東方不死死 第65章 「善無き世界の悪」


 西暦1436年に起こった幻想郷最大にして最悪の戦争、吸血鬼戦争の戦後処理を巡る問題で、吸血鬼王アルカードの嘆願によって戦中に生まれた2人の乳児が助命された。
 残された2人の乳児には罪は無かったが一族の犯した罪は重く、例え乳児と言えども戦争責任から逃れる事は出来ず、成人することが許されない『永遠の子供』という呪いと『500年の冬眠』、更に『幻想郷追放』という重い罪が科せられた。
 そして、この2人の女児こそが、吸血鬼王アルカード・ブルブラドと絶世の美女セレーネ・スカーレットとの間に生まれ出生を秘密にされた王の隠し子で、現在紅魔館に住むレミリア、フランドールのスカーレット姉妹こそが王の娘、真の吸血鬼王なのである。


「ごめんなさい・・・。」
 紅魔館の会議室にあてられた小さなバルコニーのある一室に一人の少女の謝罪の言葉が木霊する。
 非を詫びる事は人ととして大人として、上に立つ者として当然しなければならない。そうやって様々な失敗を乗り越え自分を磨き成長していくのだ。
 しかし、永遠の子供という呪いを科せられたレミリアは、大人へと踏み出す様々な感情の変化や態度までもが呪いの力によって封じられおり、心を成長させる場面に於いて尽くその呪いの効果が発揮され、本意ではない幼稚な振る舞いをさせられてしまうのだ。
 レミリアはこれまでも自分に非があることは頭のどこかで理解しており、その非を認め問題を良い方向へ向かわせようと試みたが、そんな時は決まって自分の意志とは違う心にもない台詞が口から滑り出てしまい、その言葉を取り繕うために相手に非を転嫁させてきた。その心にもない言葉がつい口に出てしまう問題について悩むと、脳が糖分を欲するのか急に甘い物が食べたくなって我慢出来ず周囲にそれを要求し、満たされると先程の悩みを完全に忘れ、そうやって同じ子供の日々を繰り返すのだ。これがレミリアに科せられた子供のままに有り続ける事を強制する呪いの力である。

 しかしレミリアは、フランドールの全てを破壊する力によって、目に見えない心を縛る永遠の呪いから解き放たれていた。

 レミリアの口からこぼれ落ちた一言は、とても小さくそして簡単なものだったが、それが意味する問題の大きさは会議の参加者は十分理解していた。それは、これまでしてきたことが全て誤りであったことを認めた事であり、謝罪によって彼女個人の評価は上がるものの、紅魔館という一つの組織が全面敗北した事を意味していた。
 組織を背負う者の謝罪は、個人間で行われる謝罪の比ではない。この勝ち負けに物質的な損得は発生しないものの、紅魔館の発言力や影響力は今後著しく低下するのは間違いなかった。

 呪いの力で成長を止められていたレミリアは、その呪縛から解放された事でそれまで押さえ込まれていた様々な感情が心の中に溢れており、胸が一杯でどう自分を扱ってよいのか自分の物であるはずの心の置き所が分からなくなっていた。
 紅魔館という一つの自治組織の長としての自分。フランドールの姉としての自分。忠実な配下を従えた主としての自分。幼馴染みとしての自分。吸血鬼の高貴な一族としての自分。幻想郷全体に影響を及ぼす強妖怪としての自分。神社の巫女と親しくなりたい自分。それらの立場を全て取り去ったレミリア・スカーレットという少女としての何も飾らない自分。様々な自分が存在している。
 本当の自分はどれなのか、全て本当の自分だろうが、今どの自分で振る舞えばいいのか分からない。
 溢れる感情が涙腺を刺激して、何かが溢れ出してくる衝動に駆られ、抑えようとしても止められない。
 こちらを見下ろす恐ろしい顔から目を背けて下を向きたいが、今下を向いたら我慢しているあらゆる感情が涙となって流れ落ち、その場で人目をはばからず泣き叫んでしまいそうだった。

 感情のままに流される事は、少女レミリア・スカーレットという個人の魅力を高める事に繋がるかもしれないが、それをこの場でやれば組織の長としての立場を失い、その下にいる者達に肩身の狭い思いをさせてしまう。
 レミリアは必死に涙を堪え、見下ろす藤原妹紅を凝視した。
「(レミリア・スカーレット。がんばったご褒美だ。お前の犯した罪、受ける罰は全て私が背負ってやろう。フランに感謝しろよ。)」
 妹紅はレミリアがアルカードの子で吸血鬼王の本当の娘である事は知っている。偉大な王に恥をかかせる事は例え敵であっても妹紅には許されなかった。それは天皇という日出国の王に長年仕えてきた立場と、その国を支える古き良き仕来りを重んじて、それを行動原理としていた自分自身の正義を貫く為だからである。

 テーブルについた両手で身体を支えるようにして、下げた後にどうなるかわからなくなる頭を必死に上げているレミリア。そのレミリアの内面は外からでも感じ取る事が出来、会議の参加者達はこの必死な吸血鬼の少女に年相応の可愛らしさを感じ、皆好感を持ってその光景を眺めていた。
 こうした周囲の感情の変化は、レミリアに恐怖や畏怖の念を感じなくなったという事の裏返しでもあり、小生意気だが、侮りがたい吸血鬼の小娘ではなく、紅魔館の可愛らしいお人形さんという印象に取って代わるものであった。
 他者を畏れさせる力で以て格付けが決まる妖者にとって『銘』は重要で、一旦地に堕ちると回復は難しく、汚名返上の為に力を誇示すればする程品位が下がり『銘』の持つ畏れの力が落ちるのだ。『銘』は武名とは違い、勝つ事で上がるわけではなく、例え負け戦でも風見幽香の様にその行動がどれだけ大勢に感銘を与えたかで決まるのだ。
 レミリアがここで感情を抑えられず支配者としての面目を保てなければ、可愛らしい泣き虫少女という新しい評価を得ても畏れおおき吸血鬼という評価は失われる事になる。
 ある意味、吸血鬼レミリア・スカーレットが別の存在に成り下がってしまう決定的な瞬間でもあり、八雲紫などはそれを歓迎していた。

「おい、レミリア・スカーレット。謝罪するのか喧嘩うるのかどっちかにしたらどうだ?」
 謝罪後ずっと妹紅を見たまま瞬き一つしないレミリア。見方によっては睨み付けている様にもみえなくもない。
 レミリアの心情をしっかりと捉えている妹紅だったが、敢えて敵対している事を前面に押し出し、相手に頭を下げさせようとする。
「(さぁ、頭を下げろ!直ぐに楽にしてやる!)」
 瞳孔が縦に裂けた金色の羅刹の眼となって圧倒的な威圧感でレミリアをねじ伏せようとする妹紅。正面から鬼の顔を見れるのはレミリアとメイド長しかいないので周囲にはこの顔を見られていない。
 呪いの一部が解かれ、心の成長の足かせが外れたレミリアだが、紅魔館の主、高貴な吸血鬼としての心が折れたわけではないので頭を下げる事にやはり抵抗はある。しかしこの場合、下げたくない理由は謝りたくないからではなく、涙を落とし人前で泣きたくないからである。
 やがて堪えきれなくなり目をぎゅっと瞑る。すると溜まった涙の雫が一粒こぼれ落ち頬を伝う。その時、涙を見られないようにと上げていた顔を反射的に下げてしまうレミリア。
 我慢していた感情が堰を切った様に涙と一緒に溢れてしまう。レミリアは我慢出来ず大声を上げて泣き出した。

 しかし、ここで信じられない事が起こり、和やかな会議の雰囲気が一瞬で凍り付いた。

「謝ったくらいで許されるなら、閻魔なんて必要ないんだよ!」
 頭を下げて今正に大声で泣き出そうとするレミリアの後頭部に館中に響くような罵声を浴びせた妹紅は、なんと罵声だけではなく右足を大きく振りかぶって小さな少女の頭に踏み下ろしたのである。
 木製の丈夫なテーブルに何か硬い物がぶつかるガツンという大きな音が室内に鳴り響く。
 その光景を見ていた参加者は一瞬何が起こっているのか分からず呆気に取られて口をぽっかりと開ける。
 そんな参加者を尻目に一度だけではなく、二度三度と渾身の力を込めてレミリアの後頭部をスタンプする鬼妹紅。ガンガンという打撃音だけが部屋に鳴り響く。
 レミリアは硬いテーブルと妹紅の渾身の重い一撃に挟まれ、目から火花が散って最初は何をされたのか一瞬理解出来ずにいた。
「お前の所為でどれだけの人妖が迷惑を被ったと思っているんだ!」
 祭り上げられただけのレミリアがこの理由で責められるのは本来筋違いだが、リーダーとして立った以上はその責任を負う義務が生じる事を教える妹紅。これは、吸血鬼廃絶の一貫としてレミリアを祭り上げた八雲紫の策を下策と評価する意味も含まれていた。
「ごめんなさい、だと?ふざけるな!死ね!死んで詫びろ!」
 ガンガンと何度も頭に叩きつける妹紅の足。背中から浴びせかけられる罵声。女々しく泣き出しそうだったレミリアはテーブルにキスを強制された立ち土下座の様な格好のまましばらく頭が真っ白のままだったが、気付いた時は声にならない大声を上げて泣き叫んでいた。
 紅魔館の主としてこの場所を自由にしていい立場であっても感情の赴くまま身勝手な振る舞いは出来ない。そもそも自分自身にそうした甲斐性はなく、常に立派な存在であり続ける事が喜びであった。その感情そのものが呪いによってそうし向けられていたかは分からないが、人前で女々しく泣くなどはレミリアにとって絶対にあってはならない事だった。
 自分の居場所である紅魔館のどこにも本当の意味でのプライベートな空間はなく、そしてこれまでそれは必要なかった。しかし、今は自分だけの自分だけしか存在しない、感情をはき出せる誰にも見せられない自分を出せる空間が欲しかった。
 その空間は今正にここにあった。罵声と暴力と屈辱の檻の中こそが、自分を吐き出せる唯一の場所だった。
 ただひたすら泣いた。これまで鬱積した全ての感情を吐き出し、浴びせられる罵声と、蹴り続けられる音の中で、レミリアはひたすら泣き続けた。

 十六夜咲夜も他の参加者達と同じくこの妹紅の行動は予測出来ず、最初は呆然と立ち尽くしてしまう。しかし、直ぐに従者としての本能が目覚め主を守る行動を取ろうと身構え妹紅に攻撃しようとする。そして主から視線を妹紅に移した時、そこである事に気付いた。
「は!」
 妹紅はレミリアに罵声を浴びせながら、視線が何かを訴える様にこちらに向いている事に気付いたのだ。
「(これは・・・まさか、擬態?)」
 十六夜咲夜は一瞬で悟った。事前に同盟関係を結んでいるので、まさかこの様な敵対的行動に出るとは予想していなかったが、何らかの意図があり、そしてそれを密かに伝えようとしての視線というのであれば合点もいく。
 恐らくこの行動はレミリアを糾弾しているのではなく、人前で一番見せたくない姿を隠す為に、二番目に見せたくない醜態を晒させているのだ。そして、レミリアの醜態も自らがその上を行く悪行を晒して参加者の関心を妹紅一人に集中させようとしているのだと咲夜は受け取った。
 咲夜はすぐに自分のやるべきことを考え、間髪入れず実行に移す。
 世界を裏返して妹紅に急接近する。ここで殺意を抱けば妹紅に内包する八雲紫の妹藍の思念体に凝結攻撃される。しかし、咲夜は妹紅に一切の殺意を抱かず、無心で妹紅に接近し攻撃ポーズだけをとって物理世界に戻る。

 会議室に何か大きな物がぶつかって壊れる凄まじい衝撃音が、何の前触れも無く突然起こる。
 妹紅の悪行に、呆気にとられていた会議の参加者達は、その音を合図に正気に戻りその音の方に意識を向ける。
 大きな音の発生源を見ると、十六夜咲夜がレミリアの背後の壁にめり込み、重力に逆らえず床にずり落ちるところだった。
「カスが!この私に勝てると思っているのか!(良くやった咲夜!)」
 妹紅が右の拳を前に差し出しながら声に出して咲夜をなじり、心の中で彼女の行動を賞賛する。
 この光景をありのままの結果として見る事しか出来ない参加者達は、主を守ろうとして咄嗟に時間を止めて攻撃した十六夜咲夜を妹紅が難なく撃退したとしか見る事が出来ない。
 藤原妹紅と十六夜咲夜が裏で繋がっている事など知らない、予想もしていない参加者達は、この咲夜の行動を従者として当然と受け取る。仮にここで咲夜が何もしなければ妹紅と咲夜の間に何らかの密約があるのではないかという余計な想像力を働かせてしまいかねない。
 従者としての当然の行動と無惨に撃退されるという2つの嘘を、妹紅の視線から咄嗟に感じ取って行動に移し、2人の内通を隠蔽した咲夜の行動を妹紅は賞賛した。

 咲夜が壁に叩きつけられ、壁に掛けてあった絵画の額縁が砕け、中身と一緒に床に散乱している。この派手に壊れた大きな音で我に返った参加者は、ここに来てようやく状況を知り腰を跳ね上げ何か行動しようとする。しかし、ここでどう動けばいいのか咄嗟に思いつかないので、皆一様に同じ姿勢のまま立ちつくす。
 レミリアと親しい友人ならここで妹紅を止めようとするだろう。実際僕である十六夜咲夜はそうやって撃退された。もう一人の側近の魔法使いは呆然とその光景を見たまま思考停止しているようで、周囲からは愚鈍な魔法使いという印象を与えていた。
 ここにいる参加者で真っ先に動き出すような紅魔館と親しいと思われる者はいないようで、誰かが止めるだろうという判断が各自の脳裏に働き、更に実際に行動に移した咲夜が撃退されたという事実も手伝い互いに様子見をしてしまう。
 この中で一番レミリアと親しいはずの博麗霊夢は、皆が腰を浮かせているにもかかわらず、パチュリー同様椅子に腰を落としたままで、ぼーっとその光景を眺めているだけである。これは無関心からの行動ではなく未だこの状況を受け入れる事が出来ず思考停止している為である。

「見ろ!誰も私を止めようとしない!皆お前を恨んでいるのさ!皆私を心から応援しているのさ!」
 妹紅のこの台詞に皆心の中で違うと否定する。しかし、その思いと行動が全く一致しない。
 妹紅は絶対に起こらないと思っていた事が起こる時、頭がいい者程考え過ぎて行動が遅れる事を充分に理解していた。
 皆、あの謝罪の後、妹紅がレミリアに手を差し延べて許し、大団円でこの茶番が終幕すると思い込んでいたのだ。謝罪する少女を足蹴にするなど、妹紅への評価を高め印象を変えた参加者であれば尚更この行動が理解出来ず、まるで悪い夢でも見ているかのようである。特に霊夢は妹紅と異変について直接話しているし妹紅と紫にまつわる因縁もその場で体験し、話しも詳しく聞かされている同士としての立場にいると思いこんでいる。呪符を使う妖術師として自分より遙かに熟達した猛者だということも理解しており、戦いを生業とする者として尊敬すらしていた。
 霊夢の中の尊敬に値する『妹紅像』は、ガラガラと音を立てて崩れ落ち、頭の中が真っ白になって何も考えられなくなっていた。

 妹紅は参加者達が手をこまねいている間にも少女の後頭部に容赦なく攻撃を続けている。レミリアの顔の下にある真っ白なテーブルクロスは最初は透明の液体で濡れていたが、やがて紅く染まり始める。丈夫な吸血鬼といえどもこの様な攻撃を続けられれば鼻が折れ出血もするだろう。
 人間なら最初の一撃だけで頭蓋が爆散していたかもしれない。しかし妹紅は、吸血鬼が多少の事では死なないと知っていたので一切の手加減はしておらず、本当に殺すつもりで蹴りを下ろし続けている。

 レミリア・スカーレットは、後頭部を蹴られ顔面をテーブルに押しつけられている屈辱的な状況の中にいながら、心の中でこの状況を歓迎していた。
 妹紅の攻撃は自分の犯した罪に対する正当な罰であり、それは屈辱とは感じていなかった。自分の未熟さを省みて今はボロボロに打ちのめされたい、そんなさばさばとした気持ちだったのである。
 レミリアは妹紅が自分の立場を守ろうとしてこのような演技をしているとは気づいておらず、道理を通そうとしているだけだと思い、今の内に感情を全部吐き出してしまおうと考えていた。

 なおも執拗に攻撃する妹紅。衝撃がレミリアの頭を貫通してテーブルに力が伝わり大きくを音を鳴らす。その音は、最初は堅い物を叩く乾いたような音であったが、次第に水分を含んだような鈍い音に変わっていく。気づけばレミリアが伏せているテーブルクロスは真っ赤に染まり、その領域が霊夢の前を通り越し八雲紫の席近くまで到達している。妹紅の攻撃は収まるどころか激しさを増し、血しぶきが周囲にまで跳び散り始める。
「死ね!死ね!死ね!死ね!人妖の恨み思い知れ!」
 妹紅は笑うように死ねと連呼し攻撃の手を強める。それはもはや人の為せる所業ではなかった。
 口ではレミリアの罪を断ずるような台詞を語るが、それは殺戮を楽しむ口実で、これまでレミリアを諭す様に見えた行為はこの殺戮という名の快楽を増幅させる為の余興でしかなかったのだ。
 会議の参加者は妹紅に対する評価を巻き戻し、更にどん底まで下げていた。

 妹紅は自分の評価の下げ止まり感を背中でひしひしと感じながら思い通りに展開する企みに満足していた。
 そろそろ誰か動くだろうと思っていた瞬間、見るに見かねた四季映姫の動く気配を感じた妹紅は、仕上げとばかりに叩き下ろしていた足を横に払って、レミリアの左の頬につま先をねじ込み顎を砕く。
 バキっという何かが砕ける音がして、レミリアの首が90度曲がって真横にいる霊夢を向く。一瞬で回った首の遠心力によって顔面を血まみれにしている大量の血液の一部が霊夢に向かって飛び散り顔と服を汚す。

 妹紅は四季映姫が一番最初にしゃしゃり出ると予測しており、彼女が出る前に霊夢を利用しようと最初から考えていた。
 これで惚けていた霊夢も我に返りブチ切れるだろう。そして妹紅の予想通りの展開となった。

「何してるのよ!」
 爆発的な怒気が霊夢から溢れ出し、席を立った瞬間怒気が弾丸となって妹紅に撃ち出された。
 霊夢のやや右手前に立ってレミリアを蹴りまくっていた妹紅は、霊夢の気弾で吹き飛ばされ壁にぶち当たって身体を半分以上めり込ませる。もし、これを普通の人間や妖怪にやっていたら、ただの肉片と血だまりが形成されていたことだろう。怒りで力の制御が出来なくなった霊夢だが、これは周囲の予測を遙かに超えた力で、参加者は思わずぎギョっとして博麗の巫女と壁にめりこんだ妹紅を交互に二度見していた。
 冷静さを失った霊夢の怒り一撃の威力は凄まじく、危うく館の端にある部屋の壁に外と繋がる大穴が空くところだった。
 この霊夢の力は周囲を驚かせた。何かの術を発動させた様子も無く、気合いだけで相手を吹き飛ばし丈夫な建物を破壊しかけたのである。博麗の巫女とはいえ人間とは思えない力である。
 壁に叩きつけられた妹紅は辛うじて死を免れ、内心驚いたが何事も無かったかのように壁から這いだして床に飛び降りる。その間に十六夜咲夜がレミリアを部屋の隅に運び手当をするが、妹紅はそれを視界の端に入れながら無視して主不在の席を挟んで霊夢と対峙する。
「てめぇ何しやがる!」
「あんたこそ何やってるのよ!レミリアは謝ってたでしょ!」
 霊夢が薄い気の幕に覆われている事に気付き、その潜在的力を計りつつ応対する妹紅。
「許すかどうかは私次第だ。」
「限度ってもんがあるでしょーが!」
 肩を怒らせ全身で怒気を纏いながら妹紅に喰ってかかる霊夢。妹紅はポケットに手を突っ込んで斜に構えて霊夢を見下すように対峙する。妹紅は妖怪との臨戦態勢と同じ姿勢になる。
「妖者のしでかした悪さを懲らしめるのがお前の役目だろ?怠け者のかわりに私が懲らしめてやったんだ。有り難く思え!」
「あんたのやってるのはただの虐殺よ!殺しを楽しんでるだけでしょ!」
「何だとぉ?」
 この霊夢の言葉で妹紅の表情が変わり、纏っている気の性質が忌々しいものに変化する。部屋にいた全員が同時に悪寒を覚え全身に鳥肌が立つ。これが穢れの力なのだ。
 周囲が気圧される中、神聖な気に守られた霊夢は毅然と邪悪な妹紅に立ち向かうが、これは危険だと紫が霊夢の手を引き抑えるよう促す。しかし一度火がついた霊夢も簡単には止まらない。暴走した怒気はその落としどころを求めて身体の中を爆走し、血を燃えたぎらせ闘争心が静まらない。
 妹紅は霊夢に、年齢に見合わない達観した大人の面と、反抗期真っ只中の未熟な面が同居していることを、異変によって生じた短い交流の間に見抜いており、レミリアに対する攻撃によって義憤をこじらせて暴走することは折り込み済みだった。レミリアのついではないが、霊夢にも多少心の変化を促す為の作業をいずれはしなければならないだろうと目論んでいたので、今がその好機ともいえた。

 人間と関わろうとしない霊夢を教育するという目的も同時に持っていた妹紅は、先程の問答でも霊夢をしきりに挑発して心に波風を立てていたが、それはこの状況に持っていきやすいようにする為の仕込みであった。
 まんまと妹紅の策に嵌っている霊夢だが、その辺でよく見かける犬の喧嘩のように振る舞う妹紅の調子に乗せられ、売り言葉に買い言葉で霊夢の感情はどんどんエスカレートしてくる。
「(レミリアもそうだが、霊夢にも誰か大人が叱ってやらなければならない。人間が親無しで大人になれるわけがない。)」
 レミリアは吸血鬼だが、吸血鬼は家族、親戚縁者、同族などコミュニティを大切にする種族で、独立独歩を旨とする妖怪より人間に近い。実際『ヴェントルー』は人間の社会で貴族として共存共栄してきた歴史がある。
 人間も吸血鬼も子供は世間の荒波の中で勝手に育ち生き残るのではなく、親、家族が大切に守り育てて文化を継承させるのだ。レミリアには残念ながらそうした親や、その代替えとなるような存在がいないのだ。そしてこれは霊夢も同じだった。
「言わせておけばいい気になりやがって。止めだ!こんな異変私は降りる!」
 妹紅は霊夢の行為を敵対行為として、異変の参加を降りると宣言する。
「勝手にすればいいわ!あんたなんかに助けてほしくなんてないわよ!」
 勢いに任せてとんでもないことを言ってしまう霊夢。何事にも動じず常に飄々と振る舞う博麗の巫女を皆は大物として一目置いていたが、この後先考えない直情的な実に人間らしい行動は周囲を失望させてしまう。
「博麗の巫女直々の幻想郷滅亡宣言だ。会議はこれで終了だな。逃げたいやつはとっとと逃げろ。」
 霊夢の軽率な発言を受けて揚げ足を取るように大袈裟な態度で参加者に知らせる妹紅。しかし、皆席を立ってはいるものの帰る素振り一つ見せず、押し黙って妹紅と霊夢を交互に見やるだけである。
「妹紅、その辺で勘弁してあげて・・・。」
 紫は先程妹紅を宥めようとして噛みつかれた恐怖を思い出しつつ、機嫌を伺う様に恐る恐る妹紅を宥める。
「霊夢は15のガキだから仕方がないってか?10ならともかく15になってもガキならもう救いようがないだろ?諭して効く耳があるならとっくに自立できてる。こいつはもう巫女としては駄目だ使いものにならない!もし私に異変の協力をどうしても頼みたいというのなら、この異変が終わった後、霊夢を引退させて神社から追い出せ。代わりは外から適当なやつをさらってくればいい。」
 妹紅の提案に息を飲む参加者の面々。妹紅の態度は無礼極まりないが、言っている事は的を射ており筋が通っているので反論できない。
 霊夢は、妹紅とレミリアの間に口を挟んではいけなかった。少なくともあの時はレミリアに明かな非があり、妹紅が収まり着くまで待たなければなかったのだ。霊夢は庇ったつもりだろうが、これでは逆効果で黙って仕打ちを受けていたレミリアは正に殴られ損である。
 妹紅の計画通りに進んでいることに気づいていない参加者は、霊夢の不始末は紫がつけるだろうと踏み、嵐が収まるまで待つのが得策と皆腹に一物ありながらも堪えていた。


 妹紅は自分に非がない事を殊更強調して、レミリアや霊夢を糾弾する。参加者らは皆、妹紅の傍若無人な振る舞いに憤りを覚えるものの、筋は通っているので反論が出来ない。その事が余計に妹紅に対する印象を悪くする。
 妹紅の巫女引退勧告を受けて紫は、眉間に皺を寄せて怒気を収める様に霊夢に警告を発する。
 時間が経過し頭に登った血が引いて来ると、先程のレミリアと同様にとんでもないことをしてしまったと霊夢の中にも後悔の念が生じる。謝らなければならない思いが沸き立ってくるものの素直に頭を下げる事が出来ずにいた。
 鬱屈と腹の底に黒い感情を留めながら紫に叱られて気落ちする霊夢は、相手の譲歩も見込めないこの状況ではやはり自分が先に折れるしかないと唇を噛みしめる。気持ちが乗らないと何もやる気がおこらない霊夢は、自分の不始末にもかかわらず、それに対する謝罪がやらされると感じ、もどかしさにイライラする。
 自分から干渉しなければ責任をとる必要がない。だから気楽でいられた。しかし、今は違う。自分のやったことに落とし前をつけなければならない。
 妹紅は大人の対応で霊夢の謝罪を受け入れる準備をするが、その態度が霊夢を余計に腹立たせる。そしてそれもしっかり計算にいれている妹紅。
 ここに来てレミリアの葛藤がどれほどのものか、彼女がどれ程我慢していたかが理解できた霊夢だが全ては後の祭りだった。


「(紫様・・・時間がかかり過ぎてます。)」
「(分かっているわ藍!でも、ここを凌がないと先に進まないわ!)」
 八雲紫と藍は主と式神という関係以前に基から脳を同期させてる事が出来、声を発しなくても意志の疎通が出来る。藍はここまで妹紅等のやりとりを尻目に、スキマ砲の射角調整に忙しく頭を働かせており、会議室内の状況は他人事だったが、これ以上の揉め事は、妹紅がやるやらない以前にタイムオーバーになりかねない危険性があり、藍はそちらの方が心配で、ついに紫に上申したのである。しかし、紫としてもここをクリアしなければならず藍の突き上げに苛立ちを覚え、つい語気が荒くなる。

 何を間違えてこんな状況になったのか全く理解出来ない紫。レミリアも妹紅も霊夢も全て裏の事情を知って協力関係にあるというのに、何故大人しくこちらの企み通り動いてくれないのだろうか?八雲紫は吸血鬼など担ぎ上げずにそのまま最初から悪者にしておけばよかったと後悔し、策に溺れた自分を呪っていたが、これが全て妹紅の掌の上で踊らされた結果だとは思ってもみなかった。

 妹紅がここに来てから1時間以上は経過している。風見幽香の攻撃で要塞が少し上昇しているので多少の時間は稼げるがスキマ砲は自在に射角を変えられる代物ではないので、予め発射角度と時間を設定しておく必要があり、時間的な余裕は必ずしも沢山とれるわけでもなかった。
「(藍、限界ラインギリギリで調整しておいて。)」
「(っ・・・分かりました。)」
 何か言いたげな藍に最終指示を出した紫もまたジレンマに陥っていた。
 結界が幻想郷の地表に干渉しない最終安全ラインまで射撃時間を遅らせた事で発射時間まで少し余裕が出来きる。このまま霊夢が謝罪するまでもう少し待ってもいい。しかし、今の霊夢に確実な期待が持てない以上、自分が土下座して詫びてそれに免じて貰うかないなどと考え始める。元々妹紅に不死人狩りの不始末を土下座で詫びるつもりでいたので彼女に対しての土下座に抵抗は全くない。しかし、公衆の面前でそれを行えば多くの八雲紫という銘から畏れが消えて、存在が軽んじられてしまうだろう。だが、背に腹は替えられないと先程妹紅に偉そうに嘯いて見せた手前、それを実践してみせなければ本当ではない。
 この時、頭を下げて妹紅にお願いしようという思いに駆られたのは紫だけではなく、四季映姫や西行寺幽々子の中にも生じていた。彼らは異変解決の為に選抜された重要メンバーではなく、そこまでする義理はないのだが、三賢者として紫の異変に許可を与えた者としてその責任を負う為に必要ならば土下座する覚悟があった。それに紫の様な妖怪とは違うので、畏れによる格付けが彼らにはない。頭を下げてもその時だけで済む話だった。

 そんな各自の心情を簡単に読みとれる、この状況に意図的に持っていった張本人である妹紅は、この中で忘れてはならない重要人物の名を心の中で呼ぶ。
「(レミリア、そろそろお前の出番だぞ。)」
 重苦しい空気の中、何人かが事の進展の為に頭を下げようと一歩踏み出そうとした正にその時、皆の記憶から一時的に抜け落ちていた人物が前に出て妹紅の横に立った。
「藤原妹紅、これまでの数々の無礼お許し下さい。」
 そこに立っていたのはこの会議の主催者、レミリア・スカーレットだった。

 レミリアは、妹紅と霊夢のやりとりの間、咲夜に部屋の隅に連れて行かれ汚れた顔と服を綺麗に拭いて整えて貰いながら爆発した心の収束を図っていた。
 無形の感情の荒波はやがて凪ぎ、静かに確実に形を持つようになる。そして揺れ動く心にしっかりと根が張り、もはやどんな嵐が来ても動く事はないだろう。その安心と安定によって気持ちが落ち着き今はとても清々しい気分だった。
 10歳とは思えない美しい気品に満ちた顔で妹紅の前に立ったレミリア。参加者達はその別人の様なレミリアの佇まいに思わず息を呑み魅入ってしまう。
「・・・邪魔をするな。お前の件はもう許してやるからすっこんでろ。」
 妹紅はそんなレミリアを一瞥しただけで関心が霊夢に移って興味が薄れていると敢えて嘘を告げる。
「いいえ、そういうわけにはいきません。」
「何だ?邪魔をする気か?お前等そうやって永遠に傷を舐め合ってろよ!」
 妹紅は指をボキボキと鳴らして、また痛めにあわせるぞと言う顔でレミリアに体毎向き直る。
 レミリアは妹紅が真っ直ぐこちらを向いたタイミングに合わせて恭しく頭を下げる。その丁寧で心のこもった低頭の姿に一堂は思わず感銘を受けてしまう。
「霊夢は私を庇う為に貴女に暴力を振るってしまいました。これは全て私が至らなかった所為です。」
 レミリアは頭を下げたまま話しを続ける。
「まるで霊夢がお前の部下みたいな言いようだな。」
「この異変解決に霊夢他召集をかけたのは私です。その召集に賛同して従うとした以上、その時点で私の配下に着いたも同じです。で、あるならば部下の不始末は私が負うのが筋というもの・・・。」
「詭弁だな。だったら四の五の言う前にお前が言って霊夢に頭を下げさせろ。」
 妹紅は怒り心頭という顔でレミリアの胸ぐらを掴み顔に引き寄せる。それを見て霊夢が再び義憤をこじらせ腕をまくる。感情が不安定になった霊夢らしくない霊夢は、物事を一々直感的に感じ取って行動に移してしまう未熟さを全面に表していた。
 魔理沙はそんないつもとは違う霊夢を見て何故か懐かしく思ってしまう。古い幼い記憶が一瞬甦り、小さい時は感情豊かで臆病だった霊夢が脳裏に浮かんですぐに消えてゆく。その時自分は何をしていたのかと思い出そうとすると、すぐに頭痛がして思い出しそうな昔の情景が砂嵐の中に消えてしまう。
 自分と霊夢との間には確かに幼い頃の共通した世界と思い出があったはずだ。なのに今の自分と今の霊夢との関係に共に月日を重ねた歴史、地続き感が持てず、別人の思い出に触れているようだった。

 妹紅はいつまで経っても大人の対応が出来ない霊夢と、その霊夢の態度に苛立っている八雲紫を見て面白い事を思いつき、さっそく実行に移す。
「いいだろう。レミリアが霊夢の代わりに謝罪するならそれでもいい。但し、土下座だ。この場で土下座しろ!」
 ニヤつく妹紅を正面に表情を変えず話を聞くレミリア。そして、一旦冷静になったにもかかわらず、妹紅の土下座強要で再び怒り心頭する霊夢。
「そ・・・!?」
 霊夢はレミリアに『そんな事をするな』と言いたかったが、それ以上言葉が発せ無くなった。一瞬何が起こったのか分からない霊夢は、声を出そうと必死になるがおかしなうめき声しか出てこない。そうこうしているうちに頭の中に聞き慣れた、そして今まで受けた事がない怒気に満ちた声が飛び込んでくる。
「(いいかげんにしなさい!どうして大人しくしていられないの!貴女が騒げば騒ぐほどレミリアは辱めを受け続けるのよ!)」
 その声は後ろにいるスキマ妖怪八雲紫だった。
 霊夢は背筋に冷たいものが走り、冷徹な恐怖によって沸騰する頭の熱が急速に冷まされていた。
「(・・・でも!)」
 熱くなって冷静さを失っていた事を自覚し反省する霊夢だが、妹紅の態度に理不尽さを感じどうしてもやりきれない。お互いに同じ目的の為に協力関係にあるはずなのに、何故妹紅はこんな態度をとるのか到底理解出来ないし、我慢するなら自分ではなくむしろ妹紅の方ではないのか?紫は自分にではなく妹紅に対して怒るべきではないのか?
 八雲紫は妹紅の行動にある程度理解を示していた。言うなればそれは『子供の躾』である。そしてその躾られている子供とは、レミリア・スカーレットと博麗霊夢であり、霊夢は自分が躾を施されている事に気付いていないのだ。
 都合良く自分だけ達観して高見に登ってはいるものの、実は大して大人でも無く、責任から逃れる為に他者に関与しない狡賢さを持つ霊夢。紫はその性質を今まで見抜けなかったが、妹紅はとっくに見抜いていたのだ。
「(黙りなさい霊夢。異変を解決するのが最大の目的。今必要なのは元の流れに戻して異変を滞りなく進行させることよ。)」
「(・・・。)」
 紫の今まで聞いたことのない厳しい口調に霊夢は反論出来ず大人しく引き下がるしかなかった。

「(紫に動きを止められたか・・・全く自分で何一つ出来ないのか、この小娘(ガキ)は・・・。)」
 妹紅は霊夢が何かを言いかけて急に言葉を止めた理由をほぼ理解していた。そして自制出来ない霊夢に更なる追い打ちを掛けて挑発した。霊夢には自分の限界を知って貰う必要があり、一度レミリアの様に心を壊して泣く必要があると妹紅は考えていた。
「どうした?土下座するのは嫌か?」
 妹紅は挑発するようにレミリアを見る。霊夢が声を発せられなくなったため、その妹紅に異を唱える者は無く、室内は異様な雰囲気が立ちこめる。先程レミリアにあれだけの辱めを与えた後に更に土下座を強要するとは鬼畜もいいところである。しかし、ここで異を唱えれば話がこじれてしまうので何も言えない。
 レミリアが妹紅に土下座することは、会議全体が妹紅に頭を下げる事と同義である。恐らく今のレミリアは妹紅に土下座をするだろう。大義の為に自分を捨てて・・・。申し訳ないと思うと同時に有り難くも感じる。
 この時、参加者のレミリアに対する感情が変化していた。

 レミリア・スカーレットは、一度下を向き一瞬戸惑いの表情を見せた後、すぐに顔を上げ妹紅を見上げる。そして、膝を折り床に正座をするとそのまま頭を下げた。
 会議の参加者は全員息を呑んだ。小さな身体が更に小さくなって秩序を乱す悪党に頭を下げている。年長者、大人として子供に責任を負わせて、その子供に土下座をさせている。
 強要しているのは妹紅だが、それをさせたのは自分達だという自責の念に駆られて、ただひたすら申し訳なく思う。
 西行寺幽々子は我慢できず目頭を押さえていた。そして涙を堪えずに泣き出していたのは幽々子だけではなく、そこに至る原因を作った張本人である博麗霊夢もだった。
 妹紅は自分の足下で小さくなっているレミリアの頭に足を乗せる。先程、風見幽香に土下座を強要されて同じ事を自分もされていた事を思い出す。その時幽香は、相手に頭を下げさせる事に快感を覚え、内に眠る妖怪の本能を呼び覚ましていた。
 人間である妹紅は特に快感も覚えず、むしろ虚しさだけが通り過ぎていく。この一つの動作で自分は確実に極悪人になった認識し、最後の仕上げとばかりにレミリアの頭に足を乗せ彼女の頭を床の絨毯にこすりつけながら霊夢に顔を向けて邪悪に笑う。
「(下衆め・・・。)」
 山の神様、八坂神奈子が心の中で唾を吐き捨てる。これが例え演技だとしても、それを演じる妹紅を認める事はもはや出来ない。
 霊夢は動かせない身体のまま、ただ涙が溢れるままにその光景を目に焼き付けていた。
 妹紅は自分が完全な悪者となったことに満足し、レミリアの頭に乗せた足を外すと立てと彼女に命じる。
「気分最高だな。おい、レミリア、気分がいいから特別にお前らに協力してやろう。お前の言う様に私の命は安いもんだ、好きに使っていいぞ。」
 妹紅は口元にニヤりと笑み浮かべて踵を返す。レミリアはその表情が今までの邪悪なものとは違う事を目聡く察知して驚く。
「(・・・まさか彼女は・・・。)」
 最後に見せた妹紅の表情は、とても優しく一瞬自分を見守る咲夜と見間違える。
「(ありがとう・・・。)」
 レミリア・スカーレットは窓際の方へ歩き出す妹紅の背中に敬意と感謝を込めて一礼した。

 悔しさと不甲斐なさとやるせなさと申し訳ないという様々な気持ちが入り交じって涙が止まらない霊夢は、紫の拘束から解き放たれてもその場で立ちつくして泣いていた。物心ついてから人前でこの様に泣くのは初めてで、本当はどこかに隠れて泣きたかったが動けなかったのでどうしようもなかった。動ける様になっても一度泣き顔を見られてしまった以上、隠れる意味がないのでもうどうにでもなれという投げやりな気持ちで感情に身を任せていた。
 義憤に駆られ友人を庇おうとした事が裏目に出てしまった。これまで責任を負いたくないから自分から他者に関わる事はしなかったのに何故、他人の為に憤ってしまったのか。いや、これは他人事ではない。妹紅の不実が許せなかった自分自身の中に生じた怒りに従った結果なのだ。
 その自分自身の取った決断が間違いだと思い知らされた時、霊夢は自身の身の丈を思い知った。あの時紫に止められなかったら妹紅と死闘になっていただろう。そうなればこの異変はお終いであり、幻想郷は消えてなくなるのだ。
 それにそれ以上に悔しいのは尊敬すらしていた藤原妹紅に裏切られた事だった。
 もちろん妹紅は何も裏切って等いない。その高見に存在する崇高な目的、幻想郷を真の意味で救うという妹紅の使命に思い至る公人としての覚悟が霊夢との大きな差で、2人の見る世界を変えているのだ。
 世界をどうにかしたいという願望だけではどうにかなるものではない。それを行える実力が身についているかである。修行をおろそかにしている霊夢にはまだまだ世界をどうにかできる力と責任感はないのだ。
 実力が余りにも違う。背負っているものの大きさが明らかに違う。そして霊夢はこの時自分の実力をしっかりと認識した。

 妹紅が大人しくレミリアに従うという宣言をしたことで、場に安堵の空気が流れる。ここからは正常に事が進むだろうと皆が期待した。しかし、そんな期待をかき消す大きな音がまた室内に鳴り響く。
 音の発生源は窓際の隅、鴉天狗が取材の為に控えていた場所である。
「余計な事しやがって!お前が紅魔館と永遠亭の戦争を煽るから、そこいら中で戦争がおっ始まってるんだぞ!」
 レミリアから離れ窓際の空いている席に向かった妹紅は、部屋の隅で他人事の様に眺めている文屋と思しき鴉天狗を見つけていきなり殴りかかったのである。
 鴉天狗と言ってもびっくりするほど強くない、姫海棠はたては逃げ場もなく妹紅に捕まり、腹に膝蹴りを喰らって悶絶して下がった頭に握った両の拳を叩き込まれてダウンしてしまう。そして妹紅は倒れたはたての腹部に蹴りを何発もいれてこの異変を煽った新聞と記者と徹底的に攻撃した。
 泣き顔を晒す霊夢に気を使って気を散らす目的も兼ねたこの妹紅の所行を知らずに四季映姫は妹紅の背後に立ってその行動をたしなめる。
 またしても場が騒然となり八雲紫は思わず頭を抱えてしまう。事前に伝えていなかったとはいえ、まさかこちらで用意したはたてに妹紅が喰ってかかるとは思っておらず、更にそこに四季映姫が絡むとは想定外であった。
 紫としては比良山次郎坊から借りた鴉天狗を手傷を負わせるのはまずいと思う一方で、異変の裏の事情を知る彼女をこのままにしておけないとも思い至る。ここで妹紅にはたてを始末してもらい事故として比良山に報告するのも有りだと考え始める。

「いい加減にしなさい!これ以上の無礼は許しませんよ!」
「邪魔をするなチビ!無知無能はすっこんでろ!」
「何が無知ですか?この様な所行に何の意味があるというのです!」
 はたてを蹴り飛ばしていた妹紅はその言葉を聞いて四季映姫に振り返る。
「これだから即席閻魔は笑えるな。いいか教えてやる。」
 先の報道によって紅魔館と永遠亭との間に戦争機運が高まり、周辺に複数の傭兵団を結成させる結果を生んだ。その後今回の異変に切り替わると傭兵団は自衛の為の軍隊として積極的に交戦を始めてしまう。
 妹紅はここに来る前に既に各所で戦闘が行われている事を見て知っており、少なからず犠牲者が出ている事を問題にした。
「事前に戦いの準備が出来たのは良かった事でしょう?」
 妹紅が問題にしているのはそこではなかった。
 この異変を引き起こしたレミリアと解決の為に招集された人員と、各地で戦っている人妖との間に何ら共闘感がなく、言ってみれば一部の馬鹿が起こした戦に大勢が巻き込まれたという結果だけが残る事を妹紅は問題にした。
「その馬鹿の片棒を担いだ閻魔が、この馬鹿な戦で死んだ幽霊にどんな面で裁きをしてみせるんだ?」
「そ、それは・・・。」
「私はお前らが困る事に何の同情もないし、むしろいい気味だと思う。だが、もしこの異変を解決した事を新聞で報道し、そのメンツが公開された時・・・。」
 妹紅はここで窓際の席でちょうど妹紅らのすぐ側にいた魔理沙の腕を取って、そのまま四季映姫に叩き付ける。
「そこに霧雨魔理沙の名前があったらどうなる?」
「・・・あ。」
 きょとんとしている本人以外、四季映姫その他、会議の参加者は妹紅の言わんとしていることに気付いた。
「この戦で仲間や親兄弟を殺された連中は私達に恨みを持つだろう。お前らは強いからそれでもかまわないだろう。だがここで連中の怒りの矛先は一番弱い奴に来る。例えば人間・・・とかな!」
「ええ!私が?」
 急に話が自分に来てびっくりする魔理沙。最初は考えすぎかもと思ったが、可能性がゼロではない。自分だってこの状況を見たときものすごく驚いたし、新聞を見せられたレミリアに対して少なからず怒りがあった。もしそれに自分も荷担したなどと公になれば妹紅の言う事もあながち起こらないともいえない。
「どうだ、チビ!何か反論してみろ!お前は幽霊になって裁判所に来た魔理沙をどう裁くつもりだ?」
 四季映姫はぐうの音も出ずに下を向いた。妹紅の言は正論過ぎて反論が出来なかった。人間の霧雨魔理沙を異変に組み込んだ後の問題など全く考慮していなかった紫としては、明らかに魔理沙の命を軽んじて考えてしまったことに反省の念しか出てこない。やはりここは口封じの為にはたてを始末するべきだろうか?
 またしても場に重苦しい空気が流れる。そしてそれを破ったのはこの異変を引き起こしたレミリア・スカーレットである。
「藤原妹紅。新聞報道を利用して人員を集めたのが私である以上、後始末もきっちりとさせてもらうわ。」
「どうやって?」
「幸い魔理沙の名前は出ていないわ。次の報道では名前を出さない様にする。」
「それは保障にはならないな。書くなと言えば書くの文屋だ。」
「大丈夫。『花果子念報』が次の号で終わるか、引き続き継続するかくらいの判断は記者自身がもう出来ていることでしょう。」
「魔理沙の身に何かあったら、お前が始末するというんだな?」
「ええ、ここまで聞いてそれでも真実を公にする気概があるというのならそれはそれで賞賛に値するわ。」
 レミリアの物言いだと、必ずしも魔理沙の命の保障にはならないが、記者も馬鹿ではないだろうし魔理沙自身への注意喚起にもなるのでそれで十分だろう。
「姫海棠はたて・・・とか言ったな?」
 妹紅は伏せているはたての胸ぐら掴んで立たせると、顔を近づけて凄味を効かせる。
「真実を公にしたいという思いは止めはしない。しかし、その結果として起こる問題にはちゃんと責任を持てよ?いいな?」
「は、はい!」
 完全に妹紅の迫力に負け生きた心地がしないはたては、声を上擦らせて返事をするしかなかった。