東方不死死 第72章 「女優退場」


 紅魔館3階東側の大部屋には、会議に参加する勇気のない野次馬妖怪が大勢たむろし、異変の成り行きを見守っていた。
 大部屋の東端を間仕切りして区切った細長い小部屋があり、今現在そこが異変の作戦会議室に割り当てられていた。
 紅魔館館内にはこのような細長い小部屋が隣接する中・大部屋がいくつか存在し、その特殊な間取りから催事等の準備、世話をする為の使用人が待機する支度部屋と思われる。
 館内には大規模なパーティーを開ける広い大部屋が幾つも存在しているが、現在の館の主の嗜好に沿わない過剰すぎるほど豪華な規模と内装で、更にそれが複数あるため管理する側としては大変な手間となっている。
 館の間取りや内装が今現在の情勢に相応しくない程豪華な造りになっているのには理由があったが、それを理解するには館の建設当時の情勢にまで遡らなければならない。
 500年前の吸血鬼戦争当時、吸血鬼は各血盟単位で独自に行動しており、戦争に明け暮れる吸血鬼の各血盟の有力貴族らの娯楽と親交、派閥間の駆け引きの場として、各勢力が日替わりで宴会を持ち回りしていた名残で、500年前、この周辺に林立していた貴族の館にはそうした大勢をもてなすための宴会場が館内に複数備えるのが当たり前だったのである。
 それも今は昔。現在の館の主は華美を好まず、会議が滞りなく運ぶ様、機能性と利便性を重視した結果、かつての使用人の控え室を会議室に選んだというわけである。

 大きな部屋の端を間仕切りされた様な細長い支度部屋は、使用人専用の通用口から廊下に出るが、この通路は大広間と繋がる廊下と交わらない、完全な使用人専用の通路で、来賓として招かれた客人の目には絶対に触れる事はない場所だった。
 しかし今、その使用人通路に賓客である2人の強妖怪が、館の全てを切り盛りするメイド長と対峙していた。


 紅魔館の主、レミリア・スカーレットの忠実な僕にして館の全てを取り仕切るメイド長を務める若干16歳の十六夜咲夜は、飾り気のない殺風景な使用人の専用通路の先に伏している八雲紫の元にゆっくりと歩み寄る。
「くっ!」
 咲夜のドッペルゲンガーに首をへし折られるという屈辱を受けた九尾の八雲藍は、命の危機に瀕して生存本能を活性化させると、怒りで溢れる出る妖力と併せて、その力を首の回復に回し、瞬時に身体を動かせる状態に立て直す。こんなことは妖怪の中でも上位の存在にしか出来ない芸当である。

 紫は主要能力であるスキマの力が失われてはいるものの、妖怪としての能力が消失しているわけではない。スキマは無くとも強妖怪として単独で十六夜咲夜に対応出来るはずである。しかし、これまでの度重なるアクシデントで精神的にかなり追い詰められ、更に自らを象徴するスキマ能力の消失がトドメとなって完全に戦意を喪失しており、普段の様な動きを期待することは出来ず、ここは自分が何とかしなければと藍は奮い立つ。

 九尾という最強クラスの妖怪でありながら、主の危機に力が激増する式神の特性をも持っている藍は、紫の危機に凄まじい力が発揮されるはずであった。
 しかし、先日博麗神社で起こった岩老刀事件で暴走し異形化してしまった際に、居合わせた鬼の伊吹萃香によってその異形化を抑えられた際、瀕死に近い手傷を負わされてしまったのである。
 先程、油断して力の源である九尾のうち三尾を咲夜に斬り落とされしまい、力が減衰しているところに更にドッペルゲンガーの追い打ち。紫の危機で上昇したせっかくの力も相殺されてしまい、思ったほどパワーアップが出来ない藍なのである。

 通路の奥に崩れ落ちている紫の行く手を十六夜咲夜と彼女と同じ姿をした謎の存在に遮られて迂闊に手が出せない藍。九尾としての能力制限を解除し最後の力を振り絞って異形化すればこの場を勝利で収める事は可能だろう。しかし、それをやれば内に秘める獣性が前面に押し出され、理性が飛んで無差別に攻撃してしまうので主まで危険にさらしてしまう。この狭い通路でしかも主がそばにいる状況で異形化など到底無理な話しであり、相手はそれを見越した上でここに誘い込んだのだろう。

 九尾相手に単純な力勝負では敵わないと知る十六夜咲夜は、狭い館内で物理的にも立場的にも自由に動けない状況に追い込んだ事に満足し、自分が優位に立っている事を殊更強調するように紫の元にわざと足音を大きく立てて近づいていく。
 伏せていた紫はその音に気付いて上体を上げ、床に崩れたまま両手で身体を支える様にして咲夜の方を向く。
 全てが紅魔館の望む方向に動いている・・・そんな人為的に生み出した様な流れを感じとった紫は、無駄に抗う事を止め相手の出方を窺う受け身の態度を取る。
 相手の行動に一定のベクトルが働く様に事前に根回しをして、自ら望んで行動する様に仕向け、コントロールするのが紫の常套手段で最も得意とするところであり、こちらが逆にコントロールされているとするなら、今は何もしないで相手の出方を見た方が得策である。
 異変の作戦を紅魔館側に打ち明けた際、彼らはこちらの案件を飲み正式に異変に参加する意思表示として、異変の首謀者を公式に認めた。しかし、彼らは他力本願の傀儡に成り下がる事をよしとせず、こちらに従う振りをして主導権を奪おうと虎視眈々とその時を狙っていたという事だろう。
 異変が名実共に紅魔館主導で終わる事はわかっていた。彼らがこちらの手綱で最後まで制御出来るとは思っていなかったし、最後まで手綱を握るつもりもなかった。
 何故なら天狗側に危険な異変の戦犯として吸血鬼討伐の大義名分を売り渡すつもりだったからだ。
 この結果はなるべくしてなったものだが、その過程でこれほどまで自分たちが打ちのめされるのは想定の範囲外だった。そこだけが解せない紫である。

 一時の屈辱を千倍返しの復讐の力に換えてやろうと、心の奥底に暗い炎が灯った紫に対し、十六夜咲夜は意外な行動に出た。
 目の前で片方の膝を折ると、主に傅く様に恭しくその場で首を垂れてみせたのである。これには流石の強妖怪達も予想外で思わず目を丸くした。
「・・・!?」
 まな板の上の鯉、どう料理されるのかと、自虐的に状況を楽しむ境地になっていた紫は、この咲夜の行動の意味が咄嗟に理解出来ず、通路の先に行く手を阻まれている藍と交互に視線を交わしながら、何とかこの行動の意味を探ろうとするも上手くいかず、ある種の恐怖を覚えた紫は気味悪そうに身体を少し引いて咲夜から遠ざかる行動を取る。
 戸惑う妖怪を尻目に右手を胸にあてて、片膝を折って大袈裟な礼をしていた咲夜は少し間を置いてから顔を上げる。
「紅魔館主催の異変が面白くなるのはこれからです。今後は全て我々にお任せ頂き、お二人は観客として我々の演じるショーをお楽しみ下さい。」
 咲夜は表情と口調を和らげ母親とはぐれてぐずる迷子の少女を安心させるように優しく語りかける。しかし、口調とは裏腹に痛烈な主役交代勧告ともとれる発言である。
「私は・・・何時からレミリア・スカーレットの掌の上で踊っていたのかしら・・・。」
 紫は咲夜の言で、単なる力に頼った主導権争いではなく、かなり深い所まで根回しをした計略ではないかと疑う。だとしたら、どこからどこまでが彼らのシナリオなのだろうか?今日は色々ありすぎて流石の紫も思考する気が既に失せていた。
 紫はこの紅魔館に有利な流れに途中から作為的なものを感じ、頭の片隅でそれを考えていたもののレミリアの変化に計画性が感じられず、警戒は警戒のまま確信に変わる事はなく今に至っていた。
「お嬢様は何も知りません。未だに貴女を心強い味方と信じて疑っておりません。」
「え?」
 紫はその言葉を聞いてこれまでのモヤモヤの正体を理解した。紅魔館が一体となって何らかの計画を進めていれば、ボロは未熟なレミリアから出てくると思いこみ、レミリア一人を警戒していれば問題ないと決めつけていたのだ。
 レミリアは事が始まるその時から、指導者としての資質を大きく問われるようなボロを出しまくり、その時点で紅魔館全体をレミリアと一括りにして烏合の集団と結論づけてしまったため、それ以上の突っ込んだ警戒を怠ったのである。
 しかし、彼らは紫の一枚上手を行っていた。主のレミリアがボロを出すと最初から想定し、それをむしろ囮にして密かに事を進行させていたのである。
 紫の犯したミスは、紅魔館がトップのレミリアを中心に彼女の利益の為だけに動く、有能だが融通の利かない無能集団と決めつけていた点である。

 ナイフを右手に構え藍の正面に立って一歩も前に進ませまいと仁王立ちする咲夜のドッペルゲンガーは、この時点で自身の役目が終わったとみて、鮮血の様な真っ赤な瞳を閉じて、そのままつまらなそうに通路の壁にもたれかかり、腕を組んで自分の前を通って構わないと藍に顎で指図する。
 その尊大な態度に憤りを覚える藍ではあったが、ここで問題を大きくする愚を避け、大人しくその前を彼女の一挙手一投足を警戒しながら通り過ぎ、咲夜の背後、時間を止められる前に殺せる間合いに忍び寄る。
 咲夜はその動きを背中で感じ、紫はその様子を視線を動かさずに追いながら話を続けた。

「では、貴女は主に背いて独断で?」
「私は、お嬢様の忠実な僕ではありますが、単に隷属するだけの下僕ではございません。」
 咲夜はそう言って背後にいる九尾の藍に意識を向け、紫という主に仕える藍とレミリアに仕える咲夜は同じであり、主の為に心を砕き、必要があれば叱り、道を誤らない様に導くのが役目と暗に主張する。
「なるほど・・・貴女と、そしてあの魔法使いが黒幕ね?」
 咲夜のこの動きは単独行動ではなく協力者や背後に黒幕がいると勘ぐり、会議の途中、突然存在感を顕したパチュリー・ノーレッジが共犯の主犯格と断定する。しかし、咲夜はそれでは50点だと出来の悪い生徒を諭す様に首を振る。
「私達は今、藤原妹紅の命に従い行動しております。」
「え?妹紅の?ま、まさか!」
 紫はここで、聞いてはならない同盟者の名前を聞き心臓が飛び出る程驚いたが、ふと、これまでの予定の狂いには必ず妹紅が関わっていた事に気付き驚きが戦慄に変わる。

 今回の異変を一つの絵として表現するなら、八雲紫とそれに与する勢力によって吸血鬼が蹂躙される構図が当初の計画のイメージである。
 その完成品のイメージをパズルの様にバラバラにして、異変の進行と同時にもう一度組み立てていく簡単な作業であるはずだった。
 しかし、蓋を開けてみると、異変にキャスティングされた人物のピースがなかなか所定の位置にはまってくれずに、特に妹紅のピースが全くはまらず、レミリアに至っては途中で形や大きさまで極端に変化してしまった。そんな状況にもかかわらず紫は完成品のイメージを忠実に再現しようと子どもの様に無理矢理ピースを押し込んでいたのだ。
 咲夜が言うように妹紅が紅魔館と連帯しているという構図でパズルを組み立てていくと、綺麗にピースがはまっていく。
 その絵の構図は当初の予定とは全く違う、妹紅の手のひらで紅魔館の奏でるリズムに乗って踊り狂う、八雲一家というものだった。

 妹紅の神聖な会議を汚す粗暴な振る舞いと主催者であるレミリアを滅多打ちにした蛮行。更に霊夢や四季映姫、文屋の鴉天狗に働いた狼藉の数々。そして、ひ弱な魔法使いの突然の存在感。レミリアの覚醒と十六夜咲夜の恐るべき成長。風見幽香の単独パフォーマンスにも裏で関わっていたのだろう。これらは全てこちらのではなく、妹紅の計画の一環として意図的に行われていたのだ。
「ええ。藤原妹紅は幻想郷に存在する全ての勢力のそれぞれの企みを巻き込んだ、自らが描いた異変のシナリオを遂行しております。そして、紅魔館はそれを支持し協力しているのです。」
 驚愕のあまり目が泳ぐ紫は、小刻みに震える両手で顔を覆う。そして次の瞬間、咲夜に掴みかかり血走った魔物の様な目でその細い首筋を前後に激しく揺さぶりながら問い始める。
「このまま行けば幻想郷は滅んでしまうわ!妹紅は幻想郷を滅ぼそうとしているの?」
 例え妹紅の計画が自分の計画とは違っていても、結果が同じであれば敢えて責めはしない。しかし、この今の状況、あらゆるスケジュールが圧している現状を見れば明らかに幻想郷を殺しにかかっているとしか受け取れない。
 例え過程に違いがあっても結果が同じならば問題ないと思っていた紫。しかし、自らの描いたシナリオの結末と妹紅の描いたシナリオの結末が一致していない恐れがある事を知り冷静でいられなくなる。
 咲夜は半狂乱となった紫にされるがままに体を前後に揺らされていたが、時間を止めて紫の背後に回る。突然手の中から消えた咲夜を揺さぶる動作を空振りさせた間抜けな妖怪を尻目に、向き直る紫と確殺の間合いから動く気配もなく一瞬で消えた咲夜に驚く藍に、首を横に振って抵抗しても無駄だとおしえる。
「私達、つまり藤原妹紅の未来は幻想郷と共にある・・・とだけ言って置きましょう。実を言うと私にも藤原妹紅が今何をしているのか、これから何をするのか分かりません。ただ、結果幻想郷は滅びないという確信はあります。」
「具体的な事を何も知らずにお前は妹紅の言いなりになっているのか?何という愚か!」
 精神異常者の様になってしまった紫を背後から優しく支えている藍が主に代わって詰問する。
「少なくとも結果として幻想郷が救われるのは間違いないでしょう?」
 何の確証もないのにさも当然の様にいう咲夜。当然納得出来ない藍。
「何故そう言い切れる?」
「そもそも幻想郷を滅ぼしたいのなら、彼女なら何時でもそれが出来たでしょう?」
 今現在外で起こっている不死鳥の転生。結界の外は既に数億度に達しており、神様の助力を得た霊夢の結界が無ければ幻想郷の大地は間違いなく焦土と化している。そして、この力を妹紅は特別な制限も無く自在に行える事であり、そんな力を持っていながら、最近までその存在が知られていなかったのである。
「しかし、ヤツには不死人狩りに対し、少なからず我々やお前達、いや、もっと大勢の妖怪達に恨みがあり、復讐の理由は十二分にあるはず。しかもヤツは妖怪狩りのプロ。さらに向こうでは数十万人を虐殺した穢れに満ちた凶悪な殺人鬼!異変解決と見せかけ皆に期待をさせておいて直前で裏切り、我々を嘲笑いながら復讐と殺戮の欲望を成就させるはず。いや、間違いなく奴はそうするだろう!お前達はヤツの本質を知らないのだ。」
 藍の藤原妹紅に対する怨念にも似た負の感情丸出しの発言を受けた咲夜は、自分達も不死人狩りに一枚噛んでいるだけに、その九尾の言に一理ある事は認めざるを得なかった。永夜異変後の不死人狩りの際には、主レミリアと共に自分もそれに参加しており、更にフランドールも参戦して妹紅を何度も破壊している。つまり、紅魔館も同罪で恨まれて当然、今回味方だと思わせて裏切られるという藍の言葉には説得力がある。
 しかし、吸血鬼戦争まで遡る魅魔と紫の因縁、全ての元凶を断に幻想郷の正常化の為、文字通り身を砕いて己を捨てて動いている妹紅を知る咲夜としては、藍の言葉こそ誤解というものである。藍は人間の心を知らないのだと、先日人間性を取り戻した咲夜が心の中で反論した。
 咲夜は何も知らない藍に敢えて事情の説明はせず、彼女の言葉に一定の理解を示す態度だけを見せ、数秒間目を瞑った後、藍、そして紫に視線を巡らせ、紫が対話出来る状態でないことを確認すると再び藍に向き直り、これまでの会話を一旦切り話題を変えた。

「私は数年前幻想郷入りし、レミリア・スカーレットという生き甲斐を得ました。」
 咲夜が顔を横に曲げ少し遠い目になる。
 急に自分語りを始める咲夜に意表を突かれて文字通り狐につままれた様な顔をする藍。紫も咲夜が話をの切り替え場の空気を換えた事で気持ちが切り替わり、話しに意識を向ける。藍はこのまま相手に主導権を握らせたまま話を聞くべきか困惑するが紫に回復の兆しが現れたのでそのまま聞くことにする。
「幻想郷に来る以前の私は、人殺しの道具として育てられ利用されましたが、何も知らない私にしてみれば食べるのに困らずそこそこ幸福な人生だっといえます。しかし、その最後は無惨なものでした。」
「・・・。」
 咲夜が幻想郷入りした当時は魅魔の統治下にあり当時八雲紫は休眠中であった。そして自分の知らない時代の幻想郷について語ろうとする咲夜に否応なしに興味が湧く紫。
「時間を止められる能力が発覚してから、私は様々な実験のモルモットにされ、人間としての自分はそこで終了していたはずでした。」
 当時は時間を止める能力と自分でも思っていたが、今はその正しい能力の詳細を知っている咲夜。
「その時幻想郷入りしたのか?」
「はい。」
「・・・。」
 鬼子として生まれ若くして亡くなった最愛の少女の記憶が蘇る紫。咲夜の能力は幻想郷では『有り得る』ものであったが、向こうの世界ではそうはいかないだろう。
「今ここで、こうして人並み以上の生活が出来ている事に私は感謝しております。そして、この世界を創造してくれたあなた方にも・・・。」
 藍には敵対心を下げるための誉め殺しに聞こえる咲夜の自分語りだが、西行寺有子の様な鬼子が天寿を全う出来る場所、それをモチベーションにして自らの意志で幻想郷を創った紫としては、全ての苦労が報われる嬉しい話であった。

「藤原妹紅も同じではないでしょうか?根元的な部分に何物にも代え難い大きな感謝の心が彼女にもあるはずです。私が向こうで生きていた時代に不死人が安楽に暮らせる場所などあるわけがありませんし、隠れて住むにも情報化された世界は狭すぎます。」
 咲夜の話に感動している主を尻目に、良く回る舌だと感心する猜疑心に満ちた冷静な九尾藍は、幽々子の前世である西行寺有子の死後目覚ましく進歩する紫を思い出し複雑な気分になっていた。

 周囲を不快にさせるだけの気持ちの悪い妖怪でしかなかった当時まだ名も無かった八雲紫の、その高い知能に気付いて子分にして側においた『御乱』という名の九尾は、強妖怪でありながら武に頼ることを好まず、脆弱な肉体でありながら知恵を絞る人間に興味を示して繋がりを持ち、独自のコミュニティを形成していた。その中で妖怪と積極的に交わろうとする知識欲旺盛な博麗一族とは長く友好的な関係にあった。
 手に入れた不思議な妖怪を博麗神社の当時の神主に紹介した時、この妖怪の持つスキマの力に無限の可能性を見いだした博麗一族は、彼女を引き取りたいと九尾に申し出、あくまで所有権は自分にあるという事を了承させた上で『貸し出し』を許可し、この時八雲紫と名付けられた妖怪は神社で修行することとなった。
 主である御乱に対する恐怖心で本能から生じる負の欲望を抑えられていた紫は、抑止力となっていた主から一時的に解放され、勝手気ままを始めようとしたものの、博麗神社から御乱の時よりも厳しい制約を受け、その結果何度も衝突することになる。そしてそうした衝突の中で自分でも知らなかった力を無意識に引き出され、妖怪として急激に成長を始める。
 ストレスから解放される為に創意工夫をする事を覚えた紫は、そこで一回目の覚醒を果たし、本能を理性で抑える事を覚え生き物としてのランクを引き上げ、自分の能力を客観的に理解して、その可能性を試してみたいという高度な知識意欲が生まれた。そこから急激に進化した紫は、異様な気を放つ小汚く不快な少女の姿から今現在の紫とほぼ同じ背格好に肉体的にも成長する。
 そんな中、博麗の下で扱き使われ、渋々言うことを聞いていた紫は、成長に伴って膨らんだ自尊心を刺激され、自分が博麗よりも上位存在に取って代わろうと考え始め、博麗神社に対して謀反を起こしてしまう。
 しかし、強妖怪としての地位を獲得し無敵を誇っていたにもかかわらず、神の力を行使する博麗に勝てず劣勢を強いられる紫。起死回生を図る紫は、スキマで世界各地を見て回った際に見つけた巨大な悪霊を博麗にぶつけて共倒れさせる事を思いつき実行に移すものの、呼び出した悪霊に逆に殺されそうになるという絶体絶命の危機に陥る。
 敵対していた紫の窮地を救った博麗神社の神主は、夥しい犠牲を払いながらも、巨大な悪霊を説き伏せ怨念を祓い落として正常化させる。
 その奇跡を間近で、ただ震えながら見ているだけしか出来なかった八雲紫は、遂に博麗神社に対して心服し完全服従を誓い、以後逆らう事なく真面目に修行に取り組む様になったのである。

 異世界を創り出す『幻想郷理論』とそれを現世から隔離する『幻想郷隔離計画』、そしてそこに有能な者だけを選んで移住させる『幻想郷移住計画』は、元々は博麗一族のアイデアであり、八雲紫はこの三位一体の『幻想郷事業』の中心的人物で彼女なくして為し得ない事業だった。しかし、末法以前の妖怪優勢の当時の現状にそれほど不満のない紫にはそれを自らが主体になって推し進めようとする動機が明らかに不足しており、博麗神社の神主の世代が替わる毎に、同じ事の繰り返しになる幻想郷事業に次第に熱が入らなくなり、決して神社を軽んじて怠けていたわけではないが、人間の寿命が追いつかず物理的に修行が捗らなくなりはじめていた。
 肉体の死が直接個体の完全なる死に直結しない高い地位にある妖怪と違い、人間の寿命はたかだか50年前後で、死ねば輪廻に旅立ち現世に戻るまで数百年はかかる。更に能力的に最も油の乗る成熟期が数年から十数年と異様に短く、直ぐに死んで代替わりしてしまう。神主の能力にもその時代時代でムラがあり、紫を超える能力を持つ者は数世代に一人で、そうした類い希無い能力を持って生まれた麒麟児の元でしか紫の幻想郷事業は進められなかったのである。

 完璧な存在である妖怪と、不完全な存在である人間の境界を取り払い、妖怪でありながら不完全となった八雲紫は、人間性を身につけ精神面に脆さを持つという妖怪として致命的ともいえる弱点を得てしまう替わりに、不完全故に無限の伸びしろを獲得した。修行によって際限なく能力が伸びる紫は、やがて主である九尾の御乱をも越え、抗う事も出来なかった悪霊魔導師とも互角に渡り合えるようになる。

 しかし、強くなるにつれ自身に欠損している何かを感じはじめ、それを探しに世界中を旅し、月の世界に当時まだ理念としてしか存在しなかった幻想郷と同じ様な世界があることを探り当て、そこに半身とも呼べる自分の妹を発見して連れ帰る事に成功する。ここから紫と月の因縁が始まり、雲を掴むような幻想郷計画の骨格が月の世界を参考として朧気ながら見え、それと同時に自分達よりも遙か昔からこうした世界を創っていた高度な月の文明に対して強いライバル心が芽生えたのである。
 妹八雲藍との『初めての再会』、その後、西行寺有子との悲しい別れを経験し、大切な存在を守れる自分達だけの世界を切実に欲する様になった紫は更に修行を重ね、自分達コミュニティの中心である穢多の部落から始まった博麗の里周辺を結界で隔離し、仮の幻想郷として計画の第一歩を飾る。
 そして、西行寺幽々子と名を変えたかつての友人に預かっていた心を届け新たな交友が始まり、その頃紫は心身共に絶好調の中にあった。
 その絶好調の最中にあって、大きな力を付けた紫の元に多くの強妖怪が集まり、小さな八雲一家は巨大な派閥に膨れあがっていた。
 人間と同じ精神的な脆さを持つ紫は、時世が味方していると勘違いして増長の極みにあり、藍や魅魔などの諫言に耳を傾けず、自分に都合の良い進言だけを受け入れ膨れあがった自尊心と軍事力の矛先を月に向け、そこを幻想郷にしてしまおうと短絡的に考え侵略戦争を始めてしまう。
 これが月面戦争である。
 当時まだ無名だった風見幽香の覚醒とその活躍でなんとか全滅を免れ、更に一矢報いて地上妖怪の面目を保ったものの、敗軍の将である紫の面子は丸潰れ、責任を問われて派閥長の座から転落する。ここで漸く本来の自分に戻った紫は猛省して妖怪世界の表舞台から去って隠棲し、博麗神社と共に幻想郷事業に専念することになったのである。
 そして紫の替わりに派閥の長になったのが最強の能力を持ちながら平和主義者として知られ人望があった紫の妹の八雲藍である。

 八雲一家の大敗北と派閥の縮小に合わせるかのように聖白蓮の派閥が妖怪世界の一大派閥にのし上がり、末法期であることも手伝い彼女の唱える人間と妖怪の融和を謳ったユートピア思想が蔓延し、幻想郷計画は次第に忘れられてゆく。
 武士の台頭や法界の勢力拡大によって妖怪世界は次第に疲弊し始め再び幻想郷計画が再認識されるのは国内妖怪の最後の砦であった八雲藍の死後の事で、月面戦争より約400年後の事である。


 藤原妹紅が裏切っていないという根拠を『幻想郷に対する無類の感謝』として嘯く咲夜。人間の心を持つ紫には心擽られる話だが、純粋な妖怪であり、人間としての妹紅を信用していない九尾藍としては、その咲夜の言葉は妄言にしか聞こえなかった。人間性を持つ特殊な妖怪である主は騙せても自分は騙せないと、藍はあくまで妹紅が裏切って幻想郷を滅ぼすシナリオを捨てない。
「このままお前の言葉を信じて何もしなければ、『万が一』妹紅が裏切った時は全て滅ぶ事になる。」
「『万が一』妹紅が幻想郷を滅ぼすとして、ならば貴女達は今どう対処しますか?」
 スキマが消失した以上、打つ手無しである。不死鳥転生の浄化の炎はこのまま自然鎮火を待つしかない。この炎が数時間で収まるならともかくこのまま何もしなければ数年、いや百年単位の時間を要するのではないかと思われる。仮に結界を100年維持出来ても、落下する要塞の核はあと1時間ほどで頼みの綱である結界を突き破ってしまうだろう。もはや幻想郷を切り捨てて逃げ出す事しか出来ない藍としては、咲夜の問いに逃げるという選択以外の代案はないと主張する。
「幻想郷を捨て、紫様の力が戻った折りにはまた新たな幻想郷を構築するまでのこと。」
 幻想郷再構築。それは容易な事ではないが不可能ではない。藍は敢えて簡単に出来そうな口振りで煽って見せ、幻想郷に取り残される咲夜の顔色がどう変わるか意地悪くうかがう。
 咲夜は幻想郷の再構築が出来るかどうかの問題以前に、スキマが消失した状況でどうやって外に脱出するのかが気になるところであった。旧地獄や冥界なら歩いて行けるが、他に瞬時に簡単に移動出来る手段があるのだろうか?
「(そういえば・・・。)」
 妹紅がラーニングしたスキマ移動の巻物を思い出した咲夜は、同様に外に出る為の巻物も存在しているのだろうと、藍の余裕の根拠を見抜く。
 スキマによる退避であるなら、それは一瞬で済む事であり、ならばギリギリまで幻想郷に留まる事が出来るはずだ。
 妹紅が盗んだスキマと魔理沙を利用した奇跡のフィナーレと終劇に立ち会う時間的な余裕は十分残されているはずである。その瞬間に立ち会った九尾がどんな顔をするのか興味が湧いて、心の中で邪悪な笑みを浮かべる咲夜。

「幻想郷を去るのは一瞬で済むのでしょう?では、それまでの時間、紅魔館主催の異変と言う名の演劇を存分に楽しんで行かれたらどうです?最期の想い出として・・・。」
 紫の力が失われていても、その力が既に付与されているスキマの巻物は紫の状況に関係なく有効に作動する。それを使えば幻想郷脱出は容易で、今すぐ行動しなくても要塞のコアが結界を突き破るまでの約1時間は余裕を持って留まる事が出来るであろう。咲夜の言う通りもう少しこの状況を楽しむのも悪くないのではないか?いよいよ幻想郷の最期となった時、この澄ました小綺麗な顔がどう変化するのか楽しみでもあり藍は咲夜の提案に乗った。
「悪くない提案だな。で、お前等は具体的にどうこの異変を解決するつもりだ?」
 自分達の方針が決まった藍としては、もはやこの幻想郷がどうなろうと関係なかったが、どんな手品で幻想郷を救うつもりなのか興味が湧いてくる。
「ショーを楽しむ秘訣をご存じありませんか?」
「種明かしを先に聞くのは流石に野暮と言うものか・・・。」
 咲夜の言はもっともだと大人しく引き下がる藍。
「あの黒い魔法使いの事はどうするの?」
 これまで2人のやりとりを黙って聞いていたショックから持ち直した紫が、結界の中に取り残され犠牲になった尊い命をどう会議のメンバーに説明するかを尋ねる。紫らの中では魔理沙は状況的に蒸発して消えて無くなっているという認識で、咲夜に従ってこのショーを楽しむにしても、魔理沙の生死の是非によってシナリオは変わってくるはずである。
「そうですね・・・生きている事にして話を進めましょう。」
 実は魔理沙は『まだ』生きているが、彼女を生かしている人物はトップシークレットなので、咲夜も状況的に魔理沙が死んだと共通認識で話しを進めるしかない。その上でスキマの力は未だ有効で魔理沙は未だ存命という嘘で会議の参加者を大人しくさせておくのが得策だと考える。
 会議には魔理沙に縁のある河童と人形使いがおり、更にフランドールやパチュリーなども魔理沙と強い繋がりがある。死んだとことにするシナリオを選択すれば面倒なリアクションがくるのは必至である。
 裏の事情を全て知っているパチュリーは特に問題ないだろうが、魔理沙が死んだこととした場合、彼女がどうリアクションをとるのか興味があり、恐らく語りぐさになってしまうであろう彼女の幻の名演技を想像し可笑しくなって笑いを堪える咲夜。


「それでは、私は先に戻っております。頃合いを見てお戻り下さい。」
 幻想郷が滅ぶか滅ばないかは別として、それがわかるタイムリミットまで八雲紫と藍を共犯という扱いにし、今後の会議での立ち回りで口裏を合わせる確約をとった十六夜咲夜は、それ以上の質問が無いことを確認してから一礼して来た道を戻り始める。
 先程この通路に入ってきたドアの前で止まった咲夜が、もう一度紫等を見て深々と頭を下げるとそのまま姿が消える。
 先程までいたもう一人の咲夜が居ない事に2人の妖怪は同時に気付くが、その事はあまり気に留めていない。
 ドッペルゲンガーという存在に既に予備知識があった2人としては、先程の咲夜の分身もそれと似たような存在だと認識しているのだ。しかし、どのように発生して今に至るかまでは流石に分からなかった。ただ一つ分かる事は、今ここで話しをしていた人物は、自分達の知る以前の十六夜咲夜ではないということである。
「全く人間というものは・・・。」
 咲夜の姿が消えた通用路に佇む八雲紫の斜め後ろで苦々しく吐き捨てる藍。
「藍・・・本当に幻想郷を去らねばいけないの?」
「不死鳥に浄化されるのはそこに住まうゴミ共だけです。幻想郷の土台が無くなるわけではありませんし、能力が単純に倍化した今の紫様にはこの幻想郷はもう小さすぎます。この際ですから今の幻想郷は一旦リセットし、月の世界にも劣らない、誰にも制約されない新たな幻想郷を創りましょう。」
「・・・そうね。何れはそうしなければならないし、いい機会なのかもしれないわね。」
 大言を吐いて主を勇気づけようとする藍の心情を察して笑顔を振り絞る紫。藍の言うとおり妹の力を取り込んだ今の自分ならもっと大きく、そして完璧な世界を構築する自信がある。しかし、だからといってこの不安定で未熟な小さな幻想郷を切り捨てる事にはやはり抵抗がある。
 藍はそんな主の揺れる心情を察し、この異変で巻き添えとなる異世界の住人達の退去に気を回す。
「幽々子や四季映姫など冥界の者には関係ない事です。ちょうど居合わせておりますし頃合いを見て彼らを先に冥界に送りましょう。」
「・・・そうね。私達もその時一緒に移動しましょうか。しばらく白玉楼にでも逗留して休みましょう。」
 紫の力ない笑みに僅かに優しい空気が漂い安心する藍。この時、幽々子の従者魂魄妖夢の事はすっかり頭から抜け落ちている2人。
「では、幽冥結界を経由しましょう。あそこが白玉楼に一番近いですから。」
 藍はそう言って幽冥結界行きのスキマの巻物を探し、懐をまさぐり始める。
「これでしょ。」
 紫が妹紅に盗まれた事に気付いていない同じ巻物の予備を渡す。
「ああ、そう言えばこの前妹紅を白玉楼に案内する時に・・・。」
 三賢者会議に妹紅を案内する際に使用してしまった為、同じ巻物のストックが無かった事に気付く藍。紛失や盗難の恐れがゼロというわけではないので、いつでも戻れる帰還の巻物以外、予備は与えていないのである。
 手渡された巻物を懐にしまいタイミングを見計らって幽々子ら冥界の住人を連れ出す計画を立てる藍。
 先程の妹紅が裏切っていないという咲夜の話は個人的には有り難い事であったが、スキマが消失した今、この状況を挽回出来る方法はもうない。未練はあるが幻想郷はもう諦めなければならない。せめて大切な友人達が巻き添えにならないようにしなければならない。
 紫もここに来てようやく腹をくくり、そして同時に重責から開放されて気持ちが楽になった。

 博麗神社の存在が幻想郷構築の鍵となっていたこれまでの仕組みはここで潰える事になるが、今の紫にとって博麗の存在はただの足かせでしかない。いずれどこかで旧幻想郷と離別しなければならないと思っていただけに、その時が今なのだと自分に言い聞かせる紫。
「(霊夢・・・ごめんなさい。)」
「それにしても、何故スキマが・・・。」
 状況を動かす立場から開放された藍は、今後の反省とするため、不明点の解明に入る。
「・・・妹紅が滅びの道を選択したと言うのなら答えは簡単よ。スキマ爆弾を不死鳥の浄化の炎以外の方法で爆破させたのよ。」
「はっ!そう言えば魔理沙が魔法を撃つ瞬間・・・。」
 呪文に反応して魔理沙の身体に貼り付いていた呪符の一枚が、ミニ八卦炉の先端に滑り込んで、その後に魔理沙との交信が途絶えた事を思い出す藍。
「やはり・・・。」
 紫は妹紅にスキマ爆弾を渡す時の事を思い出し、魔理沙の安全祈願と称して体中に貼り付けたお守りの呪符に細工していたことを何の疑いもなく眺めていた事、この油断が命取りになったと今更ながら知る。
 藍に言わせれば『紫様は甘い!』と言う事になるが、これまで信用した対象にここまで見事に裏切られたという記憶がない。妖怪ではあるが人を見る目だけは人並み以上にあると自負しているだけに、この結果は堪える。
「スキマが働かない以上、あの不死鳥の炎を外に逃がすことは出来ません。あと1時間もすれば要塞コアが結界にぶつかりますね。そうなれば・・・。」
「霊夢の結界は不死鳥の浄化の炎の様な霊的な力を帯びた存在には無類の力を発揮するけど、物理的なものを防ぐ硬度は恐らくないわよね。」
 神の力でパワーアップした霊夢の結界なら防げるかもしれないが、そのことを知らない2人。
「直径数キロの高密度の物体が加速しつつ高速で落ちてくるのです。それを跳ね返す強度を得るとすれば、今空にあるあの結界は、高密度な物質で総質量が天体クラスになっていなければ到底無理です。それを支える支柱もない。仮に重力を遮断して浮いているのなら、衝突の力で結界ごと押し下げられ幻想郷の地表全てを結界が磨り潰す事になるでしょう。何れにしても幻想郷が物理的に大きな被害を被るのは必至です。」
 いつも通り冷静な藍だが、語気が荒く怒っている様に聞こえる。実際腹立たしく、終始余裕の表情だった咲夜や不覚をとったドッペルゲンガーの顔を思い出すと腑が煮えくりかえる。
「・・・。」
 咲夜のあの態度は、明らかに勝算有りからくる余裕だろう。しかし、どう思考を巡らせてもこの土壇場をひっくり返す秘策などどこにも見あたらない。しかし、あの余裕の態度が気になって頭から離れない。
 怒気を吐き出した後、紫に倣う様に押し黙り下を向く藍。
「とにかく、考えるのは止めましょう。彼らのショーとやらを今は楽しみましょう。ね?」
 手をパンと叩いて藍の思考を遮り、客席に戻る事を提案する紫に大人しく藍は従う。
「お手並み拝見・・・だな。」


「おおおおーーい!スキマババアァー!」
 何度も紫の名前を呼び、応答がないので禁句を叫んで強制召喚を試みるも見事に失敗する黒い魔法使い霧雨魔理沙は、数億度の獄炎の中でしぶとく生き残っていた。
 マスタースパークを放つ瞬間、妹紅の呪符の一枚がミニ八卦炉の手前に滑り込むと、何か小さな袋の様な物に変わるのを見たが、咄嗟に止める事も出来ずそのまま魔法に巻き込んで消し飛ばしてしまった。その直後に衣服に大量に貼られた妹紅の呪符が発動し、どこから出てきたのかゼリー状の液体の様な物質と混ざり合って、自分を中心に球形の壁を形成したのだ。
 これが無ければとっくに消し炭になっていたところだろうが、何故紫のスキマの防御壁が消えたのか分からない。こうなることが初めから想定されていたなら事前に説明されているはず。何か突発的な事故に伴って自動的に安全装置が働いた様に見えてしかたがない。だとすると、これはかなり大変な事態ではなかろうか?
「暑いよー魔理沙ぁー。」
 背中にくくりつけていた氷の妖精チルノが、明らかにバテた口調で魔理沙に苦情を訴える。
「確かにムッとしてるけど、それほど暑くはないんじゃないか?」
「いや、すごく暑い!」
「むー・・・あ、そうだ!パチュリーのお守り貸してやるよ。」
 魔理沙はパチュリーから貰った、いや借りた炎熱を防ぐ魔法のお守りを背中のチルノに手渡す。
「うわ、アチー!」
 お守りが手から離れた瞬間、今まで感じていなかった暑さが突然襲って来て、思わず大声を上げる魔理沙。それと同時にチルノは体感気温が急激に下がり嬉しそうに冷気を放つ。
 この空間内の温度は既に30℃を越えている様に感じる魔理沙は、今自分たちが置かれている状況がかなりやばいことを改めて認識する。
「ま、マジかよ・・・。」
 暑さによる脂汗が冷や汗に変わるのにさほど時間を要する事はなく、チルノとくっついている背中だけが異様に冷たく感じる。
 丸い球形の呪符の張り子の中で足を着けて立っていた魔理沙は、足下がジリジリと熱くなってきている気がして、逃げるように箒に乗って宙に浮かぶ。
 先程の紫の空間は重力が無く天地左右がわからなかったが、紫の姿の九尾の藍が直接ナビゲートしていたので特に不安はなかった。しかし、今はここがどこなのかどこを向いているのかすら全く分からない状態である。空間移動してどこか知らない場所に移動しているわけではなく、引き続き同じ場所だろうと確信はしているが、それを証明する材料は全くない。一つ分かるのは、高温の世界でかろうじてその熱を防いでいる妹紅の張り子の中にいるという事だけである。

「くそ!出口はどこだよ!」
 どこをどう飛んでいるのかわからないが、どこかに出口がないものかと彷徨う魔理沙。重力を感じないので飛んでいる実感がなく、本当に飛んでいるかも分からない。完全に外が見えない空間で、相対的に自分の位置を計る目安がない。仮に外が見えていても先程と同じまっ白の空間なら同じ事である。
「やばい、私・・・死ぬのかな・・・。」
 確実に上昇している室温に比例してどんどんと膨らむ死の恐怖。
「うっ!」
 死というものを意識した魔理沙は突然強烈な頭痛に襲われる。しばし、頭を抱えていた魔理沙は急にすっきりして顔を上げる。
「あ、あれ?私今何をしてたんだっけ?」
 死の恐怖を一瞬で忘れてしまう魔理沙。これは魅魔の呪いの一環で、自分が一度死んだ事を思い出さない為に、死を意識した瞬間にそれを忘れさせようと激しい頭痛を発生させるのである。魅魔はそれ以外にも魔理沙がその時の記憶を思い出さない様に様々な仕掛けを魔理沙に施していた。
「魔理沙ぁー暑いー!」
 耐炎熱のお守りも効果は未だ変わらず有効だが室温が上昇し相対的に効果が薄れてくる。元々熱に弱い氷の妖精チルノはすぐに根を上げ始める。
「我慢しろよ!こっちはもっと暑いんだ!」
 ぜーぜーと大きく呼吸しながら魔理沙は冷却装置のチルノによって何とか涼を得ている状態で、チルノの存在が命綱になっていた。もしチルノを連れてこなかったら今頃どうなっていただろうか?寒気がする。
 大量の汗が噴き出して頻繁に目に入ってくるのでそれを袖で拭う。服を脱ぎたいがアリスがチルノを固定するためにしっかりと紐でお互いを結わえ付けていたので、脱ぎたくても脱げないし、冷却装置が身体から離れるのは得策ではないと現状維持を最良とした。
 片眼に汗が入り染みるが、もはやぬぐうのも面倒でそのまま飛行し続ける魔理沙。大量の汗がチルノによって冷やされ背中がとても冷たく気持ち良かったが、次第にその冷たさが和らいでいく。このままだと自分より先にチルノが溶けてしまうかもしれない。
 何度も何度も死を悟っては頭痛に襲われ、何が何だか自分でも分からなくなり、意識が朦朧としたまま条件反射的に後ろで苦情を漏らすチルノをなだめている魔理沙。
 どれくらいそうしていただろうか?
 突然胸に貼られたまま残っていた妹紅の呪符が発動し、閃光を放つ。
「うわっ!」
 暑さによって体力を奪われ緩慢になっていた身体も、この突然の閃光には機敏に反応して腕で光を遮る動作をとる。背中のチルノはほとんど虫の息で、この突然の閃光に全く反応していない。
 閃光は一瞬で収まったがその光源だった呪符は既に跡形も無く消え去っており、替わりにその呪符のあった胸元から禍々しい黒い帯状の何かが大量に溢れ出していた。
「あ、あわわわわわ!な、なんじゃこりゃー!」
 血が噴き出している様に見えた魔理沙は咄嗟にそれを手で押さえ止めようとしたが、隙間を縫うように止めどなく溢れ、勢いは収まるどころか増している様に見える。
 人間の血液は赤いが、妖怪や妖精はその限りでは無いことを知っている魔理沙。この黒いものが血だとするなら自分は一体何者なのだろうか?人間の魔法使いと他からは言われているが、自分自身あまり自分が人間であることを強く意識したことがない。いつの間にかアリス・マーガトロイドのように妖怪化していたということだろうか?
 自分が既に人外となって流れている血液がたとえ赤くないとしても、ある意味しょうがないと何故か諦めの境地になる魔理沙だが、よく見てみると胸に傷も痛みも無く、手も黒く汚れていないので、自分の血液ではないと確認する。そもそもこれは液体ではなく黒い帯状の薄い布、あるいはゴムの様に感じる。少なくとも液体ではないようだ。
 時々、身体の内側で何かが蠢く脈動を感じるが、それは自分の心臓とは別の位置から感じる。その脈動は最初は気付かない程小さなものだったが、次第に大きくなり、やがて身体が大きく波打って視界が歪む程激しくなっていく。
 まるで走馬燈の様に記憶の断片が頭の中を通り過ぎ遠ざかっていく様な不思議な感覚に襲われる。いや、良く見ると遠ざかっているのはなく、遠くにある記憶の断片が自分の在るべき所に戻って来ているのだ。
 記憶にない光景が目の前を通り過ぎ自分の中に入ってくると、それは確かな記憶となって蘇り自分のものとなる。
 失われた記憶が断片が次から次へと押し寄せ再構築されていく。
「わ、私は・・・ぐあああああああああああああぁぁぁっ!」
 これまで経験したことのない激しい頭痛が押し寄せ、絶叫を上げて頭を抱える魔理沙。
 突然何かが切れる様な凄まじい音が鼓膜を叩く。生きている人間の手足を強引に引きちぎった様な無慈悲で無惨な断末魔の様な音だった。
「はっ!」
 突然頭痛から解放された魔理沙は、身体を仰け反らしそのまま気を失った。
東方不死死 第71章 「スキマ消失」


 新聞報道などで事前に情報を得ていなかった幻想郷東端部に生息する人喰い妖怪達は、天から墜ちてくる鋼鉄の重い恐怖に耐えられず暴走し、それを煽動する闇の勢力に率いられ、最期の晩餐にありつこうと西征を開始した。
 恐怖に駆られた人喰い妖怪達の突然の、そして無秩序な侵攻に対し、それを迎え撃つ妖怪達は『偶然』別の用件で傭兵団を多数組織していた事が幸いして突発の事態に即応する事が出来たが、数に物を言わせた広範囲に及ぶ物量作戦を前に後退を余儀なくされていた。

 戦闘が開始されて3時間後、主戦場となっていたマヨヒガ周辺地区の戦線崩壊の危機に、天狗堕ちし今現在フリーランスで活動する幻想郷最西端に隠れ住む猛者達が南部の敵軍の囲みを強行突破してマヨヒガ傭兵組織群と合流。更に東側に突出していた人間の里の傭兵団も里まで戦線を引きマヨヒガ戦線を助けようと動き、それにつられて敵の戦線も集束して一極に集まり、広く拡大していた戦線が一気に縮小する。

 幻想郷の天を覆っていた鋼鉄の塊は、刻一刻と地表に近づいており、敵味方全てを心理的に、そして物理的にも押し潰そうとしていた。
 防衛側の妖怪達にとってその重圧から逃れる術は、目の前の敵を討つ事に専念することだけで、空を見上げる暇を与えない事を自らに課して暴れ回り、狂気を狂気でねじ伏せどうにか正気を維持していた。
 そして、その狂気の戦場に変化が起きる。まるで幻想郷を襲う悪意から地表を守るように、最初は薄い布の様な、そして次に朱く分厚い結界が空を覆ったのである。
 戦場は風見幽香が見せたパフォーマンス以後、2度目の静寂が訪れ、人喰い妖怪達は目聡く異変の終息を予感し、眩しい朝の陽光を嫌い物陰へ逃げ隠れるかの様に幻想郷外縁方向へと引き下がっていく。
 妖怪達は追撃の愚は侵さず、新聞報道にあった紅魔館の異変対策とその計画を思い出し、紅色に染まった空を見て3年前に起こった紅霧異変と重ね合わせ、強烈に吸血鬼の存在を意識していた。
 彼らの計画通りに事が進むなら、次に起こるのは不死鳥の転生を利用した藤原妹紅の自爆攻撃であり、その場に居合わせた者は皆、当初は眉唾と思っていたこの迎撃作戦を最後の希望として今は熱望しており、その時が来るのを固唾を呑んで見守っていた。


 幻想郷に於かれている危機的状況などどこか遠くの国のお伽話と思える程、博麗神社はとても陽気で穏やかな雰囲気に包まれていた。
 結界を張り終えた博麗霊夢は、二柱の座る上座の手前に特別の席を設けられ、その席の前に小さな祭壇を供えられ、そこを宴に呼ばれる神様達の窓口、所謂受付係のを自ら望んでその役に就いていた。
 二柱が上座に着くと間もなく、彼らに縁のある神様やその眷属が次々と訪ね来て大鳥居をくぐり始める。すると、幔幕の裏で控えめなお囃子が鳴り始め、厳かな雰囲気から一転してお祭り気分の様相となる。
 主神級の二柱から力を得て一時的に神様と同等の存在となった博麗霊夢が幻想郷を統べる博麗神社の祭神つまり代表者として格上げされ、来訪した神様達は幻想郷という名の異国に足を踏み入れる許可を神主代理となった霊夢に請い、入国税という形で神威を霊夢に分け与える。
 税を払った渡来神は、次に上位神であるタケミナカタ、タケミカヅチ共催の宴に招かれ、長く留まれる者は席に着き、長居が出来ない忙しい神様は各々の主神に挨拶をし土産を貰って帰っていった。

 結界を施行した霊夢は、結界を維持する為の力が自動的に身体から抜かれて行く状態になるので力の補充が常に必要だったが、先に大量の神力を授かり、しかも来訪する神様達からも次から次へと力が継ぎ足されて行くので、結界への力の供給は完全に超過してしまい、何もしなくても結界は完璧に維持する事が出来ていた。
 力が増すと気持ちも大らかになり、頬も緩んで目尻も下がり、普段見せない笑顔が自然に生まれてしまう霊夢。笑う門には福来るではないが、普段顔を拝む事も許されない大神の召集に緊張して神妙な面持ちで小さくなって訪れる低級神達は、受付嬢のその笑顔を見て堅い表情もほぐれ、感謝の気持ちを込めて余計に力を霊夢に与えていくという、霊夢にとっての好循環が生まれていた。
 神様というと、冷酷で人の心を理解できない住む世界が完全に違う相容れない異質な存在、例えば永遠亭の八意永琳の様な者達ばかりで、まともに話が出来るのは落ちぶれて幻想郷に迷い込んできた低級神くらいだと思い込んでいた霊夢だが、神様も人間と変わらない様々な感情を持ち、とても身近な存在だと知った。
 神を自分自身に卸すという巫女としての仕事は、偉い神様に土下座して媚びて力を借りるようなものと考えていた霊夢は、巫女としての自分が嫌いで普段は陰陽師としての仕事しかしていなかった。しかし、神様という存在を身近に感じた時、巫女は神と人間という異世界の住人同士の橋渡し役で、仰々しいものでも、ましてや自尊心を傷つけるようなものではない事を知った。

 博麗霊夢という存在は、魂レベルでは非常に高位の御霊を持ち、多少の事では動じない大きな心と、自然に他者を引き付ける魅力を生来持っている。普通に育ち自然に大人になっていけば、自ずと偉人として台頭し誰からも尊敬される立派な人間になれたことだろう。
 しかし、10歳の時に経験した、大賢者が幻想郷に反旗を翻した『封魔異変』の解決で心に大きな傷を負った霊夢は、無常観に苛まれ生きる楽しみも希望も見いだせないまま孤独に育ち、世捨て人の様に後ろ向きに達観した感性を育んでしまい、結果として本来の在るべき姿を内に隠したまま成長してしまったのである。
 自分自身ですら信用せず、他の何人も信じられなくなった霊夢は、巫女でありながら神様を一切信じていない無信仰者となっていたのである。

 同じ人間よりも八雲紫や伊吹萃香などの強大な御霊を持つ妖にこそ心落ち着ける居場所を見出し、彼らの接近を許していた霊夢。
 そんな霊夢に心の変化が生じていた。
 仮初めとは言え神と同格となった霊夢は、神様こそが最も自分に近い存在で信用に足る相手だと言う事に気付き始め、巫女としての自分を強く意識し出していたのである。
 この感情はもしかしたら今だけの事かも知れない。夢の様な今この時が過ぎ去り、神の力が消え失せた後も同じ思いで居続ける事が出来るかは分からない。しかし、今日のこの日の出来事は今後の霊夢の人生にとってとても重要な転換期になったのは言うまでもない事だった。



「藤原妹紅の動きが止まったわ!」
 七曜の使い魔達に妹紅を追わせて測量し、その位置を正確に把握していたパチュリー・ノーレッジは、幻想郷の立体模型にその状況を正確に再現して見せながら、上空で起こっている状況を実況しており、正体不明の謎の物体との戦闘の終息を告げる。
「タイムリミットまで、あと5分・・・何とか間に合えばいいけど・・・。」
 表向きの異変の首謀者兼解決の責任者であるレミリア・スカーレットが、懐中時計を見ながらスキマ砲の発射限界までの残り時間を確認する。
 作戦本部となっている紅魔館の小さなバルコニーは先程から断続的に続く微震と、妹紅への何者かの介入によって浮き足だっていたが、妹紅の動きが止まる同時に戦闘音が止んだ事で、妹紅が勝利した事を確信し、問題の半分が解決されたとひとまず安堵した。
 振動の発信源として既に特定している永琳の棺桶が不気味だが、妹紅が自爆してしまえば消えて無くなるので考える必要はなくなるだろう。

「白色点を感知!何これ?・・・きゅ、急速に拡大中!」
「遂に始まったの?」
「・・・いえ、熱量の変化は無しよ。白い領域だけが拡大している!」
 霊夢の結界の向こうで起こる変化を感知したパチュリーは、すぐにそれを告げて警戒を煽るが、不死鳥の転生で発生する熱が全く感知されない事に困惑する。
 妹紅を中心に起こる白い光の様な領域の拡散は、直ぐに不死鳥の自爆を連想させたが、一切の熱が感知されないという報告を受けて会議の面々は訝しげな表情を互いに交わす。
 その時、スキマ砲の準備をして意識を別の場所に向けていた八雲紫がいつの間にかこちら側に戻って誰に言うわけでもなく独り言を呟く。
「・・・ホワイトエンド・・・。」
「ホワイトエンド?」
 初めて聞く不思議な響きの言葉に思わず聞き返すレミリアに対し、そのままの姿勢で紫が説明を始める。
「ホワイトエンド・・・漂白の終焉。文字通り世界の汚れを真っ白に洗い流すと言うわけね・・・。」
 以前、妹紅に不死鳥を自在に操り、転生させる事が可能かどうか直接聞いた時、その言葉を聞いた紫。その言葉通り世界が漂白されようとしているのを見た紫は、いよいよ異変の最終段階を感じ取ってこれまでの苦難を思い返し少し感慨に耽る。
 球状に膨らんでいく漂白の領域の先端が鋼鉄の棺桶の底面に到達すると、黒い装甲を白く侵食していき、要塞はまるで月食のように欠けていく。
 要塞と漂白領域の対角線上に位置する紅魔館からは、その状況を肉眼で捉える事は不可能だったが、パチュリーの立体模型には正確にその状況が反映されているので、丸い鋼鉄の黒い塊に同じく丸い白い塊が膨らみつつぶつかっている様子を見る事が出来る。
「これ、まずいんじゃないの?」
 レミリアが、この白い領域に重なると完全に『無』になって消失するのではないかと想像してしまい、その領域がさらに拡大すれば、霊夢の結界を通り越してこちら側も無に還し幻想郷全てを消滅させてしまうのではないかという不安に駆られる。
「・・・でも、棺桶の質量に変化はないわ・・・尚も降下中だけど白い領域との衝突があったようなデータは見て取れないし、これってつまり単に無色になって視認出来なくなっているだけだと思うわ。」
 既に識者として格上げされて認識されていたパチュリーの見解には説得力があり安堵する一同。
 そうしている間にも白い領域は拡大を続け、その表面がついに結界に接触する。
「あっ!貫通しない!」
 この超常的な現象を興味津々で見ていた河童の河城にとりが驚きの声を上げる。その口調は予想が外れたような印象で、恐らく白の領域は結界を突破してくるものと考えていたのだろう。他の数名も同じ事を思っていた様で、この現象に戸惑いの表情を浮かべる。
「恐らくこれは、転生による浄化の炎が及ぶ領域の判定と選定作業なのでしょう。」
 紫が周囲に聞こえる声量で独り言を呟く。
「なるほど・・・不死鳥の転生で世界の全てが消失しないのは、無差別ではなく一応選別をしていたからなのね。」
 紫の言葉の意味に得心して結界の意義を知る西行寺幽々子。
 不死鳥の転生は、まず世界を漂白し色を失った領域を浄化するもので、恐らく寺社仏閣など神聖な領域は結界で遮られ浄化の炎が及ばないのだろう。
 今現在幻想郷の地表側は霊夢の結界によって神々の領域、つまり安全地帯になっていると言う事である。

「(紫様、準備が出来ました。)」
「(え?何の準備?)」
 天と地を隔てる結界の向こう側を侵食し続ける白い領域を静かに眺めている紫の頭の中に、突然藍が話しかけてくる。スキマ砲の準備は既に整い後は発射を待つだけの紫なので、何の準備なのか藍の言葉の意味が咄嗟に理解出来ない。
「(スキマ砲の砲口位置です。)」
「(砲口?何故今更?)」
「(この貧弱な魔法使いの模型を使って、成層圏に位置する要塞のコアの位置を特定したんです。これなら、偏差射撃などせずとも至近距離から一撃で仕留められますよ。)」
 いくら強妖怪といえども、対流圏に近い極寒の成層圏下層面にあると思われる要塞のコア付近に留まって観測し続ける事は出来ない。しかも今現在は厚い装甲内部にある核を直接測量する事など不可能である。しかし、正確な縮小模型があればそれを元に少ない誤差でコアの位置を特定する事が出来る。
「(流石だわ藍!さっそくその場所に砲口を設定しましょう!)」
 今日一日、何故か負けっ放しな気分で落ち込んでいた紫の心に一筋の光が差す。
 これ程までに良い気分になった要因は、スキマ砲の精度が上がって異変成功のの確実性が増した事に対してというのもあるが、それよりも自分の頭の中を盗まれたかのような憎々しい模型を逆手にとった事が痛快だったからである。
 妹紅が自爆した瞬間にコアを即滅する芸当を見せれば、魔理沙突入を想定して苦言を呈した生意気なもやし娘に大きな顔が出来るというものである。
 この藍の小細工は異変の正否を左右するようなものではなかったが、気落ち気味の今の紫にとって百倍の勇気を与える改心の策だった。
 それにしても、この九尾藍の有能さは本当に頼もしい限りである。落ち込む主人の為に密かにこんな気遣いをし、更に異変成功の確実性を上げる芸当。百億の軍勢に勝るとは正にこのことだろう。紫は最大の賛辞を嵐の様に有能な半身に浴びせかけた。自慢のスキマ砲が一度も発射されなかった事を知らずに・・・。

「魔理沙そろそろ準備をして頂戴。」
「おっ!いよいよか?遅かったな!」
 気を良くした紫は、スキマ砲の砲身の中を飛び続けループしている魔理沙にマスタースパークの発射準備を喚起し意識をまた会議に戻す。
 結界の向こう側は既に白い領域で満たされて空が完全に消え、その光景は霊夢の張った深紅の結界越しに透過して見える。
「いよいよね・・・。」
 バルコニーに誰かの生唾を呑む音が異様に大きく聞こえた。


 博麗神社でも皆同じ光景を見ていた。
「不死鳥の転生を間近で目視出来るとは、何とも素晴らしい余興!」
 宴席はだいぶ埋まり、酒や料理を楽しみながら神様達も空を見上げる。幻想郷東端の博麗神社の本殿前の東向きの上座に座る二柱はその光景を背にする事になるが、後ろにも目がついているかのように、特に振り向きもせずその光景を愉しんでいる。
 霊夢は自分の役目は既に終わったと見て、神様と同等に扱われる事を良い事に酒と料理に舌鼓を打ち、異変の事はすっかり頭から抜け落ちていた。
 諏訪子はそんな大物振りを見せる霊夢を尻目に、二柱の世話役を務めながら人間達に信仰回復の兆しを感じ満足していた。
「(早苗もここに連れて来たかったの・・・。)」
 早苗の異変参加は神奈子によって強く止められて叶わなかったが、この光景を見れば向こうの世界の安穏とした生活が侘びしいものだと気付き、こちらの生活に興味を示して馴染もうとするかもしれなかった。
 しかし、危険や面倒を避けたい早苗の心を敏感に感じ取った神奈子がそうさせまいと動いたのだ。
 早苗には何とか自発的に幻想郷に馴染む気持ちを喚起させたいが、神奈子がいるお陰で先手が取れずどうにも手詰まりである。ここは第三者が介入し、更に荒療治が必要だろう。そして、それに相応しい人材を先程見つけた。
「(藤原妹紅か・・・既に人間と呼べる体を為していないが、幻想郷では最も日本人らしい心も持っておる。ヤツなら神奈子を・・・いや、早苗の心を壊し救えるかもしれん・・・。)」
 諏訪子が早苗の事を考え一寸手が止まった時、『その時』が突然やって来た。
「む!」
 稲光の様な閃光が一瞬走ったかと思うと周囲の景色は影を残さず白く吹き飛んだ。
「ついに始まったか・・・。」
 そして閃光の後、すぐに間近で鐘を撞く様な腹の底に響く大きな振動と共に耳を劈く凄まじい衝撃音が幻想郷を襲う。光と音には時間差があったが、誰もがそれが不死鳥の自爆によるものだと疑わなかった。


 紅魔館。
 その時は唐突に起こった。何の前触れも無く突然空が光り輝き、その閃光で幻想郷は一瞬真っ白になった。
「計測不能な膨大な熱量を感知!」
 閃光によってほんの僅かな時間、記憶が飛んだ様に動きが止まる紅魔館の会議メンバーだが、不死鳥の自爆と思しき現象が起こった事を報せるパチュリーの大きな声で正気に戻る。
「巨大な棺桶の質量に変化!下の方から装甲や内部構造が蒸発しているわ!」
 こちらの想定通り不死鳥の自爆による高熱で要塞の外殻装甲が融解し、要塞の総質量が急減しているのだ。
 八雲紫はそれを聞くと直ぐに意識をスキマの中にいる魔理沙に向け、コアが露出した瞬間にスキマ砲を撃つ準備を始める。
 しかしその時、落雷の様な巨大な爆音と共に結界を貫通した衝撃の波が紅魔館のバルコニーを襲ったのである。
 一時騒然となるバルコニー。
「な、何事?」
 椅子からずり落ちた主の身を心配する十六夜咲夜を背後に置き、耳を押さえ身をかがめながらレミリアが大声でパチュリーに尋ねる。各感覚器官がどの人妖よりも発達し優れている吸血鬼は、この凄まじい爆音で一時的に聴覚が麻痺しており、自分の声が聞こえないので声量が調整できずに大声を張り上げてしまう。
 全神経を研ぎ澄ませていた所為で聴覚の被害が凄まじかったレミリアと違い、単純に計測数値を目で追っていたパチュリーは、大きな音に一瞬驚いたものの良い意味で音に対する鈍感さが幸いし直ぐに持ち直す事が出来、直ぐ側で大声で話しかけるやかましい親友に指と口を同時にパクパクと動かすジェスチャーを見せ、声が大きくなっている事を知らせてやる。
 自分の置かれた状態に気付いたレミリアは口をつぐんで耳を被い赤面しながら聴覚の回復を待つ。

 人形使いのアリス・マーガトロイドは腰を床面に落として耳を押さえながら上空を見上げ、河童のニトリは仰向けに転がって泡を吹いている。それ以外の者も椅子から降りて腰をかがめ上空を警戒するように様に低い姿勢をとっていた。
 館の窓ガラスの7割以上が割れて破片が飛散しているが、その割れた瞬間の音は爆音にかき消されて全く聞こえなかった。それほどまでに大きな音だったのだ。
 そうした中その場に呆然と立ちすくむ八雲紫と藍がいた。腰を落として正座を崩して座っている西行寺幽々子は最初、音に驚いて惚けているだけと思ったが、どうも様子がおかしく紫の袖を引くがウンともスンとも返ってこない。
 この時八雲紫と藍は、絶望的な状況に陥ってショックで文字通り身動きがとれなかったのである。

「要塞の落下速度に変化!加速したわ!」
 淡い光で朧気に浮かんで見えるパチュリーの幻想郷立体地図が突然赤く点滅し、警告というメッセージが地図上に大きく表示される。
 パチュリーは最初何の警告か咄嗟に判断できなかったが、落下速度を示す数値が異常を示す赤で点滅表示されている事に気付き、皆に状況の変化を悲鳴の様な声で知らせる。
「何故今になって!スキマ砲は大丈夫なの?」
 レミリアがまたしても大声で叫ぶ。これは冷静でいられない事態になった為の大声で、聴覚麻痺によるものとは関係ない。
 スキマ砲がどこからどこを狙った射角に設定しているのか具体的なところは全くわからないので、パチュリーは親友の質問に何とも答えようがない。
 出現地点と現在地点を直線で結んだその線上にスキマ砲を設置して角度を設定していれば、落下速度の変化に影響されず同じ角度で撃てば問題なく、始めからその方法でいく方が確実だったろうが、それらの情報は測量を始めた数時間前だからこそ分かることであって、スキマ砲を設置する段階では棺桶の侵入角度や落下地点は不明だった。八雲紫らと数日前から高度に連携を取っていれば何も問題なく事を進められただろうが、紅魔館側、特に妹紅と裏で手を結んでいるパチュリーは失敗させる事を前提に動いているので、敢えて八雲紫側に情報の共有や計画の綿密な打ち合わせを要求しなかったのだ。それに、例えその要求をしたとしても紫らは初めから紅魔館を役立たずと決めつけていたので結果は同じだろう。
「(私達を侮った報いね。)」
 パチュリーは、硬直したままの八雲紫らを尻目に紅魔館を侮って失敗を重ねている彼女達の無様さを表情には出さずに内心ほくそ笑んでいた。


 ここにいる八意永琳以外全員は、先程の爆音と衝撃波と閃光を妹紅の自爆によって発生した現象であり、全てセットだと断定している。
 立て続けに起こるショッキングな出来事によって、既に過去になってしまった風見幽香のパフォーマンスだが、まさかこの時の攻撃が今のこの状況を生んでいるとは誰にも想像できなかった。
 永琳はこのタイミングのパージは、妹紅と幽香によって行われた計画的犯行だと既に気付いているが、何故、このタイミングでしかも異変を失敗に導くような事をするのか見当がつかなかった。
 恐らく彼女らにしても異変を失敗させる気は全くなく、こちらとは全く異なったやり方で終息させようとしているのだろう。
 幻想郷が滅ぶにしても輝夜の力があればいくらでもやり直しは出来る。もちろん今ここにいる自分はこれでお終いだが・・・。
「(一応、あの時、お別れを言っておいて正解だったわね。)」
 輝夜との別れの挨拶をした時に流れた目から溢れた液体の熱さと重さが未だに頬に残る永琳だった。


 それぞれの思いが交錯する中、作戦会議の場となっている紅魔館のバルコニーは、不穏な空気が漂っていた。異変の創案者である八雲紫と藍が何度声をかけても無反応で微動だにしないからである。
 紫から答えが返ってこない理由を考え始めるレミリアと会議のメンバー。今日一日あらゆる物事が裏目に出ている事に関連して、この最終局面でも何かトラブルが発生したのではないかと考えるのがもはや自然の流れになっていた。
 予め失敗を想定しているパチュリーとしては、ここで会議が浮き足だって紫を見限って各自が独自の行動を取ってしまわないように、先手を取って会議をまとめる必要性を感じ行動に移す。
「恐らくこの加速で要塞コアがスキマ砲の射角から外れてしまったのね。2人は今その調整でてんてこ舞い。こっちに構っていられないと言うわけね。」
 既にメンバーの信頼を勝ち取っているパチュリーの冷静な分析で、場は落ち着きを取り戻す。
「なるほど・・・つまり、最終手段の準備、魔理沙突入の打ち合わせね?」
「ええ、恐らく・・・。」
 指揮官と参謀が互いに視線を合わせて、摂氏数億度に達していると思われる結界の外側に魔理沙を突入させる最後のカードを切る決意をした。


 パチュリーの予想通り、八雲紫と藍は会議に構っている余裕が全くなくなっていた。
 スキマ砲の砲口の位置を変えた藍の気遣いと作戦の確実な成功の為の工作は完全に裏目に出てしまい、要塞のコアは砲口を設定した位置を通り過ぎ、更に加速して幻想郷の地表に落下している状況である。
「(そ、そんな馬鹿な!)」
 藍は語気を荒げて激しくこの理不尽な状況に罵声を吐き捨てる。
「(藍、この加速度では、砲口の位置に関係なく最初の設定位置からも射角外だわ。)」
 自分の為に骨を折ってくれた忠実なる僕を慰める紫だが、藍の脳に直接語りかける声に張り艶が無く生気が全く感じられない。主の異変に気づいた藍は、一先ず怒りを呑み込んで紫を気遣う。
「(申し訳ありません紫様、後は私に任せて休んでいて下さい。魔理沙を誘導して確実に要塞コアを破壊させます。では、しばらくお身体を借りますね。)」
 自身の弄した小細工で紫の心は一時的に持ち直したが、持ち直した分反動が大きく紫は失意に打ち砕かれている。この状況では会議の場に戻っても冷静に対応出来ないと悟った藍は、主の身体を借りて八雲紫になりすます事にした。
「ごめんなさい。急な加速で対応に追われて・・・。」
 会議に戻った紫の姿をした藍は、意外と冷静にこの状況を静観している会議の様子に驚きながら、余裕の態度で振る舞う。
「そっちはどうなの?」
 レミリアの言う『そっち』とは魔理沙のいるスキマ砲の中の事である。
「ふふふ、まさか、このタイミングで加速するとは・・・ね。スキマ砲は完全に使い物にならなくなったわ。」
 紫になりすました藍は、余裕の笑みを浮かべながら主の様に自嘲気味に呟く。
 置かれている状況については紅魔館側の方が良く理解しているらしく誰も紫を責めなかった。藍はてっきり苦言の嵐に遭うと想定して言い訳を多数用意していただけにこの状況は拍子抜けだった。
 流石の九尾藍もかなり追いつめられているようで、これがパチュリーの根回しによるものではないかという想像力すら働く心境ではなかったのである。
「やりたくはなかったけど・・・やらざるを得ないわね・・・。」
 この究めて冷静な状況を作り出したのが見下しているパチュリーのお陰とは露にも思っていない藍は、未だに主導権がこちら側にあると思い込んで完全にピエロになっていた。

 紫の隣にいた幽々子が、心配そうに何かを目で訴えようとしたが、それに首を傾けて応じた紫の向ける視線と僅かな仕草に違和感を感じ、すぐに中身が藍に入れ替わっている事気付く。
「(まさか、紫の身に何かが・・・。)」 
 恐らく紫の精神状態が度重なる不具合で思わしくなく、休ませる為に藍が紫の身体に入っているのだろうと、この期に至っては紫が元気で忙しくどこかで働いているという発想にはどうしてもなれない幽々子。
 紫の中にいる藍は幽々子の微妙な反応を見てなりすましがばれたことを悟る。この場でそれを指摘されたら絶体絶命とまではいかないがかなりまずい事になる。
「美味しいところは黒い魔法使いにとられちゃったわね。」
 幽々子は心情とは裏腹に戯けて見せて場を和ませる。これは、藍を助ける行動だったが、それよりも自身の動揺を隠す為の演技でもあった。
「(流石幽々子。助かった。いや、助けられた・・・か。)」
 沈着冷静なキツネの藍は、幽々子の戯けた行動の意味を理解し、常々警戒していたそのタヌキっぷりを今は素直に感謝する。
「それじゃー魔理沙に頼んでくるわね。」
 幽々子に合わせて陽気に振る舞って見せる紫の姿をした藍。
 皆腰を上げて席を立っている状態で、中身が一つの紫と藍の2つの身体が席に着きスキマ砲の中にいる魔理沙と交信する為に瞑想に入ると、他の者達も落ち着きを取り戻しそれに倣って各々席に着きはじめた。


「魔理沙、残念なお知らせがあるの・・・。」
 未だスキマ砲の中をループし続ける魔理沙の元に紫の姿をした藍が申し訳なさそうな顔で現れる。
「もうタイムオーバーなんだろ?ということは、私が中に突っ込んで直接ぶったたくわけだ。いつでもいいゼ!」
 その様子を感じとって、というよりは最初から全て予定通りという感じで楽しそうに藍に応じる魔理沙。
「え?」
 予定が大幅に狂い、魔理沙本人を危険な場所に送り込まなければならない状況に、苦言の一つならまだしも損害賠償を求められると思っていた藍だが、余りにも予想外の魔理沙の反応に驚いて目をパチクリさせる。
「今日はなんか色々あったから、こうなる予感はしてたんだよなー。」
 計画を立てた側としては魔理沙の作戦失敗予想は甚だ心外だったが、心の準備は出来ている様なので藍としては手間が省けて助かるというものである。
「取り敢えず要領を説明しましょう。中に入ったら恐らく真っ白で何も見えないでしょうから視覚的な情報には期待しないで頂戴。耳で私の声を聞いて指示通りに行動して、私の合図で正面にマスタースパークをお願い。どう?簡単な作業でしょう?」
「簡単過ぎてあくびがでそうだゼ!」
「ふふ、頼もしいのね。」
 これまで人間の魔法使い霧雨魔理沙という存在を全く意識していなかったが、ここにきてその存在感を強く感じ始める藍。
「よし、チルノ起きろ!これから私達の出番だぞ!」
「ん?あれ?ここどこ?」
 魔理沙の心地よい背中に揺り動かされて気持ちよくなってすっかり熟睡していたチルノは、無理矢理起こされて状況が掴めないようだ。恐らく異変の事などすっかり頭から抜け落ちて、何故魔理沙の背中に縛り付けられているのかも忘れているようである。
「まだ距離はあるけど、早めに突入したほうが何かと都合が良さそうね。準備はいいかしら?」
「いつでもいいゼ!ってか早くしないと背中がシモヤケになりそうだ。」
 寝ていて冷気が多少抑えられていたチルノだが目を覚まして再び冷気が溢れ出して、背中がとても涼しい魔理沙。
「次の赤の標識の先から結界の中に入るわね。」
「おう!」
 紫色のトンネルに突き出た赤い標識が真横を通り過ぎた瞬間、突然世界が真っ白に変わる。先に説明されていた状況とは違い、白い闇に溶ける事なく自分の身体や紫の姿はしっかりと見えた。
「どうやら境界(スキマ)の内側は大丈夫なようだな。」
 魔理沙を中心に球形の結界の様な境界線が張られ、その内側は漂白されずに互いの姿を認識出来る。しかし、外の景色は全て真っ白で、まるで白い液体に浮かぶ泡の中に閉じこめられている印象でどの方向にどのくらいの速度で飛んでいるのか全く判断出来ない。
「魔理沙、推進力は全て真後ろ回して。重力に逆らう必要はないわ。」
 この場所は重力がないスキマ砲の外だが、魔理沙をつつむ周囲の空間そのものが別のスキマの中なので、引き続き重力の干渉は受けない。いつもの癖で重力に逆らって飛ぶ魔理沙は自然に斜め上に向かって飛んでいる事になるのでそれを止めさせる藍。
「なるほど、スキマの中と一緒だな。」
「そういうこと。」
「どうしたチルノ怖いのか?」
 背中合わせで縛り付けられているチルノが大人しいので心配になる魔理沙の問いに、実際びびって声が出なかったチルノはムキになって反論する。
「こ、怖くなんかないよ!なんたってあたいは最強なんだから!」
「分かった、分かった。で、どこに向かえばいいんだ?」
 チルノを軽くいなす魔理沙。
「魔理沙はただ真っ直ぐ飛んで頂戴。要塞の正面に行くようにこの空間の向きをこちらで変えるから。あと、標的までの距離はまだ10キロ以上先だから、まだ慌てる必要はないわよ。」
「そんなに先か・・・ところで、ここでマスパ撃って大丈夫なのか?」
 狭い空間で魔法を撃つ場合、その膨大なエネルギーがどうやってこの中から外に飛び出すのか想像出来ない魔理沙。穴が空いたら熱気が中に入って蒸し焼きになってしまわないのだろうかと一応心配になる。
「魔理沙は手に持ってるその道具で撃つのでしょう?その先端部を別のスキマのトンネルに繋いで間接的に外に送り出すだけだ。」
「へー、スキマって何でも出来るんだな。」
「外は恐らく数億度に達しているわ。この空間に穴を開けて直接撃つ事は出来ない。」
「それにしても何でここは暑くならないんだ?ちょっとくらい熱が伝わってきそうなもんだけど。」
「ふふ、手を伸ばせばすぐ外に届きそうだけど、この中と外の空間は完全に別世界なのよ。だから熱は通らない。だから妹紅やあの魔法使いの防火耐熱対策は意味がないのよ。」
「すげーな!」
 何を言っても無感動無関心な霊夢とは真逆で、一々感動してくれる魔理沙に思わず鼻が高くなる藍だが、このスキマの力は藍のものではなく主のものなので、藍が天狗になるのは本来筋違いである。
「なーなー撃ってもいいか?」
「そうね・・・まーいいでしょう。・・・あ、少し待って。」
「ちぇー!」
 ここで紫が持ち直してきたのか、彼女の呼ぶ声が藍の頭に入り込み魔理沙との会話を中断する。
「(どうしました紫様?具合はどうですか?)」
「(藍・・・ごめんなさい、気が動転して・・・。)」
「(私の方こそ申し訳ありませんでした。余計な事をしてしまいました。)」
「(結果は同じよ。ギリギリで加速されたらどのみち射角の外、撃っても当たらないわ。)」
 先程と同じ事を言う紫。それを受けて藍としては紫の精神状態は未だに思わしくない事を知る。
「(あの加速、何故起こったか原因は分かりましたか?)」
「(あなたが魔理沙と話している間、藍の身体で永琳に訊いてみたわ。幽香の攻撃で要塞の内圧が上がって、その圧力を外に逃がすタイミングが妹紅の自爆と偶然重なったのではないかと・・・。)」
「(なるほど・・・しかし・・・。)」
「(タイミングが良すぎる?私も最初はそう思ったけど、このタイミングにきっちり合わせる方が偶然の確率より低いのではないかしら?)」
 妹紅は自分の思い通りになるという異変の性質を見抜き、そのタイミングに合わせていた事を知らない二人。
「(たしかに・・・はやり、考え過ぎですか。)」
 妹紅を全面的に信用している紫とは違い、藍は妹紅を信用していない。そして風見幽香も信用していない。考え過ぎかもしれないが、この2人が協力して何かこちらの妨害をしているのではないかとどうしても勘ぐってしまう。
 要塞が内圧を外に逃がす事は永琳以外知らないことであり、仮に知っていたとしてこの絶妙なタイミングでそれを行う事は奇跡に近いだろう。あるいはその永琳も妹紅とグルなのではないか?藍は疑心暗鬼の底なし沼に嵌りかけて首を振って頭を切り換える。
 具体的な証拠はないが藤原妹紅と風見幽香が結託している事を前提に疑念の枝葉を伸ばす藍であるが、永遠亭までが妹紅の薦めでこちらに接近した事や、紅魔館の幹部が主の知らないところで独自に妹紅と繋がっている事、そして魔理沙の中に隠れている死んだはずの大魔導師魅魔が、魔理沙に施した妹紅の仕掛けで復活するなど知る由もなかったのである。


 紫の話す素振りから先程受けたショックからだいぶ立ち直ってると感じるが、これ以上精神的負担を掛けるのは危険だと判断した藍は、要塞コアの早期迎撃を優先させる為に動き始める。
「お待たせ魔理沙、進行方向に真っ直ぐ撃ち始めて頂戴。外れた角度から正しい射角を導き出すわ。」
 魔理沙の元に戻った藍は、引き続き主の代役としてその任を努め、早期迎撃の為の魔法発射の許可を出す。
「偏差射撃ってやつだな?よっしゃー!いくぞー!」
 長く待たされていた魔理沙は、その合図に威勢良く答えて右の手のひら一杯に掴んだミニ八卦炉を突き出し、左手を右肘に添えて構え、大声で呪文の名前を叫ぶ。
「マスタースパアアアアアアアァァッ!!!」
 ミニ八卦炉の先端に魔界の門が開き、予め紫が準備していたスキマと直結される。呪文を最後まで唱えればそのまま魔界の無属性エネルギーが大量に放出されるはずだったが、魔理沙が呪文を発動させた瞬間、衣服に張られた妹紅の呪符の一枚が反応してミニ八卦炉の先端に滑り込み、そこで『ボン』という音を立てて呪符が何か別の物に変化した。
「ァァァック!って、な、何だ!?」
 魔理沙は呪文を完成させそのままマスタースパークを放ってしまう。
 マスタースパークの発射と同時に魔理沙の衣服や帽子、ホウキなどに張られた妹紅の大量の呪符が連鎖的に発動して動き出す。スキマの中の小さなスキマから上半身を出す紫の姿をした藍は、一瞬何が起こったのか分からず唖然としていたが、ミニ八卦炉の先端に滑り込んだ小さな袋の様なものがマスパによって消し炭になった瞬間、紫の姿が突然消え、同時に周囲のスキマの境界が消失した。
「え?」
 紫が消えると同時に魔理沙の胸元の呪符が黒く変色しそこから同じく黒いドロドロとしたゲル状の流体物が溢れ出し、スキマの境界が消失して外に放り出された魔理沙を保護する様に包み込む。
 魔理沙の唱えた呪文に反応して身体から離れた無数の呪符は、魔理沙を包むゲル状の液体の中に絡み取られ、魔理沙と一緒にしばらくぐるぐると撹拌されていたが、やがて呪符は外側へと押しやられ球形を作る。
 呪符はまるで張り子の様な型枠となって内側を安定させる。
 何が起こっているのは咄嗟に判断出来ない魔理沙は、その液体の中でぐるぐると撹拌され自由が完全に奪われている。自分をナビゲートする頼みの綱の紫もそこにはなく、完全に孤立した状態になってしまう。 
「がばばば・・・。」
 恐怖を感じた魔理沙は思わず止めていた息を吐き出てしまいそうになるが、粘性の強いゲル状の液体が肺から出る空気を口の中に押し戻す。謎の液状の流体物は、触れても濡れる事がなく、まるで柔らかいゴムに包まれている感触で、そのゴムはやがて外側に向かって移動すると張り子の中に閉じ込められた空気が行き場を求めて内側に押しこまれ魔理沙はその中で普通に呼吸が出来るようになった。
 流体物が球状の呪符の張り子に沿って膜の様に安定すると無重力状態でぐるぐる回転する魔理沙の身体も次第に安定し、ぶよぶよとした膜の上に着地する。
「重力が戻った・・・しかし暑いな・・・。」
 先程のスキマの空間と違い、ムッとした湿気の多い熱気に不快感を示す魔理沙。背中のチルノの冷たさが今は心地よい。
「おい紫!藍は?・・・ったく!一体、なんだってんだよ?」
 未だに状況が掴めない魔理沙は、この理解不可能な理不尽な状況に舌打ちしつつ、助けを求めるしかなかった。


 紅魔館のバルコニーに並んで座る八雲紫と藍が、突然ビクッと身体を震わし目を開く。
 その様子は、パチュリーの立体模型と、異変の鍵を握る八雲の2人を交互に見ていた会議のメンバー全員が目撃し、只ならぬ2人の雰囲気にまたしても何か問題が発生したことを予感しその顔が加速度的に青ざめていく。
 誰が見ても明らかな紫の悲痛な表情とは裏腹に藍は平静を装い、その場を何とか誤魔化そうと頭を回転させる。
 紫の隣に座っていた幽々子が、何かあったのかと恐る恐る尋ねるが、紫は何も答えず小刻みに身体を震わせている。その様子を見た藍は紫のこの状態を利用し咄嗟に良い言い訳を思いついた。
「静かにしてください。今、紫様は魔理沙のナビゲートに集中しています。」
 嘘だった。突然魔理沙との交信が途絶え、更に紫との脳内間通話も出来ない状態に陥っているのだ。紫との交信が出来ないという事が意味するところは一つ。紫のスキマの能力が消失したということである。
 これは魔理沙の危機どころか幻想郷の危機でもあった。
 状況を確認したい藍は、必死に紫に呼びかけを行ったがウンともスンとも言わない。向こうがこちらを無視して呼びかけに応えないのではなく、交信に必要な下地になる紫の力を全く感じなくなくなったのである。
 能力を使った通話が出来ないのであれば、直接二人だけで話が出来る状態に出来ないかと案を巡らすが、この状況で二人で席を立ちどこか別室に行く為のもっともな理由が思いつかない。
 そこに天の助けとも言うべき声が掛けられる。
「ここでは集中が難しいようでしたら、別室に案内しますが?」
 吸血鬼レミリア・スカーレットの忠実な僕、これまでほとんど口を開かなかったメイド長の十六夜咲夜である。
 これまで頷くばかりで提案どころか口も開かなかった咲夜の突然の提案に最初は驚いたレミリアだが、先程の爆音と衝撃波で窓など建物が一部損壊して散らかっているバルコニーは、確かに集中する作業には適していない事に想い至り、咲夜の提案は最もで、先に自分が気付くべきではなかったかと反省する。
「出来ればそうしてもらえると助かる。向こうはノイズが激しく、魔理沙との会話に苦心している。」
 藍が、咲夜の申し出に乗って嘘を膨らませてもっともな言い訳をする。
「今、魔理沙との交信が途絶えたの?」
 あのビクっした痙攣が交信が途切れた瞬間なのだろうと、魔理沙が心配で仕方がないニトリが、思わず声を荒げて問う。隣にいるアリスも不安そうにしていた。
「一時的にな。今は大丈夫だ。」
 そう答える藍の動揺を一切表に見せない様子が周囲に安心感を与えた。
「咲夜、早く案内してあげて。」
 レミリアではなく、参謀のパチュリーが咲夜に指示を出して、レミリアと視線を合わせる。自分が出さなければならない指示出しが遅かったと自覚を促された気分になったレミリアは、それを素直に反省して目で頷いてパチュリーを言を了承する。
「では、別室にご案内します。」
 咲夜が上司2人のやり取りを確認して動き始めるが、至って自然な動きで誰もこの行動に裏があるとは見抜けなかった。そう、この一連のやりとりは裏で妹紅と繋がっているパチュリーと咲夜の予定通りの行動だったのである。

 バルコニーから部屋に入り、使用人用のドアに案内する咲夜。別の扉は隣の大部屋に通じるもので、そこにはまだ大勢の野次馬がたむろしている。
「気遣い感謝する。」
 廊下に出た何も知らない藍は、咲夜の行動を格下が目上に対する気遣いと受け取って形ばかりの礼を言う。
 咲夜はそれを澄ました顔で聞き流し、締めたドアを塞ぐように立ってしばらく下を向く。
 別室に案内する様子がないメイド長に対し不信感を抱くまでそれほど時間は要さなかった。
「何をしている?さっさと別室に案内しろ。」
 紫を抱えるようにして先を進もうとして先導者が一向に動こうとしない様子に露骨に苛立ちを見せる藍。
「ふふふ、スキマの力が使えない八雲紫を倒すのは簡単そうですね。」
「な!貴様!」
 藍は豹変する咲夜の態度に戦慄を覚えた。
 魔理沙がマスタースパークを唱えた瞬間、突然紫のスキマの能力が消失し、魔理沙との交信はおろか、主との交信も途切れ、以後全く繋がらないのである。
 失意で何も反応しなくなった主と何とか会話をしたい藍は、無警戒のまま咲夜の泥で出来た助け船にまんまと乗りかかってしまったと自覚した。
 この咲夜の現状を見抜いた言葉に最も強く反応したのは力を奪われた八雲紫だった。
 支えられていた身体を自分の力で起こして立つと、血走った目で咲夜に襲いかかる。
 咲夜はそのまま紫の接近に抵抗せず、されるがままに首を両手で掴ませる。このまま締め上げれば人間では妖怪に抗えず絶命するだろう。しかし、咲夜は余裕の表情で背後に回る藍を目だけで追って死角に消えるとそのまま紫に視線を戻す。
「教えなさい!これはどういうこと?何をしたか貴女は、貴方達はわかってるの?幻想郷はこのまま滅んでしまうのよ?」
 吸血鬼が何かをしたと勘ぐった紫は、恐ろしい老魔女のような表情を瑞々しい十代の咲夜の顔を近づけて脅す。
「何故スキマが使えなくなった事を知っているの?」
 首に宛っている手の力を少しづつ強める紫。しかし、突然強い力に跳ね飛ばされて紫は細長い廊下の先に倒れる。
「貴様!」
 それを見て藍が尻尾をしならせて鞭の様に咲夜を攻撃する。
「ぐわっ!」
 しかし、次の瞬間無数のナイフが藍の尻を切り刻み、九尾のうち三尾が廊下にぼろぼとと落ちる。
 咲夜に時間を止める力があることは承知している。スキマの力が失われた大幅に力が減衰した紫が不覚を取るのは致し方ないとしても、九尾の身体に人間の使うナイフ如きが通るなど有り得ないことである。
「貴様!何者だ?」
 その凄まじい力から以前の咲夜ではないと悟った藍はそれをそのまま何も飾らずに素のままに問う。
「人間は一日もあれば大きく成長するもの。それは貴女達の方がよくご存知なのではないですか?」
「ばかな!ありえん!私は九尾だぞ!どんなに力を付けても人間の刃如きで私を傷つけられるものか!」
 尻尾を斬られ片膝をつく藍に振り向いた咲夜は、バラバラに落ちている尻尾の一片を無造作に踏みつけ九尾を煽る様に見下し、そのまま振り向いて廊下の先に伏せている紫の方に歩き出す。
「させるか!」
 主を殺そうとする咲夜を止めようと力を振り絞る藍。しかし、それを見ずに咲夜は右手を上げてパチンと指を鳴らす。
 すると、咲夜の姿が一瞬揺らぎ、黒を基調とした同じメイド服を纏ったもう一人の咲夜に分裂すると、次の瞬間空間を入れ替えて藍の目の前に移動し、避ける隙も与えられない九尾の腹部を爪先で蹴り上げ、くの字に曲がって下がった頭を脇で抱える様にぐいと締め上げそのまま首をへし折る。
 ボキっという凄まじい音が廊下に鳴り響き、藍はそのまま床の絨毯に接吻を強いられる。屈辱である。
 九尾ともなれば首の一本や二本どうにでもなるので死ぬ事はまずないが、そのありえない光景に紫は絶句した。
「な!」
「ふふ、容赦ないわね・・・。」
 もう一人の自分の無慈悲な攻撃に呆れる咲夜。ニヤリとするドッペルゲンガー。
「あ、貴女は一体?!」
「ここにいる私は貴女の知る以前の私ではございません。」
 ドッペルゲンガーを打ち破り、その力を丸ごと得た咲夜は既に以前の咲夜ではない。時間を止められるだけのひ弱な人間ではなく、今は恐るべき殺傷力を持った暗殺者なのである。
 床に倒れた藍が首を押さえながらゆっくりと立ち上がる。その目は怒りで燃えていた。藍が本気になればここに血の雨が降るのは確実だろう。
 背を合わせて立つ二人の咲夜を挟む紫と藍。藍はともかく紫は能力の全てが消失しており、戦力にはならない事を自覚する。
 最強と謡われるスキマ妖怪八雲紫は数百年ぶりに死の恐怖を味わっていた。
東方不死死 第70章 「漂白の終焉」


「お帰りなさい神奈子様。首尾は如何でしたか?」
「首尾は上々、後は結果をご覧じろってね。ふふ、ただいま早苗。」
 守矢神社の母屋で留守番をしている東風谷早苗の元に、守矢神社の祭神の片割れ八坂神奈子が上機嫌で帰宅する。
「すごい事になってますけど、ホントに大丈夫なのですか?」
 厳密にいえば頂上ではないが、妖怪の山の人妖が住める最も高い位置にある守矢神社から望む東部の凄まじい光景を見るにつけ、事前に問題ないとは聞いていても流石に不安になる早苗。
「ああ、あれも余興の内。もうじき終わるさ。(あの馬鹿烏の命もな・・・。)」
 神奈子としても絶対に大丈夫だという確実な手応えが得られず、内心不安だったが安心を得たい早苗の前では彼女の望む姿を見せなければならない。

 紅魔館と守矢神社は、標高差1000メートル、直線距離で15キロメートル以上離れている。その為、同じ対象でも見え方がかなり違ってくる。
 防御要塞は、真下から見ると空全体を平面的に被っている様に見えるのに対し、妖怪の山の上からは球体であることが見て取れ、特に球体の底面と地表との距離が具体的に分かる。
「・・・すごい・・・。」
 少しすると空が結界で覆われていき、しばしこの世のものとは思えない非常識な光景に魅入る一人と一柱。
「(にしても、何をもたもたしてるんだ不死人は・・・。)」
 しばらく余裕の表情を見せる神奈子だが、張られた結界の向こうでなかなか自爆しない妹紅に苛立ちを覚える。
「(まさか、あの馬鹿烏・・・不死鳥にちょっかいだしたりしてないだろうね・・・。)」
 霊烏路空を完全に制御しきれていない神奈子の悪い予想は残念ながら当たっており、藤原妹紅と霊烏路空は今現在激しい空中戦を展開しているところだった。


 里に戸籍をおく人間の歴史を消してその存在を隠した上白沢慧音は、もぬけの空となっている里に避難してきた周辺の弱小妖怪や落ちぶれた神様らを受け入れており、彼らが勝手な行動をしないように街頭に立って見張りをしていた。
「妖酔め動いたな・・・周りの面倒を見れる余裕が出来たと言う事は、どうやら皆の神社行きは上手くいったようだな。」
 巨大な空に浮かぶ船が数名の里の傭兵と識別できる者達に護衛されながら里の真上を低く通過し、豊穣の森の方へゆっくりと高度を下げているのが見える。恐らくその周辺に着陸するつもりだろう。慧音はその様子を下で見ながら里の傭兵団が分散しているのを確認し、当初の目的を達成した妖酔の命で動いているものと認識する。
「それにしても、厄介だな・・・。」
 謎の船はかなりの被害を受けている様で、そうなった経緯は下からずっと見ていたのでわかるが、里周辺に着陸されるのは、他の人喰い妖怪を集めてしまいそうで正直迷惑である。
 タイミング良く里の傭兵隊の主力が里に最も近い位置にいた敵陣地の一つを攻略したので里の脅威は一先ず過ぎ去ったが、これはあくまで局地的な勝利で全体的にはまだまだ予断を許さない状況である。
「里にも大量に難民が来てしまったな・・・。」
 夜逃げでもしたかのように閑散とした大通りの各店蔵が荒らされない様に、手癖の悪そうな妖怪に睨みを効かせながら通りを巡回する慧音。やはり自分が残ったのは正解だったと思う。
「む!?」
 そこうしていると東の本陣山から合図の花火が上がるのが見え、慧音はすぐに人間の里の住人の歴史を戻す。これで博麗霊夢や守矢神社の神様と里の人間達が同じ歴史を共有出来るはずである。しかし、人喰い妖怪達にも里の人間という新たな目標が出来る事になる為、今後里周辺が激戦区となる事が予想される。このことは作戦計画に織り込み済みで、人間達を神社に送り届けた事を確認したら傭兵団は里の防備にまわる手はずになっている。今は里に風見幽香もいるし、何も問題はないだろう。
 そして、慧音はまだ気付いていなかったが、里には幽香以外にもう一人強い妖がいた。

 その強い妖である死神エリーは、妖夢と交戦して敗れた後、敬愛を通り越して溺愛する風見幽香と共に、もぬけの空となった里の酒場でちゃっかり酒盛りをしていた。
「さて、そろそろかしらね。」
 戦と異変の潮目を感じた幽香が、ちびちびとやっていたコップ酒をカウンターに置く。
「幽香ちゃん、そろそろってまだ何かあるの?」
 自分の仕事は終わったと安心してすっかり出来上がっているエリーが尋ねる。
「一発大きいのぶち込んでおいたでしょう?」
「ええ。でもそれがどうしたの?」
「ふふ、あれはただストレス解消でやった事じゃないのよ。」
「ふーん。でもそれでストレス解消はしたんでしょう?」
「ええ、まぁ・・・って、何言わせるのよ。」
「げふっ!」
 幽香の肘鉄を食らって身体が通常曲がらない角度で横に『くの字』に一瞬折れるエリー。人間なら即死に近い攻撃だったが、それを貰った死神の顔は何故か嬉しそうである。
 幽香に見つかって無理矢理酒場の女将の真似事をさせられている事にまんざらでもないミスティア・ローレライは、この二人の不思議な関係にどことなく既視感を覚えて、手を動かしながらその事を考える。
 この容赦ない突っ込みにも嬉しそうな表情にどこかで見覚えがある。
「(誰だったかな・・・あ!リグルだ!)」
 虫の妖怪であるリグル・ナイトバグは、幻想郷の虫達を眷属として自在に操る事が出来、その虫達の糧となる草花を操る風見幽香と非常に相性が良い。その為、誰も近寄らない凶悪な風見幽香に自から喜んで近づく希有な妖怪としても強くないわりに知名度が高い。
 幽香にしても草花や畑の作物などの受粉で虫はとても役に立つので直接的な主従関係は結んでいないにもかかわらずリグルをそれなりに重用しており、今回の異変に関してもある仕込みをリグルとその配下に手伝わせていた。

「幽香さぁーん!」
 そこへ噂をすれば何とやらで、ミスティアの頭に浮かんだ顔が突然店に現れる。
「あら?リグル、御苦労だったわね。ミスチー、リグルにも一杯お願い。」
「あれ?ミスチー里に店出したのかい?」
 スペルカードによる弾幕戦闘に興味を示した東部妖怪では最初期に参戦した妖怪として交友のあるリグルとミスティアは、特に仲が良いというわけではないが顔見知りではある。
「え?あ、いやこれは・・・。」
「ちょ、ちょっと、幽香ちゃん!誰よこの男!」
「な!ぼ、ぼくは雄じゃありませんよ!」
「え?雌なの?雌なら尚更駄目よ。」
「何でですか?貴女も雌でしょう?」
「雌言わないでよ。私はお・ん・な!わかった?」
「何が、お・ん・なだよ!人間みたいな事言って!」
「虫けらよりましよ!」
「む、虫けらだとぉ!」
「虫というかゴキ・・・。」
「いいかげんにし・・・ん?」
 初対面なのに何故か仲良さそうな喧嘩を始める2人。ミスティアは、同族嫌悪だと思いつつ言ってはいけない言葉をエリーが発する前に仲裁に入ろうとしたその時である。店の棚や戸がカタカタと小さな音を発している事に気付き、その場にいた全員の動きが止まる。そして幽香以外の3人は同じ事を想像し、1人は不安ともう2人は期待に胸を躍らせる。

 大地の怒りは幽香の怒り。この振動は幽香の怒りであり、喧嘩をする2人に天罰が下る前触れだろうとミスチーは判断して、咄嗟にお盆を取って顔の前に差し出して防御姿勢を取る。
 一般的な里の女性くらいの背丈のリグルと、一般的な女性より背の高い幽香よりも更に長身のエリーが幽香の後ろで互いの胸ぐらを掴んだまま停止し、何かをじっと待っている。
 どのくらい時間がたったのだろうか。ほんの数十秒だが、待っていた者にとってはとてつもなく長く感じられた時間が過ぎると、幽香は何事も無かったかのように振動が続いてる店内を無視して妖怪女将にお酒のおかわりを要求する。そして、ずっこける2人。
「ちょっと幽香ちゃん!それはあんまりでしょう?」
「何が?」
「そこまで怒っているならここはガツーンっといくべきじゃない?」
「そうですよ!」
 掴み合った手をお互いに離して今度は2人並んで息を合わせて不満を幽香にぶつけだす。
「別に怒ってなんかないわよ。」
「うそですよ!だってほらこんなに大地が揺れてる!」
「地震か何かでしょ?」
 ただの地震ではないことは知っているがキョトンとしてとぼける幽香。
「大地が揺れるのは幽香さんが怒っているからですよ!そんなの幻想郷の常識ですよ!」
 リグルの力説に頷くミスチーとエリー。幻想郷では妖怪の山の内部圧力で岩盤がずれる際に結構大きめの地震が起こる事があるが、幻想郷における地震は自然現象ではなく風見幽香が怒っているというのが定説となっている。
 その言葉を聞いた幽香が無表情のままスクっと席から立つと同時にリグルがその場に腹を押さえてうずくまる。ミスティアには幽香がリグルに放った高速ボディブローが見えなかったが、リグルのうずくまった理由は十分理解出来た。
「ああ!虫けらばっかりずるー・・・げふっ!」
 最後まで言う前に崩れ落ちるエリー。恐らく内蔵の一つや二つ完全に逝ってると思われるが、それでも嬉しそうな2人。ミスチーは自分には到底理解出来ない危険な世界が存在する事を知る。
「幽香さん?ほんとに怒ってないのですか?」
 恐る恐る尋ねるミスティア。
「怒ってなんかないわよ。」
 不機嫌そうに言う幽香の語気は怒りに満ちている。
「でも、だったらこの地震・・・や、やっぱり怒ってる!?」
「だから・・・って、ああ!もういいわ!そろそろ次のステージが始まるから、私は外に出てるわね。その2人は放っておいていいわ、いつものことだから。」
 今更自分が地震を起こしているわけではないと言っても、すぐには信用してくれないだろうと諦める。
 この振動の意味を知っている幽香は、『妹紅の異変』が次の段階に進んだ事を理解して、次の自分の役割の為に準備をする。
「あ、はい・・・。」
 頭にかぶせていた三角巾と割烹着を取ると、倒れている2人をおいて幽香の後を追うミスチー女将。

「あ、貴女・・・なかなかやるわね・・・。」
「貴女こそ・・・。」
 エリーは自分より先に『ご褒美』を頂いたリグルに同類としての親近感と同時に対抗心が芽生え、床に伏せたまま手を伸ばしリグルに拳を向ける。これはライバルとして相手を認める合図であり、リグルはその拳に自分の拳をコツンと軽く合わせてライバル宣言に受けて立った。


 不死鳥の転生、つまり自爆の寸前で不意打ちを喰らった妹紅は、振動する要塞を尻目に、技の名前を劇的に叫びながら阿保みたいに火の玉を乱射する謎の妖怪に対して常に高位を維持して火の玉が地表に誤射されないように立ち回っていた。
 要塞から発する振動は次第に大きくなり、地鳴りの様な振動音が鼓膜を叩いて周囲の音をかき消していき、『その時』が刻一刻と迫っている事を妹紅に報せている。
「(どうする?)」
 妹紅はここに来て激しく動揺し戸惑っていた。これまで異変は自分の思惑通りに進んでいた。しかし、最終局面にきて全く予想していなかった伏兵が現れたのである。
「(まさか・・・な。)」
 自分が支配していると思い込んでいた異変だが、実は別の誰かによって牛耳られており、それに気付かずただ踊らされていただけではないのか?そんな疑念が生じる。
「(一体誰がこいつを・・・。)」
 妹紅はこの妖怪をここに遣った存在を想像し、その者こそが真の異変の支配者ではないかと勘ぐる。
 八雲紫、永遠亭、守矢神社、紅魔館、人間の里の妖怪、上白沢慧音、風見幽香、魅魔、西行寺幽々子、四季映姫、或いは妖怪の山の大天狗、西洋墓地の吸血鬼の英霊達。それともまだ見たこともない強い妖達だろうか?
 幾つかの強大な存在や勢力を挙げてみるが、この妖怪と結びつく接点が見いだせない妹紅は、人工的に作り出す熱の力を主体とするこの力が永遠亭の用いる力に近いと感じ、思考がそちら側に傾いてしまう。
 この状況下における正しい判断は、この妖怪が誰に遣わされたかをあれこれ考える事ではなく、当初の予定通りかまわず自爆してしまえばいいのだ。しかし、妹紅はこのイレギュラーをそのままにして、強引に事を進める事が問題を解決する妖術使いとしての矜持に反するようで決心が付けずにいた。
「ここで、無駄に時間を潰すのは得策ではないが・・・ん?待てよ・・・。」
 何が『得策ではない』のだろうかと、妹紅は自分で発した言葉の矛盾に気付いて自問自答した。
 全く予想がつかなかった展開に面食らったが、元々時間を長引かせる為に様々な仕込みをしてきたのではなかったか?
 この状況は下からも見えているはずで、恐らくアクシデントが発生してスケジュールに遅延が発生していると判断しているだろう。紅魔館側がその方向で動いてくれればなおさらである。
 スキマ砲による迎撃と魔理沙突入による直接迎撃の二本立ての計画を立案した八雲紫は、計画が失敗し霧雨魔理沙を死に追いやった責任を取る事になるが、その魔理沙を突入させる原因が妹紅の自爆遅延となれば、その責任は2人に分散されてしまう。
 このアクシデントが発生した状況は、計画立案者の予見能力や先見性の無さとして問題に出来るし、強いては責任問題にもすることが出来る。考えて見ればこの状況は渡りに舟ではないか。
「(これは、天の恵みか・・・。)」
 妹紅はこの伏兵の登場をネガティブな要素として捉えてしまったが、ここで発想の転換をした。この妖怪はこの異変に関わった『誰か』とどこかで繋がっており、苛酷で無惨な運命を背負い、救われんがために自分の元に導かれた存在なのだ。幽香や妖夢の様に、これまで全く接点の無かった者が短期間で自分に近づいて来たのと同じ様に、この妖怪の接近にも何らかの意味があるのだ。
「やってやろうじゃないか!お前に与えられた死の運命は、この私が喰い破ってやる!」
 妖術使いの目になった妹紅は、守勢から一転攻勢に移る。
 風見幽香の説いた『破壊と再生の法則』に従えば妹紅はまずこの妖怪を破壊しなければならない。破壊という状態には様々な形があるだろうが、ここでは力で挑んできた相手を純粋に力でねじ伏せることだろう。
 妹紅は逃げるのを止め反転すれ違い様に相手の衣服に小指を引っかけると、そのままたぐりよせて組み技に持ち込む。力任せで無秩序な弾幕一辺倒の妖怪は、反撃に転じた妹紅の老練な攻勢に為す術も無く、密着されたまま一方的に撃たれ始める。
「(何だこいつ・・・。)」
 近くで見るとその妖怪の手足は不自然に後から部品を取って付けた様に見え、明らかに人の手によって改造された痕跡が見える。改造と聞いてまた永琳を思い出すが、永琳の造型センスとは明らかに違う事が伺える。これはやはり永琳とは無関係だと確信し、攻撃と観察、そして分析を同時に行いながら、近接格闘戦で相手の体力を削いでいく妹紅。
 豊満な乳房の間にある不自然な赤い隆起物から自然の力とは思えない何か毒々しい気を感じると同時に、妖怪の瞳が何者かに操られている生気の無い独特な目をしている事に気付く。
「誰かに操られているのか!」
 命令され自らの意志で了承してやっているのではなく、何者かに強制的に操られている。これは何か裏があると咄嗟に判断した妹紅は、妖術使いの血がざわざわと騒ぎ出し、誰がこれを操っているのか無性に知りたくなる。
 妹紅に組み付かれてボコボコにされて息が上がり始めている妖怪。恐ろしい程に頑丈で普通の妖怪ならとっくに伸びていてもおかしくないが、戦意喪失の気配が全くしない。これは操られて肉体の限界まで戦わされるようになっているのか、或いは元々丈夫なのかどちらかだと思われるが、恐らくはその両方だろう。
「精神を乗っ取るには先ず気を失って貰わないとな・・・。」
 隠された秘密を探るには、相手の精神を乗っ取るのが手っ取り早く確実な手段であり、老練な妖術使いの妹紅としては、その作業は至極簡単なものである。しかし、この妖怪は誰かに既に操られている状態で、事前に催眠術や暗示を掛けられている相手には同系統の技を掛けて上書きして打ち消す事は難しい。
 何者かに操られている状態は一種の催眠状態にあるため、別の催眠系の技の上書きやすり替えが不可能で、更に精神的なゆさぶりもほとんど効果がない。こういった者を攻略するには、肉体的な損耗を強いて気力を削ぎ気を遠くさせる事である。
 妹紅は丈夫な妖怪なら多少無茶をしても死なないだろうと判断し本気で殺しにいく。
 遠隔攻撃一辺倒で組み合った戦いの経験が全くない様子の妖怪。近接戦闘の経験だけでなく、命を取り合うような本格的な戦闘経験そのものが異様に浅いか、全くない様にも思える。まるで練習用の人型でも相手にしているかのように、こちらの連続攻撃が恐ろしい程簡単に決まってなんだか申し訳ない思いになる。
 妹紅は大筒が付いている腕とは逆の左手首を掴んだままがっちりと固定し、大砲の可動半径の内側で攻撃をする。掴まれ砲撃が出来ない事を異様に嫌うその妖怪は、妹紅の腕を振り払う事に注力して腕をばたつかせて必死に抵抗するが、妹紅の押せば引き、引けば押すを繰り返す巧みな動きに翻弄され妖怪の体力は無為に削られていく。

 要塞は少しずつ下降しているので時間を掛け過ぎればいずれ結界を突き破ってしまう。スキマ砲を失敗させる為に意図的に時間を遅らせてはいるが、遅らせ過ぎても駄目である。八雲紫を精神的に追い込む事を考えた場合、スキマ砲の発射直前のタイミングでパージさせるのいいだろう。つまり1時45分から50分の間だ。
 既に空の端まで結界が行き届いており、完全に天と地が隔てられている。妹紅の眼下には、最初の薄紅色の貧相な結界の膜ではなく、深紅の見るからに堅そうな結界が広がって僅かに地表が透けて見えるだけである。これも外から呼んだ神様の力のお陰だろう。これなら要塞のコアが結界近くで爆発しても簡単に破られる事はないだろう。

 妹紅は全体の状況分析しながらタイムリミットを決め、残り時間から逆算してそろそろ頃合いと見る。
 大砲から発射する火の玉以外に有効な攻撃手段を持っていない妖怪の射角の内側で行動していた妹紅は一転、掴んで離さなかった左手を離して相手を自由にする。腕を引いたタイミングで手を離したので、妖怪は勢いで一回転して止まり、ようやく攻撃出来ると歓喜して前方にいる筈の標的にすかさず照準を合わせる。しかし、その単純な動きを予め予想していた妹紅は渾身の踵の一撃を大筒の先端に蹴り下ろす。
 八枚の長細い板を筒状に組み合わせた八角形の大筒の先端に強い圧力を受けた事によって、火の玉を撃ち出す筒の先端が破壊され、結合している各部品がストレスに耐えきれず砲身全体が一気にはじけ飛ぶ。この状態で火の玉を撃てば暴発してしまうので普通に考えればもう火の玉は撃てないだろう。
「くっ!」
 破損して使い物にならなくなった大筒に驚愕した妖怪は、次にどうすればいいのか分からずパニックになる。想像した通り攻撃手段がこれしかなく、頼みの綱が壊された事で相手は精神的なダメージを受けているようだ。
 妹紅は間髪入れず右腕の肘より下についている大筒を抱えると関節を逆に折ってまだ残っている筒の付け根を強引にもぎ取る。
「なっ!」
 ここで妹紅は驚いてしまう。この妖怪は巨大なエネルギーを蓄えた大筒に右腕を突っ込んでいるだけと思ったいたが、肘から下の筒に隠れていた部分が太い管と不自然に接合されており、生身の体と機械仕掛けの大砲が内部的に繋がっていたのである。
 大筒の外装は腕と接合している部分から割れて破片を飛ばしたが、内部機構は完全に破壊されずそれらを繋ぐ大小様々な部品と無数のコード類が絡み合って大筒は完全な破壊を免れていた。
 妹紅は機械の事はさっぱりだったが、永遠亭との長い付き合いがあるおかげで高度な機械を結構な数見ている。その為、永琳の作る機械と比較してこの筒の中の構造が物凄く原始的で粗末な物に見えた。
 大筒の中に人工的な力を精製する仕組みがあるのではないかという当初の見込みだったが、それらしい装置は見当たらない。肉体と機械が繋がっている事から、砲のエネルギーは体内で精製されているのだろう。胸のあの赤い隆起物が怪しい。
 この妖怪は人工的に作り出された所謂ロボットなのだろうか?しかし、取って付けられた様な部品以外は明らかに普通の妖怪にしかみえない以上、生きている生身の妖怪に機械を取り付けて改造したとしか考えられない。
 色々と調べたい妹紅だが、精神を乗っ取ってしまえば、この妖怪が何者でこの様な体になった経緯も全て分かると思い、先ずはこの妖怪の完全無力化を優先する。
 背後に回った妹紅はバラバラになった腕とは逆の左腕側の脇の下から腕を回して妖怪の首を両腕で抱きかかえる様に締め上げ、外されないよう両足で胴体をがっちりと固定する。いくら頑丈でも首を締め上げて血流や妖気の流れを堰き止めればただでは済まない。
 首を絞められ予想通り苦しむ妖怪は、身の危険を感じ絞め技から逃れる為に力を振り絞る。
 相手が人間なら大抵無駄な抵抗で終わるが、妖怪の場合、生き残る為の生存本能が活性化され奥底に眠る潜在的な力が湧き上がって一時的に能力が数倍に膨れあがる。妖怪達のそうした生存戦略を熟知している妹紅は、生き残る為の必死の力が湧き出るタイミングを見計らって拘束を外し、手首の関節を爆発させ、そこで発生する膨大な瞬発力を利用した鉄杭の様な重い拳の一撃を無防備な妖怪の下腹部にお見舞いする。
「ぐえぇっ!」
 妖怪の中で爆走する生存本能によって呼び出された妖気が内から外に飛び出す一瞬を狙い、出口を抑えて内側で爆散させる妹紅。体内で爆発した力は、自分自身に跳ね返って身体に痛烈なストレスを与え、どんな攻撃にも顔を歪めなかった妖怪の顔が初めて苦痛に歪む。
 腹を打たれて身体をくの字に折った妖怪はそのまま体内で起こる妖気の逆流と誘爆に悶絶する。普通の妖怪なら耐えきれずにここで絶命するが、この妖怪はそれにすら耐えてしまう。もちろん妹紅はそれに耐えると予め予測して殺しにかかったのであるが、この凄まじい体力には驚くばかりでる。
「驚いたな・・・頑丈さだけなら幻想郷一だ・・・。」
 妹紅は驚きを隠せず冷や汗が出てきたが、ここで妖怪の目に生気が蘇っている事に気付いた。
「気付いたか・・・。」
 操られて闘争本能だけで戦っていた妖怪に理性が戻る。
「あ、あれ?ここは?」
 夢から覚めた様に周囲を伺う妖怪。すぐに体中に激痛が走って呻く。戦闘中は恐らく無痛状態だったのだろう。その反動が激痛となって身体全体を無惨に襲う。
「さとり様!さとり様は?お燐、お燐どこ?痛い、身体が痛いよ・・・助けて・・・私死んじゃうよ!」
 顔を覆う力もなくなった妖怪はその場で大粒の涙を流し、大声を出せる力もないので嗚咽だけを上げる。
 妹紅はそんな名も知らぬ哀れな妖怪の声にいくつかの名前と思しきキーワードを聞きながら、鬼の形相で近づき怯えさせる。既に戦意は喪失しており、目の前の鬼を畏れて魂が萎縮する妖怪。理性が戻れば畏れで相手の自由を奪う事は容易いものだった。
 妹紅は値踏みするように妖怪を見下ろし、おもむろに右手を上げる。拳が金色に輝く粒子の固まりになると、そのまま黄金の拳を妖怪の胸の赤い隆起物に突っ込む。
「許せ!」
 声の出ない絶叫を上げた妖怪は、そのまま雷に打たれた様に背中を反らして、ここでようやく気を失う事が出来た。
 妹紅は気を失い心と身体の痛みから開放された妖怪から抵抗を受けずに精神に侵入を始める。

 謎の妖怪の精神に侵入した妹紅は、無重力の空間を慣性で上から下へゆっくりと流れる様に落ち、真っ白な精神世界を深層方向に向かって探索を始める。
 人間の精神の中は複雑で、表に見せない暗い感情を内に抱えている者が多く、表面的な人柄とは打って変わって精神世界の景色はどす黒いものだったりする。本音と建て前が有るように人の精神世界は複雑怪奇で問題の解決は根気のいる難しい作業だが、妖怪は精神構造が単純な者が多くあまり複雑ではない。そしてこの妖怪は、シンプルな妖怪の中でも極めつけにシンプルで、ある一人の女性が精神世界の大半を占めていた。
 通り過ぎる様々なビジョンからその女性が『さとり』と言う名前である事を知り、そしてこの妖怪が『おくう』と呼ばれている事も、飼い主とペットという2人の関係も理解した。
 更に精神の深いところに落ちていくと、正確な本名も見つける事に成功した。
「霊烏路空・・・れいうじうつほで、お空か。」
 ここで名前を奪って呪い殺す事も可能で、陰陽師なら式神とすることも可能だろう。
「誰かに名前を取られて操られていたのか・・・。それに、さとりってどっかで聞いた名前だな・・・でも、私が知るさとりの姿格好とは全然違う。」
 妹紅は古明地さとりと面識があるわけではないが、妖怪さとりの手配書の人相書きは見た事があった。
 精神世界の浅いところには桃色の髪の少女さとり以外に、お空の知り合いと思しき獣の形と人型の妖怪が何人か見える。その中に意外にも霊夢や魔理沙の姿もあり過去に戦った形跡がある。
 妹紅はそこから深層に下るのを一旦止めて横に広がる霊夢らとの関わりを探ったが、どうやらこのお空は過去に地底で異変を起こし、その解決にやってきた霊夢達に討伐されたようである。
「こいつが自分から異変を起こすとも思えないが、あのさとりという女が黒幕か・・・。いや、そういう感じではないな・・・。もっと奥に下に降りて見るか・・・。」
 妹紅は更に深層に落ちる。
 ここは本人でも気付かない自分が存在している心の最深層部で、その人の本質が分かる場所だ。何かあるとすればここだろう。
「何もないな・・・さとり以外は・・・。まるで赤ん坊の精神構造だ。」
 赤ん坊のように純粋なお空にとって最愛のご主人様がここにいることは何もおかしくはない。しかし、先程の温かい雰囲気とは打って変わって黒い闇に覆われている事に違和感がある。
 一人だけ深層の闇にたたずむのは何かおかしい。純粋な心の持ち主ならここは光に包まれているはずだ。
 妹紅は一人佇むさとりの前に歩み寄って問う。
「お前は誰だ?」
 少女は何も言わず、妹紅を指さす。しかし、それは妹紅を指したのではなくその背後を示した動作だった。
「向こうに何かあるのか・・・。」
 妹紅は言われた通り、何も見えない闇に向かって歩き出す。
「・・・誰か居る・・・あのシルエットには見覚えがある・・・。」
 闇の中に浮かぶ黒い影。あぐらをかいて座り背中に大きなしめ縄の輪を背負っている。
「(八坂神奈子!お前だったのか!)」
 妹紅は、静かに瞑想するように佇む八坂神奈子を見下ろしながらしばらく様子を見る。
 精神世界の深層に入り込んでいるという事は神奈子がお空を支配していることに間違いないだろう。問題はどこまで支配されているかである。完全に支配されているなら、こちらが何かするとそれなりのリアクションが予想される。
 しかし、妹紅はある理由で完全な支配はなされていないと確信出来た。それはここに至までほとんど抵抗や偽装などの妨害行為がなかったからである。
 精神の完全な乗っ取りなどそう簡単にできるものではなく、そして乗っ取る様な高度な技を使う手練れなら、解除されないように侵入者を追い払うなり迷わせる防御策を予め講じているはずである。
 或いは深層までおびき寄せる罠という可能性もあるが、異変に荷担する八坂神奈子が異変の重要な局面において自分を罠に嵌める理由も見当たらない。

 お空の精神世界を見るに単純でお人好しな性格なのだろうという事が覗える。こういう性格の者はそれほど能力が高くない術者でも比較的簡単に言う事を聞かせる事が出来る。それなりに強い神様なら猿真似でも精神乗っ取りくらいはできるだろう。
 神様は他の妖と違い、自分自身を分離して信仰の入り口を増やす分社を行う事が出来、似た様な仕組みでこのお空の身体に分身を住み着かせ、本体の八坂神奈子が間接的に操っているという可能性もある。
 仕組みは単純で後遺症も無く、表面的に誰かに操られているという痕跡が発見しづらく、気付かなければ永遠に根を張り続ける事が出来るというわけである。
「(高度な術の痕跡はない。神様の力で妖怪を支配しただけだな・・・。)」
 本来なら逆探知されないように防御策を講じるわけだが、八坂神奈子にはそうした術者としての能力は無く、セキュリティが全く施されていない。目の前の分離体を始末するなど赤子の手を捻るより簡単である。
「(ふふ、いいこと思いついた。)」
 情報流出を防ぐ防壁がない以上、情報は全て垂れ流しである。本体から分離しているが情報を共有しているのは間違いないので、妹紅はこの場を利用して八坂神奈子の情報収集を思いつく。
「(素人がこんな事をすればどうなるか思い知らせてやる。)」
 妹紅は洩矢諏訪子に対して神威を感じ畏怖の念を持って丁重に対応出来るが、八坂神奈子については一切の神威を感じず神様として見ていない。神様である事には代わりはないだろうが、永い間続く人間の信仰によって支えられている神ではなく、何らかの事情で発生した新しい神様なのだろう。例えば面白半分で祀った大木が中途半端な神様になってしまった・・・などである。
 妹紅はその理由も含めて、お空をあそこによこした理由を探ろうと試みる。

「八坂神奈子。」
「なんだい?」
 名前を呼ばれて目を開けて素直に返事をする神奈子。やはりセキュリティがかかっていない。
 妹紅の中にいる八雲紫の妹藍の思念体は、情報のやりとりをするためにいくつかの面倒な手順を踏まなければならないが、ここにいる神奈子の分離体は、探られる事を全く考慮していなかったのか情報の流出を防ぐ為の手段を何も施していなかった。こちらの質問には全て包み隠さず答えてくれるというわけである。
「お前は何を企んでいる?」
「質問が抽象的だな。もっと具体的に。」
 敢えて抽象的に尋ねて相手の出方を伺う妹紅は期待通りの答えを聞いて安心する。この神奈子には一切の情報流出を防ぐ鍵がかかっていない。
「お前は何故おくうと私を近づけた?」
「言う事を聞かない馬鹿な烏を焼却処分する為に焼却炉に放り込んだのさ。」
 妹紅はそれを聞いて納得した。乗っ取ったはいいが扱いづらいこの馬鹿な妖怪に手を焼いて、今回の異変にかこつけて処分しようとしただけで、特段深い意味はなかったのだ。それを理解した上で次の質問をする妹紅。
「おくうに目を付けた理由は?」
「こいつの頑丈な肉体は放射線を完全に遮断出来る。この身体を利用すれば生きた核分裂反応炉を作り出す事が出来、そうなれば膨大なエネルギーを巨大な施設を作らずに獲得できる。」
「しかし、制御できず自分勝手に行動してしまうため、おくうをエネルギー発生の設置装置として運用できなかった。」
「その通り。」
 妹紅は放射線などの専門用語は分からなかったが、そのエネルギーを兵器としてではなく別の何かに転用する腹づもりだったらしい事は理解出来た。
 妹紅は守矢神社の事情は理解したが、おくうをこのまま道連れにする事を戸惑う。
「(もう少し時間はあるな・・・こいつの命をどうするかは、もう少し話しを聞いてから決めるか・・・。)」
 体内に核分裂炉を持つおくうの存在が危険な事にかわりはなく、殺しても致し方なしと判断できればそうするしかない。しかし、妖怪を改造する動機に邪悪な何かがあるなら許す事は出来ない。
「守矢神社は何をするために幻想郷に来たんだ?」
 妹紅は一旦おくうから離れる。
「向こうに居場所を無くした東風谷早苗の安寧の為にここに来た。」
「こちやさなえ?」
 妹紅にとってこの名前は初耳である。
「洩矢諏訪子の孫にして原人神、ミシャクジ様の血を引く奇跡の力を持つ少女さ。」
「守矢神社の巫女か?」
「巫女ではない。」
 守矢神社の巫女として周知されていた東風谷早苗が巫女ではないという発言はかなり重大な意味を持っていたが、事前に巫女という情報を得ていなかったので、この発言の意味の重要さに気付いていない妹紅。単純に神社だから巫女と連想して尋ね、違うと指摘されただけの事と軽く受け止めていた。
 話しを聞くとこの少女は、恐らく何らかの強い能力を持ち、所謂「鬼子」として向こうの世界で忌み嫌われる存在となり、そんな哀れな少女を守る為に、血縁のある諏訪子などが幻想郷に連れてきたと捉える事が出来る。
 そして、この事とおくうに何か関係があるのか聞いてみる。
「おくうと早苗には何か関係があるのか?」
「早苗は現代の人の子。幻想郷の様な田舎者ではない。原始的な暮らしに適応するのは難しいのでなるべく向こうの世界と同じ生活水準にしようと、おくうと言う発電機を作ったというわけさ。」
 妹紅はおくうの改造に不順な動機を感じ眉間に皺を寄せる。
「そんな事の為におくうを改造したのか?」
「おくうの体を使えば猛毒のエネルギーをクリーンなエネルギーに替えられる。これは人類にとって大きな進歩に繋がる重要な実験でもある。大義の前には犠牲は付き物だろう?」
 妹紅は腹の中が煮えくりかえる。身勝手で理不尽な悪党の理論だ。しかし、ここで反論しても分離体であるこの神奈子を説得する事は無理であり、時間の無駄でもあるので怒りを無理矢理抑える妹紅。
「お前らは幻想郷をどうしたい?」
「お前ら?私はひとつだ。」
「洩矢諏訪子はお前と企みを共有していないのか?」
「東風谷早苗を幸福にするという点で諏訪子とは企みを共有しているが、幸福の形はそれぞれさ。」
「なるほど。お前にとって東風谷早苗の幸福とは何か?」
「少なくとも今は電気のある向こうと同じ生活さ。」
「今は・・・か。わかった。もういい。」
 妹紅の質問が終わったという合図を受けて目を閉じる神奈子。
「(・・・とんでもない悪神を幻想郷に入れてしまったというわけか・・・。)」
 電気のある生活という事は向こうの生活水準と同じ生活を望んでいるという事だろう。そして、その欲求は現時点の事であり、その欲求が満たされたらそこで終わりというわけでもなさそうである。
 これ以上の質問をしている時間的な余裕はもう無く、そして八坂神奈子が悪神である事を理解した妹紅は、その悪意の犠牲となったこの哀れな妖怪を何としても救わなければならないと心に決める。
「死ね!」
 妹紅は手刀を神奈子の顔面に突き刺す。その攻撃を受けたまま微動だにせず目を瞑ったままの神奈子は次第に色が褪せていき濁った白色の人形の様な姿に変わっていく。
 神様は死ぬと塩の塊となる。妹紅は手刀を抜いて元神奈子だった塩塊を前蹴りで砕き崩す。
 一瞬間が空いて、散らばった塩の塊は闇に溶ける様に消えていく。これで分離体の排除は終わった。もうこの妖怪は操られる事はなくなるだろう。
 そして神奈子の分離体の消滅と同時に、暗闇から真っ白な優しい輝きに満ちた世界に変わる。
「ふふ、良かったな。」
 桃色の髪の少女の膝を枕にして幸せそうに寝ているおくうの姿が見える。
 妹紅は問題を一つ解決し、妖術使いとしての矜持が満たされ満足するが、その時、おくうの頭を優しく撫でているさとりと目が合い、何かを訴えるように口を動かしている事に気付く。
「・・・に、げ・・・て?逃げて?どういう事だ!?」 
 口の形から言葉を読み取った妹紅は、その意味が分からず答える筈もないさとりに質問を投げかけたその時、地震の様な振動が発生し周囲の景色が音を立ててガラガラと崩れ始める。妹紅は慌てておくうの精神の深層部から離脱する。

 おくうの精神世界から現実世界に一気に戻った妹紅は、自分の腕の中でぐったりしているおくうの身体が強烈な光を放っている事に気付いてギョッとする。
「しまった!あの分離体はおくうの臨界を防ぐ安全装置でもあったんだ!」
 妹紅は永琳の計算し尽くされた正確な演算技術とそれを用いて行われる科学的な攻撃をその身を持って体験してきた。神奈子の言う核分裂反応とやらも、永琳の使う科学という分野に含まれていると判断して、計算された上でしっかりとおくうの管理が行われていると思い込んでしまっていたのだ。
 しかし、実際は神様の力で妖怪と科学を無理矢理繋げて安定させていただけなのだ。
 安全装置を壊せば力のバランスを失い暴走し暴発するのは当然の事。そして今正におくうは臨界点に達しようとしていた。
「くそっ!」
 妹紅は自身の失態を悔やむ愚を犯さず、今どうすればいいかだけを考える。
 このおくうの爆発は八坂神奈子の企みが一つ成就するというだけで異変そのものには影響しない。しかし、この哀れな妖怪を救うと決めた。
 幻想郷の未来を考えた時、悪神八坂神奈子は絶対に討ち倒さなければならない存在だ。そして、彼女の思惑を阻止する事が彼女に対する痛烈な一手となるはずである。
「絶対に助けてやる!」
 妹紅は自分の腕の中で今まさに爆発しようとするおくうをぎゅっと抱きしめ心を決める。
 おくうの内部で暴発するエネルギーの濁流は、目や口、鼻や耳の穴から閃光となって漏れだしている。妹紅は光に溶け始めて姿が見えずらいおくうの口に自分の口を近づけ、唇と唇が合わさるや強引におくうの内部のエネルギーを呑み込み始める。
 ゴクリゴクリという音と共に妹紅の喉が何度も何度も脈打ち、流れ込んだエネルギーで食道や胃を融解させては元に戻すを繰り返す。一歩間違えばその場で内蔵が溶けてリザレクションを起こしてしまうが、永琳から致死性の攻撃を何度も受けているお陰で、死の一歩手前で何とか自分の身体を維持させる事が出来た。
 大量の放射線を体内に吸収して外部からも内部からも被爆し、人の形を維持する為の遺伝子情報が崩壊していき、妹紅の身体はグズグズに崩れ得体の知れない姿に変わっていく。
 妹紅は遺伝子についてよく分かっていないが、自分の身体が元通りになるのは、元の形状を記憶するなんらかの仕組みが生き物には備わっている事を経験で知っていた。しかし、今その情報が無惨に崩壊して、肉体が思った通りの形に戻らない事を知り、おくうの中に存在する核分裂反応によって生じる有害な何かが生き物にとって最悪の害悪である事を認識する。それと同時に先程聞いたおくうを介すクリーンなエネルギーという意味を理解した。
 妹紅はリザレクションすれば完全に元通りになることを知っていたので、ほとんど液状化してしまった自分の身体にも慌てず、むしろこれを利用しておくうを包み込み、臨界エネルギーを効率よく取り込んでいく。
 間もなくエネルギーの濁流は止まりおくうの身体は安定する。妹紅は崩壊する身体の修復作業を止めて、そのまま死亡判定を出して、リザレクションをして完全に元の姿に戻る。
「ふぅー。久々のリザレクションだな・・・。」
 妹紅は新しい再生維持の力を身につけてからは無駄に命を散らさない様に努めてきたが、今回はしようがないだろうと自分に言い訳をし、腕の中で気を失っているおくうを優しく見下ろす。
「予備を作っておいてよかった。」
 魔理沙を脱出させる為に仕込んだスキマの巻物以外に、余った紫の髪の毛を使って自宅直通の巻物を用意していた妹紅。
「もう、タイムアップだな。この特別な死を噛み締める為にもう少し時間が欲しかったけど・・・。」
 妹紅はパージ寸前の要塞、そして眼下の幻想郷を交互に見て、大きく深呼吸をする。
 不死鳥の転生の後は、幻想郷がどのように治まって、自分がどこで再生されるのか全く見当がつかない。恐らくしばらくの間幻想郷とはお別れだろう。そして復帰までの間に上白沢慧音の罪が問われて刑罰を受けないよう、八雲紫も同時に長期休暇をとってもらうことになる。その為に色々と仕込んできたのだ。
 1年、2年、あるいは10年、100年単位になるかもしれない、特別な死別を前に妹紅としても流石に感慨深いものがあるわけで、自爆前は色々と考え事をしたいとも思っていた。
 しかし、そんな時間はもう無く、腕の中のボロボロの妖怪に全てを台無しにされた形となった。
「こいつめ!」
 妹紅はどこか憎めない眠っているおくうの鼻先を指で弾いて、スキマを開いて乱暴に放り投げる。
「さて、逝くか!」
 妹紅は両手をパンと音を立てて合わせると、瞬時に羅刹モードになる。
 八雲紫の妹藍との死別後、廃人同然となった抜け殻の妹紅に目をつけた不死鳥がその身体を乗っ取ったのが全ての始まりである。
 不死鳥は本来その様な事をするはずはないのだが、この時、霊獣である火の鳥と融合してキメラ化していた不死鳥は、無差別に世界を浄化するのではなく、不要な存在を排除するという本来の役割から大きく外れた誤った方法で世界をリセットさせようとしたのである。
 信仰に頼って自らの力で生きようとしない人間を不要なものとして、戦国時代初期に一向宗の無差別殺人を妹紅の身体を使って行った事で、妹紅は殺戮者として大量の穢れをその身に溜め込み羅刹化してしまう。
 しかし、羅刹となっても藍から貰ったリボンのおかげで人型が維持され、その後も殺戮の限りを尽くした。
 ある時、一向宗の要人暗殺中のもみ合いでリボンが外れてしまい、妹紅はここで初めて鬼の姿になってしまう。不死鳥に操られていた妹紅は、穢れの力で強くなり過ぎた羅刹となった事で、不死鳥との主従関係が逆転してしまい、羅刹が不死鳥を従える今の姿になってしまったのである。
 辺り一帯夥しい骸の山を無意識に築き上げてしまった羅刹妹紅は、偶然取れたリボンを踏んで再び人間の姿に戻り、数十年ぶりに藤原妹紅本人が主体となったが時既に遅く、妹紅は身に覚えのない大量殺戮者としての罪と穢れを一身に背負う事になった。
 今は、妹紅本人が強くなりすぎて身の内の羅刹を制御出来ているのでリボンは不要となったが、つい先日まではリボンをとれば瞬時に悪鬼になり果てるという危険な状態だったのである。

 不死鳥を制御しているのは、正確には人間としての妹紅ではなく羅刹としての妹紅である。その為、不死鳥の力を直接制御するには一度羅刹にならなければならなかった。
 妹紅は目を瞑り、瞼の裏側に広がる闇に映る炎を纏った神獣と対面する。
「久しぶりだな、無様な焼き鳥め!」
 羅刹の妹紅は内に潜む不死鳥に恨みの罵声を浴びせる。

 神獣である不死鳥と霊獣である火の鳥。似て非なる2つの存在は、太古の昔ではそれぞれ別の存在と認識されていた。しかし、大陸を経由して様々な信仰の素材が大量に輸入されていくなかで、世界各地の同系統の神様が混同されて行き、特にモチーフとして多い鳥の姿をしたものは、時代を経る事に一つに集約されていく。
 不死鳥は世界の運行を司る四方守護神の一つで、世界を長期に維持させる上で必要な変化を担当してきた。その世界に住まう生き物にとっては、その変化は滅びに近い大いなる災いとなるが、次代への進化の起点を常に作ってきた。
 一方火の鳥は、人間やその他の動物などが環境の変化に順応する為の優れた個体の保存と循環を司り、全てを破壊する不死鳥を火と例えるなら火の鳥はその延焼を防ぐ水という関係なのである。
 神獣である不死鳥は人間の味方ではない。世界が人間を邪魔だと判断したなら、不死鳥は容赦なく人間を滅ぼすだろう。しかし、火の鳥はその不死鳥の破壊から常に人間を守ってきたのである。
 この相反する性質を持つ二つが混同されるということは、それぞれの本質を完全に破壊する事を意味し、実際不死身の妹紅の肉体を依代として、人間の世界を維持する為に不要な人間を処分するというおかしな行動を取ったのである。

 鬼妹紅は閉じた瞼の中にいる、様々な鳥のモチーフが合わさってキメラ化した不死鳥の首根っこを掴んで締め上げ、ラストワードを無理矢理吐かせる。
「さぁ、言え!世界を滅ぼすラストワード、ホワイトエンド(漂白の終焉)を!」
 苦しそうに悶える不死鳥を見て絞めた腕を緩める羅刹妹紅。すると、堰を切った様に劈く悲鳴の様な鳴き声が耳に木霊する。
 それは、人間の話す言葉ではなく、天高く響きわたる大鳥の断末魔、ラストワードだった。
 閉じた瞼の裏の闇が一瞬で真っ白に輝くと、妹紅は羅刹から人に戻って目を開く。
「これが・・・世界の浄化・・・か!?」
 自分を中心に色のある世界が無色に漂白されていくのが分かる。

 幻想郷で千年ぶりの不死鳥転生が今始まる。
東方不死死 第69章 「棄てられる者」


 幻想郷史上かつて無い大きな異変に直面した東外縁部で肩身の狭い思いをしていた人喰い妖怪達は、この混乱に乗じて総決起し西側に大侵攻を開始した。
 そして、それを阻止防衛せんとする各地の妖怪達も団結し、双方の間で大規模な戦闘へと発展し、吸血鬼戦争以来の大戦へと拡大していった。

「にょほほほ。こりゃー死体がたんまり手に入りそうで楽しみですのー。あ、そうだ戻るついでにみんなにお土産と・・・えーと、死体、死体と・・・。」
 地霊殿の主、古明地さとりのペット火車の火焔猫燐、通称『お燐』は、戦場に散らばるまだ出来たてホヤホヤの死体を見て久しぶりの帰宅にもかかわらず、我慢出来ずに自慢の猫車を帰路から大きく向きをそらす。

 幻想郷や冥界とも隔絶されていた旧灼熱地獄の元裁判所だった地霊殿は、先日、主のペットの暴走事件の後に解決に尽力した幻想郷側と交流が行われる様になった。交流といっても、地底から幻想郷に出る者は多かったが、好き好んでわざわざ地獄に行く者は少なく、ほとんど一方的な流出で、地底の奥にある地霊殿や旧都の存在は幻想郷側にはまだほとんど知られていない。
 旧地獄に行くためのルートは複数有り、妖怪の山の麓に広がる無数にある風穴のいくつかが地底洞窟と繋がっており、長く続く横穴から縦穴に降りると、そこがかつて閻魔に従う屈強な鬼達の住居だった旧都に辿り着く。今は平安時代から鎌倉時代にかけて討伐、封印された妖怪が大量に住みついているが、その更に先の灼熱地獄跡に蓋をするように建っている巨大な建造物が地霊殿である。
 地霊殿は巨体を持つ閻魔や巨大な鬼の番兵が活動していた為、それに見合う巨大な建造物となっており、建物は奈良の東大寺よりも数倍大きい。今現在は古明地さとりがその地霊殿の主の地位にいて灼熱地獄を冷温停止状態にしているが、それでも千度に近い余熱が残って自然発火し炎を吹き上げている。
 巨大過ぎる建物は主の古明地さとりやそのペット達が住まうには広すぎるため、中庭に小さな西洋風の建物を建てて普段はそこで生活していた。

 過去に封印された凶悪な妖怪達は主に旧都に住みつき、各派閥を形成して対立や互助の関係を長年続けて独自の文化を形成しており、地霊殿の古明地さとりが旧都を取り仕切る君主というわけではなく、地霊殿自体が古明地派という一派閥として扱われていた。
 古明地さとり自身は、聖白蓮の封印の際に一緒に地獄堕ちしたが、裏で法界に協力した功労によってこの地霊殿という大きな建物と灼熱地獄跡を与えられているが、彼女よりも先に地獄に堕ちている者にしてみればただの新参者である。
 しかし、さとりは相手の心を読み取る能力から、人間のみならず妖怪からも嫌われており、新参者が格別な地位を与えられて面白くない古参連中も、敢えて彼女と関わりを持つ事を避けて無視し、地霊殿は隔離された地獄の中でも更に遠く離れた絶海の孤島のような存在になっていたのである。
 ペットの一人が先日暴走して幻想郷から調査討伐隊が派遣され、無事問題が解決した折り、知古の八雲紫と再会した古明地さとりは、幻想郷と地霊殿を繋げる案を提示される。これは表向き平和的な和解条約だか、紫がこちらを監視下に置くための事実上の占領地政策で、人質として最も信頼の置けるペットの一人が定期的に博麗神社への出向を義務付けられている不公平な条約だった。
 さとりとしては、事この問題に関しては外部から援助してもらった事で旧地獄の秩序の崩壊を免れたわけで、八雲紫には感謝こそすれ恨みを抱く要素もなく、むしろこの無秩序な地底を監視してくれるのだから、有り難くて涙が出る程である。

 先日、再び八雲紫が来訪し、幻想郷で起こる異変と、旧地獄から出奔した派閥について聞き取り調査をされたが、その異変によって幻想郷に危険が伴うことから派遣している『お燐』の特別帰宅の許可を認めてもらっている。お燐にはギリギリまで幻想郷に滞在して状況を見聞きして教える様に予め伝えており、恐らく今日にも彼女はその任務を終えて一時帰宅してくるはずである。

 そんな地霊殿の中庭にある屋敷の外に人の気配がする。
「・・・帰ってきたわね。」
 旧地獄には好んで地霊殿にやってくる者はいないので、恐らくお燐だろう。
「邪魔するよー。」
 甲高くて早口ないつもの声とは違う、威勢の良い声と共に玄関のドアが開く。さとりの予想は外れた。数少ない来客候補の一人の存在を忘れていた。
「星熊勇儀!いつ戻ったの?」
 さとりの屋敷に現れたのは幻想郷と繋がった際に物見遊山で旧都から出ていた四天王の一人、一本角の鬼、星熊勇儀である。
「何やら向こうが五月蠅くなってね。またしばらく厄介になるよ。」
「旧都に貴女がいてくれると何かとこちらも助かるけど・・・それで、何か用?」
「用事がなけりゃ来ちゃいけないのかい?」
「いえ、別にそういうわけじゃないけど・・・。」
 自分を訪ねてくるなど最近では八雲紫くらいで、その前はおかしな人間達だけである。
 星熊勇儀は旧都にいくつもある対立派閥の間に立って一線を越えない様に睨みを効かせて、旧地獄に一定の平和をもたらしていた存在である。旧都と地霊殿は基本的に何の関わりがないにしても、旧都が騒がしくなれば仲裁など何かと忙しくなるので、彼女がいるおかげでさとりは仕事が減ってとても楽だったのである。
 幻想郷と繋がった事で、派閥間抗争に置ける原理的な白蓮信奉者勢力を始め、いくつかの過激な問題派閥が旧都を出たくれた為、その抑え役だった星熊勇儀もその役目を終えたと考えて外に出たわけである。
「はは、冗談だよ!用って程じゃないけど、お前さんとこのペットに少し用事があってね。まだ戻ってないようだけど、向こうはああだから大丈夫なのかい?ってことを言いに来ただけだよ。」
「ああ、それなら今日にも戻る予定だけど。でも、私のペットが外に居る事を何故貴女が知っているの?」
 お燐が出向していることは地霊殿の中だけの話しで、秘密にしているわけではなかったが、敢えて公言する必要のない事で、当然勇儀も知らないはずである。
 椅子に座って横を向いて対応していたさとりは、席を立ち勇儀のいる入り口の方へ歩み寄る。
 旧都を出る前に着ていた窮屈そうな変な服とは違う和風の胴衣の様な出で立ちで、大きな胸を強調するように胸元が開いて少しだらしなく見える。胸が大きいと和服などはすぐに着崩れするので、最初からそうだったのではなく着て歩いているうちに自然にそうなってしまったのだろう。
 額から突き出た朱い一本の真っ直ぐで綺麗な角が象徴的で、角と同じ色の大きな盃を普段から持ち歩いているかのように自然な形で小脇に挟んでいる。
 さとりの心を読み取る能力は、知られたくない、隠そうとするものほど良く見えてしまうのだが、勇儀の様に考えている事と口にする言葉が同じ裏表がない者の場合、心を読む必要性がなく能力が何故か遮断されてしまう。これが鬼の力といえばそれまでだが、その為心が読めず普通の対話で情報のやりとりをするしかない。さとりにとって星熊勇儀は、言葉のキャッチボールが出来る数少ない存在である。
「は?ちょっと前に横穴ですれ違ったんだから知るも知らないもないだろう?」
「え?お燐は、しばらく前から幻想郷に行ってるはずよ。すれ違う事はないでしょう?」
「ああ?私が言ってるのはお燐じゃなくておくうの事さ。」
「おくう?おくうがどうかしたの?」
「いやだから、ここに来る途中ですれ違ったんだよ。あいつ挨拶もしないで無視しやがったから、戻ってきたらとっちめてやろうと思ったのに・・・。」
「いつ頃?」
「2、3日前かと思うけど・・・何だお前さんが使いに出したとかじゃないのか?」
「それはないわ。勝手に外に出ないようにきつく言ってあるし・・・。」
「すぐに忘れるんじゃないか?」
「言いつけはちゃんと守る子よ。」
「どうだか・・・ま、あいつは私より頑丈だから、死ぬこたーないと思うけどな。」
 そこへタイミングが良かったのか悪かったのか、お燐が帰宅する。
「さとりさまあああああぁぁぁぁーー!」
 最初は猫車を押していたお燐は、猫の姿になるとそのまま勇儀が開けっぱなしにしていた玄関をくぐり抜けて全速で走り込んで体当たりするようにさとりの胸に飛び込んで、抱える腕の中で丸くなり耳の後ろを全力で擦りつけてくる。
 敬愛して止まない主との再会が余程嬉しかったのだろう。その気持ちが全身に表れている。
「おかえりなさい、お燐。お勤め御苦労様。」
 腕の中でゴロゴロと喉を鳴らし応えるお燐。
「オッスお燐!」
 勇儀は、自分を無視して主人に甘えるお燐の首根っこをつまみ上げて顔を寄せると半笑いして睨み付ける。鬼は格下の無礼な態度を嫌い、勇儀もその例にもれずお燐の態度にお灸を据えようとする。ここにわざわざ尋ねてきたのも、自分を無視したおくうを問い詰めるためである。度量が広いのか狭いのか分からないが、兎に角鬼は格下の無礼な態度を異様に嫌う。
「はわわ!勇儀姐さん、こ、こんにちわ。」
 襟首を摘まれたまま猫の姿から人型になって涙目で挨拶をするお燐。まさか星熊勇儀がここに来ているなど想像もしていなかったので、いつも通りご主人様に突撃してしまったのである。
 手を離され床に音もなく着地したお燐はそのまま身体を小さくして土下座する。
「ずいぶん嬉しそうだったが、そんなに久しぶりにご主人様に会ったのか?今迄どこで何をしてたんだ?」
 その質問に素直に答えていいか迷った賢いお燐は、主の方を向き判断を委ねる。さとりは特に隠す理由も無かったので、地底異変後の顛末とお燐の役割を包み隠さず勇儀に教えてやる。
「なるほどね~。そういうことなら私も誉めてやるか。」
 事情を知った勇儀は、一転してお燐を誉めて首がおかしくなるほどなで回す。嬉しいやら恐ろしいやらで泣き笑いをしているお燐を見てくすりと微笑むさとりだが、すぐにおくうの事を思い出して表情を曇らせる。
「ところで、あの死体の山は何だ?上じゃそんなにやばい事が起こってるのか?」
 お燐が入り口のところで止めている死体を山積みした猫車を指さし、今幻想郷で起こっている現状について問う勇儀。
「おくう達にお土産と思って、死体をかっさらってきました。そういえばおくういませんね?」
 見るからに弱そうな雑魚妖怪と思われる大量の死体の山を見るにつけ、聞かなくても幻想郷の現状はだいたい予想出来た。
「その様子だとお燐はおくうの事知らなそうね。」
「2、3日前にここを出てそれっきりさ。」
「ええ!そうなんですか?」
 びっくりして2本の尻尾をピンと伸ばすお燐。
「こっちに戻ってくる途中ですれ違ったんだけど、あいつ声掛けたのに無視しやがったんだよ。」
 だからと言って家にまで押し掛けてくるのはいかがなものかと声に出さずにジトッとした目だけで抗議するさとり。
「いくらおくうでも勇儀姐さんの顔は忘れないと思いますけど・・・それに、外に出るなと言われてるのちゃんと今迄ずっと守っていたはずですけど。」
 お燐がお勤めに出る様になって最初は寂しくてお燐の後を追おうとしたおくうだが、何度も言い聞かせて外に出ない事を約束させている。そしてずっとそれを守ってきた。
「おくうは頑丈だからまず大丈夫だと思うけど・・・。」
「ああー他の人に迷惑かけてなければいいんですけどね・・・。」
 主人とペットが同時に溜め息を着く。地霊殿の主が旧地獄を代表して異変の尻ぬぐいをしてくれた八雲紫に服従の姿勢を見せる為にお燐を博麗神社に派遣しているというのに、ここでまたおくうが問題を起こせばお燐の今迄の苦労は水の泡である。
「まーやばくなったら私に言いな。間に入ってやるから。」
 姐御肌の勇儀は、八雲紫との関係が上手くいかなくなったら自分を頼るように持ちかける。
 星熊勇儀は人間に討伐され封印された経緯を持ち、八雲紫に関しては名前だけ知っているくらいである。しかし、旧友であり悪友であり親友でもありそして自分にとって唯一の目上である伊吹萃香の親友だという事はだいぶ前から知っており、この前久しぶりに会った萃香に頼めば何とかしてくれるだろうという算段はつけられた。
「有り難う御座いますー!勇儀姐さぁーん!」
 泣いて喜びながら勇儀に抱きつくお燐。孤立する地霊殿を何かと気に掛けてくれる星熊勇儀のお節介は、孤独を好むさとりにとってはありがた迷惑でしかなかったが、今はそのお節介がとても有り難いことだと心から感謝した。
「それにしても・・・。」
 おくうの事が心配である。そして、おくうが何か大きな問題を起こさないかも気掛かりである。
 異変が解決してもおくうの身体は改造されまま。本人は何も気にしていない様ではあるが、あれ以来おくうの心の中に読めない空白の場所があることがずっと気になっていたのだ。
「(あの神様達の影響はまだ続いている・・・何事もなければいいのだけれど・・・。)」


 異変解決の為に参集された作戦会議兼本部である紅魔館は、同時に周辺妖怪の避難場所としての機能も果たし、異変における重要な拠点としてその存在感を増していた。
 紅魔館に難民として滞在している者の多くは、作戦会議への参加やその会議を冷やかしに来た野次馬達がほとんどで、会議に参加している幻想郷でも屈指の顔触れにすごすごと退散して館内にたむろしていたところ、戦争へと拡大していく状況の中で進退を決められず難民となったわけである。
 例外として人形使いの種族魔法使いアリス・マーガトロイドと河童の河城にとりが運悪く人間の魔法使い霧雨魔理沙に見つかって強引に会議に参加させらていた。

 魔法の森を挟んで南側全域が激しい戦闘状態になっている。
 この戦争そのものは紅魔館が主催する異変解決の作戦とは無関係のものだったが、予想を遙かに超える悲惨な状況を憂いた作戦総指揮官レミリア・スカーレットは、早期解決に向けて遅れていた作戦を直ちに実行に移し、作戦本部も館内から外のバルコニーへと移させていた。
 霊夢や妹紅らが与えられた任務に赴いた事で人数の減った司令部に残る作戦主要メンバーの数に合わせて、大きめの丸いテーブルをひとつだけバルコニーに置き、その中心にパチュリーの立体地図を移して指揮卓として、各自好きな位置に着席する。
 指揮所をバルコニーに移動したことで、空を覆う鋼鉄の要塞と南に広がる戦闘の様子を同時に視認出来る状態になり、場は正に前戦基地の様相となった。

 昼間なのに薄暗い幻想郷。陽光を嫌う吸血鬼始祖もこの薄暗さなら日傘がなくともストレスは感じない。レミリアはメイド長が用意した大きな日傘を必要なしとして下げさせ、建物側を背にした位置に着席すると懐中時計を見ながら上空の棺桶と向かって左手の博麗神社を交互に見て作戦の進展状況を伺う。
 そして1時30分を過ぎた時、神社方面に巨大な2つの力の発生をその場にいた全員が確認した。
「これは!」
 全員が目を丸くして反射的に神社の方角を向いて緊張する。
 この時八雲紫はスキマ砲をいつでも撃てる状態に維持させており、神社方面で何が起こっているのか確認する余裕が取れずにいた。天下のスキマ妖怪といえども巨大なプロジェクトを同時に複数進行させる事は難しく、やろうとおもえば神社にスキマを開いて様子を見る事が出来たが、巨大な力が2つということで極々自然にそれが守矢の二柱だと連想してしまい、確認する作業は敢えて行わなかった。仮に、もしここで確認作業を行っていたとすれば、外から来た主神クラスの二柱の幻想郷入りに紫は卒倒していたかもしれない。
 守矢神社の企みも、ましてや人間達が神社に先回りしていることなど全く予想していない会議の面々は、今現在博麗神社には、巫女と神様しかいないという認識で固まっている。当然この2つの力を守矢神社の二柱、八坂神奈子と洩矢諏訪子の所謂本気モードと受け取って疑わなかった。

 東風谷早苗の潜在意識が創り出した特殊な神である八坂神奈子は諏訪大社とは直接関係なく、洩矢諏訪子の孫が勝手に創り出した神である事から、その存在を知られると諏訪子に叛意ありとされる危険性があった。
 諏訪の神々のいいとこ取りをした様な存在である神奈子の存在を諏訪から呼び寄せる神様には当然知られたくないので、彼女は途中で退去させており今博麗神社には洩矢諏訪子一柱しかいない。
 外の世界から一柱ではなく二柱を呼んだのは、退散した神奈子の身代わりとして八雲紫の目を欺こうとした作戦ではなく、タケミナカタのお目付役として絶対に呼ぶ必要があった事である。
 この偶然の産物は紅魔館にいる強者に予想外の反響を生む結果となった。
「まさかこれ程とは・・・。」
 八雲藍が驚きを隠す素振りも見せず感嘆の声を上げる。
 神族でありオモイカネの天下りである八意永琳は、誰とはわからないが守矢神社とは別の神様が現れた事を察知していたが敢えて口に出さずにいる。永琳はこの時、完全に傍観者に身を置いていた。

「(紫様、守矢神社の力侮れませんね。)」
「(ええ、ある程度は予想していたけど、これでは力を吸い取るまでだいぶ時間がかかりそうだわ。)」
「(どうします?)」
「(予定が狂った今となっては刻は金なりよ。守矢神社に対する作戦は中止しましょう。取り敢えずその実力が分かっただけで良しとしましょう。)」
「(賛成です。兎に角今は異変の解決に注力しましょう。)」
「(ええ、では、こちらもそろそろ始めましょうか。)」
「(はい。)」
 八雲紫と藍の脳内通話が終わると、天頂方向に薄紅色の結界の膜が広がり始めている事に魔理沙が気付いて大きな声をあげてその事を周囲に知らせる。
 丸テーブルの上に置かれたパチュリーの立体地図を使った幻想郷の精巧な縮小模型にもその結界の広がりが表示されている。そして、棺桶の現在地と地表までの距離、落下速度なども表示されリアルタイムでその数値が変化しているのが見て取れた。
 完璧な測量演算処理をリアルタイムで映像として表示させている。八雲藍以外でこの様なリアルタイムの測量演算が出来る者など世界広しといえど片方の手の指で数えるくらいしかいないだろう。しかし、この貧弱な魔法使いがそれをやってみせている。それが未だに信じられない紫。
 実際は、この演算自体はパチュリーではなく使い魔のルビーが行っているものだが、それをやらせているのは主のパチュリーである事にかわりはない。紫と藍が一心同体であり、演算処理能力において僕の藍が主より上であるのと同じように、僕のルビーの能力が主より圧倒的に高すぎるという点で紫等とは若干違うものの、一心同体で高度に連携して作業を行っている点は共通である。
 使い魔ルビーの実力を知らず、その存在を完全に見逃していた八雲紫は、この地図とそれを利用した様々なギミックが、このひ弱なもやし女の単独能力で行われていると勘違いしている。現状で真実を知りうる判断材料がないからそれ以外考えられないという消極的な消去法から導き出された結果である。
 パチュリー・ノーレッジが、天敵とも言える大魔導師魅魔の弟子である事も、その片腕的存在の古の悪魔を愛する弟子に譲渡している事も、そして、妖の狩人と心を通わせた実の妹によって奪われた幻想郷の秘密が妹紅を経由して紅魔館に受け渡されている事も何も知らない八雲紫だった。
 全知に一番近いとされているスキマ妖怪八雲紫であっても実際には真実の半分も知らないわけであり、それ以下である全人妖の及ぶ知識などどれほどのものかは推して知るべしである。少なくとも現時点に置ける異変において全知に一番近いのは藤原妹紅であり、その後ろについてる魅魔なのである。

 真実を知らず事実しか与えられない紫は、後手に廻されている苛立ちを抑えつつ自分達の役目を果たす為、上を見過ぎて首が疲れ大の字に寝ころんでいる黒い魔法使いの元に歩み寄る。
「魔理沙、そろそろ私達もいきましょうか?」
「お?おう!ようやく出番だな!」
 飛び起きる魔理沙。
「ところで魔理沙・・・本当にそれ連れて行くの?」
 浄化の炎に飛び込む事になった時の為に妹紅から冗談半分で提案された冷却装置、氷の妖精チルノを背中合わせに背負って腰のところを紐で縛り付けている魔理沙に少し呆れた顔で確認する紫。
「ああ、暴れない様に縛っておくから平気だよ。」
 そういう問題ではないと突っ込みたいが、それも野暮というもので、むしろそれをしたら負けだと紫はそれ以上何も言わない。
 紫としては結界の中に入る事態にはさせないように考えているし、しても冷却の必要はないと思っているので冷却装置は不要と考えている。しかし、先程空気の読めない発言をして自分自身に幻滅した反省を踏まえて、作戦に支障がなければ問題ないだろうと寛大な態度を取る。
「背中がやけにスースーするなー。」
「当たり前でしょ!氷を背負ってるみたいなものなんだし。」
 無造作に縛る魔理沙のがさつさに呆れた几帳面なアリスは、腰だけ縛るのでは不安なので、呆れた顔をしつつも肩同士をタスキ掛けの要領で軽く縛ってやる。
「なぁ、チルノ?その冷気止められないのか?」
「ん?あたい何もしてないよ!」
 氷の妖精の出す冷気は全自動であり、強く出す事は出来ても止める事は出来ない。或いは出来るのかもしれないが、わざわざ意識して止める理由が妖精側にはない。氷の妖精にとって冷気を止める事は、人間でいえば心臓を止めるのと同じで、意識して止めたり出したり出来る代物ではないのだ。

 紫は衣服や帽子、ホウキなどにベタベタと張られた呪符まみれの魔理沙の前に、その呪符に隠された恐るべき効果の存在に全く気付く様子もなくスキマを開いて丸い大きな入り口を作ってみせる。
「中の風景は基本的に同じだからどこをどう飛んでいるのかわからないと思うけど、中はループしているから気にせず真っ直ぐ飛んでかまわないわ。」
「おう!んじゃみんなちょっくら幻想郷を救ってくるぜ!」
「魔理沙、あんましフラグたてないでよ!」
 重要任務にあたって大口叩くヤツはすぐに死ぬと相場が決まっている事を色々な本を見て知っている河童のにとりが肩をすくめる。
「チルノがんばってね。」
 フランドールが魔理沙の背中にくっついているチルノに手を振る。
「あたいがいれば、『いへん』なんてカチンコチンね!」
 これから何をするのか恐らく何もわかっていないチルノが、自信たっぷりについさっき仲良くなったばかりのフランドールに元気に応える。
「誰か合図くれ!」
 ホウキにまたがった魔理沙は、飛ばずにまだ床に足をつけたまま踏ん張る様に前屈みになる。
 魔理沙はピーキーな魔力の使い方しか出来ず、弱く魔力を絞って長時間安定させるような使い方が出来ないので、その場でじっと動かずに浮くだけといった作業が苦手なのだ。
 そのまま普通にスキマに入ればいいだけなのだが、これから重要な任務に赴く上で味気ないと感じたのだろう。劇的に出発したいという気持ちは分からなくもない紫はスキマの横に立って苦笑する。
「よーし、いくよ魔理沙!3・2・1・ゴー!」
 その役目を快く引き受けたにとりが、魔理沙とスキマの間に立って、上げた腕を思いきり振り下ろす。
「っしゃー!」
 景気の良い掛け声と共に、合図と同時に一瞬でスキマに消えていく魔理沙。
 数秒遅れてスキマが閉じると、祭りの後の様な静寂が訪れる。この一連の流れがまるで白昼の夢だったかの様に覚めて急に現実に引き戻される感覚を覚える。
 どことなく寂しげな雰囲気になり、そして次第に不安が募ってくる。魔理沙はこのままもう戻ってこないのではないか・・・。
 アリス達は息を合わせたかのように皆同時に上を向き、例え冗談でも口に出せば現実になってしまうのではないかと思い、誰一人口を開かずに上空の鋼鉄の釜底を見上げるだけだった。

 そんな魔理沙の取り巻きの様子を尻目に紫は席の方に戻って指揮官であるレミリア・スカーレットにスキマ砲の準備に専念すると告げて、瞑想するかのように静かに佇む藍の隣に座って同じように目を瞑る。
 身体はここにあるが、意識は魔理沙やスキマ砲に向ける為、何か声を掛けられてもすぐに返事が出来ない事への非礼を先に詫びた紫に対してレミリアは承知して頷くと、席に着いている永遠亭の2人と裁判所の2人、そして西行寺幽々子の5人に目配せをして彼らにも同意をしてもらう。
 パチュリーは魔理沙を見送った後自分の席に戻ったが、魔理沙に無理矢理連れてこられたアリスとにとりは、ここに連れてきた魔理沙が居なくなった事で急に心細くなり、居る理由もなくなったので退散したい気分に駆られる。同じように取り残された形になったフランドールが2人の間に佇んでいるが、凶暴の代名詞とも言えるこの吸血鬼の少女の存在も最近大人しくなった事情を知らないので、怖くて動くに動けず2人は特別仲が良いわけではないが寄り添ってバルコニーの角で小さく肩をすぼめていた。

 『変化』に最初に気付いたのは五杯目の紅茶を啜ろうとした西行寺幽々子だった。
「あら?」
 ティーカップの中でたゆたっている薄いオレンジ色の生温かい液体が僅かな波紋を作っているのに気付いたのだ。その数秒後になると他の者もはっきりと異変に気付き周囲を見渡し始める。
「何の音かしら?」
 音として何かはっきりと聞こえるわけではなかったが、鼓膜に何かが細かく連続して干渉している感覚を覚える。
「地震?」
 地鳴りの様な振動を感じた小野塚小町が四季映姫を見ながら尋ねるように言うが、閻魔にも確かな事が分からず何も答えられない。
「どこかで巨大な妖獣が暴れてるのかしら?」
 西行寺幽々子が、ここから南で起こっている戦争の中で巨大な力が発生したと予測するが、バルコニーの端から別の声があがって一同はそちらを向く。
「あ、あれは!」
 河童が空を指さしているの受けて皆そちらに向くと霊夢の張った濃い朱色の結界の向こうにかすかに閃光が走るのが見て取れた。
 結界の向こうで妹紅が何かしているのだろうか?しかし、会議が始まる前に大きな爆音を上げて要塞に攻撃していた断続的な振動ではなく継続的な振動である。
 大きな地震が来る前兆の様に感じた会議の参加者達は席から腰を上げて警戒する。聞かされている異変のシナリオにはこの様な振動の存在はなかったはずである。
 代わる代わる黒幕である紫を目で追って事情の説明を求める会議の参加者達だが、彼女は瞑想したままである。
 この中でスキマ砲の準備の為に沈黙を保ったままの八雲紫と藍以外に、腰を下ろしたまま静かに目を瞑っている者が存在がいる。八意永琳である。彼女はこの振動の意味を良く知っていた。
「(・・・パージするわね。)」
 要塞内部に蓄積した圧力を外に逃がす為に装甲の一部をパージしてガス抜き用の穴をあける内圧自己調整システムが発動する事を予見する永琳。風見幽香の真下からの攻撃が主な要因である以上、その反対側の天頂方向の装甲がパージされるはずである。
「(だとするなら、落下速度に加速度が加わる!)」
 永琳は目を開いた。紫らには要塞について必要最低限の事しか教えていない。これは機密の為にそうしたのではなく、当時の状況として要塞をパージさせる力が幻想郷にあると思わなかった為で、仕様の全てを教える必要性を感じていなかったからである。決して悪気があって教えなかったわけではない。
 だからと言って、今からそれを教えても手遅れだし、何よりこのパージは偶然の産物だとは思えず、それをやろうとする側に何らかの意図があり、そしてその後の展開にも興味があった。だから永琳は傍観に徹したのである。

 先程の派手な演出の様な攻撃は、要塞の仕様を知った上で藤原妹紅と風見幽香が連携して明らかにパージを狙ったもので、攻撃が途中で唐突に止まったのは風見幽香の力が尽きたのではなく、あのまま続けていれば破壊も可能な状態でありながら、パージさせる為に力を調整したものだと永琳は断定した。
 この要塞の秘密を知っていなければ出来ない芸当で、どのようにしてそれを知ったのか興味がある。つい先日までの自分であれば、彼らにその能力なしとみて、このパージは偶然である事を立証する為に余計な頭脳を働かせて適当な理由を付けて納得して自分を高見において彼らを見下していただろうが、今の永琳は決して幻想郷の住人を侮ってはいなかった。そして、その秘密にたどり着いた理由とこれから何が起こるのか知りたいと考え、期待に胸を膨らませていたのである。

 紫色の空間に恐らく天地左右がわかるように水平の白いストライプを付けてくれたと思われるスキマのトンネルを直進する黒い魔法使い霧雨魔理沙は、背中にくくりつけた氷の妖精チルノと共にこの初めて見る不思議な空間をぽかんと口を開けながら飛行していた。
 しばらくそうしていると向かって斜め右に小さなスキマが開いて八雲紫が顔を出す。
 自分と同じスピードの追い風と併走している様な感覚で、空気の抵抗を感じずもっとスピードが出せそうな気分になるが流石に意味がないので自重する。
 横にいる紫は自分と併走して飛んでいるという雰囲気ではなく、まるで自分達は停止している状態で景色がものすごいスピードで前から後ろに流れている感じで、なんだか気持ちが悪くなってくる。
「どう?スキマ砲の砲身の中は?」
「目と頭がおかしくなりそうだゼ!何か目印はないのか?」
「今見えてくるわ・・・ほら、今通りすぎたあの標識見えた?」
「ああ、赤丸に白いバッテンだ。」
 白いポールに赤地に白のマークが入った丸い標識が上から突きだしており、高速で飛んでいる魔理沙の横を物凄いスピードで通り過ぎる。
「次はあれ。」
「黄色の逆三角に黒いビックリマークだな。」
「貴女目がいいのね。」
「まあね。」
「次は・・・。」
「青い縦長の四角に上向きの白い矢印。」
「そう、この三つの標識は一定の間隔に配置されているわ。青の標識が射撃開始。赤が射撃停止。黄色が射撃準備。」
「なるほど、こりゃー分かりやすいな。流石紫だ。」
 思いがけず誉められしまい苦笑する紫だが、妖精にも分かるように予め準備していた仕掛けなので当然といえば当然のことである。
「魔理沙は中心のレティクルめがけてマスタースパークを標識のサイン通りに撃つだけでいいわ。ズレはこちらで補正するから当たるまで同じ事を繰り返すの。発射指示をした後は止めと言うまでそのまま続けて頂戴。」
「簡単だな。了解したゼ!」
「ねぇねぇ魔理沙!私の出番は?」
「ん?チルノは最終兵器だから一番最後だゼ!」
「最強平気?だから後なの?」
「そう、最強は常に最後に美味しい思いをするのさ。」
 聞き分けのない馬鹿な妖精を上手く扱う魔理沙の妖精操作術に感心を示す紫は、ここで藍の呼出を受けて一度会議に戻る。
「ん?」
 意識を会議場に戻した紫は大気が微震している事に気付く。
「どうやら、あの要塞から発しているようです。」
 紫より先に会議に戻った藍が事情を予め聞いてそれを主に知らせる。
「それと、要塞で巨大な爆発がたくさん起こっているわね。」
 レミリアが付け加えるが、ここだけ聞くと振動は妹紅が原因に聞こえる。
「また妹紅が攻撃を始めたの?」
「いいえ、攻撃しているのはどうやら妹紅ではなく別の存在よ。」
 パチュリーが立体地図に戦闘の痕跡をリアルタイムで映し出しており、紫以外は空で起こっている戦闘ではなくその映像を見ている。紫は自分だけ真上を見ていた事に気付いて内心みっともないと感じつつ、何事もなかったかのように皆にならう。
 妹紅の位置は今現在ルビーの手足として支配下に置いている七曜魔のアレクとエメロード、トッパーの3人が地上から三角測量を行って追尾し、その正確な位置情報をルビーに送って紅い光点として映像の中に表示させている。謎の物体は想定外だったため観測員を準備しておらず、実際には目視も追跡もしていないため、その存在の有無すら不明なのだが、妹紅の飛行している位置を追いかける様に光跡が発生する事から妹紅が何者かに追われ攻撃されていると判断し、正体不明の存在が妹紅と戦闘していると断定したわけである。

「一体誰か?」
「もう時間がありませんし、このまま自爆してしまうのが得策です。」
 紫の疑問に誰も答えられず、藍は時間がない事を理由にこの問題については棚上げする。藍の言う通りこの際、攻撃する相手を巻き添えにして自爆してもその相手の自業自得として捉える事が出来る。既にスキマ砲の最短発射時間である1時40分をまわっている為、例え何かしたい考えても時間的に無理なのだ。
 妹紅が独自の判断で今すぐ自爆してしまえば後はこちらの予定通りに進むのだが、そこまで未だに辿り着けていない。恐らく妹紅もこの状況に困惑して判断を迷っているはずである。
 会議の場に再び緊張が走る。残り10分の間に自爆しなければ魔理沙が直接乗り込む事になる。
「何故自爆しないのでしょう?」
 幽々子がきょとんとした緊張感のない表情で誰に言うわけでもない質問をする。
「自爆するのに、例えば気を溜めるとか瞑想の様な予備動作や硬直時間が必要だとするなら妹紅が自爆出来ない理由になるわね。単純にこのイレギュラーに戸惑っているだけともとれるけど。」
 レミリアが鋭く自爆しない理由に仮説を立てる。
「だとするとその攻撃している者を先に排除しなければなりませんね。」
 四季映姫も相手を排除する事をやむを得ないと考える。
「どちらにしても時間がかかるわね・・・。それにこの微震も気になるわ。」
 紫が時間内のスキマ砲発射が出来なくなる可能性を示唆する。
「自爆さえしてもらえれば後は何とかするのだが・・・。」
 九尾の藍が苦虫を噛み潰した様に渋い顔をする。
「魔理沙を直接乗り込ませる方向で考えればある程度時間の延長は可能ではないの?」
 スキマ砲にこだわらなければ時間にまだ余裕が持てるのではないかと、レミリアが予定変更を視野に入れて意見を聞くために問題提起をする。
「そんなに時間はとれないわ。要塞表面と結界までの距離は1km切ってるのよ。少なくとも2時くらい迄には自爆してもらわないと、要塞と結界がぶつかってしまうわ。」
 要塞の位置観測を担当しているパチュリーがレミリアに意見する。
「あと20分・・・ここがデッドラインというわけね。」
「ただ、自爆さえした後なら時間的な余裕は生まれるわ。それに別の方法でコアを破壊する事も出来るかもしれないし。」
「どういう事、パチェ?」
「破壊すべきコアの位置は装甲表面から約20キロ上空にあるのよ?自爆して外側の装甲を剥がしてしまえば2、3キロラインで汲々としている現状が一気に20キロラインに引き上がるの。」
「なるほど、確かにそうね。」
「今コアの位置は成層圏にあるから今から乗り込んでも叩くのは魔理沙では無理ね。そこまで高くあがれないもの。スキマ砲の射軸からずれて魔理沙をつっこませる状況になったら、コアがもっと下に来るまで逆に待たなければならないわ。」
 パチュリーの説明に聞き入る参加者面々。
「別な方法とは?」
 先程口にしたパチュリーの別の手段に興味があった永琳が久しぶりに口を開く。
「妹紅の自爆の炎をスキマで外に逃がして、結界も解けば後は私達でも何とかなるでしょう?コアは直径数キロ。風見幽香の力を借りればなんてこはないでしょう。」
 場の空気が変わる。そうなれば何も魔理沙を危険な目に遭わせなくとも簡単に要塞を破壊出来る。そしてそれと同時に何故最初からそうしなかったのか当然疑問出る。
「最初からそうすべきだったかしら?」
 レミリアがいち早くそれに気付いて誰に言うわけでもなく疑問をぶつける。
 紫としてはその事は言われる迄もなく承知していた。しかし、守矢神社を消耗させるという当初の予定があったので、コアが近くまで落ちてくる時間を使ってそれを行おうとしていたのである。
 しかし、守矢神社の消耗作戦は先程中止を決定したので、長引かせる理由はもうなくなってしまい、パチュリーの提案通りで何も問題もなくなる。いや、これがベストである。
 またしても見下した小娘に反撃され腹の中はマグマの様に煮えたぎる紫。周囲の視線から紫に対する猜疑心が伺える。しかし反論出来ない。いや、反論は出来るがこの状況では何を言っても言い訳にしか聞こえないだろう。
「(小娘・・・余計な事言わなければ死なずに済むものを・・・。)」
 紫の中でパチュリーに対する明確な殺意が芽生える。しかし、その殺意を察知したかの様にパチュリーは、現状の作戦を肯定してみせ、紫のネガティブな感情を上手く受け流す。
「レミィ、それは違うわ。例えスキマの力で外に逃がす事が出来てもどの程度の時間でそれを完了出来るのか未知数だわ。外に逃がすのに1時間も2時間もかけたのでは、コアはとっくに結界を突き破ってしまうわ。私が言った別の作戦はあくまで可能性よ。」
 八雲紫が言いたかった言い訳を代弁してやるパチュリー。ただ怒らせるよりも尻を拭ってやった方が精神的なダメージが大きいだろうと考えたからである。
「それは確かに・・・。」
 レミリアが少し考え込んでから今と当初の状況の違いを考慮して頭を整理する。
「空一杯のエネルギーを短時間で外に逃がすのは確かに無理でしょうね。当初の予定ならなんとか間に合ったかもしれませんが・・・。」
 永琳もフォローする。全員状況が以前と全く違ってしまっている事に気付き、万が一の為に方策を講じていた紫の先見性を見直す空気になる。
「ご免なさい、変な事を言って・・・。」
 レミリアが素直に紫に謝罪するが、自分の中で生じたパチュリーへの殺意の落としどころがなくなり、余計に悶々とした気持ちになり、更に素直に謝罪するレミリアの度量の大きさを見せつけられ返ってプライドが傷つく紫。
 会議が始まった当初、幼稚な態度を取って周囲を失望させたレミリア・スカーレット。そして、何のフォローもしない無能な参謀というレッテルを貼られたパチュリー・ノーレッジ。しかし、その時とは打って変わって評価が急上昇する2人。そして紫に見せた度量の大きさが紅魔館全体の印象をすこぶる良い方向に持っていく結果となり、その一方で八雲紫はその能力や強さを疑う者は誰もいなかったが、先程パチュリーに見せた狭量な態度が比較対象となって、その存在感に陰りが見え始めていた。


 藤原妹紅は高度2500メートル上空から眼下に展開する霊夢の結界の広がりを見て、異変が次の段階に進んだ事を認識する。
 自爆した後の自分は浄化の炎に包まれ、その中で生き返る暇もなく永遠に死に続ける事になるだろう。この状態が文字通り永遠に続けば自分の死も永遠となるのだろうが、それは望んでいた死とは若干違う。
 死を望む妹紅だが、死とは望んでなるものではないと思い始めていた。道半ばで途絶える思いを後に残し引きずるのが死なのだ。そういうネガティブな思いが輪廻という概念を生み出し魂が循環して種が繁栄する。それが弱い人間がこの世を制した理由であり、破壊と穢れの象徴的な存在となった自分が望む唯一の命題が、この輪廻に組み込まれる事だった。
「さて・・・。」
 妹紅はありきたりなこれまでとは違う特別な死に直面し、感傷的な気持ちになるがすぐに切り換える。
 この時点でまだ外から神様は来ておらず、守矢神社の神様の力によって霊夢の力が増幅されている状況である。
 紫等の思惑としては、守矢神社の秘密を暴く為に異変を少し長引かせるつもりでいた。死んだ魔理沙を黄泉返りさせる為に、あの世の手前『選択の間』に行かねばならず、そこで魔理沙と会って諭す時間が必要な為、妹紅としても早期解決は望んでいなかった。
 強引に異変を長引かせる手段は既に魔理沙に仕込んでいるので、早期解決に計画をシフトした紫等の思惑とは別に異変は妹紅の望む時間で終わる事になるが、何れにしても具体的にどこまで引き伸ばすかは成り行きなので、保険として結界を長く維持させるのに必要な力の源となる神様を多数幻想郷に呼び込んでおかなければならないので、これらは守矢や人間達との策と一致する。今のところこちらの思惑通りである。
 妹紅は守矢神社とは直接連携していないので、どのタイミングで神を呼ぶのか、どれくらい呼ぶのかはわからなかったが、慧音の計画を盗み見てその規模からある程度の展開は予測がついており、何も問題はないと確信していた。

 人事は全てし尽くしたわけだが、刻一刻と迫る『その時』を前に流石の妹紅も武者震いをしてしまうが、それと同時に変化が起こる。
「来た!」
 博麗神社にとてつもなく巨大な気が2つ現れる。そして、それが合図になったかのように要塞から低く唸るような音と共に微震が発生する。これはパージの前兆現象であると直ぐに理解出来た。
 妹紅はこの素晴らしいタイミングで起こる二つの事象に思わず寒気がして身震いしたが、ここで予測にない事が起こった。
「メガフレアアアアアアアアアアあああああああああぁぁぁァァァァアアアアア!!!」
 東に身体を向けていた妹紅は、背後から木霊の様に聞こえる声に気付いて慌てて振り向くと、巨大な火の玉がこちらに猛スピードで接近しているのを見た。
「やべぇ!(避けられない!)」
 何者かの接近に気付かなかったのは神様の登場と重なったのが要因の一つであることに間違いはないが、感知できない長距離から高速で接近し、こちらをピンポイントで狙った攻撃がその最大の要因だろう。
 あの攻撃の掛け声が無ければ防御する暇もなく一度完全に消滅していたかもしれない。その馬鹿な攻撃主を確認したい妹紅だが、巨大な火の玉を対角線にしてその向こうに居るようでこちらからその姿は確認出来ない。
 無理矢理逃げて身体半分もっていかれたところに次弾を撃ち込まれるだけである。火の玉を発射した後互いの姿が見えないのでここは動かずに受けて逆襲した方がいいだろう。防御と反撃を同時に行う策を咄嗟に思いついた妹紅は、その場で手をかざして火の玉を受ける体勢を取る。
 次の瞬間、両腕を差し出した妹紅は火の玉の直撃を受け一瞬で肘まで融解してしまう。しかし、すぐに溶けた腕を再生させると、その腕が元に戻る際に発生する巨大な再構築の力で運動エネルギーを相殺させ、火の玉の中にある再生し維持した腕を指向性のある爆発で跳ね返す。
「な!」
 妹紅に攻撃した謎の飛翔体は、突然自分に戻ってくる自分の撃った火の玉に驚き、避ける間もなく直撃して爆発する。
「やべ!やっちまったか?」
 妹紅は咄嗟の事で加減が出来ず、相手を殺してしまった事を一番に気にしてしまう。しかし、その心配も杞憂におわった。
「何てヤツだ!」
 直撃後大爆発した火の玉の中から、撃った本人が何事もなかったかのように撃ち返した妹紅に驚きの声を掛ける。
「それはこっちの台詞だ!お前は一体誰だ!何しにここに来た!直ぐに下に降りろ今ならまだ間に合う!」
 ここには本来誰もいてはならない場所である。霊夢の封印が全て完成してしまうともはや何人もここから出る事はできなくなる。
 妹紅は見た事もない白と緑のコントラストが映える服装に長い黒髪の長身の女性の姿をした妖怪に警告するが、相手は全くこちらの話しを聞いておらず直ぐにまた筒状の腕をこちらに向けて攻撃を仕掛けてくる。
「メガフ・・・げふっぅ!」
 自分の身長程ある筒状の右腕から先程と同じ火の玉を発射しようとする妖怪に急接近して腹に一撃入れて攻撃を止めようとする妹紅。先程聞こえた攻撃の技名と思しき台詞は最後まで言えずに止まったが、火の玉は暴発気味に発射され、真上のパージの前兆振動を起こしている要塞に撃ち込まれる。鏡面処理された炭素タングステンの多重装甲が一瞬で融解して大穴が空く。装甲は直ぐに元に戻るが、その恐るべき破壊力に妹紅は驚くと同時に、ある種の既視感を覚えた。
「これは・・・!」
 この火の玉は妹紅が発する様な自然の炎の力ではなく、化学反応で生じる人工的な熱なのだ。そう!炎ではなく熱なのだ。
 妹紅はその事からすぐに永遠亭を思い出すが、八意永琳の使うそうした科化学の力とも少し違う感じもして困惑する。永琳の使うそうした力は、見た目非常に小さく見えるが効果は絶大で、小さな力で大きな効果という効率を重視する傾向が強い。しかし、この火の玉は無駄が多く、大きい割りに破壊力は永琳の物に比べると微々たるもので、このような非効率な技は永琳は好まないはずだ。
 妹紅は永遠亭とは長年敵対しており、相手の能力や思想、思考を研究した歴史は長く、そんな中で化学反応と呼ばれる自然界に存在しない力を利用している事を理解していた。
 永遠亭のメンバーにこのような妖怪はいないはずだし、少なくとも300年間の抗争の歴史の中では一度も見た事がない。秘密兵器として温存していた割には少しお粗末過ぎるだろう。妹紅はすぐにこの謎の妖怪が永遠亭とは関係が無いと確信する。
「だが・・・。」
 永遠亭とは関係ないと確信出来たものの、ではこの妖怪は一体何者なのだろうか? 
東方不死死 第68章 「限界突破」


 巨大な結界を張る為に必要な力を神様から借りる儀式を行う為、博麗霊夢と守矢神社の二柱、八坂神奈子と守矢諏訪子が異変の作戦本部となっている紅魔館から博麗神社に移動した。
 主要メンバーが半減し、狭く感じた会議室が少し閑散となったが、更にまた一人紅魔館から去ろうとする者がいた。

「さて、私も行くかな。」
 異変において重要な役割を与えられた人間の魔法使い霧雨魔理沙を中心に出来た輪から一歩引いた位置でたたずむ藤原妹紅は、これから死ぬ運命にある可愛い娘の横顔を見ながら、自分に与えられた役目を果たす為静かにバルコニーに向かう。
「藤原妹紅・・・。」
 その時、自分を呼び止める声を聞いて足を止める。
「宜しくお願いします。」
 振り向いた先にあったのは吸血鬼の王女レミリア・スカーレットと従者の十六夜咲夜の低頭だった。
 お子様だったレミリアの急成長を内心喜ぶ妹紅だったが、悪党である自分を引き続き維持する為に不機嫌な顔でその言葉を無視して踵を返し窓の外へ向かう。
 この時レミリアは、妹紅が自分を成長させる為に一芝居打った事に気付いていなかったが、結果として成長させてもらったという自覚があり、暴力と屈辱を受けた後でも妹紅に対してネガティブな感情はなかった。
 無視され落胆するも、内面の動揺を見せずに毅然と振る舞うレディ・レミリア。
 そのレミリアと妹紅との些細だが重苦しいやりとりに気付いた魔理沙は、妹紅が任務に出向こうとする気配を感じとって慌てて駆け寄って声を掛けてくる。
「あ、あの・・・その・・・何て言えばいいか・・・か、必ず戻って来るよな?」
 駆け寄って来たはいいが、何を言えばいいのか咄嗟に思いつかず、しどろもどろになって言葉を詰まらせていた魔理沙から予想していなかった言葉を貰う妹紅。
 魔理沙は自爆した妹紅がこのまま戻ってこないのではないかと不安に駆られていたのだ。
「私にはやり残した事がまだまだ沢山あるわ。」
 妹紅の自爆後の身を案じるのは魔理沙で二人目であり、一人目の風見幽香の時と同じように再会を約束する。表向きいつもどおりの態度で振る舞う妹紅だったが内心とても嬉しかった。
「でも、不死鳥が居なくなったら妹紅も・・・。」
 しかし、魔理沙の心配は消えない。
「不死鳥は不滅よ。だいたい死んでそのまま不死鳥なんてただの焼き鳥と同じでしょ。」
「それもそうだな。あはは。」
 ようやく笑顔を見せる魔理沙。
「他人の心配するより、自分の事でも心配してなさい。それじゃ、行くわね。」
 妹紅はそう言って魔理沙の二の腕あたりをポンポンと二回叩き、別れを惜しむ素振りを見せずすぐに飛び去ろうとするが、ここで意外な存在に立ち塞がれてしまう。
「ん?」
 妹紅の前に居たのは氷の妖精チルノだった。
 物欲しそうにこちらを見上げるチルノとしばらく見つめ合う妹紅は、一つ面白い事を思いついた。
「ねぇ魔理沙。私やあのもやしっ子のお守りよりもっといい耐火耐熱のお守りがあるけど?」
 横にいる魔理沙に面白半分の冗談を言う妹紅だったが、魔理沙はそれを冗談と受け止めず名案と受け取る。
「氷のお守りか!」
「・・・バカげているけど、密閉空間で上昇する気温を下げる効果は確かにありそうね。」
 チルノを連れて行こうと思いつく魔理沙に、冗談だけではなく一理あると賛成の意を示すパチュリー・ノーレッジ。
 何を言われているのか全く分からないチルノだが、皆から注目され気分を良くしたのか、すっかりその気になっている。妹紅はやれやれと肩をすくめると、横髪を纏めている小さなリボンの一つを取るとチルノの細い二の腕に巻いてやる。
「溶けないお守りだ。」
 状態を堅固に維持する八雲紫の妹藍の力が込められたリボンは、仮に高温にさらされる事態になってもチルノが溶ける事を防いでくれるだろう。
 八雲紫の計画では、炎熱地獄の中に魔理沙を突っ込ませる事はほぼないと見ているが、妹紅の計画ではそのなかで暫く活動してもらう予定である。外の熱が伝わらなくても、中に長時間入れば室内温度や湿度は上昇していまう。魔理沙を安心させる為に思いつきで言った冗談だったが、パチュリーの言う様に室温を下げる効果が確かにあるかもしれない。ただ、温度が上がる前は寒い思いをするかもしれないが・・・。
 周囲の注目を受け、更に妹紅にリボンを巻いて貰った事で得意になったチルノは、魔理沙とフランドール、河童のにとりと一緒にバルコニーに出て姿が見えなくなるまで妹紅を見送った。

 八雲紫は自分の席に着いたまま賑やかな窓辺の様子を静かに眺めている。
 藤原妹紅の生還を初めから信じて疑わない紫ではあったが、最後に何か言葉を交わしてから別れたかった。しかし、そんな雰囲気ではなく、そもそも、そういう雰囲気にしたのがパチュリーにつかかった自分自身の所為であり、今はその事を激しく後悔していた。
「(何故、あんな小娘如きに・・・。)」
 目の前にあるこの幻想郷立体地図を見せられなければ、あんなひ弱な魔法使いなど気にも留めなかったはずである。
 霊夢とも何か言葉を交わしたかった。色々とやり残した感が頭の後ろの方にもやもやが付きまとって離れない。
 スキマの力を使えば何時でも対話は可能だが、これからスキマ砲の為の砲身となる大規模なスキマのトンネルを3本作らなければならず、それらを藍の計算通りに高度に連携させて運用し、更に魔理沙の側でナビゲートもしなければならないので、霊夢や妹紅とも話せる時間は異変が終わるまでもうない。今ならまだ間に合うが、霊夢にも妹紅にも異変前とは違う状況になってしまった為話しずらかった。
 何かをやり残したと後ろ髪引かれる八雲紫は、別れてそれきりだった妹の事をふと思い出し一抹の不安を感じ、誰にも何も言えない寂しさと孤独を噛みしめていた。


 未だ続く幻想郷南東部の広い範囲で行われている妖怪同士の戦闘を横目に見ながら、虹色の炎の翼を広げ一気に上昇して上空2500メートルに到達する藤原妹紅は、要塞の真下に移動して周囲に誰もいない事を確認する。
 これからこの空域は地上と結界で隔てられてしまい、何人も行き来することは出来なくなる。今ここに誰かがいるようなら追い払っておかなければならなかったが、どうやらその心配は必要なかったようである。
「・・・よし、後は霊夢と・・・要塞のパージだな・・・。」
 どのくらいで霊夢の結界が完成するか、要塞のパージはそれを見てからだろう。
「お手並み拝見といくか。」
 妹紅は一つ深呼吸をして遙か東に見える博麗神社を見ながらその時を静かに待った。差し向けられた刺客の存在に気付かずに・・・。


 博麗霊夢は神社境内で慌ただしく動き回る人間達を尻目に、戸惑う気持ちを努めて表に出さないようにしながら、本殿の賽銭箱横に梱包していた組み立て式の小さな祭壇の準備にとりかかろうとする。
 時々視界に入る白玉楼の庭師の姿がいつもと違って見える。周囲の人間達も彼女に対して一目置いているような雰囲気があり、いつ里の人達と仲良くなったのだろうか?
 彼女の身に起こった数々の事情を知らない霊夢としては何故そう見えるのか不思議でしかたがなかった。
 そんな霊夢のところへ、先程久しぶりに会って直ぐに別れた魔理沙の父親が数人の男を引き連れて再び霊夢の前に現れ、里で用意した大きな祭壇で儀式を行う様、半ば強引に自前の祭壇と取り替えられてしまう。
 自分の用意した祭壇を片付けられた事に多少の不満はあったが、作業の手間も省けたので直ぐに機嫌を戻す霊夢は、この何から何まで粛々と事が進んでいる状況が出来過ぎに思えて気になり、手持ち無沙汰も手伝ってそのことをさりげなく10歳までの育ての親である魔理沙の父親に聞いてみる事にした。

 里では春と夏そして秋にお祭りをしており、その際、大きな祭壇を用意し誰にと言うわけでもなくお供えしており、昔は神主が居て祭事も行っていたが、今はただその形式的なものだけを昔のまま続けているだけだという。手際良く見えるのは皆、祭事にはなれているからではないかと至極当たり前な説明を貰う霊夢。
 霊夢としてはそうした作業上の手際の良さではなく、異変が始まってからのこの数日で、危険な博麗神社までの強行軍を含めた全体的な酒宴計画について、その背景などを聞きたかったわけである。しかし、それは上手くはぐらかされてマルキの主人からは有力な情報は得られなった。

 丸々5年程会っていなかったが、それでも小さい頃にとても良くしてもらった数少ない里の顔見知りの魔理沙の父親。しかし、祭壇を作る作業をする男達は見覚えがなく、物珍しそうにこちらを見る視線と、同じ様にこちらが彼らを見る視線が交差し、何やら微妙な雰囲気が立ちこめる。
 これが完全に見ず知らずなら霊夢も気が楽なのだが、年に数度香霖堂では手に入らない物を調達しに里に降りる事があるので、恐らく完全な初対面の者はおらず、こちらはともかく先方はどこかで目撃している可能性が高い。彼らは当然自分が巫女だと知っているだろうし、自分は巫女としての務めを果たしていない自覚もあり気まずさが募るばかりでる。彼らは一体どんな気持ちで自分を見ているのだろうか?悪巫女?妖巫女?さぼり巫女?既に巫女自体が、妖怪の種族のひとつと思っているかもしれない。
 自分を卑下してしまう霊夢だが実際に思っている程里の人間は神社や巫女に対して知識が乏しく、その仕事や役割についても無知で、上白沢慧音から小言の様に神社や巫女について聞かされてはいるものの、自分達の日々の生活と何の関わりもないのでどうでもよく、巫女として評価される以前に、評価の対象にも上がっていない状態だったのである。
 霊夢に対する男達の視線は、以前子供の産まれなかった里では15、6の若い娘がいないので、そっちの意味で興味の視線が向けられている状況だったのである。
 霊夢は向けられている視線の意味に気付かず、働かない巫女としての自分を責められている気分になり、彼らの作業を見ながら別の事に考えを巡らし気を紛らわせる。

 人間達のこの手際のいい動きは突発的な異変に対しての即座の対処行動ではなく、事前に異変を予測して万端の準備をしていたものだろう。
 異変の中心的人物の藤原妹紅と里の守護神的存在の上白沢慧音は昵懇の仲と聞いている。妹紅を経由して慧音から異変の存在が、里全体か或いは上層階級に知らされたと考えるのが普通かもしれない。予め天変地異に等しい大規模な異変が起こる事を知った上で、神頼みの準備を水面下で着々と進めていたのだろう。
 しかし、異変の具体的なところは先日固まったばかりで、妹紅には直前に知らせているが、事前にはわからなかったはず。守矢神社との連携を踏まえてこの展開を予測していたというのなら、上白沢慧音の先見眼は侮れないものがある。
 紫は完全に里の存在、強いては慧音の存在を無視して作戦を考えていたようだが、それは少し彼女を侮り過ぎではないだろうか?今更だが少し心配になってくる。
 しかもここで気になるのが、この里の動きは守矢神社側は当然知っているが未だに八雲紫は感知していないという事である。自分も今ここに来てその状況を知って面を喰らっているのだ。
 先程何故このことを主催である紫に教えなかったのかと諏訪子に問うたが、守矢神社側の言い分では、巫女である自分に力を与えるという役目を八雲紫から依頼され了承しているが、具体的な手段は指示されてもいないし、やり方を報告しろとも言われていないとの事で、守矢側はその方法を独自で考え、幾つか在る選択肢の中から他所から別の神様を呼ぶという手段を選び、その為に必要な宴を準備させただけで、何ら責められる様な事ではないという。
 それらはああ言えばこう言う的な狡い言い訳としか霊夢には受け取れなかった。しかし、こういう屁理屈は実は自分もよく使う事なので、それ以上の文句は言いずらいしそんな相手には追求するだけ時間の無駄である。それに実際に時間的余裕がない。

 先日、永遠亭の八意永琳を交えた白玉楼における三賢者会議の反省会において、永琳が帰宅した後、八雲紫から博麗神社と幻想郷の関係を知ったばかりの霊夢は、面倒事は御免だと幻想郷の運営側に入るのを拒んだばかりである。
 幻想郷の運営に一切関わっておらず、これからも関わる気がない霊夢は、運営する上でやっていい事と悪い事の判断基準を当然教えられていない。『外から神を呼び寄せる』という事が、結果として『博麗の信仰を失わせる』事に気付いていない霊夢はそれが罪となるとは思っていなかった。第一それが悪い事なら、諏訪子ら守矢神社の存在はここにあってはいけないはずである。

「(・・・。)」
 霊夢は先程諏訪子に言われた『紫の犬』発言を思い出し不機嫌が蒸し返してくる。
 守矢神社の言い分はわからないわけでもないが、『外から神を呼び寄せる』事は教えなくてもいい事ではなく、教えたくないという事ではないのか?『紫の犬』発言は、こちらの反骨心を煽って報告を思いとどまらせる為の口実ではないのだろうか?やはり、この宴を知らずにいる紫に念のため一報入れるべきではないだろうか?
 しかし、この時の霊夢は、煽られた反骨心以外に紅魔館での妹紅とのやり取りで紫に叱られた件を少し根に持っていた為、紫に対して必要以上の義理立ては不要と感じはじめていた。

 守矢神社の言葉には何か別の企みが平行して進んでいる様なニュアンスがあった。これはこちらが勘ぐった反発として売り言葉に買い言葉として口から出ただけかもしれない。
 いつもの霊夢ならそこを鋭く問い詰めて口を割らせるところであったが、紫の忠犬発言や紫に叱られた件が、自分でも驚く程精神的に大きな負荷を与えているようで、緊急時にこそ発揮される霊夢の勘と頭脳を鈍らせていた。
 勿論、この忠犬発言や紫に叱られた事だけではない。この場合、判断をそのまま行動に移せる時間が無さ過ぎたのが一番の問題なのである。

 切羽詰まった状況を任意に作り出す事が出来れば、時間のかかる手続きや思考を省略し相手の選択肢を一定に狭める事が出来る。今霊夢が置かれている状況とは正にそれだった。
 しかし考えてみるとこの状況は必ずしも守矢神社が作り出したものではない。彼らは幻想郷で一番高い位置にある守矢神社の安全を確保しようと異変の早期解決を望んでいる。この遅延状況は少なくとも彼らは望んでいないのだ。
 では誰がこの状況を作ったのかといえば、それは藤原妹紅と風見幽香である。この2人が最近仲がいい事は知っており、この2人が共同で何かを画策するするならそれは全く有り得ない話しではない。
 守矢神社はこの危機的状況の中で霊夢に対して有利に交渉を進めており、その結果だけを見れば遅延で交渉を有利に出来る守矢神社と実際に遅延に追い込んだ妹紅等が連携している様にも見える。
 仮に彼らが連携しているとして問題はその理由だ。繋がるということはお互いに益があるからだろう。遅らせるメリットは自分を丸め込むという意味で諏訪子にはあるが妹紅側にはあるのか?妹紅としては早くても遅くてもどっちでもいいのだろう。守矢神社に頼まれてやっているだけという可能性もある。
「(そこらへんの関係が全く見えないのよね・・・。)」
 いくら考えても霊夢には守矢神社と妹紅の関係性が見えてこない。
 ただ一つだけ分かる事は、彼らの得る益によって不利益を被るのは、恐らく自分や紫側になるだろうという事で、現に自分は今かなり精神的に追い込まれているのだ。

 これは今からでも紫に知らせるべき案件ではないだろうかと考える霊夢だが、また自分が紫側にいる事を前提に思考している事に気付いた。
「はっ!」
 紫の忠犬などと揶揄され心の中で必死に否定した霊夢だが、何かあると紫にと思考が働く自分がいる事を思い知らされる。
 紫に叱られた事を根に持つというのは、霊夢にとって紫が大きな存在になっている裏返しともいえる。自分は何者にも染まらないという自負を持っていたが、気付けば紫色に染められていたのだ。
 いつの間にかあのスキマ妖怪に依存し飼い慣らされていた事にようやく自覚が芽生える霊夢。
「(なんだか無性に悔しい・・・。)」
 それにしても守矢神社は強かだ。どさくさに紛れて自分と八雲紫の結びつきを断ち切ろうとしている。
 以前山に現れたという外の神様を調査しに妖怪の山に行った折り、一戦交えた後和解して博麗神社に守矢神社の分社を置いている。この動きはこちらに取り入って仲良くしようと前向きに考えている現れであるが、紫は自分と守矢神社の接近を快く思っていない。
 恐らく守矢神社は博麗の巫女である自分が幻想郷運営において強い発言権を持っていると勘違いしているのだろう。幻想郷で好き勝手やりたり彼らは、運営者の一人に便宜を図って認めてもらおうとしている様だが、生憎自分は運営になんら関わっていない。その事を知ったら掌を返してくるだろう。
「(それはそれで嫌だけど・・・。)」
 守矢神社の真の企みとは、博麗神社を取り込んで紫と距離を取らせ、巫女を傀儡にして幻想郷での発言権を得るという事だろう。
 妹紅にやりこめられ紫には叱られ更に諏訪子に犬呼ばわりされてかなり落ち込んでいた霊夢だが、一人思考に没頭し、相手の企みを看破したつもりになって、ようやくいつもの自分に戻ったという実感を得る。
 霊夢はこの時、ある一定の段階まで守矢神社の企みを看破したが、守矢の企みが上白沢慧音の企みに便乗したものだというところまでは及ばなかった。


「準備ができたぞ。不死人も空に昇ったのが見えた。」
 身動ぎもせず既に完成し男達がいなくなった祭壇の前に立つ霊夢に、全ての準備が整った事を報せに来る洩矢諏訪子。霊夢は我に返って諏訪子に向き直ったが、そこで何か足りない事に気付く。
「あれ?神奈子は?」
 異様に目立つシルエットが諏訪子の側に居ない事に気付いた霊夢は辺りを見渡す。そして、先程とだいぶ景色が変わった境内にも驚き、神奈子よりもそちらに気が向く。

 境内は本殿前の賽銭箱から大鳥居まで石畳の通路になっており、賽銭箱の手前に供物を大量に供えた祭壇と、その更に手前に一つは諏訪子の分だろうと思しき数枚の畳で床上げされた2人分の膳席が用意されている。石畳の両側は神社の物置に大量にあった古い畳を並べたその上に新品のゴザを敷き、片側17名、計34ほどの酒宴会場に仕立てられている。
 賽銭箱前の2席が上座になり、神社本殿の前から両脇の膳席の背後、そして大鳥居まで白い幔幕がコの字型に二対張られ、囲まれた幕の内側からは本殿正面と鳥居しか見えない状態になっている。人間達はその幔幕の後ろで慌ただしく宴会の準備に動き回っているようで、宴は迎える神様達の為だけで、人間達はあくまで世話役に徹する事が伺えた。
 今、霊夢の視界に映る人間の姿は、階段を上り下りして鳥居から幔幕の裏に消えていく未だ荷揚げ作業をしている者だけだった。
 霊夢らが紅魔館から戻る前から勝手に使われて、事後承諾の形で妖夢に利用許可を与えた母屋の台所の方から炊煙が上がっているのが見え、幔幕に遮られた向こう側で神様に献上する料理の支度が既に始まっている事が覗える。花見のような無礼講のただの宴会とは明らかに異なる未だかつて見た事がない大規模で格式高い酒宴になる予感がする。浮かない気持ちとは裏腹に何故か胃袋だけが楽しげに動きはじめる霊夢。

「ヤツはヤツでやることがあるから今は席を外している。」
 霊夢が周囲を見渡し再び視線が戻るのを待ってから答える諏訪子。
「えーそれがあんたらの企みの本命?」
 守矢神社が何かを企んでいる事を前提に話す霊夢だが、諏訪子から意外な答えが返ってくる。
「ん?そうではないが・・・なんだ聞いてないのか?」
「何が?」
「この異変は巨大な焼却炉が出来るじゃろう?」
 そう言って天頂方向を指す諏訪子。
「あー、妹紅の自爆を利用して始末したいものを焼却する・・・そんな事言ってたっけね。」
「そう、それそれ。神奈子は今そっちの準備じゃ。」
「ふーん。」
 何を焼却したいか気になる霊夢だが、どうせ聞いても答えてくれないだろうとそれ以上の追求はしない霊夢。
「今、ちょうど午後1時30分になったところじゃ。最短で10分後に大砲が発射されるようじゃから、それまで結界をはるのじゃ。ほれ!」
 ミシャクジ様である洩矢諏訪子は、しゃべりながら霊夢の背後に廻ると背中を少し強く叩いて気を入れる。
「うひゃっ!」
 霊夢は普段出さないおかしな悲鳴を上げたが、これは叩かれた痛みで咄嗟に出た声ではなく、突然注ぎ込まれた神力の大きさに驚いての事である。
「お前がどれほどの力を蓄えられるかしらんから、少しずつじゃ。」
「これで少し?」
「結界を張ればそんなものすぐに無くなるぞ?お前は修行していないから天性の瞬発力はあっても努力で身に付く持続力がないからの。」
「悪かったわね、にしても・・・。」
「おしゃべりは後じゃ。先ずは結界を張る事に集中せい。」
 何かしゃべろうとする霊夢をたしなめて当初の目的に軌道修正する諏訪子。スケジュールの遅れが功を奏して扱いずらいじゃじゃ馬霊夢の手綱を握って主導権を得る事が出来たが、この遅れは守矢神社は歓迎しているわけではないのでなるべく早く済ませたい。
「分かったわよ。じゃーいくわよ!」
 結界そのものは神道によるものではなく陰陽師の力を基にしている。また、土着神の洩矢諏訪子は博麗神社で扱える神様とは全く異質で、霊夢が諏訪子を卸して奇蹟を起こすことは出来ない。
 神様の持つ神の力を神の入れ物である巫女の霊夢に注ぐ事で、霊夢の基礎能力を大幅に上昇させ、陰陽師の結界の力を底上げする仕組みである。
「夢想封印!」
 博麗系陰陽師の特徴である八雲紫の境界を操る力からヒントを得て完成した『夢想式』の術法が発動する。これは夢と現の境界線を越えて、夢の中の無意識の奥底に眠る潜在的な力を現実に引き出すというもので、ただの人間では決して出す事の出来ない強い力を引き出す事が出来るのだ。
 夢想式は一瞬無意識状態になる事で取り出せる潜在的な力を基礎能力に掛け足すもので、しっかりと訓練を修めた者なら通常時の100倍以上の力を発揮出来てしまう恐るべき技である。
 しかし、普段修行していない霊夢は、基礎能力の上限に全く達しておらず、ゼロに何を掛けてもゼロということで夢想式を発動しても能力上昇率は低い。しかし、霊夢の潜在能力は特殊で、博麗神社の歴代の英霊の御霊がその身に宿っているので様々な奥義を生まれつき身につけているという反則的な素質を持っているのだ。例えば『夢想転生』など、修行して会得していないのに使う事が出来き、この恵まれた天性の力があるおかげで霊夢は高位の妖怪からも一目置かれる存在となっているわけである。

 陰陽師が使うただの結界ではなく夢想式による強力な結界を発動した霊夢は、無意識に妹紅と思われる紅い光点に右腕を指し向け、人指し指と中指を立てて、結界を張る中心点を探る。
 要塞の真下に居るはずの妹紅を目印に、地上約2000メートル上空付近を見いだすと奥義を発動する。
「天封!」
 夢想式結界術の中で最も広い範囲を封印する事が出来る『夢想封印・天封』が発動すると霊夢の指し示した一点から薄紅色の結界の膜が幻想郷外縁に向かって波紋の様に広がっていく。
「見事じゃ霊夢。ほれ、次の力の補充じゃ。」
 結界が無事発動したのを見て喜ぶのも束の間、莫大な力の消費に目眩を覚えている様に見える霊夢に、素早く力を継ぎ足してやる諏訪子。
 想像以上に大量の力を必要とする『夢想封印・天封』は、霊夢の中から大量の力を吸い取っていく。
 天を封印するなど紫は簡単に言っていたが、一人ではまず不可能だし守矢の二柱がいても足りないないのではないかと思う程の消耗である。これでは神様が何柱いても足りない。霊夢はここで紫の楽観的な計画の見通しに少し背筋が冷たくなった。八坂神奈子の正体を暴くのが目的とはいえ、実際に苦労するのは自分である。もっと楽に事が進むと思い込んでいた自分も悪いが、何となく騙された気がしてならない。
 紫の予定通りに事が進むのなら遅くても午後1時50分に要塞は破壊されている事になり、その後の結界の中の不死鳥の浄化の炎はスキマの力で向こうの世界に送り返すというのが基本的な段取りである。異変終了時間は最短で午後2時前になるだろう。
 しかし、紫はこの異変を利用して守矢神社の実力を計ると同時に、正体不明の存在である八坂神奈子の化けの皮を剥がそうと目論んでいた。
 具体的には、大量に消費する霊夢の力の補う役目を与え、異変終了後も結界を維持させ続けてその力を骨の髄まで搾り取り、根を上げた守矢神社を降参させようとしたのである。

 冗談ではない。守矢神社が降参する前にこっちの身が持たないではないか。
 
 霊夢は今日一日、当初の予定通りに進んでいない事実を改めて思い返していた。
 最初に組んだ予定はことごとく当てが外れてスケジュールが大幅に遅れており、これからも何が起こるかわかったものではなく、嫌な予感しかしない。
 もし、紫の思惑がはずれて結界を張る時間が大幅に伸びたらどうなるのか?守矢の実力を計ろうとして燃料切れでもされたら、それこそミイラ取りがミイラになるわけだ。
 人ごとの様に誰かを批判して自分は悪くないと思いたい霊夢だが、紫の立てた計画を精査して意見や注文も付けず全て任せきりだった。もし紫の策が失敗し幻想郷が滅んでもそれは何もしなかった自分に対する罰で正に自業自得だ。
 方や自分を紫の犬と揶揄した諏訪子は、何らかのイレギュラーが発生した時の事も含めて長時間結界を維持できる事を念頭に、力の供給源である神様を沢山呼び保険とする計画を立てた洩矢諏訪子の有能さだけが際立つ。
 実際は諏訪子ではなく上白沢慧音の案だが、何れにしても彼らが紫より上手だったのは確かである。

 夢想式による技が発動中、施行者はほぼ無意識状態になり、感覚的には自分以外の別の誰かがその技を代行しているような感覚になる。
 霊夢は意識と無意識が同居するという不思議な状態になり、意識側が体から切り離されて自分自身を俯瞰で見るような一種の幽体離脱を体験する。今ではもう見慣れた光景だが、霊夢は切り離された自分の体を他人事の様に見ながら取り残された意識を思考に割り当て、朧気に見えてきた異変の裏の裏を探り始める。

 肉体が無く意識だけになった霊夢は幽霊の様に中空を漂いながら周囲の様子を俯瞰で見る。手の空いた人間が幔幕の切れ目からこちらを覗いており、その中に見知った顔を見つける。何故か当たり前の様に人間の集団の中に居て、まるで集団の代表者の様に挨拶に来た白玉楼の庭師魂魄妖夢だ。初めて会ったのは春雪異変の時で問答無用で斬りかかってきたのを思い出したが、今は落ち着いて大人の雰囲気を醸し出している。霊夢は魂魄妖夢の存在が気になり、思考の範囲を広げて異変にまつわる相関関係を探りはじめる。
 妹紅と幽香の関係については、その直近の経緯は霊夢もあまり良く知らないが、紫が妹紅に話を持ちかける前に、妹紅と幽香が接近して、それに紫が嫉妬しているような事を九尾の藍がふざけ半分に言っていたのを覚えている。先日、神社で起こった岩老刀事件後に、500年以上前の彼らの因縁を聞いて驚いたものでる。
 上白沢慧音については妹紅と仲が良いという事は周知の事実だが、どうも紫は彼女を生理的に嫌っている感がある。紫のそうした個人的な感情が作用して、必要以上に彼女を問題の輪から遠ざけてしまい、結果として慧音がこの異変のダークホース的な存在になってしまっているのだ。
 守矢神社と里は連携していることは間違いなく、妹紅との綿密な繋がりは恐らく無いと思うが、妹紅の企みと慧音の企みが一致している可能性が極めて高く、結果として妹紅と守矢神社は間接的に繋がっている状態と言える。
 そして、この異変の呼び水となる前哨異変の為に人為的に作られた対立構造の槍玉に挙げられた紅魔館と、槍玉に挙げた永遠亭も警戒すべき相手である事に間違いない。
 紅魔館のこれまでのレミリアの印象から深慮遠謀は伺えないが、永遠亭は何を考えているかわからないし、今回の異変で呼び出した要塞の凄まじさを考えると、彼らが最も警戒すべき相手である事に間違いない。
「(永遠亭?・・・まさか・・・。)」
 永遠亭と藤原妹紅が長年対立している事は聞かされている。極悪人と称して不死人狩りが蓬莱山輝夜によってし向けられ、それに自分もまんまと乗ってしまった経緯がある。
 霊夢はここで、最も警戒すべき宇宙人達が早期に味方についてしまった為、何かを忘れている事に気付いた。
 彼らは白玉楼に出向いて紫と強引に面会し、その後、異変の企画者側に加わっているが、これは輝夜の能力によって幻想郷の滅びのビジョンを見て、それを防ごうと自主的に駆けつけたと主張している。
 しかし、霊夢はここで彼らの言の矛盾に気付いた。

 八雲紫の画策する不死鳥転生は、その炎を地上に還元しようとした為に、永琳の作った防御要塞の冬眠していた防御システムを起動させ、幻想郷にそれを召喚させてしまう事になり、紫側は永遠亭らの事情を知らずに自ら企画して進めていた異変に突如現れた要塞に驚き、妹紅の自爆でそれを撃退しようと目論むも、要塞を倒し切れず結界が破られ幻想郷が妹紅の炎に焼かれて消滅してしまうという、これが輝夜の体験した未来である。

 もし自分が永琳の立場だったら、先ず何をするにしても妹紅の自爆を止めさせようとするだろう。この自爆の力が地上に対する害悪と見なされ、要塞が防御活動を始めてしまうわけだから、妹紅さえ抑えれば紫もこの危険な火遊びは出来なくなるはずだ。
 しかし、永琳は妹紅よりも先に紫に会いに来ている。
 永琳は紫に会う為に東奔西走し、白玉楼で執り行われる会議の存在を妹紅と九尾との会話を盗み聞きして知ったいう彼らの話は少し出来すぎな気がしないでもない。
 紫の言葉を真に受けて、諏訪子が言うように文字通り『紫の忠犬』だったから、何も疑わずその話を受け入れてしまったが、今ここで一人の存在として異変に向き合った時、この話しの流れはとても胡散臭く感じてしまう。
 何でこんな重要な事に気が付かなかったのか?
 永琳は実行犯たる妹紅を無視して計画犯の八雲紫に直談判しに行ったのではなく、先に実行犯の妹紅を捕まえ、紫と面会出来るように話を持ちかけたか、妹紅から紫に直接説得しろと言われたかのどちらかで、どちらにせよ永琳は妹紅と最初から繋がっていたのだ。
 永琳と紫は、先日の宴会、もとい会合で永遠亭と紅魔館を争わせるという具体的な計画を立てたが、それは当然妹紅側に筒抜けであり、妹紅を経由して慧音にも話が伝わったとするなら、人間達の迅速な行動にも合点がいく。
 白玉楼の庭師が里の人間の中にいた時点で怪しいと気付くべきだったが、その時はもう時間的に取り返しがつかない状況になっていた。
 この時霊夢の捉えた予測と真実は微妙に隔たりがあったが、人の繋がりはおおよそ真実を得ていた。
 しかし、紅魔館の側近と妹紅が繋がっており、その繋がりの起点が魔理沙や魅魔にまで遡る事までは流石の霊夢も考えが及ばなかった。

 幻想郷を滅ぼして得する者は居ない。いるとするならそれは死を期待する妹紅だけだろう。しかし、死ぬだけなら異変に参加する必要はないし、その場で自爆すればいいだけの話だ。
 紅魔館であのような騒ぎを起こした理由は、恐らく妹紅は予定をずらしたいが為で、遅らせた時間に何らかの意味があったからだろう。自分やレミリアに対するアレはつまり時間稼ぎだったのだ。そしてそれは幻想郷を滅ぼす為ではなく、未来があることを前提としての事だ。
 妹紅が何をしようとしているか分からない。ただ一つ言えるのは幻想郷を滅ぼさないという事だけである。


 妹紅は当初、不死鳥の転生の必要性を理解した上で、過去に犯した罪を償う意味も含め八雲紫に全面的に協力しようとしていた。しかし、魔理沙から端を発した魅魔とそれにまつわる吸血鬼戦争の因縁が、八雲紫や天狗などと重なって幻想郷の未来に大きな足かせとなっている事を知り、更に、静かに進行している博麗神社の衰退の背景にある神と人間の絆の乖離問題の抜本的な解決を命懸けで試みる友人の計画遂行などを知り、初志を曲げて幻想郷の為に全てを背負う決意をして異変の主導権を強引に握ったのである。

 魔理沙、魅魔、紅魔館側の因縁を理解できなければ、この異変の確信にたどり着く事が出来ない霊夢だが、紫が吸血鬼の排除を画策している事を仄めかしたのを思い出し、妹紅か或いは別の勢力がそれを阻止しようと紫と対立した可能性に気付く。そして、結果としてレミリアの立場を良い方向へ導いた妹紅の乱闘騒ぎに思い至り、衝撃を受ける。
「(まさか・・・あれは・・・。)」
 あのままレミリアがリーダー失格の烙印を押され無様に終わっていたら、吸血鬼廃絶もやむを得ない世論が生まれたかもしれない。しかし、会議を乱す悪党を上手く捌いて異変を解決に導いたという実績が残れば、吸血鬼のお株も上がり、擁護者も増えて簡単に廃絶とはならないだろう。
 もしあれがレミリアを救う妹紅の一世一代の大演技だとするなら・・・。そして自分に向けられたあの悪意も会議を遅延させる演技だとすれば・・・。
 霊夢は首を思い切り振り、余りにも妹紅に都合が良い方向に考える自分を戒めた。しかし、これがもし想像したとりだとすれば、神や仏に等しい所行ではないか?自分には到底真似できない事である。そしてそれを認めれば自分自身の無能と狭量と未熟と愚かさが際立ってしまう事になる。

 いつの間にか空全体が薄紅色に染まっており、自分の身体を俯瞰で見ながら幻想郷の天と地が切り離れた事を知る霊夢。結界の向こうに時々閃光が走るのを見たが、妹紅がまた何かしてるのだろうと特に気には留めない。
 諏訪子が更に力を自分に継ぎ足すと、一言二言中身のない自分に声をかける。そして西を指す自分に背を向けて東を向き諏訪の主神であるタケミナカタと、もう一柱タケミカヅチを召喚する。
 霊夢は夢と現の狭間にあって、この有名な二柱の召喚を無感動に見る。兎に角、この状態になると起こっている現実の全てに実感が湧いてこないので感動が起きないのだ。
「(それにしても・・・。)」
 諏訪子の上司の様な位置にいるタケミナカタはともかく、何故タケミカヅチを呼んだのか霊夢はわからなかったが、無意識な霊夢と知らずその背中に話しかける諏訪子の声がわずかに耳に入ってきて納得する。
 諏訪の地に追い込んだタケミカヅチはこの地から二度と出ないと誓ったタケミナカタの監視役として近隣におり、諏訪から幻想郷に呼ぶにあたってタケミナカタに叛意無しと知らせる為、お目付役として召喚したというのである。そして恐らくは主神クラスを二柱呼べば、その眷属も含めより多くの神様を呼べるとの判断もあった為だろう。

 霊夢は神様二柱が階段側の鳥居の下からすうっと現れる状況を俯瞰で見ながら、諏訪子に呼ばれて石畳の両脇に並んで神様を出迎える人間達の様子を見る。
 向こうの世界で必要とされずに忘れ去られ幻想郷に流されてきた、そこいら中にいる落ちぶれた神様とは明らかに違う二柱を見た人間達は、まるで見えない手で押さえ付けられるかのように跪いて頭を垂れている。
 霊夢の肉体は無意識に結界を発動する人形の様にただ神様に背を向けて西を指し、その様子を客観的に見てとても申し訳ない気持ちになる。夢想転生の様に一瞬で終わる技なら直ぐに意識を回復出来るが、肉体は未だに結界を張る作業をしているので現実に戻れずにいる霊夢である。
 自分もその場で神様達を身近に感じてみたくなるが、この状況では全てが他人事になってしまう。霊夢はなんとかして諏訪子に早く自分を解放出来る様に心で訴える。

 二柱はひれ伏す人間の前を進んで低頭で迎える諏訪子の前に止まる。
 人間で言うなら肉体的に最も脂の乗っている30代半ばという想像よりだいぶ若い姿をしており、白無地の飾り気のない狩衣のような衣装を纏っている。儀式などで着用する立派なものではなく普段着の様な柔らかい生地で、袖は非常に小さく更に袖口を絞っている。至って質素で狩衣というより、この衣装が原型となって狩衣に発展したものかもしれない。
 頭髪は非常に長く、後ろ髪は腰の上まで伸び、首と背中の2箇所で縛って纏め、横髪はもみあげのところで結って纏めている。前髪は上げて金属製の輪を額にはめて沢山ある髪の毛を動かない様にまとめているようである。
 細い腰紐を何重にも巻いて固い帯状にし、そこに装飾が施された恐らく実用ではない儀礼用の剣を吊している。靴は履いておらず素足で、背格好は、体格だけは無駄に立派な香霖堂の森近霖之助をそのまま二回り程大きくしたような体躯である。

「よくおいで下さいました。」
 両手を合わせてかしこまって挨拶をする諏訪子。神奈子の姿が未だ見えないが、諏訪子だけに相手をさせてよいものかと心配になる、守矢神社の秘密を知らない霊夢。
「宴を催すというので、旧友と共に来てみてが・・・これはまたどうしたことか。」
「まんまと釣られましたな。」
 姿は若いが声は威厳に満ち、信心深くない者はその声を聞いただけで震え上がりそうである。神様との縁が切れている里の人間達は、正にそれで肉体も精神も魂までが震え上がっていた。
 意識だけの霊夢もそれは同じで、元の身体に戻ったら他の人間同様縮み上がってしまうだろう。
「この宴は神しか頼れない哀れな人間達の精一杯の気持ちです。どうかお力をお貸し願いたく、こうして宴を献上しに参りました次第です。困った時の神頼み。余興と思うてどうか寛大に・・・。」
「なるほど、この宴に呼んだのではなく我々にこの宴席を差し出すというのじゃな?」
「はい。この宴は今より貴方様方のものです。三日三晩飲み明かしてもなお有り余る酒を用意いたしております故、親戚縁者眷属皆々様に振る舞って日頃の労を労っては如何でしょう?」
 霊夢はその様子を聞きながら、なるほどそういうことかと諏訪子の企みを理解する。
 ただ酒を振る舞っておだてて力を騙し取るのではなく、彼らが宴の主催となって他の神々をもてなし、益々の威信拡大に貢献すると同時に、更に呼ばれる多くの神々から力も借りてしまうという一石二鳥の作戦である。誰も損をしない皆が幸せになれる名案妙計である。霊夢の中にあった諏訪子のお株が、この数分ですこぶる急上昇した。

「これはありがたい申し出。謹んで受けよう。で、あの大きな釜底を何とかせればいいのじゃな?」
「いえいえ、先程申した様に、あれは余興でありますれば、今は何もしなくて結構。気にせず幻想郷の足掻きを酒の肴としてくださいませ。ただ、ここにいる巫女に爪の垢ほどのお力を分けてくださば幸いです。」
「ふむ。先程から気になっていた巫女か・・・何やら心ここにあらずという感じだが。」
「この者に力を与えればよいのじゃな?」
「よろしくお願い致します。」
 タケミナカタはそう言うと西を向いて神様達に背を向ける霊夢の身体に歩み寄り、そのまま横を通り抜けると何もない中空に両手を伸ばして何かを掴む動作をする。
 これには諏訪子も人間達も驚いてどよめきが起こる。しかし、そのどよめきは次に驚愕へと変わった。
 タケミナカタは切り離れされた霊夢の意識をその手で掴んで現実に引きずりだしたのである。夢想状態から一気に現実に引き戻された霊夢は驚く暇すら与えられず、タケミナカタに胴を両腕で鷲掴みにされたまま神の力を大量に流し込まれてしまう。
 霊夢は一瞬自分の身体が圧力に耐えられず爆発した様な錯覚を覚えて、普段出さない少女らしい悲鳴を上げる。
「これこれ、相手は人間ではないか、手加減せぬか。」
「これはこれはすまぬことをした。」
 一見すると幼気のない少女を苛めている様にも見えるこのタケミナカタのこの行為を諫めるタケミカヅチ。
「霊夢よ、博麗の力の術を閉じよ。そのままで既に結界は維持できる。」
 諏訪子には見えなかった霊夢の本体。しかしタケミナカタのやって見せたこの奇跡で霊夢が無意識状態で結界を張っていた事に気付き、夢想式という博麗系陰陽師の技の仕組みを理解した諏訪子は、霊夢の身体がそのような高度な奥義を用いらなくとも結界が維持できる状態にある事を理解して助言してやる。
 夢想式など何も知らないタケミナカタには、意識側の霊夢が本体に見えたのだろう。それを強引に現実に引き戻されて更に力を注ぎ込まれてしまい、本体が凄まじいパワーアップをしている状態で、更にそのパワーを上げる夢想式を平行して実行していたため、霊夢の力がオーバーフローしてパニックを起こしてしまったのだ。
 諏訪子の助言を聞いた霊夢は夢想式の発動を止める。そして、止めた途端分裂した元の本体が消える。
「し、信じられない・・・。」
 夢想式モードに切り換えていないのに『夢想封印・天封』が維持されている。いや、維持どころか湧き上がる力が器を満たし、そこから滴り落ちる一滴分の力だけで結界が益々強化されている。
 この力は単純に強いという量的なものではなく、純度が高く品質がとても良いという感覚だ。例えば同じアルコールの強さの酒でも美味いものとそうでないものがあり、この力は普段自分が呑む安酒の様な力ではなく、とても手が出せない銘酒の様なものなのである。
 これが今現在も巨大な信仰を持ち続ける現役の神様の力なのか?
 霊夢は初めて本物の神様がどんなものかをその身をもって知った。そして巫女という職の意味と意義、無限のポテンシャルを理解した。
「霊夢よ、そなたの持つ常識などもはや何の意味もなかろう?」
 地面におろされた霊夢は、夢でもみているかのように半ば放心気味に自分の両手を見ていたが、諏訪子に諭されて神様達に向き直り、その場に跪いてかしこまって深く一礼する。
 霊夢はこれまで神様を自分に卸した事が何度かある。しかし、これは異世界に住む神様の力を壁越しに借りているだけで、その神様の本当の力ではなかったのだ。
 巫女でありながら神様に対して何の有り難みも感じていなかった霊夢だが、生まれて初めて神を肌身で感じた。そして素直な気持ちで神様に低頭する事が出来た。他人に頭を下げるなど死んでも嫌だと感じるこれまでの霊夢にとって、この清々しい素直な気持ちは初めての体験で自分でも戸惑うほどだった。
「気にする必要はない。この力は博麗に還元するべき力で、我々の感謝の気持ちでもある。」
 タケミナカタはかしこまる霊夢に優しく声を掛ける。しかし、霊夢にはその言葉の意味が全く理解できなかった。
「霊夢よ。我々と博麗は全くの無関係ではないのだ。」
 ここで、諏訪子が主神に代わって説明を始める。
 博麗神社の現神主は、幻想郷における歯止めのかからない信仰の減少に危機感を覚え、幻想郷内部の信仰に頼ったのでは長く持たないと、信仰を外部に求め出奔し、外の世界に転生した。
 神主は幻想郷の存在を向こうの世界に合った媒体替えて広め、外の世界で生まれた自分個人とその媒体に対する信仰を博麗神社の信仰に換えて補っていたのである。そして、神主が外の世界に生まれ代わった土地が諏訪に近く、その信仰媒体の中で諏訪地方の神様を取り扱ったところ、諏訪に新たな信仰が生まれ、そこで得た信仰の利益分を博麗に還元するということである。
 諏訪子はその折りで神主と知己を得て自らの幻想郷入りの手引きをしてもらったという。
 霊夢は諏訪の神様と博麗神社の知られざる関係を思い掛けず知る事になる。


 人間達の用意した宴席は、タケミナカタとタケミカヅチの二柱主催の酒宴にとってかわり、霊夢が人間の持ち込んだ酒を祈祷し御神酒に替えると諏訪子と共に神様の世話係を買って出る。
 夢想式によって無意識が身体を支配し、切り離され自由の利かない意識と交信するために、タケミナカタによって無理矢理肉体を与えられてしまった霊夢は、二つの肉体を所有してしまった事になる。この事によって意識と無意識を同時に両立させる事が出来る様になり、夢想式を発動していても無意識にならずに済むようになり、更に意識と無意識の双方に肉体を与える事が出来る様になったのである。これは分身の術ではなく完全な分裂で、夢想式を二人分発動する事が出来るようになったのである。
 思わぬところで覚醒してしまった霊夢。これまでないがしろにしていた巫女としての自分を強く意識するようになった瞬間だった。