東方不死死 第67章 「形勢逆転」


 大暴れをして会議の進行に深刻な遅延をもたらした藤原妹紅は、今は魔理沙の横、最初にフランドール・スカーレットが座っていた一番窓際の席に着いて大人しくしていた。
 藤原妹紅は異変の主要メンバーとして、八意永琳の付き人レイセンの隣に席が用意されていたが、姫海棠はたて、四季映姫とやりあった後、そのまま近くにいた魔理沙の隣の席に着いてしまっていた。
 先程までのレミリア・スカーレットであれば、用意した席に座らない事を責める狭量な態度をとっていただろうが、今は席順程度の些細な事を気にする様子も無く、会議の進行に問題が生じなければそれで良しとした。

 藤原妹紅によって乱された会議が再開された紅魔館の会議室にあてられた小さなバルコニーがある部屋。その正常に戻ったはずの会議の場で激しく心を乱す者が一人いた。この会議の影の支配者八雲紫である。
「(何故、あんなものが・・・。)」
 紫の心をかき乱している原因は、これまで全く存在感が無かった紅魔館の魔法使いパチュリー・ノーレッジが、会議再開後すぐにテーブルに広げて見せた一枚の大きな地図の所為である。


 会議室の床に魔法陣が発動している。そこから紡ぎ出される魔力に反応して強い折り目のついた厚紙の地図が金属的な光沢と魔法的な淡い光を放つ薄い平面の板に変わり、平面的な地図の絵が立体的な半透明の映像となって幻想郷の地形を浮かび上がらせている。
 それはまるで手品のようだが、魔力を源動力にして平面地図を立体的に見せている仕掛けなのだろうという事は各自理解出来た。

 この地図は色々な意味で衝撃的だった。
 先ず、幻想郷における魔法のイメージは、攻撃・力・破壊というかたちで定着しているので、魔法にこの様な芸当が出来る事を初めて知る者も多く、魔法と魔法使いに対するイメージが少し変わる事となった。
 普段口癖の様に『弾幕はパワーだゼ!』と嘯く魔理沙としては、魔法の用途としてこのような事が出来るということは知識として知っているが、魔理沙本人はこの様な使い方が未だ出来ないでいるので、パチュリーの見せたこの地図は素直に感動出来た。
 そしてもう一つの衝撃は、幻想郷の外縁部、特に西側の地形までその地図に克明に記されていたことである。
 この場に居合わせた八雲紫・藍両名以外に、幻想郷の深部まで知る者はなく、妖怪の山に住む守矢神社の二柱も天狗の領地を侵す事になるので、妖怪の山の全容はほとんど知らないといっていい。
 狭い幻想郷などと言われるが個々にとってはとても広く、活動範囲は各自だいたい決まっており、基本的に知っている場所よりも知らない場所の方が断然多いのだ。その知らない場所の様子が地図として記載されている事に大きな関心が集まり、この地図が提示された時は皆しばらくの間固唾を飲んで魅入っていたのだ。

 一通り見終わると、次にある疑問が当然の様に浮かんでくる。これは果たして真実かという最も基本的な疑問である。しかし、会議に参加した面々は、ある一人の表情を見てそれを本物と確信出来た。
 真贋定かではない地図が提示されたからといってそれを鵜呑みにする程、会議に参加したお歴々はお人好しではない。しかし、幻想郷の創設者である八雲紫がその地図を瞬き一つせず凝視している様子が、これが真の幻想郷の地図だということを示していると考えるのだ。
 皆、この地図を本物と受け止め、今ここでしか見れない真の幻想郷を目に焼き付けようとすると同時に、紅魔館の魔法使いが戦闘面はともかくとして、かなりの実力を持った魔導師であるという認識を共有した。


 その表情が真贋を見極める目安にされてしまった八雲紫は、当然他の者とは別の感想をこの地図に持っていた。
「(完璧過ぎる・・・。)」
 そう、全てを頭の中で把握している八雲紫にとって、この地図は第三者が制作したものとしては、余りにも完璧過ぎるのだ。それだけに、自分の頭の中を盗み見られたという恐怖心と羞恥心の入り混じった複雑な心境が芽生えてしまう。
「(ありえない・・・。)」
 単に地形だけをトレースして再現するだけなら魔法使いにも十分可能な芸当だろう。しかし、この地図は縦軸横軸天地軸を交差させ地図の空間までも細分化して表示しており、更に意図的に配置した空間密度のばらつきまで完璧に再現されているのだ。
「(こんな事が出来るのは・・・魅魔しかいない・・・。)」
 紫の背筋に冷たい者が走った。これまで生きていた中で自分に明確な死の恐怖を与えた最強の悪霊魔導師魅魔の恐怖が再び紫を襲う。
 この幻想郷の複雑な空間密度のばらつきは、ところどころ必要に迫られてそうしている部分も多いが、意図的に不規則に空間密度に変化を与えているのも事実で、これは魔法使い対魅魔戦に備えてのものだった。博麗神社繋がりで八雲一家の一員として友好的な関係にあった魅魔を八雲紫はずっと警戒していた故の産物なのである。


 八雲紫の前身は月の世界を創造した『創主』で、自らが創造した月の民の暴走で自分の力が悪用されないように自らの創造の力を月と地上と2つに分けて形を変えて保存する事を決断し、その地上側の依代が混沌と境界を分かつ力、陰を司る八雲紫なのである。
 月に残された秩序と融和結束など陽の力を司るは八雲藍で、この双子の姉妹は能力を2段階の覚醒で解放されるように仕掛けを施された特殊なクローン技術で生み出された存在だった。

 人間が文明を持つより遙か以前に地上に送られた八雲紫の前身となる未覚醒の原始的な妖怪は、スキマの能力で世界各地を彷徨いこの時代に風見幽香の前身となる草花を司る妖怪と知り合う。
 その後、人間の文明が発展する様子を見ながら本能の赴くままに後ろ向きな行動を繰り返し人々からも妖怪からも嫌われる存在として強かに生きてきた。
 今現在の八雲藍、当時の九尾御乱にちょっかいを出して逆に殺されそうになるが、この時彼女の出した無理難題をいとも簡単に解いて見せたスキマ妖怪はその頭脳を買われて九尾の子分となる。
 九尾の下に付いて一定の秩序の中で暮らす紫は、九尾の遊び相手だった博麗神社の当時の神主に見いだされる。
 博麗神社は神社と銘打っているが、それを隠れ蓑として大陸から様々な物を取り入れる急進的な集団で、人の妖のにこだわらず、いいものは何でも取り入れ様々な試みを行っていた。
 賢い九尾などとも懇意を結んでおり、当然その配下にあったスキマ妖怪の存在も知る事になり、その能力に無限の可能性を見出し、紫は九尾の許可を得て博麗神社で預かる事になった。
 八雲紫という名前は博麗神社に入った時に名付けられた名前で、精神修養を主とした修業をさせられているうちに、理性が本能を上回り一回目の覚醒をする。野生的な性格から一変し完全な上位妖怪として生まれ変わった八雲紫は、更なる修業を続けながら空想と実現の境目を行き来する能力を開拓し、世界を創り生み出すという発想を持つようになる。
 しかし、下位の存在から上位妖怪へと変貌を遂げ、九尾の御乱からも一目置かれ始めた紫は、自分自身の能力に見合う地位や待遇を求め始め、度々博麗神社と対立するようになり遂には抗争に発展した。
 度重なる衝突にびくともしない博麗神社に対し紫は直ぐに劣勢に立たされる。自分の全力を持ってしても博麗神社に勝てない八雲紫は、中立の立場をとった九尾からの支援が得られず、世界各地の妖の類を嗾けて神主を害さんとしたがそれでも歯が立たず、遂に禁じ手ともいえる怨霊を呼び出してしまう。
 この怨霊こそが悪霊魔導師魅魔で、呼び出した紫は逆にその怨霊に喰われそうになるが、ここで敵対した神主に救われる。
 博麗神社は対魅魔戦でこれまでにない大きな被害を出すものの、数年に及ぶ対話で神主は遂に魅魔の怨念を取り祓い改心させる事に成功し、以後、怨霊は善霊へと生まれ変わって博麗神社に忠誠を誓うようになった。 
 これを目の当たりにした八雲紫は遂に敗北を認め、以後神主に逆らわず九尾や新たに仲間となった魅魔や、時々会いに来る旧友の風見幽香、伊吹萃香らと共に『幻想郷』構築を目指すようになったのである。西暦600年以前の事である。

 力を得た紫は、力を得れば得る程に自分の中で物理的に何かが欠けているという喪失感を抱くようになり、世界中を巡ってその何かを探し求める。しかし何も得られず途方に暮れたとある満月の夜にふと、まだ探していない月の世界の存在に気付き、スキマの力で月へ旅立ち、そこで出口のない牢獄の中で生かされ続けるだけの自分と同じ顔をした存在を発見したのである。
 自分に足りない物とは肉体的な欠損ではなく血の繋がった家族であることを確認した紫は彼女を地上に連れ帰り、双子の姉妹として博麗の里で暮らすようになったのである。
 その後紫は西行寺の怪で鬼の力を持つ少女と運命的な出会いと別れを経験し、本質のない空想の無意味さを悟り、空想概念の現実化ではなく、現実の空想移設という発想の転換を行い、ここで2回目の覚醒する。
 2回目の覚醒後、スキマの能力とそれを自在に使う無限の想像力と頭脳を得た紫の資質と将来を見いだした九尾御乱は、博麗神社と共同で立ち上げた幻想郷派という派閥主の地位を彼女に譲り八雲紫は名実共に最強の妖怪の一人となった。
 スキマの力は無限の可能性を秘めている事が周囲に認知されはじめると紫の下に多くの古・強妖怪が集まるようになり、増長した紫は妹を幽閉していた月に対して、その理由を探り復讐をするという個人的な戦いの為に派閥員を巻き込み、新たな土地の確保という大義名分で誤魔化して月面戦争を始めてしまう。
 紫の友人として従軍した当時弱小妖怪の風見幽香の覚醒と活躍によって被害を最小限に食い止めた幻想郷軍だが、一敗地にまみれた八雲紫は派閥の長の地位を失落し猛省して当初の目的通り幻想郷構築に打ち込み、以後一回目の覚醒をして頭角を表し始めた妹の藍に派閥の長を譲った。

 善の悪霊魔導師魅魔は博麗に忠誠を尽くす立場で、彼女の視点で見れば八雲紫は自分を博麗との私闘に巻き込んだ悪者ということになるが、結果的に自分を博麗と繋ぎ合わせ救ってくれたので過去の事は全て水に流している。
 しかし、紫としては自分に初めて死の恐怖を与えた魅魔という存在がトラウマとなってその身に刻み込まれてしまい、魅魔に完全に心許がせず、万が一に備えて自分の作り出した幻想郷に対魔法使い用の様々な仕掛けを用意してしまう。その一つが空間密度のばらつきなのである。

 移動元の座標と移動先の座標の間に存在する空間を省略して一瞬で移動する魔法特有の移動方法は、空間の密度を変える事で物理的な実測距離との間に狂いを生じさせる事が出来、普通に生活する分には全く問題ないが、魔法使いの自在性に大きな障害を与える事が出来る。
 この事は公に出来ない最高機密の問題で、魅魔ならともかくこんなもやしのような愚鈍な魔法使いに出来る事ではないと紫は決めつけ憤る。しかし、この魔法使いでなければ一体誰が自分の頭を覗き盗み見る事が出来るのだろうか?誰も思いつかない。唯一出来るだろうと思われる魅魔は今はいないのだ。
 まさか藤原妹紅が妹の思念体と十六夜咲夜を経由して交信し、彼女が用意した幻想郷地図を思念界から持ち帰り、パチュリー・ノーレッジに譲り渡したなどとは、どんな空想妄想を働かせても導き出せるものではなかった。

「(こんな地図はすぐに消し去りたい・・・でも、今ここではできない・・・どうすれば・・・。)」
 この地図が、八雲紫の頭の中にある幻想郷の設計図を完璧に再現した物だというのは、紅魔館の魔法使いとその使い魔とメイド長、そしてこの地図を提供した藤原妹紅以外知らない。
 他の者にはよく出来た精巧な地図だが、八雲紫にとっては自分の頭の中を誰かに盗まれたものだという疑念さえ抱かせるほどの完璧な出来映えで、更にそれが公然と晒される事にとてつもない羞恥心と屈辱を感じていた。
 八雲藍など、幻想郷監理の実務を担う者にとっては、この地図があれば式神を使って計画的に監理出来るのではないかと思わせる程素晴らしい出来の地図という印象で、頭を直接開いて覗かれていると感じる紫とはまた少し感想が違う。
 藍は実際の自然環境を元に、その世界の下支えとなる微生物を含めた循環連鎖の仕組みを考慮して今現在の幻想郷の叩き台を詳細な地図として描いて紫に提示している。世界を寸分の狂いもなく再現出来る頭脳を持っている藍としては、測量技術さえあればパチュリーの提示した地図の存在は必ずしもあり得ないものではないという認識で、魅魔の能力を知って高く評価している藍としてみれば尚更魔法使いならやれて当然と思ってしまうのだ。
 紫としては、高名な魔法使い、例えば魅魔がこれを提示したというのであれば納得出来たかもしれない。しかし、愚鈍と評して先日の異変参加の打診をしに紅魔館に訪れた際、レミリアの代理人の様な態度を取るこの生意気な魔法使いを徹底的に無視して恥をかかせたという経緯があるので、尚更認めることが出来ないでいた。
 その見下した魔法使いに完璧な幻想郷立体図を再現されているのは二重の意味で屈辱である。盗んだ方が悪いとは流石に言えず、紫としては盗まれた自分が悪いというしか無く、盗んだとしてどうやって盗んだのかも知りたいところで、先程からジレンマのジレンマ、何に対してのジレンマかもわからないループ地獄に陥っていた。

「(考えたな・・・パチュリー。)」
 妹紅はあの地図は決して人に見せるなと忠告しておいたが、これは紫とパチュリーの2人だけの状況では間違いなく殺されるから見せるなという意味の警告だった。紫が一人この地図を見れば幻想郷の機密保持の為に地図を没収するか、地図とパチュリーを消してしまうのは間違いない。
 しかし、この様に幻想郷でも屈指のメンバーがいる前で見せれば、この地図がパチュリー・ノーレッジ作の貴重な財産として周知される事になり、紫の自分勝手な感情で簡単に処分出来るものではなくなる。隠れて密かに処分する方法もあるが、人にせよ物にせよ、そんな形で処分をすれば犯人は自ずと誰か分かるし、それをやった当人の評判は著しく低下し畏れを失う事になる。流石に紫もそれが分かっているだけに手も足も出せないだろう。

 八雲紫は恥ずかしさと悔しさが入り交じった感情を表面上押し殺して、無感動の表情で地図を眺めている。
 裏の事情を知っている妹紅と紅魔館の2人は、そんな紫の内面がよく見えてしまいその無感動な態度が、かえって『私は激しく動揺しています』と教えている様で可笑しくてしようがなかった。
 八意永琳は八雲紫の心拍数と顔の表面温度が急に高くなったのを察知して詳しく分析し、ちょっとしたパニック状態であることを科学的に見抜いていたが、何故そうなるのか理由は分からなかった。

「(紫様?)」
「(・・・え?何?)」
「(どうかされましたか?)」
「(別に何でもないわ。)」
「(そうですか・・・それにしてもこの地図はよく出来てますね。これがあれば幻想郷の監理が楽になりそうですが・・・。)」
「(・・・そうね。)」
「(・・・。)」
 脳を直接繋いで会話する藍と紫だが、紫が殊の外不機嫌な様子を感じ取った藍はそれ以上は何も言わなかった。この時藍は、この地図が紫の頭の中に存在する幻想郷設計図と全く同じであるとは知らなかったのだ。


「・・・あの、妹紅?」
 妹紅の隣に座る魔理沙が、何故か申し訳なさそうに話しかけてくる。
「ん?どうしたの?ああ、さっきの驚いた?」
 悪魔の様に恐ろしかった妹紅に少し驚いて気持ちが縮んでしまった魔理沙だが、応える妹紅の口調や表情が穏やかなのを見て、自分の知っている妹紅である事を確認して安心する。
「うん・・・でも、なんて言うかごめんな・・・。」
「何で魔理沙が謝るの?」
「レミリアが妹紅の悪口言ってるのを黙って見てたから・・・。」
「ふふ、仇はとってあげたわ。」
 レミリアをぼこぼこにした妹紅が魔理沙にニヤリとほくそ笑む。
「でも、あれはやり過ぎだって。」
 頭を下げたレミリアを踏みつけたあげく何度も蹴りまくった事を言う魔理沙。流石の魔理沙もあれには度肝を抜かれたらしい。
「魔理沙だって私の前で道理をはき違えればああなるのよ?」
 今度は意地悪く笑う妹紅。
「私は人間の味方、妖の敵。それ以上でもそれ以下でもないわ。」
 妹紅はそういって、魔理沙の正面に座ってこちらの会話を聞いていたアリスとニトリにチラリと視線を重ねる。ギクリとする2人の妖怪は落ち着き無く視線を泳がせる。


 時計の針は午後1時を回り当初予定していたスキマ砲発射予定時刻を過ぎていた。
 妹紅の起こした騒ぎで会議が長引いたわけだがそれに合わせて発射予定時刻も調整していた藍は、紫の指示通り限界時間の2時発射で射角で調整を行っていた。

「現在、棺桶の底の位置は地上約3500メートルよ。」
 3.5キロメートルということは、紅魔館から神社までの距離の約三分の一である。空を覆う鉄の塊が大きすぎてもっと高い位置にあると想像していた会議の参加者は立ちは、もう一刻の猶予もない状況であることを改めて知る。
 幻想郷立体地図を起動させたパチュリーが誰に指示されたわけでもなく会議を仕切り始めるが、それに文句を言う者は誰もおらず、参加者らは説明される状況をしっかりと耳にいれていた。
 パチュリーを愚鈍で能力の低い口だけの魔法使いと決めつけ馬鹿にした八雲紫としては、この状況を苦々しく思うものの、この地図の完璧さにぐうの音も出せず、とてつもない敗北感を味わいながら静かに進行する会議の様子を眺めるしか出来なかった。
 強者に負ける事には納得がいくが、弱者と見下した者に足下をすくわれるのは屈辱以外の何者でもない。妹紅との最初の接触でも見下した妹紅に斜め上の服従宣言をされてプライドを傷つけられ怒りをあらわにしたものだ。その時の経験が生きたのか今はそれなりに平静を装えたが、内心は腑が煮えくりかえっている。
「(どこで間違えたのかしら・・・。)」
 今日に至るまで完璧に事が進んでいた。なのに何故事が始まった途端予定が崩れていくのか。風見幽香の超絶パフォーマンスに始まり、妹紅がたった今起こした暴力事件、そして予想もしていなかったレミリアの突然の覚醒。ここまでは直接自分には関係ない事だったが、今度は魔法使いがしゃしゃり出て煩わしいノイズを直接ぶつけてくる・・・。

 スケジュールの進行に多少の遅れは出たが、全体的に見れば事は問題なく進行していると評価してもいいだろう。異変さえこちらの思惑通りに終われば何も文句はない。しかし、安眠を妨げる様に次から次へと障害が発生する。
 これは正に妹紅らの計画通りの事で、八雲紫が大きな敗北感を受けてしばらく立ち直れない状態に導く為の序章に過ぎない。八雲紫を悩ませるノイズはまだまだこれからである。

「守矢神社までの標高は約1000メートル。ここが妖怪の山、いえ幻想郷に於ける生命活動のピークね。とんがった2本の峰を含めれば約1500メートルだけど、山の形を残すのであれば、ギリギリの防衛ラインは上空2000メートルというところかしらね?」
 パチュリーが幻想郷の立体地図の上に『宇宙人の棺桶』と公称する防御要塞の同寸の立体映像を重ねて客観的な現況を見せながら今後のスケジュールの指針を決める為の重要な情報を参加者に提供する。
「山のてっぺんに棺桶が到達する時間は?」
 結界をどの辺に張るか決めなければならない霊夢としては、要塞の時間的位置情報は重要で、椅子から腰を上げてレイセンと四季映姫の間の空いている席のところに立って説明しているパチュリーに尋ねる。
「このまま落下速度が変わらなければ午後3時というところね。更にこのままの速度を維持するなら午後4時前には地表に衝突する計算になるわね。」
 一応コンマ何秒単位で教えられるが、霊夢や他の者はそこまで必要ないだろうとおおよその時間を教える。
「そこはあくまでギリギリだろう?例えば午後2時くらいにスキマ砲とやらを発射する早めの予定を組んだ方がいいんじゃないかい?」
 要塞に最も近い場所に守矢神社がある八坂神奈子が万が一を考え早めの対処を提案する。
「不死鳥転生で爆発が起これば結界を押し下げる可能性もあるからの。」
 洩矢諏訪子も八坂神奈子に賛同する。
「一応言っておくけど、不死鳥の転生で爆発は起こらないわ。でも・・・」
 守矢神社の二柱の心配を払拭する妹紅は何かを言いかけて横を向く。
「中心核にダメージを与えれば爆発する危険性があります・・・が、結界の中がどのようになっているのかわかりませんので何とも言えません。爆発せず、そのまま消失する事も十分ありえます。」
 八意永琳が妹紅の話を引き継いで状況は未知数だと知らせる。
「ここは最悪のケースを考慮して、爆発するという前提で考えましょう。」
 レミリアのカリスマたっぷりの提案に異論はなく一同一斉に頷く。会議の参加者の頭には、もう先程の愚かなレミリアの存在は消えてなくなっていた。
「守矢神社の提案通り発射時刻を午後2時とする方向で決めていいのでは?」
 ここでようやく気を持ち直した八雲紫が発言をする。これは妹紅がもめ事を起こしている間に藍に限界ラインで調整するように指示を出している時間と合致していたので都合が良かった。しかし、またしても新たなノイズが紫を悩ませた。
「2時では遅すぎるわ。こうしている間にも幻想郷中に戦渦が広がっているのよ。」
 発言したのは妹紅とのもめ事を収め人が変わったかの様に飛躍的にカリスマ性と発言力を高めたレミリア・スカーレットである。全てではないが、四季映姫やニトリなどがこの発言に賛同を示す態度を見せた。。
 このレミリアの発言は先程妹紅がこの異変の混乱で既に大勢の人妖に被害が出ている事を訴え四季映姫を黙らせた発言に追従するもので、紫からすれば如何にも優等生的な意見で鼻につくものだった。しかし、その意見を退けて自分の主張を押し通す明確な根拠が無かったので反論出来ない。
 2時という発射時間はあくまで最悪のケースを想定してのことなので時間を早める事に反論はないはずなのだが、これまで自分が頼られ仕切ってきた状況が完全にひっくり返ってしまい、思い通りにいかない紫のイライラは益々募るばかりである。
「1時30分というのはどう?」
「その時間までもう20分もないわ。これから霊夢達の移動時間と準備時間もあるし、いくら何でも速すぎるでしょう。」
 レミリアが時間を早める為の交渉術として意図的に現実的ではない時間を提示したが、紫はそれがレミリアの仕掛けた駆け引きと気付かず真顔で反論してしまう。
「では、1時30分までに各自準備を整えてその時間を作戦開始時間にしましょう。」
 紫の今の意見をくみ取るという形でその前の2時発射の提案をいとも簡単に封殺するレミリア。
「発射時間は正確に決めて貰った方がありがたいですね。」
 ここでレミリアの提案に八雲藍の物言いが付いた。いつもと様子が違う何やら分が悪い主人の代わりというわけでもないが、スキマ砲担当として明確な反論の根拠があったので発言する。
「どの程度誤差は修正出来るのものなの?」
「砲軸自体は固定して運用しますので、基本的に誤差はその場で修正できません。その代わり弾丸である魔理沙で微調整します。」
「私が?」
「砲軸は意外に広いので、砲身の中で角度を付けて発射すれば若干射角が稼げます。時間的に10分程の距離的誤差をカバー出来ると思われます。」
「一発では当たらないかもしれないけど、その10分間で何度もチャレンジできるということよ。」
 藍の後に紫が付け加えて魔理沙を安心させる。
「仮にそれで命中できなければ魔理沙には直接結界無いに入って貰うわ。」
「大丈夫なの?」
 霊夢が珍しく友人の心配をする。
「魔理沙の周囲を完全に別空間にするから大丈夫。もしそうなれば私が直々にナビゲートするから問題ないわ。」
「それなら初めからそれでいってもいいんじゃないの?」
「安全を優先させる。これが大前提よ。」
 何も知らない紫と霊夢の楽観的な会話を聞きながら妹紅は内心ほくそ笑む。
「(馬鹿め、後でほえ面かきやがれ。)」
 八雲紫にとってこれからが本当の地獄なのだ。

「じゃー時間は決めないの?」
 先程散々妹紅に虐められた霊夢も表面的には気を取り直しているようである。
「作戦開始時間を今から15分後の1時30分とし、その前にそれぞれの持ち場に着いておく。藤原妹紅が上空で待機し、その後霊夢が結界を張り・・・。」
「結界を張ったあと、すぐに自爆していいんだな?」
 レミリアの発言途中に妹紅が口を挟む。
「うーん。私としてはもう少し時間が欲しいかな・・・。」
 先程妹紅とやりあったことは一先ず置いておき、異変成功の為に妹紅に多少の時間を要求する霊夢。初めての事だから上手くいったかどうか確かめる時間が欲しいのだろう。場合によっては結界を貼り替える必要性が出てくるかもしれない。
「そうね・・・1時45分発射の射角でスキマ砲の射軸を固定し、前後5分間分の角度は魔理沙で調整しましょう。」
「霊夢の準備が整ったら、光か何かで神社から合図を送ろう。」
 諏訪子がそう申し出てると妹紅は素直にわかりましたと答える。妹紅は先程からこの諏訪子にだけは他と違う態度である。
「ということはつまり・・・私は40分までには大砲の中にはいってなけりゃならないってことだな?」
「そう言う事になるわね。頼むわよ魔理沙。」
「よし、わかった!任せとけ!」
 自分のスケジュールを確認に俄然やる気が出る魔理沙。
「霊夢の結界が張ったら準備しましょう。やり方はさっき藍が説明した通り。」
 平静を装う紫が魔理沙に声をかける。
「じゃー私達は先に移動しましょうか。」
 霊夢は席を立って紫と藍の背後を通り、守矢神社の二柱の所で止まり声をかける。
「そうだな。」
「では、行くかの!」
 腹に一物も二物もある二柱も、自らの目的を成就させる為に席を立ち何も知らない霊夢に続いた。

 霊夢が腰を上げると妹紅も腰を上げて隣の魔理沙の腕を取る。
「さて、魔理沙。」
「ん?」
「今の内に安全祈願でもしておくか。ちょっと立って。」
「お?おう!」
 席を立った魔理沙は何をされるのかわからず少し緊張しているが、これから彼女は死ななければならず、この魔法使いに地上で綺麗に死ねる様に仕掛けを施す重要な作業に入る妹紅。
 妹紅は炎や熱から身を守るおまじないと称して、魔理沙の衣服や帽子、ホウキ等にベタベタと必要な呪符を大量に貼り付け始める。
 体中に呪符を張り付けられた魔理沙は、まるで悪戯をして体中にお札を張られて霊夢からこらしめられる妖怪の様にも見えるので、テーブルを挟んで正面にいるアリスとニトリが控えめに笑う。そのアリスらの後ろにちょうど霊夢と神様が通りかかるが、彼らもそんな魔理沙を見て同じように笑う。
「・・・魔理沙。」
 笑い者にされているのに何故か満更でもなさそうな魔理沙の後ろから声がかかり、振り向くとそこにはパチュリー・ノーレッジがいた。
「どうしたパチュリー?」
「そんな得たいの知れない呪符ははがしてしまいなさい。それよりこっちのほうが炎には効果があるわ。」
 そう言って真っ赤な宝石がついた魔法のブローチを魔理沙の襟元に付ける。
「お?あ、ありがとう・・・。」
 図書館に勝手に入って普段迷惑を掛けているので完全に嫌われていると思っていたパチュリーからの思わぬプレゼントに魔理沙は思わず驚きそして照れる。
「礼にはおよばないわ。貴女が一番弱いのに危険な任務を遂行するわけだし、それに、紅魔館が主催する異変であれば何人も怪我人を出させるわけにはいかないわ。あ、勘違いしないでね。これは貸すだけよ。だから終わったら返して頂戴。」
 いつも通りの魔理沙に対する突っ慳貪な表情を崩さないパチュリー。自分に掛けられた呪いを解いてくれた、これから死ぬ恩人への複雑な思いを隠すには、何時もどおりに接するのが一番なのだ。

 魔理沙に対する安全を願う行動を起こす妹紅とパチュリー。双方とも個人的に魔理沙を心配しての行動だと客観的に見える。実はこれが裏で内通している者同士の行動だとは誰も思わないだろう。
 藤原妹紅に関しては永夜異変の後に起こった不死人狩りで対戦している者もおり、全くの初対面ではなく、パチュリー・ノーレッジと藤原妹紅も対戦経験があり全くの初対面ではないというのが世間的な認識である。その2人が仲良く息を合わせた行動を取れば当然怪しまれるし、逆に過剰に敵対心を露わにしていても不自然である。中立を装うにしても、先程親友のレミリアを足蹴にした相手なので完全な中立な態度も違うだろう。
 先程の妹紅の張った呪符よりも自分の魔道具の方が良いと2人の間に割り込んだのは絶妙なタイミングだったと妹紅は感心していた。
 それはレミリアの背後で見守る十六夜咲夜も感じていた。妹紅と関わり簡易スキマに入ってからのパチュリーは人が変わったように積極的に考え身体を動かすようになった。もちろん代わったのは彼女だけではない。自分自身もまた大きく変化したという自覚があった。

「そんなお守りは必要ないわ。」
 そこへ、炎熱を防ぐ守りなど無駄だとする冷たい声が水を差す。
「魔理沙を守る境界は、完全に空間を分けてしまうもの。外の熱が伝わる事などありえないわ。」
 突然、声を上げた紫の態度に一番驚いたのは隣に座る八雲藍だった。
 紫の式神である藍は、主の今の台詞は言わなくてもいい事だと思った。いつもの主なら当然言わなかった事だろう。しかし、最近の紫は強さが増した分、どこか油断があって普段しないことをしてしまう傾向にある事を思い出して内心慌てている。
 紫は、パチュリーの出した幻想郷地図の所為でかなり精神的にまいっており、勝手に傷ついた自身のプライドを立て直す為に脆弱な魔法使いに噛みついたわけである。
 この行動はパチュリーを敵と認める行為であり、実質紅魔館の勝利ともいえる出来事だった。

 そんな打ちのめされて必死に自分を保とうとする紫にパチュリーは臆する事無く反論した。
「熱が通らないなら逃げる事も出来ないでしょ?もし中で魔法を誤爆させたらそれで終わりじゃないの?」
「そこまで愚かではないでしょう?魔理沙は・・・。」
「さあどうでしょう?魔理沙はバカだから魔法を失敗して自分を燃やしてしまう事がよくあるの。ミスとは慢心と思い込みによって生みだされる必然よ。」
 本人の目の前でバカ呼ばわりされる魔理沙は、やはりパチュリーから相当嫌われているのだと改めて感じるが、最後の台詞は自分に向けての言葉だろうかと疑問に思う。
「あら、それは、私が慢心と思い込みに捕らわれていると言いたいの?」
 パチュリーの最後の言葉は、魔理沙にではなく自分自身への皮肉と受け取る紫。実際問題としてパチュリーは紫を煽ろうとしてやったことで、正に計算通りの展開だった。
「少なくとも、貴女よりも私の方が魔理沙をよく知っていると言う事よ。」
「御高承痛み入るわね。よく覚えておくわ。」
 紫は自ら身を引いてこのくだらないやりとりを終わらせるが、先程ぶち切れた霊夢との差がここにでる。しかし、自ら鉾を収めたが我慢した分大きなストレスをかかえることになる。
 このちょっとしたやりとりの隙を利用し、妹紅は魔理沙のホウキを手にとってある重要な細工を施していた。パチュリーが上手く紫の気を引いてくれたおかげで隙を探る必要もなく簡単な作業であった。
 それにしてもここまで具体的に打ち合わせてもいないのに、予想以上に紅魔館側の2人が上手く動いてくれている。妹紅としては嬉しい大誤算であった。

 魔理沙の周囲にはいつの間にかアリスとニトリ、そしてチルノとそのチルノと仲良しになってしまったフランドールが集まっていた。
 紫とパチュリーが口論している間に、河童のニトリは餞別代わりにと何故か持っていた大好物のキュウリを魔理沙のポケットに押し込む。
 ニトリと魔理沙は大の仲良しだが、アリスは仲良しどころか魔理沙とは所謂商売敵でハッキリ言えば犬猿の仲である。パチュリー・ノーレッジとは幻想郷では希少な西洋系の魔法使い同士として、交流を持っているが彼女もまた魔理沙には手を焼いているようで、魔理沙の悪気のない悪事は2人の共通の悩み事と同時に魔法以外で共有出来る唯一の存在でもあった。
 そのパチュリーが魔理沙の安全の為に贈り物をしたことがアリスに妙な対抗心を生じさせ、自分も何かしなければと思い至り、黒くて目立たない魔理沙の衣服の解れを探して直してやるのだった。

 自分の回りに誰も集まらない事を少しも残念と思わない霊夢は、魔理沙を中心とした輪を尻目に二柱を従えてバルコニーを出る。
「お、おい霊夢!」
 そんな孤独を漂わせた霊夢の背中に聞き慣れた声が呼び止める。
「何?魔理沙。」
 先程妹紅に見るも無惨に打ちのめされ、紫からも叱られた霊夢の落ち込んだ心に、魔理沙の呼び止める声は一条の光を差し照らした。無性に嬉しかったが声はいつも通り平静を装う。
「この異変が終わったらまたみんなで宴会しようぜ!」
「魔理沙・・・。」
「ん?何だ?」
「魔理沙、その台詞って・・・何て言ったっけ・・・。」
「死亡フラグね。」
 霊夢ではなくニトリの口にした疑問にパチュリーがポツリと呟く。
「何だよその死亡フラグって?」
「物語によくあるシチュエーションで、ある特定の台詞を口にする人は必ず死ぬのよ。例えばこの戦争が終わったら結婚するとか言うと・・・。」
「マジかよ!」
「大丈夫よ、バカは風邪引かないから。」
 アリスがクスリと笑う。例えとしておかしいが何故か皆納得する。
「それを言うならバカは死んでも治らないじゃない?」
 ニトリが訂正するが、妹紅はそれも違うと思いながら、魔理沙の死は既に確定されていることを思いお越し、既に仕込みを終えたホウキを持ち主に返す。死んでもバカは直らない、生きているうちに直すものだ。 
「じゃあね、魔理沙。」
「おう、またな霊夢!」
 同じ日に生まれ同じ乳を飲んで育った事など忘れている2人の少女達の2度目の別れが訪れようとしていた。

 妹紅は、霊夢と守矢二柱の飛び去った窓を一瞥した後、上空の防御要塞の方に目を向ける。要塞はほぼ真上にあるので館内から直接見れないが、先程風見幽香が見せたパフォーマンスの効果がそろそろ現れる頃と予測する。理想的なタイミングはスキマ砲発射直前である。発射は早ければ午後1時40分。この異変が自分の異変ならベストなタイミングでパージが始まるだろう。八雲紫や藍の慌てふためく顔が今から目に浮かぶ。


 今現在時計の針は1時15分を回ったところである。
 15分後の1時30分には空に結界が張られて天と地が完全に別れる事になる。
 そして妖夢ら人間の集団は、神社の階段前から神社本殿前への荷揚げ作業の真っ只中にいた。
 集団より一足遅れて合流した妖夢は、荷揚げ作業を手伝おうとしたところをマルキの主人に止められ、先ず里に合図を送るよう、太い竹筒で出来た使い捨ての携帯用打ち上げ花火を渡される。
 これは、消した里の住人の歴史を復帰させる為に慧音に送る合図の為の花火である。
 妖夢は言われた通り、それを受け取って境内に飛び一番高い場所、大鳥居の上に設置し同時に渡されたマッチで火を付け花火を打ち上げる。
「これでよし・・・と。」
 里を鼓舞し集団の代表に大抜擢されてしまった魂魄妖夢であったが、死神の襲来を退け、名実共にリーダーとして扱われ始めている。実質計画の式をとるマルキの主人に荷揚げの手伝い参加を許されず、ここに来るはずの霊夢に神様を招く宴会の許可を得る仕事を与えられる。
 その霊夢の姿は神社にも母屋にもなかった。
「誰もいないな・・・。」
 荷揚げの手伝いをする体格の良いスケさんの相方であるカクさんが妖夢の後ろについて護衛の任務を引き続き継続している。契約は到着までで、もう護衛の必要はなかったが自主的にそうしているようだ。恐らく、何もしてなければスケさんに荷揚げの手伝いをさせられるので、それを嫌って妖夢の護衛という仕事を無理矢理買ってでているのだろう。
「新聞の情報ですと、もうとっくに始まっている時間ですが・・・こっちも色々ありましたが、向こうも予定通りにいかなかったということでしょうね。」
 カクさんが妖夢の疑問に予想で答える。
「・・・。(こちらが遅れるのを察知して妹紅さんが遅らせたのかな・・・。)」
 妖夢はカクさんの答えに返さず、この状況に藤原妹紅の介入があると買いかぶった予測する。結果としては確かに妖夢の予想は正解だが、真実は要塞をパージさせるまでの時間稼ぎの為で、妹紅は妖夢等の進行の遅れは知らなかった。


 紅魔館から博麗神社に向かって飛ぶ霊夢は、この時初めて幻想郷中で起こる戦争状態を見る事になり、妹紅が言っていたこの異変のとばっちりが想像以上に大きかった事を思い知る。
「凄い事になってるの。」
 洩矢諏訪子が言葉とは裏腹に軽い口調で他人事の様に誰に言うわけでもなく独り言を言う。
「早く行きましょう。」
 流石にまずいと思った霊夢は、出せるスピードの限界まで加速する。紅魔館から博麗神社まで直線で約10km強ある。時速60kmで飛んでも10分かかる事になる。
 重力の干渉を遮断して飛ぶ霊夢や神様は、無重力状態で浮遊移動するので風の抵抗を受けず、単純に早く飛ぶ事に霊力を注げばかなりのスピードが出せる。
 他の事、例えば弾幕戦闘などと同時の作業となると、極端にスピードが落ちる霊夢だが、これは修業を怠っている所為である。
 因みに、重力に逆らって飛ぶ魔理沙は、魔法の力加減が下手で速く飛ぶ事は得意だが遅く飛ぶのが苦手である。

 霊夢の最高スピードに平然とついてくる神様らを尻目に、1分程飛んだところで神社から1発の花火が打ち上がるのが見えた。
「何あれ?」
「・・・さぁ?」
 あの花火の意味を知っているがとぼける神様。
 それからさらに5分程飛び、神社がだいぶ近くに見えるようになると、明らかにいつもと違う神社の様子に思わず霊夢は停止する。
「な、何よあれ!」
「何って・・・人間が集まってるだけだろ?」
 八坂神奈子がさも当然の様に言う。諏訪子も至極当たり前の表情をし、それを疑問に思う霊夢を変な目で見る。
「何で人間が集まってるのよ!」
「そりゃー困った時の神頼みに決まっておろう。」
 答える諏訪子。ここで霊夢は神奈子は比較的普通のしゃべり方とするが、諏訪子が見た目に反して古風なしゃべり方をする事に気付く。
「神頼み?今迄神様なんて信じてなかったくせに?」
 霊夢が神社に輿入れした時は既に、人間の里から博麗神社に対する信仰はほとんど無く、神社を訪れる人間は黒い魔法使いか薪業者くらいである。今更こんな大勢来られても神様だって迷惑だろうというのが霊夢の意見でる。
「神様はそんなケツの穴は小さくないぞ。頼られ、おだてられ、酒までおごらたら喜んで頼みを聞くさ。」
「ほれ行くぞ!」
 諏訪子が霊夢を促すが、何故か霊夢は尻込みをする。
 霊夢は0才から1才までは魔理沙と共に母親のサーヤの乳で育ち、その後町で老人が大量に死んで2才から5才まで不吉な巫女、悪巫女として町から遠ざけられ村で育てられており、そこから村でベビーラッシュが始まると、子宝巫女として村から強引に町に移され、それ以後10才の神社輿入れまで神様として崇められて育てられていた。
 神社に輿入れすると同時に、輿入れ直前に行方不明になっていた魔理沙と再会したが、変わり果てた別人の様な幼馴染みと戦うはめになり、更に親となるはずの魅魔と対決を強いられこれを殺害してしまったのである。
 後に封魔異変として記録に残る賢者の謎の凶行である。
 霊夢は幼い時は大人の都合で振り回され、10才になると独り立ちを強いられた挙げ句、信じていた者達に裏切られ、更に厳密には除霊だが、人殺しをしてしまうという波乱の人生を送っている。封魔異変後、独り神社に残された心に大きな傷を負った霊夢は、里から見捨てられたと思い込み、本人が気付かないまま心の奥底で無自覚に里に恨みを抱いているのだ。
 里と里の人間を無意識に嫌う霊夢は、神社に集まる人だかりにある種の恐怖感を抱いていた。それが霊夢の足を止めているのである。
「ほれ、時間がないぞ。」
 再度諏訪子に促され、ようやく飛び始める霊夢。しかし、先程と飛ぶスピードが違う。
 やがて、境内の降りた一人と二柱は宴会の準備をする人間をそれぞれ違った感想で眺める。そこへ大きな魂魄を纏った知った顔が走り寄ってくる。
「妖夢?」
「霊夢さん!こんにちわ。」
 妖夢は霊夢の登場を待ちわびた様に挨拶し、その左右にいた二柱にも恭しく一礼する。
「事後承諾の形になってしまいますが、どうか、ここで神様を迎える宴席を設ける事をお許し下さい。」
 既に宴の準備に取りかかっているので妖夢は、そう言って慧音から預かった書状を霊夢に差し出す。
 霊夢はどうすればいいのか分からず、諏訪子と神奈子を交互に見たが、神奈子がその書状を取って妖夢に良きに計らうように宴の許可を下す。
 霊夢はわけもわからず、どうすればいいかも咄嗟に判断出来ず周囲を伺う。忙しく動き回る人間達は、時々こちらを珍しそうに見る。目が合った者から時々会釈されるが、霊夢としてはその顔に全く見覚えがないので苦笑で答えて記憶を辿る。里には全く行かないわけではない。香霖堂にない物はどうしても里で調達しなければならず、生活用品や食料品店などには何度か顔を出した事があるので恐らくその関係者だろう。
 書状を諏訪子と一緒に真剣な表情で読む神奈子を尻目に、自分を見つけて嬉しそうに近づいてくる一人の男性の顔を見つける霊夢。
「霊夢ちゃん!いや、霊夢さんだね。いやー懐かしい・・・。」
「も、もしかして・・・魔理沙のお父さん?」
「おお!覚えていてくれたかい?何もしてやれなくて本当に済まなかった・・・。」
 霊夢の手をとって懐かしむ魔理沙の父親、霧雨道具店マルキの主人。霊夢は霧雨魔理沙と同じ日に生まれたが、霊夢の母は霊夢を産んで直ぐ亡くなってしまったので、産まれたばかりの赤ん坊の巫女候補をマルキで引き取り、魔理沙と一緒に育てられたのだ。一旦はマルキを出た霊夢だが、子宝巫女として再びマルキで預かり、10才までマルキで大切に育てられたのである。魔理沙の母親サーヤもすぐに亡くなり、二人の母親を亡くした霊夢だが、マルキの主人は健在で、唯一存在する親といえる。
 霊夢は捨てられたと思っていた泣いて再会を喜ぶ育ての親を見て、里や里の住人に対するわだかりが少し和らぐ。

「霊夢そろそろ時間だ。」
 感動の再会に水を差してしまうのは心苦しいが、先にやらなければならないことがある。
 霊夢はまた後でと魔理沙の父親と一旦離れ、神奈子らの前に戻る。
「すまんな。」
「いいのよ。こっちの方が大事だし。」
 緩んだ顔を必死に引き締める霊夢。
「どっちも大事さ。」
「いいから、はやくやりましょう。」
 ニヤニヤしている神様達も、直ぐに真顔に戻る。
「それにしても・・・なんか準備がいいわね。」
 凄まじいスピードで宴の準備が整っていく様子を見て、霊夢はこれが突発的に起こった異変に対する反射的行動とは到底思えなかった。
「里の守護神から神様を迎える宴会をさせて欲しいと我々に打診があったからそれに応じただけさ。」
「え?そんなの聞いてないわよ?」
「我々は異変に際し、霊夢に力を貸すよう協力を八雲紫から打診されただけじゃ。力の与え方まで細々と注文は受けていないから、それはこっちのやり方でさせて貰うだけじゃ。」
「じゃーこの宴会は紫には秘密で?」
「秘密も何も、やることなすこと全てお伺いたてんと何も出来ないのかえ?」
「べ、別にそんなこと言ってないわ。」
「霊夢は、八雲紫の子分なのか?それとも犬か?」
 諏訪子に聞かれた霊夢はここで言葉が詰まった。何故自分は今紫に秘密かどうかを気にしたのだろうか?紫とは共同作業をする同士であって主従関係にはないはずだ。それに、自分がやっている修業も一々彼女に報告する義務はない。勝手にやっているだけで、それは彼らと全く同じではないか。
 ただ、この神様達には前科がある。彼らの好きにさせて大丈夫だろうか?
「どうする?今から八雲紫に相談して正式な許可を貰うか?わしらはそれでもかまわんぞ?」
 許可を得ようとすれば絶対に認められないだろうが、時間的な余地はもうないので、敢えて都合が悪い事をこちらから申し出る。
「あんたら変な事企んでない?」
 霊夢は念のため彼らの企みを牽制する。
「我々が何かを企んでるとして、今からそれを知ってお前はどうするつもりじゃ?八雲紫の忠犬として動くか?」
「むっ。」
 ムッとする霊夢。
「我々とて腐っても神じゃ。人に仇なすような事は誓ってせんよ。」
「・・・。」
 自分は八雲紫の忠臣でもましてや忠犬でもない。では一体何者か・・・。
「(私は・・・巫女。)」
 忘れていた。自分は巫女なのだ。神様を信じずして何の巫女だろうか・・・。
「わかりました。」
 霊夢はこの時初めて神様に従った。

東方不死死 第66章 「東部戦線異常あり」


 因幡てゐを発端となって起こった吸血鬼と宇宙人との対立が、戦争に発展する可能性を『花果子念報』という新聞報道によって煽られた幻想郷の住人は、兵の需要を見越して各地で傭兵団を形成して事の成り行きを見守っていた。
 そんな最中、巨大な鉄の塊、後の新聞報道で『宇宙人の棺桶』と判明した物体が幻想郷上空に突如出現し、その混乱に乗じて東部の凶暴な人喰い妖怪やそれらを傘下におく闇の勢力が幻想郷中央部へと侵攻を始めたことで、各地に分散する傭兵団は自衛の戦いを強要される事になった。
 東の人喰い妖怪との最初の衝突は最も東に陣取った人間の里傭兵団であったが、時間の経過と共に戦線は東部から南回りで西へと拡大していき、正午を過ぎた頃からマヨヒガ上空が大激戦区となっていた。

 人間の里で募集された傭兵軍団は高度に統率された文字通りの軍隊で、人間達を博麗神社に安全に向かわせる為の囮という明確な目的を持って動いていており、これは里の守護者上白沢慧音の歴史喰いの力と連動しての作戦だったが、他の地域に展開する傭兵集団は当然そのことは知らない。
 人間を求めて中央に移動した人食い妖怪達は、記憶から里の人間の存在が突然消えてしまった事で、それ以外の地域に住む人間を探し求めて広範囲に移動を始めてしまい、戦線は無秩序に拡大していった。
 正々堂々正面から戦う気など更々ない人喰い妖怪や闇の勢力は、組織的に動く手強い傭兵団を避け、自分達が楽に暴れられる有利な戦線と人間を求めて東から大挙して西に移動を始めた。これによって人間の里傭兵軍団の第一目標である『里の人間を博麗神社に届ける』という目的が達成出来る公算が高まった。
 余裕が出来た傭兵団は他所への援軍を検討したが、この段階ではまだ人間達が博麗神社に到達した報告はなくそれまでは現状維持となっていた。

「つまんないの。」
 人間の里傭兵団に参加していた地底封印妖怪ぬえは自分達を避ける様に西に移動する人喰い妖怪の群れを尻目に、持ち場の空域に留まり西方の戦いを他人事のように観戦するだけだった。大切な者が危機に陥っている事も知らずに・・・。


 マヨヒガ周辺の激戦空域に一隻の船が飛行していた。
「くそ!きりがない!」
 セーラー服を身に纏ったこの船の船員と思しき女性が不利な状況を誰に向かってと言うわけでもなく激しくなじる。
「村紗船長!本艦だけではここはもう支えきれません!一旦引きましょう!」
 白い立派な帝国海軍の軍服を身に纏った初老の幽霊が、先程現状をなじった女性を船長と呼んで撤退を進言する。どうやらこの進言した一見すると船長にしか見えない幽霊が副官で、下っ端の水夫の様な格好の女性が船長の様である。
「ダメだ!ここで引いたらマヨヒガ宙域が一気に敵に侵食される!」
 そこへ、船員とは明らかに装束が違う尼僧が大きな雲の妖怪と共に船に近づいてきて状況を報告する。
「船長!皆地上に後退したわ!このままじゃ孤立するし、私たちも退きましょう。」
「何言ってるんだ2人とも!周りに味方がいないならむしろ好都合だろ!」
「無茶よ!」
「右舷弾幕薄いぞ!何やってるの!」
 船は戦闘速度で不規則に旋回しながら光弾をばらまき接近する敵やその攻撃を巧みに交わしていく。船の操舵は船長自ら行い、巨大な船がまるで小型戦闘機の様に縦横に空を駆け巡る。
「周りに味方がいたから手加減してたんだ。今なら船の装備と雲山の力で十分やれるさ。副長、外に出てる戦闘艇を収容させろ!」
 これからが本番と強気の船長は、出撃させている艦載艇の回収を命令する。
「右舷ハッチ開け!戦闘艇回収!損害は?」
「半数がやられました!」
「乗員は?」
「全員・・・成仏しました。」
「・・・そうか。」
 先程後退を進言した副船長の幽霊が報告聞き落胆する。

 空を飛んでいる船は『聖輦船(せいれんせん)』というお寺を改造して作られた船で外見はよく目にするお目出度い宝船である。お宝が積まれていないので宝船とは言えないが、大きな帆柱と帆があり外洋の荒波でも航行出来る排水量があり、船内は広く十分な居住スペースが確保されており長期無停泊航行が可能である。
 軍艦として作られたわけではないが同等の装備と装甲で補強されており、空を飛べない幽霊パイロットが乗る現代の水上バイクの様な戦闘艇が14機格納出来る。先程の報告で半数の7機が撃墜されてしまったらしいが、それだけ厳しい戦いという事だろう。

 『聖輦船』船長は村紗水蜜。元船乗りの人間で水難事故で水死し、長い間死体が上がらず浮かばれないまま幽霊となり、やがて近くを通り過ぎる船を沈める悪霊へと変化した経歴を持つ。
 悪霊討伐の依頼を受けてやってきた尼僧聖白蓮の法力によって死体と船を引き揚げてもらい、改心して善良な亡霊妖怪に生まれ変わり、以後崇拝する聖白蓮の守護者となった。
「一輪!雲山を船の後方へ。船の火力は前面に集めろ!」
 船長から一輪と呼ばれている尼僧は雲居一輪で、雲山とは彼女に使役される入道である。
 彼らは人間と妖怪が共に暮らす楽園事業を打ち立てた聖白蓮の信奉者の中でも中心的に活動している者達で、白蓮が法界から追放され魔界に封印された後も大恩を忘れず、地底で聖派という派閥を形成し恩人の復活を待ち望んでいた。

 聖白蓮封印以前の平安中期の妖者の社会は、人間と隣り合わせで任侠道を隠れ蓑に生きる都市妖怪派と、妖怪中心の世界を形成し人と極力関わらないよう暮らす地方氏族派、人間と妖怪の融和を掲げる聖白蓮の楽園派と3つに大別されていた。
 都市妖怪派は、都市毎に強い力を持つ頭を中心とした組合を形成して独自の社会文化を作っていた。
 地方氏族派は大小無数の派閥に分かれており、基本的に人の手の及ばない隔絶された世界で一族郎党と共に暮らす保守的な存在で、その地方氏族派の一つに八雲紫の幻想郷派が存在し、別世界を創ってそこに移住するという斬新な思想を掲げ、来る者拒まず人間とも融和するという点で、後の白蓮の楽園思想に似ていたが、その斬新さ故に発足当初は極小派閥に過ぎなかった。
 幻想郷派の発足は西暦600年より前で、人間と妖者との住み分けが問題になる鎌倉時代よりも遙か以前からこの思想を掲げ博麗神社が中心となって賛同者を募っている状態だった。八雲紫が西行寺有子の死後、2回目の覚醒をし構想が現実へと変わり具体的な隔離作業に入ると派閥は大きくなりはじめ、当時力が倍増して増長の極みにいた八雲紫は、一から創るよりも月を侵略してしまった方が早いと大胆な構想を打ち出し、西暦998年に膨れあがった派閥の武闘派を引き連れ月面戦争を起こした。
 結果は敗北。味方に大きな犠牲を出した八雲紫は失脚し、その後妹の八雲藍に派閥の実権が移ったが、新頭領は強権は振るわず周辺氏族と共和体制をとる方向に派閥の方針を変え、幻想郷派は住む土地を結界で覆うだけで隔離・移住計画は先送りになってしまう。
 そして、月面戦争敗戦によって失脚した八雲紫の幻想郷事業に代わり、聖白蓮の楽園事業が妖怪の世界で注目され始めたわけである。

 聖白蓮は、高名な弟の影響で仏門に入って尼寺で修業をしたが当時は特に目立った才もなく凡庸であった。しかし、弟が病にかかり先が長くないと知ってからひたすら御仏にすがり、厳しい修業に励んで才能を開花させたのである。
 弟は祈りの甲斐なく逝去してしまったが、修業で強い力を身につけた白蓮は弟には及ばないもののそれなりに有名になり、依頼を受けて悪事を働く悪霊や妖を改心させることに人生を捧げていた。
 入道に育てられた少女との運命的な出会いを経て、敵として見ていた妖者に慈悲の心を向けるようになると、次第に彼らに傾注し始め人間と妖怪が共に暮らせるユートピア(楽園)思想に目覚めるようになり、弟の残した禁忌の力を使い人を超えた存在、魔法使いに生まれ変わり、思想だけで実現には程遠かった楽園事業を実行に移したのである。

 月面戦争当時は末法に入り法の力が弱まるとされ妖者の絶頂の時代だったが、天皇や貴族達は仏法が廃れないよう地方の豪族に官位を売ってその代償に寺院を建立させた。更に、行き詰まっていた法界は起死回生を狙い大陸から新しい仏教を持ち帰り、現世利益、個人的な事の成就を目指す小乗仏教から、浄土思想、大衆救済を旨とした大乗仏教へと変化し、仏法は大衆に受け入れられ、宗派を増やし急速に拡大していったのである。
 鎌倉時代に入ると仏法が法秩序の土台となり妖を悪と位置付け積極的に排除する動きが高まり、妖怪は衰退の一途を辿ったが、本来馴れ合わない妖怪同士の横の繋がりが強まる時期でもあった。
 しかし、この横の繋がりがある事件をキッカケとして妖怪同士の不和を生む事になった。

 妖怪の衰退とは裏腹に、この時期台頭する武士から軍神として絶大な支持を受けた毘沙門天が大きな力を得る様になっていた。しかし、本来富の神様であるはずの毘沙門天が軍事に祭り上げられてしまうと富の神様として成り立たなくなり、存在そのものが変質するか失われてしまう危険性があった。
 この危険性を憂慮した、毘沙門天を信仰し親交もあったこの時既に魔法使いとなっていた聖白蓮は、富を集める能力を持つ妖怪の友人、寅丸星を毘沙門天の富の神様としての業務代行に推薦し、これを実現させてしまったのである。
 当時寅丸星はその能力から特に都市妖怪から絶大な支持を受け慕われる人気者だったが、妖怪に仇なす人間の神様になった事で彼女は裏切り者となり人気は急落。彼女を推挙した聖白蓮も同様に裏切り者として恨まれるようになり、都市妖怪派と楽園派は険悪な状況になってしまったのである。
 積極的に人間と妖怪の間を取り持って来た聖白蓮だが、善意でやった寅丸星の毘沙門天推挙が裏目に出て、都市妖怪から敵視され、更に、妖に味方し勢力を大きくしている事を快く思っていなかった法界からも敵視され始めたのである。
 都市妖怪や地方妖怪と盃を交わせない半端妖怪や人間と妖怪の混血で双方から忌み嫌われる者等は、法界の圧力から逃れる為に聖白蓮を頼り集り、戦力はともかくこの当時数的には無視出来ない一大勢力となっていた。
 聖白蓮は毘沙門天を信仰し、魔法使いとなってからは直接親交を持ち、その流れで寅丸星の推薦となったわけだが、この一件以降、都市妖怪と継続的な抗争状態になり、更に人間の圧力から逃れてくる妖怪達を引き受けて派閥を拡大させたことから法界からも敵視され始める。
 この危機を脱却する為、毘沙門天を頼る白蓮だったが、この時既に法界は毘沙門天に白蓮討伐を働きかけており、他者に殺害される前に自分が捉えて生きたまま封印するという手段で白蓮を救う手段を思いつき、毘沙門天は寅丸星の宝塔をその封印を解く鍵として、身を寄せて来た白蓮を聖派諸共捕らえて地獄へ落としてしまう。

「聖の為に命蓮寺を船に改造してここまで来たんだ。こんなところで死んでたまるか!」
 村紗水蜜は元は人間の亡霊妖怪で、白玉楼の主西行寺幽々子と同じタイプ。幽霊として成仏せずに亡霊として新たな命を得た者に死後は存在しない。
「私だって姐さん会うまでは絶対死ねない!」
 入道の雲山を使役する尼僧の姿をした雲居一輪は、紅魔館の門番と同じ所謂前人妖怪で、赤ん坊の頃に山に捨てられたところを偶然入道である雲山に発見され、空腹で泣き叫ぶ赤子の一輪に右往左往し、何とか空腹を満たしてあげようとして乳の代わりに入道である自分の体つまり妖の雲を与えてしまう。それを口にした一輪は、その時点で人として死んでしまったが、入道の妖力を取り込んで妖怪として生まれ変わったのである。
 ある時、不思議な雲を纏った少女が、人間や妖怪にも馴染めず追われている事を聞きつけ保護しに向かった、当時仏門に入ったばかりの能力的にまだ未熟だが年齢的には熟年の白蓮と出会う。
 これが白蓮が後に人外に転生し妖怪と人間の共存共栄の楽園事業を目指すキッカケとなった出会いで、当時妖は敵と教えられていた白蓮は、この一輪との出会いで妖怪に対する見方や考え方が変わり、虐げられる彼らの救済者としての将来を立志したのである。
 一輪は白蓮と共に尼寺で修業して僧侶として成長し、白蓮が弟の病を期に覚醒してからもずっと彼女に従って妖退治に従事し、村紗の改心にも立ち会っており、魔法使いに転身し正式に楽園事業に乗り出すと、当然の様にそれに参加して常に彼女の傍らで補佐し続けてきた。雲山や村紗など個性的な者が多い派閥の幹部連中の中ではかなり影が薄いが実は最古参なのである。

 村紗と一輪は白蓮に大恩ある身で、魔界に封印された恩人救出の為に地霊殿で起こった異変の後、地底から抜け出して幻想郷の片隅で静かに息を潜め情報収集を行っていた。
 普段は目立たない様に山の麓で静かに暮らしていたが、いつもさりげなく視界にいるぬえが最近姿を見せないので心配になり、彼女を捜してマヨヒガ周辺にいたところに今回の異変である。新聞報道で幻想郷の存亡の危機と知った村紗らは逃げ隠れしているわけにもいかず、自衛の為に集まった妖怪達と同様に、聖派の仲間と村紗組を作り虎の子の聖輦船を出して独自に戦闘に参加したというわけである。

「喰らえ!沈没アンカー!」
 村紗はハンマーの様な巨大な碇を武器代わりに使っており、その攻撃方法は振り回して叩きつけたり、投げつけたりという、かなり大雑把な戦い方をする。その為、あまりにも狭い場所や、周囲に味方がいるような状況では、本来の性能は発揮しずらい。
 雲居一輪の使役する雲山は、体の大きさを自在に変化させ大きさに比例して技の威力が増すが、村紗同様周囲の状況に左右されやすく、味方もいる集団戦では本来の力は発揮出来ない。
 巨大な入道である雲山は温厚無口な性格で自衛以外の攻撃はほとんどしないが、曲がった事や嘘が大嫌いでそれらを見るや聞くやすると雷親父の様に激しく怒り出す。
 雲山の体の一部を食べて妖怪化した一輪は、妖怪として生きるための妖力が雲山から供給されており、雲山が長時間離れていると衰弱してしまう。常に後ろに付き従うように居る雲山は、一見すると一輪が使役する僕に見えるが、実際は一輪を妖怪として維持させるために親心で側について見守っているという状況で、魂魄妖夢の魂魄よろしく自動的にくっついて離れないというわけではない。
 聖白蓮を信奉する者は彼女達以外にも存在するが、何れも戦いを生業とする者ではなく戦闘に於いては足手まといになるので、船内で村紗の直属の部下の船乗り幽霊達と共に操船の手伝いをしたり、船の防壁や光弾のエネルギーを供給する任務についていた。

「くそ!全然数が減らねー!」
「おかしいわ、倒してもほとんど手応えがない・・・。」
 妖気の防壁を張った船の突進と砲撃、村紗のアンカー攻撃、雲山の巨大な拳。味方が周囲にいなくなったことで100%の力を発揮出来るようになった『聖輦船』だが、倒しても倒して一向に数が減らない敵に疑問を持ち始める。
「恐らく幻術か、或いはデコイだな・・・。」
「少なくとも幻術ではないわ。ちゃんと抵抗があるもの。」
「なるほど、これはある意味弾幕か・・・このままだとじり貧になるな・・・。」
 人喰い妖怪の中に彼らを操り統率するリーダー的な存在がおり、敵の姿をした弾幕攻撃をしているのだろう。
 マヨヒガ周辺の傭兵は、人間の里の傭兵軍団の様に誰か有能な指揮官によって全体が統率されているわけでもなく、少数が群れて大群を形成しているだけで何らかの意図を持って組織的に動いているわけではない。
 自分達が有利に戦える地表を選んで聖輦船を簡単に見限った連中は既に地上戦を展開している。援軍は望めないし、頼んでも来ないだろう。村紗としては、妖怪といえどこの状況なら一致団結して組織的な戦いをするのかと思っていたが完全に当てが外れてしまった。
「こんな事になるのなら、虎の子の『聖輦船』なんか出してこなけりゃよかった・・・。」
 その身一つで傭兵に参加すれば良かったと後悔する村紗船長。しかし、もしこのまま幻想郷が滅亡する事態になれば船を温存しても意味がない。出し惜しみして後悔するよりはいいだろうと自分に言い聞かせる。
「船長、ここは一旦妖怪の山の方まで下がり、山を背にして戦うのはどう?」
 敵の動きが明らかに妖怪の山を避ける様に南回りに西に移動している。一輪がそれを見て後退を進言するが、村紗は何か考え事をしている様ですぐには応えない。
「・・・策敵班!敵の状況はいい、味方は今どうなってる?」
「何をする気?」
 しばらく何かを考えていた村紗が敵の状況ではなく味方の状況を聞くので不思議に思う一輪。
「はるか東の地表に一軍が見えます!その地点から東、南東の方角に光跡が見えます!」
「あれは里の軍か?連中はまた別の敵と戦ってるのか・・・西は?」
「西は空中に光跡多数見えます。敵味方共に空中戦が中心のようです。」
 東側の状況を報告した策敵班の幽霊とは別の幽霊が西側の状況を報告する。西側は足の速い空を飛べる妖怪が中心で、戦闘も主に空中で行われているようである。そして、山の方角には敵影はなく、竹林のある南側全域は敵だらけであるとの報告も受ける。
「どうやら東と西の味方が優勢で、ここが一番弱い穴とみて敵がどんどん集まってるのか・・・。」
「しかも、空に浮いているのはもう私達だけ・・・。」
「そりゃー確かにこういう事になるよな・・・。」
 双眼鏡で東西の別軍を確認する船長。自分が敵の立場なら間違いなくここを攻めるだろうし、そこで一番目立つこの船を落とそうと真っ先に考えるだろう。
「船長、どちらかと合流しては?」
 副長の白い軍服姿の幽霊が進言し、村紗はそれに大きく頷いて受け入れた。
「よし、東に進路を取るぞ!里の軍団と合流する。」
「西の方が近いけど?」
 西の戦場は東の戦場よりも近く、さらには空中戦が主体である。一輪はそっちに向かえば状況が楽になると考えるが、村紗の考えは違っていた。
「西は空中戦が主だ。それだとまた味方を気にして戦う事になる。東は地上に陣地を張っているようだし、そっちの方が空域を自由に使えそうだ。」
「なるほど。」
 村紗の説明に納得する一輪。
「ですが、東と合流するには敵陣を突破しなければ・・・。」
 副長が言う様に人喰い妖怪の群れは一箇所に集まって陣地の様な空域を形成している。いくつか見える敵陣の中でも特に大きな敵陣が人間の里の傭兵団と聖輦船との間に立ちはだかっているのだ。
「わかってる。進路を北寄りにとって迂回する。それでいいか?」
「了解です!」
 無茶な操船をする船長なので中央突破でもするのではないかと心配する副長は、村紗の言葉を聞いて安堵する。
「よし北東に進路を取るぞ!」
「面舵いっぱーい!」
 方針を決めるまで回避行動を取って西を向いていた舳先を右に回し北東に進路をとる聖輦船。
 マヨヒガと関所跡の中間に位置していた船は豊穣の森上空を通過し、そのまま人間の里と魔法の森をかすめて円を描くように東の傭兵軍陣地と合流する進路を取る予定を組む。
 無数とも見える敵の軍勢は所々でまとまって黒い雲の塊の様な陣地を作っているが、西の強妖怪、中央の自分達、東の里の傭兵を分断するように敵の陣地が割り込んで展開している。基本的に味方の傭兵がいない場所は敵で埋められており、中央の村紗らは北側以外全て敵に囲まれている状況である。

 北寄りに迂回するコースをとった聖輦船だが、この動きを妖怪の山方面への撤退と見たのか、敵は追撃準備に入り拠点から複数の敵の群れがこちらに移動し始めてきた。
「右舷に巨大な物体が接近中!その数2!」
 先程から執拗に船を攻撃している東の敵の塊から巨大な蛭のような妖獣2匹が現れてこちらに真っ直ぐ向かっている状況が策敵班から報告される。
 その後方にも同じ様な大きな蛭型の妖怪が2匹おり、その平べったい背中に沢山の妖怪が乗り込んでいるのが確認報告される。村紗はすぐに敵の意図を読み、手前の蛭は足止め用の囮で後方の敵は聖輦船を乗っ取る強襲船だと判断した。
「この船を乗っ取る気か?対空砲を右舷の攻撃に集中しろ!手前の2匹を撃ち落とせ!」
 村紗の号令と共にこちらに接近する巨大な妖怪に光弾が撃ち込まれる。しかし、命中はしているが効いている様子が無い。
「チッ!艦砲じゃ無理か・・・引き付けて撃沈アンカーをぶち込んでやるか!」
 村紗はそう言うと副長に操舵を任せ、巨大な碇を召喚すると軽々と担いで右舷に立って敵の接近を待つ。
「一撃で仕留めてやる!」
 絶対に当てられると確信出来る距離まで引き付けた村紗は、一番近い巨大な蛭に撃沈アンカーをぶち込む。アンカーは蛭の大きな口に直撃し動きが止まる。
「よし!」
 村紗が一匹仕留め次の目標に狙いを定めた時だった。致命傷となる撃沈アンカーを喰らった蛭はビクビクと痙攣した後、断末魔の悲鳴を上げながら最期の力を振り絞る様に船に突進しようとして、直後そこで大爆発を起こす。
 船体を大きく揺らす凄まじい爆発。もしこれが直撃していたなら船は間違いなく大破撃沈していただろう。
「しまった!」
 村紗はこの蛭がこちらにひっついて動きを止める為のものだろうと予測していたが、そうではなく蛭自体が巨大な魚雷だった事に気付く。
「バキッ!」
 爆発後すぐに船に何かが衝突する音がして船体が大きく揺れる。村紗は放った巨大な碇を戻すのを忘れており、残った碇は爆発で跳ばされて船に戻って右舷に激突してしまったのだ。
「右舷ハッチ脱落!戦闘艇4機大破!操縦士他乗員6名成仏!」
 船内の乗員から状況報告がなされ甲板にいた村紗らは思わず絶句した。
「船長!二匹目来ます!せ、船長!?まずい!乗員右舷から離れろ!」
 自身の失態で船に大きな損害を与えてしまった村紗は一瞬頭が真っ白になり放心していた。それを見た副長が船長の代わりに乗員を右舷から退避させる。
「雲山!」
 一輪が咄嗟に叫ぶが、それより先に雲山は大きな蛭を船にぶつかる寸前で捕まえていた。甲板にいた一輪と副長はほっと胸をなでおろしたが、ここで正気に戻った村紗が絶叫した。
「雲山!そいつを早く投げ捨てろ!」
 雲山の馬鹿力で掴まれた蛭は爆弾等でいうところの信管が作動した状態になり、先程と同じようにビクビクという爆発の前兆痙攣を始める。光弾は効かないが強い衝撃を与えると爆発する仕組みなのだろう。
「雲山!捨てて!」
 巨大化している雲山は力と反比例して俊敏さがなくなる。命令通り投げ捨てようとしたが間に合わず雲山が抱えたまま蛭は大爆発し、爆風でその巨体が大きく傾いて聖輦船の右舷にぶつかって再び船体を大きく揺らす。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああぁ!!!!」
 雲山の苦しみ悶える雷のような呻き声と共に、爆音をかき消すかのような一輪の大きな悲鳴が木霊する。
「大丈夫か!一輪!」
 雷に打たれたかのように悲鳴を上げた後その場に倒れぴくりとも動かない一輪に駆け寄る村紗。
「雲山のダメージが一輪に逆流したんだ。」
 雲山を食べて入道を体に取り込んで妖怪化した一輪は、肉体が雲山と緩く繋がっている。多少の事なら痛みが一輪に逆流することはなかったが、この大爆発は流石に雲山一人では支えきれず、溢れた痛みが一輪に流れ込んでしまったのだ。
「すまん、雲山!一輪!」
 村紗は一瞬気持ちが飛んで直ぐに判断を下せなかった自分自身の不覚を呪い、激昂して一瞬邪悪な悪霊の顔になったがすぐに気持ちを切り変える。そして次の瞬間多くの乗組員の命を預かる毅然とした船長の顔になっていた。
「副長!被害の報告を!」
「は、はい!今の衝撃で右舷は中破、機関部損傷で出力低下及び航行不能。今は浮上させるだけで精一杯です!」
「そうか・・・機関部員は修理を急げ!それ以外は白兵戦の用意!敵はすぐに乗り込んで来るぞ!はやくしろ!」
 妖怪を沢山乗せた強襲用の蛭が2匹、聖輦船を挟むように接近している。もはや逃げる事は不可能でここは腹をくくるしかない。
「副長、一輪を医務室に。雲山!一輪は気絶しているだけで命に別状はない!雲山も痛いだろうがここは我慢して右舷に張り付いて船体を守ってくれ!」
 大きく頷く雲山は、ハッチが脱落して空いた右舷の穴に半分体を入れて塞ぐ。
「船長は?」
「私か?船が動かない以上舵を握っていても仕方がない。こっちから乗り込んで仕留めてやる。船は副長に任せる!」
 村紗は敬礼で命令を受ける副船長を背に、左舷に周り込んで遠回りしている強襲蛭と乗り込む時間を合わせる為に停止している右舷の20人程の妖怪を乗せた強襲蛭に向かって跳躍し、大胆にも単身乗り込み2・3人蹴り落とす。
 まさか向こうから乗り込んで来るなどと思ってもみなかった人喰い妖怪達は、不意を付かれ間髪入れない村紗の碇のフルスイングをまともに喰らって、半数以上が叩き落とされそのまま地上に落ちていく。
「こいつら雑魚だ。」
 妖怪は全てが空を飛べるわけではなく、ここにいる連中は乗用に調教された下等妖獣で輸送されているに過ぎない弱い妖怪達だと判断する村紗。
 船に乗り付けようとする行動から艦上戦闘に慣れた海賊妖怪の仕業ではないかと強く警戒した村紗だが、素人の生兵法だと知って一安心する。これなら聖輦船側に行ったもう一匹の蛭と妖怪達も大丈夫だろう。敵は強襲戦の経験ゼロであり、選りすぐりの船乗りの霊を集めた聖輦船が負けるはずがない。村紗はまだいけると確信した。

「どうやらあいつがリーダーらしいな。」
「奴を先に仕留めよう。そしてあの船は我々が頂く。」
「あの船なら山の向こうに逃げられるかもしれんからな。」
 遠くから聖輦船の戦闘を眺める複数の影がいた。彼らは吸血鬼戦争で吸血鬼側に協力した闇の勢力ナイトストーカーの暗殺部隊の生き残りで、戦後逃走して地下に潜伏し多額の賞金を首に掛けられながら東の無法地帯で逃亡生活をしている者達である。
 魅魔の平和政策になる以前は、白昼堂々と里付近にやってきて人間をさらった事もあるが、最近は風見幽香の配下にある吸血鬼や死神に阻まれ身動きが出来ず、下等な人喰い妖怪を配下に従えて東側で機会を窺っていたのだ。
 幻想郷の終焉を感じ取った彼らは、隠れるのを止めて暴力と非道の限りを尽くして終わるか、混乱に乗じてどこか別の場所に隠れようと決起して、複数存在する対立派閥が一致団結して幻想郷中央部に侵攻したというわけである。

 監視されている言に気づいていない村紗は、乗り込んで乗員を全てを蹴散らすと手綱を持つ操獣係のケツを蹴り飛ばして強襲蛭を乗っ取り、見よう見まねで蛭を操作し蛭の頭を聖輦船側に向ける。
「む!?」
 船の援軍に向かおうとした村紗は、東側の敵の拠点から大群が聖輦船の方に移動しているのを視認し、蛭の頭をそちら向ける。強襲作戦が失敗した事を受けての増援だろう。
「させるか!」
 村紗は手綱を打って蛭を船と敵の間に向かわせる。
「パイルアンカー!」
 村紗の武器である碇は自在に出したり消したり出来、更に碇の用途にあわせて形状も変化させる事も出来る。パイルアンカーは重量で船体固定する『おもり』としての碇ではなく、岩などに杭の様に突き刺して固定する碇だ。
 先端が尖ったパイルアンカーは、聖輦船に向かう強襲蛭の一体の胴体に突き刺さると、体内で先端が四方に分かれて杭が抜けなくなる。柄と杭が霊力で作り出された頑丈で軽いロープで繋がっており、伸ばしたロープを元に戻す事で、自分の体を刺さった杭へ素早く移動させる。
 村紗は杭に戻される力を利用し、次の蛭へ乗り移る直前にアンカーを消し、そのまま足を揃えて蛭の胴体に体重を乗せた蹴りをお見舞いする。村紗のスピードの乗った蹴りを喰らった蛭はそれが致命傷となって死爆の前兆痙攣を起こす。村紗は間髪入れずに付近の蛭にパイルを撃ち込み移動する。背に乗っている妖怪もろとも爆発する蛭を背にして次の蛭に直接飛び乗った村紗は乗員を蹴落とし、ハンマー状に戻した碇でフルスイングし雑魚妖怪を全て薙ぎ払う。
 敵の群れのど真ん中に移動した村紗は、フルスイングからそのまま回転を止めず、碇の先端部を切り離しロープで繋いだまま少しずつ遠心力を利用して回転半径を拡大させていく。そして、高速回転する超重量の碇の先端部は蛭の群れを薙ぎ払って村紗を中心に誘爆の連鎖が広がった。
 聖輦船の左舷に乗り付けてくる揚陸蛭と小競り合いをしていた武装した船員の幽霊達は、村紗の無双の活躍に歓声を上げ、乗り込んできた人喰い妖怪達の士気をくじく事に成功した。

「どうだ!」
 20体以上の蛭とその20倍いた乗員をたった一人で仕留めた村紗は乗っ取った蛭の上で仁王立ちして自身の戦果を誇示した。しかし、この時相手が雑魚ばかりと決めつけ油断した村紗は忍び寄る真の強敵の存在に気づいていなかった。
 村紗は突然背中に何かが突き刺さる鋭い痛みを感じると同時に、尖った金属の破片が胸から飛び出しているのをまるるで他人事の様に見る。
「な?!」
 油断して背後を取られたと思った村紗は直ぐに振り向いて、背後にいると思われる敵に裏拳を喰らわせようとする。しかし、拳は虚しく空を切り、また背中に激痛が走る。今度は腹から金属片が飛び出していた。
 普通の人妖であれば重要な臓器を破壊され致命傷となるはずだが、西行寺幽々子同様、物理攻撃がほとんど効果がない亡霊である村紗にとっては、体を動かすのに邪魔な物が体から飛び出しているという程度の認識でしかない。痛みでのたうち回るような柔な村紗ではなく、痛みは逆に闘争心を駆り立てる。
 背中を貫通して腹から飛び出した金属片を左手で無造作に掴むと、その手が傷つくのも構わず強引に引き抜く。そして同様に胸の金属片も抜き捨てる。出血がほとんどないのは血液はあるが血流がない為で、これは亡霊特有の体質である。
「誰だ!こんな卑怯な攻撃する雑魚は!」
 村紗はこんな攻撃では自分は倒せないと闇討ちした見えない敵を煽る。すると、足下の自分の影から鼻から上だけのまっ黒な人の頭と思しき物がぬうっと現れる。影の中に潜んでの不意打ちと理解した村紗は、影を自在に移動できる類の妖だとすぐに判断し身構えた。
 真っ黒な顔の二つの目が開くと真っ白な白目が現れ、そこに浮かぶ深紅の瞳がこちらを睨む。
「闇の者か!」
 水面から鼻から上だけ出して周囲の様子を伺う河童の様にこちらを見ていた黒い顔は、やがてゆっくりと影から這いだして全身をさらす。少し前屈みの肢体は人間のそれと全く同じに見えるが、毛髪はなく白目と瞳以外の体表面は異様な光沢を放ち、しっとりとした漆器の艶と見間違う。無駄な肉一つない完璧な肉体は、それを誇示するが如く一糸纏わない全裸で、男性を思わせる逞しい体躯をしているが、そのシンボル的な器官が見えず恐らく性別がないのだろう。
 一目で人外と分かるが具体的に何という種族なのかは全くわからない村紗。一つ言えるのは醸し出す雰囲気から、他の獣化した人喰い妖怪とは別次元の生き物だと言う事だけである。
「刃が効かぬ妖怪か?いや、亡霊だな?ならば、我々とは仲間の様なものだな。」
 漆黒の人型が話しかけてくる。白い歯が見えるので口を開いていてしゃべっている事が見て判断出来る。
「お前等と一緒にするな!」
「我々ナイトストーカーは元は亡者。強い負のエネルギーを受けて妖怪へと変化した存在だ。亡者とは強い未練と欲望を残して死してなお死を選べずにいる存在だ。お前は強い未練と欲望を元に自身に使命を与えてその無敵に近い体を手に入れたに過ぎぬ。お前と我々の違いは陰と陽の違いでしかない。そして、陰陽とは一枚の硬貨の裏表、つまり、どちらを向いていても一文銭、陽の光を浴びたとて小判にはならぬということだ。」
「黙れ!私は法の元に法の守護者を守る使命を帯びて亡霊となったんだ!お前達とは違う!」
「ふふ、法も律も関係ない。お前の様に極端な者程、堕とすのも容易い。」
「やれるものならやってみろ!」
 闇の勢力に殉ずるナイトストーカーの迷い惑わす台詞に耳を貸さない村紗。しかし、こうした問答の間にも闇の手は着実に迫っており、村紗が啖呵を切った瞬間にその魔の手が一斉に襲いかかる。
「!」
 自分の真下にある影から金属を叩いて破断させただけの断面の荒い十数本の槍が突き上がり、村紗の下半身は無惨にも固定された状態になってしまう。
「ぐっ!し、しまった!」
 綺麗に研がれた刃なら抜くのも容易だが、刃がギザギザで一度勢いを付けて刺さると後は押すも引くもできなくなってしまう。
 空に飛び上がって強引に抜こうと力を込めた瞬間、両手両足と首に鉄のワイヤーが無秩序に絡み付き強い力で引っ張られる。それぞれのワイヤーの先には目の前のナイトストーカーと自称する者と同じ姿をした、それぞれ専用の蛭に乗るった5人を確認出来、それぞれ村紗の肢体に絡み付いたワイヤーを一本釣りの様に引っ張り上げている。蛭に乗っている事からこの連中は影を自在に動けるが単独飛行は出来ないようだ。
 力では負けない村紗は渾身の力を込めて引っ張るワイヤーを逆に引き返そうとするが、その時、正面にいる黒い影が何かの道具を自分に差し出してきた。
「あがががっがあっああああががが!!!」
 突然バチバチという音を発する小さな道具に触れた村紗は、身体が激しく痺れて力が出なくなる。この道具はスタンガンと呼ばれる暴漢を無力化させる護身用の向こうの世界の道具である。外から迷い込む人間と一緒に幻想郷に流れてきたものだろう。
「我々と違い、半端に肉体など持っているから電気がよく通るのだ。」
 人間を無力化させるだけなら一瞬だが、ナイトストーカーはスイッチを押したまま村紗を感電させ続け、電池が切れるまでかなりの時間そのまま電気を流し続ける。やがて動かなくなったスタンガンを後ろにポイと投げ捨てると、全身から煙を上げる村紗の下がった頭を強引に持ち上げる。
「物理攻撃は効かないようだが、これは良く効くようだな。」
「これしきで・・・やられる・・・私・・・じゃないぞ!」
 大きく呼吸しながら強がって見せる村紗。言葉とは裏腹に肉体がかなり疲弊しているのがわかる。
「なぁに、お楽しみはこれからだ。」
 肢体を拘束しているワイヤーを引っ張り返せなくなった村紗の身体的損耗を確認したナイトストーカーは、拠点方向に手で何かを合図をする。
「!」
 肉体的なダメージで疲労はしているが、精神的には何も問題はなく今は耐える時で反撃のチャンスは必ず来ると我慢していた村紗だったが、その光景を見て愕然とした。
 先程聖輦船に深刻なダメージを与えた魚雷蛭の大群が、ナイトストーカーの合図と共に拠点からこちらに移動してくるのだ。
「う、うそ・・・だろ?」
 村紗の驚愕した顔を見ればこちらの意図は言わずとも伝わっていると確認したナイトストーカーは、ククっと笑って指でGOサインを送る。
「さて、何匹まで耐えられるかな?」
 1匹の魚雷蛭が、村紗に向かって突進を始める。それを受けて村紗をワイヤーで縛っている他のナイトストーカーは、固定されている村紗の身体を強引に刃から引き抜いて、その勢いのまま向かってくる魚雷蛭に体当たりさせる。
 凄まじい爆発が起こり、村紗の身体は炎煙の中に消える。
「ほほう、このくらいでは全然こたえないか。」
 中空で手足をワイヤーで固定され、首を強制的に吊り上げられた状態の村紗は、顔を上げたまま苦しそうな表情で怒気を露わにして、心の中に生じた弱気を必死に隠す。
「(やばい・・・。)」
 あと数回は持ちこたえられる。しかし、それ以上は無理だ。
「南無三・・・。」
 敬愛する人の口癖が思わず自分の口から漏れたが、そこで何かを思いだしたかのように口元を緩める村紗。
「(弱気になるな村紗!私の肉体は決して壊れない!壊れるとすればそれは精神的なものだ。聖に対する強い思いが未練となって亡者として生にしがみつく私の死とは、その思い、心が折れる事で、そしてあいつはそれを狙っている。心さえ折れなければ私は負けないんだ!)」
 村紗の中に絶対に負けないとする闘争心が沸き起こる。しかし、これは闇の者の狙い通りでもあった。
「(バカめ!闘争心は闇への近道。勝利への欲望がお前の善性の根拠をひっくり返すのだ。)」

 30匹以上の魚雷蛭の爆発に耐えた村紗は、その表情が明らかに変質している事に自分自身が気づいていなかった。
 禍々しい黒い息が口から漏れだし、白目は真っ赤に燃えさかっている。その姿を一輪が見れば、悪霊時代の彼女の姿がそこにあることを知るだろう。
 肉体的な苦痛は生命の危機を敏感に察知し生存本能を駆り立て無意識に潜在的な力が出てくるが、村紗の力の本質は闇であり、ナイトストーカーは村紗の肉体を痛めつける事で潜在的な闇の力を引きずり出そうとしているのだ。
「(聖・・・助けてくれた恩を・・・私は返したい。そして封印を解いてもう一度貴女に会いたい。だから、それまでは絶対に死ねない・・・目的を達成する為ならどんなことでもする!)」
 霞む視界の向こうに敬愛して止まない聖白蓮の姿が走馬灯の様に出ては消えていく。
 本来成仏してもおかしくはなかった村紗を亡霊として生かしているのは、聖白蓮に対する感謝と恩返しの強い気持ちである。しかし、その強い気持ちが目的の為に手段を選ばないという精神状態を作り出してしまい、村紗は今、闇の者達の思惑通り奈落へと堕ちかけていた。
「どんな事をしても聖を助ける!」
「我々の元にくれば、その聖というものを助ける事はたやすい。」
「・・・本当に・・・助けられるのか?」
「無論だ。」
「うぅ・・・聖・・・ひじり・・・。」
 村紗の善性は今正にひっくり返ろうとしていた。
「さぁ、こちらへ来るのだ。闇の力は無限だ!」
 村紗が闇へ堕ちようとしているその時だった。

「村紗あああああああああああああああぁぁぁぁぁ!」

 どこからともなく何者かの声と共に光を放つ球体が村紗とナイトストーカーの間に割って入り、凄まじい閃光が走る。周囲が光で真っ白になると影が消え、活動範囲を失った闇の者達はその場から姿を消す。
 謎の閃光はぬえだった。
「村紗!村紗!しっかりして村紗!」
 ぬえは村紗の両肩を掴んで揺さぶり目を覚ますように促すが、既にその表情は悪霊のそれになっていた。
「ひ・・・じ・・・り・・・。」
 自分を呼ぶ声に反応した村紗はぬえの腕を掴んで白蓮の名を口にする。村紗の目にはぬえは映っておらず、聖白蓮の幻を見ているのだ。
「村紗・・・。」
 人間の里傭兵団が展開する地域から西で起こっている激しい空中戦の中に、見覚えのある船と気配を感じたぬえは、援軍を頼む為にキスメを本陣に送り、自身は単身で激戦区に乗り込んできていた。
「ひ・じ・り・・・。」
 何度も愛する者の名を呼ぶ村紗。ぬえは土砂降りの雨に打たれる心境だった。
 分かっていた。自分が村紗の一番になれないことは。だから聖復活などしなければいいと思った。いっその事復活したらその聖白蓮とやらを殺してしまえば、自分が彼女に代わって一番になれるのではないかとも思った。
 しかし、村紗にとって一番の白蓮がこの世から消えた時、村紗もまたその存在理由を失い消えてしまうのだ。
 そして、それがようやく自分の中で実感として形づくと、自分自身を一番に見て貰えない村紗の存在意義が自分の中から消えて急に冷めている事にも気付く。
 いっその事このまま村紗の息の根を止める事が双方にとって幸せなのではないだろうか?
 聖聖と口を開けば白蓮の事しか言わない村紗。彼女の事を語る村紗の嬉しそうな顔は、見ている方が恥ずかしくなるほどだった。真っ直ぐで正直で、自分にはない、そして自分が欲しかったものが全て彼女にあった。だからぬえは村紗に惹かれたのだ。
 自分を理解して貰えるそんな友や仲間が欲しかった。それをぬえは自分とは正反対にいた村紗に求めていた。
 ぬえの目から自然と涙が溢れていた。村紗はもう過去の存在になった。
 その思いはぬえの心を悲しくさせると同時に軽くもした。重かった村紗の存在が消えると、一人の友人、知人、仲間として自分はどうすべきかという問題だけしか残らなかった。
「仲間は助けないと・・・。」
 他の地底の仲間同様、村紗が彼らと同等になった事で、ごく当たり前の選択肢が自然に出てくる。一時の思いに駆られて村紗を殺めようとした自分をぬえは恥じた。
「村紗を助けるには・・・そう、私が一番嫌いな女、そして村紗が一番好きな人になればいい・・・。」
 正体不明の存在。時には見たいと思うものを見せ、時には見たくないものを見せる事が出来るぬえ。その力でこの戦いを優位に進めてきたのだ。その力を使えば自分を見失い闇に堕ちようとしている村紗を現実に引き戻す事が出来るかもしれない。


「哀れな幽霊よ。何故このような事を続けるのです?」
「憎い!憎い!自分の肉体を持ち、自分の船を持つ人間が憎い!私は全部失ったのに、何故あいつらは!憎い!憎い!みんな沈め!失え!」
「なるほど・・・貴方は自分自身と自分の大切な宝物を同時に失ってしまったのですね。」
「憎い!憎い!生きるもの、形あるもの全てが憎い!」
「哀れな幽霊よ・・・失われた貴方の身体と船を返しましょう。」
「こ、これは・・・私の身体・・・船・・・どうして?」
「不幸な事故でした。でも、もう貴方は苦しむ必要はありません。貴方が犯してしまった罪は私が永遠に背負って慰め祈り続けます。」
「ああ、私はなんという愚かな事をしてしまったんだ・・・。」
「さぁ、安心して逝きなさい。」
「待ってくれ!私は自分の罪を償いたい!貴方が私の罪を背負ってくれるというのなら、私は永遠に貴女にお仕えして貴女を助けたい!少しでもお役に立ちたい!」
「心優しき者よ・・・分かりました、では共に生きましょう。」
「ああ、ありがとう・・・仏様。どうか是非貴女様を名前で呼ばせてください。」
「私の名は・・・。」


「聖・・・白蓮様・・・。」
「良かった・・・。」
 涙を流しながら最愛の人の名を呼びぬえに身体を預ける村紗。その表情から闇の影は消え安らかな笑みを揺蕩えていた。
「ぬえっちぃぃー!」
 そこへ髪の毛の色と服装が違う化け傘の小傘が近づいてくる。その後ろには地底組の面々、更にその後ろに里の傭兵達もいる。
「あれ?船長どうかしたの?」
「ん?ちょっと悪い夢をみてたみたい。」
「夢?」
「ええ、あ、でも小傘はここにきていいの?」
 説明するのが面倒なぬえは、小傘が本陣で『魔除け』をしていたことを思い出し話しをかえる。
「どうやら当初の目的を達成出来たらしくて、手の空いた傭兵団が全軍こっちに向かってる。」
 ぬえの質問に答えたのはヤマメだった。見ると人喰い妖怪が集まって黒い塊となっていた大きな拠点が傭兵団の組織的な攻撃で切り崩されているのが見える。
「油断しないで、あんなのは雑魚の塊よ。この辺に村紗を痛めつけた妖怪のボス達が隠れているわ。」
「この辺?どこだ?確かに妙な気配がするけど・・・。」
 キョロキョロする地底組。
「連中は今、眩しい閃光の幻を見て隠れてるの。」
「ということは、光に弱い連中ってこと?」
「違う、影がないと動けない連中よ。ここに一人、あの5匹の蛭にそれぞれ5人。」
「なるほど、ヤマメの網で一網打尽にしましょう。」
 パルスィの提案に頷くヤマメ。
「こっちは私達に任せてぬえは村紗を連れて船へ行ってやれ!」
 敵の居場所が判明しているなら罠で待ち伏せするだけの簡単な作業である。ヤマメはこれは自分の得意とするところと余裕をかましてぬえに調子のいいことを言う。
「うん、わかった!」
 そのヤマメの指示に素直に従って村紗を抱きかかえたまま飛び去るぬえの背中を見て、皆意外そうな顔をする。
「どうしたんだ?ぬえのやつ・・・やけに素直だな。」
「何か何時もと違うねー・・・。」
「小傘みたいに、一皮むけたんじゃない?」
「小傘は一皮どころか5枚くらいむけたんじゃないのか?」
「いやーそうかなー!あはははー」
 てへへ笑いする小傘だが、本来風見幽香に向かうはずの大量の畏れを独占した事で、短時間で急激に力を付けてしまったのだ。元が弱過ぎるのでこれで普通の妖怪になった程度だが、短時間でここまでランクアップするのは稀である。
「・・・それにしても・・・。」
 パルスィは、小さな笑いが起こる場からふと空を見上げ、その光景を見て気持ちが後ろ向きになる。
 空が鉄の蓋で塞がれ昼間なのに薄暗く見える幻想郷。あちこちで光跡が飛び交い閃光が走るこの状況に世界の終焉を想像してしまう。

 ここでの小さな勝利に何の意味があるのだろうか?
東方不死死 第65章 「善無き世界の悪」


 西暦1436年に起こった幻想郷最大にして最悪の戦争、吸血鬼戦争の戦後処理を巡る問題で、吸血鬼王アルカードの嘆願によって戦中に生まれた2人の乳児が助命された。
 残された2人の乳児には罪は無かったが一族の犯した罪は重く、例え乳児と言えども戦争責任から逃れる事は出来ず、成人することが許されない『永遠の子供』という呪いと『500年の冬眠』、更に『幻想郷追放』という重い罪が科せられた。
 そして、この2人の女児こそが、吸血鬼王アルカード・ブルブラドと絶世の美女セレーネ・スカーレットとの間に生まれ出生を秘密にされた王の隠し子で、現在紅魔館に住むレミリア、フランドールのスカーレット姉妹こそが王の娘、真の吸血鬼王なのである。


「ごめんなさい・・・。」
 紅魔館の会議室にあてられた小さなバルコニーのある一室に一人の少女の謝罪の言葉が木霊する。
 非を詫びる事は人ととして大人として、上に立つ者として当然しなければならない。そうやって様々な失敗を乗り越え自分を磨き成長していくのだ。
 しかし、永遠の子供という呪いを科せられたレミリアは、大人へと踏み出す様々な感情の変化や態度までもが呪いの力によって封じられおり、心を成長させる場面に於いて尽くその呪いの効果が発揮され、本意ではない幼稚な振る舞いをさせられてしまうのだ。
 レミリアはこれまでも自分に非があることは頭のどこかで理解しており、その非を認め問題を良い方向へ向かわせようと試みたが、そんな時は決まって自分の意志とは違う心にもない台詞が口から滑り出てしまい、その言葉を取り繕うために相手に非を転嫁させてきた。その心にもない言葉がつい口に出てしまう問題について悩むと、脳が糖分を欲するのか急に甘い物が食べたくなって我慢出来ず周囲にそれを要求し、満たされると先程の悩みを完全に忘れ、そうやって同じ子供の日々を繰り返すのだ。これがレミリアに科せられた子供のままに有り続ける事を強制する呪いの力である。

 しかしレミリアは、フランドールの全てを破壊する力によって、目に見えない心を縛る永遠の呪いから解き放たれていた。

 レミリアの口からこぼれ落ちた一言は、とても小さくそして簡単なものだったが、それが意味する問題の大きさは会議の参加者は十分理解していた。それは、これまでしてきたことが全て誤りであったことを認めた事であり、謝罪によって彼女個人の評価は上がるものの、紅魔館という一つの組織が全面敗北した事を意味していた。
 組織を背負う者の謝罪は、個人間で行われる謝罪の比ではない。この勝ち負けに物質的な損得は発生しないものの、紅魔館の発言力や影響力は今後著しく低下するのは間違いなかった。

 呪いの力で成長を止められていたレミリアは、その呪縛から解放された事でそれまで押さえ込まれていた様々な感情が心の中に溢れており、胸が一杯でどう自分を扱ってよいのか自分の物であるはずの心の置き所が分からなくなっていた。
 紅魔館という一つの自治組織の長としての自分。フランドールの姉としての自分。忠実な配下を従えた主としての自分。幼馴染みとしての自分。吸血鬼の高貴な一族としての自分。幻想郷全体に影響を及ぼす強妖怪としての自分。神社の巫女と親しくなりたい自分。それらの立場を全て取り去ったレミリア・スカーレットという少女としての何も飾らない自分。様々な自分が存在している。
 本当の自分はどれなのか、全て本当の自分だろうが、今どの自分で振る舞えばいいのか分からない。
 溢れる感情が涙腺を刺激して、何かが溢れ出してくる衝動に駆られ、抑えようとしても止められない。
 こちらを見下ろす恐ろしい顔から目を背けて下を向きたいが、今下を向いたら我慢しているあらゆる感情が涙となって流れ落ち、その場で人目をはばからず泣き叫んでしまいそうだった。

 感情のままに流される事は、少女レミリア・スカーレットという個人の魅力を高める事に繋がるかもしれないが、それをこの場でやれば組織の長としての立場を失い、その下にいる者達に肩身の狭い思いをさせてしまう。
 レミリアは必死に涙を堪え、見下ろす藤原妹紅を凝視した。
「(レミリア・スカーレット。がんばったご褒美だ。お前の犯した罪、受ける罰は全て私が背負ってやろう。フランに感謝しろよ。)」
 妹紅はレミリアがアルカードの子で吸血鬼王の本当の娘である事は知っている。偉大な王に恥をかかせる事は例え敵であっても妹紅には許されなかった。それは天皇という日出国の王に長年仕えてきた立場と、その国を支える古き良き仕来りを重んじて、それを行動原理としていた自分自身の正義を貫く為だからである。

 テーブルについた両手で身体を支えるようにして、下げた後にどうなるかわからなくなる頭を必死に上げているレミリア。そのレミリアの内面は外からでも感じ取る事が出来、会議の参加者達はこの必死な吸血鬼の少女に年相応の可愛らしさを感じ、皆好感を持ってその光景を眺めていた。
 こうした周囲の感情の変化は、レミリアに恐怖や畏怖の念を感じなくなったという事の裏返しでもあり、小生意気だが、侮りがたい吸血鬼の小娘ではなく、紅魔館の可愛らしいお人形さんという印象に取って代わるものであった。
 他者を畏れさせる力で以て格付けが決まる妖者にとって『銘』は重要で、一旦地に堕ちると回復は難しく、汚名返上の為に力を誇示すればする程品位が下がり『銘』の持つ畏れの力が落ちるのだ。『銘』は武名とは違い、勝つ事で上がるわけではなく、例え負け戦でも風見幽香の様にその行動がどれだけ大勢に感銘を与えたかで決まるのだ。
 レミリアがここで感情を抑えられず支配者としての面目を保てなければ、可愛らしい泣き虫少女という新しい評価を得ても畏れおおき吸血鬼という評価は失われる事になる。
 ある意味、吸血鬼レミリア・スカーレットが別の存在に成り下がってしまう決定的な瞬間でもあり、八雲紫などはそれを歓迎していた。

「おい、レミリア・スカーレット。謝罪するのか喧嘩うるのかどっちかにしたらどうだ?」
 謝罪後ずっと妹紅を見たまま瞬き一つしないレミリア。見方によっては睨み付けている様にもみえなくもない。
 レミリアの心情をしっかりと捉えている妹紅だったが、敢えて敵対している事を前面に押し出し、相手に頭を下げさせようとする。
「(さぁ、頭を下げろ!直ぐに楽にしてやる!)」
 瞳孔が縦に裂けた金色の羅刹の眼となって圧倒的な威圧感でレミリアをねじ伏せようとする妹紅。正面から鬼の顔を見れるのはレミリアとメイド長しかいないので周囲にはこの顔を見られていない。
 呪いの一部が解かれ、心の成長の足かせが外れたレミリアだが、紅魔館の主、高貴な吸血鬼としての心が折れたわけではないので頭を下げる事にやはり抵抗はある。しかしこの場合、下げたくない理由は謝りたくないからではなく、涙を落とし人前で泣きたくないからである。
 やがて堪えきれなくなり目をぎゅっと瞑る。すると溜まった涙の雫が一粒こぼれ落ち頬を伝う。その時、涙を見られないようにと上げていた顔を反射的に下げてしまうレミリア。
 我慢していた感情が堰を切った様に涙と一緒に溢れてしまう。レミリアは我慢出来ず大声を上げて泣き出した。

 しかし、ここで信じられない事が起こり、和やかな会議の雰囲気が一瞬で凍り付いた。

「謝ったくらいで許されるなら、閻魔なんて必要ないんだよ!」
 頭を下げて今正に大声で泣き出そうとするレミリアの後頭部に館中に響くような罵声を浴びせた妹紅は、なんと罵声だけではなく右足を大きく振りかぶって小さな少女の頭に踏み下ろしたのである。
 木製の丈夫なテーブルに何か硬い物がぶつかるガツンという大きな音が室内に鳴り響く。
 その光景を見ていた参加者は一瞬何が起こっているのか分からず呆気に取られて口をぽっかりと開ける。
 そんな参加者を尻目に一度だけではなく、二度三度と渾身の力を込めてレミリアの後頭部をスタンプする鬼妹紅。ガンガンという打撃音だけが部屋に鳴り響く。
 レミリアは硬いテーブルと妹紅の渾身の重い一撃に挟まれ、目から火花が散って最初は何をされたのか一瞬理解出来ずにいた。
「お前の所為でどれだけの人妖が迷惑を被ったと思っているんだ!」
 祭り上げられただけのレミリアがこの理由で責められるのは本来筋違いだが、リーダーとして立った以上はその責任を負う義務が生じる事を教える妹紅。これは、吸血鬼廃絶の一貫としてレミリアを祭り上げた八雲紫の策を下策と評価する意味も含まれていた。
「ごめんなさい、だと?ふざけるな!死ね!死んで詫びろ!」
 ガンガンと何度も頭に叩きつける妹紅の足。背中から浴びせかけられる罵声。女々しく泣き出しそうだったレミリアはテーブルにキスを強制された立ち土下座の様な格好のまましばらく頭が真っ白のままだったが、気付いた時は声にならない大声を上げて泣き叫んでいた。
 紅魔館の主としてこの場所を自由にしていい立場であっても感情の赴くまま身勝手な振る舞いは出来ない。そもそも自分自身にそうした甲斐性はなく、常に立派な存在であり続ける事が喜びであった。その感情そのものが呪いによってそうし向けられていたかは分からないが、人前で女々しく泣くなどはレミリアにとって絶対にあってはならない事だった。
 自分の居場所である紅魔館のどこにも本当の意味でのプライベートな空間はなく、そしてこれまでそれは必要なかった。しかし、今は自分だけの自分だけしか存在しない、感情をはき出せる誰にも見せられない自分を出せる空間が欲しかった。
 その空間は今正にここにあった。罵声と暴力と屈辱の檻の中こそが、自分を吐き出せる唯一の場所だった。
 ただひたすら泣いた。これまで鬱積した全ての感情を吐き出し、浴びせられる罵声と、蹴り続けられる音の中で、レミリアはひたすら泣き続けた。

 十六夜咲夜も他の参加者達と同じくこの妹紅の行動は予測出来ず、最初は呆然と立ち尽くしてしまう。しかし、直ぐに従者としての本能が目覚め主を守る行動を取ろうと身構え妹紅に攻撃しようとする。そして主から視線を妹紅に移した時、そこである事に気付いた。
「は!」
 妹紅はレミリアに罵声を浴びせながら、視線が何かを訴える様にこちらに向いている事に気付いたのだ。
「(これは・・・まさか、擬態?)」
 十六夜咲夜は一瞬で悟った。事前に同盟関係を結んでいるので、まさかこの様な敵対的行動に出るとは予想していなかったが、何らかの意図があり、そしてそれを密かに伝えようとしての視線というのであれば合点もいく。
 恐らくこの行動はレミリアを糾弾しているのではなく、人前で一番見せたくない姿を隠す為に、二番目に見せたくない醜態を晒させているのだ。そして、レミリアの醜態も自らがその上を行く悪行を晒して参加者の関心を妹紅一人に集中させようとしているのだと咲夜は受け取った。
 咲夜はすぐに自分のやるべきことを考え、間髪入れず実行に移す。
 世界を裏返して妹紅に急接近する。ここで殺意を抱けば妹紅に内包する八雲紫の妹藍の思念体に凝結攻撃される。しかし、咲夜は妹紅に一切の殺意を抱かず、無心で妹紅に接近し攻撃ポーズだけをとって物理世界に戻る。

 会議室に何か大きな物がぶつかって壊れる凄まじい衝撃音が、何の前触れも無く突然起こる。
 妹紅の悪行に、呆気にとられていた会議の参加者達は、その音を合図に正気に戻りその音の方に意識を向ける。
 大きな音の発生源を見ると、十六夜咲夜がレミリアの背後の壁にめり込み、重力に逆らえず床にずり落ちるところだった。
「カスが!この私に勝てると思っているのか!(良くやった咲夜!)」
 妹紅が右の拳を前に差し出しながら声に出して咲夜をなじり、心の中で彼女の行動を賞賛する。
 この光景をありのままの結果として見る事しか出来ない参加者達は、主を守ろうとして咄嗟に時間を止めて攻撃した十六夜咲夜を妹紅が難なく撃退したとしか見る事が出来ない。
 藤原妹紅と十六夜咲夜が裏で繋がっている事など知らない、予想もしていない参加者達は、この咲夜の行動を従者として当然と受け取る。仮にここで咲夜が何もしなければ妹紅と咲夜の間に何らかの密約があるのではないかという余計な想像力を働かせてしまいかねない。
 従者としての当然の行動と無惨に撃退されるという2つの嘘を、妹紅の視線から咄嗟に感じ取って行動に移し、2人の内通を隠蔽した咲夜の行動を妹紅は賞賛した。

 咲夜が壁に叩きつけられ、壁に掛けてあった絵画の額縁が砕け、中身と一緒に床に散乱している。この派手に壊れた大きな音で我に返った参加者は、ここに来てようやく状況を知り腰を跳ね上げ何か行動しようとする。しかし、ここでどう動けばいいのか咄嗟に思いつかないので、皆一様に同じ姿勢のまま立ちつくす。
 レミリアと親しい友人ならここで妹紅を止めようとするだろう。実際僕である十六夜咲夜はそうやって撃退された。もう一人の側近の魔法使いは呆然とその光景を見たまま思考停止しているようで、周囲からは愚鈍な魔法使いという印象を与えていた。
 ここにいる参加者で真っ先に動き出すような紅魔館と親しいと思われる者はいないようで、誰かが止めるだろうという判断が各自の脳裏に働き、更に実際に行動に移した咲夜が撃退されたという事実も手伝い互いに様子見をしてしまう。
 この中で一番レミリアと親しいはずの博麗霊夢は、皆が腰を浮かせているにもかかわらず、パチュリー同様椅子に腰を落としたままで、ぼーっとその光景を眺めているだけである。これは無関心からの行動ではなく未だこの状況を受け入れる事が出来ず思考停止している為である。

「見ろ!誰も私を止めようとしない!皆お前を恨んでいるのさ!皆私を心から応援しているのさ!」
 妹紅のこの台詞に皆心の中で違うと否定する。しかし、その思いと行動が全く一致しない。
 妹紅は絶対に起こらないと思っていた事が起こる時、頭がいい者程考え過ぎて行動が遅れる事を充分に理解していた。
 皆、あの謝罪の後、妹紅がレミリアに手を差し延べて許し、大団円でこの茶番が終幕すると思い込んでいたのだ。謝罪する少女を足蹴にするなど、妹紅への評価を高め印象を変えた参加者であれば尚更この行動が理解出来ず、まるで悪い夢でも見ているかのようである。特に霊夢は妹紅と異変について直接話しているし妹紅と紫にまつわる因縁もその場で体験し、話しも詳しく聞かされている同士としての立場にいると思いこんでいる。呪符を使う妖術師として自分より遙かに熟達した猛者だということも理解しており、戦いを生業とする者として尊敬すらしていた。
 霊夢の中の尊敬に値する『妹紅像』は、ガラガラと音を立てて崩れ落ち、頭の中が真っ白になって何も考えられなくなっていた。

 妹紅は参加者達が手をこまねいている間にも少女の後頭部に容赦なく攻撃を続けている。レミリアの顔の下にある真っ白なテーブルクロスは最初は透明の液体で濡れていたが、やがて紅く染まり始める。丈夫な吸血鬼といえどもこの様な攻撃を続けられれば鼻が折れ出血もするだろう。
 人間なら最初の一撃だけで頭蓋が爆散していたかもしれない。しかし妹紅は、吸血鬼が多少の事では死なないと知っていたので一切の手加減はしておらず、本当に殺すつもりで蹴りを下ろし続けている。

 レミリア・スカーレットは、後頭部を蹴られ顔面をテーブルに押しつけられている屈辱的な状況の中にいながら、心の中でこの状況を歓迎していた。
 妹紅の攻撃は自分の犯した罪に対する正当な罰であり、それは屈辱とは感じていなかった。自分の未熟さを省みて今はボロボロに打ちのめされたい、そんなさばさばとした気持ちだったのである。
 レミリアは妹紅が自分の立場を守ろうとしてこのような演技をしているとは気づいておらず、道理を通そうとしているだけだと思い、今の内に感情を全部吐き出してしまおうと考えていた。

 なおも執拗に攻撃する妹紅。衝撃がレミリアの頭を貫通してテーブルに力が伝わり大きくを音を鳴らす。その音は、最初は堅い物を叩く乾いたような音であったが、次第に水分を含んだような鈍い音に変わっていく。気づけばレミリアが伏せているテーブルクロスは真っ赤に染まり、その領域が霊夢の前を通り越し八雲紫の席近くまで到達している。妹紅の攻撃は収まるどころか激しさを増し、血しぶきが周囲にまで跳び散り始める。
「死ね!死ね!死ね!死ね!人妖の恨み思い知れ!」
 妹紅は笑うように死ねと連呼し攻撃の手を強める。それはもはや人の為せる所業ではなかった。
 口ではレミリアの罪を断ずるような台詞を語るが、それは殺戮を楽しむ口実で、これまでレミリアを諭す様に見えた行為はこの殺戮という名の快楽を増幅させる為の余興でしかなかったのだ。
 会議の参加者は妹紅に対する評価を巻き戻し、更にどん底まで下げていた。

 妹紅は自分の評価の下げ止まり感を背中でひしひしと感じながら思い通りに展開する企みに満足していた。
 そろそろ誰か動くだろうと思っていた瞬間、見るに見かねた四季映姫の動く気配を感じた妹紅は、仕上げとばかりに叩き下ろしていた足を横に払って、レミリアの左の頬につま先をねじ込み顎を砕く。
 バキっという何かが砕ける音がして、レミリアの首が90度曲がって真横にいる霊夢を向く。一瞬で回った首の遠心力によって顔面を血まみれにしている大量の血液の一部が霊夢に向かって飛び散り顔と服を汚す。

 妹紅は四季映姫が一番最初にしゃしゃり出ると予測しており、彼女が出る前に霊夢を利用しようと最初から考えていた。
 これで惚けていた霊夢も我に返りブチ切れるだろう。そして妹紅の予想通りの展開となった。

「何してるのよ!」
 爆発的な怒気が霊夢から溢れ出し、席を立った瞬間怒気が弾丸となって妹紅に撃ち出された。
 霊夢のやや右手前に立ってレミリアを蹴りまくっていた妹紅は、霊夢の気弾で吹き飛ばされ壁にぶち当たって身体を半分以上めり込ませる。もし、これを普通の人間や妖怪にやっていたら、ただの肉片と血だまりが形成されていたことだろう。怒りで力の制御が出来なくなった霊夢だが、これは周囲の予測を遙かに超えた力で、参加者は思わずぎギョっとして博麗の巫女と壁にめりこんだ妹紅を交互に二度見していた。
 冷静さを失った霊夢の怒り一撃の威力は凄まじく、危うく館の端にある部屋の壁に外と繋がる大穴が空くところだった。
 この霊夢の力は周囲を驚かせた。何かの術を発動させた様子も無く、気合いだけで相手を吹き飛ばし丈夫な建物を破壊しかけたのである。博麗の巫女とはいえ人間とは思えない力である。
 壁に叩きつけられた妹紅は辛うじて死を免れ、内心驚いたが何事も無かったかのように壁から這いだして床に飛び降りる。その間に十六夜咲夜がレミリアを部屋の隅に運び手当をするが、妹紅はそれを視界の端に入れながら無視して主不在の席を挟んで霊夢と対峙する。
「てめぇ何しやがる!」
「あんたこそ何やってるのよ!レミリアは謝ってたでしょ!」
 霊夢が薄い気の幕に覆われている事に気付き、その潜在的力を計りつつ応対する妹紅。
「許すかどうかは私次第だ。」
「限度ってもんがあるでしょーが!」
 肩を怒らせ全身で怒気を纏いながら妹紅に喰ってかかる霊夢。妹紅はポケットに手を突っ込んで斜に構えて霊夢を見下すように対峙する。妹紅は妖怪との臨戦態勢と同じ姿勢になる。
「妖者のしでかした悪さを懲らしめるのがお前の役目だろ?怠け者のかわりに私が懲らしめてやったんだ。有り難く思え!」
「あんたのやってるのはただの虐殺よ!殺しを楽しんでるだけでしょ!」
「何だとぉ?」
 この霊夢の言葉で妹紅の表情が変わり、纏っている気の性質が忌々しいものに変化する。部屋にいた全員が同時に悪寒を覚え全身に鳥肌が立つ。これが穢れの力なのだ。
 周囲が気圧される中、神聖な気に守られた霊夢は毅然と邪悪な妹紅に立ち向かうが、これは危険だと紫が霊夢の手を引き抑えるよう促す。しかし一度火がついた霊夢も簡単には止まらない。暴走した怒気はその落としどころを求めて身体の中を爆走し、血を燃えたぎらせ闘争心が静まらない。
 妹紅は霊夢に、年齢に見合わない達観した大人の面と、反抗期真っ只中の未熟な面が同居していることを、異変によって生じた短い交流の間に見抜いており、レミリアに対する攻撃によって義憤をこじらせて暴走することは折り込み済みだった。レミリアのついではないが、霊夢にも多少心の変化を促す為の作業をいずれはしなければならないだろうと目論んでいたので、今がその好機ともいえた。

 人間と関わろうとしない霊夢を教育するという目的も同時に持っていた妹紅は、先程の問答でも霊夢をしきりに挑発して心に波風を立てていたが、それはこの状況に持っていきやすいようにする為の仕込みであった。
 まんまと妹紅の策に嵌っている霊夢だが、その辺でよく見かける犬の喧嘩のように振る舞う妹紅の調子に乗せられ、売り言葉に買い言葉で霊夢の感情はどんどんエスカレートしてくる。
「(レミリアもそうだが、霊夢にも誰か大人が叱ってやらなければならない。人間が親無しで大人になれるわけがない。)」
 レミリアは吸血鬼だが、吸血鬼は家族、親戚縁者、同族などコミュニティを大切にする種族で、独立独歩を旨とする妖怪より人間に近い。実際『ヴェントルー』は人間の社会で貴族として共存共栄してきた歴史がある。
 人間も吸血鬼も子供は世間の荒波の中で勝手に育ち生き残るのではなく、親、家族が大切に守り育てて文化を継承させるのだ。レミリアには残念ながらそうした親や、その代替えとなるような存在がいないのだ。そしてこれは霊夢も同じだった。
「言わせておけばいい気になりやがって。止めだ!こんな異変私は降りる!」
 妹紅は霊夢の行為を敵対行為として、異変の参加を降りると宣言する。
「勝手にすればいいわ!あんたなんかに助けてほしくなんてないわよ!」
 勢いに任せてとんでもないことを言ってしまう霊夢。何事にも動じず常に飄々と振る舞う博麗の巫女を皆は大物として一目置いていたが、この後先考えない直情的な実に人間らしい行動は周囲を失望させてしまう。
「博麗の巫女直々の幻想郷滅亡宣言だ。会議はこれで終了だな。逃げたいやつはとっとと逃げろ。」
 霊夢の軽率な発言を受けて揚げ足を取るように大袈裟な態度で参加者に知らせる妹紅。しかし、皆席を立ってはいるものの帰る素振り一つ見せず、押し黙って妹紅と霊夢を交互に見やるだけである。
「妹紅、その辺で勘弁してあげて・・・。」
 紫は先程妹紅を宥めようとして噛みつかれた恐怖を思い出しつつ、機嫌を伺う様に恐る恐る妹紅を宥める。
「霊夢は15のガキだから仕方がないってか?10ならともかく15になってもガキならもう救いようがないだろ?諭して効く耳があるならとっくに自立できてる。こいつはもう巫女としては駄目だ使いものにならない!もし私に異変の協力をどうしても頼みたいというのなら、この異変が終わった後、霊夢を引退させて神社から追い出せ。代わりは外から適当なやつをさらってくればいい。」
 妹紅の提案に息を飲む参加者の面々。妹紅の態度は無礼極まりないが、言っている事は的を射ており筋が通っているので反論できない。
 霊夢は、妹紅とレミリアの間に口を挟んではいけなかった。少なくともあの時はレミリアに明かな非があり、妹紅が収まり着くまで待たなければなかったのだ。霊夢は庇ったつもりだろうが、これでは逆効果で黙って仕打ちを受けていたレミリアは正に殴られ損である。
 妹紅の計画通りに進んでいることに気づいていない参加者は、霊夢の不始末は紫がつけるだろうと踏み、嵐が収まるまで待つのが得策と皆腹に一物ありながらも堪えていた。


 妹紅は自分に非がない事を殊更強調して、レミリアや霊夢を糾弾する。参加者らは皆、妹紅の傍若無人な振る舞いに憤りを覚えるものの、筋は通っているので反論が出来ない。その事が余計に妹紅に対する印象を悪くする。
 妹紅の巫女引退勧告を受けて紫は、眉間に皺を寄せて怒気を収める様に霊夢に警告を発する。
 時間が経過し頭に登った血が引いて来ると、先程のレミリアと同様にとんでもないことをしてしまったと霊夢の中にも後悔の念が生じる。謝らなければならない思いが沸き立ってくるものの素直に頭を下げる事が出来ずにいた。
 鬱屈と腹の底に黒い感情を留めながら紫に叱られて気落ちする霊夢は、相手の譲歩も見込めないこの状況ではやはり自分が先に折れるしかないと唇を噛みしめる。気持ちが乗らないと何もやる気がおこらない霊夢は、自分の不始末にもかかわらず、それに対する謝罪がやらされると感じ、もどかしさにイライラする。
 自分から干渉しなければ責任をとる必要がない。だから気楽でいられた。しかし、今は違う。自分のやったことに落とし前をつけなければならない。
 妹紅は大人の対応で霊夢の謝罪を受け入れる準備をするが、その態度が霊夢を余計に腹立たせる。そしてそれもしっかり計算にいれている妹紅。
 ここに来てレミリアの葛藤がどれほどのものか、彼女がどれ程我慢していたかが理解できた霊夢だが全ては後の祭りだった。


「(紫様・・・時間がかかり過ぎてます。)」
「(分かっているわ藍!でも、ここを凌がないと先に進まないわ!)」
 八雲紫と藍は主と式神という関係以前に基から脳を同期させてる事が出来、声を発しなくても意志の疎通が出来る。藍はここまで妹紅等のやりとりを尻目に、スキマ砲の射角調整に忙しく頭を働かせており、会議室内の状況は他人事だったが、これ以上の揉め事は、妹紅がやるやらない以前にタイムオーバーになりかねない危険性があり、藍はそちらの方が心配で、ついに紫に上申したのである。しかし、紫としてもここをクリアしなければならず藍の突き上げに苛立ちを覚え、つい語気が荒くなる。

 何を間違えてこんな状況になったのか全く理解出来ない紫。レミリアも妹紅も霊夢も全て裏の事情を知って協力関係にあるというのに、何故大人しくこちらの企み通り動いてくれないのだろうか?八雲紫は吸血鬼など担ぎ上げずにそのまま最初から悪者にしておけばよかったと後悔し、策に溺れた自分を呪っていたが、これが全て妹紅の掌の上で踊らされた結果だとは思ってもみなかった。

 妹紅がここに来てから1時間以上は経過している。風見幽香の攻撃で要塞が少し上昇しているので多少の時間は稼げるがスキマ砲は自在に射角を変えられる代物ではないので、予め発射角度と時間を設定しておく必要があり、時間的な余裕は必ずしも沢山とれるわけでもなかった。
「(藍、限界ラインギリギリで調整しておいて。)」
「(っ・・・分かりました。)」
 何か言いたげな藍に最終指示を出した紫もまたジレンマに陥っていた。
 結界が幻想郷の地表に干渉しない最終安全ラインまで射撃時間を遅らせた事で発射時間まで少し余裕が出来きる。このまま霊夢が謝罪するまでもう少し待ってもいい。しかし、今の霊夢に確実な期待が持てない以上、自分が土下座して詫びてそれに免じて貰うかないなどと考え始める。元々妹紅に不死人狩りの不始末を土下座で詫びるつもりでいたので彼女に対しての土下座に抵抗は全くない。しかし、公衆の面前でそれを行えば多くの八雲紫という銘から畏れが消えて、存在が軽んじられてしまうだろう。だが、背に腹は替えられないと先程妹紅に偉そうに嘯いて見せた手前、それを実践してみせなければ本当ではない。
 この時、頭を下げて妹紅にお願いしようという思いに駆られたのは紫だけではなく、四季映姫や西行寺幽々子の中にも生じていた。彼らは異変解決の為に選抜された重要メンバーではなく、そこまでする義理はないのだが、三賢者として紫の異変に許可を与えた者としてその責任を負う為に必要ならば土下座する覚悟があった。それに紫の様な妖怪とは違うので、畏れによる格付けが彼らにはない。頭を下げてもその時だけで済む話だった。

 そんな各自の心情を簡単に読みとれる、この状況に意図的に持っていった張本人である妹紅は、この中で忘れてはならない重要人物の名を心の中で呼ぶ。
「(レミリア、そろそろお前の出番だぞ。)」
 重苦しい空気の中、何人かが事の進展の為に頭を下げようと一歩踏み出そうとした正にその時、皆の記憶から一時的に抜け落ちていた人物が前に出て妹紅の横に立った。
「藤原妹紅、これまでの数々の無礼お許し下さい。」
 そこに立っていたのはこの会議の主催者、レミリア・スカーレットだった。

 レミリアは、妹紅と霊夢のやりとりの間、咲夜に部屋の隅に連れて行かれ汚れた顔と服を綺麗に拭いて整えて貰いながら爆発した心の収束を図っていた。
 無形の感情の荒波はやがて凪ぎ、静かに確実に形を持つようになる。そして揺れ動く心にしっかりと根が張り、もはやどんな嵐が来ても動く事はないだろう。その安心と安定によって気持ちが落ち着き今はとても清々しい気分だった。
 10歳とは思えない美しい気品に満ちた顔で妹紅の前に立ったレミリア。参加者達はその別人の様なレミリアの佇まいに思わず息を呑み魅入ってしまう。
「・・・邪魔をするな。お前の件はもう許してやるからすっこんでろ。」
 妹紅はそんなレミリアを一瞥しただけで関心が霊夢に移って興味が薄れていると敢えて嘘を告げる。
「いいえ、そういうわけにはいきません。」
「何だ?邪魔をする気か?お前等そうやって永遠に傷を舐め合ってろよ!」
 妹紅は指をボキボキと鳴らして、また痛めにあわせるぞと言う顔でレミリアに体毎向き直る。
 レミリアは妹紅が真っ直ぐこちらを向いたタイミングに合わせて恭しく頭を下げる。その丁寧で心のこもった低頭の姿に一堂は思わず感銘を受けてしまう。
「霊夢は私を庇う為に貴女に暴力を振るってしまいました。これは全て私が至らなかった所為です。」
 レミリアは頭を下げたまま話しを続ける。
「まるで霊夢がお前の部下みたいな言いようだな。」
「この異変解決に霊夢他召集をかけたのは私です。その召集に賛同して従うとした以上、その時点で私の配下に着いたも同じです。で、あるならば部下の不始末は私が負うのが筋というもの・・・。」
「詭弁だな。だったら四の五の言う前にお前が言って霊夢に頭を下げさせろ。」
 妹紅は怒り心頭という顔でレミリアの胸ぐらを掴み顔に引き寄せる。それを見て霊夢が再び義憤をこじらせ腕をまくる。感情が不安定になった霊夢らしくない霊夢は、物事を一々直感的に感じ取って行動に移してしまう未熟さを全面に表していた。
 魔理沙はそんないつもとは違う霊夢を見て何故か懐かしく思ってしまう。古い幼い記憶が一瞬甦り、小さい時は感情豊かで臆病だった霊夢が脳裏に浮かんですぐに消えてゆく。その時自分は何をしていたのかと思い出そうとすると、すぐに頭痛がして思い出しそうな昔の情景が砂嵐の中に消えてしまう。
 自分と霊夢との間には確かに幼い頃の共通した世界と思い出があったはずだ。なのに今の自分と今の霊夢との関係に共に月日を重ねた歴史、地続き感が持てず、別人の思い出に触れているようだった。

 妹紅はいつまで経っても大人の対応が出来ない霊夢と、その霊夢の態度に苛立っている八雲紫を見て面白い事を思いつき、さっそく実行に移す。
「いいだろう。レミリアが霊夢の代わりに謝罪するならそれでもいい。但し、土下座だ。この場で土下座しろ!」
 ニヤつく妹紅を正面に表情を変えず話を聞くレミリア。そして、一旦冷静になったにもかかわらず、妹紅の土下座強要で再び怒り心頭する霊夢。
「そ・・・!?」
 霊夢はレミリアに『そんな事をするな』と言いたかったが、それ以上言葉が発せ無くなった。一瞬何が起こったのか分からない霊夢は、声を出そうと必死になるがおかしなうめき声しか出てこない。そうこうしているうちに頭の中に聞き慣れた、そして今まで受けた事がない怒気に満ちた声が飛び込んでくる。
「(いいかげんにしなさい!どうして大人しくしていられないの!貴女が騒げば騒ぐほどレミリアは辱めを受け続けるのよ!)」
 その声は後ろにいるスキマ妖怪八雲紫だった。
 霊夢は背筋に冷たいものが走り、冷徹な恐怖によって沸騰する頭の熱が急速に冷まされていた。
「(・・・でも!)」
 熱くなって冷静さを失っていた事を自覚し反省する霊夢だが、妹紅の態度に理不尽さを感じどうしてもやりきれない。お互いに同じ目的の為に協力関係にあるはずなのに、何故妹紅はこんな態度をとるのか到底理解出来ないし、我慢するなら自分ではなくむしろ妹紅の方ではないのか?紫は自分にではなく妹紅に対して怒るべきではないのか?
 八雲紫は妹紅の行動にある程度理解を示していた。言うなればそれは『子供の躾』である。そしてその躾られている子供とは、レミリア・スカーレットと博麗霊夢であり、霊夢は自分が躾を施されている事に気付いていないのだ。
 都合良く自分だけ達観して高見に登ってはいるものの、実は大して大人でも無く、責任から逃れる為に他者に関与しない狡賢さを持つ霊夢。紫はその性質を今まで見抜けなかったが、妹紅はとっくに見抜いていたのだ。
「(黙りなさい霊夢。異変を解決するのが最大の目的。今必要なのは元の流れに戻して異変を滞りなく進行させることよ。)」
「(・・・。)」
 紫の今まで聞いたことのない厳しい口調に霊夢は反論出来ず大人しく引き下がるしかなかった。

「(紫に動きを止められたか・・・全く自分で何一つ出来ないのか、この小娘(ガキ)は・・・。)」
 妹紅は霊夢が何かを言いかけて急に言葉を止めた理由をほぼ理解していた。そして自制出来ない霊夢に更なる追い打ちを掛けて挑発した。霊夢には自分の限界を知って貰う必要があり、一度レミリアの様に心を壊して泣く必要があると妹紅は考えていた。
「どうした?土下座するのは嫌か?」
 妹紅は挑発するようにレミリアを見る。霊夢が声を発せられなくなったため、その妹紅に異を唱える者は無く、室内は異様な雰囲気が立ちこめる。先程レミリアにあれだけの辱めを与えた後に更に土下座を強要するとは鬼畜もいいところである。しかし、ここで異を唱えれば話がこじれてしまうので何も言えない。
 レミリアが妹紅に土下座することは、会議全体が妹紅に頭を下げる事と同義である。恐らく今のレミリアは妹紅に土下座をするだろう。大義の為に自分を捨てて・・・。申し訳ないと思うと同時に有り難くも感じる。
 この時、参加者のレミリアに対する感情が変化していた。

 レミリア・スカーレットは、一度下を向き一瞬戸惑いの表情を見せた後、すぐに顔を上げ妹紅を見上げる。そして、膝を折り床に正座をするとそのまま頭を下げた。
 会議の参加者は全員息を呑んだ。小さな身体が更に小さくなって秩序を乱す悪党に頭を下げている。年長者、大人として子供に責任を負わせて、その子供に土下座をさせている。
 強要しているのは妹紅だが、それをさせたのは自分達だという自責の念に駆られて、ただひたすら申し訳なく思う。
 西行寺幽々子は我慢できず目頭を押さえていた。そして涙を堪えずに泣き出していたのは幽々子だけではなく、そこに至る原因を作った張本人である博麗霊夢もだった。
 妹紅は自分の足下で小さくなっているレミリアの頭に足を乗せる。先程、風見幽香に土下座を強要されて同じ事を自分もされていた事を思い出す。その時幽香は、相手に頭を下げさせる事に快感を覚え、内に眠る妖怪の本能を呼び覚ましていた。
 人間である妹紅は特に快感も覚えず、むしろ虚しさだけが通り過ぎていく。この一つの動作で自分は確実に極悪人になった認識し、最後の仕上げとばかりにレミリアの頭に足を乗せ彼女の頭を床の絨毯にこすりつけながら霊夢に顔を向けて邪悪に笑う。
「(下衆め・・・。)」
 山の神様、八坂神奈子が心の中で唾を吐き捨てる。これが例え演技だとしても、それを演じる妹紅を認める事はもはや出来ない。
 霊夢は動かせない身体のまま、ただ涙が溢れるままにその光景を目に焼き付けていた。
 妹紅は自分が完全な悪者となったことに満足し、レミリアの頭に乗せた足を外すと立てと彼女に命じる。
「気分最高だな。おい、レミリア、気分がいいから特別にお前らに協力してやろう。お前の言う様に私の命は安いもんだ、好きに使っていいぞ。」
 妹紅は口元にニヤりと笑み浮かべて踵を返す。レミリアはその表情が今までの邪悪なものとは違う事を目聡く察知して驚く。
「(・・・まさか彼女は・・・。)」
 最後に見せた妹紅の表情は、とても優しく一瞬自分を見守る咲夜と見間違える。
「(ありがとう・・・。)」
 レミリア・スカーレットは窓際の方へ歩き出す妹紅の背中に敬意と感謝を込めて一礼した。

 悔しさと不甲斐なさとやるせなさと申し訳ないという様々な気持ちが入り交じって涙が止まらない霊夢は、紫の拘束から解き放たれてもその場で立ちつくして泣いていた。物心ついてから人前でこの様に泣くのは初めてで、本当はどこかに隠れて泣きたかったが動けなかったのでどうしようもなかった。動ける様になっても一度泣き顔を見られてしまった以上、隠れる意味がないのでもうどうにでもなれという投げやりな気持ちで感情に身を任せていた。
 義憤に駆られ友人を庇おうとした事が裏目に出てしまった。これまで責任を負いたくないから自分から他者に関わる事はしなかったのに何故、他人の為に憤ってしまったのか。いや、これは他人事ではない。妹紅の不実が許せなかった自分自身の中に生じた怒りに従った結果なのだ。
 その自分自身の取った決断が間違いだと思い知らされた時、霊夢は自身の身の丈を思い知った。あの時紫に止められなかったら妹紅と死闘になっていただろう。そうなればこの異変はお終いであり、幻想郷は消えてなくなるのだ。
 それにそれ以上に悔しいのは尊敬すらしていた藤原妹紅に裏切られた事だった。
 もちろん妹紅は何も裏切って等いない。その高見に存在する崇高な目的、幻想郷を真の意味で救うという妹紅の使命に思い至る公人としての覚悟が霊夢との大きな差で、2人の見る世界を変えているのだ。
 世界をどうにかしたいという願望だけではどうにかなるものではない。それを行える実力が身についているかである。修行をおろそかにしている霊夢にはまだまだ世界をどうにかできる力と責任感はないのだ。
 実力が余りにも違う。背負っているものの大きさが明らかに違う。そして霊夢はこの時自分の実力をしっかりと認識した。

 妹紅が大人しくレミリアに従うという宣言をしたことで、場に安堵の空気が流れる。ここからは正常に事が進むだろうと皆が期待した。しかし、そんな期待をかき消す大きな音がまた室内に鳴り響く。
 音の発生源は窓際の隅、鴉天狗が取材の為に控えていた場所である。
「余計な事しやがって!お前が紅魔館と永遠亭の戦争を煽るから、そこいら中で戦争がおっ始まってるんだぞ!」
 レミリアから離れ窓際の空いている席に向かった妹紅は、部屋の隅で他人事の様に眺めている文屋と思しき鴉天狗を見つけていきなり殴りかかったのである。
 鴉天狗と言ってもびっくりするほど強くない、姫海棠はたては逃げ場もなく妹紅に捕まり、腹に膝蹴りを喰らって悶絶して下がった頭に握った両の拳を叩き込まれてダウンしてしまう。そして妹紅は倒れたはたての腹部に蹴りを何発もいれてこの異変を煽った新聞と記者と徹底的に攻撃した。
 泣き顔を晒す霊夢に気を使って気を散らす目的も兼ねたこの妹紅の所行を知らずに四季映姫は妹紅の背後に立ってその行動をたしなめる。
 またしても場が騒然となり八雲紫は思わず頭を抱えてしまう。事前に伝えていなかったとはいえ、まさかこちらで用意したはたてに妹紅が喰ってかかるとは思っておらず、更にそこに四季映姫が絡むとは想定外であった。
 紫としては比良山次郎坊から借りた鴉天狗を手傷を負わせるのはまずいと思う一方で、異変の裏の事情を知る彼女をこのままにしておけないとも思い至る。ここで妹紅にはたてを始末してもらい事故として比良山に報告するのも有りだと考え始める。

「いい加減にしなさい!これ以上の無礼は許しませんよ!」
「邪魔をするなチビ!無知無能はすっこんでろ!」
「何が無知ですか?この様な所行に何の意味があるというのです!」
 はたてを蹴り飛ばしていた妹紅はその言葉を聞いて四季映姫に振り返る。
「これだから即席閻魔は笑えるな。いいか教えてやる。」
 先の報道によって紅魔館と永遠亭との間に戦争機運が高まり、周辺に複数の傭兵団を結成させる結果を生んだ。その後今回の異変に切り替わると傭兵団は自衛の為の軍隊として積極的に交戦を始めてしまう。
 妹紅はここに来る前に既に各所で戦闘が行われている事を見て知っており、少なからず犠牲者が出ている事を問題にした。
「事前に戦いの準備が出来たのは良かった事でしょう?」
 妹紅が問題にしているのはそこではなかった。
 この異変を引き起こしたレミリアと解決の為に招集された人員と、各地で戦っている人妖との間に何ら共闘感がなく、言ってみれば一部の馬鹿が起こした戦に大勢が巻き込まれたという結果だけが残る事を妹紅は問題にした。
「その馬鹿の片棒を担いだ閻魔が、この馬鹿な戦で死んだ幽霊にどんな面で裁きをしてみせるんだ?」
「そ、それは・・・。」
「私はお前らが困る事に何の同情もないし、むしろいい気味だと思う。だが、もしこの異変を解決した事を新聞で報道し、そのメンツが公開された時・・・。」
 妹紅はここで窓際の席でちょうど妹紅らのすぐ側にいた魔理沙の腕を取って、そのまま四季映姫に叩き付ける。
「そこに霧雨魔理沙の名前があったらどうなる?」
「・・・あ。」
 きょとんとしている本人以外、四季映姫その他、会議の参加者は妹紅の言わんとしていることに気付いた。
「この戦で仲間や親兄弟を殺された連中は私達に恨みを持つだろう。お前らは強いからそれでもかまわないだろう。だがここで連中の怒りの矛先は一番弱い奴に来る。例えば人間・・・とかな!」
「ええ!私が?」
 急に話が自分に来てびっくりする魔理沙。最初は考えすぎかもと思ったが、可能性がゼロではない。自分だってこの状況を見たときものすごく驚いたし、新聞を見せられたレミリアに対して少なからず怒りがあった。もしそれに自分も荷担したなどと公になれば妹紅の言う事もあながち起こらないともいえない。
「どうだ、チビ!何か反論してみろ!お前は幽霊になって裁判所に来た魔理沙をどう裁くつもりだ?」
 四季映姫はぐうの音も出ずに下を向いた。妹紅の言は正論過ぎて反論が出来なかった。人間の霧雨魔理沙を異変に組み込んだ後の問題など全く考慮していなかった紫としては、明らかに魔理沙の命を軽んじて考えてしまったことに反省の念しか出てこない。やはりここは口封じの為にはたてを始末するべきだろうか?
 またしても場に重苦しい空気が流れる。そしてそれを破ったのはこの異変を引き起こしたレミリア・スカーレットである。
「藤原妹紅。新聞報道を利用して人員を集めたのが私である以上、後始末もきっちりとさせてもらうわ。」
「どうやって?」
「幸い魔理沙の名前は出ていないわ。次の報道では名前を出さない様にする。」
「それは保障にはならないな。書くなと言えば書くの文屋だ。」
「大丈夫。『花果子念報』が次の号で終わるか、引き続き継続するかくらいの判断は記者自身がもう出来ていることでしょう。」
「魔理沙の身に何かあったら、お前が始末するというんだな?」
「ええ、ここまで聞いてそれでも真実を公にする気概があるというのならそれはそれで賞賛に値するわ。」
 レミリアの物言いだと、必ずしも魔理沙の命の保障にはならないが、記者も馬鹿ではないだろうし魔理沙自身への注意喚起にもなるのでそれで十分だろう。
「姫海棠はたて・・・とか言ったな?」
 妹紅は伏せているはたての胸ぐら掴んで立たせると、顔を近づけて凄味を効かせる。
「真実を公にしたいという思いは止めはしない。しかし、その結果として起こる問題にはちゃんと責任を持てよ?いいな?」
「は、はい!」
 完全に妹紅の迫力に負け生きた心地がしないはたては、声を上擦らせて返事をするしかなかった。
東方不死死 第64章 「ならず者の品格」


 幻想郷の空を覆い隠す巨大な鋼鉄の塊、八意永琳が設計した防御に特化した浮遊要塞に対して攻撃を行った風見幽香は、幻想郷全体に大きな衝撃を与え、裏で暗躍する各勢力の計画にズレを生じさせた事を自覚していた。
 異変の裏で何かを目論む八雲紫や上白沢慧音などにとっては予定外、予想外のズレであったが、妹紅にとっては理想的な展開であり、これは藤原妹紅に完全に協力する立場を取った事を意味する。
 風見幽香はこの異変の特殊性をいち早く見抜き、各方面への義理立て放棄し妹紅個人に協力した。
 その特殊性とは、異変の起点になっている藤原妹紅に内包されている不死鳥が転生することによって起こる破壊の後に、再生という相反する力が生じる事である。
 この異変は、妹紅が幻想郷の隠された秘密に触れた事で、そこに山積する様々な問題を正常に導こうという意志が働いて、当初予定されたものとは形を変えて進み始めている。その力に乗っかる事で、破壊と再生の力のおこぼれを貰う事が出来るというわけである。
 理想的な形で異変を終息させるには、妹紅に勝たせる事が必要であり、幻想郷を正道に導く事こそが、敗北へ追いやる古い友人達への義理立てになると考えての幽香の選択であった。

 風見幽香は一旦壊す事でその後再生されるという力をいち早く見抜き、その力を個人的な問題、配下の死神エリーの問題の解決に利用し見事結果を出す事に成功していた。
「エリーは上手くやっているかしら・・・。」
 現時点で死神エリーがどうなっているか具体的な事は何も知らない幽香であったが、彼女の問題が解決することは確信していた。
 風見幽香は久しぶりに全力を出した清々しい余韻に浸りつつ、異変はまだ始まったばかりで次の出番はまだ先と見て、一旦老人と子供以外全て出払った里に戻って休憩をとる事にした。

「ちょ、幽香さん!本当にいいんですか?」
「大丈夫よ!里は空っぽだし、お店もやってないんだから、ミスチー貴女が店員やってよ。」
 里には周辺の人間と友好的な妖怪の一部が避難して集まっており、その中に屋台の出店を世話したミスティア・ローレライを見つけた風見幽香は、彼女の首根っこを掴んでそのまま一軒の飲み屋に連れ込んでしまう。
「これは、泥棒ですよ!」
「妖怪の癖に人間みたいなこと言わないの!」
「いや、妖怪だって泥棒はダメですって!それに、里とは仲良くしておかないと仕入れとかで・・・。」
 屋台を営むミスティア・ローレライ愛称ミスチーは、屋台の看板商品である八つ目鰻の調達はともかく、調味料や料理用器材、炭などは里から調達しているので、里の業者とは仲良くしておきたいので問題は起こしたくないのだ。
 それらの調達場所の候補としては関所跡やマヨヒガなどもあったが、とある事情でそれが出来ないでいた。
 ミスティア・ローレライは幻想郷入り当時は凶暴な妖怪で、人喰いもする危険妖怪として名が通っていたが、博麗大結界以後の幻想郷平和政策に切り替わる際、生き方の選択を迫られた。ミスティア以外にも大勢いた凶悪妖怪達も生き方を変えなければ討伐される事になり、人喰いを止められない者は東側に移住し、幻想郷のルールに従う者は西に移り住んだ。ミスティアはこの当時既に風見幽香に破れて更生させられていたので、引き続き里周辺の彼女の目の届く場所におかれ現在に至っている。
 生き方を変えた事で昔と大きく変わってしまったミスティアとしては、昔の強面っぷりを知る西側の者に人間の様に振る舞う今のこの姿を見られるのが何となく恥ずかしいという心情があり、あまり西側に顔を出したくはないのだ。
「あんた昔とずいぶん変わったわねー。」
 ミスティアの昔の強面ぶりを知るものの、そんな彼女を力でねじ伏せ人喰いを止めさせた幽香は、昔を思い出ししみじみと語りつつ、ミスチーをカウンターの向こうに押し込み酒を出せと要求する。もはやこれまでと覚悟を決めたミスティアは、他人の店の棚から適当に一升瓶を出し栓を抜いてカウンターの席に座っている幽香に酒を注いだコップを差し出す。
「ミスチーも屋台じゃなく何れはこういう店持ちたいでしょ?今の内に色々勉強しておきなさい。」
「そりゃーお店は欲しいですけど・・・すぐには無理ですよ。」
「なら、今だけでも酒場の女将さん気分を楽しんだら?」
「お、女将さん?あはは、あー!だったら着替え来ればよかったかなー・・・あはは。」
 女将さんなどと言われて満更でもなくその気になる屋台の主人。妖怪は単純で扱いやすいと、自分の単純さを棚に上げる幽香。
 そんな人気の全くない里の更に人が居ない妖怪2人だけのしかも昼間の暖簾の出ていない酒処の戸を開く音がする。
「あ、いらっしゃい!」
 条件反射で客に声を掛ける若女将は、入ってきた客の持ち物にぎょっとして声を失う。その大きな鎌を持った綺麗な衣装の女性は疲れたような顔のまま店内に入ってきて幽香の隣に座る。
「あら、エリー?どうやら上手くいったようね。」
「もう!幽香ちゃんったら、先に言ってくれればいいのに!プンプン」
「ごめん、ごめん!で、どうやってリセットしたの?教えなさいよ!」
「え?どうやってって・・・あれって幽香ちゃんが仕込んだんじゃないの?」
「私が知ってるのは、今のエリーになるだけで、その過程がどうなったかなんて知らないわ。」
「じゃーあの魂魄妖夢って娘が死神の天敵だって知ってて仕組んだんじゃなかったの?」
「死神の天敵?あーなるほど、だから西行寺幽々子の従者でいられるのか・・・。」
「ずるーい!幽香ちゃんだけ納得してー!私にも教えてよー!」
 目の前で2人の女性が親しく話している。エリーと呼ばれる女性はミスティアも初めて見る顔で、こうも最強の妖怪と親しく話しているのを見るにつけ、大物だろうとは予測できるものの、話し方などに威厳が無さ過ぎてどう対応していいのかわからない。
「分かった、分かった。ミスチー、エリーにもお酒を。」
「あ、はい!すみません気付かなくて・・・。」
 幽香の前ではいい子になるエリーだが、他所ではそうはいかない。しかし、エリーを強くしている要素が全てリセットされた事で、今のエリーは以前よりだいぶ弱くなっている。とは言っても今の状態でも、そこらの妖怪が敵う相手ではないが・・・。
 風見幽香は藤原妹紅が起点となる運命連鎖の法則をエリーに教え、異変の結末を予想して見せる。
「なるほど~、そういう力が背景にあるのねー。私はてっきり妖夢ちゃんの力を知ってて幽香ちゃんに会わされたと思っていたわ。」
「私だってあの娘の具体的な性能は知らなかったわ。ただ、あの娘は既に妹紅に見いだされて勝ち組にいたし、彼女を経由して妹紅に繋がれば必ず貴女の問題も解決出来ると思ったのよ。」
「その藤原とかいうのと繋がった幽香ちゃんを経由じゃ解決できなかったの?」
「私とエリーは近すぎてダメよ。再生は可能でもその前に破壊が起こらないわ。最初にぶっ壊す!これがミソなのよ。」
「なるほどー破壊と再生はセットなのね。そういえば確かにあの時、私はあそこで一回死んだみたいなものだったわね。」
 妖夢との決闘は完全にエリーが敗北していた。
「エリーに殺しをさせなければそれ以上に強くならずに済むのだけど、そうもいかないし・・・。」
 殺せば殺すほど強くなるエリーは、幽香の当事者以外理解できない独り言を聞いて、おもむろに死神通帳を取り出し魂(クレジット)の残高を確かめる。先程妖夢に見せた時は残高がゼロだったが、今は少し増えていた。
「こんな時でも、幻想郷に人が流れてくるのね・・・。」
「このタイミングなら、奇跡的に人間の集団に助けてもらえるかもね。」
 死神エリーには幻想郷にとって非常に大きな役割があった。それは、本来結界で容易に幻想郷に入れない人間をデスノートを使って送り込ませて妖怪の餌にするという役目である。
 デスノートには、世界中に存在する各国の沢山の『人名』と、幻想郷東部から幻想郷入りして妖怪に喰われて死ぬという『死因』が書き込まれている。そして、幻想郷にあまり沢山入りこまないように幾つかの条件を付与して、年間150~250人程度に収める様に工夫しているのだ。
 これによって幻想郷に年間数百人の人間が幻想郷に迷い込み、東側の人喰い妖怪の餌となっているのである。

「まぁ、何にしても、おめでとうエリー。」
「うふ、ありがとう幽香ちゃん!」
 コップ鳴らし、改めて乾杯する2人の妖怪だった。 


 藤原妹紅は風見幽香の盛大な花火の一部始終を間近で目撃し、改めて風見幽香の凄さに感服した。
 彼女と一対一で戦えば勝てる自信はあるが、山や海と喧嘩をして勝てるかと言えば妹紅にも他の者にも到底無理である。しかし、自然の力を操れる風見幽香だけは自然を制する事が出来、更には傷ついた大地さえ癒す力も持っているのだ。強さには次元があり幽香の強さは惑星規模のスケールで、他者の強さとは根本的に違うのである。

 いつの間にか横にいたフランドール・スカーレットが、恐る恐る妹紅の袖に手を伸ばしてくる。先程は遠慮なく腰に抱きついていたが、今は明らかに遠慮している様子である。
「怖かったか?」
 口では何も言わず首を大きく横に振って否定するが、虚勢を張っての事だとすぐにわかった妹紅。袖をつまむ手の微妙な仕草から先程とは違う感情が芽生えている事に気付く。妹紅はそれが恐怖ではなく畏怖だという事を見抜き、フランドールはこの一連の出来事の中でまた一つ成長した事を感じた。彼女は今後どんどん心が成長していくことだろう。
「いい?あの怖いおばさんには絶対に喧嘩売るんじゃないぞ?」
 妹紅はそう言ってフランドールの頭に手を乗せ砕けた表情を見せる。その妹紅の笑顔を見て安心したのかガバッと抱きついて来るフランドール。何だかんだと言ってもまだ子供である。余程怖い思いをしたのだろう。
「フラン、力というのは使い方だ。あのおばさんは何時だって世界をぶっこわせる力を持っている。でも、そんな力を持っていても普段は使わない。こういう時だから特別に使ったんだ。お前の破壊する力だって同じ。使いどころさえ間違えなければ何も問題なんてないんだ。」
「私の力は使っていい力なの?」
 あれ以来力を使っていないフランドール。力を封じた事で周囲の目から恐れが消え、たくさんの友達が出来た。だからフランドールは大切なものを失わない為に力を封印したのである。
「フランの力は目に見える形のあるモノを壊す力じゃない。フラン自身がやっているように、心の中の悪いものを壊すものなのさ。これは誰にも出来る事じゃない。フランにしか出来ない事だ。」
「私だけの力?」
「そう。心に巣くう悪者がいるヤツが他にもいるかもしれないだろ?それを壊す事が出来ればそれは誰かを助ける良い力ということだ。」
 目に見えない精神的な疾患を偽物化して破壊出来る様になったフランは、住む世界が変われば万病を治す奇跡の少女となっていたかもしれない。
「私に出来るかな?」
「それはフラン次第さ。苦しみを取り除いて助けたいと思う優しい心があれば自然に出来るよ。」
「私、もう誰も壊したくない・・・でも、私と同じ人がいるならがんばって助けたい!」
「フランは優しい子だ。きっと出来るさ。」
 嬉しそうにニッコリと微笑むフランドール。凶暴なフランドールの姿を知る妹紅にとって、ここにいるフランドールは全くの別人に見える。自分に関わった事で、この吸血鬼の少女にも何か異変の役割が与えられたかもしれないが、考えて見ると彼女は異変が起こる前に因縁が生じているので今回の異変との関係は未知数である。
「さて・・・。」
 異変はまだ始まったばかり。妹紅は、次のターゲットを紅魔館に設定した。
 その心の切替と同時にニコニコしていたフランドールの顔が何者かの接近を感じ真顔に戻り警戒する。それを見て妹紅もゆるんだ顔を引き締める。
「藤原妹紅!」
 こちらに接近してきたのは八雲紫の式、九尾の八雲藍だった。
「やってくれたな藤原妹紅。おかげでこちらは大変だったんだぞ。」
 フランドールに一瞥だけいれた藍は、妹紅と正対しほんの少し悔しさを含ませ冗談気味に話しかける。
「私じゃない。あれは幽香だ。」
「2人で示し合わせてやったのだろう?」
「私が攻撃しているのをあいつは利用したんだ。こっちもいい迷惑だ。あいつ絶対怪我治ってるだろう?」
 妹紅は敢えて別行動だと主張し、藍はそう言う事にしておこうという顔をする。
「怪我が治っていれば、恐らく破壊出来ただろうな・・・で、幽香は?」
「さぁ?」
 藍は妹紅と幽香の仲が良い事は知っており、あの攻撃に妹紅が関係しているのではないかと予想するが、何の目的であのようなパフォーマンスを見せたのかは流石に理解出来なかった。恐らく一人の妖怪、妖術使いとしての矜持を満たしたいという個人的な欲求が双方に働いて利害が一致したのだろうと思われる。
 実際は、二人の計画的な犯行であり、要塞の内部圧力を外に逃がすためにパージを起こさせる事で、それを藍が察知する為には、情報が絶対的に少なかった。
 この要塞を設計した八意永琳は、地上の民に要塞をパージさせるほどの力が無いと最初から決めつけていたというのもあるが、内部構造等は機密扱いで八雲紫や藍には構造上の弱点とも言える部分は教えていなかったのである。
 異変前にだいたいの大きさを知らせる目的で、永琳はてゐ経由で妹紅に設計図を送っている。これは先日の決戦のささやかなお礼の意味合いが多く、当然ながら機密情報を報せる為にやった事ではない。端から理解出来ないという算段があっての情報提供だった。
 永琳の誤算は、初めて見るものでもその使い方が分かる能力を持った存在が幻想郷にいる事を知らなかった事である。永琳はこれまで地球上に住む存在は全てゴミとしか見ておらず、当然、誰がどんな能力を持っているかなど知ろうともしなかったのである。

「そろそろ時間だ。会議に来てくれないか?」
「もしかして私待ちか?」
「そいうことだ。」
「すまん。直ぐに行く。」
 妹紅の言葉を受けて、藍は頷いて先に動き先導役を務める。それはまるで要人を警護するかのようにである。
「・・・何かあったの?」
 藍のずいぶんと控えめな『らしくない』態度が気になり、率直に質問するフランドールと手を繋いで飛んでいる妹紅。
「その娘の姉が予想以上にお子様でな・・・。」
「レミリア・スカーレットがか?お子様の躾はお前等の役目じゃないのか?」
「・・・躾か・・・お前は上手く手なずけたようだな。」
 そう言ってフランドール見る藍。
「フランと私の事をお前等に言われる筋合いはないぞ?」
「何故?」
 フランドールと妹紅が仲良くしている事に自分達が関わっている様な事を言う妹紅に言葉に関心を示した藍は背を向けて飛んでいる姿勢からくるりと回転して妹紅と正対して後ろに飛ぶ。
「お前等がやらかした不死人狩りで、フランと何度も戦うハメになったんだ。」
「そうだったのか。それはさぞ・・・。」
 全てを破壊するフランドールとの戦闘は、単なる戦闘ではなく一方的に殺されるだけの虐殺ということは容易に想像出来き、流石に申し訳なくて言葉が詰まる。
「双方手詰まりとなれば和解しかないだろう?」
 不毛な戦いを終わらせる為に和解するのは人の妖に関わらずよくある話しと、フランに更生を施した事は秘密にする妹紅。
「妹紅の粘り勝ちか・・・それは悪い事をしたな。」
「あんたが謝る事じゃないさ。」
「レミリア・スカーレットも誰かと本気で戦えばマシになるのかな・・・。」
 飛行姿勢を戻した藍は誰に言うでもなくポツリと呟く。
「私が何とかしてやろうか?」
 裏で吸血鬼側に荷担している妹紅としてはレミリアの孤立は、吸血鬼廃絶を企む紫に都合が良く、今後の事を考えても望ましくない。レミリアが今どんな状況かはわからないが、汚れ役なら自分が買うと藍に申し出てみる。
「いや、それには及ばない。時間もないしこれ以上面倒はご免だ。」
 妹紅は拒否されるだろうと予測していたので藍の返答に特に落胆はなかったが、時間が無いという言葉が妹紅にある決断をさせた。
 スキマ砲を失敗させるには射程外に要塞を移動させればいい。パージによる重力方向への加速でそれは十分だと思われるが、万全を期す為には出来るだけ調整出来る射角の限界ギリギリまで発射時間を遅らせた方がいいだろう。理想的なタイミングは、射程ギリギリで発射した直前にパージさせることである。風見幽香が言うようにこの異変が自分の思い通りに展開するものであれば必ずそのタイミングでパージが発生するはずである。
 レミリアの教育がてら少し時間を稼いでやろうと、妹紅の頭の中にあるシナリオが思い浮かび、九尾の後ろ姿を見ながら露骨にニヤニヤと笑って後を追った。

 会議は妹紅の登場で更に二転三転することになるが、これは行程が遅れた妖夢達への間接的な支援となった。妹紅にとって全て計算通りと思えるような展開になりつつあった。


 正午が過ぎた紅魔館の会議室のバルコニーの扉が開き、九尾の藍が姿を見せる。
「藤原妹紅を連れて参りました。」
「御苦労様、席に戻っていいわよ。」
 戻った藍の労ったのは主の八雲紫ではなく会議の主催レミリア・スカーレットだった。
 一礼して藍が席に戻る後ろ姿を追いながらバルコニーから部屋に入る妹紅は、主催の声に幼さが残るものの堂々とした威厳のある姿を見て先程言った藍の言葉とは違う事に気付く。
「(ん?・・・まともじゃないか・・・。)」
 しかし、窓から一歩会議室に足を踏み入れるとそこに存在するおかしな空気を直ぐに察知する。
 正面にいるレミリアは両肘をテーブルについて両手の指を互い違いに組んでその合わせた拳越しに威厳たっぷりに妹紅を見ている。
 その一方で、細長いテーブルにそれぞれ向き合って座っている幻想郷内外の錚々たるメンツが、中心のレミリアに対し無関心を装っているのだ。入る時に目が合った魔理沙もこちらを一瞥しただけで余所余所しく、直前にこの部屋で何かあったかのような印象である。
 妹紅はこんな状況に既視感があった。自分の悪口で盛り上がっていた集団に知らずに近づいてしまい、気まずい空気が立ち込める、あの感覚である。
「(なるほど、ここに来る前に私の悪口を散々言ってたのか・・・それは気まずいだろう。)」
 自分の悪口を散々聞かされた参加者面々に同情する妹紅は、その悪口に誰も反論せずただ黙って聞いていた事も容易に想像出来た。その事に腹を立てる事は無かったが、参加者の精神的な結束が皆無であることがその様子からよく分かり、それが無性に腹立たしかった。

 幽香の攻撃が終息した後、藍が妹紅を呼びに行き、それ以外がバルコニーから会議室に戻り、今後の予定についてもう一度打ち合わせを行ったわけだが、場を必死に仕切ろうとするレミリアのリーダーとしての資質は既に地に堕ちており、誰も耳を傾けず皆八雲紫の言葉に耳を傾けていた。
 露骨に無視され気分を害したレミリアが盛大にヘソを曲げて今度は会議の妨害にかかり、それを紫がなだめて副官の様な立場をとって、指揮官である彼女に一々決裁を求める気遣いを見せて、そこでようやく機嫌を戻す。その後、調子に乗ったレミリアは、風見幽香の力を素直に凄いと認めつつも結局攻撃は失敗した事を殊更強調して会議の重要性、強いては指揮官である自分自身の有能さをアピールする始末。挙げ句の果てに、何の役にもたっていないと決めつけた藤原妹紅を執拗にこき下ろし、これ以上ない罵詈雑言で責め続けたのである。
 妹紅無しでは幽香の攻撃もないと見破った八意永琳以外は、幽香のインパクトが強過ぎて妹紅の存在感を薄く、株が急上昇した幽香の怪我の原因が妹紅というのもあってマイナス要因となり、レミリアの口撃に対して誰も妹紅を弁護出来なかったのである。
 魔理沙が妹紅と目が合って微妙な顔をしたのも直前までその話題が上がっていたからで、敬愛する妹紅の弁護をすれば今度は自分が攻撃されると分かっていたので言われるがままになっていたのだ。そして、当人を前にしてその後ろめたさを感じて先程のような態度をとっていたというわけである。気持ちは痛い程分かる妹紅。

「ようこそ私が主催する異変の主役藤原妹紅。遅刻だけど風見幽香の祝砲に免じて許してあげるわ。」
 明らかに相手を下に見た物言いをするレミリア・スカーレット。
 レミリアに関して事前に予備知識が与えられていなければ妹紅は今の言葉でキレて血の雨が降ったかもしれないが、藍のおかげで妹紅は驚く程冷静でいられた。
 妹紅は主に傅く十六夜咲夜に目を向けるが彼女は下を向いたまま微動だにしなかった。もう一人の紅魔館の要人、主の親友パチュリーは、会議再開時にレミリアの前から真ん中の西行寺幽々子の席の正面に座って分厚い本を開いたまま我関せずとばかり会議そのものを無視しているようだった。
 藍が言うように予想以上にお子様だったレミリアに彼女らもどうする事も出来なかったということか。

 妹紅はポケットに手を突っ込んでだらっとした姿勢でやる気の無い顔を会議の主催に向ける。
 自分が今からやろうとする企みにこの状況は好都合で、せいぜい利用させてもらうつもりである。
「不死身しか能がない貴女にぴったりの役目を与えてあげたけど、気に入っていただけたかしら?」
「新聞の事?」
「ええ、そうよ。のろまで使えないお荷物の貴女が、唯一幻想郷に貢献できるのが自己犠牲。罪深い貴女の罪を濯げるチャンスよ。そのチャンスを与えてあげた私にせいぜい感謝しなさい。」
 レミリアの尊大で無礼極まりない台詞を受けて周囲からかすかなざわめきが起こる。いくらなんでもこの台詞は同士に対する言葉ではない。レミリアの非礼もそうだが、妹紅がこの仕打ちに耐えられるか、そっちの方が心配になる。
 最初から冷めた態度で望んでいたせいか、妹紅にはレミリアの態度が三文役者の下手な演技に見えてしまい、また、蔑まされる事にも慣れているせいもあり不思議と憤りを感じず、時間を稼ぎたい妹紅としてはこの状況はむしろ大歓迎だった。

 このお子様レミリアの態度は許せないものがあり躾が必要である。しかし、妹紅にはもっと許せない事があった。それは、この会議に参加し異変の裏で繋がっておきながら、同士としての役割を放棄して傍観している彼らの態度である。
 周囲の態度に腑が煮えくりかえる妹紅は、それを表に出さずふざけた顔でレミリアに応じ、時間稼ぎの計画を実行に移す。
「自爆の事だったら私はパスするわ。」
「・・・え?」
 その妹紅のあっけらかんとした答えに会議の参加者全員が一瞬耳を疑い、場に不穏な空気が立ちこめる。妹紅なくして成り立たないこの計画で妹紅が抜けたらそこで終わりである。しかし、皆は、それは戯れ言だろうと重く受け止めていなかった。
「も、もう一度言うけど、貴女は不死鳥の力を使って幻想郷を救うのよ。」
 藤原妹紅は異変に参加している同志である。断る事など出来ないはずである。しかし、少し言い過ぎたのが原因でヘソを曲げたのかと思ったレミリアは、同じ内容の言葉を先程よりだいぶ柔らかくして告げた。
「お断りするわ。」
 レミリアの口調に合わせ挑発する妹紅。
「な、何故よ!」
 レミリアだけでなく、会議の参加者に緊張が走った。
「何で私が自爆しなければならないの?」
 妹紅頼みのこの異変においては彼女の了承を取り付けている事は大前提である。しかし、実際に妹紅と交渉したのは八雲紫で、他の賛同者と事前に顔合わせをして契約書にサインをしたわけではない。この妹紅の台詞だけだと、八雲紫との間で約束をとり付けていないのではないかという疑問が関係者の間に沸き起こる。
「だったら、何故ここに来たの?私の召集に応じたからここに来たのでしょう?つまりそれは私の提案に乗るということではなくて?」
「いや、私は迷子を届けにきただけだ。」
 異変は他人事の様に後ろに隠れているフランドールを前に引っ張り出す妹紅。
「ふ、フラン!何で貴女がそこに・・・!?」
 意外な組み合わせにレミリア以外からも驚きを示すどよめきが起こる。
「それじゃー皆さん、異変頑張ってね。」
 妹紅はそう言って自分無しで成り立たない作戦と知りつつ、心にもない応援して踵を返す。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
 妹紅はレミリアの制止を無視してそのまま窓際に移動する。
「ま、待って!」
 予想外の妹紅の行動にレミリアは思わず腰を浮かせて左手をテーブルについて右手を差し出し、前屈みになって待つよう叫んだ。
 彼女のこの言葉はこれまでの体裁を整えようとする綺麗事ではなく心からの叫び声だった。
 妹紅はようやく心に響いたその言葉に歩みを強制に止められて振り向く。子供といっても流石は吸血鬼王の娘、本心から出る言霊の威力は凄まじい。
「幻想郷がどうなってもいいの?無くなってしまうのよ?」
「・・・それがどうしたの?」
 キョトンとして答える妹紅。
「どうって、全て滅んでしまうのよ?」
「だから、それがどうしたっていうのよ?」
「な!」
 ここでレミリアはようやく気付いた。殺しても死なない、死ねない存在にとって滅び、つまり『死』とは必ずしもネガティブではないのだ。生きている事そのものがネガティブと考えるなら、この異変は妹紅にとって願ってもない事ではないか?
「私は永久に死ねないのよ?でも、世界がなくなればもしかしたら死ねるかもしれないでしょ?こんな機会滅多にあることじゃないわ。」
 妹紅はこちらを注視する参加者に邪悪な笑みを浮かべて見せる。その顔には『まんまと引っかかったな!馬鹿め!』と、はっきりと描いているかのようである。
 会議の参加者は妹紅の言葉を聴いて『騙された?!』のではないかと愕然とした。

 八雲紫は、この妹紅の態度は、無礼なレミリアに対する仕返しの様なもので、一連の異変不参加の意思表示は戯れ言と受け止めていた。しかし、『死』という選択肢は死ねない妹紅にとって魅力的と捉えるのも一理あり、何でも言う事を聞くという最初の申し出は、異変を失敗させるための嘘だったのではないかと疑い始めてしまう。妹紅の邪悪な笑みはそう思わせるに充分過ぎる説得力があった。
 策士である紫は、相手の策に嵌らない様何重にも深く思慮を巡らす。その策士としての性が思考をより複雑にして疑心暗鬼の深みに嵌る。
 この疑心暗鬼は何も紫に限った事ではなく参加者全員同じ思いで、何とも言い難い重苦しい空気が立ち込める。レミリアも適当な説得の言葉が見つからずに何も言えなくなっていた。紫でさえ疑心暗鬼になるのだから、呪われた10歳の未熟なレミリアに妹紅を説得できる言葉が見いだせないのは当然だった。

 妹紅はいい感じになってきたと心のなかでほくそ笑みながら表情はうすら笑みを浮かべる。この表情が普通に笑っている様に見えたのか氷の妖精チルノが無警戒に近づいてくる。妹紅はそんなチルノの頭を面白そうにポンポンと撫でる。
 誰も何も口に出来ず重苦しい空気が更に重くのしかかり時間はどんどんと過ぎて行く。充分に時間が稼げている事を確認し、引き続き時間稼ぎを続ける。
「・・・本当は協力する為にここに来た・・・。」
「え?」
 急に態度を変え身の内を明かす妹紅に、レミリアはキツネにつままれた様な顔になった後、表情を少し明るくする。
「でも、気が変わった。」
 それを聞いてまた青くなるレミリア。
「な、何故?何が原因なの?何か気に入らない事があるというのなら改善させるわ。」
 妹紅の不満を解消すればこちらの提案に応じるという希望が見え、先程までの無礼な振る舞いを棚に上げて急に下手に出るレミリア。その浅ましい姿に皆失望する。どう考えても妹紅の参加意志を萎えさせたのは、レミリア自身の無礼な振る舞いではないか!
 
 その皆の予測は見事に的中した。
「レミリア・スカーレット。お前のその態度が気にくわない。だから、自爆はしてあげない。」
 妹紅は言い終えると邪悪な顔になって舌を出してレミリアを嘲笑う。
「な!気にくわないって・・・。」
 レミリアは頭が真っ白になって思わずその姿勢のまま立ち尽くす。
 周囲の目が一人の少女に集まり、その視線に気付いたレミリアは必死に自身の正当性を訴え自画自賛の美辞麗句を並べ立てる。立て板に水を流す様に虚栄心を吐き出し続け、やがてその全てが出尽くす。そして空っぽになった心に残ったのは猛烈な反省の念だった。
 妹紅に対してだけではない。会議が始まってからここに至るまでの全てが反省材料だった。
 ここまで何とか100点中90点で乗り切っていると謙虚に思い込んでいた。そうではない。最初から最後までずっと0点にも満たないマイナスだったのだ。
 自分が気に入らないと言う簡単で純粋な理由の一言で、妄想から現実に叩き落とされたレミリアに、もはや異変を仕切る能力も資格もなくなっていた。

 既にその資質も資格もないことを理解しつつレミリアの面倒をみていた八雲紫が、妹紅との関係が不透明なこの状況で、最初に交わした約束が今も有効であるかどうかという確認の意味を込めて、地に堕ちた指揮官に助け船を出す。
「レミリア・スカーレットはまだ10歳、自分が幻想郷の運命を握った事で少し調子に乗ってしまっただけ。ここは堪えてもらえないかしら?」
 八雲紫の腹の中が透けて見えた妹紅は、次のターゲットをこの小賢しいスキマ妖怪に向ける。
「調子づかせたお前等もはっきり言って気にくわない。何が会議だ。皆自分の事しか考えず、好き勝手やりやがって。10歳の子供だ?人間の里じゃ10歳になったら大人だ。女はみんな嫁に行くんだぞ!年齢を言い訳にするならババアはとっとと隠居してろ!」
「も、妹紅・・・。」
 鬼の形相で妹紅から睨み付けられた紫は思わず我が目を疑った。憎しみに満ちた表情は約束を取り交わした時の妹紅とはまるで別人だった。
「私にも大切な友達がいる。だから助けてやりたい気持ちもある。だが、それと同時に死にたいという気持ちも同じくらいある。このチャンスを逃したらもう死ねないかもしれないんだ。でも、それを曲げてここに来てやった。なのに・・・お前等見てたら急にやる気が失せた。救う価値もない。お前等は滅んで当然だ!」
 妹紅は吐き捨てて唾を目の前のテーブルに吐き捨てる。会議の参加者全員が妹紅の憤怒に尻込みした。心のどこかでこれは演技だろうと思っている者も流石にこの妹紅を見て明確な危機感を持ち始めていた。

 妹紅の右側で頭を撫でられているチルノが、左側でちょいと妹紅のワイシャツを摘んでいるフランドールと目が合う。場の空気を全く読めないチルノは、しばらくフランドールを見つめた後えへへと笑う。それを受けてフランドールもつられてこの馬鹿な妖精に思わず苦笑いして見せる。これがチルノとフランドールの出会いで、以後2人は紅魔館周辺でよく遊ぶようになるが、これはまた別の話である。

 パチュリーはそんな微笑ましい光景を尻目に、怒り狂う妹紅を信じて疑ってはいなかった。
 先日の紅魔館前の死闘で激昂して我を忘れた妹紅を間近で見ているパチュリーは、この目の前にいる妹紅が感情に流され暴走している状態ではない事がすぐに見て取れ、意図は不明だが演技であることは見抜けた。
 十六夜咲夜も妹紅に対して既に心中する覚悟が出来ており、それはここに至っても全く揺らいでいなかった。
 この妹紅のパフォーマンスで精神的に追いつめられた参加者達は、この後、妹紅を信頼し切った紅魔館側の反撃受ける事になる。


 妹紅は両隣にいるフランドールとチルノの手を握らせると、静かになった会議室のテーブルにひょいと跳び乗る。
 白く美しい艶のあるシルクのテーブルクロスに土足のまま乗った妹紅は、ズカズカと大股で歩いて各自の席の前の置かれたティーカップを大きく跳ね上げ、陶器独特の乾いた音を鳴らし、カップからこぼれた薄紅色の液体が白いテーブルクロスに足跡を残す。
 それは明かなマナー違反で失礼極まりない糾弾されても文句も言えない行為であるが、誰一人口に出して抗議せず、ただその一挙手一投足を固唾を飲んで注目するだけである。皆この場を妹紅が支配している事を理解しているのだ。
 無人の野を行くが如く、誰にも邪魔されずテーブルの端から端に渡り切った妹紅。
「お前、運命を操れるんだろ?だったら私がお前等に協力する様に運命を変えてみろ?そうすりゃー私の都合なんざ関係なく異変を進められる。そうだろう?」
 レミリアは妹紅に待つように言った時に腰を跳ね上げたままの立った姿勢で、妹紅はその前にしゃがんでレミリアの視線の高さに合わせて覗き込む。妹紅の迫力に完全に呑まれてしまったレミリア。この状態ではまともに話しもできないだろう。崩れ去ったプライドを立て直し持ち直す為の時間が少し必要だと感じた妹紅は、時間稼ぎも含め次の段階に移る。
「(レミリア、そこでしばらく私のやることを見ていろ。お前は一人じゃない。)」
 妹紅は心情とは裏腹に、悪者としての自分を強調させるために、レミリアの控えめで品のあるドレスに胸くそ悪そうに唾を吐きつけて汚す。それでも自分を責めない周囲に腹が立ち、来た道を同じように戻って窓際に近い魔理沙の前で止まる。
「よぉ魔理沙。お前はここで何をしてる?」
「な、何って、幻想郷を守りたいから・・・。」
 先日会った時とは別人の様な柄の悪い妹紅にたじろぐ魔理沙。しかし、この妹紅には何故か既視感があり、思い返すと不死人狩りで指名手配された藤原妹紅との初対戦がこんな感じではなかっただろうか?何故かここにいる妹紅もとても妹紅らしく見えてしまう魔理沙。
「本当か?ただ、目立ちたいだけじゃないのか?」
 あまり絡むと可哀相だと思った妹紅は、そう決めつけて魔理沙の反論は聞かずにレミリアのいる奥の方に一歩進む。そして魔理沙の隣の小町を通り過ぎて四季映姫の前で止まり見下ろし睨み付ける。
「よぉチビ!閻魔如きが何を偉そうにしている?ここはお前如きが来る場所じゃないぞ?」
 閻魔をチビ呼ばわりする妹紅の言葉を聞いて周囲が腰を抜かす程驚くが、死に見放された妹紅にとって閻魔は全く縁のない存在であり、さらに妹紅は四季映姫よりもだいぶ年上なので、下手に出る必要も全くない。
 お地蔵様だった時代を含めてもだいぶ年下の四季映姫は真っ直ぐ先輩の妹紅を見上げて答える。
「私にとって幻想郷こそが自分の存在に意味を与えてくれる唯一の場所です。その地が消えてしまうことは自分の存在が失われる事と同じ。救いたいと思ったからこそ自分に出来る事はなくとも馳せ参じました。誰にも文句を言われる筋合いはありません。」
 無礼な妹紅に対しても毅然と答える閻魔。この礼儀正しい態度こそが無礼な妹紅に対する最大の反撃のつもりなのだろう。普段小うるさい閻魔もこういう時だけは頼もしく思えるから不思議である。
「なるほど、お前の存在に意味は無くとも、その言葉はもっともだな。」
 妹紅は閻魔の存在を全否定したが、一個人としての四季映姫の言葉は受入れた。そして、今度は後ろを向いて小町らの向かいの席にいた西行寺幽々子を見る。
「幻想郷には美味しいものがたくさんあるわ。それを失う事はとても悲しい事よ。」
 幽々子は妹紅に問われる前に何故自分がここにいるかをその理由を楽しそうに述べる。
 妹紅は鼻で笑ってもっともだと幽々子に同意し、更に奥に進んでパチュリーを無視してその正面の山の神様を向く。
「ここはもうすぐ消えて無くなる。とっとと諏訪に戻るんだ。」
「向こうにはもう我々の居場所はないし、幻想郷にも骨を埋めるつもりで来た。お前にとやかく言われる筋合いはない。」
 ミシャクジ様である洩矢諏訪子が幼そうな姿とは裏腹に威厳たっぷりに妹紅に答える。妹紅は他の者とは違い、諏訪子に対して明らかに口調を緩めていた。これは神様に対する敬意の表れだろう。しかし、それは洩矢諏訪子にだけで、八坂神奈子には一瞥もくれず完全に無視していた。
 妹紅はそのまま後ろを向いて奥に進み八意永琳の前に出る。
「お前等もそろそろ生き飽きただろ?私と一緒に死ぬか?」
「いいえ、まだまだやりたい事はたくさんあるわ。」
「別にここでなければならない理由はないだろ?とっとと月に帰れ。」
「愚問だわ。穢れを持ち月に戻れない私達にとって幻想郷は第二の故郷よ。」
「最初から死が存在しないお前等には死にたいなんて発想そのものがなかったか・・・。」
 妹紅はそう言って、同じ蓬莱人といえど人間と宇宙人は別の生き物と区別させる。そして、一瞬隣のレイセンと目が合うが、何も言わずそのまま後ろの八雲紫・藍を向くが、幻想郷の創設者に何でここにいるかなど愚問なのでそのまま横を向いて霊夢に同じ質問をする。

 この妹紅の一連の行動は、それぞれに対してはただの無礼な振る舞いにしか見えないが、その無礼な姿こそがレミリア・スカーレットがこれまでしてきた姿と同じである。
 ここにきて参加者達に妹紅の意図が透けて見え始めていた。藤原妹紅は一連の行動を見せる事によって、レミリアに反省を促し皆が同じ目的の為に集まった同志であることを認識させようとしているのだ。これは、レミリアだけではなく参加した自分達に対しても同じである。

「霊夢、人間に関わろうとしないお前が何でここにいる?無常を知るお前なら滅びもまた趣があっておかしかろう?」
「確かに私には関係ないわね。でも、ただ飯喰らってそのまま死ぬのはイヤなのよ。妹紅と違って来世がある私には今生に借りを残して順番を遅らせたくないだけ。」
 言われっぱなしの妹紅に対して唯一皮肉を込めて言い返す霊夢。それは霊夢がまだまだ子供だと世間に教えているような者で、妹紅には全く通用せず逆に哀れみの目を向けられる。
「お前・・・本当に来世があると思ってるのか?人の道を踏み外したお前に・・・。」
「な!」
 その妹紅の言葉に思わず席を立って怒りを露わにする霊夢。今現在、人間の世界で共有される死生観は仏法を基準にしている。人の道を踏み外し死生観を違えた者がこの輪廻の枠組みに入れるはずがないというのが妹紅の主張で、それは最も過ぎて霊夢には反論の言葉が見当たらなかった。
 巫女としての務めを放棄し人の道を外している事に自覚がある霊夢は、妹紅に対する効果的な反論の言葉が見いだせず、怒りで肩を震わせたままその場で立ち尽くす。
 妹紅はそんな霊夢を鼻で笑いつつ、ここで話しを終わらせると霊夢が恥を掻いたままになるので、先程無視した、霊夢の袖を引いて座らせようとする紫に目を向け皆と同じ質問をして話題をそらす。妹紅の注文通り皆の注意が霊夢から紫に移る。
「幻想郷を創った本人に聞くのもなんだが、同じ質問をしよう。お前等はここで何をしている?」
 妹紅がレミリアの更生を目論んでいると認識した紫は、演技と思われる敵視の目を向ける妹紅に対して、自信に満ちた威厳のある声で自分に与えられた役割を演じて見せる。
「幻想郷は我が子同然、親が子の危機を救うのは当然のことよ。」
「子を産んだ事がないお前に親の気持ちが分かるのか?」
「腹を痛めるだけが産みの苦しみではないわ。事ここに至るまでの苦しみは計り知れないもの。無から有を生み出しそれに責任を持つ事500年。これが失われるというのなら私も運命を共にするわ。」
「そんなに大切なものなのに、このゴミ屑に運命を預けるのか?」
 レミリアの方は向かず指だけさす妹紅。
「背に腹は替えられない。大切な子の為なら恥も外聞も捨てるのが親というものよ。」
 紫はレミリアを諭そうとする妹紅の調子に合わせて少し臭い演技をしてみせたが、それはただの演技ではなく本心から言葉だった。

 自分一人で何でも出来ると思っていたレミリアであったが、妹紅にその自信とプライドの何もかもが破壊されてしまい、残ったか弱い少女としての心に、後悔と反省が容赦なくなだれ込んでいた。
「(咲夜!私はどうすればいいの?教えて!)」
 妹紅が離れてから各々と問答を繰り返す中、レミリアは落ち着き無く背後の十六夜咲夜を伺って助け船を求めていた。誰にも頼らなかった彼女がここに来てようやく誰かを頼ろうとする行動を見せていた。
 しかし、忠実な僕は下を向いたまま身動ぎもせず黙りを決め込んでおり一切レミリアに取り合わなかった。
 今レミリアがしなければならないのは反省と謝罪である。助けを求めるまでもない事で、咲夜は主の心境の変化を知りつつも心を鬼にして無視していた。
 妹紅のやろうとしていることを理解した咲夜としては、自分一人の力で全力で乗り越えなければならない問題であるし、その先にこそ心の成長があるのだとレミリアを突き放す。

 援軍を得られなかったレミリアは、孤独の中で妹紅との間で行われているそれぞれの問答を心静かに聞き、自分自身と一対一で向き合っていた。
 幻想郷を大事に思う言葉を聞くに付け、自分の口にした言葉や取ってきた行動の全てが彼らの心に痛みを与えてきた事に気付き、申し訳ないという思いと同時に、そこに気が回らなかった自分自身が悲しく思えてくる。
 自分達だけでは解決出来ない問題を、他人が請け負い更に自分がその組織のリーダーに祭り上げられるという罠にどうして気が付かなかったのか悔しくてならない。
 あの時どうすれば良かったのか?何て事はない皆と同じ目線で同士として振る舞えば良かったのだ。何故それが出来なかったのか?リーダーという甘い誘惑に簡単に堕ちた自分が情けない。

 レミリアの様子が先程と大きく変わっている事は既に周知の事実で、参加者はレミリアの更生の為に藤原妹紅が人肌脱いだのだとの確信を得ていた。一見して粗野に見えるこの不死身の人間の懐の深さを皆思い知らされ、参加者の印象が180度変わっていた。
「(ありがとう、妹紅。)」
 八雲紫は会議が平穏に進行し異変も滞りなく終息すると確信し、そこに導いた妹紅に心から感謝する。そしてこの思いは会議に参加した者全てに共通していた。

 しかし、妹紅はそこで終わらせるつもりはなかった。

 このまま行けば、レミリアは大人に叱られて泣きべそかいて逃げた無様な敗者であり、自分が過大に評価され、この異変を導く英雄的な存在に祭り上げられてしまう。
 妹紅はあくまでレミリア・スカーレットという吸血鬼の少女が高いカリスマ性とリーダーシップを発揮して異変に挑むという構図を捨てておらず、そして自分はならず者で終わる事が理想だと決めていた。

 レミリア・スカーレットは、両手をテーブルについたまま、妹紅の質問に答えを出している参加者の声を聞いていた。
 何故こうなってしまったのか?どこで間違えてしまったのか?今何をすべきか?これからどうすべきなのか?自問自答しながら、レミリアは妹紅の質問の答えを探していた。
 500年前、魅魔の掛けた強力な成長を止める呪いは、肉体だけではなく精神面にまでその効果が及び、長い人生の中で何度となく遭遇する成長局面が来る度に、自尊心を増幅させ思考を常に幼稚にさせた。精神的ストレスを膨れあがった自尊心で覆い、忘れてしまう事で心は常に平坦だった。
 長く生きる妖怪の中にも行動が幼稚な者も多いが、それらは大抵社会性の無い単独妖怪で、自分の嫌いなもの気持ちの悪いものから逃げようとする動きをする。それらは、死ぬまで変わらず幼稚なままで、レミリアはそうした単独妖怪と同じで、自己を正当化するその幼稚な思考が、己を省みて失敗から学び糧とする事を妨げているのである。

 レミリアは、会議にあたって様々な状況で自己正当化し、問題点は全て他人の所為にしてきた。妹紅にプライドをズタズタにされた後も、自分は悪くない。悪いのは八雲紫だと、いつも通り自分に言い訳をしていた。しかし、妹紅から引き出された他者の切実な声を直に聞いた今、後悔と謝罪の念が心の中を支配していた。
「(謝らなければ・・・例え許されないとしても・・・。)」
 しかし、それを言葉にしようとすると何故か口に出来ない。誰かに口を塞がれた様に、言いたい言葉が喉の奥で止められてしまう。今度はそのもどかしさがストレスになると、全てを自己正当化しようと幼稚な自分が奥底から湧き出してくる。
 いつもそうだ。家族とも言える存在には素直に言えるのに、紅魔館の外の者に何かを伝えようとしても、常に相手より高い位置に身を置いて、言いたくもない傲慢な台詞を口にしてしまう。そして口にして後悔して、取り繕って又同じ過ちを繰り返す。

 博麗神社の博麗霊夢と和解し彼女と親密になろうと思っても、素直になれず相手が気分を害するような台詞ばかりが勝手に出てくるのだ。先程の妹紅の時もそうだった。
「(どうすればいいの?)」
 レミリアはもう一度振り返って咲夜を見るが、結果は同じだった。
 落胆、そして、絶望が訪れる。ついに目の前に妹紅が仁王立ちした。
 忠実な僕も、親愛なる友も誰も助けてくれない。当然だ。自分は助けるに値しない主であり友人だからだ。
「(・・・おねえちゃん。)」
 その時、自分を呼ぶ声が聞こえた様な気がして、見下ろす妹紅から視線を外し、仁王立ちの開いた脚の間から最も身近な唯一の存在を見つけた。
「(フラン・・・?)」
 目が合ったフランドールは、この世の者とは思えない美しい大人びた微笑みを姉に贈った。
「(おねえちゃん・・・今助けてあげるね・・・。)」
「え?」
 打ちひしがれたレミリアの継ぎ接ぎだらけの心は、その瞬間粉々に砕け散る。
 それは再生の為に必要な破壊だった。
東方不死死 第63章 「死神の天敵」


 風見幽香の超弩級攻撃は幻想郷の空を覆い隠す鋼鉄の壁塊を撃ち崩せず惜しくも破れた形となった。しかし、宇宙人の計り知れない技術力を前にたった独りで立ち向かった最強妖怪のパフォーマンスに、幻想郷の住人達は触発され、生存本能を沸き立たせ士気が上がっていた。

 そして、攻撃の余韻に浸るような一時の静寂の後、幻想郷は再び戦渦が広がっていった。


「それにしても、不味い事になったな・・・。」
 風見幽香の一連の攻撃を受けて足を止めていた妖夢らは、その攻撃直後から明らかに戦況に変化が生じている事を肌で感じ、状況が安定するまで出発を見合わせていた。
「今ので東の雑魚が多数が巣山に戻り始めました・・・。」
 道中、何度か進路上に人喰い妖怪が現れたものの、先行するスケさんの名を貰った妖怪が素早く対処し、ほぼ予定通りの道程で進んでいた。そこにきて突然の風見幽香の攻撃。恐れたのは人間だけではなく、人喰い妖怪の中の臆病な雑魚の群れも同じで、彼らは恐れおののいて東に逃げ戻ってしまったのである。

 カクさんが口にした『巣山』というのは、本陣山の南の小高い山の事で人喰い妖怪の総本山でもある。博麗大結界施行後、幻想郷の管理を委嘱された魅魔の平和政策によって、危険な妖怪は東側に追いやられた。それらが集まって自然発生的に出来た場所がこの巣山で、そこには人喰い妖怪独自の社会文化が形成されていた。
 妖夢はつい最近幻想郷に来たばかりなので、このような情勢は護衛の妖怪から説明を受けるまで全く知らなかった。

 人間の里の傭兵団が囮として東に侵出し人喰い妖怪達をおびき寄せている間に、空になった巣山の麓を素通りして人間の里からは反対側になる東向きの階段から登って正面から神社に入るというのが、神社行きを企画した上白沢慧音の作戦である。
 ここで2つの誤算が発生した。
 一つ目は、傭兵団が独自に行った風見幽香の影武者作戦が効を奏し過ぎてたことである。これによって傭兵団は有利に戦闘を運べたが、弱い雑魚妖怪が若干巣山に戻ってしまうという副産物を生み出していた。しかし、これは妖夢の護衛についた2人の妖怪がいれば十分対処出来るもので、作戦全体に大きな変更は要らなかった。
 問題は2つ目の誤算、風見幽香の予定外の攻撃である。
 この攻撃で、攪乱戦が得意なヌエの作り出した広範囲の同士討ち状態が解けてしまい、我に返った雑魚妖怪が驚いて大量に東側に戻ってしまったのである。 
 単体では人間よりも弱い雑魚だが、それが大量に集まれば驚異となり、当初の作戦通りに本陣山と巣山の間を抜けるのは非常に危険な状況となってしまったのである。

 一行の現在地は、魔法の森の南側沿いの人間の里から東の本陣山までほぼ直線に伸びる街道を進み、魔法の森の一帯を抜けた本陣山の南斜面の裾辺りに到達していた。全行程の三分の二を過ぎたところで、これから巣山と本陣山の間の谷間に入ろうとするところだった。
 本陣山の標高は100メートルもない小さな山で、裾野全体まで神社の結界内にあって魔物は寄り付けず安全である。神社に辿り着くだけならそのまま斜面を登ってしまえばいいが、人の手がほとんど入っておらず道の無い自然のままの原生の山を登るのは想像以上に難しい作業である。しかも大量の酒樽やその他食物、宴会用の設備一式も運ばなければならないので、非力な人間だけで構成されているこの一行では至難の技といえた。
 今いる場所から博麗神社までの直線距離は恐らく2kmもない。神社の正面までの順路を辿って行く場合はこのまま巣山の北側をかすめて山の向う側、つまり幻想郷の東端付近まで出て本陣山の斜面を蛇行する坂道を登り、最後に神社の石段を登るという流れである。道のりとしては約4km弱である。人間と言っても現代人とは違い足腰は達者なのであと1時間もかからない距離といえる。
 この順路を進むのが一番良いのだが、問題なのが大量の人喰い妖怪が戻ってしまった巣山をかすめる点である。
 強い妖怪ほど山の頂上に集まり雑魚は麓に散っている。つまり、このまま進めば麓にたむろする雑魚の群とはち合わせになるのは必至である。数が少なかった風見幽香攻撃前の状況なら護衛の妖怪2人で十分だったが、先程の攻撃で大量に雑魚が逃げ戻っている。いくら猛者でもこの数の対処は難しい。安全に時間を掛ける戦い方をすればなんとかなるだろうが、あまり時間を掛け過ぎて安全になったのが異変が終わって後では意味がない。

 妖夢は慧音から預かってきた余り詳しく描かれていない古い地図を広げ別ルートを模索する。この地図では、魔法の森から神社に向かうルートが描かれており、魔法の森の東端から本陣山の西斜面を登るルートが記されていた。妖夢はその道に目を付けた。
「少し戻って、山を北西に迂回して、魔法の森から神社の裏手に出るルートはどうでしょう?」
 打ち合わせには妖夢と護衛の二人の妖怪他、マルキの主人や本陣山を活動の場として地理のある薪業者の親方など、里の有力者数名も参加している。そして、その妖夢の提案はすぐに薪業者の頭領に否定されてしまう。
「一応地図には道として描かれてるが、人一人通れる程度で、こんな荷物は運べんぞ?それに、この山は東側はなだらかな斜面だが西側は急なんだ。」
 妖夢は自分の意見を否定した薪業者の親方の言葉を人間を認識できない妖怪達にも伝える。
「そのルートなら確かに安全だろうが、時間は倍ではすまないだろうな。」
「人が登るだけなら最初からその作戦でいってますよ、きっと。この行程に於ける最大の問題点はこの莫大な荷物をどう神社に運ぶか・・・ですからね。」
 妖怪二人からも否定され落胆する妖夢。
 膨大な量の荷物を獣道を担いで登るのは時間をかければ不可能ではないにせよかなり困難な作業になるだろう。着いたのが夕方でしかも既に異変が終わった後では何の為に危険を冒すのか分からなくなる。
「・・・確かに・・・。」
 もう少し良く考えて発言をすべきだったと反省する妖夢。
「しかし、この道しかなければそうするしかないでしょう。このまま道のない斜面を登るのはもっと困難ですし、中央突破は更に困難・・・。酒はかなり大目に持ってきてますので、半分はここに置いていっても恐らく問題ありません・・・。」
「森を切り開きながら進むか?」
 大工の頭領が荷台の修理や宴の設営で必要な大工道具を持ち込んでおり、邪魔な木を選んで切り倒しながら進む事は不可能ではないと提案する。
 妖夢を弁護するわけではないが、霧雨魔理沙の父親であるマルキの主人や大工の頭領は妖夢の案以外選択肢がないと主張する。しかし、これに反論する者が現れる。
「先生がどんな犠牲も払っても前に進めと言っておった。ここは無理に押し通すしかなかろう?」
 里で鍛冶屋を営む腕っ節の強そうな親父が自慢の刀を抜いて中央突破を推す。妖夢は逐次それを妖怪達に知らせ通訳の役目を果たす。
「当初考えていた状況とはかなり違うからな・・・神社にたどり着けたのが半数以下になっても大丈夫か?」
「それは駄目でしょう・・・。」
 スケさんの鍛冶屋の親父に対する質問にマルキの主人が首を振る。妖怪から人間は見えないが、人間から妖怪の姿も言葉も受け取る事が出来るで、妖夢は人間の言葉だけ妖怪に通訳する。
「援軍を求めるのはどうでしょうか?」
 最初の発言後は通訳に徹していた妖夢がもう一案を出してみる。
「それは、おれも俺も考えないわけではなかったが、本陣は強い連中と対峙している。戦線がこちらに移動してきたら今より危険になるぞ?」
 雑魚妖怪はともかくそれなりに強い人喰い妖怪は傭兵団と依然交戦中で、南側で行われている戦闘の様子がここからでもよく見える。
 この状況では傭兵団からの援軍は難しく、仮に援軍が来たとして騒ぎが起これば当然敵もそこに集まってくるはずである。
「見えていないとは言っても、接触すればハクタクの術も流石に切れるでしょうしね。先に我々3人で掃除しようにも安全を確保出来る時間と迂回ルートを進んだ時間とでは、たいして変わらないかもしれません。」
 カクさんが双方の所用時間の見積を立てる。
「こうして留まっているだけでも時間の無駄だな・・・いずれにしても予定はずれる。これは確かだ。その上でどちらにするかは妖夢、お前が決めろ!」
「え?私がですが?」
「お前がこの集団の頭だ。お前が決めなくて誰が決める。」
 一団の先導役は妖夢で責任者はマルキの主人というのが当初の予定だったが、今朝の里を動かした妖夢の檄で、妖夢の株が急上昇して彼女がこの一団の責任者となっている。打ち合わせに参加した面々、特に責任者となる予定だったマルキの主人が妖夢を推して決定権を与える事を喜んで同意した。
 妖夢は覚悟を決めて、これまでの話し合いをまとめ、独り言のように呟く。
「無理に押し通して被害を出し過ぎれば辿り着いても宴の準備が出来ない・・・。裏道に時間を掛けるか正面の掃除で時間を掛けるか・・・どちらをとっても予定よりオーバーするのは確実・・・。」
「同じ時間なら安全を取るのが賢いな。」
 スケさんが安全策を推す。
「我々の頑張り次第では、時間短縮になる可能性もありますよ?」
 カクさんが敢えて危険を選ぶメリットを口にして決定権を持つ妖夢を惑わせる。
 最初に自分が出した案に未練があっての事ではなく、頼りになるスケさんの案に乗るという形で、一つの答えを出す妖夢。
「安全策で行きましょう!」
 散々惑わす発言をしたカクさんだが、妖夢が決断をすると一切否定せずに頷き受け入れる。カクさんは敢えて否定的な後ろ向きな意見を出し、スケさんの正論を補間させていたのではないかと妖夢は思い始める。妖夢は一瞬そのように仕向けられてこの決定をさせられたと思い少し嫌な気分になるが、スケさんの強く頷く表情を見て、彼らにやらされているのではなく、引き立てられていると認識を改める。そしてそれと同時に自分の未熟さをまたしても思い知った。

 周囲でその様子を見ていた人間達も死ぬリスクより重労働の方がマシだろうと妖夢の提案を歓迎した。戦う道を選べば時間短縮の可能性は十分ある。しかし、犠牲が出るという大きなリスクを背負う事になる。妖夢は神社にたどり着く事ではなく、辿り着いた後を考え、犠牲を出さない選択をしたと言えた。
 妖夢と護衛のスケさん、カクさん、そしてマルキの主人など数名以外知らないが、山の神様と内通しての企み事が神社行きの本当の理由なので余りに時間が経ちすぎれば、紅魔館側のスケジュール優先で進む異変に対してこちらの準備が追いつかない恐れがある。出来れば午後2時前には準備を整えたい。
 そして時間は正午になろうとしていた。


「連中の作戦は決まった?」
 そんな人間の大集団を上空から見つめる2つ影があった。
「エリー、連中どうやら裏から回るらしいよ?」
 背中に羽の生えた紅い瞳の少女が地上の会話を聞き取れるのか相方の女性に話の内容を教える。
「裏からじゃパーティの時間に遅れるわね・・・。」
「間に合う様にって幽香ちゃん言ってたんでしょ?」
「あんな攻撃しなければ遅れる事もなかったのに・・・まぁ、だからこそ私達がその尻ぬぐいをするわけだけどね・・・。」
 どうやらこの2人は風見幽香の関係者で、面倒臭そうに呟くエリーと呼ばれる女性はつい先程幽香に会って来たばかりである。
「ねね!言いつけ守らなかったらお仕置きかな?」
「なぁに?くるみはまたお仕置きされたいの?」
「されたい!されたーい!」
「ふふ、全くくるみったら・・・まぁ私もされたいけどね。」
 お仕置きされるのを喜ぶおかしな2人。
「でも、今回はしくじったら確実に殺される気がするよ・・・。」
 陽気に笑っていたくるみと呼ばれた少女が突然顔を曇らせ怯え始める。
「やっぱ、そうよね。しょうがないから真面目に行きますか。くるみは連中に作戦開始を知らせてきて頂戴。」
「ラジャー!がんばてね!エリー!」
 元気な返事をする紅い目の小さな少女は手を振ってどこかに跳び去って行く。
「さて・・・さっさとすませてしまいましょうか・・・。」
 エリーと呼ばれた女性は先程までの陽気な表情を引き締め怪しい雰囲気を纏わせながら、懐から小さなノートを取り出し、おもむろに何かを書き始める。
「こんぱくようむ・・・と。ふふ、死神の仕事は一回につき一個の魂が必要なの。悪く思わないでね。」
 死神エリーは静かに地上に降りていった。

 人間の一団のリーダー格数名が集まってこれからの方針を決めた直後、その様子を少し離れた場所で早めの昼食をとりながら見ていた人間の集団が、近づいてくる人影に気付いてざわめきが起こり始める。人間を認識出来ない護衛の2人以外の妖夢らがそれに気付いて彼らの視線の先に顔を向ける。そして、その妖夢の行動に気付いた護衛2人も不思議そうにそちらに向く。
「ご機嫌よう、皆さん。」
 その視線の先に居たのはこの場に相応しくない一人の美しい婦人だった。そして、その女性を見た瞬間妖怪達が突然殺気立ち声を上げ周囲を驚かせた。
「な!お前は!」
「し、死神エリー!」
 相手が誰かを知って臨戦態勢に入る妖怪2人。そして急な事で状況が掴めずキョトンとする妖夢。
「ちょっと!こちらが名乗る前から人の名前を先に呼ばないで頂戴!」
 妖怪の態度とは裏腹に緊張感のない声を発するその女性。自分から名乗る前に先に名前を呼ばれて憤慨し、その後気を取り直して恭しく大袈裟な一礼をして自己紹介をしてみせる。
「あら?でも私の事知っているなんて珍しいわね。生憎私は貴方達を知らないけど、知り合いだったかしら?」
 いつの間にか気付かれず背後に接近された事にスケさんとカクさんは武人としての面目を潰された形になり、しかも相手が死神ということで全力で応戦する構えで、彼女の質問に答える余裕は全くない。
 そんな2人を余所に何かを思い出そうとするかのように小首を傾げて考え込む仕草をする婦人は、全体的に芝居がかった大袈裟な動きで、こちらを馬鹿にしているようにも見える。
 妖夢は状況が掴めずどうしていいのか分からなかった。唯一分かるのは、護衛の2人の尋常ではない警戒体勢で、それは非常事態である事を報せているという事だった。
 しかし、妖夢には死神エリーと呼んで2人の護衛妖怪が恐れる女性に対して何故か全く恐怖感が無かった。

 エリーと呼ばれる死神の女性は、高い身長に似合う白のワンポイントが引き立つ深紅のロングドレスに身を包み、ドレスと同じ色のリボンを巻いた白い平べったい帽子が印象的である。美しい金色の髪と彫りの深い顔立ちから外来の者であることに間違いないだろう。
 自分の家の庭でも散歩しているかの様な警戒感のない優雅な物腰をしており、右手に持つ死神のトレードマークである大きな鎌がなければ、どこから見ても高貴な家柄のご婦人である。
 軽くウェーブがかかっている金髪は先端で大きく外側にカールしており、明らかに人の手を加えて綺麗に整えている事が伺える。幻想郷の人間の里には髪結いの職は無く、自分の髪にお金を掛けて何かをするという文化がない。女性の髪は筆や刷毛などの材料として使われる為、里では長く伸ばして纏めて売るのが一般的であり、髪の毛をいじって洒落込む事はほとんどない。
 幻想郷では髪型はあまり気にしない変わりに帽子などの被り物に気を使い、外の世界から入ってくる色とりどりの布生地を三角にして頭に被る女性が多い。

 落ち着き払う貴婦人を挟んで腰を低く構えて腰の刀に手を掛け臨戦態勢をとる妖怪2人。妖夢は何故この女性にここまで警戒心を露わにしているのか理解出来ず、今ここで自分が何を為すべきか迷う。
「クソ!何でお前がここに!人間の魂を漁りに来たか!」
 風見幽香などと同じ西洋の装いで丈の長いスカートが戦いを生業とする戦士から程遠く見える死神エリー。
 カクさんの口から死神という単語を聞いたが、これは聞き間違いではなく確かに死神と言った。
 死神と聞くと妖夢は、先日友人から恩人に格上げされた小野塚小町が頭に浮かんだ。しかし、エリーと呼ばれた女性は小町ら冥界の死神とは同じには見えない。もしかしたら種族としての死神ではなく、強さや性格を表した異名なのかもしれない。仮にそうだとしら相当な強さなのだろう。
 ただ、鎌を武器に持つというのが、冥界の死神小町と共通するところがあり、異名ではなく彼女は死神という種族なのだろうと漠然と思い込む妖夢。

 大きな鎌が死神である小町と死神と思われるエリーとの共通点だが、小町を含め冥界の死神は現在閻魔の部下として使役される存在で、かつての死神としての権限のほとんどが奪われ、殺傷力のある武器の携行が認められていない。今現在彼らが持っている大鎌は所謂模造品である。
 小野塚小町の大鎌は刃がうねうねと曲がった実用から程遠いものに見えるが、実は中央の規定に背いて殺傷力がある。これは閻魔の配下に成り下がっても死神としての生き方を変えたくないという小町の強い意志によるもので、鎌だけではなく営業方法まで昔の死神としてのスタイルを変えていない。こうした事が出来るのも中央の目が行き届かない幻想郷という田舎の利点を利用しての事である。
 そんな小町の大鎌と違い、エリーの鎌の刃は綺麗な先の鋭い三日月型で、扱い易い形にしたと思われる柄に独特の曲線がある。異様な光沢と仄暗い気を醸し出している刃は、明らかに武器として実用してきた痕跡が見て取れ、この使い込まれた大鎌はこれまで何人もの血を吸い取って来たのだろう。
 この鎌には通常の鎌とは違う、ある特徴があったが、この時点で妖夢はそれに気付いていない。

 妖夢はこの時、死神小野塚小町と出会った時の事を思い出していた。


 今現在三賢者としてその地位にある四季映姫と西行寺幽々子、そして八雲紫はそれぞれに辿った歴史があり、その中で一番歴史の浅い四季映姫の誕生以後に初めて3人の接点が生じている。
 妖夢の主である西行寺幽々子は、人間としての短い期間と、冥界の狂い姫と呼ばれ危険視された200年と、それ以後心を取り戻した1100年の歴史があり、いずれも八雲紫と強く関わり、その長期に亘る交友は未だ続いている。
 四季映姫は、人間としての西行寺幽々子の死以後、再編される冥界の情勢により多数の閻魔が必要となり、今から約500年前にお地蔵様から昇格した閻魔で、八雲紫や西行寺幽々子に比べるとだいぶ若い。
 西暦1430年に現実世界から概念の世界に移設された幻想郷は現世から隔離された。その隔離されたばかりの幻想郷において、吸血鬼戦争(1436~1440)と呼ばれる大戦が勃発した。
 大量の死者を出したこの大戦で行き場を無くした多数の魂が行き場をなくしてその処理が問題になり、輪廻転生の仕組みの早期導入が求められ現世と同様仏法界の仕組みが導入される。西暦1464年に正式に三途の川が幻想郷で利用可能になり、死と死後の世界が向こうの世界と共有する形で幻想郷にも確立される。同年、裁判所も建設され幻想郷支部の裁判所の初代裁判官に中央庁の十閻魔の一人が兼任で就任し、仏法界制度に当てはまらない外来人妖の魂を一度幻想郷の草花に転生させ、幻想郷土着の幽霊として戸籍を移し替える仕組みを提唱。その年を元年とし還暦年毎にそうした外来霊の飽和をリセットする制度を確立させた。60年毎に幻想郷に大量の花と幽霊が咲き乱れるあの現象の始まりである。
 四季映姫が幻想郷の裁判所の2代目裁判官として就任したのはその100年以上後で、八雲紫、西行寺幽々子、四季映姫の三賢者らの交友が始まったのは、今から約400年前になる。
 西行寺幽々子はこの時代、記憶は失われたままであったが生前の人の心を取り戻して久しく、冥界の狂い姫などという肩書きは既に忘れられ、幽霊を自在に操れる能力を買われて閻魔の手助けをして高い俸禄を預かる身となっていた。
 西行寺家の元庭師であった魂魄妖忌が、寂れた大陸様式の白玉楼を大規模改修する具体的な計画案を残してこの世を去っており、西行寺幽々子は築き上げた莫大な財を使って、その計画を引き継いで今の白玉楼の姿に改築したのである。
 幻想郷の裁判官として就任する際、就任祝いとして八雲紫が宴を催し、その会場にあてられたのが白玉楼で、この宴で四季映姫と西行寺幽々子は初めて面会している。四季映姫は白玉楼を一目で気に入り、要人の接待やお目出度い席が必要な時はここをよく利用するようになり、同時に西行寺家とも交流を深めた。

 妖夢と小町の出会いは、主同士の出会いと同じ時で、初対面の印象は最悪だった。
『お前、変わったやつだなー。』が小町の口にした最初の挨拶で、気位だけは立派なお子様妖夢はその理由も問わず、憤慨してずっと彼女を無視していたのである。
 しかしそれも時間の経過と共にわだかまりも解け、釈明と謝罪を受けた後は、その事は完全に水に流した。
 その小町の釈明とは、死神を前にして平気な顔をしているのが変だという意味とのことであった。最初は意味が分からなかった妖夢だが説明を受けて納得した。
 死神は死を司る存在で、幽霊でもない普通の生き物であれば見るだけで生気が失われ、弱い者は絶命してしまうそうで、その為死神に生者(せいじゃ)の友は居ないとされていた。
 半人半霊という種族は元々そういう種族がいるのではなく、死神と同じく死を司る西行寺幽々子という特殊な個性が持つ力を無効化させる為に生み出された種族と聞かされる。
 現在行方不明の自分と同じ半人半霊の祖父は、当時凶悪な亡霊で死神や冥界の人々を殺しまくった西行寺幽々子を抑える為に特別に復活した存在で、冥界の僻地にあった白玉楼に幽々子を閉じこめ、入り口に立って見張っていたという。その後、祖父は役目を終えて輪廻に旅立ったのではないかと小町は言っていたが、妖夢はそれを否定し、いつか戻ってくるものと信じていた。

 妖夢は昔を思い出しながら、小町が冗談半分で言った台詞を思い出す。
『妖夢、お前は死神の天敵だけど、私は生きているやつとこうして友達になれたんだから嬉しいよ。』
 そう言って笑い、妖夢の小さい肩に手を回してわははと笑う小町とその時の映像が脳裏に浮かび上がる。
 妖夢は、その当時の会話を思い出しはっとなって後ろを振り向く。
「あっ!」
 見るとマルキの主人やその他同行している人間の顔から生気が失われている事に気付く。小町が言う様に、死神は生者に対して常にネガティブな存在で、長時間同じ場所にいるのは危険なのだ。
「(やはりあの人は死神!そばにいるだけで危険なんだ!)」
 妖怪2人の過剰な警戒態勢は、単に強い相手に対して警戒しているのではなく、死という見えない攻撃に晒され続け必死に抵抗している現れなのだ。

「ねえ?この中に『こんぱくようむ』という人はいない?私はその人に用があるの。」
 この予想していなかった意外な名前に妖怪2人は目を合わせて、その真意を各自自問自答する。『こんぱくようむ』は、護衛対象である魂魄妖夢で間違いない。ここにいる人間達の代表でもあり、彼女が代表者に会いに来たと思えば不自然な話しではない。
 しかし、問題は会いに来る当人である。死神の用事など命を奪いに来る以外ないではないか!
 吸血鬼戦争の最後の決戦で援軍に来た風見幽香の先鋒として突撃部隊に参加していた死神エリー。スケさんとカクさんもこの作戦に従事していたので、エリーの実力は知っていた。先方はそのことをすっかり忘れているようだが、並み居る吸血鬼の囲みをたった一人で突破した実力は今でも鮮明に憶えている2人。ただ、協調性に欠けるエリーは味方まで巻き添えにしてしまい、戦後の論功行賞で風見幽香の功績と引き替えに罪を帳消しにされ、以後歴史の表舞台から消えたのだ。それが何故ここにいるのだろうか?

「そいつに何の用だ?」
 スケさんとカクさんは、後ろにいる妖夢に注意を向けてエリーに気付かせる愚は侵さず、意識を前だけに向け妖夢を無視する。魂魄妖夢に対して特に恩は無く助ける義理はないが、主から護衛を任された以上、彼女より後に死ぬ事は許されない。
「私の名前を知っている理由を教えない貴方達には関係ないわ。」
 カクさんはエリーがその理由を知りたがっている事に着目し妖夢から注意を逸らす目的で、その理由を教える。
「吸血鬼戦争・・・最後の決戦・・・と、言えば思い出すでしょう?」
「ああ、あの時の・・・。そいえばあの時強そうなのは味方も纏めて殺しちゃったわね。生き残りってことは隅っこにいた雑魚か・・・どうりで覚えていないはずだわ。」
 最後に高らかに笑って2人をコケにするエリー。スケさんとカクさんは、コケにされた事に憤りを感じてはいたが、今は死神の見えない死の誘いから自分を守る事で精一杯だった。
 スケさんはこの時、自分が精一杯なら人間達はもっとやばい事になっていると思い、横を向いて彼らを視界に入れる。そして何かに気付いて驚いてそれを表に出してしまう。
 他の人間が皆、膝をついて苦しそうに肩で息をついている中、魂魄妖夢だけが平然と腰の後ろに手を回し剣をいつでも抜ける体勢でいたのである。
「へぇーあの娘が『こんぱくようむ』ね・・・でも、まさか子供だとは思わなかったわ~。」
 この台詞から、人相や特徴などは全く知らされていないまま人捜しをさせられている印象である。
「くそ!俺としたことが・・・。」
 スケさんの注意が一人の少女に集中したのを受けてエリーは彼女が目的の人物だと確信する。スケさんは自分のミスを激しく呪ったが、この状況で平然と立っている妖夢の姿は先程からエリーは確認しており予め目星をつけていたので、スケさんの行動は予想を確信に変えただけのものだった。
 護衛対象の位置がばれたのを受けて、エリーを中心に対角線上に配置していた2人は、円を描くようにゆっくり妖夢の前に移動しようとする。腰に挿した刀の柄に手を添える様な構えで重心を低く保つ。
 この時2人の妖怪は人間達の作戦を察知した八雲紫らがそれを阻止するため死神エリーを派遣したと思い込んでいた。

 妖夢は不思議な感覚にとらわれていた。
 エリーに対して恐怖感はなく、護衛の2人の妖怪には勝てないけれど、この死神にだけは勝てるという根拠の無い確信だけが沸き起こる。
 これまでの数々の失敗で妖夢は慎重になっており、決して相手を過小評価しないよう心掛け、この戦いも慎重に成り行きを見守っていた。しかし、どうにももどかしくてしかたがない。自分の中にいる別の自分が、エリーという雑魚相手にこの護衛は何をしているのかと苛立つ。そしてそう思うと直ぐに別の自分が自重しろと気持ちを抑える。
 小町の昔の言葉が頭の中に木霊してどんどんそれが大きく反響する。

『私は、死神の天敵・・・』

 妖夢は腰の後ろに下げた2本の剣のうち物理殺傷力の高い長剣『楼観剣』ではなく、迷いを絶つだけの殺傷力のない短い『白楼剣』に手を掛け、おもむろに抜いて見せる。
「な!」
 妖夢を庇おうとしてにじり寄ってくる妖怪はそれを見て驚愕する。ことここに至るまで刀を抜かなかった2人を余所に、剣を抜いてしまう妖夢の軽率な態度に驚きとそして憤りを覚える。
「何をしている!」
「ふふふ、馬鹿な娘。死刑執行のサインを自らしてどうするのよ?」
 エリーはそう言うと、気が狂った様に笑い出す。死神の攻撃を察知した2人の妖怪はすぐさま刀を抜いて愚かな護衛対象を守るためエリーに先制しようとする。しかし、エリーから湧き上がるどす黒いオーラが妖怪にからみつき動きを完全に封じ込めた。
「に、逃げろ!」
 スケさんが苦しそうに必死に叫ぶ。しかし、妖夢は平然と剣を抜いたままエリーに近づいてくる。
「愚かな・・・本当に人間は愚か・・・こんな愚かな人間は生かしておく必要はないでしょ?ねぇ幽香ちゃん・・・。」
 下を向いて肩を怒らせているエリーは、独り言の様に呟きここにいない主に何かの許可を求める。
 次に顔を上げたエリーは、片方の眼だけがある白い仮面を被った死を司る正真正銘の死神となっていた。
「私がここに来たのは我が主、風見幽香の命に従い、あなた方人間に協力する事・・・。」
「な、何・・・だと?」
 スケさんが動けない身体のまま声を上げて驚く。無理もない死神が人間に協力するなど自然の摂理に逆らうようなものである。
「何で黙ってこいつらの命を差し出さなかったの?剣を抜いた以上代価は貴女の命で払ってもらう事になるのよ?」
「分かっています。」
「はぁ?」
「このまま私が何もしなければ、私を守ろうとスケさんとカクさんは貴女を攻撃します。そうなれば彼らは無事では済まないでしょう。だから私は剣を抜きました。」
「ふふふ、自己犠牲?美しいわ!でも、反吐がでるわね。そういう下らない矜持の為に大勢の命を危険にさらす。これは勇気でもましてや蛮勇でもない、匹夫の勇よ。」
「生憎、私は負ける戦はしない主義です。」
 妖夢は心静かなまま、誰かがどこかで言った聞いたような台詞を吐いてニヤリと笑って死神を挑発する。
「ここまで愚かだとはね・・・大人しく他の命を差し出せばデス・ノートに書いた貴女の名前は消してあげたのに・・・。」
 デス・ノートとは何なのか妖夢には分からなかったが、何れにしても妖夢には勝敗が既に見えていた。
「気を付けなさい!ヤツの鎌は刃が逆だ!」
 カクさんが渾身の力を込めて死神の武器の特徴を絶叫して報せる。
 その絶叫が合図になってエリーは妖夢に突進する。普通鎌は曲線の内側に刃があり、攻撃は巻き込むように行う。しかし、エリーの鎌は逆刃なので刃を前に押し出すか横にスライドさせるなど攻撃の仕方が普通の鎌とは変わってくる。知らずに対応すると気付く前に首が飛ぶ事になる。
 カクさんの絶叫を聞いた妖夢だったが、その助言を聞いて対処するどころか避けようともせずそこに立ったまま、顔の前にそっと白楼剣を差し出し、左手で持った剣を縦に構え、片刃の背に右手を添え、前方からの衝撃に備える構えをとる。
 鎌の逆刃を前に向けたまま猛烈なスピードで突進したエリーは、一瞬姿が消え次の瞬間妖夢の後ろに立っていた。後から衝撃波の用は突風が妖夢の横を通り過ぎる。
 あんな小さな剣であの攻撃は防げないと、2人の護衛妖怪は任務を果たせなかった事を悔やみ大きな笠の下で唇を噛み締め妖夢の死を悼む。
 しかし、その時自分達を縛る禍々しいオーラの戒めが解け、身体が自由になる。
 妖夢に振り向いたエリーは仮面の奥でニヤリと笑ったが、次の瞬間仮面が真っ二つに割れる。現れた美しい素顔が縦に裂けるように一筋の光の線が走り、そこから禍々しい呪詛の声と共に夥しい数の怨念の様な黒い影が抜け出し、天に昇っていく。
「こ、こんな馬鹿な・・・。」
 膝が落ちそのまま背中が反って裂け目が出来た顔が天を向き、次から次へとエリーの体内から黒い怨念が抜け出していく。
「だ、大丈夫か?」
 そんなエリーを尻目に妖怪達は妖夢に駆け寄る。
「ええ、何とか・・・。」 
 妖夢は駆け寄る妖怪に無事を知らせ、エリーに振り返る。エリーの鎌で切られた魂魄を隠すために来ていた大きめの外套が首の位置を境に二つに裂けて下の方が地面に落ちる。妖夢は用を為さなくなった頭部に残った外套の切れ端を取り、地面に落ちた方を拾って適当に合わせて折り畳み小脇に抱える。事が済んだら縫い合わせて返すつもりの律儀な妖夢だった。
「しかし、何故?」
 妖夢が死神エリーを倒した事が未だに信じられないスケさん。
「私、半人半霊は、死を司る攻撃の一切が効かないみたいで、死神の天敵みたいなんです・・・。」
 他人事の様な口調で頭を掻いてえへへと笑う妖夢に、2人の妖怪は肩をすくめる。
「まさかそれを分かってての人選か?」
「さぁ・・・どうなのでしょう?」
「そういえば、風見幽香の命で協力するといってましたね・・・。」
 カクさんが黒い怨念の渦が全てが抜け出て仰向けに倒れているエリーに歩み寄る。他の2人もそれにならって取り囲む様に上から見下ろす。
 白楼剣によって切り裂かれた・・・というより、剣に自ら突っ込んで出来た裂け目は既に無く、エリーは目を開いたまま放心している。
 しばらくそうしていると、エリーの瞳に光が蘇り見下ろす面々と視線が重なると、顔をくしゃくしゃにして突然泣き出す。
「うぇ~ん!何で、大人しくこっちの言う事聞いてくれないのよー!戦うのも怖いのも嫌いなのにぃー!」
 両目を手でこすりながら地面でジタバタと泣きじゃくるエリーに、先程までの怖さは感じない。抜け出た黒い物がエリーが与えている恐怖そのもので、今は憑き物が取れた様にただの人妖と変わらぬ感じである。
「戦う気がないなら何であんな態度に出たんだ・・・。」
 先程と全く違うエリーの雰囲気に戸惑いながら、その理由を聞くスケさん。
「だって、こっちから頭下げたら舐められるし、どうせさっきのままじゃ怖がって本当の事言っても信じてくれないじゃない!」
 3人は顔を見合わせてそれぞれのやり方でやれやれというジェスチャーをする。
「死神の天敵がいるなんて聞いてないし、幽香ちゃんも何も言ってなかったから簡単な仕事だと思ったのに・・・うぇ~ん!」
 妖夢はどうしたものかと2人を見るが、頼りになる護衛はそっぽを向いて急に役立たずになる。こうしている時間も惜しかった妖夢としては先程エリーが言った言葉の真偽を改めて尋ねる。
「あの・・・エリーさん?」
「何よ!」
 ふて腐れた様子で答えたエリーは、腰を上げ正座を崩した所謂『女の子座り』をしてどこからとりだしたのかコンパクトを開いて化粧を直し始める。妖夢は先程の死神エリーと今の泣き虫エリーのどちらが本当のエリーかと苦笑いしながら話しを続ける。
「先程、私達に協力するつもりだったって言ってましたけど・・・。」
「そうよ、幽香ちゃんの部下達がもうとっくに巣山周辺を綺麗に掃除したわよ。だから、さっさと行っちゃいなさいよ!」
 今度はプンプンと怒り出し身体ごと妖夢からそっぽを向くエリー。
「・・・あの・・・エリーさん、ごめんなさい・・・それから、ありがとうございました。」
 妖夢は苦笑いをしながら、エリーの背中に謝罪とお礼を言い踵を返す。
「あ、待って!」
 そんな妖夢を引き留めるエリー。
「おい、時間がないぞ!速くしろ!」
 スケさんが妖夢を急かす。妖夢は引き留めるエリーに後ろ髪引かれるが、自分の役割を考えるとここで油を売っているわけにはいかず、エリーに断りを入れて先に進もうとする。しかし、ここでエリーが立ち上がってスケさんに苦情を言い出す。
「少しくらいお話させてよ!」
 憑き物が取れて死神としての畏怖が完全に無くなってしまったただのご婦人に成り下がったエリーを煙たそうにするスケさんはダメだと一蹴する。
「もう!しょうがないわね!」
 エリーはそういうとスケさんと隣にいるカクさんを指差す様な仕草をして何か術の様なものをかける。
「おい!貴様何をした!」
 何かしらの術を掛けられた自覚症状があり慌てて問い詰めるスケさん。
「私の目を一時的に貸してあげるわ。これなら人間達が貴方達にも見えるはずよ?ちょっと余計なものまで見えるけど気にしないで。」
 そう言われて人間のいるあたりを振り向く2人の妖怪。
「ほ、本当だ!」
「で、この頭の上の数字はなんです?」
「死神の目で見えるものと言ったらだいたいわかるでしょ?いい、余計な事は言わないのよ?私はこの娘とお話があるから、貴方達が先導なさい。」
 どことなく漂っていた泣き虫少女臭が消えたエリーは、妖怪2人に毅然と命じる。
「・・・分かった。妖夢先に向かってるぞ。」
「あ、すみません!お願いします。」
 エリーは護衛の妖怪にペコペコしている妖夢を尻目に少し歩いて距離をとりそのまま背を向けて佇む。妖夢は振り向いた先にエリーがおらず離れた場所に移動していたので後を追いかける。
「さっきはありがとう。」
 エリーの口からお礼の言葉が出る。
「いえ、お礼を言われるのは・・・。」
 妖夢は何故お礼を言われるのか分からず答えに窮する。
「これで残高がゼロになったわ。」
「え?残高?」
「ええ、クレジットが綺麗になくなったのよ。」
 意味が分からない妖夢。
「私達死神は人を殺す事にクレジット、ここで言うところの銭がこの死神通帳に貯まるの。」
 そう言って片手に収まる小さな冊子を開いて妖夢に見せるエリー。
「ほら、こんなにあった数字がゼロになってるでしょ?さっきの私の自爆で、貯まったクレジットが綺麗さっぱり吹っ飛んだのよ。」
「え、でも、それって笑い事では・・・。」
「・・・貴女は戦いとか人殺しが好き?」
「え?」
 突然の質問にエリーの真意を図れず咄嗟に答えが出ない妖夢。
「私は戦いとか人殺しがほんとはすっごく嫌いなの・・・でも死神だから殺さなければならないの。」
「死神だから殺さなければならないのはおかしいですよ!」
 のんびりサボっている知り合いの顔を思い出してエリーの考えを否定する妖夢。
「でも、私の住んでいた世界は輪廻という魂の循環概念が無いから、新しく生まれる魂の為に掃除をしないとすぐに幽霊で溢れかえってしまうわ。」
「・・・そうなのですか。」
 同じ死神でも住む世界が変われば役割も違うのだ。
「私達は人を殺してクレジットを貯めると、どんどん強くなっていく。そしてそのクレジットは通貨の役目も果たし、溜めたお金で色々な物が買えるのよ。服とか家とかをね。」
 その時離れた場所にいる人間の一団から声がかかり振り向いた妖夢は手を振って彼らの出発を見送る。それが終わるとまたエリーに向き直る。
「私の家は死神世界の貴族、エリート中のエリート。ああ、でもエリーとエリートは似てるけど関係ないわよ?」
「はぁ。」
 冗談が通じないと相手だったと後悔したエリーは、一度咳払いをして話しを戻す。
「エリートである為、常に上位にいなければならない。私ものんびりさせてもらえず必要以上に働かされたわ。それがイヤで幻想郷という世界に逃げ込んだ私は、言ってみれば死神の落ちこぼれ・・・。」
 落ちこぼれと聞いて失礼だが小町の顔を思い出してしまう妖夢。
「戦いとか殺しがいやで逃げて来たのはいいけれど、その幻想郷が戦争中で、私はそれに巻き込まれ身を守る為に戦い、そして殺し続けた。でも、幻想郷には『殺さずのルール』というのがあって、殺しは御法度だったの。私はそれを破ったから、懲らしめられたというわけよ。」
「それが、風見幽香さん?」
「ええ。こてんぱんにやられた私は以後幽香ちゃんの忠実な僕として仕えるようになったの。」
 昔を思い出す様に少し視線を上げるエリーの口元に笑みが浮かぶ。
「元いた世界の仕組みから離れてしまった私はクレジットの使い道が無く、たくさんの命を奪って貯めたクレジットで自分でも持てあます程強くなってしまっていたの。そして幽香ちゃんの配下になった私は、別所でやっていた戦争の援軍にも駆り出されて・・・。」
「さっきカクさん達が話していたやつですね?」
「ええ、右も左も知らない顔ばかりの猛者の中に放り込まれ、戦闘力は高いのに戦士としての素質がゼロの私は、集団戦の中で混乱して味方もたくさん殺してしまったの。本当に悪い事をしたと思っているわ・・・。」
「エリーさんは優しいんですね。」
「そうなのよ!私は虫も殺せないか弱い女の子なのよ!」
 どこまでが嘘か分からない妖夢は、急にくねくねするエリーに得意の苦笑いで受け流す。
「そのクレジットというのが貯まって強く成りすぎると、さっきみたいに周囲に影響が出てしまうと?」
「ええ、流石に100億クレジット以上貯まると自分の許容範囲を超えてしまうわ。でも、貴女のおかげでほんと助かったわ。」
「それはどうも・・・あ、もしかして幽香さんは、エリーさんのクレジットをゼロにするために私と引き合わせたのでしょうか?」
「そう思う?」
「いえ、ただ何となく・・・。」
「これは、言うなれば運命というやつね。」
「運命?」
「私が・・・というより貴女の運命ね。」
「どういう意味ですか?」
「これを見て。」
 エリーはそう言って小さいが紅い布貼りの立派な装丁のノートを取り出し、あるページを開いてみせる。
 妖夢は自分の名前が書かれている事を確認しその意味を問う。
「これはデス・ノート。名前を書かれた人は死ぬのよ。」
「え?」
 驚く妖夢。
「これだけを見るなら私は貴女を本気で殺すつもりでいた・・・ということになるわね。」
「・・・言っている意味がよく解りません。」
 自分で書いておきながら不明確で他人事な物言いのエリーに少し憤る妖夢。
「死神は自分でやる仕事ならともかく、誰かに依頼された仕事に対しては必ず代償が必要なの。命の代償が・・・。よく言うでしょ?悪魔の契約とか魂を売るとか・・・それと同じ。」
「・・・。」
「私はこの仕事を幽香ちゃんから依頼され、その代償として与えられる命の名前をさっき教えられたのよ。」
「え?それはつまり・・・。」
「そう。幽香ちゃんが貴女の命を代金として支払ったのよ。」
「そ、そんな・・・。」
 絶句する妖夢。
「でも、幽香ちゃんはこうなる事が最初から分かってて、貴女の名前を言ったのだと思うわ。だって、ここに名前を書かれて貴女、生きてるんですもの。」
「!?」
 そう、名前を書かれれば死ぬというのに自分が今こうして生きている事に気付く妖夢。
「死神の世界では、名前を書かれても死なない人間をレアものとして扱っているの。」
「レアもの?」
「そう、希有な存在。デス・ノートで殺せない人間なんて本当はいちゃだめんだけど、時々そういう珍しい星の下に生まれた人間が出てくるのよ。そんな人間は将来何かを為す逸材の可能性が高い。あくまで可能性だけど。」
「逸材?」
「貴女は今は何も為し得てないけれど、将来必ず何かやらかす可能性がある器・・・というわけ。今やっている事も将来貴女が大物になる上での足掛かりかもしれないわ。」
「私が?」
「信じられないかもしれないけど、貴女はここに至るまで既に多くのターニングポイントをクリアしてきたはずよ。違う?」
「・・・。」
 ここ数日の出来事は妖夢のこれまでの人生において最も波乱に満ちている。それらがターニングポイントだと言うならそうなのかもしれない。
「ふふ、心当りがありそうね。まぁでも、良い星の下に生まれても全てが大成するわけではないわ。月並みな答えだけど、結局自分の運命は自分で切り開かくしかないの。」
 可愛らしくウインクして見せるエリー。
「あ、悪魔の囁き・・・ですか?」
 こんな仕草を八雲紫もやるなと思い出す妖夢。
「あら、良く解ってるじゃない。私としてはレアものを引いたわけだし、そして何より私を助けてくれた恩人でもあるわ。これから貴女には色々と便宜を図っていくつもりよ。まぁ死神が図れる便宜なんて一つしかないけどね。殺したい人がいるなら私に言いなさい。」
「い、いいですよ!」
「死とは必ずしもネガティブなものではなくてよ?助からない命を前に情けをかけることは悪い事だとは思わないわ。」
「そ、それは・・・確かに・・・。」
「深く考える必要はないわ。貴女は普通の人より選択肢が増えたと思えばいいだけよ。」
「はぁ・・・。」
 八百屋の主人に上手く言いくるめられて余計なものまで買わされたものを料理の途中で持てあまして後悔するような、騙されているようなそんな釈然としない気持ちになる妖夢は、エリーから視線を外して遠く南の方角に目を向ける。
 博麗神社へ向かう人間の一団は、既に谷間を抜けて本陣山の裏側に入ったようだ。引き続き南側では里の傭兵団と東の人喰い妖怪が戦闘を繰り広げており、佇む妖夢には全て別世界の出来事の様に見える。
 自分が特別な存在などと言われてもピンと来ない。ただ、特別な人達と多く関わった事は間違いない。
「(死神か・・・。)」
 恩人の小野塚小町も死神だが、彼女は生きている人間には干渉しない。死者を相手にするのが生業で、エリーとは異質な存在である。
 それにしても、自分は死神の天敵なはずなのに、何故か死神に好かれているような気がしてならない。
 自分の恐るべき力が通じない相手に対して恐怖感を持つと考えるのは、当たり前の事ではなく自分の様な小者の思考から生まれる事なのだろうか?2人の死神は天敵であるはずの自分に好意的に扱ってくれる。
「(幽々子様も・・・。)」
 この時初めて幽々子の気持ちが理解出来た気がした。
 主は、力が及ばない蓬莱人藤原妹紅に対して恐れていると妖夢は考えていた。少なくとも自分が同じ立場ならそう思うはずである。
 幽々子の力は自分には及ばない。だから自分は幽々子を恐ろしいとは感じない。しかし、他の者はそうではない。皆幽々子を恐れている。
 生きとし生けるものの天敵である幽々子は孤独であり、彼女の力が及ばない者だけが彼女の友と成り得た。そう、幽々子は妹紅と友となれる可能性を見いだしていたのだ。

「(それなのに私は・・・。)」
 
 孤独な主の気持ちも顧みず自分の都合だけでを押し通した。自分は何と軽率で狭量なんだろう・・・。

 自分の恐ろしい部分を恐ろしく感じない相手こそが本当に自分を理解出来る相手になりうる可能性がある。自分が主と同じ、誰かの天敵であることを自覚した妖夢は、ここにきてようやく主と共有できるものを見つけた気がした。
 妖夢は戦場の奇妙な出会いの果てに、遠くにいる大切な人を身近に感じ、この異変に参加出来た事、そこに導いてくれた存在に感謝するのであった。