東方不死死 第62章 「孤高こそ最強の証」


 人間の里から東に少し離れた街道の真ん中に2つの影が対峙していた。藤原妹紅と風見幽香である。
「何か用?」
 防御要塞を攻撃中、吸血鬼の少女フランドール・スカーレットの襲来を受けた妹紅は、その直後地上から何者かに狙撃をされた。この攻撃は犯人と目星を付けた妖怪からの招待状だと理解した妹紅は、その真意を確かめる為にやってきたのだ。
 犯人と決めつけられ、実際犯人である風見幽香は、異変直前まで妹紅の家に数日滞在し交友を深めたが、その後里に協力する為に妹紅と距離を置いている。里の守護神上白沢慧音と妹紅は今現在離別状態なので里に協力する幽香とは個人的な仲はともかく体面的には友好関係ではない。だからこそ、幽香から『友好的に』呼び出しを受けたと分かっていても一応中立の立場で彼女に臨むわけである。
「妹紅こそ何をしているの?あれを壊すつもりなの?」
 赤い服と白い花のような日傘のいつもの幽香は、異変の直中にもかかわらず、まるで午後の散歩でも楽しんでいるかのように、機嫌良さそうに日傘をクルクルと回しながら腰を揺らしていた。
「壊すつもりはない。ただ・・・。」
「ただ?」
「パージさせたい。」
「パージ?この状況で?何の為に?っていうか、あの程度じゃパージなんてするわけないじゃない。」
「スキマ砲を失敗させたいんだ。」
「失敗させてどうするつもりなの?失敗したら幻想郷が滅ぶんじゃないの?」
 妹紅の真意を知る幽香としては聞かずなものであったが、妹紅に組みする側ではない立場にあることを明確にするために敢えて妹紅の行為を否定する。
「スキマ砲が失敗すれば魔理沙が直接突入するはずだ。あんたの代わりにな。」
「なるほど、魔理沙をそこで殺すわけね?でも、それじゃ消し炭になって蘇生は無理よ?」
「そうさせない為に、脱出時に殺る予定だ。結果としてスキマ砲は失敗しても異変はちゃんと解決する。」
「ふーん。」
 ある程度事情を理解している幽香は話しをするきっかけだけの話題を一度そこで切り、空の防御要塞を日傘から顔を半分だけ出して見上げる。そして次に妹紅に向き直った時、先程から一番気になっていた異変とは全く別の問題に触れる。
「ところで、その娘何なの?」
「ん?フランの事か?」
「いつからそんな仲良しになったの?」
「私と妹紅はずっと前から仲良しだよー!」
 母に甘える幼子の様に風見幽香と対峙した時からずっと妹紅の後ろで腰にしがみついているフランドールが、自分の話題が出たのを受けて話しに割って入り、最後に幽香に向けて『あっかんべー』をする。
 可愛い物好きの幽香としては、そのフランの態度に怒るどころか、あまりの可愛らしさに家に持って帰りたくなる衝動にかられてしまう。
「そういえば、妹紅が更生させたんだっけ・・・。」
 フランドールの件は魅魔とパチュリーを引き合わせた後にパチュリー本人からその話題を出して隣でそのやりとりを聞いていたので事情はほぼ把握していた幽香。
「ここまで変わるとは思ってなかったけど・・・。」
 悪魔が天使に・・・そう例えたとしても言い過ぎではない極端な変化である。
「で、今のままじゃパージなんて何千年経っても無理よ?どうするの?」
 一先ず事情を理解した幽香は話しを要塞のパージの件に戻す。
「もっとパワーを出すさ。」
「やめておきなさい。」
「何故?」
「妹紅の力は強いけど無駄に拡散するわ。装甲の破片が飛び散ったら幻想郷中に被害が出るでしょ?」
 妹紅は人間の妖術使いとしてデリケートな攻撃を行えるが、妖力を使った単純なパワーを要する羅刹の力は強すぎて破壊の余波が拡散してしまう。幽香の指摘は最もでそのことについて考えないわけではない妹紅だが、背に腹は替えられないと判断する。
「この際仕方がないだろう?」
 妹紅は口調が男っぽくなるが、この特有の臨戦態勢は幽香もよく知っている変化だ。
「もし、それをやるつもりなら黙ってはいないわよ。」
「やろうってのか?そういえばここ、お前の首をへし折った場所だな。」
「ふん!二度と同じ手は喰わないわ。」
 幽香は幻想郷を維持管理する側の立場にあり、妹紅の破壊行為は看過できないのだ。
 二人は眉を吊り上げ睨み合う。その様子を不安げに窺うフランドールは妹紅にしがみつく腕の力を無意識に強める。妹紅はそんなフランの不安を感じ取り、熱くならないようにもう一度冷静になる。
「魔理沙を更生させるには、ただ殺して蘇生すればいいってわけじゃない。」
 人は死に直面した時、様々なものを見る。それを見て黄泉がえりした者は必ず人生観が変わる。妹紅は人の道を踏み外して死に、中途半端に生き返って妖者に半分なりけている魔理沙を人として完全復活させようとしているのだ。
「スキマ砲を失敗させる事で傷つく人がいる事を忘れてない?私にとっても魔理沙は大切よ?でもそれと同じだけ、紫も魅魔も、この幻想郷も大切なの。」
 人間の妹紅が人間の魔理沙を大事にすると同じ様に、妖怪である風見幽香は仲間でもある八雲紫らを同じく大切に思っている。
「だったらどうすればいい?」
 妹紅にしても幽香が挙げた名前は皆大切なものだと分かっている。しかし、全てをすくい取る事は出来ない。優先順位がある。ジレンマである。
「私なら、幻想郷に被害を出さずに要塞をパージさせる事が出来るわ。」
「本当か?」
 思いがけない提案が幽香の口から出る。他の誰かが言った台詞なら眉唾と疑うところだが、最強の妖怪の口から出る言葉にはそれだけで説得力があった。
「でもやらない。だって、それは紫を裏切る事になるかもしれないから。」
「里に荷担してる時点で紫の敵、私と同類だろ?」
「何事にも限度、超えては行けない線があるのよ。」
 風見幽香と妹紅は抗争の後和解して以後は親密な関係になった。風見幽香は藤原妹紅の数少ない理解者の一人として協力的な立場にいる。だからこそここに呼んだのだ。そして招待しておきながら妹紅のやろうとしていることを真っ向から否定している。この相反する態度に何か違和感を覚え始める妹紅。
「・・・。」
 妹紅は幽香の心情がある程度見えてきた。どちらにも協力したいがどちらにも傾きたくないのだ。そしてこうした問答を繰り返すのは、協力する為のもっともな理由を導きだし自分に与えて欲しいという願望があるからだ。
「・・・どうすれば私に協力してくれる?」
 強者は筋を通したがる。幽香は協力しなければ自分自身が不名誉になるような理由を欲しがっている。妹紅は、自ら歩み寄る作戦に出た。
「・・・そうね・・・。」
 幽香には妹紅に協力する為の代償となる行為を一つ考えており、それをさせるためにここに呼んだのだ。
「私の前で膝を折り、両手をついて額を地面に擦りつけなさい。」
「は?!・・・土下座しろってことか?」
「人間がものを頼む時はそうするものでしょ?」
 挑発するようにニヤニヤ笑う幽香だが、妹紅には演技しているように見えた。
「土下座なんていくらでもしてやるぞ?」
 霊格の極端に低い妹紅は強者に下げる頭はたくさん持っている。妹紅にとってはお安い御用であり、簡単過ぎて拍子抜けする。
「ダメ!あんなやつに頭下げちゃダメ!」
 フランドールにしてみれば風見幽香は知らないおばさんでしかない。そんな相手に恩人の頭を下げさせたくはない。
「フラン、離れてろ。」
「いや!」
「フラン!」
 妹紅は腰にしがみついて身体の左側から顔を見上げているフランに、縦に瞳孔が割れた羅刹の凶眼を向ける。
「ひいいいいいぃぃぃぃ!」
 流石のフランも強烈な負の力に怯えて咄嗟に妹紅から離れる。
 一瞬で元に戻った妹紅は数歩前に出て幽香の前にゆっくりと膝を着き幽香を見上げる。妹紅は人に物を頼むわけだから土下座することに抵抗はないが、代償としては安すぎるのではないかと勘ぐってします。ただ筋を通すだけに幽香が土下座を強要しているだけとも思えない。これには何か意味があるのだろうか?
「本当にこんなのでいいのか?」
「ええ。これは、単なる礼儀の問題ではないわ。私の力を引き出させる為に不可欠な事なの。」
「・・・よく解らないが、わかった。」
 妹紅は無理矢理納得し頭を下げて土下座をした。
「お願いします。私に力を貸してください。」
 幽香は足下に小さくうずくまる妹紅の姿を見て身体の芯が熱くなっていくのを感じ、込み上げる高揚感に我慢出来ず高笑いを始めてしまう。
「やっぱりこれよ、この感じ。相手を支配し服従させる強者のみが得られる至福!」
 風見幽香は月面戦争の窮地に眠っていた力が覚醒し、強大な力が目覚めたと同時に性格も一変して所謂サディストとなった。
 しかし、博麗大結界で八雲紫が一端幻想郷から離れた後、幻想郷の運営を任された魅魔が吸血鬼との和解・平和政策に転換したため、彼女に協力する立場をとった幽香は大人しく振る舞うようになった。そして長い平和の中で性格も丸くなってしまったのである。
「最近、どうも丸くなっちゃって、自分でもちょっと気になってたのよ。でも、これなら本気が出せそうね。」
 幽香はそう言うと邪悪な笑みを浮かべて、仕上げとばかりに地面に頭をこすっている妹紅の後頭部を思い切り踏みつける。この屈辱的な状況を妹紅はぐっと堪える。
 妹紅は幽香との短くも濃密な付き合いの中で彼女が他の妖怪よりも人間に近い変な妖怪だと捉えていた。しかしこの認識は間違いで、実は平和ボケで腑抜けてしまった後の姿で、今ここにいる幽香が本来の妖怪としての風見幽香なのだ。
 土下座そのものに意味があるのではなく、幽香自身が相手を下に置き支配する事が重要だったわけである。

 妹紅は納得し敢えてこの屈辱を受け続けたが、妹紅に大恩あるフランは我慢出来ず風見幽香に飛びかかろうとした。
「やめろ!」
 妹紅は再び羅刹となって下げた横顔から少しだけ見える片眼の力だけでフランの動きを止めた。
「あー気持ちよかった!」
 そんな2人のやりとりなど気に留める様子もなく空腹を満たされた食べ盛りの子供の様に無邪気な笑みを浮かべる幽香。そして、妹紅の後頭部に乗せた足を戻すと、腕をとって立たせる。
「リミッターも外れたし、約束通りパージさせてあげるわ。」
「・・・すまん、恩に着る。」
 土下座させられた上に頭を踏みつけられては流石の妹紅も面白くなく、憮然としながらも一応礼を言う。
 そんな妹紅を見て幽香は穏やかな表情を向ける。
「・・・それから妹紅、これは恥をかかせた貴女に対するお詫びでやるのよ。頼まれたからやるんじゃないの。だから私に対して感謝したり恩を感じる必要はないのよ?」
「・・・ふっ。」
 妹紅は思わず吹き出しそうになった。
「な、何よ!」
 妹紅は幽香の心情を完全に理解した。本当は妹紅に協力してやりたくてうずうずしていたのに、自分から協力を申し出ると、妹紅に対して恩を売る事になる。基本的に寿命を持たない妖怪にとって恩を売ったり受けたりすることによって生じる関係性は、生涯付きまとう大きな問題になるのである。
 妖怪の間では対等の関係を維持したい相手に対しては、恩を受けたい側に対して恩を売る側が恥をかかせたお詫びしとしてチャラにするという風習がある。一見人間の文化圏内にいる風見幽香だが、やはり妖怪の文化圏の生き物なのだと妹紅は改めて知った。

「パージは幽香に任せていいのか?私に何か出来る事は?」
「一つだけ妹紅にやって欲しい事があるわ。」
 妹紅は幽香の雰囲気が変わっているのに気付いた。何か変なスイッチが入った感じだ。人間も同じだが気持ちの乗り方で姿が変わって見える。
 今迄どちらかというと他に干渉せず状況対処的に力を使っていた幽香が、自ら望んでその力をある目的の為に使おうとしている。
「何でも言って。」
「あの要塞の装甲のほんの少しでいいから、表面の鏡面処理された装甲を溶かして欲しいの。」
「そんな簡単なことでいいの?と言うか、それくらい自分で出来ないか?」
「私の使える能力では無理よ。それくらいあの鏡の様な装甲は厄介なの。」
「分かった。さっきも粉微塵にしてやったから余裕よ。」
「いい?ほんの少しよ?これ重要。」
「何でそんな面倒な・・・。」
「別に穴が大きくてもいいけど、装甲としての体裁が保てなくなった時点で装甲は破棄されるのよ。そしたら新しい装甲が下からせり出してしまうわ。そうさせない為には装甲として機能する程度に穴が小さい方がいいの。」
「どんな強固な堤防も、蟻の一穴で決壊する・・・か。」
「そういうこと。」
 妹紅は幽香が何をしようとしているか分からなかったが小さい穴を空けるというオーダーは了承した。
 羅刹の力で装甲を殴っても衝撃は波紋の様に拡散する。内部に力を貫通させるには力を一点に集中した方が効率がいいし、幽香はその為の楔を撃ち込みたいのだろう。
「・・・よし、さっそく行って来る。」
「あ、妹紅・・・。」
 飛び立とうとして身体が宙に浮いた妹紅を呼び止める幽香。
「ん?何?」
 少し雰囲気が違うので妹紅は驚いて真顔で幽香を見る。
「必ず戻るのよ。自爆してこれでお別れっていのは無しよ?」
 妹紅が自爆する作戦は新聞報道によって既に幻想郷中に周知されている。その自爆で消し飛ぶ妹紅のその後の事を誰一人案じる者はいなかった。一人を除いて・・・。
 妹紅は振り向いたまま驚いたような顔をし、次に照れ隠しの為不貞不貞しく笑った。
「必ず戻る。」
 妹紅は口に出してはそれだけで、心の中でありがとうと礼を言いそのまま飛び去る。
 一人残された風見幽香は妹紅の後を追うフランが一度こちらを振り向いたのを受けてわざとらしく手を振ってみせる。最後にもう一度可愛い『あっかんべー』が見れて満足する可愛いもの好きの極悪妖怪は真顔に戻る。
「・・・さて、これで私も正式に異変にエントリーしたわけね。紫には悪いけど妹紅に土下座させた手前、協力しなければいけなくなったわ。」
 自嘲気味にクスリと笑う幽香。妹紅はこの異変において紫を欺き勝ちに行くつもりであるが、異変が終わればその後始末はきっちりつけると信じて疑わなかった。
「派手にぶちかますとしましょうか。」
 幽香は今回の異変ではあくまで第三者の立場を貫こうとしたが、妹紅を完全勝利に導く為には自分の力が不可欠だと思い至る。思えば初めて妹紅と対峙し簡単に首をねじ折られた時からこうなる運命だったのだ。
 異変に参加したと言う事は、念のためと蒔いておいた種も実を結ぶ事になるだろう。萃香に頼んでいたアレや、エリーに命じたアレも・・・。
 そして、それはすぐに現実となって目の前に現れる。
「幽香ちゃーん!」
 幽香が腕まくりをして事を始めようとしたその時だった。背後から聞き慣れた声がして振り向く幽香。
「あ、エリー、ちょうどいいところに・・・そっちの首尾はどう?」
 そこにいたのは西洋の女死神、エリーだった。
「言われた通り配置についたわ。でも、本当にこのままでいいの?東の連中みんなこっちきちゃって戦争始まってるけど。」
「全て予定通りよ。」
「ふーん。ところでこっちに来る人間の代表者は誰なの?名前がわからないと美味しくいただけないわ。」
「魂魄妖夢よ。」
「こんぱくようむ・・・ね。了解、了解。ご褒美は一日幽香ちゃん独占権だから忘れないでね。」
「わかったから、早く行きなさい。」
「きゃー楽しみー!約束よー!」
 突然現れて、すぐに消えるエリー。
「全く・・・相変わらずね・・・。」
 八雲一家や紅魔館そして永遠亭などと同様に、あまり知られていないものの風見幽香にも彼女固有のファミリーがいるのだ。


 風見幽香と死神エリーのやりとりなど感知していない藤原妹紅は、何故か追いかけてくるフランドールの気配を敢えて無視して、要塞の最も地上に近い場所にある装甲に辿り着く。
 妹紅は術を込めていない空の呪符、素符の束をモンペから取り出すと、口から呪文を吐き出して新たな効果を呪符に書き込む。
 その呪符を六角形の装甲の真ん中を中心にして外縁に沿って円形に呪符を一定の間隔を空けて並べて配置する。一枚の直径が200メートルもある装甲なので、大量の呪符が必要になったが、妖夢を里に仕込んだ後の空いた数日を利用して大量に準備していたのだ。

 妹紅は準備が整うと同時に大きく息を吸い、永遠亭との決戦の時と同様身体を風船の様に膨らませる。
 ビックリしている背後のフランを一瞥した妹紅は、危険だと警告せずとも炎と熱気に耐えられず逃げると予測し、そのまま予告なしに一気に炎を吐き出した。
 なるべく炎が拡散しないよう口をすぼめて吹き出された炎は螺旋を描きながら線状に真っ直ぐ装甲の中心に命中し、そこから四方へ拡散して装甲の表面を広く炎で包む。
 幽香からの注文は僅かな面積との事だったが炎は拡散し装甲全体を熱く燃やしている。
 遙か上空で行われているその状況を地表から見ていた幽香は、注文通りではない状況にもかかわらず妹紅を信じて疑わず、自分のやるべき準備を始めた。
 
「はああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁー!!」

 左手を前に出して何か丸い物体を掴むような手の形を作り手首を返して掌を上に向けると、そのまましばらく妖気を集中する。周囲に強力な妖気が発生し、目に見えない妖力の竜巻が発生する。その中心で風見幽香は更に妖気を振り絞ると、こめかみの血管が浮き出て白目が充血し人相が変わる。奥底に眠る古の力を呼び覚ますこの世で最も強い妖怪は、千年ぶりにその真の力を解放した。


 妹紅の吐き出す炎と熱を避けるように地上方面に逃げる様に降りてきたフランドールは、今度は下から強い妖気が沸き起こるのを感じ慌てて振り向く。
 見ると自分のすぐ斜め下に透明のゆらゆらとした空間が現れていた。よく観察してみるとそれは無色透明の液体、つまり水の塊だった。警戒しながらゆっくり近づくと急速に膨らんで直径が数メートルから一気に数百メートル四方に膨れあがり、油断したフランドールは逃げ遅れて空中の水のプールに一度のまれしまう。直ぐにそこから飛び出したフランドールは、更に大きくなり自分に迫ってくる水の塊から逃れるように全力で回避し、この水の塊を作り出したと思われる地上の風見幽香、目の前の巨大な宙に浮かぶ水のプール、上空で炎を出し続ける妹紅を直線的に見れる位置まで避難した。
「な、何が始まるの?」
 自分の立ち入れない空間がそこに構築されている事を肌で感じるフランドール・スカーレットは、ここに居ては危険だと直感するが、これから起こる何かに対する好奇心がそれに勝ってしまう。

「さぁ、妹紅、こっちの準備は出来たわよ。そこからどうする?」
 要塞の装甲に針の穴ほどの小さな範囲だけを溶かすという課題は今のところ達成されていない。しかし、幽香は必ず妹紅が満点で課題をクリアすると信じていた。
 妹紅は背後の凄まじい妖気を感じながら妖力の膨張が止まった事を受け、幽香の準備が整った事を知り、予め施していた呪符を解放する。
 装甲の外縁に沿って敷設された呪符が装甲の熱を吸い取り蓄積した熱を外側に放熱させる。あまりの高温に自然発火してゴーという爆音を上げて装甲の中心から外側に向かって放射状に呪符から炎が吹き出され、それと同時に装甲の表面が急速に冷え始める。強制的な熱移動で外側から中心に向かって急速に熱が奪われる装甲は、やがて炎を当て続ける極狭い範囲だけが高温を保ち、それを見て妹紅は温度を上げ4000千度を超えた時点で融解し小さな穴が空く。
 差詰め火を掛けた鍋底な光景の中で妹紅が行った行為に幽香は感嘆の声を上げる。
「流石妹紅、こんな方法があるなんて驚きだわ。それじゃ今度は私の番よ。」
 思っても見なかった方法に触発され、俄然やる気が出る幽香だった。


「おい!みんな見て見ろ!」
 紅魔館のバルコニーで空の棺桶を見ていた魔理沙が、会議室にあてられた部屋に駆け戻って席についている面々に外に出るよう呼び掛ける。
 つい今し方強烈な妖気が発生したことは会議の参加者は皆認識していたが、異変解決のシナリオにこのような予定は無く、裏で繋がっている者同士状況が見えず互いに顔を見合わせているところに魔理沙が駆け込んで来る。
 皆、外で何かが起こっているのか興味を示し、大物達が魔理沙を先頭にぞろぞろとバルコニーに出てくる。中央の広いバルコニーとは違い、建物の両端に対で備わっている狭いバルコニーは、大勢集まって余計に狭くなり、居づらくなったニトリとアリスは隅っこの方に自然と追いやられる。怖い物知らずという以前にここに集まっている面々が誰なのかも分かっていないチルノは九尾の藍のふかふかの尻尾を見つけてしがみつきながら空をみあげていた。
 バルコニーに出てきた面々が最初に感じたのは熱の存在だった。遙か上空で妹紅が起こしている炎の熱が地上にも達し、顔など皮膚の敏感な部分が熱を感じているのだ。寒い外で焚き火をしている時の顔の表面だけ熱いあの感覚である。
 そして、強烈に感じる妖気は妹紅の吹き出す炎からではなく別の場所からで、それは人間の里の方角に浮かぶ球状の空間の謎の揺らめきからだった。
「あれは・・・混じりっけのないただの水、超純水ですね。」
 八意永琳が体内に埋め込んでいる高性能センサーで構造解析して何の変哲もない水の塊だと知らせる。ただの水とは言うが、この位置からでも巨大に見える水の塊から想像してもそれが普通の量であるわけがなく明らかにただの水ではないだろうと永琳に対し無言の抗議をする一堂。

 要塞の中心は丁度紅魔館と人間の里の中間にあり、幻想郷の東側は空が完全に蓋をされた状態で、要塞と地平線の狭間に横に空が残っているだけである。
 球状の永琳の棺桶はさしずめ釜の底で、妹紅が下から火を焚いているという状況である。そこに大きな水の塊がゆっくりと移動して妹紅の真下で止まる。
 そんな光景が紅魔館の正面斜め上に見て取れた。
「そうか!わかったぞ!」
 突然、魔理沙が大声を上げる。何がわかったのかと一同が黒い魔法使いに一斉に注目する。
「熱く焼いた鉄を一気に冷やすとどうなる?バキーンって壊れるだろ?」
 妹紅の呪符が爆発的な炎を吹き出しており、この炎が装甲を焼いている様に下からは見える。確かにその熱々の鉄に冷水をかければ、金属の性質に変化が起きるはずである。
「焼き入れすると金属は硬くなるんじゃないか?」
 魔理沙に反論したのは、意外にも山の神様二柱のひとつ洩矢諏訪子で、彼女は鉄に関しての知識はそこそこにある。
「温度によるでしょう。見たところあの棺桶に効果的なダメージを与えるには至らないでしょうけれど・・・。」
 永琳は局所的な装甲の崩落になる可能性はあるものの、要塞に致命的な損害を与えるほどではないと分析する。
 しかし、この永琳の判断は数分後に完全に覆される。皆、藤原妹紅という存在に気を取られて本命の存在を忘れていたのだ。

 変化が起こったのは、永琳が大事に至らないと宣言した直後である。
 大きな水の塊から数本の細い水が放水され四方に水をまき散らし始める。細く見えるがこれは遠くから見ているためで、そばで見れば大量の水が勢いよく放たれているはずである。
 放水される水は途中で勢いを無くし放物線を描いて下に落ちていく。しかし、放たれる水の描く曲線が次第に緩くなっていき、やがてほぼ直線に伸び始める。それと同時に『シャー』という音が紅魔館まではっきりと聞こえてきた。
 これはとてつもない水圧で放水している事を意味し、それを理解出来た永琳は驚愕した。
 放水される水の線は合計8本。下から見ると子供が描くイガグリに見え、それが下から見て反時計回りに回転し始め、真横に向かって飛んでいた水がゆっくりと天頂方向へ角度を変えていった。やがて水の先端は要塞の装甲に当たる角度になり、金属と高圧水の衝突する凄まじい衝突音が鳴り響いた。
 これを見て顔色を変えたのは永琳で、この状況がとんでもない事だと彼女以外まだ気付いていなかった。
「こ、これは、ウォーターカッター!」
「魚田買った?」
 魔理沙がわざと間違えて、永琳の聞き慣れない言葉に疑問を投げる。
「ウォーターカッター、水の刃よ。水が真っ直ぐ飛んでいるのは物凄い水圧で放出しているからで、これだけの圧力なら或いは装甲も切断出来るかもしれないわ。」
 永琳の説明を注視して聞いていた面々がそれを聞いた後に得た知識を基にもう一度顔を上げて上空で起こっている光景を見直す。
「でも、所詮は水だろ?」
 魔理沙があっけらかんと不思議そうに尋ねる。その意見に同意する霊夢なども頷いて見せた。
「見ていればわかるわ。」
 これをどんな意図でやっているか、その術者の思考を読み取った永琳は、ここにいる者達に手短に説明出来る共通の言葉が咄嗟に見つけられず、それだけ言って水のプールを厳しい表情で見上げた。

 複数の水の束は、横方向から次第に要塞方向に向かって回転しながらせり上がって行き、装甲を叩きながら水の先端が一点に集束していく。一本一本独立していた水の刃の先端が一点に向かって集まり円錐形を作り出す様子は、まるで巨大な水のドリルである。
 四方を水の刃に囲まれてもなお中心に炎を吐き続ける妹紅。やがて水の刃が妹紅が敷設した呪符から出る炎と重なって水が蒸発する凄まじい音と同時に大量の水蒸気が発生する。
「やっぱ切れないじゃん!やっぱ水じゃ無理なんだよ!」
 ウォーターカッターの先端は装甲に衝突したままゆっくりと中心に向かって集束しているが、カッターが通り過ぎた後に傷らしい傷は残っておらず、この攻撃が全く効果がない事を魔理沙は指摘する。水ごときではどうやっても鉄は壊せないと魔理沙の常識はそう訴える。
 永琳は魔理沙の勝ち誇った様子を尻目に瞬き一つせずに中心の妹紅を凝視した。よく観察するとある一点だけが融点を超えた温度に達している事に気付いた。
 8本のウォーターカッターは、妹紅のいる中心の一点に集中し、妹紅は跳ね返る水しぶきの中に消えどこかに飛ばされる。それと同時に炎が全て消えた。

 蒸発した水が蒸気となって棺桶の底に分厚い霧の幕を作り、少しの間下から見えなくなる。
 やがて蒸気が晴れると、そこには巨大な円錐状の水の掘削刃が深々と要塞に突き刺さる光景が現れた。
「ま、マジかよ・・・。」 
 硬化鏡面処理された超硬化装甲の一点の穴に複数の水の刃が潜り込み、それがドリルの様に高速回転して装甲に巨大な穴を開け始める。ドリルを生み出す水のプールは上昇してドリルの刃を無慈悲に棺桶に突き刺していく。落ちてくる大量の水はプールに引き戻され、半永久的に水の刃をドリルに供給する。
「う、うそだろ・・・。」
 どんな攻撃にもびくともしなかった鋼鉄の装甲が水で切り裂かれている光景に魔理沙は唖然とした。いや、魔理沙だけではなくここにいる全員、そしてこの状況を見ている幻想郷の全てが驚愕した。
 幻想郷の住人の中で一番驚いたのは間違いなく八意永琳である。これは妖怪や亡霊、神様などが扱う超自然的な生体エネルギーを源にした理論的に説明しずらい力ではなく、科学的な根拠に基づいた非常に高度な技に見えたからだ。
 同じ事を現代科学の力でやる事は十分可能だが、それには巨大な設備を作らなければならない。
 巨大な水を貯蔵するプールを作り、そこから大量の水を供給するという仕組みと、高圧の水を放出する力は科学ではなく妖力を基に行っているようだが、これをやるには科学的な知識を術者が持っていなければ行えないものである。偶然の産物とも捉えられるが、妹紅との連携を考えると計画されて行われたもので間違いない。

 それに妹紅がやった技も他者は気付いていないようだが、これもかなり凄い事である。
 周囲の熱を吸収して非常に狭い範囲をピンポイントに溶解させる方法は月には存在しない。これは妹紅の技が月の技術を超えているという事ではなく、溶解させる以前に装甲よりも硬い材質の刃で掘削すればいいだけの事なので技術として方式を確立させる必要がないから存在しないわけである。しかし、着目すべき点はそこではなく、今現在の幻想郷に、あの要塞の表面に穴を開ける力も技術も装置もない状態で、どうすれば小さな穴をあけられるかという難解な問題を妹紅が持てる知識と頭脳でクリアしてしまった点である。
 妹紅を見下す事を止めた永琳の予想を超える彼女の働きと、ウォータードリルを作った者の潜在的な能力の高さが解析出来ず永琳は半分パニック状態になっていた。

「あの水の力・・・風見幽香だ!」
 八雲藍が苦虫を噛み潰した様に苦悶の表情で呟く。フラワーマスターと呼ばれる風見幽香のもう一つの特技が水を自在に操る事で、地下水脈を操作し荒れ地に花を咲かせる土壌改良が出来る力が彼女にはある。こんなでたらめな妖力を出せる存在は古今東西風見幽香だけであり、自然を操作出来る数少ない妖怪の一人なのだ。

「風見幽香は怪我で不参加でしょう?どうして?」
 存在感が著しく低下したレミリアが八雲紫に尋ねる。紫としても答えようがなかった。こちらの邪魔をしているというより迫り来る要塞に単独で抵抗を試みている様に見える。それに、邪魔をしないと約束しているので、このまま状況を続けて異変を台無しにすることはないだろうと思われる。
「大丈夫。妹紅も幽香もああいう強そうな物を見て黙ってみてられない性分なだけよ。これであの棺桶が破壊される事はないでしょうし・・・余興としては最適だわ。そう思わない?」
 紫は内心焦りながらも余裕の表情でレミリアに応え、要塞の制作者である八意永琳を見る。
「内部は液状の分厚い流体層です。装甲は削り取れてもそこまでです。」
 永琳は、このウォータードリルに驚いたものの、穴を空けただけでは要塞を破壊する事は出来ないと冷静に判断する。そしてこの時、このドリルを作ったのが風見幽香という妖怪だと初めて知り記憶に留める。
「風見幽香の攻撃でも倒せないものを運命で解決すれば、その者のお株は急上昇というわけね。」
 西行寺幽々子が紫の言葉に同調してお株が上がる予定のレミリアをおだててみる。
「確かに、穴を開けた程度ではどうにもならないわね・・・。」
 最初は驚いたレミリアだが冷静に考えればただ棺桶の底に大きな穴が空いただけで、しかも棺桶全体でみれば顔に対する鼻の穴同然の大きさである。
 この時、離れて様子を見ていた河童の河城ニトリは、吸血鬼など大物にからまれるのがいやなので声に出さずに重要な事を頭の中で呟く。
「(私なら、せっかく開けた穴なんだから有効に活用するけどな・・・。)」
 ニトリは空いた穴に撃ち込む攻撃は何がいいかと楽しそうに思考を巡らせていた。

「全く、何で大人しく私の言う事を聞けないのかしらね。脳味噌が筋肉で出来ているのかしらあの2人は!」
 脳味噌が筋肉で出来ていると聞いて、幽香や妹紅の顔を脳裏浮かべ思わずそのレミリアの言に同意してしまうバルコニーの面々。
 この状況で一歩引いて皆の様子を眺めていた博麗霊夢は、紫やレミリア達が安堵している様子とは裏腹に依然として厳しい表情を崩していない永琳の様子が気になっていた。
「(脳味噌が筋肉?何を言っているの!妹紅のやったことも、風見幽香がやったことも、科学的根拠に基づいた高度な戦法よ!何故それがわからないの?」)
 永琳が会議の面々に心の内で苦言を呈する間にも引き続きドリルは深く装甲を抉り内部に侵入している。
 光学光熱兵器に強い特殊な鏡面処理された硬い装甲でも、その最も硬い表面部分を貫通して刃が内部に浸透すれば、後は回転する力と押し込む力で強引に削り取るだけである。
 複数の装甲が折り重なる多重載積装甲に深く浸透した水のドリルは内部から押し出される新しい追加装甲をもろともせず掘削スピードは全く変わらない。多少時間はかかるが内部の流体層に到達するのは確実である。
「(このまま穴を開け流体層に到達しても、液体同士相殺されドリルによる掘削作業は意味をなさなくなる。でも、このままではなかったら?私ならこの穴に強烈な攻撃を打ち込むか、中のリソースを抜き取るわ・・・。)」
 永琳の背中に冷たい汗が流れた。


「ふふふ、これで終わりじゃないわよ!ここからが本番!」
 風見幽香は邪悪な笑みを浮かべて傘をしまった右手を前に差し出し、左手と同じ様に掌を上に向けた。
 指先の向く上空に妖気とは明らかに性質が違う別の力が発生し光の球体が現れる。先程の水の塊と同様に急速に大きく膨らむとウォータードリルの供給源となっている水のプールとほぼ同じ大きさになり、要塞に突き刺さるドリルとプールの後を追う様にその真下に移動する。
 この力は妖怪の力、妖力を元にした力ではなく、魔界のエネルギーを利用する暗黒魔法の魔力である。

 風見幽香は、妖力や魔力を直接手から放出せず、適当な場所に一旦エネルギーを蓄えるプールを作り、そこから間接的に攻撃する方法をとっている。これは地上周辺に被害を出さない為の配慮と同時に、プール自体を攻撃目標に近づける事で距離による威力の減衰を防ぐ役割も果たしている。これは、動かない巨大な目標に対して最も安全かつ効率的な攻撃方法であった。

「さぁて空いた穴に直接ぶちこむわよ。」
 邪悪な顔になった黒幽香は、舌なめずりをして次の攻撃の準備に入る。
 風見幽香の必殺技「サニー・レイ」は、霧雨魔理沙の「マスタースパーク」と同じ魔界のエネルギーを直接取り出して放出する暗黒魔法である。魔理沙は魔界の門を開いてエネルギーを放出する事しか出来ないが、幽香はそれを蓄積させ自在に操る事が出来る。基本となるエネルギーは全く同じで単に撃つだけなら威力は同じだが、力を圧縮出来る幽香のサニー・レイの方が、出が遅いという欠点以外魔理沙のマスタースパークより威力は上で、単純に威力だけならこれを教えた師である悪霊の大魔導師魅魔よりも上である。

 特殊な鏡面処理をされた要塞の装甲は、マスタースパークなどの光線系の攻撃に対し非常に優れた防御力を持っている。何もせずに単体で撃てば跳ね返されて、地上に大きな被害が出る可能性がある。しかし、装甲に穴を空けて直接流体層に攻撃を当てれば内部に巨大なエネルギーを送り込む事が出来、要塞内部の圧力を高めてパージさせることが出来るはずである。
 上空でその光景を見ていた妹紅は、幽香の現状の力と底の見えない余力を見て思わず顔がひきつる。化け物とは正に彼女の為にある言葉なのだ。


「ん!何だありゃ?」
 何か起こると一番先に声を上げる魔理沙は、次の変化をいち早く察知し皆に知らせた。
 8本の水の刃で出来たドリルは完全に要塞内部に浸透し、その基礎となっている巨大な水のプールも高速で回転し、それそのものが掘削刃の役割を果たして要塞内部に侵入しつつあった。
 そのプールである水の塊の真下にエネルギーの塊が現れ一気に膨らんだのである。
「あ、あれは、マスタースパークの塊だ!」
 同じ力を扱える魔理沙が一番最初にその光の球の正体を見破る。
「ありえねー!あんなの反則だ!」
 無属性とは属性が全く存在しないというものではなく、属性の入り乱れた安定していない状態をいう。その膨大なエネルギーの濁流を一つの空間に閉じこめる妖力膜の力場を作るなどただの魔法使いには絶対に出来ない事で、大魔導師魅魔にも出来ない芸当で、妖力と魔力を同時に扱える風見幽香だけが出来る芸当だった。
「うそ・・・。」
 永琳は思わずそうもらした瞬間、魔力のプールから一筋の光が水のドリルで空けた大穴に飛び込んだ。水のプールは当然の光に包まれ霧散し、その役目を終えた。
 一筋の光は一気に太くなってドリルの空けた穴の十倍以上に広がり巨大なエネルギーが内部の流体層に直接撃ち込まれる。
 無限に存在する魔界のエネルギーは、圧縮された力場から解放され加速度的にその量を増やし直径200メートルの一枚装甲を消滅させ、溢れる魔力はその傷口を無慈悲に押し広げていった。

「これで終わりじゃないわよ!」
 凄まじい力は要塞に確実にダメージを与えているが、如何せん相手の図体が大きすぎる。このままの状態を続けていけばパージさせるエネルギーにいずれ到達するだろうが、気の短い幽香としては一気に勝負を付けたくなる。
 幽香は空いた左手で水のプールの変わりにもう一つの魔力のプールを作り出し、サニー・レイを撃ち出している魔力のプールの真下に置く。

「おいおい!冗談だろ!もう勘弁してくれよ!」
 紅魔館でその様子を見ていた魔理沙はも一つ現れた魔力の玉を見て半笑いになってしまった。常々『弾幕はパワーだゼ!』などと嘯いている魔理沙は、圧倒的なパワーの差を見せつけられ魔法使いとして生きていくのが辛くなってきてしまう。
 生唾を呑む音を隠せなかったレミリアの無様さを嘲笑う余裕すら既にない会議の参加者達は、最強の妖怪の実力を目の当たりしてぐうの音も出せなかった。
「こ、これが、風見幽香の力か・・・噂には聞いていたが、これほどとは・・・。」
 流石の山の神様達も度肝を抜かれた。
 幽香はもう一つ出した魔力のプールをその上のプールにぶつけ、エネルギーの巨大な塊をサニー・レイに上乗せする。巨大な二つのエネルギーの塊が一つになると、その直径は単純に4倍に膨れあがり、威力はその数十倍にも膨れあがる。
 そして、次から次へとエネルギーの塊を下から供給し続け、倍々に膨れあがる塊はやがてその塊自体が大きくなりすぎて要塞内部の流体層と接触してしまう。その状態になっても魔力の供給を止めない幽香は、更に供給スピードを上げていく。
 マシンガンの様に次から次へと下からエネルギーが供給されていくと、まるで心臓が脈を打つように巨大なエネルギーの塊が脈動し、その力が内部の流体層に浸透し、要塞全体が脈打ち始める。
 流体層に浮いた状態の鱗状装甲はその脈動にあわせて要塞表面に波紋のような小さな波を立たせる。それはほんのわずかな波だったが、鏡面処理された鏡の様な艶がある装甲が光の反射角度を微妙に変えていき、要塞全体がミラーボールの様にキラキラと輝き出す。
 幻想郷各地で戦闘を行っている妖怪達、博麗神社に向かう人間の一行、そして紅魔館に参集した諸々もその美しい光景に思わず声を失い立ち尽くした。

「ふふふ、これで終わりじゃないわ!まだまだいくわよ!」
 幻想郷の全てを釘付けにさせている張本人は、その手を休める事無くみなぎる力の全てを出しきろうと更に力を振り絞った。
 風見幽香は、力を全開に振り絞り心地よい疲労感の中で恍惚とした表情をしている。千年の間地下に蓄えられたマグマが一気に噴出し火山を爆発させているように、一度出した力は誰かに止めて貰うまで、自分では止められなくなっている。
 その時、脳に直接響くような自分を呼ぶ声にハッとして魔力の供給を止めた。
「妹紅?」
 妹紅に呼ばれたと思った幽香は我に返って周囲を見渡したが誰もいない。そして、冷静になった幽香は上を見上げ要塞の動きと自分の攻撃を客観的に見る事が出来た。
「あっ!いっけない・・・。」
 思わずやり過ぎたかと思ったが、巨大な要塞ならこのくらいまだ平気だろうと安堵する。そしてパージさせるだけならもう十分だと攻撃の全てをそこで停止した。
「このままやってたら案外普通に壊せたわね・・・ちょっと残念。」
 幽香は一仕事終えた事に満足して、英雄になり損ねたなどと考える様子もなく、一休みしようと里に向かって歩き出していた。

 この風見幽香の10分間程度の攻撃は、幻想郷の全ての住人が目撃した。そして、攻撃を行った者が誰かをほとんどの者は見ていなかったが、消去法で皆容易に想像できた。
「な、なんだよ今の!」
「あれは風見幽香殿だな・・・。」
「あ、あれが?マジで?」
 人間の里の傭兵団の本陣で、顎が外れる程驚いて騒ぐ土蜘蛛のヤマメに冷静に答える妖酔。
 ナジから凄いとは聞いていたが、予想の遙か上を行く凄さに開いた口が塞がらない状態だった。それは戦場を縦横に跳び回っていたヌエやキスメも同じで先に我に返った人喰い妖怪の反撃を受けるまでしばし放心していた。


「嘘だろ・・・。」
 魔理沙がこの台詞を言うのは、この10分間で20回以上になるが最後の嘘だろは格別だった。
「嘘だろ・・・あのデカブツ・・・位置が変わってるぞ?」
 真上の要塞だけを見る限りでは上昇しているのはわからないが、横に見える狭い空がやや広くなり若干明るくなったことはすぐに分かった。
「終わった・・・か。」
 何故か安堵した様に藍が呟く。その時紅魔館のバルコニーはお通夜状態になっていた。
 こんな圧倒的な力を見せつけられた後では、ここでこうして会議を開いて集まっている事自体が馬鹿馬鹿しく思えてくる。最初から風見幽香に土下座して首の治療をさせてもらい、あの棺桶を壊して下さいと頼めば済む事で、この様な面倒な策を労する必要はなかったのだ。
 しかし、後に引けない真の主催者である八雲紫は、若干引きつった顔のまま皆の気持ちが折れない様に気丈に振る舞ってみせる。
「ゆ、幽香が怪我をしていなければ、このまま破壊できたでしょうね・・・ね?藍?」
「え、ええ、月面戦争の時はあんなもではありませんでしたし・・・。」
 確かに攻撃の終息が唐突過ぎる気がしないでもない。10分間限定で出来る特別な攻撃だったのか、或いはアクシデントが発生して中断しなければならない事態に追い込まれたか・・・。
 風見幽香は首の骨を折る怪我がまだ癒えず不参加であると最初に言われていたが、恐らくそれが原因で途中で止めたのだろうと会議の参加者達は予想した。

「風見幽香にも壊せなかったものを我々が壊す。その為の会議なのでしょう?」
 落ち着きを取り戻した会議参加者の中心で、放心したまま口を開け上を見ているレミリア・スカーレットに四季映姫が声を掛けて正気に戻す。
「そ、そそそそ、そうよ!私達、いえ私が解決するのよ!」
 レミリアの虚勢は誰一人心に届かず、完全にしらけてしまう。
 確かに幽香の攻撃は失敗に終わった。異変の解決は自分達にしか出来ないはず。この会議に参加した面々は、それなりに強いと自負している者ばかりで、だからこそこうして足を運んで幻想郷の窮地を救おうと参集に応じたわけである。しかし、この敗北感は何だろうか?まるで敗者というレッテルを顔の真ん中に貼られたようである。
 表向き皆が一致団結してという流れに見えるが実情は違う。解決が約束された本来する必要もない低俗な会議の格式を上げる為に雁首を揃えた様なものである。怪我人がここまでの芸当をやって見せたその裏側で、自分達はこそこそと裏で手を結んでいるという状況を省みてとても情けなく感じてしまうのだ。
 どんよりとした脱力感が周囲を支配する。八雲紫はこのままではいけないと皆を奮い立たせようとあれこれ策を巡らせるが、何より自分自身が一番ショックを受けており、一生懸命気持ちを持ち直そうとしていてそれどころではなかった。

 この窮状を救ったのは博麗神社の巫女博麗霊夢だった。
「ほらほら、幽香の攻撃は失敗したんだから、もう切り換えて!結局最初の計画通り私達にしか解決出来ないってこれではっきりしたでしょ?」
 手をパンパンと叩き、活を入れて皆の気持ちを切り換える霊夢。この一つの行動で場の空気が明らかに変わり折れかかっていた各自の気持ちが持ち直す。
 八雲紫は救われた気持ちになり、皆を一つにまとめる霊夢を頼もしく見る。どんなに力が強くても、知恵が働いても、バラバラに動いたのでは事業は達成できない。流行博麗の血には特別な力があるのだと、博麗について自らを鍛え上げた自分の正しさを再確認すると同時に、博麗を具現化させたような霊夢を愛おしく感じる。

「正午を過ぎたわね。藍、そろそろ妹紅を呼んできて。」
 八雲紫の声に先程は違う張りと威厳が現れる。
「はい。ところで幽香はどうします?参加させますか?」
「幽香はいいわ。恐らく今ので力を出し切ってしまって怪我が悪化してると思うから休ませて頂戴。」
「はい。ではスキマ砲はどうしましょう?棺桶の位置が変わりましたが・・・。」
「下に落ちたわけじゃないから慌てる必要はないわ。でも発射時刻は予定通りにしましょう。戻ったら再調整をするわ。」
「わかりました。ではすぐに妹紅を呼んできます。」
 紫の指示を受けて藍は直ぐに行動を開始する。

 会議室前のバルコニーにピリっとした緊張感が漂い始める。
 そんな中でレミリア・スカーレットは、異変の元凶、会議の主催者、作戦の総指揮としての肩書きを持ちながらも何一つ指導力を発揮出来ず、その存在感を著しく低下させていた。
東方不死死 第61章 「決起」


 紅魔館と永遠亭の間で起きた抗争から思わぬ方向に発展した今回の異変。その対策作戦会議の会場にあてられた紅魔館に、幻想郷でも有数の顔ぶれが一堂に会している。

 異変解決に必要な人材の参集を呼びかけた新聞報道がなされた直後から要人らが集まりはじめ、正午に開かれる予定の作戦会議よりだいぶ早い午前9時頃には2名を除いてほぼ揃うかたちとなった。午前10時前には出欠の有無と出席予定者の居場所がほぼ確定したと判断されたことから博麗神社の巫女、博麗霊夢の提案を受けて主催の吸血鬼レミリア・スカーレットが正午から行われる会議を1時間前倒しする事を決める。

 会議の冒頭、必要人員に挙げられていた風見幽香の不参加の報告とその代理が決められ、もう一人の必要人員である最も重要な任務を請け負う藤原妹紅の居場所が既に判明したものの呼ぶ必要はないと主催の独断で会議を続行させ、事前の形式的な異変の説明を会議の参加者に対して行うことになった。
 こうした手続きを主催のレミリアが直接行うのは、吸血鬼レミリア・スカーレットの運命操作によって起こった異変であるということを幻想郷中に周知させる為で、表向きにはレミリアを持ち上げる為の一種の演出である。しかし、この異変を起こした真の主催の思惑は別に存在し、それはレミリアの活躍を脅威にすり替える事で天狗側の反発を誘い吸血鬼廃絶の世論の流れを作るというものだった。その為、花果子念報の姫海棠はたてに会議の取材をさせているのである。
 当然、レミリアはそんな裏のそのまた裏の事情を知る由もなかった。

 一通り前置きの説明が終わると、各自の役割を時系列で具体的に説明していき、風見幽香の代理を受けて意気揚々としている霧雨魔理沙にはスキマ砲の発案者である八雲藍から直々に仕組みと作業内容の説明を受ける。
 作戦開始時には博麗霊夢と守矢神社の二柱が博麗神社に移動し、起爆剤である藤原妹紅が上空にいる状態で結界を張り、天と地に境界を敷く事になる。
 藤原妹紅は結界が張られている事を確認し、任意に不死鳥転生による自爆を起こす。この爆発で永琳の棺桶という名で周知された防御要塞に深刻なダメージを与えトドメのスキマ砲を発射するという流れになる。
 スキマ砲自体は特にどこか特定の場所でやらなければならないという制約がないので、会議終了後も引き続き同じ部屋で作戦司令室を立ち上げ、そこでスキマ砲の操作を行う予定になっている。
 スキマ砲に関しては万全の準備をして、安全に確実に作業が行える環境を整えているが、不足の事態が発生しトドメの一撃が成功しない場合を考え、弾丸である魔理沙を直接結界内に送り込む用意もしていた。その際、魔理沙を誘導し脱出させる段取りも既に組んでおり、その場合、一時的に結界の内と外がスキマで繋がる為、自爆の熱気が大量に幻想郷側に流出するのを想定し、その被害を最小限に食い止め冷却できるように紅魔館の目の前の霧の湖の上空又は水中に魔理沙の脱出の為の出口を複数設定した。

 作戦開始時は、本部に残る紅魔館組と博麗神社に移動する神社組の二手に分かれる事になるが、神社に作戦本部を置かない理由は、この異変があくまで『吸血鬼の異変』であることにしたい為である。
 霊夢を自分のそばに置いておきたい八雲紫だったが、霊夢の陰陽師の力はともかく神道の力は神社においてこそ発揮されるものなので、作戦開始時に二手に分けなければならなくなったのである。
 これは上白沢慧音と守矢神社の内通作戦に都合が良く、会議に参加している守矢神社の二柱は素知らぬ顔で内心ほくそ笑んでいたのは言うまでもないだろう。
 今現在それぞれの思惑通り事が進んでいる。誰の思惑が外れて誰が脱落していくかは、この時点ではまだわからなかった。

 必要な段取りが割り振られると会議の場は一息入り、緊張感した空気がほんの少しほぐれる。
「藤原妹紅はまだやっているのかしら?」
 会議の前から地鳴りのような音と振動が外から伝わってきており、すぐに霊夢が遮音符を施したので外部から伝わってくるのは振動だけで音は聞こえてこない。その振動もいつのまにか止んでいる。
「さぁ?」
 素っ気なく知らないと答える霊夢。
 紅魔館の会議室にあてられた南南東向きの部屋の窓からは魔法の森が見え、樹影に隠れているがその先には人間の里が正面に見えるはずである。この時この会議に参加している守矢神社以外の面々は人間の存在を完全に忘れていた。これは最初から気にも留めていないということもあったが、実はこの時人間の里ではある企みが実行に移されている最中で、上白沢慧音の歴史食いによって『里に戸籍を置く人間』の歴史が消去されていたのである。

 里そのものは消さずに戸籍のある人間だけを消す。これによって他の人間と里自体は存在し続ける事になる。これが全ての人間に適用されれば霊夢や魔理沙にも効果を及ぼし、八雲紫など強者には通じなくても、多くの会議参加者が突然消える霊夢と魔理沙に困惑し、何かが起こっている事を察知して人間の里の企みがばれてしまうことになる。そして、そうならない為に慧音は『里に戸籍を置く人間』のみに対象を限定したわけである。

 最近里で傭兵が募集されていた事は周知の事実となっており、その傭兵団によるものと思われる攻撃が魔法の森の向こうに見える。東の人喰い妖怪の存在は認識しているが、この会議に参加する面々にとっては人間以上にどうでもよい相手であり、その光景を蟻同士の喧嘩でも見るように眺めていた。
 退屈した霊夢の気まぐれで一時間会議を前倒しにしたものの、永琳の棺桶の降下速度が速くなったわけではないので、スキマ砲の発射角度は当初の作戦立案時と変わらない。
 スキマ砲は弾丸である魔理沙を飛行させ何回もマスタースパークを打てるように同じ通路をループさせる『第1砲身』と妹紅が自爆した灼熱の結界内に弾を直接打ち込みトドメを刺す為の『第2砲身』、第1と第2の砲身を直接繋げると熱気が第1砲身に侵入し魔理沙を焼いてしまう為、間に熱気と弾丸がすれ違って互いの砲身が直接つながらないようにする『第3砲身』の3つの砲身を繋げて出来ている。
 基本的にスキマ砲の射角は調整可能だが、3つの砲身を連動して動かさなければならなくなるため、微調整程度ならともかく緊急かつ大幅な角度調整は不可能である。その為、落ちてくる永琳の棺桶を追いかけるのではなく、落下速度が変わらない事を前提に待ち伏せしてピンポイントで狙い撃つという方針をとっているのだ。

 作戦開始は午後1時で、各自持ち場に移動し順次それぞれの仕事を進めていく。スキマ砲の発射は午後1時半~2時の間を予定しており決着が付くのはその時である。
 レミリアとしては作戦の総指揮官として台本通りに人事を尽くしたので後は基本的に見ているだけよい。作戦立案に関して重要な情報提供を行う役割を請け負った永遠亭もこの後特に仕事はない。この異変の表向きの当事者はもはやこの時点ですることはなくなっていた。
 八意永琳は、付き添いで連れてきたレイセンの救急用具を詰め込んだ大きな荷物が大袈裟だと思ったものの彼女の好きにさせ、自身は会議に参加した面々を注意深く観察し、様々な幻想郷の種族・個人のデータベースの構築を行っていた。

 会議の場は待ち時間になり更に緊張が緩む。そんな中、先程大きな爆音を上げて会議を邪魔した藤原妹紅についてレミリアが何やら苦情を言い始めていた。
「いくら不死身とは言っても所詮は人間、妖怪も神様も宇宙人も手をこまねいている物に、何をしようというのかしら?」
 藤原妹紅の真の目的を知らないレミリアは、無駄と分かっていて攻撃に向かう妹紅の行為を愚かと決めつけ、そしてその人間性を野蛮で下劣な存在と断じて嘲笑う。
 そんなレミリアの不遜な態度は会議に参加した一同に不快感を与えた。
 藤原妹紅という存在を知る者にとって、主催のその口調や態度に傲慢さを感じずにはいられない。妹紅を知らない者でもやはりレミリアの態度は褒められるものではなく良い印象を受けない。当然のように場に微妙な空気が流れる。
 妹紅に対して好意的な十六夜咲夜や八雲紫は、そのレミリアの台詞に憤りを感じ、前者は立場上何も出来ず何かを堪える様に目を瞑って下を向き、後者は眉間に皺を寄せて不快感を隠さなかった。
「せっかく私が解決法を見いだして役割分担したというのに、それを知っていてこのような態度に出るのは、私を舐めているか、じゃなかったら野蛮人かただのバカね。つくづく人間というのは愚かな生き物だわ。」
 妹紅もまたこの企みに荷担するメンバーの一人であり当然作戦内容も知っているはずである。にもかかわらず紅魔館への召集を無視して勝手な行動を取る妹紅を作戦総指揮官の立場で考えればこれを面目を潰されたと捉えても仕方がない。その心情は会議の参加者も分からない事もないのだが、その指揮官の役目も与えられたもので自身の才覚とは全く関係ないので、レミリアの妹紅に対する苦言は明らかに筋違いだった。

 傅く忠実な僕の不満に気付かず、正面右に見える八雲紫の不快感を隠さないその様子を尻目に妹紅を嘲る事を止めないレミリアは、先程風見幽香の不参加を不意に知らされ予定を狂わされた事を根に持っており、ちょっとした仕返しという意味合いを込めた稚拙な行動を紫に対して行う。
 それは単に紫への仕返しだけではなく、異変解決に当たり強い自信と指導力を見せる事によって、自分の異変であり解決すれば手柄は全て自分の物である事を会議室の内外の第三者にアピールする狙いもあった。
 お膳立てされた立場に遠慮して殊勝に振る舞う程妖者は謙虚ではない。これを最大限に世界の変化という紅魔館独自の目的に利用しようと企むレミリアは、膨れあがる自尊心を止められず、それは危険水位まで上昇していた。
 そして、そうした裏の事情に関する諸々の駆け引き以前にレミリア個人は藤原妹紅という存在を以前から過小評価しており、その人物が今回の異変解決の中心的最重要の存在で、彼女の存在を起点にして異変解決のシナリオが構築されている事が気に入らず、出来れば別の方法、例えば自分や霊夢などが中心の作戦にシナリオを変更して欲しいと自身の立場を全く考慮していない身勝手な考えに支配されていた。

 不死人狩りが始まった当初レミリアは1戦して無意味な戦いと判断しその後妹とは対照的に不死人狩りから身を引いていた。この不死人狩りで妹紅に対する空気が変わる潮目を見ていないレミリアは、当時の極悪人という妹紅に与えられた誤ったレッテルを今もそのまま引きずっており、妹紅に対する評価が変わった幻想郷の住人との間に精神的なズレが生じている事に気付いていなかったのである。
 妹紅に対する中傷は世論の支持を取り付けている一般的な見解と勝手に判断している為、むしろ八雲紫の不満そうな態度が不思議であり面白可笑しくもあり世論からずれていると思い、そんな紫をバカにするために余計に妹紅を口撃してしまう結果を生んだわけである。

 図らずも召喚させられてしまった謎の球体への対処に苦慮しているところに今回の異変参加を持ちかけられ、これらが解決が約束された茶番であることと、自分は解決者側の筆頭として、又恐るべき物を召喚できる無双の強者であることを幻想郷中に知らしめられるという甘味な毒まんじゅうに飛びついてしまうレミリア・スカーレット。
 少女のままでは重すぎる重圧から解放されたレミリアは安心して気持ちが大きく緩み、最初に味わった異変に対する無力という名の屈辱から立ち直ろうとして、殊更自分を大きく見せて取り繕おうと必死になっている自分の姿を客観的に見れなくなっていた。
 その姿は裏の事情を知る者や真の強者からは滑稽に見えるだけで、レミリア自身に何の利も無くむしろ評価を著しく下げる結果しか得られなかった。
 
 この主の態度にある種の危機感を覚えたのは、従者の十六夜咲夜と会議前倒しを知らされてからレミリアの手前左の席に着いたパチュリー・ノーレッジである。
 まるで数日前の自分たちを見ている様で、藤原妹紅を見くびったそのしっぺ返しは必ずくるであろうと不安に駆られる。
 裏の事情を聞かされ妹紅に大きな恩を感じている2人は、知らない事とは言え主の為に骨を折ろうとしている彼女に対するこの様な振る舞いを残念に思うと同時に妹紅に対し申し訳ないと心の中で謝罪するしかなかった。


 その強者であることを誇示するレミリアの精神状態は、九尾の八雲藍にも当然良く見えており、レミリア・スカーレットが想像以上にお子様だということを知った。そして、その挑発に主の八雲紫が簡単に乗っているのも気掛かりだった。
 八雲紫は妹の魂と糾合して急激に力を高めていると同時に霊格も極端に上がっている。とある禁止ワードを言わない限り、ちょっとやそっとのことでは怒らない霊格高い彼女だが、レミリアの態度はその少ないケースに該当してしまう。自分に対する中傷は笑って済ませられても、自分の大切な者をバカにされることは許せないのである。

 不死身しか取り柄のない存在と妹紅を見くびり蔑み、永夜異変の後、不死人狩りを企てた当時の八雲紫なら、当時の状況から進歩していない今のレミリアと迎合していたかもしれないが今は明らかに当時とは状況が違う。ここで紫がキレてしまうと今後の展開に大きな影響を及ぼしかねないと藍は顔はキツネ顔のまま内心ハラハラしていた。
 そんな紫と藍の微妙の空気を読んだ当事者らに挟まれている博麗霊夢は、紫に対して不遜な態度で挑発するレミリアのいつもと違う態度が気になり話しを止めさせる為にポツリと呟く。
「一応私も人間なんだけど・・・。」
 一般的に考えて、人間のいる前で人間の悪口を言えば、それを聞く側の人間は不快になるだろう。人間の悪口を言われても特に何も感じない霊夢だったが、話しを止めさせるきっかけとして敢えてレミリアの態度に同じ人間という理由で彼女の言動に不満の意を持っているふりをしてみる。
「れ、霊夢は特別よ。あんなのと同じであるはずがないじゃない!」
 霊夢は藪をつついて飛び出したヘビに噛まれたと自覚し余計な事をしたと後悔した。咄嗟に妹紅を『あんなの』と言ってしまう大人の対応が出来ないお子様のレミリアが予想の斜め上を行っていたのだ。しかし、この霊夢の横やりは言い出した本人にとっては失敗と感じたものの八雲紫・藍側にとっては良い方向に結果が出た。
 予想の遙か上を行くレミリアの稚拙な態度は、紫の怒りを通り越して逆に静める結果になったのである。そう、呆れ果てて別の意味でぐうの音が出なくなってしまったのである。
 八雲紫はレミリアの反応を見て、捕るに足らない小物に大人げない態度を取ったと半ば自嘲気味に口元に笑みを浮かべそのままゆったりと背もたれに身を委ね静かに目を閉じた。そして最初からのキツネ顔のまま藍も内心ほっと胸をなで下ろす。
 レミリアは自分の口にした言葉の意味を理解しておらず、急に場が静かになったのは『霊夢が特別』という言葉が的を射ており、皆が自分の言動を支持したのだと思い込んでしまう。そして、満足げな表情で前屈みになった姿勢を正して腰を深く大きな椅子に落ち着ける。他者から見れば滑稽も滑稽で酷い笑い話である。
 主の後ろでうつむいて立っていたメイド長十六夜咲夜は恥ずかしさの余りどこかに隠れたい心境だった。異変を主催する側もその異変に組み込まれる側も、この表向きの中心人物の稚拙な行動に唖然とするしかなかった。

 そんな様子を静かに見ている黒い魔法使い霧雨魔理沙は、風見幽香の代理として正式にレギュラーメンバーに抜擢されたものの席は最初に座った来客用のままで霊夢との扱いの差に少し不満だったが、会議の場が何やら不穏な雰囲気で言い出し辛くテンションが下がっていた。
 飽きてきたのでアリスやニトリを誘いまたバルコニーに出る。呼ばなくても付いてくるチルノと4人で南東の空で繰り広げられる戦闘光跡を目で追いながら上空の永琳の棺桶を見る。
「もう諦めちゃったかな・・・妹紅。」
 上空の永琳の棺桶周辺に目立つような光跡は無く、今現在妹紅は攻撃をしていないようである。
 レミリアは妹紅の行為を愚かだと決めつけていたが、巨大な敵に真っ向から挑む妹紅を魔理沙はカッコイイと思うのだ。そして同時に、その棺桶に対して手を出さない会議の参加者に違和感を感じる。数時間前にこの状況を知ったばかりなので、既に様々な試みが為された後のその結果に基づいた作戦かもしれないので、余計な事は言わずに頭を切り換える為別の話題を探す。その時になってある事に気付いた。
「あれ?アリス!フランどこだ?」
「さっき外に出て行ったわよ。」
「え?いつ?全然気付かなかったゼ。」
「魔理沙がキツネと話してた時じゃない?」
 ニトリが思い出したかのように呟く。
「私も遊びに行きたいけど・・・やっぱ駄目だよな?」
「当たり前でしょ!何考えてるのよ!」
 与えられた重責に対して無責任な事を言う魔理沙に対してアリスが目を吊り上げる。
「幻想郷の運命は魔理沙にかかってるんだから!」
 ニトリが楽しそうに魔理沙をおだてて笑う。ニトリは数時間後、大好きなこの魔法使いの死を間近で触れる事になる。


 人間の里の住人は、早朝から何も食べずに商工会館に集まり会議を開いて異変の対策を講じていたが、その最中に敵襲を知らせる意味の火事を報せる時とは違う間隔の長い半鐘が鳴る。
 人間の里は騒然となるものの、一人の勇敢な少女の申し出によって住人の心は一つにまとまり里は一つの目的の為に動き出す。

『いざ博麗神社へ!』

 午前8時、里総出による炊き出しが行われ、朝飯をとっていない里の住人はここでようやく一息つく。
 里の人間達とは別に既に朝食を済ませていた妖酔乃瀧の主人妖酔率いる傭兵団が炊き出しの手を休めた里の大勢の見送りを受けて大通りを抜け出陣。東の砦門の外にいた風見幽香の見送りももらい街道を素早く東に進んだ後南東に進路を変え太陽の畑の手前まで進出し、午前9時半に布陣が完了した。
 見送りをした人間達は、炊き出しの朝飯を掻き込み妖怪達が陣立てするまでの間に出発の準備を進める。そして、傭兵団の攻撃を合図に慧音が里に戸籍を置く人間の歴史を消して全てが動き出す予定になっていた。

 人間の里の店蔵や酒蔵が建ち並ぶ大通りに、大量の荷物を積んだ数十台の荷台と大勢の人間達が隊列を組んで静かに待機していた。これだけ大勢の人間がひしめきあっていても、ざわついた様子もなく静かに整然と並んだままで、誰一人口を開かずに東の濁った凝視していた。
 一時的に里に戸籍を置いた魂魄妖夢だが、半人半霊である彼女は慧音の歴史操作からはみ出てしまうため、妖怪が人間を認識出来なくなる一方で、人間、妖怪どちらからも認識される特殊な立場になることが出来、慧音はこれを使って人間達を見る事が出来ない妖怪達との橋渡し役とした。
 妖夢の檄で奮い立った里の住人は、自分達の為に囮として出陣した妖怪達に対しても義理がありそれに報いる為にも、もう後に引く事が出来ず、皆腹をくくって武者震いをしていた。
 そんな中、人間達をそうさせた張本人の魂魄妖夢は人間達の紅潮した顔とは裏腹に青ざめて今にも倒れそうだった。
「(・・・胃がキリキリする・・・。)」
 妖夢は初陣前の幼年兵の様に緊張で体調がおかしくなりそうだった。
「おい!大丈夫か?」
 2時間程前にスケさんと命名された妖怪がそんな妖夢に声を掛ける。
「だ、大丈夫です!」
 その返答を見てカクさんという名を拝命した妖怪がクスリと笑う。
「まるで敵の大群とこれから剣を交えるかのような緊張ぶりですね。まぁ、気を落ち着けてこれを着なさい。その魂魄は結構目立ってしまいますからね。」
 そう言ってカクさんは地味なフード付きの妖夢の体に合わない大きな外套を手渡す。中に魂魄をしまっておけということだろう。妖夢はいそいそとそれを着て、魂魄が外套の中に閉じこめられている事を確認する。
「お前の役目は人間達を先導し、隊列の先頭に常にいることだ。消された後では我々には人間は見えなくなるからな。護衛するにもどこに人間がいるかわからなければ何もできん。」
 スケさんが妖夢のやるべき仕事を再確認させる。大任を任されそれに応えようとするのは立派だが、全てを背負おうとして気負っている感をひしひしと感じる。これでは上手く行くものも上手くいかない。
「出発して隊列の最後尾が里の門を抜けたら私に合図を下さい。私は最後尾の位置の目印となりながら護衛します。」
 カクさんが自分の役割を伝える。妖夢につけられた妖酔の両腕達は事前に自分達の役割を与えられていた。
「俺は先行して邪魔者がいれば排除する。お前の位置とカクさんの位置を目安にして人間達の位置を確認しながら、排除すべき者としなくてよい者を判断する。基本隠密だから避けられる戦闘は避ける。いいな?」
「は、はい!」
 妖夢は的確なアドバイスをくれるお供の妖怪を心強く思い少し気持ちが楽になる。何もかも全部自分でやらなければと気持ちだけがはやってどうしようもなかったが、妖夢は呼吸を大きく長くして気持ちを入れ替えた。
 スケさんとカクさんの装束はほぼ同じで、茶色の地味な外套と大きな笠を被り、怪しく光る赤い目だけが外套と笠の間からチラチラと見えるだけで素でどんな顔姿をしているのかは全くわからない。2人の大きな違いは体格で、スケさんの方は外套の下に重い金属製の鎧を着込んでいるようで、動くたびにカチャカチャと音がし、重い鎧を支えられる立派な体躯をしていると想像出来、実際の体形は鎧と外套で全くわからないが、野太い声の感じから予想は正しいだろう。
 カクさんの方は軽薄そうな心のない高い声で話し、頭は良さそうだが情には薄そうで、最初の印象とは変わりカクさんの方がある意味妖怪らしいと思えてきた。先程からこちらを気遣う態度を取るのはスケさんの方で、最初は自分が嫌いなタイプの典型的な妖怪と思っていたが今は一番頼りにしていた。
 カクさんの体形はスケさん同様全身をすっぽり包む外套で見えないが体重は軽そうで体の線も声の印象から華奢な印象を受ける。中に重い鎧を着込んでいる感じはなく足取りは常に軽い。スカしたしゃべり方で最初はそれが知的な印象を受けた妖夢だが、今はこのしゃべり方は好きではなくなっていた。
 見かけで判断してしまう妖夢としては色々と考えるところが多く反省ばかりである。
 
 東西に伸びる里の大通りをほぼ埋めつくした一団に向かって上白沢慧音が、マルキの店蔵の屋根の上に立って里の隅々まで届くような大声を張り上げる。いよいよ出立の時間である。
「皆、間もなく出立だ!出立の前に少し言っておく事があるから良く聞け!歴史を消せばお前達は妖怪から襲われる事はなくなるが、周辺の戦闘の流れ弾が隊列に飛び込む可能性はゼロではない。だが、怪我人が出ても隊を絶対に止めてはならん。前に進み必ず博麗神社にたどり着け!」
 ほんの少しどよめきが起こるが、慧音はそれを受けて吊り上げていた眉を下げて優しく諭す口調に変わる。
「怪我人が出る事も想定し、皆が出た後に救護の者に後を追わせるよって安心せよ。里の外には風見幽香殿、里は私が直々に守る。お前達が帰る場所は必ず残しておくからな。」
 不安気などよめきが収まり、周囲から静かに互いを励まし合う声が聞こえる。
「神様は妖怪やわしのような霊獣の話しは聞かん。人間のお前達でなければならない。くれぐれも失礼のないようにな。よし、では行くぞ!」
 幻想郷の歴史に置いて、単に妖怪の食糧に過ぎなかった人間が、幻想郷の未来に初めて関わろうとしていた。


 人間の里の正式な名称は『博麗の里』で、千年以上前の穢多の村だった当時からそこには入植した博麗の一族の博麗神社があり、それが里の名の由来である。
 約百年前の博麗大結界施行時、本陣山と呼ばれる幻想郷東端の山に神社が移設され里から神社がなくなって以降は『人間の里』或いは単に『里』と呼ばれるようになった。
 その人間の里から博麗神社までは直線距離で約10km弱、大人の足なら3時間かからない距離である。朝8時に家を出れば途中休憩をいれても昼前に余裕で着く距離である。しかし、問題は距離ではなく道中の危険性だった。
 人間の里の東にある砦門から真っ直ぐ東に伸びてそのまま本陣山の麓に続く道幅の広い街道は、北側に妖怪が寄りつかない魔法の森があり安全であるものの、東から南側にかけて見通しの良い平地が広がり、人が歩いていれば妖怪からすぐに発見されてしまう。人間が単独でこの街道を通る事は自殺行為であり、この道はあって無いような道だったのである。
 里の者が徒歩で博麗神社に行く際は、魔法の森を蛇行する獣道の様な細い隘路を通って東に進み、本陣山の西側に出て、獣道を辿って山を登り神社の裏の母屋側を回る事になる。この場合、大人の足でも半日かかる事になる。
 神様に参拝するという文化が失われた人間の里では、このような危険な旅をする理由が存在せず、今は薪業者が薪を採りに本陣山を訪れ、神隠しに遭わない様、安全祈願を兼ねて神社を参拝するくらいである。

 魂魄妖夢に先導された神社に向かう里の大人達の中で、薪業者に雇われた者以外で神社を参拝した経験のある者は一人もおらず、子供の頃から危険と教えられて近づかなかった街道を進むのもまた初めてで、全てが初体験であった。
 里の守護者、上白沢慧音は常々神社への参拝を口にしていたが、世代が替わる毎に神社との精神的な距離が離れていき完全に切れてしまうと誰も彼女の言う事に耳を傾けず、近年出回り始めた『文々。新聞』によって博麗神社の巫女の日頃の所業が歪められて報じられしまった為、神社は危険な場所で妖怪に乗っ取られたという認識が一般化してしまったのである。
 今回の異変のどさくさに紛れて里の人間と神様との絆を取り戻そうと画策する慧音の企みは今のところ順調で、このまま行けば神社は再び信仰を取り戻すだろう。

 神社の領域である本陣山から一歩外に出ると魔の領域であり、本陣山のすぐ南の小高い山は人喰い妖怪の総本山となっている。幻想郷で最も安全な聖域と、最も危険な魔の領域が隣り合って存在しているということである。
 神社への正しい道は、里から東に真っ直ぐ伸びた街道を進み、本陣山とその南側にある危険な妖怪の総本山の小高い名もない山との谷間を東に向かって抜け一旦山の反対側、幻想郷の東側の境界線に出る必要がある。
 神社は東側を向いて里に背を向けるように建っている為、神社の正面である東側に回り込まなければならないのだ。

 妖夢らの一行は、妖酔らが引き付けて人喰い妖怪が留守の東の魔の領域をかすめて神社の正面の階段を登って行くという計画を基に行動している。
 神社に来た事がある魂魄妖夢だが空を飛んでの事なので徒歩で来た事はない。しかし麓から神社の正面の階段を登るまでのルートは上空から見て覚えているので道案内は十分可能である。そうした道案内という意味でも魂魄妖夢は先導役として適していたと言える。
 実際に踏破する距離はこちらから見て山の反対側に回ることになるので10km以上になってしまうが、小走りで進んでいるため何事もなければ休憩を挟んでも約2時間の行程だろう。階段を登って荷物を全部上に上げる作業や、神様を祀る宴の準備諸々考えると全行程3時間というところだろうか?10時半の傭兵団の攻撃を合図に慧音が歴史操作をし神社行が出発したので、こちらの企みが開始されるのは12時半以降となるだろう。そして計画立案者の慧音は神様をもてなす宴の開催を午後1時と設定していた。



「ほ、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫、小傘は目立つとこに立ってればいいだけだから。」
 人間の里と太陽の畑の中間にある全方位に見通しの良い平地に陣取った人間の里の傭兵団は、赤や黄色の派手な陣幕を張り、同じく派手は旗を立て、更にドラや太鼓を打ち鳴らし人喰い妖怪達の注意を引き付けている。
 その陣の中心に簡単な木組みの櫓を立て、その上に緑色に髪の毛を染められ赤い派手な衣装に着替えさせられた化け傘の多々良小傘が立たされていた。側にお目付役の妖酔の部下のナジが腰を低くして目立たないように控え、おどおどしている小傘に対し彼女が恐怖で逃げ出さない様監視している。
「ほんとに効果あるんかねー。」
「さぁ?でも奴さん達あんまり近づいて来ないから一応効いてるんじゃない?」
 予想に反して敵の出足が鈍いが、慧音の力で人喰い妖怪達の目標が分散したという事もあり、『魔除け』作戦の成功は戦闘が始まったばかりの午前10時半時点ではまだ判断しずらかった。
「まーでも魔除けってのも案外本当なのかもな・・・。」
 成り行きで傭兵になってしまった地底の封印妖怪組の土蜘蛛のヤマメと橋姫のパルスィが、仲間内で一番弱い小傘の晴れ舞台を下から眺めながら戦況を話し合っていた。
 小傘の顔や髪型が、最強の妖怪風見幽香に似ていると気付いた彼女達の世話役里妖のナジがボスの妖酔に妙案を持ちかけてみたところ、意外にもその案が通りこんな事態になっているわけである。
 最初は嫌がっていた小傘だが、風見幽香の格好に変身させれてから周囲が感心と同時にかなり驚かれたせいで、小傘は畏れを貰い腹が満たされ気を良くしてこの大任を引き受けてしまったのである。しかし、いざ現場に担ぎ出されると味方の猛者達と敵の軍勢に囲まれた初めての戦場の雰囲気に完全に飲まれて心がくじけてしまった。それを何とか説得し仲間を見える位置に置くことでなんとかその場に留め作戦を続行する事が出来たというわけである。
 櫓の下の小傘から見える位置に特別に配置されたヤマメとパルスィは幸運にも戦闘に参加する必要がなくなった。仲間5人の内、もう2人のヌエとキスメは先陣を切って人喰い妖怪の大群に切り込み攪乱に成功し、隊長クラスの大物を戦闘開始早々に数名撃破して人喰い妖怪を混乱させていた。
 ヌエは攪乱戦が得意で弱い餓鬼達を互いに人間と認識させて共食いを誘い、それが見事にはまって各地で餓鬼同士で共食いが始まっていた。釣瓶落としのキスメはヤマメから蜘蛛の糸をもらいヌエに結び付け牽引されながら、ヌエの術から逃れた強めの妖怪を各個に撃破していた。
 妖酔の息がかかった直属の妖怪達は本陣を守りつつ、餓鬼が群れて黒く濁る空の一部に対し組織的な狙撃を行い、ヤマメらと同じ外部から傭兵として参加した強者達は5人一組の遊撃隊としてある程度自由に戦わせていた。本来ヌエ達はヤマメ、パルスィなどと一緒に遊撃隊として5人組でまとまって行動する事になっていたが、小傘の件があって攻撃はヌエとキスメだけで行っていたのである。

 本陣で指揮を執る妖酔は、やってもマイナスにはならないだろうと試しにやらせてみた偽風見幽香作戦、通称『魔除け作戦』が思いの外効いている事を確認していた。強い者はそれが偽者だと解るだろうが、弱い雑魚は風見幽香の記号ともいえる緑の髪と赤い派手な衣装に簡単に騙されてしまい、恐れて本陣を襲って来る様子がない。妖酔はこの戦いに於いて最も警戒していた点がその数で、雑魚といえども数百数千が一度に襲いかかってくれば被害が出るのは確実であり、そうなることを予め覚悟し部下に重装備をさせていたのだ。その一番問題にしていた雑魚の群がヌエの攪乱と小傘の偽幽香のおかげで、戦いは当初の予想に反して非常に有利に傾いていたのである。

 傭兵団本陣の北にあって東西に走る街道を今現在人間達が東進中であるが、戦況がこのまま推移すれば人間達の一行は何事もなく本陣山の麓まで辿り着けそうである。気になるのは『魔除け作戦』で偽風見幽香に恐れをなした雑魚の一部が後退して東側に引き戻っている事である。魔除け作戦の効かない強い妖怪は依然引き付けているが、人間達が麓から山の頂上にある博麗神社に向かう際に引き返した雑魚の一部と交戦になる可能性が高くなってきた。これは魂魄妖夢に付けた2人の猛者がいれば問題はないだろうと妖酔は判断する。
「順調だな・・・しかし。」
 今現在は上手く事が進んでいる。しかし、妖酔は全く油断はしていない。東側には吸血鬼の残党や死神がいる。彼らは今現在一応風見幽香の配下にあるとされており、彼らは東の人喰い妖怪の西進を妨げる堤防としての役割を果たす存在である。しかし、実際問題として人喰い妖怪がほぼ全軍西に移動しているのだ。
 つまりそれは彼らが本来の役目を果たしていない事を意味するのではないか?何れにしても彼らが今現味方ではない事だけは理解出来、不足の事態に対していつでも対応出来る様に準備だけはするつもりでいた。

「攻撃はこのまま続けさせろ。」
 妖酔は副官と思しき部下に攻撃続行を指示し、陣地中央の簡易櫓の下に移動して上にいる小傘の様子を見に行く。餓鬼共の畏れを食べて満たされたのだろうか?最初のおどおどとした様子はなく落ち着いてヤマメらに余裕の表情で手を振っている。この手の化け道具はあるきっかけで突然強くなったりするが、小傘にもその兆候が見られる。恐らく大勢の畏れを喰ってこの戦いが終わった頃には一端の妖怪になっているに違いない。
 妖酔は戦場のど真ん中の和な光景に一瞬仮面の下に隠された表情を緩めたが、その時、空が一瞬白く光り、僅かな間をおいて雷の様な轟音が鳴り地面が震えた。
 これは妹紅が防御要塞に対して攻撃を始めた事によるものである。
 前触れのない突然の爆音に皆思わず動きを止めて空を見上げ、しばらく上空で繰り広げられる火球の円舞に見入っていたが、誰かが声を上げると何事もなかったかのように各自割り当てられた仕事を再開し、以後顔は上げても手を休める者はいなかった。
 妖酔はそんな部下達の様子に満足し、この巨大な爆発を伴う攻撃を行っている何者かに思いを巡らせるが、炎から妹紅を容易に想像できた。

 時刻は午前11時を過ぎた。


「くそ!ダメだ!びくともしない。」
 妹紅は巨大な炎の玉を何度も何度も同じ場所に正確に叩き込み、要塞内部にダメージが蓄積するよう攻撃を与え続けていた。
 眼下には人間の里と周囲の様子がかなり小さく見える。下から見ると大きく間近に見えたので直ぐに要塞表面に近づけそうだと思ったが、実際に表面に辿り着くまでかなり高度を上げる必要があり、この要塞のとてつもない大きさを改めて実感する。多くの妖怪はそこまで高く跳べずに下から光弾を打ち込む程度に終わっているが、肉薄できる妖怪も妹紅が激しく攻撃をしかけたことで起こった激しい爆風を間近で受けて身の危険を感じ退散してしまい、今現在妹紅の周囲に誰もいない。
「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!」
 自分以外誰もいなくなり遠慮する必要がなくなった妹紅は、自ら巨大な火の玉となって要塞の真下から激しく体当たりする。
 巨大な爆発を伴って直径200メートルもある六角形の鱗状装甲の1枚を蒸発させたが、直ぐに新しい装甲がせり出して失った装甲の穴を埋められてしまい振り出しに戻される。
 新しい装甲は内部の流体層に量子還元されて失った分を量子返還をして補っており、このまま継続して攻撃を続ければいずれは流体層の中に存在する装甲の素材が枯渇して内部の中枢部分が露出するはずである。しかし、このままのペースであればそれは100年後か1000年後の話である。
 強力な再生復元能力を持つこの要塞は、密閉機構の為構造状外部からの衝撃を内部に蓄積してしまい強固な装甲が仇となって内圧を外に逃がす事ができず中枢部が高い圧力に晒される。継続的に強力な攻撃を仕掛けることで理論的には内部の中枢機構を内圧で破壊することが出来るが、それを防止する為の機能がこの要塞には備わっており、それは一定の圧力が溜まると外殻装甲をパージして内部に溜まった圧力を逃がすことである。
 妹紅はそれを狙い、その外に逃げる力を利用して要塞の落下速度を微妙にずらそうと目論んでいた。こうすることでスキマ砲の発射角度がずれ、弾丸の役目を果たす魔理沙は直接灼熱地獄の結界内飛び込ませざる得なくなり、妹紅は魔理沙にその大役を果たした後脱出の際の事故として彼女を死なせる算段だった。
「しかし!」
 妹紅は再生された装甲に張り付いた状態で要塞に対してパージさせる程の圧力を生み出すダメージに全く足りていない事を自覚する。相当なエネルギーは内部に溜まっているはずだが、如何せん相手が大きすぎるのだ。まるで大地を蹴り飛ばしているだけようで、全く手応えがない。
「全然足りない!デカすぎるんだ!クソ!」
 42km、約十里と聞いて長さだけで物を判断しそれを立体にした大きさを考慮していなかった。と言うより想像が全く出来なかった。ある程度は通用するだろうと甘く見積もっていた。実際にそれを目の当たりにして要塞の表面に取り付いてみると、球体というよりもはや水平な面にしか捉えられない。自分の立っている大地が球体をしているなど知識として頭で分かっていてもそれを実感として捉えられないのと同様にこの要塞は建造物ではなく正に天体、星、人工の鉄の大地なのだ。
 下を見れば眼下に幻想郷、横に視線を向ければ水平線の見えない幻想郷の外縁部の山並の稜線とこの人工の大地の2枚の面に挟まれて空が狭く潰されているようだ。東の空が人喰い妖怪の群れで覆われているが、そんなものは今の妹紅にはどうでもよい事だった。
「ダメか・・・ならば次の手で・・・ん?!」
 妹紅は今のままの攻撃では時間が掛かりすぎる為、別の方法に切り換えようとした時だった。妹紅は不意に強烈な妖気の接近を感じ、咄嗟に要塞に張り付けていた肢体を離して滞空し周囲を警戒する。
「どこだ?」
 腹を上にして要塞に張り付いていた妹紅は咄嗟に反応して手を離し自由落下した為、一瞬平衡感覚を失い妖気の場所を見失うミスを犯してしまう。そして、高速で地表方向から何かを叫びながら近づいて来る妖気の塊への対処が遅れた。
「しまった!」
 鉛直推進飛行タイプの妹紅は常に重力の干渉を受けつつそれに逆らって飛んでいるので、地表方向から来る物体に対して重力加速度を利用できない横や天頂方向への敏捷性が低い。上や横からなら重力を利用して下に逃げればいいがそれが出来ず、避ける努力はしたものの高速で近づく赤い物体に衝突されてしがみつかれてしまう妹紅。
 ドンという衝撃と共に下から上に突き上げられ要塞に背中をぶつけて止まる妹紅。一瞬息が止まり気が遠くなったが死に至るような衝撃ではなく直ぐに持ち直してその物体を確認し処分にかかろうする。しかし、ここでその衝突した物体の意外な正体を確認して驚いて動きが止まった。
「お、お前は?」
 強い妖気は消え、同時に妹紅とその張り付いた物体は重力に引かれて数十メートル落下しそこで滞空する。
「もこうおおおおおおぉぉぉぉ!!」
 小さな身体、赤い服、白い帽子、そして特徴的な七色の羽根、そして自分の名前を呼ぶ泣き声。
「お前、フランド・・・いやフランか?」
 妹紅はフランドールと初めて出会った時、その付き添いで来ていた紫の魔法使いパチュリー・ノーレッジが呼ぶ彼女の愛称を使って暗示を掛け、当時は正しい本名は知らなかった。フランドールと妹紅の関係においてはフランと呼ぶのが正しいだろうと判断した妹紅は名前を言い直した。
 自分の愛称を呼ばれた吸血鬼の少女は、妹紅のお腹に埋めていた顔を上げて、涙でぐちゃぐちゃになった表情で妹紅を見上げる。
「あいだがっだよおおおぉぉぉ」
 会いたかったと言っているのは分かったが、ここまで大泣きする程大袈裟なことではないだろうとフランドール・スカーレットの過剰な態度に困惑し動揺する妹紅。最初は危険な妖気を出していたので捕まった時は殺されると覚悟していただけに、このフランドールの変化が尚更理解出来ないのだ。
 このタックルをされた状態では、いつ体をバラバラにされるか分からない妹紅は、腰低く丁重にフランドールを宥める。
「ほら、泣きやんで。あと、痛いから離れて・・・。」
 思いきりしがみつかれており、これで怪我をする事はないにしても尋常じゃない締め付けでかなり痛みを感じる。
「やだ!」
「やだって、ちょっと離して・・・。」
「だって、またすぐにいなくなっちゃうもん!」
 フランドールは彼女なりに妹紅の暗示で破壊衝動を抑えられた事に感謝しているようである。
 しかし、妹紅はそんなフランを意外に感じた。レミリアと同い年にしては幼稚過ぎる所があり他人に感謝するとか、それをずっと覚えているなど、この吸血鬼の奇形児の精神がそこまで成長しているようには思えなかったからである。
 実際問題としてフランドール・スカーレットは破壊衝動を抑えられない数年前までは妹紅の予測した通り、感情の起伏が激しく精神に致命的な疾患を持っている患者と同じだった。情緒不安定で常にイライラし、そのストレスから逃れる為に破壊して気を晴らすのだ。それが、妹紅に更生を施されてから1年もたたず精神が劇的に安定して良く笑う可愛らしい少女に生まれ変わったのである。
「もう逃げないから・・・ね?」
 妹紅は一晩中殺し続ける凶暴なフランドールしか覚えていない為、最初は疑心暗鬼だったが瞳の奥に純粋な子供の輝きを見つけ、ほっと安心して優しい言葉をかける。
「・・・ほんとう?」
 妹紅をがっちり掴んだまま涙目で見上げるフランドールだったが、妹紅の身体から強張った緊張感が解けたのを全身で感じ取った。
「本当よ、今このデカブツに用があるから・・・。」
「・・・これを壊せばいいの?」
「え?いや、それは・・・。」
 全てを破壊する力を持つフランドール・スカーレットなら或いはこれを消滅させることが出来るかもしれない。しかし、妹紅の目的はあくまでパージさせる為に内部に強い圧力を蓄積させる事で破壊したので意味がないのだ。それにこの要塞は無数の装甲を流体層に浮かせている構造で、連動して体系を構成している単一機能の物体ではない。全てのパーツが個別に機能している内部構造を熟知していなければまとめて破壊することは恐らく不可能である。

 妹紅はフランドールと戦い殺され続けた時、最初は物理的な方法、つまり手で触れたものを壊す能力だと思っていた。その後、フランドールが何度殺しても立ち上がる妹紅に恐怖を抱き逃げ腰になった時、触れられてもいないのに体を破壊されたことを受けて、その能力が意志で行えるものだと知った。だから、潜在意識を操作する催眠術が効くと判断し暗示を掛けて更生に成功したのである。
 以前、空にある隕石を破壊した経験があるフランなので、手で触らなくても物体を破壊出来る事は本人も当然知っているだろう。ならば隕石と同じ要領でこの要塞を破壊しようと考えるはずである。しかし、隕石の様な岩の塊と違い、複数の部品の集合体であるこの防御要塞は同じ方法では目に見える表面の部品を壊すだけで中枢機構は破壊できないだろう。
 妹紅はそう確信した上で、敢えて試験的にフランドールにそれをやらせてみる。
「・・・破壊出来るの?」
「簡単だよこんなの!隕石だって壊せたんだから!」
 そう言って手をかざすフランドールだが、妹紅の想像どおり鱗状装甲の数枚が霧散して、新たな装甲が下から押し出されて元に戻るだけだった。
「あれ?おかしいな・・・。」
 いつの間にか妹紅から離れて何度も破壊を繰り返すフランドールだが、全て結果は同じだった。
 妹紅は全て破壊出来なくとも内部に力が貫通するダメージを期待していたが、装甲が角砂糖を指で潰したように爆散して粒子に還元されるだけで力の貫通力が無い事を知って諦める。
「もういいわ。」
 時間が惜しい妹紅としてはこれ以上無駄な作業は無用とフランを止め、要塞に対して次の手段で攻撃をする準備に入る。
 しかしその時、またしても地表からの強い妖気を感じ振り向いて身構える妹紅。
「(何だってんだ!)」
 地表、人間の里の方に小さな閃光が見えた瞬間、妹紅は腹部に強烈な熱を感じ、肉眼で捉えられない程の超高速攻撃を受けた事を知り、腹に空いた小さな穴を手で触る。
「・・・これは?」
 妹紅はこの攻撃を受けるのは初めてではなかった。
「幽香か!フラン、そこで待ってろ!」
「やだ!」
 妹紅が攻撃を受けたことはフランドールも確認した。急に妹紅が恐ろしい表情になったので驚いたが、離れたくないので待てと言う命令を拒否する。
「勝手にしろ!」
 香霖堂の店主が藤原邸を訪ねてきたおり、香霖堂目指して飛行する妹紅に気付いた風見幽香はすれ違いにならないよう気付かせる為に今と同じ攻撃をした事がある。あの時も重要な臓器のある場所を避けて腹に風穴を空けられたが、今回も全く同じ場所立だった。だとすると彼女は何かを気付かせる、或いは何かを教える為に呼んでいるのだと判断した。何か重要な情報を伝える為に違いない。悪いがフランドールに構っている暇はないのだ。
 妹紅はついてくるフランドールを無視して急降下した。
東方不死死 第60章 「小さな英雄」


 当初小さく見えた謎の球体が空を覆い尽くしたその朝、既に馴染みとなった『花果子念報』の待望の第7号が浮き足立つ幻想郷各地に配付される。
 これまでの新聞記事は、記者独自の取材によるものだったが、今回は紅魔館からのご指名で取材の依頼を受けてのもので、異変の全容と今後の予定を含めた緊急性の強い内容で、ただの報道ではなく幻想郷全体に知らせる通告文書になっていた。
 その文書の主な内容は、因幡てゐから始まった事の経緯、謎の巨大物体の正体、そしてこれを今後どのように処理するかの3点である。
 経緯については永遠亭の超重要機密を盗み見した事により厳罰を与えられた因幡てゐが蓬莱山輝夜に恨みを持ち、その復讐の為紅魔館を頼って機密である蓬莱人の抹殺方法をレミリア・スカーレットに伝えたが、それが誤って伝わってしまい今回の謎の物体の召還に繋がったとのことである。
 紅魔館の主レミリア・スカーレットは自身の意図ではなく事故と弁明した上で召還した事実は正式に認め、永遠亭の八意永琳がこの謎の物体の制作者で、月にいた頃に作成して放置していた『棺桶』と呼んでいた装置であると説明した。
 この棺桶というのは文字通りの意味ではなく、肉体から解放され意識体に生まれ変わる為の装置で、量子変換された肉体を微細な原子レベルで空間と同化保持させる事を目的としたもので、生存したまま肉体のしがらみから解放され意識だけの存在になることが出来る装置だという。これは一旦そうなってしまうと元に戻す事が出来きない為、永琳はこれを死の概念のない月における死と同義と位置付け棺桶と命名したのである。

 幻想郷の住人の持っている死の概念とは大幅に違うこの死の定義を因幡てゐはそのまま文字通り解釈してレミリアに伝えてしまった事が今回の異変と言う名の事故に繋がったわけで、これはつまり蓬莱人を死亡・消滅させる装置ではなく、意識体への変換装置を月から呼び出してしまったということになる。
 装置そのものが小さなものなら十分破壊可能で何も問題はなかったのだが、量子変換の際に膨大な空間ごと取り込むという仕組みになっている為、装置そのものが巨大で発動すれば幻想郷の数十倍の体積を丸ごと呑み込んでしまい、これが最大の問題として早急に対処しなければならない案件となったわけである。
 新聞ではこれらの状況を詳しく説明し、幻想郷がおかれている深刻な状況を訴えると同時に、運命を誤操作してしまったレミリアが更なる運命操作で幻想郷の未来を軌道修正するという解決策を提示し、その策を実行するにあたって必要な能力を持つ人材をリストアップし、協力を求める告知を大きく掲載した。

 これが今回の『花果子念報 第7号』の内容で、ほぼ紅魔館中心の異変特集だった。

 この新聞で告知された今回の騒動に関する諸々の内容は、その裏の事情を知る者にとってはすぐに方便と分かる事で、永琳の棺桶というのも『良く出来た作り話』だった。しかし、何も知らない幻想郷の住人は迫り来る謎の物体、いや既にその正体が分かった永琳の棺桶を目の当たりにして、その現実から目を背ける事が出来ず、信じて紅魔館と一蓮托生の関係になる以外なかったのである。


「こ、こいつは大変だ!」
 ここ数日、妹紅から借りた物質の属性を見分ける事が出来る特別な眼鏡でキノコの研究に夢中になって家に引き籠もっていた霧雨魔理沙が、騒がしい外の様子に気付き、そこで初めて巨大な球体が空の半分を覆い隠している幻想郷の現状を知った。
 何かあってもなくてもと『りあえず霊夢』の魔理沙は状況を詳しく知る為に急ぎ博麗神社に向かう。
「おいおい!何のんびり掃除なんてしてるんだよ!一大事だゼ!」
「今頃気付いて何騒いでるのよ。」
 慌てふためいて目の前でじたばたしている魔理沙をなだめながら、特に汚れていない境内の掃き掃除を止めて大鳥居の下に移動し、石段を腰掛け代わりにして茶道具と一緒に鳥居の土台に置いていた新聞を後ろをついてきた小うるさい魔法使いに差し出す霊夢。
 どんな状況でもパニックを起こさないいつも通りの霊夢に安心すると同時に、こんな状況でも落ち着き払っている様子に釈然としない思いにかられる魔理沙は、霊夢の顔と差し出された新聞と頭上の物体を順番に見て、『花果子念報 第7号』を霊夢の手から奪い取ってその場で読み始める。
「何々・・・吸血鬼の仕業?」
 いつもの『文々。新聞』と疑わず、細かい記事は後回しにして大きな文字を順に読んで、大まかな状況を頭に入れる魔理沙。
「おい!霊夢!お前の名前あるぞ?」
「ええ、呼び出し受けたわ。」
 今回の異変解決にあたって必要な人材が大きく書き出されている。
「他には・・・っと、ゆうかりん、八雲紫・藍、守矢神社、永遠亭と・・・お!妹紅もか・・・すげー強いのばっかだな・・・。」
 『ゆうかりん』とは風見幽香の事で、魔理沙だけが彼女をこの愛称で呼ぶ。
「残念ながら魔理沙の名前はないわね。」
「おっかしいなー、そんなはずはないんだけどな・・・あ、でも、ここを見ろよ!その他、下記の能力を有する者や協力の意志のある者は紅魔館に参集せよ!って書いてあるゼ。」
「下記の能力?そんなのあった?」
 霊夢は始めから全て知っているので細かい所まで読んでおらず、それを聞いて立っている魔理沙のスカートの裾を引いて隣に座らせ新聞を覗き込む。
「ほら、何個かある。えーと・・・これこれ!強力な無属性レーザーが撃てる者ってこれ100%私の事じゃん!それならちゃんと『きりさめまりさ』って名前書けばいいのになー。」
「でも、それ幽香で間に合ってるわよ。きっと。」
「うっ!でも、万が一予備が必要かもしれないだろ?」
「魔理沙、先に作戦内容読みなさいよ。それ見る限り一人で十分だし万が一なんてないと思うわよ?まーでも、予備として念の為に・・・ってのはあるかもね。補欠当選おめでとう。」
 全然めでたくなさそうな表情でお祝いの言葉を口にする霊夢だが、魔理沙は何も答えず肘鉄で応戦し、作戦内容とやらを探して読み始める。
「ん?作戦?どれどれ・・・なるほど妹紅の不死鳥の力を使うのか・・・霊夢が結界で天と地を分けて地上への被害を食い止め、トドメをスキマ砲で刺すか・・・そのスキマ砲とやらはよくわからんけど、その弾丸になるのがマスパというわけか。ちぇ、確かに比べられたらゆうかりんにはかなわないけどさー。」
 霊夢は自分が時間をかけて読んで理解した新聞を魔理沙はほとんど見ただけで記事の内容を理解してしまうことに改めて驚く。魔理沙の速読能力が凄いのは前から知っているが魔法使いとはやはり基本的に頭の回転が速いらしく、これは狡賢いカラスと同じで素行の良さと頭の良さには関係がないらしい。

 霧雨魔理沙は優秀な父と母の能力、特に母親のクローンとも言える程母親の能力を色濃く受け継ぎ、普段の彼女の素行から想像出来ないが、類い希な頭脳を持っており、更に超絶な記憶力と速読能力を持っている。その為、新聞にしろ本にしろ恐ろしい早さで読み理解することが出来るのである。
 魔理沙の場合、本を読む時はペラペラとページを流し読みする感じで、文字を読むのではなく紙面そのものを脳に記録する。これは速読の技術として訓練すればある程度誰でも身に付くものだが、複数桁の掛け算・わり算なども魔理沙は容易に答えを出してしまい、何れも特に訓練せずに出来てしまうのだ。
 この能力は既にあるものを自分の中に取り込み理解する大きな助けにはなるが、その一方で創造性を乏しくしてオリジナルを作り出す豊かな発想力の妨げになる。実際問題として魔理沙の弾幕は模倣が多く、オリジナルの技も確かにあるが、これは夥しい量の実験から偶然発生する効果を利用しているだけに過ぎず、自分の中に存在する独創性から編み出されるものではないのだ。
 魔理沙は個性的な人物ではあるが、個性的な魔法使いではないのである。

 その魔理沙はこの1分程の時間で新聞を全て頭に入れてしまうと、記事中の作戦内容に強い関心を示して、一人物思いに耽る。
 他の者なら霊夢の結界が妹紅の自爆の力を防げないだろうと推測しこの作戦の成否に眉をひそめそうなところだが、魔理沙の頭の中では霊夢なら問題ないと端から決まっており、そこは問題にせず八雲紫の力を利用したスキマ砲というアイデアに興味を示していた。
 『永琳の棺桶』は月の技術で作られた恐るべき防御性能と自己修復機能を有しており、妹紅の自爆でも完全に破壊出来ない可能性が高いと制作者の八意永琳が警告を発し、確実に破壊するには別の誰かが中心の核にトドメの一撃を与えなければならないと訴えた。これは異変を派手に魅せる為の演出ではなく必要な作業である。
 最強の妖怪と謳われる風見幽香の高出力エネルギー砲、『元祖マスタースパーク』という名前の方が有名になってしまった『サニー・レイ』は、月面戦争の撤退時に追撃部隊を一撃で壊滅に追いやり月面軍を壊滅に追いやった実績があり、トドメの一撃は彼女以外ないだろうと作戦立案の早い段階で決まっていたようで、これには流石の魔理沙も文句は出なかった。

「・・・しかし、このスキマって卑怯な力だよな・・・ブツブツ。」
 スキマ砲の仕組みを瞬時に理解した魔理沙はそれを考案した八雲紫に対し感心すると同時に、何でもありなスキマの能力に嫉妬もした。
 この能力は能力自体の凄さもだが、それを利用する者の知力と独創性がなければ真の力は発揮出来ない。想像力の乏しい魔理沙にこの能力が備わっていたとしてもせいぜい移動や悪戯に使う程度の発想しか出来ない。現実と概念の境界を操作して幻想郷という新しい世界空間を創り出すなど常人には不可能なことなのだ。

 そんな思考に没頭する魔理沙を尻目に、スキマ砲の仕組みどころか自分の役割以外関心がない霊夢は、気の乗らない表情で魔理沙が思考に埋没して紅魔館行きという目的を忘れないようにするため横やりを入れて話を戻させる。風見幽香が怪我で参戦できない事を知っている霊夢は、その代役として魔理沙を紅魔館に連れてくるという役目を請け負い、彼女が来るまで神社で待っていたのである。
「まぁ、どうせ来るなって言っても行くんでしょ?」
 紅魔館で正午に行われる対策作戦会議は誰でも参加自由だが、発言資格はレミリアの基本プランに同意し同志として責任を共有し、危険な任務を与えられても拒否出来ないという条件が付与されている。これは、遊び半分で参加するなという警告も兼ねており、自由参加はある意味方便である。
「当然私は行くゼ!よし、善は急げだ、行くぞ霊夢!」
 正午まで小一時間以上あり、ぎりぎりまでのんびりしようとしていた腰の重い霊夢の腕を両手で引っ張り上げて一緒に行こうとする魔理沙。霊夢はその手を払って自分で立つと、やれやれという表情で首を振り諦める。こうなると止まらないのが魔理沙だ。
 
 『真実』は別の場所に存在するが、新聞という情報媒体によって幻想郷全体に『偽りの事実』が共有された。
 その数少ない『真実』を知る者の一人博麗霊夢は並んで飛ぶ表向きの『事実』だけを知る黒い魔法使いをチラリと見やると、その視線に気づいて振り向く魔理沙としばらく互いの顔を見つめ合いながら飛ぶ。
 霊夢が自分の顔を見つめる事がこれまで何度もあった事を魔理沙は知っている。そんな時は決まって何か考え事をしている風で呼んでもすぐに返事をしない。いつ頃からそうなのかと思い出してみるが、昔の事を思い出そうとすると頭の中に大量の小豆がザルの中で転がり回るようなザラザラという雑音が聞こえ、それ以上思い出せなくなる。まるで、思い出す事を誰かに妨げられているように・・・。

「(魔理沙は何も知らず、仕組まれた異変で誰かの掌の上でいつも通りに空回りするのね・・・。)」
 霊夢は魔理沙がこちらを向いてい不思議そうにしている様子を知りながらそのまま考え事をしながら飛ぶ。
 幼馴染みを裏切るようで心苦しく思う一方で、頭では分かっているのに何故か魔理沙を恐れている自分がいる。ある日突然自分の前から姿を消し、その後再会した時は別人だった友人を・・・。
 魔理沙が昔の記憶の一部が完全に抜け落ちているのと同じ様に、霊夢にも昔と今の友人が一本の線で結びつかない現実に苦悩していた。


 巨大な謎の球体は、永遠不滅の肉体を持つ者がその肉体の管理に飽きて自由になりたいという願望を叶える装置であり、これを利用する者達は神に生まれ変わる装置と呼んだ。しかし、これを作った者は限りなく死に近づくという事から死者の入る棺桶と呼んだ。
 その棺桶の制作者である永遠亭の八意永琳は事態の収拾の為すぐに和解し、一番に紅魔館を訪れており、その後次々と異変解決必須要員達が紅魔館を訪れていた。
 指名されたそれ者以外にも新聞報道で現状を知り、幻想郷の為に何か出来ないものかと自主的に訪れる者もいた。

 紅魔館は4階建ての建造物で、正面から見ると大きな洋館に見えるが、それ以外の方向から見ると窓一つない石壁で覆われた小さな砦に見える。これは500年前の吸血鬼戦争当時の名残である。
 上空から見るとやや正方形に近い長方形の中央部分と両端が突き出る、格好の悪いアルファベットの『E字型』をしている。中央の大きな凸部は正面入口があり、2階部分まで吹き抜けで、3階部分が屋根付きの広いバルコニーになっている。建物中央の凸部と平行に飛び出した両サイドにある細いバルコニーは2階部分にあり、日差し除けの小さな屋根だけがかかっている。
 今回、召集された会議の会場は、紅魔館2階の南東の角の細いバルコニーのある縦に奥行きのあるこぢんまりとした部屋である。中央の大きなバルコニーや奥の部屋を使わなかったのは、上空の巨大な球体との位置関係をみれるようにした為で、ある程度の人数が外に出て状況を見る事が出来るこの部屋が選ばれたというわけである。
 陽光の差し込む窓際から一番遠い奥側に館の主である吸血鬼のレミリア・スカーレットが座り、縦に長い部屋と同様に縦長のテーブルが主を上座にして窓際に伸び、その両サイドに客人の為の席が設けられていた。
 異変を解決するために必要な人材は既に告知され、風見幽香と藤原妹紅以外は既に指定された席に着席していた。
 会議は自由参加で妖精でも幽霊でも誰でも参加出来るが、古妖八雲紫・藍、守矢神社の神様二柱、永遠亭の宇宙人八意永琳、そして指命されていないが自主的に参加した閻魔の四季映姫と、冥界から白玉楼の西行寺幽々子らが早々に会議に参加着席していたため、会場は異様な雰囲気に覆われていた。
 そうした錚々たる面々が顔を並べる会議室の状況を知らずに我こそは幻想郷の救世主なりと意気揚々と会議にやってきた自称強者達は、会議室の扉を開けた後すぐに回れ右をして退散してしまう。
 会議に一番に駆けつけた八意永琳と付き人の妖怪兎レイセンはそんな光景を10回以上見たが、それ以後会議室の外でたむろする自称強者達が遅れてきた英雄達に中の状況を教えて引き留めたのだろう、以後ドアは開かなくなった。
 そんな中、真の強者が集う会議に何やら場違いな一団が現れ席についていた。
「魔理沙、私やっぱ帰るよ。やばいってここ。」
「大丈夫だってニトリ。取って喰いやしないさ。」
「そうじゃなくて、私達に出来る事なんてないでしょ?」
「アリスー、そんなの会議が始まってみなけりゃ分からないさ。」
「あたいは全然こわくないよ!」
「お前等も少しはチルノを見習えよな。」
「ったく・・・ほんと何考えてるのよ・・・。」
 その一団とは、人間の魔法使い霧雨魔理沙と人形使いアリス・マーガトロイド、河童の河城ニトリ、そして氷妖精のチルノの4人である。
 アリスとニトリは会議に直接参加するつもりはなかったが、事の成り行きが気になったので紅魔館内でいち早く情報にありつこうと隣の控え室で他の自称強者達に混ざって所在なげににしていたところを、霊夢と一緒にやってきた魔理沙に見つかって捕まってしまい無理矢理会議室に連れてこられて席につかされてしまったのである。
 氷の妖精チルノは近隣の妖怪が多数紅魔館に集まっているのを見つけて野次馬に来ていたところ魔理沙らを見つけてそのままくっついて来ただけである。魔理沙は何故か妖精に気に入られてしまう質で魔法の森近隣の妖精とはそれなりに仲がいい。

 席の配置は、呼び出した者を賓客としてレミリアのいる奥側の席に集め、それ以外で自発的に来た者をゲストとして空いている席を自由席として開放。四季映姫と西行寺幽々子が向かい合ってゲスト用の席で最も上座に近い場所に座っており、彼らからなるべく離れたいアリスとニトリは近くに座ろうとする魔理沙を2人掛かり力づくで一番窓際の席に座らせた。しかしその甲斐もなくレミリアの妹フランドール・スカーレットが魔理沙の隣に座ってしまい、近づきたくない化け物と隣り合わになってしまう。
 化け物じみた妖怪や神様、亡霊と吸血鬼の板挟みになったアリスとニトリは落ち着かない時間を過ごすことになる。


 博麗霊夢と霧雨魔理沙が紅魔館入りした頃、人間の里では驚く程近く大きく見える様になった『宇宙人の棺桶』を目の当たりにして騒然となっていた。
 この状況に対し、里の有力者などが自主的に商工会館に集まり対策会議らしきものを開いてはみるものの、何も名案が浮かばず呻き声ばかりで会議は全く捗らなかった。
 里の守護神である上白沢慧音は、何か大きな異変が起こる事は知っていたが具体的なところまでは知らず、現れた永琳の棺桶は他の者同様腰が抜けるほど驚いた。しかし、この非現実的な状況は、同じく神懸かりの非現実的な方法で問題を解決しようと目論んでいる慧音にとっては大歓迎の状況と言えた。

 そんな腹に一物持っていた慧音とは裏腹に会議室に参集した面々は答えの出ない問題を前に途方に暮れるしかなかった。
 漠然と大異変が起こると予想していた慧音は、それに対応するという建前で自らのある企みを推し進めようとして話を切り出すタイミングを伺っており、会議の場ではとりあえず最初は口を挟まずに人間達だけで進行させていた。そして、里妖の有力者が尋ねて来たのを合図に自身の企みを進める為に会議を牛耳って主導権を取る動きに出た。
「困ったのー・・・こんな時は何とする?」
「昔の人間は、困った時は神様に頼み事をしたものですが、そういえば最近はそうした話は聞きませんな・・・。」
 慧音の言葉に里の妖怪の代表者でもある妖酔が計ったように相槌を打ち、慧音の企みに荷担している霧雨道具店マルキの店主が、続いて『困った時の神頼み』について予定通り詳しく尋ねてみる。
 マルキの主人の言葉に対して慧音の企みとは無関係の里に昔から住む古参の妖怪の一人が、博麗神社がまだ里にあった当時の昔話を披露し、里の人間は昔から盛んに神社に参拝していた事を教える。
「最近は平和になったし、神頼みの必要もなくなってしまったからのー。それに神社も遠くなり簡単には参拝できなくなったしの・・・。」
 慧音はその妖怪の言葉を受けて、人間側の言い訳を代弁するように呟き、自発的に里の人間から参拝の話が出るよう反応を伺う。
「神様に頼めば本当にあれを何とかしてもらえるのだろうか?」
「出来るとは到底思えんが・・・。」
 会場がざわめき出す。
 里周辺の落ちぶれた神様しか知らない今の里の者にとっては『神頼み』と『妖精頼み』はほぼ同義にしか受け取れないので例え慧音の言葉だとしても賛同することが出来ず未だ疑心暗鬼だ。
「お前達は本当の神様を知らんのだ。」
 神様を降ろした巫女を見た事がある里妖の一人が語気を強める。それに呼応するように慧音が後を続ける。
「何故、この辺りには落ちぶれた神様しかおらんと思う?」
「それは・・・」
「それは、向こうの世界で忘れられ不要となってしまった神様がこちらに流れ着いて来るからじゃ。本当の神様が幻想郷に現れないのは、向こうの世界でも必要とされ大事にされているからなのじゃ。」
 複数の低い呻き声があちこちから上がる。慧音の言い方は神様を大事にしないから罰が当たったとも取れる言い方で、理不尽に思う一方で反論の言葉が思いつかず唸るしかない。
「かつて、博麗神社の神主は幻想郷にはいない向こうにいる神様を必要な時にこちらに呼び出し、巫女に降ろして神様の恩恵を幻想郷にもたらしていた。」
 遙か昔から里にいて人間を守り多くの知識を伝えてきた守護神が言う言葉に誰も異を唱える事はできなかった。
 ここで言う神様とは天照大神を中心とした天津神であり、慧音は守矢神社を経由して国津神である建御名方神を幻想郷に召喚しよとしている。これは天津神を信仰の母体とした博麗神社とそれを基に幻想郷を運営する仕組みに対するあきらかなテロ行為であり、守矢神社にしてみれば信仰転換のクーデターで、幻想郷の存在の根底に関わる重大な案件である。しかし、慧音は幻想郷を崩壊させる気は全く無く守矢神社に信仰を獲得させる気もない。これに関しては守矢神社にも知らせていない神話に基づいたある策があった。
「・・・参拝しなくなった我々を神様達は今更助けてくれますでしょうか・・・。」
 ご先祖がしてきた営みを忘れて信仰を失った自分達を神様が助けてくれるのかと落ち込む住人の一人がぽつりと呟く。
「日本の神様は信仰を失った者に復讐などせぬ。詫びれば許してくれるし、貢ぎ物を差し出せば喜んでそれにみあう働きをしてくれるはずじゃ。」
 場が沈みどんよりとした雰囲気の商工会館の大広間に慧音の勇気づけるような明るい声が木霊する。神様への貢ぎ物と聞いた時皆何かを思い出したかのように顔を上げ周囲と話し合いをはじめる。
「そうだ!祭りに使おうとした酒!あれを神様に奉納しよう!」
「おお!それは名案だ!」
「それはいい!」
 慧音は心の中で思わずニヤリとして思い通りの展開に満足し、企みを共有する一部の有力者達に目配せして、次の段階に話を進める合図を送った。
 ここで慧音の企みに参加している酒蔵組合の会長ヤマセンの主人が予定通り敢えてネガティブな発言をして問題点を指摘してみせる。
「しかし、奉納するにしても神社までの道のりは・・・それに時間的にも・・・。」
「荷台は沢山ある。里総出で出れば数時間の作業だ。」
「酒場の旦那の傭兵に守ってもらえば・・・。」
 里の住人から次々とアイデアが出る。
「それはもちろん構いませんよ。傭兵とはそのような時に使うものですからな。」
 里の者達が自主的に案を出し合い始め、妖酔は傭兵の出動を許諾する。
 そして、上白沢慧音がそろそろ来る頃かと耳を澄ませたその時、里の火の見櫓の半鐘が打ち鳴らされ緊急の事態が発せられた。
 それらを予想していた慧音は誰よりも早く反応して外に飛び出すと、そこに男が一人走ってきて声にならない悲鳴を上げて東の空を指す。
「何だあれは・・・。」
 こうなることを予め予想していた慧音の後に付いてきたこれを全く予想していなかった住人達は、天頂の棺桶ではなく、まっ黒になった東の空を見て唖然とした。
「あれは、東端の人食い妖怪の群れだ。」
 妖酔が落ち着いた声で東の空を黒く濁らせた正体を見破る。
「この世も末と隠れるのを止めて最期の晩餐にありつこうとの魂胆か!畜生どもめ!」
 妖怪の一人が東の空に罵声を浴びせるが人間はそこまで胆力があるわけでもなく、先程の盛り上がりに冷水を浴びせられたかのように一斉に意気消沈する。
「何て数だ・・・これじゃー神社までとてもじゃないが辿り着けん・・・。」
 未だ鳴り止まぬ半鐘の音に追い立てられるように屋内に隠れていた住人も飛び出し、通りは人でごったがえしパニック寸前になる。
 天空の半分を覆い尽くす巨大な球体の異様な圧迫感と東の空を焦がし陽光を妨げ幻想郷全体を暗くする餓鬼の大群。普通ならもうパニックに陥り住人らが這々の体で逃げ惑いそうな状況にもかかわらず、秩序を維持出来たのはこの状況にもかかわらず堂々と振る舞う上白沢慧音の存在と、通りの向こう東門の付近に立つ見慣れた白い花の日傘の後ろ姿の存在感があったからである。

 外で待機していた魂魄妖夢は、半鐘の音を聞きつけてすぐに表に出てきた慧音の側に護衛の様に寄り従い、始めからそこにいたかのように振る舞う。
 空を隠す巨大な物体、東の空と山の境界線を黒く塗りつぶす妖怪の群れ。未だかつて経験したことのない今の状況をどう対処していいのか分からず、自然と頼れる存在に引き寄せられてしまうふがいない自分を思い知る魂魄妖夢は、多くの里の人間達同様下を向いてしまう。
 この時、雷の様な怒号が慧音から発せられ、妖夢の全身を打った。
「皆聞け!大丈夫だ!いざとなれば里の歴史を消す!」
 慧音の言葉に一瞬惚けていた住人は、永夜異変の際に慧音が里の歴史を消して安全を確保していた事を思い出して安堵し、恐怖心をぬぐい去る様に大丈夫だと口々に言い励まし合い意気を取り戻す。
「里の歴史が消えれば住人達も安全に神社に向かう事ができますな。」
 天空の棺と東の暗雲の板挟みに合い、このまま誰かに問題を解決してもらい嵐が去るのを隠れて待とうと考える住人も少なくなく、その妖酔の言葉に里の住人達はどうすべきか各々の顔を見て誰かが何かを言い出すのを待つ。
 しばしの沈黙。慧音はその様子を固唾を飲んで見守る。尻を叩いて叱咤激励し無理矢理動かすのも手だが、ここは里の住人全体の自発的な意志で動いて欲しいと思う。誰かが勇気を出して名乗り出れば慧音はそれをすぐにサポートしてやる心づもりで誰か頼むと勇者の登場待ちかまえる。
「・・・。」
 この状況を慧音のそばで同様に見守っていた魂魄妖夢は握り拳を奮わせていた。悔しい。何も出来ない自分の無力さが恨めしい。天が落ち東の空が闇に染まる。これは八雲紫などが裏で手を回している茶番だと分かっていても、この現実を突き付けられて平静ではいられない。
 妖夢はぎゅっと目をつむり自分に何か出来ない事はないかと考える。眼球が潰れてしまいそうになるほど強く瞼を閉じたその時、瞑った瞼の裏の闇に燃えさかる炎を身に纏った藤原妹紅を一瞬見た。
「・・・!」
 火が点いた。妖夢の中にマグマの様な闘争心が沸々と湧き上がってきた。慧音には余計な事は言うなと止められていたが、自分は慧音の従者ではなく妹紅の恩に報いる為にここにいる事を思い出したのだ。妹紅は何故自分を里に寄こしたのか?それは単に慧音のサポート役ではないはずだ。慧音の企みを成功させる為だ。その慧音は里の自発的な強い意思を望んで待っている。ならば自分は、里に籍を置いた里の住人として、皆を奮い立たせなければならないはずだ。
 妖夢は自分を安全な場所に置こうとする生存本能の抑止を振り払い、熱く火照った身体に我慢できずついに一歩前に出て叫んだ。
「行きましょう!博麗神社に!私は半分人間で半分は幽霊です。里の歴史を消しても妖怪達からは見る事が出来ます。だから私が囮になって妖怪を引き付けます!」
 千年以上生きているが見た目15歳ほどの少女の妖夢が夥しい数の敵を前に自ら囮になると宣言する。これは慧音の予定にないことで、思わず驚いて止めようとするが、妖夢の一言で状況が変わる潮目を見抜いた妖酔が一歩前に出て慧音が何か言うのを妨げるように発言した。
「囮か・・・ふむ。先生、ひとつ名案がある。」
「な、なんだ妖酔、言って見ろ。」
 慧音は妖夢にでしゃばるなと苦言を言いそうになったが咄嗟に切り換えて妖酔に応じた。
「傭兵団を囮にして東に進軍して鳴り物で派手に目立つようにして連中を引き付けるのです。武芸に秀でた者であってもたった一人では多勢に無勢。囮役は専門家に任せてもらいましょう。」
 この作戦自体は予め予定していた事だが、妖夢が囮になるという言葉によって生まれた案だと殊更強調して見せ、この小さな英雄を里の住人を鼓舞する道具として最大限に利用する妖酔。
「小娘の後詰めなど傭兵団の名折れだ!」
 通りに出て輪の外で話を聞いていた傭兵達が勇ましい声を上げて妖酔の案を支持すると、通りが一気に沸き立った。
「東に打って出て騒ぎを起こし連中を引き寄せます。その隙に人間達は騒ぎの横をすり抜けて博麗神社に行くのです。」
「うむ。」 
 予定外の妖夢の勇み足があったがそれはむしろ良い方向に転び、手筈通り進む状況に代わりはないと満足する慧音。妖夢が名乗り出るなど予定に無く少し驚いたが、そのお陰で里の住人も心に火が点いた様で企みを共にする者にとっては渡りに船、幸先の良いことだった。慧音は妖夢と幽香の勝利の女神2人を寄こしてくれた妹紅にひたすら感謝した。
 慧音は一つ息を吐き、気合いを入れ直すと叱り付けるような大声で叫ぶ。
「老人と子供以外、町も村も全て動員するぞ!」
 町とは里の通りに面した商業区画のことで、村とは里の南西の農村部を指す。
「酒を運び出した荷台をそのまま使うのだ。神様に供える酒の肴、食糧もかき集めよ。神様に頼んでもダメなら終いじゃ!だから出し惜しみはするな!里の物資が空になってもかまわん、我々に出来る最高のもてなしをするのだ!」
 これだけ大勢の人がいながらも里はシンと静まり慧音の良く透る力強い声は、人垣で声の主が見えない程離れている者の耳にもしっかりと通った。
「各区を一単位として区長が仕切れ。マルキの主人は?」
「ここに。」
「先導をお願いしたい。」
「先導の役は他に適任者がおるでしょう?」
 先導役の責任者はマルキの主人、霧雨魔理沙の父が請け負う予定で、その下に妖夢を付け実際の先導は彼女に任せるつもりでいた。まだ里に来て日がない妖夢では先導の任は重いと捉えていた慧音は、そのマルキの主人の予定外の申し出に面食らう。
「え?私が?」
 マルキの主人が慧音の側にいる妖夢を見てにっこりと微笑む。この提案に周囲の有力者や区長も誰一人異論なく、頼みますと頭を下げる者もいた。慧音はこの不思議な力を持つ少女とそれを推した妹紅を重ね合わせ諦めて状況の赴くままに任せた。
「さっきは、よう言ったな妖夢。では、先導役はお前に任せる。」
 慧音はそう言って妖夢の肩をポンポンと叩いて労を労う。
「では、時間がない。みな直ぐに動いてくれ。」
 慧音は手をパンパンと叩いて、それを合図に人垣が生き物のように慌ただしく動き出しす。マルキの主人が段取り良く区長に仕事を振り分け、酒蔵組合の会長ヤマセンの主人が酒の運搬の指揮を執る。その後、誰かを捜すような仕草をして妖夢から離れた慧音は稗田阿求の所に歩き出す。里に避難してきた周辺の弱い妖怪に一時的に戸籍を出す手続きの手伝いを頼んでいるようだ。里に戸籍を置けば妖怪でも人と同じ、消す事が出来る。
 そんな慧音の背中を見送る妖夢のところに2人のお供を引き連れた妖酔が現れる。
「お主の勇気、見せてもらった。小娘のくせに大したものだ。」
「武は心を凍らせるが、勇は心を熱くする。久しく冷えた心だが熱くなりました。」
 妖酔の左右にいる地味な笠と同じく地味な外套に身を包んだ厳つい顔の明らかに妖怪である2人が交互に先程の妖夢の檄を賞賛する。妖酔は何も口には出さず、先程の慧音のように妖夢の小さな肩を労を労うようにポンポンと叩くだけだったが、どんな賛辞美辞麗句よりも何故かこれが一番嬉しかった。
「この二人は前に言った私の左右の腕。少数精鋭の護衛には打って付けだ。使ってくれ。」
「こ、魂魄妖夢と言います。宜しくお願いします。」
「おう。」
「よろしくお願いします。」
 妖夢は低頭して妖酔と護衛の二人に挨拶をする。
「・・・。」
「ん?どうした?」
 挨拶をしおわった後、妖夢は何か言いたそうな顔で2人の妖怪を見る。
「あの・・・お名前を・・・。」
 自己紹介したのに、向こうからされないことに不満を持つ妖夢。
「ああ、名前か?好きに呼べ。」
「え?でもそれは・・・。」
「この2人は嘘偽りを是としない。本名を言いたくないから言わんし、偽名も使いたくないから使わない。私も彼らを呼ぶ時は『俺の両腕』と言ってる。」
「通り名とかはないのですか?」
「妖酔がよく自分の両腕と言うから、皆俺らを『右なんとか』とか『左なんとか』とか言うけどな。別にそれでかまわんぞ。」
 妖酔を中心に妖夢の向かって右側に立つ妖怪がぶっきらぼうに言い放つ。この右側の妖怪は口調が荒く、妖夢の妖怪としてのイメージにぴったりな実に妖怪らしい妖怪に見える。その一方で、左側の妖怪は真面目な感じで話し方が賢そうで人間のように見える。いずれにしてもこれらの感想は、白玉楼で宴会騒ぎをする西側の荒くれ妖怪を相手にしてきた妖夢個人の感覚であり、知的で賢く大人しい妖怪が妖怪らしくないと思えるのはただの偏見である。

 本名を知られたくないのはこの時代の人妖の通念である。秘密である本当の名前を諱(いみな)、通常の呼び名を字(あざな)として使い分けているが、これは向こうの世界では明治維新まで続き、幻想郷では貴人を中心に現在もその制度が続いている。
 妖怪が特に本名を公にしない理由は、陰陽師などの人間の使う呪術に名前を奪って相手を支配する技が多数存在しているためで、彼らのボスである妖酔という名前も本名ではなく通名である。ちなみに自分の諱を知らない者も大勢おり、誰かに名を呼ばれたりしないように敢えて親が教えない場合もある。当時、他人の諱を口にするのは非常に失礼な行為でもあるのだ。
 今現在紅魔館にいる淫魔ルビーは、ルビーという名は与えられた名前だが、戦いに破れ命乞いに応じた魅魔に本名を差し出し使い魔として契約したことで助命された経歴があり、以後魅魔から権利を譲渡されたパチュリーが彼女のマスターとして使役している。
 八雲藍もかつてはただの『御乱』という通り名の九尾だったが、当時既に陰陽道を学んでいた八雲紫に諱を教え支配され八雲藍という名の式神となったのである。
 因みに、博麗霊夢の霊夢は博麗神社の巫女によく用いられる通名の一つでつまり字。彼女は元々諱の制度がない貧しい農村部の生まれで、生まれてすぐ母が死に父も不明であったため諱そのものがない。霧雨魔理沙は里においては豪商の娘で貴人として諱があり、父親は知っているが本人には知らされていない。

 魂魄妖夢は困惑する。
 自分の諱についても気になるが半霊なので既に魂魄妖夢が諱・法名なのかもしれない。まぁそれは良いとしても、通名すら特に決まっていない相手はこれまで初めてでどうすればいいのか迷う。
「貴女の好きなように呼んで構いませんよ?何かいい名前があるならそれを希望します。」
 全く同じ様な姿をして外見では見分けがつかないが、気障な人間の様にしゃべる方が、深くかぶった笠の裏で何か楽しそうに妖夢の出方を待っている。
 凝り性な妖夢は何か気の利いた名前がないかと、過去に読んだ書物などから良い名前がないか記憶を巡らす。
「・・・!あ、そうだ!」
 しばし思案の後、妖夢は名案が浮かぶ。
「スケサブロウとカクノシンというのはどうでしょう?」
「あぁ?何だスケサ・・・ってのは?」
「スケサブロウ、スケさんです。」
 スケさんと右の妖怪に言う妖夢。これでその妖怪は自分がスケさんと認識する。
「と言う事はカクノウシン、私はカクさんですか?ふーむ、こんな風に呼ばれたことはないので新鮮ですね。気に入りました。」
 妖夢としてはスケさんとカクさんのイメージは逆だったが、成り行きで口が汚い方がスケさんで確定してしまう。
「その名前には何か意味があるのかな?」
 すんなりとアイデアが出てきた妖夢に恐らくあるであろう出典を尋ねる妖酔。
「本で読んだのです。旅好きでお節介なご隠居の付き人で凄腕の用心棒の2人の名前です。」
「ほう、ご隠居以外は全て当てはまるな。これは面白い。」
「え?わ、私、旅好きでもお節介でもありませんよ!」
「わざわざこんな時期に冥界から出てきて人間相手に何の特にもならないことを申し出る者が違うと?」
「え、あ、いや、それは・・・。」
 考えてみたら確かに妖酔の言う通りで反論出来ずに口ごもり、スケさんとカクさんに笑われる妖夢。
 この事があってから、この2人の妖怪は以後これを通り名として使うようになるが、それはまた別の話である。


 東の空を黒く埋めつくす妖怪はその殆どが小型の餓鬼であるが、中には巨人の様に大きな人の形をした何かから龍の如き大きな大蛇の様なものまで多種多様である。東の人喰い妖怪の特徴は知性はあっても理性がない事で、その正体は人を喰う為に自ら理性を捨てて畜生に堕ちたかつての真っ当な妖怪達のなれの果てである。
 混沌政策を推し進め、人間が肩身の狭い生活をしていた博麗大結界以前は、太陽の畑は無く里の近辺まで人喰い妖怪が闊歩して非常に危険だった。この時代は上白沢慧音が里の守護者として妖酔など一部の妖怪と共に里を守り活躍した時代でもあり、藤原妹紅も永遠亭との抗争の合間を見て慧音に協力して里の防衛の手伝いをした事もあった。
 魅魔が吸血鬼の正統なる王女スカーレット姉妹の幻想郷帰還に備え、平和政策に転換してから今の太陽の畑の位置に各地を流浪して定住していない風見幽香を配して人間の里の守護に置き、東の人喰い妖怪に対する抑止力とした。そして、意図的に外から多数の人間を幻想郷に呼び込み、里の住人の代わりに人喰い妖怪達の餌として与え彼らの注意を里から東端に移したのである。
 風見幽香の配下には大戦時に偽装投降したアルカードの側近、『ヴェントルー』を中心とした吸血鬼始祖族連合がおり、その中にスカーレット姉妹とは別に『トレアドール』と『ラソンブラ』の間に生まれた女児がいた。彼女はスカーレット姉妹誕生の隠蔽に利用され、当時は大々的にその存在をアピールしたが、地味な始祖族同士の間に生まれた子供だったのでそのまま忘れられる。
 大戦の戦後処理で数少ない無害な血族は風見幽香に投降した一族に吸収されたが、スカーレット姉妹と同年齢であるこの女児は、将来のリスクを少しでも減らすという目的で年を取らない呪いだけ掛けられ、その後風見幽香に預けられ『くるみ』と命名された。
 この風見幽香が管理する吸血鬼の一族も東の人喰い妖怪の抑止力として配置されていたが、大量の妖怪が西に移動を始めているということは、彼らは敗れたかその軍門に下って風見幽香に反旗を翻したか、あるいは逃亡したかである。ただ、こうした東端の事情は一般の人妖の知る範囲にはなく、それらは八雲紫などの幻想郷管理者側の一部だけのあずかり知るところなのである。

「始まったか・・・。」
 藤原邸の庭に立つ藤原妹紅は黒く斑に染まった東の空を臨んでぽつりと呟く。
 正午に紅魔館参集とのご指命を受けている妹紅だが、その前にやらなければならない事があった。
 妹紅は東の空から視線を天頂の要塞に向ける。
「・・・やつらの計画通りにさせない為にも必ずパージさせる。」
 スキマ砲という安全な方法でトドメを刺されたのでは霧雨魔理沙を死なせる事は出来ない。魔理沙を死なせる算段は既に付けた。その中で最も重要な点はスキマ砲を失敗に追い込み、超高温の結界の中に直接侵入させ要塞の核に魔理沙を肉薄させなければならない。この灼熱地獄の中で活動出来る方法は紅魔館に呼ばれた時、魔理沙に身を守るおまじないとして直接施し、脱出方法の仕込みもそこで行う事にしていた。
「・・・しかし、あいつを本当にパージさせることが出来るのか・・・。」
 パージとは、内部に溜まった圧力を外に逃がす際に外殻装甲の一部を任意に外す事で、その際に外に出る高いエネルギーを利用して一定の落下速度に加速度加え、スキマ砲の射角をずらして誤射に追い込もうと目論んでいる。
 しかし、その巨大な質量の要塞にパージさせられるような内部圧力を与えられるか自信が無くなってくる妹紅。相手は想像の遙か上を行く大きさで下から見る防御要塞はまるで空に地面があるのと同じで、もはや丸い物体ではなく平たい面にしか見えない。
 上空にいくつもの光点が見え、遠く花火のような爆音が聞こえてくるが、これは一部の妖怪が防御要塞に対して独自の判断で攻撃を始めているもので、それを見るにつけ有効なダメージを与えている様には全く見えない。
 妹紅は唇を噛み、口の中に吐き出した汚い言葉を呑み込むと、炎の羽根を羽ばたかせ天頂の防御要塞に向かって飛び立った。


 正午まで1時間と迫った紅魔館の会議室に当てられたバルコニーのある縦長のそれほど大きくない部屋。開け放たれているバルコニーから一番遠い奥の上座に、主催のレミリア・スカーレット。そのレミリアの左斜め後ろに十六夜咲夜が傅き、右正面から奥に向かって博麗霊夢、八雲紫、八雲藍、藍の隣は風見幽香の分一つ空いて、八坂神奈子、洩矢諏訪子、その奥に自由参加の西行寺幽々子、席1つ空けて河童の河城ニトリ、アリス・マーガトロイド。左正面から奥に席一つ分空けて八意永琳、付き添いのレイセン、藤原妹紅分の席を空けて、次に席二つあけて自由参加の四季映姫、付き人の小野塚小町、霧雨魔理沙、フランドール・スカーレットで、上座の正面にチルノという席の配置となっている。そして、バルコニーの開き窓、レミリアから向かって左の部屋の角に目立たない様に新聞記者の姫海棠はたてがメモとペンを持って立っていた。
 この中で付き人としてレイセンと小町も着席しており、特にレイセンは永琳の隣で上座に近く場違いな感がして後ろに下がろうとしたが、特に問題はないと十六夜咲夜に要らない気遣いを貰って肩身の狭い思いをしていた。

 窓の外、ドーン、ドーンという花火の様な音が遠くから聞こえてくる。これは好戦的な妖怪達が独自に要塞を攻撃している音で、天頂方向で行われている事なので館内からは音だけでその様子は見えない。魔理沙とフランドール、ニトリとチルノの4人が音につられてバルコニーに出て空を見上げて声を上げている様子を所在なげにアリスが紅茶をすすりながら見ている。
「ねぇレミリア?」
「なに?霊夢?」
 魔理沙らのおかげで場の緊張感がなくなってきている状況に不安を感じたのか博麗霊夢がレミリアに話しかけてくる。
「このまま正午まで待つの?」
「2名程、まだ来てないわね。」
「幽香は怪我してるから来ないかもよ?」
「え?そうなの?」
 霊夢は左隣のレミリアと逆にいた紫に振り向き、頷いた彼女の態度をレミリアに見せて自分の言葉が正しい事を証明する。
 紫は偽装療養中の風見幽香の怪我癒えていないと信じており、最初から頭数にいれていない。同じ魔法が使える霧雨魔理沙を代打として登用したが、レミリアにはそのことは先に教えていなかった。
「幽香の代わりなら魔理沙でも出来ると思うけど・・・。」
 そう言ってバルコニーに出て空を見上げている魔理沙の方を向く霊夢。そしてその話を聴いていた参加者も同時に外を見る。 
「藤原妹紅は?」
 レミリアがもう一人の重要人物の名を口にした時、外にいる魔理沙らが歓声を上げ、その声の中に『もこう』という言葉が出る。
「どうやら、あのデカブツに戦いを挑んでるみたいね・・・。」

 会議参加者は事前に異変を知らされた内通者で占められている為、単純に事態の収拾だけなら敢えて会議という名の茶番をしなくてもよかった。しかし、事情を知らない幻想郷の住人は事が終わった後、世間を騒がせ要らぬ心配を掛けた当事者達に対してその責任を激しく問う事になるだろう。
 黒幕として真っ先に名前があがりそうな八雲紫としては、それは避けたいし、自爆という自己犠牲の妹紅の行為も情報が正確に伝わらなければ危険人物として扱われかねないので尚更、『正確な偽情報』を幻想郷の住人に知ってもらわなければならなかった。
 レミリアが起こした問題をレミリア自身が解決して、それに参加した者達が救世主として扱われる。こうする為に、あくまで主催がレミリア・スカーレットでなければならず、会議参加者は裏で繋がっている素振りを見せてはならなかった。
 余りにもスムーズに事が進む状況は周囲に要らぬ詮索を誘い、裏で糸を引く見えない存在を見いだす想像力を働かせる機会を与えてしまう。その事を避けたい真の黒幕八雲紫にとって、風見幽香が怪我で不参加である事を後で知らせる行為を含め、内通者である妹紅の独断による単独行動というイレギュラーはむしろ歓迎するところであった。
 
 
 ドーンという一際大きな音がして紅魔館の窓が僅かに振動する。細長い部屋と同じように細く前に突き出したバルコニーには、日除けの様な小さな屋根が窓辺に掛かっているだけで、手摺りのある外側の方は屋根が無く空が見る事が出来る。
 魔理沙らはその手摺りを背もたれにするように仰け反って空を見上げ、妖怪達の放つ光弾の嵐を弾幕戦を見るように眺めていた。そこに巨大な炎の塊が突如視界に現れると永琳の棺桶と衝突し大きな爆音を発しその衝撃波が紅魔館にも到達し魔理沙は危うく手摺りから落ちそうになった。
「すげーな妹紅!」
 巨大な炎の塊をすぐに妹紅の仕業と見破った妹紅は大きな声で叫ぶ。その声は当然館内の会議参加者にも聞こえ、多くの視線が自分に注がれた事を知らない魔理沙。
「え?藤原妹紅がいるの?」
 フランドール・スカーレットが隣の魔理沙の言葉に反応して問う。
「ああ、あんなスゲー爆発は妹紅にしかできないよ。」
 そこかしこで爆発の閃光が小さく見えるが、低く飛ぶ妖怪以外胡麻粒程度にしか見えず魔理沙の視力では個体を判別出来ないが、圧倒的なエネルギーを出せる個体は限られており姿を見るまでもなく大体分かる。特に魔理沙は妹紅と弾幕戦で何度も対戦していた為、明確な根拠はなかったが断言することが出来た。
「あ、あれが・・・ふじわらの・・・もこう・・・。」
 フランドールが目が真っ赤に染まり表情が魔性の影で曇る。
東方不死死 第59章 「折り重なる思惑」


 『紅魔館、永遠亭に宣戦布告か!?』という見出しで幻想郷を騒がせている『花果子念報 第5号』を藤原邸の縁側で小一時間眺めていた藤原妹紅は、何かを思い出したかのようにおろしていた腰を上げると持っていた新聞を座敷の方へ放り投げ、庭に降りて低い垣根をひょいと飛び越えて西の方角へ道無き道を歩き出す。

 里の西側は妖怪の山から続く豊穣の森と呼ばれる豊かな森林地帯が広がり人々に山野の恵をもたらしている。妖怪の山の大天狗の一人愛宕山太郎坊の領地と接している為治安が良く、人間が安全に入りこめる数少ない土地といえる。

 人間の里の南に位置する藤原邸から西は、その豊穣の森の南側、樹木が途切れて草原になるあたりで、夏を前に下草の勢いが小さな妹紅の胸の高さまで迫っていた。
「数日前はこんなになってなかったのに・・・。」
 一歩間違えば幻想郷が滅ぶかもしれない今回の異変。世界の終焉を敏感に感じ取った幻想郷の大地が、蓄えている力を滅びる前に植物達へ最期の晩餐のつもりで分け与えでもしているのだろうか?
 数日前、八雲紫と最初の接触の後この辺りに放り出された時はまだ下草の丈は膝下程度だったはずである。
「確か、この辺か・・・。」
 そろそろ異変が始まる気配を感じ取った妹紅は、最終的な打ち合わせが必要だろうと動いてはみたものの八雲紫と待ち合わせの場所と日時を決めていたわけではないので、ここに来ても会えるかどうかはわからない。そもそも大詰めをすること自体も決めていなかった気がする。
 ここに来れば会えるという確信は全くなかったが、足が勝手にこの場所を目指していた。
 豊穣の森一帯は妖怪の山の麓にあり、なだらかな斜面が南にある竹林まで続いている。里から関所跡を繋ぐ東西に伸びる道が自分と竹林の間に見える。普段人通りのない道だが最近のきな臭い情勢で普段より里と関所を行き来する人妖が増えて物々しい状況になっていた。これを商売の好機とみて行商に励んでいる者もいることだろう。
 妹紅は体をくるりと一回転させ、生い茂る下草を遠心力を使って鋭利に硬化させた髪の毛で刈り払い、そこに出来たぽっかりと空いた草原の丸い空間に寝転がって上空を見る。見上げた空にも明らかに東側では見かけない妖怪が目に入った。
「・・・。」
 妹紅は空を見上げながら、永琳の防御要塞とやらが実際にどんな風に見えるかを想像してみる。空に浮かぶ丸い大きな物体といえば月を真っ先に思い浮かべるが、現物の大きさはそれには遙かに及ばないものの、間近にあればかなり大きく見えることだろう。
 右手を伸ばし何もない空を指さし円を描く。
「こんなもんかな・・・。」
 大きさの見当がまったくつかず、適当に一人納得した妹紅は腕を下ろし、たまたま置いた手の位置にあった先程刈り払った草の葉っぱをつまみ口にくわえ、そのまま目を閉じる。
 やるべきことは全てやった。後は事が始まるのを待つのみで今は何も考えず、心と頭をからっぽにした。
 それから数分もしないうちに風が止みくわえた下草の揺れる感触が唇から消える。
「!」
 パッと目を開け上半身を上げるとそこは見覚えのある暗い紫色の空間だった。妹紅は心の中で『来た!』と叫んだ。
「ご機嫌いかがかしら?」
「たった今悪くなった。」
「あら、それは残念ね。」
 言葉とは裏腹に特に機嫌が悪そうには見えない妹紅をからかうようにクスクスと笑みを湛えるスキマ妖怪。
「以前、ここで私が言った事、覚えてる?」
「ああ。」
 普段は女言葉の妹紅。警戒心が強いと男勝りな口調になり、こうした特徴は親密さの度合いを測る目安にもなる。
「改めてその答えを聞こうかしら?」
 運命の歯車がまだ回っていない頃、八雲紫はここに妹紅を捕らえて「死んで欲しい」と謎のメッセージを伝えていた。
「・・・私は死ぬつもりはないわ。でも、私の中にいる存在は一度死ぬべきでしょう。」
 自分ではなく中にいる不死鳥が転生の為に死んで欲しいという八雲紫の真意を見抜き、その提案に同意した事を正式に伝える妹紅。
「それはつまり、先日交わした約束もまだ有効と捉えてよいのかしら?」
 約束というのは博麗神社で取り交わした、今回の異変について八雲紫の命に全面的に従うとした妹紅の下僕宣言の事である。
「ああ。」
 妹紅の返答に安堵感と満足感が入り混じった表情で一度頷く紫。その態度を見て妹紅は腰を上げて直立し紫と正対して顔を見る。
「あと2、3日で始まるわ。ここから先はもう予定は変わらないと思うし、異変中に会う時はお互い他人同士。同志として妹紅とこうして話せるのはこれが最後だから今のうちにこれを渡しておきましょう。」
 そう言うと、藍とお揃いのデザインで色違いのいわゆる彼女らの正装である特徴的な服の広い袖の中から何かを取り出す紫。握り拳が開くと、独特の艶を持つ美しい紫色の小さな巾着袋が白い紐に吊された状態で妹紅の前に差し出される。
「これは?」
「スキマ爆弾よ。」
「スキマ爆弾?」
「正確には境界破壊爆弾かしら?月面戦争の報復に使おうとして作った、月とこちらの世界の繋がりを断つ爆弾よ。」
「これを不死鳥の転生のついでに浄却する・・・?」
「物理的に破壊することが出来ない危険な爆弾・・・処分出来ずに困っていたのよ。」
「これが処分したくてわざわざ今回の異変を?」
「これが理由の一つになっていることは確かね。でも不死鳥の転生が先ず第一。」
 妹紅は掌に置かれた紫色の巾着袋をマジマジと見つめる。
「この中に入っているのか?」
「物としてこれという形はないわ。見えない爆弾の存在を見えるようにするための袋だから。」
「なるほど・・・落としたらドカン?」
「その袋の中にあるうちはどんなことをしても平気よ。」
「ふーん。」
 妹紅は中身よりもこの巾着袋の上品な姿が気に入り紐を摘んで顔の前に袋を吊して物欲しそうに見つめる。
「これ、もしここで開けたらどうなる?」
「どうなるのかしらね・・・元々これは月からこちら側に来れないように向こう側で使おうと思ったものだから、それをここで使えば幻想郷から向こう側にスキマが開かなくなるかもしれないわね。」
 妹紅は、スキマが開かなくなるという台詞を重要なキーワードとして記憶にとどめた。
「よくわからないのか・・・。」
「これを作った時は敗北のショックで普通じゃなかったから・・・正常ではない感情に支配されて後先考えず作った物よ。こんなものは無かった事にしたいわけよ。」
 妹紅は気持ちはわからなくもないと、クスリとしながら紐を首に下げ、巾着をシャツの中にしまう。
「これと一緒に自爆すればいいわけね?」
 妹紅の口調は次第に柔らかくなる。
「ええ。よろしくお願いね。」
「他に消したい汚点は?」
 妹紅は少しニヤけながら問う。消したい汚点が何個もあるような程度の低い相手ではないことを承知の上で。
「ないわ。」
 バカにされた感じで少しむっとした顔で応える紫。そしてそれが合図であるかのように、妹紅は強い閃光をまともに受けその光の強さに耐えきれず思わず目をつむった。
「っ!」
 一瞬の強い光に目をやられ視力を一時的に失った妹紅は、未だ白いの闇の世界にいたものの、匂いや肌の感覚から身体は幻想郷に戻ったと認識する。
 しばらくして視力が回復すると先程と同じ場所にいる事がわかり、ひとまず安堵する妹紅は、今見たのは夢ではないことを確かめるために胸の中にしまったスキマ爆弾の入った巾着袋の存在を服の上から確認する。
「三日後か・・・。」
 妹紅は何事もなかったかのようにポケットに手を突っ込み、空を見上げる。
「(悪いが、あんたの思い通りにはいかない。この爆弾を私に渡した事はあんたにとって痛恨の一撃になるだろう。)」
 紅魔館と因幡てゐに既に手を回している妹紅の思惑通りに事が進んでいれば、もう異変は始まっているはずである。恐らく目のいい者はその出現を既に目撃しているかもしれない。
 妹紅は思わず邪悪な笑みを浮かべそうになり、どこで誰に見られているとも分からないのでどす黒い感情を呑み込んで、務めて平静を装い何事も無かったかのように帰路についた。


 妹紅の予想通り、因幡てゐと紅魔館が接触した直後、幻想郷はるか上空に出現した謎の物体は視力の良い妖怪等に既に目視されていた。
 当初は『見慣れない星が現れた』程度で紅魔館と永遠亭の重大案件にかき消されていたが、次第に大きくなる星は時間と共に目撃者を爆発的に増加させ、『花果子念報 第5号』が出回ったその夜になると、宵の明星よりも明るい輝きを放ちはじめ、誰が見てもその異常性を認識するまでなっていた。


「超巨大質量を持つ天体クラスの物体が接近中です!これってもしかして・・・。」
「・・・おかしいわ・・・早すぎる。」
 巨大な質量を持つ物体の接近を感知した対物センサーが永遠亭内に緊急事態を報せ、地下に存在する管制制御室、彼らの言葉でいうところのメインブリッジでそれを確認している八意永琳と、ここに連れてこられるのが初めてだが、それらの計器類を完璧に操作している月の兎で元エリート軍人の妖怪兎レイセンがいた。
 ここは約1300年前、永琳と輝夜を乗せて月から地上に降りた宇宙船の中で、船全体を各種地形に偽装することが出来、幻想郷入りした時はこの地にあった大きな湖に着水し、竹林に偽装してそれを埋め立てて今に至っている。
 迷いの竹林全てが偽装された宇宙船であり、その地下には永琳らの宇宙船の本体中枢部が今も当時の機能を有したまま存在し普段は利用せず、機能を待機モードにして受動センサーが危険を感知した時のみ緊急起動するようになっていた。そしてその機能が想定より3日以上早く発動し永琳らを困惑させていたのである。
「ちょっと、これどういうこと?」
 蓬莱山輝夜も警告を聞き、引き籠もっていた部屋から出て様子を見に来る。
「予定ですと先ずこちらから宣戦布告して紅魔館と一戦し、圧倒的な力の差を見せつけレミリア・スカーレットに、てゐが仕込んだ対蓬莱人用の破壊方法を使わざるを得ない状況に追い込み、運命を発動させる・・・でしたが・・・。」
 レイセンが事情を何も知らなそうな輝夜に今後の予定を掻い摘んで説明する。
「そんなこと言われなくても見てるんだから分かってるわよ。私が言いたいのは、ここでフェイズを一個飛ばしたら私が活躍する場面がないじゃないってことよ。」
 紅魔館との一戦については輝夜が主体で行う事になっており、ストレス発散に丁度よいと輝夜は珍しくやる気を出していたところだったのである。

 八雲紫や八意永琳らの目論見としては、いくら蓬莱人殺害方法を吹き込んでもすぐに乗ってこず最初は様子見をするであろうレミリア・スカーレットに対し、交渉の余地を与えずこちらから宣戦布告して問答無用に反逆者のてゐと結託した紅魔館を攻撃し、ここで大きな被害を与える事によって運命発動を促すという予定だった。
 てゐの言葉を通りまんまと召喚させた防御要塞に幻想郷が大混乱に陥り紅魔館と永遠亭は休戦、その後共に対応にあたり、八雲紫があくまで当事者ではなく第三者の協力者として異変対応に参加するという流れである。
 そうした予定がてゐに蓬莱人殺害方法を吹き込まれた途端に運命を発動させてしまったのだ。
 紅魔館とてゐの接触を第一フェイズ、第二フェイズは紅魔館への攻撃による運命発動の誘導、第三フェイズが休戦と共闘であるが、この為第二フェイズの必要性が無くなってしまい、輝夜としては完全に肩透かしとなった。
「うどんげ、あなたはこれをどう思う?」
 永琳は自分なりに考えた末答えを出していたが、最近何かと頼るところが多い弟子のレイセンにも訪ねてみる。
「・・・えーと、結果だけ見た判断ですけど・・・紅魔館が元々師匠達を嫌ってた・・・だから、てゐの話しに飛びついた・・・と。」
「低脳が考えそうな単純な答えねー。」
 自分の出番が無くなってイライラしている輝夜。いつも以上にレイセンに対する口が悪い。
「そうね。普通に考えればそうなるわよね・・・でも。」
 永琳も同じ事を考えたが、しかしそれでは合点がいかないところもあり、それについては輝夜が永琳に変わって口にした。
「私達、連中に恨まれる様な事したっけ?」
「彼らの言う『永夜異変』に関しては和解は成立してますし、その後の事は妹紅と彼らの事で私達には関係ないでしょう。あったとしても、そうしたいざこざは幻想郷では日常茶飯事ですし・・・。」
「紅魔館との間にすぐに抗争に発展するような材料はなかったと、私も思います。」
 何故か自分が怒られているような感覚になり、申し訳なさそうに答えるレイセン。
「こちらに否がないとするなら、てゐの交渉が上手くいきすぎたのかしら?」
「違うわ永琳。吸血鬼の小娘が想像以上にバカだったってことよ。」
「!・・・なるほど、姫様の言にも一理ありそうですね。」
 偉そうにしているがレミリア・スカーレットは10歳くらいの少女の姿であるあることを思い出し、てゐの口車に簡単に乗せられたのだと輝夜の意見に同意する普段からてゐの口車に簡単に乗せられるレイセン。
「恐らくその2つが重なったということでしょう。」
 永琳は一先ずまとめてみるが、何か釈然としない物を感じる。紫らと打ち合わせをしていた時は作戦に絶大の自信を持ち、絶対に上手く事が運ぶと確信していた。しかし、のっけから既に予定が狂っているのだ。
 以前の永琳であれば、この状況を深刻な事態と受けとめ事態をこちらの思惑通りに進める為に何らかの措置を講じる作業をするだろうが、今はこの状況に対し一歩引いて傍観者の立ち位置にいた。元々八雲紫との結託は妹紅の依頼でもあり、紫が最終的に判断した結果に責任を持つ必要はないのだ。
「師匠、これからどうしましょう?」
「もう第3フェイスに入るから、何れ紅魔館に召集されるでしょうけど・・・姫様はどうなさいます?」
「私はパス。」
「それじゃーうどんげは私と来て。」
「は、はい!」
 自分も留守番かと思ったレイセンだったが、永琳のお供を命じられ嬉しくて声が弾む。
「何よ、私の面倒みるのがそんなに嫌なの?」
「いえ、そういうわけじゃないですよー。その替わり別の世界で別の私を扱き使っていいですから。」
 思わぬレイセンの切り返しに面喰らう輝夜。
「ふん!分かったような口きくんじゃないわよ。あんたのうな重の鰻は無しでいいわね。」
「あ、姫様、半分は私に。」
 永琳が真顔で本気とも嘘ともとれる発言をすると、場が一気に和む。
「んじゃーがんばってねー。」
 輝夜は話が終わるとブリッジを出るついでに、まったく心のこもってない声援を2人送り立ち去ろうとするが、それを永琳が呼び止める。いつもと違う雰囲気に思わず立ち止まる輝夜。
「姫様、もしかしたらこの異変、失敗に終わるかもしれません。」
「わ、分かってるわよ、そんなこと。」
「ここにいる私にとってはこれで最期になるかもしれません。」
 そこで永琳は一礼し、ひとまずの別れを告げる。
「・・・大丈夫よ、私にとっては永琳は一人じゃないから・・・!。」
 突然の別れの挨拶に戸惑う輝夜は、代わりになる八意永琳はいくらでも存在するとおどけて見せるが、顔を上げた永琳の涙を見て思わず声が詰まる。
「ちょ、ちょっと何やってるのよ!」
 上げた永琳の目から大量の涙が溢れ頬を伝って流れ落ちていた。
「わかりません、何故目から液体が出てくるのか・・・。」
 戸惑いの表情で自分の頬を伝う温かい液体を拭い、濡れた指先をマジマジと見つめる永琳。
 決して感情が無かったわけではなく、生まれたばかりの頃は人並みに泣き笑い怒りもしていただろう。しかし、感情が不要な月の中枢世界の中で途方もない時間を過ごしてきたせいで喜怒哀楽を失い、仮に怒る時はあったとしても、それは必要だからやることであり、感情がそうさせているわけではなかったのである。レイセンに対する時も主に必要だから罰を与えたり、義務としてそう取り扱っていただけだった。
 妹紅との一戦後、心の奥底に眠っていた本能が再起動し感情を取り戻した永琳。最近は周囲から情緒不安定に見える程、感情を表に出し、そんな自分自身に戸惑っている感があった。常に傍らにいるレイセンはそれを間近で見て最初は薄気味悪く思っていたが、最近は言葉を発するにも相手の心を考える様子が見てとれ、そんな師匠の変化が嬉しく、また可愛らしく見えるようになり、一緒にいる事が楽しくなっていたのだ。
「・・・。」
 ハンカチを差し出されそれで顔を拭く永琳の背中を優しくさするレイセンをブリッジの出口の前で体半分外に出して振り返るようにその様子を見る輝夜。
「(・・・この永琳は他の永琳とは明らかに違う系統に分岐したレアケースだわ・・・失うのは確かに勿体ないわね・・・。)」
 八意永琳と蓬莱山輝夜は、月の民という点で同族であるが人種が全く違う。他の月の民は元々地上にいる人間で、永琳は神様の系列で別種だが感情が不要な世界で感情を失い、他の月の民と同化した者達だ。輝夜の種族は月で新たに誕生した新人類であり輝夜が一族の始祖である。
 何れも月のいる者達は種族にかかわらず完全な存在である故、他者に依存する必要性が無くなり、自分以外に関心が失われるとともに感情も退化してしまっているのだ。
 輝夜はその中では特異な存在で、その能力によって無限の時間を体験する事が出来、あらゆる刺激を受けて感情が退化せずにいたのである。無数に枝分かれする未来への分岐と集束を繰り返し、その度に体験情報が統合され常に好きな自分を切り替えられる存在なのだ。
 輝夜は既に幾つかの結末をその目で見ている。幻想郷が完全に滅び永琳も永遠の生死の狭間に追いやられるケース。多大な損害を出してなんとか異変を収めるケース。妹紅の思惑が完全に想定通りにいくケースとそうでないケースなど様々であるが、これほどまでに未来の分岐パターンが多い状況は生まれて初めてで困惑する。これは恐らく影響力の強い強大な存在がそれぞれの思惑で動いているせいだろう。誰の思惑が成就するかで未来がかわるというわけであり、これは群雄割拠の戦国時代などと似た状況と言える。
 輝夜は姿勢はそのままに顔だけ天井を向き、ここにはいないこの世で最も憎らしい顔を思い浮かべる。
「(藤原妹紅・・・上手くやりなさいよ!)」
 悔しいが、この異変は妹紅の勝ちで終わるのが幻想郷や世界の未来において最も理想的な形なのである。


 予定より早すぎる異変の到来に困惑した永遠亭だったが、首謀者の八雲紫は手間が一つはぶけただけと、この事実を重大な問題とは敢えて受け止めていなかった。そもそも重要な問題として受け止めたとしても、もはや軌道修正が出来る状況ではなく、心の内は複雑だろうが直ちに問題となる状況ではないと虚勢をはるしかないのだ。

 ここでその当事者以外で重大な物理的問題に直面したのが、紫によって計画された情報操作の最前線にいた姫海棠はたてと記事の内容が予め決められていた彼女の新聞花果子念報だった。
「文、どうしよう?予定より3日早いわ。永遠亭と紅魔館で戦闘になる予定が・・・。」
 『第二次吸血鬼戦争勃発』という見出しの花果子念報第6号の原稿は既に上がっており、記事を活字班に回すところまで準備が進んだ段階で異変の前倒しであり、代替えの原稿やずれた予定の組み直しの指示もクライアントからはまだ来ていない。
 これまで予定通り完璧に推移していた状況が一変し、自分一人では判断する事が出来ず狼狽えるはたては、文に泣きついた。
「狼狽えないで。あんたは何なの?」
「何って・・・。」
「文屋でしょ?今起こってる事を記事にすればいいのよ。」
「でも、そんな予定は・・・。」
 その言葉を聞いた文は握り拳をはたての顔面に埋め込んだ。
 鼻が折れる鈍い音と、何かがぶつかる衝撃音と振動、そして物が散乱し硬いものが破損した音が、鞍馬山領印刷団地の敷地内にある編集者棟に木霊する。
「はたて・・・あんたクロワンになるんでしょ?だったら腹くくりなさい。」
 壁に吹き飛ばされ鼻の曲がったはたては、流石に頭に血が昇り反攻しようとするものの、足が言う事を聞かず上半身を上げただけで何も出来ず文を睨む。
 はたてを殴って壁際に追いやった文は、歩み寄って手を差し出す。
「紅魔館と永遠亭の間に戦争は起きない。戦争を煽るの第6号はボツよ。接近する謎の物体を報せるはずだった第8号を6号に差し替えるわよ。原稿は既にあるわ。無いのは写真だけ。何してるのさっさと撮ってきなさい。」
 身じろぎもせずに何かを考えていたはたては、黙って文の差し出した手を取り立ち上がらせてもらうと、そのままむっとした顔で文の横を素通りして編集室を出る。
「いい絵期待してるわよ。」
 文はそのはたての態度を見て満足した。ようやく文屋らしい顔になったと・・・。
 この様子を固唾を飲んで見守っていた犬走椛は、何かを訴えるような目で主人を見つめ、忠実な僕が何を考えているのかすぐに理解した文は何も言わず頷き、したいようにさせた。
 急いではたての後を追う椛を尻目に腕を組んで闇夜の窓の外を見る。
「これまで完璧に運んでいた予定が狂った・・・これは恐らく今後も予定通りにはいかないわね・・・。」
 この異変で自分を自由に動けないようにする為、不当に謹慎処分にしたはたてのクライアントの『若いご婦人』の顔を思い浮かべ、心の中で罵声を浴びせると同時にざまぁみろとあざ笑う文だった。
「・・・兎に角。」
 謹慎の身、今は異変について何も出来ない。その代わり全身全霊を持ってはたてをサポートする。文はそう決意した。 


 花果子念報 第6号が人間の里に配られた時、ほとんどの住人がその記事を飾る謎の球体の事を既に知っていた。
 彼らは空にはっきり見える昼間の月の様な大きな丸い物体が何なのか、そしてこれが因幡てゐから始まった紅魔館と永遠亭に関する一連の事件との関連があるのかなど情報に飢えており喜々として新聞に群がった。
 
『蓬莱人を滅ぼすために吸血鬼が星の運命を変える!』
『幻想郷を道連れか?』『許されざる蛮行!!』

 新聞のこの見出しによって幻想郷の住人は空に浮かぶ謎の球体、星の運命を操作した吸血鬼の仕業という情報を得た。
 これに関しては西の妖怪は運命操作など眉唾と疑ったが、レミリア・スカーレットは以前、隕石を幻想郷に落として破壊して見せた実績があり、当時それを眉唾と思っていた東側の住人も今回で2度目ということでこの情報を信じてしまい、それを西の妖怪にまことしやかに教えたのである。
 隕石の空中爆発事件そのものはかなり大規模だった為、幻想郷の住人はほぼ全員それを目撃している。新聞記事の中にも当時それを報じた『文々。新聞』の記事を一部引用して記載しており、西側の妖怪はこれが吸血鬼の仕業だったことをこの時初めて知り、運命操作の存在を受け入れざるを得なかったのである。

 この新聞報道を信じたほとんどの幻想郷の住人の中で、唯一この情報を否定した人物がいた。レミリア・スカーレット当人である。
「こ、こんなこと有り得ないわ!」
 手にする新聞を握る握り拳がブルブルと震え、記事の内容に怒りを露わにする紅魔館の主レミリア・スカーレット。
「当たらずも遠からずというところではない?」
 今回の件でレミリアを嗾けた張本人の魔法使いがまるで他人事の様に嘯く。
「あれは、お嬢様が呼び寄せたものなのですか?」
 忠実な僕も主の為した事だと伺いを立てる。
「あんなもの呼んだ覚えはないわよ!」
「でも、因幡てゐの言っていたものと特徴は同じでしょ?」
 パチュリーと咲夜は、異変が起こる事は知っていたので内心余裕であるが、何も知らないレミリアにとっては正に青天の霹靂で、自分一人慌ててそれを前にして余裕を見せる2人の態度が気に入らなかった。
「何、余裕ぶってるのよ!」
「落ち着きなさいレミィ。」
「これで落ち着けるわけないでしょ!」
 新聞を絨毯に叩きつけ更に足で踏んで捻り回す。
 彼女をここまで怒らせている要因はいくつかあるだろうが、最も大きな要因は因幡てゐに騙されたというこの一点に尽きるだろう。
 あの謎の物体を召喚したという実感はレミリアにはなかったが、パチュリーの言う通りアレはてゐが言った特徴のそれに当てはまり、その口車に完璧に乗せられまんまと召喚されられてしまったのだ。
 最初に変化を望むという事を親友の魔法使いに吹き込まれていなければ、こんな運命発動などすぐにはしなかったが、こうなっては何を言っても後の祭りだった。
 このことはレミリアのプライドを酷く傷つけた。しかも、こちらの言い分も聞かずあのような新聞記事の書き方をするのも気に入らず、レミリアの怒りを助長させた。
 怒りが収まらないレミリアはヒステリックに親友や僕に当たり散らす。しかし、それも既に想定済みだった2人はあくまで冷静だった。
「レミィ、前も言ったと思うけど、これは誰かが始めた異変の一環よ。」
「恐らくこの新聞も異変の首謀者と繋がって指示通りにやっているのでしょう。」
「始めから向こうの思惑に便乗して、先手を打つつもりだったんだから、そんなに怒る必要はないわ。」
 それを聞いてレミリアは一旦動きが止まり、踏みつけている新聞を見下ろす。しかし、しばらくするとまた怒りが沸々と湧き上がり、今度は両足でジャンプしながら踏みつけ始める。パチュリーの言っている事は分かるが、傷ついたプライドは絆創膏を貼った程度では元に戻らない。
 怒ったお嬢様も可愛らしいと思いつつ顔がニヤけないように平静に努める咲夜は話を続ける。
「今にして思えば、このタイミングに合わせるかのように新聞の新刊が出回るのも明らかに不自然です。」
「でも、みんなそうは思ってなさそうね。今は新聞が出るのを待ち遠しく思うようになっている。」
 この新聞が配られた時、ほとんどの者は胡散臭く感じていた事だろう。しかし、興味を引く話題が立て続けに送り出された事で、それを受け取る側はいつの間にか新聞を読む習慣を短時間に身につけてしまっていた。
「で、その異変の首謀者ってのは誰なのよ?」
 辛うじて破れてはいなかったが、ほとんど読めなくなった新聞に興味をなくしたレミリアは、ようやく落ち着きを取り戻し話を聞く態度になる。
「普通に考えれば因幡てゐと関係の深い永遠亭しかないでしょう?」
 レミリアとはテンションが180度違うパチュリーが静かに答える。
「情報を操作していることも考慮にいれると単独ではなく複数人、組織による犯行でしょうね。」
 裏の事情をだいたい知らされているので犯人がだれかなど既に分かっているのだが、何もしらないレミリアに合わせる為に臭い演技をし、それに全く気が付かないレミリアを見て役者になれそうなどと心の中で呟くパチュリーと咲夜。
 その時、突然強い魔力の集束がパチュリーの横にいるレミリアの足下に起こり、魔法の召喚陣が出現し中から深紅の瞳と髪を持つ悪魔が現れる。
 出て来た場所が悪くレミリアに頭を踏まれたルビーだったが、顔色ひとつ変えずバランスを崩した主の友人を優しく抱きかかえ、そっと前に下ろし、非礼を詫びるように恭しく一礼する。 
「ルビー、首尾はどう?」
 名を呼ばれ主に向き直ったルビーは一枚の淡くエメラルドグリーンに発光する半透明の魔法のカードをパチュリーに差し出す。手からカードが離れると受け取ったパチュリーの背後の自分の定位置にレミリアの前を通らない様に後ろを弧を描いてまるでダンスのステップを踏むように音もなく移動する。
 パチュリーは受け取ったカードを顔の前に置くと目を瞑り意識を集中して魔力をカードに集束される。パチュリーの周囲に一瞬上昇気流の様な魔法の力が発生し、手を離し中に浮くカードの解除の呪文を呟く。それを受けてルビーのカードはすぐに光の粒子となって中空に分解飛散し、一瞬の間を置いて逆再生のように元の位置に集結する。集結した光の粒子は元のカードではなく別の形に再構築され、例の謎の球体と思しき姿に替わっていた。
「これはあの物体ですか?」
「ええ、ルビーに観測させていたの。」
「どう見ても自然の物ではなく人造物ですね。」
「高度な技術で作られた天体クラスの建造物ね。月の技術かしら。となるとやっぱり永遠亭の仕業で間違いないわね。」
「大きさは?」
「直径約40km強というところかしら。」
「よ、よんじゅう?」
 この要塞の仕様を森近霖之助から聞いた風見幽香と同じリアクションをする距離の単位の意味を知る咲夜とレミリア。
「ここから神社まで10kmないわよね?」
 単に神社といえば博麗神社を指しレミリアが距離を測る基準としてそこを使った。そこから想像するだけでも40kmというのは幻想郷的に途方もない距離に思える。
「博麗神社から・・・そうね・・・守矢神社くらいの距離になるかしら?」
 守矢神社ということは、つまり妖怪の山の頂上までという意味である。パチュリーは妹紅から八雲紫の妹、藍の幻想郷の正確な立体地図を譲り受けているので、ほぼ正確な距離を測る事が出来、相対的な位置関係も瞬時に示す事ができるようになっていた。
「ルビーの計算によると、このままのスピードで落下すれば、あと50時間後に幻想郷に衝突するわね。」
「どの辺りに落ちそうです?」
「落下地点は紅魔館と人間の里の間くらいかしらね。まぁ、どこに落ちても結果は変わらないと思うけど。」
「50時間・・・約2日ですね・・・。」
 咲夜が溜め息をつくようにそうもらす。この時3人は後5日くらいならないかと訴えるような目を同時にルビー向けるが、当人は小首を傾げて自分の所為ではないと知らん顔をした。
「まぁ、何にしてもこの異変の首謀者がそろそろ動き出す頃ね。」
 暗躍する首謀者の接近を予言したパチュリーがそう呟いた時、レミリアの部屋の外に何者かの気配が突然発生し緊張が走る。
「ジャスパーです。」
 ジャスパーはメイド長十六夜咲夜直属で、パチュリーがルビーを元に作った七曜魔の一人で、その中では最も気性が大人しく咲夜に忠実で外見がルビーに近い。そのジャスパーが瞬間移動で部屋の扉の前に現れた事を、上司の咲夜が直ぐに気づいた。
 咲夜は用件を聞きに一旦外に出て、間もなく戻る。
「館内に客人が来ているとのことです。」
「館内?誰?」
 一瞬間をおいてから静かに口を開く咲夜。
「・・・八雲紫です。」


 紅魔館は湖に面した正門から見る姿は大きなただの洋館に見えるが、側面と後ろ側は窓が少なく、まるで小さな城塞のように見える。これはこの館が幻想郷入りした当時、巨大な城塞都市の中にあり、その城塞は主に西側の妖怪の山の天狗の勢力に対して防備を固めていた為、建物のほとんどがその方向に窓を少なくしていた名残である。
 当時、幻想郷連合軍は防御の弱い城塞の東側から攻める為に、現在博麗神社が建っている東端の山に本陣を築いて天狗達と挟撃作戦を展開させていた。
 現在の紅魔館の位置は戦争当時と変わらないが、この周辺を広く取り囲んでいた城塞は跡形もなく解体され、資材は全て天狗側の戦利品として持ち去られ、彼らの居住地の建築資材として再利用された。
 その紅魔館には新聞報道を受けて、大勢の妖怪と野次馬の妖精が集まり、門番の紅美鈴に謎の物体の事を問い質し、口論の末、喧嘩が始まりちょっとした騒ぎになっていた。
 徒党を組んで新聞の内容を問いただしに来るような雑魚妖怪達では、門番の紅美鈴に敵う訳もなく、数秒で騒ぎは収まり門前の群衆は這々の体で逃散し、レミリアらが八雲紫の来訪を報される頃には何事もなかったかのように周辺は静まりかえっていた。

 八雲紫は正門からではなく玄関ホールに直接現れ、たまたま居合わせたジャスパーが応対して咲夜に知らせ、指示通り客間に案内する。そして間もなくメイド長の十六夜咲夜が客間に現れここに来た理由を問う。
「ご用件は何でしょうか?」
「今回の騒動の事で・・・。」
 身体のラインがよく見える紫色の洋服に身を包んだ八雲紫は、ソファーに浅く座り背筋を伸ばしどことなく楽しげに咲夜に応える。
「我が主の責を問いに来たと言うわけでしょうか?」
「いいえ、貴女の主を利用した件を詫びにきたのよ。」
「!」
 八雲紫の来訪を予め予想していた咲夜はその言葉に驚きは無かったが、敢えて驚いた表情を浮かべる。
「・・・お待ち下さい。今主をお呼び致します。」
「ありがとう。」
 部屋を出た咲夜は直ぐにそれをレミリア・スカーレットに知らせ、自身はお茶の準備をする。
 レミリアが客間に入るタイミングに合わせて咲夜は別のドアから入室し、向かい合ってソファーに腰かけた主と客である八雲紫に紅茶を淹れる。
 少し遅れてパチュリー・ノーレッジが入室し、同席の許可を客に求めそれを了承され、咲夜は彼女の分のお茶も直ぐに入れた。そして、ジャスパーを呼んで部屋の隅にティートレイを移動させ彼女を給仕係りとしてその脇に立たせ、自身は主の横に寄り添う様に立つ。
 紅魔館流の客を迎える形が出来ると、レミリアは詫びに来たというその真意を尋ねた。
「あなた方もご存知の様にこの一連の騒ぎは全て私とその企みに組みする者が仕掛けたもの。」
「それは永遠亭の事ね?」
 レミリアではなく紫から見て向かって右に座るパチュリーが尋ねる。
「ええ。」
「で、こちらを騙して、それをわざわざ詫びにくるなんて、よく意味が分からないけど、どういう事なのかしら?」
 レミリアはティーカップに口をつけ、余裕のある涼しげな表情をして紫を無視しており、話はそのままパチュリーが続ける。そんなレミリアに一瞥入れ、魔法使いに顔を向けて冷ややかな表情で答える紫。
「私達にはある企みがあって、それはあなた方紅魔館には直接関係ない事だったの。」
「既に関係してしまっているし、それもかなり迷惑な方向に。」
 苦情を言うパチュリーだが紫はそれを一先ず無視して話をすすめる。
「あの丸い物体を幻想郷に呼び出す上で、方法が2つあった・・・。」
「・・・なぜ、別の方法を使わずにこの方法をとったの?」
 紫の言う2つのうち一つがレミリアの運命操作による召喚であることは間違いなく、もう一つの方法をとらなかった理由を問う。
「もうひとつの方法だと、別の人に迷惑がかかるからよ。」
「私達なら迷惑がかかっても良いということ?」
「ハッキリ言ってしまうと、そういうことね。」
「・・・随分と身勝手な話ね。お陰でこっちは幻想郷を敵に回すハメになったわ。」
「敵に回して何か不都合な事がおありなのかしら?天下の吸血鬼様がぁ?」
 紫はそう言って扇子で口元を隠しクスクスと笑う。
 パチュリーは思わず口をつぐんだ。自分の言葉はあくまで個人的なものでこれは主の台詞ではなく、あくまで一般的な見解だった。パチュリーが主に代わって紫と話し始めた理由は、こうした言葉のやりとりの中でレミリアが返答に窮するような状況に追い込まれ恥を掻くのを防ぐ為で、会話の駆け引きにおいて相手のカードを沢山切らせてレミリアに少しでも多くのカードを温存させるためのものだった。
 紫の挑発的な言葉も、側近のパチュリーではなく主と直接話をさせろという意思表示でもあり、レミリアもここでパチュリーを制して選手交代をする。
「私が幻想郷の敵になるは別に構わないけど、自分の意志ではなく誰かにそうさせられる事が気に入らないだけよ。」
「だから、こうしてお詫びに来たのよ。もちろん言葉だけではなくそれ相応のものを持ってね。」
「それ相応のもの?」
「今起こっている事は紅魔館によるものという認識で広まっているわ。これを誰か別の者がおさめるにしても犯人は紅魔館という事実はかわらないわ。でも、事件を起こした当事者がきっちりと解決すれば・・・。」
「少なくともプラスマイナスゼロ・・・いえ、これだけのことをしてみせたパフォーマンスはプラスとして残るかも・・・。」
 パチュリーが独り言の様に呟く。
「今回の異変で既に私達の計画に賛同している者は、永遠亭、博麗神社、守矢神社、妖怪の山の大天狗、地霊殿、四季映姫、西行寺幽々子・・・。」
「そ、それって、幻想郷の主だった面々全部じゃない!」
 レミリアが思わず声を上げた。
「面白くないわね。幻想郷を巻き込んだ茶番をやるならやるで、何故こちらに話がこないの?しかもこのようなだまし討ち・・・。」
 妹紅に事情は聞かされているとはいえこれにはパチュリーも流石に不快感を隠せず眉を吊り上げた。
「紅魔館を除け者にして進める計画なら今私はここにはいないわ。実を言うと運命操作にあたってほとんどがそれを眉唾と思っているのよ。」
「つまり、要人をこの計画に参加させるにあたって運命操作が本当に行えるかどうかを証明しなければならなかった・・・。」
「あら、賢いメイドさんね。その通りよ。もう一人には迷惑をかけたくなかったし、でもだからといって運命操作が使えるからと異変のメンバーの一人に貴女を推しても誰も賛同しないどころか、皆手を引いてしまうわ。一応これでも私だけが運命操作ができるって信じて皆を説得したのよ。」
 自分は他とは違い紅魔館寄りに立っているとアピールする紫だが、実際にそれで皆を説得した事実などない。交渉上の口からでまかせで、咲夜とパチュリーも了解していることだった。それだけに紫の演じる茶番ば滑稽に見えると同時に、交渉とはこうするものなのかと参考になる。
「そのもう一人とは?」
「藤原妹紅よ。」
「藤原妹紅?あの不死身の人間?」
 咲夜らは既に知っていたが、レミリアにとっては予想すらしなかった意外な人物の名だった。
「彼女がどうして?」
「藤原妹紅・・・不死身という点が目立ってしまうけど、彼女にはある秘密があるの。」
「秘密?」
「彼女の炎の力、それは不死鳥の力。藤原妹紅の中には本物の不死鳥がいたのよ。」
「その不死鳥がどうかしたの?」
 不死鳥について詳しくないレミリアは事の重大さを理解できない。
「神獣は世界を支えてる存在だけど、その神獣の中で不死鳥だけが唯一寿命を持ち、死ぬと転生するの。その死は世界に大きな災いをもたらしその破壊によって自然から思想まで様々なものが転換していくのよ。」
「時代が変わる・・・ってことかしら?」
 これは妹紅との協力関係とは別に初めて聞く事で、パチュリーは強い関心を示した。元素を操る魔法使いとしては炎の頂点というべきフェニックスに無関心であるはずがない。
「その通りよ。そして妹紅の中にいる不死鳥は転生できず、時代は中々変化できずにいるのよ。」
「変化しないと何か不都合があるの?」
 最近変化という言葉に敏感になっているレミリアが問う。それを受けて八雲紫はどこからともなく、携帯電話を取り出しテーブルに置いた。
「あなた方も知っていると思うけど、これはケータイという向こうの世界では当たり前に皆が持っている道具よ。神通力のない人間でも遠く離れた人と同じ時間の中で会話する事が出来る便利な道具。」
「これがどうしたの?」
「これを利用する為には大きなエネルギーが必要なの。そうね例えば、貴女の魔力の数億倍のエネルギーを常時供給出来るような・・・。」
「それはちょっと大袈裟では?」
 名指しされたパチュリーが思わず反論する。例えの値が大きい程元となる自身の魔力が小さい事を暗に示している様で気に入らない。
「向こうの世界には60億の人間が住んでいるのよ?そういえばメイドさん、あなたは比較的最近幻想郷入りしたのよね?だったら私の言っている事が嘘ではない事はわかるでしょ?」
「確かにそちらの言うとおりです。誇張でもなんでもありません。」
 ね?と言った表情でパチュリーに微笑む紫。パチュリーも数年前まで向こうの世界にいた咲夜自身が言う言葉には流石に反論出来ずむっとする。それにしても60億人とは凄まじい数で、容易に想像出来ない。
「莫大なエネルギーを浪費し、そのエネルギーを供給するために沢山の資源が使われる。有限の資源はいずれ枯渇してしまう。そうなればそうなったで原始的な生活にもどればいいのだけれど・・・。」
 そこまで言いかけて紫は咲夜を見て話の続きを促す。
「莫大なエネルギーは同時に有毒な廃棄物を大量に吐き出します。資源が枯渇する前にそのゴミを処理できず自然が破壊され人が住めない世界になるかもしれません・・・。」
 咲夜の言葉に紫は満足げに頷く。
「向こうの世界の事だからこちらは関係ないと思うかも知れないけど、このケータイの様に迷い込んでしまう。向こうのそうしたゴミを大量に吐き出す技術もいずれ古くなってこちらに流れてくる可能性もあるわ。そうなれば閉ざされた幻想郷はあっと言う間に汚染されてしまう。」
「つまり貴女は世直しをしようというの?」
 パチュリーの問いに答えず話を続ける紫。
「不死鳥転生は大きな破壊を幻想郷にもたらすわ。そんなことをいきなりやれば藤原妹紅が悪者になってしまうでしょ?私は以前、宇宙人の口車に乗せられて彼女を悪人にしてしまった事があるの。」
「この件で藤原妹紅には話がついてるの?」
「もちろんよ。」
 レミリアの質問に紫が短く返答した後、しばしの静寂が客間を支配する。そしてその静寂を撃ち破る様に八雲紫がテーブルに書類を置く。
「これは?」
「今回の異変を解決するにあたってのスケジュールと各自の役割を記した計画書よ。貴女達が私達の計画に参加の是非に関わらず異変は進行していくし、参加しない場合のシナリオもちゃんと用意してあるわ。」
 怪しい笑みを口元に浮かべる紫。
「今から1時間後、こちらで用意した文屋が紅魔館に取材に来る手筈になってるわ。そこで記者に向かって意思表示をしてちょうだい。そこから全てがスタートするわ。」
 八雲紫は敢えて具体的な動きの指示をせず、計画書(レシピ)だけを与え味付けは紅魔館に全て丸投げをした。
「楽しめる異変になるといいわね。」
 八雲紫はそれだけをいうとあっと言う間にスキマに消える。 

 八雲紫が去った客間に半ば呆然とするレミリアを尻目に、最期は終始紫に無視され続けたパチュリー・ノーレッジがテーブルに置かれた計画書を手に取り読み始める。
「空全体を巫女が結界で封鎖し、その向こうで藤原妹紅が不死鳥を転生させる・・・。」
「あの巫女の力でそんな事が出来るのでしょうか?」
「巫女の足りない力を補う為に守矢神社の神様が力を貸すみたい。」
「なるほど・・・。」
 パチュリーが計画書を読みながら掻い摘んで説明していると、遠くから誰かを呼ぶ声が聞こえてきた。
「・・・さーん!咲夜さーん!」
「中国ね。」
 門番の紅美鈴をパチュリーは何故か中国と呼ぶ。これは、預言書に記されていた『紅美鈴』という漢字表記を『くれないみすず』と日本語読みして本人に注意されたのだが、この時やたら発音に五月蠅く注意をうけたので『もう中国でいいわ』と匙を投げられ、以後パチュリーは彼女を中国と呼ぶようになったのである。
 紅美鈴は、レミリア達が何処にいるか知らず館内を走り回りながら叫んでいるようで、ご指名を受けている咲夜が廊下に出て呼び止める。
「あ、咲夜さん!外にお客さんが来てますよ!この前の文屋です。」
「分かったわ。ここにお通しして。」
「いいんですか?」
「ええ。それから、使用人を出来るだけ沢山動ける状態にしておいて。」
「分かりました!」
 走り去る美鈴の背中を見送った咲夜は、客間に戻って先程の八雲紫が派遣したと思われる文屋の来訪を告げる。
「お嬢様、どうなさいますか?」
 八雲紫の計画についてそれに賛同し参加するかの意思表示をまだしていないレミリアに最終確認をとる咲夜。
「・・・愚問ね。せっかくのパーティーの招待状。断る理由はないわ。」
「わかりました。ではそのように準備を進めます。」
 咲夜は恭しく一礼すると、その場から一瞬で消える。
「ようやくやる気になったわね、レミィ。」
「パチェ、私はやるわ。不死鳥の転生は時代の変化の象徴、私の成人を祝う宴の花火にしてやるわ!」
 異変の収集と成人の問題は別で、成人になるための障害は大きい。だが、なにより重要なのがレミリアの気持ちである。現状に満足するようでは彼女に成人の道はない。そこに導く十六夜咲夜には寿命があるからだ。
 ここで変化を恐れない前に進む気力が生じたことは大きな収穫といえる。
「・・・。」
 因幡てゐに騙されプライドを酷く傷つけられた反動からか異変に向けて気力がみなぎり生き生きとしだす親友を尻目にパチュリーの中にもある目的が生まれる。それは仄暗い闇の炎となって静かに確実に燃え広がっていた。
「(このお礼は必ずさせてもらうわ。)」
 先程、自分を無視しコケにしたスキマ妖怪に対する明確な敵対心が現れていた。そしてこの事は藤原妹紅の思い通りの展開に繋がる事になった。

東方不死死 第58章 「開戦前夜」


 『花果子念報』という見慣れない新聞が『因幡てゐ重症』を報じた翌朝、創刊号である謎の新聞のその一面を飾った妖怪兎が博麗神社にて療養中という第2号の続報が報じられる。
 重傷の因幡てゐが何故博麗神社で療養中なのか?相関関係からその不可思議さが理解出来る幻想郷東側の人妖は、この件と合わせて、それを報じた謎の新聞にも次第に興味を示し始めていた。
 最初の報から二日後の朝、因幡てゐが紅魔館と接触したという第3号の更なる続報が報じられ、そして更にその日の夕方、幻想郷東部初の夕刊として一日に2号発刊された第4号目の続報が報じらると、東側の関心事は完全に因幡てゐの動向に向けられる様になっていた。

 因幡てゐと言えば永遠亭の住人で、八意永琳という名医がいる。重症を負った因幡てゐが何故永遠亭ではなく、博麗神社に身を寄せているのか?憶測が憶測を呼び、紅魔館と接触したという報せを受けてあるひとつの憶測が確信に変わる。
 重症の因幡てゐが博麗神社に身を寄せ、次に紅魔館との接触。そこから導き出される答えは限られていた。

『永遠亭と因幡てゐ不和』


 「因幡てゐ、紅魔館入り!!」という見出しの『花果子念報 第4号』を配る犬走椛は、朝に「因幡てゐ、紅魔館と接触!!」という第3号を受け取ったばかりの続報に飢えた者達が作る人垣の中にいた。
「俺にもくれ!」
「早くしろ!」
「押さないでください!皆さんの分はちゃんとありますから!だから、お、押さないで!」
 最初に人間の里で配った時は、住人のほとんどがか弱い人間か、気性の大人しい商妖や里妖ばかりなので取り囲む群衆もそれほど怖くなかったが、ここマヨヒガは里の傭兵募集にも人間に味方する事を躊躇い即応できずに様子見をしていた屈強な妖怪達の屯地と化しており、勇猛な彼らの圧力は流石の椛でも恐怖に近いものを感じていた。
 しかし、そんな妖怪相手にも怯まず毅然と振る舞い一歩も引かない、この近辺の妖怪よりも強い白狼天狗・犬走椛は、その圧力に耐えながらなんとか群衆に配り終え、残部を各戸の敷地に放り込み、更に残った分は飲み屋等の人の集まりそうな施設に置かせてもらう事が出来、大量に用意した新聞も日没を過ぎた頃には完全に捌けて、妖怪の山への帰路は手ぶらとなっていた。
「それにしても凄い反響・・・。文様の新聞は読まれる前に包装紙になったりするのに・・・。」
 以前、文の手伝いで里に新聞を配った際、待ちわびたように新聞を受け取りに出て来た老婆が、読まずに直ぐにその新聞で白菜を包んで納屋に運びいれたのを見て落胆したことがあった。
 駒天狗犬走椛の主人である射命丸文は、自分の発信した情報欲しさに人々が群がり奪い合う様な新聞を目指し様々な試み、主に捏造に近い記事で関心を引こうと懸命に動いていたが結局良い結果は得られず、一部、創作物として記事を楽しむ者以外受け入れてもらえず嘘八百新聞という不名誉なレッテルを貼られ、包装紙として再利用されるだけの価値しかない新聞紙になりさがってしまったのである。
 一方、はたての発刊した『花果子念報』は世論を操作するという目的で時限的に作り出された新聞であり、本来の新聞とは程遠い存在だが、文の望んでいた新聞のそれとなっている。
 何の為にこの様な事をしているのか報されずただ文の命令で配達役をやっている椛だったが、上手く事が進む状況を目の当たりにし何か釈然としないものを感じる。この感覚は、『文々。新聞』との差に対する率直な不満という事も確かにあったが、それよりもはたてが何者かに利用されており、彼女の持っている実力以上の成果が現実に上がってしまっているという点である。
 能力的に見ても文とはたての差は歴然で、主人の文なら周囲との軋轢に耐えられる能力と実力、そして性格を持っているが、はたてにはその様な芯の強さも血統的に有為な素質を持っているわけでもなく、手に余る功績とその後に背負う名声と責任は、後々重圧となってのし掛かり彼女を不幸にすると思われてならない。
 主である文が、本来なれない文屋に無理矢理就いて、周囲から総すかんを喰らっている状況を見れば分かるように、天狗の社会は分相応でなければ攻撃される。
 鞍馬山と比良山、他領地民同士ということで身分差が生じないはたてと文。一鴉天狗そして同性として主人と唯一対等な立場で話が出来る姫海棠はたての出世は椛としても嬉しい限りだが、それらの理由があって手放しに喜べず気が重かった。
 だが、椛が心配するまでもなくその事は文も十分理解しているようで、この計画が終わった後、はたてが用済みとなって切り捨てられないよう記者として足りない部分をこの期にみっちりと仕込んで立派な「クロワン」に仕立てようとしている。何だかんだと言っても文にとってもはたては数少ない友人であり、失いたくない存在なのである。
 何はともあれ、この新聞の配達の手伝いも後数回で終わるはずである。何が起こるかは何も知らされていない椛だが、スケジュールは既に決まっており、数日後に新聞どころの騒ぎではない何かが起こる予定だけはわかっていた。


 傭兵の屯所に代わり本業の飲み屋が開店休業中の妖怪酒場『妖酔乃瀧』に、里の守護である上白沢慧音が先日里に正式に戸籍をおいた魂魄妖夢を従えて旧友を訪ねに来ていた。
「久しぶりだなー妖酔。」
 数日前に会ったばかりである。
「これは、これは、先生。わざわざこのような場所にお出でにならなくても、用があればこちらから伺いましたのに・・・。」
 吸血鬼特有の深紅の瞳を隠すために仮面をつけている、かつての大戦で千人隊長を努めた経歴のある猛者、妖酔であったが、ある事情があって霊獣である上白沢慧音には頭が上がらない。
 妖怪しか来ない妖怪酒場を仕切るボスとして普段から多少凄味を効かせている手前、慧音に対して腰が低い態度はあまり他人には見せられず、門前で一言二言挨拶を交わすと、連れの紹介を聞くのも後回しにすぐに奥の客間に招き入れた。

 慧音と連れの妖夢が案内された客間は和風な作りではなく、広い板の間の部屋で4人がゆったり腰を下ろせる大きめの丸いテーブルと椅子の応接セットが中央にあり、幻想郷入りした世界各地の調度品や家具、珍品が所狭しと飾ってあるというか無造作に置いてある小さな博物館の様を呈していた。
「そちらは?」
 最初から気になっていた従者の様に付き従う大きな魂魄を纏った短い銀髪の少女について、まず部屋に通して席に着かせてから開口一番に尋ねる妖酔。
「あ、私は、先生のところで世話になっております、魂魄妖夢という者です。宜しくお願い致します。」
 あっという間に奥に通されて名乗るタイミングを失っていた帯刀していない普通の里娘に見える妖夢は、下ろしたばかりの腰をサッと上げて自己紹介し頭を下げる。その身のこなしを見て妖酔はただの里娘ではないことを直ぐに察知する。
 妖酔と呼ばれる古妖は、他の妖怪とは明らかに雰囲気が違い、妖夢としてもただ者ではないとすぐに分かる。
「私は妖酔と申す。以後お見知り置きを。」
 妖酔が初々しい妖夢の態度に破顔した直後に背筋を伸ばし表情を堅くする。妖夢はその急に変わる態度に違和感を感じたが、すぐに部下の妖怪が湯を入れた鉄瓶と茶菓子などを持って入室したのを受けて態度を変えた事を知る。ここを取り仕切る立場上、部下に緩い姿を見せられないという事だろう。彼が普段どのように部下達と接しているか、そしてそれがこの妖怪の本来の姿ではなく、今したが見せた優しそうな顔が本当の彼の姿だということが理解出来る妖夢だった。

 入ってきた一見すると人間に見える妖怪は、こちらに関心なさそうに持ってきた茶具一式をテーブルに置くと、一礼もせずにそそくさと去っていく。ただ持って来て置いていったという感じで、その様子からここは人間の様な作法とは無縁の妖怪の領域だと言う事が理解出来た。それと同時にこのことに違和感を覚える自分はやはり人間の文化圏に入っている存在だと思い至る。
「因幡てゐの話は耳にしているか?」
「ええ、最近その話しで持ちきりですね。」
 慧音が唐突に話し始める。彼女は一応半分は人間の筈だが、その半分の人間部分はどうも日本人ではないらしく、礼儀を重んじる里の有識者とも違うタイプで、言葉を飾らず誰に対しても教師が生徒と話す様に話す。妖夢は慧音の寺子屋兼孤児院で数日世話になって彼女の意外な素顔を知った。

「恐らく八雲紫の仕業であろうが、まさか因幡てゐを紅魔館につけるとはわなー。」
 因幡てゐを利用しているという時点で既に八雲紫と永遠亭との間に繋がりがある事は理解している2人。
「普通に考えれば胡散臭い事この上ないところですが、少し前から何やらきな臭く、何かが起こる事を皆予想しておりましたから、この新聞を見て予想が的中したとかしないとか騒いでおりますよ。」
「皆、何かが起こるとだけは目聡く感じていたからのー。このタイミングでこんな事件を報じれば皆喜んで食い付く。流石は八雲紫と言ったところか、情報の扱いに長けておる。」
 見た目は若い慧音だが、話し方は年寄りみたいだと、飲んだ事がない漆黒の苦いお茶を飲みながら苦笑する妖夢。
 このお茶は話をしながら妖酔が目の前で直接淹れて見せたお茶で、ここでは家の主が客にお茶を出すのが作法のようだ。白玉楼ではいつも自分が準備をして客に差し出していたので軽いカルチャーショックを覚える。
「しかし、そのお陰で隠れて傭兵を雇う必要もなくなります。」
 抗争が予想されれば、自衛の為に兵を雇うと周囲の目には映るはずであり、決起の為に密かに傭兵を集めている側にしてみれば公然と徴兵出来る口実になる。
「そう、それ!聞いたか?マヨヒガや関所で我々とは別の複数の傭兵団が形成されているそうだ。」
「勿論聞いております。宇宙人と吸血鬼が争うという噂が立ち、戦争にでもなれば傭兵の需要があると言う事で、私と契約した連中の一部も離脱しそちらに流れましたよ。」
「まー人間に組みするのは気が引ける連中もいたからしようがないじゃろう。」
「無理強いはできませんし、そもそも取るに足らない連中でしたから痛くも痒く・・・。それにしても、吸血鬼の小娘に何をさせる気でしょうか?八雲紫は・・・。」
「簡単な話じゃ。運命だよ、う・ん・め・い。八雲紫は妹紅の不死鳥の力を最大限に利用する為に、とてつもない大きな異変をやると思うのじゃが、そんな事が出来るのは幻想郷でも数が限られておるじゃろ?」
「なるほど、大きな異変といえばすぐにその黒幕に名前が上がりそうな八雲紫としては、誰かにその役目を肩代わりして欲しいと・・・。そこで運命を操った事で大きな異変が起こったことにする・・・。しかし、その運命を操作するというのは本当なのでしょうか?到底真実とは思えませぬが・・・。」
「そう噂されているが、私も実のところ眉唾だと思っている。じゃが、この際真実はどうでもよいのだろう。騒ぎを起こした責任を吸血鬼に押し付け後に罪を課して排除する大義名分とするだけだからの。」
「そうなると、運命を操れる事がいかにも本当だという事を幻想郷中に広める為に更なる続報がありそうですね。」
「それは間違いなくあるじゃろう。永遠亭と敵対し、彼らを攻撃する手段として何かしらの運命操作が行われるという感じだろうな。それ故に因幡てゐを離反させ、紅魔館につけさせたのだ。」
「裏の事情を知っていると、相手の考えている事が手に取る様にわかりますな。」
 にやりと口元に笑みを浮かべる妖酔と、それと同じ表情をする慧音。妖夢はそんな2人を見て自分が井の中の蛙である事を改めて思い知った。

 極一部を除き周囲には秘密にしているが、妖酔は吸血鬼の始祖に吸血され純血種となってしまった正真正銘の吸血鬼である。もちろん望んでそうなったのではなく、戦争の最中に捕虜になって吸血鬼にさせらてしまったもので、今でもその身は幻想郷に殉じている。
 妖酔の様に戦時中に捕虜になって吸血鬼させられた者は大勢おり、そのほとんどが血の乾きの拷問で籠絡され寝返っているが、妖酔は最後まで耐え続け餓死する寸前まで耐え抜いたところを、その気概に感服した騎士道精神を持つ変わり者の吸血鬼始祖によって解放されたのである。
 吸血鬼は氏族や血盟によって性質が大きく異なり、邪悪な存在から正義感に溢れる貴族・騎士の様な者もおり、妖酔は運良く後者に囚われていたのである。
 妖酔の様に解放された吸血鬼化した妖怪の数は少数だが存在し、魅魔はその事を隠し戦後吸血鬼との平和条約を結ぶ折りにこの事実を一般に周知させ、吸血鬼との共存の架け橋にしようと目論むが、八雲紫は吸血鬼廃絶を強行し徹底的な弾圧をすべしと訴えたのである。
 八雲紫がその戦後処理交渉で魅魔と妥協しなければ、吸血鬼となった自分も粛正される側にいたので、当時、紫に対して強烈に敵視していた経緯がある妖酔である。
 慧音の万病に効くとされる霊獣の血を飲んだ事で、枯れていくはずの血液が体内で生成される特異体質になり、血の乾き、つまり空腹によって生じる獣性が抑えられ、100年以上血を吸わなくても良い体になり、こうして普通の妖怪と同じ生活が出来ているのである。
「八雲紫の思惑通りにシナリオが進んでいるわけですな。」
「だが、そうはいかん。私も妹紅も、八雲紫の好きにはさせん。」
「藤原妹紅・・・たしか先生のご友人。大丈夫なのですか、彼女は?」
 慧音の前では面識がないがないこととして振る舞う妖酔は、先日妹紅がショックを受けて絶望した様子を目の前で見ているので彼女に何かを期待し託すのは危険ではないかと、その後吹っ切れた妹紅を知らないので心配になる。
「大丈夫じゃ。奴め、私の為にこんなすばらしい助っ人をよこしてくれた。」
 そう言って横に座って正面の妖酔を黙って見ている妖夢の肩を叩く慧音。仮面の奥の瞳がこちらを注視したことに気付き緊張して居住まいを正す妖夢。
「ほう?」
 興味深そうに妖夢を値踏みするように見る妖酔。
「妖夢は見ての通り、半分人間で半分幽霊じゃ。私と同じで、どちらからも見る事が出来る。」
 妖夢はこの内容をかなり端折った慧音の言葉をすぐに理解出来なかったが、妖酔は一瞬で理解した。
「なるほど。人間の歴史を消しても彼女であればどちらも認識出来ると?」
「流石に察しがいいな。こうすれば人間を安全に神社に運ぶ事が出来る。私が先導しても良いのだが、里を空にするのは流石に気が引ける。老人と子供以外大勢神社に移動させるには、安心して強行軍に臨めるよう、里に残る家族の安全を誰かが保障してやらなければならん。風見幽香は確かに護衛としては打って付けじゃが、外妖に里の人間の命を預ける事はやはりできん。」
「先導者がいなければ彼らが自力で無事に神社にたどり着けるか分かりませんし、途中で妖怪を目撃すれば恐れをなしてそのまま引き返してしまうかもしれませんしね。」
 里に残る家族を置いて、危険な博麗神社の道のりを強行軍させるには、残った家族の安全と自分達を守る護衛がなければならない。
 当初、慧音が強行軍を先導し、里妖を中心とした自警団を大勢里に残す計画だったが、行方不明だった風見幽香が里入りし、その後魂魄妖夢も里入りしたことを受けて計画を変更したのである。
 数百年前から里の守護神として不動の地位にある上白沢慧音を里に置き、里でも食品関係の商店を中心にそれなりに顔が知られ、剣を持ち人間から見れば十分強そうに見える妖夢が先導者になる事で全ての不安要素が解消されたわけである。
「里の人間の歴史を消してしまえば、里に戸籍を置く人間が襲われる危険はない。じゃが、消された側の人間は他の妖怪を当然見る事は出来る。いくら自分達が見えてないと分かっていても恐ろしい妖怪の軍勢を目の当たりして人間達が予定通りに行動するのは難しいだろう。ある程度頼りになる者が先導し、時には囮になって人間から危険を遠ざけねばならないのじゃ。というわけで妖夢、頼むぞ?」
 ポンと肩を置かれ、跳ねる様に体が反応しハイと返事をする妖夢。この自分の役割はここに来る前に聞かされていたので今更驚かないが、この大任を無事遂行出来るか正直なところわからない。ただこれが自分をここに寄こした藤原妹紅の期待に報いる事と同時にそれが恩返しにもなると思い、是が非でも成功させたいと思う妖夢。
「彼女は手練れと見受けるが、しかしたった一人で大丈夫ですかな?」
 敢えて手練れなどと言って人間の様に世辞を言う妖酔だが、集団と相対した時、妖夢一人では荷が重いだろうと思い、その事を妖夢に対して失礼にならないように問うが、慧音は言葉を飾らず妖酔の気遣いは徒労に終わる。
「妖夢が未熟で頼りなく思うのは承知の上。だが彼女に期待しているのでは武でなく人心を引っ張る勇だ。これは存分に足りておる。足りない武を少し貸して貰えれば幸いじゃ。今日ここに来た理由がそれなのだ。目立つから多くはいらんが、お前の持ち駒から何とか工面できんだろうか?」
「分かりました。そういう事でしたら私の左右の腕をお貸ししましょう。」
 妖酔は、戦後一時期行方不明だったが、その後人間の里で妖怪専門の店を開き、それを聞きつけたかつての部下だった生き残りの猛者が妖酔の元に参集しており、その中でも妖酔の懐刀的な信頼出来る2人の部下の妖怪を貸すと申し出る。
「そこまでせぬともよいぞ?」
「お気になさらずに。我々の傭兵団はかなりの粒揃い。里は幽香殿に任せられますし、当初予定していた守りの戦力は全て前に出し、妖怪の群れを引き付けます。ぬえという掘り出し物もおり何の問題もありませんよ。」
 揃えた傭兵部隊の質に満足している妖酔。
「ほう?ぬえとな?それは心強い。」
 ぬえは単純に強いだけはなく攪乱なども得意で、数に劣るであろうと予想される戦場において大きな力となりうる。
「他に西側の集団戦に長けた大戦において面識のあった猛者の一部も来ております。心配なのは八雲紫がこうした状況に気付いているかどうかです・・・。」
「その心配ないな。八雲紫は、わしを妹紅とセットで見ておるし、妹紅が八雲紫と手を結んでいるなら、わしも同じと思っておるからの。」
「なるほど。」
 仮に知っていて何もせずにいるとするなら、それは守矢神社との内通を彼らが知らないという目安にもとれる。こちらの挙兵が守矢神社との連携による一種のクーデターであることを知っていれば、必ずこちらの動きを未然に防ごうとするはずである。その気配がないということは、はやり何も知らないのだろう。
「奴等の唯一の弱点は数じゃ。八雲紫と藍は確かに強大で恐るべき存在だが、ただ命令通りに動く僕はいても彼らの為に身を粉にして命ぜられた事以上の働きをする忠臣がおらん。2人とも自分達以外誰も信用しておらんからな。恐らく異変の根回しに東に西に首謀者自らが駆け回って里を監視する余裕はないのじゃろう。」
 頷く妖酔。気付いていれば何らかのリアクションがあってもよいと思うが、それらが全くないのはこちらを見下して無視しているか、忙しくて手がまわらないかのどちらかだろう。そして実際問題、慧音の見解は正しかった。紫も藍も異変に望む上での重要人物との打ち合わせや根回しで自らが忙しく駆け回っており、里を気にする余裕はなく、仮にその余裕があったとしても最初から無視していたところである。
「あ、あの!」
 ある程度話が進み、2人の会話が途切れたのを見て妖夢が口を挟む。
「何だ?」
「一つ聞いていいですか?さっき妖怪の軍勢と戦うような事を言ってましたが、それほど博麗神社までの道中は危険なのでしょうか?」
「お前はつい最近幻想郷入りしたばかりだから知らんだろうが、100年以上前、神社がまだ里にあった頃は里の周辺まで妖怪が人をさらいに来てな・・・。」
「え?そうだったんですか?今の状況からそうは全然・・・。」
「博麗大結界の施行の際、八雲紫が力を使い切って一次離脱して、その後魅魔という強さだけなら八雲紫を遙かに凌ぐ悪霊の大魔導師が幻想郷の運営を預かっていたのだ。彼女は八雲紫の混沌政策から平和政策に切替え、人食い妖怪を東側に追いやるために風見幽香を今の太陽の畑に移住させ東の要とし、里側に危険が及ばないようにしたのだ。」
 幻想郷に入って数年しか経っていない妖夢は最近のほのぼのとした幻想郷しか知らないため、物々しい戦の準備の必要性がよくわからず先程の質問をしたのだが、こんな過去があったとは全く知らず心底驚いた。
「幻想郷に危機的異変が起こり、タガが外れれば東側に追いやられた妖怪達はここぞとばかりに出てくるじゃろう・・・。」
「闇の勢力も間違いなく出てくるでしょうな。」
 妖酔も同意する。
「早ければ明日、遅くても明後日には始まるかな・・・。妖夢、気を引き締めていくのだぞ。」
 慧音がポツリと呟き、次に妖夢を元気づける。それを見て妖酔は複雑な思いになる。この異変が慧音の思惑通りに進めば彼女は必ず幻想郷に仇なす罪人となる。恩人である慧音を死なせたくはない妖酔だが、今の自分にはどうすることもでず、ここにはいない恩人の友人に希望を託すしか無かった。


 博麗神社の建つ本陣山の北側に存在する綺麗な三角形の山、三角山の頂上に神社がまだ里にあった頃境内に建てられていた社務所が移設され、今現在八雲藍の仕事場として使われている。
 幻想郷の結界の修復作業が必要な場合に主であり、幻想郷の創設を直接行った八雲紫を動かして処理をさせるので、実質的な幻想郷の管理者は藍と言っても過言ではない。
 この社務所は外から入る事も見る事も出来ない特殊な結界が施されているが、内から外は見通す事が出来る。そして南向きの社務所の長い縁側からは博麗神社を眼下に見ながら幻想郷の南東部を一望出来る。
 社務所は藍の仕事場であると同時に普段の生活をする居宅でもあり、神社の様子がいつでも見てとれる事から紫のお気に入りの場所となっており普段からここにいることが多い。藍の式神である橙も時々ここに連れてこられているので、実質ここが八雲一家の住処といえた。

「紫様、順調に事が進んでいるようですね。」
「ふふ、私達自らここまで動いているのだから当然と言えば当然ね・・・。」
「こんなによく働く紫様を見るのは久しぶりです。」
 三角山の頂上に建つ社務所の縁側からいつものように博麗神社を見下ろす八雲紫の背中に九尾の藍が話かける。それに応じた紫は自信ありげな感想を述べ満足そうな笑みを浮かべて、仕込みを終えて一息ついた様子を背中に漂わせて機嫌が良い事をさりげなく藍に教える。こういう時は多少の冗談でも不機嫌にならずに聞き流してくれることを藍はよく知っている。
「ふふ、で、他の状況はどう?」
「妖怪達が傭兵団を形成しつつあります。それに呼応して人間の里の方も傭兵を雇って自警団を組織しているようです。」
「まー予想通りの展開ね。」
 彼女達は里の傭兵団がある目的を持って先に形成された事実を知らない。
「山の神様達がこちらの打診に素直に応じたのは意外で、何となく気掛かりですが・・・。」
 紫の親書を守矢神社に直接届けた藍。
「彼らとて背に腹は代えられないでしょうし、条件を付けて取引するよりもこの件で恩を売って後の交渉を有利にする方が賢い判断といえるわ。」
「彼らが後の事まで考えての今回の判断とするなら、いずれ本格的に対決する場面が来るでしょうね。」
「今は、せいぜい恩を売った気にさせておきましょう。この異変が成功すれば必ず天狗側にも変化が起きるわ。起きなくても言いだしっぺのつむじ風が何かするでしょうし・・・。そうなれば山に安住の地はなくなるわ。」
 言いだしっぺのつむじ風とは大天狗比良山次郎坊のことである。
「だと、いいのですが・・・。」
「・・・何か気になる事でもあるの?」
 藍の歯切れが悪い事に気づき、振り返って忠実な式神を見る紫。
「コレ・・・といって明確な理由があるわけではありませんが・・・霊夢が言っていた様に、彼らは本当の神様ではないのではと・・・。」
「何が言いたいの?」
「もし彼らが偽物の神様であるなら、我々の常識は通用しません。追いつめれば形振り構わず動いてくるかもしれません。」
 先日、霊夢と永遠亭の八意永琳を交えた会合の席で、霊夢が守矢神社、特に八坂神奈子について神威がないという感想を述べていた。彼らは外から来た歴とした神様という認識で、感じる力は正に神そのもので疑う余地はなく藍としては霊夢の言葉が全く理解出来なかった。しかし、先日守矢神社に紫の書簡を届けに赴いた際、神社の敷地全体から感じる真新しさや、近代的な母屋の作りと生活様式を下品なものと感じ取り、霊夢の感じている『何か』が見えたような気がしたのである。
「・・・そうね。でも、それはむしろ大歓迎だわ。天狗達のど真ん中で事を起こせばどうなるか・・・彼らが本気を出せば私達だって敵わない相手よ。」
 鴉天狗ごときが束になってかかっても何ともないが、相手が大天狗となれば話は別である。彼らは如来の下、菩薩と同等である。
「そうですね・・・しかし、確実に彼らは何かを画策している・・・。」
「それは分かっているわ。今回の異変で彼ら・・・特に八坂神奈子の尻尾を掴むつもりよ。明確な証拠が掴めればすぐにでも天狗達に討伐を依頼できるわ。」
 珍しく自信なさ気な藍を励ます紫。いつも心配性な自分が藍に励まされるばかりであったが、立場が全くの逆になってしまった。
 この時、八雲紫は僅かだが不安を感じた。
「(かつてない、大きな異変だもの、いつもと違うのはあたりまえよね・・・。)」
 紫はそう自分に言って聞かせて視界の端の薄もやのような些細な不安を無理矢理振り払った。

 事態は既に進行しており、今更後戻りも修正も出来なかった。


 因幡てゐが永遠亭を離脱し、紅魔館に入ったと報じた『花果子念報 第4号 夕刊』の一面に大きく貼られた自分の姿をつまらなそうに眺めるレミリア・スカーレット。その横で妹のフランドール・スカーレットが姉の腕にすがるようにして新聞をのぞき込んで、二人の姉を見比べて楽しそうにしている。そして、そんな微笑ましい様子を横で冷ややかな表情で無視するように眺めるメイド長十六夜咲夜がいた。
「本当にコレで良かったのかしらね。」
 活動時間を昼型に代えた妹と一緒に自室のテーブルで朝食をとった後、食後のお茶を楽しみながら傅く忠実な僕に自分で決めた選択の是非を改めて問いてみる。この質問は起床してから何度もしていたが、何れも不機嫌を隠さない僕から無視され続け、5度目にしてようやく返事が返ってきた。
「因幡てゐの紅魔館入りのあるなしに関わらず、異変の企画者は我々を巻き込むつもりです。どちらに転んでも結果は同じです。」
 主の顔を見ずに素っ気なく応える咲夜。
「昨日はあれほど反対したくせに・・・。」
 素っ気ない返事も、今まで無視されてきた事を思うば一歩進展にたと感じられ、思わずその嬉しさが言葉尻に出てしまいそうになるが、その衝動を抑えつつ空くまで普段通りに素っ気なく応じるレミリア。
「・・・。」
 自分では普段通りの振る舞をしているようだが、咲夜から見ればこちらの発言から返答までの間隔が普段よりだいぶ短く、そこに微妙な焦りが窺えた。これは咲夜に対する罪悪感を持っている現れでもあり、それはすなわち自分の判断に絶大の自信を持っておらず、未だその判断の是非を悩んでいるためである。

 因幡てゐが紅魔館に入り、永遠亭に追われている自身の保護の代償に、蓬莱人の殺害方法を伝えるという取引交渉が行われたが、それを受けた紅魔館側だけの事前会議において永遠亭を敵に回す事に反対する十六夜咲夜と、蓬莱人の殺害方法に興味を持ち、永遠亭との抗争をのぞむ魔法使いパチュリー・ノーレッジの間で激しい討論が行われた。
「でも、お嬢様はわたくしの反対を押し切ってパチュリー様の提案に乗りましたね。」
 少しツンとして見せる咲夜。
「だって、私が成人になるには変化が必要だとパチェは言っていたし、ここで因幡てゐとの縁を切れば、永遠亭とも今まで通りで何も変わらないし何も起こらないわ!因幡てゐと手を組むのは変化のために必要な事なのよ!」
 昨日の咲夜とパチュリーとのやりとりはかなり激しく行われ、事前に変化の兆しを恐れないよう親友の魔法使いに吹き込まれていたレミリアは、咲夜の反対を押し切ってこの論争もこの選択も全て予定通りの作戦である事も知らず、まんまとパチュリーの案に乗ったのである。
 咲夜は自分の案を退けられた後、直ぐにパチュリーの案に迎合する態度は怪しまれると判断し、自分の提案を退けた事を根に持つような態度を取り続け、昨日からずっと不機嫌を装って主の世話をしていたのである。そして、その演技を見抜けないレミリアは咲夜の機嫌が早く直るよう、気を遣って普段より明らかに口数が多くなって何かと声をかけ続けていたのである。
 そんな健気な気遣いをしてくれる主人を愛おしく思う咲夜は、僕としての至福の時をずっと味わっていたかったが、そろそろ可哀相になってきて和解に応じた。
「どんな結果になろうとも、お嬢様が自ら決断し選んだ道であるなら、十六夜咲夜はどこまでもお供します。」
 優しい温もりがふわりと両肩に触れ、背後から心強い言葉が降り注ぐと、レミリアの不安で乾いた心が安心に満たされ潤っていく。
「(よかった・・・。)」
 立場上、フランドールの様な無邪気な子供として振る舞えず、だからといって大人になりきれず子供という堅い殻を破れずにいるレミリア。どんなに気高く大人びた振る舞いをしようとしても、家族とも呼べる身内の中ではつい甘えが出て子供の部分が表に出て来やすくなる。

 藤原妹紅は肉体的には二次成長前のいわゆる子供であるにもかかわらず老練で逞しい中身が隠されているわけだが、それは長く生きる事によって生じる妖力によって肉体が強化されている為でもあり、見た目と中身は一致しない。
 レミリアの場合、魅魔のかけた強力な呪いによって肉体も精神も、あらゆる成長要素が強制的に止められており、本当なら妹のフランドールの様に無邪気なままの姿でもおかしくなかった。彼女を大人に見せ誇り高い態度を取らせる要因は、生まれ持った王者の血統なのである。

 最も信頼する最愛の僕の素っ気ない態度から気持ちが乱れていた頼りないレミリアだったが、和解の態度を示された事で安心し普段の姿を取り戻した。そんな主の姿を見て安堵した咲夜は、他の用件も済ませなければならない為、一先ず姉妹の元を後ろ髪引かれる思いで離れた。
 廊下に出た咲夜は数歩進んだところで立ち止まり主の部屋を振り向く。
「お嬢様はやはり気づいていない・・・。」
 因幡てゐ来訪の最初の会見で、対するレミリアに向けられた言葉から異変発動に関する重要なキーワードがいくつか与えられ、主が無意識の内に暗示に掛けられていることを十六夜咲夜は気付いていた。
 藤原妹紅によってこれから起こるであろう異変の種を明かされているから気付き得た事であり、何も知らされていなければ恐らく主と同じで全く気付く事は出来なかっただろう。
「全くもって巧妙な・・・。」
 因幡てゐは、紅魔館来訪時にそこに至る経緯とその後の目的を説明し、レミリアと紅魔館にその協力を求め、にわかに信じられない蓬莱人殺害の方法を交渉の席に着かせる手土産として先に伝える。

 『蓬莱の薬』という『薬』の効用によって不死身になったのであれば、その薬の効用を消す『解毒剤』の役割を果たす薬、或いは物質があって然るべきという因幡てゐ独自の考えに基づき、そうした情報を求めて永琳の目を盗んで永遠亭を探索し、積極的に探し回ったわけではなかったが、ある時偶然その存在を突き止めたという。その事がばれたてゐは永琳の逆鱗に触れ今回の重傷に繋がったと、まだ顔の傷が完全に癒えない姿でこんこんと語る。
 そんな重大な秘密を知って尚、殺されずに済んだのは、その『ある物』が今現在月に保管され、地上の民の手に届かない場所にあるため、『ある物』が使われる危険性が皆無で、実害が無いという判断が働いたと、てゐの言葉を怪しんで問い質しだパチュリーに冷静に説明していた。

 てゐは、月にあるその『ある物』を取り寄せることが出来れば、八意永琳らに復讐出来ると目論見、それが出来るのは幻想郷では八雲紫のスキマの能力かレミリア・スカーレットの運命操作だけだと判断し、こちらからの接触が事実上不可能な八雲紫との交渉は出来ないと判断し、紅魔館に話を持ちかけたというわけである。

 この時、因幡てゐは見つけた資料の中に描いてあった『ある物』について形状だけを掻い摘んで説明した。

 『金属的な黒い光沢を持つ球形の物体』

 それらの話が『ある物』以外全て作り話である事は咲夜もパチュリーも理解していたが、主はそれを知らない。
 その話を聞いた主レミリア・スカーレットは、その『ある物』を自分なりにイメージした事だろう。咲夜は、事前に解毒剤という言葉を聞いていたので、咄嗟に薬・丸薬が頭に浮かんだが、恐らく主も似たような物をイメージしたはずである。
 蓬莱人を滅ぼす切り札『金属的な黒い光沢を持つ球形の物体』を月から幻想郷に移動させる。物と場所の位置関係がはっきりしているなら、その作業自体は運命操作でどうにでもなる事だった。
 その後、因幡てゐを外した咲夜とパチュリーの3人で今後の方針を考える会議を開き、そこで因幡てゐの紅魔館入りに反対する役を受け持った咲夜と、レミリアの変化の絶好の機会と考え、因幡てゐを入館させ永遠亭との抗争も辞さないとするパチュリーとの間で激しい偽りの論争を展開させ、今後変化が無く無為に時を浪費すれば咲夜は何れ寿命で死ぬと先にパチュリーに吹き込まれていたレミリアは苦悩の末『変化』を推すパチュリーの提案を2人の予想通り採用し、因幡てゐ紅魔館入りが決まったのである。

「最初の話を聞いた時点で、向こうの勝ちか・・・。」
 てゐの役目は紅魔館に入ることではなく、異変の核となる『ある物』が確実に月に存在している事を報せるだけで良かったのだ。
 これでレミリアの運命操作が働く下地が出来、後は強くそれを念じればいい。
「ただ頭の中にあるだけでは駄目ね・・・それが必要になる切実な状況にならないと・・・。」
 それは恐らく簡単だろう。永遠亭が因幡てゐを倒す為に立て籠もる紅魔館に攻めて来て、多大な被害、例えば親友や妹、或いは僕が死ぬような状況に導き、蓬莱人殺害の切り札を使わざるを得ない状況を作り出せばいいのだ。これで例の『ある物』は無事幻想郷に召喚されるはずで、それは恐らく彼らの作った異変発動のシナリオで間違いないだろう。
 藤原妹紅から相手の策に乗れと事前に言われているので、今は冷静にしていられるが、知らずに策に嵌ればどうなっていただろうか?背筋に冷たいものが走る。

「でも・・・。」
 咲夜はニヤリとする。八雲紫も八意永琳もレミリア・スカーレットが自ら望んで変化しようとしており、『ある物』を彼らの思惑よりも先に召喚しようとしている。いや、もう既にしているのだ。先程、咲夜との和解でレミリアから不安が取り除かれた正にその時。
「召喚させられるのではなく、お嬢様が自ら召喚するのよ。」
 運命操作の力は世界そのものを支配できる強力な力であるが、未来を創る、支配するといった強い動機と意志、そしてそれを実行するために必要な知識と器量が備わっていなければ到底為しえないものである。
 鳥籠のような幻想郷とその中にある巣箱である紅魔館に半ば幽閉されている状態では、そのような意志や知性は育つわけがなく、更に小さな子供の肉体のままでは危険や無理を本能的に回避しようとするので、尚更困難である。
 今のレミリアが出来る運命操作による事業は、一定の軌道で漂う小さな星屑の欠片の運行に干渉して幻想郷の上空に落とし、妹の力でそれを破壊してみせる事くらいしか出来ない。そして、それをするためにはパチュリーによる小天体の軌道計算が必要で、たまたまそうした小天体が付近になければ成立しないわけである。
 レミリアは以前、紅霧異変で博麗の巫女に敗北後、汚名返上も兼ねて自信のアピールのためにそれをやって見せた事で『運命操作』の能力を衆目に晒し、周囲に畏れを抱かせる事に成功した。
 この事実が、八雲紫の異変において運命操作を利用されるきっかけとなったのは言うまでもないだろう。

「このまま放っておけばお嬢様の力は誰かに利用され続けるだけ・・・。一刻も早くお嬢様を成人にさせ、本来の力を取り戻さなければ・・・。」
 今回の異変の発動がレミリアの運命発動によるものが確定すれば、八雲紫にしろ八意永琳にしろその力を自分達の都合で使うようになるかもしれない。それではあまりにも主が惨めであり僕としてそれだけは絶対に許してはならない。
 咲夜の中で闘争心がマグマのように煮えたぎり、無意識に恐ろしい表情になっていた。そして、窓に映るそんな自分の表情を無視してガラスの向こう側を見やり視線を何もない空に向ける。
 変化を望む主の心に呼応して、点で存在する各事象は線で結ばれ、やがて月から何か落ちてくるのだ。
 この時、因幡てゐの言葉通り『丸く堅い光る物体』が幻想郷に落ちてくる事、いや既に落ちて来ている事を十六夜咲夜は察知していた。


 翌朝、幻想郷に『紅魔館、永遠亭に宣戦布告か!?』という見出しの『花果子念報 第5号』が出回った。
 紅魔館の主な面々、スカーレット姉妹、メイド長十六夜咲夜、魔法使いパチュリー・ノーレッジ、門番の紅美鈴、そして因幡てゐの6人が一面に同じ枠内に収まっている、まるで永遠亭を挑発するような写真と記事と見出しは衝撃的で、誰もがこの2つの勢力間でなんらかの衝突があると予想し、そしてそれを熱望した。
 東側の事情に疎い西側、正確には妖怪の山の南、幻想郷全体でいえば南西部にいる妖怪達は、紅魔館や永遠亭という聞き慣れないキーワードを理解する為に情報収集に躍起になり、自称情報屋が爆発的に増え、真偽入り乱れて錯綜し有る事なす事様々な情報が波紋の様に広がっていった。

 人間の里においては、突然の酒蔵の監査、転じて酒祭り、さらに戦争と急転する状況と、新聞報道や様々な噂に翻弄されており、毎晩の様に商工会館で集会が行われ、上白沢慧音は常にそこに顔を出して人心を落ち着かせるために精力的に働いていた。
 これまで秘密裏に進めていた里でも一部しか知らない傭兵募集は公然と行われるようになり、それに伴って妖酔乃瀧で隠蔽されていた傭兵達が大手を振って外を歩けるようになり、この近辺では見かけない武装した外妖も多く目にするようになった。

 夕刻になると闇夜の恐怖と不安に駆られた里の住人達が、集会所としても利用している商工会館に集まり、特に誰かが音頭を取って仕切るわけでもなく、自然に待合室や玄関先で話し込む輪が出来上がる。更に人が増えると広い会議室に場所を移し終わらない議論が続く。
 商工会館の隣に広い敷地があるが、そこは博麗神社跡地で祭などの催しに利用されている。
 博麗神社があった博麗大結界が施行さる以前は、何かあると社務所に住人が集まって神主らが取り仕切って会合が行われていた。今現在神社は遠く本陣山にあり、移設してから100年以上が過ぎて寿命が短い人間の最長老格の数名が魔法の森を通って参拝した記憶を辛うじて有している程度で、博麗神社という存在は里にとってお伽話に出てくる遠い存在となっていた。
 その一方で、里には純粋な人間以外に人間と同化して暮らす妖怪及び人間との混血妖怪が存在するが、何れも長命で博麗神社が里に存在した当時の事を覚えている者も大勢いた。

「いったい、幻想郷はどうなってしまうのか・・・。」
「祭りどころではないな・・・。」
「なんでもマヨヒガや関所は妖怪でいっぱいらしい。どさくさに紛れて連中が里に攻め込んでくるかもしれんぞ。」
 弱い人間達の口から出る言葉はどれも後ろ向きで、世も末といった様子である。
 そんな中、一人の里妖がポツリと呟いた。
「困った時の神頼み。神社に相談にでもいけばいい。」
「神頼み?」
 そこで人間達から笑いが起こる。
「何だそれは?」
「神様に何が出来ると言うんだ。冗談も大概にせー。」
 この言葉を受けて発言した里妖は目を丸くした。これは本気で言った言葉であり、それが冗談と受け取られるのは甚だ心外である。大人しい里妖といえどバカにされれば怒り喧嘩になる。しかし、この時その里妖は怒りよりも驚きの方が勝り唖然とした。
 つい100年前までは、困った時の神頼みと、何かに付けて神社を頼っていた里の住人が、今ではすっかり神様を信用していなくなっていたのである。
 神社との接点がなくなって100年が経ち、神主や巫女が見せる神の力から遠ざかって世代が代わり、寿命の短い人間はすっかり神様との縁が途切れてしまっていたのである。とは言っても神様という存在が彼らから全く無くなったというわけではなく、落ちぶれた豊穣の神や厄神といった妖怪にも劣る様な神様は里周辺でも目撃されている。
 人間にとって神様とは、妖怪以下の存在という認識で固まっており、先程の妖怪が発した「困った時の神頼み」は人をバカにした悪ふざけの冗談か、場を和ます為の戯れ言にしか聞こえなかったのである。
 上白沢慧音は、その一連の会話を少し離れたところで聞いていた。
「(やはり、神離れは深刻だな・・・もう一度人と神との絆を復活させなければ、霊夢が何をしても何も始まらぬ・・・。)」

 この会話を聞いていたのは慧音だけではなかった。
「今の聞いた?」
「ああ。」
「平和ボケというやつかしらね。」
「わしはボケでもハゲでも平和ならそれはそれでいいと思うがのー。」
 商工会館に隣接する博麗神社のあった広い敷地。今は酒などの保管場所で立入禁止になっているが、そこに風見幽香と伊吹萃香が酒盛りをしていた。鬼の萃香は体を小さくして酒桶で泳いでおり、酒盛りというよりも水浴びならぬ酒浴び状態だった。
「ところで幽香、わしに何の用だ?ただ酒を飲みに来たわけじゃなかろう?」
「ええ、ちょっと萃香に頼みがあってきたの。」
「断る!」
「ちょっと、何も言ってないでしょ?」
「どっちかに付けという話しだろう?わしは中立じゃ。誰の敵にもならんし、誰の味方にもならん。」
「誰の味方も無く孤軍奮闘している子がいたら味方したくならない?」
 ちゃぷちゃぷと酒桶で泳いでいた萃香は、その言葉に反応して泳ぐのを止め、桶の縁に腕を乗せて話を聞く態度になる。
「孤軍奮闘?藤原妹紅のことか?」
「いいえ、彼女には沢山の味方がいるわ。」
「では誰だ?そんな者どこにもおらんぞ?」
「いるわよ。」
 風見幽香は、そう言って持参してきたガラスのコップの中の酒を喉に流し込んで、足を二回鳴らす。
 萃香は桶から乗り出して幽香の鳴らした地面を覗き込む。そんな手に乗る程の小さな萃香をつまみ上げた幽香は、彼女を自分の肩に乗せる。
「地面がどうかしたのか?」
「幻想郷よ、げ・ん・そ・う・きょう。」
「幻想郷?ふーむ、幻想郷は今、誰にも守って貰えず孤軍奮闘中か・・・。」
「みんな自分だけの思惑しか見てないわ。大きな、大きすぎる異変の力を幻想郷という世界が支えられるか誰も気にしてないのよ。」
 妹紅の不死鳥の転生による事実上の大爆発、それを防ぐ紫と霊夢らの結界。その爆発の中に八意永琳の巨大要塞。思惑通り事が進めばいいが、万が一少しの手違いが生じれば、地上は大惨事になるかもしれない。そして、八雲紫の企みは大抵の場合失敗する。その紫の失敗の尻ぬぐいはいわば風見幽香の役目のようなものだが、今回幽香は人間側について里を守る役目を負う立場を明確にしてしまっていた。つまり、紫の失敗の尻拭いは今回は出来ないということである。
「幽香が分かっているなら幽香が幻想郷の味方になればいいじゃろ?」
「私は人間についたわ。だからその役目貴女に頼みたいのよ。」
「・・・風見幽香直々の頼みとあっては断れんが・・・味方になると言ってもいったい何をすればいいんだ?」
 萃香は幽香の言わんとしている事を理解し協力する気になった。
「そう言ってくれると思ったわ。じゃー早速この中に入って。」
 そう言って幽香は中にぎっしりと何かが詰まって重たそうな大きな袋をどこからともなく取り出し、その袋の口を開いて、肩の上に乗っている萃香に中身を見せる。
「ん?これは・・・ヒマワリの種か?」
「ただのヒマワリの種じゃないわ。私が特別に改良を施した巨大ヒマワリの種よ。」
 風見幽香には万が一に備えたある策があった。