東方不死死 第68章 「限界突破」
巨大な結界を張る為に必要な力を神様から借りる儀式を行う為、博麗霊夢と守矢神社の二柱、八坂神奈子と守矢諏訪子が異変の作戦本部となっている紅魔館から博麗神社に移動した。
主要メンバーが半減し、狭く感じた会議室が少し閑散となったが、更にまた一人紅魔館から去ろうとする者がいた。
「さて、私も行くかな。」
異変において重要な役割を与えられた人間の魔法使い霧雨魔理沙を中心に出来た輪から一歩引いた位置でたたずむ藤原妹紅は、これから死ぬ運命にある可愛い娘の横顔を見ながら、自分に与えられた役目を果たす為静かにバルコニーに向かう。
「藤原妹紅・・・。」
その時、自分を呼び止める声を聞いて足を止める。
「宜しくお願いします。」
振り向いた先にあったのは吸血鬼の王女レミリア・スカーレットと従者の十六夜咲夜の低頭だった。
お子様だったレミリアの急成長を内心喜ぶ妹紅だったが、悪党である自分を引き続き維持する為に不機嫌な顔でその言葉を無視して踵を返し窓の外へ向かう。
この時レミリアは、妹紅が自分を成長させる為に一芝居打った事に気付いていなかったが、結果として成長させてもらったという自覚があり、暴力と屈辱を受けた後でも妹紅に対してネガティブな感情はなかった。
無視され落胆するも、内面の動揺を見せずに毅然と振る舞うレディ・レミリア。
そのレミリアと妹紅との些細だが重苦しいやりとりに気付いた魔理沙は、妹紅が任務に出向こうとする気配を感じとって慌てて駆け寄って声を掛けてくる。
「あ、あの・・・その・・・何て言えばいいか・・・か、必ず戻って来るよな?」
駆け寄って来たはいいが、何を言えばいいのか咄嗟に思いつかず、しどろもどろになって言葉を詰まらせていた魔理沙から予想していなかった言葉を貰う妹紅。
魔理沙は自爆した妹紅がこのまま戻ってこないのではないかと不安に駆られていたのだ。
「私にはやり残した事がまだまだ沢山あるわ。」
妹紅の自爆後の身を案じるのは魔理沙で二人目であり、一人目の風見幽香の時と同じように再会を約束する。表向きいつもどおりの態度で振る舞う妹紅だったが内心とても嬉しかった。
「でも、不死鳥が居なくなったら妹紅も・・・。」
しかし、魔理沙の心配は消えない。
「不死鳥は不滅よ。だいたい死んでそのまま不死鳥なんてただの焼き鳥と同じでしょ。」
「それもそうだな。あはは。」
ようやく笑顔を見せる魔理沙。
「他人の心配するより、自分の事でも心配してなさい。それじゃ、行くわね。」
妹紅はそう言って魔理沙の二の腕あたりをポンポンと二回叩き、別れを惜しむ素振りを見せずすぐに飛び去ろうとするが、ここで意外な存在に立ち塞がれてしまう。
「ん?」
妹紅の前に居たのは氷の妖精チルノだった。
物欲しそうにこちらを見上げるチルノとしばらく見つめ合う妹紅は、一つ面白い事を思いついた。
「ねぇ魔理沙。私やあのもやしっ子のお守りよりもっといい耐火耐熱のお守りがあるけど?」
横にいる魔理沙に面白半分の冗談を言う妹紅だったが、魔理沙はそれを冗談と受け止めず名案と受け取る。
「氷のお守りか!」
「・・・バカげているけど、密閉空間で上昇する気温を下げる効果は確かにありそうね。」
チルノを連れて行こうと思いつく魔理沙に、冗談だけではなく一理あると賛成の意を示すパチュリー・ノーレッジ。
何を言われているのか全く分からないチルノだが、皆から注目され気分を良くしたのか、すっかりその気になっている。妹紅はやれやれと肩をすくめると、横髪を纏めている小さなリボンの一つを取るとチルノの細い二の腕に巻いてやる。
「溶けないお守りだ。」
状態を堅固に維持する八雲紫の妹藍の力が込められたリボンは、仮に高温にさらされる事態になってもチルノが溶ける事を防いでくれるだろう。
八雲紫の計画では、炎熱地獄の中に魔理沙を突っ込ませる事はほぼないと見ているが、妹紅の計画ではそのなかで暫く活動してもらう予定である。外の熱が伝わらなくても、中に長時間入れば室内温度や湿度は上昇していまう。魔理沙を安心させる為に思いつきで言った冗談だったが、パチュリーの言う様に室温を下げる効果が確かにあるかもしれない。ただ、温度が上がる前は寒い思いをするかもしれないが・・・。
周囲の注目を受け、更に妹紅にリボンを巻いて貰った事で得意になったチルノは、魔理沙とフランドール、河童のにとりと一緒にバルコニーに出て姿が見えなくなるまで妹紅を見送った。
八雲紫は自分の席に着いたまま賑やかな窓辺の様子を静かに眺めている。
藤原妹紅の生還を初めから信じて疑わない紫ではあったが、最後に何か言葉を交わしてから別れたかった。しかし、そんな雰囲気ではなく、そもそも、そういう雰囲気にしたのがパチュリーにつかかった自分自身の所為であり、今はその事を激しく後悔していた。
「(何故、あんな小娘如きに・・・。)」
目の前にあるこの幻想郷立体地図を見せられなければ、あんなひ弱な魔法使いなど気にも留めなかったはずである。
霊夢とも何か言葉を交わしたかった。色々とやり残した感が頭の後ろの方にもやもやが付きまとって離れない。
スキマの力を使えば何時でも対話は可能だが、これからスキマ砲の為の砲身となる大規模なスキマのトンネルを3本作らなければならず、それらを藍の計算通りに高度に連携させて運用し、更に魔理沙の側でナビゲートもしなければならないので、霊夢や妹紅とも話せる時間は異変が終わるまでもうない。今ならまだ間に合うが、霊夢にも妹紅にも異変前とは違う状況になってしまった為話しずらかった。
何かをやり残したと後ろ髪引かれる八雲紫は、別れてそれきりだった妹の事をふと思い出し一抹の不安を感じ、誰にも何も言えない寂しさと孤独を噛みしめていた。
未だ続く幻想郷南東部の広い範囲で行われている妖怪同士の戦闘を横目に見ながら、虹色の炎の翼を広げ一気に上昇して上空2500メートルに到達する藤原妹紅は、要塞の真下に移動して周囲に誰もいない事を確認する。
これからこの空域は地上と結界で隔てられてしまい、何人も行き来することは出来なくなる。今ここに誰かがいるようなら追い払っておかなければならなかったが、どうやらその心配は必要なかったようである。
「・・・よし、後は霊夢と・・・要塞のパージだな・・・。」
どのくらいで霊夢の結界が完成するか、要塞のパージはそれを見てからだろう。
「お手並み拝見といくか。」
妹紅は一つ深呼吸をして遙か東に見える博麗神社を見ながらその時を静かに待った。差し向けられた刺客の存在に気付かずに・・・。
博麗霊夢は神社境内で慌ただしく動き回る人間達を尻目に、戸惑う気持ちを努めて表に出さないようにしながら、本殿の賽銭箱横に梱包していた組み立て式の小さな祭壇の準備にとりかかろうとする。
時々視界に入る白玉楼の庭師の姿がいつもと違って見える。周囲の人間達も彼女に対して一目置いているような雰囲気があり、いつ里の人達と仲良くなったのだろうか?
彼女の身に起こった数々の事情を知らない霊夢としては何故そう見えるのか不思議でしかたがなかった。
そんな霊夢のところへ、先程久しぶりに会って直ぐに別れた魔理沙の父親が数人の男を引き連れて再び霊夢の前に現れ、里で用意した大きな祭壇で儀式を行う様、半ば強引に自前の祭壇と取り替えられてしまう。
自分の用意した祭壇を片付けられた事に多少の不満はあったが、作業の手間も省けたので直ぐに機嫌を戻す霊夢は、この何から何まで粛々と事が進んでいる状況が出来過ぎに思えて気になり、手持ち無沙汰も手伝ってそのことをさりげなく10歳までの育ての親である魔理沙の父親に聞いてみる事にした。
里では春と夏そして秋にお祭りをしており、その際、大きな祭壇を用意し誰にと言うわけでもなくお供えしており、昔は神主が居て祭事も行っていたが、今はただその形式的なものだけを昔のまま続けているだけだという。手際良く見えるのは皆、祭事にはなれているからではないかと至極当たり前な説明を貰う霊夢。
霊夢としてはそうした作業上の手際の良さではなく、異変が始まってからのこの数日で、危険な博麗神社までの強行軍を含めた全体的な酒宴計画について、その背景などを聞きたかったわけである。しかし、それは上手くはぐらかされてマルキの主人からは有力な情報は得られなった。
丸々5年程会っていなかったが、それでも小さい頃にとても良くしてもらった数少ない里の顔見知りの魔理沙の父親。しかし、祭壇を作る作業をする男達は見覚えがなく、物珍しそうにこちらを見る視線と、同じ様にこちらが彼らを見る視線が交差し、何やら微妙な雰囲気が立ちこめる。
これが完全に見ず知らずなら霊夢も気が楽なのだが、年に数度香霖堂では手に入らない物を調達しに里に降りる事があるので、恐らく完全な初対面の者はおらず、こちらはともかく先方はどこかで目撃している可能性が高い。彼らは当然自分が巫女だと知っているだろうし、自分は巫女としての務めを果たしていない自覚もあり気まずさが募るばかりでる。彼らは一体どんな気持ちで自分を見ているのだろうか?悪巫女?妖巫女?さぼり巫女?既に巫女自体が、妖怪の種族のひとつと思っているかもしれない。
自分を卑下してしまう霊夢だが実際に思っている程里の人間は神社や巫女に対して知識が乏しく、その仕事や役割についても無知で、上白沢慧音から小言の様に神社や巫女について聞かされてはいるものの、自分達の日々の生活と何の関わりもないのでどうでもよく、巫女として評価される以前に、評価の対象にも上がっていない状態だったのである。
霊夢に対する男達の視線は、以前子供の産まれなかった里では15、6の若い娘がいないので、そっちの意味で興味の視線が向けられている状況だったのである。
霊夢は向けられている視線の意味に気付かず、働かない巫女としての自分を責められている気分になり、彼らの作業を見ながら別の事に考えを巡らし気を紛らわせる。
人間達のこの手際のいい動きは突発的な異変に対しての即座の対処行動ではなく、事前に異変を予測して万端の準備をしていたものだろう。
異変の中心的人物の藤原妹紅と里の守護神的存在の上白沢慧音は昵懇の仲と聞いている。妹紅を経由して慧音から異変の存在が、里全体か或いは上層階級に知らされたと考えるのが普通かもしれない。予め天変地異に等しい大規模な異変が起こる事を知った上で、神頼みの準備を水面下で着々と進めていたのだろう。
しかし、異変の具体的なところは先日固まったばかりで、妹紅には直前に知らせているが、事前にはわからなかったはず。守矢神社との連携を踏まえてこの展開を予測していたというのなら、上白沢慧音の先見眼は侮れないものがある。
紫は完全に里の存在、強いては慧音の存在を無視して作戦を考えていたようだが、それは少し彼女を侮り過ぎではないだろうか?今更だが少し心配になってくる。
しかもここで気になるのが、この里の動きは守矢神社側は当然知っているが未だに八雲紫は感知していないという事である。自分も今ここに来てその状況を知って面を喰らっているのだ。
先程何故このことを主催である紫に教えなかったのかと諏訪子に問うたが、守矢神社側の言い分では、巫女である自分に力を与えるという役目を八雲紫から依頼され了承しているが、具体的な手段は指示されてもいないし、やり方を報告しろとも言われていないとの事で、守矢側はその方法を独自で考え、幾つか在る選択肢の中から他所から別の神様を呼ぶという手段を選び、その為に必要な宴を準備させただけで、何ら責められる様な事ではないという。
それらはああ言えばこう言う的な狡い言い訳としか霊夢には受け取れなかった。しかし、こういう屁理屈は実は自分もよく使う事なので、それ以上の文句は言いずらいしそんな相手には追求するだけ時間の無駄である。それに実際に時間的余裕がない。
先日、永遠亭の八意永琳を交えた白玉楼における三賢者会議の反省会において、永琳が帰宅した後、八雲紫から博麗神社と幻想郷の関係を知ったばかりの霊夢は、面倒事は御免だと幻想郷の運営側に入るのを拒んだばかりである。
幻想郷の運営に一切関わっておらず、これからも関わる気がない霊夢は、運営する上でやっていい事と悪い事の判断基準を当然教えられていない。『外から神を呼び寄せる』という事が、結果として『博麗の信仰を失わせる』事に気付いていない霊夢はそれが罪となるとは思っていなかった。第一それが悪い事なら、諏訪子ら守矢神社の存在はここにあってはいけないはずである。
「(・・・。)」
霊夢は先程諏訪子に言われた『紫の犬』発言を思い出し不機嫌が蒸し返してくる。
守矢神社の言い分はわからないわけでもないが、『外から神を呼び寄せる』事は教えなくてもいい事ではなく、教えたくないという事ではないのか?『紫の犬』発言は、こちらの反骨心を煽って報告を思いとどまらせる為の口実ではないのだろうか?やはり、この宴を知らずにいる紫に念のため一報入れるべきではないだろうか?
しかし、この時の霊夢は、煽られた反骨心以外に紅魔館での妹紅とのやり取りで紫に叱られた件を少し根に持っていた為、紫に対して必要以上の義理立ては不要と感じはじめていた。
守矢神社の言葉には何か別の企みが平行して進んでいる様なニュアンスがあった。これはこちらが勘ぐった反発として売り言葉に買い言葉として口から出ただけかもしれない。
いつもの霊夢ならそこを鋭く問い詰めて口を割らせるところであったが、紫の忠犬発言や紫に叱られた件が、自分でも驚く程精神的に大きな負荷を与えているようで、緊急時にこそ発揮される霊夢の勘と頭脳を鈍らせていた。
勿論、この忠犬発言や紫に叱られた事だけではない。この場合、判断をそのまま行動に移せる時間が無さ過ぎたのが一番の問題なのである。
切羽詰まった状況を任意に作り出す事が出来れば、時間のかかる手続きや思考を省略し相手の選択肢を一定に狭める事が出来る。今霊夢が置かれている状況とは正にそれだった。
しかし考えてみるとこの状況は必ずしも守矢神社が作り出したものではない。彼らは幻想郷で一番高い位置にある守矢神社の安全を確保しようと異変の早期解決を望んでいる。この遅延状況は少なくとも彼らは望んでいないのだ。
では誰がこの状況を作ったのかといえば、それは藤原妹紅と風見幽香である。この2人が最近仲がいい事は知っており、この2人が共同で何かを画策するするならそれは全く有り得ない話しではない。
守矢神社はこの危機的状況の中で霊夢に対して有利に交渉を進めており、その結果だけを見れば遅延で交渉を有利に出来る守矢神社と実際に遅延に追い込んだ妹紅等が連携している様にも見える。
仮に彼らが連携しているとして問題はその理由だ。繋がるということはお互いに益があるからだろう。遅らせるメリットは自分を丸め込むという意味で諏訪子にはあるが妹紅側にはあるのか?妹紅としては早くても遅くてもどっちでもいいのだろう。守矢神社に頼まれてやっているだけという可能性もある。
「(そこらへんの関係が全く見えないのよね・・・。)」
いくら考えても霊夢には守矢神社と妹紅の関係性が見えてこない。
ただ一つだけ分かる事は、彼らの得る益によって不利益を被るのは、恐らく自分や紫側になるだろうという事で、現に自分は今かなり精神的に追い込まれているのだ。
これは今からでも紫に知らせるべき案件ではないだろうかと考える霊夢だが、また自分が紫側にいる事を前提に思考している事に気付いた。
「はっ!」
紫の忠犬などと揶揄され心の中で必死に否定した霊夢だが、何かあると紫にと思考が働く自分がいる事を思い知らされる。
紫に叱られた事を根に持つというのは、霊夢にとって紫が大きな存在になっている裏返しともいえる。自分は何者にも染まらないという自負を持っていたが、気付けば紫色に染められていたのだ。
いつの間にかあのスキマ妖怪に依存し飼い慣らされていた事にようやく自覚が芽生える霊夢。
「(なんだか無性に悔しい・・・。)」
それにしても守矢神社は強かだ。どさくさに紛れて自分と八雲紫の結びつきを断ち切ろうとしている。
以前山に現れたという外の神様を調査しに妖怪の山に行った折り、一戦交えた後和解して博麗神社に守矢神社の分社を置いている。この動きはこちらに取り入って仲良くしようと前向きに考えている現れであるが、紫は自分と守矢神社の接近を快く思っていない。
恐らく守矢神社は博麗の巫女である自分が幻想郷運営において強い発言権を持っていると勘違いしているのだろう。幻想郷で好き勝手やりたり彼らは、運営者の一人に便宜を図って認めてもらおうとしている様だが、生憎自分は運営になんら関わっていない。その事を知ったら掌を返してくるだろう。
「(それはそれで嫌だけど・・・。)」
守矢神社の真の企みとは、博麗神社を取り込んで紫と距離を取らせ、巫女を傀儡にして幻想郷での発言権を得るという事だろう。
妹紅にやりこめられ紫には叱られ更に諏訪子に犬呼ばわりされてかなり落ち込んでいた霊夢だが、一人思考に没頭し、相手の企みを看破したつもりになって、ようやくいつもの自分に戻ったという実感を得る。
霊夢はこの時、ある一定の段階まで守矢神社の企みを看破したが、守矢の企みが上白沢慧音の企みに便乗したものだというところまでは及ばなかった。
「準備ができたぞ。不死人も空に昇ったのが見えた。」
身動ぎもせず既に完成し男達がいなくなった祭壇の前に立つ霊夢に、全ての準備が整った事を報せに来る洩矢諏訪子。霊夢は我に返って諏訪子に向き直ったが、そこで何か足りない事に気付く。
「あれ?神奈子は?」
異様に目立つシルエットが諏訪子の側に居ない事に気付いた霊夢は辺りを見渡す。そして、先程とだいぶ景色が変わった境内にも驚き、神奈子よりもそちらに気が向く。
境内は本殿前の賽銭箱から大鳥居まで石畳の通路になっており、賽銭箱の手前に供物を大量に供えた祭壇と、その更に手前に一つは諏訪子の分だろうと思しき数枚の畳で床上げされた2人分の膳席が用意されている。石畳の両側は神社の物置に大量にあった古い畳を並べたその上に新品のゴザを敷き、片側17名、計34ほどの酒宴会場に仕立てられている。
賽銭箱前の2席が上座になり、神社本殿の前から両脇の膳席の背後、そして大鳥居まで白い幔幕がコの字型に二対張られ、囲まれた幕の内側からは本殿正面と鳥居しか見えない状態になっている。人間達はその幔幕の後ろで慌ただしく宴会の準備に動き回っているようで、宴は迎える神様達の為だけで、人間達はあくまで世話役に徹する事が伺えた。
今、霊夢の視界に映る人間の姿は、階段を上り下りして鳥居から幔幕の裏に消えていく未だ荷揚げ作業をしている者だけだった。
霊夢らが紅魔館から戻る前から勝手に使われて、事後承諾の形で妖夢に利用許可を与えた母屋の台所の方から炊煙が上がっているのが見え、幔幕に遮られた向こう側で神様に献上する料理の支度が既に始まっている事が覗える。花見のような無礼講のただの宴会とは明らかに異なる未だかつて見た事がない大規模で格式高い酒宴になる予感がする。浮かない気持ちとは裏腹に何故か胃袋だけが楽しげに動きはじめる霊夢。
「ヤツはヤツでやることがあるから今は席を外している。」
霊夢が周囲を見渡し再び視線が戻るのを待ってから答える諏訪子。
「えーそれがあんたらの企みの本命?」
守矢神社が何かを企んでいる事を前提に話す霊夢だが、諏訪子から意外な答えが返ってくる。
「ん?そうではないが・・・なんだ聞いてないのか?」
「何が?」
「この異変は巨大な焼却炉が出来るじゃろう?」
そう言って天頂方向を指す諏訪子。
「あー、妹紅の自爆を利用して始末したいものを焼却する・・・そんな事言ってたっけね。」
「そう、それそれ。神奈子は今そっちの準備じゃ。」
「ふーん。」
何を焼却したいか気になる霊夢だが、どうせ聞いても答えてくれないだろうとそれ以上の追求はしない霊夢。
「今、ちょうど午後1時30分になったところじゃ。最短で10分後に大砲が発射されるようじゃから、それまで結界をはるのじゃ。ほれ!」
ミシャクジ様である洩矢諏訪子は、しゃべりながら霊夢の背後に廻ると背中を少し強く叩いて気を入れる。
「うひゃっ!」
霊夢は普段出さないおかしな悲鳴を上げたが、これは叩かれた痛みで咄嗟に出た声ではなく、突然注ぎ込まれた神力の大きさに驚いての事である。
「お前がどれほどの力を蓄えられるかしらんから、少しずつじゃ。」
「これで少し?」
「結界を張ればそんなものすぐに無くなるぞ?お前は修行していないから天性の瞬発力はあっても努力で身に付く持続力がないからの。」
「悪かったわね、にしても・・・。」
「おしゃべりは後じゃ。先ずは結界を張る事に集中せい。」
何かしゃべろうとする霊夢をたしなめて当初の目的に軌道修正する諏訪子。スケジュールの遅れが功を奏して扱いずらいじゃじゃ馬霊夢の手綱を握って主導権を得る事が出来たが、この遅れは守矢神社は歓迎しているわけではないのでなるべく早く済ませたい。
「分かったわよ。じゃーいくわよ!」
結界そのものは神道によるものではなく陰陽師の力を基にしている。また、土着神の洩矢諏訪子は博麗神社で扱える神様とは全く異質で、霊夢が諏訪子を卸して奇蹟を起こすことは出来ない。
神様の持つ神の力を神の入れ物である巫女の霊夢に注ぐ事で、霊夢の基礎能力を大幅に上昇させ、陰陽師の結界の力を底上げする仕組みである。
「夢想封印!」
博麗系陰陽師の特徴である八雲紫の境界を操る力からヒントを得て完成した『夢想式』の術法が発動する。これは夢と現の境界線を越えて、夢の中の無意識の奥底に眠る潜在的な力を現実に引き出すというもので、ただの人間では決して出す事の出来ない強い力を引き出す事が出来るのだ。
夢想式は一瞬無意識状態になる事で取り出せる潜在的な力を基礎能力に掛け足すもので、しっかりと訓練を修めた者なら通常時の100倍以上の力を発揮出来てしまう恐るべき技である。
しかし、普段修行していない霊夢は、基礎能力の上限に全く達しておらず、ゼロに何を掛けてもゼロということで夢想式を発動しても能力上昇率は低い。しかし、霊夢の潜在能力は特殊で、博麗神社の歴代の英霊の御霊がその身に宿っているので様々な奥義を生まれつき身につけているという反則的な素質を持っているのだ。例えば『夢想転生』など、修行して会得していないのに使う事が出来き、この恵まれた天性の力があるおかげで霊夢は高位の妖怪からも一目置かれる存在となっているわけである。
陰陽師が使うただの結界ではなく夢想式による強力な結界を発動した霊夢は、無意識に妹紅と思われる紅い光点に右腕を指し向け、人指し指と中指を立てて、結界を張る中心点を探る。
要塞の真下に居るはずの妹紅を目印に、地上約2000メートル上空付近を見いだすと奥義を発動する。
「天封!」
夢想式結界術の中で最も広い範囲を封印する事が出来る『夢想封印・天封』が発動すると霊夢の指し示した一点から薄紅色の結界の膜が幻想郷外縁に向かって波紋の様に広がっていく。
「見事じゃ霊夢。ほれ、次の力の補充じゃ。」
結界が無事発動したのを見て喜ぶのも束の間、莫大な力の消費に目眩を覚えている様に見える霊夢に、素早く力を継ぎ足してやる諏訪子。
想像以上に大量の力を必要とする『夢想封印・天封』は、霊夢の中から大量の力を吸い取っていく。
天を封印するなど紫は簡単に言っていたが、一人ではまず不可能だし守矢の二柱がいても足りないないのではないかと思う程の消耗である。これでは神様が何柱いても足りない。霊夢はここで紫の楽観的な計画の見通しに少し背筋が冷たくなった。八坂神奈子の正体を暴くのが目的とはいえ、実際に苦労するのは自分である。もっと楽に事が進むと思い込んでいた自分も悪いが、何となく騙された気がしてならない。
紫の予定通りに事が進むのなら遅くても午後1時50分に要塞は破壊されている事になり、その後の結界の中の不死鳥の浄化の炎はスキマの力で向こうの世界に送り返すというのが基本的な段取りである。異変終了時間は最短で午後2時前になるだろう。
しかし、紫はこの異変を利用して守矢神社の実力を計ると同時に、正体不明の存在である八坂神奈子の化けの皮を剥がそうと目論んでいた。
具体的には、大量に消費する霊夢の力の補う役目を与え、異変終了後も結界を維持させ続けてその力を骨の髄まで搾り取り、根を上げた守矢神社を降参させようとしたのである。
冗談ではない。守矢神社が降参する前にこっちの身が持たないではないか。
霊夢は今日一日、当初の予定通りに進んでいない事実を改めて思い返していた。
最初に組んだ予定はことごとく当てが外れてスケジュールが大幅に遅れており、これからも何が起こるかわかったものではなく、嫌な予感しかしない。
もし、紫の思惑がはずれて結界を張る時間が大幅に伸びたらどうなるのか?守矢の実力を計ろうとして燃料切れでもされたら、それこそミイラ取りがミイラになるわけだ。
人ごとの様に誰かを批判して自分は悪くないと思いたい霊夢だが、紫の立てた計画を精査して意見や注文も付けず全て任せきりだった。もし紫の策が失敗し幻想郷が滅んでもそれは何もしなかった自分に対する罰で正に自業自得だ。
方や自分を紫の犬と揶揄した諏訪子は、何らかのイレギュラーが発生した時の事も含めて長時間結界を維持できる事を念頭に、力の供給源である神様を沢山呼び保険とする計画を立てた洩矢諏訪子の有能さだけが際立つ。
実際は諏訪子ではなく上白沢慧音の案だが、何れにしても彼らが紫より上手だったのは確かである。
夢想式による技が発動中、施行者はほぼ無意識状態になり、感覚的には自分以外の別の誰かがその技を代行しているような感覚になる。
霊夢は意識と無意識が同居するという不思議な状態になり、意識側が体から切り離されて自分自身を俯瞰で見るような一種の幽体離脱を体験する。今ではもう見慣れた光景だが、霊夢は切り離された自分の体を他人事の様に見ながら取り残された意識を思考に割り当て、朧気に見えてきた異変の裏の裏を探り始める。
肉体が無く意識だけになった霊夢は幽霊の様に中空を漂いながら周囲の様子を俯瞰で見る。手の空いた人間が幔幕の切れ目からこちらを覗いており、その中に見知った顔を見つける。何故か当たり前の様に人間の集団の中に居て、まるで集団の代表者の様に挨拶に来た白玉楼の庭師魂魄妖夢だ。初めて会ったのは春雪異変の時で問答無用で斬りかかってきたのを思い出したが、今は落ち着いて大人の雰囲気を醸し出している。霊夢は魂魄妖夢の存在が気になり、思考の範囲を広げて異変にまつわる相関関係を探りはじめる。
妹紅と幽香の関係については、その直近の経緯は霊夢もあまり良く知らないが、紫が妹紅に話を持ちかける前に、妹紅と幽香が接近して、それに紫が嫉妬しているような事を九尾の藍がふざけ半分に言っていたのを覚えている。先日、神社で起こった岩老刀事件後に、500年以上前の彼らの因縁を聞いて驚いたものでる。
上白沢慧音については妹紅と仲が良いという事は周知の事実だが、どうも紫は彼女を生理的に嫌っている感がある。紫のそうした個人的な感情が作用して、必要以上に彼女を問題の輪から遠ざけてしまい、結果として慧音がこの異変のダークホース的な存在になってしまっているのだ。
守矢神社と里は連携していることは間違いなく、妹紅との綿密な繋がりは恐らく無いと思うが、妹紅の企みと慧音の企みが一致している可能性が極めて高く、結果として妹紅と守矢神社は間接的に繋がっている状態と言える。
そして、この異変の呼び水となる前哨異変の為に人為的に作られた対立構造の槍玉に挙げられた紅魔館と、槍玉に挙げた永遠亭も警戒すべき相手である事に間違いない。
紅魔館のこれまでのレミリアの印象から深慮遠謀は伺えないが、永遠亭は何を考えているかわからないし、今回の異変で呼び出した要塞の凄まじさを考えると、彼らが最も警戒すべき相手である事に間違いない。
「(永遠亭?・・・まさか・・・。)」
永遠亭と藤原妹紅が長年対立している事は聞かされている。極悪人と称して不死人狩りが蓬莱山輝夜によってし向けられ、それに自分もまんまと乗ってしまった経緯がある。
霊夢はここで、最も警戒すべき宇宙人達が早期に味方についてしまった為、何かを忘れている事に気付いた。
彼らは白玉楼に出向いて紫と強引に面会し、その後、異変の企画者側に加わっているが、これは輝夜の能力によって幻想郷の滅びのビジョンを見て、それを防ごうと自主的に駆けつけたと主張している。
しかし、霊夢はここで彼らの言の矛盾に気付いた。
八雲紫の画策する不死鳥転生は、その炎を地上に還元しようとした為に、永琳の作った防御要塞の冬眠していた防御システムを起動させ、幻想郷にそれを召喚させてしまう事になり、紫側は永遠亭らの事情を知らずに自ら企画して進めていた異変に突如現れた要塞に驚き、妹紅の自爆でそれを撃退しようと目論むも、要塞を倒し切れず結界が破られ幻想郷が妹紅の炎に焼かれて消滅してしまうという、これが輝夜の体験した未来である。
もし自分が永琳の立場だったら、先ず何をするにしても妹紅の自爆を止めさせようとするだろう。この自爆の力が地上に対する害悪と見なされ、要塞が防御活動を始めてしまうわけだから、妹紅さえ抑えれば紫もこの危険な火遊びは出来なくなるはずだ。
しかし、永琳は妹紅よりも先に紫に会いに来ている。
永琳は紫に会う為に東奔西走し、白玉楼で執り行われる会議の存在を妹紅と九尾との会話を盗み聞きして知ったいう彼らの話は少し出来すぎな気がしないでもない。
紫の言葉を真に受けて、諏訪子が言うように文字通り『紫の忠犬』だったから、何も疑わずその話を受け入れてしまったが、今ここで一人の存在として異変に向き合った時、この話しの流れはとても胡散臭く感じてしまう。
何でこんな重要な事に気が付かなかったのか?
永琳は実行犯たる妹紅を無視して計画犯の八雲紫に直談判しに行ったのではなく、先に実行犯の妹紅を捕まえ、紫と面会出来るように話を持ちかけたか、妹紅から紫に直接説得しろと言われたかのどちらかで、どちらにせよ永琳は妹紅と最初から繋がっていたのだ。
永琳と紫は、先日の宴会、もとい会合で永遠亭と紅魔館を争わせるという具体的な計画を立てたが、それは当然妹紅側に筒抜けであり、妹紅を経由して慧音にも話が伝わったとするなら、人間達の迅速な行動にも合点がいく。
白玉楼の庭師が里の人間の中にいた時点で怪しいと気付くべきだったが、その時はもう時間的に取り返しがつかない状況になっていた。
この時霊夢の捉えた予測と真実は微妙に隔たりがあったが、人の繋がりはおおよそ真実を得ていた。
しかし、紅魔館の側近と妹紅が繋がっており、その繋がりの起点が魔理沙や魅魔にまで遡る事までは流石の霊夢も考えが及ばなかった。
幻想郷を滅ぼして得する者は居ない。いるとするならそれは死を期待する妹紅だけだろう。しかし、死ぬだけなら異変に参加する必要はないし、その場で自爆すればいいだけの話だ。
紅魔館であのような騒ぎを起こした理由は、恐らく妹紅は予定をずらしたいが為で、遅らせた時間に何らかの意味があったからだろう。自分やレミリアに対するアレはつまり時間稼ぎだったのだ。そしてそれは幻想郷を滅ぼす為ではなく、未来があることを前提としての事だ。
妹紅が何をしようとしているか分からない。ただ一つ言えるのは幻想郷を滅ぼさないという事だけである。
妹紅は当初、不死鳥の転生の必要性を理解した上で、過去に犯した罪を償う意味も含め八雲紫に全面的に協力しようとしていた。しかし、魔理沙から端を発した魅魔とそれにまつわる吸血鬼戦争の因縁が、八雲紫や天狗などと重なって幻想郷の未来に大きな足かせとなっている事を知り、更に、静かに進行している博麗神社の衰退の背景にある神と人間の絆の乖離問題の抜本的な解決を命懸けで試みる友人の計画遂行などを知り、初志を曲げて幻想郷の為に全てを背負う決意をして異変の主導権を強引に握ったのである。
魔理沙、魅魔、紅魔館側の因縁を理解できなければ、この異変の確信にたどり着く事が出来ない霊夢だが、紫が吸血鬼の排除を画策している事を仄めかしたのを思い出し、妹紅か或いは別の勢力がそれを阻止しようと紫と対立した可能性に気付く。そして、結果としてレミリアの立場を良い方向へ導いた妹紅の乱闘騒ぎに思い至り、衝撃を受ける。
「(まさか・・・あれは・・・。)」
あのままレミリアがリーダー失格の烙印を押され無様に終わっていたら、吸血鬼廃絶もやむを得ない世論が生まれたかもしれない。しかし、会議を乱す悪党を上手く捌いて異変を解決に導いたという実績が残れば、吸血鬼のお株も上がり、擁護者も増えて簡単に廃絶とはならないだろう。
もしあれがレミリアを救う妹紅の一世一代の大演技だとするなら・・・。そして自分に向けられたあの悪意も会議を遅延させる演技だとすれば・・・。
霊夢は首を思い切り振り、余りにも妹紅に都合が良い方向に考える自分を戒めた。しかし、これがもし想像したとりだとすれば、神や仏に等しい所行ではないか?自分には到底真似できない事である。そしてそれを認めれば自分自身の無能と狭量と未熟と愚かさが際立ってしまう事になる。
いつの間にか空全体が薄紅色に染まっており、自分の身体を俯瞰で見ながら幻想郷の天と地が切り離れた事を知る霊夢。結界の向こうに時々閃光が走るのを見たが、妹紅がまた何かしてるのだろうと特に気には留めない。
諏訪子が更に力を自分に継ぎ足すと、一言二言中身のない自分に声をかける。そして西を指す自分に背を向けて東を向き諏訪の主神であるタケミナカタと、もう一柱タケミカヅチを召喚する。
霊夢は夢と現の狭間にあって、この有名な二柱の召喚を無感動に見る。兎に角、この状態になると起こっている現実の全てに実感が湧いてこないので感動が起きないのだ。
「(それにしても・・・。)」
諏訪子の上司の様な位置にいるタケミナカタはともかく、何故タケミカヅチを呼んだのか霊夢はわからなかったが、無意識な霊夢と知らずその背中に話しかける諏訪子の声がわずかに耳に入ってきて納得する。
諏訪の地に追い込んだタケミカヅチはこの地から二度と出ないと誓ったタケミナカタの監視役として近隣におり、諏訪から幻想郷に呼ぶにあたってタケミナカタに叛意無しと知らせる為、お目付役として召喚したというのである。そして恐らくは主神クラスを二柱呼べば、その眷属も含めより多くの神様を呼べるとの判断もあった為だろう。
霊夢は神様二柱が階段側の鳥居の下からすうっと現れる状況を俯瞰で見ながら、諏訪子に呼ばれて石畳の両脇に並んで神様を出迎える人間達の様子を見る。
向こうの世界で必要とされずに忘れ去られ幻想郷に流されてきた、そこいら中にいる落ちぶれた神様とは明らかに違う二柱を見た人間達は、まるで見えない手で押さえ付けられるかのように跪いて頭を垂れている。
霊夢の肉体は無意識に結界を発動する人形の様にただ神様に背を向けて西を指し、その様子を客観的に見てとても申し訳ない気持ちになる。夢想転生の様に一瞬で終わる技なら直ぐに意識を回復出来るが、肉体は未だに結界を張る作業をしているので現実に戻れずにいる霊夢である。
自分もその場で神様達を身近に感じてみたくなるが、この状況では全てが他人事になってしまう。霊夢はなんとかして諏訪子に早く自分を解放出来る様に心で訴える。
二柱はひれ伏す人間の前を進んで低頭で迎える諏訪子の前に止まる。
人間で言うなら肉体的に最も脂の乗っている30代半ばという想像よりだいぶ若い姿をしており、白無地の飾り気のない狩衣のような衣装を纏っている。儀式などで着用する立派なものではなく普段着の様な柔らかい生地で、袖は非常に小さく更に袖口を絞っている。至って質素で狩衣というより、この衣装が原型となって狩衣に発展したものかもしれない。
頭髪は非常に長く、後ろ髪は腰の上まで伸び、首と背中の2箇所で縛って纏め、横髪はもみあげのところで結って纏めている。前髪は上げて金属製の輪を額にはめて沢山ある髪の毛を動かない様にまとめているようである。
細い腰紐を何重にも巻いて固い帯状にし、そこに装飾が施された恐らく実用ではない儀礼用の剣を吊している。靴は履いておらず素足で、背格好は、体格だけは無駄に立派な香霖堂の森近霖之助をそのまま二回り程大きくしたような体躯である。
「よくおいで下さいました。」
両手を合わせてかしこまって挨拶をする諏訪子。神奈子の姿が未だ見えないが、諏訪子だけに相手をさせてよいものかと心配になる、守矢神社の秘密を知らない霊夢。
「宴を催すというので、旧友と共に来てみてが・・・これはまたどうしたことか。」
「まんまと釣られましたな。」
姿は若いが声は威厳に満ち、信心深くない者はその声を聞いただけで震え上がりそうである。神様との縁が切れている里の人間達は、正にそれで肉体も精神も魂までが震え上がっていた。
意識だけの霊夢もそれは同じで、元の身体に戻ったら他の人間同様縮み上がってしまうだろう。
「この宴は神しか頼れない哀れな人間達の精一杯の気持ちです。どうかお力をお貸し願いたく、こうして宴を献上しに参りました次第です。困った時の神頼み。余興と思うてどうか寛大に・・・。」
「なるほど、この宴に呼んだのではなく我々にこの宴席を差し出すというのじゃな?」
「はい。この宴は今より貴方様方のものです。三日三晩飲み明かしてもなお有り余る酒を用意いたしております故、親戚縁者眷属皆々様に振る舞って日頃の労を労っては如何でしょう?」
霊夢はその様子を聞きながら、なるほどそういうことかと諏訪子の企みを理解する。
ただ酒を振る舞っておだてて力を騙し取るのではなく、彼らが宴の主催となって他の神々をもてなし、益々の威信拡大に貢献すると同時に、更に呼ばれる多くの神々から力も借りてしまうという一石二鳥の作戦である。誰も損をしない皆が幸せになれる名案妙計である。霊夢の中にあった諏訪子のお株が、この数分ですこぶる急上昇した。
「これはありがたい申し出。謹んで受けよう。で、あの大きな釜底を何とかせればいいのじゃな?」
「いえいえ、先程申した様に、あれは余興でありますれば、今は何もしなくて結構。気にせず幻想郷の足掻きを酒の肴としてくださいませ。ただ、ここにいる巫女に爪の垢ほどのお力を分けてくださば幸いです。」
「ふむ。先程から気になっていた巫女か・・・何やら心ここにあらずという感じだが。」
「この者に力を与えればよいのじゃな?」
「よろしくお願い致します。」
タケミナカタはそう言うと西を向いて神様達に背を向ける霊夢の身体に歩み寄り、そのまま横を通り抜けると何もない中空に両手を伸ばして何かを掴む動作をする。
これには諏訪子も人間達も驚いてどよめきが起こる。しかし、そのどよめきは次に驚愕へと変わった。
タケミナカタは切り離れされた霊夢の意識をその手で掴んで現実に引きずりだしたのである。夢想状態から一気に現実に引き戻された霊夢は驚く暇すら与えられず、タケミナカタに胴を両腕で鷲掴みにされたまま神の力を大量に流し込まれてしまう。
霊夢は一瞬自分の身体が圧力に耐えられず爆発した様な錯覚を覚えて、普段出さない少女らしい悲鳴を上げる。
「これこれ、相手は人間ではないか、手加減せぬか。」
「これはこれはすまぬことをした。」
一見すると幼気のない少女を苛めている様にも見えるこのタケミナカタのこの行為を諫めるタケミカヅチ。
「霊夢よ、博麗の力の術を閉じよ。そのままで既に結界は維持できる。」
諏訪子には見えなかった霊夢の本体。しかしタケミナカタのやって見せたこの奇跡で霊夢が無意識状態で結界を張っていた事に気付き、夢想式という博麗系陰陽師の技の仕組みを理解した諏訪子は、霊夢の身体がそのような高度な奥義を用いらなくとも結界が維持できる状態にある事を理解して助言してやる。
夢想式など何も知らないタケミナカタには、意識側の霊夢が本体に見えたのだろう。それを強引に現実に引き戻されて更に力を注ぎ込まれてしまい、本体が凄まじいパワーアップをしている状態で、更にそのパワーを上げる夢想式を平行して実行していたため、霊夢の力がオーバーフローしてパニックを起こしてしまったのだ。
諏訪子の助言を聞いた霊夢は夢想式の発動を止める。そして、止めた途端分裂した元の本体が消える。
「し、信じられない・・・。」
夢想式モードに切り換えていないのに『夢想封印・天封』が維持されている。いや、維持どころか湧き上がる力が器を満たし、そこから滴り落ちる一滴分の力だけで結界が益々強化されている。
この力は単純に強いという量的なものではなく、純度が高く品質がとても良いという感覚だ。例えば同じアルコールの強さの酒でも美味いものとそうでないものがあり、この力は普段自分が呑む安酒の様な力ではなく、とても手が出せない銘酒の様なものなのである。
これが今現在も巨大な信仰を持ち続ける現役の神様の力なのか?
霊夢は初めて本物の神様がどんなものかをその身をもって知った。そして巫女という職の意味と意義、無限のポテンシャルを理解した。
「霊夢よ、そなたの持つ常識などもはや何の意味もなかろう?」
地面におろされた霊夢は、夢でもみているかのように半ば放心気味に自分の両手を見ていたが、諏訪子に諭されて神様達に向き直り、その場に跪いてかしこまって深く一礼する。
霊夢はこれまで神様を自分に卸した事が何度かある。しかし、これは異世界に住む神様の力を壁越しに借りているだけで、その神様の本当の力ではなかったのだ。
巫女でありながら神様に対して何の有り難みも感じていなかった霊夢だが、生まれて初めて神を肌身で感じた。そして素直な気持ちで神様に低頭する事が出来た。他人に頭を下げるなど死んでも嫌だと感じるこれまでの霊夢にとって、この清々しい素直な気持ちは初めての体験で自分でも戸惑うほどだった。
「気にする必要はない。この力は博麗に還元するべき力で、我々の感謝の気持ちでもある。」
タケミナカタはかしこまる霊夢に優しく声を掛ける。しかし、霊夢にはその言葉の意味が全く理解できなかった。
「霊夢よ。我々と博麗は全くの無関係ではないのだ。」
ここで、諏訪子が主神に代わって説明を始める。
博麗神社の現神主は、幻想郷における歯止めのかからない信仰の減少に危機感を覚え、幻想郷内部の信仰に頼ったのでは長く持たないと、信仰を外部に求め出奔し、外の世界に転生した。
神主は幻想郷の存在を向こうの世界に合った媒体替えて広め、外の世界で生まれた自分個人とその媒体に対する信仰を博麗神社の信仰に換えて補っていたのである。そして、神主が外の世界に生まれ代わった土地が諏訪に近く、その信仰媒体の中で諏訪地方の神様を取り扱ったところ、諏訪に新たな信仰が生まれ、そこで得た信仰の利益分を博麗に還元するということである。
諏訪子はその折りで神主と知己を得て自らの幻想郷入りの手引きをしてもらったという。
霊夢は諏訪の神様と博麗神社の知られざる関係を思い掛けず知る事になる。
人間達の用意した宴席は、タケミナカタとタケミカヅチの二柱主催の酒宴にとってかわり、霊夢が人間の持ち込んだ酒を祈祷し御神酒に替えると諏訪子と共に神様の世話係を買って出る。
夢想式によって無意識が身体を支配し、切り離され自由の利かない意識と交信するために、タケミナカタによって無理矢理肉体を与えられてしまった霊夢は、二つの肉体を所有してしまった事になる。この事によって意識と無意識を同時に両立させる事が出来る様になり、夢想式を発動していても無意識にならずに済むようになり、更に意識と無意識の双方に肉体を与える事が出来る様になったのである。これは分身の術ではなく完全な分裂で、夢想式を二人分発動する事が出来るようになったのである。
思わぬところで覚醒してしまった霊夢。これまでないがしろにしていた巫女としての自分を強く意識するようになった瞬間だった。
巨大な結界を張る為に必要な力を神様から借りる儀式を行う為、博麗霊夢と守矢神社の二柱、八坂神奈子と守矢諏訪子が異変の作戦本部となっている紅魔館から博麗神社に移動した。
主要メンバーが半減し、狭く感じた会議室が少し閑散となったが、更にまた一人紅魔館から去ろうとする者がいた。
「さて、私も行くかな。」
異変において重要な役割を与えられた人間の魔法使い霧雨魔理沙を中心に出来た輪から一歩引いた位置でたたずむ藤原妹紅は、これから死ぬ運命にある可愛い娘の横顔を見ながら、自分に与えられた役目を果たす為静かにバルコニーに向かう。
「藤原妹紅・・・。」
その時、自分を呼び止める声を聞いて足を止める。
「宜しくお願いします。」
振り向いた先にあったのは吸血鬼の王女レミリア・スカーレットと従者の十六夜咲夜の低頭だった。
お子様だったレミリアの急成長を内心喜ぶ妹紅だったが、悪党である自分を引き続き維持する為に不機嫌な顔でその言葉を無視して踵を返し窓の外へ向かう。
この時レミリアは、妹紅が自分を成長させる為に一芝居打った事に気付いていなかったが、結果として成長させてもらったという自覚があり、暴力と屈辱を受けた後でも妹紅に対してネガティブな感情はなかった。
無視され落胆するも、内面の動揺を見せずに毅然と振る舞うレディ・レミリア。
そのレミリアと妹紅との些細だが重苦しいやりとりに気付いた魔理沙は、妹紅が任務に出向こうとする気配を感じとって慌てて駆け寄って声を掛けてくる。
「あ、あの・・・その・・・何て言えばいいか・・・か、必ず戻って来るよな?」
駆け寄って来たはいいが、何を言えばいいのか咄嗟に思いつかず、しどろもどろになって言葉を詰まらせていた魔理沙から予想していなかった言葉を貰う妹紅。
魔理沙は自爆した妹紅がこのまま戻ってこないのではないかと不安に駆られていたのだ。
「私にはやり残した事がまだまだ沢山あるわ。」
妹紅の自爆後の身を案じるのは魔理沙で二人目であり、一人目の風見幽香の時と同じように再会を約束する。表向きいつもどおりの態度で振る舞う妹紅だったが内心とても嬉しかった。
「でも、不死鳥が居なくなったら妹紅も・・・。」
しかし、魔理沙の心配は消えない。
「不死鳥は不滅よ。だいたい死んでそのまま不死鳥なんてただの焼き鳥と同じでしょ。」
「それもそうだな。あはは。」
ようやく笑顔を見せる魔理沙。
「他人の心配するより、自分の事でも心配してなさい。それじゃ、行くわね。」
妹紅はそう言って魔理沙の二の腕あたりをポンポンと二回叩き、別れを惜しむ素振りを見せずすぐに飛び去ろうとするが、ここで意外な存在に立ち塞がれてしまう。
「ん?」
妹紅の前に居たのは氷の妖精チルノだった。
物欲しそうにこちらを見上げるチルノとしばらく見つめ合う妹紅は、一つ面白い事を思いついた。
「ねぇ魔理沙。私やあのもやしっ子のお守りよりもっといい耐火耐熱のお守りがあるけど?」
横にいる魔理沙に面白半分の冗談を言う妹紅だったが、魔理沙はそれを冗談と受け止めず名案と受け取る。
「氷のお守りか!」
「・・・バカげているけど、密閉空間で上昇する気温を下げる効果は確かにありそうね。」
チルノを連れて行こうと思いつく魔理沙に、冗談だけではなく一理あると賛成の意を示すパチュリー・ノーレッジ。
何を言われているのか全く分からないチルノだが、皆から注目され気分を良くしたのか、すっかりその気になっている。妹紅はやれやれと肩をすくめると、横髪を纏めている小さなリボンの一つを取るとチルノの細い二の腕に巻いてやる。
「溶けないお守りだ。」
状態を堅固に維持する八雲紫の妹藍の力が込められたリボンは、仮に高温にさらされる事態になってもチルノが溶ける事を防いでくれるだろう。
八雲紫の計画では、炎熱地獄の中に魔理沙を突っ込ませる事はほぼないと見ているが、妹紅の計画ではそのなかで暫く活動してもらう予定である。外の熱が伝わらなくても、中に長時間入れば室内温度や湿度は上昇していまう。魔理沙を安心させる為に思いつきで言った冗談だったが、パチュリーの言う様に室温を下げる効果が確かにあるかもしれない。ただ、温度が上がる前は寒い思いをするかもしれないが・・・。
周囲の注目を受け、更に妹紅にリボンを巻いて貰った事で得意になったチルノは、魔理沙とフランドール、河童のにとりと一緒にバルコニーに出て姿が見えなくなるまで妹紅を見送った。
八雲紫は自分の席に着いたまま賑やかな窓辺の様子を静かに眺めている。
藤原妹紅の生還を初めから信じて疑わない紫ではあったが、最後に何か言葉を交わしてから別れたかった。しかし、そんな雰囲気ではなく、そもそも、そういう雰囲気にしたのがパチュリーにつかかった自分自身の所為であり、今はその事を激しく後悔していた。
「(何故、あんな小娘如きに・・・。)」
目の前にあるこの幻想郷立体地図を見せられなければ、あんなひ弱な魔法使いなど気にも留めなかったはずである。
霊夢とも何か言葉を交わしたかった。色々とやり残した感が頭の後ろの方にもやもやが付きまとって離れない。
スキマの力を使えば何時でも対話は可能だが、これからスキマ砲の為の砲身となる大規模なスキマのトンネルを3本作らなければならず、それらを藍の計算通りに高度に連携させて運用し、更に魔理沙の側でナビゲートもしなければならないので、霊夢や妹紅とも話せる時間は異変が終わるまでもうない。今ならまだ間に合うが、霊夢にも妹紅にも異変前とは違う状況になってしまった為話しずらかった。
何かをやり残したと後ろ髪引かれる八雲紫は、別れてそれきりだった妹の事をふと思い出し一抹の不安を感じ、誰にも何も言えない寂しさと孤独を噛みしめていた。
未だ続く幻想郷南東部の広い範囲で行われている妖怪同士の戦闘を横目に見ながら、虹色の炎の翼を広げ一気に上昇して上空2500メートルに到達する藤原妹紅は、要塞の真下に移動して周囲に誰もいない事を確認する。
これからこの空域は地上と結界で隔てられてしまい、何人も行き来することは出来なくなる。今ここに誰かがいるようなら追い払っておかなければならなかったが、どうやらその心配は必要なかったようである。
「・・・よし、後は霊夢と・・・要塞のパージだな・・・。」
どのくらいで霊夢の結界が完成するか、要塞のパージはそれを見てからだろう。
「お手並み拝見といくか。」
妹紅は一つ深呼吸をして遙か東に見える博麗神社を見ながらその時を静かに待った。差し向けられた刺客の存在に気付かずに・・・。
博麗霊夢は神社境内で慌ただしく動き回る人間達を尻目に、戸惑う気持ちを努めて表に出さないようにしながら、本殿の賽銭箱横に梱包していた組み立て式の小さな祭壇の準備にとりかかろうとする。
時々視界に入る白玉楼の庭師の姿がいつもと違って見える。周囲の人間達も彼女に対して一目置いているような雰囲気があり、いつ里の人達と仲良くなったのだろうか?
彼女の身に起こった数々の事情を知らない霊夢としては何故そう見えるのか不思議でしかたがなかった。
そんな霊夢のところへ、先程久しぶりに会って直ぐに別れた魔理沙の父親が数人の男を引き連れて再び霊夢の前に現れ、里で用意した大きな祭壇で儀式を行う様、半ば強引に自前の祭壇と取り替えられてしまう。
自分の用意した祭壇を片付けられた事に多少の不満はあったが、作業の手間も省けたので直ぐに機嫌を戻す霊夢は、この何から何まで粛々と事が進んでいる状況が出来過ぎに思えて気になり、手持ち無沙汰も手伝ってそのことをさりげなく10歳までの育ての親である魔理沙の父親に聞いてみる事にした。
里では春と夏そして秋にお祭りをしており、その際、大きな祭壇を用意し誰にと言うわけでもなくお供えしており、昔は神主が居て祭事も行っていたが、今はただその形式的なものだけを昔のまま続けているだけだという。手際良く見えるのは皆、祭事にはなれているからではないかと至極当たり前な説明を貰う霊夢。
霊夢としてはそうした作業上の手際の良さではなく、異変が始まってからのこの数日で、危険な博麗神社までの強行軍を含めた全体的な酒宴計画について、その背景などを聞きたかったわけである。しかし、それは上手くはぐらかされてマルキの主人からは有力な情報は得られなった。
丸々5年程会っていなかったが、それでも小さい頃にとても良くしてもらった数少ない里の顔見知りの魔理沙の父親。しかし、祭壇を作る作業をする男達は見覚えがなく、物珍しそうにこちらを見る視線と、同じ様にこちらが彼らを見る視線が交差し、何やら微妙な雰囲気が立ちこめる。
これが完全に見ず知らずなら霊夢も気が楽なのだが、年に数度香霖堂では手に入らない物を調達しに里に降りる事があるので、恐らく完全な初対面の者はおらず、こちらはともかく先方はどこかで目撃している可能性が高い。彼らは当然自分が巫女だと知っているだろうし、自分は巫女としての務めを果たしていない自覚もあり気まずさが募るばかりでる。彼らは一体どんな気持ちで自分を見ているのだろうか?悪巫女?妖巫女?さぼり巫女?既に巫女自体が、妖怪の種族のひとつと思っているかもしれない。
自分を卑下してしまう霊夢だが実際に思っている程里の人間は神社や巫女に対して知識が乏しく、その仕事や役割についても無知で、上白沢慧音から小言の様に神社や巫女について聞かされてはいるものの、自分達の日々の生活と何の関わりもないのでどうでもよく、巫女として評価される以前に、評価の対象にも上がっていない状態だったのである。
霊夢に対する男達の視線は、以前子供の産まれなかった里では15、6の若い娘がいないので、そっちの意味で興味の視線が向けられている状況だったのである。
霊夢は向けられている視線の意味に気付かず、働かない巫女としての自分を責められている気分になり、彼らの作業を見ながら別の事に考えを巡らし気を紛らわせる。
人間達のこの手際のいい動きは突発的な異変に対しての即座の対処行動ではなく、事前に異変を予測して万端の準備をしていたものだろう。
異変の中心的人物の藤原妹紅と里の守護神的存在の上白沢慧音は昵懇の仲と聞いている。妹紅を経由して慧音から異変の存在が、里全体か或いは上層階級に知らされたと考えるのが普通かもしれない。予め天変地異に等しい大規模な異変が起こる事を知った上で、神頼みの準備を水面下で着々と進めていたのだろう。
しかし、異変の具体的なところは先日固まったばかりで、妹紅には直前に知らせているが、事前にはわからなかったはず。守矢神社との連携を踏まえてこの展開を予測していたというのなら、上白沢慧音の先見眼は侮れないものがある。
紫は完全に里の存在、強いては慧音の存在を無視して作戦を考えていたようだが、それは少し彼女を侮り過ぎではないだろうか?今更だが少し心配になってくる。
しかもここで気になるのが、この里の動きは守矢神社側は当然知っているが未だに八雲紫は感知していないという事である。自分も今ここに来てその状況を知って面を喰らっているのだ。
先程何故このことを主催である紫に教えなかったのかと諏訪子に問うたが、守矢神社側の言い分では、巫女である自分に力を与えるという役目を八雲紫から依頼され了承しているが、具体的な手段は指示されてもいないし、やり方を報告しろとも言われていないとの事で、守矢側はその方法を独自で考え、幾つか在る選択肢の中から他所から別の神様を呼ぶという手段を選び、その為に必要な宴を準備させただけで、何ら責められる様な事ではないという。
それらはああ言えばこう言う的な狡い言い訳としか霊夢には受け取れなかった。しかし、こういう屁理屈は実は自分もよく使う事なので、それ以上の文句は言いずらいしそんな相手には追求するだけ時間の無駄である。それに実際に時間的余裕がない。
先日、永遠亭の八意永琳を交えた白玉楼における三賢者会議の反省会において、永琳が帰宅した後、八雲紫から博麗神社と幻想郷の関係を知ったばかりの霊夢は、面倒事は御免だと幻想郷の運営側に入るのを拒んだばかりである。
幻想郷の運営に一切関わっておらず、これからも関わる気がない霊夢は、運営する上でやっていい事と悪い事の判断基準を当然教えられていない。『外から神を呼び寄せる』という事が、結果として『博麗の信仰を失わせる』事に気付いていない霊夢はそれが罪となるとは思っていなかった。第一それが悪い事なら、諏訪子ら守矢神社の存在はここにあってはいけないはずである。
「(・・・。)」
霊夢は先程諏訪子に言われた『紫の犬』発言を思い出し不機嫌が蒸し返してくる。
守矢神社の言い分はわからないわけでもないが、『外から神を呼び寄せる』事は教えなくてもいい事ではなく、教えたくないという事ではないのか?『紫の犬』発言は、こちらの反骨心を煽って報告を思いとどまらせる為の口実ではないのだろうか?やはり、この宴を知らずにいる紫に念のため一報入れるべきではないだろうか?
しかし、この時の霊夢は、煽られた反骨心以外に紅魔館での妹紅とのやり取りで紫に叱られた件を少し根に持っていた為、紫に対して必要以上の義理立ては不要と感じはじめていた。
守矢神社の言葉には何か別の企みが平行して進んでいる様なニュアンスがあった。これはこちらが勘ぐった反発として売り言葉に買い言葉として口から出ただけかもしれない。
いつもの霊夢ならそこを鋭く問い詰めて口を割らせるところであったが、紫の忠犬発言や紫に叱られた件が、自分でも驚く程精神的に大きな負荷を与えているようで、緊急時にこそ発揮される霊夢の勘と頭脳を鈍らせていた。
勿論、この忠犬発言や紫に叱られた事だけではない。この場合、判断をそのまま行動に移せる時間が無さ過ぎたのが一番の問題なのである。
切羽詰まった状況を任意に作り出す事が出来れば、時間のかかる手続きや思考を省略し相手の選択肢を一定に狭める事が出来る。今霊夢が置かれている状況とは正にそれだった。
しかし考えてみるとこの状況は必ずしも守矢神社が作り出したものではない。彼らは幻想郷で一番高い位置にある守矢神社の安全を確保しようと異変の早期解決を望んでいる。この遅延状況は少なくとも彼らは望んでいないのだ。
では誰がこの状況を作ったのかといえば、それは藤原妹紅と風見幽香である。この2人が最近仲がいい事は知っており、この2人が共同で何かを画策するするならそれは全く有り得ない話しではない。
守矢神社はこの危機的状況の中で霊夢に対して有利に交渉を進めており、その結果だけを見れば遅延で交渉を有利に出来る守矢神社と実際に遅延に追い込んだ妹紅等が連携している様にも見える。
仮に彼らが連携しているとして問題はその理由だ。繋がるということはお互いに益があるからだろう。遅らせるメリットは自分を丸め込むという意味で諏訪子にはあるが妹紅側にはあるのか?妹紅としては早くても遅くてもどっちでもいいのだろう。守矢神社に頼まれてやっているだけという可能性もある。
「(そこらへんの関係が全く見えないのよね・・・。)」
いくら考えても霊夢には守矢神社と妹紅の関係性が見えてこない。
ただ一つだけ分かる事は、彼らの得る益によって不利益を被るのは、恐らく自分や紫側になるだろうという事で、現に自分は今かなり精神的に追い込まれているのだ。
これは今からでも紫に知らせるべき案件ではないだろうかと考える霊夢だが、また自分が紫側にいる事を前提に思考している事に気付いた。
「はっ!」
紫の忠犬などと揶揄され心の中で必死に否定した霊夢だが、何かあると紫にと思考が働く自分がいる事を思い知らされる。
紫に叱られた事を根に持つというのは、霊夢にとって紫が大きな存在になっている裏返しともいえる。自分は何者にも染まらないという自負を持っていたが、気付けば紫色に染められていたのだ。
いつの間にかあのスキマ妖怪に依存し飼い慣らされていた事にようやく自覚が芽生える霊夢。
「(なんだか無性に悔しい・・・。)」
それにしても守矢神社は強かだ。どさくさに紛れて自分と八雲紫の結びつきを断ち切ろうとしている。
以前山に現れたという外の神様を調査しに妖怪の山に行った折り、一戦交えた後和解して博麗神社に守矢神社の分社を置いている。この動きはこちらに取り入って仲良くしようと前向きに考えている現れであるが、紫は自分と守矢神社の接近を快く思っていない。
恐らく守矢神社は博麗の巫女である自分が幻想郷運営において強い発言権を持っていると勘違いしているのだろう。幻想郷で好き勝手やりたり彼らは、運営者の一人に便宜を図って認めてもらおうとしている様だが、生憎自分は運営になんら関わっていない。その事を知ったら掌を返してくるだろう。
「(それはそれで嫌だけど・・・。)」
守矢神社の真の企みとは、博麗神社を取り込んで紫と距離を取らせ、巫女を傀儡にして幻想郷での発言権を得るという事だろう。
妹紅にやりこめられ紫には叱られ更に諏訪子に犬呼ばわりされてかなり落ち込んでいた霊夢だが、一人思考に没頭し、相手の企みを看破したつもりになって、ようやくいつもの自分に戻ったという実感を得る。
霊夢はこの時、ある一定の段階まで守矢神社の企みを看破したが、守矢の企みが上白沢慧音の企みに便乗したものだというところまでは及ばなかった。
「準備ができたぞ。不死人も空に昇ったのが見えた。」
身動ぎもせず既に完成し男達がいなくなった祭壇の前に立つ霊夢に、全ての準備が整った事を報せに来る洩矢諏訪子。霊夢は我に返って諏訪子に向き直ったが、そこで何か足りない事に気付く。
「あれ?神奈子は?」
異様に目立つシルエットが諏訪子の側に居ない事に気付いた霊夢は辺りを見渡す。そして、先程とだいぶ景色が変わった境内にも驚き、神奈子よりもそちらに気が向く。
境内は本殿前の賽銭箱から大鳥居まで石畳の通路になっており、賽銭箱の手前に供物を大量に供えた祭壇と、その更に手前に一つは諏訪子の分だろうと思しき数枚の畳で床上げされた2人分の膳席が用意されている。石畳の両側は神社の物置に大量にあった古い畳を並べたその上に新品のゴザを敷き、片側17名、計34ほどの酒宴会場に仕立てられている。
賽銭箱前の2席が上座になり、神社本殿の前から両脇の膳席の背後、そして大鳥居まで白い幔幕がコの字型に二対張られ、囲まれた幕の内側からは本殿正面と鳥居しか見えない状態になっている。人間達はその幔幕の後ろで慌ただしく宴会の準備に動き回っているようで、宴は迎える神様達の為だけで、人間達はあくまで世話役に徹する事が伺えた。
今、霊夢の視界に映る人間の姿は、階段を上り下りして鳥居から幔幕の裏に消えていく未だ荷揚げ作業をしている者だけだった。
霊夢らが紅魔館から戻る前から勝手に使われて、事後承諾の形で妖夢に利用許可を与えた母屋の台所の方から炊煙が上がっているのが見え、幔幕に遮られた向こう側で神様に献上する料理の支度が既に始まっている事が覗える。花見のような無礼講のただの宴会とは明らかに異なる未だかつて見た事がない大規模で格式高い酒宴になる予感がする。浮かない気持ちとは裏腹に何故か胃袋だけが楽しげに動きはじめる霊夢。
「ヤツはヤツでやることがあるから今は席を外している。」
霊夢が周囲を見渡し再び視線が戻るのを待ってから答える諏訪子。
「えーそれがあんたらの企みの本命?」
守矢神社が何かを企んでいる事を前提に話す霊夢だが、諏訪子から意外な答えが返ってくる。
「ん?そうではないが・・・なんだ聞いてないのか?」
「何が?」
「この異変は巨大な焼却炉が出来るじゃろう?」
そう言って天頂方向を指す諏訪子。
「あー、妹紅の自爆を利用して始末したいものを焼却する・・・そんな事言ってたっけね。」
「そう、それそれ。神奈子は今そっちの準備じゃ。」
「ふーん。」
何を焼却したいか気になる霊夢だが、どうせ聞いても答えてくれないだろうとそれ以上の追求はしない霊夢。
「今、ちょうど午後1時30分になったところじゃ。最短で10分後に大砲が発射されるようじゃから、それまで結界をはるのじゃ。ほれ!」
ミシャクジ様である洩矢諏訪子は、しゃべりながら霊夢の背後に廻ると背中を少し強く叩いて気を入れる。
「うひゃっ!」
霊夢は普段出さないおかしな悲鳴を上げたが、これは叩かれた痛みで咄嗟に出た声ではなく、突然注ぎ込まれた神力の大きさに驚いての事である。
「お前がどれほどの力を蓄えられるかしらんから、少しずつじゃ。」
「これで少し?」
「結界を張ればそんなものすぐに無くなるぞ?お前は修行していないから天性の瞬発力はあっても努力で身に付く持続力がないからの。」
「悪かったわね、にしても・・・。」
「おしゃべりは後じゃ。先ずは結界を張る事に集中せい。」
何かしゃべろうとする霊夢をたしなめて当初の目的に軌道修正する諏訪子。スケジュールの遅れが功を奏して扱いずらいじゃじゃ馬霊夢の手綱を握って主導権を得る事が出来たが、この遅れは守矢神社は歓迎しているわけではないのでなるべく早く済ませたい。
「分かったわよ。じゃーいくわよ!」
結界そのものは神道によるものではなく陰陽師の力を基にしている。また、土着神の洩矢諏訪子は博麗神社で扱える神様とは全く異質で、霊夢が諏訪子を卸して奇蹟を起こすことは出来ない。
神様の持つ神の力を神の入れ物である巫女の霊夢に注ぐ事で、霊夢の基礎能力を大幅に上昇させ、陰陽師の結界の力を底上げする仕組みである。
「夢想封印!」
博麗系陰陽師の特徴である八雲紫の境界を操る力からヒントを得て完成した『夢想式』の術法が発動する。これは夢と現の境界線を越えて、夢の中の無意識の奥底に眠る潜在的な力を現実に引き出すというもので、ただの人間では決して出す事の出来ない強い力を引き出す事が出来るのだ。
夢想式は一瞬無意識状態になる事で取り出せる潜在的な力を基礎能力に掛け足すもので、しっかりと訓練を修めた者なら通常時の100倍以上の力を発揮出来てしまう恐るべき技である。
しかし、普段修行していない霊夢は、基礎能力の上限に全く達しておらず、ゼロに何を掛けてもゼロということで夢想式を発動しても能力上昇率は低い。しかし、霊夢の潜在能力は特殊で、博麗神社の歴代の英霊の御霊がその身に宿っているので様々な奥義を生まれつき身につけているという反則的な素質を持っているのだ。例えば『夢想転生』など、修行して会得していないのに使う事が出来き、この恵まれた天性の力があるおかげで霊夢は高位の妖怪からも一目置かれる存在となっているわけである。
陰陽師が使うただの結界ではなく夢想式による強力な結界を発動した霊夢は、無意識に妹紅と思われる紅い光点に右腕を指し向け、人指し指と中指を立てて、結界を張る中心点を探る。
要塞の真下に居るはずの妹紅を目印に、地上約2000メートル上空付近を見いだすと奥義を発動する。
「天封!」
夢想式結界術の中で最も広い範囲を封印する事が出来る『夢想封印・天封』が発動すると霊夢の指し示した一点から薄紅色の結界の膜が幻想郷外縁に向かって波紋の様に広がっていく。
「見事じゃ霊夢。ほれ、次の力の補充じゃ。」
結界が無事発動したのを見て喜ぶのも束の間、莫大な力の消費に目眩を覚えている様に見える霊夢に、素早く力を継ぎ足してやる諏訪子。
想像以上に大量の力を必要とする『夢想封印・天封』は、霊夢の中から大量の力を吸い取っていく。
天を封印するなど紫は簡単に言っていたが、一人ではまず不可能だし守矢の二柱がいても足りないないのではないかと思う程の消耗である。これでは神様が何柱いても足りない。霊夢はここで紫の楽観的な計画の見通しに少し背筋が冷たくなった。八坂神奈子の正体を暴くのが目的とはいえ、実際に苦労するのは自分である。もっと楽に事が進むと思い込んでいた自分も悪いが、何となく騙された気がしてならない。
紫の予定通りに事が進むのなら遅くても午後1時50分に要塞は破壊されている事になり、その後の結界の中の不死鳥の浄化の炎はスキマの力で向こうの世界に送り返すというのが基本的な段取りである。異変終了時間は最短で午後2時前になるだろう。
しかし、紫はこの異変を利用して守矢神社の実力を計ると同時に、正体不明の存在である八坂神奈子の化けの皮を剥がそうと目論んでいた。
具体的には、大量に消費する霊夢の力の補う役目を与え、異変終了後も結界を維持させ続けてその力を骨の髄まで搾り取り、根を上げた守矢神社を降参させようとしたのである。
冗談ではない。守矢神社が降参する前にこっちの身が持たないではないか。
霊夢は今日一日、当初の予定通りに進んでいない事実を改めて思い返していた。
最初に組んだ予定はことごとく当てが外れてスケジュールが大幅に遅れており、これからも何が起こるかわかったものではなく、嫌な予感しかしない。
もし、紫の思惑がはずれて結界を張る時間が大幅に伸びたらどうなるのか?守矢の実力を計ろうとして燃料切れでもされたら、それこそミイラ取りがミイラになるわけだ。
人ごとの様に誰かを批判して自分は悪くないと思いたい霊夢だが、紫の立てた計画を精査して意見や注文も付けず全て任せきりだった。もし紫の策が失敗し幻想郷が滅んでもそれは何もしなかった自分に対する罰で正に自業自得だ。
方や自分を紫の犬と揶揄した諏訪子は、何らかのイレギュラーが発生した時の事も含めて長時間結界を維持できる事を念頭に、力の供給源である神様を沢山呼び保険とする計画を立てた洩矢諏訪子の有能さだけが際立つ。
実際は諏訪子ではなく上白沢慧音の案だが、何れにしても彼らが紫より上手だったのは確かである。
夢想式による技が発動中、施行者はほぼ無意識状態になり、感覚的には自分以外の別の誰かがその技を代行しているような感覚になる。
霊夢は意識と無意識が同居するという不思議な状態になり、意識側が体から切り離されて自分自身を俯瞰で見るような一種の幽体離脱を体験する。今ではもう見慣れた光景だが、霊夢は切り離された自分の体を他人事の様に見ながら取り残された意識を思考に割り当て、朧気に見えてきた異変の裏の裏を探り始める。
肉体が無く意識だけになった霊夢は幽霊の様に中空を漂いながら周囲の様子を俯瞰で見る。手の空いた人間が幔幕の切れ目からこちらを覗いており、その中に見知った顔を見つける。何故か当たり前の様に人間の集団の中に居て、まるで集団の代表者の様に挨拶に来た白玉楼の庭師魂魄妖夢だ。初めて会ったのは春雪異変の時で問答無用で斬りかかってきたのを思い出したが、今は落ち着いて大人の雰囲気を醸し出している。霊夢は魂魄妖夢の存在が気になり、思考の範囲を広げて異変にまつわる相関関係を探りはじめる。
妹紅と幽香の関係については、その直近の経緯は霊夢もあまり良く知らないが、紫が妹紅に話を持ちかける前に、妹紅と幽香が接近して、それに紫が嫉妬しているような事を九尾の藍がふざけ半分に言っていたのを覚えている。先日、神社で起こった岩老刀事件後に、500年以上前の彼らの因縁を聞いて驚いたものでる。
上白沢慧音については妹紅と仲が良いという事は周知の事実だが、どうも紫は彼女を生理的に嫌っている感がある。紫のそうした個人的な感情が作用して、必要以上に彼女を問題の輪から遠ざけてしまい、結果として慧音がこの異変のダークホース的な存在になってしまっているのだ。
守矢神社と里は連携していることは間違いなく、妹紅との綿密な繋がりは恐らく無いと思うが、妹紅の企みと慧音の企みが一致している可能性が極めて高く、結果として妹紅と守矢神社は間接的に繋がっている状態と言える。
そして、この異変の呼び水となる前哨異変の為に人為的に作られた対立構造の槍玉に挙げられた紅魔館と、槍玉に挙げた永遠亭も警戒すべき相手である事に間違いない。
紅魔館のこれまでのレミリアの印象から深慮遠謀は伺えないが、永遠亭は何を考えているかわからないし、今回の異変で呼び出した要塞の凄まじさを考えると、彼らが最も警戒すべき相手である事に間違いない。
「(永遠亭?・・・まさか・・・。)」
永遠亭と藤原妹紅が長年対立している事は聞かされている。極悪人と称して不死人狩りが蓬莱山輝夜によってし向けられ、それに自分もまんまと乗ってしまった経緯がある。
霊夢はここで、最も警戒すべき宇宙人達が早期に味方についてしまった為、何かを忘れている事に気付いた。
彼らは白玉楼に出向いて紫と強引に面会し、その後、異変の企画者側に加わっているが、これは輝夜の能力によって幻想郷の滅びのビジョンを見て、それを防ごうと自主的に駆けつけたと主張している。
しかし、霊夢はここで彼らの言の矛盾に気付いた。
八雲紫の画策する不死鳥転生は、その炎を地上に還元しようとした為に、永琳の作った防御要塞の冬眠していた防御システムを起動させ、幻想郷にそれを召喚させてしまう事になり、紫側は永遠亭らの事情を知らずに自ら企画して進めていた異変に突如現れた要塞に驚き、妹紅の自爆でそれを撃退しようと目論むも、要塞を倒し切れず結界が破られ幻想郷が妹紅の炎に焼かれて消滅してしまうという、これが輝夜の体験した未来である。
もし自分が永琳の立場だったら、先ず何をするにしても妹紅の自爆を止めさせようとするだろう。この自爆の力が地上に対する害悪と見なされ、要塞が防御活動を始めてしまうわけだから、妹紅さえ抑えれば紫もこの危険な火遊びは出来なくなるはずだ。
しかし、永琳は妹紅よりも先に紫に会いに来ている。
永琳は紫に会う為に東奔西走し、白玉楼で執り行われる会議の存在を妹紅と九尾との会話を盗み聞きして知ったいう彼らの話は少し出来すぎな気がしないでもない。
紫の言葉を真に受けて、諏訪子が言うように文字通り『紫の忠犬』だったから、何も疑わずその話を受け入れてしまったが、今ここで一人の存在として異変に向き合った時、この話しの流れはとても胡散臭く感じてしまう。
何でこんな重要な事に気が付かなかったのか?
永琳は実行犯たる妹紅を無視して計画犯の八雲紫に直談判しに行ったのではなく、先に実行犯の妹紅を捕まえ、紫と面会出来るように話を持ちかけたか、妹紅から紫に直接説得しろと言われたかのどちらかで、どちらにせよ永琳は妹紅と最初から繋がっていたのだ。
永琳と紫は、先日の宴会、もとい会合で永遠亭と紅魔館を争わせるという具体的な計画を立てたが、それは当然妹紅側に筒抜けであり、妹紅を経由して慧音にも話が伝わったとするなら、人間達の迅速な行動にも合点がいく。
白玉楼の庭師が里の人間の中にいた時点で怪しいと気付くべきだったが、その時はもう時間的に取り返しがつかない状況になっていた。
この時霊夢の捉えた予測と真実は微妙に隔たりがあったが、人の繋がりはおおよそ真実を得ていた。
しかし、紅魔館の側近と妹紅が繋がっており、その繋がりの起点が魔理沙や魅魔にまで遡る事までは流石の霊夢も考えが及ばなかった。
幻想郷を滅ぼして得する者は居ない。いるとするならそれは死を期待する妹紅だけだろう。しかし、死ぬだけなら異変に参加する必要はないし、その場で自爆すればいいだけの話だ。
紅魔館であのような騒ぎを起こした理由は、恐らく妹紅は予定をずらしたいが為で、遅らせた時間に何らかの意味があったからだろう。自分やレミリアに対するアレはつまり時間稼ぎだったのだ。そしてそれは幻想郷を滅ぼす為ではなく、未来があることを前提としての事だ。
妹紅が何をしようとしているか分からない。ただ一つ言えるのは幻想郷を滅ぼさないという事だけである。
妹紅は当初、不死鳥の転生の必要性を理解した上で、過去に犯した罪を償う意味も含め八雲紫に全面的に協力しようとしていた。しかし、魔理沙から端を発した魅魔とそれにまつわる吸血鬼戦争の因縁が、八雲紫や天狗などと重なって幻想郷の未来に大きな足かせとなっている事を知り、更に、静かに進行している博麗神社の衰退の背景にある神と人間の絆の乖離問題の抜本的な解決を命懸けで試みる友人の計画遂行などを知り、初志を曲げて幻想郷の為に全てを背負う決意をして異変の主導権を強引に握ったのである。
魔理沙、魅魔、紅魔館側の因縁を理解できなければ、この異変の確信にたどり着く事が出来ない霊夢だが、紫が吸血鬼の排除を画策している事を仄めかしたのを思い出し、妹紅か或いは別の勢力がそれを阻止しようと紫と対立した可能性に気付く。そして、結果としてレミリアの立場を良い方向へ導いた妹紅の乱闘騒ぎに思い至り、衝撃を受ける。
「(まさか・・・あれは・・・。)」
あのままレミリアがリーダー失格の烙印を押され無様に終わっていたら、吸血鬼廃絶もやむを得ない世論が生まれたかもしれない。しかし、会議を乱す悪党を上手く捌いて異変を解決に導いたという実績が残れば、吸血鬼のお株も上がり、擁護者も増えて簡単に廃絶とはならないだろう。
もしあれがレミリアを救う妹紅の一世一代の大演技だとするなら・・・。そして自分に向けられたあの悪意も会議を遅延させる演技だとすれば・・・。
霊夢は首を思い切り振り、余りにも妹紅に都合が良い方向に考える自分を戒めた。しかし、これがもし想像したとりだとすれば、神や仏に等しい所行ではないか?自分には到底真似できない事である。そしてそれを認めれば自分自身の無能と狭量と未熟と愚かさが際立ってしまう事になる。
いつの間にか空全体が薄紅色に染まっており、自分の身体を俯瞰で見ながら幻想郷の天と地が切り離れた事を知る霊夢。結界の向こうに時々閃光が走るのを見たが、妹紅がまた何かしてるのだろうと特に気には留めない。
諏訪子が更に力を自分に継ぎ足すと、一言二言中身のない自分に声をかける。そして西を指す自分に背を向けて東を向き諏訪の主神であるタケミナカタと、もう一柱タケミカヅチを召喚する。
霊夢は夢と現の狭間にあって、この有名な二柱の召喚を無感動に見る。兎に角、この状態になると起こっている現実の全てに実感が湧いてこないので感動が起きないのだ。
「(それにしても・・・。)」
諏訪子の上司の様な位置にいるタケミナカタはともかく、何故タケミカヅチを呼んだのか霊夢はわからなかったが、無意識な霊夢と知らずその背中に話しかける諏訪子の声がわずかに耳に入ってきて納得する。
諏訪の地に追い込んだタケミカヅチはこの地から二度と出ないと誓ったタケミナカタの監視役として近隣におり、諏訪から幻想郷に呼ぶにあたってタケミナカタに叛意無しと知らせる為、お目付役として召喚したというのである。そして恐らくは主神クラスを二柱呼べば、その眷属も含めより多くの神様を呼べるとの判断もあった為だろう。
霊夢は神様二柱が階段側の鳥居の下からすうっと現れる状況を俯瞰で見ながら、諏訪子に呼ばれて石畳の両脇に並んで神様を出迎える人間達の様子を見る。
向こうの世界で必要とされずに忘れ去られ幻想郷に流されてきた、そこいら中にいる落ちぶれた神様とは明らかに違う二柱を見た人間達は、まるで見えない手で押さえ付けられるかのように跪いて頭を垂れている。
霊夢の肉体は無意識に結界を発動する人形の様にただ神様に背を向けて西を指し、その様子を客観的に見てとても申し訳ない気持ちになる。夢想転生の様に一瞬で終わる技なら直ぐに意識を回復出来るが、肉体は未だに結界を張る作業をしているので現実に戻れずにいる霊夢である。
自分もその場で神様達を身近に感じてみたくなるが、この状況では全てが他人事になってしまう。霊夢はなんとかして諏訪子に早く自分を解放出来る様に心で訴える。
二柱はひれ伏す人間の前を進んで低頭で迎える諏訪子の前に止まる。
人間で言うなら肉体的に最も脂の乗っている30代半ばという想像よりだいぶ若い姿をしており、白無地の飾り気のない狩衣のような衣装を纏っている。儀式などで着用する立派なものではなく普段着の様な柔らかい生地で、袖は非常に小さく更に袖口を絞っている。至って質素で狩衣というより、この衣装が原型となって狩衣に発展したものかもしれない。
頭髪は非常に長く、後ろ髪は腰の上まで伸び、首と背中の2箇所で縛って纏め、横髪はもみあげのところで結って纏めている。前髪は上げて金属製の輪を額にはめて沢山ある髪の毛を動かない様にまとめているようである。
細い腰紐を何重にも巻いて固い帯状にし、そこに装飾が施された恐らく実用ではない儀礼用の剣を吊している。靴は履いておらず素足で、背格好は、体格だけは無駄に立派な香霖堂の森近霖之助をそのまま二回り程大きくしたような体躯である。
「よくおいで下さいました。」
両手を合わせてかしこまって挨拶をする諏訪子。神奈子の姿が未だ見えないが、諏訪子だけに相手をさせてよいものかと心配になる、守矢神社の秘密を知らない霊夢。
「宴を催すというので、旧友と共に来てみてが・・・これはまたどうしたことか。」
「まんまと釣られましたな。」
姿は若いが声は威厳に満ち、信心深くない者はその声を聞いただけで震え上がりそうである。神様との縁が切れている里の人間達は、正にそれで肉体も精神も魂までが震え上がっていた。
意識だけの霊夢もそれは同じで、元の身体に戻ったら他の人間同様縮み上がってしまうだろう。
「この宴は神しか頼れない哀れな人間達の精一杯の気持ちです。どうかお力をお貸し願いたく、こうして宴を献上しに参りました次第です。困った時の神頼み。余興と思うてどうか寛大に・・・。」
「なるほど、この宴に呼んだのではなく我々にこの宴席を差し出すというのじゃな?」
「はい。この宴は今より貴方様方のものです。三日三晩飲み明かしてもなお有り余る酒を用意いたしております故、親戚縁者眷属皆々様に振る舞って日頃の労を労っては如何でしょう?」
霊夢はその様子を聞きながら、なるほどそういうことかと諏訪子の企みを理解する。
ただ酒を振る舞っておだてて力を騙し取るのではなく、彼らが宴の主催となって他の神々をもてなし、益々の威信拡大に貢献すると同時に、更に呼ばれる多くの神々から力も借りてしまうという一石二鳥の作戦である。誰も損をしない皆が幸せになれる名案妙計である。霊夢の中にあった諏訪子のお株が、この数分ですこぶる急上昇した。
「これはありがたい申し出。謹んで受けよう。で、あの大きな釜底を何とかせればいいのじゃな?」
「いえいえ、先程申した様に、あれは余興でありますれば、今は何もしなくて結構。気にせず幻想郷の足掻きを酒の肴としてくださいませ。ただ、ここにいる巫女に爪の垢ほどのお力を分けてくださば幸いです。」
「ふむ。先程から気になっていた巫女か・・・何やら心ここにあらずという感じだが。」
「この者に力を与えればよいのじゃな?」
「よろしくお願い致します。」
タケミナカタはそう言うと西を向いて神様達に背を向ける霊夢の身体に歩み寄り、そのまま横を通り抜けると何もない中空に両手を伸ばして何かを掴む動作をする。
これには諏訪子も人間達も驚いてどよめきが起こる。しかし、そのどよめきは次に驚愕へと変わった。
タケミナカタは切り離れされた霊夢の意識をその手で掴んで現実に引きずりだしたのである。夢想状態から一気に現実に引き戻された霊夢は驚く暇すら与えられず、タケミナカタに胴を両腕で鷲掴みにされたまま神の力を大量に流し込まれてしまう。
霊夢は一瞬自分の身体が圧力に耐えられず爆発した様な錯覚を覚えて、普段出さない少女らしい悲鳴を上げる。
「これこれ、相手は人間ではないか、手加減せぬか。」
「これはこれはすまぬことをした。」
一見すると幼気のない少女を苛めている様にも見えるこのタケミナカタのこの行為を諫めるタケミカヅチ。
「霊夢よ、博麗の力の術を閉じよ。そのままで既に結界は維持できる。」
諏訪子には見えなかった霊夢の本体。しかしタケミナカタのやって見せたこの奇跡で霊夢が無意識状態で結界を張っていた事に気付き、夢想式という博麗系陰陽師の技の仕組みを理解した諏訪子は、霊夢の身体がそのような高度な奥義を用いらなくとも結界が維持できる状態にある事を理解して助言してやる。
夢想式など何も知らないタケミナカタには、意識側の霊夢が本体に見えたのだろう。それを強引に現実に引き戻されて更に力を注ぎ込まれてしまい、本体が凄まじいパワーアップをしている状態で、更にそのパワーを上げる夢想式を平行して実行していたため、霊夢の力がオーバーフローしてパニックを起こしてしまったのだ。
諏訪子の助言を聞いた霊夢は夢想式の発動を止める。そして、止めた途端分裂した元の本体が消える。
「し、信じられない・・・。」
夢想式モードに切り換えていないのに『夢想封印・天封』が維持されている。いや、維持どころか湧き上がる力が器を満たし、そこから滴り落ちる一滴分の力だけで結界が益々強化されている。
この力は単純に強いという量的なものではなく、純度が高く品質がとても良いという感覚だ。例えば同じアルコールの強さの酒でも美味いものとそうでないものがあり、この力は普段自分が呑む安酒の様な力ではなく、とても手が出せない銘酒の様なものなのである。
これが今現在も巨大な信仰を持ち続ける現役の神様の力なのか?
霊夢は初めて本物の神様がどんなものかをその身をもって知った。そして巫女という職の意味と意義、無限のポテンシャルを理解した。
「霊夢よ、そなたの持つ常識などもはや何の意味もなかろう?」
地面におろされた霊夢は、夢でもみているかのように半ば放心気味に自分の両手を見ていたが、諏訪子に諭されて神様達に向き直り、その場に跪いてかしこまって深く一礼する。
霊夢はこれまで神様を自分に卸した事が何度かある。しかし、これは異世界に住む神様の力を壁越しに借りているだけで、その神様の本当の力ではなかったのだ。
巫女でありながら神様に対して何の有り難みも感じていなかった霊夢だが、生まれて初めて神を肌身で感じた。そして素直な気持ちで神様に低頭する事が出来た。他人に頭を下げるなど死んでも嫌だと感じるこれまでの霊夢にとって、この清々しい素直な気持ちは初めての体験で自分でも戸惑うほどだった。
「気にする必要はない。この力は博麗に還元するべき力で、我々の感謝の気持ちでもある。」
タケミナカタはかしこまる霊夢に優しく声を掛ける。しかし、霊夢にはその言葉の意味が全く理解できなかった。
「霊夢よ。我々と博麗は全くの無関係ではないのだ。」
ここで、諏訪子が主神に代わって説明を始める。
博麗神社の現神主は、幻想郷における歯止めのかからない信仰の減少に危機感を覚え、幻想郷内部の信仰に頼ったのでは長く持たないと、信仰を外部に求め出奔し、外の世界に転生した。
神主は幻想郷の存在を向こうの世界に合った媒体替えて広め、外の世界で生まれた自分個人とその媒体に対する信仰を博麗神社の信仰に換えて補っていたのである。そして、神主が外の世界に生まれ代わった土地が諏訪に近く、その信仰媒体の中で諏訪地方の神様を取り扱ったところ、諏訪に新たな信仰が生まれ、そこで得た信仰の利益分を博麗に還元するということである。
諏訪子はその折りで神主と知己を得て自らの幻想郷入りの手引きをしてもらったという。
霊夢は諏訪の神様と博麗神社の知られざる関係を思い掛けず知る事になる。
人間達の用意した宴席は、タケミナカタとタケミカヅチの二柱主催の酒宴にとってかわり、霊夢が人間の持ち込んだ酒を祈祷し御神酒に替えると諏訪子と共に神様の世話係を買って出る。
夢想式によって無意識が身体を支配し、切り離され自由の利かない意識と交信するために、タケミナカタによって無理矢理肉体を与えられてしまった霊夢は、二つの肉体を所有してしまった事になる。この事によって意識と無意識を同時に両立させる事が出来る様になり、夢想式を発動していても無意識にならずに済むようになり、更に意識と無意識の双方に肉体を与える事が出来る様になったのである。これは分身の術ではなく完全な分裂で、夢想式を二人分発動する事が出来るようになったのである。
思わぬところで覚醒してしまった霊夢。これまでないがしろにしていた巫女としての自分を強く意識するようになった瞬間だった。