東方不死死 第28章 「不死身対無敵」


 妹紅が永琳の過剰なまでの回避行動を封じる作戦を思いついた頃、その永琳は無数の妹紅を同時にターゲットしてしまう深刻なエラーを、センサーの効果範囲を狭める事で回避していた。
 永琳のセンサーは、永琳個人だけはなく戦場空き地を構成するフィールドと連動しているので、常に全域に神経が行き届いているようなものである。それを回避するために、戦場空き地との連動を一旦切り離し、永琳を中心とする一定の範囲だけにセンサーが働くように効果範囲を絞り込み、自分に向かってくる妹紅一人をターゲット出来るようにプログラムを修正した。幸いな事に妹紅は一騎打ちという人間らしい愚かな戦術を取っており、他の分身は永琳らの戦闘範囲に入ってこない。
 これによって同時ターゲットエラーは消えたが問題が一つ出た。それは『鳥かご』の発動に制限が出てしまうことである。この『鳥かご』というのは、妹紅の言うところの『満月殺陣』の事で、不死鳥の檻という意味で永琳はそう命名していた。妹紅を対等の敵とみなしていない永琳としては、満月殺陣のような仰々しい名前を付ける事も面倒くさかったので、このようなつまらない名前となった。
 戦場空き地全体を覆うフィールドは永琳の完全支配下にあって、その中にあるものは永琳が全て操作出来る。適当に撃った矢弾も、指定したターゲットに必ず命中するように誘導される仕組みで、『鳥かご』の際に撃ち込むトリガー弾も対象を直接狙わなくても適当に撃つだけでよかった。
 フィールドとの連動を切ったということは自動追尾機能も効かなくなるということで、この場合、鳥かごを発動させるには、トリガー弾を直接妹紅に撃ち込まなければならない。これはかなり難しい事で、動きが止まるような大きな隙を見せない限りまず当てることは出来ないだろう。
 永琳は妹紅にやられっぱなしになりながらもカウンターの隙を虎視眈々と狙い、そして妹紅はこの時わざと隙を見せようと同じくその機会を狙っていた。


 カウンターを狙う以上永琳の作戦は待ちである。戦闘の流れの中で妹紅の何らかの大技を待つしかない。しかし、妹紅がこちらの要求通り大技を出してくれるかどうかは分からない。妹紅を過小評価している永淋は、妹紅にそんなことが出来るとは考えていなかった。しかし、永琳がそうやって妹紅を見下した瞬間、妹紅は今までとは違う動きを見せた。
 無色透明だった妹紅の翼が虹色の美しい炎の翼に変わり、その翼の先端が枝分かれし砲身の様に細長く伸び妹紅の前方にいる永琳の方を向く。12本の翼の砲身が妹紅を中心に時計の文字盤と同じ位置に綺麗に揃う。
「(なるほど・・・妹紅にしては良く思いついたわね。)」
 次の瞬間、永琳の予想通りその翼の砲身から熱線が放たれる。熱線は直進するのではなく、やや外側に開くように放物線を描いてそのまま永琳を飛び越し、その後方で12本の熱線が一点に集束する。
 楕円形の炎の鳥かごに捕らわれた永琳だが、妹紅の意図はすぐに理解できた。逃げ場を無くして回避場所を限定し接近戦に持ち込むつもりだろう。
「(はやり所詮は人間、この程度の策で私を捉えられる思っているのね。)」
 永琳の跳躍移動は、点と点を瞬間移動するため障害物は無意味で、この炎のカゴはスカスカで永琳を閉じ込める事は出来ない。永琳はこの妹紅の動きを妹紅の精一杯と見積もりし、カウンターに利用できると判断しそのまま捕らわれるふりをする。しかし、この時の妹紅はそれをわかってやっており、妹紅が一枚上だったことを後にその身を持って知る。
 永琳は今日何度目だろうか?妹紅を侮ったのは・・・。
 油断するなと自分に言い聞かせた瞬間油断する。今日はこれの繰り返しである。
 永琳は「鳥かご」に持ち込む為の策を練った。
 妹紅は「鳥かご」に入るための策を練った。妹紅は永琳の予測の先を見ていた。


 逃げ場を無くしたと見せかけている永琳に妹紅は猛然と突撃する。
 永琳は過去の対戦データにある妹紅とは比較にならない程の高速で接近する妹紅よりさらに速いスピードで後方に瞬間移動する。炎の檻によって周囲に逃げ場のない永琳は後ろに逃げるしかない。連続で後ろに逃げ、引き離してもすぐに追いつく妹紅に永琳はとうとう退路を断たれて停止する。
 客観的に見れば、これは妹紅のチャンスである。しかし、永琳はこの時を待っていた。
 雄叫びをあげて襲いかかる妹紅の右の拳にタイミングを合わせるように今日初めて防御シールドを張るカウンターを見せる永琳。
 その永琳の動きを察知した妹紅は、このまま右の拳を出せばシールドの張られるタイミングで右手が切断されると判断。今の妹紅にとって肉体の部位切断は痛くも痒くもないところであったが、永琳に大きな隙を見せ、満月殺陣を喰らうという目的の為に、敢えて右の拳を引っ込めるといういつもどおりの動作を取る妹紅。
 この妹紅の偽装行動を予想通りの動きにと見て勝利を確信する永琳。
 妹紅は寸での所で腕をシールドに切断されるのを免れたふりをして、頭から頑丈な永琳のシールドに高速のまま突っ込む。
 ガツっという頭蓋骨が割れる音と、肉体が潰れるビシャっという音が同時にして、シールドに打ち付けた妹紅の顔の形が歪む。無様な顔がシールドに張り付き、そしてぶつかった反動で妹紅の身体は仰け反るようにシールドから剥がれ落ちる。
 勝利を確信した永琳は、シールドを解除し弓を構えると、ゆっくりと崩れ落ちる妹紅を狙い矢を放つ。
 それは弓の訓練を受けていない素人でも確実に当てられるような簡単な射的であった。
 光の矢に貫かれた妹紅は一瞬硬直し、矢が光の粒に変わってはじけ飛ぶと妹紅を包む球状のフィールドを形成する。それと同時に永琳の周囲にも妹紅と同じ様な球状フィールドが発生した。
 満月に例えた光の球体に閉じこめられた妹紅は既に傷は回復していたが無念さを全身で表すようにがっくりと落ち込むように項垂れた態度を見せつける。
 前髪が顔を覆い表情は見えなかったが、永琳はその光景を満足げに見た。
「妹紅、よくがんばったわね。でも、どんなに頑張っても現実は変えられない。所詮人間、私達に敵うわけはないの。」
 これまで散々舐めた態度をとっていた妹紅に対して、ここぞとばかりに逆襲する永琳。余程自尊心を傷つけられたのだろう。いつも落ち着いている永琳の口調が少し早口になっているのを聞いて、妹紅は永琳の精神状態を知る。
「こうなっては結果はわかっているでしょ?あなたの負けよ。大人しく降伏して言う事を聞きなさい。そしてこの何の意味もなく、くだらない異変を諦めなさい。」
 この光景は地表で拘束された輝夜やレイセンからも見ることが出来た。ボコボコにされて口がきけない状態の輝夜であったが、声が出せれば歓喜に満ちた表情で全力で妹紅を罵った事だろう。


 永琳の呼びかけに何も答えず下を向いていただけの妹紅だったが、やがてゆっくりと顔を上げる。
 妹紅の敗北感丸出しの無様な表情を期待した永淋だったが、妹紅の表情を見た時、またしても永琳は衝撃を受けた。
 妹紅のその口元には余裕に満ちた笑みと、瞳には自信に満ちた輝きがあった。
「(どうして、そんな顔が出来るの?バカなの?)」
 万に一つも勝つ可能性のないこの状況で、どうしてこんな愚かな表情が出来るのか?頭がおかしいとしか思えない永琳である。
 永琳は咄嗟に弓を構えた。
「これを放てばあなたは永久に死に続けるわ。今までは哀れと思って途中で止めてあげたけれど、今回はもう許さない。死に続ける妹紅を竹林の新しい名物にしてあげるわ!」
 永琳は妹紅に狙いを付けて弓を放とうとする。しかし、照準が定まらない事に気付く。手が小刻みに揺れている。
 永琳は気付いていなかった。僅かに残っている生き物としての本能がこれ以上は危険だと警告している事を。身体を強化し過ぎて本能が弱くなっている事を。
 永琳には理解出来ない感情がある。それは恐怖心である。脅威の存在しない絶対的な生命体である永琳には必要ない感情である。だから、それを感じてもそれが何であるかが分からない。唯一の自覚症状ともいえる身体の震えも理解出来ない。
 永琳は理解出来ない身体の揺れを抑えるために、神経系を強制的に固定制御し正確な射撃が出来る様に身体を完全にコントロールする。
「永遠に後悔しなさい!」
 永琳は最後にはノイズのように頭に響く警告を感じなくさせるために、感情すら切り離し機械的な動作だけで弓を放った。
 攻撃を意味する矢は永琳を包むフィールドに一度吸収されて消える。ここで戦場空き地を構成するフィールドにエネルギーがチャージされ、そこから妹紅を包むフィールドにエネルギーが供給され、全方位から矢弾が撃ち込まれるという仕組みである。
 妹紅は呼吸を整え、身体をリラックスさせる。
「来い!」
 全て計画通り万全の体制を整えた妹紅がそう叫んだ時と矢が放たれた時は同時だった。
 妹紅を包むフィールドの表面には無数の穴が空いている。規則正しくどの方向を見ても同じである。穴の数を数えればどのくらいの矢弾が飛んでくるのか予測は出来るが、この矢弾の撃ち込まれ方には一定の法則があることをこれまでの経験から妹紅は理解している。
 その一定の法則とは、着弾した場所付近に別の弾が着弾しないということである。
 この弾は当たると化学反応を起こして巨大な熱を発して肉体を沸騰させる。妹紅の想像では、化学反応を引き起こしている場所に別の矢弾が命中すると、別の予測不能の反応を引き起こして誘爆してしまい、フィールド内で中和しきれない巨大なエネルギーが発生していまうからだろうと考える。つまり安全機能である。
 右手と左手には同時に着弾しても、左手の半径10cm程度の範囲に2発以上当たる事はないのである。命中した瞬間修復するという妹紅のアイデアは、当たる場所が重複しない為、難易度はかならずしも高いわけではない。妹紅は必ず上手くいくと確信していた。


 最初の着弾は左腕であった。化学反応を起こして沸騰する肉体を瞬時に修復したが、初めての経験の為か修復が一瞬遅く腕がかなり膨れあがった。しかし、その一撃で感覚を掴めた妹紅は降り注ぐ矢弾の化学反応に身体を少し変形させながらも3秒後には完全に自分の身体の形状を正しく維持出来るようになった。
 目を閉じて修復作業に集中していた妹紅は、初弾から5秒後に目を開いて、その光景を見て驚愕した永琳を嘲笑した。
「ぬるい!ぬるいな、永琳!こんなカスみたいな攻撃で私を倒せると本気思っているのか?あぁ?」
 強力な矢弾の雨の中を、本物の雨にでも打たれているかのように全く意に返さない妹紅を見て永琳は脳はついにフリーズした。
 解析不能。確率0%の事が今起こっているのだ。
 これは下で見ている輝夜らにも衝撃を与えていた。
「う、うそでしょ?」


 フリーズによって永琳からの矢弾のエネルギー供給が絶たれた『満月殺陣』は満月の部分であるフィールドはそのまま維持されているが、殺陣の部分である矢弾の攻撃は止んだ。
 目の前の永琳は全く動かない。今の状況を必死に解析してるところだろうと妹紅は予測し、実際、フリーズから復帰した永琳は必死に今の状況を分析していた。答えの出ない分析を・・・。
 これで心が折れればそれに越したことはないが、最後の仕上げ、永琳をリザハメするという難題が残っている。この算段は付いたが、この陣から抜けて自由にならなければならない。そして、この陣を抜ける方法が見当たらない。
 このフィールドは、妹紅の動きにあわせて必ず妹紅を中心に置くように出来ており、どんなに速く移動してもフィールドから抜ける事が出来ない。火球などで攻撃してもフィールドがエネルギーを吸収し、それが跳ね返って矢弾となって自分に降り注ぐだけである。
「(永琳は恐らくこの状況を私の問題ではなく、自分の問題として考えているだろう。)」
 先程のように反撃される心配がない永琳はどんなに時間をかけてもこの状況を分析して何らかの答えを出してくるつもりだろう。最悪このまま永遠に閉じこめ続け、異変を起こさせないという選択肢もある。
 妹紅としても魔理沙の用事があるし、藍との待ち合わせもある。ここでずっと永琳に付き合うつもりは全くない。何とか抜け出さなければならない。
「ふー。」
 妹紅は一旦大きく深呼吸し、心を落ち着けた。
「(不思議だ・・・ここは永琳の作った人工的な空間なのに、外と同じ匂いがする。)」
 全神経を研ぎ澄ませた妹紅は、先程までとは違う空気の匂いを感じとっていた。
「(・・・!外?外か?ここは外だ!)」
 妹紅は突然閃いた。戦場空き地の中は常に空気が澱み、そして臭い。何年も同じ空気がそこに留まり続けている感じがした。そして今はその感じがしない。
 戦場空き地の中の空気が全て毒ガスだとするなら、今ここは新鮮で清潔な空気がある事になる。これの意味するところは何だろうか?
 今、妹紅と永琳を包んでいるフォールドは水中の泡の様なものである。空き地全体を包むフィールはカモフラージュやシールド、そしてエネルギーの伝導体など様々な機能を有する複合的な巨大建造物で、鳥かごという空間、泡を内包する水槽でもあるのだ。自分たちは大きな池の中の泡の中にいるのだ。
 妹紅は次第にこの満月殺陣の仕組みが分かってきた。しかし、まだ分からない事が沢山ある。
 常に自分がこの球体の中心に閉じこめられている状態や永琳との位置関係が常に一定を保っている事など分からないことだらけである。
 妹紅は、ここで初めての試みをする。
 髪の毛を一本前方に延ばし、フィールドの内壁に直接触れてみようとした。今までそんな事が出来る余裕は与えられなかったが、恐らく永琳はこちらの事はお構いなしで自分の用事に手一杯になっているはずである。そして、何もしてこない、してくるはずがない、そんな能力もないと本気で思っているはずである。


 この時永琳は、妹紅の予想通りその存在を忘れ思考に没頭していた。
 必死に今起こった結果を分析しいくつかの要因を導き出して判断の材料にしようとしていたが、どんなに計算してもこの結果になる因子を見つける事が出来ずにいた。
 そして、データベースにある様々なデータからは答えを導く事が出来ず、永琳はいくつかの仮説を立て、そこからアプローチを始める。
 妹紅の肉体の修復機能が飛躍的に向上している為という、普通の人なら一番先に思いつくような事を考え始めたのはだいぶ時間が経ってからである。そうなってしまうのはある意味必然といえる。何故なら、肉体の修復機能を持つ蓬莱の薬を作ったのが他ならぬ八意永琳で、完璧であるという自負が、薬の効果が変わるはずがないと思考停止させ、そこに原因があるという考えに至れなかったのである。
 妹紅に何らかの変化が生じた事は理解する努力が出来たが、そうなった要因や具体的にどうやってそのような事になったのかなど、重要な事は全く分からない。そして、妹紅を倒す方法が完全に失われた事を理解する前に状況が変わってしまう。
 永琳は、妹紅という存在を最後まで侮り続けた。


 髪の毛をフィールドの内壁に接触させた妹紅は、矢弾の発射口である無数の穴の一つを調べる。それ自体に神経がない髪の毛であるため詳しいことは分からないが、硬い障壁で簡単に突き破る事は出来そうになかった。
 このフィールドは自分が何処に移動しても常に自分を中心に置き続け、戦場空き地全体の巨大フィールドの外周に近付くと磁石が反発するように跳ね返される。
 また、永琳側のフィールドに近付こうとしても一定距離が保たれてるような仕組みになっているようで近付く事が出来ない。
 フィールドを破壊しようとして火球などで攻撃すると、フィールドに吸収されてそれが矢弾となって跳ね返される。前にそれを試みて自滅し、輝夜に笑われた苦い過去を思い出す。
 妹紅は首を振ってその思い出を記憶からかき消そうとした時、ある重要な事実を発見した。
 先程前方に延ばした髪の毛はそのままフィールドに接触させたままであったが、この状態で首を振れば、髪の毛は視界の中で左右に振れるはずである。しかし、髪の毛は妹紅の正面にまっすぐ伸びたまま視界から動かなかった。
「!」
 妹紅はゆっくりと顔を上下左右にぐるぐると動かす。それでも髪の毛は常に一定の方向のまま視界からずれなかった。
「(これは・・・視線が固定されるようにフィールド自体が回転しているのか?)」
 この意味、作った側のつまり永琳はどんな意図でそうしたのか?
 妹紅は様々な仮説を立てながら検証の為に気付かれずゆっくりと色々な動きをする。首を正面に向けたまま身体を捻ってもフィールドは回転しない。視線をフィールドの面が完全に同じ場所を見せるように固定されている。
 この巨大な戦場空き地というフィールドの何処かに顔の向きと視線を感知して、同じ面を向けさせる仕掛けが施されているということだろうか。妹紅としては、その仕掛けそのもに興味はなかった。問題は、何故わざわざそんな事をする必要があるか、という事である。
 同じ面に視線を固定させるということは、見られたくない何かが視界の外にあるからだろう。視界の外、つまり死角に何か重要な物があるはずである。
 妹紅はすぐに髪の毛を背後延ばし、何がそこにあるかを確かめる。そしてすぐに答えがでた。
 完全な球体と思っていたそのフィールドの妹紅のほぼ真後ろに縦に長い長方形の硬い板があった。この板はこの永琳で言うところの『鳥かご』、妹紅の言うところの『満月殺陣』を行う為に必要な特殊なフィールドを形成するのに必要な制御基盤である。
 妹紅はこれまで何度もこの技をくらいハメられて来たが、このフィールドは完全な球状をしており、その仕組みなどが全く分からず、為す術が無かった。
 この半透明の球体には矢弾の発射口のような、小さな穴が模様の様に整然と規則正しく並んでいるが、これは前面も背面も同じ模様が並んでいる球体と思い込ませる一種の騙し絵のようなもので、後ろに重要な設備があることを隠すカモフラージュなのだ。
「(やられた!完全にフラットな球体だと思っていた!)」
 妹紅は何の疑いもなく当然のようにこれが綺麗な球面だと思い込んでいた自分を責め、そしてすぐにそれを反省した。
 月が地上に同じ面しか向けないのと同じように永琳は必ずこちらに正面を向けていたが、これにも重要な意味があるだろう。そう、永琳の背後にも妹紅と同じ制御基盤があるはずである。
 この対となる制御装置によって、妹紅と永琳の位置や向きが固定されているのだと分析した妹紅は、永琳が放った矢が永琳側のフィールドに吸収され、それが制御基盤から戦場空き地の巨大フィールドを伝導体にしてエネルギーを妹紅側の制御基盤に供給し、矢弾の雨を降らせるという仕組みだろうと考えた。
 それなら逆の事も出来き永琳に逆撃出来るかもしれないと思ったが、流石に無理なことを思い出す。以前火球を撃っても自分に矢弾となって跳ね返ってきた苦い経験がある。エネルギーは常に一方通行なのだろう。
 妹紅はこの技を撃ち破る手段として、この制御基盤を破壊すれば良いとすぐに考えたが、もっと何か上手いことが出来ないか考察する。
 永琳が瞬間的に移動出来るのは、恐らくこの戦場空き地という巨大フィールドの力を利用しているからだと思う。永琳が放った矢が妹紅側に伝わるのもこの巨大フィールドの力だろう。
「(物理的に繋がっている・・・わけないよな・・・でも。)」
 永琳は相変わらず停止状態で、こちらの動きを全く感知していない。試すなら今だと思い、妹紅は制御基盤に大量の髪の毛まとわりつかせ、隙間という隙間に潜り込ませる。 
 そして驚くべき事実を目の当たりして、思わず声を上げてしまう。
 何と大量の髪の毛が永琳の背後から現れたのである。
「(繋がってる!そうか!)」
 永琳と妹紅双方の制御装置が一つずつ、計2つあるのではなく、1個の装置がそれぞれのフィールドに背中合わせになっているということである。
 にわかに信じられない事である。しかし、この様な探せば分かるような仕掛けは永琳らしくないとも思う妹紅。これは幻想郷から得られる限られた資源の中から調達出来る最大限の努力から生まれた傑作なのか、単に妹紅を見下して手を抜いた結果の産物なのかわからない。分かるのは最大のチャンスだという事実。 
 妹紅は永琳の左手の弓と右手の矢、そして体中に髪の毛をからませる。永琳はこの時、鳥かごの中の妹紅が何も出来ないと決めつけて安全であると思い込み、全ての感覚を切って全力で今の状況と対処法を分析していたのである。その為、自分の姿が見えない程に髪の毛が繭の様にからみつく危機的状況に全く気付いていない。
 妹紅は、下にいる輝夜やレイセンがこの状況に気付いて声を上げる前に、速攻で攻撃に移る。
 髪の毛を爆発させた妹紅は、自分と永琳の後ろにある基盤諸共破壊し、同時に永琳を焼き殺す。そして失った髪の毛は即時に再生させた。


 分析中の永琳はどのくらいそうしていたかわからないが、突然思考が強制的に凍結し、視界が切り替わった。
「え?」
 思わず間抜けな声を上げる永琳。記憶領域まで使った猛烈な思考演算が途中で強制終了し、一時保存データが完全に消し飛んだ永琳の脳は、一時的な記憶障害が起きていた。
 断片化した記憶の修復が自動的に行われているものの、元に戻る間、自分も目の前の妹紅も誰なのか思い出せない永琳。
 その後すぐ記憶が戻った永琳であったが、直近の記憶が完全に失われている事に気付く。
「お目覚めか?」
「妹紅!どうして?」
「戦闘中に居眠りとは歳を取りすぎたか?」
「(居眠り?)」
 永琳は先程まで持っていたと思われる弓と矢が無いことに気付き、咄嗟に弓と矢を量子復元しようとして失敗し、弓を構える虚しい滑稽な姿だけをさらす。量子リソースが無い事に気付き、他にも鳥かごに必要なリソースも失われている事に気付いた。
「月の伝統的な踊りか?」
 弓を構えたような動作を取ったまま呆然とした永琳をからかう妹紅。 
 何が起こったか分からない永琳だが、それを妹紅に聞く事は恥ずかしくて出来るわけがなく、残った記憶をかき集め分析する。
 勝利を確信し妹紅を嘲る所までははっきり分かる。その後、妹紅の攻撃にカウンターをくらわせたはず。
 永琳は一度総合身体サポート機能切り、身一つになって覚えている事を自力で思い出そうとする。「鳥かご」が成功し、その後攻撃が全て無効化された事を調べる為に思考に没頭したところまで思い出した。
 永琳はほぼ自分が体験したことを思い出したが、鳥かごが破られる場面はどんなに頑張っても思い出す事が出来なかった。当然といえば当然の事で、感覚を全て遮断した永琳はその事を体験していないからである。
 永琳はここにきて、戦場空き地の巨大なフィールドそのものが、状況を記録していることを思い出し、そこで自分と巨大フィールドの接続が切れている事に気付き、何故切れたのかも思い出す。
 フィールド全体が無数の妹紅の分身を本物と感知してしまうエラーが取れず、苦肉の策としてフィールドとの接続を切り、永琳自体の感知範囲を狭めて対応していたのである。
 この接続を戻せば、妹紅がどうやって鳥かごを抜け出したかが分かるが、それをやれば当然、妹紅の分身を感知してエラーを吐き出してしまう。
 輝夜とレイセンを封じる為に用いた分身の術は、永琳を苦しめ続けた。


「計算が狂うと無様なものね。天才が踊りのおばさんになるんだから。」
 言い返せない永琳。実際自分でもあまりにも無様過ぎてどこかに隠れたい衝動に駆られる。
 妹紅は永琳が何かを言おうとした瞬間、一気に間合いを詰める。総合身体サポートを使っていない今の永琳はそれに対応することが出来ず、身体を掴まれそのまま地表に引きずり落とされる。
 妹紅は永琳を地面に叩きつけた瞬間、周囲の手の空いている分身を集める。
 永琳は総合身体サポートを起動し反撃体勢に入った時、狭めた感知範囲の内側に大量の妹紅の分身を感知してしまい、凄まじい脳内負荷が発生し、悶絶してその場に頭を抱えて倒れ込む。
 フリーズする直前でサポート機能を切った永琳は事なきを得たが、もはや戦闘が出来る状態ではなかった。
 倒れ込んで肩で息をする永琳の前にポケットに手を突っ込んだ格好で見下ろす妹紅。
「永琳・・・お前は愚かな行為だと言うだろう。でも、戦いを生業とする私にとって戦えない相手にトドメをさすことは出来ない・・・。」
 妹紅はそう言うと、「散」という言葉を発した。すると永琳や輝夜らを取り囲む分身が光の粒子となって中空に溶けて消える。
 永琳を苦しめた分身が消えた事で、戦場空き地の巨大フィールドと接続可能になった永琳は、総合身体サポート機能も併せて、今日初めて最高のポテンシャルを得る。
「あなたは本当に愚か者ね・・・。確かに、私には勝つ術はもうないけれど・・・それは妹紅も同じでしょう?」
「それはどうかな?」
 先程の様にギラギラした目つきではなかったが、揺るぎない表情が永琳を見つめ返す。
 今日何度目だろうか?こちらの発した言葉は全て否定され、そして現実となったのは。
 この一見無謀な行動は、戦士としてのプライドから行った事ではなく、しっかりとした勝利へのプランが既にあるということだろうか。
 永琳は、自分の中で何かが変わった事に気付いた。忘れていた懐かしい感覚が甦る。それは好奇心である。
 未知の物への興味、好奇心、探究心が妹紅を対象として捉えはじめていた。
 何時からだろうか?全てを知ったと思い込み、理解出来ない事は全て間違いだと否定し、それを立証する為にあら探しを始めたのは・・・。 
 幻想郷には沢山の未知で溢れているではないか!
「永琳!」
 その時分身の拘束から解き放たれた輝夜が永琳に駆け寄る。
「チャンスよ!みんなでたたみかけましょう!」
 この輝夜の反応を妹紅は予測しており、そしてそれが現実になって溜め息がもれる。
「(救いようのないクズだな・・・でも・・・。)」
 相変わらずな輝夜とは対照的に、永琳の瞳の奥に燃えたぎる生命の息吹を感じた。弱り切った本能が再生されているのがわかる。
「(でも・・・これで、ようやく話が出来そうだな。)」
 永遠亭を完全に打ち砕こうと思っていた妹紅にとって意外な結果に向かいそうな期待感が沸き上がっていた。


「永琳!」
 輝夜が反応のない永琳の袖を引っ張って、もう一度名前を呼んだその時だった。
「お黙りなさい輝夜!」
 輝夜を窘める激しい憤りを含んだ声が、敗色から立ち直りざわめきだした永琳の周囲を再び静寂に変えた。
「え、永琳?」
「先手を打たないという決め事も守れず、妹紅の計略にまんまとはまり、今まで何も出来ずただ寝ころんでいたあなたは、私にとって戦力ではなくリスクでしかありません。黙って見ていなさい!」
 痛烈な永琳の叱責を受けて、ぐうの音も出ない輝夜は後ずさってその場でへたりこむ。 
 妹紅はその光景を黙って見ていた。そして、妹紅に向き直った永琳と目があった。
「ようやくお目覚めか。」
「人間は、本当に愚かね。でも、だからこそ面白い。」
 やることなすこと、人間がすることは愚かな事としか見ていなかった永琳の態度が明らかにかわっている。
「最高の状態のお前を倒す。じゃなきゃ意味がない。」
「それは楽しみね。」
「一つ提案がある。」
「ん?何?」
「お前にはもう勝ち目はない。そんな戦いはつまらない。お前にも勝つチャンスをやろう。」
「・・・理解不能だわ・・・。」
「不死身同士、殴り合っても意味がない。次の一撃で決める。私の攻撃がお前の体に当たったら私の勝ち。お前のシールドがその攻撃を防いだらお前の勝ち。どうだ?」
 妹紅の提案は、余りにも永琳にとって有利すぎる提案である。しかし、妹紅にはこの条件で勝つ見込みがあるということだろう。この時永琳は、勝敗よりもどうやって妹紅が勝つのかに興味を持ち始めていた。
「・・・勝つ気があって言っているのね?」
「もちろんだ。」
 妹紅の顔は真剣そのものだった。
「受けましょう。不死身と無敵、どっちが強いのか見ものね。」
「ふん、無敵か?笑わせる。」
「勘違いしないで、無敵はあなたでしょ?」
「!」
 妹紅は自分を認める発言をこの時初めて永琳から聞いた。それは嬉しいという感情もあったが、同時に恐ろしいとも思えた。永琳に付け入る隙は、相手がこちらを見下していたという正にそこで、これが正しく評価されたとするなら次は万全の体制で挑んでくる事になる。そうなった時に勝ち目があるだろうか。
 先程と立場が逆転したような感覚に妹紅は焦りを覚えると共に、これこそが戦いだと身体の中から闘志が湧き上がる。
「あなたたちは少し離れていなさい。」
 妹紅の目に炎が宿ったのを見て、永琳は近くに集まっていた輝夜らを退避させる。
 それと同時に妹紅の背中に虹色の炎の翼が現れ、先程の様に炎の熱線砲を作り出す。先程は時計の文字盤と同じ12本だったが、今は数百、数千と無数の束になり分厚く隙間一つなくなり、離れた輝夜から中にいる永琳と妹紅の姿が完全に見えなくなってしまった。
「(なるほど・・・さっき、これが出来るのにやらなかったのは、わざと隙を見せるためだったのね。)」
 この分厚い炎と熱の壁に囲まれたら短距離しか移動できない瞬間跳躍は使えない。勝つために相手を出し抜く知略は大したものだと、永琳は炎熱で完全に隔離された空間を見渡しながら感心する。
 しかし、今更逃げる気はないし勝負の決着方法からしてもこのような大掛かりな仕掛けは必要ないと思いつつも、次に妹紅が何をしてくるのか楽しみでしようがない永琳。
「(でも・・・私の物理シールドを妹紅は破ることが出来るのかしら。)」
 永琳は妹紅を侮ったわけでも自惚れたわけでもない。これまでのデータから今の妹紅の能力を大幅に高く評価したとしてもこのシールドを破る力は無いと冷静に分析して導き出した答えである。
 しかし、その考えはすぐに改められる。
「はああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
 妹紅は炎に囲まれた檻の中で何かを持ち上げるような踏ん張る姿勢で力を溜める動作を始めると同時に、髪の毛の色が白紙に墨を滲ませたかのように黒く変化していく。
 これは穢れをその身に溜め込み身の内に羅刹を宿した妹紅の別の形である。
 永琳は驚きと同時に畏れがその身をすくませた。
「妹紅・・・あなたは一体・・・。」
 上半身が盛り上がり、小さな妹紅の身体が気の上昇と共に二まわり程大きくなる。
 そして真っ黒になった髪の毛が一度白に戻った時、気の膨張もそこで一旦収まる。だが、次の瞬間圧倒的な力が濁流となって妹紅の身体を突き破るように溢れ出す。
 髪の毛が白から黒変わり、そして深紅に染まる。白目が血の色に変化し、黒目は金色に瞳孔は縦に割れ正に鬼の形相。大きく恐ろしい姿に変化した妹紅は、大きな歩幅で永琳の前に歩みより今まで見下ろしていた妹紅と視線の位置関係が逆転していた。
 永琳はそれを畏れたが、恐ろしいものとは思わなかった。悲しいものとも思わなかった。畏れと、そして敬意のような念を感じている自分を客観的に見ていた。
 生物をこのような見た目に変形改造することは永琳にとって造作もないことである。しかし、図らずしてそうなった命の「かたち」の神秘は作り出すことは不可能である。自分にこのような完璧な生命体を作り出すことは出来ない。永琳は人が人為的に成せる事の限界を見た。
「(この娘は、一体今まで何を・・・。)」
 楽な人生を歩んで来た結果ではない事はすぐにわかる。そして、自分には想像も出来ない過酷な人生を経験してきたこともすぐにわかった。
「行くぞ永琳!」
 妹紅の面影のない、その鬼の表情は動かない。声が直接脳に入り込んでくる。科学でこれを説明することは出来ると思うが、もはやそんなことはどうでも良いことだった。
 永琳は妹紅の呼びかけに応じ、今の自分に出来る渾身の防御シールドを張る。
「(おかしなものね。気持ちのあり方でシールドの強度が変化するわけでもないのに・・・。)」
 シールドの強度は常に限界出力である。しかし、気持ちが乗ればその強度が増すのではないかと、今まで思ってもみなかったバカな事を真剣に考えている永琳。
 今まで妹紅だった羅刹は、そのシールドを見て右の拳を握ると、次の瞬間疾風となって永琳に殴りかかる。
 結果はすでに分かっていた。分かっていてその挑戦を敢えて受けた永琳。
 永琳のシールドは飴細工を木槌で叩き割ったかの様に、細かく粒状に砕け、後から来た衝撃波に吹き飛ばされる。
「痛いわ・・・妹紅・・・。」
 妹紅の腕はシールドを叩き割り、そのまま永琳の胸の中央に突き刺さっていた。
 永琳は痛覚のない別の場所に痛みを感じていた。
「永琳、八雲紫に会え。そして、事情を説明してこの異変に参加しろ。」
「・・・ふふ、やっぱり・・・あなたは幻想郷を滅ぼす気はないのね・・・。」
「私を利用し、罪を被せれば誰も咎を受けない。」
「・・・あなたは・・・どうするの?」
「この姿を見ただろ?長く生き、罪を犯し、穢れの極みに達した愚か者の末路を・・・。今更罪が一つ増えてもどうということはない。」
「・・・本当にバカな人間ね・・・。」
 妹紅の身体が元の姿に変わっていく。そして妹紅が完全に元通りになると同時に炎と熱の檻が消えた。
 この檻は羅刹を永琳だけに見せるためのものだった。


「あっ!」
 輝夜ら3人は同時に声を上げる。そこに見たものは、妹紅と永琳の重なる姿であり、永琳が勝負に負けたという事実であった。
 妹紅の右手を胸に深く貫かれた永琳に、妹紅は冷酷な言葉を投げかける。
「お前の負けだ永琳。」
 永琳との間で話をつけた一方で、輝夜らにはそれを知られないために自らの鬼の姿を炎と熱の檻で隠していた妹紅。だが、勝者が誰であるかを知らしめる必要があり、妹紅は敢えて最後の仕上げを行った。
 左手で呪符を一枚取り、発動させて岩老刀に変えると、間髪いれず永琳の胸に刺さった自分の右手を肘の手前で切断する。
 腕を切り一歩下がった妹紅。その腕で支えられていた永琳はすぐに膝を落として座り込む。
「死ね!」
 永琳の胸に残った妹紅の右手は、その言葉を受けて金色の粒子になって永琳の周囲に漂う。その粒子は高熱を発っし輝き出すと、たちまち永琳の身体が燃え出し、あっという間に消し炭になる。
 そしてリザレクション。
 永琳の身体はリザハメ防止の為に同じ場所に留まらない様に自動回避行動を取るが、粒子化した妹紅の右手はそのまま永琳の移動フィールドに留まり、移動先でまた高熱に焼かれる。
 跳ぶ先々で永琳は焼き殺され、ここに不可能だと思われた永琳に対するリザハメが完成した。


 藤原妹紅完全勝利である。


 上空で花火の様に光点を作る永琳のリザハメの金色の輝きを地上から呆然と見上げる輝夜。
「うそ・・・何かの間違いよ・・・。」
 驚いたのは輝夜ばかりではない。レイセンもそして因幡てゐもど肝を抜かれた。
「(か、勝っちゃったよ・・・師匠に・・・。)」
 妹紅の理解者だと密かに自負していたてゐであるが、勝負には永琳が勝つと思っていたのである。
「・・・。」
 左手の岩老刀を呪符に戻しもんぺに貼り、そのままポケットに手を入れ、右腕は肘から先が無いのでそのままに、妹紅は美しく散り続ける永琳の光をしばらく見上げていた。
 勝利は更なる戦いへと続く後戻りできない片道切符である。
 不死人狩りで復讐をしなかったのは、余りにも対象が多すぎるということもあるが、それ以上に相手に恨みを抱かせ、復讐の連鎖を作りたくなかったからである。
 紫にそそのかされ本能から発した常軌を逸した不死人狩り。そそのかされた側からすれば自分が悪いとは思っていないだろう。そういう精神状態の相手に復讐するのは逆効果である。復讐をするなら黒幕である紫に対してするのが良いだろう。
 ただ、妹紅には相手が誰であろうと復讐する気はなかった。どの道この戦いに大儀はないからだ。
 永琳達はこの戦いに敗れて今後どうするだろうか?
 停戦状態に入り最近やっと沈静化した永遠亭との関係はまた昔の様に、いや昔より酷くなるかもしれない。
 勝利はしたが喜びよりも今後の事で気が重い妹紅だった。


 八意永琳の予想もしなかった敗北に意気消沈した永遠亭の面々は近づいてくる妹紅に抵抗する手段を見出せず動けずにいた。
 妹紅は前を向いたまま3人を無視するようにその横を通り過ぎようとした。
「こ、これで勝ったと思わないことね!」
 言わなくてもいい負け犬の台詞を吐く輝夜。言葉をかけられ振り向いた妹紅は、輝夜の後ろで「あちゃー」と言う顔をするレイセンとてゐの顔を見てクスっと笑う。
 その表情が自分に向けられたものだと勘違いした輝夜は怒りだす。しかし、手は出してこない。
「(威厳もクソもないなこりゃ・・・昔はあんなんじゃなかったのに・・・。)」
 昔というのは、妹紅が人間の時、約1300年程前のことである。当時の事はほとんど覚えていないのに輝夜の事は今でもよく覚えている。
「輝夜、あんた変わったね。昔はこんなんじゃなかったのに。」
「な!」
 意外な妹紅の返答に思わずたじろぐ輝夜。
「性格は今と同じクズ野郎だったけど、その姿は輝いていた。美しい歌を綺麗な声で詠んでいた。あの歌を聞けば世界は美しく未来は安寧だろうと、誰もが信じられた。言霊ってやつさ。」
 輝夜は心を見透かされた様な落ち着かない気持ちになり、焦り、そしてこの時、今まで無かった敗北感とそれに伴う脱力感を覚えていた。
「くだらない未来ばかり考えているから本当に未来がそうなっちまうんだよ。もう少し現実を大事にしろよ。」
 妹紅はそう言うとそのまま3人に背を向け、先程まで無かった右手を上げた。
「ふふ、完璧に負けちゃったわね。」
 いつの間にかリザハメから復帰した永琳が3人の後ろから声を掛けた。負けたと言うわりにその口調はとても楽しそうだった。
「姫様、さっきは申し訳ありません。」
 先程の輝夜に対する暴言を謝罪する永琳。輝夜は「気にしてない」と呟き振り返らず妹紅の後姿をずっと見つめている。
「師匠、今後どうするのですか?」
 レイセンが心配そうに尋ねる。
「八雲紫に会うしかないでしょう。でも、こちらから会おうとして会える相手ではないわね。」
 紫は神出鬼没で、博麗神社以外での目撃情報が少ない。見かけたとしてもそれは偶然である。
「てゐ、お願いがあるの。」
「分かってる。兎を総動員して、各地を見張らせる。」
「妹紅と八雲紫は繋がっているわ。恐らくどこかで会うかもしれないわね。」
「妹紅は今、里の近くに住んでる。それとなく兎を配置しておくよ。」
「頼んだわね。」
 永琳が因幡てゐに対して特別扱いをするのはこうした情報戦で力を発揮するからである。
「さぁ、帰りましょう。永遠亭(わがや)へ。」
 永琳が踵を返し、レイセンも後を追おうとして何かに気付いて立ち止まる。輝夜は妹紅が竹林に消えて見えなくなってからもずっと動かない事に気付いたからだ。
「あ、姫・・・。」
 そんなレイセンの気付きをてゐが静止した。
「やめとけレイセン。今姫は1300年ぶりに未来から現実に帰還したんだ。」
「・・・姫様・・・。」
 そんな二人のやりとりを振り向いて見たいた永琳は、後ろ髪を引かれつつ輝夜に背を向けるレイセンを見て自身も前に向き直って歩み始めた。
 この戦い以後、永遠亭は変わっていく事になる。


 妹紅は戦場空き地を出てから、凄まじい体調の変化を感じていた。
「な、何だこれは?」
 本来蓬莱人は自動的に肉体をベストな状態に保つように出来ている。病気にもかからない、毒を飲んでも死なない、酒を飲んでもすぐに酔いが覚める。
 妹紅の新しい身体は、任意に操作が出来るものの、健康状態を維持する事に人間と同じように自己管理しなければならない状態となった。便利な身体になった事と引き換えに面倒な事も増えたといえる。
 妹紅はこの変調を疲労か何かと思ったが、明らかに身体の中に異物感を感じ、何かしらの毒が身体に入り込んでいると自己診断しだ。
 猛烈な目眩と吐き気に膝を落とした妹紅は、自分の身体を元に戻そうと試み、それは一旦は成功した。立ち上がれる程に回復した妹紅は、とりあえず隠れ家まで歩くことにし、放っておくとすぐに悪くなる体調を随時戻しながら何とか辿り着いた。
 着いたと同時に地面に膝を着いた妹紅は割れるような頭痛に悩まされ、頭を思い切り掻き毟る。すると頭髪が頭皮からごっそりと抜け落ち、指に絡みついた大量の自分の髪の毛を見てぎょっとした。
「これは・・・。」
 突然の嘔吐感にこみ上げるものを吐き出そうとして思いとどまり、喉まで来たソレを飲み込む。
 身体に毒が回っているなら吐いた物も猛毒だろう。自分は汚れても大地が汚れる事を妹紅は望まなかった。
 妹紅はすぐにこの原因が何であるかわかった。先程の戦闘、満月殺陣で喰らったあの化学反応弾の所為だ。
 リザレクションをすると身体は完全に新品に換わるので気にする必要はなかったが、死なない妹紅はそのまま劇薬を身体に蓄積させてしまったということである。
 妹紅は地面に頭を付けたまま、身体の中の異物をイメージしそれを身体の中心に集める。頭の天辺、指先、爪先からそれらを身体の中心へと集める。
 そして集まったその毒を今度は右手の掌に移動させる。
 イメージしそれを形に変えてしまえば後は身体の一部に隔離するのは容易だった。何故こんなことが出来るのか自分でもわからなかったが、妖術使いの里で、病気の治し方で病原体を魔物のような形あるものにイメージし、それを打ち倒すという想像力で身体の持つ自然治癒力を活性化させる治療方法を教えられたことがあったためで、これを応用したわけである。
 病は気からというもので、全てが上手くいくわけではないが、末期癌の患者が何年も命を永らえたり、極僅かであるが完治してしまう者もいた。
 掌に集めた毒を飴玉の様な丸い塊にイメージに、それを一度を外に出して見る。皮膚が縦に裂けてそこからプリっと黒い玉が出てくる。
「これか・・・。」
 しかし、その毒々しい気は周囲を汚染しはじめ妹紅はすぐにそれを身体の中にしまい、周囲の空気を自分の身体ごと一瞬だけ燃焼させ消毒した。
 皮膚の表面が全て焼かれ燃えカスの白い灰がぱっと広がって消える。先程の戦闘で汚れた体が一瞬で風呂上りの様な艶艶の肌に変わる。
「どうしたものかな・・・これ。」
 妹紅はこれを永琳に処分してもらおうとも思ったが、これも新しい力になるかもしれないとそのままにすることにした。毒を持って毒を制すという言葉もあるが、この戦闘の副産物は後に大きな武器となる。


「さて、魔理沙の用事を早く済ませないとな。」
 永遠亭の短い一日は終わった。しかし、妹紅の長い一日は始まったばかりである。

東方不死死 第27章 「賢者の誤算」


 幻想郷の片隅にある迷いの竹林で、後世のどの歴史書にも存在しない当事者しか知らない恐るべき戦いがはじまっていた。


 藤原妹紅と永遠亭の間に修復出来ない亀裂が生じ、今正に戦闘が始まろうとしていた。
 しかし、この期に及んでも永遠亭側からは動かない。いや、正確には動きたくても動けないと表現すべきだろう。何故なら先手か後手かで永遠亭の立場と今後の立ち回りが大きく変わってしまうためで、そして先手を打てばそれだけ状況が不利になるからである。
 永遠亭としては主導権のある優位な同盟関係を妹紅と結び、その上で八雲紫に対して有利に交渉を進めるという目論見であった。
 紫が何を企んでいるか、現時点では「妹紅を使って何かをする事」くらいしか分からないが、その紫と結託しているであろう妹紅が永遠亭側についたとなれば、紫側は永遠亭も取り込もうと画策するだろう。そこで異変をコントロール、もしくは危険な異変そのものをやめさせようというわけである。
 しかし、それも全て妹紅との交渉が決裂した事で水の泡である。
 残された道は、紫との交渉の際、心証を良くする為に捕らえた妹紅を手土産にすることである。
 妹紅が重要な異変のパーツである以上、紫は妹紅を取り戻そうとするはずである。その場合、妹紅を意図的に陥れて捕らえる場合と、成り行きでそうなってしまった場合とでは、紫にに与える印象がだいぶ違う。後者の成り行きで、という事にすれば、妹紅から事情を聞き、そういう事なら協力出来るという方向で話を進めやすいが、前者であれば妹紅に敵対したという事であり、それは即ち紫にも敵対することを意味し、交渉は最初から険悪なところからのスタートとなってしまう。
 この永遠亭側の心理状況は、妹紅も手に取るように分かった。目の前で悪態をついている、いつもなら真っ先に襲いかかってくる手の速い輝夜がぐっと堪えてこちらの出方を窺っている態度がそれを証明している。
 このままずっと睨み合ってどこまで我慢出来るか試すのも面白いと思う妹紅であったが、ここへ来た目的というのは、魔理沙の用事を済ませる為で、本来ならここで戦闘などしている場合ではなかった。
 今日のスケジュールとしては、魔理沙の用事を済ませた後、日没後に藍と会い、その後魔理沙の家で魅魔から話の続きを聞く事になっている。
 しかし、様々な条件が重なり、この一戦が天王山となる事を直感した妹紅は、これを最優先事項とした。


 戦場空き地の中央部で対峙する1つと4つの影。一つは藤原妹紅。4つは永遠亭の八意永琳、蓬莱山輝夜、レイセンと因幡てゐである。
 永遠亭と妹紅との間に起きた抗争は約300年に及び、比較的最近永遠亭入りしたレイセンがいない時代は3対1であった。しかし、てゐは今でもオマケのようなものでまともに戦闘に参加しない。レイセンが永遠亭に入ってからは、レイセンが常に先方というより捨て駒のように扱われ、妹紅としては彼女を戦力としてみていないが、今回のレイセンの気の入り方がいつもと違うのが少し気掛かりと言えば気掛かりである。
 この1対多という状況は、レベルの高い妖怪はあまりやらない戦闘方式で、戦いを生業とする猛者は1対1を好む。
 妹紅が幻想郷入りした300年前、永遠亭の存在を慧音に教えられて彼らに復讐を果たそうと戦いに挑んだ時、当時の妹紅は彼らの戦い方に戸惑い、そしてそれが許せなかった。戦いを生業とする者が当然の様に持っているスタイル、ルール、プライドが彼らには全く無かったからである。
 相手に対する敬意を持たず、当然礼儀や形式美すらも無い。何をしても勝てば問題ないという考え方で、こちらを対等の相手と見ていない。鬱陶しいハエに対して正々堂々対等な相手として勝負を挑むだろうか?それと同じように永琳らは相手をハエとしか見ていないのである。
 当時の常識で動いていた妹紅は、妖術使いを生業とする一戦士として真面目に彼らを仇敵と見なして戦おうとしていたが、彼らがそれに値しない者であるとすぐに分かり、それ以後妹紅は彼らに対して戦士としての振る舞いを止めた。ただ乱暴に、粗野に、暴力的に彼らに相応しい戦い方を続けたのである。
 その為、永遠亭側では呪符といった様々な技を駆使する妹紅の妖術使いとしての戦闘スタイルを知らないのでる。
 妹紅は今回の戦いを絶対に負けられない戦としており、これまでのような適当な戦いではなく勝利の為にベストを尽くそうとしている。妹紅の本来のスタイルを知らない永遠亭にとってそれは有利に事が運ぶ材料の一つとなるだろう。
 そして、最も大きい材料が、妹紅の体内に存在する蓬莱の薬がその本質を変えた事である。妹紅は輝夜や永琳と同じ蓬莱人という括りであるが、永琳と輝夜が同じであることに対し、今の妹紅は彼ら二人とは明らかに異なる性質を持つ。そして、このことを彼らはまだ知らないのだ。これは勝利の鍵を握る重要なポイントである。
 しかし、有利な材料は多いものの、八意永琳の力は侮れない。彼女の使う絶対に避けられない『あの技』をどうやってしのぐかである。
 妹紅はその永琳の技を『満月殺陣』と勝手に命名しているが、対象、つまり妹紅を満月の様な球形の結界に閉じこめ、360度全方位から無数の矢弾を中心の妹紅に打ち込むという必中必殺の技なのである。この矢弾を避ける事は絶対に不可能である。しかも、この矢弾はただの矢ではなく、当たった瞬間に化学反応を起こし肉体を沸騰させ蒸発させる。かすっただけで即死するこの矢と透き間のない弾幕、そして逃げられない結界。これを同時に行う満月殺陣をやられてしまうとリザレクション状態にはめられ完全に身動きが取れなくなる。
 一瞬ではあるが、このリザレクション中は完全に身動きがとれなくなるため、同じ場所で断続的に攻撃を受けるとハメの状態になってしまう。この状態に陥る事をリザレクションにハマるという意味で、リザハメと妹紅らは呼んでいる。
 これまでの妹紅では手も足も出ないところであるが、今はこれに対応出来る手段が新しく備わっていた。肉体を自分の意志で任意に修復出来る藍の力である。
 この力は他者に対しては藍の様にはいかないが、自分自身に対してならほぼ同じ様に使える。この任意回復能力を使えば永琳の矢弾の化学反応による肉体損傷を瞬時に回復させることが出来るはずだ。これまで何度も喰らい苦汁を舐めた技であり、肉体が融解するあの感覚は妹紅の身体に染みついている。壊れ方が分かれば直し方も分かるのは道理というものだろう。
「(しかし・・・。)」
 何せ初めての試みなので100%上手くいくとは限らない。控えめに成功率を五分五分と設定するとして、問題は永琳以外のレイセンや輝夜の存在である。永琳と妹紅の一騎打ちであれば、回復に専念出来るが、彼らを野放しにして永琳のサポートとして妨害行動をされると厄介である。
 永琳の攻撃に集中出来る一騎打ちの状況を作る事が重要な問題となる。そうするにはどうすればいいか?それは既に考えがあり、妹紅はその仕込みを既に行っている。それを気取られないようにするカモフラージュが必要だ。
 幸いな事にこの戦いは妹紅が先手を撃てる事が確約されたものである。段取りさえ間違わなければあとはプラン通り事が進行するはずである。


「さてと、そろそろやるか・・・こっちから手を出さないと先に進まないからな。」
 妹紅は相変わらず永遠亭の連中に対して小馬鹿にしたような態度を取っていた。
「・・・。」
 それに対して何も言えない輝夜であるが、戦闘が始まってしまえばこっちのものである。今は好きに言わせておけばいいと怒りを抑える。
「ほんと、私はつくづく心の優しい人間だな。敵の為にわざわざ殺されに行くんだからな。」
 態度の悪い男口調で妹紅は喋り終えると一旦顔を下げる動作をした。そして次に顔を上げた時、その妹紅の自信に満ちた邪悪な表情に永遠亭の面々は思わず背筋が凍った。
 戦闘は静かに、そして突然始まる。
 妹紅は大きく息を吸い込む動作をとる。これは、その後に炎を吐き出す火遁の術の予備動作で、この術は妹紅が好んで使う技の一つである。追い打ちなどで接近する相手に対するカウンターにも使える技で迂闊な輝夜を何度も焼き殺してきた技である。
 この火遁の術は、術という呼び名ではあるが妖術というカテゴリーではなく、不死鳥を内包する妹紅の体質を利用した技で、妖怪の使う妖術に近い。妹紅は炎に関しては自在に操る事が出来、これらを主に使う事によって炎を纏う荒々しい狂戦士として振る舞い、洗練された妖術使いという本当の姿を隠してきたわけである。


 火遁の予備動作を見た永琳らは咄嗟に散開したが、妹紅から先制攻撃を受ける事を前提にした今回の戦いでは、これを避けてしまっては駄目ではないかとレイセンが疑問の声を上げる。すぐに永琳は理解し、輝夜に目配せをして、喰らって死ねという指示を出す。
 輝夜と永琳の関係は、建前としては姫と従者という関係であるが、実際には年の功で永琳が上という関係で、2人だけの時永琳は輝夜を呼び捨てにしている。戦闘に関しての能力も圧倒的に永琳が上で、この場合、指揮権も当然永琳にあり、輝夜はその命令に従わなければならない。下僕であるレイセンを弾避け替わりに使う選択肢もあるが、定命のレイセンでは妹紅の火遁をまともに喰らえば即死する危険性があるので、やはりここは不死身の輝夜が適任となる。
 永琳の指示を受けて舌打ちしながらもそれを了承した輝夜は回避行動を中断し妹紅に正対する。しかし、妹紅は息を吸い込み続ける動作を止めない。
 いつもと様子が違う妹紅の行動の意味を瞬時に分析し解明した永琳は、その危険性を理解し全員を自分の周囲に集める。
「みんな、集まって!」
 永琳の警報のような普段発しない聞き慣れない叫び声に反応して、三人はすぐに永琳の下に参集する。4人が固まると同時に永琳は球状の保護膜を発生さて全員を包みこむ。
 妹紅は、永琳等の使うこうした防御壁を彼らの使う専門用語そのままにシールドと呼び、幻想郷で一般的に用いられる結界とは用語としても効果としても区別して使用していた。


 シールドに包まれた4人は、上空から息を吸い込む動作を止めない妹紅を訝しげに見下ろす。
「何でみんな集めるの?固まってたらまずくない?」
「姫まで来る必要なかったのに・・・。」
「ちょっと、それはないでしょ永琳!みんなって言ったじゃない!」
「まーいいでしょう。あれが火遁の術だとしたらとんでもない量の火を噴き出すわ。妹紅の能力は最近底上げされているみたいですし、レイセンやてゐではレジスト出来ないと思ったのです。」
 輝夜の疑問に永琳がそう答える。妹紅の炎はそのへんの妖怪の使う炎とは明らかに異質で、破壊力がまるで違う。妹紅がやろうとしている火遁は、恐らくかなり広い範囲に炎をまき散らすもので、輝夜らの出せる結界程度では防げない可能性があり、永琳の頑強な耐火シールドで守ろうと判断したわけである。
 そうしている間も妹紅は息を吸い込み続け、胸部が膨らみ肺が肋骨を突き破ったらしく、物凄い音がして妹紅は体型がかわるほど大きく膨らみ、肉体が風船の様に丸くなる。
 膨張した肺が体内を破壊しながら皮膚の下に入り込んでいるのだと永琳は診たが、これは口で簡単に言えるようなものではなく、医者の視点で見れば極めて深刻な死に至る症状である。
 直径3メートルにもなる丸い風船状に膨らんだ妹紅は宙に浮いて重い頭が下に向く。もはや人としての形状をしていない妹紅だが、何故か衣服はゴムの様に伸びて破れず、その赤と白のコントラストで上半身と下半身がどこにあるかがわかりそこから手足の位置や頭の位置が確認できる。
「なんなのあれ?」
 やっている事は至極単純で息を吸い込み続けて体内に空気を溜めているいるだけのことだが、簡単に真似が出来るものかといえば絶対に無理だろう。あそこまで肉体が変形してしまうということは、かなりのダメージを負っている事を意味し、この状態を維持出来ることなど自動回復する蓬莱人としては有り得ない事である。
 ただ、分かることが一つ。吸ったら必ず吐き出すということで、夥しい量の炎が噴き出されることだけは容易に想像出来る。そして、それは起こった。
 頭が下を向いている妹紅の口と思われる場所から一気に炎が噴き出す。真下に噴き出された炎は地面に衝突すると爆発するように四散し、そのまま地表を縫うように放射状に空き地の外周に向かって炎の濁流が一気に走り出す。
 数秒で外周に到達した炎は次に竹林に延焼するかと思われたが、炎は竹林と空き地の境界付近で何か見えない壁に衝突すると今度はその見えない壁に沿って上に向かって上昇を始める。
「・・・。」
 永琳はその光景を苦々しく見つめる。この空き地は巨大な球状のシールドの様なものであり、通常は空き地を外から見えなくするためのカモフラージュ用のフィールド発生装置として利用し、戦闘時の大きな力に反応して防壁に切り替わる仕掛けになっている。今正に妹紅の炎によって空き地を包むカモフラージュ用のフィールドが防御シールドに切り替わり、炎を外に逃がさない様に硬化したのである。
 妹紅と戦うにあたって、巨大なエネルギーが発生することが予想されたために、この様な仕掛けを施していたのだが、これは妹紅には秘密にしていた。そして今、秘密は秘密ではなくなってしまったというわけである。


 外周に到達し防壁沿いに上昇を始めた炎は半球状の内壁面沿いに緩い弧を描いて天頂方向の一点に向かって駆け上がって行く。深紅の炎によってシールドが半球状であることがはっきりと見てとれ、空き地が単なる空き地ではなく、対妹紅用に造られた特殊な檻であることを理解する妹紅。地面の上に出ている半球状のシールドは、恐らく地下にも達し、完全な球状シールドになっているのだろう。
 以前からこの空き地には違和感を感じていた。他の場所の空気は常に変化しているのに対し、竹林特にこの空き地の空気はいつ来ても澱んでおり同じ匂いしかしない。変だとは思っていたがはやり何か細工があったのだ。
 妹紅としては、永琳らの姑息さ、もちろん永琳達は姑息だとは思っていないが、それをよく知っているので、この事について今更憤りは感じない。
 このエリア全体が永琳の施した仕掛けであるなら、あの満月殺陣はこれと連動した仕組みになっているという事だろうか?妹紅はそれらの疑問を看破する為に意図してこの巨大な火遁を使ったわけではなかったが、思わぬ収穫があった事に満足した。


 四方に散った炎は半球状のシールドの内壁を遡って天頂に集まって一つになる。一点に集まり激しく衝突した炎は行き場を無くし、今度は下に向かって轟音と共に炎の滝となって流れ落ちる。
 永琳らは炎に当たらない位置をゆっくり旋回しながらその光景に息を呑む。幻想的で美しく、終焉を思わせる様なその光景に危険なものとは分かっていても思わず見とれてしまう。しかし、もうじき安全な場所はなくなり視界は炎で埋めつくされるだろう。
 炎の滝の真下に居る妹紅はその滝に打たれても尚、炎を吐き出す事を止めず、やがて妹紅は炎の中に見えなくなる。いつの間にか地表面は炎の海に変わり、上から降り注ぐ炎の滝をも呑み込み炎の海はその深度を急激に上げていく。
 てゐが恐怖の余り振るえてレイセンの太股にしがみついてくるが、そのレイセンもどうしていいのかわからない。永琳の表情は涼しく、それを見れば危険はないと分かるが、やはり不安である。
 炎の浸食に伴って次第に安全なスペースが無くなり、永琳のシールドは逃げ場を探して上へ上へと移動していき、やがて天井の炎にもぶつかりそうになると限界とみて停止する。そしてすぐに永琳の耐火シールドは全方位を炎に包まれる。
 戦場空き地全体が炎によって完全に埋め尽くされた。
 耐火シールドの中は若干蒸し暑く感じるが、これは中にいる永遠亭の面々から発散される熱や湿気によるもので、外の熱が入ってきたのではないだろう。永琳や輝夜はともかく、このシールドが破られればレイセンとてゐは一瞬で消し炭になり、それが分かる当人らは、蒸し暑さよりも背中を流れる冷や汗の方が気になる。
「まさか、ここまでとは・・・本当に世界を焼き尽くせそうね。」
 本当とも冗談ともとれる無感動な言葉でこの状況の感想をもらす永琳。
 今の妹紅にとってこの程度の炎は序の口であり、世界を焼く為の力はまた別に存在するが、それを永琳らは知らない。
 永琳は体内に埋め込んでいる各種センサーを総動員して妹紅の居場所を調べるが、この爆炎と灼熱の空間ではほとんどのセンサーがその機能を十分に発揮出来ず、有益な情報は全く得られない。
 永琳は、河童がなんとか扱えるナノサイズよりさらに小さな生体素子を血液や細胞に埋め込んでおり、100%生身の肉体を持ちながら、完全に機械化されているといえるほど様々な付加機能が備わっている。
 この特殊な肉体は永琳個人限定というわけではなく、月の管理者(皇族)や仙族なら当たり前に付与している。
 月の種族、管理者、仙族などは元々は地上からの移民で、言霊以外の特殊能力は持っておらず、その代わりに科学技術の結晶ともいえる様々な付加機能を持つ極限まで小さくした生体素子によって身体能力を劇的に向上させている。永琳自身は神族で、この一族は神様の末裔で基本的に自然を重視しておりそれらの生体強化とは無縁であったが、知啓の神である永琳だけは特別で、科学技術関係のトップに君臨していたので、当時最も優れた総合身体を持っていた。
 輝夜を含めた月族は、そうした肉体強化は一切しておらず、純粋性を重んじその事を重要な種族的存在証明としていた。なので、輝夜はシールドではなく妹紅や妖怪と同じように結界を使うのである。
 強化された総合身体を持つ者は、眼球から取り入れる肉眼視野角と情報の羅列をイメージ化して見る脳内視野角と二つ以上の視界を持ち、それを重ねて見る事が出来る。いくつもの情報を同時に処理する事が出来き、処理するために必要な演算部位を外部素子に依存したり、大量の情報を保管し体内にデータベースを置くなど一人の身体で一国を操作出来る凄まじい能力を持つ。
 それは、個人が全体を賄える事を意味すると同時に、集団を必要としない精神構造を生んだ。その為月人は、他者との共存とそれに伴う様々な対人関係に関する思考と脳領域が退化してしまっているのである。
 そんな月人の代表格ともいえる永琳は、自慢の機能が全く使えなくなり炎が収まるまでおとなしく待つしかないという天才としては最もつまらない選択をするしかなかった。


 炎を全て吐き終えて元の体型に戻った妹紅は業火の中でも涼しい表情で永琳らの気を追い4人全員が一ヶ所に留まっていることを確認する。流石にこの火の海では何も出来ないだろうし、このまま鎮火するまで待つつもりだろうと判断する。
 吹き出した炎によって、先程寝ころんだ時に仕込んだ爆破呪符が起爆し、それによって地面に大きな穴があいた。その大穴に移動した妹紅は、そのすり鉢状にえぐれた地面から炎を追い出し、蓋をするように結界を張り安全地帯を作る。
 炎が消えた穴の底に、練った戦闘プランに必要な様々な仕掛けを施した呪符の束をもんぺからパージして周囲にとりあえずばら撒く。
 そして一枚のとっておきの呪符、『移身転心』の呪符を取り出す。この呪符か完璧な妹紅の分身を作り、その分身に精神を移して、分身を直接動かすという、妹紅の奥義の様な妖術である。
 元々は、命を落としかねない危険な訓練や任務を行う定命の仲間の為に開発した術で、無敵の妹紅にとって一見意味のない呪文かもしれないが、本体を囮に使うといった不死身の妹紅ならではのアイデアを生かせる術として、重要な局面では必ず使ってきた術である。紫の妹八雲藍を倒したのもこの術である。


 妹紅は更に4人の分身を出し、口から大量の実体化命令文『命令線』を吐き出し、分身に呑ませ特別な命令を与える。その後妹紅は『移身転心』の術を発動させ、分身に乗り移る。残された本体には先程の4人の分身が四方から守るように取り囲む。
「よし、後は手はず通りに進めるぞ。結界からまだ出るなよ?」
 分身の妹紅が、他の分身に声を掛け、それらはまるで生きているかのように、コクリと頷き返す。
「これで輝夜は完全にキレるな・・・。」
 くくっと意地悪く笑いながら炎が弱った地表に出た妹紅は、穴から出る前に掴んだ一束の呪符を火の消えた部分に置き、発動させた。これは時限発動式になっており、今ここでは呪符の効果は発揮されない。
「これでよし・・・と。後は・・・。」
 分身の妹紅は上空の永琳らを見上げ飛び立った。


 炎はやがて鎮火に向かい、永琳達の視界からも炎が消えていくのが分かるが、その消える炎の替わりに白煙があちこちから上がりはじめ視界は思ったほど回復しない。
 炎が消えたとはいえ戦場空き地の空間内の温度は高温で、不用意に永琳のシールドから飛び出せば発火してしまうだろう。それで死ぬほどレイセンもてゐも弱くは無いが、大怪我になるのは間違いない。
 永琳の各種センサーは地表面に妹紅を確認し対妹紅用の戦闘プログラムを起動し追尾モードにしていた。これで妹紅は完全に永琳に掌握されたことになる。
「妹紅がくるわ。シールドを開放するわね。冷却まで少し時間がかかるから最初は各自ちゃんと熱防護を。」
 頷く面々を見て、シールドを開放する永琳。それぞれが自前の結界をはり散開する。
 永琳らは地表からだいぶ高い所、戦場空き地全体を覆うエリアシールドの天頂部付近にいた。妹紅の方からわざわざそこに行くのは、仕込みがばれないようにするためである。
「ずいぶんと派手な演出ね。というより大道芸か何かかしら?」
 目の前に現れた妹紅に、輝夜があざ笑うように言い放つ。永琳は目の前の妹紅を改めて分析にかかるが、体型寸法や質量、熱量などスキャンしたデータがデータベースにある妹紅と完全に一致し、それが藤原妹紅であることを改めて確認する。わざわざ入念に調べるのは、先程の爆炎地獄で妹紅の追尾モードが途切れていたためで、戦闘中の妹紅の追尾は、永琳本人が任意で行うのではなく自動化された追尾プログラムが行うので、再設定する必要があった。しかし、この自動追尾システムがこの後とんでもない結果を生むことになった。


「これはまだ余興よ。お楽しみにはこれからよ。」
 輝夜のあざけりに何の動揺も見せず、面白そうに輝夜の反応を楽しむ妹紅。
 そして、指をパチンと鳴らして何かの合図をする妹紅。この合図は先程施した呪符の仕込みとは直接連動しているものではなく、時限式の呪符が発動するタイミングを任意に作動させるように見せかける演技である。
 その妹紅の動作に一瞬警戒した輝夜は、周囲を見渡し何も起こらない事を確認して妹紅を笑い飛ばす。しかし、それでも妹紅はニヤニヤするだけで輝夜の冷笑など全く意に介していない。
 永琳が妹紅のその余裕がどこからくるのかわからず、その真意を図りかねていた時だった。永琳のセンサーが異常を感知し脳内視野角に警告を示す赤いサインが表示され、しかも連続で感知し続け、視界が警告で埋めつくされる。
「な!」
 余りにも多い警告音に思わず永琳は頭を抑える。この音は永琳の脳内視野角に表示されているモニターから発せられているので当然他の者には聞こえない。
 前方に1体の妹紅を感知していた追尾センサーが、突然に百体に及ぶ同一物体を感知しはじめ、永琳の脳内で自動制御されている各種センサーや機器類がエラーを吐き出す。
 永琳はすぐに自動から自己制御モードに切り替え一旦警告音を切ると、肉眼視野角から脳内視野角をクリッピングし今起こっている状況を永琳個人の脳だけで判断することにした。
 永琳の脳をサポートしている外部頭脳は決められた作業を自動的に処理させて、主である永琳の脳の負担を軽減させている。視界が悪いこの状況で永琳は肉体の感覚機能を削って外部センサーにその比重を大きく傾けていたいた。永琳は感度を上げた事による何らかの誤認エラーだとこの時はそう判断した。
 しかし、そのエラーの原因は他にあった。
 藤原妹紅はこの世に一人だけの存在として個体の様々な情報をデータベースに登録している。そのため、特徴が全て一致する無数の妹紅の分身の出現によって自動判断領域が制御不能に陥ってしまったのである。


 異変に対して感覚的に気付いたのは永琳が最初であったが、それを視覚的に一番最初に気付いたのはてゐだった。
「みんな!下!下!下見て!」
 大声を上げて地表を指さすてゐに、大きな隙を見せない様に妹紅を警戒しつつ恐る恐る視線を下に向ける輝夜。見ると地表の一画が白と赤になっている部分があるのが見えた。
「・・・?!」
 妹紅は輝夜らを地表に誘うように高度を少し下げる。それをゆっくりと追う永遠亭の4人。永琳はこの時視界に移る一塊りの集団が妹紅のクローンであると判断していた。
 煙などで視界が悪く、その地表の物体は高い位置いた時はよくわからなかったが、地表に近付くにつれてそれが、人の形をしており、更にそれが妹紅と同じ姿であることが確認出来た。
「ふーん・・・で、これが何?ふざけてるの?」
 輝夜は100人程の妹紅の集団を最初は驚いたが、月人は分身やクローンの類は特に驚きははしない。100体という数の多さだけが少し驚いたところであった。
「・・・。」
 妹紅は輝夜の薄い反応を受けても特に態度を変えず、ニヤニヤと蔑んだ目で輝夜を見つめる。
 その妹紅の態度を受けて、すぐに沸点に到達した輝夜は右手に力を込め光の玉を作り出すと、視線を妹紅を向けたまま強力な光の弾と槍を下に放つ。
 すぐに大きな着弾音がし、100人程の妹紅の分身はそのほとんどが消えて無くなる。
「ばっかじゃないの?あんなものでビビると思ってるの?」
 妹紅は自分の分身の被害状況を確認する事無く、輝夜の言葉を受け、しばらく見つめあった後、大きな声で笑いだす。
「馬鹿はどっちだ?」
 妹紅はそう言うと一枚の呪符を取り出し、それを見せびらかすようにヒラヒラと動かし、固唾を呑む輝夜の目の前でそれを自分の顔に貼る。そして妹紅は、貼った右手を前に出し握って見せて次に三本の指を立てる。
「3・・・2・・・」
 そして、立てた指を順に折ってカウントダウンを始めた。
 意味不明な行動に輝夜は一瞬呆けていたが、突然何かを閃いて先程撃った光弾と光槍の着弾位置を見る。
「は!」
 その地表の様子を見た輝夜の全身から血の気が引く。
「・・・1・・・。」
 数えた指が全て折れると同時に、呪符が爆発し妹紅の頭が木っ端微塵に吹き飛ぶ。これが妹紅本人なら、頭部の破片と内容物が飛散し、次にリザレクションすることろであったが、頭部を失った妹紅は崩れ落ちる光の粒子となって中空に霧散するだけであった。
「・・・う、うそ・・・。」
 絶句する輝夜は下に倒れている妹紅の所に飛び降り駆け寄る。
 そのタイミングに合わせたように、怪我を治さずそのまま重症を負った状態のまま苦しそうに起き上がる妹紅。
 妹紅は100体の囮の分身の中に自分の本体を紛れ込ませていたのである。
「あーあ、先に手ー出しちゃったー。」
 まるで子どもの言い争いのような口調で輝夜を嘲り笑う妹紅。先手を必死に我慢していた輝夜は、まんまと妹紅の策略にはまる。
 絶望の表情から次に激怒に変わるのに時間は必要なかった。
「お、おのれ・・・もこう・・・永遠に殺し続けてやる!」
 輝夜はこれまでの長い人生の中でこれほどの怒りを覚えた事は無かった。


 永琳と一騎打ちに持ち込むには、先ず輝夜とレイセンを何とかしなけれならない。永琳が前面に出てくる前に輝夜を焚き付けて永琳にも制御出来ない状態にする必要があり、それが今の作戦で見事に成功した。
 妹紅は予想通り輝夜が前面に押し出て来たことに満足する一方、永琳がやけに大人しい事が少し気になった。しかし、それを分析している時間はないとみて次の作戦に移行する。
 妹紅は怒りで我を忘れている輝夜の目の前で、目くらましの閃光呪符を発動させる。正常な状況判断が出来なくなった輝夜はモロにその閃光を浴びて悲鳴を上げる。
 穴に潜伏している3人の分身、4人いた内の1人は本体を外に連れだし分身の群れに潜ませ、そこで本体ごと輝夜にやられているが、その残り3人に穴に置いてきた大量の呪符の発動を命令する。
 3人の分身は穴の底にちらばっている大量の呪符の束を一斉に外に放り投げる。呪符は地面に落ちる衝撃で発動し、爆竹のように連鎖しながら周辺に拡がっていき大量の分身を発生させた。その数は先程の100体の比ではない。数千体に及ぶ夥しい数の分身だった。


 永琳は妹紅の分身に反応して誤認した対妹紅用のプログラムを修復しており、輝夜と妹紅のやりとりに余り注意を向けられなかった。輝夜の愚かな振る舞いを制止出来なかった事は痛恨の極みだが、それよりも本物と認識して疑わなかった輝夜と話をしていた妹紅が分身、偽物と見破れなかったのが一番の衝撃だった。
 永琳は一からプログラムを組み直す時間が無く、修正に修正を重ねて対応しようとした矢先、また大量のエラーを吐き出し混乱する。
 数千にも及ぶ妹紅の分身をまたしても本物と認識し先程の比ではないエラーを吐き出し、ついに永琳の補助外部頭脳は完全に凍結状態に陥ってしまった。
 自己修復機能が起動し、それらを修正している間、永琳は総合身体のサポート機能の恩恵を受けられず、素の身体で平静を装いながら状況を確認していた。
 肉眼視野角には、夥しい数の妹紅が視界全体に存在し、それらが全て本物の様に動いている。通常、分身は一種の幻の様なもので質量はなくそれ自体に攻撃力はないが、この妹紅の分身は幻影ではなく質量を持ちクローンであるとしか思えない。実際妹紅の分身は有機物質から肉体を擬似的に作り出し、妹紅本人のDNAを使って物体として再現し当然質量も存在している。妹紅としてはそれがクローンであるという認識はないが、実際には限りなくクローンに近い存在といえる。
 そして、もう一つ、本体と分身を誤認させている妹紅固有の特徴があった。
 永琳としても以前から妹紅について解せない点が一つあり、それは、妹紅の熱量が有り得ない程低いということである。ここで言う熱量というのは体温の事ではなく、その生命体の持つ総合能力を数値化したもので、妹紅は強い割にこの数値に表れる生命体としての格が非常に低い。これの意味するところを永琳は最後までわからなかったが、これは、妹紅の魂に秘密があった。
 強い個体には強い魂が宿る。魂が強いから個体が強くなるともいえる。
 古の妖怪や博麗一族は魂が輪廻の終着点に到達した御霊を持つ。魂は生まれてすぐは、虫けらにやどり、それらが死ぬ毎に上位の生命体に輪廻する。そうして人間という生き物の魂となった時、輪廻が一巡した事になる。
 そうやって何巡もしていくと、魂としての格が上がっていき、やがて輪廻の到達点である御霊となる。御霊となった魂は一定の輪廻の循環から離脱し、自在に宿る個体を決める事が出来るようになり、それが妖怪であったり、天皇家であったり、博麗一族であったりするわけである。
 藤原妹紅の魂は、魂として誕生し小さな虫から始まり動物を経て初めて人間になった産魂(うぶだま)で、このような輪廻の浅い魂は獣であった前世の獣性を引き継ぎ、性格が非常に暴力的で直情的な振る舞いをする人間になってしまう。同じ人間でも落ちついて何事にも動じない人もいれば、少しの事で怒って暴力をふるう者がいるが、これは全てその人に宿る魂の年輪の違いからくるものなのである。
 妹紅は父親が輝夜に侮辱された事で激情し、復讐を誓って後先考えず武器を調達して輝夜の屋敷を襲う。輝夜らはその時ちょうど出立の時で、その襲撃は空振りに終わったが、その後輝夜の残した蓬莱の薬を奪って輝夜にいやがらせしようと、またしても後先考えず薬の後を追って富士山行きの使いの一行を尾行した。そして蓬莱の薬を飲み不死身になってしまったのである。
 こうした無謀な振る舞いは魂の未熟さがなせる行為であろうが、それでも妹紅が特別だとするなら初志を貫徹出来る運を持っていたということだろう。運がなければ道中志半ばで死んでいた事だろう。
 ちなみに、博麗の血が混ざっている里の人間の子どもの熱量より、妹紅の熱量は小さく、犬や猫と対してかわらない。多くの人妖が妹紅を侮ってしまう要因がこの、霊格、熱量の低さというわけである。


 妹紅の異常なまでに小さい霊格は、永琳に備わっているセンサーで扱える設定基準を大きく下回っており、計測不能領域になっている。その為熱量で個人を判断できず、外見を主にその判断基準としていた。
 外見的に全く同じである、妹紅本人と分身は、熱量を測定出来ない為に同一存在と誤認させた。
 永琳は、数千体にも及ぶ分身の出現によって使い物にならなくなった対妹紅用に組み立てた戦闘プログラムを必死に修正していた。
 その一方、妹紅の計略にまんまと嵌り、その怒りから我を忘れた輝夜は、視界が回復した後も周囲の状況が何も見えず野獣のように妹紅に飛びかかる。
 妹紅はその動作を予測し、輝夜よりも早く動いた。
 右手の人指し指と中指を揃えた状態で真っ直ぐ腕を水平に延ばし、妹紅から向かって右から左へ腕を振る動作をする。
 輝夜は両手を突き出した格好で恐らく首を絞めに来たのだろうが、その手が妹紅の首に到達する前に、妹紅の指図通りに動いた妹紅の分身の巨大な塊が、輝夜を横撃しなぎ払い妹紅の視界から消える。
「バカめ。」
 大量の妹紅分身で構成されたの一軍は、まるで龍の様に長く帯状に線を描き、その先端部分に輝夜は閉じこめられる様に、全方向から妹紅の分身達に殴打され続ける。
 気が立っていた輝夜はその攻撃に痛みを感じずがむしゃらに抵抗し、数十人の分身を道連れにしたが、肉体的な損傷が耐えられる限界を越え、突然事切れる様に抵抗を止めそのまま気絶する。しかし、分身の攻撃は止まらず輝夜は痛みに目を覚まし、また気が遠くなって気絶する。
 いくら不死身の蓬莱人でも、一切傷を負わない無敵の身体というわけではない。瀕死の重傷を負えば身体が言うことをきかずに倒れてしまう。死ねば即時に完全な状態で復活するが、敢えて殺さず生殺しにする命令を受けている分身達は、殴打による微量だが手数の多いダメージの蓄積で輝夜を責め続け、自己修復する肉体を瀕死のままに保ち続けていた。
 視界を横切る分身の群れが通り過ぎると、妹紅は今度は左手の人指し指と中指を立てて、輝夜の時と同じように、今度は標的をレイセンに向ける。
 今の光景を目撃していたレイセンは、まだ大量に何もせずに待機している妹紅の分身が、今度は自分のところに来るとすぐに察知し咄嗟にその場から跳躍した。
 レイセンの予想通り、大量の妹紅の群れが帯状に連なって追撃してくる。分身達は遠隔攻撃の類は一切してこなかったので、高速で移動しながら追尾してくる群れに向かって気弾を弾幕を放つレイセン。
 妹紅の分身は本体の様に火の弾など使って来ないかわりに、攻撃に対する回避・防御性能が高く、レイセンの弾幕は充分な効果を発揮しない。命中率が3割以下で中々数が減らせない。その結果に焦るレイセン。
 気弾である以上、生体エネルギーを消費する。撃墜率の低い今の攻撃のまま続けていると身体が持たないと判断したレイセンは逃げに徹し、回復しながら持久戦に入ろうとした。
 妹紅はそのレイセンの戦術転換に感心したが、自由にやらせる気はなかったので攻撃を厚くする。右手の人指し指をレイセンに向け、先程輝夜に向かった集団の半分をレイセンに向かわせたのである。
 別働隊が移動方向に現れ、行き場を無くしたレイセンは横に逃げるも、速度を落としてしまったために、高速移動で陣形が縦長になっていた妹紅の分身達に横に拡がる機会を与えてしまい、そのまま包囲された。為す術もなく妹紅の集団に捕まったレイセン。妹紅はそれを見てすぐにレイセンの後方を遮断した最初に輝夜にあて部隊を再び輝夜に戻す。
 輝夜専属の右手部隊と、レイセン専属の左手部隊は、行動パターンに違いがあり、輝夜に対しては攻撃を主に、レイセンに対しては回避・防御中心と設定していた。
 不死身の輝夜に容赦する必要はないが、レイセンに対して輝夜と同じ様に扱えば死んでしまう可能性があったのでレイセンにあてた部隊は手加減させていたのである。そして大量の妹紅の塊に捕まったレイセンは地面に押さえつけられて完全に身動きが出来なくなっていた。
 因幡てゐは、既に3人の妹紅の分身に拘束され、両脇を抱え込まれて身動きが取れない。この3人の分身は、最初に妹紅が出した分身で特別な任務を帯びており、その最後の任務がてゐの身柄の確保である。
 てゐとしては真面目に戦う気など初めから無かったので、この状況はむしろ歓迎である。しかし、妹紅が幻想郷を滅ぼそうとしている事をてゐは真に受けており、それだけが心配でならない。
 そのてゐの心配を感じとったわけではないが、拘束する2人とは別の手の空いている妹紅の分身がてゐの前に来て無表情のまま見下ろし、愛想笑いで返すてゐを無視するように後ろを向く。てゐは背中を見せた分身の手に何かカードのようなもがあるのに、気付きそれを凝視する。
 そのカードは何も効果が付与されていない空の呪符、素符で、そこに文字が書かれていた。
「メッセージありがとう。おかげで戦いの準備を整える事が出来たわ。後はゆっくり観戦していて。でも、拘束されている事は忘れないでね。」
 てゐはほっとした。心底ほっとした。妹紅はああ言ってはいたが、本心で幻想郷を滅ぼそうとしているわけではない事が、直接そうかかれていたわけではないが、そのメッセージの雰囲気からそうだと確信した。
 メッセージを読み終えたタイミングで、そのメッセージカードは端からチリチリと炎は上がらずゆっくり灰に変わっていく。てゐは気持ちを楽にしながらも、表情には危機感を出して状況を注視する。この時てゐは、いくら妹紅でも師匠である八意永琳を倒せるわけはないと悲観的に状況を見ていたのだった。


 自分以外の3人があっさりと無力化された光景を苦々しく思い見つつも、永琳は対妹紅用の戦闘プログラムの修正を続けていた。
 これまで妹紅が見せたこともない分身の術。その分身と本体を区別出来ない自分のプログラム。300年間猫を被って本当の姿を隠していた事、そして、それが完璧な自分のプログラムを狂わせていること。これらは永琳に屈辱とも言える事である。
 永琳は自らが開発した外部補助機能で自身の身体能力や頭脳を飛躍的に向上させる『総合身体システム』によって圧倒的な優位性を他者に対して持つ事が出来た。
 戦闘の際に最も重要な事は相手を知ると言う事。相手の能力を解析して最も有効な戦術を割り出し実行する事である。そこに戦闘に対する戦士としての矜持は全くないが、そういうプライドがあるとするなら、自分の作ったプログラムが完璧に動作するかどうかという部分のみである。
 永琳にとって戦闘に負ける事は、低確率で起こるある程度想定されたイレギュラーでしかなく、永琳にとっての敗北とは正に今この時のプログラムが正常に作動しない状況といえた。
 妹紅は永琳が敗北感に打ちのめされている事を知らず、輝夜とレイセンをさばいた後、上空で見守っていた永琳の前に飛翔する。
 正対した2人は、言葉を交わすことなくしばらく見つめ合う。
 妹紅は、永琳の様子がおかしい事は分かっていた。恐らく新しい技を見せた事で、情報を解析しているのだろう。初めて対戦した時も、戦闘はもっぱら輝夜に任せて永琳はただ見ているだけであった。その後、手合わせした時は完璧にこちらの動きを読まれ、手も足も出ず敗北したものである。
 永琳は対戦成績やこれまでの経験則から最初は様子見に来るだろうと踏んで、全力でプログラムの修正をしたいた。しかし、その読みは完全に外れた。
 何の気配も予備動作もなく、一気に突っ込んできた妹紅に対し何の対処も出来ず、顔面を殴られる永琳。ほお骨が完全に砕け、その衝撃で頭蓋の内容物を完全に破壊された。即死である。
 永琳は死ぬと球状のフィールドに包まれ、瞬間的に他の場所に移動する。これは同じ場所で死に続けるリザハメ防止の安全装置である。この移動フィールドは通常移動にも使用され、このフィールドを展開している時は、短距離ではあるが瞬間的な点移動を行える。物理的な法則が通じない移動先が全く予測出来ないこの永琳独自の移動方法にはずっと苦しめられてきた妹紅である。
 球形の膜、つまりフィールドは、見た目的に防御などに使うシールドと区別がつかないが、移動フィールドには防御力が全く無く、状況に合わせて適時切り替えているようだ。
 妹紅は永琳らが使う用語をそのまま流用し、シールドやフィールドと区別して理解していた。
「(やはり、頭の中で別の作業をしているな・・・。)」
 拳が顔面に吸い込まれる時ですら瞬き一つしない永琳の様子を見て妹紅は状況をそう分析する。
 永琳にしても予測が完全に外れて戸惑う。今までの妹紅とまるで違う、違いすぎるのだ。先日変化した妹紅の強い妖気は今は感じられず、これは妹紅が力を自在に制御して用いている事を意味する。今の打撃も妹紅の全力ではないだろう。問題は上限をどこに設定して妹紅の総合戦力を割り出せるかである。
 しかし、本当の問題はそれではない。周囲の分身と本物との見分けがつかない事が最大の問題である。永琳には何故区別がつけられないのか疑問でならなかった。


 妹紅は、即死させたと同時に回避移動をした永琳を追い回しつつ、火球を放って爆発に巻き込むなど数回永琳をリザレクションさせた。
 接近するとすぐに回避行動する永琳のワンパターンな動きを見て、逃げた後を追わずに観察してみる。
 10メートル程の短い距離ではあるが連続して不規則に一瞬で位置が変わる永琳だが、明らかにその回避跳躍回数が多い。無駄な動きを一切しない永琳とは別人のような動きである。
「(逃げているというより・・・あれは、見えてないからなのか・・・。)」
 見えているなら回避するにも必要な回数だけ跳ぶだろう。しかし、明らかに回避跳躍回数が多すぎる。見えてないから絶対安全圏内を確保しようとしているのだ。
 妹紅が接近すると8回から10回程、連続で不規則に回避跳躍をするが、回避跳躍しているあいだ何もせずに見ているだけでも、やはり同じ回数跳躍している。明らかにこちらを見て対処しているのではなく、永琳の都合だけで動いているようだ。
 妹紅は火球を右手の拳に溜め、永琳の回避跳躍が9回目になったタイミングを見て、おおよその停止位置を予測し、そこに火球を放り投げる。重力の影響を受けて緩い放物線を描いて飛ぶ火球は妹紅が決めた位置で大爆発を起こし、直撃こそしなかったが爆風に巻き込まれて永琳は再びリザレクションする。
「(やっぱりな。)」
 今まで永琳ならこんな無様な死に方はしない。しかし、何故こんな状況になったのだろうか。妹紅は周囲を見渡し、そこですぐに気付いた。
「(なるほど。分身と私を区別できてないのか。感覚が良すぎるのも良いことばかりじゃないのね。)」
 優れた感覚機能は得てして妨害に弱い。そして妹紅を過小評価した永淋は妨害される事を全く想定しないまま戦闘プログラムを組んでしまっていたのだ。妹紅の分身は意図にはない大きな妨害効果を生んでいたのである。
 この状況を修正しようと頭の中で必死に何かをやっているという事を知った妹紅は、付け入る隙がありチャンスと思う一方で、死んでもリザハメ出来ない永琳を殺しまくったところで何の意味があるのかと自分自身に疑問を投げかける。
 戦いに勝つと言うことは、この場合相手の心を折る事にあると妹紅は思っている。永琳の心を折るにはどうすればいいのか?それは、永琳の必殺技を撃ち破り、リザハメに落とす事である。
 このまま永琳が自滅したのでは目的が達成出来ない。どうすればいいのだろうか?
「(こちらから隙を見せるか・・・。)」
 妹紅はこれまでの、『満月殺陣』に入られる流れを思い出す。最も効果的な入り方はこちらの攻撃にカウンター喰らわせ、その大きな隙を利用する事である。
 妹紅は永琳を追いながら妙案を思いついた。
東方不死死 第26章 「有限の月と無限の炎」


 迷いの竹林の北東部に藤原妹紅の隠れ家がある。
 隠れ家といってもただの掘っ建て小屋で人間の里の貧しい農家の家よりもさらに見窄らしい建物である。
 藤原妹紅は幻想郷入り後人間の里近くにある現在の藤原邸、当時お化け屋敷と呼ばれていた空き家に極短い間だが住み着き、そこで上白沢慧音と出会って永遠亭の存在を教えられると、すぐに竹林に移住し現在の隠れ家に住み着いている。当時それなりに家らしい家であった隠れ家は、永遠亭との度重なる戦闘で完全に破壊され、その廃材で雨風をしのげる程度の小屋を自作し現在に至るというわけである。
 数年前の永夜事件後に蓬莱山輝夜によって起こされた、藤原妹紅を極悪人・大罪人として指名手配した不死人狩りで、追われる妹紅はこれを逆手にとって自分を狙う妖怪達を永遠亭に呼び込み、永遠亭の住人を巻き込んだ大乱闘を何度も繰り返して、破壊された竹林の自宅の仇を取って以降、家屋の被害をこれ以上増やしたくない永遠亭の申し出で停戦状態になり互いの領域、施設には手を出さない取り決めを行っている。
 隠れ家とその周辺が自分の領地的に扱われ安全になると、妹紅はこの隠れ家の地下に洞窟を掘って、外界から持ち込んだ妖術使いの一族の門外不出のお宝を大切に保管していた。
 骨董的価値はあるかもしれないが、金銭的価値は不明の数あるお宝の中に、万物の属性を見極める特殊な眼鏡がある。薬や火薬の調合などに大いに役立つ逸品であり、藤原妹紅はこの眼鏡を霧雨魔理沙に貸す約束をして、今それを取りにここを訪れたというわけである。


 隠れ家の周囲には目に見えて警告とわかるような侵入者に対する結界と、侵入を知らせる目に見えない結界、そして侵入者を撃退する為の罠などが張り巡らされているが、見たところ誰かが侵入した形跡はない。あればあったで、因幡てゐから報せが来る事になっていた。
 永遠亭と妹紅との間に、お互いの住居施設等を破壊しないという約束が取り交わされているわけだが、永遠亭とは関係ない部外者がこれを行う可能性はゼロではない。そのため、侵入や破壊を永遠亭側の犯行と勘違いした妹紅から勘違いで復讐をされないように、妹紅の隠れ家周辺は永遠亭側の因幡てゐの配下の兎達によって巡回監視がされており、異変があれば妹紅に知らせて永遠亭側が濡れ衣をきないようにしているのだ。
 因幡てゐは永遠亭の配下にあるが従属しているだけでレイセンの様に隷従しているわけではない。配下の兎とそれを操る自分の能力を永遠亭に提供する条件で仲間になっているが、基本的にてゐ本人の行動に大きな制限はない。一方のレイセンはペット、従者、僕であり、因幡てゐとは根本的に格付けが違う。普段の関係では、レイセンの方が上に見られがちだが、実際は因幡てゐの方が格が上である。


 妹紅は隠れ家から少し離れた場所に降り立ち周囲を警戒する。兎以外の生き物の侵入の形跡はない事を確認すると、隠れ家の入口に移動し、そこでしばらく立ったままてゐからのメッセージが来ないか待つ。
 因幡てゐは基本的に人間の味方で人間に幸運をもたらす。永遠亭に従属し藤原妹紅とは敵対関係にあるのの、人間である妹紅に裏で個人的に便宜を図っており、永遠亭の情報を時々妹紅に流している。
 てゐからのメッセージは兎を使って行い、内通がばれないように自然に装う必要がある。その為、妹紅に伝わるまでに少し時間がかかる。
 迷いの竹林のいたるところに生息する地兎が下草をはみながら無警戒にくつろいでいる。竹林という防壁によって天敵のいない兎達は、増えすぎて間引きが必要な程沢山生息している。
 兎の支配者であるてゐは、一定の数以上に兎が増えれば竹林から追い出して、他の生物、人間や妖怪の餌として供出しているが、それでも兎は余り気味である。そして、その余剰分の兎で幻想郷を広くカバー出来る情報網を構築し、その全権をてゐは握っているのである。
 妹紅はそんな肥え太った兎たちの様子を眺めていたが、どこからか現れた一匹が文字通り道草を食いながら蛇行しつつも確実にこちらに近づいてくる事に気づいた。
 無警戒ながらも妹紅と一定の距離を保って近づかない他の兎とは明らかに違うその兎に妹紅は歩み寄って耳を掴んで持ち上げた。
 その兎は、お腹の毛が糊を塗られて固められたように平らになっており、そこに小さく文字が書かれている。
 てゐからのメッセージだ。
「・・・。」
 永遠亭のてゐを含めた4人総動員で、妹紅を襲撃する為、永遠亭を出て『戦場空き地』に向かっているというメッセージがそこに書かれていた。
 戦場空き地とは、無秩序に互いの陣地を襲撃し合う古い戦い方を改め、大規模な戦闘は特定の場所で行う取り決めがなされた後に永遠亭側で用意した戦闘用の人工的な広場の事である。空き地という名のとおりその場所だけ草木が一本も生えていない大きな空き地になっており、戦場となる空き地という事でそう呼ぶようになったのだ。
 迷いの竹林は永遠亭をカモフラージュするためのもので、外から見る竹林の全貌は偽造された絵のようなものである。その為、ぽっかり空いた戦場空き地は上空からは見ることが出来ないし、竹林内部で発生する大きな戦闘音や発散する気やエネルギーは外に漏れることはない。


 先日、妹紅に新たな力が備わった後、その抑えきれない力のはけ口に不死身の蓬莱人を利用しようとして永遠亭を襲撃した。この襲撃は永遠亭側が応戦しなかったことで空振りに終わったが、この件が永遠亭側に大きな因縁を付けてしまったようである。所謂お礼参りでもするつもりなのかはわからないが、昨晩の魅魔との話でもあったように、永遠亭の医術は魔理沙の肉体を蘇生、維持出来る状態にするための重要な存在と考えている。その意味で永遠亭側の意図はともかく魔理沙に近い場所にについてもらった方が都合が良く、いずれ永遠亭とはなんらかの形で接触する予定だった。
 妹紅はこの時、紫の計画に対して、自分が悪者になって討伐される側になると漠然と考えていた。
 妹紅は不死人狩りで多くの人妖から狙われた経緯があり、その復讐の為に幻想郷を破壊するという事にするのが、自分が異変に参加する上で最も自然な動機になると考えていた。
 だが、妹紅はこの時、自身を過小評価し過ぎていた。あの不死人狩りで復讐を全くしてこない妹紅の思考が理解できず多くの人妖を惑わせ、力のあるもの程妹紅に対して強い興味を示す結果を生んでいたのである。
 そもそもこの不死人狩りの件が八雲紫が妹紅に対して興味を示した最初で、妹紅を調べる上で不死鳥の存在が判明し、そこから今回の異変に利用するという案が生まれたのである。
 西行寺幽々子やフランドール・スカーレットの件といい、妹紅の取った行動、というより何もリアクションを行わなかった事が多くの強者達に影響を与えている。そしてその事に妹紅自身が全く気づいていなかったのだ。


 妹紅は、自分が悪玉、霊夢や紫らが善玉という立場で異変が進行すると思い込んでいる。それ以外の選択肢が現状では全く思いつかない。
 紫との最初の接触で「死んでくれ」と言われたが、当時はその意味を慧音と考え深く考察してみたが、これは単純に悪者として倒されて欲しいという意味ではなかったのかと自分なりに解釈している。
 しかし、紫側の考えはまた別であった。
 紫が妹紅に興味を示したのは永夜事件の後の蓬莱山輝夜によって引き起こされた不死人狩りの時である。
 永夜事件後、紫らと永遠亭が和解し交流が生まれた直後、竹林に住む極悪人の存在を輝夜から提示され、莫大な報酬も用意するとの事で真っ先に博麗霊夢が動き出し、それにつられるように知人等もその罪人、つまり藤原妹紅の討伐に乗り出した。
 不老不死など半信半疑であったが、蓬莱山輝夜に言われた通り不死身でいくら殺しても死なないその人間を、当時人喰いが自由に出来ずにストレスが溜まっていた妖怪達の不満解消の道具に不死人が使えると判断した八雲紫は、そうした妖怪達に大々的に不死身の人間の存在を宣伝し、その結果、常軌を逸した凄まじい不死人狩りが始まってしまったのである。
 百や二百の話ではなく数千数万回と、死と復活を繰り返すその人間は、そんな状況においても、あくまで殺傷力の無いスペルカードで応戦し、数カ月後不死人が行方不明となるまでそれが続いた。
 一方、不死人、藤原妹紅はこの戦いの裏で巧みに立ち回って永遠亭を苦しめ、永らく続いた戦いから停戦を勝ちとっていた。そして、この時点で十分に殺し満足した妖怪達は、停戦時に永遠亭に匿われて行方不明となった妹紅を探索追撃はせず、汐が引くように後退していった。
 やりすぎたと後悔した八雲紫が、事態の収拾に乗り出そうと動き始めた矢先、不死人狩りが急速に収まってしまう。この数カ月に及んだ不死人狩りが残したものは、復讐心や憎しみの連鎖ではなく、満足した妖怪達から不平不満が消えたという事実だけだった。
 八雲紫はこの藤原妹紅という存在が、蓬莱山輝夜が言うような悪人には思えなくなり、方針を変えて独自に調査を始める。その過程で藤原妹紅と永遠亭の関係がある程度分かり、自分達が担がれていた事を知ると同時に、外界で行方不明となっている不死鳥が妹紅に内包されているという事実が判明したのである。


 紫としてはこの不死人狩りの件を妹紅に謝罪したかったのだが、その機会が無かった。
 菓子折を持って謝りに行くのも芸がなく、そもそもそんな軽い事で済まされるものではないと考え、やるのであれば、きちんとした場所で然るべき態度で行うべきと思っていた。
 妹紅側としてみればほとんど気にしていなかったのだが、その意識のズレが紫から妹紅を精神的に遠ざけて、ただ会って謝るという簡単なことさえ出来ずにいたのである。
 そんな悩める紫の苦悩を取り除こうと九尾の八雲藍が様々な案を練り、その中で、藤原妹紅との共同作戦を行う異変を起こし、その流れの中でタイミングをみて謝罪するという、今回の異変の叩き台のようなものが提案される。
 そこから不死鳥を利用するという流れにいくまで時間はかからなかった。天狗側の要請や、自身のスキマ爆弾の処理など、先延ばしにしていた様々な案件を同時に処理出来る事が期待できた為、藍の提案を正式に採用し今回の異変が発動となったわけである。
 紫は妹紅と接触する際、妹紅からの仕返しを受ける覚悟があり、また、妹紅が復讐を躊躇わない様に敢えて険悪な態度で接触し無礼に振る舞ったのである。
 その後、博麗神社に誘い会談の機会を設け、妹紅から責められた後、ここで一世一代の土下座謝罪をしてやろうと目論んでいた紫だが、紫が何かをする前に妹紅は何の条件提示もせず、紫らの望み通りに動くと宣言されてしまったので、謝罪する機会がまた失われたのである。
 青天の霹靂とでも言えばいいのか、空いた口が塞がらないとはこのことで、紫はこの妹紅の態度があまりにも想定していたものと違い過ぎていた為、感謝すべきところが転じて激怒に変わってしまったのである。
 その時萃香に苦言を刺され、その後の交渉は藍が乱暴に執り行ったという笑い話のような顛末である。
 この様な経緯がある為、紫は妹紅を悪者にする気など全くなく、今回の異変を通して、謝罪と感謝の意を込めて藤原妹紅を救国の英雄に仕立てようとさえしていた。
 そして、その場合、どうしても敵が必要だった。そしてお誂え向きの敵がいた。かつての吸血鬼戦争で多くの同胞を奪った吸血鬼。その復讐をこの異変で果たそうと考え始めている紫である。


 妹紅は自分が悪者にされることを前提に事態が進行すると考えており、善者である霊夢と悪者である妹紅との戦いに、霧雨魔理沙がどう関与していくのか、どう関与させていけばいいのか、この時点では情報が少なすぎて計画が立てられない。
 レミリアによる願望から生じた無意識の運命操作が行われていると想定され、恐らく魔理沙もこの異変に必要とされる因子になっている可能性がある。
 先日、博麗神社で起こった妹紅や鬼、九尾、紫らの関係する事故とも言える妖力衝突によって、爆発的な妖気が幻想郷に広がった。このインパクトは運命を操る能力を持つ吸血鬼レミリア・スカーレットの潜在的に持っていた変化・変身願望を刺激した。レミリアは幻想郷に異変が起こる事を察知し、その異変に自身の願望を重ねて歓迎し、そして熱望する感情が生まれてしまったのである。この何ら具体的な結果が見えない他人任せの異変願望が事態を不明瞭にしているわけである。
 妹紅の自爆による大きな変化。これが動かせない確定事項となってしまったことで、運命はこの状況を損なわない為にこれを保護する為の力を生み出す。そして、この動きを妨げる因子に対して防衛反応が起こる。つまり、妹紅の自爆を妨げる力が発生した時、その力の源を排除する別の運命が発動してしまうということである。
 妹紅がこの異変から降りたいと思った時、運命は状況の進行を妨げる妹紅の感情を変える為に何らかの因子を作り出してしまう。例えば、魔理沙を救いたい為にこの異変を利用するといったようにだ。
 魔理沙という因子は、妹紅を後戻りさせない為の保険のようなものではないかと思う妹紅だが、ならば魔理沙もまた必ずこの異変の何処かに組み込まれるはずである。
 魅魔の件も含めて完全に偶然という可能性もあるが、それとも、もっと別のところで異変に関係することなのだろうか。
 気になるのは、昨晩、厳密に言えば今日未明の事だが、「魅魔がレミリアを救った。」という言葉にあるように、魅魔とレミリアの間で何か強い因縁があることが伺える。魅魔の出現は妹紅ではなく、レミリアに関係している事ではないだろうか。そうなると、妹紅はレミリアとも関わらなければならないのだろうか。
 この時点で吸血鬼を悪者にするという可能性を知らない妹紅である。この事は今晩行われる魅魔との吸血鬼戦争の話で、何故魅魔が現れる必要があったのか理解出来るのだが、この時点ではまだ五里霧中であった。


 今現在の問題は目の前に迫る永遠亭である。
 彼らは何らかの意図があって妹紅に接触を試みようとしている。その理由は何であろうか?
 妹紅はてゐのメッセンジャーの白兎を抱きかかえながら立ったまま思考に没頭する。
「昨日の神社の異変を受けて、連中も何かが起こる事は理解しているだろう。その上で何が起ころうとしているのか知りたいんだろう・・・で、それを聞き出そうという魂胆だな・・・。」
 妹紅が博麗神社で変態したことは永遠亭も分かっているだろう。神社から博麗霊夢や八雲紫が連想されるが、妹紅がその場所で変態したということは、八雲と妹紅との間に何かしらの繋がりがあると考えるのが自然である。そして、その異変の情報を、望んで会う事が出来ない神出鬼没の八雲紫ではなく、与し易い妹紅から引き出そうという魂胆だろう。
「情報を引き出したとして連中はこの異変をどう立ち回る気だろう・・・。」
 この時の妹紅は、蓬莱山輝夜が幻想郷の崩壊を直接見てきた事を知らない。しかも、その崩壊の原因に八意永琳が関係している事など想像の域を超えている。
 八雲紫と藤原妹紅の引き起こす一連の計画に、永琳に関係する何かが関わる事で、その計画が丸ごと潰れてしまい更に幻想郷を滅ぼしてしまう。こうならないようにするためには、この異変そのものを頓挫させるしかない。これが永遠亭が妹紅に接触する目的である。しかし、交渉次第ではこの異変の失敗の原因を突き止め、八雲紫らの計画を成功させる手助けをする準備もしている。その為にも妹紅らが何をやろうとしているのか正確な情報が必要であり、その為の接触というわけである。
 この時、てゐが条件次第では味方になるという情報を妹紅に知らせていれば違う結果になっただろうが、この時点では、輝夜の見た未来についててゐもレイセンも具体的な内容まで報されておらず、永琳の思い詰めた態度からそれを聞き出す事もできないでいた。その思い詰め殺気立った永琳の様子からてゐは妹紅が危機に見舞われると予測判断し、それを報せる為にこのような形でメッセージを送るしかなかったのである。
 

 一方妹紅は、自分が悪者になるという想定で異変が進む事を想定しており、魔理沙をこの異変に参加させる場合は、自分と同じ悪者側ではなく、霊夢らと同じ善玉側として行動する事を希望していた。何故か善玉かと言えば、すべてが終わったわと、その責任を悪玉である妹紅がとらねばならず、その仲間に魔理沙がいれば、当然魔理沙もその責任を負わねばならない。罪を被るのは自分一人で良いと妹紅は考えている。
 魔理沙を一度正しく死なせるという危険な橋を渡らなければならない関係上、医術に長けた永遠亭が魔理沙に近い方が安心出来る。
 一つの答えが出だ。
「私は永遠亭の連中とは決して結ばず、敵対して連中を八雲紫側につける!」
 八雲紫と八意永琳及び蓬莱山輝夜の永遠亭が手を結んで何かをするという事は通常なら有り得ない事だろう。しかし、幻想郷を滅ぼそうとする藤原妹紅という悪を共通の敵と認識させることが出来れば、呉越同舟は十分可能である。
 妹紅は決断をすると、抱いていた兎の首を鷲掴みにしてそのまま絞め殺し、さらに焼いて消し炭にする。そして、まっ黒な消し炭になっても兎の形をしていたソレを、握りつぶしてバラバラにする。黒い粉片となった兎だったその物体は風にさらわれて跡形もなく消える。
 一見すれば酷い事であるが、てゐからのメッセンジャーはこうやって処分し証拠を残さない様にすることを予めてゐと取り決めていたことである。
 妹紅はまるで最期の戦いに挑むかのように凄まじい闘志をみなぎらせる。ここまで気合いを入れる理由は、完全な勝利を目論んでいるからである。完全な勝利によってこそ、永遠亭は妹紅を危険視し、八雲紫と結びつくきっかけが生まれるのだ。
 そしてもう一つ大きな理由がある。
 これが運命によって為されている事であれば、その運命の中心点にいる妹紅の行動を阻止しようとする動きに対して、それをさせないようにする別の新たな運命が発動される可能性があり、いくら運命とはいえ、永遠亭を無力化するような大きな力など簡単に引き出せるものではない。むしろこちらの方が紫の異変よりも大きくなって収拾がつかない状況になる可能性も出てくる。
「もしかしたら、私の得た新しい力は、永遠亭の妨害に屈しない為、運命によって与えられたのかも知れないな・・・。」
 運命など未だに信じていない妹紅だが、短い時間の中で度重なる様々な変化をその身を持って体験し、運命という未知の存在を否応にも感じざるを得ない。それと同時に、目的の曖昧な運命操作が非常に危険な事であるとも認識出来る。
 八雲紫がレミリア・スカーレットを潰しにかかる理由は、過去の戦争の恨みだけではなく、幻想郷の安全にとってもその力が害悪となりえるからである。
 そして、この時、永遠亭側では、八雲紫や藤原妹紅が知らない彼らだけが知っている因子がこの異変に現れる事を察知し、その危険を警告する為に妹紅に接触しようとしていたのである。
 事情を説明し理解を得られれば八意永琳は妹紅に協力する準備でいたものの、妹紅はこれまでの永遠亭との関係とてゐのメッセージから判断して、交渉は必ず決裂するだろうと予想していた。
 永遠亭がこの異変に大きな影響を与える第三の勢力であり、霧雨魔理沙がこの異変に組み込まれる理由を作り出している存在である事など妹紅はこの時全く想像もしていなかった。




 戦場空き地に布陣した永遠亭の4人は、まずレイセンを先行させ妹紅の縄張り付近の警戒ラインを脅かす。
 警告を示す音や光を出す妹紅の仕掛けを意図的に作動させ妹紅を誘い出そうとするレイセン。その音が戦場空き地の中央に立つ輝夜らにも遠く聞こえてくる。
 そして、その音を妹紅は間近に聞いた。
「!・・・来たか。」
 妹紅の持っていた呪符が全て使い物にならなくなり、昨晩魔理沙の家でひとまず基本的な呪符を揃えただけで十分な準備が整っていなかった。しかし、永遠亭が侵攻してくる事をてゐからの報され、戦いの準備をする時間が多少取れた。
 戦術プランを練り、それに必要な呪符を用意し終えたタイミングで警告が鳴る。万全とまではいかないが、プラン通り事が進めば問題ないはずである。
 妹紅は立ち上がると隠れ家の粗末な建物から出て要撃する形で自分の陣地から飛び出す。
 途中目視出来ない鬱蒼とした竹林の隙間から気の弾丸が数発撃ち込まれたが、妹紅はそれを全て回避し速度を落とさず戦場空き地へ向かう。
 レイセンの気弾は指先に気を集中させて放つもので、気が読めれば出所が分かるので容易に避ける事が出来る。そして、その気自体に殺気が籠もってないので誘き出す為の威嚇射撃だということも分かる。レイセンは戦闘の際、やらされて行動している感が強く、攻撃に気持ちが乗らないので気弾を見るだけで精神状態がだいたい分かり、そこから永遠亭側のやるきもおおよそ見えてくる。レイセンの今の攻撃には殺気はなかったが、気弾そのものにこれまで感じた事がない程に強い意志が乗っており、今回の戦いが永遠亭側にとっても特別なものになる事が理解出来た。気持ちとは伝わるもので、永琳らの気持ちを感じてレイセンも気合いが乗っているのだろう。
 妹紅がレイセンを追って竹林を抜けて広い空き地に出た時、永琳と輝夜が並んで中央に立っており、妹紅を誘導して先に空き地に入ったレイセンが真っ直ぐにではなく弧を描くように永琳の後ろに移動するのが見えた。
 妹紅は空き地に飛び出して、空き地と竹林の境界付近に停止していたが、彼らが大人しく立っているだけで攻撃の様子はないので妹紅はそのまま歩いて近づく。
 永遠亭と交渉はしないと決めていたが、いきなり攻撃するのも芸がない。ここは、2、3話した後に、交渉を決裂に導くほうが自然だろう。
「どうした?停戦終了か?」
 不死人狩り後、妹紅は行方不明を演出する為に輝夜らと停戦し、永遠亭で3か月程同居していた。同居といっても家庭内別居の様なもので、同じ屋根の下にいても数カ月ほとんど顔を合わせた事がない。
 月の民は、個々が非常に優秀な個体であるが故、それぞれが独自のルールと時間概念で生活しており、共同体としての時間共有という概念を持たない。月では近代的な生活をする者もいれば、地上の平安様式で古風に暮らす者もいる。他者のスタイルを尊重し、そして干渉しない事が月の基本的なルールであり、その為、相手を気にするとか思いやるといった感覚が希薄である。
 そうした月の民の精神構造が広い永遠亭の屋敷にも反映されており、大人数が共同で使う施設がほとんど存在しない。広い部屋に玄関、台所、風呂、厠といった生活に必要な施設がまとまっており、1戸の家が無数に存在し、それが一本の廊下で繋がっているようなものなので現代でいうところのマンションと同じ構造になっている。
 その為、永遠亭で一緒に暮らすといっても、彼らが主に生活する区画から遠く離れた区画で、彼らに気を遣う事もなく静かに一人暮らしが出来るのである。
 妹紅が使っていた永遠亭の一画は、今でも妹紅の部屋として利用出来る。敵地であるはずの永遠亭は、別の意味で最も安全で静かな場所で、妹紅は時々ここで過ごすのである。


「随分と力が有り余っているみたいね?その力を手に入れる為に、八雲紫の下僕に成り下がったってわけね。」
 ギラギラとした目で永遠亭の面々の前に立っている妹紅を見た輝夜が、そんな粋がっている様な態度に見える妹紅を挑発する。
「(なるほど、連中は私の変化をそういう風に見ているのか・・・。)」
 妹紅は博麗神社で八雲紫の妹、藍の閉鎖空間に呑み込まれ、そこで長い時間を過ごし妖力が自然上昇した。別の時間の流れから現実に戻った事で、長い時間をかけて少しずつ上昇した妖力はこちらの世界では一瞬で爆発的に上昇したようにみえたのである。この別の時間で起こった事は流石に永琳や輝夜の想像の範囲を超えており、その為、外部からのなんらかの力が妹紅に与えられたと想定しているのである。永琳はそれが月の使者ではないかとも疑っていた。
 輝夜は本心かどうかはともかく、この力を八雲紫から授かったと言った。妹紅としては予想外のその言葉に興味を示す。当初、すぐに戦闘に持ち込む算段でいたが、彼らが何を知って何を知らないかに興味が出たのでもう少し話を聞いてみることにする。
 妹紅は輝夜の嘲笑を受けても全く心が動かなかったが、表情には少し不快感を出し、相手が精神的に優位な状況にいるように思わせる。優位に立てば饒舌になる輝夜の性格を知った上での態度である。
「妹紅、今日は戦いにきたわけではないわ。話がしたいの。」
 最初から喧嘩腰で話しにならない輝夜に変わって八意永琳がやんわりと今日ここに来た理由を述べた。
 それを受けた妹紅はわざとらしく周囲を見渡し、正面に向き直って鼻で笑いながら返す。
「ここで?ここは戦場でしょ?」
 とても話し合いを行う場所ではない。この様な場所に呼び出して話しあいとは合理的な月人のやりそうな事で片腹痛いというものである。
「交渉が決裂すればすぐに殺れるからよ。」
 妹紅の嫌みに反論したのは輝夜である。案の定の理由に妹紅も呆れる。
「・・・姫。」
 このままだと話をする前に戦闘になってしまいそうで、すかさず輝夜を窘める永琳。永琳にしてみれば話し合いで何らかの満足のいく結果を得られると確信してのその態度だろう。
 輝夜もその永琳の窘めに応じ、ここに来た目的を理解し大人しく引き下がる。
「・・・。」
 妹紅は2人の様子を見ながら出方を窺う。妹紅が聞く態度を取ったと判断したので永琳は一歩前に出て話し始める。
「妹紅、あなた達が何をしているかは知らないわ。でも、結果としてそれは失敗に終わる。悪いことは言わない、すぐに手を引いて。」
 永琳の言葉は、分かる人にだけ分かるという、間の説明文を省いた結論だけのものだった。妹紅はとぼけてみようとかとも思ったが、まるで結果を全て見てきたような永琳の言葉を聞いてとぼけるのを思い留まる。そして、呑み込んだ言葉と引き換えたかの様に一つ頭に浮かぶ事があった。八雲紫の妹、藍の閉鎖空間で聞いた八意永琳や蓬莱山輝夜、及び月の歴史の事である。
 そこで輝夜の能力が時間を操る事だと聞いた。時間の流れがほぼ止まっている月に於いて、成長出来ずに永久に胎児のまま保存されていた個体の中で急速に成長した存在、それが輝夜であり、彼女はその力で月族という月の新人類の長となった。その後、永琳の研究に力を貸し、獣であった兎を人型に進化させた。
 その時間を操れる輝夜は、永琳の言う失敗という状況をその目で見ることも可能なのかもしれない。妹紅は自分でそう予測しつつ、それをすぐに信じる事ができなかったが、人型となった月の兎レイセンを一瞬見た時、信じたくなくても信じなければならないという思いに傾く。
 妹紅は永琳に対する返答の仕方に複数の選択肢があることを頭に入れながら、表情は無表情のまま永琳の顔色を窺う。
 完全に知らないふりをしてとぼけるか、駆け引きなしでそのまま腹を割って真面目に話をするか、話を合わせるふりをするか、別件の事と間違えて話を食い違う方向に進めて永琳のリアクションを待つか・・・。
 数日前の妹紅なら、輝夜の能力についてほとんど知らないため、未来の結果を見て来た事を前提に話していると思われる永淋の言葉など信用はしなかっただろうし、説明されても理解できないだろう。しかし、今の妹紅は完全に永琳の言葉を現実の事として信用した。
 そして、それを信用するという事は、紫の異変が確実に失敗するという事として、それを受け入れた上で話を聞かなければならないということである。さて、どうするか考え所である。
「(失敗に終わるということは・・・それは、幻想郷が滅びるということだろうか?・・・ん、滅びる・・・死ぬってことか・・・。)」
 妹紅は、そんな危機的状況を想像しながら、忘れていたもう一つの目的を唐突に思い出した。
「(もしかしたら・・・私はそれで死ぬ事が出来るのだろうか?)」
 望んで死にたいと思う者はそう多くはないだろう。生きていれば必ず死は訪れるものだ。しかし、不死の妹紅はそれが叶わず、つい先日まで死ぬ方法を見つけることこそが生きる目的でもあった。
 紫の最初の来訪を受け、その意味を慧音と2人で話しあった中で、自爆後、結果として幻想郷が滅んでも妹紅には死という願望が叶うという「すばらしい結果」が訪れる可能性があるかもしれず、それを選択肢として持ち、常人なら受け入れられない滅びを交渉の切り札として使えるのでは?という助言をもらった。その後、慧音も思う所があったのか、紫に応じるよう仕向けられ今に至るわけだが、ここに来て永琳の言う失敗が妹紅にとっての「すばらしい結果」を得られるチャンスをもたらす可能性を持ち、紫との交渉で破棄したこの切り札が、今まさに役に立つ時ではないだろうかと閃く。
 魔理沙の件などもあり、今の妹紅に死ぬ気など更々ないが、交渉で相手を揺さぶる一つの切り札になるかもしれない。
 彼ら永遠亭が、わざわざ失敗という結果を告げに来る理由は、その結果を望んでいないからで、その結果を変えたいからだろう。幻想郷が滅べば永遠亭を含む竹林も当然それに巻き込まれる。穢れを持ち月に帰れなくなった永琳にとって幻想郷は理想的な隠れ家であることは容易に想像できる。つまり彼らは、自分の住む家を守る為に幻想郷の破壊を阻止したいのだ。
 幻想郷を守るという事は、ここに住む者にとって共通の義務だろう。話の進め方次第では、同じく幻想郷の住人である永遠亭を味方に出来るかも知れないが、妹紅の目的はこの異変を必ず成功させたいわけで、永琳達は必ずしもこの異変を是非に関係ない。滅ばなければどっちでもいいわけで、安全を第一に考えるならこの異変そのものを無しにしようとするのが自然である。
 運命によって進行している以上、もはや妹紅の自爆という流れは止められない。そしてそれを阻止するために永遠亭が動いている。
 妹紅に幻想郷をどうしたいかという明確な目的がない場合、明確な目的を持つ永琳の話しに対して、それを強く否定し反論出来る根拠が弱くなってしまう。つまり、守るという永琳らの大義を否定出来る対等の大義が妹紅に無く、そこで発生する抗争は、妹紅の個人的で程度の低い戦いとなってしまうため、例えその戦いに勝利しても、その勝利の意味が薄れてしまう。
 だが、幻想郷を滅ぼす事に妹紅が大きな意義を持つとなれば、それは永琳らとの対立の根拠となり、永琳の守ろうとする意志と真っ向からぶつかる大義名分になる。
 滅ぼしたい妹紅と滅ぼしたくない永遠亭の戦いは勝利することで敗者に大きなダメージを与える事が出来る。そしてそれが、妹紅と永遠亭の完全な離別を意味すると共に紫らと結ばせるきっかけになるはずだ。
「(それにしても、失敗の原因はなんだろう?)」
 幻想郷が滅ぶかもしれないという動揺するような永琳の話を真に受けてはいるものの、死という甘味なキーワードのおかげで、妹紅の精神は何故かバランスが保たれていた。そして、永琳達の精神バランスが一方に大きく傾いている事も同時に理解出来る。
 永琳達は、自分達の住む幻想郷で竹林以外が焼け野原になっても何も行動はしないだろうが、それが竹林に及べば全力で阻止にかかるはず。他人が何をされても何とも思わないのに、自分の身に降りかかる事となれば全力で対応してくる月人の典型的な思考行動パターンである。


「失敗って何が?」
 妹紅は、他人が聞けば謎かけともとれる意味不明な永琳の言葉にどう対処すればいいのか分からず戸惑った表情を敢えて見せたまま、失敗の原因が何であるのかを探るため質問する。
「あんたらのやろうとしている事が、永琳によって阻止されるのよ。それで幻想郷が滅びるのよ。」
 怒鳴るように言い放つ輝夜だが、彼女の言葉も結果だけを羅列しているので、他人が聞けば意味不明だろう。どうして連中は他人が理解できるように気を配れないのだろうか?
 ただ、ここで一つのキーワードが輝夜から出た。永琳によって阻止され、その阻止行動によって幻想郷が滅びるという事である。
 永琳らの見た幻想郷の滅びのビジョンは、紫と妹紅との間で取り決めている茶番を知らずに、永遠亭が独自の判断で防衛行動を行った結果、それが紫らの防護計画を妨害することになり、それによって幻想郷が滅びた未来なのだろうと妹紅は断定した。
 つまり、花火を見て本物の火事だと勘違いし、観衆の目の前で消火して花火大会を台無しにするようなものである。
 これは尚更の事、紫らと結びつけてしっかり状況を把握してもらい、余計な事をさせない方がよいだろう。なまじ状況を変えるだけの強力な力が彼らにあるだけに、その勢力を野放しにする事は危険である。
「ふーん・・・それで?」
 滅ぼす側と自らに役所を与えた妹紅としては、この場合失敗して滅ぶという結果は大歓迎という立場となる。
 妹紅としてもそれは当然起こっていなければならない結果であると思わせるため、わざとリアクションを薄くして見せる。
「それでって・・・幻想郷が滅んでもいいの?」
 永琳も輝夜も、妹紅が幻想郷を滅ぼそうとしているなどと全く想定していなかった。
「何ばかなこといってるの?私は最初からそのつもりよ。」
 シレっと言い放つ妹紅。妹紅は本心ではそのつもりはなかったが、相手の反応を見るためにさっそく切り札を使う。
 永琳と輝夜はその言葉を聞いて絶句し顔を見合わせた。それは彼女達にとって予想外の返答だった。
「ほ、本気で言ってるの?」
 永琳の表情に焦りの様なものが見え始める。妹紅は、そんな永琳らの反応を見て内心ニヤニヤする。
「(そろそろ、頃合いか・・・。)」
 ある程度永遠亭側の状況を理解した妹紅は、当初の予定通り永遠亭と対立する行動に出る。
「私が幻想郷を守りたいって本気で思ってるの?」
 幻想郷を守りたいという思いは誰よりも強い妹紅だが、ここは敢えてその真逆の事を言い、相手を揺さぶる為に小馬鹿にした態度も見せつける。
「な、無いとしても、滅ぼす理由にはならないでしょ?」
 先程までの威勢がなくなり、焦りと苛立ちを隠せない輝夜が必死に言い訳するように訴える。
 面白そうに妹紅は輝夜らを見やり、沈黙したまま輝夜の意見など簡単に否定出来るという事を態度で示す。口に出して「永夜事件の後、何をやったか言って見ろ!」と言えば簡単だが、敢えて口に出さない事で精神的に輝夜を追いつめる。
「くっ・・・。」
 不死人狩りを引き起こし、幻想郷中に妹紅を売り渡した張本人である輝夜は、相当の恨みを持ち、滅ぼす理由がありまくりの妹紅のその態度にぐうの音も出ない。妹紅があれだけの事をされながらも、一切復讐をしなかった理由が分からなかったが、まさか、その復讐をこのタイミングでやろうということだろうか?
 永琳も輝夜と同じ事を考えたらしく、2人は揃って顔が引きつっている。
 2人が押し黙ったのを頃合いと見て、妹紅はさりげなく確信を付く。
「って言うかあんたらさ?結局何がしたいわけ?」
「・・・幻想郷を・・・守りたいのよ。」
 永琳が妹紅の目を見ながら静かに語る。それは聞かなくても分かる事だった。守る意志がなければそもそもここにやってくることもない。ただ、その思いは幻想郷に住む人妖や自然を尊いと思って守りたいという思いではなく、単に永遠亭を守りたい、降りかかる火の粉を消したいだけ事である。
 そして、妹紅はここで新たに一つ疑問が出た。先程の言葉にあったように、滅びの原因が永遠亭にあるなら、彼らがそれをやめればいいだけのことであり、何故彼らはそうしないのだろうか。
「滅びの原因があんたらにあるんなら、あんたらで何とかすればいいでしょ?」
「それが出来ないからこうしてここにいるのよ。」
 永琳ですら制御出来ない力が隠されているということだろうか?妹紅はそれが何か流石に想像すらできないが、永琳のせっぱ詰まった表情を見るにつけ、かなりやばそうだということは理解出来る。
 それならそれで、永琳達は妹紅に対してお願いをする立場になる。しかし、月人は決して地上の民に頭を下げる事はない。だから、敵である妹紅に対して最もらしい事を言い、共同戦線という形態で事態に当たろうと目論んだわけである。
 郷に入っては郷に従えという。幻想郷に住まわせてもらうなら、幻想郷のルール、強いては地上のルールに従わなければならない。快適な住処だけ確保して居座り、その土地のルールに従わず好き勝手やるなど言語道断である。
「ふーん・・・で、あんたらはここにいれば、いるだけで何とかなるってわけ?なら、ずっとここにいたら?私は帰るから。」
 永琳の言葉の揚げ足を取り、へらへらした顔で相手を小馬鹿にする妹紅。そろそろキレる頃合いだ。
 妹紅の予想通り、輝夜は下を向いた状態で両肩をブルブルと震わせはじめる。その隣の永琳の表情も冷酷なオーラを纏い先程まであったせっぱ詰まった雰囲気が消えた。これは交渉を諦めて次の段階に移行した事を表している。

 妹紅にとっては想定内、永遠亭にとっては想定外の交渉決裂である。

「下手に出ればいい気になって!永琳もういいでしょ?この山猿さっさと封印してしまいましょう!」
 妹紅はその言葉を聞いて心の中で大笑いをしてしまう。どこが下手な態度なのか月人の頭の中の構造が理解できないと同時に、彼らとは永久に理解し合えない存在である事が理解出来た。
「やれるもんなら、やってみろ!どうせ、助けて!永琳だろ?」
 鼻で笑いながら舌を出して輝夜を小馬鹿にする妹紅。
「誰がやるかなんて関係ないわ。あんたはここで終わり。永遠に死につづけなさい!」
 一触即発の事態であるが、それでも輝夜は自分から動けずにいた。


「(・・・。)」
 妹紅と永琳、輝夜らのやり取りの一部始終を後ろで見ていたレイセンは、会話に入り込む余地が無く、又、入り込む意志も無く、まるで他人事の様にそれを聞いていた。
 レイセンは先日の件で、輝夜らの秘密を知り、そこで永遠亭の一員として正式に認められた。
 永遠亭のエージェントとして働く事に使命感が生まれ、内面的に大きく変化したレイセンは、当然ながら輝夜や永琳の肩を持つべき位置にいる。しかし、一連の会話を客観的に見ているが、どうしても永琳や輝夜側に共感する事が出来ないでいた。
「妹紅、残念だわ。少しは分かり合えると思ったのに。」
 永琳の表情に怒気は無かったが、全身から怒気を吹き出している。しかし、そんな永琳を見ても妹紅は恐怖の欠片も感じなかった。こういう所が自分が強くなっているという裏付とみればよいのだろうか?
「自分の思い通りにいかないからって、相手の所為にするのは良くないな。天才が聞いて呆れる。」
 肩をすくめやれやれという仕草をする妹紅。
「ずいぶんと強気ね?八雲紫の後ろ盾があるからかしら?」
 永琳も負けじと嫌みを言う。
「お前等がそう思うなら勝手にそう思っておけよ。どうせ他人の意見を聞いて考えを改める事なんてしない月人は、永遠に自分の考えだけを正しいと思って自滅の道を選べばいい!」
 この言葉を聞いて何故かレイセンは痛快な感情を覚えた。言いたいことを何時も直前で呑み込んで我慢していた様々な言葉を含んだセリフを妹紅が代弁してくれていたのだ。
「クソ共め!お前らを見ていると反吐が出る。」
 その汚い言葉を受けて輝夜は唖然とし、永琳の眉間の皺は更に深みを増す。彼らは汚い言葉を思っていても口に出す事は出来ない。それを分かっていて妹紅は敢えて汚い言葉で罵る。
 永琳は何かを言えば100倍になって反撃される事に苛立ち、しかも、それが言い訳出来ない図星を指されているときている。これ程までに心がざわつく感覚は初めてである。初めての経験だからこそ、それが何なのかが分からず精神が安定しない。揺るぎない物が揺らいでいる。揺らいではならない物が揺らいでしまっている。
 もし、永琳がいつも通りの冷静な精神状態なら、妹紅の言動が以前と違うことに気づいていたいたはずである。今の妹紅は、過去の永琳、輝夜と月の歴史という知識を基にした言動で、永琳らの話しについてこれない以前の妹紅ではないのである。
「妹紅を封印し隠してしまえば、恐らく八雲紫はあなたを探すでしょう。あなたを意のままに操れる完全な人形にしてそれを手土産にすれば、彼女も考えを改めるでしょう。」
 永琳はなんとか妹紅を萎縮せようと、不可能ではないだろうが、かなり難しい事を簡単に出来そうに言ってみたが、すぐにそれを後悔した。
「ほほー、手ぶらだと紫に会えない理由でもあるのか?まーでも、それはいい案だな。んじゃ、さっそくやってみてくれよ!人形になれるもんならなってみたいもんだね!」
 脅しの目的に言った永琳の言葉に対して予想外の妹紅の返答。
「!」
 そして、その場で仰向けに寝て無防備に体を投げだし大の字にして晒す。だが、実はこの動作は戦闘の準備動作であり、永琳達はそれに気付かない。
「私が手を下さなくても、お前等が勝手に幻想郷を滅ぼしてくれるとわかった以上、私はもう用済みさ。好きにすればいい。」
 妹紅は寝たまま大声を上げて笑い始める。妹紅は特に確証があってそう言ったわけではないが、これまでの流れでその言葉は真実を語っていると真に受けてしまった永琳と輝夜は激しく動揺した。妹紅の言う事が正しいなら、幻想郷を滅ぼすのは自分達であり、消える必要があるのも自分達なのではないだろうか?
「(まさか・・・あれは、私達が滅ぼそうとする力に対抗するために妹紅が自爆で抵抗を試みていると・・・)」
 そう考えると辻褄が合わないこともない。ならば、ここで妹紅を封印したら幻想郷を救う手立てがなくなるかもしれない。
「ほら、どうした?はやくしろ!」
 妹紅が寝たまま目を瞑り、いつでも来いと言わんばかりに催促をする。そして、この時既に妹紅の布陣は終了していた。
 永琳らはどうすればいいか全く分からなかった。どんな時でも瞬時に判断し行動出来る頭脳を持っているが、この時ばかりはどう対処していいのか分からない。どこで間違えたのか、こんな事になる筈ではなかった。自分で予測を立てた真実と、今正に進行している現実に食い違いが生じている。
「妹紅、あんたわかってるでしょ?永琳のアレくらったらひとたまりもないって!」
「だから、好きにしろって言ってるだろ?何びびってんだ?」
「びびってなんかないわよ!」
 びびっているというより、得体の知れないものに対する畏れを含んだ声である。
「やれやれ・・・」
 一向に仕掛けてこない輝夜らに苛立ち、妹紅は背筋の力だけでポンと起きあがる。その動作に反応して永琳と輝夜が2歩後ろに下がる。
「やる気がないなら、帰れよ!」
 妹紅は踵を返してそのまま背を向けて隠れ家の方へ歩き出す。永琳達から顔が見えなくなると舌をペロっと出して、表情が戯ける。明らかに演技がかった行動であるがそれに相手は全く気付かない。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
 未来を予知出来るわけではないが、精神的に追いつめられた輝夜の次の行動は手に取るように分かる。輝夜の言葉と妹紅が心の中で輝夜が次に言うであろうと予測した言葉が、全く同じタイミングで重なり思わず顔がニヤける。
「あ?」
 表情をすぐに戻し不機嫌な顔で振り向く妹紅。
「永琳、そんなに八雲紫が怖いか?」
 妹紅を封印するとうそぶく永琳が一向に行動に出ない理由は、自分達から先手を取りたくないからであろう。封印とやらをどうやってやるつもりかはわからないが、永琳側から積極的に動いて封印する場合と、妹紅の攻撃に対処した流れで封印にする場合とでは、それを手土産にする際に八雲紫に与える心証が変わるはずである。理想としては妹紅からの攻撃に対する正当防衛を主張する事が望ましい。
 妹紅はそれを見越して、先制攻撃をしてこない永琳を腰抜け呼ばわりをする。
 それにしても、こちらが滅んでも一向に構わないという心理状況から、心の余裕が生まれ、さらにそれを切り札にしたことで、相手の心理状況が手に取る様に分かる様になった。相手の思考のベクトルが完全に見えるので、どの様にでも議論を操作する事が出来る。頭を使うというのはこういうことなのだろう。
 紫の妹、藍との接触以降、妹紅の脳は急速に進化している。これまでの古式な生活の中で蓄積されてきた常識という箍がはずれ、月という常世から遥か遠くの世界の存在を明確に知識として取り入れた事によって、常識の枠が大きく広がったためだ。
 それは必ずしも良いことばかりではない。考え方のスケールが大きくなったことで、今までより多くの事を思考せざるを得なくなった。石を積み重ねて山を造るにしても、高い山ほど裾野は広くなり、それだけたくさんの土台になる石を必要とする。それと同じ様に思考の物差しが広がればそれに付随する関連事項が無数に枝分かれして増えてしまうのだ。
 その為、一旦考え出すと脇目も振らず思考だけに没頭する癖がついてしまい、周囲の者にそれがすぐ分かってしまう。幸い、そうなってから日が経っておらず、この仕草を見ているのは風見幽香と魅魔くらいだろう。後々この癖は直さないといけないだろうと思う妹紅である。


 既に戦いの為の布陣を終えた妹紅。
 幻想郷の歴史の表に出ない、世紀の戦いが今始まろうとしていた。
東方不死死 第25章 「始動」


 博麗神社の建つ本陣山の北に綺麗な三角の形をした少し高い山がある。
 人間の里からは魔法の森が視界を遮り神社の建つ標高の低い本陣山を直接見ることは出来ないが、この三角形の山の頂上部分は里からもよく見える。里の人々の間では、その山の形状から『三角山』と何の変哲もない呼び名を与えられている。
 朝霧にうっすら浮かぶ博麗神社を眼下に見下ろしながら八雲藍は思いを馳せる。
 先日の事、特に藤原妹紅の件が頭から離れない。
 人間が三角山と呼ぶこの山の頂上には八雲紫の家の一つがあり、特殊な結界で外からはその存在を感知する事ができないようになっている。
 この家は、家と呼ぶにはかなり大きな建物で元々は博麗神社の所有する社務所の建物の一つを移設したものである。
 この元社務所は幻想郷を管理する八雲藍の仕事場のようなもので彼女はここに常駐している。実質藍の自宅兼事務所である。
 広い社務所にはいくつものスキマが開いたまま並んでおり、そのスキマで幻想郷の任意の場所に瞬時に行き来出来るようになっている。幻想郷の外周結界を見回り管理する藍にとって重要な瞬間移動装置といえる。
「あら、藍。ここにいたのね。」
 東西に長い社務所の南向きの縁側に立って考え事をしながら博麗神社をぼんやりと眺めていた藍は、紫から声を掛けられて振り向く。
「あ、紫様。呼びましたか?」
 呼ばれた事に気付かなかったと思い確認する藍。
「呼んではいないけど・・・珍しいわね神社を見てるなんて・・・。」
 紫はここで時々神社や幻想郷を眺めているが、藍はこれまでそうしたことをほとんどしなかった。普段は社務所中央の自分の座卓の前か、社務所の隣にある茶の間にいる。
「少し考え事を・・・。」
「妹紅のこと?」
「それもありますが、今後の事など・・・。」
 ほとんど妹紅のことばかり考えていたが、口に出しては異変全体の事を考えていると告げた。
「その事だけど、要請があって三日後に三賢者会議に出席するわ。」
「紫様も律儀ですね。」
 苦笑する藍。
「決まりだからしかたがないわ。」
「で、今回も映姫のところですか?」
「今回は白玉楼よ。」
「白玉楼?言い出しっぺは映姫ではないのですか?」
「ええ、今回は映姫ではなく幽々子よ。」
 閻魔である四季映姫を呼び捨てにする紫と藍。本人の目の前では様付けで下手の態度でいるが、妖怪が閻魔に媚びる必要は本来ないのでこのことに関しては特に問題があるわけではない。
 本人や関係者の前では閻魔の立場をたててへりくだった態度をとっているが、その理由は博麗の神主やそれにかわる地主的存在がいない人間の里における法の要として閻魔を利用しているからである。妖怪も頭が上がらない存在として認識させる事で人間や他の弱い妖怪の増長を未然に防ぐ狙いがある。
 幽々子の名前が出た事を驚いた藍であるが、その名を出した紫の自身の表情に曇りがあることも同時に気付いた。
「・・・。」
 ほんの少し場が沈黙する。


 三賢者会議とは、幻想郷に於ける様々な取り決めを行う際、八雲紫と博麗神社だけで判断仕切れない案件や手に負えない案件の取り決め時や、部外者から幻想郷の運営に対する意見や提案を聞き入れる際、又、神社側の責任者不在時などに緊急に取り決めなければならない場合等に幻想郷外の中立的立場の賢者、偉人が取り決めに参加する特別召集会議で、紫と幻想郷外から2名以上の参加で執り行われる会議の事である。紫を含め3人以上の賢者で執り行う必要があるため、この名前で呼ばれる様になった。
 ちなみに、このメンバーは固定されているわけではないが、近年は閻魔である四季映姫が頻繁に召集し冥界の西行寺幽々子が頭数を揃える為と友人である紫に会う口実の為に映姫の参集要請に応じ、この3人で定期開催のようになっている。
 今現在、博麗神社の代表は外界にいる神主であり、博麗霊夢には能力的にも立場的にも博麗代表の資格がないが、取り決めの際の署名には霊夢の名前が使われる。スペルカードルールも霊夢の名前で署名されているが、この件に関して博麗霊夢はノータッチであり、このルールは三賢者会議で制定されたものである。
 この会議は基本的に紫以外からの申し出によって召集されるものだが、法的な拘束力がないので紫はこの会議の発動に対して必ずしも参加する必要はない。しかし、周辺各位との良好な関係維持の為にも紫はこの会議の招集に際しては積極的に応じており、これまで一度も欠席したことがない。
 そして今回の三賢者会議に際して、初めて西行寺幽々子からの召集要請があったのである。今まで会議自体に無関心だった幽々子の突然の召集に紫としても色々と考えるところが多い。


「今回の件はそれなりに危険ですからね。」
「それに恐らく藤原妹紅に興味を示したのでしょう。」
 幻想郷崩壊の危険性も含む今回の不死鳥自爆転生異変と、その爆心となる藤原妹紅の存在は西行寺幽々子の興味を大きく惹いたのは間違いない。
 生きとし生ける者全ての天敵ともいえる西行寺幽々子が唯一天敵とする蓬莱人の一人、藤原妹紅。以前から興味を示していたが、気軽に会って話す様なコネが無く、しかも不死人狩りに参加し妹紅を討伐した手前もある。会って話すにもそれなりの場所で改まってやるべきだろうと考えているのだろう。恐らく今回の異変の兆しを受けて会う機会が出来そうなので召集したのだろうと紫はみている。
「案の定、藤原妹紅の会議の参加を希望してきたわ。」
「ま、異変の元凶ですから会議の出席を求められるのは当然といえば当然ですが・・・単純に会いたいだけなのか、何か魂胆があるのか・・・幽々子様はかなりのタヌキですからね・・・。」
「キツネのあなたにそう言わせるのだから幽々子のタヌキっぷりは筋金入りなのでしょうね。」
 クスクス笑いながらキツネとタヌキの化かし合いを揶揄する紫であるが、その本人が親友でもある幽々子の優れた能力とそのタヌキっぷりを一番良く知っている。
「おかしな因縁が増えなければいいのですが・・・。」
 からかう紫に苦笑で応じながらこの出会いが異変にどう影響を与えるのか心配する藍。
「そうね・・・。」
 完全に運命をこじらせている今の状況で、相関関係をはっきりさせておきたいという思いがある。そして敵か味方かの選別も重要であるが、現状をそのままにしてこれ以上状況を流動的にさせたくないという思いが強い。
 第三者の目線から大局でものを見れば、紫の異変は非常に危険なものである。幻想郷を大事に思う者がいるならばこの異変はやめたほうが良いと判断するのが自然かもしれない。
 異変の根源ともいえる妹紅を行動不能にすれば異変は起こらず丸くおさまるといわけであり、幽々子がそう思って行動しているという可能性も否定出来ない。また、幽々子が個人的欲望の為に利用するという事も有り得なくもない。
 西行寺幽々子は、八雲紫の親友であるとともに抑え役でもある。幽々子の普段のタヌキっぷりが召集の意図を不透明にさせており、流石の紫もその真意を図りかねていた。
「出来れば幽々子と妹紅は会わせたくはないわね・・・。」
 閉じた扇子の先を顎にあてながら本音を藍に告げる紫。妹紅に会わせないようにするのは簡単である。この会議の開催自体を妹紅に知らせなければよい。しかし、それでは幽々子に恨まれる。では、妹紅に自発的に欠席すように申し出て無断欠席をしてもらうか?しかし、それでは今度は妹紅が恨まれてしまう。
「召集に関してはもう既に受けているんでしょう?」
「ええ、もちろん。」
「・・・この件に関しては私に名案がありますよ。」
 策士である藍に一つ名案が浮かんだ。
「あらそう?それじゃ妹紅の件に関しては藍に任せようかしら・・・あ、でも、くれぐれも・・・」
「分かってます。我々にも、そして妹紅にも責の出ない方法で処理します。」
 紫の心情を察した藍は、全て心得ている旨を伝え、それを受けた紫は安心した表情で頷いた。
「藍、この機会に一度妹紅とゆっくり話をしてみてはどう?」
「会議の要件を伝える時にでも、そうしてみようかと・・・それより、紫様?」
「なぁに?」
「どこかお出掛けですか?」
 先程から気になっていたが、身体のラインがよく見える外出用の服装を見てその理由を尋ねる藍。普段は藍とデザインがお揃いで色違いの昔から替わらぬ服装だが、今は完全に外界の現代的服装である。
「ええ、これから地霊殿に行って来るわ。」
 地霊殿とは各地に分散した地獄の再編成によって廃棄処分となったいくつかの旧地獄の中の一つ、灼熱地獄の入口の上に蓋の様に存在する宮殿の事で、現在古明地さとりがその主となっている。
 旧地獄は、妖怪の山に住み着いた神様の謀に巻き込まれ図らずも幻想郷と繋がってしまい、さとりは旧地獄異変の元凶としてその名が最近幻想郷に知れ渡るようになった。もちろん元凶というのは噂で真実ではない。
「地霊殿?さとりに何か用事でも?」
「さとり自身に用事があるわけじゃないけど、別件に関して聞きたい事があってね。」
「聞きたいこと?」 
「旧地獄の妖怪のいくつかがこちらにも移住してきたけれど、その中で集団で組織的に動いている連中がいるでしょ?」
「ああ、あの連中ですか・・・でも、私も会って話をしましたが、いずれも平和主義で無害かと・・・。」
 藍の返答を受けて紫は扇子を開き口元を隠し目を細くして藍を睨む。
「あなた、似たような事を妹紅の時に言わなかったかしら?」
「あ・・・。」
 紫のスキマ爆弾の処分に不死鳥の転生を利用するという提案をしたのは藍であり、その中心となる藤原妹紅を利用し手懐けて意のままに操ろうと画策したのも藍である。その時、紫の不安に対して問題ないと自身満々で返答しているのだ。
 しかし、蓋を開ければご覧の有様であり、その予想外の結果は紫側にも妹紅側にも良い方向に向いてくれたものの、それを予見できなかった事は藍の失態である。
「当時の状況では藍の見立てで恐らく間違いなったわ。でも何が隠れているか何が起こるかわからない。今回の件でそれを学んだわ。だから本人達に直接接触するのではなく、それを知る者から隠された情報を得るのが良いと思うのよ。」
「・・・返す言葉もありません。」
「ま、あの時、承認したのは私だし、あなた一人に責があるものではないわ。今回の件はお互いに良い勉強になった・・・と、言うことにしておきましょう。」
 頭が上がらない藍に優しい笑顔を向ける紫。
「・・・はい。」
 感情の変化が尻尾の形状に現れるのは妖獣型の妖怪特有のものであり、紫の苦言に立派な九尾がしぼんでしまう藍。感情を制御し尻尾にそれが現れない様に出来る藍ではあるが、主人の前では自分を偽る事は出来ないのだ。
 その藍の様子にクスリと笑みをこぼした紫は、三賢者会議に関する妹紅の参加の件を藍に一任してスキマに消える。
 自分以外誰もいなくなった社務所の縁側から部屋を見渡し、紫の言葉をもう一度胸に刻む藍。
 しばしの反省の後、一つ息を吐いて気を取り直した藍は、部屋中央にある座卓の前に正座する。
 その藍を取り囲む様に紫のスキマが開いた状態で整然と並んでおり、いつでもそのスキマを使って幻想郷中を行き来出来るようになっている。
 座卓の上には硯と筆、万年筆やインク壷など何種類かの筆記用具が備わっており、座卓の左右にある引出棚には様々な種類の紙や小道具その他おやつなどが収納されている。座卓の横、座っている座布団の周囲にも巻物や本などが整然と積み並んでおり、ここは正に書斎、仕事場といった様相である。
 座卓に向かう藍は筆をとって時間を掛けて一筆認めた後、数回折って厚地の和紙で掛紙し封をして立ち上がる。そして、並ぶスキマを見渡しながら大きな声で叫ぶ。
「ちぇぇぇぇぇーーーん!!!」
 普段の藍からは想像出来ないやさしい声が社務所になり響く。
「藍さまーお呼びですかー?」
 2秒もしないうちに、スキマの一つから声が返ってくる。その声の主が「ちぇん」と呼ばれている者だろう。
 声を聞いた藍は返事の返ってきたスキマに尻尾の一つの伸ばし入れ、何かが掴まった感触を得ると同時に尻尾も元に戻す。
 尻尾に掴まってスキマから現れたのは小さな少女の姿をした妖獣であった。橙と呼ばれるこの妖獣は、種族としては猫又と呼ばれる所謂化け猫である。
 本来猫又は年老いた猫が化けるものであるが、橙は見た目通りまだ子猫で、恐らく猫又になった経緯は他の猫達とは違う理由からだろう。
 藍の式神でもある橙は、能力的に見て九尾の僕としては力不足も甚だしいが、藍はこの子猫を使役する道具として扱っているわけではない。それは橙を呼ぶ時のやさしい声にも分かるように、今は愛玩用のペットとして扱い、今後の成長を期待して教育しているのだ。
 黒に近い焦げ茶色のボーイッシュな短い髪の毛の上に、ただ乗せただけのような緑色の帽子。その帽子をはさむように上にとんがった猫耳。子供っぽい赤い服のお尻から二つにわかれた尻尾。耳と尻尾の存在で猫又と認識出来るが、それがなければ里にいる8歳前後の子供にしか見えない姿である。
「今日は何ですか?藍様。」
 藍に頭を撫でられ上機嫌の橙は、呼ばれる時は決まって何か用事がある時なので、その事を質問する。
「この手紙を藤原妹紅という人間に渡して来てほしい。それで、藤原妹紅の外見はと・・・。」
 藍は橙が妹紅の事を知らないと踏んでその特徴を紙に描いて説明しようとしたが、そこで橙から意外な返答があった。
「知ってますよ?妹紅さんでしょ?」
「おや?知っていたのか・・・で、どこで知り合ったんだい?」
 橙と妹紅との間に何か関係があった事に、意外な組み合わせだと思うと同時に自分だけの橙に妹紅が手を出していると勘違いし妬みに近い感情が僅かに芽生える親バカな藍。
「竹林で迷った時に外に連れ出してくれたんですよぉ~。」
 人間でいうところの8歳前後の身の丈だが、しゃべり方や声はもっと幼い橙。
 妹紅と特に深い関係があるわけではないことが理解できるその橙の返答に安心すると同時に、橙の力ではあの竹林を自力で出ることが出来ない事を知り落胆もする。
 竹林はその目印の少なさから普通に迷いやすい所でもあるが、永遠亭に住む月の兎レイセンの能力によってその影響下にある者は方向感覚や判断力を失って迷ってしまうのである。
 強い力を持つ者であればこの影響を受けないのだが、弱い妖怪だと判断力が鈍らされる事によって空に飛んで抜け出すという簡単なアイデアすら出せなくなるのだ。
 レイセンは定期的にこれを行うことによって『迷いの竹林』という名前の影響力を維持させ、弱い人間や妖怪が軽い気持ちで竹林に入らないようにして、永遠亭を気軽に立ち寄れない遠い存在にさせているのである。
 橙の力がまだ月の兎に及んでいない事に落胆しつつも、そんな橙が可愛くてしかたがない藍だった。


 
 魔法の森にある霧雨魔法店。
 魅魔という協力者を得た妹紅は、何食わぬ顔で魔理沙と目覚めを共にした。
「おはよう、魔理沙。」
「ふわあああああぁぁぁー。おはよう妹紅。」
「ぐっすり眠れた?」
「ああ、寝過ぎて疲れたぜ!」
 意味不明の返答だが、夜中仮死状態だったので疲れが十分取れていないのかもしれない。
 妹紅と魔理沙はそのまま昨晩の夕食の残りを朝食にして一緒に取り、その中で妹紅は魔理沙の研究や実験に便利な道具も持っている事を告げそれを貸す約束をする。
 魔理沙と魅魔を救う為には魔理沙を黄泉返りさせる必要がある。その為に必要なのが魔理沙との関係強化によって身内ともいえる存在になることである。幸いな事に魔理沙は妹紅に対して一方からぬ感情をもっていたので、あの世の手前で出会える可能性が大きく、あともう一押しといったところである。
 恩を売るのが最も効果的だが、その秘策が妹紅にはあった。属性の有無、量を視覚的に認識できる能力を持った者の目玉をくり抜いて作った属性眼鏡だ。魔法茸のわかりずらい特殊な属性を見極めることができれば、魔理沙の実験は猛烈にはかどるだろう。
 今妹紅は魔理沙に恩を売り仲良くなる事を作為的に行っているが、決して作戦を成功させる為だけにやっているのではない。妹紅は魔理沙という人間を気に入っており、魅魔も含め助けてやりたいと真に思っている。
「魔理沙、今日は家にいるの?」
「ああ、妹紅のお陰で実験がはかどりそうだからな。」
 妹紅が貸してくれるという道具に興味津々の魔理沙。
「じゃー、待ってて、すぐ戻るから。」
「楽しみだぜ!」
「きっと驚くわよ。」
 この驚くという言葉の意味は、その道具の持つ効果だけではないことを魔理沙は後で知る事になる。


 風見幽香は藤原邸にいた。
 昨日香霖堂で妹紅との別れ際に交わした約束どおり、首の負傷が癒えた事を隠し静かに療養しているふりをしていた。
 何もせずじっとしていることは幽香にとって苦痛ではない。長く生きている妖怪はいずれも腰が重くなって活発ではなくなるが、それとは別に、植物など自然を操れる能力を持つ幽香は、自然と同調し何日でも何ヵ月でも動かずにいることが出来る。これは他の妖怪には出来ない特技でもある。
 幽香をあまり知らない者は、最強などというその肩書きから喧嘩っ早く短気でじっとしているのが苦手な妖怪に思われがちだが、幽香を知る者から見れば、季節ごとに移動するものの長期間同じ場所に定住し、出掛けるとすれば人間の里くらいで、風見幽香ほど足取りが掴みやすい妖怪はいないのだ。
 幽香がケガをしてからまだ数日しか経っていない。幽香の異変が周囲に知れ渡るには少なく見積もっても一月くらいは余裕があるはずである。
 もう少しここでゆっくりしていても問題はないだろうと思う幽香であったが、そこに意外な来訪者が現れた。
「こんにちはー。」
「あら、橙?」
「あ、幽香様こんにちは・・・あれ?家間違えたかな?」
 藤原妹紅に藍の手紙を渡すために藤原邸を尋ねてきた手書きの地図を持った橙は意外な顔見知りと遭遇して戸惑いの表情を見せキョロキョロする。
「誰に会いにきたの?妹紅?」
「はい、藤原妹紅さんに・・・。」
「なら、家はここで間違いないわ。そのうち来るでしょうから、上がって待っていなさい。」
「はーい。」
 靴を脱いでぴょんと縁側に飛び乗った橙は、そのまま幽香の隣にちょこんと座って幽香を見上げにっこりと笑う。
 首が曲がらないふりをする幽香は横目でそれを受けて微笑みを返す。橙は幽香のケガの事は知らない様子である。
 幽香は結界の管理で忙しい藍から子猫の橙について色々と便宜を図ってほしいと頼まれており、その親バカぶりは呆れるほどである。しかし、この笑顔を見ると自分もこんなペットなら欲しいとも思ってしまう。
 橙の首に藍色の小さな風呂敷がまかれており、重量感のないその様子から中には非常に軽い物が入っているようである。妹紅に会いに来たということから察し手紙でも入っているのだろうと考える幽香。
「妹紅に何か用事なの?」
「はい、藍様からお手紙を渡す様に頼まれました。」
 隠す様子もなく正直に話す橙。そもそも何か高度な駆け引きを要する場面に橙を使うとは思えないし、本当にただのお使いなのだろうと幽香は自分なりに納得し普段通りに接する事にした。
 ちょうどそこへ家の主である妹紅が帰宅する。
 中庭に背中を向けて降りてきた様子から北の方から飛んで来たのだろう。恐らく魔理沙の家からだろうと幽香は判断した。
「おはよう妹紅、かわいいお客さんよ。」
「ん?」
「おはようございます!」
 幽香の声に振り向いた妹紅は橙の挨拶を受けて、特に意味があってそうしたわけではないがつまらなそうにしていたその表情を崩して挨拶を返す。そしてすぐに橙が藍の式神である事を思い出して表情はそのままで警戒する。
 予想以上に早い紫側との接触に、魔理沙との約束や魅魔とのやりとりを思い出し、今後のスケジュールを模索する。
「これ、藍様から預かってきました。読んで下さい。」
 そう言って立ち上がり靴を履いて外に出て来た橙が、首に巻くように背負っていた風呂敷を開けて手紙を取り出し妹紅に渡す。
 受け取った妹紅は自分の名前が書かれた自分宛ての手紙を一瞥し、後で読もうと手紙をしまうためにそのまま座敷に上がろうとしたが、それを橙が慌てて制した。
「あの、返事を聞かせて下さい。」
「え?今?」
 魔理沙の用事を済ませる為に竹林の隠れ家へ向かうついでに幽香に挨拶をしようと家に寄っただけなので、今手紙に目を通すつもりがなかった。そのため橙の申し出は意表を突いたものになった。
 橙、いやこの場合藍だろう。何故今なのかその真意が分からず思わず幽香を見てしまう妹紅。
「そうしてあげたら?」
 警戒する妹紅に無警戒の幽香はやんわりと言う。その態度からこの状況を深刻に考える必要はないと判断する妹紅。
「わかったわ・・・すぐ読むわ。ちょっと待ってね。」
 妹紅は手早く済ませようと座敷には上がらず中庭で手紙を開く。
 手紙には昨日の神社で起こった事についてとその顛末、お詫び等が丁寧にしかも美しい文字で書かれており、公的な書簡であると認識して妹紅も真剣な表情でそれを読む。
 しかし肝心の要件に関しては、直接会って話をしたい旨と指定する待ち合わせの場所と時間で都合が良いかどうかを橙に口頭で知らせてほしいというだけの簡単なものだった。
 妹紅の腑に落ちない表情を見て幽香は手を出して手紙を渡す様要求する。
「いいの?」
 妹紅は幽香に手紙を見せていいかを橙に問うが、橙は困った表情をする。こういう場合にどうすればいいか藍から教えられていないからだ。
「妹紅がもらった手紙なんだから妹紅がいいようにしたらいいのよ。」
 人間的には礼に反するが妖怪的には正論だったので妹紅は幽香のいる縁側に歩み寄って腰を下ろすのと身体をねじのを同時に行って幽香に手紙を手渡す。
 手紙を受け取った幽香が一通り目を通した事を確認して口を開く妹紅。
「場所は屋台、時間は夜・・・何これ?」
 あまりにも曖昧な場所と時間指定だった。
「ミスティアの屋台でしょ?時間は夜っていったら夜でしょ?」
「時刻は?」
「妖怪に時間なんて関係ないわよ。向こうがこう指定してきたんなら、暗くなったらそこにいけばいいだけよ。人間じゃあるまいし、約束はすっぽかさないでしょ?」
 妖怪との正確な時間指定など無意味な事は知っていたが、実際その場面に遭遇すると面食らう妹紅。やはり自分は人間なのだとつくづく思う。
「じゃーミスティアの屋台って?」
 時間はいいとして次は屋台の事である。
「神社にいく途中になんか車のついた小屋みたいのあるでしょ?」
「ああ、あれか。」
 妹紅が博麗神社に向かって里の門から真っ直ぐ東に飛んで、太陽の畑に向かう南の向かう三叉路のところにそんなようなものがあったことを思い出す。
「妖怪が屋台なんてやってるの?」
「最近始めたみたいよ。屋台を拾ったついでに見よう見まねではじめたみたい。」
「ふーん、妖怪も暇なんだな・・・。で、今晩その屋台に来いって事?」
「でしょうね。」
「・・・。」
 妹紅は思案する。
 今晩また魅魔と話をする予定を組んでいるので、夜遅くまで藍と話をする事は出来ない。
 では、用事があるからと断るとどうなるだろうか?余計な詮索をさせてしまい、探りを入れられ魅魔の件がばれるかもしれない。
 ここは大人しく向こうの要求に応えるのが良いだろうが、その場合時間をどう設定すればよいのだろうか。
「夜っていったらいつから夜になるわけ?妖怪にとっては。」
「私の感覚でいうなら気温が下がって植物の活動が落ち着いてからかしらね。私は夜目が他の妖怪ほど利かないから人間と同じように暗くなれば夜って認識でもいいけど、普通の妖怪からしてみたら夜が人間でいうところの昼だから。」
「ややこしいわね。」
「この場合、藍が招待するわけだから、妹紅が屋台に来るタイミングをみて藍も来るんじゃない?」
 幽香の言葉は確かに正論なのだが、そこまで相手を信用することは出来ない妹紅。
「それと屋台は夜遅くなれば他の妖怪もやってくる可能性があるわ。静かに話がしたいなら日没後がいいんじゃないの?」
 日没後なら、夜遅くまで話し込むことはないだろうし、数時間過ごしても夜中まで余裕で切り上げる事ができるだろう。しかし、重要な話を不特定多数の存在が利用する屋台でするのもどうかと思うが、考えてみれば妖術使いとして活動していた時は諜報活動の伝達はいつも人の賑わっている場所でやったものである。案外正解なのかもしれない。
「わかった。その頃に行く。と、いうわけだから橙。」
 途中まで幽香に答え、最後は橙に振り向いて優しい口調で答える妹紅。幽香と妹紅の話があまり理解出来ずキョトンとしていた橙は、妹紅に振り向かれてはっとなって返答する。
「はい!えーと、手紙の内容で大丈夫・・・と、いうことですね?」
「うん。」
「わかりましたー!ありがとうございました!」
 ご主人様に頼まれた仕事をしっかりこなせた事を対する喜びと感謝の意を小さな身体全体で表現した橙はそのままどこかに飛び去っていった。
 橙を見送った妹紅は幽香に振り向き肩をすくめて苦笑する。
「屋台か・・・私も行きたいわね。」
「私は別にかまわないけど?」
 拒否されることを前提で言ってみた幽香に予想外の返答が来る。
「やっぱやめとくわ。話がややこしくなりそう。」
 酔って墓穴を掘りそうなので妹紅の申し出を断る幽香。
「幽香、今日の夜は暇?」
 緩んだ会話の中で急に妹紅の表情が締まり、それを見て幽香も真顔になる。
「ご覧の通り療養中よ。」
 全快の幽香だか暇だという意思表示をこのような言い方で表現する。
「なら、ちょっと顔貸して。」
「・・・いいけど。今晩は埋まってるんでしょ?」
「藍と長話する気はないわ。」
「そう・・・ここにいればいいのね?」
「ええ。」
 妹紅はそう返事をすると慌ただしく飛び去っていった。
 幽香はどこへ行くかも告げづ飛び去った妹紅に悪態をつく様子もなく無言で見送る。昨日のマルキと香霖堂での件に関係する話だろうと容易に想像でき、その事で頭が一杯で妹紅の行動に気を回す余裕がなかった。
 魔理沙の件に対するシグナルを妹紅は確実に受信しているはずである。その答えが今晩得られるのだろうか。
 この時の幽香はこの後に起こる魅魔との再会を全く予見する事は出来なかった。幽香は、魅魔が魔理沙の蘇生を成功させた事は知っていたが、その後、魔理沙の中で生きつづけている事を知らないのである。




 地霊殿の外観は純和風の木造建築ではなく、何時の時代か定かではないが恐らく大陸からの影響を受けたと思われる、石積の砦の様な土台に太い柱と大きな瓦屋根で構成された巨大な建造物である。
 灼熱地獄として栄えていた時代は地霊殿周辺に巨大な鬼が闊歩し、その近辺は鬼達の住む家々が建ち並ぶ大都市を形勢し今は旧都と呼ばれている繁華街は大変賑わっていた。
 灼熱地獄は最も罪の重い者達が堕ちる場所とされており、その為、そこを守る鬼達も地獄で最も屈強とされた猛者ばかりであった。地霊殿本殿の裁きの間はそうした鬼達が警備をするため非常に広いスペースが確保されている。
 しかし、絢爛豪華な地霊殿も今は昔。内装などは全て新地獄に移動している為、かつての栄華はどこにもなく、地下から無限に湧き出す地獄の業火の輝きが、建物の隙間を抜けて僅かに部屋を暗いオレンジ色に灯す。
 その何もないただ広いだけの地霊殿の暗く静かな空間の中で一人佇む少女、古明地さとり。
 彼女の本質は決して邪悪なものではなく、堕とされてここにいるわけではなく自ら望んでここにいるのだ。
 何人かいる閻魔用の椅子のうち小柄な人間サイズの椅子だけが持ち出されず地霊殿に放置されており、さとりはそれを自分の椅子として愛用している。
 人間が腰を下ろして丁度良い座り心地でありながら背もたれだけが異様に高く天井まで聳えている。灼熱地獄では凶悪狡猾な罪人を取り扱う関係で閻魔も一人というわけではなく様々な罪に対応出来るよう複数名常駐しており、それぞれ背丈が大きく違うのだが、何れも同格であることを示すために椅子は全て同じ高さにしなければならなかった。その為こんなおかしな椅子が作られたわけである。
 新地獄として施設を一箇所に集中し合理化を図る上で、このような無駄に材料を使う椅子は必要なかった、というよりあってはならなかった。その結果無駄の象徴ともいえるこの椅子だけが地霊殿に残されたのである。


 外見は12歳前後の少女の姿。服装その他全てにおいてかつてのさとりらしさがない可愛らしい姿をしていた。
 仏教の隆盛によってかつては共存していた人間と妖怪の関係は崩れ去り、妖怪は人間界から追放されていく。
 妖怪のうち霊格の高い者の多くは八雲紫らの提唱する幻想郷事業に参加していたが、人間の周囲にいて彼らに害を為す迷惑な存在を生業とするような邪悪な低級妖怪は、住みづらい世相になっても人間から離れる事が出来ず行き場を失い法の力に晒されるようになってゆく。
 さとりという妖怪は、それら法によって裁かれるような邪悪な存在ではなかったが、その心を読む能力のおかげで、他の妖怪や人間からひどく嫌われた存在であった。
 仏法界(仏教界)では、妖怪を封印する場所を旧灼熱地獄の広大な旧地下都市に定め、その上で灼熱地獄を悪用されない為に地霊殿に強力な管理者が必要となった。強大な力は持ってはいないものの、特殊で忌み嫌われた能力を持つさとりが選任され、さとり自身もまた平穏を求めていたのでこれに同意し、他の妖怪と共に地獄堕ちして地霊殿の主となったのである。


 両目を閉ざし静かに佇む少女の左胸に見開いたままの大きな瞳がある。これが他者の心を読む第三の目である。自身の二つの目を閉じていても、この第三の目は閉じることなく常に見開かれた状態でさとりと繋がってはいるものの、それを自由にすることが出来ず第三の目はそれが独立した器官の様に勝手に動いている。
「!」
 そんなさとりの耳に聞き慣れた鈴の音が近づいてくる。
「お燐?」
 真っ直ぐ自分に近づいてくる鈴の音が膝の上に飛び乗って来る。全身をさとりにこすりつけて甘えるお燐と呼ばれる猫の姿をした妖獣にそっと手を添えて優しくその頭を撫でる。
「どうしたの?勝手に戻ってきてはだめしょう?」
 火焔猫燐、通称お燐と呼ばれる化け猫は、以前起こった旧地獄異変の終結の際、地霊殿の主である古明地さとりが幻想郷側に害意がないことを示すための意志表示の一つとして博麗神社に出向させている大切なペットである。
 お燐は定期的に神社と地霊殿を往来をしているのだが、今は戻る時期ではない。お燐の脱走行為は幻想郷との関係をこじらせる要因になるため、この事をお燐に厳しく問い質そうとするさとりだったが、お燐以外の別の存在の来訪を第三の目が知らせ周囲を警戒する。
「こんにちは、さとり。私が連れてきたのだからお燐は責めないであげて。」
「あら、あなたは・・・八雲紫。」
 じとっとした半開きの目で値踏みするように突然現れた妖怪を見るさとり。お燐を連れてきてこちらのご機嫌を伺おうとしているのか。普通ならその答えを第三の目が教えるのだが、この八雲紫という妖怪は思考に境界を作っているらしく、こちらの能力が全く通用しない。
 無意識に他者の思考を見て不快になってしまうこの能力を忌み嫌いつつも、それが通用しないことに怒りを覚え、その矛盾した考えが自分自身を幻滅させる。
「少し、お話してもいいかしら?」
 扇子で口元を隠し笑みを浮かべながら面白そうに伺う紫。
 能力が通じない相手に対しては思考を読んで気が滅入る必要もないので本来なら歓迎すべきところであるのだが、やはり釈然としないものがある。そもそも、対等に誰かと話をする事などほとんどないので、会話そのものがさとりにとって大きなストレスであり、特に紫のような口先の上手い策士タイプは苦手である。
 思考を読み、有利に会話を進める事が出来るさとりの唯一の天敵が八雲紫なのだが、その一方で普通の会話が出来る唯一の相手でもあるのだ。
「ここにはこの椅子以外に何もないし、おもてなしも出来ないけれど、それでよければ・・・。」
「堅苦しい取り決めの話とかではないの。ただちょっと聞きたいことがあってね。」
「私が知っている事で、教えても良い事なら何でも話すわ。」
 逆に言えば何も教えないともとれる言葉である。
「ここ旧地獄から幻想郷に移住した妖怪達が何人かいるけど、その中で組織的に動いている連中がいるわよね?」
 紫の目が妖しく光る。
「ああ、あれは聖派の連中ね。」
「聖?聖白蓮のこと?」
 紫が少し驚いたように聖白蓮という名前を口にした。
「ええ、そうよ。あの連中が何かしたのかしら?幻想郷に出た連中が何かしたら、そっちのルールで処分しても良いという取り決めでしょ?」
「別に何もしていないわ。実に大人しい連中だけど・・・。」
「だけど?」
「何かを企んでいる可能性はあるかもしれない・・・。」
「確かに連中は聖白蓮の復活を画策しているでしょうけど、それは絶対無理な話よ。」
 さとりは言わなくてもよい事をつい口にしてしまう。
「ふーん、そのあたり詳しく教えてもらえないかしら?」
 紫の目が細く妖しく光りやや口調が変わる。
 さとりは少し喋りすぎたと思ったが、聖派の連中とは特に交流があったわけでもなく、知っている事について紫に話しても自分が何か損をするというわけでもなかった。得にもならない事で下手な駆け引きをして、欲張って条件でも出そうものなら墓穴を掘ってこちらが余計な譲渡をする羽目になる可能性がある。正直、心を読めない紫に対して口論で勝てるとは思えない。ここはむしろ求めに対し素直に応じる方が心証も良くなり、こちらが今後何かを望む時に交渉を有利に運べるかもしれない。
「あなたは聖白蓮に関してどのくらい知っているのかしら?」
 話をするにも相手側の知識を知っておかなければ無駄な時間を過ごすだけである。
「全てを救おうとして、全てに裏切られた、愚かで哀れな魔法使い・・・と言ったところかしら?」
「そうね・・・結果として多くの人間、妖怪から敵視されてしまったわね。でもあなた達幻想郷派からしてみれば彼女のやったアレはかなり良かった事じゃない?」
「アレ?」
「聖白蓮が寅丸星を毘沙門天に推挙したことよ。」
「確かにしょうちゃんが人間についたことで、妖怪から富が消え自立できなくなった。その結果、賢い連中は人間の世界と関係していくことを諦め、その多くが幻想郷事業に参加することになったわ。」
 寅丸星という妖怪は富集めるという絶大な力を持ち、非常に人気のある妖怪で、妖怪達の中でその名を知らない者はいない。紫は彼女を「しょうちゃん」と呼んで親しんでおり当然面識もあった。
「白蓮は全体をバランス良く計画的に事業を進める能力に乏しく、その時々の感情で思いつきのように肩入れする傾向が強かった。それは片方には良くても片方には不利益になるというようなものばかり。寅丸星は確かに真面目で毘沙門天の富の面を担うに相応しい性格だった。でも、白蓮はその当人の性格面ばかりしか見ておらず、彼女の能力がもたらす影響に思い至らなかったのね。」
「しょうちゃんが毘沙門天になったことで、人間に富が集中し妖怪は疲弊した。私達には良かったことだけど、妖怪全体からみればとても受け入れられないことよね。」
「人間有利の世界に自分でし向けておいて、妖怪が不利になれば今度はそっちに肩入れをする。そんなことばかりするから、どちらからも最後には嫌われてしまう。」
 聖白蓮が人間として生きていた平安時代中期は、怨霊、物の怪、妖の共存する世界だった。法の下でそれらを裁き赦していた白蓮は、改心したそれらの物の怪達の絶大な支持を受け、彼らと交わるうちに次第に彼ら妖怪側に感情移入し肩入れを始める。
 しかし、高僧を弟に持つ白蓮は法界に縛られ人間界からも離脱出来ないでいた。そんな時、自分を法界に縛っていた弟の死によって法界に対する義理が消え、この機に弟の残した力を利用して人間と妖怪といった区別のない存在、魔法使いへと転身する。
 力を得た白蓮は、彼女の力の源となる法の力で人間と妖怪双方に肩入れをするが、目指した世界があまりにも理想主義的で現実性に乏しく、その時々の場当たり的な対処で救済を行っていたため、それによって益を得る者とそうでない者とに二極化していく。
 元々は富の神様であった毘沙門天であるが、日本に伝わった当時、信仰した者が軍事面で成功を収めた事で軍事の神様としても扱われるようになり、更にその信仰が大きくなり過ぎ、本来の富の神様としての業務に支障が出始め、その解決に白蓮が妖怪の寅丸星を推薦した。
 頼み事を断れないお人好しな星は、その求めに応じて毘沙門天の経済面の業務を請け負うが、これが妖怪側に致命傷を与える結果となった。
 富が人間に独占され、地方の貧しい人間達が財を持ち軍閥化し始めると武士団が形勢されてゆき、それらが権威を求め始めると、貴族達は名声を売る替わりに武士達にお寺を建てるための資金を提供させはじめる。
 平安中期から後期、西暦1000年前後は時代の節目にやってくると言われる仏法の衰退期による末法思想が蔓延していた。そこで仏教の力を維持しようとお寺の建立が盛んにおこなわれた。これによって法界は力を付けて独立国家に近い軍事力を持ち始め、朝廷や武士団に対しても大きな脅威になってゆく。そんな人間達、特に仏教界の隆盛に妖怪達は為す術もなく後退し、幻想郷派はちょうど月面戦争とその戦後処理をしていたため、それ以外の妖怪は白蓮しか頼れる者がおらず、彼女に保護を求めるようになる。
 人間に肩入れする必要性がなくなったこの時代、白蓮は妖怪に積極的に味方し妖怪も白蓮の保護を求め参集した。しかし、法界はこれを利用し毘沙門天の力によって白蓮もろとも妖怪を地下に封印してしまう。


「白蓮に救われた者達の派閥と白蓮に保護を求めて封印された妖怪の派閥は仲が悪くてね。旧都の真ん中で星熊勇儀が睨みを利かせてくれたおかげで大きないざこざも起きなくてよかったのだけれど・・・。」
「けれど?」
「星熊勇儀も外に出たがっていたし、彼女が居なくなれば当然揉め事が起きるわ。」
「だから、問題の元凶を放逐したわけね。」
 旧都にはさまざまな派閥があり、聖派もその一つで、彼らを嫌う者もいれば仲が良い者もいた。
「私に命令出来る権限はないわ。星熊が外に出るついでに彼らを連れていくからよろしくと言いに来たのをただ聞いていただけよ。実質旧都は彼女によって支配されていたようなものだし。」
 さとり自身、旧地獄では強大な存在として認識されているものの、リーダーとして頼られる存在として扱われることはなく、むしろさとりを嫌って誰も地霊殿に近づこうとしなかった。
「さっき、あなたは白蓮の復活は絶対不可能だといったけど・・・。」
「白蓮は地獄のもっと下にある別の階層に封印されて、入口はバラバラにされて、入口を開けるカギは寅丸星が持っているの。」
「なるほど、その一味が何かするにしても、しょうちゃんに会わなければ何もすすまないということね。」
「彼らがいくら強くても、自力で外に出る事は不可能でしょ?」
 語尾に何か意味を含めて言うさとり。自力では無理でも、誰かが外に出してあげればよい。それが誰かは言うまでもない。
「・・・。」
 紫は少し思案にふける。白蓮という存在は自分とは正反対のような性格をしているのだろうと紫は考える。小物の考えなら、そういった存在は消えて欲しいと思うだろうが、紫としては幻想郷が楽しくなりそうだし、白蓮と一度話をしてみたいとも思うので彼女の復活は歓迎である。妹紅の件もそうだが、強力な人材は喉から手が出るほど欲しい。何故なら幻想郷を次の段階に昇華させる際、それに掛かり切りならなければならず、その際代理として幻想郷の治安を誰かに任せたいという想いがあるからだ。それは一人ではなく複数によるものが望ましい。そしてそれらは仲良しではなく、ある程度争って幻想郷を騒がせてもらいたいのである。
 この時の紫は、魅魔という存在は亡いものとして考えている。
 異変が一段落した後に、聖派と呼ばれる連中をけしかけてみるのも面白い。寅丸星が万が一人間側から離脱して幻想郷入りするならこれは非常に嬉しい事であり、発展し過ぎる外界の歯止めにもなる一石二鳥の事である。
 しかも、毘沙門天と諏訪には因縁もある。
「どうしたの?ニヤニヤして。」
 色々なアイデアが頭に浮かんで、それが思わず顔にでる紫。
「ふふふ、とても良いお話を聞いたわ。ありがとう。礼を言わせてもらうわ。」
「あらそう?それはよかったわね。」
 紫の反応は予想以上に良く、かなりの好感を得た様でさとりもその結果に満足だったが、敢えて素っ気なく他人事のように答える。
「それにしてもあなたはその辺の話し、とても詳しいのね。」
「ぶっちゃけて言うけど、白蓮を使って妖怪達をまとめて地獄堕ちさせる作戦をとった法界と私はグルだったのよ。」
 思考を読めるさとりの能力は白蓮などの勢力にまわられると法界としては厄介だったので、良い条件を提示しさとりを籠絡させていたのである。人間からも妖怪からも嫌われていたさとりとしては、妖怪らに義理は無く、静かな場所と忠実な召使いさえ居れば他に何もいらなかった。
「なるほど、それであなたが地霊殿の主になっているのね。」
 さとり自身の妖怪としての身体的能力は決して高いわけではなく単純な力比べではその辺の雑魚妖怪と同レベルである。しかし、さとりの能力は相手の弱点を見抜ける事で、それを利用して絶対的な優位に立つ事が出来る。どんなに強くても弱点さえあれば勝てるのである。
 ただ、さとりの力が通用しない紫にとってみれば、さとりは弱い妖怪にしか見えない。その弱い妖怪が旧地獄の主になっているのには理由があると前々から思っており、その謎が一つとけたというわけである。
「私にとって人間も妖怪も全て頭痛の種でしかないの。」
 他者と関わると脳に様々なノイズが入り込んで精神を圧迫する。妖怪のように素直なら弱点を言い当てて追い払う事は出来るが、嘘付きな人間はさとりの能力を逆手にとり、様々な嫌がらせをしてくる。
「ここは静かだし、ペットは皆こんな私でも慕ってくれる・・・。これ以上のものはないわ。」
 さとりはそう言いながら、膝の上で機嫌良く喉を鳴らしているお燐の頭を撫でる。
「それにしたって、姿格好まで変わる事なかったのに・・・。」
 さとりと紫は外界にいたころに面識がったが、霊夢と同行した地下調査中に出会った時の少女さとりを見て、それが旧知のさとりだとは気づかなかったのである。その後、幻想郷との繋がりを持たせるために紫とさとりは会談しているが、その時になって、あのさとりだと知ったのである。
「一応私も堕とされた事にしないとね・・・まぁでも、正直この格好はないわよね。」
 うんざりしたように自分自身の格好に呆れるさとり。
 地下に堕ちた妖怪達は、滅殺されるのを赦される代償として、他者に恐怖心を与える要素を取り除かれ、皆一様に可愛らしい女子どもの姿に変えられてしまっている。
 ミシャクジ様である守矢諏訪子もかつてヘビの姿だったが、戦いに敗れ許される際に信仰の象徴であるヘビの偶像を譲り渡すことで信仰を差し出し、ヘビを天敵とするカエルの姿になることで反逆の意志の無い事を示しているのである。
 この国では、殺した後の怨霊を恐れるあまり、殺さず共存する歴史を辿ってきた。地下に堕ちた妖怪達もそれに倣ったわけである。
 実は幻想郷自体もそうした仕組みがとられており、幻想郷入りした際、恐怖心を生む外見的特徴を持つ者はそれらを取り除かれるのだ。


 地霊殿を去った八雲紫はスキマの中で思案に耽っていた。
 旧地獄を出た謎の集団の正体が掴めた事と、それらが今回の件に関係なさそうだと判断出来、異変を進める上で不明点を消すことが出来た。そして意外な相関関係も浮かび上がり、これは後のお楽しみとして取っておくことにする。
 幻想郷には勢力と呼べる幾つかの集団がいる。運命をこじらせて先行きが不透明な状況で、積極的に彼らと接触するのは危険である。これ以上関係者が増えない様に、静かに事を進めるのが得策である。
 これが現状の紫の方針である。
「さて、次は天狗ね。」
 この異変に関しては比良山という大天狗からの要請に応えるという目的もある。
 西側にも影響を与えるような大きな事件を起こして、天狗の勢力に少しインパクトを与えて欲しいという要請があった。これは妖怪の山を支配する天狗勢も長い平和によって様々な歪みが生じており、ガス抜きが必要だからである。
 この異変をどう料理するかは天狗側に任せるとして、この大きな異変に際して何も知らない天狗側が緊急防衛行動を起こさないように、あくまで東側の勢力だけで事を収める事を事前に知らせておく根回しが必要だった。
「この異変を吸血鬼の反乱に仕立て上げれば、天狗側も黙ってはいないでしょうね。」
 邪悪な笑みを浮かべる八雲紫だった。
東方不死死 第24章 「魅魔の出廬」


 博麗の巫女の資格を持って生まれた者は、10歳になると神社に嫁ぐという形で神社入りする決まりになっており、当然霊夢もそれに倣って10歳の誕生日に神社に輿入れする事になった。
 当時既に幻想郷東端の本陣山に移設していた博麗神社は、神主や巫女の不在で人の往来が途絶えて久しく、上白沢慧音が残していた記録に倣って、その輿入れの準備が行われていた。
 霊夢の周囲が慌ただしくなるにつれ魔理沙もその異変に気付いて周囲の大人に問い質し、霊夢の輿入れの事実を知り、離ればなれになってしまう事を恐れ猛反対した。
 霊夢を神社に行かせないために画策した魔理沙の様々な妨害工作も空しく、時間だけが過ぎ輿入れの日が近づく。
 そこで魔理沙は別の方法で輿入れを阻止しようと考える。霊夢の輿入れは防げなくても霊夢が出戻ってくればよい。これが魔理沙の結論だった。
 今の霊夢からは想像出来ないが、当時とても臆病だった霊夢の性質を熟知している魔理沙は、「博麗神社をお化け屋敷にすれば霊夢は怖くて逃げ出して里に戻ってくる」だろうと考え、輿入れの前に先回りして神社入りし怪奇現象を起こして霊夢を脅かす事にしたのである。
 当時既にホウキに乗って空を自由に飛び回る事が出来た魔理沙は、道中危険にもかかわらず運良く博麗神社に辿り着き、当時そこで自主的に博麗神社を管理していた魅魔と運命的な出会いをしてしまう。
 当時の情勢としては、神主は博麗の信仰を外に求め既に外界に出て不在。巫女は数十年生まれておらず不在。八雲紫は博麗大結界で力を使い果たして外界の人間に転生しながら回復までの間幻想郷を離脱して不在。そんな状況で結界の管理は八雲藍が行い、魅魔が紫の代理を務め実質的な幻想郷トップとなっていた。
 当時の神社の最後の神主が自ら出奔したことを受けて、無人となった神社が荒れ果てない様、魅魔が入って保全しつつ幻想郷の治安維持に目を光らせていた。


 そこにひょっこりと小さな魔理沙が現れ、悪霊の住む神社をお化け屋敷に変えると意気込み、立ちはだかる魅魔を悪霊とも魔導師とも知らず追い払おうと自慢の小さな光弾で闘いを挑んでくるものだから、魅魔としては驚きと共に笑うしかなかったのである。
「魔理沙らしいというか・・・。」
 この話を聞いて妹紅も思わず吹き出してしまう。
「その時、追い払おうと使った魔法が全てを狂わせてしまった・・・。」
 空は飛べるものの殺傷力の低い小さな光弾や火球しか撃てなかった当時の魔理沙は、魅魔の放つ超極太レーザー砲に人生を変えるほどの大きな衝撃を受けた。
 霊夢を里に追い返すという当初の目的を忘れ、強力な魔法の虜になった魔理沙はひたすら魅魔に教えを請う。魅魔はその魔理沙の頼みを無視して追い払い、しかし諦めない魔理沙は毎日の様に危険な道中を突破して神社に転げ込む。
 ある日、妖怪に襲われたのか怪我をして神社の前に倒れていた魔理沙を発見した魅魔は、人間の弱い体に対して強過ぎる意志がその身を滅ぼしてしまうと判断し、怪我をしている魔理沙の保護の意味も込めて弟子入りを許可したのである。
「・・・魔法使いを志す子供に迂闊にもあんなものを見せてしまった・・・。」
 これが全ての始まりであり、魅魔の人生に於ける何度目かの転換期だった。そしてこのことは幻想郷にとって有益な事にはならず、博麗に仕えた魅魔の人生最大の汚点ともなった。


「魔理沙には私と同じ素質があった。」
「素質?」
「魔法を知らぬ者にはこの重要性が分からぬと思うが、魔理沙には苦手属性がなかったのだ。」
「苦手がないのは重要な事なわけね?」
 魔法には大きく分けて2つある。魔界の力を引き出す暗黒魔法と、万物の法則を理解し操る元素魔法とである。元素魔法は一般的に精霊魔法と呼ばれるが、世界を司る4大元素を中心にその元素を偶像化した精霊を記号として認識操作する魔法で、科学が発達していない大昔では現象の作用はそうした精霊の仕業と認識されていたのである。
 魅魔は暗黒魔法を使う魔導師で、暗黒魔法は精霊魔法の上位存在である。ちなみに、暗黒魔法の使い手を魔導師というのに対し、精霊魔法の使い手は魔術師、魔法使いと呼び差別化している。
 下位にある精霊魔法に苦手や得意属性で力にばらつきがあっては上位存在の暗黒魔法は使えない。
 現在の魔理沙には高度な暗黒魔法は使えないが、しっかりと学べば使う事が出来る素質を持っている。
 魔理沙自身は特殊な生まれ方をしており、肉体的には母親の身体をそのまま受け継ぎ、これを100とすれば、魔理沙は100プラス自身の素質分、父親の遺伝子が上乗せさた能力を有している事になる。魔理沙個人の能力はまだ未知数であるが、彼女は生まれた時から魔導師の資質を持っていたわけである。
「得意なものも苦手なものもないという事は、それについて意識しない事であり、それは純粋であるとも言える。魔法使いにとって原理に対する純粋性は非常に大事な資質なのだ。」
 魔法の力がすぐ目の前にあるにもかかわらず、ほとんどの人間が魔法と無縁なのは、社会の常識によって魔法など使えないという固定観念が植え付けられ原理に対する純粋性が失われたからといえる。
 不思議な力を使うもの達は、原理に対し常に純粋で人間の社会であれば宗教のような一般的ではない領域に分け隔てられる。神道も陰陽道も原理を疑わぬ者に対してのみ力の恩恵が得られるのである。
「妖怪や鬼は確かに純粋だったわね・・・。」
「人間は弱さ故に個ではなく集団の力に偏り、それ故に和を乱す存在を忌み嫌った。異物を取り除こうとする防衛意識が猜疑心を育て、それが純粋性から遠ざかった理由だろう。」
「苦手属性がない事であなたは魔理沙をどう育てようと思ったの?」
「私はまず魔理沙自身の身を守るための魔法が必要だと考えた。精霊魔法は暗黒魔法に比べても決して劣るものではないのだが、力の制御が難しく経験がモノをいうタイプの魔法だ。長年の修業によって強大な力を得られるが、若い魔法使いには小さな火の玉が関の山だ。妖怪が闊歩するこの幻想郷で火の玉など使えたとして威嚇にもならない。しかし、無属性魔法には派手で威嚇にも打って付けなものがあった。」
「あれね?確かマスタースパーク?」
「呼び名はどうであれ、あれは暗黒魔法の最も純粋で初歩的な魔法なのだ。」
「初歩?あれで?」
 あの凄まじい威力が初歩の魔法だとは思えない妹紅。
「マスタースパークは反発する逆属性同士をぶつけて生じる空間対消滅エネルギーによって魔界と物理世界の間に強制的に通路を開き、魔界のエネルギーを直接取り出して放出する魔法なのだ。無属性というのは属性が無いという事ではなく特定の属性に偏らないという意味なのだ。」
「なるほど・・・属性の好き嫌いで力にばらつきがあると強力な対消滅を起こせなくて魔界に門が開かないのね?」
 魅魔の説明を妹紅は瞬時に理解出来た。妖術においても属性や衝突エネルギーは普通に学ぶ事で、出来るか出来ないかはともかく魅魔の言う理屈はわかる。
「魔界は属性の力が強すぎて物質としての個体が安定しない世界だ。かつての神々の戦いにおいて破れた側が醜悪な悪魔となって貶められ堕とされた場所が魔界であり、元々は属性が不安定で形が一定しない隔離世界だったのだ。」
「その神々のなんたらっていう故事によって後で魔界と名付けられたのね。」
「うむ。それ故、その世界に縛られている悪魔と契約する事も可能で、暗黒魔法などといかがわしく呼ばれる様になったのもそうした理由からなのだ。マスタースパークを純粋な魔法と言ったのは、その世界の強い属性エネルギーを抽出しているだけで、魔界の生物とはまったく関係がないからなのだ。」
 バランスの良い属性の衝突によって生まれたエネルギーが魔界とこの世界を繋ぐ手段であり、原理魔法を完全に制した者だけが魔界への門を開けるのである。
「マスタースパークは混じりっけのない純粋なエネルギーなのね・・・。」
 妹紅の反応を見て魅魔の目尻が下がる。
「・・・妹紅殿は今の話を全く疑っている様子がないな・・・。」
「え?今までの話は嘘なの?」
 完全に本当の事と思って話を聞いていた妹紅なので、その言葉に驚いて魅魔を睨む。
「いや、嘘ではない。ただ、こんな突拍子もない話をして、最初から最後まで信じるなど風見幽香くらいだと思っていたからな。」
 なにやら思い出し笑いをする魅魔だが、妹紅をあざ笑っているのではなく感心しているのである。
「幽香?」
「風見幽香は知っているか?」
「魔理沙の事について何か隠している様子を見せていたのが幽香よ。」
「そうか、幽香の心証を得ていたか・・・なるほど・・・どおりで・・・。」
 幽香が間に入っている事を聞いて何故か納得の表情をする魅魔。妹紅はこの魅魔の言葉が理解出来なかったが、魅魔個人としては風見幽香の信用を得る事は八雲紫の信用より大きい事と過去の経験からそう認識しており、魅魔が妹紅を信用した自身の判断が正しいものとする根拠を得たと自己満足したのである。
 風見幽香が魅魔に対して特別な感情を持っていることを妹紅は気付いていたが、魅魔自身も紫らに対するものとは全く違う特別な感情と信頼を幽香に抱いているように思えた。
「妹紅殿の・・・。」
「妹紅でいいわ。」
「・・・妹紅のその純粋に物事を受け入れる感性は生まれ持った資質なのだろうな・・・。」
 妹紅は物心ついた頃から、蓬莱山輝夜とその周囲に起こる非常識な事象を目の当たりしてきた。その輝夜が父親を辱めた恨みが妹紅に復讐を決意させ、無謀な旅へと駆り立てた。その結果自身が非常識な存在になってしまったのである。
 魔法など非常識ともいえる不思議な存在を否定する事は自らの存在を否定するようなものである。
 それ故に魅魔の話は全て疑いなく聞き、受け入れることが出来た。


 短期間でマスタースパークを覚えた魔理沙。
 この魔法は魔界の門を開いてさえしまえばエネルギーを無限に抽出出来る為、年齢や経験に威力が比例することはほとんどないといえる。個人差があるとするなら放出する時間や放出する方法だけである。魔理沙はただぶっ放すことしかできないが、出し方を工夫すれば無数に枝分かれさせた拡散砲や力場の中で螺旋状に放出し回転トルクを利用した追尾レーザーも可能となる。
 魔理沙は分相応ともいえる力を幼いながらも身に着けてしまい、それが自信となって成長を促進させると同時に若い魔法使いにありがちな増長を生んだ。
 10歳に満たない年齢で現在とほぼ同じ威力の魔法を使えたのである。力に魅せられ溺れるのはある意味自然な流れかもしれない。魅魔はそうした魔理沙の増長に気を配り暴走を抑えつつ教育しながら霊夢の輿入れの準備を行っていた。
 1月以上家に帰らなかった魔理沙だが、風見幽香を通して魔理沙の安否は家に知らせていた。そんな中、修業半ばで抜け出し家に戻った増長する魔理沙は、家を長期間留守にして連絡のない事の謝罪もしないまま、父親に対して一人前の魔法使いになったと自慢して見せる。今のあまり良いとは言えない言葉遣いもこの時期に身に付いてしまったものだった。
 変わり果てた魔理沙に激怒した父親は人の道に反する態度や考え方を叱り改めさせようとしたが、増長した魔理沙は耳を貸さず反抗し続け、このままでは霧雨家にも里に対してもあまり良い事にならないと判断し、魔理沙を霧雨家から強いては里からも勘当したのである。
 騒ぎを聞いた風見幽香はすぐにこのことを魅魔に知らせたが、魔理沙はいつまで経っても魅魔のいる神社に戻ってこなかった。
「魔理沙の行きそうな場所は全て探したが見つからなかった・・・。しかし、数日経ってようやく戻ってきたのだ。」
「・・・それで?」
「服も汚れ、軽い怪我もして、その事を問いつめると妖怪退治をしていたと・・・。」
 魔理沙は家を追い出された後、あちこち放浪し出会った妖怪と戦って勝利し続けていた。その事が魔法使いとしての自信を更に悪い方向へ増幅させ、魔理沙の増長はその極みに達していた。
 魅魔の説教ももはや魔理沙に届かず、それどころか魔理沙は師匠である魅魔すら超えた、もう修業の必要はないと豪語し神社を飛び出してしまう。
「有能な若い魔法使いの末路はどれも同じ。それを分かっていて私は・・・厳しく躾る事が出来なかった。」
「自分の娘の様に思ってしまったのね・・・。」
「魔理沙は去り際、私を超えた事を証明してみせると言い神社を飛び出した。私はそれがどういう意味か最初わからなかった。」
 魅魔は魔理沙の言葉を何度も反芻しその意味を知ろうとした。
 3日が経ち、心配した魅魔は霊夢の輿入れ直前のため動けず、風見幽香を頼り魔理沙の行方を探って貰う事にした。その幽香は魔理沙の行きそうな場所を森近霖之助にも相談し、霖之助も独自に動ける範囲で捜索をはじめる。
 魔理沙が行方不明になり捜索を始めた2日後、霊夢が博麗神社に輿入れしたその日、霖之助が西洋墓地で倒れている人間の存在を付近の妖精から聞き出し、これは幽香経由で魅魔にすぐ伝えられた。
 魅魔は魔理沙と思しき人物の居場所が西洋墓地と聞いて唐突に思い出す。
 弟子と認めた当初、真剣に魅魔の話に耳を傾けていたまだ素直だった魔理沙に、踏みこんではいけない危険地帯のいくつかを教えていた。その中で、幻想郷で最も危険な場所の一つとされる西洋墓地の存在を話している事を思い出しのだ。
「私ですら敵わない怨霊が居ると脅かしておいた場所があるのだ。」
「魅魔ですら敵わない相手?」
「吸血鬼戦争の吸血鬼側の怨霊を鎮める神聖な場所だ。それ相応の態度でいれば問題はない場所だが、陰の力が強すぎて普通の人間がそこ行くとそれだけで気を煩う場所なのだ。行くだけなら魔理沙でも大丈夫だろうが・・・。」
「まさか、退治に向かった?」
 何も答えず話を続ける魅魔。
 魔理沙の居場所が判明し、魅魔はすぐに魔法の森中央やや湖寄りにある西洋墓地へ向かう。そして、そこで倒れ既に事切れた魔理沙を発見する。
 死んでからどのくらい経ったか分からなかったが、その肉体はまだ暖かく、たった今亡くなったばかりのようであった。魔理沙の捜索を幽香に頼んでから2日後だが、魔理沙が神社を飛び出してから3日後に捜索を依頼していたので計5日である。恐らく飛び出したその足で西洋墓地に行き、恐らく為す術もなく怨霊達にやられてしまったはずである。
 5日間、魔理沙は死んだまま体温を宿し続けていたことになる。衣服などの状況からも長時間そこに倒れ伏せていたのが分かり、その事を考えると何かの特殊な力が魔理沙を守っていたとしかいえない奇跡だった。
 魂が輪廻に旅立って居なければまだ復活のチャンスはある。魅魔は暗黒魔法の奥義の一つ死霊転生の術で魔理沙の漂う魂を奪い取り、魔理沙の亡骸に転生させたのである。
 元々この術は、改造した強靱な肉体となる器に従順な僕の魂を転生させ不死身の兵隊として使役する為の術で、更に自らを死人(アンデット)に転生させ永遠の時間を手に入れる為に使うなど非常に高度で恐るべき暗黒魔術であった。
 魔理沙の魂を奪った時点で魔理沙は魅魔の僕となり、ここで仮に別に用意した器に転生させれば魔理沙の能力を持った有能な兵隊が完成する。しかし、魅魔は本人の魂を本人の肉体に転生させたのである。これは、こぼれた中身を元の器に戻すことであり、つまるところは蘇生と同じであった。この術自体は蘇生を目的にした術ではないので魅魔も結果がどうなるかはわからなかった。
「成功したの?」
「うむ、奇跡的に魔理沙は命を取り留め、再び心臓が鼓動を始めた。だが・・・。」
 魔理沙は自分の身体に自分の魂を戻されて生き返ったものの、この術は一旦術者によって魂が奪い去られており、魂は術者つまり魅魔に対し従属する宿命を得る。
 生き返った魔理沙は性格が大人しくなり死ぬ以前の記憶も無くなり、魅魔のそばで仕えることを自身の宿命とした僕となってしまう。
「それで?」
 妖術使いである妹紅としてもこの話は大変興味深いものだったので思わず身を乗り出す。
「私は魔理沙を元の人間に戻そうと様々な試みをした。しかし、どの方法も上手くいかず、それどころか、魔理沙の魂と肉体の結びつきが弱くなってしまったのだ。だが、この失敗以後、魔理沙が突然記憶を取り戻しはじめ、普通の人間に戻れる兆しが見えたのだ。」
 魔術によって無理矢理結合させていた魂と肉体にほころびが生じ、術が消えかかったことで元の人間に戻り始める魔理沙。しかし、魂と肉体の結びつきが弱まると言うことは死に近づくということである。
 ここにきて魔理沙の復活の糸口が見えた魅魔はある決断をする。
「そこで私は、魔理沙の魂と肉体を断ち切り完全に術を解いた後、死する魔理沙の中で魂と肉体を結ぶ鎖役となって魔理沙の一生を共に逝こうと決意したのだ。」
「そうまでして貴女は魔理沙を助けたかったのね・・・。」
「私はもはや自分がどうなろうと構わなかった。ただ、ただ、魔理沙を人間に返したかった。そしてようやくそれが実現できようとしていた。だが、気掛かりがあった。一人残される魔理沙がこの後どう生きていくか・・・家から勘当され後見人になるような人物もいない10歳の少女が魔法だけでどうやって生きていくのか・・・。」
 生き返ってもすぐに死んだのでは何の意味もない。魔理沙の命を繋ぎとめるということは、その後の人生にも責任を持つということである。
 知り合いの妖怪に、例えば風見幽香に預ける事も考えた魅魔だが、魔理沙は人間として生かしてやりたいと思う親心が魅魔にある決断をさせる。
「博麗霊夢に魔理沙を託す事にしたのだ。」
「まさか・・・。」
 妹紅はここまで聞いて話が全て繋がった事に衝撃を受けた。
 幽香らの言う「あれだけのこと」とは魔理沙が死んで死霊術で生き返った事であり、霊夢が先日語った霊夢の心を酷く傷つけた魅魔と魔理沙との戦いがこの後に続くのだ。
 魅魔は、魔理沙の目の前で霊夢と戦い、そこで死んで見せる事で、魔理沙の魅魔に対する僕としての従属心や依存心を打ち消し、師匠である魅魔すら討ち倒す博麗の巫女の力と存在感を強烈に意識させる事で、魔理沙を霊夢に惹き付けさせようとしたのである。
「ううぅ・・・。」
 ここで突然魅魔が泣き崩れた。
「私は博麗の僕でありながら、魔理沙を救うという個人的な目的の為に博麗霊夢を利用してしまった・・・。本来、霊夢の後見人として指導育成していく立場にありながら・・・くぅ。」
 ベッドからずり堕ち絨毯を鷲掴みして必至に涙を堪えようとしてことごとく失敗する魅魔。後悔という感情の激流が涙となって止めどなく溢れ出る。
「私は、魔理沙を失いたくなかった・・・どんな事があっても助けてやりたかった・・・すまぬ・・・霊夢・・・すまぬ。」
 何度も何度もそこには居ない霊夢に詫びる魅魔。
 自分勝手な目的の為に、霊夢に人殺しをさせたようなものである。
 公人として魅魔は霊夢を選ばなければならなかった。しかし魅魔は個人の選択をしてしまった。
「(しかし・・・。)」
 魔理沙を見捨てれば全て丸く収まったか?といえば必ずしもそうではないだろうと妹紅は思う。魔理沙を失った霊夢と魅魔は、果たして今までどおり何事もなかったかのように過ごすことが出来るだろうか?
 全ては発端にある。魔理沙を追い払うために魔法を使いさえしなければ・・・しかし、一番はまず魔理沙が霊夢と離れたくなかったという思いだ。これが全ての発端である。
 後悔に打ちひしがれる魅魔。妹紅はそんな魅魔が哀れでしかたがなかった。悪いのは魔理沙であって魅魔ではない。しかし、妖怪のように割り切って考えられないのが人間である。魅魔は悪霊である以前に人間なのだ。


 母親としての心を魔理沙によって呼び覚まされ、弟子として厳しく接する事が出来なかった魅魔。
 その一方で、誰もいない神社に一人置かれ、迎えてくれるはずの指導者でもある魅魔と親友の魔理沙と戦わなければならなかった霊夢。
 ほんの少しの間違いで全てが変わってしまった。誰一人幸福にならない救いようのない現実。幻想郷の為を思うなら魅魔は心を鬼にして魔理沙を見捨てなければならなかった。しかし、それは出来なかった。だが、それを誰が責められるか・・・。妖怪はともかく同じ人間である妹紅には魅魔を責める事は出来なかった。
 今にして思えば、魔理沙の能力ならいつでも神社に来て霊夢と会えただろう。あの事さえなければ今も父親と良好な関係のままであっただろう。霊夢もまた魅魔に教えを請いながら、誰からも尊敬され愛される立派な巫女に成長できていたかもしれない。
 妹紅は小さくなった魅魔の背中をじっと見下ろす。
 魅魔と霊夢の心を救うには、魅魔を霊夢に会わせ直接謝罪させることである。しかし、それをやるには魔理沙に縛られた魅魔を解放しなければならない。
 難しいと思われた魔理沙の問題は、その死因が判明したことによって解決の糸口を見出す事が出来た。上手くいけば魔理沙は助かり魅魔も解放させることが出来るはずだ。
 しかし、一つ疑問が浮かぶ。何故魔理沙が5日間も肉体を維持できたのか、その事を単なる奇跡で片付けて良いのだろうか?妖術使いとしての妹紅的には単なる奇跡で片付けるわけにはいかない。きっと何か理由があるはずだ。
 それと同時に妹紅はある問題にも直面する。この事情を関係者、例えば紫や霊夢といった異変の中心人物に知らせるべきかという点である。
 着々と進む紫らの計画に水を差すのはどうなのだろう?運命の連鎖を危険視する紫等からしてみれば、魅魔や魔理沙の事は正直後にしてほしい問題だろうと妹紅も思う。
 しかし、妹紅の頭の中にある魔理沙救出の手段で一番最初に思いついたのが今回の紫の異変を利用する事だった。タイミング的に上手くかみ合いすぎて、それが偶然なのか、それとも何者かによってそう導かれているのか思わず勘ぐりたくなる。・・・。
「うーむ。」
 妹紅は必死に考えた。
 紫、慧音、そして自分。それぞれの思惑が重なって後戻り出来ない異変という坂道を全力で転げ落ちているのが今の状況である。妹紅が一抜けをすれば基本的に今回の事は収まるかも知れないが、魔理沙の件が浮上し、それが利用出来るとなると、抜けるわけにもいかない。
 何らかの力が干渉し、その影響で妹紅に一抜け出来ない理由を新たに書き足した・・・そんな事を漠然と感じる。
 このような進行する常態の中で大きな案件が浮上してくる事を、これを単なる偶然として捉えるのは適当だろうか?違う・・・と妹紅は思う。


 泣き伏せていた魅魔は落ちつきを取り戻し静かに立ち上がる。そして、話を中断させた事を詫びようと妹紅に向き直る。しかし、妹紅の顔を見て声をかけるのを止めた。顎に指をあて目を瞑ってブツブツと呟きながら何かを必死に考えており、それを邪魔するべきではないと思ったからである。
 その妹紅も考えながら魅魔が立ち上がった事を感じていたが今は思考に没頭する事から抜け出すことが出来ないでいた。


 それぞれの思惑がせめぎ合っている。妹紅は今一度頭の中で整理する。
 八雲紫は不死鳥の自爆の力を必要としている。具体的に何をするかは今現在妹紅は知らない。だが、それに便乗して霊夢の活躍を幻想郷中に示そうとしているのは間違いないだろう。
 紫は幻想郷の実質の支配者であるが幻想郷を自由にするには博麗の存在が不可欠である。博麗の衰退は幻想郷の衰退であり、今現在の博麗の代表ともいえる巫女の霊夢の、その巫女として機能していない状況を何とか改めたいとする意図は、過去の異変を通して霊夢に干渉する紫の態度から明らかである。であるなら、今回の異変も必ず霊夢に絡めてくるだろうし、昨日の九尾の藍との最初のやりとりの中でも霊夢がキャスティングされていることは既に判明している。


 上白沢慧音もまた幻想郷の将来を憂いており、霊夢を何とかしたいという点において紫と同じであるが、その手段に違いがあり、特に紫のやり方を強く否定している。今朝の対話の中で妹紅には内密に紫を出し抜こうと何かを画策しているようである。
 妹紅に冷たい態度をとって離別を謀ったのは、その計画が危険なものなので妹紅を共犯者にさせないための計略だろう。


 そして自分、藤原妹紅としては、不死鳥の自爆は世界の維持に絶対に必要な事だと認識し、その上でこれはやらなければならない公的な任務であると認識している。その一方で妹紅の個人的願望は、自分を支配し、後に逆支配され身動きが取れなくなった不死鳥との対面を通じて妹紅の身体からこれを取り除き不死鳥を自由にする事である。
 これが先程までの状況である。
 今はこれに加え魔理沙と魅魔を助ける為にこの異変を利用するという項目が付け加えられた。


 次々に明るみに出るこの異変に関係する点、そしてそこに結びつく線。この線と点の繋ぎ方次第で異変の規模が大きく変わっていくだろう。
 紫の計画から妹紅、慧音と線が複雑に繋がり、そして、これは増え続ける可能性がある。寧ろこれで終わりと考える事が難しい。
 昨晩の博麗神社での出来事は様々な形で幻想郷に住む者達にインパクトを与えている。妹紅個人に関しては既に永遠亭と接触があり、この異変の一つの点となって妹紅の前に現れている。この点を線でどこにどう繋ぐかでかなり状況が変わるだろう。
 皆この異変を個人や公人として利用しようとしている。永遠亭がこれを知れば彼らもまた何かを企むのは必然と考えるべきだろう。そして彼らの企みは幻想郷の常識では計り知れないものを生じさせる恐れがある。
 今魔理沙の家で起こっている状況は恐らく自分と魅魔以外知らないだろう。この部屋を覆う強固な結界によって魅魔の存在は表には出ていない。そして、魅魔の存在を最初に探し当てたのが妹紅である。 
 自力で探し当てたもの・・・そういえば藍の思念と新しい蓬莱の薬が妹紅の中にある。そして今魅魔を見つけだした。これにどんな意味があるか?いや、どんな意味を持たせるか?そう考えた方がいいだろう。
「(この件に関して魅魔の知恵を借りてみるのも悪くない・・・というより、それが一番かもしれない。でも、知りすぎるのも問題があるか・・・。)」
 妹紅はジレンマに襲われる。
「・・・。」
 妹紅は目を開き魅魔を見る。そしてすぐ視線をずらして魔理沙を見る。ふと、魔理沙との対戦を思い出す。綺麗な可愛らしい弾幕と強引で力まかせな弾幕。
 妹紅はまた目を閉じ、そしてまたすぐに開く。魅魔はそれを見て妹紅の中に何か強い意思が芽生えた事を感じとった。
「これも何かの縁ね・・・。関係あるかどうかを悩むなら、最初から無理矢理関係者にしてしまえばいいのよね。」
 妹紅は今まで幻想郷に干渉しない様に心掛けてきた。しかし、もはやその考え方ではダメだと覚悟を決めた。何より無知でいることに耐えられない。
 全て魅魔に話して真摯に助言を請い、魔理沙も含め一蓮托生でこの異変に挑もうと決めた。そしてそれは紫や慧音とは違う形で霊夢の心へのアプローチとなるはずである。
「魔理沙を助ける事に関しては魅魔の頼みは聞けないわ。」
 妹紅は厳しい顔できっぱりと、想いとは逆の言葉を魅魔に投げつける。
「・・・そうか、それは残念だ・・・。」
「誰に頼まれなくても私は魔理沙を助けるんだから・・・ね。」
 ニッとした笑みを魅魔に向ける。それを受けて魅魔の頼みを断られて強張った表情が緩み、次に神妙になる。
「藤原妹紅よ・・・私は博麗を裏切り、紫の信頼を裏切り、幻想郷を裏切った。紫にも霊夢にも会わせる顔がない。このまま魔理沙と墓まで共に逝こうとも思った。しかし、この罪をそのままにして隠れ続ける事も辛い。魔理沙を介してこうして交流が可能となったのも何かの縁。妹紅は幻想郷にとって有益な存在だと私の直感がそう告げている。妹紅に協力することは即ち幻想郷に対する贖罪になるだろう。私に出来る事があれば何でも協力する。いや、させて欲しい。」
 妹紅の両手を取って懇願する魅魔。
「貴女は博麗を裏切ったわけじゃないわ。博麗の慈悲にすがっただけでしょ?この程度の事で幻想郷の為に尽くしてきた貴女を見捨てるほど恩知らずではないでしょ?貴女の愛する幻想郷は。」
 予想もしなかった妹紅の言葉を受けて、最初は驚き、そして何かを諦めた様な憂いのある表情になる魅魔。取った手を離しそして全身で包みこむ様に妹紅の背中に腕を回す。欲しかった言葉を与えられた魅魔は感謝と感激で胸が一杯だった。
「こんな悪霊如きにあまり優しい言葉を掛けないでくれ・・・油断するとこのまま満足して成仏してしまいそうだ・・・。」
 冗談とも本気とも言えないその魅魔の言葉に妹紅は思わず反応して魅魔の腕から逃れた。
「それは困るわね。これからたくさん頼み事をしようと思っていたのに・・・。」
「何なりと申し出てくれ。先程の様子から察するに何か別の案件も抱えているようだ。」
 流石というか、やはり見抜かれていたと妹紅は苦笑する。


 妹紅と魅魔の間で魔理沙を介して一種の同盟関係が成立した。
 上白沢慧音と言う頭脳を失った妹紅にとって魅魔の獲得は大きな収穫だった。
 その後妹紅は八雲紫が画策している不死鳥を利用する異変と、それにともなって起こった事件、事象の詳細を妹紅の視点で詳しく魅魔に話した。


「どう?」
 一通り話し終え、感想を伺う妹紅。
「知らぬ間にこんな事が・・・まるで誰かに謀られているようだな。」
 魅魔は魔理沙の中に居る間外の状況を知る事が出来ず、最初は妹紅のこの話を信じられずにいた。
 少しの間その話を自分の中で整理していた魅魔は、妹紅と同じように何者かに仕組まれているようなそんな落ち着かない心境を口にする。
 妹紅と紫が最初に接触したのはほんの数日前である。だいぶ時間が経っている様に感じるが、これは妹紅が藍の世界に長時間いたためである。
 妹紅自身は永夜事件以後に幻想郷の表側に出たといえる。魅魔が隠れた年が西暦2000年。永夜事件が西暦2004年で現在が西暦2007年である。
 幻想郷の状況を魅魔に教えるにしても実質3年程の事で、しかもその3年間で妹紅から詳しく教えられる様な事件や異変を体験していない。
 実際には、妖怪の山に外界から神様が来たり、旧地獄でうんたらかんたらや、天人が降臨してすったもんだなどそれなりに色々な事はあったが、妹紅は後日そんなことがあったと慧音から聞いただけで詳しくは知らないのである。
 妹紅にとってはここ数日に数百年分の出来事が一気に訪れた感はあるものの、それ以外では魅魔が知らなければならないような貴重な情報は特に提供できなかった。
「幻想郷は相変わらず・・・ということか。それにしてもここ数日が凄まじいな。」
「紫が笛を鳴らして、私が踊っている・・・もしくはその逆のように見えるんだけど、なんていうか、もっと別の力に動かされているような気がするの。」
「うむ、完全に運命をこじらせているようだな。」
 運命をこじらせるという表現は紫も使っている。
「やっぱり・・・。」
「昨日か?恐らく博麗神社であった巨大なインパクトとやらでレミリア・スカーレットを刺激したようだな。」
「レミリア?あの吸血鬼の子供?」
 ここで、紫達とは違う新しい名前が魅魔から出る。その話し振りからして魅魔はレミリア・スカーレットをよく知っているようである。
「レミリアは知っているか?」
「ええ、メイドといっしょに来て何度も戦った・・・でも、姉の方はともかく妹のフランドールには散々体をぶっ壊されたっけ・・・。」
「パチュリー・ノーレッジは?」
「フランドールを連れてきたのがそいつね。あと、もう一人名前は忘れたけど、正式な型の体術使うやつ。」
「門番か。」
「たぶん。」
 妹紅の言葉に瞬時に返答が来たのでおそらくそれで合っていると思って適当に答える妹紅。
 その門番の名は紅美鈴という大陸出身の妖怪で、普通妖怪は型にはまった体術は使わないので、元々は人間から妖怪化したものと妹紅はみている。
「レミリア・スカーレットの能力は?」
「一応知ってるわ。運命を操る能力?ウソくさいけど・・・。」
「ウソくさいか・・・確かに現状完全ではないからな・・・。」
「さっきから気になったけど、魅魔は吸血鬼というか紅魔館と知り合い?それもかなり親密?」
 妹紅は感じていた疑問を投げかける。
「スカーレット姉妹の命を救ったのは私だ。」
「?」
 唐突な魅魔の言葉に妹紅は何を言っているのか全く理解できなかった。
「うーむ、これは吸血鬼戦争について詳しく話しておかなければならぬか・・・。」
 吸血鬼戦争は約500年前幻想郷隔離直後に起こった大きな戦争である。スカーレット姉妹と魅魔との間にこの戦争に関係するなんらかの因縁があるということだろうか?
「是非とも聞きたい話だけど・・・夜明けまでに終わる話かしら?」
 窓の外が若干明るくなっている事を視線で指摘する妹紅。
「うむ・・・どうやら時間切れか・・・。」
「魔理沙をこのままにして話を続けてもいいけど・・・。」
「いや、朝はちゃんと目覚めさせた方がよいだろう。」
 これは妹紅も賛成である。
「じゃ、この続きはまた今夜にでも?」
「私はずっと魔理沙の中におる。妹紅の都合で構わない。」
「最後にちょっと確認というか・・・いい?。」
「うむ。」
「私はこの後どうすればいい?」
「む?・・・どういう意味だ?」
 妹紅が藪から棒に聞くので魅魔もどう答えてよいか咄嗟に思いつかない。大抵の事なら話の流れと態度で少ない情報から答えを割り出せるが流石の魅魔もこの質問には適当な答えを選べなかった。
「うん、私はこの異変についてどうかかわっていけばいいかってこと。」
「レミリアは何かが起ころうとしている事を察知して、それを歓迎している。だから異変はもう止められない。しかし、レミリアがこの異変の主導権を握っているわけではないだろう。この状況で自ら主導権をとるか、誰かに譲るかは妹紅次第だな・・・。」
「私は最初紫に主導権を譲るつもりだったけど・・・。」
「けど、と言う事は今は違う・・・つまり魔理沙の件だな?」
 シナリオは全て紫に任せるつもりだった妹紅だが、魔理沙の件が浮上した事で、魔理沙をからめたシナリオに修正したい妹紅である。
「ええ・・・。」
「主導権のない状況で、魔理沙を救えるのならそれでもいいが・・・出来るか?」
「選択肢は少ないけどあることはあるわね。」
「うむ。」
「その上で何かアドバイスはある?」
 妹紅は魅魔に教えを請う態度になる。
「・・・魔理沙はどうのようにして元に戻すつもりだ?まずそこから聞こう。」
 これは魅魔にとっては一番の気掛かりである。
「簡単よ。魔理沙は正しく死んで間違った方法で生き返ってしまった。なら、もう一度正しく死んで、今度は正しく生き返る。」
「簡単に言うものだな・・・。」
「黄泉返りは私達の十八番だった技よ。」
 妹紅のいた岩老郷には、幽体離脱を専門にする一族がおり、魂や精神に障害の出た人々の救済に努めていた。術者自ら薬で命を絶って患者を診て、その術者の先祖が現世に戻すのである。現在に生きる人間だけでなく先祖までを巻き込んだ一族総出の技である。
「やろうと思えば今からでも出来るけど・・・魔理沙は勘当されてるから黄泉返りが出来ないの。」
 妹紅は続けて『選択の間』の事や『黄泉返り』について仕組みやルールを詳しく魅魔に説明した。
「なるほど。魔理沙が死んでその『選択の間』に来た時、妹紅が縁者としてそこに現れ魔理沙を戻すということか?」
「ええ。そこでクリアしなければならないのが・・・。」
「妹紅もその時は既に死んで霊になっていなければならない・・・ということか。」
「流石に理解がはやいわね。私は死ねばすぐ生き返るんだけど、閉鎖的な空間で肉体が再生出来ない状況になれば普通の人間が死んだ時と同じように『選択の間』に来ることは可能なの。輪廻には旅立てないけどね。」
「逆に言えば、それ以外の方法がないと?」
「他にもあることはあるんだけど、精神的に死ぬとかね。でもこれは自由にやれることではないから。実質今言った方法以外では無理ね。」
「なるほど・・・。」
「もう一つ肉体と魂を強制的に引き離す方法があるんだけど、これは精神離脱で人間の『選択の間』には行くことができない。」
「・・・人間の・・・か。」
 鋭い魅魔。敢えて妹紅が人間と頭につけたことに興味を示す。
「妖怪には『選択の間』はないの。でも、似た様な待合室はあるのよ。」
「ほう。先程から色々と初耳だな・・・。良いのか皆まで語って。」
 話し過ぎるのは聞く側にもストレスになる。
「ええ、魅魔だけにね。後で吸血鬼戦争について聞かせてもらうから。」
 納得する魅魔。そして妹紅は話を続ける。
「古妖怪は輪廻しない分、死後に転生とか天界とか身の振り方を任意に決められるみたいなの。死後、自分の精神領域でどうするかを考えるてる時にアクセスは可能なのよ。」
「それは興味深い話だな・・・紫が死んでも慌てる事がなくなるか・・・。」
「紫が?」
「うむ、紫はよく再起不能になるからな。」
「そうなの?」
「紫が他の妖怪と違う事は知っているだろう?人間と同じ無限の伸びしろを持っているが、その代わり人間と同じ様な精神的脆さをも合わせ持っている。それ故大きな事件に遭うと気を煩って病に陥るのだ。妹を失った時もそうだった。危うく死ぬところだったのだ。」
 これは藍の死ぬ直前の記録を幽香に教えた後、幽香自らがその後の顛末として妹紅に語り聞かせた時の紫の常態と一致していた。半信半疑で聞いていた妹紅としては魅魔の話で幽香の話の内容に裏が取れた事になる。
「紫が再起不能になったら妹紅、よろしく頼むぞ。」
 この時冗談で言った魅魔の言葉は後に現実となる。



「紫のシナリオが出ていない以上私も具体的にどうすればいいか見えてこない・・・でも、その案が出て実際に何かを画策しようとしたとき、やっぱり協力者は多ければ多い程良いわよね?」
「うーむ・・・。情報が少なくて何とも言えぬな・・・。そもそも魔理沙に関してはこの異変に絡めなくとも救う事はできるだろうし・・・。」
 この魅魔の意見はもっともであり妹紅も一つの案として考えていたが、ある理由から却下している。そのある理由とは霊夢に関係している事で、霊夢の心の傷を癒す為には魅魔の存在はどうしても必要だと考えているからで、内内で事を終わらせてしまうと魅魔と霊夢に接点が生まれないまま異変が終了し、魅魔の幻想郷復帰のタイミングがなくなってしまう。こうなると、霊夢はそのまま紫か慧音の思惑に翻弄される。それは阻止したいのだ。
 霊夢は魅魔を殺害した(と思い込んでいる)事に対する罪の意識を自己正当化するために「万物には全て終わりがある。だから抗う事無く全てを受け入れ自然体になる」とする一種の無常観によって10歳にしながら達観し、心の成長を止めてしまっている。
 そこに魅魔が現れ実はこれこれこういう事情があったと説明したとして、霊夢の心が今すぐどうにかなるということはない。しかし、その無常観の根拠となる罪悪感の根が消える事は、止まった霊夢の時間を再び動かすきっかけとなるはずである。
 そしてそのこととは別に心配事が一つあった。魔理沙を助けた時、魅魔はどうするか?と言うことである。霊夢や紫、幻想郷全体に対して強い罪の意識を持っている魅魔が、魔理沙を生かすという大きな執着をなくした時、彼女はどこに向かうのか?恐らく魅魔はそのまま隠者として隠れ住むか、最悪の場合成仏してしまうのではないだろうか?


「・・・見抜かれていたか・・・流石だな。」
 魅魔の魔理沙を異変にからませなくともよいという提案に妹紅は疑問を呈したが、その答えがこれだった。
 紫が幻想郷に復帰した今となっては、自分はもう必要ない存在だと魅魔は思っている。完全に世捨て人の心境である。
「霊夢はどうするの?あの娘の心の傷の根にあるのは魅魔を殺してしまったという罪悪感よ?」
「・・・。」
 妹紅の話に言葉を出せずただ聞くしかない魅魔。
「霊夢は貴女を殺してしまった事を自分の中で受け入れる事が出来ず、その罪悪感を正当化して心を閉ざしてしまっているわ。時間を止めて10歳のまま未だに前に進めずにいるの。魔理沙と同じように。」
 魔理沙もまた10歳の時の自分をどこかに置き忘れている。
「・・・。」
「貴女が今霊夢の前に出て、それで貴女の罪が許されたり霊夢がすぐに元に戻る事はないでしょう。でも、少なくとも貴女の生存が霊夢の根元的な罪悪感の意識を無くしてくれる。もしかしたら、霊夢は今よりもっと傷つき立ち直れなくなるかもしれない。でも、壁さえ崩れればそこから抜け出せるし、手も差し延べられる。」
 魅魔の存在を忘れかけようとしている霊夢に対して、魅魔の復活は必ずしもいい結果を生むとは限らないし、霊夢の性格からして恐らく今より悪くなる可能性もある。
 恐らく魅魔はそんなことは百も承知で、ただ霊夢を今よりもっと深く傷つけてしまう事を恐れているのだろう。だが、心を閉ざす根拠が破壊出来ればいくらでも助けるチャンスがあると妹紅は魅魔の考えを真っ向から否定した。
「魅魔、あなた霊夢に許されたいの?」
 妹紅は罪人を軽蔑するかのような口調で魅魔を責めた。
「!」
 妹紅の最後の言葉を聞いた時、魅魔は心を見透かされた様な恐怖を一瞬覚える。そしてそれと同時に、自分の弱さを痛感し、見えない力にそうさせられたかのように頭が重く押し下がった。
「私は・・・許されたい、許される事を目的に考えてしまったが、そうではないな・・・。例え霊夢に憎まれても、紫に憎まれても、幻想郷全てに憎まれても、私は霊夢の心を少しでも軽くせなばならないのだった・・・。」
「簡単なことよ、もう少し悪霊らしくすればいいの。」
「ふふふ、そうだな・・・魔理沙を甘やかして不幸にしたこの汚らわしい悪霊を始末した霊夢が正しかった。気に病む事など何一つ無いのだと・・・そう霊夢に言えばよいのだな・・・。」
 魅魔の中で何かが吹っ切れた。そんな印象を受ける妹紅。決して悪の道に進もうというのではなく、物事の是非に一方からしか結果を見れなかった魅魔に別の解決方法が見出せた事に対する高揚感が魅魔の雰囲気を変えたのだ。
「私の目的は、魅魔を幻想郷に復帰させる。その為に魔理沙を救う。貴女に復帰する気がないなら、魔理沙はこのままね。」
「すなまい・・・魔理沙どころか私の心まで救ってくれるとは・・・。」
「魔理沙の事はまだ未知数よ。異変の中心に組み込む必要があるわ。その為に知恵を貸して頂戴。」
「お安い御用だ。」
 魅魔の言葉遣いが少し変わった。