東方不死死 第58章 「開戦前夜」


 『花果子念報』という見慣れない新聞が『因幡てゐ重症』を報じた翌朝、創刊号である謎の新聞のその一面を飾った妖怪兎が博麗神社にて療養中という第2号の続報が報じられる。
 重傷の因幡てゐが何故博麗神社で療養中なのか?相関関係からその不可思議さが理解出来る幻想郷東側の人妖は、この件と合わせて、それを報じた謎の新聞にも次第に興味を示し始めていた。
 最初の報から二日後の朝、因幡てゐが紅魔館と接触したという第3号の更なる続報が報じられ、そして更にその日の夕方、幻想郷東部初の夕刊として一日に2号発刊された第4号目の続報が報じらると、東側の関心事は完全に因幡てゐの動向に向けられる様になっていた。

 因幡てゐと言えば永遠亭の住人で、八意永琳という名医がいる。重症を負った因幡てゐが何故永遠亭ではなく、博麗神社に身を寄せているのか?憶測が憶測を呼び、紅魔館と接触したという報せを受けてあるひとつの憶測が確信に変わる。
 重症の因幡てゐが博麗神社に身を寄せ、次に紅魔館との接触。そこから導き出される答えは限られていた。

『永遠亭と因幡てゐ不和』


 「因幡てゐ、紅魔館入り!!」という見出しの『花果子念報 第4号』を配る犬走椛は、朝に「因幡てゐ、紅魔館と接触!!」という第3号を受け取ったばかりの続報に飢えた者達が作る人垣の中にいた。
「俺にもくれ!」
「早くしろ!」
「押さないでください!皆さんの分はちゃんとありますから!だから、お、押さないで!」
 最初に人間の里で配った時は、住人のほとんどがか弱い人間か、気性の大人しい商妖や里妖ばかりなので取り囲む群衆もそれほど怖くなかったが、ここマヨヒガは里の傭兵募集にも人間に味方する事を躊躇い即応できずに様子見をしていた屈強な妖怪達の屯地と化しており、勇猛な彼らの圧力は流石の椛でも恐怖に近いものを感じていた。
 しかし、そんな妖怪相手にも怯まず毅然と振る舞い一歩も引かない、この近辺の妖怪よりも強い白狼天狗・犬走椛は、その圧力に耐えながらなんとか群衆に配り終え、残部を各戸の敷地に放り込み、更に残った分は飲み屋等の人の集まりそうな施設に置かせてもらう事が出来、大量に用意した新聞も日没を過ぎた頃には完全に捌けて、妖怪の山への帰路は手ぶらとなっていた。
「それにしても凄い反響・・・。文様の新聞は読まれる前に包装紙になったりするのに・・・。」
 以前、文の手伝いで里に新聞を配った際、待ちわびたように新聞を受け取りに出て来た老婆が、読まずに直ぐにその新聞で白菜を包んで納屋に運びいれたのを見て落胆したことがあった。
 駒天狗犬走椛の主人である射命丸文は、自分の発信した情報欲しさに人々が群がり奪い合う様な新聞を目指し様々な試み、主に捏造に近い記事で関心を引こうと懸命に動いていたが結局良い結果は得られず、一部、創作物として記事を楽しむ者以外受け入れてもらえず嘘八百新聞という不名誉なレッテルを貼られ、包装紙として再利用されるだけの価値しかない新聞紙になりさがってしまったのである。
 一方、はたての発刊した『花果子念報』は世論を操作するという目的で時限的に作り出された新聞であり、本来の新聞とは程遠い存在だが、文の望んでいた新聞のそれとなっている。
 何の為にこの様な事をしているのか報されずただ文の命令で配達役をやっている椛だったが、上手く事が進む状況を目の当たりにし何か釈然としないものを感じる。この感覚は、『文々。新聞』との差に対する率直な不満という事も確かにあったが、それよりもはたてが何者かに利用されており、彼女の持っている実力以上の成果が現実に上がってしまっているという点である。
 能力的に見ても文とはたての差は歴然で、主人の文なら周囲との軋轢に耐えられる能力と実力、そして性格を持っているが、はたてにはその様な芯の強さも血統的に有為な素質を持っているわけでもなく、手に余る功績とその後に背負う名声と責任は、後々重圧となってのし掛かり彼女を不幸にすると思われてならない。
 主である文が、本来なれない文屋に無理矢理就いて、周囲から総すかんを喰らっている状況を見れば分かるように、天狗の社会は分相応でなければ攻撃される。
 鞍馬山と比良山、他領地民同士ということで身分差が生じないはたてと文。一鴉天狗そして同性として主人と唯一対等な立場で話が出来る姫海棠はたての出世は椛としても嬉しい限りだが、それらの理由があって手放しに喜べず気が重かった。
 だが、椛が心配するまでもなくその事は文も十分理解しているようで、この計画が終わった後、はたてが用済みとなって切り捨てられないよう記者として足りない部分をこの期にみっちりと仕込んで立派な「クロワン」に仕立てようとしている。何だかんだと言っても文にとってもはたては数少ない友人であり、失いたくない存在なのである。
 何はともあれ、この新聞の配達の手伝いも後数回で終わるはずである。何が起こるかは何も知らされていない椛だが、スケジュールは既に決まっており、数日後に新聞どころの騒ぎではない何かが起こる予定だけはわかっていた。


 傭兵の屯所に代わり本業の飲み屋が開店休業中の妖怪酒場『妖酔乃瀧』に、里の守護である上白沢慧音が先日里に正式に戸籍をおいた魂魄妖夢を従えて旧友を訪ねに来ていた。
「久しぶりだなー妖酔。」
 数日前に会ったばかりである。
「これは、これは、先生。わざわざこのような場所にお出でにならなくても、用があればこちらから伺いましたのに・・・。」
 吸血鬼特有の深紅の瞳を隠すために仮面をつけている、かつての大戦で千人隊長を努めた経歴のある猛者、妖酔であったが、ある事情があって霊獣である上白沢慧音には頭が上がらない。
 妖怪しか来ない妖怪酒場を仕切るボスとして普段から多少凄味を効かせている手前、慧音に対して腰が低い態度はあまり他人には見せられず、門前で一言二言挨拶を交わすと、連れの紹介を聞くのも後回しにすぐに奥の客間に招き入れた。

 慧音と連れの妖夢が案内された客間は和風な作りではなく、広い板の間の部屋で4人がゆったり腰を下ろせる大きめの丸いテーブルと椅子の応接セットが中央にあり、幻想郷入りした世界各地の調度品や家具、珍品が所狭しと飾ってあるというか無造作に置いてある小さな博物館の様を呈していた。
「そちらは?」
 最初から気になっていた従者の様に付き従う大きな魂魄を纏った短い銀髪の少女について、まず部屋に通して席に着かせてから開口一番に尋ねる妖酔。
「あ、私は、先生のところで世話になっております、魂魄妖夢という者です。宜しくお願い致します。」
 あっという間に奥に通されて名乗るタイミングを失っていた帯刀していない普通の里娘に見える妖夢は、下ろしたばかりの腰をサッと上げて自己紹介し頭を下げる。その身のこなしを見て妖酔はただの里娘ではないことを直ぐに察知する。
 妖酔と呼ばれる古妖は、他の妖怪とは明らかに雰囲気が違い、妖夢としてもただ者ではないとすぐに分かる。
「私は妖酔と申す。以後お見知り置きを。」
 妖酔が初々しい妖夢の態度に破顔した直後に背筋を伸ばし表情を堅くする。妖夢はその急に変わる態度に違和感を感じたが、すぐに部下の妖怪が湯を入れた鉄瓶と茶菓子などを持って入室したのを受けて態度を変えた事を知る。ここを取り仕切る立場上、部下に緩い姿を見せられないという事だろう。彼が普段どのように部下達と接しているか、そしてそれがこの妖怪の本来の姿ではなく、今したが見せた優しそうな顔が本当の彼の姿だということが理解出来る妖夢だった。

 入ってきた一見すると人間に見える妖怪は、こちらに関心なさそうに持ってきた茶具一式をテーブルに置くと、一礼もせずにそそくさと去っていく。ただ持って来て置いていったという感じで、その様子からここは人間の様な作法とは無縁の妖怪の領域だと言う事が理解出来た。それと同時にこのことに違和感を覚える自分はやはり人間の文化圏に入っている存在だと思い至る。
「因幡てゐの話は耳にしているか?」
「ええ、最近その話しで持ちきりですね。」
 慧音が唐突に話し始める。彼女は一応半分は人間の筈だが、その半分の人間部分はどうも日本人ではないらしく、礼儀を重んじる里の有識者とも違うタイプで、言葉を飾らず誰に対しても教師が生徒と話す様に話す。妖夢は慧音の寺子屋兼孤児院で数日世話になって彼女の意外な素顔を知った。

「恐らく八雲紫の仕業であろうが、まさか因幡てゐを紅魔館につけるとはわなー。」
 因幡てゐを利用しているという時点で既に八雲紫と永遠亭との間に繋がりがある事は理解している2人。
「普通に考えれば胡散臭い事この上ないところですが、少し前から何やらきな臭く、何かが起こる事を皆予想しておりましたから、この新聞を見て予想が的中したとかしないとか騒いでおりますよ。」
「皆、何かが起こるとだけは目聡く感じていたからのー。このタイミングでこんな事件を報じれば皆喜んで食い付く。流石は八雲紫と言ったところか、情報の扱いに長けておる。」
 見た目は若い慧音だが、話し方は年寄りみたいだと、飲んだ事がない漆黒の苦いお茶を飲みながら苦笑する妖夢。
 このお茶は話をしながら妖酔が目の前で直接淹れて見せたお茶で、ここでは家の主が客にお茶を出すのが作法のようだ。白玉楼ではいつも自分が準備をして客に差し出していたので軽いカルチャーショックを覚える。
「しかし、そのお陰で隠れて傭兵を雇う必要もなくなります。」
 抗争が予想されれば、自衛の為に兵を雇うと周囲の目には映るはずであり、決起の為に密かに傭兵を集めている側にしてみれば公然と徴兵出来る口実になる。
「そう、それ!聞いたか?マヨヒガや関所で我々とは別の複数の傭兵団が形成されているそうだ。」
「勿論聞いております。宇宙人と吸血鬼が争うという噂が立ち、戦争にでもなれば傭兵の需要があると言う事で、私と契約した連中の一部も離脱しそちらに流れましたよ。」
「まー人間に組みするのは気が引ける連中もいたからしようがないじゃろう。」
「無理強いはできませんし、そもそも取るに足らない連中でしたから痛くも痒く・・・。それにしても、吸血鬼の小娘に何をさせる気でしょうか?八雲紫は・・・。」
「簡単な話じゃ。運命だよ、う・ん・め・い。八雲紫は妹紅の不死鳥の力を最大限に利用する為に、とてつもない大きな異変をやると思うのじゃが、そんな事が出来るのは幻想郷でも数が限られておるじゃろ?」
「なるほど、大きな異変といえばすぐにその黒幕に名前が上がりそうな八雲紫としては、誰かにその役目を肩代わりして欲しいと・・・。そこで運命を操った事で大きな異変が起こったことにする・・・。しかし、その運命を操作するというのは本当なのでしょうか?到底真実とは思えませぬが・・・。」
「そう噂されているが、私も実のところ眉唾だと思っている。じゃが、この際真実はどうでもよいのだろう。騒ぎを起こした責任を吸血鬼に押し付け後に罪を課して排除する大義名分とするだけだからの。」
「そうなると、運命を操れる事がいかにも本当だという事を幻想郷中に広める為に更なる続報がありそうですね。」
「それは間違いなくあるじゃろう。永遠亭と敵対し、彼らを攻撃する手段として何かしらの運命操作が行われるという感じだろうな。それ故に因幡てゐを離反させ、紅魔館につけさせたのだ。」
「裏の事情を知っていると、相手の考えている事が手に取る様にわかりますな。」
 にやりと口元に笑みを浮かべる妖酔と、それと同じ表情をする慧音。妖夢はそんな2人を見て自分が井の中の蛙である事を改めて思い知った。

 極一部を除き周囲には秘密にしているが、妖酔は吸血鬼の始祖に吸血され純血種となってしまった正真正銘の吸血鬼である。もちろん望んでそうなったのではなく、戦争の最中に捕虜になって吸血鬼にさせらてしまったもので、今でもその身は幻想郷に殉じている。
 妖酔の様に戦時中に捕虜になって吸血鬼させられた者は大勢おり、そのほとんどが血の乾きの拷問で籠絡され寝返っているが、妖酔は最後まで耐え続け餓死する寸前まで耐え抜いたところを、その気概に感服した騎士道精神を持つ変わり者の吸血鬼始祖によって解放されたのである。
 吸血鬼は氏族や血盟によって性質が大きく異なり、邪悪な存在から正義感に溢れる貴族・騎士の様な者もおり、妖酔は運良く後者に囚われていたのである。
 妖酔の様に解放された吸血鬼化した妖怪の数は少数だが存在し、魅魔はその事を隠し戦後吸血鬼との平和条約を結ぶ折りにこの事実を一般に周知させ、吸血鬼との共存の架け橋にしようと目論むが、八雲紫は吸血鬼廃絶を強行し徹底的な弾圧をすべしと訴えたのである。
 八雲紫がその戦後処理交渉で魅魔と妥協しなければ、吸血鬼となった自分も粛正される側にいたので、当時、紫に対して強烈に敵視していた経緯がある妖酔である。
 慧音の万病に効くとされる霊獣の血を飲んだ事で、枯れていくはずの血液が体内で生成される特異体質になり、血の乾き、つまり空腹によって生じる獣性が抑えられ、100年以上血を吸わなくても良い体になり、こうして普通の妖怪と同じ生活が出来ているのである。
「八雲紫の思惑通りにシナリオが進んでいるわけですな。」
「だが、そうはいかん。私も妹紅も、八雲紫の好きにはさせん。」
「藤原妹紅・・・たしか先生のご友人。大丈夫なのですか、彼女は?」
 慧音の前では面識がないがないこととして振る舞う妖酔は、先日妹紅がショックを受けて絶望した様子を目の前で見ているので彼女に何かを期待し託すのは危険ではないかと、その後吹っ切れた妹紅を知らないので心配になる。
「大丈夫じゃ。奴め、私の為にこんなすばらしい助っ人をよこしてくれた。」
 そう言って横に座って正面の妖酔を黙って見ている妖夢の肩を叩く慧音。仮面の奥の瞳がこちらを注視したことに気付き緊張して居住まいを正す妖夢。
「ほう?」
 興味深そうに妖夢を値踏みするように見る妖酔。
「妖夢は見ての通り、半分人間で半分幽霊じゃ。私と同じで、どちらからも見る事が出来る。」
 妖夢はこの内容をかなり端折った慧音の言葉をすぐに理解出来なかったが、妖酔は一瞬で理解した。
「なるほど。人間の歴史を消しても彼女であればどちらも認識出来ると?」
「流石に察しがいいな。こうすれば人間を安全に神社に運ぶ事が出来る。私が先導しても良いのだが、里を空にするのは流石に気が引ける。老人と子供以外大勢神社に移動させるには、安心して強行軍に臨めるよう、里に残る家族の安全を誰かが保障してやらなければならん。風見幽香は確かに護衛としては打って付けじゃが、外妖に里の人間の命を預ける事はやはりできん。」
「先導者がいなければ彼らが自力で無事に神社にたどり着けるか分かりませんし、途中で妖怪を目撃すれば恐れをなしてそのまま引き返してしまうかもしれませんしね。」
 里に残る家族を置いて、危険な博麗神社の道のりを強行軍させるには、残った家族の安全と自分達を守る護衛がなければならない。
 当初、慧音が強行軍を先導し、里妖を中心とした自警団を大勢里に残す計画だったが、行方不明だった風見幽香が里入りし、その後魂魄妖夢も里入りしたことを受けて計画を変更したのである。
 数百年前から里の守護神として不動の地位にある上白沢慧音を里に置き、里でも食品関係の商店を中心にそれなりに顔が知られ、剣を持ち人間から見れば十分強そうに見える妖夢が先導者になる事で全ての不安要素が解消されたわけである。
「里の人間の歴史を消してしまえば、里に戸籍を置く人間が襲われる危険はない。じゃが、消された側の人間は他の妖怪を当然見る事は出来る。いくら自分達が見えてないと分かっていても恐ろしい妖怪の軍勢を目の当たりして人間達が予定通りに行動するのは難しいだろう。ある程度頼りになる者が先導し、時には囮になって人間から危険を遠ざけねばならないのじゃ。というわけで妖夢、頼むぞ?」
 ポンと肩を置かれ、跳ねる様に体が反応しハイと返事をする妖夢。この自分の役割はここに来る前に聞かされていたので今更驚かないが、この大任を無事遂行出来るか正直なところわからない。ただこれが自分をここに寄こした藤原妹紅の期待に報いる事と同時にそれが恩返しにもなると思い、是が非でも成功させたいと思う妖夢。
「彼女は手練れと見受けるが、しかしたった一人で大丈夫ですかな?」
 敢えて手練れなどと言って人間の様に世辞を言う妖酔だが、集団と相対した時、妖夢一人では荷が重いだろうと思い、その事を妖夢に対して失礼にならないように問うが、慧音は言葉を飾らず妖酔の気遣いは徒労に終わる。
「妖夢が未熟で頼りなく思うのは承知の上。だが彼女に期待しているのでは武でなく人心を引っ張る勇だ。これは存分に足りておる。足りない武を少し貸して貰えれば幸いじゃ。今日ここに来た理由がそれなのだ。目立つから多くはいらんが、お前の持ち駒から何とか工面できんだろうか?」
「分かりました。そういう事でしたら私の左右の腕をお貸ししましょう。」
 妖酔は、戦後一時期行方不明だったが、その後人間の里で妖怪専門の店を開き、それを聞きつけたかつての部下だった生き残りの猛者が妖酔の元に参集しており、その中でも妖酔の懐刀的な信頼出来る2人の部下の妖怪を貸すと申し出る。
「そこまでせぬともよいぞ?」
「お気になさらずに。我々の傭兵団はかなりの粒揃い。里は幽香殿に任せられますし、当初予定していた守りの戦力は全て前に出し、妖怪の群れを引き付けます。ぬえという掘り出し物もおり何の問題もありませんよ。」
 揃えた傭兵部隊の質に満足している妖酔。
「ほう?ぬえとな?それは心強い。」
 ぬえは単純に強いだけはなく攪乱なども得意で、数に劣るであろうと予想される戦場において大きな力となりうる。
「他に西側の集団戦に長けた大戦において面識のあった猛者の一部も来ております。心配なのは八雲紫がこうした状況に気付いているかどうかです・・・。」
「その心配ないな。八雲紫は、わしを妹紅とセットで見ておるし、妹紅が八雲紫と手を結んでいるなら、わしも同じと思っておるからの。」
「なるほど。」
 仮に知っていて何もせずにいるとするなら、それは守矢神社との内通を彼らが知らないという目安にもとれる。こちらの挙兵が守矢神社との連携による一種のクーデターであることを知っていれば、必ずこちらの動きを未然に防ごうとするはずである。その気配がないということは、はやり何も知らないのだろう。
「奴等の唯一の弱点は数じゃ。八雲紫と藍は確かに強大で恐るべき存在だが、ただ命令通りに動く僕はいても彼らの為に身を粉にして命ぜられた事以上の働きをする忠臣がおらん。2人とも自分達以外誰も信用しておらんからな。恐らく異変の根回しに東に西に首謀者自らが駆け回って里を監視する余裕はないのじゃろう。」
 頷く妖酔。気付いていれば何らかのリアクションがあってもよいと思うが、それらが全くないのはこちらを見下して無視しているか、忙しくて手がまわらないかのどちらかだろう。そして実際問題、慧音の見解は正しかった。紫も藍も異変に望む上での重要人物との打ち合わせや根回しで自らが忙しく駆け回っており、里を気にする余裕はなく、仮にその余裕があったとしても最初から無視していたところである。
「あ、あの!」
 ある程度話が進み、2人の会話が途切れたのを見て妖夢が口を挟む。
「何だ?」
「一つ聞いていいですか?さっき妖怪の軍勢と戦うような事を言ってましたが、それほど博麗神社までの道中は危険なのでしょうか?」
「お前はつい最近幻想郷入りしたばかりだから知らんだろうが、100年以上前、神社がまだ里にあった頃は里の周辺まで妖怪が人をさらいに来てな・・・。」
「え?そうだったんですか?今の状況からそうは全然・・・。」
「博麗大結界の施行の際、八雲紫が力を使い切って一次離脱して、その後魅魔という強さだけなら八雲紫を遙かに凌ぐ悪霊の大魔導師が幻想郷の運営を預かっていたのだ。彼女は八雲紫の混沌政策から平和政策に切替え、人食い妖怪を東側に追いやるために風見幽香を今の太陽の畑に移住させ東の要とし、里側に危険が及ばないようにしたのだ。」
 幻想郷に入って数年しか経っていない妖夢は最近のほのぼのとした幻想郷しか知らないため、物々しい戦の準備の必要性がよくわからず先程の質問をしたのだが、こんな過去があったとは全く知らず心底驚いた。
「幻想郷に危機的異変が起こり、タガが外れれば東側に追いやられた妖怪達はここぞとばかりに出てくるじゃろう・・・。」
「闇の勢力も間違いなく出てくるでしょうな。」
 妖酔も同意する。
「早ければ明日、遅くても明後日には始まるかな・・・。妖夢、気を引き締めていくのだぞ。」
 慧音がポツリと呟き、次に妖夢を元気づける。それを見て妖酔は複雑な思いになる。この異変が慧音の思惑通りに進めば彼女は必ず幻想郷に仇なす罪人となる。恩人である慧音を死なせたくはない妖酔だが、今の自分にはどうすることもでず、ここにはいない恩人の友人に希望を託すしか無かった。


 博麗神社の建つ本陣山の北側に存在する綺麗な三角形の山、三角山の頂上に神社がまだ里にあった頃境内に建てられていた社務所が移設され、今現在八雲藍の仕事場として使われている。
 幻想郷の結界の修復作業が必要な場合に主であり、幻想郷の創設を直接行った八雲紫を動かして処理をさせるので、実質的な幻想郷の管理者は藍と言っても過言ではない。
 この社務所は外から入る事も見る事も出来ない特殊な結界が施されているが、内から外は見通す事が出来る。そして南向きの社務所の長い縁側からは博麗神社を眼下に見ながら幻想郷の南東部を一望出来る。
 社務所は藍の仕事場であると同時に普段の生活をする居宅でもあり、神社の様子がいつでも見てとれる事から紫のお気に入りの場所となっており普段からここにいることが多い。藍の式神である橙も時々ここに連れてこられているので、実質ここが八雲一家の住処といえた。

「紫様、順調に事が進んでいるようですね。」
「ふふ、私達自らここまで動いているのだから当然と言えば当然ね・・・。」
「こんなによく働く紫様を見るのは久しぶりです。」
 三角山の頂上に建つ社務所の縁側からいつものように博麗神社を見下ろす八雲紫の背中に九尾の藍が話かける。それに応じた紫は自信ありげな感想を述べ満足そうな笑みを浮かべて、仕込みを終えて一息ついた様子を背中に漂わせて機嫌が良い事をさりげなく藍に教える。こういう時は多少の冗談でも不機嫌にならずに聞き流してくれることを藍はよく知っている。
「ふふ、で、他の状況はどう?」
「妖怪達が傭兵団を形成しつつあります。それに呼応して人間の里の方も傭兵を雇って自警団を組織しているようです。」
「まー予想通りの展開ね。」
 彼女達は里の傭兵団がある目的を持って先に形成された事実を知らない。
「山の神様達がこちらの打診に素直に応じたのは意外で、何となく気掛かりですが・・・。」
 紫の親書を守矢神社に直接届けた藍。
「彼らとて背に腹は代えられないでしょうし、条件を付けて取引するよりもこの件で恩を売って後の交渉を有利にする方が賢い判断といえるわ。」
「彼らが後の事まで考えての今回の判断とするなら、いずれ本格的に対決する場面が来るでしょうね。」
「今は、せいぜい恩を売った気にさせておきましょう。この異変が成功すれば必ず天狗側にも変化が起きるわ。起きなくても言いだしっぺのつむじ風が何かするでしょうし・・・。そうなれば山に安住の地はなくなるわ。」
 言いだしっぺのつむじ風とは大天狗比良山次郎坊のことである。
「だと、いいのですが・・・。」
「・・・何か気になる事でもあるの?」
 藍の歯切れが悪い事に気づき、振り返って忠実な式神を見る紫。
「コレ・・・といって明確な理由があるわけではありませんが・・・霊夢が言っていた様に、彼らは本当の神様ではないのではと・・・。」
「何が言いたいの?」
「もし彼らが偽物の神様であるなら、我々の常識は通用しません。追いつめれば形振り構わず動いてくるかもしれません。」
 先日、霊夢と永遠亭の八意永琳を交えた会合の席で、霊夢が守矢神社、特に八坂神奈子について神威がないという感想を述べていた。彼らは外から来た歴とした神様という認識で、感じる力は正に神そのもので疑う余地はなく藍としては霊夢の言葉が全く理解出来なかった。しかし、先日守矢神社に紫の書簡を届けに赴いた際、神社の敷地全体から感じる真新しさや、近代的な母屋の作りと生活様式を下品なものと感じ取り、霊夢の感じている『何か』が見えたような気がしたのである。
「・・・そうね。でも、それはむしろ大歓迎だわ。天狗達のど真ん中で事を起こせばどうなるか・・・彼らが本気を出せば私達だって敵わない相手よ。」
 鴉天狗ごときが束になってかかっても何ともないが、相手が大天狗となれば話は別である。彼らは如来の下、菩薩と同等である。
「そうですね・・・しかし、確実に彼らは何かを画策している・・・。」
「それは分かっているわ。今回の異変で彼ら・・・特に八坂神奈子の尻尾を掴むつもりよ。明確な証拠が掴めればすぐにでも天狗達に討伐を依頼できるわ。」
 珍しく自信なさ気な藍を励ます紫。いつも心配性な自分が藍に励まされるばかりであったが、立場が全くの逆になってしまった。
 この時、八雲紫は僅かだが不安を感じた。
「(かつてない、大きな異変だもの、いつもと違うのはあたりまえよね・・・。)」
 紫はそう自分に言って聞かせて視界の端の薄もやのような些細な不安を無理矢理振り払った。

 事態は既に進行しており、今更後戻りも修正も出来なかった。


 因幡てゐが永遠亭を離脱し、紅魔館に入ったと報じた『花果子念報 第4号 夕刊』の一面に大きく貼られた自分の姿をつまらなそうに眺めるレミリア・スカーレット。その横で妹のフランドール・スカーレットが姉の腕にすがるようにして新聞をのぞき込んで、二人の姉を見比べて楽しそうにしている。そして、そんな微笑ましい様子を横で冷ややかな表情で無視するように眺めるメイド長十六夜咲夜がいた。
「本当にコレで良かったのかしらね。」
 活動時間を昼型に代えた妹と一緒に自室のテーブルで朝食をとった後、食後のお茶を楽しみながら傅く忠実な僕に自分で決めた選択の是非を改めて問いてみる。この質問は起床してから何度もしていたが、何れも不機嫌を隠さない僕から無視され続け、5度目にしてようやく返事が返ってきた。
「因幡てゐの紅魔館入りのあるなしに関わらず、異変の企画者は我々を巻き込むつもりです。どちらに転んでも結果は同じです。」
 主の顔を見ずに素っ気なく応える咲夜。
「昨日はあれほど反対したくせに・・・。」
 素っ気ない返事も、今まで無視されてきた事を思うば一歩進展にたと感じられ、思わずその嬉しさが言葉尻に出てしまいそうになるが、その衝動を抑えつつ空くまで普段通りに素っ気なく応じるレミリア。
「・・・。」
 自分では普段通りの振る舞をしているようだが、咲夜から見ればこちらの発言から返答までの間隔が普段よりだいぶ短く、そこに微妙な焦りが窺えた。これは咲夜に対する罪悪感を持っている現れでもあり、それはすなわち自分の判断に絶大の自信を持っておらず、未だその判断の是非を悩んでいるためである。

 因幡てゐが紅魔館に入り、永遠亭に追われている自身の保護の代償に、蓬莱人の殺害方法を伝えるという取引交渉が行われたが、それを受けた紅魔館側だけの事前会議において永遠亭を敵に回す事に反対する十六夜咲夜と、蓬莱人の殺害方法に興味を持ち、永遠亭との抗争をのぞむ魔法使いパチュリー・ノーレッジの間で激しい討論が行われた。
「でも、お嬢様はわたくしの反対を押し切ってパチュリー様の提案に乗りましたね。」
 少しツンとして見せる咲夜。
「だって、私が成人になるには変化が必要だとパチェは言っていたし、ここで因幡てゐとの縁を切れば、永遠亭とも今まで通りで何も変わらないし何も起こらないわ!因幡てゐと手を組むのは変化のために必要な事なのよ!」
 昨日の咲夜とパチュリーとのやりとりはかなり激しく行われ、事前に変化の兆しを恐れないよう親友の魔法使いに吹き込まれていたレミリアは、咲夜の反対を押し切ってこの論争もこの選択も全て予定通りの作戦である事も知らず、まんまとパチュリーの案に乗ったのである。
 咲夜は自分の案を退けられた後、直ぐにパチュリーの案に迎合する態度は怪しまれると判断し、自分の提案を退けた事を根に持つような態度を取り続け、昨日からずっと不機嫌を装って主の世話をしていたのである。そして、その演技を見抜けないレミリアは咲夜の機嫌が早く直るよう、気を遣って普段より明らかに口数が多くなって何かと声をかけ続けていたのである。
 そんな健気な気遣いをしてくれる主人を愛おしく思う咲夜は、僕としての至福の時をずっと味わっていたかったが、そろそろ可哀相になってきて和解に応じた。
「どんな結果になろうとも、お嬢様が自ら決断し選んだ道であるなら、十六夜咲夜はどこまでもお供します。」
 優しい温もりがふわりと両肩に触れ、背後から心強い言葉が降り注ぐと、レミリアの不安で乾いた心が安心に満たされ潤っていく。
「(よかった・・・。)」
 立場上、フランドールの様な無邪気な子供として振る舞えず、だからといって大人になりきれず子供という堅い殻を破れずにいるレミリア。どんなに気高く大人びた振る舞いをしようとしても、家族とも呼べる身内の中ではつい甘えが出て子供の部分が表に出て来やすくなる。

 藤原妹紅は肉体的には二次成長前のいわゆる子供であるにもかかわらず老練で逞しい中身が隠されているわけだが、それは長く生きる事によって生じる妖力によって肉体が強化されている為でもあり、見た目と中身は一致しない。
 レミリアの場合、魅魔のかけた強力な呪いによって肉体も精神も、あらゆる成長要素が強制的に止められており、本当なら妹のフランドールの様に無邪気なままの姿でもおかしくなかった。彼女を大人に見せ誇り高い態度を取らせる要因は、生まれ持った王者の血統なのである。

 最も信頼する最愛の僕の素っ気ない態度から気持ちが乱れていた頼りないレミリアだったが、和解の態度を示された事で安心し普段の姿を取り戻した。そんな主の姿を見て安堵した咲夜は、他の用件も済ませなければならない為、一先ず姉妹の元を後ろ髪引かれる思いで離れた。
 廊下に出た咲夜は数歩進んだところで立ち止まり主の部屋を振り向く。
「お嬢様はやはり気づいていない・・・。」
 因幡てゐ来訪の最初の会見で、対するレミリアに向けられた言葉から異変発動に関する重要なキーワードがいくつか与えられ、主が無意識の内に暗示に掛けられていることを十六夜咲夜は気付いていた。
 藤原妹紅によってこれから起こるであろう異変の種を明かされているから気付き得た事であり、何も知らされていなければ恐らく主と同じで全く気付く事は出来なかっただろう。
「全くもって巧妙な・・・。」
 因幡てゐは、紅魔館来訪時にそこに至る経緯とその後の目的を説明し、レミリアと紅魔館にその協力を求め、にわかに信じられない蓬莱人殺害の方法を交渉の席に着かせる手土産として先に伝える。

 『蓬莱の薬』という『薬』の効用によって不死身になったのであれば、その薬の効用を消す『解毒剤』の役割を果たす薬、或いは物質があって然るべきという因幡てゐ独自の考えに基づき、そうした情報を求めて永琳の目を盗んで永遠亭を探索し、積極的に探し回ったわけではなかったが、ある時偶然その存在を突き止めたという。その事がばれたてゐは永琳の逆鱗に触れ今回の重傷に繋がったと、まだ顔の傷が完全に癒えない姿でこんこんと語る。
 そんな重大な秘密を知って尚、殺されずに済んだのは、その『ある物』が今現在月に保管され、地上の民の手に届かない場所にあるため、『ある物』が使われる危険性が皆無で、実害が無いという判断が働いたと、てゐの言葉を怪しんで問い質しだパチュリーに冷静に説明していた。

 てゐは、月にあるその『ある物』を取り寄せることが出来れば、八意永琳らに復讐出来ると目論見、それが出来るのは幻想郷では八雲紫のスキマの能力かレミリア・スカーレットの運命操作だけだと判断し、こちらからの接触が事実上不可能な八雲紫との交渉は出来ないと判断し、紅魔館に話を持ちかけたというわけである。

 この時、因幡てゐは見つけた資料の中に描いてあった『ある物』について形状だけを掻い摘んで説明した。

 『金属的な黒い光沢を持つ球形の物体』

 それらの話が『ある物』以外全て作り話である事は咲夜もパチュリーも理解していたが、主はそれを知らない。
 その話を聞いた主レミリア・スカーレットは、その『ある物』を自分なりにイメージした事だろう。咲夜は、事前に解毒剤という言葉を聞いていたので、咄嗟に薬・丸薬が頭に浮かんだが、恐らく主も似たような物をイメージしたはずである。
 蓬莱人を滅ぼす切り札『金属的な黒い光沢を持つ球形の物体』を月から幻想郷に移動させる。物と場所の位置関係がはっきりしているなら、その作業自体は運命操作でどうにでもなる事だった。
 その後、因幡てゐを外した咲夜とパチュリーの3人で今後の方針を考える会議を開き、そこで因幡てゐの紅魔館入りに反対する役を受け持った咲夜と、レミリアの変化の絶好の機会と考え、因幡てゐを入館させ永遠亭との抗争も辞さないとするパチュリーとの間で激しい偽りの論争を展開させ、今後変化が無く無為に時を浪費すれば咲夜は何れ寿命で死ぬと先にパチュリーに吹き込まれていたレミリアは苦悩の末『変化』を推すパチュリーの提案を2人の予想通り採用し、因幡てゐ紅魔館入りが決まったのである。

「最初の話を聞いた時点で、向こうの勝ちか・・・。」
 てゐの役目は紅魔館に入ることではなく、異変の核となる『ある物』が確実に月に存在している事を報せるだけで良かったのだ。
 これでレミリアの運命操作が働く下地が出来、後は強くそれを念じればいい。
「ただ頭の中にあるだけでは駄目ね・・・それが必要になる切実な状況にならないと・・・。」
 それは恐らく簡単だろう。永遠亭が因幡てゐを倒す為に立て籠もる紅魔館に攻めて来て、多大な被害、例えば親友や妹、或いは僕が死ぬような状況に導き、蓬莱人殺害の切り札を使わざるを得ない状況を作り出せばいいのだ。これで例の『ある物』は無事幻想郷に召喚されるはずで、それは恐らく彼らの作った異変発動のシナリオで間違いないだろう。
 藤原妹紅から相手の策に乗れと事前に言われているので、今は冷静にしていられるが、知らずに策に嵌ればどうなっていただろうか?背筋に冷たいものが走る。

「でも・・・。」
 咲夜はニヤリとする。八雲紫も八意永琳もレミリア・スカーレットが自ら望んで変化しようとしており、『ある物』を彼らの思惑よりも先に召喚しようとしている。いや、もう既にしているのだ。先程、咲夜との和解でレミリアから不安が取り除かれた正にその時。
「召喚させられるのではなく、お嬢様が自ら召喚するのよ。」
 運命操作の力は世界そのものを支配できる強力な力であるが、未来を創る、支配するといった強い動機と意志、そしてそれを実行するために必要な知識と器量が備わっていなければ到底為しえないものである。
 鳥籠のような幻想郷とその中にある巣箱である紅魔館に半ば幽閉されている状態では、そのような意志や知性は育つわけがなく、更に小さな子供の肉体のままでは危険や無理を本能的に回避しようとするので、尚更困難である。
 今のレミリアが出来る運命操作による事業は、一定の軌道で漂う小さな星屑の欠片の運行に干渉して幻想郷の上空に落とし、妹の力でそれを破壊してみせる事くらいしか出来ない。そして、それをするためにはパチュリーによる小天体の軌道計算が必要で、たまたまそうした小天体が付近になければ成立しないわけである。
 レミリアは以前、紅霧異変で博麗の巫女に敗北後、汚名返上も兼ねて自信のアピールのためにそれをやって見せた事で『運命操作』の能力を衆目に晒し、周囲に畏れを抱かせる事に成功した。
 この事実が、八雲紫の異変において運命操作を利用されるきっかけとなったのは言うまでもないだろう。

「このまま放っておけばお嬢様の力は誰かに利用され続けるだけ・・・。一刻も早くお嬢様を成人にさせ、本来の力を取り戻さなければ・・・。」
 今回の異変の発動がレミリアの運命発動によるものが確定すれば、八雲紫にしろ八意永琳にしろその力を自分達の都合で使うようになるかもしれない。それではあまりにも主が惨めであり僕としてそれだけは絶対に許してはならない。
 咲夜の中で闘争心がマグマのように煮えたぎり、無意識に恐ろしい表情になっていた。そして、窓に映るそんな自分の表情を無視してガラスの向こう側を見やり視線を何もない空に向ける。
 変化を望む主の心に呼応して、点で存在する各事象は線で結ばれ、やがて月から何か落ちてくるのだ。
 この時、因幡てゐの言葉通り『丸く堅い光る物体』が幻想郷に落ちてくる事、いや既に落ちて来ている事を十六夜咲夜は察知していた。


 翌朝、幻想郷に『紅魔館、永遠亭に宣戦布告か!?』という見出しの『花果子念報 第5号』が出回った。
 紅魔館の主な面々、スカーレット姉妹、メイド長十六夜咲夜、魔法使いパチュリー・ノーレッジ、門番の紅美鈴、そして因幡てゐの6人が一面に同じ枠内に収まっている、まるで永遠亭を挑発するような写真と記事と見出しは衝撃的で、誰もがこの2つの勢力間でなんらかの衝突があると予想し、そしてそれを熱望した。
 東側の事情に疎い西側、正確には妖怪の山の南、幻想郷全体でいえば南西部にいる妖怪達は、紅魔館や永遠亭という聞き慣れないキーワードを理解する為に情報収集に躍起になり、自称情報屋が爆発的に増え、真偽入り乱れて錯綜し有る事なす事様々な情報が波紋の様に広がっていった。

 人間の里においては、突然の酒蔵の監査、転じて酒祭り、さらに戦争と急転する状況と、新聞報道や様々な噂に翻弄されており、毎晩の様に商工会館で集会が行われ、上白沢慧音は常にそこに顔を出して人心を落ち着かせるために精力的に働いていた。
 これまで秘密裏に進めていた里でも一部しか知らない傭兵募集は公然と行われるようになり、それに伴って妖酔乃瀧で隠蔽されていた傭兵達が大手を振って外を歩けるようになり、この近辺では見かけない武装した外妖も多く目にするようになった。

 夕刻になると闇夜の恐怖と不安に駆られた里の住人達が、集会所としても利用している商工会館に集まり、特に誰かが音頭を取って仕切るわけでもなく、自然に待合室や玄関先で話し込む輪が出来上がる。更に人が増えると広い会議室に場所を移し終わらない議論が続く。
 商工会館の隣に広い敷地があるが、そこは博麗神社跡地で祭などの催しに利用されている。
 博麗神社があった博麗大結界が施行さる以前は、何かあると社務所に住人が集まって神主らが取り仕切って会合が行われていた。今現在神社は遠く本陣山にあり、移設してから100年以上が過ぎて寿命が短い人間の最長老格の数名が魔法の森を通って参拝した記憶を辛うじて有している程度で、博麗神社という存在は里にとってお伽話に出てくる遠い存在となっていた。
 その一方で、里には純粋な人間以外に人間と同化して暮らす妖怪及び人間との混血妖怪が存在するが、何れも長命で博麗神社が里に存在した当時の事を覚えている者も大勢いた。

「いったい、幻想郷はどうなってしまうのか・・・。」
「祭りどころではないな・・・。」
「なんでもマヨヒガや関所は妖怪でいっぱいらしい。どさくさに紛れて連中が里に攻め込んでくるかもしれんぞ。」
 弱い人間達の口から出る言葉はどれも後ろ向きで、世も末といった様子である。
 そんな中、一人の里妖がポツリと呟いた。
「困った時の神頼み。神社に相談にでもいけばいい。」
「神頼み?」
 そこで人間達から笑いが起こる。
「何だそれは?」
「神様に何が出来ると言うんだ。冗談も大概にせー。」
 この言葉を受けて発言した里妖は目を丸くした。これは本気で言った言葉であり、それが冗談と受け取られるのは甚だ心外である。大人しい里妖といえどバカにされれば怒り喧嘩になる。しかし、この時その里妖は怒りよりも驚きの方が勝り唖然とした。
 つい100年前までは、困った時の神頼みと、何かに付けて神社を頼っていた里の住人が、今ではすっかり神様を信用していなくなっていたのである。
 神社との接点がなくなって100年が経ち、神主や巫女が見せる神の力から遠ざかって世代が代わり、寿命の短い人間はすっかり神様との縁が途切れてしまっていたのである。とは言っても神様という存在が彼らから全く無くなったというわけではなく、落ちぶれた豊穣の神や厄神といった妖怪にも劣る様な神様は里周辺でも目撃されている。
 人間にとって神様とは、妖怪以下の存在という認識で固まっており、先程の妖怪が発した「困った時の神頼み」は人をバカにした悪ふざけの冗談か、場を和ます為の戯れ言にしか聞こえなかったのである。
 上白沢慧音は、その一連の会話を少し離れたところで聞いていた。
「(やはり、神離れは深刻だな・・・もう一度人と神との絆を復活させなければ、霊夢が何をしても何も始まらぬ・・・。)」

 この会話を聞いていたのは慧音だけではなかった。
「今の聞いた?」
「ああ。」
「平和ボケというやつかしらね。」
「わしはボケでもハゲでも平和ならそれはそれでいいと思うがのー。」
 商工会館に隣接する博麗神社のあった広い敷地。今は酒などの保管場所で立入禁止になっているが、そこに風見幽香と伊吹萃香が酒盛りをしていた。鬼の萃香は体を小さくして酒桶で泳いでおり、酒盛りというよりも水浴びならぬ酒浴び状態だった。
「ところで幽香、わしに何の用だ?ただ酒を飲みに来たわけじゃなかろう?」
「ええ、ちょっと萃香に頼みがあってきたの。」
「断る!」
「ちょっと、何も言ってないでしょ?」
「どっちかに付けという話しだろう?わしは中立じゃ。誰の敵にもならんし、誰の味方にもならん。」
「誰の味方も無く孤軍奮闘している子がいたら味方したくならない?」
 ちゃぷちゃぷと酒桶で泳いでいた萃香は、その言葉に反応して泳ぐのを止め、桶の縁に腕を乗せて話を聞く態度になる。
「孤軍奮闘?藤原妹紅のことか?」
「いいえ、彼女には沢山の味方がいるわ。」
「では誰だ?そんな者どこにもおらんぞ?」
「いるわよ。」
 風見幽香は、そう言って持参してきたガラスのコップの中の酒を喉に流し込んで、足を二回鳴らす。
 萃香は桶から乗り出して幽香の鳴らした地面を覗き込む。そんな手に乗る程の小さな萃香をつまみ上げた幽香は、彼女を自分の肩に乗せる。
「地面がどうかしたのか?」
「幻想郷よ、げ・ん・そ・う・きょう。」
「幻想郷?ふーむ、幻想郷は今、誰にも守って貰えず孤軍奮闘中か・・・。」
「みんな自分だけの思惑しか見てないわ。大きな、大きすぎる異変の力を幻想郷という世界が支えられるか誰も気にしてないのよ。」
 妹紅の不死鳥の転生による事実上の大爆発、それを防ぐ紫と霊夢らの結界。その爆発の中に八意永琳の巨大要塞。思惑通り事が進めばいいが、万が一少しの手違いが生じれば、地上は大惨事になるかもしれない。そして、八雲紫の企みは大抵の場合失敗する。その紫の失敗の尻ぬぐいはいわば風見幽香の役目のようなものだが、今回幽香は人間側について里を守る役目を負う立場を明確にしてしまっていた。つまり、紫の失敗の尻拭いは今回は出来ないということである。
「幽香が分かっているなら幽香が幻想郷の味方になればいいじゃろ?」
「私は人間についたわ。だからその役目貴女に頼みたいのよ。」
「・・・風見幽香直々の頼みとあっては断れんが・・・味方になると言ってもいったい何をすればいいんだ?」
 萃香は幽香の言わんとしている事を理解し協力する気になった。
「そう言ってくれると思ったわ。じゃー早速この中に入って。」
 そう言って幽香は中にぎっしりと何かが詰まって重たそうな大きな袋をどこからともなく取り出し、その袋の口を開いて、肩の上に乗っている萃香に中身を見せる。
「ん?これは・・・ヒマワリの種か?」
「ただのヒマワリの種じゃないわ。私が特別に改良を施した巨大ヒマワリの種よ。」
 風見幽香には万が一に備えたある策があった。