に生まれた2人の子供を助命して王家は存続させる変わりに、生き残った一族は、王と共に全て死罪。
 その助命した子らを成人させない為に特殊な呪いを掛けて永久に子どものままの姿にすること。そして500年間の封印。更に幻想郷追放と、それらを全て魅魔自身で行う事を条件に、王家とは関係なく戦争にも直接参加していない無害な氏族と幽香に下った吸血鬼集団の助命が正式に決まる。
 重い罪を2人の乳児が負う事になったが、これ以上の減刑は望めず魅魔も了承し、戦後処理は一応の決着となった。


 部屋の四隅に灯る魔法の光がまるで和蝋燭の様にゆらゆらとやわらかく明滅し、程良く散らかった魔理沙の部屋にたたずむ3人の影を伸ばしたり縮めたりさせていた。
 魅魔は魔理沙のベッドに、妹紅は魔理沙の机の椅子、幽香は暖炉の前の椅子を移動させて三角に向かい合う。
 幻想郷の最強クラスの3人がこの狭い部屋に集っているわけだが、こんな稀な光景を見ることができるのは特別な資格がある者だけだろう。


「これが表向きの吸血鬼戦争の事の顛末だ。」
 八雲紫が引き起こそうとしている異変が、レミリア・スカーレットの漠然とした運命操作によって後戻り出来ない状況であると断定した魅魔は、レミリアとの関係を妹紅に問われ、その返答に吸血鬼戦争の故事が欠かせないものと判断し、今それを語って聴かせたわけである。
 思わぬ再会で取り乱し、その後落ち着いた風見幽香らの南部の部隊から見た戦争の感想も交え、話し終えた魅魔は妹紅のリアクションを待つ。
「・・・表向き・・・ってことは、裏もあるわけね?」
「察しがいいな・・・裏事情は幽香も知っている所が多いが、これから話す事は幽香はおろか、私とアルカードしか知らない極秘の話になる。」
 その言葉を聞いて幽香が閉じていた目を開いて魅魔を見る。先程大泣きしたせいで、白目が少し充血していた。
「・・・何となく隠している事があることは分かっていたけど・・・。」
「何故そう思う?」
「いくらなんでも、あの時の吸血鬼擁護はちょっと異常だったわ。」
「あの時は文字通り命懸けだった。」
「・・・魅魔を動かす重要な秘密があったってことね?」
 ここで妹紅が話に参加する。
「うむ・・・。妹紅は何か気付いた事はあるか?」
「そうね・・・恐らく正史にあるレミリアの両親と、本当の両親は違う・・・とか?」
 遠縁の赤子2人救う為に偉大な王アルカードが命を落とす理由が、この戦争を経験していない完全な第三者の妹紅には全く理解できない。それにアルカードには愛人がいた。その事がいつの間にか棚上げになっているのも不自然だ。
「ふふ、流石妹紅だ。その通り。あの姉妹の父親はアルカード本人だ。」
「な、なんですって?」
 その衝撃の事実をあっさり認めた魅魔の言葉に対し、驚きのあまり裏返った声を上げたのは幽香だった。
「ちょっと、それって大スキャンダルじゃない?もし他人にしれたら・・・。」
「だから極秘だと言っただろ?」


 開戦から2年が過ぎた頃、吸血鬼同盟軍の軍の実権は『トレメール』にあり、邪悪な戦術を駆使して遂には戦況を挽回し攻守が逆転した。
 数が減り続ける幻想郷軍に反比例するように数を増やす吸血鬼軍は、本陣山に肉薄し分厚い包囲網が構築される。
 八雲紫、藍の参戦で吸血鬼軍の指揮官が行方不明になり、包囲網として築かれた大規模な陣地は何とか切り崩して戦線を押し戻した幻想郷軍だったが、軍としての反撃能力が無く、そこから攻勢に出る事は出来なかった。
 一騎当千の強者による少数精鋭でゲリラ戦を挑み、戦線を不安定な状態に留めておく事で組織的な反撃を受け流し何とか戦線を支えている状態だった。

「この時期、アルカードの身辺に異変が起こった。愛人の『トレアドール』の姫、セレーネ・スカーレットが懐妊したのだ。」
「・・・スカーレット・・・あの姉妹は母親の姓を名乗っているのね。」
 吸血鬼の始祖族同士は子供を作る事が出来るが、強い個体同士の交配になるので、懐妊は稀で氏族の中で100年に一人生まれるか生まれないかの確率である。
 吸血鬼の伝説にある、吸血鬼を統べる真の王の誕生を思わせるこの懐妊は、『トレアドール』族の機転で公表はされず、『トレアドール』族の王家の一つスカーレット家の下級貴族の娘と『ヴェントルー』族に派遣されいた『ラソンブラ』の低ランクキーパーとの間の不義による懐妊騒動として処理され、その子供は真の王の資格無しとして無視された。
 この時期の懐妊は、伝説の具現としてひと騒動になってもおかしくないところであったが、吸血鬼の間では非常に地味で、野心のかけらもない『トレアドール』と『ラソンブラ』の間の子供では、それを担ぎ上げる側にとってもインパクトに欠けたのである。
 これがそのままアルカードの実子と公表されれば、王位継承、傀儡の道具として子供が利用されたはずである。その危険性を見越して『トレアドール』は公表もせず、更にアルカードにもそのことをしらせなかったのである。
 懐妊を報されず、絶世の美女最愛のセレーネ・スカーレットから愛人関係を一方的に解消されたアルカード・ブルブラドは、当時失意の中にあり、そこを『トレメール』につけ込まれて多くの側近が失脚することになり、『ヴェントルー』の勢力が大きく後退し『トレメール』に完全に実権が移った時期であった。

 「真の王はこの戦争を勝利に導いた者こそ相応しい」
 地味な種族の子供に王位を与えるなど許される事ではないと、当時の戦巧氏族達は自分達こそ王に相応しいと、このような言葉をしきりに触れ回り、城内に自分達に有利な世論を作り出していた。
 八雲紫の参戦で戦況が膠着した時、城内ではそうした政治的な派閥抗争が活発化していた。
 それから1年が過ぎた頃、セレーネ・スカーレットが2人の女児を携えてアルカードの前に現れ真実を告げる。
 愛する者との再会と真の王の誕生を喜び、その子らの行く末が平穏である事を願いアルカードはある決断をする。
 このまま吸血鬼が勝利すれば、紅魔城周辺の土地ごと、八雲紫によって葬りさられる可能性がある。そうなればこの子供達に未来はない。自分も含め邪悪な吸血鬼の勢力を消去し、幻想郷という新しい世界に共存を望む新しい吸血鬼の王国秩序を創ろうと考えたのである。

 話し終えた魅魔は一瞬間をおいて表情を堅くする。
「しかし、問題があった。」
 産まれたのは健康な女児だったが、産後間もなくセレーネのお腹がすぐに膨らみはじめ、胎内にもう一人いたことが判明したのである。
 恐らく双子だったのだろうが、人間なら胎内で死産してしまうところを凄まじい生命力で生き延び、残された胎児は自力で成長すると母親の腹を破って出て来てしまう。
「フランドール・スカーレット・・・ね。」
 語らずとも容易に想像出来る事であったが、妹紅はあえてそれを口にした。
 吸血鬼である母親は腹を割かれた程度で死ぬ事はなく、その過酷な運命を背負った血まみれの化け物を姉のレミリアと共に愛し育てた。
 不幸はそれだけではなかった。本来一つであるはずの運命を司る力が、姉のレミリアと妹のフランドールに別れてしまったのである。

「運命を司る力?操る力じゃなくて?」
 幽香が尋ねる。世間にはレミリアの能力は「運命を操る力」と知らされている。
「レミリアの持つ運命を操る力とは、目に見えて分かるもの、予測出来る確かな事、知識として備わっている事実に対してのみ発動出来るもので、例えば見知らぬ遠い異国の人物や、数百年後の未来といったものには全く関与できないのだ。」
「当たり前といえば、当たり前だけど・・・。」
「と、言うか、そこまで影響を与える事が出来たらちょっとやばいんじゃないの?」
 幽香と妹紅が魅魔の答えに交互に疑問を呈する。
「世界を統べる力だ、やばくて当たり前だ。」
「・・・姉の方はいまいち扱いづらいわよね・・・ということは妹の方に行った力の方が重要ってことね?」
「その通り。非常に強く危険な力『運命を紐解く力』がフランドール・スカーレットの側に備わってしまったのだ。」
「紐解く力?」
「運命について少し話そう。運命とはその人の人生、結末とそこに至る経緯の集積といえる。しかし、人それぞれとはいっても、実は多くの者が運命を共有しているのだ。」
 意味がいまいちわからず顔を見合わせる幽香と妹紅。教え甲斐のある教え子に向けるような表情になる魅魔。
「例えば、幻想郷を管理する紫が、その任を放棄し無に帰すとしたら、我々はどうなる?」
「そりゃー・・・逃げるか運命を共にするか・・・あ!」
 魅魔の問いに答えながら重要な単語を口にした事に幽香は気付く。
「運命を共にする・・・か。」
 妹紅が反芻するように呟く。
「ある時点では、人々には様々な未来があっても、紫が決断した時点でほぼ全員の運命が決まる事になるわね。」
 幽香が呻く様に眉間に皺を寄せる。
「そう。共同体の頂点にいる者次第でその共同体の運命は大きく左右される。そして、それら共同体は世界に無数に存在しており互いに干渉している。」
 100を内包する共同体の頂点の1さえ牛耳ればその共同体を自在に操ることが出来るというわけであり、国、政治とは、正にそうやって少数が多数を制御しているのである。
 妹紅と幽香が同じ様な仕草で考え込み始める。
「今回の異変は、紫と妹紅が関係するけど、それ以前に不死人狩りがあったり、さらにその前には妖の狩人とかいろんな経緯が折り重なって今になっているわよね?」
 思い出すように話す幽香。
「うむ。一つの結果が生まれるには、いくつもの経緯が存在し、必ず出発点となる所謂運命の分かれ道が存在する。」
「解く力っていうのは、最初に結果を導き出して、その結果に至る経緯を逆算するように辿っていって、事の発端になる人物や事件を探りあてることね?」
 右手の人差し指を立てて、頭の中で答えを整理しながら答える妹紅。
「流石に飲み込みがいいな。今回の異変の発端は紫と妹紅であり、解く力でこれをみれば、事の発端は約500年前の外の世界にある事がわかる。意図的に今回の異変を起こそうとした場合、少なくとも500年より昔に生きる者が運命を紐解いて、紫と妹紅との間に因縁を作るというプランを練り、操る者にそれを設計図のように分かる形で受け渡すという手間を取る事になる。」
「紐解く力と操る力が備わったら・・・世界そのものを好きにできちゃうわね?」
「これが吸血鬼の伝説にあった真の王の力・・・というわけね。」
「・・・余りにも強大な力は、得てして分けられて生み出される・・・。」
「自然の法則というやつかな・・・。」
 押し黙る一堂。幽香としては、正にあの時、運命の境界線にいたことになる。
「で、その力がフランドールに行ったということだけど、なんか今と違わない?」
 フランドールの能力は『全てを破壊する力』である。
「その秘密は今から話そう。」


 奇形で生まれたフランドール・スカーレットは異形な羽という見た目以外にも脳に障害を持ち、大人になれない可能性が高かった。
 素晴らしい能力を身につけていながらそれが生かせないどころか、それが返って子供のままのフランドールを苦しめる可能性が高く、親であるアルカードは吸血鬼の未来と可愛い娘の将来を思い悩む。
 アルカードの出した答えは、「リセット・ザ・ワールド」つまり、世界を作り直す事だった。
 真の王の資格を持つ姉妹の安寧の為には、現状の邪悪な吸血鬼支配を終わらさなければならなかった。しかし、今の惨状を見れば真の王が平和を望んでも、幻想郷の住人がそれを受け入れる事はまず不可能といえた。
 単なる軍同士の戦争なら大きな遺恨にはならないが、戦争は中盤から裏切りと苦痛、憎悪だけの戦いになっていたのである。
 現状政権のままでは、もはや幻想郷との和解は困難とみたアルカードは、ある決断をして魅魔と密会を求めた。
「この時のアルカードは、自分を含めて戦争に荷担した紅魔城の吸血鬼勢力を全て消去すると言ってきたのだ。」
「自分も?」
「アルカード本人は幻想郷に対して常に平和的に接したが、王として全吸血鬼に対して責任もあった。助命懇願すれば助かる道はあったかもしれないが、一族に引導を渡す役目を背負う者として自らの死は免れないと・・・。」
 魅魔の声が重くなる。
 アルカードは自分の持つ凄まじい能力で一族全てを消去出来る事は可能だったが、戦争の結末を幻想郷軍の勝利として演出する為に、吸血鬼の滅ぼし方を魅魔に教える。しかし、魅魔はその事実を知ってすぐさま実行すれば、それをどこで知ったかを味方に疑われ密会の存在、強いては幻想郷軍の勝利が単なる演出であるとバレてしまう事を怖れた。
 そこで魅魔は一計を講じた。
 魅魔の計略通り、アルカードは変心を装って自分の最も信頼する部下を粛正し、一部を放逐して風見幽香に下らせたのである。
「なるほど・・・連中が真っ先に私の所にきたのはそう言う裏があったからなのね。」
「半年ほど行動を共にしてから吸血鬼の滅ぼし方を報せるようにアドバイスしたのも私だ。幽香の事だから味方を売るような連中を信用しないとおもってな。」
「確かにね。あの時、仮に連中がすぐに吸血鬼の滅ぼし方を教えるとか言ってきたら、八つ裂きにしてやったわ。」
 幽香の性格を知り尽くしていると感心する妹紅は、面白くなさそうにしている幽香を見てつい頬が緩む。


 アルカードは娘達の行く末を案じ、特にフランドールの為に一計を講じた。
 自身の持つ、全血盟達を黙らせる強力究極の力『全てを破壊する能力』とフランドールの持つ『運命を紐解く力』を血の交換によって入れ替えたのである。
 血の交換は始祖族同士なら吸血された側も純血種にならずに、中身だけ入れ替える事が出来る。ちなみにアルカードは先代と血の交換をしてこの能力を受け継いでいた。
 アルカード自身は一度も戦場に出ていないので、その実力は分からなかったが、フランドールと同じあの力を持って戦場に出ていれば、たった一人で全ての幻想郷連合軍を撃破できただろう。
「なるほど・・・フランドールのあの力はアルカードの力だったのね。」
「強者揃いの吸血鬼達が、大人しく従う理由が分かったわ・・・。」
 フランドールの秘密を知った幽香と妹紅は思わず首を立てに振って納得する。
「運命を紐解く力を得たアルカードは、レミリアらの運命を紐解き、素晴らしい未来となる結果を探り当てて未来設計図を構築し、残される幼い娘にも分かる様にお伽話の本の形をした予言書を作り姉妹と共に私に託してきたのだ。」
「魅魔は、それを引き受けちゃったのね・・・。」
 敵の、それも大将である魅魔に敢えて頼む。戦国時代を影で生き抜いた妹紅は、似たようなエピソードを幾つか知っているが、ライバルと認める相手だからこそ信用に足ると魅魔を見込んだのだろう。
 その見込まれた魅魔は、幻想郷を敵に回してでも去りゆく王の想いを遂げられるように全力でこの姉妹の助命を図ったのである。
 スカーレット姉妹は、永遠の子供という呪いを掛けられたが、これは、子供である間は叛意無しという証となり、500年の冬眠もフランドールの脳機能を正常に回復させる療養時間になる。幻想郷追放も姉妹を任せられる知人が幻想郷の外にいたので都合が良く、厳しすぎると思われた姉妹への処分は、実は魅魔の計画通りの内容だったのである。

 王家復活のシナリオはアルカードにあり、魅魔はひとまずレミリア達を安全な場所に回避させる事に成功したのである。
 この事実が表に知れ渡れば、吸血鬼姉妹と魅魔は幻想郷の裏切り者として糾弾される事だろう。
「昨日の魅魔とは別人みたいな気概ね。」
 昨晩現れた魅魔は後悔の念に囚われ萎縮していた。そんな魅魔に妹紅は、「悪霊なら悪霊らしく振る舞え」と叱咤激励したのだが、500年前の魅魔は、幻想郷全てを敵に回す威勢があったのである。
 魅魔は照れくさそうに苦笑しながら一冊の本を懐から取りだした。
「それは?」
「アルカードがレミリアに贈ったお伽話の本のコピーだ。」
「予言書のコピーね。」
「うむ。」
 妹紅と幽香は同時に席を立って魅魔の座る魔理沙のベッドに集まり、先に手を出した幽香の手に予言書のコピーが渡る。
 内容だけをコピーしたものではなく、表装までそうしたのだろう。やけに豪華なその本は、どっしりとした重量感がある。表紙と裏表紙、背表紙は上質な布で装丁され角を三角形の薄い金属で補強され、表題も金属プレートが打ち付けられ、それら金属部分は綺麗な飾り絵が彫られている。
 特上製本されたその予言書の表題には『亡き王女のための七重奏』と書かれており、著者とは別の人物が表題を書いたらしく、表題プレートの下に小さく名前が刻まれていた。
 幽香はその名前に見覚えがあったような気がしたが、咄嗟に思い出す事が出来ず面倒なので記憶を探る行為を思考から遠ざける。
 本は分厚いが、ページに使われている紙も厚いので、見た目ほど総ページ数は多くない。
 その本をパラパラとめくる幽香は、ページが途中から白紙になっていることに気付く。
 手を出した妹紅に本を渡しながら、その白紙の意味を魅魔に尋ねる幽香。
「妹紅、ページが白になる手前のページに読める文字があるか?」
 外国の言葉で書かれているその本を妹紅は読むことが出来なかったが、魅魔に言われた通り白紙になるページの前に目をやって、その中から読めそうな文字を探す。
「えーと・・・・・・・・・ん?」
 一部人の名前と思われる漢字数文字を見つける妹紅。
「何?」
 何かに気付いた妹紅に幽香が興味を示し、妹紅の小さな肩に腕を回し、馴れ馴れしくその肩に顎を乗せて本を後ろから覗き込む。
「えー何々・・・『かくして 王女は、最も忠実な最高の僕を得る。その僕の持つ刃は、呪われた茨の檻を断ち切り王女の未来を切り開く・・・。その僕の名は、十六夜咲夜。』・・・。どっかで聞いた名前ね。」
「幽香、それ読めるの?」
 妹紅は十六夜咲夜という文字以外は読めなかった。
「当然よ。」
 幽香は魅魔から西洋の暗黒魔法を学んでおり、当然西洋の文字、言語はほぼマスターしている。ちなみに風見幽香は、日本土着の妖怪ではない。世界中を渡り歩く渡り妖怪で八雲紫の妹藍に出会うまでは日本に定住はしていなかったので、世界中の言葉を話す事が出来る全世界の妖怪の中でも稀有な存在である。紫と初めて出会ったのは南米大陸である。
「お前達、十六夜咲夜を知らんのか?私が知っている限りでは当時、幻想郷に流れ着いたばかりで、まだ名前もないし、従者にもなっていなかったが・・・。」
 当時というのは、魔理沙の事件より数年前の事である。
「ああ、思い出した。紅魔館のメイドね。」
「レミリア・スカーレットと一緒にいた銀髪の・・・。」
 妹紅も幽香も弾幕での対戦で顔と名前は知っているものの、それ以外で面と向かって会話らしい会話をしたことがない。
 魅魔としては、十六夜咲夜として名が知れているという情報だけで満足だった。
「十六夜咲夜として名を与えられているということは・・・つまり予言は成就されているわけだな。」
「500年前の予言よね、それ?」
「そうだ。この予言書には吸血鬼の歴史と、今回の吸血鬼戦争、アルカードとセレーネの恋沙汰、レミリアの誕生などが順に書かれ、レミリア自身がその本の主人公が自分である事に気付き、その後の目覚めから友人との出会い、幻想郷への復帰、咲夜との出会いが書かれているというわけだ。」
「今、幽香が言った内容だと、咲夜がレミリアの未来を切り開く切り札みたいな感じね。」
「その後何も書かれていないってことは、咲夜さえいればあとはOKってこと?」
 500年の昔、フランドールと能力を入れ替えたアルカードは、運命を紐解く力によって、レミリアが将来呪いから解き放たれて成人し、亡き父の代わりに新たな吸血鬼の秩序と平和的な幻想郷との共存関係を構築出来る事を目指して、子供向けのお伽噺の形をした予言書を残した。
 現在レミリア・スカーレットは幻想郷にあり、予言書通り十六夜咲夜を僕とした。ここまではアルカードのシナリオどおりだ。
 しかし、その後レミリアが成人し、平和的な幻想郷との共存に繋がると思われる、十六夜咲夜以降の続きが書かれていない。
「予言書にしては中途半端じゃない?」
 当然の疑問である。
「最後のページを見てくれ。」
 そう言われて妹紅は何も書かれていない白紙のページをパラパラとめくって最後にたどり着き、未だに妹紅に絡み付いている幽香にそのページを見せる。
「何々・・・『かくして 美しく成長した王女は、悪しき憎しみの連鎖を断ち切り平和の女王となる・・・。』めでたし、めでたし。」
 最後のめでたし、めでたしは幽香の脚色であるが、内容を見れば、恐らくレミリアの呪いが解けて成人し、吸血鬼戦争の様々なしこりが消えて、吸血鬼という存在が幻想郷で認められると理解出来る。
「途中で書くのを止めた・・・というより、何か理由があってわざと書かなかったという感じね。」
 幽香が率直な意見を述べる。
「妹紅はどう思う?」
 魅魔が意味ありげに妹紅に問うが、それに対して妹紅は不満げに答える。
「魅魔はどんな答えが欲しいの?」
「どういう意味?」
 急に不機嫌になる妹紅と魅魔とを交互に見ながら幽香がキョトンとする。
「ふふ・・・私の意図が分かるか・・・。」
「だからどういう意味よ?」
「その吸血鬼戦争とレミリアの話は、今回の異変には関係ないようで実は関係している。」
「それで、どこが関係していると思う?」
「その白いページがそれよ。」
「何で白ページがそれなのよ?」
 意味がわからず先程から質問ばかりの幽香。しかし、妹紅はそれに対してではなく魅魔の最初の問いに答え続ける。
「レミリアの漠然とした変身願望がトリガーになって、今回の異変が後戻り出来ない状態になっている。」
「それで?」
「本来書くべきであるページに何故何も書かなかったか・・・それは、書けない理由があった。レミリアに漠然とした、そう漠然と悶々と想い悩ませる必要があったから・・・。」
 この本が十六夜咲夜のところで終わっているなら、単なる書きかけという理由も付けられる。しかし、長い空白の最後に最終的な結末が書かれている。この意味は、意図的に書かなかったと見るのが自然である。
「ちょっと待って、なんでそんな事わかるのよ?」
「私は、すべて理解して話しているわけじゃない。魅魔が何故この話をしたか、その意味を探そうとしてそう結論しただけよ。」
 妹紅は自分で言った言葉をすべて理解していたわけではない。単に魅魔が好む答えを探して答えただけである。
「流石だな妹紅。」
 魅魔は妹紅を賞賛し、次に幽香に視線を移した。
「明確な何かを文章として残せば恐らくその通りに実行する・・・でも、平和的共存という条件を満たすためには、全てを見せてはいけない・・・ってこと?」
 幽香も妹紅に倣って自分で理解する事を一先ず後回しにして魅魔の欲しそうな答えを自分なりに導き出して見る。
「うむ。」
 魅魔はそんな幽香を見て満足そうに微笑む。
「身体だけではなく精神面でも大人になっていなければならない・・・ってことね。」
 指示通り動いても心は成長しない。様々なストレスの中でそれを自力で乗り越え成長するのである。
「心を揺さぶる大事件・・・なるほどね。今回の異変は正にレミリアの心に火を付けそうね。」
 妹紅と幽香の答えを受けて目を細めていた魅魔はすぐに厳しい表情に戻る。
「ただ・・・一つ解せないのが、平和的な共存の実現にとって絶対外せない要素である天狗に関してだ。これは今の限られた状況と情報では何も見えてこない。」
「まーあの戦争は幻想郷連合とは言っても、ほとんど天狗対吸血鬼よね・・・あ、ああ!」
 吸血鬼戦争に直接関わっていない部外者に近い幽香が、その戦争の本質を見抜くが、そこで重要な事を思い出して大声を出した。
「ちょっと!どうしたのよ!」
 耳元で大声を出された妹紅は幽香から飛びのいて肩耳を塞ぎながら抗議の声を上げる。
「思い出した!この異変って天狗側の要請に応えるという側面もあったのよ!」
「何だと?何でそんな重要な情報を黙っているんだ?」
 魅魔が怒気を含んだ言葉で幽香を責めるが、先程再会したばかりで、これはちょっと幽香が可愛そうである。
「だ、だってぇ・・・。」
 理不尽な魅魔の物言いにムキになって反論するかと思った妹紅だったが、意外にも肩をすぼめて魅魔に言われっ放しの幽香。2人の関係が良く分かる構図である。
「で、具体的にはどうなの?」
 幽香が可愛そうなので助け舟を出す妹紅。
「これは紫から聞いた話だけど、鞍馬が何かやらかそうとしているらしくてね。」
「天狗も長い間平和で行き詰っているか・・・。」
「ええ。それで鞍馬が何か企んでいるのを比良山様が感づいて、こっち側で大きな異変を起こせないかって紫に相談したらしいの。」
 鞍馬と面識があり、しかも頭が上がらない幽香は、鞍馬山僧正坊を鞍馬と呼び捨てにし、一方で面識のほとんどない比良山次郎坊には様をつけて呼び分けている。
「これで全部繋がったな・・・。」
 天狗もこの異変に一枚噛んでいる事が判明し、魅魔はこの異変と吸血鬼の問題が偶然ではなく必然だと断定する。
「この異変で、吸血鬼と天狗双方になんらかのインパクトを与えるとして、その後は投げっぱなし?」
 妹紅が率直な疑問を口にする。
「予言書には続きがないし・・・。」
「鍵は十六夜咲夜・・・次は彼女と・・・そして私の大切な友人の話もしよう。」
 思わぬ方向に発展した魅魔の話は、更に混迷を深めていく。

東方不死死 第30章 「再会」


 藤原邸に一人取り残された風見幽香は昼間から同じ場所に正座したまま、陽も暮れてすっかり闇夜になった幻想郷をぼんやりと眺めていた。
 妖怪としては珍しい昼行性の幽香は、夜目が余り効かず暗視性能が低い。ただ普通の妖怪よりも感応性が強く戦場では感じながら勘で行動する。地面に立っている幽香は大地と植物を通じ、戦場全てを自分の触覚とすることが可能で、地に足を着ければ幽香は文字通り最強になる。
 その代わり空中戦が苦手で妖怪の中では最低レベルの飛行速度を誇り、面倒な駆け引きよりも接敵必殺を好む接近戦志向であるため、スペルカードルールのいわゆる弾幕射撃戦が嫌いである。
 しかし、空中戦が苦手、弾幕が嫌いといっても、いざ戦いとなると圧倒的なパワーの前にそこらの妖怪ではまず太刀打ち出来る相手ではない。


 縁側から見える闇の世界を鮮明に見通す事は幽香には難しいが、闇に浮かぶ光点や光の軌跡を人間の目と同じように美しく幻想的に見る事が出来、前方の竹林の低くこんもりとした黒いシルエットも不思議な陸の孤島に見える。
 どれくらいそうしていたかわからないが、前方の景色に突然揺らぎが発生し、何もない空間に横一直線の線が出来る。
「(紫・・・。)」
 それが八雲紫の作るスキマである事は明白で幽香に緊張が走る。
 空中の黒い筋は中心にファスナーの役目をしているリボンが現れそれが両端に向かって移動すると、張りが緩むようにスキマがぱくっと開き、そのスキマから八雲紫が現れ開いたスキマに腰掛ける。
 スキマの上にどうやって乗るのか、その原理は謎であり、見慣れたはずのこの光景にもかかわらず未だに慣れない幽香である。
「こんばんわ、幽香。」
「妹紅ならいないわよ。」
 素っ気なく返答する幽香。
「妹紅は今藍と話をしているし、私は幽香に会いに来たのだけれど・・・。」
「何の為に?」
「幽香の怪我が治った事のお祝い・・・。」
 幽香は一瞬ギクリとした。妹紅との間で怪我人のふりをしている事を約束したが、その事がばれているのだろうか。だが、この時の幽香は何故か冷静で、いつもなら狼狽えるところであったが、紫の語尾の微妙なニュアンスが不確かなものと判断し嘘と見抜いて上手く切り返した。
「うそばっかり・・・お祝いに来たのなら手ぶらなわけないでしょ?」
「ふふ・・・気が安定しているから治ったと思ったわ。」
 紫は特に妹紅との密約については知らないようだった。気の安定を見て咄嗟に思いついた事を口にしただけのようである。
 これは、言葉に皮肉や嫌味を込める紫の悪い癖で、基本的に根が正直で真っ直ぐな幽香は紫との会話が好きではない。酒でも飲まなければ正直まともに話す気にはなれないのだ。
 紫との会話が嫌いな理由はもう一つある。そうした紫の思いつきの言葉に偶然図星を取られてしまうことがあり、根が正直な幽香は、そのリアクションでいらない事まで紫に教えてしまうのだ。
 しかし、今回は狼狽えず冷静に対処できた。
「そりゃー昨日よりはだいぶマシだけど?で、私のお見舞いに来た・・・ってわけじゃないんでしょ?」
 いつもの幽香ならそれに気付かずみっともなく狼狽えて嘘がばれるところである。
 月面戦争の大敗で唯一幻想郷側の面目を守った撤退戦での幽香の活躍は、紫を色々な意味で救い、紫は幽香に対して大きな恩を感じている。その紫は、幽香との精神的なベクトルの違いを知り尽くしているので、自身の企み事が幽香にストレスを与える事を知っており、極力自分に関わらせないように気を遣っていた。
 それなのに会えば会ったで、いつもひねくれた態度しかとれない紫であり、古い付き合いにもかかわらず相反する性格の為会えば必ず口論になる。
「(危なかった・・・。)」
 それにしても、よく冷静に乗り切れたものだと自画自賛する。これも妹紅と付き合い初めた所為だろうか?
 妹紅は明らかに自分の見えないものが見えている。深慮遠謀で師としても尊敬する魅魔とは違うタイプだが、それに感化されたことで用心深くなれたとするなら、ここは妹紅に感謝しなければならないだろう。


「今頃藍と妹紅は話をしているところね・・・。」
 南向きの縁側の外から北側にいる幽香に向かって話している紫は、屋台のあると思われる東の方角を遠い目で眺めつぶやく。
「で、何の用?」
 素っ気ない幽香であるが、酒が入らないとお互い本音では語らない。いつも通りの反応である。
「魅魔や幽香には悪いけれど、今回の異変で吸血鬼をやり玉に挙げさせてもらうわ。」
 正面に向き直った紫は真顔になって唐突に確信を述べる。
「私には関係ないでしょ?」
「レミリア達の事は確かにあなたとは関係ないけれど、吸血鬼を罪人にすれば今度こそ幻想郷規模で吸血鬼の排斥運動に発展するわ。そうなればくるみ達の一族も無関係ではいられないでしょ?」
「くるみ達と縁を切れと言うの?」
「そうじゃないわ。私としても彼らに恨みがあるわけじゃないから。どこか安全な場所を確保するわ。」
「安全な場所?」
 そんなところがあるとも思えない。
「旧地獄あたりはどう?」
「・・・。」
 幽香は何か反論しようと思ったが、行き来出来る身近な場所で幻想郷の外という扱いになっている旧地獄は意外と名案かもしれないと思う。
「幻想郷にとって吸血鬼は目の上のたんこぶのようなもの。取り除かなければならないわ。魅魔が自殺ともいえるような異変を起こしたのは、吸血鬼の為に尽力した魅魔の最後の義理・・・ということかもしれない・・・。」
「・・・。」
 紫の言葉に反論出来る言葉が見つからなかった。確かにあの博麗神社への攻撃は幽香も意味が分からなかった。魔理沙を助ける時はあれほど頼りにされたのに、その後何も相談せず、まるで熱病にでもかかったかのように、あっという間に始めてあっという間に終わり、そして幻想郷から消えた。
 紫が幻想郷に復帰する時期を見越して、勝手に吸血鬼を幻想郷に再入させた罪を償う為、身をもってそれを示したということだろうか?それにしても魅魔が何故そこまで吸血鬼に肩入れするのかも分からない幽香である。


「・・・分かったわ。好きにしていいわ。」
「ありがとう幽香。それじゃ・・・お大事に・・・ね。」
 紫は珍しく幽香に頭を下げてお礼を言うとそのまますぐにスキマに消える。
「・・・妹紅。」
 紫が去った後、幽香は妹紅の名前を無意識に口にした。
 何故、自分を魔理沙の家に呼ぼうとするのか?何を見つけたのか?まさか魔理沙が一度死んだ事を見破ったのか?
「まさか・・・ね。」
 いくらなんでもそれはないだろうと思う幽香であるが、その想像の遙か上を見せつけられるとは、この時の幽香は思いもしていなかった。


 九尾のささやかな宴は、主催者の退場によってお開きとなったが、宴の主役藤原妹紅は席に残ったまま一人考えに耽っていた。
 この会合で三賢者会議というものを初めて知った妹紅。自分の知らない場所で、何かが執り行われている事を知った。妖術使いの里でも下っ端の頃は上で何が執り行われているか知らなかったし、知ろうともしなかったが、その立場にいざ就いてみると世界の見方が大きく変わる。
 目の前で無関心を装いながらこちらを気にしている屋台の店主、ミスティア・ローレライの見ている世界と、八雲藍などの見ている世界は同じ幻想郷であっても全く違うのだだろう。
 そして、自分がその中間、節目にいる事を理解する妹紅である。藍が自分を会議に参加させたくないとう本当の理由は、異変や幽々子の件ではなく幻想郷の核心に関わらせたくないという事ではないだろうか。
 最初から関わる気の無い妹紅としては、むしろ藍の申し出は有り難いが・・・。
「ふー・・・。」
 アルコールを含んだ熱い息を吐き酔いを楽しむ妹紅は、何気に視線を巡らすと店主のミスティアと不意に目が合う。話しかけるタイミングを見ていた店主がここぞとばかりに妹紅に話かけてくる。
 妹紅の事などを次々に質問してくるミスティアを上手く切り返して質問し返し、屋台を始めるきっかけや苦労話を聞きだす。いつの間にか会話の主導権を握られるがそれに気付かないミスティアは、色々な事をしゃべる。
 特別おしゃべりというわけではないミスティアだが、妹紅が上手く話を引き出して、昨日の魔理沙の様に、話し出したら止まらない、聞いてほしくてしようがないという心理になっていたのである。
 何故屋台をやり始めたのか興味があった妹紅はそれとなく話をそちらに持っていく。
 店主の話によると、拾った屋台を里に売りに行ったら思いの外高値が付き、これは金の種になると閃いて売るのを止め、その後香霖堂でこの屋台の使い方を教わり今に至るというわけである。
 これが鳥を焼く設備だと知った時は同じ羽の生えている生き物としてそれを断固拒否し、何か他の事で商売に使えないかと、この近辺では親分格であり、更に里の情報通でもある風見幽香に相談したところうなぎを勧められた。
 うなぎなんか食えるかと最初バカにされたと思ったミスティアだったが、幽香にそれを言うと、妖しい笑みを浮かべられそのまま首根っこ掴まれて里のうなぎ専門店「藤重」に連れて行かれ、タレだけでも飯が100倍美味くなると言われるうな丼をご馳走になり、そこで余りの美味さに感動し自分もうなぎでやっていこうと決意したらしい。
 出店に際しても風見幽香に何かと便宜を図ってもらったせいもあり、色んな意味で頭が上がらないそうである。上位妖怪は頼られると気を良くして下の者の面倒を良く見る親分肌の気質を持つものが多く、風見幽香もその例外ではなかった。
 色々な話をしているうちに気を良くしたミスティアは、妹紅を幽香に紹介してやっても良いなどと胸を叩いて言い出す始末である。この時のミスティアは藍との対等の会見内容を忘れ妹紅を完全に下に見ていた。これも妹紅の「相手から過小評価される程度の能力」のおかげかもしれない。
 妹紅はそんなミスティアの態度に気分を害するどころか面白そうに見ながら、とりとめのない話をだらだらと続けていた。どのくらいそうしていたかわからないが、不意に背後に人の気配がして客が一人暖簾をくぐった。
「こんばんわ。」
「!」
 背後から聞こえた聞き慣れた声に驚いて思わず振り向く妹紅。そして、見慣れた恩人の顔に嬉しそうに応じる店主ミスティア。
「あ、いらっしゃい、幽香さん。」
「あれ?幽香、あんた何しにきたの?」
 妹紅はこの後家に戻って幽香と合流する予定だったが、その幽香が待ちきれず屋台に来てしまったのだ。
「こんばんわミスチー。つれないわね妹紅。退屈だからきちゃったわ。」
 開口一番は店主に、次に妹紅に口をとがらせて言い訳がましく言う幽香。
「え?あれ?」
 これに驚いたのはミスティアである。この2人が知り合いだということは全く知らなかった。2人が親密になったのはつい先日の事なので、2人が知り合いで同居状態でもあることもミスティアだけでなくほとんどの妖怪も知らないだろう。
 ミスティアの妹紅を見る目ががらりと変わる。先程の藍との会見は妹紅に借りがあったために下手の態度に出ていたと思っており、不死人狩り件も決着が付いたとみて、妹紅との関係は対等くらいに思っていた。しかし、風見幽香までもが妹紅に対してタメ口で、どちらかというと下手な感じで話かけているので、藤原妹紅という存在は自分が思っている以上に大物なのかもしれないと思い始めたのである。
 八雲藍、風見幽香といえば、幻想郷でもトップクラスの強者である。更に幻想郷にも知れ渡る大物、閻魔や西行寺幽々子の名前も先程の会話に出ており、閻魔にいたっては明らかに格下に見ているようでもあった。
 そんな大物に対して、不死人狩りで納得いかなかった事を問いつめた事を思い出し、物凄くやばい事をしてしまったと後悔する。
 更に、今さっき幽香に紹介するなどと大きな事を言ってしまい恥ずかしくて穴があったら入りたい心境だった。


 先程まで藍と会見し、戻ってくる可能性もないわけでもない。その後監視されている可能性もあり、幽香の来店は少しばかり軽率ではないかと妹紅は抗議の目を向ける。
「大丈夫よ。藍はもう戻って来ないわ。」
 先程の方針の伺いを立てに紫が来た事を考えると、今頃藍と具体的な内容を詰めているところか、一段落ついて酒を飲んでいる事だろうと、それらを「大丈夫」の根拠とする幽香。
「何で分かるの?」
「何となく・・・ね。」
 妹紅は幽香の適当な返答に眉をひそめたが、意味ありげな目の奥の光を見て、何か核心を得ての事のように思えて抗議をやめる。自分にはわからない八雲一家特有の行動パターンでも知っているのだろうか?
 先程の件を仕事と位置付けるなら、一仕事を終えた藍は今頃晩酌かもしれない。妹紅の様に裏事に長けそれを生業とするものならともかく紫や藍はそれを好んではいるものの生業とはしていないだろう。彼らの生業は管理者としての統治作業であり、現場で汗を流すタイプではない。
 そこまで考えて、彼ら八雲一家に諜報を専門とする部下がいるのかどうか疑問になった。彼らは能力が高く、それらを賄える能力が備わっている為に、敢えてそう言う存在を置いていないのかもしれない。いや、実は存在して妹紅にすら感知出来ていないのかもしれない。
「(考えすぎだな・・・。)」
 考え出すと限が無いと現実に返った妹紅は、幽香をじっと見つめ、そして幽香もこちらをじっと見つめている事に気付く。
「ふふ、どっか行ってたわね。」
 思考に没頭して心ここにあらずの妹紅を「どこか別の場所にいる」と言う表現で、その変わった妹紅の性癖を面白がる幽香。
「コホン・・・一応、大人しくしててよね。」
 一つ咳払いをして、怪我人であるということを頭に入れておいてくれと注意する妹紅。
「ふふ、ありがと。ミスチー、一杯お願い。」
 妹紅の言葉を同席の許可と判断した幽香は、嬉しそうに店主に酒を注文する。
 コップになみなみと注がれたお酒をそのままカーっと一気に喉に流し込む幽香。妹紅はびっくりしてその様子を眺めていたが、この様な飲み方は幽香だけの事ではない。内蔵の強い妖怪は人間の様にちびちびと飲むと、酔う前にアルコールを分解してしまうので、最初に大量に飲んで酔いという名のダメージを身体に負わせるのである。そうしないと酒を飲んだ気になれないのだ。
 考えてみれば妖怪と親しく酒を飲むなど初めてだった。先程の藍は一緒には飲んでいたが、明らかにこちらにあわせて手加減していた感じだ。
 ふぅと熱い息を吐いた幽香の顔が見る見る赤味を帯びる。人間がこんな風に飲んだら青くなってそのまま倒れて返らぬ人になりそうだが、この妖怪はほろ酔い気分といったところである。
「で、いつ頃行くの?」
「そうね・・・今何時頃かしら?」
 幽香に魔理沙の家に行く時間を聞かれた妹紅は、0時前には行きたいと思っていた。
「えーと、今8時過ぎたところですね。」
 携帯するには大きい、明らかにどこかで拾ってきたような小汚い丸い目覚まし時計を自分だけが見える位置に吊していたミスティアは、誰に言ったわけでもない妹紅の問いに店主として気を利かせる。
 時計を客の方に見せないのは客が時間を気にしないようにする配慮かと思った妹紅だが、妖怪はそもそも時間を気にしないので考え過ぎかもしれない。
 ただ、ミスティアの場合は商売をしているわけだから、酒や食材などを里から卸さなければならないので否応なしに人間の都合に合わせなければならない。つまり時間や約束を守る概念を身に付けなければならないのだ。
「まだ、時間はたっぷりあるわね。」
 0時まで3時間以上あるとボソっと呟いた妹紅の声を聞いて嬉しそうにする幽香。それまでずっと飲んでいられるからだ。
 妹紅と幽香は特に異変の事には触れず、魔理沙の件にも触れず、ミスティアを交えてとりとめもない話に興じ、そして1時間程が経った時、誰かが来たのか屋台の外で声が聞こえてきた。2人いるようだが、いずれも聞き覚えのある声だった。
「あれ?提灯ついてないけど、もう閉めたのか?」
「いえ、やってますよ。どうぞ、どうぞ。」
 紺色の生地に白抜きでうなぎと描かれた暖簾をかき分けて出て来た見慣れた顔に店主が笑顔で応じて招き入れる。
「あれ?妹紅じゃん!それに、ゆうかりんまで・・・。」
 やってきたのは霧雨魔理沙と博麗霊夢である。
 妹紅はこれから行こうとしている魔理沙の家の当主本人が来てしまった事に内心驚いたが、それを表情には出さず「よう」と軽く挨拶を交わす。昼間食べた兎の残りを霊夢にお裾分けするように助言したのが妹紅であり、その流れで晩飯を共にしてそのまま飲みにいくか!という流れだろうとすぐに理解できた。
「うげ、幽香いるじゃん・・・私今日はパス。悪いけど魔理沙また今度ね。」
 幽香を見つけた霊夢が、本気で嫌そうな顔をして帰ろうとする。余程幽香が嫌いなのだろう。
「お、おい!霊夢待てよ!」
 慌てて止めようとする魔理沙だが、霊夢を立ち止まらせたのは魔理沙ではなく妹紅の一声だった。
「霊夢、今日は私のおごりよ?」
 おごりと聞いてピクっと身体が反応し、そしていそいそと席に戻ってくる霊夢。
「いいな!私は?私は?」
「もちろんみんなにおごるわよ。」
「やりー!」
 喜ぶ魔理沙の様子から少し酒が入っているのが分かるが、晩飯といっしょに軽く一杯やって来たのだろう。物足りないので屋台に来たという流れと断定する妹紅。
「いいの?」
 幽香は霊夢の機嫌を戻すために損を被ろうとするなら自分が席を立つかと普段なら絶対思わないような遠慮した態度をとり妹紅に気を遣う。この時、藍のおごりで飲んでいる事を知らないのだ。
「キツネの金よ。」
 その幽香の気遣いの言葉に対して、霊夢と魔理沙には聞こえない小さな声で答える妹紅。
「ああ、なるほどね。」
 妹紅の羽振りの良さの秘密が分かった幽香は安心する。
 その後妹紅は幽香と席を取り替え、霊夢と幽香が席の両端になるようにして、ミスティアから見て右から幽香、妹紅、魔理沙、霊夢の席順になる。
「ところで魔理沙。」
 右隣に座った魔理沙に声を掛ける妹紅。
「ん?何?」
「ゆうかりんって誰?」
 魔理沙が屋台に来て最初に声に出した中にそれがあり、だいたい分かっているが敢えて聞く。
「そこにいるじゃん。」
「妹紅も良かったそう呼んでいいのよ?」
 ゆうかりんと呼ばれて満更でもない幽香。兎に角この妖怪は可愛いものが大好きで、当然ながら可愛いニックネームも大歓迎なのである。ただ、それはあくまで親しい間柄に限ってのことで、見ず知らずの通りすがりが「ゆうかりん」などと呼ぼうものなら半殺しにされるのは間違いない。
「ゆうかりんだって、いい歳してばっかみたい。」
 うんざりした口調でバカにする端っこの霊夢。歳はこの際あまり関係ないような気がすると思う妹紅であるが霊夢の意見には賛成である。
「霊夢にも何かニックネームつけてあげようかしら。」
「やめてよ!恥ずかしい!」
 それを聞いた魔理沙が何か考えはじめるのを見て、隣の金髪の耳をつねって止めさせる霊夢。
 霊夢は酷く幽香を嫌っているが、霊夢の心理はある程度妹紅は理解出来る。それを幽香が理解しているかどうかはわからないが、霊夢に何を言われても腹を立てる素振りを見せない幽香は立派だと妹紅は関心している。他の者ならこうはいかないだろう。この関係から見て、霊夢から幽香に対する思いはともかく、幽香から霊夢に対する思いはそれなりに大きいと伺える。それだけに幽香が少しかわいそうな気もしないでもない。
 魔理沙は霊夢同様昔から幽香を知っているが、魅魔が隠れた後、香霖堂の店主森近霖之助などと共に面倒を見てもらっているので悪い印象が全くない。今はもう様子を見る為に出向く必要もなく、むしろ魔理沙の方から時々遊びに来る。先程の「ゆうかりん」というニックネームもその親しさの表れである。
 いずれにしても、幽香にとって魔理沙も霊夢も可愛い姪っ子みたいなものなのだろうと妹紅は思うのだ。


 大声で陽気に騒ぎながら飲む魔理沙とは対照的に霊夢は落ちついて一定のペースで飲んでいる。幽香を警戒してそうしているというわけではなく、普段からこういう飲み方である。
 ペースの速い魔理沙は潰れるのも早く、そのおかげで酒量は度を超すことがなく次の日にほとんど響かない。ただ酒の席ですぐに寝るので一緒に飲んだ人が迷惑する事この上なく、そこは誉められたものではない。
 霊夢はマイペースに静かに飲む方だが、一定のラインを超えるとべろんべろんになって陽気に騒ぎだす。元々酒に強い事もあって酒量が多く、そこまで行くと確実に二日酔いになる。一緒に飲んだ次の日、魔理沙がケロっとした顔で神社にやって来て、それとは対照的に、二日酔いで寝床から出れない霊夢である。


 それから時間が過ぎ、魔理沙の音頭で4人揃ってから3度目の乾杯。
「魔理沙、ペース早いわね・・・。」
 魔理沙の左隣の妹紅が心配する。宴会の席以外でたくさんの知り合いとこうして飲むのは魔理沙としても初めてで、いつも以上に張り切って飲んでいるようである。
「魔理沙ってば、飲むの下手なのよ。どっかの妖怪みたいにカーっと飲むからすぐ潰れるし。」
 花見など宴会の時は最初からハイペースで陽気に飲むが、普段は落ちついて飲む霊夢。
「いいんだよ!楽しければ!な!ミスチー!」
 細かい事は気にしない魔理沙らしい答えであるが、何故か店主に同意を求め、その不意打ちに戸惑うミスティア。幽香も言っていたが「ミスチー」が店主の愛称のようだ。
 妹紅としては魔理沙のペースを健康面で心配するものの、このまま早く酔い潰れてもらった方が魔理沙を家に送り届けるという大義名分が得られ、当初こっそり忍び込もうと目論んでいたが、堂々と家に入れる口実が出来るので都合がいい。。
 この4人の中で異変の事を知っているのは、魔理沙以外の3人である。魔理沙の口からそれらしい言葉が出てこないということは、霊夢は魔理沙に何も喋っていないということだろう。霊夢としては、魔理沙や魅魔の秘密は知らないし、魔理沙は今回の異変とは無関係と判断しているようだ。賢明な判断だと妹紅は思う。
 霊夢は、勉学の面はどうかわからないが、頭の回転が速く、しかも勘が良い。事前に口裏を合わせなくてもちゃんと空気を読んで適切な判断による選択が出来る。
「それにしても意外だよなー。」
「何が?」
 魔理沙が急にしみじみと言うので霊夢がその理由を聞く。
「妹紅とゆうかりんが飲み友達だったなんて。」
 たまたま相席になったという見方はしないのだろうか。まぁ、ほとんどくっ付いて座っている様をみれば偶然居合わせたようには見えないだろうから魔理沙の判断は間違ってはいない。
「それを言うなら魔理沙と妹紅も知り合いみたいだけど、それも意外じゃない?」
「私と妹紅は前から知り合いだゼ!」
「それは弾幕の話でしょ?」
「真の友達っていうのはな、言葉じゃなく弾幕で語り合うのさ。」
「何わけのわかんないこと言ってるのよ、この酔っぱらい。」
「ってかさ、霊夢も妹紅と知り合いっぽいけど、お前真っ先に妹紅倒しに行ったじゃんか!」
「そりゃー・・・あれよ、弾幕で語り合ってたのよ。」
「なんだそりゃ?私といっしょじゃん!」
 ゲラゲラと笑いだす魔理沙。妹紅も幽香もそれを聞いて同時に吹く。
「私も語り合いましたよ?」
 そこで店主のミスティアも話に割り込んでくる。
「おお!そうか!ミスチーもか!ってか、妹紅が幻想郷で一番友達多いんじゃないか?」
「そうかもね。」
 魔理沙に合わせる妹紅だが、異なる相手との対戦総数は幻想郷中を見てもダントツに多いのは間違いない。魔理沙的に言えば確かに妹紅の交友関係は広いと言える。


 偶然始まった4人の宴会は、2時間が過ぎた頃、1人酔い潰れて今は3人が飲んでおり、屋台は少し静かになっていた。
「ねぇ、その後どうなの?」
 カウンターに突っ伏して気持ちよさそうに熟睡している魔理沙の頭越しに霊夢が妹紅に話しかける。
「実はさっきここでキツネと話してた。」
 霊夢の質問の意味をすぐに理解した妹紅は、さっきまで藍と会っていた事を告げる。
「・・・なるほど・・・おごりってそういう事だったのね。で、口止め料も含んでいる・・・と。」
 知らん顔している店主を睨みながら、この面子がここにいた理由がわかる霊夢。この時は霊夢は、幽香もそのキツネの会合にいたと思っている。霊夢が来た時に2人が並んで飲んでいたのでそう判断するのは自然といえる。
「で、何か決まった?」
「まだ何も。でも、明後日紫と会う約束をしたわ。恐らくそれまで具体的な事は何も知らされないと思うわね。」
 会う約束と同時に会わない役もしている妹紅。
「ふーん。」
「霊夢の方は何も?」
「まあね。で、幽香は何も聞いてないの?」
「さあ?」
 先程ここに来る前に紫と会っている幽香は、吸血鬼を敵に回すという決定事項を知っている。しかし、吸血鬼レミリア・スカーレットが霊夢を気に入っている事を知っている幽香としては、それをここで言っていいものか迷い、とりあえずとぼけることにした。
 誰も友達などいないと嘯いているわりに、変に義理堅い霊夢の性格を知っている幽香だけに、レミリアが罪人となることを霊夢はよしとないだろう。
「もう!役に立たないんだから。」
「落ちつきなよ、霊夢。」
「待たされるのは嫌いなのよね。」
「何か決まれば必ず霊夢の所にも来るわよ。」
 三賢者会議の事について霊夢が知っているかどうかわからないが、あまりしゃべりすぎるのもどうかと思い、多くは語らずイライラしている霊夢をなだめて落ちつかせる妹紅。
「霊夢、ちゃんと修業してるの?」
 そんな妹紅をフォローするように話を切り替えるために幽香が問う。
「一応はね。目標のない修業なんて面白くもなんともないけど、とりあえずはやることが決まっているからそれなりにやれてるわ。」
 目標のない修業程身につかないものはない。妹紅もこれは経験済みである。霊夢を奮い立たせるには、突発的な異変を起こして対処させるより、予め起こる事を報せて先に目標を与えた方が良いのではないかと思う妹紅。
「やることはシンプルなんだけど・・・。」
「複雑にしないと気が済まない連中がいるのよね。」
 妹紅と幽香の息の合った掛け合いに霊夢は不思議に思う。どういった経緯でこの2人が知り合い、仲が良くなったのだろうか?
 霊夢は面白くなさそうに酒を流し込んだ。そして場が少し静かになり、そのタイミングで妹紅は思考を始める。
「(でも・・・永遠亭が絡んでくる・・・永琳達はどうやって紫に接触するつもりだろうか・・・明日にでもてゐに会うか。それに魔理沙の件で一つ気になる事があるな・・・何故、死後肉体を保持出来たか・・・。幽香はそこまで知らないみたいだけど・・・香霖堂の店主が何か知っているかもしれない・・・。)」
 魅魔と話せるのは夜だけである。用事があるなら昼間に済ませておきたい。取りあえずてゐに会って2、3話をしておこう。そして、死んだ魔理沙の件だ。何故肉体を保持出来たのか。妹紅は一応の仮説を立ててたが、事実確認もしっかりしておかなければならないだろう。その為にも重要人物、森近霖之助ともう一度会う必要がある。
 明日の日中も忙しくなりそうだ。
 妹紅が思考を整理し明日の予定を頭の中で組み立てていた時、左隣の幽香から軽い肘鉄砲を食らって我に返る。
「妹紅・・・妹紅ってば!ちょっと聞いてるの?」
「ん?あ?うん、聞いてるわ。」
 霊夢が話しかけている事に気付かずまたしても思考に没頭してしまっていた。いよいよ以てコレは直さないといけない癖だと自分に言い聞かせる妹紅。
「私そろそろ帰るから・・・。」
 妹紅は上の空で絶対に聞いていないと確信しつつもそれを追及せず、お暇乞いをする霊夢。
「もう?おごりなんだから遠慮しなくていいのよ?」
「まーそれはそうなんだけどさ。でも、このままずっと飲んでたら明日きっついし・・・。」
 異変に対応出来るよう身体を常に動かせる状態にしておかなければならず、二日酔いをしている場合ではないということだろう。
「魔理沙は置いていくの?」
 幽香が問う。
「このまま放っておけばそのうち目を覚ますわよ。」
「酷いな。」
「連れて帰りたいけど、人一人担いで飛ぶのは無理だし・・・それに、潰れるのが早い分、立ち直りも早いから大丈夫よ。」
 一見友達甲斐のない言葉に聞こえるが、帰らせるなら今叩き起こしてもいいわけで、気持ちよく寝ているところを起こしたくないというのが霊夢なりの優しさである。時間的には11時を回ったところなので、ミスティアが屋台を閉めるのはもっと後である。店主には悪いが、勝手に起きるまでいつもそのまま置いてもらっているのである。
「それじゃー私達もお開きにしましょーか。」
 幽香が立ちあがり可愛らしい花柄の財布を取りだして店主に銭を払おうとする。店主がお代は藍から受け取っていることを告げたが、キツネのおごりなどご免よと強引に支払を済ませる。
「霊夢、魔理沙は私が送るわ。」
「あら、いいの?家は分かる?」
「ええ、昨日買い物に行ったのよ。」
「買い物?店なんて言ってるけど何もないでしょ?あそこ。」
「無いことはないわ。和紙を売ってもらった。」
「ああ、あれね。そう言えば妹紅も呪符使いだもんね。」
 妹紅に対して同業者としての親近感を覚える霊夢。
「これからも何かと利用させてもらうから、店主の世話をしておかないとね。」
「普通逆でしょ?客が媚び売ってどうするのよ。」
「あの店の店主、普通じゃないでしょ?」
「まー確かに。」
 寝ている噂の店主を同時に見て肩をすくめる霊夢と妹紅。
「それじゃーミスティア、今日はご馳走様。」
「また来て下さいね!」
 ミスティアにとって、単に新しい客が来たというだけでなく、不死人狩りのわだかまりが取れたり、幻想郷の裏事情を垣間見るなど実に有意義な一日となった。秘匿義務が生じるが、大物の会合に利用されるようになればこの屋台と店主である自分のお株が上がるというものである。金払いの悪い格下妖怪を相手にするより、金払いの良い格上妖怪を相手に商売をする方がやりがいがあるというものである。
「それじゃー霊夢、おやすみ。」
 幽香が飛び立とうとする霊夢に声を掛ける。一瞬止まった霊夢は戸惑った表情を一瞬見せ、その後すぐにそっぽを向いて飛び去ってしまう。
「ふふ、全く・・・こっちには全然なついてくれないのよね。」
 貸切時間が終了したとみて赤提灯を上げるミスティアを尻目に、飛び去った霊夢を寂しそうに見送る幽香。
 こっちと言うのが幽香を指すとするなら、あっちとは恐らく八雲紫の事だろうと考えつつ、幽香の隣に来る妹紅。
「どうしたの?らしくないわね。」
「どうすれば霊夢と普通に話せるかしらね?」
「今は無理でしょ。霊夢はあなたに甘えているだけだし。あと十年、二十年、時が経って霊夢が大人になった時、その時はとても仲良しになっているわ。」
「甘えてる?」
 甘えるというのは、例えば橙が藍にするようなああいう仕草と理解している幽香なので、妹紅の言葉に疑問がある。
「妖怪にはわからないか・・・。」
「何よ、つれないこと言わないで教えなさいよ。」
「んー・・・霊夢くらいの歳ってのは難しい年頃でね。親や世間に反発する時期なのよ。能力が高ければ高い程に周りが下らなく見えて腹が立つ。」
「だったら紫とかに当たってもいいんじゃない?」
「紫とは単に打算で付き合っているだけよ。生活するためにしかたなく従っているだけ。」
「じゃー何故私にだけ?」
「幽香は、打算無しに対等な存在として見ているからよ。この辺りでは一番強いあなたは、つまり幻想郷という世間が具現化した存在。親のいない霊夢にとっての唯一反発出来る大人なの。嫌いな大人と嫌いな世間が一つにまとまった存在なの。親や世間に反発する行動をあなたに対して行っているということは、幽香を唯一の大人として見ている裏返しなのよ。多少歪んではいるけれど、霊夢は人間の年頃の少女として極々自然な普通の事をしているのよ。」
 魔理沙は10才の頃にそれを経験し、とんでもない過ちを犯してしまったのである。
 今まで想像もしていなかった事を教えられ、軽いショックを受ける幽香。嬉しいような悲しいような照れくさいような、何とも言えない酸っぱい気分である。
「・・・確かに人間にはそういう時期があるわよね。妖怪が人間を理解出来ない一つの理由がそれかもしれないけど・・・。」
「人間は身体と心の成長に伴って世界との距離感を常に確かめながら生きているの。短時間で成長する身体と心の不均衡に悩み、そして自分がそうだろうと決めた立ち位置と、世間が決めた客観的な立ち位置とのギャップに悩む。自分がどの辺にいるか、上に対して反発し、自分にどれだけ跳ね返ったかでようやく自分の身の丈を知るってわけよ。」
 魔理沙の場合、その抑えである魅魔が甘やかした事で暴走してしまったわけである。
「あなたといると、今まで分からない事がどんどん分かって面白いわね。」
 この話を面白いと聞けるところが幽香の凄さともいえる。今の話が聞こえているであろうミスティアは、その表情からして全然興味がなさそうであり、それが妖怪の普通の反応といえる。
「これも年の功かな。普通の人間ならそういうことが理解出来た時には、棺桶に半分足を突っ込んでる歳になってるからね。」
「魔理沙があーなったのも、人間であるが故なのね・・・。」
 魔理沙の秘密を知っている妹紅であるが、ここでは何も答えず聞き流す。
「霊夢とはいずれちゃんと話が出来るようになるから慌てない事ね。霊夢だってずっと巫女でいられるわけでもないし、その資格を失えば紫に捨てられるのは必然でしょ?霊夢だってそれを分かってるからやる気が何も起きないのよ。でも幽香との関係はそれとは違う。せいぜい立ち塞がる大きな壁でいてあげることね。」
 そう言いながら魔理沙の所に行く妹紅。後に続く幽香が魔理沙の後ろでしゃがむ。
「私がおぶるから、乗せて。」
 自ら面倒ごとを背負い込もうとする幽香に、苦笑だけして妹紅は何も言わずそのまま魔理沙を抱え上げ、そばにいた店主も厄介払いが出来るので手伝う。


 屋台を後にした妹紅と魔理沙をおぶった幽香は、それぞれ何か考え事をしながらひとまず三叉路まで歩く。
 魔法の森の中にある魔理沙の家に歩いて行くには一旦里の方に戻って香霖堂近くの森の入口から入るか、そのまま東進して本陣山の麓まで行き、そこから神社の裏に回って、魔法の森の出口から入るかしなければならない。
 距離的には三叉路の位置から魔理沙の家まではさほどではないので、空から行くのが最も近く、数分で辿り付ける。
「飛ぼうか?」
「そうね。」
 魔理沙の帽子とホウキ持ちを担当していた妹紅は、その帽子を被り、試しにホウキにまたがって魔理沙の様に飛べるかどうか試してみる。
「何やってるのよ。」
 それを見てクスっと笑う幽香だが、実は自分も前に試して見たことがある。
「やっぱり駄目ね。」
 諦めた妹紅はホウキから降りてそのまま炎の翼を出して飛び立つ。虹色に輝く炎の翼で周囲が明るくなり、何事かと周囲の小さな妖精達が集まって珍しそうに周囲を漂い始める。
 幽香は妹紅の後を追うように一度地面を大きく蹴って宙に跳び、そのエネルギーを利用して上手く飛行状態に入る。何かを背負ったまま飛ぶのはかなり難しい技術で、重力遮断飛行タイプの者は基本的に単独飛行しかできないのである。幽香は自分の体重を重力を制御して飛び、魔理沙の体重分を妖力で浮力を生み出して補うハイブリッド飛行をやってみせた。
 妹紅は一度後ろを振り向き口笛を吹いて感心の意を示してそのまま魔理沙の家まで幽香を先導した。
 魔理沙と妹紅の飛行形態は、重力方向とは逆方向にエネルギーを放出して重力に逆らう鉛直推進飛行タイプである。ちなみに、魔理沙と妹紅はそのエネルギーの出所が、魔界と不死身というそれぞれ無限のものであるため、ガス欠もしないし疲れる事もないが、基本的にこの飛び方は大量のエネルギーを消費するので飛行時間が極端に短くなるのが特徴である。


 鬱蒼とした森に遮断され、歩いて近付くことが出来ない魔理沙の家も空から向かえば三叉路から目と鼻の先である。
 魔理沙の家の位置を完全に覚えた妹紅は上空で一度止まってから幽香に振り向きゆっくり下に降りる。幽香もその後に続く。
「全然起きる気配がないわね・・・。」
 幽香の背中で気持ちよさそうに寝ている魔理沙。
 妹紅は、足音を立てず魔理沙の家の玄関の扉の前に立つと、ドアのノブを掴んで引く。
「鍵かけてないのね・・・。」
「この森は、ある意味最も安全かもね。妖怪はほとんど来ないし、当然人間だって来ない。」
 両手が塞がっている幽香の為に扉を大きく開き先に入らせ、後に続いて妹紅が入りそのまま扉を閉める。一連の動作を無音で行う妹紅を感心すると同時に恐ろしくも感じる幽香である。
 ホウキの柄の先端に帽子を被せ机の横に立てかけた妹紅は、魔理沙をベッドに寝かせようとする幽香を手伝う。
 魔理沙を真っ直ぐ仰向けに寝かせた後、幽香はパチンとならし、魔法の光を部屋の四隅の天井付近に灯す。
「幽香もそれ出来るのね。」
「ん?ああ、これはこの部屋に最初から備わっているものよ。正しい音を鳴らせれば誰でも出来るわ。」
「あ、そうなんだ。」
「魅魔に教わったのよ。で、これを魔理沙の家につけたのは私。」
 少し自慢気な幽香。昼行性の幽香は夜間の光は重要であり、太陽の畑にある自宅にも当然備え付けている。便利そうなので自分の家にも欲しいと思う妹紅。
「で、魔理沙の家に連れてきて、私に何を見せてくれるの?」
「よく言うわ。探らせる為に餌をまいておいて。」
「こういうの得意なんでしょ?サーヤの本名を見破ったから、もしかしてって思ったのよ。」
「それならちゃんと依頼してくれればいいのに。」
 この時の妹紅の口振りは、まるで古い友人に対して言うようなニュアンスであり、つい先日まで会えば目を吊り上げていた妹紅とは別人のようである。
「時期が時期だから頼みずらかったのよ・・・。」
 幽香は妹紅の変化を敢えて指摘しなかった。指摘すればそれに気付いて態度を改めてしまうかもしれないからだ。
「幽香、あなたには感謝してるわ。」
 突然妹紅が思っても見なかった事を言い出す。しかし、その歯の浮くようなセリフとは裏腹に、その表情がやや妖しい雰囲気を匂わせる。幽香は背筋にゾクっとした何かが走る。
「な、何の事?」
 この場合魔理沙の為に尽力しているのは妹紅であり、感謝するのはこちらのほうである。
「おかげで素晴らしいものを手に入れることが出来た。」
 妹紅の言葉の意味の分からない幽香は、焦りと恐怖が交じり合った「とてもやばい感じ」を察知し、ここから一刻も早く逃げ出したい衝動に駆られる。
 妹紅を信用し過ぎたのだろうか?この家には既に罠が張り巡らせており、逃げることが出来なくなっているかもしれない。
 急に優しくなった妹紅。それは信用を勝ち取ったからだと思っていた。しかし、どうやらそれは違ったようだ。彼女は妖の狩人、八雲藍の仇だ。
 心臓の鼓動が外に漏れ出していると錯覚するほど大きく高鳴っているが、幽香はその素振りを妹紅に見せないように平静を装う。


「(ちょっとばかり悪戯が過ぎたかしら・・・。)」
 妹紅は魅魔と幽香の再会を少し劇的に演出しようとして、幽香を精神的に追い詰め過ぎているのではないかと少し後悔する。
 妹紅は、幽香が戦闘態勢に入る前に次の行動に移った。
 1枚の呪符をもんぺからはずし、それを一度幽香に見せてから、妹紅の後ろで寝ている魔理沙の胸の上にそれをそっと乗せる。
 固唾を呑んで見守る幽香は、突然発生した禍々しい負の気配を感じとうとう平静を装うことに限界を感じ体勢を低くし身構える。
「藤原妹紅!これはどういうこと!」
 ドスの効いた幽香の声に、明確な敵対心が見える。
「・・・。」
 妹紅は何も言わず、魅魔の登場を待つ。
 家の中の魔法の光が消え、家全体が非常に強い結界に覆われる。夜目の聞かない幽香は急に真っ暗になったことで狼狽る。何も感知出来ず、左右も天地もどこに何があるのか分からなくなる。
「く!」
 妹紅は背に炎の翼を纏い、それによって部屋が明るくなる。これは夜目の効かない幽香に視界を与えるための行動だったが、それに気付いていない幽香にしてみれば、この行動自体が敵対的な行動に見える。
「!」
 禍禍しい黒い気が魔理沙から生じている事に気付いた幽香。何と言う凄まじい力。圧倒的な威圧感。妹紅ではなく何故魔理沙から?
 一度死んだ事は知っている。その後魅魔が復活させた。その時、恐るべき魅魔の力を目の当たりにした。
 ここに生じている力は、その魅魔にも匹敵する凄まじい力だ。いや、これはもはや魅魔と同格の力だ。こんな力を魔理沙が持っていたのか?
「・・・ま、まさか・・・。」
 ここで幽香がようやく理解した。
 魔理沙の中から生じる黒い気が一箇所にまとまって人型を作り出す。それが見慣れた懐かしい姿に変わっていく。
 液体に近い質感を持っていたその人型は、空中で一回転すると表面の質感が一転して自然な姿になる。


 魅魔の登場である。
 しかし、その魅魔は幽香がそばにいることを知らず妹紅に挨拶をしようとして何かに気付き固まる。魅魔は、妹紅の前に立っている懐かしい顔を見つけそこに釘付けになった。幽香もまた、懐かしいその姿に釘付けになる。
 しばし見つめ合う、親友であり、師弟の間柄でもある魅魔と幽香。
「はっ!」
 先に動いたのは幽香だった。魅魔の横でニヤニヤしている妹紅と視線が合い、再会を演出してくれたにも関わらず、この趣味の悪い悪戯に沸々と怒りがこみ上げてくる。
 ズカズカと妹紅に歩み寄った幽香は、作り笑顔で近づき、感謝の意を示した厚い抱擁を交わそうとして、一気に妹紅の首を両手で締め上げる。
「ご、ごめん!ごめん!」
 謝る妹紅にお構い無しに容赦なく締め上げる幽香。不死身だから殺してもこの際構わないだろうと手加減無しの渾身の締めに、身の危険を感じた妹紅はたまらず幽香の腕を掴み渾身の力で折りにかかったが、そこに魅魔が割ってはいる。
「これ、幽香!いい加減にしろ。」
 その時、幽香は妹紅から手を離し近づいてきた魅魔の胴体にしがみ付くように抱擁した。
「魅魔・・・良かった・・・本当に・・・良かった・・・。」
 魅魔の胸の中で泣きじゃくる最強の妖怪。
 危うく死に掛けた妹紅は首をさすりながら、幽香と魅魔の強い絆を改めて認識した。話の中で時々出てきた魅魔の名前だが、想像以上に幽香にとって魅魔の存在は大きいようだった。
「妹紅・・・色々と気を使わせてすまんな・・・本当にありがとう。」
 声の出ない妹紅は右手だけ上げて応える。
 魅魔にとって魔理沙や霊夢に次いで心残りだったのが幽香である。根が正直で真っ直ぐな幽香にこの世間を騙す謀略に加担させることは、本人にとっても秘密を守る上でも大きなリスクになると思ったので、何も言わず自分だけで決行したことだった。
「すまん幽香・・・本当にすまなかった・・・。」
 しばらくこの光景を眺めていた妹紅は、2人から視線を外しベッドで寝ている魔理沙を見る。
 魔理沙とも再会させてやりたい。そう思う妹紅だった。
東方不死死 第29章 「九尾の宴」


 永遠亭との戦闘を完勝で終えた妹紅は、竹林の隠れに一度戻り、周囲にいる兎の一匹を捕まえ絞める。
 魔理沙の用事の為に一寸立ち寄った隠れ家だが、だいぶ時間が経ってしまった為、そのお詫びといういうわけである。
「お、妹紅!ずいぶん早かったな。」
 魔理沙の家に戻った妹紅に開口一番の言葉がこれだが、これは、すぐに戻ると行って家を出た妹紅への皮肉である。
 朝食を済ませた朝の9時過ぎに家を出て、戻ってきたのが時計の長針が丁度二周した時である。魔理沙としては貸して貰えるお宝を楽しみにしていだけに、待つ時間も長く思えたのだろう。
「ごめん、ごめん、ちょっと永遠亭の連中に絡まれて・・・これ、遅れたお詫び。」
 永遠亭と妹紅が犬猿の仲である事を知っている魔理沙は、半分嘘の言い訳を素直に信じ、お詫びの兎を快く受け取る。
「おお!これは美味そうな兎だな!」
 差し出された所々赤い血がついている真っ白な兎を見て思わず喜ぶ魔理沙。
 兎は最も陳腐な食材の一つで、満足に米が食えない貧しい家でも兎のおかげで飢えとは無縁である。
「昼食にどう?」
「いいね!あ、でも私、捌けないんだよね・・・。」
「あら、そう?裏に兎の骨とかあったから自炊出来ると思ってた・・・。」
「兎は霊夢に捌いてもらってるんだ。で、料理したのを時々持ってきてくれてさ。裏に捨ててあるのはその時のやつさ。」
「なるほど。」
 魔理沙の家の台所と思しきスペースに生活感がないのはあまり料理をしないからである。魔理沙が出来る料理といえば茸料理くらいで、それもそのまま火を通すだけの簡単なものばかりである。
「私さぁ、生の内臓とか見るのも駄目なんよね。」
「意外ね~・・・ふ~ん・・・そうかー・・・そうなんだー・・・。」
 妹紅は魔理沙の返答に、最初は意外そうに、そして次第に残念そうに口調を変える。そしておもむろに呪符二枚取り出し分身を出す。
 その妹紅の返答の仕方や意味不明の行動に疑問の表情を見せる魔理沙。
「あ、あのー妹紅さん?何で分身に命令を与えて、その分身さん達が私ににじり寄って、両脇をがっちり掴んで動けなくするのですか?」
 妹紅が取った行動とその後起こっている状況を実況しながら魔理沙は不満げな声を上げる。
「そうしないと逃げるでしょ?」
「な、何で逃げるのですか?」
 嫌な予感がした魔理沙の口調が何故か強張って丁寧になる。
「だって、生の内臓とか嫌いなんでしょ?」
「そ、そうですけど・・・それが何か問題でも?」
 ニヤニヤする妹紅と対照的に顔が引きつる魔理沙。そんな魔理沙を面白そうに見ながら妹紅はポケットから小さな木箱を取り出して見せる。
 物凄く嫌な予感しかしない魔理沙は、自然に身体がその箱から遠ざかろうとする。しかし、2人の分身はそれを許さない。
「ちょっと、待った!待った!」
 そんな魔理沙を楽しそうに見ながら妹紅は手に持った木箱をおもむろに開ける。
「!」
 それを見て魔理沙が絶句し、すぐに大声を上げる。
「め、め、め、めめめめめめ、目玉!目玉!」
 年期のある木箱の上蓋が空けられると、箱の底に赤い布が敷かれ、その上にたった今くり抜いて来たと思うような生々しい2つの人間と思しき大きさの目玉がそこにあった。
 山羊のようにメーメーと叫ぶ魔理沙を尻目に、その目玉の後ろにあるひも状の神経の束をつまんで持ち上げ、意地悪くプラプラと揺らして見せる妹紅。
 ひー!という悲鳴を上げて逃れようと全身を悶えさせる魔理沙。
「待った!待った!無理無理無理無理無理!無理だって!頼む!頼む!頼む!」
 魔理沙は苦手な生々しい人体の組織を間近でいやらしく見せられギブアップを宣言する。
「これがあなたに貸すと言った属性眼鏡よ?」
 それは、属性を見分ける力を生まれつき持った者がその特性を後世に残そうと自らその眼球をくり抜いて作った属性眼鏡である。
「眼鏡?どこが眼鏡だよ!完全に目玉じゃん!」
 眼鏡といえばレンズが付いていて耳に掛けて鼻で支える幻想郷にも普及している見慣れた形の眼鏡だとばかり思っていた魔理沙である。
「来るなー!こっちに来ないでくれー!」
 目玉を指で摘んでぶら下げてにじり寄る妹紅は意地悪な顔になっていた。
 そのぶら下げた生々しい目玉は、魔理沙の目の前に来ると突然意志を持ったようにキョロキョロと動きだす。
 それを見て「きゃー」というまるで女の子の様な悲鳴を上げる魔理沙。実際女の子であるが、普段の言動や態度からは想像もできない可愛い声である。
 その目玉は、魔理沙の目と視線が合うと今度は魔理沙の目に引き寄せられるように動く。しかし、妹紅につままれている状態なので、それ以上動けずじたばたと空中でもがく目玉。
 魔理沙は絶句し、見たくもないのにその目玉に釘付けになってしまう。それを見て妹紅は、そっと指を離した。
 妹紅の指から解き放たれ自由を得た目玉は、それを凝視していた魔理沙の右目に飛び込み無理矢理中に入り込もうとする。
 今度は「ぎゃー」という絶叫にかわった魔理沙は顔面蒼白になって、「メーメー」と山羊の様に繰り返す。「目」と言っているのはわかるのだが、音としては「メーメー」と聞こえる。
 妹紅は分身に命じて魔理沙の拘束を解き自由にする。自由になった魔理沙であるが、その場で立ち尽くし呆然とする。右手で閉じた右目を触ろうとして触れずオロオロとする。
「魔理沙、大丈夫よ。それは、すごくリアルに見えるけど、お化けの様な存在が不透明なもので、今魔理沙の右目に憑依しているの。」
「お、お化け?」
「そう、異物感はもうないでしょ?」
「う、うん・・・。」
 魔理沙は恐る恐る右手の指で右の瞼に触れる。目玉が飛び込んで来る時に目玉が奥に押し込まれる不快感が最初はあったが、今はそうした違和感はなくなっている。
「ひ、ひどいよ、妹紅!」
「ごめん、ごめん。でも、内臓とかこういうの苦手なんでしょ?自分でつけてと言っても絶対つけないと思ったから・・・。」
「まー自分でやれといわれたら絶対拒否だけど・・・それにしても・・・妹紅、絶対面白がってやってたよな。」
 納得いかず抗議する魔理沙である。
「まーまー、それよりも右目開いてみて。」
 妹紅は魔理沙の左目にそっと指を添えて塞ぎ、右目だけ開けるように促す。それに応じて魔理沙は恐る恐るゆっくり右目を開く。
「あ・・・。」
 見えないものが見えてしまった時に、無自覚に出してしまう声といった感じだろうか?魔理沙は右目から見えるその不思議な光景に思わず動きが止まる。
「世界が蒼白く見える・・・世界から色が無くなったみたいだ・・・。」
 様々な属性が混ざり合って、単一の属性に偏っていないものは基本的に白く見え、単一属性は、火は赤く、水は青く、大気は緑、地は黄色にそれぞれ見えると教えられ納得する魔理沙。
「魔理沙、実験中の検体を見て。」
 妹紅に言われて、机に目を向ける魔理沙。
「これは・・・。」
 魔理沙の机の上には粉末にしたり煮込んだりと様々な状態に加工した元茸が散在していたが、そのうち単一の属性として色が出ているのは十数個の検体のうち2個しかなかった。
「これと、これが、赤と青になってるな・・・それ以外が白いのは何でだ?」
「恐らく検体にする過程で他の属性が混ざって単一属性ではなくなったからね。器具をしっかり掃除してないとか、途中に別の作業を挟んで酸化してしまったりとか?」
「あー・・・。」
 心当たりがありまくりで言い訳が出来ない魔理沙。
「特に酸化はこういう実験の天敵ね。」
 何処にでも存在する大気の属性は他の属性と干渉しやすく、検体の保管などは密封するのが基本である。
 魔理沙の実験はそうした点が疎かになり、設備等の不備もあるが、やはり誰か指導者がいなければならないだろうと思う妹紅。
 能力もやる気もあるこの若い魔法使いをこのまま捨て置くにはもったいないと思う妹紅である。

「茸そのものを見てみたら?」
 首を傾げながら何が不味くて今後どうすれば良いかを模索していた魔理沙に声をかける妹紅。妹紅は魔法の茸の不思議な単一属性がどう見えるのか興味があったのだ。
 妹紅の求めに応じて机の後ろ椅子の背中側にある大きな作業台の上に幾つも吊されている白い袋の一つをとって、中の茸を作業台にばらまく魔理沙。妹紅はもう一つある属性眼鏡を装着しその茸を見る。
 にわかに信じられない事だが、外見的に見分けがつかない魔法の茸は見事に単一の属性に偏り、それぞれの属性の色に綺麗にわかれていた。
 これに驚いたのは妹紅よりも魔理沙だった。
「うわっ、マジかよ!」
 属性を調べる為に様々な工夫をしてきた魔理沙であったが、この眼鏡一つで簡単に選り分ける事が出来るではないか!
 幾つかある茸の保管用の袋は、単なる保管袋ではなく採取地域ごとに区別している。今出した茸は経験から主に水属性が多く取れる採取地のもので、確かに水属性の茸の割合が7割を占めていた。しかし、ここで不思議なのが、2割が火属性なのである。水と火は属性でいえば反対属性で交わらない属性である。割合として含まれる率はもっと低いのかと思ったが、逆の結果になった。
 魔理沙は作業台の茸を見ながら腕を組んで必死に何かを考えていた。しかし、しばらくするとがっくりと肩を落として落ち込み始める。
「どうしたの?」
「いやさ・・・だって、こんだけハッキリわかるとさ・・・今まで私何やってきたんだろ・・・ってね。」
 魔理沙は不思議な魔法の森の茸に魅せられ、自分なりに研究努力を続けてきた。常識では有り得ない単一属性体である魔法の茸を利用して、様々な効用を引き出しそれを自分の魔法の形としてきた。
 その魔法の茸の分別が、いとも簡単に出来てしまうという事は、喜ばしい反面釈然としないものもあるのだ。
「・・・余計な事をしちゃったかしら?」
「いや、全然!全然そんなことないゼ!」
 少し気落ちしたような妹紅に両の手のひらを振って見せる魔理沙。
「いや、ホントこれすごいよ。3年分の作業が1分で済むからな。」
 妹紅を気づかう様に威勢良くこの眼鏡の凄さを力説する。
「ま、確かに納得いかないところもあるけどさ、それよりもやっぱ劇的に作業時間が早くなりそうで、そっちの方が期待大だゼ!」
 最後はニコっと笑って見せる魔理沙である。
「ところで・・・これ左目開けちゃまずいのかな?」
「大丈夫だけど、左右の目で別の絵を見ている様なものだから、まともに見えないと思うわ。両目に入れれば問題ないけど。」
 そう言って妹紅が自分に入れた属性眼鏡を取り出し、実際に両目を開けて試してみて目眩を起こし慌てて左目を押さえる魔理沙の右手にそれを握らせる。
「あ、あれ、びちゃびちゃしてると思ったけどそう見えているだけでゴムみたいなんだな・・・。」
 内蔵関係が苦手な魔理沙であるが、不意に渡されたので思わず受け取ってしまったグロテスクな目玉の意外なさわり心地に良い意味で驚く。
「目を合わせれば向こうから勝手に入ってくるから。」
 半信半疑で目玉を摘んで瞳の側を自分の顔に向ける魔理沙。
「うわ!」
 手からスポンと飛び出したその属性眼鏡はそのまま魔理沙の目の中に飛び込む。
「うわあああああぁああああぁぁぁああ!」
 入る時に目玉がぷるぷる震えてその感覚が気持ち悪い・・・というよりむしろ気持ちが良い。さっきは恐怖心が勝ってそんな感覚を味わう余裕がなかったが、今は背筋がゾクゾクしてある意味快感である。
「両目を使うメリットは、片方を閉じなくていいことと、属性の有無以外に強さが視覚的に判断出来る事よ。」
「片目の時よりやっぱ見易いな。それに駄目になった検体も白く輝いて見えるようになったぞ。」
 後ろにいた妹紅から目玉を渡され振り向き、その妹紅の後ろにある机の上の魔法の茸から抽出した検体が目に飛び込み、そちらに関心を寄せる魔理沙は、そのまま机に歩み寄って並んでいる十数個の検体を見比べる。
「属性が混ざり合って色が無くなっても、属性が消えて無くなるわけじゃないからね。元々強い属性を持っているから強く光って見えるのよ。」
「と言うことは・・・。」
 魔理沙は机と背中合わせの位置にある作業台に振り向く。
「おお、すげー濃い色になってるな。」
 蒼白い世界の中に一際目立つ水属性を示す青々とした色の塊。その中に赤、そして緑と黄色が少々。
「ん?」
 そこで魔理沙は気付いた。
「何?」
「属性の強さが分かるっていったよな?」
「ええ。」
「この茸全部同じなんだけど・・・。」
「そんことはないでしょ?人工物ならともかく自然にあるものは、どれも同じになることなんてないわ。」
「いやでも・・・。」
 魔理沙は水属性の青い茸を一山にまとめながら、そうしているうちに山が全部青一色にかわり茸一つ一つがみわけが付かなくなっていることに気付いたのである。
 一つ一つ属性の強さに違いがあれば、一つの山になったとしても色に斑が出来るはずである。しかし、綺麗に同じ青一色の一塊りの山になってしまったのだ。
「おかしいわね・・・・ちょっと魔理沙こっち見て。」
 妹紅の呼びかけに振り向いた魔理沙は、白い妹紅のシルエットが左右の人指し指を立てている事に気付く。そしてその指先が赤く色が付いているのが分かった。
「どっちが赤い?」
 妹紅は指先からそれぞれ強さの違う炎を出し、属性濃度の感知に問題がないかをチェックする。
「こっちのがすげー濃い赤だな。」
 魔理沙は指を差して妹紅の右手、魔理沙から向かって左を指摘した。
「正常ね・・・ちょっと貸して。」
「あ、ああ、ちょっと待って・・・あ、あれ?」
 妹紅が属性眼鏡を返すように要求し、魔理沙はすぐにそれに応じようとしたが取り出し方を知らない事に気付く。
「あ、えーと、瞼を指で少し強めに押してみて。そうそう、眉毛の下の骨と目玉の境界あたり・・・。」
「こうか・・・ぬわああああぁぁぁ!」
 妹紅に言われた通り、瞼の押した魔理沙はそこでまた悲鳴をあげた。押した瞬間目玉がにゅるんと回転し、先程妹紅が摘んでいた眼球の後ろについているひも状の神経組織が外に飛び出してきたのである。
 想定していなかった事態にあたふたとする魔理沙の目から飛び出しているひも状のものを摘んだ妹紅はそのまま引っ張って属性眼鏡を抜き取った。その抜き取った時の感触が気持ち悪かったのか気持ち良かったのか魔理沙が変な声を上げた。
 要領がわかった魔理沙は残った左目を自力で取ってみる。出てきたひも状のものを摘み、ゆっくりと引き出す魔理沙は「おおおおお」と興奮した声を出しながら顔を紅潮させそれを抜き出した。
 妹紅は、自分で無理矢理魔理沙から抜いた目玉を右目に入れながら、魔理沙が変な性癖に目覚めないか心配する。そして、「ふぅ~」と息を吐いて、名残惜しそうな表情で左目を妹紅に渡す魔理沙。
「やばいなコレ。癖になりそう。」
 どうやら妹紅の心配は現実になりそうである。
「やれやれ・・・。」
 実は自分も身に覚えがある事で責められない妹紅は、気を取り直して魔理沙から渡された目玉を入れる。そして茸を見る。
「・・・ほんとだわ・・・信じられない・・・。」
 妹紅はこの眼鏡を使って来て初めて見る現象に戸惑う。世紀の大発見と言うのは大げさかもしれないが、自然界の物がここまで誤差が無く同じ属性になることは考えられない。これは、例えば、この世に全く同じ人間が大量にいるのと同じ事になるのだ。
 月の科学力を以てすれば簡単かもしれないが、それはあくまでも人工物であって自然物ではない。
 腕組みをして首を傾げる妹紅の袖を引っ張って属性眼鏡を要求する魔理沙に応じながら、横で上がる奇声を聞きながら自分の裸眼でもう一度魔法の茸を見る。
 魔法の茸自体、見たこともない色と模様をしており、ある意味作り物とも見える綺麗な形をしている。
「これって、作りものなのかな?」
 妹紅の言いたい事を魔理沙が代弁する。
「魔理沙もそう思う?」
「うん、この森自体も少し違うんだよね。何て言うかさ、自然を装っている・・・みたいな?」
 魔理沙も妹紅もこの事実に驚いたが、その現実の受け入れは魔理沙の方が早かった。やっぱりという感じで前々からそんな事を漠然と考えていたようだ。
 魔法の森は大陸の西端、ヨーロッパと呼ばれる地方の様々な場所から寄せ集めて作られた森でる。言ってみれば人工物であり、そこに生えている茸が人工物である可能性はゼロではないだろう。
 意図してそうしたのか?図らずもそうなってしまったという可能性もある。幻想郷の創設者の八雲紫も、もしかしたらこのことをしらないのかもしれない。
 それと同時に妹紅は、今回の異変との絡みも模索し、一応頭に入れておく事にした。


 その後、生々しい目玉にすっかれ馴れてしまった魔理沙に、兎の解体方を実演して教えながら、それを料理し昼食として美味しく戴く。
 残った肉は霊夢にお裾分けついでに晩飯を一緒にあずかるようアドバイスし、妹紅は午後から約束があると暇を乞う。
 去り際に妹紅は魔理沙に神妙な面持ちで話しはじめる。
「この属性眼鏡は、その能力を持っている人の目をくりぬき、念を込めて道具として使える様にして、その人は亡くなったのよ。」
 この素晴らしい力はその一族の家宝となったが、これを我が物にしようと親戚縁者、更に他の一族も巻き込み骨肉の争いを生じさせた。この時期、族長の後見人つまり実質トップになっていた妹紅は、この争いの種を一時預かり仲裁した。しかし、一族の有力者が多数暗殺されたことで一族全体が弱体化し、家を保つ事が出来ず没落し、この属性眼鏡は妹紅が管理する事になった。
 妖術使いの里、岩老郷は様々な妖術の系統を一子相伝で受け継ぐ複数一族の集合体で、それらは里の名前とは裏腹に決して一枚岩というものではなく基本的に仲が悪かった。
 妹紅が台頭し、中立の立場で全体をまとめ始めた時期が、岩老郷の全盛期ともいえるが、信任の厚い妹紅は多くの預かり物を管理していたのである。
 里が解体される際、そのほとんどは一族に返却されたが、その頃に没落して消えた一族が複数存在しており、それらの品物はすべて妹紅が引き継いだ。その中の一つがこの属性眼鏡である。
「その眼鏡は生きている。決して粗末に扱っては駄目よ?」
「・・・うん。」
「それから、この眼鏡はその素晴らしい性能から皆が欲しがり、そこで大きな争い事に発展したの。この眼鏡の存在が幻想郷に知れ渡ればどうなるか・・・魔理沙ならわかるわね?」
「うん。」
「決してその存在を教えては駄目。他人の前で使っては駄目。いいわね?」
「分かった。約束する・・・ありがとう妹紅。」
 この属性眼鏡は妹紅が思っている以上に魔理沙にとってとても重要なものなのである。どれ程の苦労が緩和され、どれ程の時間が節約出来る事か・・・。魔理沙にとって革命的な道具なのである。
「あなたは、どこか放っておけないのよね・・・。」
 魅魔の秘密を知る前から魔理沙という存在は他の者とは違う印象を覚えていた妹紅。これも何かの縁、異変の有無や結果にかかわらず、この縁は大切にしていこうと思う妹紅である。
 そして、この属性眼鏡によって、霧雨魔理沙は後に大変な事をしでかすのであるが、それはまた別の話である。


 八雲藍と会うのは日没以降で、それまで特に用事はなかったのだが、兎に角今は頭の中を整理したい衝動を抑えられず、静かな場所で一人になりたかった。
 妹紅は自宅に戻ると幽香のおかえりなさいという挨拶に素っ気なく答えてそのまま縁側に仰向けになり両手を頭の後ろで組んで、曲げた左膝の上に右足を載せた。
 何か言いたそうな幽香だったが、妹紅の「話しかけないでオーラ」を敏感に察知して眺めるだけで話しかけない。
 幽香はこちらに対してそれなりに感謝している事を知っているし、妖怪であっても幽香ぐらいになれ遠慮は知っているだろう。完全に一人になれる場所は永遠亭の一画に割り当てられた自分の部屋があるが、今は行く気分になれない。人里離れれば一人になれるかというとそういうものでもない。不死身となり自分が普通ではないと知ってから人間の世界から遠ざかろうと山奥に逃げた妹紅は、そこで様々な人外の存在を見た。ここ幻想郷でも同じ。仇敵である永遠亭と隣接して暮らしていたのは、竹林以外に一人静かに過ごせる場所が他になかったからである。
 人間の里に近い藤原邸は、お化け屋敷として人々から遠い存在になっており、さらに、となりに風見幽香という魔除けがいる。幻想郷のあらゆる存在が今一番近付きたくない場所が此処だろう。


 幽香がじっとこちらを観察している様子を感じながら、完全に無視して思考に没頭する妹紅。
 二日前に博麗神社に行き、そこで妖怪、鬼、九尾などを巻き込んだ岩老刀の事件が発生。その後妹紅は八雲紫の妹藍の隔離世界で過ごし、変態して妖力が爆発的に上昇してしまった。
 それを静める為に永遠亭に向かい結局そこでは何も起こらず、そのまま帰宅して朝までかかって妖気を静め、その間に慧音の態度の変化に着目して早朝彼女にそれを問い正そうとしてそこで離別した。
 その後、自分の能力を確かめるついでに幽香の傷を治療し、その後、身に付けていた呪符が全て使い物にならなくなってしまったことを知り、物資を補充するために幽香の案内でマルキと香霖堂、そして霧雨魔理沙と再会する。
 魔理沙から感じる異様な感覚に調査を始めると魅魔が出現。そこで様々な秘密を知り、魅魔という賢者を味方につけた。
 博麗神社から始まった事件から2回目の朝を迎え、妹紅は魔理沙との交友を深める為に、大切なお宝を貸し与える約束をし、自宅を経由して隠れ家に向かうその自宅で橙の来訪を受けて九尾の藍と面会する約束をする。
 隠れ家に行くと今度は永遠亭の襲撃を受けて壮絶な死闘に勝利し、その足で約束の品を持って魔理沙の家に行き、そこから自宅に戻ったのが今である。
 振り返るとここ2日寝ていない事に気付く。
 不死身となって以降、空腹や睡眠不足で死ぬ事はないが、そうした状態が長時間続けば精神的にきつくなる。適度に食べて、適度に寝るといったある程度人間らしい規則正しい生活をしておかないといざという時に頭も身体も動きが鈍る。
 妹紅は縁側に寝ころんでしまったのが運の尽きか、色々考えようと思ったものの、あっという間に眠りに落ちてしまった。
 風見幽香は、最初から昼寝に来たと思っていたので特に何も言わず、無警戒の可愛らしい妹紅の寝顔を楽しんでいた。


 こんなにぐっすり寝たのは何年、いや何百年ぶりだろうか?
 風見幽香に揺り起こされてた妹紅は、どこか別の世界で何か別の生き物にでも生まれ変わったかのように軽くなった身体に現実感がなく、しばらく呆けていた。
「日没よ?これから屋台に飲みにいくんでしょ?」
 上半身を起こし半開きの目でまだ半分寝ている様な状態の妹紅は、訳が分からず目を擦りながら周囲をキョロキョロする。
 凄腕の妖術使いらしからぬその無防備な妹紅を見て思わずおかしくなってクスクス笑う幽香。
「幽香・・・か・・・ん?あれ?」
 ようやく状況を理解し今自分が何処にいて何をすべきかを思い出す妹紅。あーっという叫び声と共に勢いよく立ちあがり、どの位時間が経過したか幽香に尋ねる妹紅。
「今、ちょうど日没よ。昼過ぎに戻ってきたからせいぜいそのくらいの時間しか経ってないでしょ?」
「ということは・・・5時間ってところか・・・。」
 あまりにも身体が軽くスッキリしているため、数日眠っていたような錯覚を覚える妹紅は、ひとまず安心して腰を下ろし大きく息を吐いて全身を使って溜め息を着く。そして、幽香を訝しげに見る。
「何も悪戯なんかしてないわよ。」
「そうじゃなくて、寝るような術とかかけた?」
「寝る術は確かに使えるけど、あなたにバレずに掛けられるとは思えないわね。寝ころんですぐ寝たから昼寝にきたとばかり思ってたけど・・・。」
「・・・。」
 妹紅は幽香の顔を見ながら嘘はついていないと見る。しかし、何故こんな場所で熟睡してしまったのだろうか?いくら疲れているといっても妖怪の前で寝てしまうなど妖の狩人としては面目が立たない失態である。
 妹紅は無意識のうちに風見幽香を信用している自分に気付くと同時に、彼女の周囲が幻想郷に於いて極めて安全な場所である事も理解する。
「(やれやれ・・・私も妖怪に魅せられたか・・・。)」
 八雲紫や伊吹萃香を身内の様に扱う博麗霊夢の心配をしている場合ではない。自分も妖怪に魅せられていることを自覚する妹紅。
「さて、そろそろ行くか・・・。」
 日没といってもすぐに暗くなるわけではない。しかし、少し話している僅かな時間でも薄闇がどんどんと拡がっていく。屋台まで歩いて行けば、ちょうどよく周囲は真っ暗になっている事だろうか。
「行ってらっしゃい。がんばってね。」
 貧乏くじを引いて苦労事を押し付けられた運の悪い相手に対して見せる様な嫌みっぽい作り笑顔で妹紅を見送る幽香。九尾とサシで飲むなどどう見ても罰ゲームである。
 それを理解して肩をすくめて見せる妹紅。
「幽香・・・終わったら迎えに来るわ。」
 そう言って背を向ける妹紅。
「ええ。」
「・・・それと・・・今日はありがとね。」
「?」
 飛ばずにそのまま玄関先の門の方に歩いていく妹紅の最後のお礼の意味が理解出来ない幽香。
「ほんと人間は何考えているのかわからないわね・・・。」
 それでも、お礼を言われて悪い気はしない幽香である。


 短時間ではあったがぐっすり熟睡できた妹紅は、身体も頭の中もスッキリしてとても気分が良かった。
 一時も無駄にしたくないと思考に費やそうとした約束までの時間であったが、それに引き替えても十分すぎる気力の充実感である。
 寝れば悪夢ばかり見る妹紅は、何時しか熟睡出来ない身体になっていた。普通の人間なら気が狂う様な状況であっても、人間のまま肉体も精神も維持出来たのは、藍に貰ったリボンのおかげだろう。これが無ければとっくの昔に羅刹になっていた。
 その羅刹も自分が強くなりすぎた事で、自力で押さえ込むことが出来るようになり、更にそれを道具として利用出来るようになれた事を、先程の永琳との戦闘で証明出来た。
 強くなった先に何が残されているのか分からないが、もはやこの歩みは止められない。限界まで強くなれば自然の法則とやらが働いて、それを滅ぼす使命を帯びた正義の味方が現れるかもしれない。そんな事を冗談交じりに考える妹紅だが、運命を利用すればあるいは簡単に死ぬ事ができるのではないだろうか。
 しかし、今の妹紅は死ぬつもりは全くなかった。
 妹紅は、慧音の居る里を避けるように藤原邸を道沿いではなく、そのまま東進し水田地帯の外側に築いている里と外の境界を示す土嚢の更に外側に出て、そのまま東から緩く北側にカーブする土嚢沿いに歩き、里の東門から東に真っ直ぐ魔法の森沿いに神社の建つ本陣山の麓まで伸びる街道に出た。
 この街道をさらに東に進むと太陽の畑に向かう道に分かれる三叉路があり、その付近で屋台を見たのを覚えている妹紅は誰も通らない街道を一人東進する。
 この時間になるととっぷりと陽も落ちて、闇夜となった空には星々と妖怪や妖精、更に幽霊などが発する光で賑わうようになる。幻想郷にとって夜こそが最も賑わう時間なのだ。
 瞳孔を調節すれば夜目もある程度利く妹紅であるが、屋台の発する赤提灯を目印にするため裸眼のまま暗い夜道を歩く。光がないと夜道などまともに歩けないが手に乗るような小さな妖精がそこかしこに飛び回っているので、周囲が朧気に見えて道を逸れて躓いて転ぶ心配はない。
 この小さな妖精達も異変を感じれば凶暴化し道行く者を無差別に襲うようになるのだから不思議である。
 三叉路に差し掛かるが、屋台らしきものは見当たらない。太陽に畑に向かう南に伸びる道の先に不自然な光を発見した妹紅はとりあえずそちらに向かう事にした。
 しばらく進むとその不自然に見えた光の正体は四角い構造物の窓の様な部分から洩れる光だった。更に近付いた妹紅はそれが屋台だとはっきり確認出来、明かりが灯っていない赤提灯も発見出来た。
 赤提灯が灯っていないということはまだ店が開いていないという事だろう。人間の時間で言えば決して早い時間ではないと思うが、妖怪の感覚だとまだ早いということだろうか。
 待たせてもらう分には構わないと思った妹紅は、そのまま屋台に向かった。


 特にそうしようと思ってそうしたわけではないが、いつもの癖で足音を立てず忍び足で屋台に近付く妹紅。
 店主の名前はミスティア・ローレライ。不死人狩りで何度か戦っており、名前から外来の妖怪と思われる。夜雀という種に勝手に分類されているようだが単独行動型で群れない。どうみても雀が原型の妖怪ではない。
 屋台の店主の姿がはっきり見える距離まで近付いた妹紅だが、手持ち無沙汰という状況のお手本のような退屈そうな顔で、なかなか来ない待ち合わせの相手を待っているといった様子というのがその感想である。
「(ああ、そうか。)」
 藍がここを指定してきたということは、事前に貸切の予約を入れていて提灯を出せず、店主は何時来るか分からない誰かを待ち惚けているというわけである。
「(時間の指定してなかったからね・・・でも、どうしよう。この調子だと私が来る事も知らないかも・・・。ま、いっか。)」
 考えても仕方がないので、妹紅は「うなぎ」と書いている暖簾を潜る。
「こんばんわ。」
「あ、お客さん、今日はかし・・・ああっ!」
 貸切と言おうとしたのだろうが、藤原妹紅という存在を認識してから急に態度が変わり座っている椅子から立ちあがり急に大声をあげる店主のミスティア・ローレライ。
「あ、あ、あの、えーと、その、え?え?え?」
 挙動不審の店主を不思議そうに見やる妹紅だが、この様な態度を取られる事に身に覚えがない。こういう時は自分ではなく、後ろに誰かが居て、その者に慌てているのだろうと思い振り向く。
 暖簾で顔は見えないが視界の専有面積が異常に広い独特のシルエットを持つ妖怪が立っている事に気付く。
「(なるほど、藍を見て驚いたのか・・・あれ?でも、貸し切ったのは藍だし、別に驚く事ないと思うけど・・・。)」
 妹紅は何が何だかわからず、暖簾を押して入ってくる九本の尻尾を持つ妖怪の出方を警戒しながら待つ。
「随分早い登場だな・・・。」
 妹紅が来たタイミングに合わせてほぼ同時に来たわけで、それはこっちのセリフだと思う妹紅。
「お腹が空いたからね。」
「なるほど、里はちょうど晩飯時か・・・店主、酒と・・・妹紅に適当に腹に溜まるものを。」
「え?は、はい、ただいま!」
 藍に言われて店主は驚いた表情から我に返り、そそくさと2つのガラスコップに酒を注ぎ差し出すと、下ごしらえを既に済ませていたうなぎの蒲焼きを焼き始める。
 妹紅は、人間の様に商売をする目の前の妖怪を不思議そうに見ながら、その妖怪がしきりにこちらを気にしながらチラ見している事に気付く。
「(私を見てるのか・・・そんなに珍しいかな?)」
 屋台の客層がどんなものかはわからないが、確かに初めて来るわけだから珍しいのは分からないでもない。でも、何というかソワソワしているというか、物珍しさでこちらを気にしている感じではない。
「店主、私の顔に何かついてる?」
 その疑問を率直に尋ねる妹紅。
「え?あ、いや、別に・・・。」
 しどろもどろになるミスティア。
「店主、聞きたい事があったら遠慮無く聞いみたらどうだ?」
 妹紅は藍の口振りから、この二人がグルになって何かをしてくると警戒した。
 屋台を貸し切った藍からのお墨付きを得たミスティアは、客を相手する下手な態度から一転、強い意思を持った一人の妖怪の表情に変わる。
「あ、あのですね。あなたは、何故何もしなかったのですか?」
 一瞬何を言っているのか分からずキョトンとする妹紅に、藍がフォローを入れる。
「不死人狩りの事だ。」
「ああ、あれか・・・藍、そんなことを言わせるためにわざわざ屋台を選んだの?聞きたければ直接聞いたらどう?」
「私は別にそのことを聞きたいわけではない。だが、これは紫様の問題とも重なるし、第三者から直接話が出なければお前は恐らくずっと不死人狩りの事を大した事ではないと思い続けていまいそうだからな。」
「・・・何を言っているのかさっぱりだわ。」
 藍の説明の仕方は何となく分かるものの、大事なところをしっかり説明していないので結局何をしたいのか、何をさせたいのか見えてこない妹紅である。
「あなたはあの戦いで誰も傷つけなかった・・・私は幻想郷から排除すべき悪い人間がいると聞いて討伐に参加したけれど・・・あなたは、全然悪い人ではなかった・・・。みんな戦っている内に疑問になって、だんだん戦いから身を引いていきました。」
「私には戦う理由が無かったわ。」
「あれだけ殺されれば、理由は出来るでしょう?」
 妹紅の素っ気ない返答に怒りを覚えるように強い口調になるミスティア。
「妖怪には戦う者としてのプライドはある。」
 そこに藍が口を挟む。強者の無抵抗主義は人間にとっては美徳でも、妖怪にとってはそうではない。寧ろ屈辱を与えるものだ。スペルカードルールにおいても弱者の挑戦は特別な理由がないかぎり応じなければならないと、わざわざ明文化しているように、これは戦いに置いて重要なことなのである。
「そうね、それをわかっていたから何もしなかった。もし反撃して誰かを傷つければ、本当に罪人になってしまうしね・・・。」
「あの不死人狩りは、はっきり言うと紫様の致命的なミスだ。もし、妹紅が普通に戦って双方に被害が出るような戦いになっていれば、ミスティアだって他の妖怪だって疑問を持たず今も悪人としての妹紅の討伐を行っているかもしれない。永遠亭側の策略にまんまとはまった事を言い訳にするのもみっともないし、紫様は事の鎮圧に、私や幽香、その他幻想郷の部外者である、西行寺幽々子や四季映姫らも動員しようとしていたのだ。」
「ほんとか?」
「吸血鬼にも打診して鎮圧に助力を乞うところまで話がすすむ前に、何故か潮が引くように事態が収まった。誰の梃子入れも無しにな。紫様は下げたくもない頭を下げる必要が無くなり面目が保たれた。この事がどれほどのインパクトを紫様に与えたと思う?」
「・・・なぁ、ミスティア?」
「はい。」
「あの件で私が一方的に損をしているように皆思っているようだけど、それは違う。」
「え?」
「ほぅ?」
「ミスティアは単独妖怪だからわからないと思うけど、群れる妖怪達を利用して、永遠亭内部に連中を誘導して中で暴れ回って復讐の道具に妖怪達を利用していたんだよ。」
「永遠亭は向こうで道を閉ざすと私でも見つける事は出来ないぞ。隙間が開かない場所が多いしよくその場所がわかるな。」
「竹林在住暦は長いからどこから入ってもどっちにどのくらい歩けば永遠亭にたどりつくか分かるわ。カモフラージュされていても、場所が変わるわけはないからね。」
「なるほど・・・。」
「そうやって永遠亭の連中を追いつめて向こうから頭を下げさせた。私としては損したことよりも得した事が多いくらいなのよ。だから気にする事はないわミスティア。」
「・・・そうだったんですね・・・でも・・・ごめんなさい。」
 ミスティアは色々と事情を聞いたがやはり最後は謝罪をした。妖怪が謝罪するのはよっぽどの事である。
 プライドの高い妖怪としては、不死人狩りに参加してしまった言は、ある意味自分の経歴に傷を付けたようなもので、その傷を修復するにはどうしても謝らなければならないのである。
 そのミスティアの謝罪を聞いた藍は、コップの酒を一気に喉に流し込んで、話を変える合図とした。
「今回起こそうとする異変の発端もこの不死人狩りでな・・・。」
 妹紅はそこまでしゃべる藍に目配せして、ミスティアの前でいいのか?と無言で訴える。
「屋台の店主たるもの、客の話を口外しないものだ。な、ミスティア。」
 ギロリと睨まれた店主が硬直して背筋を伸ばす。
「も、もちろんです。」
「ま、話がもれたとしても、周囲のリアクションを見て連中の立場も見えてくるかもしれないしな。ま、どちらにしても話がもれれば屋台は終いだ。」
「焼き鳥なら得意よ。」
「ひー!勘弁してくださいよ!絶対に口外しませんから!」
 二人の強者を前にして生きた心地がしないミスティアである。


「で、その発端がなに?」
 すべて承知の上でこの場所を選んでいると分かって、話の続きを促す妹紅。
「お前に興味を持った紫様は、それと同時にこの不死人狩りについて正式に謝罪をしたかったのだ。」
「謝罪?」
「先日、博麗神社に呼んだ・・・と、言うより来るように仕向けたわけだが、あれは今回の異変を共同でやる上での話し合いをする前に正式な謝罪、それも土下座謝罪をするつもりで呼んだものだったのだ。」
「はぁ?」
 妹紅はその話を聞いて、先日の博麗神社の件を思い出す。あの時向こうが何かを言う前に、無条件で八雲紫に従うと名言した。
 あっと驚くであろう土下座謝罪というサプライズを用意していた紫に対して、妹紅の取った行動は次に話が続く流れを断ち切る、何でも言うことを聞くという下僕宣言である。
 妹紅はその時の様子を思い出し、突然込み上げる笑いに絶えられず、口に酒を含んだ酒をコップに吐き戻して大笑いする。
「今世紀最大の笑い話だったな。」
 横で腹を押さえて笑いを堪えるのに失敗した妹紅を横目に、藍も堪えられず声を出して笑う。紫の後ろにいた藍はその表情を見ることは出来なかったが、どんな顔をしていたかは想像がつく。
「何であの時怒ったのかわからなかったけど、そりゃー怒るわ。あはは・・・」
 妹紅との会見を行う前に、意図的に悪い印象を与えておき、会見において不意打ちの様に謝罪する事で相手の感情をひっくり返す・・・という腹づもりだったらしい。
 会見の前の妹紅の感情を変えたのは慧音の仕業であるが、まさかこんな結果になっていたとは本人も想像していなかっただろう。そして、その慧音とは離別しているのだから、先がどうなるのか分からないものである。
「萃香は事の前後を知らないから怒った紫様を真顔で叱るし、私も笑いを堪えるのに必死だった。」
 二人の強者が爆笑している珍しい光景を見ながら、藤原妹紅が八雲藍と対等に話している姿を興味津々に見やるミスティア。先程までの負の感情は消え、それとは正反対の別の感情が妹紅に対して向けられるようになっていた。
「ミスティアに限った事ではないが、多くの妖怪がお前を密かに注目していることは忘れない事だな。」
 藍はそう言って懐から紫色の綺麗な風呂敷を妹紅に差し出した。
「これは?」
「ここに来る前に紫様から預かってきたものだ。謝罪の手紙だそうだ。」
「今後の予定表とかじゃないのね?」
「うむ・・・で、その事なんだが、今までは紫様の用事で、これからは私の用事だ。」
「手紙渡すだけに随分と時間をかけたわね。」
「せっかくの場だ興が必要だと思ってな。」
 手紙を渡すだけの事なら1分とかからないわけだが、妹紅に一言あったミスティアを利用するために屋台をセッティングし、紫がどれほど不死人狩りについて申し訳なく思っているかを演出し印象づける藍に、半分呆れ、半分感心する妹紅。
「それで、藍の用事って?」
「三日後・・・今日も入れてだから、明日、明後日だな。三賢者会議が召集される。」
「三賢者会議?」
 初めて聞く言葉である。
「神主不在の今、幻想郷の取り決めを幻想郷外の有識者を集めて執り行っている。」
「それが三賢者会議か・・・。」
「うむ。いつもなら閻魔の四季映姫が召集するのだが・・・。」
「閻魔が賢者なんて世も末ね。」
「ふふ、なるほど、妹紅は分かっているな。お地蔵様ごときが賢者を名乗る資格は無いが、やつには利用価値があるからな。有効に利用させてもらっている。」
「利用価値?」
「王と呼べる権力者がいない里の法の下支えだ。」
「なるほど。」
 幻想郷を担当する閻魔、四季映姫は時々幻想郷の里に下りてきては説教などをしていくが、その閻魔に強い妖怪達が一目置く態度を示す事で、人間達が閻魔を畏れるようになる。それなりに強い閻魔なので、里の防護にも利用出来、幻想郷を管理する側にしてみれば一石二鳥である。
「映姫は頻繁に会議を招集して正直鬱陶しいのだが、今回映姫ではなく西行寺幽々子が召集したのだ。」
「西行寺・・・幽々子か・・・。」
 小姓を従え不死人狩りの極々初期に戦った事があるかなりの手練れだ。無条件に相手を殺す能力を持っているが、死から見放された妹紅にとってその能力は意味がないので、それほど怖いという印象はなかった。
「結論から言うと、この会議に出席してほしくないということだ。」
「・・・。」
 何故かと言い返さない妹紅。
「我々の考えている事はだいたいわかるだろ?」
「・・・おかしな因縁をふやしたくない?」
「それが一番だな。」
「二番は?」
 一番ということは二番、三番があるような言い方である。
「紫様と妹紅は正式に友好関係が成立したわけではない。要するにだ、自分が仲良くなる前に幽々子に仲良しになられたくないという事だな。」
「はぁ?何それ?」
 冗談の様な話を真顔で言う藍に思わず鼻白む妹紅。
「先程の話と無関係ではない。皆お前に興味を持っている。機会があれば、ミスティアのように直接疑問をぶつけたいと思っているのさ。」
 妹紅は幽々子の力が及ばない蓬莱人であり、唯一幽々子の天敵だ。その幽々子が不死人狩りですぐに身を引いたのは、そのことを知り身の危険を感じたからだろうか?
 不老不死など半信半疑で勢いで戦闘に参加し敵対してしまったものの、不老不死が事実で唯一の天敵を見出した恐怖が幽々子を走らせたとするなら、どうにか和解の機会を作りたいと、紫と同じ様な心境に陥ったのかも知れない。
「・・・。」
 藍の話は一理あると思う。しかし、紫の事だから一番ではなく、実は二番を最も重視しているのかもしれないと勘ぐる妹紅。
「会議に出席させたくないなら、この話を私にしなけれいいでしょ?」
「それだと、我々の否になる。」
「んじゃ、すっぽかせばいいの?」
「それも駄目だ。妹紅に否が出る。」
「私は別に構わないけど?」
「そう言うと思ったが、紫様はそれだけは絶対に駄目だと言い張ってな。」
 肩をすくめる藍だが、彼女の言いたいことは解る。謝罪しようとしている相手に否を被せたくはないということだ。
「ならどうすればいい?」
「そこで、だが・・・。」
 藍が体ごと妹紅に寄り顔を近づけて耳元で何かを言う。
 酒を注いだり、惣菜を出したりしながらも、自然に聞こえてきた二人の会話だが、この部分だけ聞こえず、少し残念なミスティア。
「うわーあんたも鬼ね。」
「生憎キツネだ。」
「そりゃー確かに“私達”の否にはならないけど・・・。」
「どうだ?乗るか?」
「・・・乗るわ。正直私も今は幽々子に会う気はないしね。」
 魅魔の件もあり、これ以上は勘弁してほしいと思う妹紅。
「すまんな。これで肩の荷が下りた。」
「こんな事までやらなければならないなんて、紫の式も大変ね。」
「まあな。」
 ニヤリと笑い席を立つ藍。
「私の用事は終わった。これで退散しよう。店主、これはお代だ。」
「え?こんなに?いくらなんでも・・・。」
 かなりの大金を渡す藍に困るミスティア。
「ミスティア。これが酒代だけではないことは解るな?」
「あ・・・はい・・・えーと・・・毎度有難う御座いました。」
 大人しく引き下がりお礼を言ってお代を受け取るミスティア。
「妹紅、屋台全部平らげてもお釣りが来る銭を払ったんだ。今日は好きなだけ飲んでくれ。いいだろ店主?」
「ええ、もちろんです!じゃんじゃん飲んでいってください。」
「明後日の正午に妹紅の家に迎えに来る。ではな。」
「ご馳走様。」
 そのまま暖簾をくぐり闇に消える藍。
 妹紅は両肘をカウンターに置いて両手でコップを持って酒をチビチビと喉に注ぎながら振り向かず藍を見送った。
 この会合はのっけから終始藍のペースだったと振り返る妹紅だが、楽しかったので良しとすることにした。
 それと、今回の件で一つ収穫があった。それは酒に酔える身体になっている事が分かった事である。新しい蓬莱の薬の力は任意に身体の状態を維持しなければならない面倒な体質になった反面、アルコールを勝手に分解しなくなった事で、酒に酔う事が出来るようになった。
 今までも酔う事は出来たが、分解スピード超えた大量の酒を摂取しなければならないし、例え酔えたとしても非常に短い時間に限られていたのである。
 ほろ酔い気分を任意に維持出来る。とても幸せな事である。