東方不死死 第62章 「孤高こそ最強の証」
人間の里から東に少し離れた街道の真ん中に2つの影が対峙していた。藤原妹紅と風見幽香である。
「何か用?」
防御要塞を攻撃中、吸血鬼の少女フランドール・スカーレットの襲来を受けた妹紅は、その直後地上から何者かに狙撃をされた。この攻撃は犯人と目星を付けた妖怪からの招待状だと理解した妹紅は、その真意を確かめる為にやってきたのだ。
犯人と決めつけられ、実際犯人である風見幽香は、異変直前まで妹紅の家に数日滞在し交友を深めたが、その後里に協力する為に妹紅と距離を置いている。里の守護神上白沢慧音と妹紅は今現在離別状態なので里に協力する幽香とは個人的な仲はともかく体面的には友好関係ではない。だからこそ、幽香から『友好的に』呼び出しを受けたと分かっていても一応中立の立場で彼女に臨むわけである。
「妹紅こそ何をしているの?あれを壊すつもりなの?」
赤い服と白い花のような日傘のいつもの幽香は、異変の直中にもかかわらず、まるで午後の散歩でも楽しんでいるかのように、機嫌良さそうに日傘をクルクルと回しながら腰を揺らしていた。
「壊すつもりはない。ただ・・・。」
「ただ?」
「パージさせたい。」
「パージ?この状況で?何の為に?っていうか、あの程度じゃパージなんてするわけないじゃない。」
「スキマ砲を失敗させたいんだ。」
「失敗させてどうするつもりなの?失敗したら幻想郷が滅ぶんじゃないの?」
妹紅の真意を知る幽香としては聞かずなものであったが、妹紅に組みする側ではない立場にあることを明確にするために敢えて妹紅の行為を否定する。
「スキマ砲が失敗すれば魔理沙が直接突入するはずだ。あんたの代わりにな。」
「なるほど、魔理沙をそこで殺すわけね?でも、それじゃ消し炭になって蘇生は無理よ?」
「そうさせない為に、脱出時に殺る予定だ。結果としてスキマ砲は失敗しても異変はちゃんと解決する。」
「ふーん。」
ある程度事情を理解している幽香は話しをするきっかけだけの話題を一度そこで切り、空の防御要塞を日傘から顔を半分だけ出して見上げる。そして次に妹紅に向き直った時、先程から一番気になっていた異変とは全く別の問題に触れる。
「ところで、その娘何なの?」
「ん?フランの事か?」
「いつからそんな仲良しになったの?」
「私と妹紅はずっと前から仲良しだよー!」
母に甘える幼子の様に風見幽香と対峙した時からずっと妹紅の後ろで腰にしがみついているフランドールが、自分の話題が出たのを受けて話しに割って入り、最後に幽香に向けて『あっかんべー』をする。
可愛い物好きの幽香としては、そのフランの態度に怒るどころか、あまりの可愛らしさに家に持って帰りたくなる衝動にかられてしまう。
「そういえば、妹紅が更生させたんだっけ・・・。」
フランドールの件は魅魔とパチュリーを引き合わせた後にパチュリー本人からその話題を出して隣でそのやりとりを聞いていたので事情はほぼ把握していた幽香。
「ここまで変わるとは思ってなかったけど・・・。」
悪魔が天使に・・・そう例えたとしても言い過ぎではない極端な変化である。
「で、今のままじゃパージなんて何千年経っても無理よ?どうするの?」
一先ず事情を理解した幽香は話しを要塞のパージの件に戻す。
「もっとパワーを出すさ。」
「やめておきなさい。」
「何故?」
「妹紅の力は強いけど無駄に拡散するわ。装甲の破片が飛び散ったら幻想郷中に被害が出るでしょ?」
妹紅は人間の妖術使いとしてデリケートな攻撃を行えるが、妖力を使った単純なパワーを要する羅刹の力は強すぎて破壊の余波が拡散してしまう。幽香の指摘は最もでそのことについて考えないわけではない妹紅だが、背に腹は替えられないと判断する。
「この際仕方がないだろう?」
妹紅は口調が男っぽくなるが、この特有の臨戦態勢は幽香もよく知っている変化だ。
「もし、それをやるつもりなら黙ってはいないわよ。」
「やろうってのか?そういえばここ、お前の首をへし折った場所だな。」
「ふん!二度と同じ手は喰わないわ。」
幽香は幻想郷を維持管理する側の立場にあり、妹紅の破壊行為は看過できないのだ。
二人は眉を吊り上げ睨み合う。その様子を不安げに窺うフランドールは妹紅にしがみつく腕の力を無意識に強める。妹紅はそんなフランの不安を感じ取り、熱くならないようにもう一度冷静になる。
「魔理沙を更生させるには、ただ殺して蘇生すればいいってわけじゃない。」
人は死に直面した時、様々なものを見る。それを見て黄泉がえりした者は必ず人生観が変わる。妹紅は人の道を踏み外して死に、中途半端に生き返って妖者に半分なりけている魔理沙を人として完全復活させようとしているのだ。
「スキマ砲を失敗させる事で傷つく人がいる事を忘れてない?私にとっても魔理沙は大切よ?でもそれと同じだけ、紫も魅魔も、この幻想郷も大切なの。」
人間の妹紅が人間の魔理沙を大事にすると同じ様に、妖怪である風見幽香は仲間でもある八雲紫らを同じく大切に思っている。
「だったらどうすればいい?」
妹紅にしても幽香が挙げた名前は皆大切なものだと分かっている。しかし、全てをすくい取る事は出来ない。優先順位がある。ジレンマである。
「私なら、幻想郷に被害を出さずに要塞をパージさせる事が出来るわ。」
「本当か?」
思いがけない提案が幽香の口から出る。他の誰かが言った台詞なら眉唾と疑うところだが、最強の妖怪の口から出る言葉にはそれだけで説得力があった。
「でもやらない。だって、それは紫を裏切る事になるかもしれないから。」
「里に荷担してる時点で紫の敵、私と同類だろ?」
「何事にも限度、超えては行けない線があるのよ。」
風見幽香と妹紅は抗争の後和解して以後は親密な関係になった。風見幽香は藤原妹紅の数少ない理解者の一人として協力的な立場にいる。だからこそここに呼んだのだ。そして招待しておきながら妹紅のやろうとしていることを真っ向から否定している。この相反する態度に何か違和感を覚え始める妹紅。
「・・・。」
妹紅は幽香の心情がある程度見えてきた。どちらにも協力したいがどちらにも傾きたくないのだ。そしてこうした問答を繰り返すのは、協力する為のもっともな理由を導きだし自分に与えて欲しいという願望があるからだ。
「・・・どうすれば私に協力してくれる?」
強者は筋を通したがる。幽香は協力しなければ自分自身が不名誉になるような理由を欲しがっている。妹紅は、自ら歩み寄る作戦に出た。
「・・・そうね・・・。」
幽香には妹紅に協力する為の代償となる行為を一つ考えており、それをさせるためにここに呼んだのだ。
「私の前で膝を折り、両手をついて額を地面に擦りつけなさい。」
「は?!・・・土下座しろってことか?」
「人間がものを頼む時はそうするものでしょ?」
挑発するようにニヤニヤ笑う幽香だが、妹紅には演技しているように見えた。
「土下座なんていくらでもしてやるぞ?」
霊格の極端に低い妹紅は強者に下げる頭はたくさん持っている。妹紅にとってはお安い御用であり、簡単過ぎて拍子抜けする。
「ダメ!あんなやつに頭下げちゃダメ!」
フランドールにしてみれば風見幽香は知らないおばさんでしかない。そんな相手に恩人の頭を下げさせたくはない。
「フラン、離れてろ。」
「いや!」
「フラン!」
妹紅は腰にしがみついて身体の左側から顔を見上げているフランに、縦に瞳孔が割れた羅刹の凶眼を向ける。
「ひいいいいいぃぃぃぃ!」
流石のフランも強烈な負の力に怯えて咄嗟に妹紅から離れる。
一瞬で元に戻った妹紅は数歩前に出て幽香の前にゆっくりと膝を着き幽香を見上げる。妹紅は人に物を頼むわけだから土下座することに抵抗はないが、代償としては安すぎるのではないかと勘ぐってします。ただ筋を通すだけに幽香が土下座を強要しているだけとも思えない。これには何か意味があるのだろうか?
「本当にこんなのでいいのか?」
「ええ。これは、単なる礼儀の問題ではないわ。私の力を引き出させる為に不可欠な事なの。」
「・・・よく解らないが、わかった。」
妹紅は無理矢理納得し頭を下げて土下座をした。
「お願いします。私に力を貸してください。」
幽香は足下に小さくうずくまる妹紅の姿を見て身体の芯が熱くなっていくのを感じ、込み上げる高揚感に我慢出来ず高笑いを始めてしまう。
「やっぱりこれよ、この感じ。相手を支配し服従させる強者のみが得られる至福!」
風見幽香は月面戦争の窮地に眠っていた力が覚醒し、強大な力が目覚めたと同時に性格も一変して所謂サディストとなった。
しかし、博麗大結界で八雲紫が一端幻想郷から離れた後、幻想郷の運営を任された魅魔が吸血鬼との和解・平和政策に転換したため、彼女に協力する立場をとった幽香は大人しく振る舞うようになった。そして長い平和の中で性格も丸くなってしまったのである。
「最近、どうも丸くなっちゃって、自分でもちょっと気になってたのよ。でも、これなら本気が出せそうね。」
幽香はそう言うと邪悪な笑みを浮かべて、仕上げとばかりに地面に頭をこすっている妹紅の後頭部を思い切り踏みつける。この屈辱的な状況を妹紅はぐっと堪える。
妹紅は幽香との短くも濃密な付き合いの中で彼女が他の妖怪よりも人間に近い変な妖怪だと捉えていた。しかしこの認識は間違いで、実は平和ボケで腑抜けてしまった後の姿で、今ここにいる幽香が本来の妖怪としての風見幽香なのだ。
土下座そのものに意味があるのではなく、幽香自身が相手を下に置き支配する事が重要だったわけである。
妹紅は納得し敢えてこの屈辱を受け続けたが、妹紅に大恩あるフランは我慢出来ず風見幽香に飛びかかろうとした。
「やめろ!」
妹紅は再び羅刹となって下げた横顔から少しだけ見える片眼の力だけでフランの動きを止めた。
「あー気持ちよかった!」
そんな2人のやりとりなど気に留める様子もなく空腹を満たされた食べ盛りの子供の様に無邪気な笑みを浮かべる幽香。そして、妹紅の後頭部に乗せた足を戻すと、腕をとって立たせる。
「リミッターも外れたし、約束通りパージさせてあげるわ。」
「・・・すまん、恩に着る。」
土下座させられた上に頭を踏みつけられては流石の妹紅も面白くなく、憮然としながらも一応礼を言う。
そんな妹紅を見て幽香は穏やかな表情を向ける。
「・・・それから妹紅、これは恥をかかせた貴女に対するお詫びでやるのよ。頼まれたからやるんじゃないの。だから私に対して感謝したり恩を感じる必要はないのよ?」
「・・・ふっ。」
妹紅は思わず吹き出しそうになった。
「な、何よ!」
妹紅は幽香の心情を完全に理解した。本当は妹紅に協力してやりたくてうずうずしていたのに、自分から協力を申し出ると、妹紅に対して恩を売る事になる。基本的に寿命を持たない妖怪にとって恩を売ったり受けたりすることによって生じる関係性は、生涯付きまとう大きな問題になるのである。
妖怪の間では対等の関係を維持したい相手に対しては、恩を受けたい側に対して恩を売る側が恥をかかせたお詫びしとしてチャラにするという風習がある。一見人間の文化圏内にいる風見幽香だが、やはり妖怪の文化圏の生き物なのだと妹紅は改めて知った。
「パージは幽香に任せていいのか?私に何か出来る事は?」
「一つだけ妹紅にやって欲しい事があるわ。」
妹紅は幽香の雰囲気が変わっているのに気付いた。何か変なスイッチが入った感じだ。人間も同じだが気持ちの乗り方で姿が変わって見える。
今迄どちらかというと他に干渉せず状況対処的に力を使っていた幽香が、自ら望んでその力をある目的の為に使おうとしている。
「何でも言って。」
「あの要塞の装甲のほんの少しでいいから、表面の鏡面処理された装甲を溶かして欲しいの。」
「そんな簡単なことでいいの?と言うか、それくらい自分で出来ないか?」
「私の使える能力では無理よ。それくらいあの鏡の様な装甲は厄介なの。」
「分かった。さっきも粉微塵にしてやったから余裕よ。」
「いい?ほんの少しよ?これ重要。」
「何でそんな面倒な・・・。」
「別に穴が大きくてもいいけど、装甲としての体裁が保てなくなった時点で装甲は破棄されるのよ。そしたら新しい装甲が下からせり出してしまうわ。そうさせない為には装甲として機能する程度に穴が小さい方がいいの。」
「どんな強固な堤防も、蟻の一穴で決壊する・・・か。」
「そういうこと。」
妹紅は幽香が何をしようとしているか分からなかったが小さい穴を空けるというオーダーは了承した。
羅刹の力で装甲を殴っても衝撃は波紋の様に拡散する。内部に力を貫通させるには力を一点に集中した方が効率がいいし、幽香はその為の楔を撃ち込みたいのだろう。
「・・・よし、さっそく行って来る。」
「あ、妹紅・・・。」
飛び立とうとして身体が宙に浮いた妹紅を呼び止める幽香。
「ん?何?」
少し雰囲気が違うので妹紅は驚いて真顔で幽香を見る。
「必ず戻るのよ。自爆してこれでお別れっていのは無しよ?」
妹紅が自爆する作戦は新聞報道によって既に幻想郷中に周知されている。その自爆で消し飛ぶ妹紅のその後の事を誰一人案じる者はいなかった。一人を除いて・・・。
妹紅は振り向いたまま驚いたような顔をし、次に照れ隠しの為不貞不貞しく笑った。
「必ず戻る。」
妹紅は口に出してはそれだけで、心の中でありがとうと礼を言いそのまま飛び去る。
一人残された風見幽香は妹紅の後を追うフランが一度こちらを振り向いたのを受けてわざとらしく手を振ってみせる。最後にもう一度可愛い『あっかんべー』が見れて満足する可愛いもの好きの極悪妖怪は真顔に戻る。
「・・・さて、これで私も正式に異変にエントリーしたわけね。紫には悪いけど妹紅に土下座させた手前、協力しなければいけなくなったわ。」
自嘲気味にクスリと笑う幽香。妹紅はこの異変において紫を欺き勝ちに行くつもりであるが、異変が終わればその後始末はきっちりつけると信じて疑わなかった。
「派手にぶちかますとしましょうか。」
幽香は今回の異変ではあくまで第三者の立場を貫こうとしたが、妹紅を完全勝利に導く為には自分の力が不可欠だと思い至る。思えば初めて妹紅と対峙し簡単に首をねじ折られた時からこうなる運命だったのだ。
異変に参加したと言う事は、念のためと蒔いておいた種も実を結ぶ事になるだろう。萃香に頼んでいたアレや、エリーに命じたアレも・・・。
そして、それはすぐに現実となって目の前に現れる。
「幽香ちゃーん!」
幽香が腕まくりをして事を始めようとしたその時だった。背後から聞き慣れた声がして振り向く幽香。
「あ、エリー、ちょうどいいところに・・・そっちの首尾はどう?」
そこにいたのは西洋の女死神、エリーだった。
「言われた通り配置についたわ。でも、本当にこのままでいいの?東の連中みんなこっちきちゃって戦争始まってるけど。」
「全て予定通りよ。」
「ふーん。ところでこっちに来る人間の代表者は誰なの?名前がわからないと美味しくいただけないわ。」
「魂魄妖夢よ。」
「こんぱくようむ・・・ね。了解、了解。ご褒美は一日幽香ちゃん独占権だから忘れないでね。」
「わかったから、早く行きなさい。」
「きゃー楽しみー!約束よー!」
突然現れて、すぐに消えるエリー。
「全く・・・相変わらずね・・・。」
八雲一家や紅魔館そして永遠亭などと同様に、あまり知られていないものの風見幽香にも彼女固有のファミリーがいるのだ。
風見幽香と死神エリーのやりとりなど感知していない藤原妹紅は、何故か追いかけてくるフランドールの気配を敢えて無視して、要塞の最も地上に近い場所にある装甲に辿り着く。
妹紅は術を込めていない空の呪符、素符の束をモンペから取り出すと、口から呪文を吐き出して新たな効果を呪符に書き込む。
その呪符を六角形の装甲の真ん中を中心にして外縁に沿って円形に呪符を一定の間隔を空けて並べて配置する。一枚の直径が200メートルもある装甲なので、大量の呪符が必要になったが、妖夢を里に仕込んだ後の空いた数日を利用して大量に準備していたのだ。
妹紅は準備が整うと同時に大きく息を吸い、永遠亭との決戦の時と同様身体を風船の様に膨らませる。
ビックリしている背後のフランを一瞥した妹紅は、危険だと警告せずとも炎と熱気に耐えられず逃げると予測し、そのまま予告なしに一気に炎を吐き出した。
なるべく炎が拡散しないよう口をすぼめて吹き出された炎は螺旋を描きながら線状に真っ直ぐ装甲の中心に命中し、そこから四方へ拡散して装甲の表面を広く炎で包む。
幽香からの注文は僅かな面積との事だったが炎は拡散し装甲全体を熱く燃やしている。
遙か上空で行われているその状況を地表から見ていた幽香は、注文通りではない状況にもかかわらず妹紅を信じて疑わず、自分のやるべき準備を始めた。
「はああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁー!!」
左手を前に出して何か丸い物体を掴むような手の形を作り手首を返して掌を上に向けると、そのまましばらく妖気を集中する。周囲に強力な妖気が発生し、目に見えない妖力の竜巻が発生する。その中心で風見幽香は更に妖気を振り絞ると、こめかみの血管が浮き出て白目が充血し人相が変わる。奥底に眠る古の力を呼び覚ますこの世で最も強い妖怪は、千年ぶりにその真の力を解放した。
妹紅の吐き出す炎と熱を避けるように地上方面に逃げる様に降りてきたフランドールは、今度は下から強い妖気が沸き起こるのを感じ慌てて振り向く。
見ると自分のすぐ斜め下に透明のゆらゆらとした空間が現れていた。よく観察してみるとそれは無色透明の液体、つまり水の塊だった。警戒しながらゆっくり近づくと急速に膨らんで直径が数メートルから一気に数百メートル四方に膨れあがり、油断したフランドールは逃げ遅れて空中の水のプールに一度のまれしまう。直ぐにそこから飛び出したフランドールは、更に大きくなり自分に迫ってくる水の塊から逃れるように全力で回避し、この水の塊を作り出したと思われる地上の風見幽香、目の前の巨大な宙に浮かぶ水のプール、上空で炎を出し続ける妹紅を直線的に見れる位置まで避難した。
「な、何が始まるの?」
自分の立ち入れない空間がそこに構築されている事を肌で感じるフランドール・スカーレットは、ここに居ては危険だと直感するが、これから起こる何かに対する好奇心がそれに勝ってしまう。
「さぁ、妹紅、こっちの準備は出来たわよ。そこからどうする?」
要塞の装甲に針の穴ほどの小さな範囲だけを溶かすという課題は今のところ達成されていない。しかし、幽香は必ず妹紅が満点で課題をクリアすると信じていた。
妹紅は背後の凄まじい妖気を感じながら妖力の膨張が止まった事を受け、幽香の準備が整った事を知り、予め施していた呪符を解放する。
装甲の外縁に沿って敷設された呪符が装甲の熱を吸い取り蓄積した熱を外側に放熱させる。あまりの高温に自然発火してゴーという爆音を上げて装甲の中心から外側に向かって放射状に呪符から炎が吹き出され、それと同時に装甲の表面が急速に冷え始める。強制的な熱移動で外側から中心に向かって急速に熱が奪われる装甲は、やがて炎を当て続ける極狭い範囲だけが高温を保ち、それを見て妹紅は温度を上げ4000千度を超えた時点で融解し小さな穴が空く。
差詰め火を掛けた鍋底な光景の中で妹紅が行った行為に幽香は感嘆の声を上げる。
「流石妹紅、こんな方法があるなんて驚きだわ。それじゃ今度は私の番よ。」
思っても見なかった方法に触発され、俄然やる気が出る幽香だった。
「おい!みんな見て見ろ!」
紅魔館のバルコニーで空の棺桶を見ていた魔理沙が、会議室にあてられた部屋に駆け戻って席についている面々に外に出るよう呼び掛ける。
つい今し方強烈な妖気が発生したことは会議の参加者は皆認識していたが、異変解決のシナリオにこのような予定は無く、裏で繋がっている者同士状況が見えず互いに顔を見合わせているところに魔理沙が駆け込んで来る。
皆、外で何かが起こっているのか興味を示し、大物達が魔理沙を先頭にぞろぞろとバルコニーに出てくる。中央の広いバルコニーとは違い、建物の両端に対で備わっている狭いバルコニーは、大勢集まって余計に狭くなり、居づらくなったニトリとアリスは隅っこの方に自然と追いやられる。怖い物知らずという以前にここに集まっている面々が誰なのかも分かっていないチルノは九尾の藍のふかふかの尻尾を見つけてしがみつきながら空をみあげていた。
バルコニーに出てきた面々が最初に感じたのは熱の存在だった。遙か上空で妹紅が起こしている炎の熱が地上にも達し、顔など皮膚の敏感な部分が熱を感じているのだ。寒い外で焚き火をしている時の顔の表面だけ熱いあの感覚である。
そして、強烈に感じる妖気は妹紅の吹き出す炎からではなく別の場所からで、それは人間の里の方角に浮かぶ球状の空間の謎の揺らめきからだった。
「あれは・・・混じりっけのないただの水、超純水ですね。」
八意永琳が体内に埋め込んでいる高性能センサーで構造解析して何の変哲もない水の塊だと知らせる。ただの水とは言うが、この位置からでも巨大に見える水の塊から想像してもそれが普通の量であるわけがなく明らかにただの水ではないだろうと永琳に対し無言の抗議をする一堂。
要塞の中心は丁度紅魔館と人間の里の中間にあり、幻想郷の東側は空が完全に蓋をされた状態で、要塞と地平線の狭間に横に空が残っているだけである。
球状の永琳の棺桶はさしずめ釜の底で、妹紅が下から火を焚いているという状況である。そこに大きな水の塊がゆっくりと移動して妹紅の真下で止まる。
そんな光景が紅魔館の正面斜め上に見て取れた。
「そうか!わかったぞ!」
突然、魔理沙が大声を上げる。何がわかったのかと一同が黒い魔法使いに一斉に注目する。
「熱く焼いた鉄を一気に冷やすとどうなる?バキーンって壊れるだろ?」
妹紅の呪符が爆発的な炎を吹き出しており、この炎が装甲を焼いている様に下からは見える。確かにその熱々の鉄に冷水をかければ、金属の性質に変化が起きるはずである。
「焼き入れすると金属は硬くなるんじゃないか?」
魔理沙に反論したのは、意外にも山の神様二柱のひとつ洩矢諏訪子で、彼女は鉄に関しての知識はそこそこにある。
「温度によるでしょう。見たところあの棺桶に効果的なダメージを与えるには至らないでしょうけれど・・・。」
永琳は局所的な装甲の崩落になる可能性はあるものの、要塞に致命的な損害を与えるほどではないと分析する。
しかし、この永琳の判断は数分後に完全に覆される。皆、藤原妹紅という存在に気を取られて本命の存在を忘れていたのだ。
変化が起こったのは、永琳が大事に至らないと宣言した直後である。
大きな水の塊から数本の細い水が放水され四方に水をまき散らし始める。細く見えるがこれは遠くから見ているためで、そばで見れば大量の水が勢いよく放たれているはずである。
放水される水は途中で勢いを無くし放物線を描いて下に落ちていく。しかし、放たれる水の描く曲線が次第に緩くなっていき、やがてほぼ直線に伸び始める。それと同時に『シャー』という音が紅魔館まではっきりと聞こえてきた。
これはとてつもない水圧で放水している事を意味し、それを理解出来た永琳は驚愕した。
放水される水の線は合計8本。下から見ると子供が描くイガグリに見え、それが下から見て反時計回りに回転し始め、真横に向かって飛んでいた水がゆっくりと天頂方向へ角度を変えていった。やがて水の先端は要塞の装甲に当たる角度になり、金属と高圧水の衝突する凄まじい衝突音が鳴り響いた。
これを見て顔色を変えたのは永琳で、この状況がとんでもない事だと彼女以外まだ気付いていなかった。
「こ、これは、ウォーターカッター!」
「魚田買った?」
魔理沙がわざと間違えて、永琳の聞き慣れない言葉に疑問を投げる。
「ウォーターカッター、水の刃よ。水が真っ直ぐ飛んでいるのは物凄い水圧で放出しているからで、これだけの圧力なら或いは装甲も切断出来るかもしれないわ。」
永琳の説明を注視して聞いていた面々がそれを聞いた後に得た知識を基にもう一度顔を上げて上空で起こっている光景を見直す。
「でも、所詮は水だろ?」
魔理沙があっけらかんと不思議そうに尋ねる。その意見に同意する霊夢なども頷いて見せた。
「見ていればわかるわ。」
これをどんな意図でやっているか、その術者の思考を読み取った永琳は、ここにいる者達に手短に説明出来る共通の言葉が咄嗟に見つけられず、それだけ言って水のプールを厳しい表情で見上げた。
複数の水の束は、横方向から次第に要塞方向に向かって回転しながらせり上がって行き、装甲を叩きながら水の先端が一点に集束していく。一本一本独立していた水の刃の先端が一点に向かって集まり円錐形を作り出す様子は、まるで巨大な水のドリルである。
四方を水の刃に囲まれてもなお中心に炎を吐き続ける妹紅。やがて水の刃が妹紅が敷設した呪符から出る炎と重なって水が蒸発する凄まじい音と同時に大量の水蒸気が発生する。
「やっぱ切れないじゃん!やっぱ水じゃ無理なんだよ!」
ウォーターカッターの先端は装甲に衝突したままゆっくりと中心に向かって集束しているが、カッターが通り過ぎた後に傷らしい傷は残っておらず、この攻撃が全く効果がない事を魔理沙は指摘する。水ごときではどうやっても鉄は壊せないと魔理沙の常識はそう訴える。
永琳は魔理沙の勝ち誇った様子を尻目に瞬き一つせずに中心の妹紅を凝視した。よく観察するとある一点だけが融点を超えた温度に達している事に気付いた。
8本のウォーターカッターは、妹紅のいる中心の一点に集中し、妹紅は跳ね返る水しぶきの中に消えどこかに飛ばされる。それと同時に炎が全て消えた。
蒸発した水が蒸気となって棺桶の底に分厚い霧の幕を作り、少しの間下から見えなくなる。
やがて蒸気が晴れると、そこには巨大な円錐状の水の掘削刃が深々と要塞に突き刺さる光景が現れた。
「ま、マジかよ・・・。」
硬化鏡面処理された超硬化装甲の一点の穴に複数の水の刃が潜り込み、それがドリルの様に高速回転して装甲に巨大な穴を開け始める。ドリルを生み出す水のプールは上昇してドリルの刃を無慈悲に棺桶に突き刺していく。落ちてくる大量の水はプールに引き戻され、半永久的に水の刃をドリルに供給する。
「う、うそだろ・・・。」
どんな攻撃にもびくともしなかった鋼鉄の装甲が水で切り裂かれている光景に魔理沙は唖然とした。いや、魔理沙だけではなくここにいる全員、そしてこの状況を見ている幻想郷の全てが驚愕した。
幻想郷の住人の中で一番驚いたのは間違いなく八意永琳である。これは妖怪や亡霊、神様などが扱う超自然的な生体エネルギーを源にした理論的に説明しずらい力ではなく、科学的な根拠に基づいた非常に高度な技に見えたからだ。
同じ事を現代科学の力でやる事は十分可能だが、それには巨大な設備を作らなければならない。
巨大な水を貯蔵するプールを作り、そこから大量の水を供給するという仕組みと、高圧の水を放出する力は科学ではなく妖力を基に行っているようだが、これをやるには科学的な知識を術者が持っていなければ行えないものである。偶然の産物とも捉えられるが、妹紅との連携を考えると計画されて行われたもので間違いない。
それに妹紅がやった技も他者は気付いていないようだが、これもかなり凄い事である。
周囲の熱を吸収して非常に狭い範囲をピンポイントに溶解させる方法は月には存在しない。これは妹紅の技が月の技術を超えているという事ではなく、溶解させる以前に装甲よりも硬い材質の刃で掘削すればいいだけの事なので技術として方式を確立させる必要がないから存在しないわけである。しかし、着目すべき点はそこではなく、今現在の幻想郷に、あの要塞の表面に穴を開ける力も技術も装置もない状態で、どうすれば小さな穴をあけられるかという難解な問題を妹紅が持てる知識と頭脳でクリアしてしまった点である。
妹紅を見下す事を止めた永琳の予想を超える彼女の働きと、ウォータードリルを作った者の潜在的な能力の高さが解析出来ず永琳は半分パニック状態になっていた。
「あの水の力・・・風見幽香だ!」
八雲藍が苦虫を噛み潰した様に苦悶の表情で呟く。フラワーマスターと呼ばれる風見幽香のもう一つの特技が水を自在に操る事で、地下水脈を操作し荒れ地に花を咲かせる土壌改良が出来る力が彼女にはある。こんなでたらめな妖力を出せる存在は古今東西風見幽香だけであり、自然を操作出来る数少ない妖怪の一人なのだ。
「風見幽香は怪我で不参加でしょう?どうして?」
存在感が著しく低下したレミリアが八雲紫に尋ねる。紫としても答えようがなかった。こちらの邪魔をしているというより迫り来る要塞に単独で抵抗を試みている様に見える。それに、邪魔をしないと約束しているので、このまま状況を続けて異変を台無しにすることはないだろうと思われる。
「大丈夫。妹紅も幽香もああいう強そうな物を見て黙ってみてられない性分なだけよ。これであの棺桶が破壊される事はないでしょうし・・・余興としては最適だわ。そう思わない?」
紫は内心焦りながらも余裕の表情でレミリアに応え、要塞の制作者である八意永琳を見る。
「内部は液状の分厚い流体層です。装甲は削り取れてもそこまでです。」
永琳は、このウォータードリルに驚いたものの、穴を空けただけでは要塞を破壊する事は出来ないと冷静に判断する。そしてこの時、このドリルを作ったのが風見幽香という妖怪だと初めて知り記憶に留める。
「風見幽香の攻撃でも倒せないものを運命で解決すれば、その者のお株は急上昇というわけね。」
西行寺幽々子が紫の言葉に同調してお株が上がる予定のレミリアをおだててみる。
「確かに、穴を開けた程度ではどうにもならないわね・・・。」
最初は驚いたレミリアだが冷静に考えればただ棺桶の底に大きな穴が空いただけで、しかも棺桶全体でみれば顔に対する鼻の穴同然の大きさである。
この時、離れて様子を見ていた河童の河城ニトリは、吸血鬼など大物にからまれるのがいやなので声に出さずに重要な事を頭の中で呟く。
「(私なら、せっかく開けた穴なんだから有効に活用するけどな・・・。)」
ニトリは空いた穴に撃ち込む攻撃は何がいいかと楽しそうに思考を巡らせていた。
「全く、何で大人しく私の言う事を聞けないのかしらね。脳味噌が筋肉で出来ているのかしらあの2人は!」
脳味噌が筋肉で出来ていると聞いて、幽香や妹紅の顔を脳裏浮かべ思わずそのレミリアの言に同意してしまうバルコニーの面々。
この状況で一歩引いて皆の様子を眺めていた博麗霊夢は、紫やレミリア達が安堵している様子とは裏腹に依然として厳しい表情を崩していない永琳の様子が気になっていた。
「(脳味噌が筋肉?何を言っているの!妹紅のやったことも、風見幽香がやったことも、科学的根拠に基づいた高度な戦法よ!何故それがわからないの?」)
永琳が会議の面々に心の内で苦言を呈する間にも引き続きドリルは深く装甲を抉り内部に侵入している。
光学光熱兵器に強い特殊な鏡面処理された硬い装甲でも、その最も硬い表面部分を貫通して刃が内部に浸透すれば、後は回転する力と押し込む力で強引に削り取るだけである。
複数の装甲が折り重なる多重載積装甲に深く浸透した水のドリルは内部から押し出される新しい追加装甲をもろともせず掘削スピードは全く変わらない。多少時間はかかるが内部の流体層に到達するのは確実である。
「(このまま穴を開け流体層に到達しても、液体同士相殺されドリルによる掘削作業は意味をなさなくなる。でも、このままではなかったら?私ならこの穴に強烈な攻撃を打ち込むか、中のリソースを抜き取るわ・・・。)」
永琳の背中に冷たい汗が流れた。
「ふふふ、これで終わりじゃないわよ!ここからが本番!」
風見幽香は邪悪な笑みを浮かべて傘をしまった右手を前に差し出し、左手と同じ様に掌を上に向けた。
指先の向く上空に妖気とは明らかに性質が違う別の力が発生し光の球体が現れる。先程の水の塊と同様に急速に大きく膨らむとウォータードリルの供給源となっている水のプールとほぼ同じ大きさになり、要塞に突き刺さるドリルとプールの後を追う様にその真下に移動する。
この力は妖怪の力、妖力を元にした力ではなく、魔界のエネルギーを利用する暗黒魔法の魔力である。
風見幽香は、妖力や魔力を直接手から放出せず、適当な場所に一旦エネルギーを蓄えるプールを作り、そこから間接的に攻撃する方法をとっている。これは地上周辺に被害を出さない為の配慮と同時に、プール自体を攻撃目標に近づける事で距離による威力の減衰を防ぐ役割も果たしている。これは、動かない巨大な目標に対して最も安全かつ効率的な攻撃方法であった。
「さぁて空いた穴に直接ぶちこむわよ。」
邪悪な顔になった黒幽香は、舌なめずりをして次の攻撃の準備に入る。
風見幽香の必殺技「サニー・レイ」は、霧雨魔理沙の「マスタースパーク」と同じ魔界のエネルギーを直接取り出して放出する暗黒魔法である。魔理沙は魔界の門を開いてエネルギーを放出する事しか出来ないが、幽香はそれを蓄積させ自在に操る事が出来る。基本となるエネルギーは全く同じで単に撃つだけなら威力は同じだが、力を圧縮出来る幽香のサニー・レイの方が、出が遅いという欠点以外魔理沙のマスタースパークより威力は上で、単純に威力だけならこれを教えた師である悪霊の大魔導師魅魔よりも上である。
特殊な鏡面処理をされた要塞の装甲は、マスタースパークなどの光線系の攻撃に対し非常に優れた防御力を持っている。何もせずに単体で撃てば跳ね返されて、地上に大きな被害が出る可能性がある。しかし、装甲に穴を空けて直接流体層に攻撃を当てれば内部に巨大なエネルギーを送り込む事が出来、要塞内部の圧力を高めてパージさせることが出来るはずである。
上空でその光景を見ていた妹紅は、幽香の現状の力と底の見えない余力を見て思わず顔がひきつる。化け物とは正に彼女の為にある言葉なのだ。
「ん!何だありゃ?」
何か起こると一番先に声を上げる魔理沙は、次の変化をいち早く察知し皆に知らせた。
8本の水の刃で出来たドリルは完全に要塞内部に浸透し、その基礎となっている巨大な水のプールも高速で回転し、それそのものが掘削刃の役割を果たして要塞内部に侵入しつつあった。
そのプールである水の塊の真下にエネルギーの塊が現れ一気に膨らんだのである。
「あ、あれは、マスタースパークの塊だ!」
同じ力を扱える魔理沙が一番最初にその光の球の正体を見破る。
「ありえねー!あんなの反則だ!」
無属性とは属性が全く存在しないというものではなく、属性の入り乱れた安定していない状態をいう。その膨大なエネルギーの濁流を一つの空間に閉じこめる妖力膜の力場を作るなどただの魔法使いには絶対に出来ない事で、大魔導師魅魔にも出来ない芸当で、妖力と魔力を同時に扱える風見幽香だけが出来る芸当だった。
「うそ・・・。」
永琳は思わずそうもらした瞬間、魔力のプールから一筋の光が水のドリルで空けた大穴に飛び込んだ。水のプールは当然の光に包まれ霧散し、その役目を終えた。
一筋の光は一気に太くなってドリルの空けた穴の十倍以上に広がり巨大なエネルギーが内部の流体層に直接撃ち込まれる。
無限に存在する魔界のエネルギーは、圧縮された力場から解放され加速度的にその量を増やし直径200メートルの一枚装甲を消滅させ、溢れる魔力はその傷口を無慈悲に押し広げていった。
「これで終わりじゃないわよ!」
凄まじい力は要塞に確実にダメージを与えているが、如何せん相手の図体が大きすぎる。このままの状態を続けていけばパージさせるエネルギーにいずれ到達するだろうが、気の短い幽香としては一気に勝負を付けたくなる。
幽香は空いた左手で水のプールの変わりにもう一つの魔力のプールを作り出し、サニー・レイを撃ち出している魔力のプールの真下に置く。
「おいおい!冗談だろ!もう勘弁してくれよ!」
紅魔館でその様子を見ていた魔理沙はも一つ現れた魔力の玉を見て半笑いになってしまった。常々『弾幕はパワーだゼ!』などと嘯いている魔理沙は、圧倒的なパワーの差を見せつけられ魔法使いとして生きていくのが辛くなってきてしまう。
生唾を呑む音を隠せなかったレミリアの無様さを嘲笑う余裕すら既にない会議の参加者達は、最強の妖怪の実力を目の当たりしてぐうの音も出せなかった。
「こ、これが、風見幽香の力か・・・噂には聞いていたが、これほどとは・・・。」
流石の山の神様達も度肝を抜かれた。
幽香はもう一つ出した魔力のプールをその上のプールにぶつけ、エネルギーの巨大な塊をサニー・レイに上乗せする。巨大な二つのエネルギーの塊が一つになると、その直径は単純に4倍に膨れあがり、威力はその数十倍にも膨れあがる。
そして、次から次へとエネルギーの塊を下から供給し続け、倍々に膨れあがる塊はやがてその塊自体が大きくなりすぎて要塞内部の流体層と接触してしまう。その状態になっても魔力の供給を止めない幽香は、更に供給スピードを上げていく。
マシンガンの様に次から次へと下からエネルギーが供給されていくと、まるで心臓が脈を打つように巨大なエネルギーの塊が脈動し、その力が内部の流体層に浸透し、要塞全体が脈打ち始める。
流体層に浮いた状態の鱗状装甲はその脈動にあわせて要塞表面に波紋のような小さな波を立たせる。それはほんのわずかな波だったが、鏡面処理された鏡の様な艶がある装甲が光の反射角度を微妙に変えていき、要塞全体がミラーボールの様にキラキラと輝き出す。
幻想郷各地で戦闘を行っている妖怪達、博麗神社に向かう人間の一行、そして紅魔館に参集した諸々もその美しい光景に思わず声を失い立ち尽くした。
「ふふふ、これで終わりじゃないわ!まだまだいくわよ!」
幻想郷の全てを釘付けにさせている張本人は、その手を休める事無くみなぎる力の全てを出しきろうと更に力を振り絞った。
風見幽香は、力を全開に振り絞り心地よい疲労感の中で恍惚とした表情をしている。千年の間地下に蓄えられたマグマが一気に噴出し火山を爆発させているように、一度出した力は誰かに止めて貰うまで、自分では止められなくなっている。
その時、脳に直接響くような自分を呼ぶ声にハッとして魔力の供給を止めた。
「妹紅?」
妹紅に呼ばれたと思った幽香は我に返って周囲を見渡したが誰もいない。そして、冷静になった幽香は上を見上げ要塞の動きと自分の攻撃を客観的に見る事が出来た。
「あっ!いっけない・・・。」
思わずやり過ぎたかと思ったが、巨大な要塞ならこのくらいまだ平気だろうと安堵する。そしてパージさせるだけならもう十分だと攻撃の全てをそこで停止した。
「このままやってたら案外普通に壊せたわね・・・ちょっと残念。」
幽香は一仕事終えた事に満足して、英雄になり損ねたなどと考える様子もなく、一休みしようと里に向かって歩き出していた。
この風見幽香の10分間程度の攻撃は、幻想郷の全ての住人が目撃した。そして、攻撃を行った者が誰かをほとんどの者は見ていなかったが、消去法で皆容易に想像できた。
「な、なんだよ今の!」
「あれは風見幽香殿だな・・・。」
「あ、あれが?マジで?」
人間の里の傭兵団の本陣で、顎が外れる程驚いて騒ぐ土蜘蛛のヤマメに冷静に答える妖酔。
ナジから凄いとは聞いていたが、予想の遙か上を行く凄さに開いた口が塞がらない状態だった。それは戦場を縦横に跳び回っていたヌエやキスメも同じで先に我に返った人喰い妖怪の反撃を受けるまでしばし放心していた。
「嘘だろ・・・。」
魔理沙がこの台詞を言うのは、この10分間で20回以上になるが最後の嘘だろは格別だった。
「嘘だろ・・・あのデカブツ・・・位置が変わってるぞ?」
真上の要塞だけを見る限りでは上昇しているのはわからないが、横に見える狭い空がやや広くなり若干明るくなったことはすぐに分かった。
「終わった・・・か。」
何故か安堵した様に藍が呟く。その時紅魔館のバルコニーはお通夜状態になっていた。
こんな圧倒的な力を見せつけられた後では、ここでこうして会議を開いて集まっている事自体が馬鹿馬鹿しく思えてくる。最初から風見幽香に土下座して首の治療をさせてもらい、あの棺桶を壊して下さいと頼めば済む事で、この様な面倒な策を労する必要はなかったのだ。
しかし、後に引けない真の主催者である八雲紫は、若干引きつった顔のまま皆の気持ちが折れない様に気丈に振る舞ってみせる。
「ゆ、幽香が怪我をしていなければ、このまま破壊できたでしょうね・・・ね?藍?」
「え、ええ、月面戦争の時はあんなもではありませんでしたし・・・。」
確かに攻撃の終息が唐突過ぎる気がしないでもない。10分間限定で出来る特別な攻撃だったのか、或いはアクシデントが発生して中断しなければならない事態に追い込まれたか・・・。
風見幽香は首の骨を折る怪我がまだ癒えず不参加であると最初に言われていたが、恐らくそれが原因で途中で止めたのだろうと会議の参加者達は予想した。
「風見幽香にも壊せなかったものを我々が壊す。その為の会議なのでしょう?」
落ち着きを取り戻した会議参加者の中心で、放心したまま口を開け上を見ているレミリア・スカーレットに四季映姫が声を掛けて正気に戻す。
「そ、そそそそ、そうよ!私達、いえ私が解決するのよ!」
レミリアの虚勢は誰一人心に届かず、完全にしらけてしまう。
確かに幽香の攻撃は失敗に終わった。異変の解決は自分達にしか出来ないはず。この会議に参加した面々は、それなりに強いと自負している者ばかりで、だからこそこうして足を運んで幻想郷の窮地を救おうと参集に応じたわけである。しかし、この敗北感は何だろうか?まるで敗者というレッテルを顔の真ん中に貼られたようである。
表向き皆が一致団結してという流れに見えるが実情は違う。解決が約束された本来する必要もない低俗な会議の格式を上げる為に雁首を揃えた様なものである。怪我人がここまでの芸当をやって見せたその裏側で、自分達はこそこそと裏で手を結んでいるという状況を省みてとても情けなく感じてしまうのだ。
どんよりとした脱力感が周囲を支配する。八雲紫はこのままではいけないと皆を奮い立たせようとあれこれ策を巡らせるが、何より自分自身が一番ショックを受けており、一生懸命気持ちを持ち直そうとしていてそれどころではなかった。
この窮状を救ったのは博麗神社の巫女博麗霊夢だった。
「ほらほら、幽香の攻撃は失敗したんだから、もう切り換えて!結局最初の計画通り私達にしか解決出来ないってこれではっきりしたでしょ?」
手をパンパンと叩き、活を入れて皆の気持ちを切り換える霊夢。この一つの行動で場の空気が明らかに変わり折れかかっていた各自の気持ちが持ち直す。
八雲紫は救われた気持ちになり、皆を一つにまとめる霊夢を頼もしく見る。どんなに力が強くても、知恵が働いても、バラバラに動いたのでは事業は達成できない。流行博麗の血には特別な力があるのだと、博麗について自らを鍛え上げた自分の正しさを再確認すると同時に、博麗を具現化させたような霊夢を愛おしく感じる。
「正午を過ぎたわね。藍、そろそろ妹紅を呼んできて。」
八雲紫の声に先程は違う張りと威厳が現れる。
「はい。ところで幽香はどうします?参加させますか?」
「幽香はいいわ。恐らく今ので力を出し切ってしまって怪我が悪化してると思うから休ませて頂戴。」
「はい。ではスキマ砲はどうしましょう?棺桶の位置が変わりましたが・・・。」
「下に落ちたわけじゃないから慌てる必要はないわ。でも発射時刻は予定通りにしましょう。戻ったら再調整をするわ。」
「わかりました。ではすぐに妹紅を呼んできます。」
紫の指示を受けて藍は直ぐに行動を開始する。
会議室前のバルコニーにピリっとした緊張感が漂い始める。
そんな中でレミリア・スカーレットは、異変の元凶、会議の主催者、作戦の総指揮としての肩書きを持ちながらも何一つ指導力を発揮出来ず、その存在感を著しく低下させていた。
人間の里から東に少し離れた街道の真ん中に2つの影が対峙していた。藤原妹紅と風見幽香である。
「何か用?」
防御要塞を攻撃中、吸血鬼の少女フランドール・スカーレットの襲来を受けた妹紅は、その直後地上から何者かに狙撃をされた。この攻撃は犯人と目星を付けた妖怪からの招待状だと理解した妹紅は、その真意を確かめる為にやってきたのだ。
犯人と決めつけられ、実際犯人である風見幽香は、異変直前まで妹紅の家に数日滞在し交友を深めたが、その後里に協力する為に妹紅と距離を置いている。里の守護神上白沢慧音と妹紅は今現在離別状態なので里に協力する幽香とは個人的な仲はともかく体面的には友好関係ではない。だからこそ、幽香から『友好的に』呼び出しを受けたと分かっていても一応中立の立場で彼女に臨むわけである。
「妹紅こそ何をしているの?あれを壊すつもりなの?」
赤い服と白い花のような日傘のいつもの幽香は、異変の直中にもかかわらず、まるで午後の散歩でも楽しんでいるかのように、機嫌良さそうに日傘をクルクルと回しながら腰を揺らしていた。
「壊すつもりはない。ただ・・・。」
「ただ?」
「パージさせたい。」
「パージ?この状況で?何の為に?っていうか、あの程度じゃパージなんてするわけないじゃない。」
「スキマ砲を失敗させたいんだ。」
「失敗させてどうするつもりなの?失敗したら幻想郷が滅ぶんじゃないの?」
妹紅の真意を知る幽香としては聞かずなものであったが、妹紅に組みする側ではない立場にあることを明確にするために敢えて妹紅の行為を否定する。
「スキマ砲が失敗すれば魔理沙が直接突入するはずだ。あんたの代わりにな。」
「なるほど、魔理沙をそこで殺すわけね?でも、それじゃ消し炭になって蘇生は無理よ?」
「そうさせない為に、脱出時に殺る予定だ。結果としてスキマ砲は失敗しても異変はちゃんと解決する。」
「ふーん。」
ある程度事情を理解している幽香は話しをするきっかけだけの話題を一度そこで切り、空の防御要塞を日傘から顔を半分だけ出して見上げる。そして次に妹紅に向き直った時、先程から一番気になっていた異変とは全く別の問題に触れる。
「ところで、その娘何なの?」
「ん?フランの事か?」
「いつからそんな仲良しになったの?」
「私と妹紅はずっと前から仲良しだよー!」
母に甘える幼子の様に風見幽香と対峙した時からずっと妹紅の後ろで腰にしがみついているフランドールが、自分の話題が出たのを受けて話しに割って入り、最後に幽香に向けて『あっかんべー』をする。
可愛い物好きの幽香としては、そのフランの態度に怒るどころか、あまりの可愛らしさに家に持って帰りたくなる衝動にかられてしまう。
「そういえば、妹紅が更生させたんだっけ・・・。」
フランドールの件は魅魔とパチュリーを引き合わせた後にパチュリー本人からその話題を出して隣でそのやりとりを聞いていたので事情はほぼ把握していた幽香。
「ここまで変わるとは思ってなかったけど・・・。」
悪魔が天使に・・・そう例えたとしても言い過ぎではない極端な変化である。
「で、今のままじゃパージなんて何千年経っても無理よ?どうするの?」
一先ず事情を理解した幽香は話しを要塞のパージの件に戻す。
「もっとパワーを出すさ。」
「やめておきなさい。」
「何故?」
「妹紅の力は強いけど無駄に拡散するわ。装甲の破片が飛び散ったら幻想郷中に被害が出るでしょ?」
妹紅は人間の妖術使いとしてデリケートな攻撃を行えるが、妖力を使った単純なパワーを要する羅刹の力は強すぎて破壊の余波が拡散してしまう。幽香の指摘は最もでそのことについて考えないわけではない妹紅だが、背に腹は替えられないと判断する。
「この際仕方がないだろう?」
妹紅は口調が男っぽくなるが、この特有の臨戦態勢は幽香もよく知っている変化だ。
「もし、それをやるつもりなら黙ってはいないわよ。」
「やろうってのか?そういえばここ、お前の首をへし折った場所だな。」
「ふん!二度と同じ手は喰わないわ。」
幽香は幻想郷を維持管理する側の立場にあり、妹紅の破壊行為は看過できないのだ。
二人は眉を吊り上げ睨み合う。その様子を不安げに窺うフランドールは妹紅にしがみつく腕の力を無意識に強める。妹紅はそんなフランの不安を感じ取り、熱くならないようにもう一度冷静になる。
「魔理沙を更生させるには、ただ殺して蘇生すればいいってわけじゃない。」
人は死に直面した時、様々なものを見る。それを見て黄泉がえりした者は必ず人生観が変わる。妹紅は人の道を踏み外して死に、中途半端に生き返って妖者に半分なりけている魔理沙を人として完全復活させようとしているのだ。
「スキマ砲を失敗させる事で傷つく人がいる事を忘れてない?私にとっても魔理沙は大切よ?でもそれと同じだけ、紫も魅魔も、この幻想郷も大切なの。」
人間の妹紅が人間の魔理沙を大事にすると同じ様に、妖怪である風見幽香は仲間でもある八雲紫らを同じく大切に思っている。
「だったらどうすればいい?」
妹紅にしても幽香が挙げた名前は皆大切なものだと分かっている。しかし、全てをすくい取る事は出来ない。優先順位がある。ジレンマである。
「私なら、幻想郷に被害を出さずに要塞をパージさせる事が出来るわ。」
「本当か?」
思いがけない提案が幽香の口から出る。他の誰かが言った台詞なら眉唾と疑うところだが、最強の妖怪の口から出る言葉にはそれだけで説得力があった。
「でもやらない。だって、それは紫を裏切る事になるかもしれないから。」
「里に荷担してる時点で紫の敵、私と同類だろ?」
「何事にも限度、超えては行けない線があるのよ。」
風見幽香と妹紅は抗争の後和解して以後は親密な関係になった。風見幽香は藤原妹紅の数少ない理解者の一人として協力的な立場にいる。だからこそここに呼んだのだ。そして招待しておきながら妹紅のやろうとしていることを真っ向から否定している。この相反する態度に何か違和感を覚え始める妹紅。
「・・・。」
妹紅は幽香の心情がある程度見えてきた。どちらにも協力したいがどちらにも傾きたくないのだ。そしてこうした問答を繰り返すのは、協力する為のもっともな理由を導きだし自分に与えて欲しいという願望があるからだ。
「・・・どうすれば私に協力してくれる?」
強者は筋を通したがる。幽香は協力しなければ自分自身が不名誉になるような理由を欲しがっている。妹紅は、自ら歩み寄る作戦に出た。
「・・・そうね・・・。」
幽香には妹紅に協力する為の代償となる行為を一つ考えており、それをさせるためにここに呼んだのだ。
「私の前で膝を折り、両手をついて額を地面に擦りつけなさい。」
「は?!・・・土下座しろってことか?」
「人間がものを頼む時はそうするものでしょ?」
挑発するようにニヤニヤ笑う幽香だが、妹紅には演技しているように見えた。
「土下座なんていくらでもしてやるぞ?」
霊格の極端に低い妹紅は強者に下げる頭はたくさん持っている。妹紅にとってはお安い御用であり、簡単過ぎて拍子抜けする。
「ダメ!あんなやつに頭下げちゃダメ!」
フランドールにしてみれば風見幽香は知らないおばさんでしかない。そんな相手に恩人の頭を下げさせたくはない。
「フラン、離れてろ。」
「いや!」
「フラン!」
妹紅は腰にしがみついて身体の左側から顔を見上げているフランに、縦に瞳孔が割れた羅刹の凶眼を向ける。
「ひいいいいいぃぃぃぃ!」
流石のフランも強烈な負の力に怯えて咄嗟に妹紅から離れる。
一瞬で元に戻った妹紅は数歩前に出て幽香の前にゆっくりと膝を着き幽香を見上げる。妹紅は人に物を頼むわけだから土下座することに抵抗はないが、代償としては安すぎるのではないかと勘ぐってします。ただ筋を通すだけに幽香が土下座を強要しているだけとも思えない。これには何か意味があるのだろうか?
「本当にこんなのでいいのか?」
「ええ。これは、単なる礼儀の問題ではないわ。私の力を引き出させる為に不可欠な事なの。」
「・・・よく解らないが、わかった。」
妹紅は無理矢理納得し頭を下げて土下座をした。
「お願いします。私に力を貸してください。」
幽香は足下に小さくうずくまる妹紅の姿を見て身体の芯が熱くなっていくのを感じ、込み上げる高揚感に我慢出来ず高笑いを始めてしまう。
「やっぱりこれよ、この感じ。相手を支配し服従させる強者のみが得られる至福!」
風見幽香は月面戦争の窮地に眠っていた力が覚醒し、強大な力が目覚めたと同時に性格も一変して所謂サディストとなった。
しかし、博麗大結界で八雲紫が一端幻想郷から離れた後、幻想郷の運営を任された魅魔が吸血鬼との和解・平和政策に転換したため、彼女に協力する立場をとった幽香は大人しく振る舞うようになった。そして長い平和の中で性格も丸くなってしまったのである。
「最近、どうも丸くなっちゃって、自分でもちょっと気になってたのよ。でも、これなら本気が出せそうね。」
幽香はそう言うと邪悪な笑みを浮かべて、仕上げとばかりに地面に頭をこすっている妹紅の後頭部を思い切り踏みつける。この屈辱的な状況を妹紅はぐっと堪える。
妹紅は幽香との短くも濃密な付き合いの中で彼女が他の妖怪よりも人間に近い変な妖怪だと捉えていた。しかしこの認識は間違いで、実は平和ボケで腑抜けてしまった後の姿で、今ここにいる幽香が本来の妖怪としての風見幽香なのだ。
土下座そのものに意味があるのではなく、幽香自身が相手を下に置き支配する事が重要だったわけである。
妹紅は納得し敢えてこの屈辱を受け続けたが、妹紅に大恩あるフランは我慢出来ず風見幽香に飛びかかろうとした。
「やめろ!」
妹紅は再び羅刹となって下げた横顔から少しだけ見える片眼の力だけでフランの動きを止めた。
「あー気持ちよかった!」
そんな2人のやりとりなど気に留める様子もなく空腹を満たされた食べ盛りの子供の様に無邪気な笑みを浮かべる幽香。そして、妹紅の後頭部に乗せた足を戻すと、腕をとって立たせる。
「リミッターも外れたし、約束通りパージさせてあげるわ。」
「・・・すまん、恩に着る。」
土下座させられた上に頭を踏みつけられては流石の妹紅も面白くなく、憮然としながらも一応礼を言う。
そんな妹紅を見て幽香は穏やかな表情を向ける。
「・・・それから妹紅、これは恥をかかせた貴女に対するお詫びでやるのよ。頼まれたからやるんじゃないの。だから私に対して感謝したり恩を感じる必要はないのよ?」
「・・・ふっ。」
妹紅は思わず吹き出しそうになった。
「な、何よ!」
妹紅は幽香の心情を完全に理解した。本当は妹紅に協力してやりたくてうずうずしていたのに、自分から協力を申し出ると、妹紅に対して恩を売る事になる。基本的に寿命を持たない妖怪にとって恩を売ったり受けたりすることによって生じる関係性は、生涯付きまとう大きな問題になるのである。
妖怪の間では対等の関係を維持したい相手に対しては、恩を受けたい側に対して恩を売る側が恥をかかせたお詫びしとしてチャラにするという風習がある。一見人間の文化圏内にいる風見幽香だが、やはり妖怪の文化圏の生き物なのだと妹紅は改めて知った。
「パージは幽香に任せていいのか?私に何か出来る事は?」
「一つだけ妹紅にやって欲しい事があるわ。」
妹紅は幽香の雰囲気が変わっているのに気付いた。何か変なスイッチが入った感じだ。人間も同じだが気持ちの乗り方で姿が変わって見える。
今迄どちらかというと他に干渉せず状況対処的に力を使っていた幽香が、自ら望んでその力をある目的の為に使おうとしている。
「何でも言って。」
「あの要塞の装甲のほんの少しでいいから、表面の鏡面処理された装甲を溶かして欲しいの。」
「そんな簡単なことでいいの?と言うか、それくらい自分で出来ないか?」
「私の使える能力では無理よ。それくらいあの鏡の様な装甲は厄介なの。」
「分かった。さっきも粉微塵にしてやったから余裕よ。」
「いい?ほんの少しよ?これ重要。」
「何でそんな面倒な・・・。」
「別に穴が大きくてもいいけど、装甲としての体裁が保てなくなった時点で装甲は破棄されるのよ。そしたら新しい装甲が下からせり出してしまうわ。そうさせない為には装甲として機能する程度に穴が小さい方がいいの。」
「どんな強固な堤防も、蟻の一穴で決壊する・・・か。」
「そういうこと。」
妹紅は幽香が何をしようとしているか分からなかったが小さい穴を空けるというオーダーは了承した。
羅刹の力で装甲を殴っても衝撃は波紋の様に拡散する。内部に力を貫通させるには力を一点に集中した方が効率がいいし、幽香はその為の楔を撃ち込みたいのだろう。
「・・・よし、さっそく行って来る。」
「あ、妹紅・・・。」
飛び立とうとして身体が宙に浮いた妹紅を呼び止める幽香。
「ん?何?」
少し雰囲気が違うので妹紅は驚いて真顔で幽香を見る。
「必ず戻るのよ。自爆してこれでお別れっていのは無しよ?」
妹紅が自爆する作戦は新聞報道によって既に幻想郷中に周知されている。その自爆で消し飛ぶ妹紅のその後の事を誰一人案じる者はいなかった。一人を除いて・・・。
妹紅は振り向いたまま驚いたような顔をし、次に照れ隠しの為不貞不貞しく笑った。
「必ず戻る。」
妹紅は口に出してはそれだけで、心の中でありがとうと礼を言いそのまま飛び去る。
一人残された風見幽香は妹紅の後を追うフランが一度こちらを振り向いたのを受けてわざとらしく手を振ってみせる。最後にもう一度可愛い『あっかんべー』が見れて満足する可愛いもの好きの極悪妖怪は真顔に戻る。
「・・・さて、これで私も正式に異変にエントリーしたわけね。紫には悪いけど妹紅に土下座させた手前、協力しなければいけなくなったわ。」
自嘲気味にクスリと笑う幽香。妹紅はこの異変において紫を欺き勝ちに行くつもりであるが、異変が終わればその後始末はきっちりつけると信じて疑わなかった。
「派手にぶちかますとしましょうか。」
幽香は今回の異変ではあくまで第三者の立場を貫こうとしたが、妹紅を完全勝利に導く為には自分の力が不可欠だと思い至る。思えば初めて妹紅と対峙し簡単に首をねじ折られた時からこうなる運命だったのだ。
異変に参加したと言う事は、念のためと蒔いておいた種も実を結ぶ事になるだろう。萃香に頼んでいたアレや、エリーに命じたアレも・・・。
そして、それはすぐに現実となって目の前に現れる。
「幽香ちゃーん!」
幽香が腕まくりをして事を始めようとしたその時だった。背後から聞き慣れた声がして振り向く幽香。
「あ、エリー、ちょうどいいところに・・・そっちの首尾はどう?」
そこにいたのは西洋の女死神、エリーだった。
「言われた通り配置についたわ。でも、本当にこのままでいいの?東の連中みんなこっちきちゃって戦争始まってるけど。」
「全て予定通りよ。」
「ふーん。ところでこっちに来る人間の代表者は誰なの?名前がわからないと美味しくいただけないわ。」
「魂魄妖夢よ。」
「こんぱくようむ・・・ね。了解、了解。ご褒美は一日幽香ちゃん独占権だから忘れないでね。」
「わかったから、早く行きなさい。」
「きゃー楽しみー!約束よー!」
突然現れて、すぐに消えるエリー。
「全く・・・相変わらずね・・・。」
八雲一家や紅魔館そして永遠亭などと同様に、あまり知られていないものの風見幽香にも彼女固有のファミリーがいるのだ。
風見幽香と死神エリーのやりとりなど感知していない藤原妹紅は、何故か追いかけてくるフランドールの気配を敢えて無視して、要塞の最も地上に近い場所にある装甲に辿り着く。
妹紅は術を込めていない空の呪符、素符の束をモンペから取り出すと、口から呪文を吐き出して新たな効果を呪符に書き込む。
その呪符を六角形の装甲の真ん中を中心にして外縁に沿って円形に呪符を一定の間隔を空けて並べて配置する。一枚の直径が200メートルもある装甲なので、大量の呪符が必要になったが、妖夢を里に仕込んだ後の空いた数日を利用して大量に準備していたのだ。
妹紅は準備が整うと同時に大きく息を吸い、永遠亭との決戦の時と同様身体を風船の様に膨らませる。
ビックリしている背後のフランを一瞥した妹紅は、危険だと警告せずとも炎と熱気に耐えられず逃げると予測し、そのまま予告なしに一気に炎を吐き出した。
なるべく炎が拡散しないよう口をすぼめて吹き出された炎は螺旋を描きながら線状に真っ直ぐ装甲の中心に命中し、そこから四方へ拡散して装甲の表面を広く炎で包む。
幽香からの注文は僅かな面積との事だったが炎は拡散し装甲全体を熱く燃やしている。
遙か上空で行われているその状況を地表から見ていた幽香は、注文通りではない状況にもかかわらず妹紅を信じて疑わず、自分のやるべき準備を始めた。
「はああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁー!!」
左手を前に出して何か丸い物体を掴むような手の形を作り手首を返して掌を上に向けると、そのまましばらく妖気を集中する。周囲に強力な妖気が発生し、目に見えない妖力の竜巻が発生する。その中心で風見幽香は更に妖気を振り絞ると、こめかみの血管が浮き出て白目が充血し人相が変わる。奥底に眠る古の力を呼び覚ますこの世で最も強い妖怪は、千年ぶりにその真の力を解放した。
妹紅の吐き出す炎と熱を避けるように地上方面に逃げる様に降りてきたフランドールは、今度は下から強い妖気が沸き起こるのを感じ慌てて振り向く。
見ると自分のすぐ斜め下に透明のゆらゆらとした空間が現れていた。よく観察してみるとそれは無色透明の液体、つまり水の塊だった。警戒しながらゆっくり近づくと急速に膨らんで直径が数メートルから一気に数百メートル四方に膨れあがり、油断したフランドールは逃げ遅れて空中の水のプールに一度のまれしまう。直ぐにそこから飛び出したフランドールは、更に大きくなり自分に迫ってくる水の塊から逃れるように全力で回避し、この水の塊を作り出したと思われる地上の風見幽香、目の前の巨大な宙に浮かぶ水のプール、上空で炎を出し続ける妹紅を直線的に見れる位置まで避難した。
「な、何が始まるの?」
自分の立ち入れない空間がそこに構築されている事を肌で感じるフランドール・スカーレットは、ここに居ては危険だと直感するが、これから起こる何かに対する好奇心がそれに勝ってしまう。
「さぁ、妹紅、こっちの準備は出来たわよ。そこからどうする?」
要塞の装甲に針の穴ほどの小さな範囲だけを溶かすという課題は今のところ達成されていない。しかし、幽香は必ず妹紅が満点で課題をクリアすると信じていた。
妹紅は背後の凄まじい妖気を感じながら妖力の膨張が止まった事を受け、幽香の準備が整った事を知り、予め施していた呪符を解放する。
装甲の外縁に沿って敷設された呪符が装甲の熱を吸い取り蓄積した熱を外側に放熱させる。あまりの高温に自然発火してゴーという爆音を上げて装甲の中心から外側に向かって放射状に呪符から炎が吹き出され、それと同時に装甲の表面が急速に冷え始める。強制的な熱移動で外側から中心に向かって急速に熱が奪われる装甲は、やがて炎を当て続ける極狭い範囲だけが高温を保ち、それを見て妹紅は温度を上げ4000千度を超えた時点で融解し小さな穴が空く。
差詰め火を掛けた鍋底な光景の中で妹紅が行った行為に幽香は感嘆の声を上げる。
「流石妹紅、こんな方法があるなんて驚きだわ。それじゃ今度は私の番よ。」
思っても見なかった方法に触発され、俄然やる気が出る幽香だった。
「おい!みんな見て見ろ!」
紅魔館のバルコニーで空の棺桶を見ていた魔理沙が、会議室にあてられた部屋に駆け戻って席についている面々に外に出るよう呼び掛ける。
つい今し方強烈な妖気が発生したことは会議の参加者は皆認識していたが、異変解決のシナリオにこのような予定は無く、裏で繋がっている者同士状況が見えず互いに顔を見合わせているところに魔理沙が駆け込んで来る。
皆、外で何かが起こっているのか興味を示し、大物達が魔理沙を先頭にぞろぞろとバルコニーに出てくる。中央の広いバルコニーとは違い、建物の両端に対で備わっている狭いバルコニーは、大勢集まって余計に狭くなり、居づらくなったニトリとアリスは隅っこの方に自然と追いやられる。怖い物知らずという以前にここに集まっている面々が誰なのかも分かっていないチルノは九尾の藍のふかふかの尻尾を見つけてしがみつきながら空をみあげていた。
バルコニーに出てきた面々が最初に感じたのは熱の存在だった。遙か上空で妹紅が起こしている炎の熱が地上にも達し、顔など皮膚の敏感な部分が熱を感じているのだ。寒い外で焚き火をしている時の顔の表面だけ熱いあの感覚である。
そして、強烈に感じる妖気は妹紅の吹き出す炎からではなく別の場所からで、それは人間の里の方角に浮かぶ球状の空間の謎の揺らめきからだった。
「あれは・・・混じりっけのないただの水、超純水ですね。」
八意永琳が体内に埋め込んでいる高性能センサーで構造解析して何の変哲もない水の塊だと知らせる。ただの水とは言うが、この位置からでも巨大に見える水の塊から想像してもそれが普通の量であるわけがなく明らかにただの水ではないだろうと永琳に対し無言の抗議をする一堂。
要塞の中心は丁度紅魔館と人間の里の中間にあり、幻想郷の東側は空が完全に蓋をされた状態で、要塞と地平線の狭間に横に空が残っているだけである。
球状の永琳の棺桶はさしずめ釜の底で、妹紅が下から火を焚いているという状況である。そこに大きな水の塊がゆっくりと移動して妹紅の真下で止まる。
そんな光景が紅魔館の正面斜め上に見て取れた。
「そうか!わかったぞ!」
突然、魔理沙が大声を上げる。何がわかったのかと一同が黒い魔法使いに一斉に注目する。
「熱く焼いた鉄を一気に冷やすとどうなる?バキーンって壊れるだろ?」
妹紅の呪符が爆発的な炎を吹き出しており、この炎が装甲を焼いている様に下からは見える。確かにその熱々の鉄に冷水をかければ、金属の性質に変化が起きるはずである。
「焼き入れすると金属は硬くなるんじゃないか?」
魔理沙に反論したのは、意外にも山の神様二柱のひとつ洩矢諏訪子で、彼女は鉄に関しての知識はそこそこにある。
「温度によるでしょう。見たところあの棺桶に効果的なダメージを与えるには至らないでしょうけれど・・・。」
永琳は局所的な装甲の崩落になる可能性はあるものの、要塞に致命的な損害を与えるほどではないと分析する。
しかし、この永琳の判断は数分後に完全に覆される。皆、藤原妹紅という存在に気を取られて本命の存在を忘れていたのだ。
変化が起こったのは、永琳が大事に至らないと宣言した直後である。
大きな水の塊から数本の細い水が放水され四方に水をまき散らし始める。細く見えるがこれは遠くから見ているためで、そばで見れば大量の水が勢いよく放たれているはずである。
放水される水は途中で勢いを無くし放物線を描いて下に落ちていく。しかし、放たれる水の描く曲線が次第に緩くなっていき、やがてほぼ直線に伸び始める。それと同時に『シャー』という音が紅魔館まではっきりと聞こえてきた。
これはとてつもない水圧で放水している事を意味し、それを理解出来た永琳は驚愕した。
放水される水の線は合計8本。下から見ると子供が描くイガグリに見え、それが下から見て反時計回りに回転し始め、真横に向かって飛んでいた水がゆっくりと天頂方向へ角度を変えていった。やがて水の先端は要塞の装甲に当たる角度になり、金属と高圧水の衝突する凄まじい衝突音が鳴り響いた。
これを見て顔色を変えたのは永琳で、この状況がとんでもない事だと彼女以外まだ気付いていなかった。
「こ、これは、ウォーターカッター!」
「魚田買った?」
魔理沙がわざと間違えて、永琳の聞き慣れない言葉に疑問を投げる。
「ウォーターカッター、水の刃よ。水が真っ直ぐ飛んでいるのは物凄い水圧で放出しているからで、これだけの圧力なら或いは装甲も切断出来るかもしれないわ。」
永琳の説明を注視して聞いていた面々がそれを聞いた後に得た知識を基にもう一度顔を上げて上空で起こっている光景を見直す。
「でも、所詮は水だろ?」
魔理沙があっけらかんと不思議そうに尋ねる。その意見に同意する霊夢なども頷いて見せた。
「見ていればわかるわ。」
これをどんな意図でやっているか、その術者の思考を読み取った永琳は、ここにいる者達に手短に説明出来る共通の言葉が咄嗟に見つけられず、それだけ言って水のプールを厳しい表情で見上げた。
複数の水の束は、横方向から次第に要塞方向に向かって回転しながらせり上がって行き、装甲を叩きながら水の先端が一点に集束していく。一本一本独立していた水の刃の先端が一点に向かって集まり円錐形を作り出す様子は、まるで巨大な水のドリルである。
四方を水の刃に囲まれてもなお中心に炎を吐き続ける妹紅。やがて水の刃が妹紅が敷設した呪符から出る炎と重なって水が蒸発する凄まじい音と同時に大量の水蒸気が発生する。
「やっぱ切れないじゃん!やっぱ水じゃ無理なんだよ!」
ウォーターカッターの先端は装甲に衝突したままゆっくりと中心に向かって集束しているが、カッターが通り過ぎた後に傷らしい傷は残っておらず、この攻撃が全く効果がない事を魔理沙は指摘する。水ごときではどうやっても鉄は壊せないと魔理沙の常識はそう訴える。
永琳は魔理沙の勝ち誇った様子を尻目に瞬き一つせずに中心の妹紅を凝視した。よく観察するとある一点だけが融点を超えた温度に達している事に気付いた。
8本のウォーターカッターは、妹紅のいる中心の一点に集中し、妹紅は跳ね返る水しぶきの中に消えどこかに飛ばされる。それと同時に炎が全て消えた。
蒸発した水が蒸気となって棺桶の底に分厚い霧の幕を作り、少しの間下から見えなくなる。
やがて蒸気が晴れると、そこには巨大な円錐状の水の掘削刃が深々と要塞に突き刺さる光景が現れた。
「ま、マジかよ・・・。」
硬化鏡面処理された超硬化装甲の一点の穴に複数の水の刃が潜り込み、それがドリルの様に高速回転して装甲に巨大な穴を開け始める。ドリルを生み出す水のプールは上昇してドリルの刃を無慈悲に棺桶に突き刺していく。落ちてくる大量の水はプールに引き戻され、半永久的に水の刃をドリルに供給する。
「う、うそだろ・・・。」
どんな攻撃にもびくともしなかった鋼鉄の装甲が水で切り裂かれている光景に魔理沙は唖然とした。いや、魔理沙だけではなくここにいる全員、そしてこの状況を見ている幻想郷の全てが驚愕した。
幻想郷の住人の中で一番驚いたのは間違いなく八意永琳である。これは妖怪や亡霊、神様などが扱う超自然的な生体エネルギーを源にした理論的に説明しずらい力ではなく、科学的な根拠に基づいた非常に高度な技に見えたからだ。
同じ事を現代科学の力でやる事は十分可能だが、それには巨大な設備を作らなければならない。
巨大な水を貯蔵するプールを作り、そこから大量の水を供給するという仕組みと、高圧の水を放出する力は科学ではなく妖力を基に行っているようだが、これをやるには科学的な知識を術者が持っていなければ行えないものである。偶然の産物とも捉えられるが、妹紅との連携を考えると計画されて行われたもので間違いない。
それに妹紅がやった技も他者は気付いていないようだが、これもかなり凄い事である。
周囲の熱を吸収して非常に狭い範囲をピンポイントに溶解させる方法は月には存在しない。これは妹紅の技が月の技術を超えているという事ではなく、溶解させる以前に装甲よりも硬い材質の刃で掘削すればいいだけの事なので技術として方式を確立させる必要がないから存在しないわけである。しかし、着目すべき点はそこではなく、今現在の幻想郷に、あの要塞の表面に穴を開ける力も技術も装置もない状態で、どうすれば小さな穴をあけられるかという難解な問題を妹紅が持てる知識と頭脳でクリアしてしまった点である。
妹紅を見下す事を止めた永琳の予想を超える彼女の働きと、ウォータードリルを作った者の潜在的な能力の高さが解析出来ず永琳は半分パニック状態になっていた。
「あの水の力・・・風見幽香だ!」
八雲藍が苦虫を噛み潰した様に苦悶の表情で呟く。フラワーマスターと呼ばれる風見幽香のもう一つの特技が水を自在に操る事で、地下水脈を操作し荒れ地に花を咲かせる土壌改良が出来る力が彼女にはある。こんなでたらめな妖力を出せる存在は古今東西風見幽香だけであり、自然を操作出来る数少ない妖怪の一人なのだ。
「風見幽香は怪我で不参加でしょう?どうして?」
存在感が著しく低下したレミリアが八雲紫に尋ねる。紫としても答えようがなかった。こちらの邪魔をしているというより迫り来る要塞に単独で抵抗を試みている様に見える。それに、邪魔をしないと約束しているので、このまま状況を続けて異変を台無しにすることはないだろうと思われる。
「大丈夫。妹紅も幽香もああいう強そうな物を見て黙ってみてられない性分なだけよ。これであの棺桶が破壊される事はないでしょうし・・・余興としては最適だわ。そう思わない?」
紫は内心焦りながらも余裕の表情でレミリアに応え、要塞の制作者である八意永琳を見る。
「内部は液状の分厚い流体層です。装甲は削り取れてもそこまでです。」
永琳は、このウォータードリルに驚いたものの、穴を空けただけでは要塞を破壊する事は出来ないと冷静に判断する。そしてこの時、このドリルを作ったのが風見幽香という妖怪だと初めて知り記憶に留める。
「風見幽香の攻撃でも倒せないものを運命で解決すれば、その者のお株は急上昇というわけね。」
西行寺幽々子が紫の言葉に同調してお株が上がる予定のレミリアをおだててみる。
「確かに、穴を開けた程度ではどうにもならないわね・・・。」
最初は驚いたレミリアだが冷静に考えればただ棺桶の底に大きな穴が空いただけで、しかも棺桶全体でみれば顔に対する鼻の穴同然の大きさである。
この時、離れて様子を見ていた河童の河城ニトリは、吸血鬼など大物にからまれるのがいやなので声に出さずに重要な事を頭の中で呟く。
「(私なら、せっかく開けた穴なんだから有効に活用するけどな・・・。)」
ニトリは空いた穴に撃ち込む攻撃は何がいいかと楽しそうに思考を巡らせていた。
「全く、何で大人しく私の言う事を聞けないのかしらね。脳味噌が筋肉で出来ているのかしらあの2人は!」
脳味噌が筋肉で出来ていると聞いて、幽香や妹紅の顔を脳裏浮かべ思わずそのレミリアの言に同意してしまうバルコニーの面々。
この状況で一歩引いて皆の様子を眺めていた博麗霊夢は、紫やレミリア達が安堵している様子とは裏腹に依然として厳しい表情を崩していない永琳の様子が気になっていた。
「(脳味噌が筋肉?何を言っているの!妹紅のやったことも、風見幽香がやったことも、科学的根拠に基づいた高度な戦法よ!何故それがわからないの?」)
永琳が会議の面々に心の内で苦言を呈する間にも引き続きドリルは深く装甲を抉り内部に侵入している。
光学光熱兵器に強い特殊な鏡面処理された硬い装甲でも、その最も硬い表面部分を貫通して刃が内部に浸透すれば、後は回転する力と押し込む力で強引に削り取るだけである。
複数の装甲が折り重なる多重載積装甲に深く浸透した水のドリルは内部から押し出される新しい追加装甲をもろともせず掘削スピードは全く変わらない。多少時間はかかるが内部の流体層に到達するのは確実である。
「(このまま穴を開け流体層に到達しても、液体同士相殺されドリルによる掘削作業は意味をなさなくなる。でも、このままではなかったら?私ならこの穴に強烈な攻撃を打ち込むか、中のリソースを抜き取るわ・・・。)」
永琳の背中に冷たい汗が流れた。
「ふふふ、これで終わりじゃないわよ!ここからが本番!」
風見幽香は邪悪な笑みを浮かべて傘をしまった右手を前に差し出し、左手と同じ様に掌を上に向けた。
指先の向く上空に妖気とは明らかに性質が違う別の力が発生し光の球体が現れる。先程の水の塊と同様に急速に大きく膨らむとウォータードリルの供給源となっている水のプールとほぼ同じ大きさになり、要塞に突き刺さるドリルとプールの後を追う様にその真下に移動する。
この力は妖怪の力、妖力を元にした力ではなく、魔界のエネルギーを利用する暗黒魔法の魔力である。
風見幽香は、妖力や魔力を直接手から放出せず、適当な場所に一旦エネルギーを蓄えるプールを作り、そこから間接的に攻撃する方法をとっている。これは地上周辺に被害を出さない為の配慮と同時に、プール自体を攻撃目標に近づける事で距離による威力の減衰を防ぐ役割も果たしている。これは、動かない巨大な目標に対して最も安全かつ効率的な攻撃方法であった。
「さぁて空いた穴に直接ぶちこむわよ。」
邪悪な顔になった黒幽香は、舌なめずりをして次の攻撃の準備に入る。
風見幽香の必殺技「サニー・レイ」は、霧雨魔理沙の「マスタースパーク」と同じ魔界のエネルギーを直接取り出して放出する暗黒魔法である。魔理沙は魔界の門を開いてエネルギーを放出する事しか出来ないが、幽香はそれを蓄積させ自在に操る事が出来る。基本となるエネルギーは全く同じで単に撃つだけなら威力は同じだが、力を圧縮出来る幽香のサニー・レイの方が、出が遅いという欠点以外魔理沙のマスタースパークより威力は上で、単純に威力だけならこれを教えた師である悪霊の大魔導師魅魔よりも上である。
特殊な鏡面処理をされた要塞の装甲は、マスタースパークなどの光線系の攻撃に対し非常に優れた防御力を持っている。何もせずに単体で撃てば跳ね返されて、地上に大きな被害が出る可能性がある。しかし、装甲に穴を空けて直接流体層に攻撃を当てれば内部に巨大なエネルギーを送り込む事が出来、要塞内部の圧力を高めてパージさせることが出来るはずである。
上空でその光景を見ていた妹紅は、幽香の現状の力と底の見えない余力を見て思わず顔がひきつる。化け物とは正に彼女の為にある言葉なのだ。
「ん!何だありゃ?」
何か起こると一番先に声を上げる魔理沙は、次の変化をいち早く察知し皆に知らせた。
8本の水の刃で出来たドリルは完全に要塞内部に浸透し、その基礎となっている巨大な水のプールも高速で回転し、それそのものが掘削刃の役割を果たして要塞内部に侵入しつつあった。
そのプールである水の塊の真下にエネルギーの塊が現れ一気に膨らんだのである。
「あ、あれは、マスタースパークの塊だ!」
同じ力を扱える魔理沙が一番最初にその光の球の正体を見破る。
「ありえねー!あんなの反則だ!」
無属性とは属性が全く存在しないというものではなく、属性の入り乱れた安定していない状態をいう。その膨大なエネルギーの濁流を一つの空間に閉じこめる妖力膜の力場を作るなどただの魔法使いには絶対に出来ない事で、大魔導師魅魔にも出来ない芸当で、妖力と魔力を同時に扱える風見幽香だけが出来る芸当だった。
「うそ・・・。」
永琳は思わずそうもらした瞬間、魔力のプールから一筋の光が水のドリルで空けた大穴に飛び込んだ。水のプールは当然の光に包まれ霧散し、その役目を終えた。
一筋の光は一気に太くなってドリルの空けた穴の十倍以上に広がり巨大なエネルギーが内部の流体層に直接撃ち込まれる。
無限に存在する魔界のエネルギーは、圧縮された力場から解放され加速度的にその量を増やし直径200メートルの一枚装甲を消滅させ、溢れる魔力はその傷口を無慈悲に押し広げていった。
「これで終わりじゃないわよ!」
凄まじい力は要塞に確実にダメージを与えているが、如何せん相手の図体が大きすぎる。このままの状態を続けていけばパージさせるエネルギーにいずれ到達するだろうが、気の短い幽香としては一気に勝負を付けたくなる。
幽香は空いた左手で水のプールの変わりにもう一つの魔力のプールを作り出し、サニー・レイを撃ち出している魔力のプールの真下に置く。
「おいおい!冗談だろ!もう勘弁してくれよ!」
紅魔館でその様子を見ていた魔理沙はも一つ現れた魔力の玉を見て半笑いになってしまった。常々『弾幕はパワーだゼ!』などと嘯いている魔理沙は、圧倒的なパワーの差を見せつけられ魔法使いとして生きていくのが辛くなってきてしまう。
生唾を呑む音を隠せなかったレミリアの無様さを嘲笑う余裕すら既にない会議の参加者達は、最強の妖怪の実力を目の当たりしてぐうの音も出せなかった。
「こ、これが、風見幽香の力か・・・噂には聞いていたが、これほどとは・・・。」
流石の山の神様達も度肝を抜かれた。
幽香はもう一つ出した魔力のプールをその上のプールにぶつけ、エネルギーの巨大な塊をサニー・レイに上乗せする。巨大な二つのエネルギーの塊が一つになると、その直径は単純に4倍に膨れあがり、威力はその数十倍にも膨れあがる。
そして、次から次へとエネルギーの塊を下から供給し続け、倍々に膨れあがる塊はやがてその塊自体が大きくなりすぎて要塞内部の流体層と接触してしまう。その状態になっても魔力の供給を止めない幽香は、更に供給スピードを上げていく。
マシンガンの様に次から次へと下からエネルギーが供給されていくと、まるで心臓が脈を打つように巨大なエネルギーの塊が脈動し、その力が内部の流体層に浸透し、要塞全体が脈打ち始める。
流体層に浮いた状態の鱗状装甲はその脈動にあわせて要塞表面に波紋のような小さな波を立たせる。それはほんのわずかな波だったが、鏡面処理された鏡の様な艶がある装甲が光の反射角度を微妙に変えていき、要塞全体がミラーボールの様にキラキラと輝き出す。
幻想郷各地で戦闘を行っている妖怪達、博麗神社に向かう人間の一行、そして紅魔館に参集した諸々もその美しい光景に思わず声を失い立ち尽くした。
「ふふふ、これで終わりじゃないわ!まだまだいくわよ!」
幻想郷の全てを釘付けにさせている張本人は、その手を休める事無くみなぎる力の全てを出しきろうと更に力を振り絞った。
風見幽香は、力を全開に振り絞り心地よい疲労感の中で恍惚とした表情をしている。千年の間地下に蓄えられたマグマが一気に噴出し火山を爆発させているように、一度出した力は誰かに止めて貰うまで、自分では止められなくなっている。
その時、脳に直接響くような自分を呼ぶ声にハッとして魔力の供給を止めた。
「妹紅?」
妹紅に呼ばれたと思った幽香は我に返って周囲を見渡したが誰もいない。そして、冷静になった幽香は上を見上げ要塞の動きと自分の攻撃を客観的に見る事が出来た。
「あっ!いっけない・・・。」
思わずやり過ぎたかと思ったが、巨大な要塞ならこのくらいまだ平気だろうと安堵する。そしてパージさせるだけならもう十分だと攻撃の全てをそこで停止した。
「このままやってたら案外普通に壊せたわね・・・ちょっと残念。」
幽香は一仕事終えた事に満足して、英雄になり損ねたなどと考える様子もなく、一休みしようと里に向かって歩き出していた。
この風見幽香の10分間程度の攻撃は、幻想郷の全ての住人が目撃した。そして、攻撃を行った者が誰かをほとんどの者は見ていなかったが、消去法で皆容易に想像できた。
「な、なんだよ今の!」
「あれは風見幽香殿だな・・・。」
「あ、あれが?マジで?」
人間の里の傭兵団の本陣で、顎が外れる程驚いて騒ぐ土蜘蛛のヤマメに冷静に答える妖酔。
ナジから凄いとは聞いていたが、予想の遙か上を行く凄さに開いた口が塞がらない状態だった。それは戦場を縦横に跳び回っていたヌエやキスメも同じで先に我に返った人喰い妖怪の反撃を受けるまでしばし放心していた。
「嘘だろ・・・。」
魔理沙がこの台詞を言うのは、この10分間で20回以上になるが最後の嘘だろは格別だった。
「嘘だろ・・・あのデカブツ・・・位置が変わってるぞ?」
真上の要塞だけを見る限りでは上昇しているのはわからないが、横に見える狭い空がやや広くなり若干明るくなったことはすぐに分かった。
「終わった・・・か。」
何故か安堵した様に藍が呟く。その時紅魔館のバルコニーはお通夜状態になっていた。
こんな圧倒的な力を見せつけられた後では、ここでこうして会議を開いて集まっている事自体が馬鹿馬鹿しく思えてくる。最初から風見幽香に土下座して首の治療をさせてもらい、あの棺桶を壊して下さいと頼めば済む事で、この様な面倒な策を労する必要はなかったのだ。
しかし、後に引けない真の主催者である八雲紫は、若干引きつった顔のまま皆の気持ちが折れない様に気丈に振る舞ってみせる。
「ゆ、幽香が怪我をしていなければ、このまま破壊できたでしょうね・・・ね?藍?」
「え、ええ、月面戦争の時はあんなもではありませんでしたし・・・。」
確かに攻撃の終息が唐突過ぎる気がしないでもない。10分間限定で出来る特別な攻撃だったのか、或いはアクシデントが発生して中断しなければならない事態に追い込まれたか・・・。
風見幽香は首の骨を折る怪我がまだ癒えず不参加であると最初に言われていたが、恐らくそれが原因で途中で止めたのだろうと会議の参加者達は予想した。
「風見幽香にも壊せなかったものを我々が壊す。その為の会議なのでしょう?」
落ち着きを取り戻した会議参加者の中心で、放心したまま口を開け上を見ているレミリア・スカーレットに四季映姫が声を掛けて正気に戻す。
「そ、そそそそ、そうよ!私達、いえ私が解決するのよ!」
レミリアの虚勢は誰一人心に届かず、完全にしらけてしまう。
確かに幽香の攻撃は失敗に終わった。異変の解決は自分達にしか出来ないはず。この会議に参加した面々は、それなりに強いと自負している者ばかりで、だからこそこうして足を運んで幻想郷の窮地を救おうと参集に応じたわけである。しかし、この敗北感は何だろうか?まるで敗者というレッテルを顔の真ん中に貼られたようである。
表向き皆が一致団結してという流れに見えるが実情は違う。解決が約束された本来する必要もない低俗な会議の格式を上げる為に雁首を揃えた様なものである。怪我人がここまでの芸当をやって見せたその裏側で、自分達はこそこそと裏で手を結んでいるという状況を省みてとても情けなく感じてしまうのだ。
どんよりとした脱力感が周囲を支配する。八雲紫はこのままではいけないと皆を奮い立たせようとあれこれ策を巡らせるが、何より自分自身が一番ショックを受けており、一生懸命気持ちを持ち直そうとしていてそれどころではなかった。
この窮状を救ったのは博麗神社の巫女博麗霊夢だった。
「ほらほら、幽香の攻撃は失敗したんだから、もう切り換えて!結局最初の計画通り私達にしか解決出来ないってこれではっきりしたでしょ?」
手をパンパンと叩き、活を入れて皆の気持ちを切り換える霊夢。この一つの行動で場の空気が明らかに変わり折れかかっていた各自の気持ちが持ち直す。
八雲紫は救われた気持ちになり、皆を一つにまとめる霊夢を頼もしく見る。どんなに力が強くても、知恵が働いても、バラバラに動いたのでは事業は達成できない。流行博麗の血には特別な力があるのだと、博麗について自らを鍛え上げた自分の正しさを再確認すると同時に、博麗を具現化させたような霊夢を愛おしく感じる。
「正午を過ぎたわね。藍、そろそろ妹紅を呼んできて。」
八雲紫の声に先程は違う張りと威厳が現れる。
「はい。ところで幽香はどうします?参加させますか?」
「幽香はいいわ。恐らく今ので力を出し切ってしまって怪我が悪化してると思うから休ませて頂戴。」
「はい。ではスキマ砲はどうしましょう?棺桶の位置が変わりましたが・・・。」
「下に落ちたわけじゃないから慌てる必要はないわ。でも発射時刻は予定通りにしましょう。戻ったら再調整をするわ。」
「わかりました。ではすぐに妹紅を呼んできます。」
紫の指示を受けて藍は直ぐに行動を開始する。
会議室前のバルコニーにピリっとした緊張感が漂い始める。
そんな中でレミリア・スカーレットは、異変の元凶、会議の主催者、作戦の総指揮としての肩書きを持ちながらも何一つ指導力を発揮出来ず、その存在感を著しく低下させていた。