東方不死死 第70章 「漂白の終焉」
「お帰りなさい神奈子様。首尾は如何でしたか?」
「首尾は上々、後は結果をご覧じろってね。ふふ、ただいま早苗。」
守矢神社の母屋で留守番をしている東風谷早苗の元に、守矢神社の祭神の片割れ八坂神奈子が上機嫌で帰宅する。
「すごい事になってますけど、ホントに大丈夫なのですか?」
厳密にいえば頂上ではないが、妖怪の山の人妖が住める最も高い位置にある守矢神社から望む東部の凄まじい光景を見るにつけ、事前に問題ないとは聞いていても流石に不安になる早苗。
「ああ、あれも余興の内。もうじき終わるさ。(あの馬鹿烏の命もな・・・。)」
神奈子としても絶対に大丈夫だという確実な手応えが得られず、内心不安だったが安心を得たい早苗の前では彼女の望む姿を見せなければならない。
紅魔館と守矢神社は、標高差1000メートル、直線距離で15キロメートル以上離れている。その為、同じ対象でも見え方がかなり違ってくる。
防御要塞は、真下から見ると空全体を平面的に被っている様に見えるのに対し、妖怪の山の上からは球体であることが見て取れ、特に球体の底面と地表との距離が具体的に分かる。
「・・・すごい・・・。」
少しすると空が結界で覆われていき、しばしこの世のものとは思えない非常識な光景に魅入る一人と一柱。
「(にしても、何をもたもたしてるんだ不死人は・・・。)」
しばらく余裕の表情を見せる神奈子だが、張られた結界の向こうでなかなか自爆しない妹紅に苛立ちを覚える。
「(まさか、あの馬鹿烏・・・不死鳥にちょっかいだしたりしてないだろうね・・・。)」
霊烏路空を完全に制御しきれていない神奈子の悪い予想は残念ながら当たっており、藤原妹紅と霊烏路空は今現在激しい空中戦を展開しているところだった。
里に戸籍をおく人間の歴史を消してその存在を隠した上白沢慧音は、もぬけの空となっている里に避難してきた周辺の弱小妖怪や落ちぶれた神様らを受け入れており、彼らが勝手な行動をしないように街頭に立って見張りをしていた。
「妖酔め動いたな・・・周りの面倒を見れる余裕が出来たと言う事は、どうやら皆の神社行きは上手くいったようだな。」
巨大な空に浮かぶ船が数名の里の傭兵と識別できる者達に護衛されながら里の真上を低く通過し、豊穣の森の方へゆっくりと高度を下げているのが見える。恐らくその周辺に着陸するつもりだろう。慧音はその様子を下で見ながら里の傭兵団が分散しているのを確認し、当初の目的を達成した妖酔の命で動いているものと認識する。
「それにしても、厄介だな・・・。」
謎の船はかなりの被害を受けている様で、そうなった経緯は下からずっと見ていたのでわかるが、里周辺に着陸されるのは、他の人喰い妖怪を集めてしまいそうで正直迷惑である。
タイミング良く里の傭兵隊の主力が里に最も近い位置にいた敵陣地の一つを攻略したので里の脅威は一先ず過ぎ去ったが、これはあくまで局地的な勝利で全体的にはまだまだ予断を許さない状況である。
「里にも大量に難民が来てしまったな・・・。」
夜逃げでもしたかのように閑散とした大通りの各店蔵が荒らされない様に、手癖の悪そうな妖怪に睨みを効かせながら通りを巡回する慧音。やはり自分が残ったのは正解だったと思う。
「む!?」
そこうしていると東の本陣山から合図の花火が上がるのが見え、慧音はすぐに人間の里の住人の歴史を戻す。これで博麗霊夢や守矢神社の神様と里の人間達が同じ歴史を共有出来るはずである。しかし、人喰い妖怪達にも里の人間という新たな目標が出来る事になる為、今後里周辺が激戦区となる事が予想される。このことは作戦計画に織り込み済みで、人間達を神社に送り届けた事を確認したら傭兵団は里の防備にまわる手はずになっている。今は里に風見幽香もいるし、何も問題はないだろう。
そして、慧音はまだ気付いていなかったが、里には幽香以外にもう一人強い妖がいた。
その強い妖である死神エリーは、妖夢と交戦して敗れた後、敬愛を通り越して溺愛する風見幽香と共に、もぬけの空となった里の酒場でちゃっかり酒盛りをしていた。
「さて、そろそろかしらね。」
戦と異変の潮目を感じた幽香が、ちびちびとやっていたコップ酒をカウンターに置く。
「幽香ちゃん、そろそろってまだ何かあるの?」
自分の仕事は終わったと安心してすっかり出来上がっているエリーが尋ねる。
「一発大きいのぶち込んでおいたでしょう?」
「ええ。でもそれがどうしたの?」
「ふふ、あれはただストレス解消でやった事じゃないのよ。」
「ふーん。でもそれでストレス解消はしたんでしょう?」
「ええ、まぁ・・・って、何言わせるのよ。」
「げふっ!」
幽香の肘鉄を食らって身体が通常曲がらない角度で横に『くの字』に一瞬折れるエリー。人間なら即死に近い攻撃だったが、それを貰った死神の顔は何故か嬉しそうである。
幽香に見つかって無理矢理酒場の女将の真似事をさせられている事にまんざらでもないミスティア・ローレライは、この二人の不思議な関係にどことなく既視感を覚えて、手を動かしながらその事を考える。
この容赦ない突っ込みにも嬉しそうな表情にどこかで見覚えがある。
「(誰だったかな・・・あ!リグルだ!)」
虫の妖怪であるリグル・ナイトバグは、幻想郷の虫達を眷属として自在に操る事が出来、その虫達の糧となる草花を操る風見幽香と非常に相性が良い。その為、誰も近寄らない凶悪な風見幽香に自から喜んで近づく希有な妖怪としても強くないわりに知名度が高い。
幽香にしても草花や畑の作物などの受粉で虫はとても役に立つので直接的な主従関係は結んでいないにもかかわらずリグルをそれなりに重用しており、今回の異変に関してもある仕込みをリグルとその配下に手伝わせていた。
「幽香さぁーん!」
そこへ噂をすれば何とやらで、ミスティアの頭に浮かんだ顔が突然店に現れる。
「あら?リグル、御苦労だったわね。ミスチー、リグルにも一杯お願い。」
「あれ?ミスチー里に店出したのかい?」
スペルカードによる弾幕戦闘に興味を示した東部妖怪では最初期に参戦した妖怪として交友のあるリグルとミスティアは、特に仲が良いというわけではないが顔見知りではある。
「え?あ、いやこれは・・・。」
「ちょ、ちょっと、幽香ちゃん!誰よこの男!」
「な!ぼ、ぼくは雄じゃありませんよ!」
「え?雌なの?雌なら尚更駄目よ。」
「何でですか?貴女も雌でしょう?」
「雌言わないでよ。私はお・ん・な!わかった?」
「何が、お・ん・なだよ!人間みたいな事言って!」
「虫けらよりましよ!」
「む、虫けらだとぉ!」
「虫というかゴキ・・・。」
「いいかげんにし・・・ん?」
初対面なのに何故か仲良さそうな喧嘩を始める2人。ミスティアは、同族嫌悪だと思いつつ言ってはいけない言葉をエリーが発する前に仲裁に入ろうとしたその時である。店の棚や戸がカタカタと小さな音を発している事に気付き、その場にいた全員の動きが止まる。そして幽香以外の3人は同じ事を想像し、1人は不安ともう2人は期待に胸を躍らせる。
大地の怒りは幽香の怒り。この振動は幽香の怒りであり、喧嘩をする2人に天罰が下る前触れだろうとミスチーは判断して、咄嗟にお盆を取って顔の前に差し出して防御姿勢を取る。
一般的な里の女性くらいの背丈のリグルと、一般的な女性より背の高い幽香よりも更に長身のエリーが幽香の後ろで互いの胸ぐらを掴んだまま停止し、何かをじっと待っている。
どのくらい時間がたったのだろうか。ほんの数十秒だが、待っていた者にとってはとてつもなく長く感じられた時間が過ぎると、幽香は何事も無かったかのように振動が続いてる店内を無視して妖怪女将にお酒のおかわりを要求する。そして、ずっこける2人。
「ちょっと幽香ちゃん!それはあんまりでしょう?」
「何が?」
「そこまで怒っているならここはガツーンっといくべきじゃない?」
「そうですよ!」
掴み合った手をお互いに離して今度は2人並んで息を合わせて不満を幽香にぶつけだす。
「別に怒ってなんかないわよ。」
「うそですよ!だってほらこんなに大地が揺れてる!」
「地震か何かでしょ?」
ただの地震ではないことは知っているがキョトンとしてとぼける幽香。
「大地が揺れるのは幽香さんが怒っているからですよ!そんなの幻想郷の常識ですよ!」
リグルの力説に頷くミスチーとエリー。幻想郷では妖怪の山の内部圧力で岩盤がずれる際に結構大きめの地震が起こる事があるが、幻想郷における地震は自然現象ではなく風見幽香が怒っているというのが定説となっている。
その言葉を聞いた幽香が無表情のままスクっと席から立つと同時にリグルがその場に腹を押さえてうずくまる。ミスティアには幽香がリグルに放った高速ボディブローが見えなかったが、リグルのうずくまった理由は十分理解出来た。
「ああ!虫けらばっかりずるー・・・げふっ!」
最後まで言う前に崩れ落ちるエリー。恐らく内蔵の一つや二つ完全に逝ってると思われるが、それでも嬉しそうな2人。ミスチーは自分には到底理解出来ない危険な世界が存在する事を知る。
「幽香さん?ほんとに怒ってないのですか?」
恐る恐る尋ねるミスティア。
「怒ってなんかないわよ。」
不機嫌そうに言う幽香の語気は怒りに満ちている。
「でも、だったらこの地震・・・や、やっぱり怒ってる!?」
「だから・・・って、ああ!もういいわ!そろそろ次のステージが始まるから、私は外に出てるわね。その2人は放っておいていいわ、いつものことだから。」
今更自分が地震を起こしているわけではないと言っても、すぐには信用してくれないだろうと諦める。
この振動の意味を知っている幽香は、『妹紅の異変』が次の段階に進んだ事を理解して、次の自分の役割の為に準備をする。
「あ、はい・・・。」
頭にかぶせていた三角巾と割烹着を取ると、倒れている2人をおいて幽香の後を追うミスチー女将。
「あ、貴女・・・なかなかやるわね・・・。」
「貴女こそ・・・。」
エリーは自分より先に『ご褒美』を頂いたリグルに同類としての親近感と同時に対抗心が芽生え、床に伏せたまま手を伸ばしリグルに拳を向ける。これはライバルとして相手を認める合図であり、リグルはその拳に自分の拳をコツンと軽く合わせてライバル宣言に受けて立った。
不死鳥の転生、つまり自爆の寸前で不意打ちを喰らった妹紅は、振動する要塞を尻目に、技の名前を劇的に叫びながら阿保みたいに火の玉を乱射する謎の妖怪に対して常に高位を維持して火の玉が地表に誤射されないように立ち回っていた。
要塞から発する振動は次第に大きくなり、地鳴りの様な振動音が鼓膜を叩いて周囲の音をかき消していき、『その時』が刻一刻と迫っている事を妹紅に報せている。
「(どうする?)」
妹紅はここに来て激しく動揺し戸惑っていた。これまで異変は自分の思惑通りに進んでいた。しかし、最終局面にきて全く予想していなかった伏兵が現れたのである。
「(まさか・・・な。)」
自分が支配していると思い込んでいた異変だが、実は別の誰かによって牛耳られており、それに気付かずただ踊らされていただけではないのか?そんな疑念が生じる。
「(一体誰がこいつを・・・。)」
妹紅はこの妖怪をここに遣った存在を想像し、その者こそが真の異変の支配者ではないかと勘ぐる。
八雲紫、永遠亭、守矢神社、紅魔館、人間の里の妖怪、上白沢慧音、風見幽香、魅魔、西行寺幽々子、四季映姫、或いは妖怪の山の大天狗、西洋墓地の吸血鬼の英霊達。それともまだ見たこともない強い妖達だろうか?
幾つかの強大な存在や勢力を挙げてみるが、この妖怪と結びつく接点が見いだせない妹紅は、人工的に作り出す熱の力を主体とするこの力が永遠亭の用いる力に近いと感じ、思考がそちら側に傾いてしまう。
この状況下における正しい判断は、この妖怪が誰に遣わされたかをあれこれ考える事ではなく、当初の予定通りかまわず自爆してしまえばいいのだ。しかし、妹紅はこのイレギュラーをそのままにして、強引に事を進める事が問題を解決する妖術使いとしての矜持に反するようで決心が付けずにいた。
「ここで、無駄に時間を潰すのは得策ではないが・・・ん?待てよ・・・。」
何が『得策ではない』のだろうかと、妹紅は自分で発した言葉の矛盾に気付いて自問自答した。
全く予想がつかなかった展開に面食らったが、元々時間を長引かせる為に様々な仕込みをしてきたのではなかったか?
この状況は下からも見えているはずで、恐らくアクシデントが発生してスケジュールに遅延が発生していると判断しているだろう。紅魔館側がその方向で動いてくれればなおさらである。
スキマ砲による迎撃と魔理沙突入による直接迎撃の二本立ての計画を立案した八雲紫は、計画が失敗し霧雨魔理沙を死に追いやった責任を取る事になるが、その魔理沙を突入させる原因が妹紅の自爆遅延となれば、その責任は2人に分散されてしまう。
このアクシデントが発生した状況は、計画立案者の予見能力や先見性の無さとして問題に出来るし、強いては責任問題にもすることが出来る。考えて見ればこの状況は渡りに舟ではないか。
「(これは、天の恵みか・・・。)」
妹紅はこの伏兵の登場をネガティブな要素として捉えてしまったが、ここで発想の転換をした。この妖怪はこの異変に関わった『誰か』とどこかで繋がっており、苛酷で無惨な運命を背負い、救われんがために自分の元に導かれた存在なのだ。幽香や妖夢の様に、これまで全く接点の無かった者が短期間で自分に近づいて来たのと同じ様に、この妖怪の接近にも何らかの意味があるのだ。
「やってやろうじゃないか!お前に与えられた死の運命は、この私が喰い破ってやる!」
妖術使いの目になった妹紅は、守勢から一転攻勢に移る。
風見幽香の説いた『破壊と再生の法則』に従えば妹紅はまずこの妖怪を破壊しなければならない。破壊という状態には様々な形があるだろうが、ここでは力で挑んできた相手を純粋に力でねじ伏せることだろう。
妹紅は逃げるのを止め反転すれ違い様に相手の衣服に小指を引っかけると、そのままたぐりよせて組み技に持ち込む。力任せで無秩序な弾幕一辺倒の妖怪は、反撃に転じた妹紅の老練な攻勢に為す術も無く、密着されたまま一方的に撃たれ始める。
「(何だこいつ・・・。)」
近くで見るとその妖怪の手足は不自然に後から部品を取って付けた様に見え、明らかに人の手によって改造された痕跡が見える。改造と聞いてまた永琳を思い出すが、永琳の造型センスとは明らかに違う事が伺える。これはやはり永琳とは無関係だと確信し、攻撃と観察、そして分析を同時に行いながら、近接格闘戦で相手の体力を削いでいく妹紅。
豊満な乳房の間にある不自然な赤い隆起物から自然の力とは思えない何か毒々しい気を感じると同時に、妖怪の瞳が何者かに操られている生気の無い独特な目をしている事に気付く。
「誰かに操られているのか!」
命令され自らの意志で了承してやっているのではなく、何者かに強制的に操られている。これは何か裏があると咄嗟に判断した妹紅は、妖術使いの血がざわざわと騒ぎ出し、誰がこれを操っているのか無性に知りたくなる。
妹紅に組み付かれてボコボコにされて息が上がり始めている妖怪。恐ろしい程に頑丈で普通の妖怪ならとっくに伸びていてもおかしくないが、戦意喪失の気配が全くしない。これは操られて肉体の限界まで戦わされるようになっているのか、或いは元々丈夫なのかどちらかだと思われるが、恐らくはその両方だろう。
「精神を乗っ取るには先ず気を失って貰わないとな・・・。」
隠された秘密を探るには、相手の精神を乗っ取るのが手っ取り早く確実な手段であり、老練な妖術使いの妹紅としては、その作業は至極簡単なものである。しかし、この妖怪は誰かに既に操られている状態で、事前に催眠術や暗示を掛けられている相手には同系統の技を掛けて上書きして打ち消す事は難しい。
何者かに操られている状態は一種の催眠状態にあるため、別の催眠系の技の上書きやすり替えが不可能で、更に精神的なゆさぶりもほとんど効果がない。こういった者を攻略するには、肉体的な損耗を強いて気力を削ぎ気を遠くさせる事である。
妹紅は丈夫な妖怪なら多少無茶をしても死なないだろうと判断し本気で殺しにいく。
遠隔攻撃一辺倒で組み合った戦いの経験が全くない様子の妖怪。近接戦闘の経験だけでなく、命を取り合うような本格的な戦闘経験そのものが異様に浅いか、全くない様にも思える。まるで練習用の人型でも相手にしているかのように、こちらの連続攻撃が恐ろしい程簡単に決まってなんだか申し訳ない思いになる。
妹紅は大筒が付いている腕とは逆の左手首を掴んだままがっちりと固定し、大砲の可動半径の内側で攻撃をする。掴まれ砲撃が出来ない事を異様に嫌うその妖怪は、妹紅の腕を振り払う事に注力して腕をばたつかせて必死に抵抗するが、妹紅の押せば引き、引けば押すを繰り返す巧みな動きに翻弄され妖怪の体力は無為に削られていく。
要塞は少しずつ下降しているので時間を掛け過ぎればいずれ結界を突き破ってしまう。スキマ砲を失敗させる為に意図的に時間を遅らせてはいるが、遅らせ過ぎても駄目である。八雲紫を精神的に追い込む事を考えた場合、スキマ砲の発射直前のタイミングでパージさせるのいいだろう。つまり1時45分から50分の間だ。
既に空の端まで結界が行き届いており、完全に天と地が隔てられている。妹紅の眼下には、最初の薄紅色の貧相な結界の膜ではなく、深紅の見るからに堅そうな結界が広がって僅かに地表が透けて見えるだけである。これも外から呼んだ神様の力のお陰だろう。これなら要塞のコアが結界近くで爆発しても簡単に破られる事はないだろう。
妹紅は全体の状況分析しながらタイムリミットを決め、残り時間から逆算してそろそろ頃合いと見る。
大砲から発射する火の玉以外に有効な攻撃手段を持っていない妖怪の射角の内側で行動していた妹紅は一転、掴んで離さなかった左手を離して相手を自由にする。腕を引いたタイミングで手を離したので、妖怪は勢いで一回転して止まり、ようやく攻撃出来ると歓喜して前方にいる筈の標的にすかさず照準を合わせる。しかし、その単純な動きを予め予想していた妹紅は渾身の踵の一撃を大筒の先端に蹴り下ろす。
八枚の長細い板を筒状に組み合わせた八角形の大筒の先端に強い圧力を受けた事によって、火の玉を撃ち出す筒の先端が破壊され、結合している各部品がストレスに耐えきれず砲身全体が一気にはじけ飛ぶ。この状態で火の玉を撃てば暴発してしまうので普通に考えればもう火の玉は撃てないだろう。
「くっ!」
破損して使い物にならなくなった大筒に驚愕した妖怪は、次にどうすればいいのか分からずパニックになる。想像した通り攻撃手段がこれしかなく、頼みの綱が壊された事で相手は精神的なダメージを受けているようだ。
妹紅は間髪入れず右腕の肘より下についている大筒を抱えると関節を逆に折ってまだ残っている筒の付け根を強引にもぎ取る。
「なっ!」
ここで妹紅は驚いてしまう。この妖怪は巨大なエネルギーを蓄えた大筒に右腕を突っ込んでいるだけと思ったいたが、肘から下の筒に隠れていた部分が太い管と不自然に接合されており、生身の体と機械仕掛けの大砲が内部的に繋がっていたのである。
大筒の外装は腕と接合している部分から割れて破片を飛ばしたが、内部機構は完全に破壊されずそれらを繋ぐ大小様々な部品と無数のコード類が絡み合って大筒は完全な破壊を免れていた。
妹紅は機械の事はさっぱりだったが、永遠亭との長い付き合いがあるおかげで高度な機械を結構な数見ている。その為、永琳の作る機械と比較してこの筒の中の構造が物凄く原始的で粗末な物に見えた。
大筒の中に人工的な力を精製する仕組みがあるのではないかという当初の見込みだったが、それらしい装置は見当たらない。肉体と機械が繋がっている事から、砲のエネルギーは体内で精製されているのだろう。胸のあの赤い隆起物が怪しい。
この妖怪は人工的に作り出された所謂ロボットなのだろうか?しかし、取って付けられた様な部品以外は明らかに普通の妖怪にしかみえない以上、生きている生身の妖怪に機械を取り付けて改造したとしか考えられない。
色々と調べたい妹紅だが、精神を乗っ取ってしまえば、この妖怪が何者でこの様な体になった経緯も全て分かると思い、先ずはこの妖怪の完全無力化を優先する。
背後に回った妹紅はバラバラになった腕とは逆の左腕側の脇の下から腕を回して妖怪の首を両腕で抱きかかえる様に締め上げ、外されないよう両足で胴体をがっちりと固定する。いくら頑丈でも首を締め上げて血流や妖気の流れを堰き止めればただでは済まない。
首を絞められ予想通り苦しむ妖怪は、身の危険を感じ絞め技から逃れる為に力を振り絞る。
相手が人間なら大抵無駄な抵抗で終わるが、妖怪の場合、生き残る為の生存本能が活性化され奥底に眠る潜在的な力が湧き上がって一時的に能力が数倍に膨れあがる。妖怪達のそうした生存戦略を熟知している妹紅は、生き残る為の必死の力が湧き出るタイミングを見計らって拘束を外し、手首の関節を爆発させ、そこで発生する膨大な瞬発力を利用した鉄杭の様な重い拳の一撃を無防備な妖怪の下腹部にお見舞いする。
「ぐえぇっ!」
妖怪の中で爆走する生存本能によって呼び出された妖気が内から外に飛び出す一瞬を狙い、出口を抑えて内側で爆散させる妹紅。体内で爆発した力は、自分自身に跳ね返って身体に痛烈なストレスを与え、どんな攻撃にも顔を歪めなかった妖怪の顔が初めて苦痛に歪む。
腹を打たれて身体をくの字に折った妖怪はそのまま体内で起こる妖気の逆流と誘爆に悶絶する。普通の妖怪なら耐えきれずにここで絶命するが、この妖怪はそれにすら耐えてしまう。もちろん妹紅はそれに耐えると予め予測して殺しにかかったのであるが、この凄まじい体力には驚くばかりでる。
「驚いたな・・・頑丈さだけなら幻想郷一だ・・・。」
妹紅は驚きを隠せず冷や汗が出てきたが、ここで妖怪の目に生気が蘇っている事に気付いた。
「気付いたか・・・。」
操られて闘争本能だけで戦っていた妖怪に理性が戻る。
「あ、あれ?ここは?」
夢から覚めた様に周囲を伺う妖怪。すぐに体中に激痛が走って呻く。戦闘中は恐らく無痛状態だったのだろう。その反動が激痛となって身体全体を無惨に襲う。
「さとり様!さとり様は?お燐、お燐どこ?痛い、身体が痛いよ・・・助けて・・・私死んじゃうよ!」
顔を覆う力もなくなった妖怪はその場で大粒の涙を流し、大声を出せる力もないので嗚咽だけを上げる。
妹紅はそんな名も知らぬ哀れな妖怪の声にいくつかの名前と思しきキーワードを聞きながら、鬼の形相で近づき怯えさせる。既に戦意は喪失しており、目の前の鬼を畏れて魂が萎縮する妖怪。理性が戻れば畏れで相手の自由を奪う事は容易いものだった。
妹紅は値踏みするように妖怪を見下ろし、おもむろに右手を上げる。拳が金色に輝く粒子の固まりになると、そのまま黄金の拳を妖怪の胸の赤い隆起物に突っ込む。
「許せ!」
声の出ない絶叫を上げた妖怪は、そのまま雷に打たれた様に背中を反らして、ここでようやく気を失う事が出来た。
妹紅は気を失い心と身体の痛みから開放された妖怪から抵抗を受けずに精神に侵入を始める。
謎の妖怪の精神に侵入した妹紅は、無重力の空間を慣性で上から下へゆっくりと流れる様に落ち、真っ白な精神世界を深層方向に向かって探索を始める。
人間の精神の中は複雑で、表に見せない暗い感情を内に抱えている者が多く、表面的な人柄とは打って変わって精神世界の景色はどす黒いものだったりする。本音と建て前が有るように人の精神世界は複雑怪奇で問題の解決は根気のいる難しい作業だが、妖怪は精神構造が単純な者が多くあまり複雑ではない。そしてこの妖怪は、シンプルな妖怪の中でも極めつけにシンプルで、ある一人の女性が精神世界の大半を占めていた。
通り過ぎる様々なビジョンからその女性が『さとり』と言う名前である事を知り、そしてこの妖怪が『おくう』と呼ばれている事も、飼い主とペットという2人の関係も理解した。
更に精神の深いところに落ちていくと、正確な本名も見つける事に成功した。
「霊烏路空・・・れいうじうつほで、お空か。」
ここで名前を奪って呪い殺す事も可能で、陰陽師なら式神とすることも可能だろう。
「誰かに名前を取られて操られていたのか・・・。それに、さとりってどっかで聞いた名前だな・・・でも、私が知るさとりの姿格好とは全然違う。」
妹紅は古明地さとりと面識があるわけではないが、妖怪さとりの手配書の人相書きは見た事があった。
精神世界の浅いところには桃色の髪の少女さとり以外に、お空の知り合いと思しき獣の形と人型の妖怪が何人か見える。その中に意外にも霊夢や魔理沙の姿もあり過去に戦った形跡がある。
妹紅はそこから深層に下るのを一旦止めて横に広がる霊夢らとの関わりを探ったが、どうやらこのお空は過去に地底で異変を起こし、その解決にやってきた霊夢達に討伐されたようである。
「こいつが自分から異変を起こすとも思えないが、あのさとりという女が黒幕か・・・。いや、そういう感じではないな・・・。もっと奥に下に降りて見るか・・・。」
妹紅は更に深層に落ちる。
ここは本人でも気付かない自分が存在している心の最深層部で、その人の本質が分かる場所だ。何かあるとすればここだろう。
「何もないな・・・さとり以外は・・・。まるで赤ん坊の精神構造だ。」
赤ん坊のように純粋なお空にとって最愛のご主人様がここにいることは何もおかしくはない。しかし、先程の温かい雰囲気とは打って変わって黒い闇に覆われている事に違和感がある。
一人だけ深層の闇にたたずむのは何かおかしい。純粋な心の持ち主ならここは光に包まれているはずだ。
妹紅は一人佇むさとりの前に歩み寄って問う。
「お前は誰だ?」
少女は何も言わず、妹紅を指さす。しかし、それは妹紅を指したのではなくその背後を示した動作だった。
「向こうに何かあるのか・・・。」
妹紅は言われた通り、何も見えない闇に向かって歩き出す。
「・・・誰か居る・・・あのシルエットには見覚えがある・・・。」
闇の中に浮かぶ黒い影。あぐらをかいて座り背中に大きなしめ縄の輪を背負っている。
「(八坂神奈子!お前だったのか!)」
妹紅は、静かに瞑想するように佇む八坂神奈子を見下ろしながらしばらく様子を見る。
精神世界の深層に入り込んでいるという事は神奈子がお空を支配していることに間違いないだろう。問題はどこまで支配されているかである。完全に支配されているなら、こちらが何かするとそれなりのリアクションが予想される。
しかし、妹紅はある理由で完全な支配はなされていないと確信出来た。それはここに至までほとんど抵抗や偽装などの妨害行為がなかったからである。
精神の完全な乗っ取りなどそう簡単にできるものではなく、そして乗っ取る様な高度な技を使う手練れなら、解除されないように侵入者を追い払うなり迷わせる防御策を予め講じているはずである。
或いは深層までおびき寄せる罠という可能性もあるが、異変に荷担する八坂神奈子が異変の重要な局面において自分を罠に嵌める理由も見当たらない。
お空の精神世界を見るに単純でお人好しな性格なのだろうという事が覗える。こういう性格の者はそれほど能力が高くない術者でも比較的簡単に言う事を聞かせる事が出来る。それなりに強い神様なら猿真似でも精神乗っ取りくらいはできるだろう。
神様は他の妖と違い、自分自身を分離して信仰の入り口を増やす分社を行う事が出来、似た様な仕組みでこのお空の身体に分身を住み着かせ、本体の八坂神奈子が間接的に操っているという可能性もある。
仕組みは単純で後遺症も無く、表面的に誰かに操られているという痕跡が発見しづらく、気付かなければ永遠に根を張り続ける事が出来るというわけである。
「(高度な術の痕跡はない。神様の力で妖怪を支配しただけだな・・・。)」
本来なら逆探知されないように防御策を講じるわけだが、八坂神奈子にはそうした術者としての能力は無く、セキュリティが全く施されていない。目の前の分離体を始末するなど赤子の手を捻るより簡単である。
「(ふふ、いいこと思いついた。)」
情報流出を防ぐ防壁がない以上、情報は全て垂れ流しである。本体から分離しているが情報を共有しているのは間違いないので、妹紅はこの場を利用して八坂神奈子の情報収集を思いつく。
「(素人がこんな事をすればどうなるか思い知らせてやる。)」
妹紅は洩矢諏訪子に対して神威を感じ畏怖の念を持って丁重に対応出来るが、八坂神奈子については一切の神威を感じず神様として見ていない。神様である事には代わりはないだろうが、永い間続く人間の信仰によって支えられている神ではなく、何らかの事情で発生した新しい神様なのだろう。例えば面白半分で祀った大木が中途半端な神様になってしまった・・・などである。
妹紅はその理由も含めて、お空をあそこによこした理由を探ろうと試みる。
「八坂神奈子。」
「なんだい?」
名前を呼ばれて目を開けて素直に返事をする神奈子。やはりセキュリティがかかっていない。
妹紅の中にいる八雲紫の妹藍の思念体は、情報のやりとりをするためにいくつかの面倒な手順を踏まなければならないが、ここにいる神奈子の分離体は、探られる事を全く考慮していなかったのか情報の流出を防ぐ為の手段を何も施していなかった。こちらの質問には全て包み隠さず答えてくれるというわけである。
「お前は何を企んでいる?」
「質問が抽象的だな。もっと具体的に。」
敢えて抽象的に尋ねて相手の出方を伺う妹紅は期待通りの答えを聞いて安心する。この神奈子には一切の情報流出を防ぐ鍵がかかっていない。
「お前は何故おくうと私を近づけた?」
「言う事を聞かない馬鹿な烏を焼却処分する為に焼却炉に放り込んだのさ。」
妹紅はそれを聞いて納得した。乗っ取ったはいいが扱いづらいこの馬鹿な妖怪に手を焼いて、今回の異変にかこつけて処分しようとしただけで、特段深い意味はなかったのだ。それを理解した上で次の質問をする妹紅。
「おくうに目を付けた理由は?」
「こいつの頑丈な肉体は放射線を完全に遮断出来る。この身体を利用すれば生きた核分裂反応炉を作り出す事が出来、そうなれば膨大なエネルギーを巨大な施設を作らずに獲得できる。」
「しかし、制御できず自分勝手に行動してしまうため、おくうをエネルギー発生の設置装置として運用できなかった。」
「その通り。」
妹紅は放射線などの専門用語は分からなかったが、そのエネルギーを兵器としてではなく別の何かに転用する腹づもりだったらしい事は理解出来た。
妹紅は守矢神社の事情は理解したが、おくうをこのまま道連れにする事を戸惑う。
「(もう少し時間はあるな・・・こいつの命をどうするかは、もう少し話しを聞いてから決めるか・・・。)」
体内に核分裂炉を持つおくうの存在が危険な事にかわりはなく、殺しても致し方なしと判断できればそうするしかない。しかし、妖怪を改造する動機に邪悪な何かがあるなら許す事は出来ない。
「守矢神社は何をするために幻想郷に来たんだ?」
妹紅は一旦おくうから離れる。
「向こうに居場所を無くした東風谷早苗の安寧の為にここに来た。」
「こちやさなえ?」
妹紅にとってこの名前は初耳である。
「洩矢諏訪子の孫にして原人神、ミシャクジ様の血を引く奇跡の力を持つ少女さ。」
「守矢神社の巫女か?」
「巫女ではない。」
守矢神社の巫女として周知されていた東風谷早苗が巫女ではないという発言はかなり重大な意味を持っていたが、事前に巫女という情報を得ていなかったので、この発言の意味の重要さに気付いていない妹紅。単純に神社だから巫女と連想して尋ね、違うと指摘されただけの事と軽く受け止めていた。
話しを聞くとこの少女は、恐らく何らかの強い能力を持ち、所謂「鬼子」として向こうの世界で忌み嫌われる存在となり、そんな哀れな少女を守る為に、血縁のある諏訪子などが幻想郷に連れてきたと捉える事が出来る。
そして、この事とおくうに何か関係があるのか聞いてみる。
「おくうと早苗には何か関係があるのか?」
「早苗は現代の人の子。幻想郷の様な田舎者ではない。原始的な暮らしに適応するのは難しいのでなるべく向こうの世界と同じ生活水準にしようと、おくうと言う発電機を作ったというわけさ。」
妹紅はおくうの改造に不順な動機を感じ眉間に皺を寄せる。
「そんな事の為におくうを改造したのか?」
「おくうの体を使えば猛毒のエネルギーをクリーンなエネルギーに替えられる。これは人類にとって大きな進歩に繋がる重要な実験でもある。大義の前には犠牲は付き物だろう?」
妹紅は腹の中が煮えくりかえる。身勝手で理不尽な悪党の理論だ。しかし、ここで反論しても分離体であるこの神奈子を説得する事は無理であり、時間の無駄でもあるので怒りを無理矢理抑える妹紅。
「お前らは幻想郷をどうしたい?」
「お前ら?私はひとつだ。」
「洩矢諏訪子はお前と企みを共有していないのか?」
「東風谷早苗を幸福にするという点で諏訪子とは企みを共有しているが、幸福の形はそれぞれさ。」
「なるほど。お前にとって東風谷早苗の幸福とは何か?」
「少なくとも今は電気のある向こうと同じ生活さ。」
「今は・・・か。わかった。もういい。」
妹紅の質問が終わったという合図を受けて目を閉じる神奈子。
「(・・・とんでもない悪神を幻想郷に入れてしまったというわけか・・・。)」
電気のある生活という事は向こうの生活水準と同じ生活を望んでいるという事だろう。そして、その欲求は現時点の事であり、その欲求が満たされたらそこで終わりというわけでもなさそうである。
これ以上の質問をしている時間的な余裕はもう無く、そして八坂神奈子が悪神である事を理解した妹紅は、その悪意の犠牲となったこの哀れな妖怪を何としても救わなければならないと心に決める。
「死ね!」
妹紅は手刀を神奈子の顔面に突き刺す。その攻撃を受けたまま微動だにせず目を瞑ったままの神奈子は次第に色が褪せていき濁った白色の人形の様な姿に変わっていく。
神様は死ぬと塩の塊となる。妹紅は手刀を抜いて元神奈子だった塩塊を前蹴りで砕き崩す。
一瞬間が空いて、散らばった塩の塊は闇に溶ける様に消えていく。これで分離体の排除は終わった。もうこの妖怪は操られる事はなくなるだろう。
そして神奈子の分離体の消滅と同時に、暗闇から真っ白な優しい輝きに満ちた世界に変わる。
「ふふ、良かったな。」
桃色の髪の少女の膝を枕にして幸せそうに寝ているおくうの姿が見える。
妹紅は問題を一つ解決し、妖術使いとしての矜持が満たされ満足するが、その時、おくうの頭を優しく撫でているさとりと目が合い、何かを訴えるように口を動かしている事に気付く。
「・・・に、げ・・・て?逃げて?どういう事だ!?」
口の形から言葉を読み取った妹紅は、その意味が分からず答える筈もないさとりに質問を投げかけたその時、地震の様な振動が発生し周囲の景色が音を立ててガラガラと崩れ始める。妹紅は慌てておくうの精神の深層部から離脱する。
おくうの精神世界から現実世界に一気に戻った妹紅は、自分の腕の中でぐったりしているおくうの身体が強烈な光を放っている事に気付いてギョッとする。
「しまった!あの分離体はおくうの臨界を防ぐ安全装置でもあったんだ!」
妹紅は永琳の計算し尽くされた正確な演算技術とそれを用いて行われる科学的な攻撃をその身を持って体験してきた。神奈子の言う核分裂反応とやらも、永琳の使う科学という分野に含まれていると判断して、計算された上でしっかりとおくうの管理が行われていると思い込んでしまっていたのだ。
しかし、実際は神様の力で妖怪と科学を無理矢理繋げて安定させていただけなのだ。
安全装置を壊せば力のバランスを失い暴走し暴発するのは当然の事。そして今正におくうは臨界点に達しようとしていた。
「くそっ!」
妹紅は自身の失態を悔やむ愚を犯さず、今どうすればいいかだけを考える。
このおくうの爆発は八坂神奈子の企みが一つ成就するというだけで異変そのものには影響しない。しかし、この哀れな妖怪を救うと決めた。
幻想郷の未来を考えた時、悪神八坂神奈子は絶対に討ち倒さなければならない存在だ。そして、彼女の思惑を阻止する事が彼女に対する痛烈な一手となるはずである。
「絶対に助けてやる!」
妹紅は自分の腕の中で今まさに爆発しようとするおくうをぎゅっと抱きしめ心を決める。
おくうの内部で暴発するエネルギーの濁流は、目や口、鼻や耳の穴から閃光となって漏れだしている。妹紅は光に溶け始めて姿が見えずらいおくうの口に自分の口を近づけ、唇と唇が合わさるや強引におくうの内部のエネルギーを呑み込み始める。
ゴクリゴクリという音と共に妹紅の喉が何度も何度も脈打ち、流れ込んだエネルギーで食道や胃を融解させては元に戻すを繰り返す。一歩間違えばその場で内蔵が溶けてリザレクションを起こしてしまうが、永琳から致死性の攻撃を何度も受けているお陰で、死の一歩手前で何とか自分の身体を維持させる事が出来た。
大量の放射線を体内に吸収して外部からも内部からも被爆し、人の形を維持する為の遺伝子情報が崩壊していき、妹紅の身体はグズグズに崩れ得体の知れない姿に変わっていく。
妹紅は遺伝子についてよく分かっていないが、自分の身体が元通りになるのは、元の形状を記憶するなんらかの仕組みが生き物には備わっている事を経験で知っていた。しかし、今その情報が無惨に崩壊して、肉体が思った通りの形に戻らない事を知り、おくうの中に存在する核分裂反応によって生じる有害な何かが生き物にとって最悪の害悪である事を認識する。それと同時に先程聞いたおくうを介すクリーンなエネルギーという意味を理解した。
妹紅はリザレクションすれば完全に元通りになることを知っていたので、ほとんど液状化してしまった自分の身体にも慌てず、むしろこれを利用しておくうを包み込み、臨界エネルギーを効率よく取り込んでいく。
間もなくエネルギーの濁流は止まりおくうの身体は安定する。妹紅は崩壊する身体の修復作業を止めて、そのまま死亡判定を出して、リザレクションをして完全に元の姿に戻る。
「ふぅー。久々のリザレクションだな・・・。」
妹紅は新しい再生維持の力を身につけてからは無駄に命を散らさない様に努めてきたが、今回はしようがないだろうと自分に言い訳をし、腕の中で気を失っているおくうを優しく見下ろす。
「予備を作っておいてよかった。」
魔理沙を脱出させる為に仕込んだスキマの巻物以外に、余った紫の髪の毛を使って自宅直通の巻物を用意していた妹紅。
「もう、タイムアップだな。この特別な死を噛み締める為にもう少し時間が欲しかったけど・・・。」
妹紅はパージ寸前の要塞、そして眼下の幻想郷を交互に見て、大きく深呼吸をする。
不死鳥の転生の後は、幻想郷がどのように治まって、自分がどこで再生されるのか全く見当がつかない。恐らくしばらくの間幻想郷とはお別れだろう。そして復帰までの間に上白沢慧音の罪が問われて刑罰を受けないよう、八雲紫も同時に長期休暇をとってもらうことになる。その為に色々と仕込んできたのだ。
1年、2年、あるいは10年、100年単位になるかもしれない、特別な死別を前に妹紅としても流石に感慨深いものがあるわけで、自爆前は色々と考え事をしたいとも思っていた。
しかし、そんな時間はもう無く、腕の中のボロボロの妖怪に全てを台無しにされた形となった。
「こいつめ!」
妹紅はどこか憎めない眠っているおくうの鼻先を指で弾いて、スキマを開いて乱暴に放り投げる。
「さて、逝くか!」
妹紅は両手をパンと音を立てて合わせると、瞬時に羅刹モードになる。
八雲紫の妹藍との死別後、廃人同然となった抜け殻の妹紅に目をつけた不死鳥がその身体を乗っ取ったのが全ての始まりである。
不死鳥は本来その様な事をするはずはないのだが、この時、霊獣である火の鳥と融合してキメラ化していた不死鳥は、無差別に世界を浄化するのではなく、不要な存在を排除するという本来の役割から大きく外れた誤った方法で世界をリセットさせようとしたのである。
信仰に頼って自らの力で生きようとしない人間を不要なものとして、戦国時代初期に一向宗の無差別殺人を妹紅の身体を使って行った事で、妹紅は殺戮者として大量の穢れをその身に溜め込み羅刹化してしまう。
しかし、羅刹となっても藍から貰ったリボンのおかげで人型が維持され、その後も殺戮の限りを尽くした。
ある時、一向宗の要人暗殺中のもみ合いでリボンが外れてしまい、妹紅はここで初めて鬼の姿になってしまう。不死鳥に操られていた妹紅は、穢れの力で強くなり過ぎた羅刹となった事で、不死鳥との主従関係が逆転してしまい、羅刹が不死鳥を従える今の姿になってしまったのである。
辺り一帯夥しい骸の山を無意識に築き上げてしまった羅刹妹紅は、偶然取れたリボンを踏んで再び人間の姿に戻り、数十年ぶりに藤原妹紅本人が主体となったが時既に遅く、妹紅は身に覚えのない大量殺戮者としての罪と穢れを一身に背負う事になった。
今は、妹紅本人が強くなりすぎて身の内の羅刹を制御出来ているのでリボンは不要となったが、つい先日まではリボンをとれば瞬時に悪鬼になり果てるという危険な状態だったのである。
不死鳥を制御しているのは、正確には人間としての妹紅ではなく羅刹としての妹紅である。その為、不死鳥の力を直接制御するには一度羅刹にならなければならなかった。
妹紅は目を瞑り、瞼の裏側に広がる闇に映る炎を纏った神獣と対面する。
「久しぶりだな、無様な焼き鳥め!」
羅刹の妹紅は内に潜む不死鳥に恨みの罵声を浴びせる。
神獣である不死鳥と霊獣である火の鳥。似て非なる2つの存在は、太古の昔ではそれぞれ別の存在と認識されていた。しかし、大陸を経由して様々な信仰の素材が大量に輸入されていくなかで、世界各地の同系統の神様が混同されて行き、特にモチーフとして多い鳥の姿をしたものは、時代を経る事に一つに集約されていく。
不死鳥は世界の運行を司る四方守護神の一つで、世界を長期に維持させる上で必要な変化を担当してきた。その世界に住まう生き物にとっては、その変化は滅びに近い大いなる災いとなるが、次代への進化の起点を常に作ってきた。
一方火の鳥は、人間やその他の動物などが環境の変化に順応する為の優れた個体の保存と循環を司り、全てを破壊する不死鳥を火と例えるなら火の鳥はその延焼を防ぐ水という関係なのである。
神獣である不死鳥は人間の味方ではない。世界が人間を邪魔だと判断したなら、不死鳥は容赦なく人間を滅ぼすだろう。しかし、火の鳥はその不死鳥の破壊から常に人間を守ってきたのである。
この相反する性質を持つ二つが混同されるということは、それぞれの本質を完全に破壊する事を意味し、実際不死身の妹紅の肉体を依代として、人間の世界を維持する為に不要な人間を処分するというおかしな行動を取ったのである。
鬼妹紅は閉じた瞼の中にいる、様々な鳥のモチーフが合わさってキメラ化した不死鳥の首根っこを掴んで締め上げ、ラストワードを無理矢理吐かせる。
「さぁ、言え!世界を滅ぼすラストワード、ホワイトエンド(漂白の終焉)を!」
苦しそうに悶える不死鳥を見て絞めた腕を緩める羅刹妹紅。すると、堰を切った様に劈く悲鳴の様な鳴き声が耳に木霊する。
それは、人間の話す言葉ではなく、天高く響きわたる大鳥の断末魔、ラストワードだった。
閉じた瞼の裏の闇が一瞬で真っ白に輝くと、妹紅は羅刹から人に戻って目を開く。
「これが・・・世界の浄化・・・か!?」
自分を中心に色のある世界が無色に漂白されていくのが分かる。
幻想郷で千年ぶりの不死鳥転生が今始まる。
「お帰りなさい神奈子様。首尾は如何でしたか?」
「首尾は上々、後は結果をご覧じろってね。ふふ、ただいま早苗。」
守矢神社の母屋で留守番をしている東風谷早苗の元に、守矢神社の祭神の片割れ八坂神奈子が上機嫌で帰宅する。
「すごい事になってますけど、ホントに大丈夫なのですか?」
厳密にいえば頂上ではないが、妖怪の山の人妖が住める最も高い位置にある守矢神社から望む東部の凄まじい光景を見るにつけ、事前に問題ないとは聞いていても流石に不安になる早苗。
「ああ、あれも余興の内。もうじき終わるさ。(あの馬鹿烏の命もな・・・。)」
神奈子としても絶対に大丈夫だという確実な手応えが得られず、内心不安だったが安心を得たい早苗の前では彼女の望む姿を見せなければならない。
紅魔館と守矢神社は、標高差1000メートル、直線距離で15キロメートル以上離れている。その為、同じ対象でも見え方がかなり違ってくる。
防御要塞は、真下から見ると空全体を平面的に被っている様に見えるのに対し、妖怪の山の上からは球体であることが見て取れ、特に球体の底面と地表との距離が具体的に分かる。
「・・・すごい・・・。」
少しすると空が結界で覆われていき、しばしこの世のものとは思えない非常識な光景に魅入る一人と一柱。
「(にしても、何をもたもたしてるんだ不死人は・・・。)」
しばらく余裕の表情を見せる神奈子だが、張られた結界の向こうでなかなか自爆しない妹紅に苛立ちを覚える。
「(まさか、あの馬鹿烏・・・不死鳥にちょっかいだしたりしてないだろうね・・・。)」
霊烏路空を完全に制御しきれていない神奈子の悪い予想は残念ながら当たっており、藤原妹紅と霊烏路空は今現在激しい空中戦を展開しているところだった。
里に戸籍をおく人間の歴史を消してその存在を隠した上白沢慧音は、もぬけの空となっている里に避難してきた周辺の弱小妖怪や落ちぶれた神様らを受け入れており、彼らが勝手な行動をしないように街頭に立って見張りをしていた。
「妖酔め動いたな・・・周りの面倒を見れる余裕が出来たと言う事は、どうやら皆の神社行きは上手くいったようだな。」
巨大な空に浮かぶ船が数名の里の傭兵と識別できる者達に護衛されながら里の真上を低く通過し、豊穣の森の方へゆっくりと高度を下げているのが見える。恐らくその周辺に着陸するつもりだろう。慧音はその様子を下で見ながら里の傭兵団が分散しているのを確認し、当初の目的を達成した妖酔の命で動いているものと認識する。
「それにしても、厄介だな・・・。」
謎の船はかなりの被害を受けている様で、そうなった経緯は下からずっと見ていたのでわかるが、里周辺に着陸されるのは、他の人喰い妖怪を集めてしまいそうで正直迷惑である。
タイミング良く里の傭兵隊の主力が里に最も近い位置にいた敵陣地の一つを攻略したので里の脅威は一先ず過ぎ去ったが、これはあくまで局地的な勝利で全体的にはまだまだ予断を許さない状況である。
「里にも大量に難民が来てしまったな・・・。」
夜逃げでもしたかのように閑散とした大通りの各店蔵が荒らされない様に、手癖の悪そうな妖怪に睨みを効かせながら通りを巡回する慧音。やはり自分が残ったのは正解だったと思う。
「む!?」
そこうしていると東の本陣山から合図の花火が上がるのが見え、慧音はすぐに人間の里の住人の歴史を戻す。これで博麗霊夢や守矢神社の神様と里の人間達が同じ歴史を共有出来るはずである。しかし、人喰い妖怪達にも里の人間という新たな目標が出来る事になる為、今後里周辺が激戦区となる事が予想される。このことは作戦計画に織り込み済みで、人間達を神社に送り届けた事を確認したら傭兵団は里の防備にまわる手はずになっている。今は里に風見幽香もいるし、何も問題はないだろう。
そして、慧音はまだ気付いていなかったが、里には幽香以外にもう一人強い妖がいた。
その強い妖である死神エリーは、妖夢と交戦して敗れた後、敬愛を通り越して溺愛する風見幽香と共に、もぬけの空となった里の酒場でちゃっかり酒盛りをしていた。
「さて、そろそろかしらね。」
戦と異変の潮目を感じた幽香が、ちびちびとやっていたコップ酒をカウンターに置く。
「幽香ちゃん、そろそろってまだ何かあるの?」
自分の仕事は終わったと安心してすっかり出来上がっているエリーが尋ねる。
「一発大きいのぶち込んでおいたでしょう?」
「ええ。でもそれがどうしたの?」
「ふふ、あれはただストレス解消でやった事じゃないのよ。」
「ふーん。でもそれでストレス解消はしたんでしょう?」
「ええ、まぁ・・・って、何言わせるのよ。」
「げふっ!」
幽香の肘鉄を食らって身体が通常曲がらない角度で横に『くの字』に一瞬折れるエリー。人間なら即死に近い攻撃だったが、それを貰った死神の顔は何故か嬉しそうである。
幽香に見つかって無理矢理酒場の女将の真似事をさせられている事にまんざらでもないミスティア・ローレライは、この二人の不思議な関係にどことなく既視感を覚えて、手を動かしながらその事を考える。
この容赦ない突っ込みにも嬉しそうな表情にどこかで見覚えがある。
「(誰だったかな・・・あ!リグルだ!)」
虫の妖怪であるリグル・ナイトバグは、幻想郷の虫達を眷属として自在に操る事が出来、その虫達の糧となる草花を操る風見幽香と非常に相性が良い。その為、誰も近寄らない凶悪な風見幽香に自から喜んで近づく希有な妖怪としても強くないわりに知名度が高い。
幽香にしても草花や畑の作物などの受粉で虫はとても役に立つので直接的な主従関係は結んでいないにもかかわらずリグルをそれなりに重用しており、今回の異変に関してもある仕込みをリグルとその配下に手伝わせていた。
「幽香さぁーん!」
そこへ噂をすれば何とやらで、ミスティアの頭に浮かんだ顔が突然店に現れる。
「あら?リグル、御苦労だったわね。ミスチー、リグルにも一杯お願い。」
「あれ?ミスチー里に店出したのかい?」
スペルカードによる弾幕戦闘に興味を示した東部妖怪では最初期に参戦した妖怪として交友のあるリグルとミスティアは、特に仲が良いというわけではないが顔見知りではある。
「え?あ、いやこれは・・・。」
「ちょ、ちょっと、幽香ちゃん!誰よこの男!」
「な!ぼ、ぼくは雄じゃありませんよ!」
「え?雌なの?雌なら尚更駄目よ。」
「何でですか?貴女も雌でしょう?」
「雌言わないでよ。私はお・ん・な!わかった?」
「何が、お・ん・なだよ!人間みたいな事言って!」
「虫けらよりましよ!」
「む、虫けらだとぉ!」
「虫というかゴキ・・・。」
「いいかげんにし・・・ん?」
初対面なのに何故か仲良さそうな喧嘩を始める2人。ミスティアは、同族嫌悪だと思いつつ言ってはいけない言葉をエリーが発する前に仲裁に入ろうとしたその時である。店の棚や戸がカタカタと小さな音を発している事に気付き、その場にいた全員の動きが止まる。そして幽香以外の3人は同じ事を想像し、1人は不安ともう2人は期待に胸を躍らせる。
大地の怒りは幽香の怒り。この振動は幽香の怒りであり、喧嘩をする2人に天罰が下る前触れだろうとミスチーは判断して、咄嗟にお盆を取って顔の前に差し出して防御姿勢を取る。
一般的な里の女性くらいの背丈のリグルと、一般的な女性より背の高い幽香よりも更に長身のエリーが幽香の後ろで互いの胸ぐらを掴んだまま停止し、何かをじっと待っている。
どのくらい時間がたったのだろうか。ほんの数十秒だが、待っていた者にとってはとてつもなく長く感じられた時間が過ぎると、幽香は何事も無かったかのように振動が続いてる店内を無視して妖怪女将にお酒のおかわりを要求する。そして、ずっこける2人。
「ちょっと幽香ちゃん!それはあんまりでしょう?」
「何が?」
「そこまで怒っているならここはガツーンっといくべきじゃない?」
「そうですよ!」
掴み合った手をお互いに離して今度は2人並んで息を合わせて不満を幽香にぶつけだす。
「別に怒ってなんかないわよ。」
「うそですよ!だってほらこんなに大地が揺れてる!」
「地震か何かでしょ?」
ただの地震ではないことは知っているがキョトンとしてとぼける幽香。
「大地が揺れるのは幽香さんが怒っているからですよ!そんなの幻想郷の常識ですよ!」
リグルの力説に頷くミスチーとエリー。幻想郷では妖怪の山の内部圧力で岩盤がずれる際に結構大きめの地震が起こる事があるが、幻想郷における地震は自然現象ではなく風見幽香が怒っているというのが定説となっている。
その言葉を聞いた幽香が無表情のままスクっと席から立つと同時にリグルがその場に腹を押さえてうずくまる。ミスティアには幽香がリグルに放った高速ボディブローが見えなかったが、リグルのうずくまった理由は十分理解出来た。
「ああ!虫けらばっかりずるー・・・げふっ!」
最後まで言う前に崩れ落ちるエリー。恐らく内蔵の一つや二つ完全に逝ってると思われるが、それでも嬉しそうな2人。ミスチーは自分には到底理解出来ない危険な世界が存在する事を知る。
「幽香さん?ほんとに怒ってないのですか?」
恐る恐る尋ねるミスティア。
「怒ってなんかないわよ。」
不機嫌そうに言う幽香の語気は怒りに満ちている。
「でも、だったらこの地震・・・や、やっぱり怒ってる!?」
「だから・・・って、ああ!もういいわ!そろそろ次のステージが始まるから、私は外に出てるわね。その2人は放っておいていいわ、いつものことだから。」
今更自分が地震を起こしているわけではないと言っても、すぐには信用してくれないだろうと諦める。
この振動の意味を知っている幽香は、『妹紅の異変』が次の段階に進んだ事を理解して、次の自分の役割の為に準備をする。
「あ、はい・・・。」
頭にかぶせていた三角巾と割烹着を取ると、倒れている2人をおいて幽香の後を追うミスチー女将。
「あ、貴女・・・なかなかやるわね・・・。」
「貴女こそ・・・。」
エリーは自分より先に『ご褒美』を頂いたリグルに同類としての親近感と同時に対抗心が芽生え、床に伏せたまま手を伸ばしリグルに拳を向ける。これはライバルとして相手を認める合図であり、リグルはその拳に自分の拳をコツンと軽く合わせてライバル宣言に受けて立った。
不死鳥の転生、つまり自爆の寸前で不意打ちを喰らった妹紅は、振動する要塞を尻目に、技の名前を劇的に叫びながら阿保みたいに火の玉を乱射する謎の妖怪に対して常に高位を維持して火の玉が地表に誤射されないように立ち回っていた。
要塞から発する振動は次第に大きくなり、地鳴りの様な振動音が鼓膜を叩いて周囲の音をかき消していき、『その時』が刻一刻と迫っている事を妹紅に報せている。
「(どうする?)」
妹紅はここに来て激しく動揺し戸惑っていた。これまで異変は自分の思惑通りに進んでいた。しかし、最終局面にきて全く予想していなかった伏兵が現れたのである。
「(まさか・・・な。)」
自分が支配していると思い込んでいた異変だが、実は別の誰かによって牛耳られており、それに気付かずただ踊らされていただけではないのか?そんな疑念が生じる。
「(一体誰がこいつを・・・。)」
妹紅はこの妖怪をここに遣った存在を想像し、その者こそが真の異変の支配者ではないかと勘ぐる。
八雲紫、永遠亭、守矢神社、紅魔館、人間の里の妖怪、上白沢慧音、風見幽香、魅魔、西行寺幽々子、四季映姫、或いは妖怪の山の大天狗、西洋墓地の吸血鬼の英霊達。それともまだ見たこともない強い妖達だろうか?
幾つかの強大な存在や勢力を挙げてみるが、この妖怪と結びつく接点が見いだせない妹紅は、人工的に作り出す熱の力を主体とするこの力が永遠亭の用いる力に近いと感じ、思考がそちら側に傾いてしまう。
この状況下における正しい判断は、この妖怪が誰に遣わされたかをあれこれ考える事ではなく、当初の予定通りかまわず自爆してしまえばいいのだ。しかし、妹紅はこのイレギュラーをそのままにして、強引に事を進める事が問題を解決する妖術使いとしての矜持に反するようで決心が付けずにいた。
「ここで、無駄に時間を潰すのは得策ではないが・・・ん?待てよ・・・。」
何が『得策ではない』のだろうかと、妹紅は自分で発した言葉の矛盾に気付いて自問自答した。
全く予想がつかなかった展開に面食らったが、元々時間を長引かせる為に様々な仕込みをしてきたのではなかったか?
この状況は下からも見えているはずで、恐らくアクシデントが発生してスケジュールに遅延が発生していると判断しているだろう。紅魔館側がその方向で動いてくれればなおさらである。
スキマ砲による迎撃と魔理沙突入による直接迎撃の二本立ての計画を立案した八雲紫は、計画が失敗し霧雨魔理沙を死に追いやった責任を取る事になるが、その魔理沙を突入させる原因が妹紅の自爆遅延となれば、その責任は2人に分散されてしまう。
このアクシデントが発生した状況は、計画立案者の予見能力や先見性の無さとして問題に出来るし、強いては責任問題にもすることが出来る。考えて見ればこの状況は渡りに舟ではないか。
「(これは、天の恵みか・・・。)」
妹紅はこの伏兵の登場をネガティブな要素として捉えてしまったが、ここで発想の転換をした。この妖怪はこの異変に関わった『誰か』とどこかで繋がっており、苛酷で無惨な運命を背負い、救われんがために自分の元に導かれた存在なのだ。幽香や妖夢の様に、これまで全く接点の無かった者が短期間で自分に近づいて来たのと同じ様に、この妖怪の接近にも何らかの意味があるのだ。
「やってやろうじゃないか!お前に与えられた死の運命は、この私が喰い破ってやる!」
妖術使いの目になった妹紅は、守勢から一転攻勢に移る。
風見幽香の説いた『破壊と再生の法則』に従えば妹紅はまずこの妖怪を破壊しなければならない。破壊という状態には様々な形があるだろうが、ここでは力で挑んできた相手を純粋に力でねじ伏せることだろう。
妹紅は逃げるのを止め反転すれ違い様に相手の衣服に小指を引っかけると、そのままたぐりよせて組み技に持ち込む。力任せで無秩序な弾幕一辺倒の妖怪は、反撃に転じた妹紅の老練な攻勢に為す術も無く、密着されたまま一方的に撃たれ始める。
「(何だこいつ・・・。)」
近くで見るとその妖怪の手足は不自然に後から部品を取って付けた様に見え、明らかに人の手によって改造された痕跡が見える。改造と聞いてまた永琳を思い出すが、永琳の造型センスとは明らかに違う事が伺える。これはやはり永琳とは無関係だと確信し、攻撃と観察、そして分析を同時に行いながら、近接格闘戦で相手の体力を削いでいく妹紅。
豊満な乳房の間にある不自然な赤い隆起物から自然の力とは思えない何か毒々しい気を感じると同時に、妖怪の瞳が何者かに操られている生気の無い独特な目をしている事に気付く。
「誰かに操られているのか!」
命令され自らの意志で了承してやっているのではなく、何者かに強制的に操られている。これは何か裏があると咄嗟に判断した妹紅は、妖術使いの血がざわざわと騒ぎ出し、誰がこれを操っているのか無性に知りたくなる。
妹紅に組み付かれてボコボコにされて息が上がり始めている妖怪。恐ろしい程に頑丈で普通の妖怪ならとっくに伸びていてもおかしくないが、戦意喪失の気配が全くしない。これは操られて肉体の限界まで戦わされるようになっているのか、或いは元々丈夫なのかどちらかだと思われるが、恐らくはその両方だろう。
「精神を乗っ取るには先ず気を失って貰わないとな・・・。」
隠された秘密を探るには、相手の精神を乗っ取るのが手っ取り早く確実な手段であり、老練な妖術使いの妹紅としては、その作業は至極簡単なものである。しかし、この妖怪は誰かに既に操られている状態で、事前に催眠術や暗示を掛けられている相手には同系統の技を掛けて上書きして打ち消す事は難しい。
何者かに操られている状態は一種の催眠状態にあるため、別の催眠系の技の上書きやすり替えが不可能で、更に精神的なゆさぶりもほとんど効果がない。こういった者を攻略するには、肉体的な損耗を強いて気力を削ぎ気を遠くさせる事である。
妹紅は丈夫な妖怪なら多少無茶をしても死なないだろうと判断し本気で殺しにいく。
遠隔攻撃一辺倒で組み合った戦いの経験が全くない様子の妖怪。近接戦闘の経験だけでなく、命を取り合うような本格的な戦闘経験そのものが異様に浅いか、全くない様にも思える。まるで練習用の人型でも相手にしているかのように、こちらの連続攻撃が恐ろしい程簡単に決まってなんだか申し訳ない思いになる。
妹紅は大筒が付いている腕とは逆の左手首を掴んだままがっちりと固定し、大砲の可動半径の内側で攻撃をする。掴まれ砲撃が出来ない事を異様に嫌うその妖怪は、妹紅の腕を振り払う事に注力して腕をばたつかせて必死に抵抗するが、妹紅の押せば引き、引けば押すを繰り返す巧みな動きに翻弄され妖怪の体力は無為に削られていく。
要塞は少しずつ下降しているので時間を掛け過ぎればいずれ結界を突き破ってしまう。スキマ砲を失敗させる為に意図的に時間を遅らせてはいるが、遅らせ過ぎても駄目である。八雲紫を精神的に追い込む事を考えた場合、スキマ砲の発射直前のタイミングでパージさせるのいいだろう。つまり1時45分から50分の間だ。
既に空の端まで結界が行き届いており、完全に天と地が隔てられている。妹紅の眼下には、最初の薄紅色の貧相な結界の膜ではなく、深紅の見るからに堅そうな結界が広がって僅かに地表が透けて見えるだけである。これも外から呼んだ神様の力のお陰だろう。これなら要塞のコアが結界近くで爆発しても簡単に破られる事はないだろう。
妹紅は全体の状況分析しながらタイムリミットを決め、残り時間から逆算してそろそろ頃合いと見る。
大砲から発射する火の玉以外に有効な攻撃手段を持っていない妖怪の射角の内側で行動していた妹紅は一転、掴んで離さなかった左手を離して相手を自由にする。腕を引いたタイミングで手を離したので、妖怪は勢いで一回転して止まり、ようやく攻撃出来ると歓喜して前方にいる筈の標的にすかさず照準を合わせる。しかし、その単純な動きを予め予想していた妹紅は渾身の踵の一撃を大筒の先端に蹴り下ろす。
八枚の長細い板を筒状に組み合わせた八角形の大筒の先端に強い圧力を受けた事によって、火の玉を撃ち出す筒の先端が破壊され、結合している各部品がストレスに耐えきれず砲身全体が一気にはじけ飛ぶ。この状態で火の玉を撃てば暴発してしまうので普通に考えればもう火の玉は撃てないだろう。
「くっ!」
破損して使い物にならなくなった大筒に驚愕した妖怪は、次にどうすればいいのか分からずパニックになる。想像した通り攻撃手段がこれしかなく、頼みの綱が壊された事で相手は精神的なダメージを受けているようだ。
妹紅は間髪入れず右腕の肘より下についている大筒を抱えると関節を逆に折ってまだ残っている筒の付け根を強引にもぎ取る。
「なっ!」
ここで妹紅は驚いてしまう。この妖怪は巨大なエネルギーを蓄えた大筒に右腕を突っ込んでいるだけと思ったいたが、肘から下の筒に隠れていた部分が太い管と不自然に接合されており、生身の体と機械仕掛けの大砲が内部的に繋がっていたのである。
大筒の外装は腕と接合している部分から割れて破片を飛ばしたが、内部機構は完全に破壊されずそれらを繋ぐ大小様々な部品と無数のコード類が絡み合って大筒は完全な破壊を免れていた。
妹紅は機械の事はさっぱりだったが、永遠亭との長い付き合いがあるおかげで高度な機械を結構な数見ている。その為、永琳の作る機械と比較してこの筒の中の構造が物凄く原始的で粗末な物に見えた。
大筒の中に人工的な力を精製する仕組みがあるのではないかという当初の見込みだったが、それらしい装置は見当たらない。肉体と機械が繋がっている事から、砲のエネルギーは体内で精製されているのだろう。胸のあの赤い隆起物が怪しい。
この妖怪は人工的に作り出された所謂ロボットなのだろうか?しかし、取って付けられた様な部品以外は明らかに普通の妖怪にしかみえない以上、生きている生身の妖怪に機械を取り付けて改造したとしか考えられない。
色々と調べたい妹紅だが、精神を乗っ取ってしまえば、この妖怪が何者でこの様な体になった経緯も全て分かると思い、先ずはこの妖怪の完全無力化を優先する。
背後に回った妹紅はバラバラになった腕とは逆の左腕側の脇の下から腕を回して妖怪の首を両腕で抱きかかえる様に締め上げ、外されないよう両足で胴体をがっちりと固定する。いくら頑丈でも首を締め上げて血流や妖気の流れを堰き止めればただでは済まない。
首を絞められ予想通り苦しむ妖怪は、身の危険を感じ絞め技から逃れる為に力を振り絞る。
相手が人間なら大抵無駄な抵抗で終わるが、妖怪の場合、生き残る為の生存本能が活性化され奥底に眠る潜在的な力が湧き上がって一時的に能力が数倍に膨れあがる。妖怪達のそうした生存戦略を熟知している妹紅は、生き残る為の必死の力が湧き出るタイミングを見計らって拘束を外し、手首の関節を爆発させ、そこで発生する膨大な瞬発力を利用した鉄杭の様な重い拳の一撃を無防備な妖怪の下腹部にお見舞いする。
「ぐえぇっ!」
妖怪の中で爆走する生存本能によって呼び出された妖気が内から外に飛び出す一瞬を狙い、出口を抑えて内側で爆散させる妹紅。体内で爆発した力は、自分自身に跳ね返って身体に痛烈なストレスを与え、どんな攻撃にも顔を歪めなかった妖怪の顔が初めて苦痛に歪む。
腹を打たれて身体をくの字に折った妖怪はそのまま体内で起こる妖気の逆流と誘爆に悶絶する。普通の妖怪なら耐えきれずにここで絶命するが、この妖怪はそれにすら耐えてしまう。もちろん妹紅はそれに耐えると予め予測して殺しにかかったのであるが、この凄まじい体力には驚くばかりでる。
「驚いたな・・・頑丈さだけなら幻想郷一だ・・・。」
妹紅は驚きを隠せず冷や汗が出てきたが、ここで妖怪の目に生気が蘇っている事に気付いた。
「気付いたか・・・。」
操られて闘争本能だけで戦っていた妖怪に理性が戻る。
「あ、あれ?ここは?」
夢から覚めた様に周囲を伺う妖怪。すぐに体中に激痛が走って呻く。戦闘中は恐らく無痛状態だったのだろう。その反動が激痛となって身体全体を無惨に襲う。
「さとり様!さとり様は?お燐、お燐どこ?痛い、身体が痛いよ・・・助けて・・・私死んじゃうよ!」
顔を覆う力もなくなった妖怪はその場で大粒の涙を流し、大声を出せる力もないので嗚咽だけを上げる。
妹紅はそんな名も知らぬ哀れな妖怪の声にいくつかの名前と思しきキーワードを聞きながら、鬼の形相で近づき怯えさせる。既に戦意は喪失しており、目の前の鬼を畏れて魂が萎縮する妖怪。理性が戻れば畏れで相手の自由を奪う事は容易いものだった。
妹紅は値踏みするように妖怪を見下ろし、おもむろに右手を上げる。拳が金色に輝く粒子の固まりになると、そのまま黄金の拳を妖怪の胸の赤い隆起物に突っ込む。
「許せ!」
声の出ない絶叫を上げた妖怪は、そのまま雷に打たれた様に背中を反らして、ここでようやく気を失う事が出来た。
妹紅は気を失い心と身体の痛みから開放された妖怪から抵抗を受けずに精神に侵入を始める。
謎の妖怪の精神に侵入した妹紅は、無重力の空間を慣性で上から下へゆっくりと流れる様に落ち、真っ白な精神世界を深層方向に向かって探索を始める。
人間の精神の中は複雑で、表に見せない暗い感情を内に抱えている者が多く、表面的な人柄とは打って変わって精神世界の景色はどす黒いものだったりする。本音と建て前が有るように人の精神世界は複雑怪奇で問題の解決は根気のいる難しい作業だが、妖怪は精神構造が単純な者が多くあまり複雑ではない。そしてこの妖怪は、シンプルな妖怪の中でも極めつけにシンプルで、ある一人の女性が精神世界の大半を占めていた。
通り過ぎる様々なビジョンからその女性が『さとり』と言う名前である事を知り、そしてこの妖怪が『おくう』と呼ばれている事も、飼い主とペットという2人の関係も理解した。
更に精神の深いところに落ちていくと、正確な本名も見つける事に成功した。
「霊烏路空・・・れいうじうつほで、お空か。」
ここで名前を奪って呪い殺す事も可能で、陰陽師なら式神とすることも可能だろう。
「誰かに名前を取られて操られていたのか・・・。それに、さとりってどっかで聞いた名前だな・・・でも、私が知るさとりの姿格好とは全然違う。」
妹紅は古明地さとりと面識があるわけではないが、妖怪さとりの手配書の人相書きは見た事があった。
精神世界の浅いところには桃色の髪の少女さとり以外に、お空の知り合いと思しき獣の形と人型の妖怪が何人か見える。その中に意外にも霊夢や魔理沙の姿もあり過去に戦った形跡がある。
妹紅はそこから深層に下るのを一旦止めて横に広がる霊夢らとの関わりを探ったが、どうやらこのお空は過去に地底で異変を起こし、その解決にやってきた霊夢達に討伐されたようである。
「こいつが自分から異変を起こすとも思えないが、あのさとりという女が黒幕か・・・。いや、そういう感じではないな・・・。もっと奥に下に降りて見るか・・・。」
妹紅は更に深層に落ちる。
ここは本人でも気付かない自分が存在している心の最深層部で、その人の本質が分かる場所だ。何かあるとすればここだろう。
「何もないな・・・さとり以外は・・・。まるで赤ん坊の精神構造だ。」
赤ん坊のように純粋なお空にとって最愛のご主人様がここにいることは何もおかしくはない。しかし、先程の温かい雰囲気とは打って変わって黒い闇に覆われている事に違和感がある。
一人だけ深層の闇にたたずむのは何かおかしい。純粋な心の持ち主ならここは光に包まれているはずだ。
妹紅は一人佇むさとりの前に歩み寄って問う。
「お前は誰だ?」
少女は何も言わず、妹紅を指さす。しかし、それは妹紅を指したのではなくその背後を示した動作だった。
「向こうに何かあるのか・・・。」
妹紅は言われた通り、何も見えない闇に向かって歩き出す。
「・・・誰か居る・・・あのシルエットには見覚えがある・・・。」
闇の中に浮かぶ黒い影。あぐらをかいて座り背中に大きなしめ縄の輪を背負っている。
「(八坂神奈子!お前だったのか!)」
妹紅は、静かに瞑想するように佇む八坂神奈子を見下ろしながらしばらく様子を見る。
精神世界の深層に入り込んでいるという事は神奈子がお空を支配していることに間違いないだろう。問題はどこまで支配されているかである。完全に支配されているなら、こちらが何かするとそれなりのリアクションが予想される。
しかし、妹紅はある理由で完全な支配はなされていないと確信出来た。それはここに至までほとんど抵抗や偽装などの妨害行為がなかったからである。
精神の完全な乗っ取りなどそう簡単にできるものではなく、そして乗っ取る様な高度な技を使う手練れなら、解除されないように侵入者を追い払うなり迷わせる防御策を予め講じているはずである。
或いは深層までおびき寄せる罠という可能性もあるが、異変に荷担する八坂神奈子が異変の重要な局面において自分を罠に嵌める理由も見当たらない。
お空の精神世界を見るに単純でお人好しな性格なのだろうという事が覗える。こういう性格の者はそれほど能力が高くない術者でも比較的簡単に言う事を聞かせる事が出来る。それなりに強い神様なら猿真似でも精神乗っ取りくらいはできるだろう。
神様は他の妖と違い、自分自身を分離して信仰の入り口を増やす分社を行う事が出来、似た様な仕組みでこのお空の身体に分身を住み着かせ、本体の八坂神奈子が間接的に操っているという可能性もある。
仕組みは単純で後遺症も無く、表面的に誰かに操られているという痕跡が発見しづらく、気付かなければ永遠に根を張り続ける事が出来るというわけである。
「(高度な術の痕跡はない。神様の力で妖怪を支配しただけだな・・・。)」
本来なら逆探知されないように防御策を講じるわけだが、八坂神奈子にはそうした術者としての能力は無く、セキュリティが全く施されていない。目の前の分離体を始末するなど赤子の手を捻るより簡単である。
「(ふふ、いいこと思いついた。)」
情報流出を防ぐ防壁がない以上、情報は全て垂れ流しである。本体から分離しているが情報を共有しているのは間違いないので、妹紅はこの場を利用して八坂神奈子の情報収集を思いつく。
「(素人がこんな事をすればどうなるか思い知らせてやる。)」
妹紅は洩矢諏訪子に対して神威を感じ畏怖の念を持って丁重に対応出来るが、八坂神奈子については一切の神威を感じず神様として見ていない。神様である事には代わりはないだろうが、永い間続く人間の信仰によって支えられている神ではなく、何らかの事情で発生した新しい神様なのだろう。例えば面白半分で祀った大木が中途半端な神様になってしまった・・・などである。
妹紅はその理由も含めて、お空をあそこによこした理由を探ろうと試みる。
「八坂神奈子。」
「なんだい?」
名前を呼ばれて目を開けて素直に返事をする神奈子。やはりセキュリティがかかっていない。
妹紅の中にいる八雲紫の妹藍の思念体は、情報のやりとりをするためにいくつかの面倒な手順を踏まなければならないが、ここにいる神奈子の分離体は、探られる事を全く考慮していなかったのか情報の流出を防ぐ為の手段を何も施していなかった。こちらの質問には全て包み隠さず答えてくれるというわけである。
「お前は何を企んでいる?」
「質問が抽象的だな。もっと具体的に。」
敢えて抽象的に尋ねて相手の出方を伺う妹紅は期待通りの答えを聞いて安心する。この神奈子には一切の情報流出を防ぐ鍵がかかっていない。
「お前は何故おくうと私を近づけた?」
「言う事を聞かない馬鹿な烏を焼却処分する為に焼却炉に放り込んだのさ。」
妹紅はそれを聞いて納得した。乗っ取ったはいいが扱いづらいこの馬鹿な妖怪に手を焼いて、今回の異変にかこつけて処分しようとしただけで、特段深い意味はなかったのだ。それを理解した上で次の質問をする妹紅。
「おくうに目を付けた理由は?」
「こいつの頑丈な肉体は放射線を完全に遮断出来る。この身体を利用すれば生きた核分裂反応炉を作り出す事が出来、そうなれば膨大なエネルギーを巨大な施設を作らずに獲得できる。」
「しかし、制御できず自分勝手に行動してしまうため、おくうをエネルギー発生の設置装置として運用できなかった。」
「その通り。」
妹紅は放射線などの専門用語は分からなかったが、そのエネルギーを兵器としてではなく別の何かに転用する腹づもりだったらしい事は理解出来た。
妹紅は守矢神社の事情は理解したが、おくうをこのまま道連れにする事を戸惑う。
「(もう少し時間はあるな・・・こいつの命をどうするかは、もう少し話しを聞いてから決めるか・・・。)」
体内に核分裂炉を持つおくうの存在が危険な事にかわりはなく、殺しても致し方なしと判断できればそうするしかない。しかし、妖怪を改造する動機に邪悪な何かがあるなら許す事は出来ない。
「守矢神社は何をするために幻想郷に来たんだ?」
妹紅は一旦おくうから離れる。
「向こうに居場所を無くした東風谷早苗の安寧の為にここに来た。」
「こちやさなえ?」
妹紅にとってこの名前は初耳である。
「洩矢諏訪子の孫にして原人神、ミシャクジ様の血を引く奇跡の力を持つ少女さ。」
「守矢神社の巫女か?」
「巫女ではない。」
守矢神社の巫女として周知されていた東風谷早苗が巫女ではないという発言はかなり重大な意味を持っていたが、事前に巫女という情報を得ていなかったので、この発言の意味の重要さに気付いていない妹紅。単純に神社だから巫女と連想して尋ね、違うと指摘されただけの事と軽く受け止めていた。
話しを聞くとこの少女は、恐らく何らかの強い能力を持ち、所謂「鬼子」として向こうの世界で忌み嫌われる存在となり、そんな哀れな少女を守る為に、血縁のある諏訪子などが幻想郷に連れてきたと捉える事が出来る。
そして、この事とおくうに何か関係があるのか聞いてみる。
「おくうと早苗には何か関係があるのか?」
「早苗は現代の人の子。幻想郷の様な田舎者ではない。原始的な暮らしに適応するのは難しいのでなるべく向こうの世界と同じ生活水準にしようと、おくうと言う発電機を作ったというわけさ。」
妹紅はおくうの改造に不順な動機を感じ眉間に皺を寄せる。
「そんな事の為におくうを改造したのか?」
「おくうの体を使えば猛毒のエネルギーをクリーンなエネルギーに替えられる。これは人類にとって大きな進歩に繋がる重要な実験でもある。大義の前には犠牲は付き物だろう?」
妹紅は腹の中が煮えくりかえる。身勝手で理不尽な悪党の理論だ。しかし、ここで反論しても分離体であるこの神奈子を説得する事は無理であり、時間の無駄でもあるので怒りを無理矢理抑える妹紅。
「お前らは幻想郷をどうしたい?」
「お前ら?私はひとつだ。」
「洩矢諏訪子はお前と企みを共有していないのか?」
「東風谷早苗を幸福にするという点で諏訪子とは企みを共有しているが、幸福の形はそれぞれさ。」
「なるほど。お前にとって東風谷早苗の幸福とは何か?」
「少なくとも今は電気のある向こうと同じ生活さ。」
「今は・・・か。わかった。もういい。」
妹紅の質問が終わったという合図を受けて目を閉じる神奈子。
「(・・・とんでもない悪神を幻想郷に入れてしまったというわけか・・・。)」
電気のある生活という事は向こうの生活水準と同じ生活を望んでいるという事だろう。そして、その欲求は現時点の事であり、その欲求が満たされたらそこで終わりというわけでもなさそうである。
これ以上の質問をしている時間的な余裕はもう無く、そして八坂神奈子が悪神である事を理解した妹紅は、その悪意の犠牲となったこの哀れな妖怪を何としても救わなければならないと心に決める。
「死ね!」
妹紅は手刀を神奈子の顔面に突き刺す。その攻撃を受けたまま微動だにせず目を瞑ったままの神奈子は次第に色が褪せていき濁った白色の人形の様な姿に変わっていく。
神様は死ぬと塩の塊となる。妹紅は手刀を抜いて元神奈子だった塩塊を前蹴りで砕き崩す。
一瞬間が空いて、散らばった塩の塊は闇に溶ける様に消えていく。これで分離体の排除は終わった。もうこの妖怪は操られる事はなくなるだろう。
そして神奈子の分離体の消滅と同時に、暗闇から真っ白な優しい輝きに満ちた世界に変わる。
「ふふ、良かったな。」
桃色の髪の少女の膝を枕にして幸せそうに寝ているおくうの姿が見える。
妹紅は問題を一つ解決し、妖術使いとしての矜持が満たされ満足するが、その時、おくうの頭を優しく撫でているさとりと目が合い、何かを訴えるように口を動かしている事に気付く。
「・・・に、げ・・・て?逃げて?どういう事だ!?」
口の形から言葉を読み取った妹紅は、その意味が分からず答える筈もないさとりに質問を投げかけたその時、地震の様な振動が発生し周囲の景色が音を立ててガラガラと崩れ始める。妹紅は慌てておくうの精神の深層部から離脱する。
おくうの精神世界から現実世界に一気に戻った妹紅は、自分の腕の中でぐったりしているおくうの身体が強烈な光を放っている事に気付いてギョッとする。
「しまった!あの分離体はおくうの臨界を防ぐ安全装置でもあったんだ!」
妹紅は永琳の計算し尽くされた正確な演算技術とそれを用いて行われる科学的な攻撃をその身を持って体験してきた。神奈子の言う核分裂反応とやらも、永琳の使う科学という分野に含まれていると判断して、計算された上でしっかりとおくうの管理が行われていると思い込んでしまっていたのだ。
しかし、実際は神様の力で妖怪と科学を無理矢理繋げて安定させていただけなのだ。
安全装置を壊せば力のバランスを失い暴走し暴発するのは当然の事。そして今正におくうは臨界点に達しようとしていた。
「くそっ!」
妹紅は自身の失態を悔やむ愚を犯さず、今どうすればいいかだけを考える。
このおくうの爆発は八坂神奈子の企みが一つ成就するというだけで異変そのものには影響しない。しかし、この哀れな妖怪を救うと決めた。
幻想郷の未来を考えた時、悪神八坂神奈子は絶対に討ち倒さなければならない存在だ。そして、彼女の思惑を阻止する事が彼女に対する痛烈な一手となるはずである。
「絶対に助けてやる!」
妹紅は自分の腕の中で今まさに爆発しようとするおくうをぎゅっと抱きしめ心を決める。
おくうの内部で暴発するエネルギーの濁流は、目や口、鼻や耳の穴から閃光となって漏れだしている。妹紅は光に溶け始めて姿が見えずらいおくうの口に自分の口を近づけ、唇と唇が合わさるや強引におくうの内部のエネルギーを呑み込み始める。
ゴクリゴクリという音と共に妹紅の喉が何度も何度も脈打ち、流れ込んだエネルギーで食道や胃を融解させては元に戻すを繰り返す。一歩間違えばその場で内蔵が溶けてリザレクションを起こしてしまうが、永琳から致死性の攻撃を何度も受けているお陰で、死の一歩手前で何とか自分の身体を維持させる事が出来た。
大量の放射線を体内に吸収して外部からも内部からも被爆し、人の形を維持する為の遺伝子情報が崩壊していき、妹紅の身体はグズグズに崩れ得体の知れない姿に変わっていく。
妹紅は遺伝子についてよく分かっていないが、自分の身体が元通りになるのは、元の形状を記憶するなんらかの仕組みが生き物には備わっている事を経験で知っていた。しかし、今その情報が無惨に崩壊して、肉体が思った通りの形に戻らない事を知り、おくうの中に存在する核分裂反応によって生じる有害な何かが生き物にとって最悪の害悪である事を認識する。それと同時に先程聞いたおくうを介すクリーンなエネルギーという意味を理解した。
妹紅はリザレクションすれば完全に元通りになることを知っていたので、ほとんど液状化してしまった自分の身体にも慌てず、むしろこれを利用しておくうを包み込み、臨界エネルギーを効率よく取り込んでいく。
間もなくエネルギーの濁流は止まりおくうの身体は安定する。妹紅は崩壊する身体の修復作業を止めて、そのまま死亡判定を出して、リザレクションをして完全に元の姿に戻る。
「ふぅー。久々のリザレクションだな・・・。」
妹紅は新しい再生維持の力を身につけてからは無駄に命を散らさない様に努めてきたが、今回はしようがないだろうと自分に言い訳をし、腕の中で気を失っているおくうを優しく見下ろす。
「予備を作っておいてよかった。」
魔理沙を脱出させる為に仕込んだスキマの巻物以外に、余った紫の髪の毛を使って自宅直通の巻物を用意していた妹紅。
「もう、タイムアップだな。この特別な死を噛み締める為にもう少し時間が欲しかったけど・・・。」
妹紅はパージ寸前の要塞、そして眼下の幻想郷を交互に見て、大きく深呼吸をする。
不死鳥の転生の後は、幻想郷がどのように治まって、自分がどこで再生されるのか全く見当がつかない。恐らくしばらくの間幻想郷とはお別れだろう。そして復帰までの間に上白沢慧音の罪が問われて刑罰を受けないよう、八雲紫も同時に長期休暇をとってもらうことになる。その為に色々と仕込んできたのだ。
1年、2年、あるいは10年、100年単位になるかもしれない、特別な死別を前に妹紅としても流石に感慨深いものがあるわけで、自爆前は色々と考え事をしたいとも思っていた。
しかし、そんな時間はもう無く、腕の中のボロボロの妖怪に全てを台無しにされた形となった。
「こいつめ!」
妹紅はどこか憎めない眠っているおくうの鼻先を指で弾いて、スキマを開いて乱暴に放り投げる。
「さて、逝くか!」
妹紅は両手をパンと音を立てて合わせると、瞬時に羅刹モードになる。
八雲紫の妹藍との死別後、廃人同然となった抜け殻の妹紅に目をつけた不死鳥がその身体を乗っ取ったのが全ての始まりである。
不死鳥は本来その様な事をするはずはないのだが、この時、霊獣である火の鳥と融合してキメラ化していた不死鳥は、無差別に世界を浄化するのではなく、不要な存在を排除するという本来の役割から大きく外れた誤った方法で世界をリセットさせようとしたのである。
信仰に頼って自らの力で生きようとしない人間を不要なものとして、戦国時代初期に一向宗の無差別殺人を妹紅の身体を使って行った事で、妹紅は殺戮者として大量の穢れをその身に溜め込み羅刹化してしまう。
しかし、羅刹となっても藍から貰ったリボンのおかげで人型が維持され、その後も殺戮の限りを尽くした。
ある時、一向宗の要人暗殺中のもみ合いでリボンが外れてしまい、妹紅はここで初めて鬼の姿になってしまう。不死鳥に操られていた妹紅は、穢れの力で強くなり過ぎた羅刹となった事で、不死鳥との主従関係が逆転してしまい、羅刹が不死鳥を従える今の姿になってしまったのである。
辺り一帯夥しい骸の山を無意識に築き上げてしまった羅刹妹紅は、偶然取れたリボンを踏んで再び人間の姿に戻り、数十年ぶりに藤原妹紅本人が主体となったが時既に遅く、妹紅は身に覚えのない大量殺戮者としての罪と穢れを一身に背負う事になった。
今は、妹紅本人が強くなりすぎて身の内の羅刹を制御出来ているのでリボンは不要となったが、つい先日まではリボンをとれば瞬時に悪鬼になり果てるという危険な状態だったのである。
不死鳥を制御しているのは、正確には人間としての妹紅ではなく羅刹としての妹紅である。その為、不死鳥の力を直接制御するには一度羅刹にならなければならなかった。
妹紅は目を瞑り、瞼の裏側に広がる闇に映る炎を纏った神獣と対面する。
「久しぶりだな、無様な焼き鳥め!」
羅刹の妹紅は内に潜む不死鳥に恨みの罵声を浴びせる。
神獣である不死鳥と霊獣である火の鳥。似て非なる2つの存在は、太古の昔ではそれぞれ別の存在と認識されていた。しかし、大陸を経由して様々な信仰の素材が大量に輸入されていくなかで、世界各地の同系統の神様が混同されて行き、特にモチーフとして多い鳥の姿をしたものは、時代を経る事に一つに集約されていく。
不死鳥は世界の運行を司る四方守護神の一つで、世界を長期に維持させる上で必要な変化を担当してきた。その世界に住まう生き物にとっては、その変化は滅びに近い大いなる災いとなるが、次代への進化の起点を常に作ってきた。
一方火の鳥は、人間やその他の動物などが環境の変化に順応する為の優れた個体の保存と循環を司り、全てを破壊する不死鳥を火と例えるなら火の鳥はその延焼を防ぐ水という関係なのである。
神獣である不死鳥は人間の味方ではない。世界が人間を邪魔だと判断したなら、不死鳥は容赦なく人間を滅ぼすだろう。しかし、火の鳥はその不死鳥の破壊から常に人間を守ってきたのである。
この相反する性質を持つ二つが混同されるということは、それぞれの本質を完全に破壊する事を意味し、実際不死身の妹紅の肉体を依代として、人間の世界を維持する為に不要な人間を処分するというおかしな行動を取ったのである。
鬼妹紅は閉じた瞼の中にいる、様々な鳥のモチーフが合わさってキメラ化した不死鳥の首根っこを掴んで締め上げ、ラストワードを無理矢理吐かせる。
「さぁ、言え!世界を滅ぼすラストワード、ホワイトエンド(漂白の終焉)を!」
苦しそうに悶える不死鳥を見て絞めた腕を緩める羅刹妹紅。すると、堰を切った様に劈く悲鳴の様な鳴き声が耳に木霊する。
それは、人間の話す言葉ではなく、天高く響きわたる大鳥の断末魔、ラストワードだった。
閉じた瞼の裏の闇が一瞬で真っ白に輝くと、妹紅は羅刹から人に戻って目を開く。
「これが・・・世界の浄化・・・か!?」
自分を中心に色のある世界が無色に漂白されていくのが分かる。
幻想郷で千年ぶりの不死鳥転生が今始まる。