東方不死死 第32章 「禁書の牢獄」
ローマ帝国がキリスト教を公認した時代、教会の勢力は未だ拡大時期にあり、数十年後にローマ帝国国教へ繋がる過渡期にあった。
ユダヤ教から分離したキリスト教の一派は他の教義や思想を異教として弾圧し、あらゆる思想や哲学が集約されたアレクサンドリア図書館は彼らにとって危険な存在とみなされ攻撃の対象となっていた。
アレクサンドリア図書館がキリスト教徒の攻撃によってその貴重な蔵書の多くを失う中で、特に貴重な物は混乱のドサクサに紛れて別の勢力によって持ち出され、その他世界各地の貴重な品々と共に地中海を渡って彼の地に隠されたのである。
本名かどうかは定かではないが当時の魅魔はミーナと呼ばれ、彼女はキリスト教の修道士としてその最前線にいた。神を信じ総司教キュリオスに言われるがままに異教徒の街、施設を破壊し、略奪、人殺しもやり、西暦415年ヒュパティアの虐殺にも参加していた。
血走った目で異教徒追い立てる魅魔は、アレクサンドリア図書館に致命的なダメージを与えた作戦にも従事し、その中で異教徒が持ち運ぶ物資の行き先を突き止める任務を帯びて積荷を積んだ船を探し当てて乗り込むが、そこで見ることを禁じられていた禁書を初めて目にすることになる。
魅魔はそこで様々な真実を目の当たりにし自身のしてきた罪を知ると、心から反省し潔く彼らに降伏した。
本の輸送をしていた集団は、魔法使いのギルドに雇われた運び屋専門の傭兵で、ギルドはアレクサンドリア図書館の蔵書を喉から手が出るほど欲しがっており、キリスト教の襲撃に便乗して傭兵を雇って盗人行為をしたわけである。
魔法ギルドに対して直接敵対行為をしていない魅魔は、形式的な裁判を受けた後、許され真実と真理を追究する魔法使いに転身した。最初の任地として、蔵書の保管庫の管理責任者の一人として派遣され、そこで働く同僚の魔法使い司書と恋に落ちて結婚し女児を出産する。
ここで、魅魔の運命を変える悲劇が起こる。
魔法使いはキリスト教にとって異教であり、その魔法使いの指名手配リストにかつての信徒ミーナの顔を発見した教会は裏切り者を抹殺するために暗殺者を派遣する。
しかし、魅魔は魔法使いとしての先天的才能があり、数年で大魔道士に成長していたため暗殺者は容易に近づくことができなかった。
娘の首も落ち着き、少しだけ目を離せる時期になった時、暗殺者が魅魔の元に現れ乳飲み子の娘をさらい、魔法使いにとって不利な場所に誘いだし、娘を盾にして魅魔の命を奪おうとする。
娘の命と引き換えという条件で差し出した命だが、その思いは叶わず娘もまた殺害されそうになる。この時魅魔は心の底から神を呪った。今まで嘘を教えられてきた教会は憎んでも、神の存在は信じ敬ってきた。その神をこの時、初めて憎悪したのである。
まだ息のあった魅魔は娘を救うために魂を対価として悪魔と契約して暗殺者を葬る事に成功したが、同時に魅魔自身も契約が果たされ命を落とした。
売り渡した魂は教会に対する恨みが強く、魂を引き取った悪魔はその魅魔の怨念を制御出来ず逆に飲み込まれ、魅魔はそのまま悪魔と怨霊が融合した大悪霊になってしまったのである。
西暦420年の事である。
魔法使いギルドによって管理されていた禁書の図書館は、西ローマ帝国滅亡以後、ブルグント王国、神聖ローマ帝国と所属国を変えていき、フランス王国領に移った時には既に忘れ去れ数世紀が経っていた。
神聖ローマ帝国時代は、『監獄図書館』と名づけられ、当時は既に地中に埋められてはっきりとした場所が不明になっており、その周辺の深い森に住む悪霊が図書館を守っているというお伽話が伝説として語られる程度だった。
西暦1441年、禁書の牢獄。
窓一つない閉鎖された空間。そこは本来光が存在しない闇の世界であるべき処だが、超常的な力に支配され常識が通用しない世界となっていた。
陽光を取り入れる窓が一つも存在しないにも関わらず、この空間を目視出来るのは、そこが魔法の光で照らされているからで、それはすなわち魔法使いがこの空間を支配しているということである。
正方形の部屋を3つ以上ならべて出来たような長方形の部屋。魔法の光で照らされる場所は四角い部屋の片側の一部だけでそれ以外は光が闇に融けてしま部屋全体を見通す事は出来ない。天井も同様に闇が行く手を遮りどれくらい高いのか下からはわからない。
長方形の部屋であるため壁は広い面が2つ、狭い面が2つ向かい合っているが、魔法の光が存在する片側の狭い面以外の全ての面が本棚になっており、残りの面は石壁で、そこに巨大な振り子時計が時を刻んでいる。
時計の大きさはありふれた家の煙突より高い。こんな大きな時計でも天井の闇までだいぶ距離があり、このことからこの部屋がいかに大きいかがわかる。
見えない天井まで続く本棚もまた途中から闇に埋もれており、夥しい数の本が保管されている事が理解出来る。これだけ高い位置に本があるとどうやってそれを取ればいいのか?答えは簡単である。この部屋の住人が空を飛べる魔法使いという点を思い出せれば・・・。
本棚は壁面だけではなく、床の上に存在し迷路の様に並べられている。
大きな振り子時計のある側だけ本棚はなく、時計を背後に置くように机と椅子のセットが置かれている。その横に常に稼働中の魔法陣、机を挟んで反対側にティーセットが並ぶ飾り棚とL字型のカウンターテーブルがあり、その奥に小さなワイン棚が見える。
その夥しい本の量からそこは図書館であることには間違いが、机周りの状況から魔法使いの書斎といった方が適当かもしれない。
その机に一人の老婆が座って本を読んでいる。
老婆は腰が大きく曲がりそのせいか身体も小さく見える。やせ細って筋ばった腕が本のページを時折めくるが、栄養が足りず痩せているというより、もうじきお迎えが来そうな老衰状態と診るべきだろう。しかし、その目には未だ力があり、表情だけ見ればまだまだ死にそうにはない。
一心不乱に本を読むその老婆は何かの気配に気付き顔を上げる。
先程まで険しい表情だったその顔は、今は何故か満面の笑みが溢れている。この顔を見ればあと数十年は生きそうであるが、重い腰を上げるその動作は緩慢で、助けが要りそうな程弱弱しかった。
「ミーナ!」
しわがれた声がそう叫ぶと、その視線の先の本棚の影から一人の魔法使いらしい装束を身に纏った人物が現れる。
「パッチィ!」
『ミーナ』と呼ばれた人物は、呼びかけに応じて魔法使いの象徴ともいえる尖った帽子を脱ぐと、30代から40代と思しき女性の優しく微笑んだ表情が現れ、椅子から立ち上がって不自由な身体を必死に動かして近づこうとする『パッチィ』と呼ばれた老婆に駆け寄って抱擁する。
「よく来たねミーナ。もう会えないと思ったよ。」
腰が曲がって抱きつこうにも上手く抱きつけず、端から見れば女性の腰にタックルをしているようにも見えなくもないその老婆は、自分の寿命をある程度知っているかの様に、旧友との再会を心から喜んだ。
「もう何年も生きれそうにないからね。最後に会えて本当に良かったよ。」
ミーナと呼ばれる女性に支えられて椅子に戻されながら老婆は涙ぐむ。
「げんー・・・なんだっけ?」
「幻想郷。」
「そう、それ。それが出来たらもう会えないと前に言ってたけど・・・ここにミーナが居るって事は結局そのげん何とかは無しになったのかい?」
ミーナと呼ばれる魔女は、その幻想郷と呼ばれる場所では魅魔と呼ばれ畏れられている悪霊の大魔導師である。その魅魔はパッチィと呼ぶ老婆に相槌を打ちしながら、いつの間にか手に持っていたベルを1回振る。
そんな唐突とも言える魅魔の動作であったが、老婆から見ればいつも通りという感じで特に気に留める様子はない。
音の鳴らないベルの魔法の波動によって、横にある魔法陣が反応し強い光を発する。耳障りな衝撃音と天井に伸びる光の筋と共に魔法陣から1体のファミリアが召喚される。
ファミリアとは幻想郷の言葉に言い換えれば小悪魔や使い魔となり、要するに主人の言いつけを忠実に守る悪魔の召使いの総称である。
魅魔はその身に悪魔の遺伝子を取り込んでおり、それによって魔界の門を強制的に開く事が出来る。
普通の魔法使いが召喚できるファミリアは夜魔リリムが精一杯といったところだが、魅魔は淫魔リリスを僕にしている。
本来リリスはどんなに格が違っていても誰かの使い魔になるような性格ではない。
このリリスとの出会いは、博麗神社によって怨念を祓ってもらった後、一時ヨーロッパ方面に里帰りして魔法使いギルドに挨拶がてら仕事の依頼を受けてリリスの討伐をした際、その時倒したリリスの命乞いに対して名前を奪って主従契約する条件を飲ませて助命し、以後このリリスは魅魔の所有物としたのである。
紅い瞳と同じ色の長い髪の毛、一見すると衣服の装飾品のように見える伸縮自在の小さな翼、髪飾りの様な小さく目立たない角を持ち、娼婦のような艶やかな表情と優雅な物腰が印象的である。普通は一糸纏わない全裸を好むリリスだが、人目が悪いので魅魔は召使いのような地味な衣服を着用させている。この姿であれば、誰もリリスだとは思わない。
「久し振りだね『ルビー』。」
老婆にルビーと呼ばれたその使い魔は、妖しい笑みを含んだ表情で声の主に対して恭しく礼をする。その名の由来は深紅の瞳と同じ色の宝石で、魅魔が名づけた僕としての名前である。
「おや?それは?」
顔を上げたルビーが両手に何かを抱えている事に気付く。どうやらそれは柔らかい毛布にくるまれた小さな赤ん坊で、一人ずつ両手に抱え、さらに両肘に大きく重そうな荷物を引っかけている。恐らくそれは子供達に必要な荷物だろう。
「ルビーの子かい?」
予想もしていなかったその質問に思考が止まって一瞬固まるルビーは、その後肩をすくめ苦笑いしながら首を振ってそれ否定する。
「この娘達は吸血鬼の子供だ。」
困った表情のルビーの代わりに魅魔が答える。
「吸血鬼!こりゃまた驚いたねー・・・生きている内に生で本物を見る事が出来るなんて・・・運が良いやら悪いやら・・・。」
真理の探究者である魔法使いにとって未知との遭遇は好奇心を掻き立てるものである。書物の中でしかその名前を知らない老婆にとって、これ程の幸運はない。あと残り僅かな寿命が恨めしい限りである。
魅魔は、ルビーの抱えている子供を引き受け、荷物から解放された彼女にお茶の準備をさせる。
その後、幻想郷で起こった吸血鬼戦争の事の顛末とその裏事情を説明した魅魔は、弟子であり親友でもある老婆にこの不幸な吸血鬼の乳児達の面倒を見て欲しいと願い出る。
「他でもない、ミーナの頼みともあれば聞かないわけにはいかないねー・・・でも、私はもうじき逝っちまうよ?次に頼んだ方がいいんじゃないかえ?」
「私はもう自由にここには来れないんだ・・・少なくともこの子達が目覚める500年の間はな・・・。」
「そうかい・・・500年じゃ次はミーナの顔を見ずに逝ってしまうことになるね・・・。」
「私の替わりに、この子達の良き母、良き姉、良き友となってはくれぬか?」
「ああ、喜んで引き受けるよミーナ。」
「ありがとうパッチィ・・・恩に着る。」
西暦487年。
西ローマ帝国が滅亡すると、台頭する北方のフランク王国の影響が次第に南下し、当時ガリア地方からアイルランド方面を活動エリアとしていた魔法使いギルドは、エリア拡大の為にゲルマン地方に活動拠点を移すべく移動を開始する。
ギルドが直轄運営していた禁書の保管庫の蔵書関係は、この時期ほとんどが写本されオリジナルの存在意義は骨董的な価値しかなく、保存の為にかかる費用や労力の無駄を考えるとこれ以上の維持は難しくなったため放棄する事が決まる。
この時期魅魔は博麗によって救われ人間としての自分を取り戻した直後で魔導師として復帰しており、管理者が減って寂しくなったかつての仕事場、禁書の保管庫に娘の墓参りがてら里帰りしていた。
魅魔の娘は奇跡的に命を拾い、父親に育てられ母の跡を継いで魔法使いとして生き、子どもを生んで母親としてその天寿を全うした。享年67歳である。
自分に似ず凡庸だった事が幸いして重責と常に距離があり、魔法使いとしてはともかく人の親としては幸福な人生を送ったようである。
魅魔が悪霊になったのは、娘が殺されたと勘違いしたためで、この違いを博麗によって知らされた事が悪魔から人に戻る決め手となったのは言うまでもない。
放棄される書庫は、元々主要施設が地下にあったため人が退去した後は地上部破壊放棄し土を盛って埋め隠す事になっており、その任は魅魔が引き受ける事になっていた。
この時魅魔は運命的な出会いを経験する。
禁書の書庫の最後の管理人には娘が一人おり、それがだいぶ変わった娘で一日中書庫に籠もって本を読みあさり、空腹で気を失うまでそれを続け、更にこれを成人になるまで何度も繰り返していたため、家事全般女としても、それ以前に人としてもろくに働く事が出来ずにいかず後家になっていた。
魔法使いの家の出でありながら一切魔法とは無縁だったその娘に魅魔は魔法の手解きをしてやったが、最低限の魔法は使えるようになったものの魔法を学ぶ時間よりも本を読む時間が惜しいらしく正式な魔法使いとしての肩書きを得る程にはなれなかった。
西暦488年。書庫封印の日、管理人一家全員が北に出立し魅魔が最後の見回りをしている時、中にあの娘が大量の食料と水を確保して籠城しているところを発見する。
聞けば近隣の村から背格好が同じ娘に金を渡して身代わりに立て、家族を騙して書庫に忍び込んだというのである。娘は家族ともほとんどしゃべらず、いつも深々と帽子を被っていたので、特別な演技も必要なく変装する側にとっては簡単な仕事だった。
その事実を知った魅魔は怒りを通り越して呆れ果て、しばらくその娘と向かい合って話を聞く事にした。驚くことに本に関しては饒舌で、話し始めたら止まらず、それなりに長い付き合いではあったが、初めて彼女の本性を知った魅魔だった。
読んだ時は意味が分からない事でも、別の本で身につけた知識を基に、その本に戻ると意味が分かり、それらが無限に連鎖して自分の血となり肉となる感覚、彼女にとっての生きている実感がそこにあるのだと言う。
本を読んでいる時が生きている時だと豪語する彼女からこの書庫を取り上げることは彼女自身の実質的な死を意味すると共に、その強い意思が祟りとなって禍を起こすと心配になる魅魔。
ここから出したら一生魅魔を呪うと、書と共に朽ちる事を決意する娘。魅魔自身もこの蔵書を読んで目が覚め教会から離脱する事が出来た事をしみじみと思い出す。
「永遠の命が欲しい!一生本を読み続けられる朽ちない体が欲しい!ミーナの様になりたい!」
そう思うのは何もこの娘だけのことではない。魔法使い達は、人間の短すぎる寿命に嫌気が差して人外の存在に身を換える者が大勢いる。魅魔がこんな身体になってもギルドが平然と受け入れるのはそうした背景があるからでもある。
彼女自身も魔導を学べばそれも充分可能だったが、彼女はその学ぶ時間すら惜しんで本を読んでいた。
「お前のその望み叶えてやろう。両親には死んだと伝えておく。それでいいな?」
決意に満ちたその表情を見た魅魔は決断し、それを実行した。
それは、魅魔が最も得意とする魔法のカテゴリ「呪い」だった。
娘の魂はこの書庫という場所に永遠に縛られる呪いを掛けられ、人外の存在に転生し肉体が朽ちても生まれ変わる事が出来る特別な身体を手に入れる。
呪いはその言葉どおりに捕らえれば非常にネガティブなものに感じられるが、どんな暗黒魔法も人を救う力にはなれないのに対し、ただ一つ呪いという存在だけが人を救う力を生み出すことが出来るのだ。
「そなたは今書庫の住人として永遠を得た。」
「・・・。」
呪いを掛けられた娘の肉体はズブズブと腐り始め、歩く死体の様におぞましい姿に変化する。しゃべろうにも声が出せない。娘は騙されたと焦り、魅魔を睨む。しかし、魅魔は優しい眼差しが、絶望と恐怖に犯された娘の黒い心を漱ぎ落とす。
「お前は一度死んで転生する。これまでの記憶はもう無くなるが、お前が再び本を読める年齢になるまで私が責任を持って育てよう。だから安心して逝け・・・。」
今まで人間だった娘は土くれのような塊になって床に崩れ落ちる。魅魔はそこに残された紫色の美しい衣服をそっと取り上げ、残された土くれに手を入れて何かを取り出した。
それは生まれたばかりの赤ん坊だった。
抱かれた途端泣き叫ぶ赤子に戻った娘を優しくあやす魅魔。呪われた身体に人間と同じような栄養は必要なかったが思わず服をまくり乳房をだして授乳させようとしてしまう母親の顔の魅魔。
亡き娘を思い出しながら魅魔は満足そうに乳房にむしゃぶりつく赤ん坊を胸に抱いたまま、失った人としての身体を悼むようにうずくまって泣き続けた。
「その話は何度聞いても飽きないよ。」
リクエストした魅魔との思い出話に耳を傾けながら呪いによって死んだように動かず寝ているレミリアを胸に抱く老婆は、その可愛いらしい寝顔を見て思わず微笑む。
「吸血鬼だろうが、子供のうちはまるで天使だね。」
「・・・そうだな。」
フランドールを胸に抱き老婆の言葉に同意する魅魔。
「この子達の呪い・・・解ければいいのにねえ・・・。」
「この子達よりお前の呪いの方も心配したらどうだ?」
「呪いをかけた本人が言うことかね?」
「優れた魔導師となったお前にはもはやこの呪いは意味がないだろ?魔術で自分の身体などいくらでも好きに転生できるだろうに。」
「私はね、この図書館が気に入ってるんだよ。」
目を細めて周囲を見渡しながらしみじみと語る老婆。
「この子達は何れ幻想郷に戻る時が来るだろう。その時お前も一緒にくるといい。」
「無理にここを出たら呪いは成就される。そうなったら私は滅ぶだけさ。」
「きっとお前を連れ出す者が現れる。」
「そうだねー。もしそうなるなら、白馬に乗った美男子の王子様がいいねー。」
「またそれか?白馬の王子ばかりだな。」
これまで何度も自分を連れ出すのは白馬の王子だといい続ける老婆。
「生まれてこの方、人間といえば本にあるような王子様しか知らないからね。」
老婆は人間だった頃の記憶は無い。先代の記憶も引き継がれないので、残っている記録と魅魔という存在がそれぞれの歴代の自分を一つに繋げているだけである。老婆自身がその目で見た生命体とは、悪霊と悪魔と、今しがた初めて見た吸血鬼だけで、人間という存在を一度も見たことがないのである。
「残念ながら人間界には、しわくちゃの老婆を迎えにくる物好きな王子は存在しない・・・もし迎えに来る者がいるのなら、それは死に神が黒い魔法使いだけだな。」
「ふん、何だっていいさね。」
初めから迎えに来る者がいるなど期待していない老婆である。
西暦1441年当時の老婆は、西暦1147年に生まれた3代目である。その後1449年に3代目はこの世を去り、同時に4代目が誕生することになる。
「これから先500年はここに来る事は出来ない。今までずっと赤子のお前を私が面倒を見てきたが、次からはそうはいかないな・・・。」
「放置してても勝手に育つだろう?」
「身体は育つさ・・・だが親のいない子供がどんな大人になるか・・・ろくな者にはならんぞ?それでもいいのか?」
「それは困るねー・・・。で、何か策はあるのかい?」
策があると想定して質問する老婆。
「うむ、このルビーをお前にやろう。」
「え?」
想定していなかった答えに驚いた老婆は咄嗟にルビーの顔をまじまじと見てしまい当然そこで目が合う。この件はすべて了承済みという表情でニッコリと微笑み返すルビー。
「いいのかい?物のように簡単に貸し借りできるものではないんだろ?」
「ルビーのグランドマスターは私だ。お前を順位2位のマスターとして登録すればルビーの意思など関係ない。」
「でも、それじゃールビーが可愛そうだろう?」
「そんなことはないさ。ルビーはお前を気に入っているぞ?なぁ?ルビー。」
臆面もなく笑顔で頷くルビー。やらされているわけではなく、本心でそうしているようだ。
「そもそも3代目、お前を育てたのはルビー同然だぞ?」
「そういえばそうだったね・・・ルビー・・・それじゃーよろしく頼むよ?」
そう言ってパチュリーが身体を傾けてルビーの方を向いて立とうとする。しかし、それよりも早くルビーの方から歩み寄り椅子の前に跪く。
「すべて準備は出来ている。頭に手を乗せるだけでマスター認証は出来るはずだ。」
無言で頷いた老婆は、手が届くように膝近くに寄せるルビーの頭に優しく手を添えるように置く。
掌に小さな魔法陣が開くとルビーは一瞬痙攣し、魔法陣の光が消えると同時に立ち上がり、普段とは違う畏まったお辞儀をする。ルビーは動作を少しオーバーに見せる癖があるが、これは、声をほとんど出さないルビーの自己表現の手段で、気障に振舞っているわけではない。しかし、今の動作は、マスターに対する忠誠心からくる礼であった。
「後の事は全て任せるぞ。」
グランドマスターの命令に再び畏まるルビー。
「それからパッチィ。これは冥土の土産だ。お前もだが、次代にも宿題を出しておこう。」
そう言いながら魅魔は机に手を置いて魔法陣を開くと、そのまま手を持ち上げ何冊かの本を魔法陣から引き出す。
「これは?」
「これはルビーのコピーを作るための研究資料だ。時間は500年ある。自力で解明して自分の魔法にするのだな。」
「コピー?何のために?」
「先程も言ったがフランの方が少々厄介だ。目覚めた後、安定するまで何が起こるかわからん。落ち着くまでルビーのコピーにフランの世話をさせるといいだろう。」
「なるほど・・・デコイに使えってかい・・・それにしても、そんなにやばいのかい?その子は?」
魅魔に抱かれているフランドールを見ながら未だにこの乳児が凄まじい力を持っている事が信じられない。
「ああ、お前が死んでもどうということはないが、ルビーに死なれては困るからな。」
真顔で言って、言い終わってから破顔する魅魔。
「そりゃーそうだ。」
ゲラゲラと仰け反って笑う老婆。しわくちゃの顔がさらに酷くなる。
そうやってしばらく笑いあう2人は、笑い声のトーンが落ちるにつれて、それが別れの時を報せる合図である事を感じ取る。
「さて、老い先短い老婆の老後の楽しみが増えたところで、お別れだよミーナ。」
先に切り出したのは老婆の方である。
「うむ・・・。」
魅魔は立ち上がり別れの抱擁を求めたが、老婆は面倒くさそうに手を振って魅魔を追い払う。
「こっちは時間がないんだ。もう行きな。」
よっこらせと立ち上がった老婆は魅魔に目もくれず冷たく言い放って背を向け、抱いていたレミリアをルビーに差し出すともらった資料を取り、研究に役立ちそうな他の本を探しに本棚へよろよろと歩き出す。
レミリアを抱きながら新しいマスターの後を追おうとするルビーは、何かに気付いて立ち止まり魅魔に振り向く。魅魔はそれに応じて一度だけ頷き、最後に老婆に渡すはずだったアルカードの予言書とフランドールをルビーに託し声に出さず目で別れを告げる。
「(2人とも達者でな・・・。)」
魅魔の気配がなくなった禁書の牢獄に、一人乗り残された老婆は手に持っていた資料を落としてその場で泣き崩れる。魅魔の前で泣き崩れればいらぬ手間を取らせるだけである。魅魔には魅魔の都合があり、彼女にとって自分が重荷になることだけは何としても避けたかった。安心して魅魔は幻想郷とやらで仕事が出来るように強い自分を見せなければならないのだ。
「そうだったね・・・今は一人じゃないんだね。」
優しく背中をさするルビーの温もりを感じたパチュリーは涙を拭いて、その腕に捕まるように立ち上がる。
「ルビーだってつらいだろうにね。」
何かを諭す様にゆっくり首を振るルビー。
「・・・ありがとね。」
別れはつらいものである。しかし、死んで記憶をリセット出来る自分はそのつらさをそこで終わらせる事が出来るが、ミーナもルビーもずっとつらい別れを記憶に留めて生きていかなければならないのだ。その事に比べたら幸せなのだと自分に言い聞かせる老婆だった。
禁書の牢獄に6代目が誕生して23年が経過した。
人間で言えば既に成人に達している年齢ではあるが、閉鎖された呪われた空間内では、他者という尺度が存在する社会という名の時間の単位がないため、成長の度合いが年月と比例するとは限らない。今だあどけなさの残る少女はこの空間ではまだまだ幼児も同然だった。
いつも当たり前のように傍らにかしずく紅い目と紅い髪の悪魔は何も語らないが、この場所に残された膨大な資料から自分のルーツを紐解き今は自分が誰なのかをある程度知ることが出来る。
系譜を遡ると、初代は西暦488に誕生し、349年の生涯を閉じると同時に2代目が誕生し、2代目は西暦837年に誕生して310年生きて3代目が西暦1147年に生まれている。
この3代目の死に際に何か重要なものを誰かに託され、それと同時に受け継がれたお伽噺の本が今自分の手元にある。
その予言めいたお伽噺の表題のプレートに『亡き王女のための七重奏』とあり、その表題を描いたのが先代5代目で、それまで無題だった事が判明している。
4代目は西暦1449年に生まれ、この4代目の残した研究資料は膨大を極め、手に負えない程の資料が残されている。すぐにでも研究に着手したいところだが、生まれてから間がなく、さらに今手元にあるお伽噺の運命の時が目前に迫っている為、真偽が気になって落ち着いて作業が出来ないでいる。
345年生きた4代目は西暦1794年に死去。同時に誕生した5代目はこれまで300年以上生きていた他の自分達とは違い124年しか生きていない。残された記録とルビーの記憶から、重要な何かを復活させる為の段取りに魔力を使い果たして早死にしたらしい。
そして6代目の自分は西暦1918年に誕生し現在23歳である。
西暦1941年。
この年、500年の時を超え何者かが永い眠りから目覚める。と、予言書や他の資料にある。
最初はお伽噺か何かと思っていたが、ルビーがルビーそっくりの使い魔達を召喚し始め、何やら慌ただしく準備を始めている様子から本当に何かが目覚めようとしている事がわかる。短命だった先代がもう少し具体的な情報を残してくれていれば、自分も何かできるのではないかと思うのだが、如何せん何も分からない。
しかし、ルビーの様子を見ていると全て心得ている様で、ここは彼女に一任するのが得策であると判断した。
小さな子供用のベッドを2つ、本棚を幾つか端し寄せてスペースを作って並べている。まるで産卵期を迎えた親鳥が忙しなく巣の準備をしているようである。もしかしてルビーが子供を生もうとしているのだろうか?
2人きりだったこの『ヴワル監獄図書館』も7人の使い魔が増えて私とルビーも含めて合計9人になった。広いと思っていた図書館も今は狭く感じる。
数日が過ぎた頃、ルビーが一冊の楽譜を差し出してくる。題名は『亡き王女のための七重奏』。お伽噺と同じタイトルである。これは偶然だろうか?しかし、これは神を称える歌だ。悪魔に賛美歌の七重奏を謡わせようというのか?結果がどうなるか楽しみでもありしかし危険でもある。恐らく結果は後者になるに違いない。
動いていない大きな振り子時計。いつ止まったかは記録にない。少なくとも自分が物心付いた時には時計は止まったままである。
なぜ急に時計の話になったのかいくつか理由がある。
問題にしたいのは止まっている事ではなく、その止まり方である。止まる事自体はしようがないにしても、その止まり方が普通ではない。振り子が大きく横に振れたところで止まっている。何かの衝撃で急に動きだしそうだ。
そして、時計を問題にしたい最大の理由が、すまし顔のルビーがその危険な時計背にするように自分を立たせ、向かい合うように使い魔達を整列させているのだ。不満そうな表情を見せる使い魔達。時計の事が不満なのではなく、神を讃える歌を謡わなければならないことに対する不満だろう。私は歌はどうでもいい。この危険な時計と悪魔の歌の挟み撃ちが気に入らないのだ。
有無を言わせず指揮棒を持たせられた私は、僕のはずのルビーにそれを振れと命令される。本当にやっていいのだろうか?色々な意味で悪い予感しかしない。もしかしたら、先代の壮大な悪戯なのかもしれない。いや、むしろ悪戯であってほしい。
ルビーは、忠実な僕であると同時に、自分を育ててくれた母であり、姉のような存在である。
時折見せる妖しく値踏みするような艶かしい表情を見ると、まるで自分の成長を別の意味で楽しみにしているようでなんだか怖い。僕でありながら彼女の命令には逆らえないので、この先、ルビーと上手くやっていけるのか不安である。
全ての準備が整ったと目で知らせるルビーの合図で私は指揮棒を振り下ろし使い魔達に謡えと命令する。
「どうにでもなれ!」
悲鳴の様な絶叫が図書館に木霊する。当たり前だ。悪魔に神を称えさせるなど、吸血鬼の口の中にニンニクを無理矢理突っ込むようなものである。
鼓膜を切り裂く様な絶叫と悲鳴の七重奏は、共鳴現象を引き起こし図書館全体を振動させる。もはや賛美歌どころか歌としての体をなしていない。声を出せないのか出さないのかルビーは私の傍らで必死に耳を塞いでいる。そして、最も恐れていた事が起こる。
あの振り子時計が衝撃波のような悲鳴によって突然動き出したのである。
振り子は向かって右から左にスイングして壁の本棚にぶち当たると、大きな音を立てて一瞬そこで止まり、その後勢いを失って右にゆっくりと戻る。そしてすぐに何事も無かったかのように正常な反復運動を始める。
自分の立っていた場所に本棚や本の破片がばらばらと降り注ぎ、思わず前に倒れ込んでそれをかわし床に伏せた。間一髪、我ながらよく身体が動いたと感心する。その状態でほっと胸を撫で下ろした瞬間、駄目押しの様にまた衝撃を受ける。時計の長針と短針が12時を指して、悪魔達の悲鳴よりも大きな時報の鐘が鳴りだしたのである。
ゴーンという鐘の音の轟音は私の身体を芯から震え上がらせたが、そこで奇跡とも思える現象が起こる。
悪魔達の悲鳴をかき消すかと思われたその鐘の音は、不協和を生み出していた悪魔達の声の不要な音域を打ち消し必要な音と共鳴して隠れていた美しいハーモニーを浮かび上がらせたのである。
この今にも天使が舞い降りそうな荘厳な音に気付かない悪魔の歌い手達。唖然としてぽかんと口をあけるルビー。完全に心が奪われ放心する私。
しかし、この美しい歌声とその場の雰囲気を強く否定する存在が突如現れる。
「うるさーい!やめろー!」
その声と共にこの世の全ての音が破壊されたかのように耳障りな無音の静寂が訪れる。
しばらくそうしていると先程とは明らかに性質が違う地震の様な振動が視界を揺らす。何も出来ずただ何かが起こる事を待つしかないのかと、ルビーに目をやるが彼女もこの状況に困惑している様子である。それを見てより一層不安が募る。ルビーは段取りは指示されても、結果は全くしらされていないようである。
それにしても、今の声は誰だろう?
振動は床から起こっており、すぐに変化が目に見える形で現れる。
部屋の中央に大きな魔法陣が現れると、その上の本棚を端に押しのけ、フラットになった床の石畳が魔法陣の円周に沿って外側から中央に向かって順に下に落ち込んですり鉢上の階段を作る。本で見たあり地獄を思い出した。
唖然とするしかない、恐らく先代の仕込んだ壮大な仕掛け。この仕掛けで何者かの復活を演出するために文字通り身命を注いだのだろう。凄いのか凄くないのか分からないが、とにかく驚いたのは確かである。
立ちあがって恐る恐るすり鉢の縁に移動して中心を見下ろす。そこには美しく装飾された石の棺が一つあるのが見えた。
階段状に傾斜したそのすり鉢の底に石棺があり、吸い寄せられるようにゆっくりとその場所に降りた。いつの間にかルビーも後ろにいた。とても心強い。
石棺に近付き手を伸ばして触れようとした時、それを待っていたかのように石棺の蓋が勢い良く上に飛び上がり見えない天井にぶつかると、少し間をおいて破片の雨が降り注ぐ。
「あぶない!」
私は、先の「うるさい、やめろ」という叫び声に幼さを感じ、石棺の中に子供が居ると咄嗟に感じて落ちてくる石棺の蓋の危険性を自分の身を顧みず報せた。どうせここで死んでも生まれかわれるから・・・。
しかし、その甲斐もなく、落ちてきた蓋は石棺から現れた小さな人影によって粉々に砕かれる。
巻き上がった埃が静まると、石棺の上に一人少女が立っていた。
その姿は10歳前後の子供にも見えたが、資料にも存在しない異様な羽を持ち、燃え盛る真っ赤な瞳と耳まで裂ける口が醸し出す邪悪な笑みが、それが普通ではない何かであることを示していた。
背中を少し丸くして今すぐにでも襲いかかりそうな体勢のその小さな怪物を危険と判断したルビーは間に立塞がり、私を守ろうとする。
その時、先程の声とは違う別の落ち着いた美しい声が音楽を奏でるように響く。
「止めなさいフラン。この人達は敵ではないわ。そうでしょ?」
その怪物の後ろにもう一人少女のような姿が現れる。この目の前の怪物はフランと呼ばれた。そして語尾は私に向けられたものだとわかった。
彼女の存在がこの空間の空気を一瞬で入れ替えてしまった。私はその時の感想を後にそう日記に記した。
「あ、貴女は?」
「私はレミリア・スカーレット・・・そして、この子が妹のフランドール。私たちはそれしか知らないの・・・ところで貴女は?」
後ろにいるルビーを無視して私を指命するレミリアと名乗る少女。名前と姉妹である事以外知らないというが、どうやらこの図書館の主が誰かと言うことは直感で分かるらしい。
「私はパチュリー・ノーレッジ。この図書館の主・・・とは言っても私も生まれたばかりで他の事はよくわからないの・・・。」
「ふーん・・・似たもの同士ってことね。ところで私が何者なのか、ノーレッジさんはご存知?」
ノーレッジと姓で呼ばれる事にとてつもない違和感を感じる。
「名前で呼んでくれていいわ。」
「分かったわパチェリー。」
「パチュリーよ。」
「失礼、パチュリー。私の事もレミリアと呼んでもらって構わないわ。」
幼いながらも気品と気高さが声に備わっており、ただの子供でない事はわかる。
最初に名前を間違えたレミリアは、その後も何度か同じ間違いを繰り返し、何時の間にかその間違った呼び方を元に愛称で呼ばれる事になった。そしてその頃には私も彼女をレミィと愛称で呼んでいた。
私とルビー、そして新たに加わった2人の吸血鬼の姉妹を加えた4人家族で、今は楽しい日々を送っている。
フランの発作でファミリアを沢山失ったが、このファミリア達はその為に存在しているので、可哀想だが仕方がない。しかし、その尊い犠牲のお陰で最近は犠牲者がだいぶ減った。
お伽話の本かと思った『亡き王女のための七重奏』という題名は先代がつけたものだ。あの壮大な仕掛けの意味がこのタイトルに込められていたことは身を持って知った。それだけにこの本はただのお伽噺ではなく重要な意味を持っているとわかる。
レミィはこの本の主人公の王女を自分に重ね合わせてすっかりその気になっているが、確かにこの本はレミィを題材にした本だと確信できる。私やルビーと思しき人物も登場しているからだ。
しかし、この本が書かれたのは500年前。何故私達がここに登場するのだろうか?結論としてはありきたりであるが、これはお伽話の形をした予言書なのだ。
となれば、私達が、いやレミィが取るべき行動はこの予言書に沿う事である。
予言書によるとこの後、誰かが迎えにやって来て、王女、つまりレミィはどこか別の場所に旅立つ事になる。そこで新たな従者を従えて、その従者の導きよって最高の僕を手に入れる・・・という未来を辿る事になる。
「私は・・・どうすればいいんだろう?」
この予言書に私とレミィの出会い以降の事で私と思しき登場人物の記載はない。
レミィ達がいなくなった後、またルビーと2人でここで過ごすことになるのかもしれない。
楽しい日々を過ごしつつも、先の見えないこの状況に悶々とする日が多くなっていった。
生まれてから42年が経った西暦1960年。レミィが旅立つ時が来た。
具体的にどうやって旅立つのかわからないのに、それを信じて全く疑う気配がない。これは彼女達が正真正銘中身も子供だからなのか、単に能天気なだけだからなのか・・・。
一つ確信している事は、自分はこの図書館から出る事は出来ないという事である。
外界から来た人間に連れ出して貰わないかぎりこの呪いからは逃れられない。そして、この場所に来れる人間など一人も存在しない。
魅魔と名乗った悪霊の大魔導師が私を懐かしそうに見る。この人?がレミィ達を私から奪う悪者だろうか?
2人の吸血鬼姉妹共々彼女に抱きしめられ、どんな顔をしていいのか分からない。この悪霊にとって自分は懐かしい存在であるのはわかるが、私にとってこの悪霊は他人でしかない。いや、他人ではない敵だ。私にとって身内はルビーと、この吸血鬼姉妹だけなのだ。
泣いている悪霊を他人ごとの様に感じながら、この悪霊の所有物であるルビーともお別れをしなければならないのかと思うと怒りを覚える。
私はここで全てを失うのだ。
未来という希望に満ちた光の中にいるレミィ、フラン、魅魔、ルビーの4人に対して、自分だけが闇の中に取り残されたような、そんな惨めな気持ちなる。
みんな、私を置いていかないで!私も連れて行って!もう一人はイヤ!誰か!誰か!誰か!お願い!私を迎えにきて!私を連れ出して!お願い!誰か!
「・・・!」
「・・ェ!」
「・チェ!」
「パチェ!聞いてるの?パチェったらぁ!」
呼ばれている事に気づき、顔を上げると間近に親友の頬を膨らませた顔があった。その後ろの3人の顔も不思議そうにこちらを見ている。
何かに気付いたかのように大嫌いな魅魔が近づいてくる。
魅魔が私の目の前で跪くと目の高さが逆転する。見上げる魅魔の表情は明らかに私を哀れんでいる目だった。そんな目で見ないでほしい。余計に惨めになってくる。
生まれつき喘息という魔法使いにとって致命的ともいえる持病を持ち、身体が弱く、そのせいか身長もあまり伸びなかった。恐らく歴代の私の中で今の私が一番出来が悪いのだろう。先代のあの壮大な仕掛けなど私には到底出来ない。
「パッチィ・・・いや、パチュリー・ノーレッジよ。3代目までの付き合いでしかない私にとって、今のお前は全くの他人かもしれない。だが、お前は確かに私が生んだ私の娘だ。」
そう言って魅魔は優しく私を包み込んだ。
悪霊のくせに・・・罵ろうとしても次の言葉が出ない。必死に声を出そうとしても、私の中にいる別の私がそれを拒む。私は耐え切れず、魅魔の背中に腕を回し、しがみついて泣いた。
「呪いの本質、醍醐味を知っているか?大きな制約によって生じる鋭い尖った力を利用する魔法だ。お前は喘息というハンデを背負っている。だが、それは発想を変えれば呪いと同じ、制約でしかないのだ。」
私は思わず悪霊の腕から逃れその顔をまじまじと見つめた。
「お前は気付いていない。だが私もルビーも気付いている。お前の魔力はその制約によって強く増幅されていること・・・。」
「え?」
「皆が300年かけて得た力も、お前なら数年でマスターできる。お前の喘息は、強すぎる魔力を抑えるための制限装置だと思えばいい。な?そう思えば何も後ろ向きに考える必要はないだろう?」
「でも・・・。」
私はまだ納得がいかない。
「出来ないと思ったら魔道はそこで終わる。常に前を向き、立ちはだかる困難を克服するのが魔道の真髄だ。お前が望めばそれは成功の始まりだ。さぁ、お前は何を望む?」
「私は・・・。」
「私は?」
「私はレミィたちと一緒に幻想郷に行きたい!」
私は今まで言えなかった言葉をようやく口にした。そして魅魔もそれを待っていた。
「うむ、ならばその願い叶えよう!」
「でも、無理よ!・・・私はここから出れない・・・。」
「諦めたらそこで終わりだぞ?」
「でも、どうやって!」
「幻想郷にはレミリアたちの居場所が既に存在する。だが、そこはかつての大戦以降封印された閉鎖空間になっている。」
「閉鎖空間?」
まるでここと同じである。
「私はこの牢獄を幻想郷の紅魔館、レミリアの家の真下に移設させることが出来る。」
「・・・やっぱりだめよ・・・移設させただけでは出れないわ・・・。」
「お前の魔道はそんなものか?何故どうすれば繋がるか考えない?」
両肩を強くつかまれじっと目を見る魅魔。頭ではわかる・・・でも、いざそれを実行するとなると出来るかどうかわからない。
「フラン、お前ならどうする?パチュリーはここを頑なに動きたくないそうだ。」
「簡単だよ!私達の家を図書館につめこんじゃえばいいのよ!」
「!」
私はまるでハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
「どうだ、パチュリーできそうか?」
「ええ、出来るわ!これなら出来る!」
図書館という存在を自分に重ねて過小評価していたことに気付いた。紅魔館の中に図書館を詰め込んでも私は紅魔館に入れない。でも、図書館の中に紅魔館を取り込むという発想なら・・・私は紅魔館にも入れ、レミィ達と一緒に行動が出来る。結局外にでれないのは同じだけど、でも、それはレミィも同じ。そして、幻想郷とやらに行けば、もしかしたら誰かが外から連れ出してくれるかもしれない!
闇に覆われていた私の心に光が差す。
「紅魔館を取り込むのはお前の仕事だ。お前なら出来る。出来なければ出来るまでがんばれ!」
両肩を掴む腕の力を一度ぎゅっと強めてから立ち上がる魅魔。
「あ、ありがとう・・・み、ミーナ。」
今の私に出来る精一杯の贈り物だった。
「・・・懐かしい響きだ。ありがとうパッチィー・・・達者でな。」
「ルビー・・・これでお別れね・・・。」
私はルビーにも別れの挨拶をしたが、彼女は意外な態度をとった。首を横に振って別れを拒絶したのだ。
「ルビーはとっくにお前のものだ。」
魅魔は500年前、マスター認証ではなく、権利譲渡をしていたのである。
涙が止まらなかった。これほどまで自分が大切にされていたのに、一時でも恩人を嫌いになった自分が許せなくなる。
「レミリアとフランのこと、くれぐれも頼んだぞ。」
「任せて!2人は私が必ず守るわ!」
その私の決意に満ちた強い言葉に満足するように頷くミーナ。
いつの間にか周囲は光に覆われ、私とレミィ、フラン、ルビー、そしてミーナの姿だけしか見えなくなっていた。
やがて背を向けたミーナが私達4人と反対方向に歩き出し、光の中に溶けて行く。
「また会いましょう、偉大な魔道士よ・・・次会う時は新しい従者達もいっしょよ。」
いつの間にか私の手を握っていたレミィが光の向こうにいるであろうミーナとの再会を誓う。
レミィの握っている手と反対の手にフランがぶら下がるようにしてはしゃいでいる。この状況に動じている様子がない。流石吸血鬼である。
背後にルビーの眼差しを感じながら、新しい未来が今目のまで開いていくのを全身で感じる。
「さぁ、行きましょう。」
西暦1960年、私達は幻想郷入りした。
ローマ帝国がキリスト教を公認した時代、教会の勢力は未だ拡大時期にあり、数十年後にローマ帝国国教へ繋がる過渡期にあった。
ユダヤ教から分離したキリスト教の一派は他の教義や思想を異教として弾圧し、あらゆる思想や哲学が集約されたアレクサンドリア図書館は彼らにとって危険な存在とみなされ攻撃の対象となっていた。
アレクサンドリア図書館がキリスト教徒の攻撃によってその貴重な蔵書の多くを失う中で、特に貴重な物は混乱のドサクサに紛れて別の勢力によって持ち出され、その他世界各地の貴重な品々と共に地中海を渡って彼の地に隠されたのである。
本名かどうかは定かではないが当時の魅魔はミーナと呼ばれ、彼女はキリスト教の修道士としてその最前線にいた。神を信じ総司教キュリオスに言われるがままに異教徒の街、施設を破壊し、略奪、人殺しもやり、西暦415年ヒュパティアの虐殺にも参加していた。
血走った目で異教徒追い立てる魅魔は、アレクサンドリア図書館に致命的なダメージを与えた作戦にも従事し、その中で異教徒が持ち運ぶ物資の行き先を突き止める任務を帯びて積荷を積んだ船を探し当てて乗り込むが、そこで見ることを禁じられていた禁書を初めて目にすることになる。
魅魔はそこで様々な真実を目の当たりにし自身のしてきた罪を知ると、心から反省し潔く彼らに降伏した。
本の輸送をしていた集団は、魔法使いのギルドに雇われた運び屋専門の傭兵で、ギルドはアレクサンドリア図書館の蔵書を喉から手が出るほど欲しがっており、キリスト教の襲撃に便乗して傭兵を雇って盗人行為をしたわけである。
魔法ギルドに対して直接敵対行為をしていない魅魔は、形式的な裁判を受けた後、許され真実と真理を追究する魔法使いに転身した。最初の任地として、蔵書の保管庫の管理責任者の一人として派遣され、そこで働く同僚の魔法使い司書と恋に落ちて結婚し女児を出産する。
ここで、魅魔の運命を変える悲劇が起こる。
魔法使いはキリスト教にとって異教であり、その魔法使いの指名手配リストにかつての信徒ミーナの顔を発見した教会は裏切り者を抹殺するために暗殺者を派遣する。
しかし、魅魔は魔法使いとしての先天的才能があり、数年で大魔道士に成長していたため暗殺者は容易に近づくことができなかった。
娘の首も落ち着き、少しだけ目を離せる時期になった時、暗殺者が魅魔の元に現れ乳飲み子の娘をさらい、魔法使いにとって不利な場所に誘いだし、娘を盾にして魅魔の命を奪おうとする。
娘の命と引き換えという条件で差し出した命だが、その思いは叶わず娘もまた殺害されそうになる。この時魅魔は心の底から神を呪った。今まで嘘を教えられてきた教会は憎んでも、神の存在は信じ敬ってきた。その神をこの時、初めて憎悪したのである。
まだ息のあった魅魔は娘を救うために魂を対価として悪魔と契約して暗殺者を葬る事に成功したが、同時に魅魔自身も契約が果たされ命を落とした。
売り渡した魂は教会に対する恨みが強く、魂を引き取った悪魔はその魅魔の怨念を制御出来ず逆に飲み込まれ、魅魔はそのまま悪魔と怨霊が融合した大悪霊になってしまったのである。
西暦420年の事である。
魔法使いギルドによって管理されていた禁書の図書館は、西ローマ帝国滅亡以後、ブルグント王国、神聖ローマ帝国と所属国を変えていき、フランス王国領に移った時には既に忘れ去れ数世紀が経っていた。
神聖ローマ帝国時代は、『監獄図書館』と名づけられ、当時は既に地中に埋められてはっきりとした場所が不明になっており、その周辺の深い森に住む悪霊が図書館を守っているというお伽話が伝説として語られる程度だった。
西暦1441年、禁書の牢獄。
窓一つない閉鎖された空間。そこは本来光が存在しない闇の世界であるべき処だが、超常的な力に支配され常識が通用しない世界となっていた。
陽光を取り入れる窓が一つも存在しないにも関わらず、この空間を目視出来るのは、そこが魔法の光で照らされているからで、それはすなわち魔法使いがこの空間を支配しているということである。
正方形の部屋を3つ以上ならべて出来たような長方形の部屋。魔法の光で照らされる場所は四角い部屋の片側の一部だけでそれ以外は光が闇に融けてしま部屋全体を見通す事は出来ない。天井も同様に闇が行く手を遮りどれくらい高いのか下からはわからない。
長方形の部屋であるため壁は広い面が2つ、狭い面が2つ向かい合っているが、魔法の光が存在する片側の狭い面以外の全ての面が本棚になっており、残りの面は石壁で、そこに巨大な振り子時計が時を刻んでいる。
時計の大きさはありふれた家の煙突より高い。こんな大きな時計でも天井の闇までだいぶ距離があり、このことからこの部屋がいかに大きいかがわかる。
見えない天井まで続く本棚もまた途中から闇に埋もれており、夥しい数の本が保管されている事が理解出来る。これだけ高い位置に本があるとどうやってそれを取ればいいのか?答えは簡単である。この部屋の住人が空を飛べる魔法使いという点を思い出せれば・・・。
本棚は壁面だけではなく、床の上に存在し迷路の様に並べられている。
大きな振り子時計のある側だけ本棚はなく、時計を背後に置くように机と椅子のセットが置かれている。その横に常に稼働中の魔法陣、机を挟んで反対側にティーセットが並ぶ飾り棚とL字型のカウンターテーブルがあり、その奥に小さなワイン棚が見える。
その夥しい本の量からそこは図書館であることには間違いが、机周りの状況から魔法使いの書斎といった方が適当かもしれない。
その机に一人の老婆が座って本を読んでいる。
老婆は腰が大きく曲がりそのせいか身体も小さく見える。やせ細って筋ばった腕が本のページを時折めくるが、栄養が足りず痩せているというより、もうじきお迎えが来そうな老衰状態と診るべきだろう。しかし、その目には未だ力があり、表情だけ見ればまだまだ死にそうにはない。
一心不乱に本を読むその老婆は何かの気配に気付き顔を上げる。
先程まで険しい表情だったその顔は、今は何故か満面の笑みが溢れている。この顔を見ればあと数十年は生きそうであるが、重い腰を上げるその動作は緩慢で、助けが要りそうな程弱弱しかった。
「ミーナ!」
しわがれた声がそう叫ぶと、その視線の先の本棚の影から一人の魔法使いらしい装束を身に纏った人物が現れる。
「パッチィ!」
『ミーナ』と呼ばれた人物は、呼びかけに応じて魔法使いの象徴ともいえる尖った帽子を脱ぐと、30代から40代と思しき女性の優しく微笑んだ表情が現れ、椅子から立ち上がって不自由な身体を必死に動かして近づこうとする『パッチィ』と呼ばれた老婆に駆け寄って抱擁する。
「よく来たねミーナ。もう会えないと思ったよ。」
腰が曲がって抱きつこうにも上手く抱きつけず、端から見れば女性の腰にタックルをしているようにも見えなくもないその老婆は、自分の寿命をある程度知っているかの様に、旧友との再会を心から喜んだ。
「もう何年も生きれそうにないからね。最後に会えて本当に良かったよ。」
ミーナと呼ばれる女性に支えられて椅子に戻されながら老婆は涙ぐむ。
「げんー・・・なんだっけ?」
「幻想郷。」
「そう、それ。それが出来たらもう会えないと前に言ってたけど・・・ここにミーナが居るって事は結局そのげん何とかは無しになったのかい?」
ミーナと呼ばれる魔女は、その幻想郷と呼ばれる場所では魅魔と呼ばれ畏れられている悪霊の大魔導師である。その魅魔はパッチィと呼ぶ老婆に相槌を打ちしながら、いつの間にか手に持っていたベルを1回振る。
そんな唐突とも言える魅魔の動作であったが、老婆から見ればいつも通りという感じで特に気に留める様子はない。
音の鳴らないベルの魔法の波動によって、横にある魔法陣が反応し強い光を発する。耳障りな衝撃音と天井に伸びる光の筋と共に魔法陣から1体のファミリアが召喚される。
ファミリアとは幻想郷の言葉に言い換えれば小悪魔や使い魔となり、要するに主人の言いつけを忠実に守る悪魔の召使いの総称である。
魅魔はその身に悪魔の遺伝子を取り込んでおり、それによって魔界の門を強制的に開く事が出来る。
普通の魔法使いが召喚できるファミリアは夜魔リリムが精一杯といったところだが、魅魔は淫魔リリスを僕にしている。
本来リリスはどんなに格が違っていても誰かの使い魔になるような性格ではない。
このリリスとの出会いは、博麗神社によって怨念を祓ってもらった後、一時ヨーロッパ方面に里帰りして魔法使いギルドに挨拶がてら仕事の依頼を受けてリリスの討伐をした際、その時倒したリリスの命乞いに対して名前を奪って主従契約する条件を飲ませて助命し、以後このリリスは魅魔の所有物としたのである。
紅い瞳と同じ色の長い髪の毛、一見すると衣服の装飾品のように見える伸縮自在の小さな翼、髪飾りの様な小さく目立たない角を持ち、娼婦のような艶やかな表情と優雅な物腰が印象的である。普通は一糸纏わない全裸を好むリリスだが、人目が悪いので魅魔は召使いのような地味な衣服を着用させている。この姿であれば、誰もリリスだとは思わない。
「久し振りだね『ルビー』。」
老婆にルビーと呼ばれたその使い魔は、妖しい笑みを含んだ表情で声の主に対して恭しく礼をする。その名の由来は深紅の瞳と同じ色の宝石で、魅魔が名づけた僕としての名前である。
「おや?それは?」
顔を上げたルビーが両手に何かを抱えている事に気付く。どうやらそれは柔らかい毛布にくるまれた小さな赤ん坊で、一人ずつ両手に抱え、さらに両肘に大きく重そうな荷物を引っかけている。恐らくそれは子供達に必要な荷物だろう。
「ルビーの子かい?」
予想もしていなかったその質問に思考が止まって一瞬固まるルビーは、その後肩をすくめ苦笑いしながら首を振ってそれ否定する。
「この娘達は吸血鬼の子供だ。」
困った表情のルビーの代わりに魅魔が答える。
「吸血鬼!こりゃまた驚いたねー・・・生きている内に生で本物を見る事が出来るなんて・・・運が良いやら悪いやら・・・。」
真理の探究者である魔法使いにとって未知との遭遇は好奇心を掻き立てるものである。書物の中でしかその名前を知らない老婆にとって、これ程の幸運はない。あと残り僅かな寿命が恨めしい限りである。
魅魔は、ルビーの抱えている子供を引き受け、荷物から解放された彼女にお茶の準備をさせる。
その後、幻想郷で起こった吸血鬼戦争の事の顛末とその裏事情を説明した魅魔は、弟子であり親友でもある老婆にこの不幸な吸血鬼の乳児達の面倒を見て欲しいと願い出る。
「他でもない、ミーナの頼みともあれば聞かないわけにはいかないねー・・・でも、私はもうじき逝っちまうよ?次に頼んだ方がいいんじゃないかえ?」
「私はもう自由にここには来れないんだ・・・少なくともこの子達が目覚める500年の間はな・・・。」
「そうかい・・・500年じゃ次はミーナの顔を見ずに逝ってしまうことになるね・・・。」
「私の替わりに、この子達の良き母、良き姉、良き友となってはくれぬか?」
「ああ、喜んで引き受けるよミーナ。」
「ありがとうパッチィ・・・恩に着る。」
西暦487年。
西ローマ帝国が滅亡すると、台頭する北方のフランク王国の影響が次第に南下し、当時ガリア地方からアイルランド方面を活動エリアとしていた魔法使いギルドは、エリア拡大の為にゲルマン地方に活動拠点を移すべく移動を開始する。
ギルドが直轄運営していた禁書の保管庫の蔵書関係は、この時期ほとんどが写本されオリジナルの存在意義は骨董的な価値しかなく、保存の為にかかる費用や労力の無駄を考えるとこれ以上の維持は難しくなったため放棄する事が決まる。
この時期魅魔は博麗によって救われ人間としての自分を取り戻した直後で魔導師として復帰しており、管理者が減って寂しくなったかつての仕事場、禁書の保管庫に娘の墓参りがてら里帰りしていた。
魅魔の娘は奇跡的に命を拾い、父親に育てられ母の跡を継いで魔法使いとして生き、子どもを生んで母親としてその天寿を全うした。享年67歳である。
自分に似ず凡庸だった事が幸いして重責と常に距離があり、魔法使いとしてはともかく人の親としては幸福な人生を送ったようである。
魅魔が悪霊になったのは、娘が殺されたと勘違いしたためで、この違いを博麗によって知らされた事が悪魔から人に戻る決め手となったのは言うまでもない。
放棄される書庫は、元々主要施設が地下にあったため人が退去した後は地上部破壊放棄し土を盛って埋め隠す事になっており、その任は魅魔が引き受ける事になっていた。
この時魅魔は運命的な出会いを経験する。
禁書の書庫の最後の管理人には娘が一人おり、それがだいぶ変わった娘で一日中書庫に籠もって本を読みあさり、空腹で気を失うまでそれを続け、更にこれを成人になるまで何度も繰り返していたため、家事全般女としても、それ以前に人としてもろくに働く事が出来ずにいかず後家になっていた。
魔法使いの家の出でありながら一切魔法とは無縁だったその娘に魅魔は魔法の手解きをしてやったが、最低限の魔法は使えるようになったものの魔法を学ぶ時間よりも本を読む時間が惜しいらしく正式な魔法使いとしての肩書きを得る程にはなれなかった。
西暦488年。書庫封印の日、管理人一家全員が北に出立し魅魔が最後の見回りをしている時、中にあの娘が大量の食料と水を確保して籠城しているところを発見する。
聞けば近隣の村から背格好が同じ娘に金を渡して身代わりに立て、家族を騙して書庫に忍び込んだというのである。娘は家族ともほとんどしゃべらず、いつも深々と帽子を被っていたので、特別な演技も必要なく変装する側にとっては簡単な仕事だった。
その事実を知った魅魔は怒りを通り越して呆れ果て、しばらくその娘と向かい合って話を聞く事にした。驚くことに本に関しては饒舌で、話し始めたら止まらず、それなりに長い付き合いではあったが、初めて彼女の本性を知った魅魔だった。
読んだ時は意味が分からない事でも、別の本で身につけた知識を基に、その本に戻ると意味が分かり、それらが無限に連鎖して自分の血となり肉となる感覚、彼女にとっての生きている実感がそこにあるのだと言う。
本を読んでいる時が生きている時だと豪語する彼女からこの書庫を取り上げることは彼女自身の実質的な死を意味すると共に、その強い意思が祟りとなって禍を起こすと心配になる魅魔。
ここから出したら一生魅魔を呪うと、書と共に朽ちる事を決意する娘。魅魔自身もこの蔵書を読んで目が覚め教会から離脱する事が出来た事をしみじみと思い出す。
「永遠の命が欲しい!一生本を読み続けられる朽ちない体が欲しい!ミーナの様になりたい!」
そう思うのは何もこの娘だけのことではない。魔法使い達は、人間の短すぎる寿命に嫌気が差して人外の存在に身を換える者が大勢いる。魅魔がこんな身体になってもギルドが平然と受け入れるのはそうした背景があるからでもある。
彼女自身も魔導を学べばそれも充分可能だったが、彼女はその学ぶ時間すら惜しんで本を読んでいた。
「お前のその望み叶えてやろう。両親には死んだと伝えておく。それでいいな?」
決意に満ちたその表情を見た魅魔は決断し、それを実行した。
それは、魅魔が最も得意とする魔法のカテゴリ「呪い」だった。
娘の魂はこの書庫という場所に永遠に縛られる呪いを掛けられ、人外の存在に転生し肉体が朽ちても生まれ変わる事が出来る特別な身体を手に入れる。
呪いはその言葉どおりに捕らえれば非常にネガティブなものに感じられるが、どんな暗黒魔法も人を救う力にはなれないのに対し、ただ一つ呪いという存在だけが人を救う力を生み出すことが出来るのだ。
「そなたは今書庫の住人として永遠を得た。」
「・・・。」
呪いを掛けられた娘の肉体はズブズブと腐り始め、歩く死体の様におぞましい姿に変化する。しゃべろうにも声が出せない。娘は騙されたと焦り、魅魔を睨む。しかし、魅魔は優しい眼差しが、絶望と恐怖に犯された娘の黒い心を漱ぎ落とす。
「お前は一度死んで転生する。これまでの記憶はもう無くなるが、お前が再び本を読める年齢になるまで私が責任を持って育てよう。だから安心して逝け・・・。」
今まで人間だった娘は土くれのような塊になって床に崩れ落ちる。魅魔はそこに残された紫色の美しい衣服をそっと取り上げ、残された土くれに手を入れて何かを取り出した。
それは生まれたばかりの赤ん坊だった。
抱かれた途端泣き叫ぶ赤子に戻った娘を優しくあやす魅魔。呪われた身体に人間と同じような栄養は必要なかったが思わず服をまくり乳房をだして授乳させようとしてしまう母親の顔の魅魔。
亡き娘を思い出しながら魅魔は満足そうに乳房にむしゃぶりつく赤ん坊を胸に抱いたまま、失った人としての身体を悼むようにうずくまって泣き続けた。
「その話は何度聞いても飽きないよ。」
リクエストした魅魔との思い出話に耳を傾けながら呪いによって死んだように動かず寝ているレミリアを胸に抱く老婆は、その可愛いらしい寝顔を見て思わず微笑む。
「吸血鬼だろうが、子供のうちはまるで天使だね。」
「・・・そうだな。」
フランドールを胸に抱き老婆の言葉に同意する魅魔。
「この子達の呪い・・・解ければいいのにねえ・・・。」
「この子達よりお前の呪いの方も心配したらどうだ?」
「呪いをかけた本人が言うことかね?」
「優れた魔導師となったお前にはもはやこの呪いは意味がないだろ?魔術で自分の身体などいくらでも好きに転生できるだろうに。」
「私はね、この図書館が気に入ってるんだよ。」
目を細めて周囲を見渡しながらしみじみと語る老婆。
「この子達は何れ幻想郷に戻る時が来るだろう。その時お前も一緒にくるといい。」
「無理にここを出たら呪いは成就される。そうなったら私は滅ぶだけさ。」
「きっとお前を連れ出す者が現れる。」
「そうだねー。もしそうなるなら、白馬に乗った美男子の王子様がいいねー。」
「またそれか?白馬の王子ばかりだな。」
これまで何度も自分を連れ出すのは白馬の王子だといい続ける老婆。
「生まれてこの方、人間といえば本にあるような王子様しか知らないからね。」
老婆は人間だった頃の記憶は無い。先代の記憶も引き継がれないので、残っている記録と魅魔という存在がそれぞれの歴代の自分を一つに繋げているだけである。老婆自身がその目で見た生命体とは、悪霊と悪魔と、今しがた初めて見た吸血鬼だけで、人間という存在を一度も見たことがないのである。
「残念ながら人間界には、しわくちゃの老婆を迎えにくる物好きな王子は存在しない・・・もし迎えに来る者がいるのなら、それは死に神が黒い魔法使いだけだな。」
「ふん、何だっていいさね。」
初めから迎えに来る者がいるなど期待していない老婆である。
西暦1441年当時の老婆は、西暦1147年に生まれた3代目である。その後1449年に3代目はこの世を去り、同時に4代目が誕生することになる。
「これから先500年はここに来る事は出来ない。今までずっと赤子のお前を私が面倒を見てきたが、次からはそうはいかないな・・・。」
「放置してても勝手に育つだろう?」
「身体は育つさ・・・だが親のいない子供がどんな大人になるか・・・ろくな者にはならんぞ?それでもいいのか?」
「それは困るねー・・・。で、何か策はあるのかい?」
策があると想定して質問する老婆。
「うむ、このルビーをお前にやろう。」
「え?」
想定していなかった答えに驚いた老婆は咄嗟にルビーの顔をまじまじと見てしまい当然そこで目が合う。この件はすべて了承済みという表情でニッコリと微笑み返すルビー。
「いいのかい?物のように簡単に貸し借りできるものではないんだろ?」
「ルビーのグランドマスターは私だ。お前を順位2位のマスターとして登録すればルビーの意思など関係ない。」
「でも、それじゃールビーが可愛そうだろう?」
「そんなことはないさ。ルビーはお前を気に入っているぞ?なぁ?ルビー。」
臆面もなく笑顔で頷くルビー。やらされているわけではなく、本心でそうしているようだ。
「そもそも3代目、お前を育てたのはルビー同然だぞ?」
「そういえばそうだったね・・・ルビー・・・それじゃーよろしく頼むよ?」
そう言ってパチュリーが身体を傾けてルビーの方を向いて立とうとする。しかし、それよりも早くルビーの方から歩み寄り椅子の前に跪く。
「すべて準備は出来ている。頭に手を乗せるだけでマスター認証は出来るはずだ。」
無言で頷いた老婆は、手が届くように膝近くに寄せるルビーの頭に優しく手を添えるように置く。
掌に小さな魔法陣が開くとルビーは一瞬痙攣し、魔法陣の光が消えると同時に立ち上がり、普段とは違う畏まったお辞儀をする。ルビーは動作を少しオーバーに見せる癖があるが、これは、声をほとんど出さないルビーの自己表現の手段で、気障に振舞っているわけではない。しかし、今の動作は、マスターに対する忠誠心からくる礼であった。
「後の事は全て任せるぞ。」
グランドマスターの命令に再び畏まるルビー。
「それからパッチィ。これは冥土の土産だ。お前もだが、次代にも宿題を出しておこう。」
そう言いながら魅魔は机に手を置いて魔法陣を開くと、そのまま手を持ち上げ何冊かの本を魔法陣から引き出す。
「これは?」
「これはルビーのコピーを作るための研究資料だ。時間は500年ある。自力で解明して自分の魔法にするのだな。」
「コピー?何のために?」
「先程も言ったがフランの方が少々厄介だ。目覚めた後、安定するまで何が起こるかわからん。落ち着くまでルビーのコピーにフランの世話をさせるといいだろう。」
「なるほど・・・デコイに使えってかい・・・それにしても、そんなにやばいのかい?その子は?」
魅魔に抱かれているフランドールを見ながら未だにこの乳児が凄まじい力を持っている事が信じられない。
「ああ、お前が死んでもどうということはないが、ルビーに死なれては困るからな。」
真顔で言って、言い終わってから破顔する魅魔。
「そりゃーそうだ。」
ゲラゲラと仰け反って笑う老婆。しわくちゃの顔がさらに酷くなる。
そうやってしばらく笑いあう2人は、笑い声のトーンが落ちるにつれて、それが別れの時を報せる合図である事を感じ取る。
「さて、老い先短い老婆の老後の楽しみが増えたところで、お別れだよミーナ。」
先に切り出したのは老婆の方である。
「うむ・・・。」
魅魔は立ち上がり別れの抱擁を求めたが、老婆は面倒くさそうに手を振って魅魔を追い払う。
「こっちは時間がないんだ。もう行きな。」
よっこらせと立ち上がった老婆は魅魔に目もくれず冷たく言い放って背を向け、抱いていたレミリアをルビーに差し出すともらった資料を取り、研究に役立ちそうな他の本を探しに本棚へよろよろと歩き出す。
レミリアを抱きながら新しいマスターの後を追おうとするルビーは、何かに気付いて立ち止まり魅魔に振り向く。魅魔はそれに応じて一度だけ頷き、最後に老婆に渡すはずだったアルカードの予言書とフランドールをルビーに託し声に出さず目で別れを告げる。
「(2人とも達者でな・・・。)」
魅魔の気配がなくなった禁書の牢獄に、一人乗り残された老婆は手に持っていた資料を落としてその場で泣き崩れる。魅魔の前で泣き崩れればいらぬ手間を取らせるだけである。魅魔には魅魔の都合があり、彼女にとって自分が重荷になることだけは何としても避けたかった。安心して魅魔は幻想郷とやらで仕事が出来るように強い自分を見せなければならないのだ。
「そうだったね・・・今は一人じゃないんだね。」
優しく背中をさするルビーの温もりを感じたパチュリーは涙を拭いて、その腕に捕まるように立ち上がる。
「ルビーだってつらいだろうにね。」
何かを諭す様にゆっくり首を振るルビー。
「・・・ありがとね。」
別れはつらいものである。しかし、死んで記憶をリセット出来る自分はそのつらさをそこで終わらせる事が出来るが、ミーナもルビーもずっとつらい別れを記憶に留めて生きていかなければならないのだ。その事に比べたら幸せなのだと自分に言い聞かせる老婆だった。
禁書の牢獄に6代目が誕生して23年が経過した。
人間で言えば既に成人に達している年齢ではあるが、閉鎖された呪われた空間内では、他者という尺度が存在する社会という名の時間の単位がないため、成長の度合いが年月と比例するとは限らない。今だあどけなさの残る少女はこの空間ではまだまだ幼児も同然だった。
いつも当たり前のように傍らにかしずく紅い目と紅い髪の悪魔は何も語らないが、この場所に残された膨大な資料から自分のルーツを紐解き今は自分が誰なのかをある程度知ることが出来る。
系譜を遡ると、初代は西暦488に誕生し、349年の生涯を閉じると同時に2代目が誕生し、2代目は西暦837年に誕生して310年生きて3代目が西暦1147年に生まれている。
この3代目の死に際に何か重要なものを誰かに託され、それと同時に受け継がれたお伽噺の本が今自分の手元にある。
その予言めいたお伽噺の表題のプレートに『亡き王女のための七重奏』とあり、その表題を描いたのが先代5代目で、それまで無題だった事が判明している。
4代目は西暦1449年に生まれ、この4代目の残した研究資料は膨大を極め、手に負えない程の資料が残されている。すぐにでも研究に着手したいところだが、生まれてから間がなく、さらに今手元にあるお伽噺の運命の時が目前に迫っている為、真偽が気になって落ち着いて作業が出来ないでいる。
345年生きた4代目は西暦1794年に死去。同時に誕生した5代目はこれまで300年以上生きていた他の自分達とは違い124年しか生きていない。残された記録とルビーの記憶から、重要な何かを復活させる為の段取りに魔力を使い果たして早死にしたらしい。
そして6代目の自分は西暦1918年に誕生し現在23歳である。
西暦1941年。
この年、500年の時を超え何者かが永い眠りから目覚める。と、予言書や他の資料にある。
最初はお伽噺か何かと思っていたが、ルビーがルビーそっくりの使い魔達を召喚し始め、何やら慌ただしく準備を始めている様子から本当に何かが目覚めようとしている事がわかる。短命だった先代がもう少し具体的な情報を残してくれていれば、自分も何かできるのではないかと思うのだが、如何せん何も分からない。
しかし、ルビーの様子を見ていると全て心得ている様で、ここは彼女に一任するのが得策であると判断した。
小さな子供用のベッドを2つ、本棚を幾つか端し寄せてスペースを作って並べている。まるで産卵期を迎えた親鳥が忙しなく巣の準備をしているようである。もしかしてルビーが子供を生もうとしているのだろうか?
2人きりだったこの『ヴワル監獄図書館』も7人の使い魔が増えて私とルビーも含めて合計9人になった。広いと思っていた図書館も今は狭く感じる。
数日が過ぎた頃、ルビーが一冊の楽譜を差し出してくる。題名は『亡き王女のための七重奏』。お伽噺と同じタイトルである。これは偶然だろうか?しかし、これは神を称える歌だ。悪魔に賛美歌の七重奏を謡わせようというのか?結果がどうなるか楽しみでもありしかし危険でもある。恐らく結果は後者になるに違いない。
動いていない大きな振り子時計。いつ止まったかは記録にない。少なくとも自分が物心付いた時には時計は止まったままである。
なぜ急に時計の話になったのかいくつか理由がある。
問題にしたいのは止まっている事ではなく、その止まり方である。止まる事自体はしようがないにしても、その止まり方が普通ではない。振り子が大きく横に振れたところで止まっている。何かの衝撃で急に動きだしそうだ。
そして、時計を問題にしたい最大の理由が、すまし顔のルビーがその危険な時計背にするように自分を立たせ、向かい合うように使い魔達を整列させているのだ。不満そうな表情を見せる使い魔達。時計の事が不満なのではなく、神を讃える歌を謡わなければならないことに対する不満だろう。私は歌はどうでもいい。この危険な時計と悪魔の歌の挟み撃ちが気に入らないのだ。
有無を言わせず指揮棒を持たせられた私は、僕のはずのルビーにそれを振れと命令される。本当にやっていいのだろうか?色々な意味で悪い予感しかしない。もしかしたら、先代の壮大な悪戯なのかもしれない。いや、むしろ悪戯であってほしい。
ルビーは、忠実な僕であると同時に、自分を育ててくれた母であり、姉のような存在である。
時折見せる妖しく値踏みするような艶かしい表情を見ると、まるで自分の成長を別の意味で楽しみにしているようでなんだか怖い。僕でありながら彼女の命令には逆らえないので、この先、ルビーと上手くやっていけるのか不安である。
全ての準備が整ったと目で知らせるルビーの合図で私は指揮棒を振り下ろし使い魔達に謡えと命令する。
「どうにでもなれ!」
悲鳴の様な絶叫が図書館に木霊する。当たり前だ。悪魔に神を称えさせるなど、吸血鬼の口の中にニンニクを無理矢理突っ込むようなものである。
鼓膜を切り裂く様な絶叫と悲鳴の七重奏は、共鳴現象を引き起こし図書館全体を振動させる。もはや賛美歌どころか歌としての体をなしていない。声を出せないのか出さないのかルビーは私の傍らで必死に耳を塞いでいる。そして、最も恐れていた事が起こる。
あの振り子時計が衝撃波のような悲鳴によって突然動き出したのである。
振り子は向かって右から左にスイングして壁の本棚にぶち当たると、大きな音を立てて一瞬そこで止まり、その後勢いを失って右にゆっくりと戻る。そしてすぐに何事も無かったかのように正常な反復運動を始める。
自分の立っていた場所に本棚や本の破片がばらばらと降り注ぎ、思わず前に倒れ込んでそれをかわし床に伏せた。間一髪、我ながらよく身体が動いたと感心する。その状態でほっと胸を撫で下ろした瞬間、駄目押しの様にまた衝撃を受ける。時計の長針と短針が12時を指して、悪魔達の悲鳴よりも大きな時報の鐘が鳴りだしたのである。
ゴーンという鐘の音の轟音は私の身体を芯から震え上がらせたが、そこで奇跡とも思える現象が起こる。
悪魔達の悲鳴をかき消すかと思われたその鐘の音は、不協和を生み出していた悪魔達の声の不要な音域を打ち消し必要な音と共鳴して隠れていた美しいハーモニーを浮かび上がらせたのである。
この今にも天使が舞い降りそうな荘厳な音に気付かない悪魔の歌い手達。唖然としてぽかんと口をあけるルビー。完全に心が奪われ放心する私。
しかし、この美しい歌声とその場の雰囲気を強く否定する存在が突如現れる。
「うるさーい!やめろー!」
その声と共にこの世の全ての音が破壊されたかのように耳障りな無音の静寂が訪れる。
しばらくそうしていると先程とは明らかに性質が違う地震の様な振動が視界を揺らす。何も出来ずただ何かが起こる事を待つしかないのかと、ルビーに目をやるが彼女もこの状況に困惑している様子である。それを見てより一層不安が募る。ルビーは段取りは指示されても、結果は全くしらされていないようである。
それにしても、今の声は誰だろう?
振動は床から起こっており、すぐに変化が目に見える形で現れる。
部屋の中央に大きな魔法陣が現れると、その上の本棚を端に押しのけ、フラットになった床の石畳が魔法陣の円周に沿って外側から中央に向かって順に下に落ち込んですり鉢上の階段を作る。本で見たあり地獄を思い出した。
唖然とするしかない、恐らく先代の仕込んだ壮大な仕掛け。この仕掛けで何者かの復活を演出するために文字通り身命を注いだのだろう。凄いのか凄くないのか分からないが、とにかく驚いたのは確かである。
立ちあがって恐る恐るすり鉢の縁に移動して中心を見下ろす。そこには美しく装飾された石の棺が一つあるのが見えた。
階段状に傾斜したそのすり鉢の底に石棺があり、吸い寄せられるようにゆっくりとその場所に降りた。いつの間にかルビーも後ろにいた。とても心強い。
石棺に近付き手を伸ばして触れようとした時、それを待っていたかのように石棺の蓋が勢い良く上に飛び上がり見えない天井にぶつかると、少し間をおいて破片の雨が降り注ぐ。
「あぶない!」
私は、先の「うるさい、やめろ」という叫び声に幼さを感じ、石棺の中に子供が居ると咄嗟に感じて落ちてくる石棺の蓋の危険性を自分の身を顧みず報せた。どうせここで死んでも生まれかわれるから・・・。
しかし、その甲斐もなく、落ちてきた蓋は石棺から現れた小さな人影によって粉々に砕かれる。
巻き上がった埃が静まると、石棺の上に一人少女が立っていた。
その姿は10歳前後の子供にも見えたが、資料にも存在しない異様な羽を持ち、燃え盛る真っ赤な瞳と耳まで裂ける口が醸し出す邪悪な笑みが、それが普通ではない何かであることを示していた。
背中を少し丸くして今すぐにでも襲いかかりそうな体勢のその小さな怪物を危険と判断したルビーは間に立塞がり、私を守ろうとする。
その時、先程の声とは違う別の落ち着いた美しい声が音楽を奏でるように響く。
「止めなさいフラン。この人達は敵ではないわ。そうでしょ?」
その怪物の後ろにもう一人少女のような姿が現れる。この目の前の怪物はフランと呼ばれた。そして語尾は私に向けられたものだとわかった。
彼女の存在がこの空間の空気を一瞬で入れ替えてしまった。私はその時の感想を後にそう日記に記した。
「あ、貴女は?」
「私はレミリア・スカーレット・・・そして、この子が妹のフランドール。私たちはそれしか知らないの・・・ところで貴女は?」
後ろにいるルビーを無視して私を指命するレミリアと名乗る少女。名前と姉妹である事以外知らないというが、どうやらこの図書館の主が誰かと言うことは直感で分かるらしい。
「私はパチュリー・ノーレッジ。この図書館の主・・・とは言っても私も生まれたばかりで他の事はよくわからないの・・・。」
「ふーん・・・似たもの同士ってことね。ところで私が何者なのか、ノーレッジさんはご存知?」
ノーレッジと姓で呼ばれる事にとてつもない違和感を感じる。
「名前で呼んでくれていいわ。」
「分かったわパチェリー。」
「パチュリーよ。」
「失礼、パチュリー。私の事もレミリアと呼んでもらって構わないわ。」
幼いながらも気品と気高さが声に備わっており、ただの子供でない事はわかる。
最初に名前を間違えたレミリアは、その後も何度か同じ間違いを繰り返し、何時の間にかその間違った呼び方を元に愛称で呼ばれる事になった。そしてその頃には私も彼女をレミィと愛称で呼んでいた。
私とルビー、そして新たに加わった2人の吸血鬼の姉妹を加えた4人家族で、今は楽しい日々を送っている。
フランの発作でファミリアを沢山失ったが、このファミリア達はその為に存在しているので、可哀想だが仕方がない。しかし、その尊い犠牲のお陰で最近は犠牲者がだいぶ減った。
お伽話の本かと思った『亡き王女のための七重奏』という題名は先代がつけたものだ。あの壮大な仕掛けの意味がこのタイトルに込められていたことは身を持って知った。それだけにこの本はただのお伽噺ではなく重要な意味を持っているとわかる。
レミィはこの本の主人公の王女を自分に重ね合わせてすっかりその気になっているが、確かにこの本はレミィを題材にした本だと確信できる。私やルビーと思しき人物も登場しているからだ。
しかし、この本が書かれたのは500年前。何故私達がここに登場するのだろうか?結論としてはありきたりであるが、これはお伽話の形をした予言書なのだ。
となれば、私達が、いやレミィが取るべき行動はこの予言書に沿う事である。
予言書によるとこの後、誰かが迎えにやって来て、王女、つまりレミィはどこか別の場所に旅立つ事になる。そこで新たな従者を従えて、その従者の導きよって最高の僕を手に入れる・・・という未来を辿る事になる。
「私は・・・どうすればいいんだろう?」
この予言書に私とレミィの出会い以降の事で私と思しき登場人物の記載はない。
レミィ達がいなくなった後、またルビーと2人でここで過ごすことになるのかもしれない。
楽しい日々を過ごしつつも、先の見えないこの状況に悶々とする日が多くなっていった。
生まれてから42年が経った西暦1960年。レミィが旅立つ時が来た。
具体的にどうやって旅立つのかわからないのに、それを信じて全く疑う気配がない。これは彼女達が正真正銘中身も子供だからなのか、単に能天気なだけだからなのか・・・。
一つ確信している事は、自分はこの図書館から出る事は出来ないという事である。
外界から来た人間に連れ出して貰わないかぎりこの呪いからは逃れられない。そして、この場所に来れる人間など一人も存在しない。
魅魔と名乗った悪霊の大魔導師が私を懐かしそうに見る。この人?がレミィ達を私から奪う悪者だろうか?
2人の吸血鬼姉妹共々彼女に抱きしめられ、どんな顔をしていいのか分からない。この悪霊にとって自分は懐かしい存在であるのはわかるが、私にとってこの悪霊は他人でしかない。いや、他人ではない敵だ。私にとって身内はルビーと、この吸血鬼姉妹だけなのだ。
泣いている悪霊を他人ごとの様に感じながら、この悪霊の所有物であるルビーともお別れをしなければならないのかと思うと怒りを覚える。
私はここで全てを失うのだ。
未来という希望に満ちた光の中にいるレミィ、フラン、魅魔、ルビーの4人に対して、自分だけが闇の中に取り残されたような、そんな惨めな気持ちなる。
みんな、私を置いていかないで!私も連れて行って!もう一人はイヤ!誰か!誰か!誰か!お願い!私を迎えにきて!私を連れ出して!お願い!誰か!
「・・・!」
「・・ェ!」
「・チェ!」
「パチェ!聞いてるの?パチェったらぁ!」
呼ばれている事に気づき、顔を上げると間近に親友の頬を膨らませた顔があった。その後ろの3人の顔も不思議そうにこちらを見ている。
何かに気付いたかのように大嫌いな魅魔が近づいてくる。
魅魔が私の目の前で跪くと目の高さが逆転する。見上げる魅魔の表情は明らかに私を哀れんでいる目だった。そんな目で見ないでほしい。余計に惨めになってくる。
生まれつき喘息という魔法使いにとって致命的ともいえる持病を持ち、身体が弱く、そのせいか身長もあまり伸びなかった。恐らく歴代の私の中で今の私が一番出来が悪いのだろう。先代のあの壮大な仕掛けなど私には到底出来ない。
「パッチィ・・・いや、パチュリー・ノーレッジよ。3代目までの付き合いでしかない私にとって、今のお前は全くの他人かもしれない。だが、お前は確かに私が生んだ私の娘だ。」
そう言って魅魔は優しく私を包み込んだ。
悪霊のくせに・・・罵ろうとしても次の言葉が出ない。必死に声を出そうとしても、私の中にいる別の私がそれを拒む。私は耐え切れず、魅魔の背中に腕を回し、しがみついて泣いた。
「呪いの本質、醍醐味を知っているか?大きな制約によって生じる鋭い尖った力を利用する魔法だ。お前は喘息というハンデを背負っている。だが、それは発想を変えれば呪いと同じ、制約でしかないのだ。」
私は思わず悪霊の腕から逃れその顔をまじまじと見つめた。
「お前は気付いていない。だが私もルビーも気付いている。お前の魔力はその制約によって強く増幅されていること・・・。」
「え?」
「皆が300年かけて得た力も、お前なら数年でマスターできる。お前の喘息は、強すぎる魔力を抑えるための制限装置だと思えばいい。な?そう思えば何も後ろ向きに考える必要はないだろう?」
「でも・・・。」
私はまだ納得がいかない。
「出来ないと思ったら魔道はそこで終わる。常に前を向き、立ちはだかる困難を克服するのが魔道の真髄だ。お前が望めばそれは成功の始まりだ。さぁ、お前は何を望む?」
「私は・・・。」
「私は?」
「私はレミィたちと一緒に幻想郷に行きたい!」
私は今まで言えなかった言葉をようやく口にした。そして魅魔もそれを待っていた。
「うむ、ならばその願い叶えよう!」
「でも、無理よ!・・・私はここから出れない・・・。」
「諦めたらそこで終わりだぞ?」
「でも、どうやって!」
「幻想郷にはレミリアたちの居場所が既に存在する。だが、そこはかつての大戦以降封印された閉鎖空間になっている。」
「閉鎖空間?」
まるでここと同じである。
「私はこの牢獄を幻想郷の紅魔館、レミリアの家の真下に移設させることが出来る。」
「・・・やっぱりだめよ・・・移設させただけでは出れないわ・・・。」
「お前の魔道はそんなものか?何故どうすれば繋がるか考えない?」
両肩を強くつかまれじっと目を見る魅魔。頭ではわかる・・・でも、いざそれを実行するとなると出来るかどうかわからない。
「フラン、お前ならどうする?パチュリーはここを頑なに動きたくないそうだ。」
「簡単だよ!私達の家を図書館につめこんじゃえばいいのよ!」
「!」
私はまるでハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。
「どうだ、パチュリーできそうか?」
「ええ、出来るわ!これなら出来る!」
図書館という存在を自分に重ねて過小評価していたことに気付いた。紅魔館の中に図書館を詰め込んでも私は紅魔館に入れない。でも、図書館の中に紅魔館を取り込むという発想なら・・・私は紅魔館にも入れ、レミィ達と一緒に行動が出来る。結局外にでれないのは同じだけど、でも、それはレミィも同じ。そして、幻想郷とやらに行けば、もしかしたら誰かが外から連れ出してくれるかもしれない!
闇に覆われていた私の心に光が差す。
「紅魔館を取り込むのはお前の仕事だ。お前なら出来る。出来なければ出来るまでがんばれ!」
両肩を掴む腕の力を一度ぎゅっと強めてから立ち上がる魅魔。
「あ、ありがとう・・・み、ミーナ。」
今の私に出来る精一杯の贈り物だった。
「・・・懐かしい響きだ。ありがとうパッチィー・・・達者でな。」
「ルビー・・・これでお別れね・・・。」
私はルビーにも別れの挨拶をしたが、彼女は意外な態度をとった。首を横に振って別れを拒絶したのだ。
「ルビーはとっくにお前のものだ。」
魅魔は500年前、マスター認証ではなく、権利譲渡をしていたのである。
涙が止まらなかった。これほどまで自分が大切にされていたのに、一時でも恩人を嫌いになった自分が許せなくなる。
「レミリアとフランのこと、くれぐれも頼んだぞ。」
「任せて!2人は私が必ず守るわ!」
その私の決意に満ちた強い言葉に満足するように頷くミーナ。
いつの間にか周囲は光に覆われ、私とレミィ、フラン、ルビー、そしてミーナの姿だけしか見えなくなっていた。
やがて背を向けたミーナが私達4人と反対方向に歩き出し、光の中に溶けて行く。
「また会いましょう、偉大な魔道士よ・・・次会う時は新しい従者達もいっしょよ。」
いつの間にか私の手を握っていたレミィが光の向こうにいるであろうミーナとの再会を誓う。
レミィの握っている手と反対の手にフランがぶら下がるようにしてはしゃいでいる。この状況に動じている様子がない。流石吸血鬼である。
背後にルビーの眼差しを感じながら、新しい未来が今目のまで開いていくのを全身で感じる。
「さぁ、行きましょう。」
西暦1960年、私達は幻想郷入りした。