東方不死死 第25章 「始動」
博麗神社の建つ本陣山の北に綺麗な三角の形をした少し高い山がある。
人間の里からは魔法の森が視界を遮り神社の建つ標高の低い本陣山を直接見ることは出来ないが、この三角形の山の頂上部分は里からもよく見える。里の人々の間では、その山の形状から『三角山』と何の変哲もない呼び名を与えられている。
朝霧にうっすら浮かぶ博麗神社を眼下に見下ろしながら八雲藍は思いを馳せる。
先日の事、特に藤原妹紅の件が頭から離れない。
人間が三角山と呼ぶこの山の頂上には八雲紫の家の一つがあり、特殊な結界で外からはその存在を感知する事ができないようになっている。
この家は、家と呼ぶにはかなり大きな建物で元々は博麗神社の所有する社務所の建物の一つを移設したものである。
この元社務所は幻想郷を管理する八雲藍の仕事場のようなもので彼女はここに常駐している。実質藍の自宅兼事務所である。
広い社務所にはいくつものスキマが開いたまま並んでおり、そのスキマで幻想郷の任意の場所に瞬時に行き来出来るようになっている。幻想郷の外周結界を見回り管理する藍にとって重要な瞬間移動装置といえる。
「あら、藍。ここにいたのね。」
東西に長い社務所の南向きの縁側に立って考え事をしながら博麗神社をぼんやりと眺めていた藍は、紫から声を掛けられて振り向く。
「あ、紫様。呼びましたか?」
呼ばれた事に気付かなかったと思い確認する藍。
「呼んではいないけど・・・珍しいわね神社を見てるなんて・・・。」
紫はここで時々神社や幻想郷を眺めているが、藍はこれまでそうしたことをほとんどしなかった。普段は社務所中央の自分の座卓の前か、社務所の隣にある茶の間にいる。
「少し考え事を・・・。」
「妹紅のこと?」
「それもありますが、今後の事など・・・。」
ほとんど妹紅のことばかり考えていたが、口に出しては異変全体の事を考えていると告げた。
「その事だけど、要請があって三日後に三賢者会議に出席するわ。」
「紫様も律儀ですね。」
苦笑する藍。
「決まりだからしかたがないわ。」
「で、今回も映姫のところですか?」
「今回は白玉楼よ。」
「白玉楼?言い出しっぺは映姫ではないのですか?」
「ええ、今回は映姫ではなく幽々子よ。」
閻魔である四季映姫を呼び捨てにする紫と藍。本人の目の前では様付けで下手の態度でいるが、妖怪が閻魔に媚びる必要は本来ないのでこのことに関しては特に問題があるわけではない。
本人や関係者の前では閻魔の立場をたててへりくだった態度をとっているが、その理由は博麗の神主やそれにかわる地主的存在がいない人間の里における法の要として閻魔を利用しているからである。妖怪も頭が上がらない存在として認識させる事で人間や他の弱い妖怪の増長を未然に防ぐ狙いがある。
幽々子の名前が出た事を驚いた藍であるが、その名を出した紫の自身の表情に曇りがあることも同時に気付いた。
「・・・。」
ほんの少し場が沈黙する。
三賢者会議とは、幻想郷に於ける様々な取り決めを行う際、八雲紫と博麗神社だけで判断仕切れない案件や手に負えない案件の取り決め時や、部外者から幻想郷の運営に対する意見や提案を聞き入れる際、又、神社側の責任者不在時などに緊急に取り決めなければならない場合等に幻想郷外の中立的立場の賢者、偉人が取り決めに参加する特別召集会議で、紫と幻想郷外から2名以上の参加で執り行われる会議の事である。紫を含め3人以上の賢者で執り行う必要があるため、この名前で呼ばれる様になった。
ちなみに、このメンバーは固定されているわけではないが、近年は閻魔である四季映姫が頻繁に召集し冥界の西行寺幽々子が頭数を揃える為と友人である紫に会う口実の為に映姫の参集要請に応じ、この3人で定期開催のようになっている。
今現在、博麗神社の代表は外界にいる神主であり、博麗霊夢には能力的にも立場的にも博麗代表の資格がないが、取り決めの際の署名には霊夢の名前が使われる。スペルカードルールも霊夢の名前で署名されているが、この件に関して博麗霊夢はノータッチであり、このルールは三賢者会議で制定されたものである。
この会議は基本的に紫以外からの申し出によって召集されるものだが、法的な拘束力がないので紫はこの会議の発動に対して必ずしも参加する必要はない。しかし、周辺各位との良好な関係維持の為にも紫はこの会議の招集に際しては積極的に応じており、これまで一度も欠席したことがない。
そして今回の三賢者会議に際して、初めて西行寺幽々子からの召集要請があったのである。今まで会議自体に無関心だった幽々子の突然の召集に紫としても色々と考えるところが多い。
「今回の件はそれなりに危険ですからね。」
「それに恐らく藤原妹紅に興味を示したのでしょう。」
幻想郷崩壊の危険性も含む今回の不死鳥自爆転生異変と、その爆心となる藤原妹紅の存在は西行寺幽々子の興味を大きく惹いたのは間違いない。
生きとし生ける者全ての天敵ともいえる西行寺幽々子が唯一天敵とする蓬莱人の一人、藤原妹紅。以前から興味を示していたが、気軽に会って話す様なコネが無く、しかも不死人狩りに参加し妹紅を討伐した手前もある。会って話すにもそれなりの場所で改まってやるべきだろうと考えているのだろう。恐らく今回の異変の兆しを受けて会う機会が出来そうなので召集したのだろうと紫はみている。
「案の定、藤原妹紅の会議の参加を希望してきたわ。」
「ま、異変の元凶ですから会議の出席を求められるのは当然といえば当然ですが・・・単純に会いたいだけなのか、何か魂胆があるのか・・・幽々子様はかなりのタヌキですからね・・・。」
「キツネのあなたにそう言わせるのだから幽々子のタヌキっぷりは筋金入りなのでしょうね。」
クスクス笑いながらキツネとタヌキの化かし合いを揶揄する紫であるが、その本人が親友でもある幽々子の優れた能力とそのタヌキっぷりを一番良く知っている。
「おかしな因縁が増えなければいいのですが・・・。」
からかう紫に苦笑で応じながらこの出会いが異変にどう影響を与えるのか心配する藍。
「そうね・・・。」
完全に運命をこじらせている今の状況で、相関関係をはっきりさせておきたいという思いがある。そして敵か味方かの選別も重要であるが、現状をそのままにしてこれ以上状況を流動的にさせたくないという思いが強い。
第三者の目線から大局でものを見れば、紫の異変は非常に危険なものである。幻想郷を大事に思う者がいるならばこの異変はやめたほうが良いと判断するのが自然かもしれない。
異変の根源ともいえる妹紅を行動不能にすれば異変は起こらず丸くおさまるといわけであり、幽々子がそう思って行動しているという可能性も否定出来ない。また、幽々子が個人的欲望の為に利用するという事も有り得なくもない。
西行寺幽々子は、八雲紫の親友であるとともに抑え役でもある。幽々子の普段のタヌキっぷりが召集の意図を不透明にさせており、流石の紫もその真意を図りかねていた。
「出来れば幽々子と妹紅は会わせたくはないわね・・・。」
閉じた扇子の先を顎にあてながら本音を藍に告げる紫。妹紅に会わせないようにするのは簡単である。この会議の開催自体を妹紅に知らせなければよい。しかし、それでは幽々子に恨まれる。では、妹紅に自発的に欠席すように申し出て無断欠席をしてもらうか?しかし、それでは今度は妹紅が恨まれてしまう。
「召集に関してはもう既に受けているんでしょう?」
「ええ、もちろん。」
「・・・この件に関しては私に名案がありますよ。」
策士である藍に一つ名案が浮かんだ。
「あらそう?それじゃ妹紅の件に関しては藍に任せようかしら・・・あ、でも、くれぐれも・・・」
「分かってます。我々にも、そして妹紅にも責の出ない方法で処理します。」
紫の心情を察した藍は、全て心得ている旨を伝え、それを受けた紫は安心した表情で頷いた。
「藍、この機会に一度妹紅とゆっくり話をしてみてはどう?」
「会議の要件を伝える時にでも、そうしてみようかと・・・それより、紫様?」
「なぁに?」
「どこかお出掛けですか?」
先程から気になっていたが、身体のラインがよく見える外出用の服装を見てその理由を尋ねる藍。普段は藍とデザインがお揃いで色違いの昔から替わらぬ服装だが、今は完全に外界の現代的服装である。
「ええ、これから地霊殿に行って来るわ。」
地霊殿とは各地に分散した地獄の再編成によって廃棄処分となったいくつかの旧地獄の中の一つ、灼熱地獄の入口の上に蓋の様に存在する宮殿の事で、現在古明地さとりがその主となっている。
旧地獄は、妖怪の山に住み着いた神様の謀に巻き込まれ図らずも幻想郷と繋がってしまい、さとりは旧地獄異変の元凶としてその名が最近幻想郷に知れ渡るようになった。もちろん元凶というのは噂で真実ではない。
「地霊殿?さとりに何か用事でも?」
「さとり自身に用事があるわけじゃないけど、別件に関して聞きたい事があってね。」
「聞きたいこと?」
「旧地獄の妖怪のいくつかがこちらにも移住してきたけれど、その中で集団で組織的に動いている連中がいるでしょ?」
「ああ、あの連中ですか・・・でも、私も会って話をしましたが、いずれも平和主義で無害かと・・・。」
藍の返答を受けて紫は扇子を開き口元を隠し目を細くして藍を睨む。
「あなた、似たような事を妹紅の時に言わなかったかしら?」
「あ・・・。」
紫のスキマ爆弾の処分に不死鳥の転生を利用するという提案をしたのは藍であり、その中心となる藤原妹紅を利用し手懐けて意のままに操ろうと画策したのも藍である。その時、紫の不安に対して問題ないと自身満々で返答しているのだ。
しかし、蓋を開ければご覧の有様であり、その予想外の結果は紫側にも妹紅側にも良い方向に向いてくれたものの、それを予見できなかった事は藍の失態である。
「当時の状況では藍の見立てで恐らく間違いなったわ。でも何が隠れているか何が起こるかわからない。今回の件でそれを学んだわ。だから本人達に直接接触するのではなく、それを知る者から隠された情報を得るのが良いと思うのよ。」
「・・・返す言葉もありません。」
「ま、あの時、承認したのは私だし、あなた一人に責があるものではないわ。今回の件はお互いに良い勉強になった・・・と、言うことにしておきましょう。」
頭が上がらない藍に優しい笑顔を向ける紫。
「・・・はい。」
感情の変化が尻尾の形状に現れるのは妖獣型の妖怪特有のものであり、紫の苦言に立派な九尾がしぼんでしまう藍。感情を制御し尻尾にそれが現れない様に出来る藍ではあるが、主人の前では自分を偽る事は出来ないのだ。
その藍の様子にクスリと笑みをこぼした紫は、三賢者会議に関する妹紅の参加の件を藍に一任してスキマに消える。
自分以外誰もいなくなった社務所の縁側から部屋を見渡し、紫の言葉をもう一度胸に刻む藍。
しばしの反省の後、一つ息を吐いて気を取り直した藍は、部屋中央にある座卓の前に正座する。
その藍を取り囲む様に紫のスキマが開いた状態で整然と並んでおり、いつでもそのスキマを使って幻想郷中を行き来出来るようになっている。
座卓の上には硯と筆、万年筆やインク壷など何種類かの筆記用具が備わっており、座卓の左右にある引出棚には様々な種類の紙や小道具その他おやつなどが収納されている。座卓の横、座っている座布団の周囲にも巻物や本などが整然と積み並んでおり、ここは正に書斎、仕事場といった様相である。
座卓に向かう藍は筆をとって時間を掛けて一筆認めた後、数回折って厚地の和紙で掛紙し封をして立ち上がる。そして、並ぶスキマを見渡しながら大きな声で叫ぶ。
「ちぇぇぇぇぇーーーん!!!」
普段の藍からは想像出来ないやさしい声が社務所になり響く。
「藍さまーお呼びですかー?」
2秒もしないうちに、スキマの一つから声が返ってくる。その声の主が「ちぇん」と呼ばれている者だろう。
声を聞いた藍は返事の返ってきたスキマに尻尾の一つの伸ばし入れ、何かが掴まった感触を得ると同時に尻尾も元に戻す。
尻尾に掴まってスキマから現れたのは小さな少女の姿をした妖獣であった。橙と呼ばれるこの妖獣は、種族としては猫又と呼ばれる所謂化け猫である。
本来猫又は年老いた猫が化けるものであるが、橙は見た目通りまだ子猫で、恐らく猫又になった経緯は他の猫達とは違う理由からだろう。
藍の式神でもある橙は、能力的に見て九尾の僕としては力不足も甚だしいが、藍はこの子猫を使役する道具として扱っているわけではない。それは橙を呼ぶ時のやさしい声にも分かるように、今は愛玩用のペットとして扱い、今後の成長を期待して教育しているのだ。
黒に近い焦げ茶色のボーイッシュな短い髪の毛の上に、ただ乗せただけのような緑色の帽子。その帽子をはさむように上にとんがった猫耳。子供っぽい赤い服のお尻から二つにわかれた尻尾。耳と尻尾の存在で猫又と認識出来るが、それがなければ里にいる8歳前後の子供にしか見えない姿である。
「今日は何ですか?藍様。」
藍に頭を撫でられ上機嫌の橙は、呼ばれる時は決まって何か用事がある時なので、その事を質問する。
「この手紙を藤原妹紅という人間に渡して来てほしい。それで、藤原妹紅の外見はと・・・。」
藍は橙が妹紅の事を知らないと踏んでその特徴を紙に描いて説明しようとしたが、そこで橙から意外な返答があった。
「知ってますよ?妹紅さんでしょ?」
「おや?知っていたのか・・・で、どこで知り合ったんだい?」
橙と妹紅との間に何か関係があった事に、意外な組み合わせだと思うと同時に自分だけの橙に妹紅が手を出していると勘違いし妬みに近い感情が僅かに芽生える親バカな藍。
「竹林で迷った時に外に連れ出してくれたんですよぉ~。」
人間でいうところの8歳前後の身の丈だが、しゃべり方や声はもっと幼い橙。
妹紅と特に深い関係があるわけではないことが理解できるその橙の返答に安心すると同時に、橙の力ではあの竹林を自力で出ることが出来ない事を知り落胆もする。
竹林はその目印の少なさから普通に迷いやすい所でもあるが、永遠亭に住む月の兎レイセンの能力によってその影響下にある者は方向感覚や判断力を失って迷ってしまうのである。
強い力を持つ者であればこの影響を受けないのだが、弱い妖怪だと判断力が鈍らされる事によって空に飛んで抜け出すという簡単なアイデアすら出せなくなるのだ。
レイセンは定期的にこれを行うことによって『迷いの竹林』という名前の影響力を維持させ、弱い人間や妖怪が軽い気持ちで竹林に入らないようにして、永遠亭を気軽に立ち寄れない遠い存在にさせているのである。
橙の力がまだ月の兎に及んでいない事に落胆しつつも、そんな橙が可愛くてしかたがない藍だった。
魔法の森にある霧雨魔法店。
魅魔という協力者を得た妹紅は、何食わぬ顔で魔理沙と目覚めを共にした。
「おはよう、魔理沙。」
「ふわあああああぁぁぁー。おはよう妹紅。」
「ぐっすり眠れた?」
「ああ、寝過ぎて疲れたぜ!」
意味不明の返答だが、夜中仮死状態だったので疲れが十分取れていないのかもしれない。
妹紅と魔理沙はそのまま昨晩の夕食の残りを朝食にして一緒に取り、その中で妹紅は魔理沙の研究や実験に便利な道具も持っている事を告げそれを貸す約束をする。
魔理沙と魅魔を救う為には魔理沙を黄泉返りさせる必要がある。その為に必要なのが魔理沙との関係強化によって身内ともいえる存在になることである。幸いな事に魔理沙は妹紅に対して一方からぬ感情をもっていたので、あの世の手前で出会える可能性が大きく、あともう一押しといったところである。
恩を売るのが最も効果的だが、その秘策が妹紅にはあった。属性の有無、量を視覚的に認識できる能力を持った者の目玉をくり抜いて作った属性眼鏡だ。魔法茸のわかりずらい特殊な属性を見極めることができれば、魔理沙の実験は猛烈にはかどるだろう。
今妹紅は魔理沙に恩を売り仲良くなる事を作為的に行っているが、決して作戦を成功させる為だけにやっているのではない。妹紅は魔理沙という人間を気に入っており、魅魔も含め助けてやりたいと真に思っている。
「魔理沙、今日は家にいるの?」
「ああ、妹紅のお陰で実験がはかどりそうだからな。」
妹紅が貸してくれるという道具に興味津々の魔理沙。
「じゃー、待ってて、すぐ戻るから。」
「楽しみだぜ!」
「きっと驚くわよ。」
この驚くという言葉の意味は、その道具の持つ効果だけではないことを魔理沙は後で知る事になる。
風見幽香は藤原邸にいた。
昨日香霖堂で妹紅との別れ際に交わした約束どおり、首の負傷が癒えた事を隠し静かに療養しているふりをしていた。
何もせずじっとしていることは幽香にとって苦痛ではない。長く生きている妖怪はいずれも腰が重くなって活発ではなくなるが、それとは別に、植物など自然を操れる能力を持つ幽香は、自然と同調し何日でも何ヵ月でも動かずにいることが出来る。これは他の妖怪には出来ない特技でもある。
幽香をあまり知らない者は、最強などというその肩書きから喧嘩っ早く短気でじっとしているのが苦手な妖怪に思われがちだが、幽香を知る者から見れば、季節ごとに移動するものの長期間同じ場所に定住し、出掛けるとすれば人間の里くらいで、風見幽香ほど足取りが掴みやすい妖怪はいないのだ。
幽香がケガをしてからまだ数日しか経っていない。幽香の異変が周囲に知れ渡るには少なく見積もっても一月くらいは余裕があるはずである。
もう少しここでゆっくりしていても問題はないだろうと思う幽香であったが、そこに意外な来訪者が現れた。
「こんにちはー。」
「あら、橙?」
「あ、幽香様こんにちは・・・あれ?家間違えたかな?」
藤原妹紅に藍の手紙を渡すために藤原邸を尋ねてきた手書きの地図を持った橙は意外な顔見知りと遭遇して戸惑いの表情を見せキョロキョロする。
「誰に会いにきたの?妹紅?」
「はい、藤原妹紅さんに・・・。」
「なら、家はここで間違いないわ。そのうち来るでしょうから、上がって待っていなさい。」
「はーい。」
靴を脱いでぴょんと縁側に飛び乗った橙は、そのまま幽香の隣にちょこんと座って幽香を見上げにっこりと笑う。
首が曲がらないふりをする幽香は横目でそれを受けて微笑みを返す。橙は幽香のケガの事は知らない様子である。
幽香は結界の管理で忙しい藍から子猫の橙について色々と便宜を図ってほしいと頼まれており、その親バカぶりは呆れるほどである。しかし、この笑顔を見ると自分もこんなペットなら欲しいとも思ってしまう。
橙の首に藍色の小さな風呂敷がまかれており、重量感のないその様子から中には非常に軽い物が入っているようである。妹紅に会いに来たということから察し手紙でも入っているのだろうと考える幽香。
「妹紅に何か用事なの?」
「はい、藍様からお手紙を渡す様に頼まれました。」
隠す様子もなく正直に話す橙。そもそも何か高度な駆け引きを要する場面に橙を使うとは思えないし、本当にただのお使いなのだろうと幽香は自分なりに納得し普段通りに接する事にした。
ちょうどそこへ家の主である妹紅が帰宅する。
中庭に背中を向けて降りてきた様子から北の方から飛んで来たのだろう。恐らく魔理沙の家からだろうと幽香は判断した。
「おはよう妹紅、かわいいお客さんよ。」
「ん?」
「おはようございます!」
幽香の声に振り向いた妹紅は橙の挨拶を受けて、特に意味があってそうしたわけではないがつまらなそうにしていたその表情を崩して挨拶を返す。そしてすぐに橙が藍の式神である事を思い出して表情はそのままで警戒する。
予想以上に早い紫側との接触に、魔理沙との約束や魅魔とのやりとりを思い出し、今後のスケジュールを模索する。
「これ、藍様から預かってきました。読んで下さい。」
そう言って立ち上がり靴を履いて外に出て来た橙が、首に巻くように背負っていた風呂敷を開けて手紙を取り出し妹紅に渡す。
受け取った妹紅は自分の名前が書かれた自分宛ての手紙を一瞥し、後で読もうと手紙をしまうためにそのまま座敷に上がろうとしたが、それを橙が慌てて制した。
「あの、返事を聞かせて下さい。」
「え?今?」
魔理沙の用事を済ませる為に竹林の隠れ家へ向かうついでに幽香に挨拶をしようと家に寄っただけなので、今手紙に目を通すつもりがなかった。そのため橙の申し出は意表を突いたものになった。
橙、いやこの場合藍だろう。何故今なのかその真意が分からず思わず幽香を見てしまう妹紅。
「そうしてあげたら?」
警戒する妹紅に無警戒の幽香はやんわりと言う。その態度からこの状況を深刻に考える必要はないと判断する妹紅。
「わかったわ・・・すぐ読むわ。ちょっと待ってね。」
妹紅は手早く済ませようと座敷には上がらず中庭で手紙を開く。
手紙には昨日の神社で起こった事についてとその顛末、お詫び等が丁寧にしかも美しい文字で書かれており、公的な書簡であると認識して妹紅も真剣な表情でそれを読む。
しかし肝心の要件に関しては、直接会って話をしたい旨と指定する待ち合わせの場所と時間で都合が良いかどうかを橙に口頭で知らせてほしいというだけの簡単なものだった。
妹紅の腑に落ちない表情を見て幽香は手を出して手紙を渡す様要求する。
「いいの?」
妹紅は幽香に手紙を見せていいかを橙に問うが、橙は困った表情をする。こういう場合にどうすればいいか藍から教えられていないからだ。
「妹紅がもらった手紙なんだから妹紅がいいようにしたらいいのよ。」
人間的には礼に反するが妖怪的には正論だったので妹紅は幽香のいる縁側に歩み寄って腰を下ろすのと身体をねじのを同時に行って幽香に手紙を手渡す。
手紙を受け取った幽香が一通り目を通した事を確認して口を開く妹紅。
「場所は屋台、時間は夜・・・何これ?」
あまりにも曖昧な場所と時間指定だった。
「ミスティアの屋台でしょ?時間は夜っていったら夜でしょ?」
「時刻は?」
「妖怪に時間なんて関係ないわよ。向こうがこう指定してきたんなら、暗くなったらそこにいけばいいだけよ。人間じゃあるまいし、約束はすっぽかさないでしょ?」
妖怪との正確な時間指定など無意味な事は知っていたが、実際その場面に遭遇すると面食らう妹紅。やはり自分は人間なのだとつくづく思う。
「じゃーミスティアの屋台って?」
時間はいいとして次は屋台の事である。
「神社にいく途中になんか車のついた小屋みたいのあるでしょ?」
「ああ、あれか。」
妹紅が博麗神社に向かって里の門から真っ直ぐ東に飛んで、太陽の畑に向かう南の向かう三叉路のところにそんなようなものがあったことを思い出す。
「妖怪が屋台なんてやってるの?」
「最近始めたみたいよ。屋台を拾ったついでに見よう見まねではじめたみたい。」
「ふーん、妖怪も暇なんだな・・・。で、今晩その屋台に来いって事?」
「でしょうね。」
「・・・。」
妹紅は思案する。
今晩また魅魔と話をする予定を組んでいるので、夜遅くまで藍と話をする事は出来ない。
では、用事があるからと断るとどうなるだろうか?余計な詮索をさせてしまい、探りを入れられ魅魔の件がばれるかもしれない。
ここは大人しく向こうの要求に応えるのが良いだろうが、その場合時間をどう設定すればよいのだろうか。
「夜っていったらいつから夜になるわけ?妖怪にとっては。」
「私の感覚でいうなら気温が下がって植物の活動が落ち着いてからかしらね。私は夜目が他の妖怪ほど利かないから人間と同じように暗くなれば夜って認識でもいいけど、普通の妖怪からしてみたら夜が人間でいうところの昼だから。」
「ややこしいわね。」
「この場合、藍が招待するわけだから、妹紅が屋台に来るタイミングをみて藍も来るんじゃない?」
幽香の言葉は確かに正論なのだが、そこまで相手を信用することは出来ない妹紅。
「それと屋台は夜遅くなれば他の妖怪もやってくる可能性があるわ。静かに話がしたいなら日没後がいいんじゃないの?」
日没後なら、夜遅くまで話し込むことはないだろうし、数時間過ごしても夜中まで余裕で切り上げる事ができるだろう。しかし、重要な話を不特定多数の存在が利用する屋台でするのもどうかと思うが、考えてみれば妖術使いとして活動していた時は諜報活動の伝達はいつも人の賑わっている場所でやったものである。案外正解なのかもしれない。
「わかった。その頃に行く。と、いうわけだから橙。」
途中まで幽香に答え、最後は橙に振り向いて優しい口調で答える妹紅。幽香と妹紅の話があまり理解出来ずキョトンとしていた橙は、妹紅に振り向かれてはっとなって返答する。
「はい!えーと、手紙の内容で大丈夫・・・と、いうことですね?」
「うん。」
「わかりましたー!ありがとうございました!」
ご主人様に頼まれた仕事をしっかりこなせた事を対する喜びと感謝の意を小さな身体全体で表現した橙はそのままどこかに飛び去っていった。
橙を見送った妹紅は幽香に振り向き肩をすくめて苦笑する。
「屋台か・・・私も行きたいわね。」
「私は別にかまわないけど?」
拒否されることを前提で言ってみた幽香に予想外の返答が来る。
「やっぱやめとくわ。話がややこしくなりそう。」
酔って墓穴を掘りそうなので妹紅の申し出を断る幽香。
「幽香、今日の夜は暇?」
緩んだ会話の中で急に妹紅の表情が締まり、それを見て幽香も真顔になる。
「ご覧の通り療養中よ。」
全快の幽香だか暇だという意思表示をこのような言い方で表現する。
「なら、ちょっと顔貸して。」
「・・・いいけど。今晩は埋まってるんでしょ?」
「藍と長話する気はないわ。」
「そう・・・ここにいればいいのね?」
「ええ。」
妹紅はそう返事をすると慌ただしく飛び去っていった。
幽香はどこへ行くかも告げづ飛び去った妹紅に悪態をつく様子もなく無言で見送る。昨日のマルキと香霖堂での件に関係する話だろうと容易に想像でき、その事で頭が一杯で妹紅の行動に気を回す余裕がなかった。
魔理沙の件に対するシグナルを妹紅は確実に受信しているはずである。その答えが今晩得られるのだろうか。
この時の幽香はこの後に起こる魅魔との再会を全く予見する事は出来なかった。幽香は、魅魔が魔理沙の蘇生を成功させた事は知っていたが、その後、魔理沙の中で生きつづけている事を知らないのである。
地霊殿の外観は純和風の木造建築ではなく、何時の時代か定かではないが恐らく大陸からの影響を受けたと思われる、石積の砦の様な土台に太い柱と大きな瓦屋根で構成された巨大な建造物である。
灼熱地獄として栄えていた時代は地霊殿周辺に巨大な鬼が闊歩し、その近辺は鬼達の住む家々が建ち並ぶ大都市を形勢し今は旧都と呼ばれている繁華街は大変賑わっていた。
灼熱地獄は最も罪の重い者達が堕ちる場所とされており、その為、そこを守る鬼達も地獄で最も屈強とされた猛者ばかりであった。地霊殿本殿の裁きの間はそうした鬼達が警備をするため非常に広いスペースが確保されている。
しかし、絢爛豪華な地霊殿も今は昔。内装などは全て新地獄に移動している為、かつての栄華はどこにもなく、地下から無限に湧き出す地獄の業火の輝きが、建物の隙間を抜けて僅かに部屋を暗いオレンジ色に灯す。
その何もないただ広いだけの地霊殿の暗く静かな空間の中で一人佇む少女、古明地さとり。
彼女の本質は決して邪悪なものではなく、堕とされてここにいるわけではなく自ら望んでここにいるのだ。
何人かいる閻魔用の椅子のうち小柄な人間サイズの椅子だけが持ち出されず地霊殿に放置されており、さとりはそれを自分の椅子として愛用している。
人間が腰を下ろして丁度良い座り心地でありながら背もたれだけが異様に高く天井まで聳えている。灼熱地獄では凶悪狡猾な罪人を取り扱う関係で閻魔も一人というわけではなく様々な罪に対応出来るよう複数名常駐しており、それぞれ背丈が大きく違うのだが、何れも同格であることを示すために椅子は全て同じ高さにしなければならなかった。その為こんなおかしな椅子が作られたわけである。
新地獄として施設を一箇所に集中し合理化を図る上で、このような無駄に材料を使う椅子は必要なかった、というよりあってはならなかった。その結果無駄の象徴ともいえるこの椅子だけが地霊殿に残されたのである。
外見は12歳前後の少女の姿。服装その他全てにおいてかつてのさとりらしさがない可愛らしい姿をしていた。
仏教の隆盛によってかつては共存していた人間と妖怪の関係は崩れ去り、妖怪は人間界から追放されていく。
妖怪のうち霊格の高い者の多くは八雲紫らの提唱する幻想郷事業に参加していたが、人間の周囲にいて彼らに害を為す迷惑な存在を生業とするような邪悪な低級妖怪は、住みづらい世相になっても人間から離れる事が出来ず行き場を失い法の力に晒されるようになってゆく。
さとりという妖怪は、それら法によって裁かれるような邪悪な存在ではなかったが、その心を読む能力のおかげで、他の妖怪や人間からひどく嫌われた存在であった。
仏法界(仏教界)では、妖怪を封印する場所を旧灼熱地獄の広大な旧地下都市に定め、その上で灼熱地獄を悪用されない為に地霊殿に強力な管理者が必要となった。強大な力は持ってはいないものの、特殊で忌み嫌われた能力を持つさとりが選任され、さとり自身もまた平穏を求めていたのでこれに同意し、他の妖怪と共に地獄堕ちして地霊殿の主となったのである。
両目を閉ざし静かに佇む少女の左胸に見開いたままの大きな瞳がある。これが他者の心を読む第三の目である。自身の二つの目を閉じていても、この第三の目は閉じることなく常に見開かれた状態でさとりと繋がってはいるものの、それを自由にすることが出来ず第三の目はそれが独立した器官の様に勝手に動いている。
「!」
そんなさとりの耳に聞き慣れた鈴の音が近づいてくる。
「お燐?」
真っ直ぐ自分に近づいてくる鈴の音が膝の上に飛び乗って来る。全身をさとりにこすりつけて甘えるお燐と呼ばれる猫の姿をした妖獣にそっと手を添えて優しくその頭を撫でる。
「どうしたの?勝手に戻ってきてはだめしょう?」
火焔猫燐、通称お燐と呼ばれる化け猫は、以前起こった旧地獄異変の終結の際、地霊殿の主である古明地さとりが幻想郷側に害意がないことを示すための意志表示の一つとして博麗神社に出向させている大切なペットである。
お燐は定期的に神社と地霊殿を往来をしているのだが、今は戻る時期ではない。お燐の脱走行為は幻想郷との関係をこじらせる要因になるため、この事をお燐に厳しく問い質そうとするさとりだったが、お燐以外の別の存在の来訪を第三の目が知らせ周囲を警戒する。
「こんにちは、さとり。私が連れてきたのだからお燐は責めないであげて。」
「あら、あなたは・・・八雲紫。」
じとっとした半開きの目で値踏みするように突然現れた妖怪を見るさとり。お燐を連れてきてこちらのご機嫌を伺おうとしているのか。普通ならその答えを第三の目が教えるのだが、この八雲紫という妖怪は思考に境界を作っているらしく、こちらの能力が全く通用しない。
無意識に他者の思考を見て不快になってしまうこの能力を忌み嫌いつつも、それが通用しないことに怒りを覚え、その矛盾した考えが自分自身を幻滅させる。
「少し、お話してもいいかしら?」
扇子で口元を隠し笑みを浮かべながら面白そうに伺う紫。
能力が通じない相手に対しては思考を読んで気が滅入る必要もないので本来なら歓迎すべきところであるのだが、やはり釈然としないものがある。そもそも、対等に誰かと話をする事などほとんどないので、会話そのものがさとりにとって大きなストレスであり、特に紫のような口先の上手い策士タイプは苦手である。
思考を読み、有利に会話を進める事が出来るさとりの唯一の天敵が八雲紫なのだが、その一方で普通の会話が出来る唯一の相手でもあるのだ。
「ここにはこの椅子以外に何もないし、おもてなしも出来ないけれど、それでよければ・・・。」
「堅苦しい取り決めの話とかではないの。ただちょっと聞きたいことがあってね。」
「私が知っている事で、教えても良い事なら何でも話すわ。」
逆に言えば何も教えないともとれる言葉である。
「ここ旧地獄から幻想郷に移住した妖怪達が何人かいるけど、その中で組織的に動いている連中がいるわよね?」
紫の目が妖しく光る。
「ああ、あれは聖派の連中ね。」
「聖?聖白蓮のこと?」
紫が少し驚いたように聖白蓮という名前を口にした。
「ええ、そうよ。あの連中が何かしたのかしら?幻想郷に出た連中が何かしたら、そっちのルールで処分しても良いという取り決めでしょ?」
「別に何もしていないわ。実に大人しい連中だけど・・・。」
「だけど?」
「何かを企んでいる可能性はあるかもしれない・・・。」
「確かに連中は聖白蓮の復活を画策しているでしょうけど、それは絶対無理な話よ。」
さとりは言わなくてもよい事をつい口にしてしまう。
「ふーん、そのあたり詳しく教えてもらえないかしら?」
紫の目が細く妖しく光りやや口調が変わる。
さとりは少し喋りすぎたと思ったが、聖派の連中とは特に交流があったわけでもなく、知っている事について紫に話しても自分が何か損をするというわけでもなかった。得にもならない事で下手な駆け引きをして、欲張って条件でも出そうものなら墓穴を掘ってこちらが余計な譲渡をする羽目になる可能性がある。正直、心を読めない紫に対して口論で勝てるとは思えない。ここはむしろ求めに対し素直に応じる方が心証も良くなり、こちらが今後何かを望む時に交渉を有利に運べるかもしれない。
「あなたは聖白蓮に関してどのくらい知っているのかしら?」
話をするにも相手側の知識を知っておかなければ無駄な時間を過ごすだけである。
「全てを救おうとして、全てに裏切られた、愚かで哀れな魔法使い・・・と言ったところかしら?」
「そうね・・・結果として多くの人間、妖怪から敵視されてしまったわね。でもあなた達幻想郷派からしてみれば彼女のやったアレはかなり良かった事じゃない?」
「アレ?」
「聖白蓮が寅丸星を毘沙門天に推挙したことよ。」
「確かにしょうちゃんが人間についたことで、妖怪から富が消え自立できなくなった。その結果、賢い連中は人間の世界と関係していくことを諦め、その多くが幻想郷事業に参加することになったわ。」
寅丸星という妖怪は富集めるという絶大な力を持ち、非常に人気のある妖怪で、妖怪達の中でその名を知らない者はいない。紫は彼女を「しょうちゃん」と呼んで親しんでおり当然面識もあった。
「白蓮は全体をバランス良く計画的に事業を進める能力に乏しく、その時々の感情で思いつきのように肩入れする傾向が強かった。それは片方には良くても片方には不利益になるというようなものばかり。寅丸星は確かに真面目で毘沙門天の富の面を担うに相応しい性格だった。でも、白蓮はその当人の性格面ばかりしか見ておらず、彼女の能力がもたらす影響に思い至らなかったのね。」
「しょうちゃんが毘沙門天になったことで、人間に富が集中し妖怪は疲弊した。私達には良かったことだけど、妖怪全体からみればとても受け入れられないことよね。」
「人間有利の世界に自分でし向けておいて、妖怪が不利になれば今度はそっちに肩入れをする。そんなことばかりするから、どちらからも最後には嫌われてしまう。」
聖白蓮が人間として生きていた平安時代中期は、怨霊、物の怪、妖の共存する世界だった。法の下でそれらを裁き赦していた白蓮は、改心したそれらの物の怪達の絶大な支持を受け、彼らと交わるうちに次第に彼ら妖怪側に感情移入し肩入れを始める。
しかし、高僧を弟に持つ白蓮は法界に縛られ人間界からも離脱出来ないでいた。そんな時、自分を法界に縛っていた弟の死によって法界に対する義理が消え、この機に弟の残した力を利用して人間と妖怪といった区別のない存在、魔法使いへと転身する。
力を得た白蓮は、彼女の力の源となる法の力で人間と妖怪双方に肩入れをするが、目指した世界があまりにも理想主義的で現実性に乏しく、その時々の場当たり的な対処で救済を行っていたため、それによって益を得る者とそうでない者とに二極化していく。
元々は富の神様であった毘沙門天であるが、日本に伝わった当時、信仰した者が軍事面で成功を収めた事で軍事の神様としても扱われるようになり、更にその信仰が大きくなり過ぎ、本来の富の神様としての業務に支障が出始め、その解決に白蓮が妖怪の寅丸星を推薦した。
頼み事を断れないお人好しな星は、その求めに応じて毘沙門天の経済面の業務を請け負うが、これが妖怪側に致命傷を与える結果となった。
富が人間に独占され、地方の貧しい人間達が財を持ち軍閥化し始めると武士団が形勢されてゆき、それらが権威を求め始めると、貴族達は名声を売る替わりに武士達にお寺を建てるための資金を提供させはじめる。
平安中期から後期、西暦1000年前後は時代の節目にやってくると言われる仏法の衰退期による末法思想が蔓延していた。そこで仏教の力を維持しようとお寺の建立が盛んにおこなわれた。これによって法界は力を付けて独立国家に近い軍事力を持ち始め、朝廷や武士団に対しても大きな脅威になってゆく。そんな人間達、特に仏教界の隆盛に妖怪達は為す術もなく後退し、幻想郷派はちょうど月面戦争とその戦後処理をしていたため、それ以外の妖怪は白蓮しか頼れる者がおらず、彼女に保護を求めるようになる。
人間に肩入れする必要性がなくなったこの時代、白蓮は妖怪に積極的に味方し妖怪も白蓮の保護を求め参集した。しかし、法界はこれを利用し毘沙門天の力によって白蓮もろとも妖怪を地下に封印してしまう。
「白蓮に救われた者達の派閥と白蓮に保護を求めて封印された妖怪の派閥は仲が悪くてね。旧都の真ん中で星熊勇儀が睨みを利かせてくれたおかげで大きないざこざも起きなくてよかったのだけれど・・・。」
「けれど?」
「星熊勇儀も外に出たがっていたし、彼女が居なくなれば当然揉め事が起きるわ。」
「だから、問題の元凶を放逐したわけね。」
旧都にはさまざまな派閥があり、聖派もその一つで、彼らを嫌う者もいれば仲が良い者もいた。
「私に命令出来る権限はないわ。星熊が外に出るついでに彼らを連れていくからよろしくと言いに来たのをただ聞いていただけよ。実質旧都は彼女によって支配されていたようなものだし。」
さとり自身、旧地獄では強大な存在として認識されているものの、リーダーとして頼られる存在として扱われることはなく、むしろさとりを嫌って誰も地霊殿に近づこうとしなかった。
「さっき、あなたは白蓮の復活は絶対不可能だといったけど・・・。」
「白蓮は地獄のもっと下にある別の階層に封印されて、入口はバラバラにされて、入口を開けるカギは寅丸星が持っているの。」
「なるほど、その一味が何かするにしても、しょうちゃんに会わなければ何もすすまないということね。」
「彼らがいくら強くても、自力で外に出る事は不可能でしょ?」
語尾に何か意味を含めて言うさとり。自力では無理でも、誰かが外に出してあげればよい。それが誰かは言うまでもない。
「・・・。」
紫は少し思案にふける。白蓮という存在は自分とは正反対のような性格をしているのだろうと紫は考える。小物の考えなら、そういった存在は消えて欲しいと思うだろうが、紫としては幻想郷が楽しくなりそうだし、白蓮と一度話をしてみたいとも思うので彼女の復活は歓迎である。妹紅の件もそうだが、強力な人材は喉から手が出るほど欲しい。何故なら幻想郷を次の段階に昇華させる際、それに掛かり切りならなければならず、その際代理として幻想郷の治安を誰かに任せたいという想いがあるからだ。それは一人ではなく複数によるものが望ましい。そしてそれらは仲良しではなく、ある程度争って幻想郷を騒がせてもらいたいのである。
この時の紫は、魅魔という存在は亡いものとして考えている。
異変が一段落した後に、聖派と呼ばれる連中をけしかけてみるのも面白い。寅丸星が万が一人間側から離脱して幻想郷入りするならこれは非常に嬉しい事であり、発展し過ぎる外界の歯止めにもなる一石二鳥の事である。
しかも、毘沙門天と諏訪には因縁もある。
「どうしたの?ニヤニヤして。」
色々なアイデアが頭に浮かんで、それが思わず顔にでる紫。
「ふふふ、とても良いお話を聞いたわ。ありがとう。礼を言わせてもらうわ。」
「あらそう?それはよかったわね。」
紫の反応は予想以上に良く、かなりの好感を得た様でさとりもその結果に満足だったが、敢えて素っ気なく他人事のように答える。
「それにしてもあなたはその辺の話し、とても詳しいのね。」
「ぶっちゃけて言うけど、白蓮を使って妖怪達をまとめて地獄堕ちさせる作戦をとった法界と私はグルだったのよ。」
思考を読めるさとりの能力は白蓮などの勢力にまわられると法界としては厄介だったので、良い条件を提示しさとりを籠絡させていたのである。人間からも妖怪からも嫌われていたさとりとしては、妖怪らに義理は無く、静かな場所と忠実な召使いさえ居れば他に何もいらなかった。
「なるほど、それであなたが地霊殿の主になっているのね。」
さとり自身の妖怪としての身体的能力は決して高いわけではなく単純な力比べではその辺の雑魚妖怪と同レベルである。しかし、さとりの能力は相手の弱点を見抜ける事で、それを利用して絶対的な優位に立つ事が出来る。どんなに強くても弱点さえあれば勝てるのである。
ただ、さとりの力が通用しない紫にとってみれば、さとりは弱い妖怪にしか見えない。その弱い妖怪が旧地獄の主になっているのには理由があると前々から思っており、その謎が一つとけたというわけである。
「私にとって人間も妖怪も全て頭痛の種でしかないの。」
他者と関わると脳に様々なノイズが入り込んで精神を圧迫する。妖怪のように素直なら弱点を言い当てて追い払う事は出来るが、嘘付きな人間はさとりの能力を逆手にとり、様々な嫌がらせをしてくる。
「ここは静かだし、ペットは皆こんな私でも慕ってくれる・・・。これ以上のものはないわ。」
さとりはそう言いながら、膝の上で機嫌良く喉を鳴らしているお燐の頭を撫でる。
「それにしたって、姿格好まで変わる事なかったのに・・・。」
さとりと紫は外界にいたころに面識がったが、霊夢と同行した地下調査中に出会った時の少女さとりを見て、それが旧知のさとりだとは気づかなかったのである。その後、幻想郷との繋がりを持たせるために紫とさとりは会談しているが、その時になって、あのさとりだと知ったのである。
「一応私も堕とされた事にしないとね・・・まぁでも、正直この格好はないわよね。」
うんざりしたように自分自身の格好に呆れるさとり。
地下に堕ちた妖怪達は、滅殺されるのを赦される代償として、他者に恐怖心を与える要素を取り除かれ、皆一様に可愛らしい女子どもの姿に変えられてしまっている。
ミシャクジ様である守矢諏訪子もかつてヘビの姿だったが、戦いに敗れ許される際に信仰の象徴であるヘビの偶像を譲り渡すことで信仰を差し出し、ヘビを天敵とするカエルの姿になることで反逆の意志の無い事を示しているのである。
この国では、殺した後の怨霊を恐れるあまり、殺さず共存する歴史を辿ってきた。地下に堕ちた妖怪達もそれに倣ったわけである。
実は幻想郷自体もそうした仕組みがとられており、幻想郷入りした際、恐怖心を生む外見的特徴を持つ者はそれらを取り除かれるのだ。
地霊殿を去った八雲紫はスキマの中で思案に耽っていた。
旧地獄を出た謎の集団の正体が掴めた事と、それらが今回の件に関係なさそうだと判断出来、異変を進める上で不明点を消すことが出来た。そして意外な相関関係も浮かび上がり、これは後のお楽しみとして取っておくことにする。
幻想郷には勢力と呼べる幾つかの集団がいる。運命をこじらせて先行きが不透明な状況で、積極的に彼らと接触するのは危険である。これ以上関係者が増えない様に、静かに事を進めるのが得策である。
これが現状の紫の方針である。
「さて、次は天狗ね。」
この異変に関しては比良山という大天狗からの要請に応えるという目的もある。
西側にも影響を与えるような大きな事件を起こして、天狗の勢力に少しインパクトを与えて欲しいという要請があった。これは妖怪の山を支配する天狗勢も長い平和によって様々な歪みが生じており、ガス抜きが必要だからである。
この異変をどう料理するかは天狗側に任せるとして、この大きな異変に際して何も知らない天狗側が緊急防衛行動を起こさないように、あくまで東側の勢力だけで事を収める事を事前に知らせておく根回しが必要だった。
「この異変を吸血鬼の反乱に仕立て上げれば、天狗側も黙ってはいないでしょうね。」
邪悪な笑みを浮かべる八雲紫だった。
博麗神社の建つ本陣山の北に綺麗な三角の形をした少し高い山がある。
人間の里からは魔法の森が視界を遮り神社の建つ標高の低い本陣山を直接見ることは出来ないが、この三角形の山の頂上部分は里からもよく見える。里の人々の間では、その山の形状から『三角山』と何の変哲もない呼び名を与えられている。
朝霧にうっすら浮かぶ博麗神社を眼下に見下ろしながら八雲藍は思いを馳せる。
先日の事、特に藤原妹紅の件が頭から離れない。
人間が三角山と呼ぶこの山の頂上には八雲紫の家の一つがあり、特殊な結界で外からはその存在を感知する事ができないようになっている。
この家は、家と呼ぶにはかなり大きな建物で元々は博麗神社の所有する社務所の建物の一つを移設したものである。
この元社務所は幻想郷を管理する八雲藍の仕事場のようなもので彼女はここに常駐している。実質藍の自宅兼事務所である。
広い社務所にはいくつものスキマが開いたまま並んでおり、そのスキマで幻想郷の任意の場所に瞬時に行き来出来るようになっている。幻想郷の外周結界を見回り管理する藍にとって重要な瞬間移動装置といえる。
「あら、藍。ここにいたのね。」
東西に長い社務所の南向きの縁側に立って考え事をしながら博麗神社をぼんやりと眺めていた藍は、紫から声を掛けられて振り向く。
「あ、紫様。呼びましたか?」
呼ばれた事に気付かなかったと思い確認する藍。
「呼んではいないけど・・・珍しいわね神社を見てるなんて・・・。」
紫はここで時々神社や幻想郷を眺めているが、藍はこれまでそうしたことをほとんどしなかった。普段は社務所中央の自分の座卓の前か、社務所の隣にある茶の間にいる。
「少し考え事を・・・。」
「妹紅のこと?」
「それもありますが、今後の事など・・・。」
ほとんど妹紅のことばかり考えていたが、口に出しては異変全体の事を考えていると告げた。
「その事だけど、要請があって三日後に三賢者会議に出席するわ。」
「紫様も律儀ですね。」
苦笑する藍。
「決まりだからしかたがないわ。」
「で、今回も映姫のところですか?」
「今回は白玉楼よ。」
「白玉楼?言い出しっぺは映姫ではないのですか?」
「ええ、今回は映姫ではなく幽々子よ。」
閻魔である四季映姫を呼び捨てにする紫と藍。本人の目の前では様付けで下手の態度でいるが、妖怪が閻魔に媚びる必要は本来ないのでこのことに関しては特に問題があるわけではない。
本人や関係者の前では閻魔の立場をたててへりくだった態度をとっているが、その理由は博麗の神主やそれにかわる地主的存在がいない人間の里における法の要として閻魔を利用しているからである。妖怪も頭が上がらない存在として認識させる事で人間や他の弱い妖怪の増長を未然に防ぐ狙いがある。
幽々子の名前が出た事を驚いた藍であるが、その名を出した紫の自身の表情に曇りがあることも同時に気付いた。
「・・・。」
ほんの少し場が沈黙する。
三賢者会議とは、幻想郷に於ける様々な取り決めを行う際、八雲紫と博麗神社だけで判断仕切れない案件や手に負えない案件の取り決め時や、部外者から幻想郷の運営に対する意見や提案を聞き入れる際、又、神社側の責任者不在時などに緊急に取り決めなければならない場合等に幻想郷外の中立的立場の賢者、偉人が取り決めに参加する特別召集会議で、紫と幻想郷外から2名以上の参加で執り行われる会議の事である。紫を含め3人以上の賢者で執り行う必要があるため、この名前で呼ばれる様になった。
ちなみに、このメンバーは固定されているわけではないが、近年は閻魔である四季映姫が頻繁に召集し冥界の西行寺幽々子が頭数を揃える為と友人である紫に会う口実の為に映姫の参集要請に応じ、この3人で定期開催のようになっている。
今現在、博麗神社の代表は外界にいる神主であり、博麗霊夢には能力的にも立場的にも博麗代表の資格がないが、取り決めの際の署名には霊夢の名前が使われる。スペルカードルールも霊夢の名前で署名されているが、この件に関して博麗霊夢はノータッチであり、このルールは三賢者会議で制定されたものである。
この会議は基本的に紫以外からの申し出によって召集されるものだが、法的な拘束力がないので紫はこの会議の発動に対して必ずしも参加する必要はない。しかし、周辺各位との良好な関係維持の為にも紫はこの会議の招集に際しては積極的に応じており、これまで一度も欠席したことがない。
そして今回の三賢者会議に際して、初めて西行寺幽々子からの召集要請があったのである。今まで会議自体に無関心だった幽々子の突然の召集に紫としても色々と考えるところが多い。
「今回の件はそれなりに危険ですからね。」
「それに恐らく藤原妹紅に興味を示したのでしょう。」
幻想郷崩壊の危険性も含む今回の不死鳥自爆転生異変と、その爆心となる藤原妹紅の存在は西行寺幽々子の興味を大きく惹いたのは間違いない。
生きとし生ける者全ての天敵ともいえる西行寺幽々子が唯一天敵とする蓬莱人の一人、藤原妹紅。以前から興味を示していたが、気軽に会って話す様なコネが無く、しかも不死人狩りに参加し妹紅を討伐した手前もある。会って話すにもそれなりの場所で改まってやるべきだろうと考えているのだろう。恐らく今回の異変の兆しを受けて会う機会が出来そうなので召集したのだろうと紫はみている。
「案の定、藤原妹紅の会議の参加を希望してきたわ。」
「ま、異変の元凶ですから会議の出席を求められるのは当然といえば当然ですが・・・単純に会いたいだけなのか、何か魂胆があるのか・・・幽々子様はかなりのタヌキですからね・・・。」
「キツネのあなたにそう言わせるのだから幽々子のタヌキっぷりは筋金入りなのでしょうね。」
クスクス笑いながらキツネとタヌキの化かし合いを揶揄する紫であるが、その本人が親友でもある幽々子の優れた能力とそのタヌキっぷりを一番良く知っている。
「おかしな因縁が増えなければいいのですが・・・。」
からかう紫に苦笑で応じながらこの出会いが異変にどう影響を与えるのか心配する藍。
「そうね・・・。」
完全に運命をこじらせている今の状況で、相関関係をはっきりさせておきたいという思いがある。そして敵か味方かの選別も重要であるが、現状をそのままにしてこれ以上状況を流動的にさせたくないという思いが強い。
第三者の目線から大局でものを見れば、紫の異変は非常に危険なものである。幻想郷を大事に思う者がいるならばこの異変はやめたほうが良いと判断するのが自然かもしれない。
異変の根源ともいえる妹紅を行動不能にすれば異変は起こらず丸くおさまるといわけであり、幽々子がそう思って行動しているという可能性も否定出来ない。また、幽々子が個人的欲望の為に利用するという事も有り得なくもない。
西行寺幽々子は、八雲紫の親友であるとともに抑え役でもある。幽々子の普段のタヌキっぷりが召集の意図を不透明にさせており、流石の紫もその真意を図りかねていた。
「出来れば幽々子と妹紅は会わせたくはないわね・・・。」
閉じた扇子の先を顎にあてながら本音を藍に告げる紫。妹紅に会わせないようにするのは簡単である。この会議の開催自体を妹紅に知らせなければよい。しかし、それでは幽々子に恨まれる。では、妹紅に自発的に欠席すように申し出て無断欠席をしてもらうか?しかし、それでは今度は妹紅が恨まれてしまう。
「召集に関してはもう既に受けているんでしょう?」
「ええ、もちろん。」
「・・・この件に関しては私に名案がありますよ。」
策士である藍に一つ名案が浮かんだ。
「あらそう?それじゃ妹紅の件に関しては藍に任せようかしら・・・あ、でも、くれぐれも・・・」
「分かってます。我々にも、そして妹紅にも責の出ない方法で処理します。」
紫の心情を察した藍は、全て心得ている旨を伝え、それを受けた紫は安心した表情で頷いた。
「藍、この機会に一度妹紅とゆっくり話をしてみてはどう?」
「会議の要件を伝える時にでも、そうしてみようかと・・・それより、紫様?」
「なぁに?」
「どこかお出掛けですか?」
先程から気になっていたが、身体のラインがよく見える外出用の服装を見てその理由を尋ねる藍。普段は藍とデザインがお揃いで色違いの昔から替わらぬ服装だが、今は完全に外界の現代的服装である。
「ええ、これから地霊殿に行って来るわ。」
地霊殿とは各地に分散した地獄の再編成によって廃棄処分となったいくつかの旧地獄の中の一つ、灼熱地獄の入口の上に蓋の様に存在する宮殿の事で、現在古明地さとりがその主となっている。
旧地獄は、妖怪の山に住み着いた神様の謀に巻き込まれ図らずも幻想郷と繋がってしまい、さとりは旧地獄異変の元凶としてその名が最近幻想郷に知れ渡るようになった。もちろん元凶というのは噂で真実ではない。
「地霊殿?さとりに何か用事でも?」
「さとり自身に用事があるわけじゃないけど、別件に関して聞きたい事があってね。」
「聞きたいこと?」
「旧地獄の妖怪のいくつかがこちらにも移住してきたけれど、その中で集団で組織的に動いている連中がいるでしょ?」
「ああ、あの連中ですか・・・でも、私も会って話をしましたが、いずれも平和主義で無害かと・・・。」
藍の返答を受けて紫は扇子を開き口元を隠し目を細くして藍を睨む。
「あなた、似たような事を妹紅の時に言わなかったかしら?」
「あ・・・。」
紫のスキマ爆弾の処分に不死鳥の転生を利用するという提案をしたのは藍であり、その中心となる藤原妹紅を利用し手懐けて意のままに操ろうと画策したのも藍である。その時、紫の不安に対して問題ないと自身満々で返答しているのだ。
しかし、蓋を開ければご覧の有様であり、その予想外の結果は紫側にも妹紅側にも良い方向に向いてくれたものの、それを予見できなかった事は藍の失態である。
「当時の状況では藍の見立てで恐らく間違いなったわ。でも何が隠れているか何が起こるかわからない。今回の件でそれを学んだわ。だから本人達に直接接触するのではなく、それを知る者から隠された情報を得るのが良いと思うのよ。」
「・・・返す言葉もありません。」
「ま、あの時、承認したのは私だし、あなた一人に責があるものではないわ。今回の件はお互いに良い勉強になった・・・と、言うことにしておきましょう。」
頭が上がらない藍に優しい笑顔を向ける紫。
「・・・はい。」
感情の変化が尻尾の形状に現れるのは妖獣型の妖怪特有のものであり、紫の苦言に立派な九尾がしぼんでしまう藍。感情を制御し尻尾にそれが現れない様に出来る藍ではあるが、主人の前では自分を偽る事は出来ないのだ。
その藍の様子にクスリと笑みをこぼした紫は、三賢者会議に関する妹紅の参加の件を藍に一任してスキマに消える。
自分以外誰もいなくなった社務所の縁側から部屋を見渡し、紫の言葉をもう一度胸に刻む藍。
しばしの反省の後、一つ息を吐いて気を取り直した藍は、部屋中央にある座卓の前に正座する。
その藍を取り囲む様に紫のスキマが開いた状態で整然と並んでおり、いつでもそのスキマを使って幻想郷中を行き来出来るようになっている。
座卓の上には硯と筆、万年筆やインク壷など何種類かの筆記用具が備わっており、座卓の左右にある引出棚には様々な種類の紙や小道具その他おやつなどが収納されている。座卓の横、座っている座布団の周囲にも巻物や本などが整然と積み並んでおり、ここは正に書斎、仕事場といった様相である。
座卓に向かう藍は筆をとって時間を掛けて一筆認めた後、数回折って厚地の和紙で掛紙し封をして立ち上がる。そして、並ぶスキマを見渡しながら大きな声で叫ぶ。
「ちぇぇぇぇぇーーーん!!!」
普段の藍からは想像出来ないやさしい声が社務所になり響く。
「藍さまーお呼びですかー?」
2秒もしないうちに、スキマの一つから声が返ってくる。その声の主が「ちぇん」と呼ばれている者だろう。
声を聞いた藍は返事の返ってきたスキマに尻尾の一つの伸ばし入れ、何かが掴まった感触を得ると同時に尻尾も元に戻す。
尻尾に掴まってスキマから現れたのは小さな少女の姿をした妖獣であった。橙と呼ばれるこの妖獣は、種族としては猫又と呼ばれる所謂化け猫である。
本来猫又は年老いた猫が化けるものであるが、橙は見た目通りまだ子猫で、恐らく猫又になった経緯は他の猫達とは違う理由からだろう。
藍の式神でもある橙は、能力的に見て九尾の僕としては力不足も甚だしいが、藍はこの子猫を使役する道具として扱っているわけではない。それは橙を呼ぶ時のやさしい声にも分かるように、今は愛玩用のペットとして扱い、今後の成長を期待して教育しているのだ。
黒に近い焦げ茶色のボーイッシュな短い髪の毛の上に、ただ乗せただけのような緑色の帽子。その帽子をはさむように上にとんがった猫耳。子供っぽい赤い服のお尻から二つにわかれた尻尾。耳と尻尾の存在で猫又と認識出来るが、それがなければ里にいる8歳前後の子供にしか見えない姿である。
「今日は何ですか?藍様。」
藍に頭を撫でられ上機嫌の橙は、呼ばれる時は決まって何か用事がある時なので、その事を質問する。
「この手紙を藤原妹紅という人間に渡して来てほしい。それで、藤原妹紅の外見はと・・・。」
藍は橙が妹紅の事を知らないと踏んでその特徴を紙に描いて説明しようとしたが、そこで橙から意外な返答があった。
「知ってますよ?妹紅さんでしょ?」
「おや?知っていたのか・・・で、どこで知り合ったんだい?」
橙と妹紅との間に何か関係があった事に、意外な組み合わせだと思うと同時に自分だけの橙に妹紅が手を出していると勘違いし妬みに近い感情が僅かに芽生える親バカな藍。
「竹林で迷った時に外に連れ出してくれたんですよぉ~。」
人間でいうところの8歳前後の身の丈だが、しゃべり方や声はもっと幼い橙。
妹紅と特に深い関係があるわけではないことが理解できるその橙の返答に安心すると同時に、橙の力ではあの竹林を自力で出ることが出来ない事を知り落胆もする。
竹林はその目印の少なさから普通に迷いやすい所でもあるが、永遠亭に住む月の兎レイセンの能力によってその影響下にある者は方向感覚や判断力を失って迷ってしまうのである。
強い力を持つ者であればこの影響を受けないのだが、弱い妖怪だと判断力が鈍らされる事によって空に飛んで抜け出すという簡単なアイデアすら出せなくなるのだ。
レイセンは定期的にこれを行うことによって『迷いの竹林』という名前の影響力を維持させ、弱い人間や妖怪が軽い気持ちで竹林に入らないようにして、永遠亭を気軽に立ち寄れない遠い存在にさせているのである。
橙の力がまだ月の兎に及んでいない事に落胆しつつも、そんな橙が可愛くてしかたがない藍だった。
魔法の森にある霧雨魔法店。
魅魔という協力者を得た妹紅は、何食わぬ顔で魔理沙と目覚めを共にした。
「おはよう、魔理沙。」
「ふわあああああぁぁぁー。おはよう妹紅。」
「ぐっすり眠れた?」
「ああ、寝過ぎて疲れたぜ!」
意味不明の返答だが、夜中仮死状態だったので疲れが十分取れていないのかもしれない。
妹紅と魔理沙はそのまま昨晩の夕食の残りを朝食にして一緒に取り、その中で妹紅は魔理沙の研究や実験に便利な道具も持っている事を告げそれを貸す約束をする。
魔理沙と魅魔を救う為には魔理沙を黄泉返りさせる必要がある。その為に必要なのが魔理沙との関係強化によって身内ともいえる存在になることである。幸いな事に魔理沙は妹紅に対して一方からぬ感情をもっていたので、あの世の手前で出会える可能性が大きく、あともう一押しといったところである。
恩を売るのが最も効果的だが、その秘策が妹紅にはあった。属性の有無、量を視覚的に認識できる能力を持った者の目玉をくり抜いて作った属性眼鏡だ。魔法茸のわかりずらい特殊な属性を見極めることができれば、魔理沙の実験は猛烈にはかどるだろう。
今妹紅は魔理沙に恩を売り仲良くなる事を作為的に行っているが、決して作戦を成功させる為だけにやっているのではない。妹紅は魔理沙という人間を気に入っており、魅魔も含め助けてやりたいと真に思っている。
「魔理沙、今日は家にいるの?」
「ああ、妹紅のお陰で実験がはかどりそうだからな。」
妹紅が貸してくれるという道具に興味津々の魔理沙。
「じゃー、待ってて、すぐ戻るから。」
「楽しみだぜ!」
「きっと驚くわよ。」
この驚くという言葉の意味は、その道具の持つ効果だけではないことを魔理沙は後で知る事になる。
風見幽香は藤原邸にいた。
昨日香霖堂で妹紅との別れ際に交わした約束どおり、首の負傷が癒えた事を隠し静かに療養しているふりをしていた。
何もせずじっとしていることは幽香にとって苦痛ではない。長く生きている妖怪はいずれも腰が重くなって活発ではなくなるが、それとは別に、植物など自然を操れる能力を持つ幽香は、自然と同調し何日でも何ヵ月でも動かずにいることが出来る。これは他の妖怪には出来ない特技でもある。
幽香をあまり知らない者は、最強などというその肩書きから喧嘩っ早く短気でじっとしているのが苦手な妖怪に思われがちだが、幽香を知る者から見れば、季節ごとに移動するものの長期間同じ場所に定住し、出掛けるとすれば人間の里くらいで、風見幽香ほど足取りが掴みやすい妖怪はいないのだ。
幽香がケガをしてからまだ数日しか経っていない。幽香の異変が周囲に知れ渡るには少なく見積もっても一月くらいは余裕があるはずである。
もう少しここでゆっくりしていても問題はないだろうと思う幽香であったが、そこに意外な来訪者が現れた。
「こんにちはー。」
「あら、橙?」
「あ、幽香様こんにちは・・・あれ?家間違えたかな?」
藤原妹紅に藍の手紙を渡すために藤原邸を尋ねてきた手書きの地図を持った橙は意外な顔見知りと遭遇して戸惑いの表情を見せキョロキョロする。
「誰に会いにきたの?妹紅?」
「はい、藤原妹紅さんに・・・。」
「なら、家はここで間違いないわ。そのうち来るでしょうから、上がって待っていなさい。」
「はーい。」
靴を脱いでぴょんと縁側に飛び乗った橙は、そのまま幽香の隣にちょこんと座って幽香を見上げにっこりと笑う。
首が曲がらないふりをする幽香は横目でそれを受けて微笑みを返す。橙は幽香のケガの事は知らない様子である。
幽香は結界の管理で忙しい藍から子猫の橙について色々と便宜を図ってほしいと頼まれており、その親バカぶりは呆れるほどである。しかし、この笑顔を見ると自分もこんなペットなら欲しいとも思ってしまう。
橙の首に藍色の小さな風呂敷がまかれており、重量感のないその様子から中には非常に軽い物が入っているようである。妹紅に会いに来たということから察し手紙でも入っているのだろうと考える幽香。
「妹紅に何か用事なの?」
「はい、藍様からお手紙を渡す様に頼まれました。」
隠す様子もなく正直に話す橙。そもそも何か高度な駆け引きを要する場面に橙を使うとは思えないし、本当にただのお使いなのだろうと幽香は自分なりに納得し普段通りに接する事にした。
ちょうどそこへ家の主である妹紅が帰宅する。
中庭に背中を向けて降りてきた様子から北の方から飛んで来たのだろう。恐らく魔理沙の家からだろうと幽香は判断した。
「おはよう妹紅、かわいいお客さんよ。」
「ん?」
「おはようございます!」
幽香の声に振り向いた妹紅は橙の挨拶を受けて、特に意味があってそうしたわけではないがつまらなそうにしていたその表情を崩して挨拶を返す。そしてすぐに橙が藍の式神である事を思い出して表情はそのままで警戒する。
予想以上に早い紫側との接触に、魔理沙との約束や魅魔とのやりとりを思い出し、今後のスケジュールを模索する。
「これ、藍様から預かってきました。読んで下さい。」
そう言って立ち上がり靴を履いて外に出て来た橙が、首に巻くように背負っていた風呂敷を開けて手紙を取り出し妹紅に渡す。
受け取った妹紅は自分の名前が書かれた自分宛ての手紙を一瞥し、後で読もうと手紙をしまうためにそのまま座敷に上がろうとしたが、それを橙が慌てて制した。
「あの、返事を聞かせて下さい。」
「え?今?」
魔理沙の用事を済ませる為に竹林の隠れ家へ向かうついでに幽香に挨拶をしようと家に寄っただけなので、今手紙に目を通すつもりがなかった。そのため橙の申し出は意表を突いたものになった。
橙、いやこの場合藍だろう。何故今なのかその真意が分からず思わず幽香を見てしまう妹紅。
「そうしてあげたら?」
警戒する妹紅に無警戒の幽香はやんわりと言う。その態度からこの状況を深刻に考える必要はないと判断する妹紅。
「わかったわ・・・すぐ読むわ。ちょっと待ってね。」
妹紅は手早く済ませようと座敷には上がらず中庭で手紙を開く。
手紙には昨日の神社で起こった事についてとその顛末、お詫び等が丁寧にしかも美しい文字で書かれており、公的な書簡であると認識して妹紅も真剣な表情でそれを読む。
しかし肝心の要件に関しては、直接会って話をしたい旨と指定する待ち合わせの場所と時間で都合が良いかどうかを橙に口頭で知らせてほしいというだけの簡単なものだった。
妹紅の腑に落ちない表情を見て幽香は手を出して手紙を渡す様要求する。
「いいの?」
妹紅は幽香に手紙を見せていいかを橙に問うが、橙は困った表情をする。こういう場合にどうすればいいか藍から教えられていないからだ。
「妹紅がもらった手紙なんだから妹紅がいいようにしたらいいのよ。」
人間的には礼に反するが妖怪的には正論だったので妹紅は幽香のいる縁側に歩み寄って腰を下ろすのと身体をねじのを同時に行って幽香に手紙を手渡す。
手紙を受け取った幽香が一通り目を通した事を確認して口を開く妹紅。
「場所は屋台、時間は夜・・・何これ?」
あまりにも曖昧な場所と時間指定だった。
「ミスティアの屋台でしょ?時間は夜っていったら夜でしょ?」
「時刻は?」
「妖怪に時間なんて関係ないわよ。向こうがこう指定してきたんなら、暗くなったらそこにいけばいいだけよ。人間じゃあるまいし、約束はすっぽかさないでしょ?」
妖怪との正確な時間指定など無意味な事は知っていたが、実際その場面に遭遇すると面食らう妹紅。やはり自分は人間なのだとつくづく思う。
「じゃーミスティアの屋台って?」
時間はいいとして次は屋台の事である。
「神社にいく途中になんか車のついた小屋みたいのあるでしょ?」
「ああ、あれか。」
妹紅が博麗神社に向かって里の門から真っ直ぐ東に飛んで、太陽の畑に向かう南の向かう三叉路のところにそんなようなものがあったことを思い出す。
「妖怪が屋台なんてやってるの?」
「最近始めたみたいよ。屋台を拾ったついでに見よう見まねではじめたみたい。」
「ふーん、妖怪も暇なんだな・・・。で、今晩その屋台に来いって事?」
「でしょうね。」
「・・・。」
妹紅は思案する。
今晩また魅魔と話をする予定を組んでいるので、夜遅くまで藍と話をする事は出来ない。
では、用事があるからと断るとどうなるだろうか?余計な詮索をさせてしまい、探りを入れられ魅魔の件がばれるかもしれない。
ここは大人しく向こうの要求に応えるのが良いだろうが、その場合時間をどう設定すればよいのだろうか。
「夜っていったらいつから夜になるわけ?妖怪にとっては。」
「私の感覚でいうなら気温が下がって植物の活動が落ち着いてからかしらね。私は夜目が他の妖怪ほど利かないから人間と同じように暗くなれば夜って認識でもいいけど、普通の妖怪からしてみたら夜が人間でいうところの昼だから。」
「ややこしいわね。」
「この場合、藍が招待するわけだから、妹紅が屋台に来るタイミングをみて藍も来るんじゃない?」
幽香の言葉は確かに正論なのだが、そこまで相手を信用することは出来ない妹紅。
「それと屋台は夜遅くなれば他の妖怪もやってくる可能性があるわ。静かに話がしたいなら日没後がいいんじゃないの?」
日没後なら、夜遅くまで話し込むことはないだろうし、数時間過ごしても夜中まで余裕で切り上げる事ができるだろう。しかし、重要な話を不特定多数の存在が利用する屋台でするのもどうかと思うが、考えてみれば妖術使いとして活動していた時は諜報活動の伝達はいつも人の賑わっている場所でやったものである。案外正解なのかもしれない。
「わかった。その頃に行く。と、いうわけだから橙。」
途中まで幽香に答え、最後は橙に振り向いて優しい口調で答える妹紅。幽香と妹紅の話があまり理解出来ずキョトンとしていた橙は、妹紅に振り向かれてはっとなって返答する。
「はい!えーと、手紙の内容で大丈夫・・・と、いうことですね?」
「うん。」
「わかりましたー!ありがとうございました!」
ご主人様に頼まれた仕事をしっかりこなせた事を対する喜びと感謝の意を小さな身体全体で表現した橙はそのままどこかに飛び去っていった。
橙を見送った妹紅は幽香に振り向き肩をすくめて苦笑する。
「屋台か・・・私も行きたいわね。」
「私は別にかまわないけど?」
拒否されることを前提で言ってみた幽香に予想外の返答が来る。
「やっぱやめとくわ。話がややこしくなりそう。」
酔って墓穴を掘りそうなので妹紅の申し出を断る幽香。
「幽香、今日の夜は暇?」
緩んだ会話の中で急に妹紅の表情が締まり、それを見て幽香も真顔になる。
「ご覧の通り療養中よ。」
全快の幽香だか暇だという意思表示をこのような言い方で表現する。
「なら、ちょっと顔貸して。」
「・・・いいけど。今晩は埋まってるんでしょ?」
「藍と長話する気はないわ。」
「そう・・・ここにいればいいのね?」
「ええ。」
妹紅はそう返事をすると慌ただしく飛び去っていった。
幽香はどこへ行くかも告げづ飛び去った妹紅に悪態をつく様子もなく無言で見送る。昨日のマルキと香霖堂での件に関係する話だろうと容易に想像でき、その事で頭が一杯で妹紅の行動に気を回す余裕がなかった。
魔理沙の件に対するシグナルを妹紅は確実に受信しているはずである。その答えが今晩得られるのだろうか。
この時の幽香はこの後に起こる魅魔との再会を全く予見する事は出来なかった。幽香は、魅魔が魔理沙の蘇生を成功させた事は知っていたが、その後、魔理沙の中で生きつづけている事を知らないのである。
地霊殿の外観は純和風の木造建築ではなく、何時の時代か定かではないが恐らく大陸からの影響を受けたと思われる、石積の砦の様な土台に太い柱と大きな瓦屋根で構成された巨大な建造物である。
灼熱地獄として栄えていた時代は地霊殿周辺に巨大な鬼が闊歩し、その近辺は鬼達の住む家々が建ち並ぶ大都市を形勢し今は旧都と呼ばれている繁華街は大変賑わっていた。
灼熱地獄は最も罪の重い者達が堕ちる場所とされており、その為、そこを守る鬼達も地獄で最も屈強とされた猛者ばかりであった。地霊殿本殿の裁きの間はそうした鬼達が警備をするため非常に広いスペースが確保されている。
しかし、絢爛豪華な地霊殿も今は昔。内装などは全て新地獄に移動している為、かつての栄華はどこにもなく、地下から無限に湧き出す地獄の業火の輝きが、建物の隙間を抜けて僅かに部屋を暗いオレンジ色に灯す。
その何もないただ広いだけの地霊殿の暗く静かな空間の中で一人佇む少女、古明地さとり。
彼女の本質は決して邪悪なものではなく、堕とされてここにいるわけではなく自ら望んでここにいるのだ。
何人かいる閻魔用の椅子のうち小柄な人間サイズの椅子だけが持ち出されず地霊殿に放置されており、さとりはそれを自分の椅子として愛用している。
人間が腰を下ろして丁度良い座り心地でありながら背もたれだけが異様に高く天井まで聳えている。灼熱地獄では凶悪狡猾な罪人を取り扱う関係で閻魔も一人というわけではなく様々な罪に対応出来るよう複数名常駐しており、それぞれ背丈が大きく違うのだが、何れも同格であることを示すために椅子は全て同じ高さにしなければならなかった。その為こんなおかしな椅子が作られたわけである。
新地獄として施設を一箇所に集中し合理化を図る上で、このような無駄に材料を使う椅子は必要なかった、というよりあってはならなかった。その結果無駄の象徴ともいえるこの椅子だけが地霊殿に残されたのである。
外見は12歳前後の少女の姿。服装その他全てにおいてかつてのさとりらしさがない可愛らしい姿をしていた。
仏教の隆盛によってかつては共存していた人間と妖怪の関係は崩れ去り、妖怪は人間界から追放されていく。
妖怪のうち霊格の高い者の多くは八雲紫らの提唱する幻想郷事業に参加していたが、人間の周囲にいて彼らに害を為す迷惑な存在を生業とするような邪悪な低級妖怪は、住みづらい世相になっても人間から離れる事が出来ず行き場を失い法の力に晒されるようになってゆく。
さとりという妖怪は、それら法によって裁かれるような邪悪な存在ではなかったが、その心を読む能力のおかげで、他の妖怪や人間からひどく嫌われた存在であった。
仏法界(仏教界)では、妖怪を封印する場所を旧灼熱地獄の広大な旧地下都市に定め、その上で灼熱地獄を悪用されない為に地霊殿に強力な管理者が必要となった。強大な力は持ってはいないものの、特殊で忌み嫌われた能力を持つさとりが選任され、さとり自身もまた平穏を求めていたのでこれに同意し、他の妖怪と共に地獄堕ちして地霊殿の主となったのである。
両目を閉ざし静かに佇む少女の左胸に見開いたままの大きな瞳がある。これが他者の心を読む第三の目である。自身の二つの目を閉じていても、この第三の目は閉じることなく常に見開かれた状態でさとりと繋がってはいるものの、それを自由にすることが出来ず第三の目はそれが独立した器官の様に勝手に動いている。
「!」
そんなさとりの耳に聞き慣れた鈴の音が近づいてくる。
「お燐?」
真っ直ぐ自分に近づいてくる鈴の音が膝の上に飛び乗って来る。全身をさとりにこすりつけて甘えるお燐と呼ばれる猫の姿をした妖獣にそっと手を添えて優しくその頭を撫でる。
「どうしたの?勝手に戻ってきてはだめしょう?」
火焔猫燐、通称お燐と呼ばれる化け猫は、以前起こった旧地獄異変の終結の際、地霊殿の主である古明地さとりが幻想郷側に害意がないことを示すための意志表示の一つとして博麗神社に出向させている大切なペットである。
お燐は定期的に神社と地霊殿を往来をしているのだが、今は戻る時期ではない。お燐の脱走行為は幻想郷との関係をこじらせる要因になるため、この事をお燐に厳しく問い質そうとするさとりだったが、お燐以外の別の存在の来訪を第三の目が知らせ周囲を警戒する。
「こんにちは、さとり。私が連れてきたのだからお燐は責めないであげて。」
「あら、あなたは・・・八雲紫。」
じとっとした半開きの目で値踏みするように突然現れた妖怪を見るさとり。お燐を連れてきてこちらのご機嫌を伺おうとしているのか。普通ならその答えを第三の目が教えるのだが、この八雲紫という妖怪は思考に境界を作っているらしく、こちらの能力が全く通用しない。
無意識に他者の思考を見て不快になってしまうこの能力を忌み嫌いつつも、それが通用しないことに怒りを覚え、その矛盾した考えが自分自身を幻滅させる。
「少し、お話してもいいかしら?」
扇子で口元を隠し笑みを浮かべながら面白そうに伺う紫。
能力が通じない相手に対しては思考を読んで気が滅入る必要もないので本来なら歓迎すべきところであるのだが、やはり釈然としないものがある。そもそも、対等に誰かと話をする事などほとんどないので、会話そのものがさとりにとって大きなストレスであり、特に紫のような口先の上手い策士タイプは苦手である。
思考を読み、有利に会話を進める事が出来るさとりの唯一の天敵が八雲紫なのだが、その一方で普通の会話が出来る唯一の相手でもあるのだ。
「ここにはこの椅子以外に何もないし、おもてなしも出来ないけれど、それでよければ・・・。」
「堅苦しい取り決めの話とかではないの。ただちょっと聞きたいことがあってね。」
「私が知っている事で、教えても良い事なら何でも話すわ。」
逆に言えば何も教えないともとれる言葉である。
「ここ旧地獄から幻想郷に移住した妖怪達が何人かいるけど、その中で組織的に動いている連中がいるわよね?」
紫の目が妖しく光る。
「ああ、あれは聖派の連中ね。」
「聖?聖白蓮のこと?」
紫が少し驚いたように聖白蓮という名前を口にした。
「ええ、そうよ。あの連中が何かしたのかしら?幻想郷に出た連中が何かしたら、そっちのルールで処分しても良いという取り決めでしょ?」
「別に何もしていないわ。実に大人しい連中だけど・・・。」
「だけど?」
「何かを企んでいる可能性はあるかもしれない・・・。」
「確かに連中は聖白蓮の復活を画策しているでしょうけど、それは絶対無理な話よ。」
さとりは言わなくてもよい事をつい口にしてしまう。
「ふーん、そのあたり詳しく教えてもらえないかしら?」
紫の目が細く妖しく光りやや口調が変わる。
さとりは少し喋りすぎたと思ったが、聖派の連中とは特に交流があったわけでもなく、知っている事について紫に話しても自分が何か損をするというわけでもなかった。得にもならない事で下手な駆け引きをして、欲張って条件でも出そうものなら墓穴を掘ってこちらが余計な譲渡をする羽目になる可能性がある。正直、心を読めない紫に対して口論で勝てるとは思えない。ここはむしろ求めに対し素直に応じる方が心証も良くなり、こちらが今後何かを望む時に交渉を有利に運べるかもしれない。
「あなたは聖白蓮に関してどのくらい知っているのかしら?」
話をするにも相手側の知識を知っておかなければ無駄な時間を過ごすだけである。
「全てを救おうとして、全てに裏切られた、愚かで哀れな魔法使い・・・と言ったところかしら?」
「そうね・・・結果として多くの人間、妖怪から敵視されてしまったわね。でもあなた達幻想郷派からしてみれば彼女のやったアレはかなり良かった事じゃない?」
「アレ?」
「聖白蓮が寅丸星を毘沙門天に推挙したことよ。」
「確かにしょうちゃんが人間についたことで、妖怪から富が消え自立できなくなった。その結果、賢い連中は人間の世界と関係していくことを諦め、その多くが幻想郷事業に参加することになったわ。」
寅丸星という妖怪は富集めるという絶大な力を持ち、非常に人気のある妖怪で、妖怪達の中でその名を知らない者はいない。紫は彼女を「しょうちゃん」と呼んで親しんでおり当然面識もあった。
「白蓮は全体をバランス良く計画的に事業を進める能力に乏しく、その時々の感情で思いつきのように肩入れする傾向が強かった。それは片方には良くても片方には不利益になるというようなものばかり。寅丸星は確かに真面目で毘沙門天の富の面を担うに相応しい性格だった。でも、白蓮はその当人の性格面ばかりしか見ておらず、彼女の能力がもたらす影響に思い至らなかったのね。」
「しょうちゃんが毘沙門天になったことで、人間に富が集中し妖怪は疲弊した。私達には良かったことだけど、妖怪全体からみればとても受け入れられないことよね。」
「人間有利の世界に自分でし向けておいて、妖怪が不利になれば今度はそっちに肩入れをする。そんなことばかりするから、どちらからも最後には嫌われてしまう。」
聖白蓮が人間として生きていた平安時代中期は、怨霊、物の怪、妖の共存する世界だった。法の下でそれらを裁き赦していた白蓮は、改心したそれらの物の怪達の絶大な支持を受け、彼らと交わるうちに次第に彼ら妖怪側に感情移入し肩入れを始める。
しかし、高僧を弟に持つ白蓮は法界に縛られ人間界からも離脱出来ないでいた。そんな時、自分を法界に縛っていた弟の死によって法界に対する義理が消え、この機に弟の残した力を利用して人間と妖怪といった区別のない存在、魔法使いへと転身する。
力を得た白蓮は、彼女の力の源となる法の力で人間と妖怪双方に肩入れをするが、目指した世界があまりにも理想主義的で現実性に乏しく、その時々の場当たり的な対処で救済を行っていたため、それによって益を得る者とそうでない者とに二極化していく。
元々は富の神様であった毘沙門天であるが、日本に伝わった当時、信仰した者が軍事面で成功を収めた事で軍事の神様としても扱われるようになり、更にその信仰が大きくなり過ぎ、本来の富の神様としての業務に支障が出始め、その解決に白蓮が妖怪の寅丸星を推薦した。
頼み事を断れないお人好しな星は、その求めに応じて毘沙門天の経済面の業務を請け負うが、これが妖怪側に致命傷を与える結果となった。
富が人間に独占され、地方の貧しい人間達が財を持ち軍閥化し始めると武士団が形勢されてゆき、それらが権威を求め始めると、貴族達は名声を売る替わりに武士達にお寺を建てるための資金を提供させはじめる。
平安中期から後期、西暦1000年前後は時代の節目にやってくると言われる仏法の衰退期による末法思想が蔓延していた。そこで仏教の力を維持しようとお寺の建立が盛んにおこなわれた。これによって法界は力を付けて独立国家に近い軍事力を持ち始め、朝廷や武士団に対しても大きな脅威になってゆく。そんな人間達、特に仏教界の隆盛に妖怪達は為す術もなく後退し、幻想郷派はちょうど月面戦争とその戦後処理をしていたため、それ以外の妖怪は白蓮しか頼れる者がおらず、彼女に保護を求めるようになる。
人間に肩入れする必要性がなくなったこの時代、白蓮は妖怪に積極的に味方し妖怪も白蓮の保護を求め参集した。しかし、法界はこれを利用し毘沙門天の力によって白蓮もろとも妖怪を地下に封印してしまう。
「白蓮に救われた者達の派閥と白蓮に保護を求めて封印された妖怪の派閥は仲が悪くてね。旧都の真ん中で星熊勇儀が睨みを利かせてくれたおかげで大きないざこざも起きなくてよかったのだけれど・・・。」
「けれど?」
「星熊勇儀も外に出たがっていたし、彼女が居なくなれば当然揉め事が起きるわ。」
「だから、問題の元凶を放逐したわけね。」
旧都にはさまざまな派閥があり、聖派もその一つで、彼らを嫌う者もいれば仲が良い者もいた。
「私に命令出来る権限はないわ。星熊が外に出るついでに彼らを連れていくからよろしくと言いに来たのをただ聞いていただけよ。実質旧都は彼女によって支配されていたようなものだし。」
さとり自身、旧地獄では強大な存在として認識されているものの、リーダーとして頼られる存在として扱われることはなく、むしろさとりを嫌って誰も地霊殿に近づこうとしなかった。
「さっき、あなたは白蓮の復活は絶対不可能だといったけど・・・。」
「白蓮は地獄のもっと下にある別の階層に封印されて、入口はバラバラにされて、入口を開けるカギは寅丸星が持っているの。」
「なるほど、その一味が何かするにしても、しょうちゃんに会わなければ何もすすまないということね。」
「彼らがいくら強くても、自力で外に出る事は不可能でしょ?」
語尾に何か意味を含めて言うさとり。自力では無理でも、誰かが外に出してあげればよい。それが誰かは言うまでもない。
「・・・。」
紫は少し思案にふける。白蓮という存在は自分とは正反対のような性格をしているのだろうと紫は考える。小物の考えなら、そういった存在は消えて欲しいと思うだろうが、紫としては幻想郷が楽しくなりそうだし、白蓮と一度話をしてみたいとも思うので彼女の復活は歓迎である。妹紅の件もそうだが、強力な人材は喉から手が出るほど欲しい。何故なら幻想郷を次の段階に昇華させる際、それに掛かり切りならなければならず、その際代理として幻想郷の治安を誰かに任せたいという想いがあるからだ。それは一人ではなく複数によるものが望ましい。そしてそれらは仲良しではなく、ある程度争って幻想郷を騒がせてもらいたいのである。
この時の紫は、魅魔という存在は亡いものとして考えている。
異変が一段落した後に、聖派と呼ばれる連中をけしかけてみるのも面白い。寅丸星が万が一人間側から離脱して幻想郷入りするならこれは非常に嬉しい事であり、発展し過ぎる外界の歯止めにもなる一石二鳥の事である。
しかも、毘沙門天と諏訪には因縁もある。
「どうしたの?ニヤニヤして。」
色々なアイデアが頭に浮かんで、それが思わず顔にでる紫。
「ふふふ、とても良いお話を聞いたわ。ありがとう。礼を言わせてもらうわ。」
「あらそう?それはよかったわね。」
紫の反応は予想以上に良く、かなりの好感を得た様でさとりもその結果に満足だったが、敢えて素っ気なく他人事のように答える。
「それにしてもあなたはその辺の話し、とても詳しいのね。」
「ぶっちゃけて言うけど、白蓮を使って妖怪達をまとめて地獄堕ちさせる作戦をとった法界と私はグルだったのよ。」
思考を読めるさとりの能力は白蓮などの勢力にまわられると法界としては厄介だったので、良い条件を提示しさとりを籠絡させていたのである。人間からも妖怪からも嫌われていたさとりとしては、妖怪らに義理は無く、静かな場所と忠実な召使いさえ居れば他に何もいらなかった。
「なるほど、それであなたが地霊殿の主になっているのね。」
さとり自身の妖怪としての身体的能力は決して高いわけではなく単純な力比べではその辺の雑魚妖怪と同レベルである。しかし、さとりの能力は相手の弱点を見抜ける事で、それを利用して絶対的な優位に立つ事が出来る。どんなに強くても弱点さえあれば勝てるのである。
ただ、さとりの力が通用しない紫にとってみれば、さとりは弱い妖怪にしか見えない。その弱い妖怪が旧地獄の主になっているのには理由があると前々から思っており、その謎が一つとけたというわけである。
「私にとって人間も妖怪も全て頭痛の種でしかないの。」
他者と関わると脳に様々なノイズが入り込んで精神を圧迫する。妖怪のように素直なら弱点を言い当てて追い払う事は出来るが、嘘付きな人間はさとりの能力を逆手にとり、様々な嫌がらせをしてくる。
「ここは静かだし、ペットは皆こんな私でも慕ってくれる・・・。これ以上のものはないわ。」
さとりはそう言いながら、膝の上で機嫌良く喉を鳴らしているお燐の頭を撫でる。
「それにしたって、姿格好まで変わる事なかったのに・・・。」
さとりと紫は外界にいたころに面識がったが、霊夢と同行した地下調査中に出会った時の少女さとりを見て、それが旧知のさとりだとは気づかなかったのである。その後、幻想郷との繋がりを持たせるために紫とさとりは会談しているが、その時になって、あのさとりだと知ったのである。
「一応私も堕とされた事にしないとね・・・まぁでも、正直この格好はないわよね。」
うんざりしたように自分自身の格好に呆れるさとり。
地下に堕ちた妖怪達は、滅殺されるのを赦される代償として、他者に恐怖心を与える要素を取り除かれ、皆一様に可愛らしい女子どもの姿に変えられてしまっている。
ミシャクジ様である守矢諏訪子もかつてヘビの姿だったが、戦いに敗れ許される際に信仰の象徴であるヘビの偶像を譲り渡すことで信仰を差し出し、ヘビを天敵とするカエルの姿になることで反逆の意志の無い事を示しているのである。
この国では、殺した後の怨霊を恐れるあまり、殺さず共存する歴史を辿ってきた。地下に堕ちた妖怪達もそれに倣ったわけである。
実は幻想郷自体もそうした仕組みがとられており、幻想郷入りした際、恐怖心を生む外見的特徴を持つ者はそれらを取り除かれるのだ。
地霊殿を去った八雲紫はスキマの中で思案に耽っていた。
旧地獄を出た謎の集団の正体が掴めた事と、それらが今回の件に関係なさそうだと判断出来、異変を進める上で不明点を消すことが出来た。そして意外な相関関係も浮かび上がり、これは後のお楽しみとして取っておくことにする。
幻想郷には勢力と呼べる幾つかの集団がいる。運命をこじらせて先行きが不透明な状況で、積極的に彼らと接触するのは危険である。これ以上関係者が増えない様に、静かに事を進めるのが得策である。
これが現状の紫の方針である。
「さて、次は天狗ね。」
この異変に関しては比良山という大天狗からの要請に応えるという目的もある。
西側にも影響を与えるような大きな事件を起こして、天狗の勢力に少しインパクトを与えて欲しいという要請があった。これは妖怪の山を支配する天狗勢も長い平和によって様々な歪みが生じており、ガス抜きが必要だからである。
この異変をどう料理するかは天狗側に任せるとして、この大きな異変に際して何も知らない天狗側が緊急防衛行動を起こさないように、あくまで東側の勢力だけで事を収める事を事前に知らせておく根回しが必要だった。
「この異変を吸血鬼の反乱に仕立て上げれば、天狗側も黙ってはいないでしょうね。」
邪悪な笑みを浮かべる八雲紫だった。