東方不死死 第57章 「不遇の王女」


 これから夏に向かって暖かくなっていく時節にもかかわらず、冷気を放つ霧の湖のおかげで紅魔館周辺は朝晩かなり冷え込む。
 その紅魔館のメイド長十六夜咲夜は、朝早くから珍客が来ていると門番の紅美鈴に呼ばれて、その応対の為館を出て肌寒い門前にその姿を現していた。
「あ、貴女がメイド長さんですか?はい、新聞でぇーす!」
「嘘八百新聞さん?あら?いつもの鴉天狗ではないのですね。」
 客と言うから八雲紫の関係者が接触してきたと思い急いで来たのだが、誰かと思えば新聞屋の鴉天狗だった。しかし、いつも来る天狗と違う事に直ぐに気付き、面倒事を自分に押しつけた美鈴に一瞥入れて向き直る。
「あんな下品な新聞と一緒にしないでよ。これは私、姫海棠はたての新聞、『花果子念報』創刊号でっす!以後、お見知り置きをっと。」
 そう言って、新聞と一緒に自分の似顔絵を描いたと思われる落書きの様な手書き風の名刺を手渡すはたて。
「かかしねんぽう?ぶんぶんなんとかの別冊か何かなのかしら?」
「だからぁー、あんな嘘八百新聞と一緒にしないでよ。新聞というのは起こった事件や事象を正確に伝えるものであって、そこに記者の主観は必要ないのです。この新聞は『文々。新聞』によって貶められた新聞イコール嘘というレッテルを打破するための清く正しい新聞なのです!」
 チャラチャラした格好とは裏腹に一本筋の通った自分なのりの意見を力説する姫海棠はたてと名乗る鴉天狗を半ばしらけ顔で見る咲夜。咲夜は新聞という情報媒体は向こうの世界にいた時に見ているし、裏の世界の事情に関わり、新聞という媒体が彼女の言う綺麗事だけのものではないことを既に知っている。咲夜にしてみれば情報操作をするための最も効率的な手段が新聞であり、『文々。新聞』はそうした意図は感じられず、創作として読む分には楽しめているので、はたての言う綺麗事新聞にこそ胡散臭さを感じるのである。
 妹紅に言われて紅魔館に対する八雲紫の接触を警戒していた咲夜だが、その事とは別にこのおかしな鴉天狗個人に対して別の警戒感が沸き起こる。
 咲夜はいつもどおりの表情で対応しながら、鋭く姫海棠はたてを分析する。聞き慣れない口調は阿保っぽく聞こえ、少なくとも上流階級との接点が何一つ無い生活環境にいたことが理解出来る。丁寧に綺麗な言葉を使おうとして、ポロポロと方言が出る都会人ぶる田舎者と言った印象だ。
 その一方でもう一人の文屋である『文々。新聞』発行者の射命丸文は、プライドが高く特に人間を見下す態度を取るが話し方やその態度から恐らく上流階級出身ではと思わせる何かがある。自分に対し絶対的な自信から醸し出る雰囲気が目の前の鴉天狗とは全く違う。

「一部頂けるのかしら?」
「もちろんです!」
「購読はしませんよ?」
「今回は号外なのでとりあえず契約はいいです。読んで面白そうなら契約してください。」
 そう言って、新聞を入れてすぐに取り出せるように特別に作られたショルダーバックの新聞の束の中から一枚とって咲夜に渡し、只で配っている号外と知って横で物欲しそうに見ている門番の美鈴にも一枚渡す。
「ずいぶんと薄っぺらい新聞ですね。」
 新聞は大きな一枚の紙を真ん中で折った4頁が基本で、それ以上の頁数になることもあるが、いずれにしても配る際はそれを更に何度か折り曲げて小さくするので手渡された時はそこそこの厚みを感じるのだが、今手渡された新聞はいつもの、つまり『文々。新聞』の半分以下という印象である。
「今回創刊号と同時に号外という扱いで、そんなわけだからメインの記事1こだけ。その分中身は濃いですから安心して。」
 何を安心すればいいのか分からないが、取り敢えず読む事にする咲夜。
「号外ねぇ?」
 気のない顔で面倒くさそうに新聞を広げる咲夜。この時、これが八雲紫のファーストコンタクトであることに気付いていなかった咲夜だったが、その号外の中身を見た時身体に電流が走る間隔を覚えた。
「!」
 咲夜の表情が変わった事で興味を示してもらえたと満足そうに胸を張るはたて。
「中々面白そうな記事でしょう?」
 咲夜は心情が一瞬表情に出た事を後悔しつつ、はたての様子を見て記事に関心を示した事に満足しているだけという雰囲気を読み取り安心する。彼女がもし八雲紫のエージェントであるなら、今の表情をどう捉えるだろうか・・・。
 因幡てゐ重症という事件が単なる事件ではなく、これから起こるとされている異変の一環に含まれている事は、妹紅にネタを明かされた後なので容易に想像出来た。永遠亭と八雲紫が同盟しているのであれば、その永遠亭の配下である因幡てゐに起こった事件がその上位者らと無関係であるはずがない。
「因幡てゐは今どこで療養しているの?」
 食い付いてガツガツ聞くと怪しまれるし、だからと言って無視するのもかえって変な印象を与えかねないので、素っ気なくだが一応心配しているふりをしててゐの近況を聞いてみる。
「さぁ?人間の里ですかね?」
「さぁって、この写真を撮ったのあなたなのでしょう?」
「草むらに隠してくれって頼まれちゃったから、そうしたんですよ。で、一応心配だったから新聞配りながらさっきそこに行ったらもういなかったし・・・私こっちの方はまだわからなくて、メイドさん方がわかるんじゃないですか?」
 何となく敬語で話そうとする意志は伝わってくるが、言葉遣いがいつもどおりになっている様子のはたて。自分の立ち位置、例えば相手を客と扱っているのか自分が客なのかそのへんが定まってないようだ。
 咲夜もレミリア・スカーレットを主と決める前は、言葉遣いはちゃんとしていても口調に敬意が感じられず、よく美鈴からたしなめられていた。自分がそうだったので、相手の心情をよく理解出来る。そう、この鴉天狗は明らかに慣れない事をしており、恐らく誰か別の依頼者、例えば八雲紫によってつい最近作り出されたエージェントなのだ。
「(この娘は、射命丸文と無関係なのかしら?いや、信用の無い文の代わりにこの娘を祭り上げたという線かしらね・・・ということはあの鴉天狗も既に紫に取り込まれている可能性もあるか・・・。そういえば最近見ないし・・・。)」
 咲夜は少ない情報から様々な裏の事情が見えてきた。これも最初に妹紅が警告してくれていたおかげであり、それがなければこんな思考は働かなかったはずである。
 根が正直そうで勘に触る口調が端々に出てくるが、どこか憎めないはたて。もしかしたらこの鴉天狗は事情を全く知らされていないまま利用されているのかもしれない。新聞というメディアで因幡てゐに関係する事件を報道する役目だけ与えられているなら全てを知る必要はない。
 咲夜はそう分析したが、これは半分正解である。はたては何かの計略の一環のエージェントとして働いている自覚はあり、具体的に自分のやっている事の意味はわからないが、何も知らず騙されてやらされているわけでは決してない。
「因幡てゐは永遠亭のファミリーでしょう?永遠亭は医療所でもあるし、重症を負っていたら永遠亭に戻るでしょう普通・・・。」
「へーそうなんですか?で、その永遠亭ってどこにあるんですか?」
 実は事前に文から聞いて東側の地理はおおよそ知っているはたてだが、あくまで東側は知らないという立場でいる為にとぼけてみせる。
「迷いの竹林よ。」
 咲夜はこちらが何かに気付いて言葉を選んでいると思わせない為に、一般的な受け答えをする。
「それはどこ?」
「南の方よ。竹林なんだから空から見ればわかるでしょう?」
「なるほど、これ配り終わったら早速取材に行ってみよう!」
 新聞記者らしく取材という言葉を口にするはたてだが、咲夜にしてみれば他人に言われて行動するようでは文には遠く及ばないだろうとつい余計な事を考えてしまう。
 迷いの竹林が何故迷いの竹林なのかを知らなそうなはたてだが、咲夜はそれ以上の助言はしない事にした。

 何にせよ、紫のシナリオは進行している。同じ計略に嵌るにしてもそれを事前に知っているかどうかでかなり気分的に楽になれる。妹紅に言われた時は少し心配だったが、あらゆる事象が手に取るように理解出来る事に一種の快感を覚えるほど思考がよく回る咲夜。
「続報は期待できますの?」
「もちろん!それでは!」
 はたては元気良く返事をすると、例のVサインを目の横にあてるポーズをとってその場を飛び去っていった。また変なのが現れたと苦笑しながら見送る咲夜。
「いつも来る鴉天狗に比べるとかなり弱いですね。」
 新聞を読んでいるフリをして様子を見ていた美鈴が飛び去ったはたての消えた上空を眺めている咲夜の後ろに立ってつぶやく。武人としての力量はかなり低いと美鈴らしい見解に苦笑する咲夜だが、その意見に異論はない。
「嘘八百新聞では情報ソースとして弱くなるから別の新聞を新たに作り出したのでしょう。」
「恐らくそうでしょう。に、してももっとマシな人材いなかったのかしらね。」
 ふむと小首をかしげる咲夜。
「まーこういう事は小者の方がいいんですよ。切り捨てるのも簡単ですしね。」
「なるほど、確かにそうね。それにしても予め種あかしされてると状況は良く見えてくる・・・不思議なものね。」
「何となくシナリオは見えてきますけど・・・。咲夜・・・本当にこのまま罠にはまるつもりですか?」
「めーりん、単に罠にはまるだけでいいのなら、藤原妹紅は敢えて策に乗れと助言はしないわ。知らなければ恐らく私たちは八雲紫の計略にまんまと嵌ってしまうでしょうし。」
「まー確かに・・・。」
「助言をしたということは、私達にそれを知った上で好きに動けという事であり、そして、それ以上の事をしてみせろという挑戦状のようなものよ。」
「相手の置いたバナナの皮を踏んで盛大に転んで油断させてみせる・・・とか?」
「違うわ、めーりん。転んで頭を打った衝撃で、天井に吊してあるタライが八雲紫の頭に落ちるのよ。」
 そう言ってクスクス笑う咲夜。
「ええ!それは流石にまずくないですか?」
「妹紅はそういうことを私達に期待しているのよ、きっと。八雲紫は紅魔館をなめてるのよ?だからこんな下らない策が成功すると素で思っている。紅魔館の今後を考えれば八雲紫に対して一目置かせるようにしていかなければならないわ。これは単に妹紅への恩返しではなく、既に私達自身の問題なの。」
「確かにそうですね。分かりました。もう何も言いませんよ。」
 肩をすくめて強気に笑う成長した愛娘を心強く思う紅美鈴だった。


 咲夜の助言通り、とりあえず迷いの竹林のある幻想郷南側へ向かって飛ぶはたて。
 ふと右手に見える妖怪の山方面からキラキラと何かの合図の様な小さな閃光が目に付き、その場で停止する。
「椛の定期報告の催促か・・・報告するのすっかり忘れてた・・・。」
 今回の仕事で重要なポイントはてゐの続報もだが、紅魔館に新聞を確実に配布する事だった。
 はたては急いでメモを取りだし、そこに『紅魔館への配布終了』と書き、光の方向にそれをかざす。
「椛の千里眼って便利よねー。これが見えちゃうんだから。」
 間もなく情報を受領した事を知らせる閃光が走り、猛烈なスピードで犬走椛が手を振りながらはたてに接近してくる。わざわざ離れた場所に待機していたのは、文の配下である椛が誰かに見つかって面倒な事にならないためである。
「これ残りお願いねー。」
 はたてはそう言うと大量に残っている新聞をショルダーバッグごと椛の来る方向に投げる。椛はそれを空中で受け取るとそのまま、『頑張って下さい』と声援を残し、どこかに飛び去って行った。
 スケジュール通りに進行していれば、椛は既に人間の里とその周辺に新聞をまき終えているはずで、その後は今受け取った新聞を関所跡やマヨヒガ方面にまく事になっている。
 そして、新聞配達の仕事を椛に引き継がせたはたてには別の重要な仕事があった。
「さてと、あとは因幡てゐのいる博麗神社とやらに取材に行かないと・・・。」
 先程、咲夜に因幡てゐの消息が分かっていないと言ったが、もちろんそれは嘘で、全て八雲紫のシナリオ通り順調に進んでいる。
 台本が既にあるので、それに従って神社での様子を写真に収めるだけの簡単な仕事だが、前回写真の撮り方で失態をおかしているので、今度はちゃんとした絵がとれるように考えてやらなければと気を引き締める。
「昼までには戻らないと印刷ラインのみんなに迷惑かかるし・・・せっかく続報数回分の契約してもらったんだから、とにかくがんばるしかないわね。」
 はたては、クロワンの仕事が単に一人だけのものではなく、大勢の関係者に影響を与える重要な仕事だと改めて認識し気を引き締めた。


 因幡てゐ重症の最初の一報は幻想郷東側の住人にとって大事件とは言えないまでも、彼女の知名度はかなりあったのでそれなりに騒がれてももおかしくはなかったが、いくつかの事情が重なって最初の反応は静かなものだった。
 そのいくつかの重なった事情とは、人間の里では酒蔵組合の監査とその後に催されると『噂』される酒祭りが話題の中心で、妖怪の間では傭兵募集の件が一番の関心事だったからである。
 人間の里では相変わらず酒樽や荷台を作る槌の音が響きわたり、監査を終えた規程量外の酒が大量に積み出され、移転前の博麗神社が建っていた西側の広場に集められ厳重に保管されていた。
 10年ほど前に酒屋や庄屋の蔵持で一斉に代替わりが起こり、蔵の帳簿が次代に譲られた際に生真面目な若旦那が帳尻の合わない酒量を問題にして監査を言い出すも結局有耶無耶になったが、里のご意見番であり守護神である上白沢慧音が以前の密造酒関連の責は問わないとして、この際完全に蔵の状態を綺麗さっぱり整理しようという話を突然打ち出して、この様な状況になっているのである。
 何故今更と不思議に思う里の住人達も、余った酒で祭りを開催すると聞けば反対する野暮は誰も言い出さなかった。

 話題の2番手にいた因幡てゐは、姫海棠はたてに見られた後は八雲紫の手によって速やかに博麗神社に移され静かに休養をとっていた。
「妖怪の回復力はほんとえげつないわよね。」
 博麗神社の母屋の居間で布団に寝かしつけられている因幡てゐに、誰に言うわけでもなく独り言を呟く巫女。
 顔の右側がかなり酷い状態で、濡らした手拭いを顔に乗せて冷やしている。
 博麗霊夢は妖怪と見れば退治にかかり容赦ない事で有名だが、怪我人や困っている人には基本的に親切で妖怪でも怪我して戦える状態でなければ助けるという、良く解らない性格をしている。
 今回の件は紫の計略の一環で、霊夢も因幡てゐも所謂グルと言うわけで、彼女を看病してやるのは当然とえば当然なのだが、そうした裏の事情がなくてもこの状態のてゐを見つけたり、誰かに運び込まれれば同じように看病したはずである。
 いつも神社に悪戯に来る妖精も怪我をしたり困った事があると助けを求め、昨日その連中に酷い目にあっていたとしても嫌な顔をしつつも結局助けてしまうのが霊夢という人物である。そして、嫌々助けるので助けられた側も気分が悪く、霊夢に対してあまり感謝せず、この近辺の妖怪や妖精とは険悪な中立関係が維持されていた。

 てゐの枕元に新聞紙を敷き、その上に冷たい井戸水を張った水桶を置いて、何度も何度も手拭いを冷やしててゐの顔に乗せる作業を繰り返す霊夢。
 妖怪に効くかどうかもわからないので特に傷薬や飲み薬を与えてはいないが、目に見えて分かるスピードで外傷は回復していく。霊夢はそれをえげつない回復力と称するが、目を覚まさない現状から、見た目はともかく中身がまだ全然回復していないのだろうと推察出来た。こればかりは栄養と睡眠を十分にとらなければならないのだろう。
 もう顔以外の目に見える傷は治っていると思われ、明日になればかろうじて立って歩くだけは出来るだろう。そして、その状態で次の仕事、紅魔館入りの交渉に入る事になっている。

 大怪我をしているてゐが運び込まれる事は計画の範囲で予め教えられていたことだが、ここまでの怪我とは予想しておらず、また、どう考えても人為的にここまでの怪我をさせることに霊夢の中の常識が対応できず困惑したものである。ここまで痛めつける事が出来るなら、殺す事などもっと簡単に出来てしまうのだろう。
 元々人種が違うと分かっていた蓬莱人だが、ここまで血も涙もない連中だとは流石の霊夢も想像できず、てゐを見る度に怒りが込み上げてくる。
「・・・まったく。」
 看病しながら一人憤る霊夢。その時外に人の気配がして開け放っている縁側の外を見る。
「どうもー、花果子念報の者ですー。」
「あれ?文じゃないの?文屋が取材に来るって聞いていたからてっきり・・・。」
「文は、まー何ていうか、キレ過ぎて余計な事しかねないって首謀者の某若いご婦人さんに外されました。ザマー!って感じですけどね。」
 そう言って例のポーズをとるはたて。また変なのが増えたと溜め息をつく霊夢。
「まー確かにこんな企み知ったらじっとしてないでしょうね、文の性格からすると・・・。」
 そう言ってお茶の準備をしようと腰を上げる霊夢。
「ああー!お構いなく!そのままでいいですよ!原稿は既に上がってますし、写真とるだけですから。」
「写真ってあんたカメラないじゃない?」
「今時の写手はカメラなんて使わないんですよ。」
「ふーん。」
 はたては冗談っぽく言って突っ込みを期待したが、霊夢はさもありなんという表情でスルーする。魔理沙と違い、霊夢はカメラを向けられるのが嫌いなのでむしろ無い方が都合がいいが、誤魔化す為の幾つかの文言を予め用意していたはたてにしてみれば見事な肩透かしとなった。
「で、どうすればいいの?」
「そのまま今まで通りで。後は勝手に撮るんで。」
「・・・そう。」
 霊夢はそのままてゐの枕元で手拭いの交換を始める。
「・・・。」
 そんな霊夢をはたては不思議そうに見る。初対面なのに特に緊張した様子もなく、他人行儀の言葉遣いもせず、特別仲が良いわけではないが、まるで昔からの知り合いのように接してくる人間に否応なしに興味が湧く。
 文から東側の情報を事前に得ていたはたてだが、実際に東側に来てその土地に住まう人妖をこの目で見るのは初めてだったので、これが普通なのか異常なことなのかはっきり分からない。階級社会で上下関係が明確な天狗の世界で生きていたはたてとしては、どうしても身分を意識してしまい、自分が霊夢より上なのか下なのかを先に考えてしまう。
 はたては比良山領で鴉天狗としてはかなり下に位置する身分で、上を望める様な能力を持ち合わせていないので、余り出世の事は考えず、身分についてもどうでもよかった。
 だが、一旦天狗の社会から出てみると自分自身の身分を強く意識してしまう事に気付く。もしかしたら、自分の低い身分を見抜いて霊夢は無礼に振る舞っているのかなど、今まで考えたこともない様な余計な事をつい考えてしまう。
 普段身分など考えないはたてであっても、人間を自動的に格下に見る鴉天狗の性が遺伝的に備わっている事を思い知ると同時に、自分の住んでいる世界がとても息苦しいところであることも認識した。

 階級社会による厳しい上下関係もなく、大らかでのんびりとした雰囲気。禄を得る為に労働に殉ずるのはどこも同じだろうが、義務として上から任命されているわけではなく、継続する社会の中で自然に役割が分担されている。なりたい職があれば努力次第で何とかなるのだろうか?
 天狗の社会で自分の裁量で仕事が出来る唯一の職業が新聞記者で、社会の歯車の一部になりたくない独立独歩な連中は皆この仕事に就く事を目指す。
 はたては記者になりたいという漠然とした夢はあったが、文のように自由を得る為に身分を利用してまで新聞記者の職に就きたいと自ら積極的に行動してはいない。その能力に合った仕事に就きそこがたまたま印刷や報道関連の仕事だったから憧れたという感じで、文の新聞を見て自分ならこうするといったモチベーションが生まれてから、新聞記者という職業を明確な目標に置いたのである。

 姫海棠はたては若干120歳の若い鴉天狗で、丁度博麗大結界が施行された年に生まれている。
 向こうの世界は所謂幕末から明治維新を経て時代が急激に変わり沢山の新しい物が生まれると同時に古い物が忘れ去られ、それらが数多く幻想郷入りして双方の世界は色々な意味で活気があった時代である。
 印刷に関係する当時としては近代的な技術も流入し、手書きから瓦版・木版と移り変わり、やがて一文字づつ刻まれた金属製の文字盤を組み替えて自由に文面をつくる活版に変わる。写真などもこの時流入して写手と呼ばれる所謂カメラマンという職業が生まれ大きな箱の様なカメラを担いであちこち跳び回っていた。
 念写が出来たはたては、腐敗して失われていく古い資料を撮影して保管する作業に従事し、新聞報道が生まれ発展していく様子を傍らで眺め、やがて花形職業である新聞記者が登場するとそれに憧れる様になった。
 新聞印刷部門は比較的最近出来たもので、新聞報道の前身である情報部門は各領地との連絡の為の手紙などを配達するだけの簡単な作業でしかなかった。代々射命丸家はそうした情報伝達を生業としており、その一門の文もその仕事に従事していた。
 文ははたてよりだいぶ年上の約600歳で、幻想郷が隔離する前の『妖の狩人』の情報収集の為、山狩りに参加した経験もあり、幻想郷隔離直後の吸血鬼戦争では女性の前戦参加は禁じられていたので後方支援と各領地との間を行き来して最前線の情報を各地に伝達していた。
 吸血鬼戦争の戦後処理が終わった直後に、潜伏する闇の勢力に囚われたかつての仲間達が領地に潜り込まないよう防御を固めるため鎖国状態となって、同じ天狗であっても自由に他領地へ入れなくなった。
 比較的平和な時代になってから、瓦版による情報交換が密かに行われるようになり、それらが領内から領外に持ち出され始め、山に住む妖怪などを通じて広く流通し、現在の新聞報道の地盤が形成されていく。
 鎖国状態は現在に至るまで未だに継続中だが、この瓦版の流通は各地の大天狗が必要事項と承認して正式に認められ、妖怪などを通して行われた配布作業も他領に入る事を特別に認められた現在のクロワンの前身となる報道業が誕生して彼らが配布業務に従事する事になったのである。
 その後、新聞報道が生まれ自由に他領地に入り取材出来る新聞記者クロワンが誕生すると、文はそれに飛びつくも女性では試験すら受けられないので、名門射命丸の本家に頼み込んで推薦状を書いてもらい研修無しで強引に新聞記者になってしまったわけである。


 はたては2人の様子を見ながら位置を変え、目に映る像を記憶に焼き付けていく。文に言われた通り、何度も何度も試行錯誤して紙面に載る事を考えてアングルを変える。はたてとしては沢山のシーンをカットとして記憶というフィルムに焼き付けてしまうと、写真という形に再構築する際に記憶の混濁が起こって現像が上手くはかどらなくなるという問題が発生してしまう為、なるべく少ないカットで済むように短時間の作業を心がけていた。
 こうした写真の撮り方が前回の様な『記念写真』というわけで、そうしたはたての個人的事情が写真をつまらなくしている最大の原因となっていたのである。
 その事を文に指摘され、今は面倒でも沢山のシーンを印象に残る様に集中して目と記憶に焼き付ける作業をしていた。


 紅魔館地下にある魔法図書館に一人のメイドが訪れていた。
「これは?」
 何も言わず差し出された新聞を手に取って何事かと尋ねる図書館の主パチュリー・ノーレッジは、先日自分の物となった幻想郷の詳細立体地図の研究を邪魔されて少し機嫌が悪い。
 機嫌の悪い魔法使いには下手に言葉を掛けるのは得策ではない事を経験から知っている十六夜咲夜は、パチュリーの問いに微笑みだけで応え記事を見るように促す。
「これは・・・。」
 すぐに大事と知って自分の机に着き、小さな文字がよく見えるよう今使っている眼鏡とは違う度の強いものと取り替え詳しく読み始める魔法使い。
「先程、見慣れない鴉天狗が来てこれを配って行きました。」
「花果子念報・・・創刊号でありながら号外とはなんとも怪しいわね・・・。」
「事前に情報を得ているからこそ気付きますが、普段なら見過ごしていたかもしれません。」
「因幡てゐが重症というだけでは妹紅の言う八雲紫の計略の一環なのか判断はしずらいけど。」
「ええ、でも、永遠亭と八雲紫は同盟しています。」
「そうね。やはりこれは八雲紫が動き出したと見るべきね。」
「この後、因幡てゐは恐らく紅魔館に入ろうとするでしょう。」
「妹紅はそれに乗れと言っていたわ。勿論それに異論はないけれど、でも、そこでハイそうですかと二つ返事したのでは、怪しまれるわね。」
「ここは一芝居打つべきでしょう。」
「ふふ、咲夜はどっちの役をやりたい?」
「パチュリー様にお任せします。」
「じゃー私は賛成役に回るわ。咲夜は反対役ね?」
「そうおっしゃると思っておりました。ある程度台本決めておきますか?」
「無用ね。」
「分かりました。」
「あ、待って。」
 ここで話が終わったと見て踵を返す咲夜を引き留めるパチュリー。
「レミィは今夜型シフトでしょ?昼型に変えておいたら?」
「ああ、気付きませんでした。そのように致します。」
 初めからそうするつもりだった咲夜だが、声に出してはその反対を言い、向き直って恭しく一礼するとその瞬間その場から姿を消した。
「妹紅がある程度永遠亭にも根回ししているとしたら・・・因幡てゐは二重スパイになるとも言えるわね。なるほど、私達がしくじってもちゃんと上手く行くようになっているというわけね。」
 深慮遠謀とはこういう事を言うのだと改めて感心するパチュリー。魔法使いとしてレミリアの片腕としてこれからもやっていかなければならないわけだが、自分に足りないもの、そして身に付けていかなければならないことを、これから起こるであろう異変の中で見出さなければならない。
 八雲紫と真っ向から戦って勝つ事は不可能だろう。恐らく向こうは自分など眼中にないはずである。だからこその今回の因幡てゐの件なのだろう。こちらが警戒するに値すると判断していれば、このような安易な作戦はしてこないだろう。
「向こうはこちらを何とも思ってないということ・・・。」
 ルビーのいれた紅茶に口をつけたまま一瞬考える。藤原妹紅は誰からも警戒されない、ノーマークである事を最大限の武器として利用してきたらしい。ならば侮っている相手に意表をつくようなサプライズを見せる事が今の自分が出来る効果的な攻撃手段となるだろう。
「サプライズ・・・か。」
 ふと、咲夜が来たので作業を中断してそのままにしていた起動中の魔法陣の上にある八雲藍の幻想郷地図を見る。
「!・・・これは使えそうだわ。」
 自分で作ったものではないが、さも自分で作ったものの様に見せかければ八雲紫も驚くだろう。
 この地図は明確な形としてではなく紫の頭の中に存在する漠然としたイメージを目に見える形に八雲藍が組み替えた代物である。これそのものは八雲紫は知らないはずで、制作者が誰かなど確かめる事も出来ない。紫と同じ様な幻想郷の座標値を一介の魔法使いも分析して解明していると知ったら、自分の頭の中を覗かれた様で、さぞ気持ち悪く感じるだろう。
 極秘であるはずのこの地図を敢えて自分のものとして本当の持ち主本人の目の前で晒して見せる事で、それはその瞬間極秘ではなくなる。だが、自分の物であるという認識を相手に植え付ける事が出来ればもはや極秘にする必要もなく、公然と堂々と利用出来る事になる。
「ふふふ、楽しみだわ。」
 パチュリー・ノーレッジも、そして十六夜咲夜も、これから起こる異変に対して積極的に挑む準備と覚悟が整っていた。


 夜間に生活スタイルを合わせる為、太陽が出ている間睡眠を取っていたレミリア・スカーレットが目覚める時間は本来なら日没でなければならなかった。しかし、目を覚ましたのは陽が昇った後、つまり朝だったのである。
「咲夜、これはどういうこと?」
「お腹が空いていますでしょう?朝食の準備は整っております。」
「そんな答えを要求した覚えはないわ。何故今朝なのかをちゃんと分かるように説明して頂戴。」
「その件に関しては説明が長くなりそうなので、先に朝食を済ませた方が良いと思いまして・・・。」
 カーテンは閉め切って部屋は暗いが、密閉しているわけでもないので朝の日差しが分厚いカーテン越しに透けてほとんどの物が判別出来るほどの十分な光が存在している。
 陽光に弱い吸血鬼だが、純血種以下の吸血鬼ならともかく再生力と抵抗力の高い始祖族ともなれば直射日光をまともに浴びても直ちに灰になることはない。部屋の中など影の中に居れば日中でも問題なく活動出来、日傘だけで外を出歩く事も珍しくない。
「分かったわ。話は食事中に聞きましょう。」
 レミリア、フランドールのスカーレット姉妹は、成長できない呪いによって子供の姿でいることを強制されている。吸血鬼といっても子供の間は肉体が成長するために十分な栄養と睡眠を取る必要があり、これは人間も妖怪もほとんどかわらないのである。
 吸血鬼の始祖ヴェントルーとトレアドールを両親に持つスカーレット姉妹は子供でありながら、既に大きな力を持っており、成人ともなれば幻想郷のどの妖怪にも勝る存在となっていただろう。しかし、10歳の子供であらなければならない彼女達は、強大な力を持っているにもかかわらず常に十分な栄養と睡眠を取る必要に迫られ、一日の中で飲まず食わず、不眠不休でいることは出来ないのである。
「食事はどちらでなさいますか?」
「・・・フランは?」
「妹様は先程お休みになりました。」
 フランドールに関してはシフト通りに寝起きさせていた咲夜。
「そう・・・なら一緒に食事をする必要はなさそうね。ここで済ませるわ。それと、フラン一人では可哀相だから、あの娘のシフトも私に合わせておいて、決して無理させないように。」
 自分に無理を強いた事に対して嫌味を込めるレミリア。
「かしこまりました。」
 恭しく頭を下げた咲夜は退室し、間もなく給仕係を伴ってレミリアの寝室に戻って来る。
 当番の給仕が金属製の美しい装飾がなされたワゴンを押して咲夜の後を一礼してから入室し、レミリアの朝食の準備を始める。
 普段朝は軽めに済ませるのだが、昨日の夕方に目覚めるところだったが丸一日寝ている事になり、その間何も食べていないのでかなりお腹が減ってるはずである。いつもより品数を増やして、お詫びの意味も込めて好物をたくさんメニューに盛り込んでいた。
 未だベッドの中にいて上半身を起こし、着替える意志をみせていない不機嫌を隠そうとしないレミリアの様子を見て、ベッドを半分起こして背もたれをつくり、楽な姿勢で食事が出来る様に準備をする。少しでも機嫌が直る様にとのささやかな計らいだが、これは自分に対してというよりも給仕として連れてきたメイドを怖がらせない為の措置であった。
 次にベッドの下にある隠し棚から2本の棒を両端で固定し立てて置ける様に四本の脚がついた木製の支柱をベッドの両側に置き、その上に天板を置いてテーブルにする。これらテーブルセットは後から取って付けたものではなく、豪華な天蓋付きベッドとセットのもので、いずれも美しい彫刻が施されている。
 テーブルの準備が出来た咲夜は専用のテーブルクロスを敷き、毛布や衣服を汚さない為の大きなナプキンを綺麗に三角に折ってテーブルの上に立てて置く。
 レミリアはすぐにそれをとって華麗な手付きで衣服と布団を大きく覆い食事の準備をし、いつの間にかテーブルに置かれているワイングラスに淹れられた蒸留水を手に取って喉に流し込み、空っぽの胃袋にこれから食事であるという合図を送る。
 空腹で直ぐにでも食べ物に貪りつきたい衝動に駆られるレミリアだが、紅魔館で雇っている給仕メイドの仕事を咲夜が引き継いで退室させるまでおすましでじっと耐える。
 10歳の子供がこれだけ長い時間食事を断つのは大変な苦痛だろう。それでも気丈に振る舞い、レディとしての面目を保ち続けるレミリア。
 そんな生まれながらのレディであり、人前で決して弱音を吐かないレミリアを愛おしく思う咲夜は、すぐに給仕当番を下げさせ主の気分を楽にさせると同時に、必要な物を小さくまとめて配置したトレイの上の小さなキッチンで手早くスープを皿に注ぎ、レミリアの前にお気に入りのスプーンを添えてそっと差し出す。
 空腹の為、もういっそのことスープ皿ごと胃に流し込みたい衝動に駆られ、咲夜の前ならそれも許されるかもしれないが、そこは必死に堪える本能よりも理性が勝ったレミリア。
 少しずつ上品にスプーンを口に運ぶようやく食事にありつけたレミリアだが、心なしかいつもより口に運ぶスプーンが速く見える。
 咲夜は主に分からないようにクスリを微笑み、空っぽの胃が早く落ち着きを取り戻す様、おかわりを促す。
 二杯目のスープを飲み干したレミリアは、ようやくほっとした表情になり怒気も静まる。
 吸血鬼は空腹になると獣性が表に出て野蛮になる傾向が他の妖怪などよりも強く、理性が本能を抑止出来ないとそこで化け物に変体してしまう。吸血鬼の各氏族の姿がかなり異なっているのはそうした理由があるからで、野蛮な種族ほど、異形の姿をしているのである。
 ヴェントルーやトレアドールは、太古より姿が変わっていない種族であるが、人間や妖怪よりも空腹に対するストレスに弱いという吸血鬼の特性から逃れる事は出来ない。
 これは逆に考えると、十分な食物が得られる環境が与えられれば吸血鬼は良き隣人となりえる種族でもあり、貴族と呼ばれるレミリアの父方の血筋であるヴェントルー族は、人間と同じように貴族として実際に領地を持ち安定した食糧を確保出来たので、多くの吸血鬼を養いつつも人間達と折り合って平和的に暮らせることができたのである。
 一方母方のトレアドールは、他とほとんど交わらずに排他的に暮らしていた氏族で、太古のままの姿を保ち続けていると言われている。つまり、トレアドールの姿こそが本当の吸血鬼の姿であるといえる。

 落ち着きを取り戻したレミリアは、今までにない変則的な睡眠時間と起床を強いられた理由を問うべく、給仕に忙しい咲夜に声を掛けようとしたが、まるでそれを見計らうかのように叩かれたノックの音に口をつぐまなざるを得なかった。
「・・・どうぞ。」
 イラっとしたレミリアだが、ノックの特徴からすぐに誰か分かり入室を許可する。
「レミィ、朝食のところ悪いわね。」
 扉を叩いたのは、レミリアの心友パチュリー・ノーレッジだった。
「構わないわパチェ。それより、何の用?」
「また、新聞が届いたわ。」
 これは新聞についてすでにレミリアが周知しているという前提の台詞だったが、この時はまだ新聞についてレミリアは何も知らされていなかったので、当然疑問の声があがった。
「新聞?」
「あら、咲夜、まだ言ってなかったの?」
「先に何か食べてもらおうと思いまして・・・。」
「そう・・・。」
 ルビーを従えて入室したパチュリーは、入り口付近で作業をしている咲夜の横を通り過ぎ、ベッドにいるレミリアから向かって右横の椅子に腰を下ろし、折り曲げて小さくなった2つの紙束をレミリアの横に置く。
「咲夜、カーテンを開けて頂戴。」
「かしこまりました。」
 分厚い遮光カーテンが開かれると、薄いレースのカーテンごしに爽やかな朝の光が柔らかく部屋を照らす。カーテンを閉め切った仄暗い部屋の方が良かったレミリアだが、これだけ人が来ればその人たちに合わせるべきと大人の判断をしたのだ。
 日差しが直接入ってきたわけではないが、その眩しさに一瞬目がくらむレミリア。だが、それにも直ぐに慣れて目を開ける。いつものように影の中になるように咲夜が立ち位置を調整している。目を瞑っている間に次の料理が既にテーブルに置かれているが、ひとまずお腹は落ち着いたので、パチュリーが持ってきた新聞を読むため題字を見る。しかし、直ぐに読めず硬直する。
「・・・。」
 新聞を手にとって題字を読もうとしたがなんと読めばいいのか分からないレミリアに、パチュリーが素っ気なく独り言の様につぶやいてみせる。
「かかしねんぽう?嘘八百新聞とは違うの?」
「私がみたところでは、文々。新聞の射命丸文に対抗しようという意志があるようですが・・・。」
 質問に答えた咲夜に一度向き直ったレミリアは、また新聞に目を戻す。
「・・・因幡てゐ重体?これがどうしたの?」
「私も最初これを読んだ時、レミィと同じ感想だったわ。でも・・・。」
「でも?」
「こっちを見て頂戴。」
 レミリアの横にある2つあったうちのもう片方の新聞を指すパチュリー。
「・・・博麗神社で療養中・・・何故博麗神社?」
「さぁ・・・病院でもある永遠亭の因幡てゐが重体の身を博麗神社で癒すなんて、まるで永遠亭から追い出されたみたいよね。」
「確かに変かもしれないけれど・・・でも、そんな事だけで、私のシフトを無許可で替えたの?」
 因幡てゐが永遠亭から追放されたからといって、レミリアとしては別に同情する義理もない。むしろあの性悪兎が懲らしめられて清々したと思っている。
「最近何やら幻想郷がきな臭いので・・・。」
「・・・それはつまり、近々異変が起こる・・・と咲夜は言いたいのね?」
「確証はありませんが、これは何らかの異変の前兆ではないかと。」
「永遠亭あたりで何かしこんでるのかしらね。私達とは関係ないとしても、寝ている間に異変が終われば、それはそれで嫌なんでしょ?レミィは。」
 妖怪の山に新しい神様が来た時や博麗神社に間欠泉が出て温泉が湧いた時も、レミリアはシフトの関係で昼間は寝ており、その話を聞いた時は起床後の夜だったのである。口に出して何も言わなかったが、数日間不機嫌が取れなかった事から、次に何かありそうな時は叩き起こしてあげるとパチュリーは事前にレミリアに宣言していたのである。
「ふん!」
 パチュリーに心の中を覗かれた様で面白くないレミリアは、大好きなアップルパイに八つ当たりをするかのようにむしゃむしゃと頬張る。サクサクのパイ生地がポロポロと下に落ちるが、それを想定して敷いてあるナプキンのお陰で寝具や衣服を汚す事はないが、行儀悪く褒められた行動ではなかった。
 そんな子供っぽいレミリアの姿を見てパチュリーの目じりが下がる。
「ふふ、それにしても、こうしてレミィの寝室で私達が揃うのも久しぶりね・・・。」
 そのパチュリーの懐かしそうな声に振り向いたレミリアだが、先程まで座っていた椅子に彼女の姿は無く、ベッド脇のチェストに上にある小さな本棚の前に移動していた。
 手に分厚い本を持っており、それがすぐに予言書『亡き王女のための七重奏』だと、レミリアはすぐにわかった。
「レミィも私もフランもルビーも美鈴も、出会った頃と姿は変わらないけど・・・。」
 それを受けてレミリアはベッドを挟んで反対側の窓に背を向けてこちらを見ている咲夜に向く。
「最初に会った時は、私とほとんど背丈は同じだったのに・・・いつの間にか追い抜かれてしまったわね・・・。」
 どこかしんみりとした空気になるが、開いていた本を閉じるポンという音で空気を戻すパチュリー。
「私は・・・どうすればいいのかしらね・・・。」
「人間である以上、咲夜はいずれ死ぬわ。でも吸血鬼になれば私達と同じ時間を過ごす事が出来る。」
「でも・・・。」
「そう、子どもであるレミィには、咲夜を吸血鬼にする力はないわ。何れにしても予言書にある通り、レミィが大人にならなければならないこと。」
「子どもだから許されているのに、大人になんてなれないわ。」
「レミィが大人になりたくないのは、殺されるから?それとも子どものままの方が楽だから?ツェペッシュの末裔が聞いて呆れるわね。」
「パチュリー様、その話は前にも・・・。」
 急に喧嘩腰になるパチュリーとレミリア。以前もこのような事が何度かあり、慌てて仲裁に入る咲夜。
 レミリア・スカーレットは、自分の本当の両親が誰であるかまだ知らない。古い大戦の事もお伽話としてしか認識しておらず、自分がどれほどの重要な存在かわかっていない。現時点では、伝承として残る有名な吸血鬼の血筋であると漠然と信じているだけだった。
 裏の真実は咲夜もパチュリーも先日知った事で、無意識に存在する漠然とした成長、変身願望が図らずも八雲紫の異変と重なって知らず知らずのうちに運命操作を行っており、異変の元凶が紅魔館の主だという事が分かっている。
 それを知ったパチュリーとしては、その変身願望を促し運命を加速させるべきだという魅魔に同意し、今、その絶好のチャンスとみてレミリアを嗾けてみたのである。
 咲夜はそのパチュリーの意図はすぐに理解できたが、いつも通りレミリア側に立って養護する。ここでパチュリーに迎合してレミリアを孤立させるのは得策ではないと判断したからである。
「レミィ・・・咲夜は貴女だけのものではなくてよ?死に別れるなんて私はご免だわ。」
「そんなこと分かってる!でも、どうすればいいの?」
「だから、こうしてレミィを起こしたのでしょ?」
「・・・どういう意味?」
「レミィが大人になることが許されるには、時世が変わらなければダメという事よ。」
「時世?」
「そう。これまでの常識が非常識になり、ルールが変わることよ。」
「つまり、幻想郷を今現在治めている八雲紫が失脚する・・・といったような事ですか?」
 咲夜が意味深な仮説を呟く。
「それは分からないわ。でも強大な永遠亭になんらかの動きがあるようだし、正直、あの八雲紫に真正面から対抗出来る存在は彼らしかないと思うの。」
「・・・。」
 ぎゅっとナプキンに握りうつむくレミリア。
「もしかしたら、次に起こるかもしれない異変に何かの糸口が見つかるかもしれないわ。レミィ、その事を覚えておいて。」
 言うだけ言うとパチュリーは、ルビーを従えて部屋を出る。
「お嬢様・・・。」
「咲夜・・・私はどうすればいいの?」
「これが運命だとするなら、なるようにしかなりませんわ。でも大丈夫です。きっと、お嬢様は成人になれますよ。」
「そんなことは分かってる。私は当然大人になれる。でも、違うの!私が言いたいのは大人になった時、そばに咲夜がいるかどうかなの・・・。」
「お嬢様・・・。」
 咲夜はナプキンをぎゅっと握ったまま涙を流すレミリアのベッドの傍らに跪き、その小さな細い手に自分の手を伸ばし重ね置く。
 自分だけが成長し大きくなってしまった手を恨めしく思う。たった数年なのに、今まで気にも留めていなかったのに、自分だけが人間であるという事実をこの時否応なしに思い知らされる。
 手が触れた瞬間、堰を切った様に倒れ込み咲夜に身を預けるレミリア。それを立ち上がって抱き留めそのままベッドに腰を置く咲夜。
「ずっとお嬢様のおそばにおります・・・。」
 首に両の腕を回し抱きつくレミリアの耳元で囁き、安心させようとする咲夜も、ついもらい泣きしてしまう。
 いつも気高く上品に振る舞い、特に妹であるフランドールの前では泣き言は絶対言わず、良き姉として振る舞い10歳の子供の自分を押し殺して我慢しているレミリアは、親友の魔法使いにも絶対見せない姿を咲夜にだけはさらす。
 咲夜もまた、小さな主の信任が日増しに高まる事を身に染みて感じ、忠誠心を増幅させている自分に改めて気づく。先日賓客として招こうとしていた妹紅に対し魔が差した行動をしてしまったのも、この忠誠心が誤った方向に出てしまったせいでもある。
 いっそのこと、妹紅や魅魔といった協力者が密かにレミリアの成長の為に動いている事実を教えて安心させてやれればどんなに楽になれる事だろうか。
 しかし、今はまだそれは出来ない。ここでそのことを明かしてしまえば、安心して強い成長、変身願望が薄れてしまい、成人へのきっかけとなる異変そのものが頓挫してしまうかもしれないのだ。
 異変を推し進めている力は、レミリアの不安定な心から生じ膨らんでいる強い成長願望なのである。今これを止める事は出来ない。

 目覚めた時から傍らにあった予言書。それを読み続け不遇の王女という境遇がいつの間にか自分や仲間内の間で常識化していたが、自分が誰なのか何故自分は子供のままでいなければならないのか、本当のところは全くわからない。

 真の王女は未だ真実を知らない。
東方不死死 第56章 「花果子念報創刊」


 目が霞む。意識が頻繁に遠のきかけ、その間隔が時間を追う毎に短くなる。
 全身に痛みが走る。痛くない場所が体のどこにも存在しない。痛みが常態となってまるで無痛のような錯覚を覚える。しかし、雷鳴の様に頭の中に響きわたる轟音が身体の痛みを代弁し命の危険を警告している。

 迷いの竹林から、一匹の妖怪兎が細い木の棒に縋り付く様にヨロヨロと北東に向かって足を引きずって歩いている。
 自分を辛うじて支えているこの棒を何時何処で拾ったのかも思い出せず、体重を掛けすぎれば折れてしまうかもしれないという、力の加減も判断力も既に失われていた。
 全身打撲と無数の骨折。重要な臓器はことごとく破裂破損し、右目は陥没し完全に失明状態である。ただ、それでも妖怪ならば再生可能で、このままどこかで静かに寝ていれば時間はかかるが完治させることが出来る。
 本能は一刻も早い休眠を要求して因幡てゐに警告を与えているが、本人はその警告を無視し必死にどこかに向かって歩いている。
 腰も頭も上がらず、木の棒の先端に掛けている手が自分の背丈の最も高い位置にある。
 下がった視線の先に自分の素足がスカートの裾から見え隠れしているが指先まで血で赤く染まっている。これは足から出血しているのもあるが、そのほとんどが体の何処からか出た血が足まで流れ落ちているせいである。
 どうしてこうなったのか断片的にしか思い出せず、とにかく神社の方向に歩けばいいと師匠である八意永琳から言われて、その通りただひたすらてゐは歩き続けていた。

 どのくらい歩いて、どこまで来たか全く分からなかったが、ここまで支えていた木の棒がとうとう折れて地面に投げ出された時点で、てゐはもう一歩も動く事が出来なかった。
 うつぶせに倒れてしばらく身動きが取れずにいたが、やがてまた手足を動かして這いずり出す。
 重症を負っているが、古参妖怪の恐るべき回復力がその傷を僅かだが少しずつ再生させている。しかし、無茶をして体を動かしているので、再生が追いつかずに徐々に傷は深くなっていく。
 ゆっくりと死出の坂道を下っている状態であるにもかかわらず、それと分かっているのに前に進もうとする事をやめない、やめられない。
 これは単に永遠亭という身内の事だけではなく、藤原妹紅という大切な友人に関わる事でもあり、これは何としても達成させなければならない事だった。だから、止められないのだ。
「(あれ?・・・何を達成させればいいんだっけ・・・。何でこんなことしてるんだろう・・・。)」
 ふと、これまであった体に重くのしかかる様な感覚がなくなり、頭の中がすっきりしはじめる。いよいよもってあの世に逝く時が来たのだろうか?
 どんな事があっても生き延びる事を優先してきたてゐ。ここで死んでなるものかと、冴える頭をフル稼動して、今の状況に至る経緯を思い出す。
 永遠亭を正面から撃ち破り、血も涙も無い蓬莱人の八意永琳に人としての心を呼び覚ましてくれた藤原妹紅に報いたい。それがてゐを動かしていた力の源だった。
 そして、それと同時に怒りが込み上げる。自分をここまで打ちのめした蓬莱山輝夜に対しての怒りである。手加減一つせず、ひたすら笑いながら命を削り取れる残虐な月の姫に復讐せずして死ぬ事は出来ない。
 永遠亭と紅魔館の対立を生み、抗争にまで発展させるという使命は、永琳に与えられたものでもなく、妹紅に対する義理によるものでもなく、いつの間にか純粋にてゐ自身の願望になっていた。
 輝夜を殺せるなら吸血鬼に魂を売ってもいいとさえ思え、沸々とした憤怒がてゐを動かす原動力にとってかわり始めた。
「(憎い・・・憎い・・・。)」
 黒いオーラが口や鼻、耳そして毛穴から吹き出し始める。
 このままてゐの心に黒い闇の感情が溢れ続けると、祟りになってしまうかもしれない。
「!」
 その時だった。
 てゐに照りつける日差しが一瞬遮られ、一瞬遅れて一陣の風が通り過ぎた。
 上空を舞う鳥の羽のような影が地面に映り、てゐはそれを見てはっとなって見えない空を見上げようと必死に体を捻る。
 指定場所と指定時間にいつのまにか到達していた重症を負ったてゐの最初の役目は一先ず達成した。
「(よかった・・・。)」
 てゐは安堵すると同時に黒い感情が消えて無くなった。
 そして、近づいてくる存在を確認しようともせず目を閉じた。
「うわっ!これは、ひどい!」
 ここに来るであろうと想像していた人物とはどうやら違う聞き慣れない声が、一仕事終わったと安心して意識が遠のくままに身を任せるてゐの耳に木霊していた。


「首尾はどう?」
「バッチリよ!」
 鞍馬山領印刷団地内にある編集部棟、通称『クロ巣』に戻った姫海棠はたては、八雲紫の虎の巻を参考にはたてに代わって新聞記事の原稿を起こしていた射命丸文に指でつくったVの字を目の横にあてる独特のポーズで応える。
 超が付く程地味なはたてがこんなチャラチャラしたスタイルにしてしまった文としては複雑な心境で苦笑いしか出ない。
「そっちこそどう?」
 今度ははたてが文に問う。
「チェックしてください、カリワン編集長どの?」
 文は研修中である事を示す、仮の黒腕章を略したカリワンという単語を殊更強調してはたてに自分が書いた原稿の束を手渡す。
 カリワンだろうがクロワンだろうがそんな事は置いておいて、編集長という言葉に気を良くしたはたてはニコニコしながら受け取った原稿を読み始める。
「んーどれどれ・・・。」
 読み始めたはたては、最初気分良さそうに鼻歌を歌っていたが、原稿用紙をめくるごとにどんどんとその表情が険しくなっていく。文としてはある程度こうなることは予測していたので、その様子を楽しそうに見る。
「こりゃダメね。」
「何でよ?」
 理由は分かっていたが一応その駄目な理由を尋ねる文。
「文色が出過ぎだっての!前にも言ったけどさぁ?『文々。新聞』を匂わせる要素は完全に消したいわけよ?」
 予想通りのその答えにやれやれという表情を見せる文は、ここで反論せずに後は自分で修正して原稿を上げるよう助言した。
「分かってるなら、それらしく書いてくれればいいのにぃぃ!」
 文の態度から駄目出しが来るのは承知の上で原稿を書いていた事を見抜いたはたては苦情を言う。
「だって私、あんたの新聞読んだ事ないもの。はたて風の文章なんて最初から無理よ。」
「主観を排除して、ありのままを正しい文章として組み上げればいいじゃん?」
「それって、言う程簡単じゃないわよ?」
「もぅいいわよ!この小説家!」
 小説家というのは、妖怪の山界隈では侮辱にあたる言葉であるが、聞き慣れた文としては相手がはたてでもあるのでそのまま笑って受け流す。
「で、写真のほうはどうなの?早く見せてよ。」
 ほとんど書く事が決まっている原稿を書き直すより、どんな写真が撮れたのかに興味がある文は、原稿についての話はここまでにして本題に入る。
「暗室使える?」
「いつでもどうぞ。」
 文は、写真がメインで記事がその補足のような紙面の作り方をするので、写真に関する全てに気を使っている。そんな文の一日の始まりは暗室の準備からであり、謹慎中であるにもかかわらず毎日暗室の準備だけはしていた。
 編集部棟には協同で使う暗室がいくつかあるが、文は自分の編集室を改造して部屋の中に暗室兼給湯室を作っている。協同部屋は誰でも入れるので現像中にわざと部屋を開けられるなど明らかにマナー違反の嫌がらせを何度も受けており、また、給湯室にある自分の湯呑みなどもしょっちゅう汚されたり割られたりするために、協同で使う施設や備品は使わず自前で用意したのである。
 文に案内されて暗室に入ったはたては、ドアから入る光を頼りに室内の様子を見て、必要な物がちゃんと揃っている事を確認する。
「いいもの使ってるわねー。やっぱ金持ちは違うわぁ~。」
 自分が使っている物と明らかに違う現像器材などを見て、感心すると共に羨ましさを隠そうとせず、率直に口にするはたて。他の者が言えば嫌味に聞こえるところだが、はたては思っている事を率直に素直に口にする性格で、そういう時は絶対嫌味を言わない事を比較的短い付き合いの中でも文はしっかりと見抜いて知っていた。
「別にお金だけの問題じゃないわよ。私の使う設備はほとんどが河童さん達の技術を取り入れて改造されたものなのよ。」
「河童さん?」
 河童にさん付けするなど文と河童の繋がりが強い事が理解出来るが、それは領内で上手くいっていない対人関係の裏返しではないかと心配になる。記者同士で仲が悪いのは致し方ないにしても、領内全体から総すかんを喰らっているとしたら同情の極みである。
「彼らの技術があるから印刷工場が滞りなく動いているわけよ。」
「なるほどねー、じゃー文のカメラもそうなの?」
「そうね。この辺で広まっている旧式のカメラとは性能が段違いよ。」
 会話しながら小さな赤色灯を点けて暗室のドアを締める文。
「それにしてもカメラもなしに写真が撮れるってのは、なんか勿体ない気もするわね。」
「え?何で?何が勿体ないわけ?」
 そこは羨ましいと言うべきじゃないかと思うはたて。
「道具を使いこなす!・・・何て言うか技術者としてのこだわりってものがあるでしょ?」
「まるで写手(カメラマン)みたいな言い方ね。新聞記者廃業したら?」
「あんたの肩書きはその写手でしょ?カメラもない写手に言われたくはないわよ。」
「ふっふ~ん、もうすぐ記者になるから!残念!」
 そんなとりとめもない会話をしながら、暗室の奥の印画紙を保管している小さな暗幕で隠した引き出し棚の前に移動する二人。
 感光しないように外側を黒く塗った油紙の中に厳重に保管している印画紙の束から、慣れた手つきで一枚を抜き取ったはたては、会話を続けながら入り口のドア付近の薬品を洗い流す『流し台』に移動する。
 写真の現像行程は、フィルムを現像しそれを印画紙に焼いて現像液と定着液に浸し、その後薬品を洗い流して乾かすという流れになる。
 最初のフィルム作成は専用の機械を通すだけなので簡単だが、プリント作業に関しては手作業でやるのが妖怪の山界隈の一般的なやり方である。
 版下として使う原版の写真のサイズは、台紙におおよそのあたりをつけ、縮尺を決めてから紙焼きするので手作業になるのは当然として、その後の現像行程も季節による気温や湿度の違いや、人為的に写真の雰囲気や効果を出すために微妙な時間調整が必要なので、これも手作業で行っているのである。
 はたては先ず流し底面に置いてある長方形の平皿、通称バットに溜まっている水に、流しの横に数本掛けてある手拭いを取ってそのバットの水に浸して軽く絞り、普通の流しなら正面に鏡がある場所に貼られている薄い鉄の板をその濡れた手拭いで拭く。当然鉄板は水に濡れる。
 現像が終わって薬品を洗い流した印画紙は、当然濡れているので乾かす必要がある。普通の紙よりも丈夫な印画紙でもそのまま直接拭いたのでは折れ曲がって写真をダメにしてしまう危険性がある。その為、拭きやすいように平らな面に貼り付けて片側づつ拭き取って水分を粗方取ってから、横に張った紐に洗濯バサミ等で挟んで洗濯物の様に吊して乾かすのである。この鉄板は、印画紙を貼り付けて拭くために都合が良くほとんどの暗室で備え付けられているのだ。

 洗って乾かす行程は現像の最終段階であり、はたては通常の現像作業を端折っていきなり最終地点に移動するので、はたて式写真現像を知らない文は驚いて思わず声を掛ける。
 しかし、『まぁ見てて』とはたては取り合わず、壁の鉄板に水平を整えて印画紙を貼り付ける。その後アングルを捉える為に、写手や絵師などがよくやる指をL字型にして互い違いにして両手で長方形のフレームを作って覗く動作を壁に貼った印画紙に対して行う。
 カメラのレンズを回してピントを合わせるのと同じ仕組みなのだろうか?手で作ったフレームを軽く前後させつつ30秒程で少し前屈みになっていた姿勢を正す。
「こんなもんかな。」
「え?それで終わり?えい!やぁ!とか念写したって分かる合図はないの?」
「何それ?」
 文の問いにキョトンとするはたては、それを無視して壁に貼った印画紙を剥がし、前行程に戻ってヒーターの上に乗せて適温を保っている現像液で満たされたバットにそれを浸す。後は普通の現像行程と同じで、文は浮かび上がる絵を見て思わず口笛を吹いて感心した。
「ほえー!ホントにカメラ使わないのね、あんた。」
「念写なんだから当然でしょ?」
「それにしても結構鮮明ね。確かに因幡てゐだわ・・・しかも凄い怪我・・・。」
 はたての念写で撮った写真は何度か見ているが、どれもピントが少し合っていないボケたものや、色褪せた古い写真のようなものばかりだったので、今見せられたカメラ無しで撮った鮮明な絵は正直少しショックを受けた。
 念写とは、カメラのシャッターを切らずに中のフィルムに何かを写し込む事を言い、具体的な何かを鮮明に映し出すというものでは必ずしもない。それらは簡単な図形や漠然としたイメージといったものばかりで、訓練した者であれば特定の人物とわかる程度の形にして写す事は可能であるが、基本的にそこまでである。
 はたての念写はそういうタイプのものではなく、一度見た事がある映像を記憶として保存し、それを機械などの外部装置を使わずに、その絵を再現出来る媒体に写すタイプの念写なのである。写真と同じ印画紙という媒体によって絵を再現しているが、絵を映せるものなら基本的に何でもよく、印刷出版の業界にいるので、その版下に使う印画紙を媒体にしているだけである。
 装置がなくても一度見たものを絵として再現出来る力は、戦時中なら偵察任務などで重宝される重要な能力となっていただろうが、平時には不要ともいえるものであった。

「数時間前に撮ったものだしね。鮮度が良ければ鮮明に写せるのは道理ってもんでしょ?でも、時間が経つといろいろ記憶もボケちゃって、他の似たような絵と混ざったりでさぁ、指定された絵をキレイに仕上げるまでこれが大変なのよ。」
 過去の事柄を引用で使う際にはたての能力は重宝がられているが、ほとんどが古い記事や写真なので、当然ながら出来た写真のクオリティも下がってしまう。
 現像してみないと出来の良し悪しが確認出来ないので、製品として依頼主に収められるレベルの写真にするまでに、今行っていたような現像作業を何度も繰り返し行い、注文を受けた絵と現像して出た絵の違いを見比べ記憶断片を再構築し正解の絵を導き出すという地味で無駄の多い作業を強いられる事になり、その過程で印画紙や薬品が大量に消費されるわけである。

 資料室の仕事の報酬は悪くはなく、必要経費が異様に高く収入効率が悪い状況でも生活するには特に問題はなかった。
 そんな中で文と運命的な出会を果たしてしまい、紆余曲折を経てイメージチェンジをしてしまい、ファッションに気を遣う様になった事で、これまでの収入ではまかない切れなくなってしまったわけである。
 その後のたては、資料室の仕事だけでは食べていけなくなり、人手が足りない印刷関係で雑用から専門分野の難しい事まで手を出し、お洒落の為に仕事を倍に増やしてお金を稼いでいるのである。
 この件についてそうさせた原因が自分にあると、文は多少なりとも責任を感じており、だからと言って金銭的な援助をするのは彼女の自尊心を傷を付けるのではないかと思い、金品を与えるような直接的な援助は気が引けて行えなかった。少なくとも自分がはたての立場ならそんな援助はいらないと思うわけで、何か別の方法ではたてに援助できないかと日頃考えていたところでもあり、給料の高いクロワンにすることは、はたてに対するささやかなお詫びになると文は思い至り、積極的に協力する気になったというわけである。

「一枚仕上げるのにどのくらいかかるの?」
「その時によってマチマチね~、最悪、印画紙一包みで済まなかった時もあったし。」
 印画紙は決して安くはない。製品として納める一枚の単価がかわからない文だが、一包み消費すれば完全な赤字だろうということは容易に想像できた。
「にしても・・・うーん。」
「何?何が気に入らないの?」
 写真を見ながら渋い顔をしている文にはたては率直にその理由を尋ねる。
「キレイ過ぎるのよね~。」
「現状をきちんと正確に写しているでしょ?」
「えーとね・・・スクープ写真としてはなんとも整い過ぎてるというか、まるで撮影会で撮影したみたいに見えるわね。」
「え?そう?」
「あんたさ、これ撮る時この写真と同じアングルの立ち位置にいたのよね?」
「もちろんそうよ。」
 目に映った絵がそのまま写真になるわけで、見ていないものを想像で自在に変える事は出来ない。
「アチャー!普通さ、アングルとか考えない?横からとか足の方からとか、後、カメラを回転させて斜めにするとか?それに何枚も撮るでしょ?普通・・・。」
「・・・全然そんな事考えてなかった・・・。」
 普段から記録写真や資料的価値を優先しがちな為、写真の取り方もその癖が出てしまったはたて。
「未熟ねー!それでクロワンになろうってんだから大したものだわ。これはボツよボツ!」
 腰に手をあてて呆れるポーズをする文。どうしようと、狼狽えるはたて。
「兎に角もう写真は撮り直せないんだから、これを使うしかないわね・・・。同じ物もう一回撮れる?」
「同じ物なら何度でも・・・。」
「慌てて撮った様に少しブラせる?出来なければ、ピントを手前か後ろの景色に合わせるとか?」
「や、やってみる。」
 すぐに作業にとりかかろうとするはたてだが、文はそれを制して話を続ける。
「待った待った!話は最後まで聞く!いい?後ね、もっと引いて撮って。被写体を枠一杯にするんじゃなく、周りの景色も入れるの。」
「何で引いて撮るの?どアップのが良くね?」
「写真を斜めにするだけで見た感じ変わるでしょ?ほら?」
 文はそう言って重症の因幡てゐが映っている写真を傾けて見せる。
「おお!確かに!」
「でも、新聞に載せる写真は基本的に角版でしょ?この被写体がフレームいっぱいの素人アングルじゃ斜めにしたとき何も写っていない角がでるでしょ?」
「うんうん!」
「だから、もっと引いて周囲まで収めていれば斜めにしても余白が出ない。トリミングで何とかする為にもっと引いて撮らないとだめなのよ。記念写真じゃないんだから。」
「な、なるほど!凄い、凄いよ!やっぱアヤヤは天才よ!」
 素直に文を賞賛するはたて。上級鴉天狗同士素直に誉めるなどまずないことで、誉めるはイコール皮肉と受け取るのが上級鴉天狗社会の常識である。そんな連中と肩を並べている文としては下級鴉天狗のはたての素直な態度に未だに慣れない。誉められて嬉しくないわけないのだが、くすぐったい気がしてとても居心地が悪く複雑な心境である。
「こ、こんな基本的な事も知らずに写手気取りとはね。」
 照れ隠しの為にやれやれと大袈裟に振る舞う文。
「だ、だってわたしぃ・・・外に出ないし・・・。」
「あんたの写真は全部資料的な写真で、魅せる写真じゃないのよ。記事に面白みが無くて写真も面白くなかったら、新聞発行を許可する部局長からOKはとれないわよ?あんたは例え見られなくても資料的価値があればとかなんとか言ってるけど、刷って貰えなければ資料もくそもないでしょーが!」
 八雲紫の台本通りとは言え、昨晩散々コケにされた手前もあり、仕返しだと言わんばかりに畳みかける文。はたては反論出来ずシュンとなって肩を落とし小さくなる。
「・・・。」
 文はちょっと言い過ぎたと反省し、直ぐに作業に戻るようにと尻を叩き、印画紙全体とてゐの身体の割合をどのくらいにすればいいかなど指示して撮影の基本を伝授する。
 気を取り直したはたては文に教えられた事をブツブツと口の中で反芻し、真剣な表情で作業にとりかかった。


「原稿上がった?」
「上がった!」
 写真撮影が終わり、文に駄目出しした八雲紫の原稿を元に書き起こした記事の直しを文に見せるはたて。
「相変わらずつまらない文章だけど・・・ま、私の新聞じゃないしね。次はこの記事と写真、新聞の叩き台のラフ原稿を工場長に見せにいくわよ。」
「え?何で工場長に?印刷部局長じゃないの?」
「いきなりトップに持っていってもそう簡単に会ってはもらえないわよ。だからその次に偉い工場長にねじ込んで上に掛け合ってもらうのよ。」
「なるほど!」
 八雲紫の根回しは、鞍馬山領にはなされていない。その鞍馬山領内におけるはたての立ち動きを文を使って行うというわけであり、文もその紫の意図を明確に理解してそれに荷担すべく立場を取った。
 文は、幻想郷の東部の記事を初めて書いた時、その題材は吸血鬼戦争で死んだとされていた因幡てゐの生存というスクープ級のものだった。因幡てゐの記事には文自身強い因縁を感じており、はたてを上手く導いて因幡てゐの重症という情報を世間に知らしめる事は、自分に不名誉なレッテルを貼り、未だに因幡てゐ生存説を否定する記者関係者達への復讐にもなるとも考えていた。だからこの件は自分の案件でもあり、はたてや八雲紫に一方的に奉仕するわけではないと自分に言い聞かせた。

 文は記者仲間とは険悪な関係だが、工場で働く者達とは良好な関係を築いている。部局長も工場長も新聞記事の質に関しては厳しかったが、だからといって記者個人を差別する事なく平等に扱っていた。
 だから今回も正規のスクープ記事として印刷ラインに割り込みが出来、八雲紫の注文通りの時間に新聞を発行出来るはずである。
 そんな文にとっての目下の悩みはこの姫海棠はたてである。研修生という名目なので仕方がないのだが、新聞を発行するにあたっての上位の取り決めは全く知らないので、そこをしっかり教えてやらなければならないのである。
「でもさ、どうせ見せるならキレイな版下出した方がよくない?」
 叩き台のラフ原稿を見せるより、すぐに完成できそうな版下原稿をそのまま見せた方が良いと判断する素人のはたて。だが、文はそれをすぐにたしなめる。
「あんたバカ?工場内の人達はこの企み事を知らないのよ?予め用意したような版下持っていったらやらせがすぐばれるでしょうが?」
「あ、それもそっか。」
「まったく・・・。今回は特殊なのよ?まーでも、スクープ記事が出来そうなら今日の事をしっかり覚えておくことね。」
 八雲紫が自分をはたての導師に選んだのは正解だと改めて納得する。そして、はたてが企み事に向いていない正直で素直なタイプであることも改めて確認できた。
「とにかく、ついてきて!」
 必要な原稿類の束を持たせたはたてを引き連れて文は部屋を出る。
 別館の様に工場の脇に建っている編集部棟から出た2人は、遮音結界で今まで聞こえていなかった印刷機の騒音の中、工場に向かって歩く。
 はたては、新聞の制作行程でアルバイトをして制作現場の事情は良く知っていたが、新聞を発行をするにあたり、上司から決裁を貰うといった上部の作業については知らず初めての経験になる。
「うわっ!」
 緊張してぎこちなく歩くはたては突然止まった前を歩いていた文の背中にぶつかる。
「あんた名刺とかある?」
 苦情を言おうとしたはたてを制して文は厳しい表情で問いかける。
「え?名刺?あるけど・・・研修生用のはまだ作ってないわよ。」
「しょうがないわね。ほらこれ、あんたが外に出ている間に作っておいたから。」
 そう言って文は胸のポケットから所属と身分と名前だけ入った簡単な名刺を10枚、両手が塞がっているはたての胸のポケットに押し込む。
「これ、ぜんぜん可愛くなーい!いやー!」
「贅沢言わない!」
 一瞬見せられたその名刺のデザインに苦情を言うはたてのおでこに軽くチョップをして、ぶーたれるはたてを置き去りにしてまた歩き出す文。
 編集部棟と工場を結ぶ踏み固められ下草がない細い道を進み、編集者専用の入り口から施設内に入る。
 守衛の姿が無いのに驚きを隠せないはたてだが、鞍馬山領は人口が他の領地よりかなり少なく慢性的な人手不足であることは知っていたし、印刷団地に入る際に会った警備員らの勤務状態からも理解出来るが、重要施設なら過剰な程の守衛が立っている比良山領との差がありすぎて気になって仕方がない。
「キョロキョロしてるといらない詮索されるから背筋伸ばして歩きなさい。」
 ソワソワしているはたてを見て冗談交じりに注意する文の言葉に、真顔で頷いてピンと背中を伸ばす健気なはたて。文は苦笑し先に進む。

「仕事中ごめん、工場長どこ?」
 はたてを後ろにして印刷ラインに入った文は、出入り口から一番近くにいた者に声を掛けて工場長の居場所を聞く。
 印刷機一台につき専属で数名が付いて作業をしているが、工場長や副工場長といった偉い立場の者は、周囲をウロウロしながら作業員に指導していたりするので、居場所が一定ではないのだ。
「おー文か、工場長ならたぶん休憩所じゃないかな?」
「邪魔して悪かったわね、ありがとね。」
 笑顔で手を上げてその場から離れる文の後ろで、軽く会釈してそそくさと追いかけるはたて。
 文は他の記者とはかなり険悪な状況にあって、一匹狼の様に孤立している感じにみえたが、それ以外の場所では良好な人間関係が出来ている様で、何故か身内の事のように嬉しく思ってしまうはたて。

 休憩所は工場の端にある給湯室に隣接しており、壁で仕切られた部屋ではなく工場内の一画にテーブルや椅子を並べているだけの場所である。給湯室がすぐ隣にあるので飲食にも都合が良く、自然発生的に出来た場所なのだろう。
 文は工場内の様子を観察しながら歩いているはたてを引き連れて休憩所に向かう。
 工場長というだけあって何となくゴツクて偉そうな者というイメージを持っていたはたてだが、その予想通りの強面で目立つ大男が数名の天狗と一緒に話をしながらお茶を飲んで休憩しているのが見えた。
 文が近づいて来た事に他の者が気付き、それに反応して工場長と思しき人物が振り向く。
「おう、文か?またスクープか?」
 また、と言うくらいだから頻繁に工場長の所に談判に来るのだろうと考えながらはたては後ろでその様子を見つめる。
「そうなんですよ!実はこんな写真が撮れたんです!」
 周囲から『またか』という笑いが起こるが、文はそれに構わず他人事の様にしていたはたての腕を掴んで工場長の前に投げるように突き出す。
「ん?何だおめーは?ん?お、これは、カリワンか!最近珍しいな。」
 はたての左腕にある白い一本線が入った黒い腕章にすぐに気付いた工場長は普通にしていても恐ろしい顔をはたてに近づけて値踏みする様にジロジロと見始める。
 工場長を務めているこの強面の鴉天狗は、修業経験のある『大鴉天狗』で一般的な鴉天狗より上位の立場である。領内の各組織の長は、僧正や大鴉天狗が務めるのが一般的で、印刷部局長は僧正クラスの天狗で、工場長と副工場長は大鴉天狗である。
 文も一応大鴉天狗という身分だが、これは射命丸家の一門に特別に与えられた階級で、本人の能力を評価されて得た階級ではなく、他の者は誰も文を大鴉天狗扱いはしていない。しかし、肩書きにうるさい連中は当然文を良く思わず実力もないのに重職を階級で買ったなどと後ろ指をさすわけである。
 幸いな事に、印刷関係者は文に関して一定の評価をしており、特に写真の美しさ、決定的な瞬間を捉える嗅覚は高く評価されているのである。

 修業経験のある大鴉天狗は、この工場長に限らず殆どが強面である。これは苦痛を伴う厳しい山間修業に耐えるうちに自然とそうなってしまうためで、これが天狗の顔が恐ろしいと言われる所以にもなっているわけであり、天狗の社会では顔を見ればだいたいの階級が分かってしまう。
「この娘、比良山の娘で、たまたま知り合いだったんです。研修生に選ばれたから研修手伝えって頼られて一応先輩クロワンとして指導者的な事をしてるんですよ。」
 文は工場長に話をする一方で、はたてを小突いて自己紹介するように促す。最初はあたふたとしていたはたてだが、文に貰った名刺の事を思い出し、それを差し出してぺこぺこしながら普段のしゃべり方にならないように辿々しく自己紹介を始めた。
「私の下に付いたということは私の活動エリアを使わせるというわけでして、そこで東側で何か面白いものを撮って来いって宿題を出したらこれを撮って来たんです。」
 文は立て板に水を流す様に少し早口でわざとらしく事情を説明する。この口調は工場長にスクープを持ち込む際のいつもの文の口調である。
「因幡てゐか・・・こりゃー死にそうだな。大変だ!」
 どこから見ても瀕死のその写真の中の因幡てゐを見て深刻な顔をする工場長。鞍馬山出身の僧正や元修験者は皆因幡てゐを知っている。文が因幡てゐ生存の記事をこの工場長にねじ込んだ時は、死者を冒涜するなと決めつけられて殴られたものである。そのくらい彼らにとって因幡てゐは近い存在だったのである。
 文の情報が真実と確認された時、工場長は文に土下座をして謝り、そしてこの報を持ってきてくれたことを心の底から感謝したのである。
 文にとって工場長は尊敬出来る数少ない人物であり、最も頼りにしている存在でもあるのだ。
「直ぐに人里に運んだから命に別状無いと思います。」
 はたては写真を撮っただけですぐにその場を離れており、この話は明らかに口からでまかせだった。
 文としてはその場を取り繕うために嘘を言ったのではなく、工場長がかなり心配した表情をしていた為で、安否を確かめるためにそのまま工場を飛び出してしまいかねいと判断したからである。
 その文の機転が効を奏したのか工場長はほっと胸をなで下ろし、手に取った写真を周囲の者に渡して回し見させる。
「文、これは何が起こったんだ?」
「私にもわかりません。私がこの場に居ればもっと詳しい事を探れたんですけど、この娘は東の事は何も知らないので、因幡てゐの重症が何を意味して何の影響があるかなんてわかりませんから・・・。」
「お前確か謹慎中か・・・。」
「続報は彼女に任せるしかないですね・・・。こんな時に謹慎だなんて!」
 少し演技臭い最後の台詞は、斜め上を見てその決定を下した何処の誰かに対してのものである。
「お前が普段から真面目にしてればいいだけだろうが。」
 工場長にげんこつを貰う文。
「あいた!何で私が・・・。」
「兎に角、これは上に当たってみる。恐らくスクープになるぞ。お前等もそのつもりでいろ。」
 休憩所の面々に緊張の色が走る。
「姫海棠はたて、とか言ったな?写真借りるぞ?それとそれは新聞の叩き台だな?それも渡せるか?」
「はい!喜んで!」
 裏返った声の聞き慣れない了承の仕方に周囲に笑いが入った。


 工場長が部局長の所に事情を説明しに行っている間、文とはたては工場長室に待機を命じられ居心地悪そうに立ち話をしていた。
「悔しいけど、全く持って八雲紫の計画通りよね。」
 腕組みをして片方の腕を上げて爪を噛む仕草をする文。
「ふー緊張したー。」
「お疲れさん。あの顔初めてみたらびびるわよね。でも、すごくいい人よ。」
 はたてのぐったりした様子を見て、厳しい表情を緩め苦笑しながら労いの言葉を掛ける文。
「なんか私、場違いな気がしてさぁー。」
「私も記者になりたての頃は緊張したわよ。とんでもないところに来てしまった・・・ってね。でもここは階級とかそういうものは関係ない実力の世界。良いものは良い。悪いものは悪いというはっきりした世界。自分に自信がなければやってけない世界よ。」
「文はやっぱ凄いわー。」
「あんたもクロワンになるんでしょ?だったらこのくらいで怖じ気づかない!」
 はたての小さくなった背中をバシバシ叩いて伸ばす文。
 間もなくして機嫌が良くても良くなさそうに見える工場長が戻ってくる。
「スクープ記事として明日の朝刊で行く事になった。しかも全領配布だ。」
「ええ!全領?」
 驚きの声を上げる文。
「ぜんりょう?って何?」
 意味が良く解っていないはたて。
「全領ってのは、妖怪の山の全部の領地にまくって事よ。」
「しかも、東側分も刷るから、7000部になる。」
「な、なななな、ななせんぶぅ?」
「そう、お前の去年の発行部数の実に4倍以上だ。今年の新聞大会の単一はこのカリワンが取りそうだな。」
 最後に豪快に笑う工場長。
「う、うそ・・・。」
 落ち込む文。状況が分からないはたては文を慰めようとして肩に手を置いた時、思いきり首を絞められる。
「な、なんであんたがー!」
「く、苦しい!ギブ!ギブ!」
「ぎゃ!」
 涙目になってはたての首を絞める文は、工場長から思いきり頭を殴られてその場で気絶してしまう。
 一つの領地につき千部が上限で、天狗の領地は現在六ヶ所あるので、一回の配布枚数の上限は六千部となる。そこに、東部や南部の人間や妖怪の集落に配布する分の千部を足して七千部という数字が、幻想郷における一回の配布枚数の限界という事になる。
 現在の印刷機なら七千部を刷るくらいわけもないのだが、幻想郷の印刷機の生産能力は低く、時間的に考えてもこの枚数が限界である。
 発行する枚数は制作者側と印刷部局側で話し合って決めるが、局長が決めた分の枚数は公費で賄い、編集者側に負担はない。但し、公共印刷として必要最低限しか認められないので、もっと広域に多数配布したい場合はその分は自腹となってしまう。
 発行部数を競う新聞大会ではそうした自費出版分の発行部数は換算されず、公的発行部数のみが対象になる。
 このままはたての新聞が発行されれば、この一回だけの発行で文を完全に置き去りにして上位入賞が可能な数字であり、一回の発行における過去最高記録の栄誉も賜る事が出来る。
 文にしてみれば今までの血の滲むような努力も、ぽっと出の新人に全てを持っていかれるようなもので、怒るのも無理はない事だった。
「文の気持ちもわからんでもないが・・・。」
 後輩に手柄を持って行かれた事になる文に同情の目を向ける工場長は、しばし、倒れている文を見ていた後、元々怖い顔をもっと怖くしてはたてに向き直る。
「姫海棠はたてだったな?お前は比良山の鴉だから、本来は比良山側の部局長の決裁を受けてここで印刷を代行するというのが筋だ。しかし、今回はスクープ扱いの所謂号外というやつで、スピードが命だ。わかるか?」
「は、はい?」
 言っている理屈は分かるが、ピンと来ないはたて。
「つまり、お前さんの記事はスクープとして発行する場合、時間が無いので自領の決裁が取れない。要するに比良山の記者の記事ではなく、鞍馬山の記事として世に出さなければならないということだ。発行した新聞には、比良山の領印ではなく、鞍馬山の印が付く。つまり手柄は鞍馬山になるわけだ。」
「はぁ・・・。」
 言われてみればなるほどだが、はたてとしては特に自領とか他領の手柄とかには興味がなかった。
「この条件で都合が悪ければ今回のスクープの件は無しで、後日通常印刷として予約を入れてもらうことになる。もっとも比良山で刷るならうちらは関係ないがな。」
「私の方は大丈夫です!スクープ扱いで刷ってもらえるなら、是非お願いします。」
 はたては、根本にある八雲紫の策略を思い出し、今すぐに刷ってもらわなければならない事を思い出し、ペコっと勢いよく頭を下げてお願いした。
 小さなツインテールの動きがでんでん太鼓を連想させ、一瞬頬が緩む工場長。
「うむ、では契約関係の手続きがあるから、お前が一人で部局長の所に行ってこい。」
「わ、私一人でですか?」
「これも研修のうちだ。なに、書類にサインするだけの簡単な作業だ。」
「わ、わかりました。んじゃ、行ってきます。」
 部局長の部屋までの道順を教えてもらい、はたては何故か敬礼をして部屋を出た。
「・・・おい、文。」
 既に気付いていた文は、はたてが部屋を出るまで死んだふりをしていたが、工場長に呼ばれて殴られた頭をさすりながら起き上がった。
「文、お前何を企んでいる?」
「何がですか?」
「とぼけるな。あんなのがカリワンになれるわけないだろ?」
「比良山様が鞍馬山に対抗して女性記者をたてようと無茶な事をしてるみたいです。」
「むぅ・・・比良山様か・・・まぁ、あのお方ならやりかねんが・・・それはまぁいいだろう。」
「・・・。」
 不機嫌さを隠す様子もない文。
「それから、もう一つ。あれはお前の何だ?」
 あれとは姫海棠はたての事である。
「ただの知り合いです。」
「ただの知り合いの為にこんな骨を折るのか?なるほど誰か別の者に頼まれて仕方なく手伝っているってことか?」
 強面てで一見すると肉体派で脳みそまで筋肉で出来ている様なイメージがある工場長だが、頭も相当切れるようで文達の裏の事情を見透かしているかの様な物言いである。
「はたては・・・はたては、私の大切な友達です。だから手伝うのは当然です。」
「なるほど。友達の頼みなら仕方がないな。」
 ニヤリと笑って文の肩をぽんぽんと叩き踵を返す工場長。
「(この人には敵わないな・・・。)」
 工場長に対して、単に一技術者としてだけではなく、一人の天狗としてその人柄まで顔以外全てを尊敬している文。てゐの重傷は何かの企みの一環と気付いているのだろう。それを知っていて敢えて好きにやらせてくれるというのだ。とてもありがたい事である。
「文、印刷ラインはスクープ記事に合わせる段取りを組む。お前はすぐに版下上げろ。それから、あのお嬢ちゃんの面倒は最後まで見るんだ。いいな?」
 部屋を出る工場長に深く丁寧に頭を下げる文は唇を噛みしめる。友人の出世を素直に喜べなかった自身の度量の狭さが悔やまれて仕方がなかった。


 鞍馬山で発刊するスクープ記事に、記者としてサインしたはたては誰もいない工場長室から涙目になって文を探し回り、右往左往した末にようやく編集者棟に辿り着き、なんだか中が騒がしい文の編集室を恐る恐る覗き込んだ。
「あ、帰ってきたわ。」
「遅い!何してたのよ!」
「す、すみません。ちょっと話が長くなって・・・って、この方達は?」
 文以外に数名の鴉女天狗がお茶を飲んで談笑しており、外行の口調で彼女達の事を尋ねるはたて。
「フィニッシュワークの人達よ。あんたも応援に呼ばれたりするでしょ?」
「おお!なるほど同業者の方達でしたかぁ!」
 先程の上司にあたる者と堅苦しい会話が続いたせいか、同業と知って途端に明るくなって馴れ馴れしくなるはたてだが、まだ口調が戻っていない。
「朝刊まで時間がないから応援を頼んでおいたのよ。独り立ちしたらこういうのもあんたが一人で手配するのよ?わかった?」
「へいへい。」
 この気のない返事を合図に、新聞の版下作成が始まった。


「文ぁー!お願いだから手伝わせてぇー!」
 普段文が籠もる編集長のブースからはたての泣きの入った声が編集室全体に響きわたる。
「新聞のタイトル出来たの?ちゃんと墨入れして仕上げてよ?それまでそこから出ちゃだめ。」
「あー悩むー!」
 そのはたての声から頭を抱えて悶えている様子が手に取るようにわかる文達。
 応援に駆け付けた文の知り合い達もそのやりとりを横目に苦笑しながらも手を休めず作業を続けている。
 写植行程に回した原稿は、指定された文字数と行数通りに印画紙に植字され、ラフ原稿のレイアウト通りに必要な行数分を切って、裏に糊付けして張り込んで行く。
 新聞のフォーマットは1頁分、つまり見開きの片面分に入る行と段数は決まっている。
 複数の記事を同じページに入れる場合は、見出しや写真の位置を考えて原稿を手配し、ライターは指定の行数に文章を収めなければならない。
 今回の号外は片面1頁分のボリュームなのでまだ決まっていない新聞のタイトルのスペースを空かせたまま、見出しのタイトルとリード文、そして大きな写真スペースで全体の約半分強が既に埋まり、残りのスペースに文章が入るレイアウトとなる。それだけだとつまらない紙面になるので、そうならない様に頭を捻る必要があった。
 文らは相談しながら空いたスペースをどう処理するか考え、創刊号にもなるので号外という表記は入れず、創刊号として記者の写真付きの紹介スペースと、今回の新聞の主役でもある因幡てゐの紹介スペースを本文の中に上手く差し込んで紙面に変化を付け、号外なので単調でもよかったが、それで満足できない文は試行錯誤して紙面を何とか取り繕った。

「編集長?そろそろ上げてもらわないと間に合わなくなりますよー。」
 編集長ブースの中で力を使い果たして白くなっているはたてに声をかける文。
「なるほど、結局それね。」
「だって、ぜん!ぜん!思いつかなかったんだもん!」
 このタイトルは、はたてが手作りで作っていた見るに耐えない素人新聞のタイトルと同じだった。
「だから、私さっき言ったじゃない。このタイトルにしたらって。そしたら、もっとカッコイイのにするって・・・。」
「それ中々いいんじゃないですか?」
 お手伝いの人たちもブースに入って来て、仕上がったタイトルを口々に批評する。概ね好評のようである。
「え?やっぱコレイイ?イイ?決めた!コレに決定!」
「ちょっと、何で私がイイって言った時は駄目で、他の人達がイイっていうと決定になるのよ!」
 一同から笑いがこぼれた。


 部局長に最終チェックをしてもらい、2、3直しを入れ校了となった『花果子念報』創刊号の版下は、製版行程に移り、印刷用の刷版となって印刷機の中に取り付けられた。
 新聞の発行責任者である姫海棠はたては、その各行程に立ち会って自分の新聞が作られる全行程をその目に焼き付けていた。
 複数の印刷機で刷るため刷版も複数枚作るが、最初の版を工場長が直々に印刷にかける。
 他の者は今行っている作業の手を休めて工場長の周囲に集まり、刷り出しのチェックに立ち会った。
「ほら、出たぞ。」
 輪転機の無い幻想郷では必然的に枚葉印刷となるので紙は一枚一枚刷り出される。印刷機の調子やインクの出具合を見るために最初にテスト刷りを行うが、その次々に刷り出される紙の束から一枚抜き取ってはたてに手渡す工場長。
「これが・・・私の新聞・・・。」
 いつの間にか工場で働く従業員がはたてを取り囲んでいる。
「あ、あれ、何だかボヤけてよく見えない・・・。」
 気付けば大粒の涙粒が頬を伝って新聞に落ち、乾いていないインクを滲ませ所々文字が読めなくなる。
「はたて、花果子念報創刊おめでとう。」
 必死に涙を堪えようとして失敗しているぐちゃぐちゃな顔のはたてに寄り添い声を掛ける文。次の瞬間わぁっと声を上げて新聞で顔を覆うはたて。
 周囲から次々に祝福の声が掛けられ、はたては感無量となって今度は文に抱きつく。しかし、生乾きの新聞に涙で濡れた顔を押しつけたはたての顔は当然まっ黒になっており、その顔で抱きつかれた文の顔や服も同じ色に染まる。
「うわっ!ちょっと、離れろはたて!」
 嫌がる文をもろともせず、がっちりと抱きついて離れず顔を文に擦りつけるはたて。
 周囲から祝福の声を同時に笑い声が起こり、そして部局長からのお祝いと表して祝い酒の樽が届けられると工場内は印刷機の騒音を打ち消す程の歓声に包まれた。
 これは最初に発行する新聞を直接手に取らせて新生クロワンを祝う鞍馬山の恒例の儀式であった。
「文も同じように顔をまっ黒にして泣いてたっけな・・・。」
 文もまた『文々。新聞』創刊の時、はたてと同じように感無量になって泣き叫んで新聞と抱擁していた事を思い出す工場長であった。
東方不死死 第55章 「嘘の代償」


 藤原妹紅が紅魔館の関係者と密約を交わし、魂魄妖夢が紆余曲折を経て人間の里に入る。
 その日は表向き静かな一日だったが、局所的に節目と呼べる小さな事件が相継ぎ、そしてそれは、八雲紫が異変の呼び水となる別の異変を画策し具体的な行動に出た時と丁度重なり、図らずも異変開始の合図となったわけである。

 妹紅の頼みで妖夢を導いた一方で、今度は八意永琳が提案した企みに協力しようとする妖怪兎・因幡てゐは、その翌朝重要な任務に赴く為の準備に挑むところであった。
「それじゃーてゐ、よろしく頼むわね?」
「ま、任せといて。」
 永遠亭の居間に住人4人全てが集合し、とある重要な任務を請け負った因幡てゐを送り出す予餞会が行われ、味がいまいちなのはいつも通りとしても品数だけは豪華な朝食が無駄に広いテーブルを狭くしていた。
 因幡てゐは、今日から数日間永遠亭を離れる事になるが、てゐの不在を残念に思って催された会ではないことは言うまでもなく、これからてゐに降りかかる、いや、人為的に降りかける不幸に対するお詫びの意味が主だった。言うなれば、『最期の晩餐』である。
「それじゃー・・・うどんげ。後はお願いね。」
 普段後片付けなどしない永琳が、空の食器をトレイに重ねながら、弟子でありペットのレイセンに告げそそくさと居間から遠ざかろうとする。
「え?ちょっ!ちょっと待ってください!そういうのは師匠が得意でしょう?」
「私は息の根を止めるのは得意だけど、半殺しは苦手なの。」
「て、手加減してくださいよ!」
「あなたが思いっきりやれば、ちょうどいいくらいじゃないの?」
「あんたら、何の話をしてるの?」
 ここで何やら意味不明の会話に疑問を持った蓬莱山輝夜が割ってはいる。
 蓬莱山輝夜は、異変に関わらない事を決めて部屋に引き籠もって何やらやっていたせいで、永琳と紫らが画策している作戦を知らないのである。
「あ!姫様!そうだ!姫様が適任ですよ!」
「そうねー、姫に頼もうかしらねぇ?」
 そう言いつつ永琳はてゐを見る。そのてゐは既に食事を済ませて居間に面して襖を開け放した隣の部屋に移動してその真ん中にちょこんと正座して、何やら悟ったかのように佇んでいた。
「だから何の話しなのよ!」

 因幡てゐに課せられたある任務とは、永遠亭と紅魔館の確執を創り出す事で、その前段階として、永遠亭と不仲になった古参妖怪の因幡てゐが復讐の為に後ろ盾を探し、紅魔館に白羽の矢を宛ててゐを入館させようとする作戦である。
 永琳と鈴仙が交わしていた意味不明の会話は、不仲を演出する為に抗争が行われた事を既成事実にする為、派手に因幡てゐを痛めつけて何処から見ても演技に見えない程の重症を負わせる為に誰が適任かという話しだったのだ。
 永琳の考えたシナリオはこうである。
 藤原妹紅に敗北した永遠亭を見限った因幡てゐは、藤原妹紅側につくかつかないかを自身の待遇改善の交渉の駆け引きに利用し、それに激怒した永遠亭側からきつい制裁を受け、因幡てゐはそんな永遠亭を見限って離脱して報復をするというものである。そこで起こる抗争に紅魔館を巻き込み、騙されててゐに協力したレミリア・スカーレットが運命操作を誤って、妹紅や紫らが画策する真の異変が発動するという流れである。
 強大な力を持ちながら不死身というデタラメな存在である宇宙人を殺すには、通常のやり方では無理だろう。そこで逆らえない死の運命を与える事で宇宙人を滅却しようという考えた因幡てゐは、報復の為の後ろ盾を得るという理由で『運命操作』が出来るといわれるレミリア・スカーレットを頼って紅魔館に下るという作戦である。
 蓬莱人を殺す事は不可能だが、存在を維持できる空間を破壊してしまえば消滅させる事が出来る。これを意図的に発動させ、その滅亡因子である永琳の防御要塞を幻想郷に召喚させようとしており、事件の前後関係からこの異変は、永琳でも八雲紫でもなくレミリア・スカーレットが犯行以外の何者でもないという状況に追い込むわけである。これによって八雲紫が援軍と称して表に出ても疑われずに済み、レミリアに協力しつつ影で実権を握り異変を安全に確実にリードし、最終的にこの罪を吸血鬼に着せるつもりなのである。

 レミリア個人を騙す事は容易だと思われるが、問題は紅魔館にどうやって入るかである。入るもっともな理由が必要で彼らを信用させるには、少なくとも永遠亭と因幡てゐの対立構造をしっかりと見せなければならない。この2つが争って、後者が勝つ可能性はゼロだということは東側の住人なら誰しもそう思うわけだが、これが復讐に発展する進捗状況を大勢の住人が認知していれば、敗者に手を差し延べる紅魔館に悪い評判にはならないだろう。
 この部分を認知させる理由は、八雲紫がレミリア・スカーレットを助け、共に異変に取り組む構図を自然な流れとして作り出す為である。もしこれが、永遠亭とてゐが喧嘩をした。次に、てゐが紅魔館を頼った。そして、異変が起きた。八雲紫が出て来た。という要点だけが先に広がると、目聡い者でなくてもすぐに『胡散臭い』と感じるはずである。ここは八雲紫とは関係なく、あくまで永遠亭と紅魔館の単独の抗争として事態が進行しなければならないのだ。
 その前準備が今永遠亭で行われている騒動という事であり、その事件を素早く世間に伝達させる為に八雲紫が専属で動かせる文屋を雇ったわけである。

「なるほど、そういうことなら私が一肌脱ぎましょう。」
 事情を理解して自ら名乗り出て、言葉では少し嫌そうにしながらも、顔は嬉しそうで肩を回しながら腕まくりをする輝夜。
「姫、くれぐれも・・・。」
「分かってるわ。半分息の根を止めればいいんでしょ?私の一番得意とするところよ!」
 半分息の根を止めるというのがどういうことか良くわからないが、自分もよく半殺しにされていたので輝夜の技能は疑わないレイセン。
「てゐ、心の準備は出来ているようね。」
「・・・。」
 ちょーんと正座をして少しうつむいて目を瞑っていたてゐは、輝夜に呼ばれて静かに顔を上げる。涙目になって何かを懇願している様子だが、相手がお人好しで騙されやすいレイセンならともかく輝夜にそれが通じるわけがない。
 そんな輝夜の後ろからレイセンが近付いて来て、カプセルに入った小さな薬とてゐの湯呑みにぬるま湯を入れて持って来る。これは痛み止めの薬で、せめて苦しまずに逝けるようにとの永琳の心遣いである。その永琳は最近人が変わってしまい以前ならこんな気遣いは絶対しなかっただろう。
 しかし、そんなささやかな心遣いも輝夜は無常にもそれを奪い取って全部飲み干してしまう。
「痛み止めなんて邪道よ。怪我人のフリをするんじゃなく、本当の怪我人になってこその人柱よ。」
 人でなしと泣き叫ぶレイセンを足蹴にして黙らせる輝夜。
 痛み止めを飲んだからといって怪我が治るわけではなく、痛くないから自由に体が動くというわけでもないので怪我に本当も嘘もないのだが、リアルさを求めるなら自然なままありのままの重症のほうが良いという輝夜の有り難い配慮である。
 藤原妹紅に完膚無きまで叩きのめされぐうの音も出せなかったストレス最高潮の輝夜の恨みのはけ口の矛先となった因幡てゐに、明日はあるのだろうか・・・。


 鞍馬山領の印刷団地と呼ばれる工場群の片隅に2階建ての大きな木造施設がある。集合住宅の様に各事務所が並ぶ新聞記者の住処、黒い腕章持ちのクロワンの巣、通称『クロ巣』と呼ばれる建物で、その二階の一番奥に射命丸文の事務所があった。
 その事務所の中の一画に間仕切りされた小さなブースがあり、そこにある窓を開けて鮮やかな薄紅色の空を見あげる女編集長がいた。
 その女編集長射命丸文は空の色に見とれるわけでもなく、ボケっとした表情で机に頬杖を付いていた。
 別に美しい物や景色に関心がないというわけではない。印刷機の音を防ぐ遮音結界で外の自然な音が全く聞こえてこず、情緒もないので目に映る景色もまるで人工物の様に色褪せて感動が起きないのだ。
 ここは、自然界と隔絶された機械化された区域なのである。

 調子に乗って書いた反省文が便箋20枚にもなってしまい流石に飽きてくる文。早く椛が務めから帰ってこないかと思いつつ、謹慎明けに何をするかと模索する。
 明確な根拠はないのだが恐らく異変か事件が起こるはずである。先日感じた神社方面における複数の妖気の爆発はその前触れに違いない。自由の身なら神社付近に張り込むのだが・・・。
 何故こんな重要な時期に査問にかけられるのか、かけた奴を見つけだしてスキャンダル記事でも書いてやろうかと意地悪く考えるが、そこでふとある事に思い至る。
 今回の査問は何時もと違う。普通は特定の記事に倒して真偽を問う為に、印刷関係者の理事役員等のお歴々の前で問答をするものである。しかし、今回は具体的な罪状があるわけでもなく謹慎だけである。
 これは自分を異変に関わらせない為に幻想郷東部から遠ざける何かの策略の一環なのではないだろうか?
「・・・まさか・・・ねぇ・・・。」
 そう考えて直ぐにそれを否定して首を振った。大天狗や局長クラスが動く程自分は大きな存在ではない。いくら自尊心が強くとも身の程位はわきまえているつもりで、これは自惚れた考えだと流石の文も赤面した。
「そんな大物になれたらねー。」
 いつか果たそうと思っている夢をぽつりと呟く文。今は一介の新聞記者として事件を追う立場だが、行く行くは新聞記者達から後を追われる様な存在になりたい。この際悪い方で追われてもいい。
 そんなことを考えてムフフと頬杖を付きながら窓の外に阿保面を晒していた文だが、この時事務所のドアの直ぐ外に人の気配を感じ、だらしなく座っていた姿勢を正した。
「たぶん居ますよ。」
 聞き慣れた可愛らしい声。持ち駒の白狼天狗、犬走椛の声だ。査問官でも来たのかと思って正していた姿勢を崩し席を立つ文。
 入り口のドアは衝立で遮っているので声の主は見えないので状況がよくわからなかったが、椛の話しぶりからして一人ではなく他に誰か居そうである。しゃべり方から緊張している様子はなく、知り合いでも連れてきたかの印象で、上司と一緒ではない事は確信がもてた。
「(はて?誰だろう?)」
 文や椛と親しい間柄というと妖怪の山近辺では河童あたりで、同業の鴉天狗らには心当たりはない。ただ、印刷工程の末端で働いている下級鴉や烏などの労働階級とは記者同士の確執は関係なく仕事の面で無理を聞いて貰う事も度々なので仲良くしようと心がけており、事実印刷工場の従業員には評判がいい文。従業員の何人かは締切前の追い込み時に事務所に来て手伝ってもらったりもしている。
 交友のある者は、文が謹慎中でも休憩時間等に時々事務所に冷やかしに来てくれるので、今日も恐らくそんな流れだろうと思う文。しかし、時間はまだ就業時間中である。
 24時間稼動する印刷工場は三交代制で、昼勤の終業時間は午後5時で基本的に残業は無い。今はまだ5時前で、従業員どころかそもそも哨戒任務中の椛も来れる時間帯ではない。
 不思議に思う文は椅子の横に立ったまま様子を伺い、そこに居てはならない者が入って来たのを見て驚愕した。
「!」
「おっじゃっまっしまース!」
 入り口のドアから入室して衝立を挟んだ向側に椛と他1名。その椛とは明らかに違う聞き覚えのあるバカっぽい女性の声の主が衝立の横から顔だけ出して挨拶をした。
「な!あ、あんたは!」
「文、ひっさしぶりー!元気してたぁ?」
 人指し指を指しながら何かを言おうとして咄嗟に適切な言葉が出せない文を尻目に、物珍しそうに周囲を見ながら敬意の欠片もない敬礼を2度3度しながら近付いてくる姫海棠はたて。
「ひ、姫海棠はたて!何であんたがここにいるのよ!」
 名前を呼ばれて、右手の人指し指と中指でVの字を作って、それを右目の横にあててポーズを決めるはたて。以前貸した香霖堂で手に入れた向こうの世界の雑誌に載っていたモデルと同じポーズで、見ている方が恥ずかしくなる。

 文とはたての出会いはそれほど昔の事ではなく、西側でうだつが上がらない射命丸文が、東の様子を新聞記事に取り上げ始めた数年前のつい最近の事である。
 最初は『文々。新聞』を東側には配っておらず、西の妖怪の山周辺に配って反応を伺っていた。天狗以外の妖怪達には新聞と言うよりも読み物として概ね好評だったが、天狗からは東の話題は不評で、特に記者仲間からは管轄外で誰も関心もなく地理もない土地のネタを新聞にとりあげるなど文屋としての敗北だとさえ言われた。
 未知の素材を取り上げる事は別に悪い事ではない。ただ、天狗側にとって東の土地は不干渉領域であり、特に軍事面ではそれが規則として明文化され罰則規定までもあった。
 報道分野に関しては明確な規則はなかったが、東に関わらないというのは天狗全体の暗黙のルールのようなもので、皆それに則って東側は無視していたのである。
 東エリアの記事を書いたとしても誰もその土地の事情が分からないので検証のしようがながく、記事の内容に真偽がつけられない。情報の正確性を重視する西の判断基準において、文のしていることは創作と同義だったのである。
 そうした理由から文は査問に掛けられる事度々であったが、むしろ公の場で正式に言い訳が出来るので査問は大歓迎であり、自分に都合の良い資料を用意し記事に嘘はない事をその都度証明して査問官を煙に巻いていた。文としてはそうした議論のやりとりが好きで本人に自覚はないが、ペンより弁の方が立ち、そしてそれが得意でもあった。
 反骨精神旺盛な文は、何気なく始めた東側の取材も咎められると逆に燃えてエスカレートし発行部数を増やすために東にも新聞を配り始めたのである。

 はたてと出会ったのは、東に活動の比重を移し始めた頃である。
 特に取材に来たという訳でもなくぶらりと寄っただけの比良山領で独特の建物群を眺めて歩き回っていた時、ちょっとした事件が起こった。
 面白い事件に出くわさないかとただブラブラしていた文は、パッとしない地味な格好をした一人の鴉を何気なく横目で見ながらすれ違いざまに目が合い一瞬の止まってしまった。何故立ち止まってしまったかといえば、向こうがこちらを凝視していたからで、その凝視のしかたが尋常ではなく、まるで親の仇でも見つけてしまったかの様な表情だったからである。
 その後その鴉は何かに気づいたかのようにそのまま回れ右をして走り去ってしまったのである。
 文としてはその鴉に全く見覚えが無かったが、向こうはこちらを知っているような感じで、何事かと思いつつしばし呆然と立ち尽くしていた。この時既に鴉天狗の界隈で悪い噂しか立っていなかった文だったので、どうせ悪い方の噂を知っていて関わりたくないと思って逃げ出したのだろうと考えていた。
 よくある事で、あの鴉とはもう二度と会う事はないだろうと、文は気を取り直して歩き出す。
 しかし、文の予想に反して走り去った鴉が新聞の束を両手に抱えて文の前に戻って来たのである。
 古新聞の引取業者と間違われたのかと思いつつ、関わりたくないのでその場を去ろうとしたが、持っているのが自分が発行している『文々。新聞』だとすぐに気付いて動きを止める文。こういう時は決まって『ゴミを出すな!』等それと類似する罵声といっしょに新聞を投げ返されるパターンになるだろうと容易に想像出来、今回もそうなのだろうと内心落ち込みながら表にはそれをみせずやれやれと肩をすくめるだけだった。
 しかし、その時は違った。新聞記事を書いた本人の目の前でその新聞を広げて見せながら、素晴らしい写真なのに記事が全てを台無しにしている。写真が真実をありのままに訴えているのに、主観的な文面が写真の真実と逆行している事が多々で、しかも意図的に記事を面白く見せようとして壮絶に滑っている。願望や主観を減らしてもう少し客観的な記事を書くべきだと甲高い声でまくしたてたのである。
 自慢の写真を誉めて持ち上げてくれるのは嬉しいが、記事の内容はボロクソに酷評され、そしてそれが余りにも的確で反論に窮した文は、やり場のない怒りの衝動を抑えられず手を出してしまったのである。

 その鴉は貧しい層が着る支給品の粗末な衣服を着ており、黒髪は煤けて灰を被った鳥の巣のようにぼさぼさで、ビンの底のような大きな丸い眼鏡を付け外見だけでは性別が分からないほど見窄らしかった。
 瞬間沸騰して思わず滅多打ちにしてしまった文は、正気を取り戻すまで相手が女性であることに全く気づいていなかった。
 手加減したつもり・・・というより元より本気は出さない文だが、相手は想像の範囲を超えた撃たれ弱さで、あと数回殴っていたらそのまま昇天していたかもしれない。
 文は名門射命丸家の一門として、分家ではあるが受け継いだ基礎能力が本家並みに高く、他の鴉天狗と比べても数段強いのだ。
 そんな男相手でも負けない文のブチキレ攻撃に晒され為す術もなく完全に意識を失い虫の息になった女鴉天狗は、我に返って青ざめた加害者である文に担がれて医療所に運び込まれ全治一ヶ月の重症と診断された。体の丈夫な鴉天狗で全治一ヶ月は相当な怪我である。

 一通りの治療を終え命を取り留めた寝台に横たわっている昏睡状態の女鴉を看病しながら猛省する文。
 看病の合間に、治療中に回収していたもう少しで遺品になってしまうところだった『彼女の文々。新聞』を広げて見ると、紙面に付箋や赤ペンで要所に印を付けたり、校正漏れの誤字脱字のチェックを入れたり、記事を添削して赤字で修正が入れられている事に気づいた。
 穴が開く程熱心に記事を読んだ形跡と、その校正の専門的な手際から見て報道印刷業界で働く者であることが伺えた。そして、業界の中でも文屋という最高の高見を目指している事が、その細かい分析内容から理解できた。
 彼女の苦言は自分をこき下ろす中傷ではなく、記者としてはとても大切な批評だったのだ。自分の新聞に対する反響を初めて肌身に感じと同時に待望の愛読者を見つけた事に感動した。それなのにとんでもないことをしてしまったと落ち込み泣き崩れる文だった。

 その後、身元が分からないこの女鴉の家や家族を探そうとした文だが、彼女が新聞出版関係者と容易に判断できたのその方面に聞き込みして身元を割り出し、姫海棠はたてという家族のない独り身の下級鴉天狗だと知るが、同時に文は大きな問題を抱える事になった。
 ここでもし姫海棠はたてが文から受けた暴行によって亡くなるような事にでもあれば殺人事件として大事になっただろうし、死亡していなくてもこれは立派な傷害事件である。本人の訴えがあれば文は間違いなく罪人になってしまうだろうし、他領地で起こした事件であるため、有力な家柄である射命丸家の力でもどうすることもできない。
 事件を犯した文は射命丸家から追放され、クロワンの資格どころか神通力を封印され鴉天狗から烏に格下げされる事も必至であが、回復した被害者のはたては被害届を出さず示談で事を穏便に済ませてくれたのである。
 この件で不問とり自由の身になった文だが、その後も比良山領に滞在して足繁くはたてを見舞い、最初は加害者として被害者であるはたてに対して丁重に扱っていたが、次第に打ち解けて退院間近となる頃には、かなりきつい冗談や皮肉も言い合える親しい間柄になっていた。

 しかし親しい間柄になれても心の中をさらけ出して運命を共にする様な間柄にはなれなかった。その理由はお互い記者としての目指す方向や主義主張に相異があったためである。
 『新聞は読まれてこそ価値がある。いくら正確に状況を書き記し情報としての価値を高めても読まれなければただの紙だ』というのが文の主張で、『読まれる為に情報を都合良く変化させたのでは、それは嘘であり嘘は害悪である。つまらなく例えその時は読まれずとも、当時の貴重な資料として後に価値が生まれる事もある。だから情報は正確であるべきだ』と言うのがはたての主張で、考え方の違いで双方は常に対立していたのである。
 仕事上の身分では、クロワンである文ははたてより上になるが、他の同業者はともかく文ははたてに対しては常に対等に立って一記者として議論を戦わせた。
 文ははたてに妥協して公私に渡って仲良くなる事は十分に可能だった。しかし、仕事に関して主義主張を真っ向からぶつけ合えるライバルは得難く、文は役職的には全く釣り合わないがはたてを対等の相手として捉え、仕事仇として付き合う事を決めたのである。

 主義主張の違いから会えばすぐ口論となり大怪我して入院しているはたてに対しても容赦ない文だが、流石に大怪我を負わせた引け目があり最初は手加減をしていた。
 毎日喧嘩になるとは分かっていても、むしろその口論がある意味楽しいというのもあって、毎日の様に議論をしたが、やがて適当な所で切り上げ仕事とは関係のない話をするようになっていた。
 そんなたわいのない世間話からはたての運命が変わったのである。

 ある日、仕事とは関係ない低レベルな口論で身なりの問題に話題が逸れ、そこでもまた口論となった。
 見るからに印刷関係者を匂わせるインク臭い小汚い姿と、更に仕事以外でも着飾ろうともしないはたてに対して、女性なのだからもっと綺麗にすべきだと文は苦言を呈するが当人は気にする様子もない。だいたい食べるのに精一杯でそれ以外に金が回らないのだから、その点については放っておいて欲しいというのがはたての率直な意見だった。
 クロワンというだけで高い給料を貰え、しかも家からも禄が出る裕福な文としては、お金の事を出されると言葉に詰まるところだが、せめてその鳥の巣頭はなんとかならないかと、文が自らスタイリストになって髪型や服装を弄ろうと画策するものの、ここで思った程に自分にセンスが無い事を痛感する。自分はストレートの髪でどうにでも弄れるのだが、はたては超のつく癖毛で、素人ではどうにもならなかったのである。
 負けず嫌いの文は、なんとかはたての身なりを整えようと躍起になり、香霖堂から向こうの世界の主のファッション関係の比較的最近の雑誌や本を自腹で手に入れはたてに与えてみたのである。
 はたては最初、まるで実物がそこにいるようなフルカラーの美しい紙面に驚いて食い付いたが、その後、雑誌を隅々まで読みまくり、そこに載っているモデルらの煌びやかな姿に目を奪われ、文の予想を超えてハマってしまい、そして完全に『かぶれ』てしまったのである。
 今のチャラチャラした言動と姿格好の『都会に憧れた痛い田舎娘』の完成である。
 そんなはたてに肩書きを与えるとするなら、『妖怪の山最初のイメチェン女』となるのだろうか?昔に比べればだいぶマシだとは思うがかなり変わり過ぎたはたてを見て、彼女のご先祖様に対して少し申し訳なく思う文だった。

「何で一介鴉無勢のよそ者が、ここに来れるのよ!」
 天狗の社会は閉鎖的で他領地同士の交流は基本的に行われていない。その唯一の交流手段として存在するのが新聞報道であり、外部情報に飢えている天狗にとって新聞は最大にして唯一の情報源であり、新聞を通して行われる領内外の交流が一種の娯楽にもなっているのである。
「ふっふっふ、これが見えないの?」
 文の虎の巻通りの問いに対して、それには直接答えず腰に手を当て、左腕の『カリワン』を強調する様に胸を張るはたて。胸なら自分の方が大きいだろうと思いつつ、貧相なはたてが何を偉そうにしているのか瞬時に理解できなかった文だが、隣の椛がニコニコしながらはたての左腕の黒い腕章をチョイチョイと指で示している事に気付く。
「それがどうしたの?腕章を黒く塗ったからってクロワンにはなれないのよ?というか、それやったら怒られるでしょ?」
「はぁ~、文ってほんとにクロワンを権力で買ったのね~。マジで信じられない・・・。」
「な、何よ?それどういう意味?」
 事実、家名で買ったのだから言い訳は出来ないが、はたての言い方が勘にさわって眉を吊り上げる文。
「黒い腕章の縁に細い白い線がありますけど、これはクロワン候補生である事を示しているんですよ。」
 はたての代わりに椛が説明する。
「候補生?ってことは今研修中ってこと?」
「研修を受けた事がないクロワンなんて文くらいなもんよ。」
 腰にあてていた手を胸の前で組んでエヘンと威張るはたて。この時、左手に手帳の様な小さな帳面を持っているのに気づいた文だが、文屋なら誰でも持っているだろうと特に気に留めず話を続ける。
「そりゃー私は正規の研修受けた事ないけどさ・・・でもよりにもよって何ではたてがぁ?あんたの前に他になれそうなのがいるでしょう?」
 具体的に誰とは言えないが、恐らくクロワン候補は他にもっといるはずだと予想する文。
「そう!順番から言えばさぁ?私はもっと後だと思うわけよ。でも、違う。何でだと思う?」
 口調はいつも通りだが、普段こんな謎掛けの様な捻った言い方はしないはたて。明らかにおかしいと眉をひそめる文。
 頭のよろしくないはたては、難しい事を言われるとすぐにムキになって頭から湯気を出すが、今日は何だか何時もと違う。まるでこちらの言動を予め予測して対応している様に感じ、なんだがとても頭が良さそうに見える。
「・・・何でよ?」
 賢い文はそんなはたてに何か裏があるだろうと勘ぐるも、いずれ墓穴を掘るだろうと予測し尻尾を出すまでしばらく受け身になって様子を伺おうと話を聞く態度に切り換える。
「実はねぇ、文の謹慎と私がここに来た事は偶然ではないのよ。」
「ふーん・・・それで?」
 内心かなり驚いて思考を総動員してその意味を考えたが、それを表情には出さずに関心なさそうに振る舞う文。そして、先程この謹慎は何らかの策謀の一環ではないかと自身を過大評価して自嘲していたことを思い出す。
「比良山次郎坊様と八雲紫という美人で見た目超若い女妖怪が何かを企んでてさぁ、とある事件を早急に世間に広めるために文屋が必要となったわけよ?」
 八雲紫の事を殊更若いと強調するはたてだが、冗談ではなく真顔でそう言っているのが気になるところだが、この八雲紫の名前を聞いて自分がおかれている現状や今後の事が朧気ながら見えてくる。しかし、何故はたてが選ばれたのかも含めて、漠然とし過ぎていて具体的には全く分からない。もっと情報を引き出さなければならない。
「それであんたが?文屋なら別にはたてである必要はないでしょ?」
「ぶっちゃけ私だってそう思うわけよ。何であたしぃ?みたいなぁ?でもさ、大天狗様にやれって言われたらやるっきゃないっしょ?」
「・・・他の文屋がやりたくない案件であると同時に、後で簡単に口封じ出来る雑魚に白羽の矢があたったってわけね。」
「さっすが、文!」
「何喜んでるのよ。あんたは都合良く利用されてるのよ?最悪消されるわよ?」
「利用されるなんて結構な事じゃない?上手くいけばこのままクロワンになれるかもしれないのよ?」
「上手くいくわけないでしょ!それに、まぐれでクロワンになっても絶対に続かないわ。」
「続くか続かないかは、私次第だから文はそこまで心配することないわ。」
「誰も心配なんかしてないわよ!所詮は女って舐められて、こっちまでとばっちり受けるのが嫌なのよ!」
「女天狗の評判を地に堕とした張本人がそれを言う?マジで信じられない!」
 この台詞で文はキレた。これまで、はたてが手に持っている手帳をチラ見して、台本通りに喋っている事は知っており、好きな様にやらせていたが我慢の限界である。
「ったく!台本見てしゃべってる奴に言われたくないわよ!さっきから・・・。」
「あ!」
 素早く前に出た文に反応出来ずに胸の前で組んでいる左の手に持っていた手帳の形をした虎の巻を簡単に奪われるはたて。
 文は得意気にその手帳の頁をパラパラと適当にめくりながらはたての顔を見る。その悔しそうな顔にどんな言葉を投げかけてやろうかと意地悪な顔になる。しかし、文が予想していた顔はそこにはなく、ニヤニヤして予めこうなることを予測していたような顔をしているはたてがそこにいた。
「52頁、我慢出来なくなった文が手帳を奪う。」
 はたてがそう言って、顎で文の手にある手帳を指す。文は血の気が引いていく耳には聞こえない音を聞きながら52頁をめくる。
「・・・ま、まさか・・・そんな!」
 文はこの手帳が受け答えの仕方を記した回答集の様なものだと想像していた。しかし、これは今交わしている会話を含めた全てが事細かく書かれた台本その物だった。文は数頁戻って確認してみたが、はたてと文の会話の内容は一字一句同じではないにしてもほぼ同じだった。
「私の今日のノルマはこれでお終い。今後の事は取り敢えず文次第ってことで。それ読んで答えを決めて。」
 文は頭の整理がつかず、様々な感情が入り乱れた状態のまましばらく手に取った手帳を眺め、やがて最初の頁からめくり始める。
 何かが起こる事はすでに確信めいたものを感じていた文だが、既に状況が進行しており、その中に自分が含まれていることを知った。いや、正確に言うなら含ませないための根回しをされていたことを知ったのだ。
 文屋として第三者の立場で起こった状況を新聞のネタにして有名になる事しか頭に無かった文としては、非常にショックな事だった。何故なら文屋とは権力とは離れた場所でそれを監視するという役割もあり、その職に就いている者は基本的に権力を監視するという義務感を持っている。それは当然文にもあった。
 しかしこの件は、比良山次郎坊という権力者側が八雲紫と結託して行っている『何か』の一環に自分が既に取り込まれているわけで、それを知らずに状況に引きずられている事は文屋としての矜持をいたく傷つけるものだった。一応その権力側の策謀に荷担する是非はこちらで決められそうだが、こうなっては後に引けそうにない。
「(・・・しかし、これは・・・。)」
 文は手帳を読みながら紫等の思惑の一環の片棒を担がせられる事に憤りを感じるものの、その具体的な内容を目にして心惹かれるものがあり、胸を躍らせている自分に気付く。
 元々騒ぎが無ければ起こせばいいというタイプなので、予め起こる『事実』をより効果的に『演出』するという八雲紫のシナリオは魅力的だった。自分が紫の立場なら恐らく同じ様な事を考えるはずである。

 はたてが紫と話をしていた時、彼女は文をこう評した。文は広報より諜報工作向きで、それは、能力的にも性格的もそちらのほうが合っていると。更に報道のようなチマチマした仕事ではなくもっと大きな企画運営を任せた方が上手くいくとも言った。そして、同時に上下関係の厳しい天狗の社会の中ではそれは不可能な事だとも付け加えた。
 はたては虎の巻を食い入るように見ながら不機嫌そうにしていた表情が次第に紅潮していく文の様子を見て、紫の言った事は正しいと納得出来た。同時に自分は文屋が限界であるが、文にとっては文屋は単なる通過点なのだとも理解出来た。
「(ま、それもまた良し・・・か。)」
 一生背中しか見る事しか出来ないだろうが、それでも良いと素直に納得出来たはたては肩の荷が一つ下りた気になり一息つきたくなった。


「もみもみ!給湯室どこ?」
「給湯室?それなら暗室に・・・あ、スミマセン!気が付きませんでした。今お茶にします!」
 二人のやりとりを固唾を呑んで見守っていた犬走椛は、お茶を欲して右往左往するはたてに気づいて慌ただしく動きだす。
「ありがとねー!やっぱ、もみもみはイイ娘だわー。」
 本来なら気の利かない駒を叱っても良い状況だが、はたては全くそんな様子は無く皮肉ではなく素直に椛の機敏な動きを賞賛する。
 駒を飼うにしても衣食住、装備などの維持費がかかるわけで貧乏な鴉天狗には高嶺の花である。
 従える駒の数でその鴉天狗の経済的な強さも知る事も出来、大きな家は沢山の駒を飼い一種の軍閥と化していたりもする。
 主人に忠実な犬は駒に打って付けの動物だが、誇り高い狼は簡単に駒には出来ない。狼を駒に従える事は、鴉天狗の中でも極僅かで、その一人が射命丸文であり、その事が一層の嫉妬を呼び、文に対して良くない感情を持たせる要因の沢山のうちの一つになっているだ。
 権力や財とは無縁のはたては、鴉天狗も烏天狗も駒天狗も関係なく付き合い、どんな手伝いも喜んでやるので比良山領の新聞印刷業界では評判が良く、万が一文がこの企みに参加しないとすれば、比良山の小さな印刷所で新聞を刷る事になるだろう。
 しかし、比良山の印刷関連の設備と人員の規模は小さく、そもそも24時間体制ではないので今日の出来事を次の日の朝刊に出す事はまず不可能である。
 紫は文が断ると思って居らず、それははたても同じで、予想通りの乗り気の文の興奮した様子から、事は思惑通り進むだろうと確信できた。

「はたて。」
 お茶をすすりお茶菓子を食べながら椛と世間話をして幸せな一時を満喫していたはたての側に何時の間に立つ文。
「ん?決まった?どうする?」
「どうするも、こうするも、やるしかないんでしょ?」
「文の事ボロクソかいてたけど、それでも引き受けるの?」
 嘘八百新聞の異名を持つ『文々。新聞』の名では発行できないという痛烈なメッセージを受け、さぞ憤慨の極みにいるだろう文に、一応そのことを聞いてみるはたて。
「あれ、あんたが前から言ってた事と同じよね。」
「正確な情報は積み重ねる事で信用が得られる?自業自得ね。」
 虎の巻には『文々。新聞』では誰も信じないので、別の新聞、つまりはたての出す新聞を利用するという旨がはたて宛てに率直かつ痛烈に書かれていた。しかし、虎の巻ははたて用に作られている一方で、それを文が奪い取り読む事を想定してもいるので、そこに書かれている内容ははたてと同時に文宛てでもある。
 文にしてみれば八雲紫から新聞について直接的に駄目出しを貰った事になる。それには大きな憤りを感じるが、率直な感想は文にとっては有り難くもあり、はたての時は手を出してしまったがそれで免疫がついたのか怒気は直ぐにおさまった。
「そう、それ。それはまー確かにそう。分かってる。でも、『文々。新聞』という新聞が東側に出回って新聞という物の認知が進んでいなければ、今回のアイディアもないわけよ?」
「なるほど~物は言いようね~。でもさぁ?嘘があるから真実に価値があると言うのは違うと思うけどぉ?」
「嘘も方便ってことよ。ありのままだけでは時代は動かない。時代ってのは人為的に動かすもなのよ。」
 はたてはただの文屋でよかった。それだけでよかった。しかし、文は実は文屋ではなく、革命家になりたいのではないか?女として生まれた不幸を受け入れるのではなく、戦って道を切り開こうとしているのではないか?腕力では到底男には勝てないこの天狗の世界で、ペンという新しい力でそれに対抗しようとしているのではないか?革命とまではいかなくとも少なくとも現状を替えたいという思いが文の行動力の源になっているのは確かだ。
 はたては、文の言葉に目指す場所が自分とやはり違っている事を確信する。
「嘘も方便か・・・言葉ってのは便利よねぇ~。」
「はたての考え方では、新しい言葉は生まれないわ。その貴女のスタイルも猿まねであって自分で見つけたオリジナルではないでしょ?」
「・・・。」
 はたては、これ以上の議論に意味はないと見てここで黙って文の主張を一先ず受け入れた。
「私は取り敢えず、クロワンになるためにこの異変とやらを利用させて貰う。私にとって最初にして最後のチャンスだしね。文は文でこの異変を自分の為に利用すればいいわ。」
 いつの間にか文の正面に立って顔を近づけて話していたはたては肩の力を抜く。
「ええ、今回だけはお互いに協力しましょう。まー協力と言っても、はたては新聞のタイトルだけ貸して貰えればいいだけで後は全部私がやってやるわ。」
「好き勝手はさせないわ。私の新聞なんだから全部目を通して文が関わった痕跡は完全に消すから。」
「どうぞお好きに。文章の出来にかかわらず、今回はネタだけでみんな食い付くでしょうし。」
 互いに挑発するような好戦的な顔になっていたが目は何故か楽しそうに笑っていた。
 

 複数の大天狗が幻想郷入りしそれぞれが妖怪の山を囲むように領地を分散させているというのが幻想郷の西側の事情である。しかし、幻想郷の東側の住人はこの事をほとんど知らず、それほど広くない幻想郷でも東と西は完全に違う文化圏となっている。そして、6人の大天狗によって分かれている6つの領地毎でも基本的に鎖国状態なので、それぞれに独自の文化が形成されているのだ。
 文化が違うと言っても、文明の進歩状況は東西にかかわらず幻想郷内はほぼ同じレベルで、神通力、魔力、妖力といった力によって局地的な強いエネルギーを用いる事は出来るが、現代の様に常時安定供給できるエネルギーは存在せず夜を昼に変える事はまだ出来ない。
 夜ともなれば人間の里も天狗の里も一様に光は限定されるが、局地的には様々な方法で夜を昼のように明るくする事は出来、その代表的な例が人間の里の繁華街であり、天狗の里では印刷工場という事になる。

 鞍馬山領は、新聞報道の先駆け的位置付けにあり、印刷設備が他の領に比べて突出しており、局地的に電気を起こして工場内の印刷機の動力として供給出来るようになっていた。
 これは、河童の自治区を領地内に認めた代償として彼らの高い技術を供与されて実現したものである。
 一部近代化された印刷機によって、大量の印刷物を短時間で刷る事が出来るようになり、新聞の発行は以前に比べて短いスパンで実現出来るようなり、新聞業界に発行部数を競う競争性が生まれる結果となった。
 これらは、ここ十年前後の事で局地的に鞍馬山の印刷所だけが奇形的に発展したと言える。

 様々な力、例えば法力、神通力、妖力、霊力、魔力、自然の力などを電気に替え、それを印刷団地に供給する。これによって、単に工場施設だけではなく、編集制作施設もその恩恵が得られ、夜にもかかわらず印刷団地の施設内は昼の様に明るい。
 その恩恵にある射命丸文の編集室で、2人の女鴉天狗が角付き合わせる様に、明後日発行する新聞について議論を重ねていた。
「新聞はそんなに簡単に発行できないわ。ここじゃ、少なくとも数日前に予約いれないと!」
「んーなことわかるつーっの!そこを曲げるのが文の仕事でしょ?」
 24時間常にスケジュールが埋まっている印刷ラインに仕事を挟み込む事は出来ない。但し条件によっては可能である。
「・・・緊急を要する事、或いはより大勢に素早く知らせたい主にお目出度い事や訃報・・・。」
「つまり、スクープ記事!号外!」
「そうね・・・因幡てゐの大怪我がそれに該当すれば・・・。」
「因幡てゐって言えば、文が最初に東側の記事書いた時のネタよね?」
「そんなことよく覚えているわね・・・確かに、吸血鬼戦争中謎の津波に巻き込まれて死んだってのが定説だったけど、永遠亭に隷属して生存していたのよね。」
「その永遠亭ってのがいまいちわからないけど、因幡てゐが生きていた事はスクープ扱いだったわよね?」
「・・・そういえばあの新聞、スクープ記事としてライン止めて挟んでくれたんだっけ・・・新聞局長様があの記事でよく認めてくれたもんね・・・。」
 当時をしみじみと思い出す文。因幡てゐ生存に局長が食い付いたのを良く覚えている。当時は自分の新聞がスクープ扱いになったのがただ嬉しくてそのことを深く詮索しなかったが、今思い出すと不思議である。
「因幡てゐって有名なん?」
「あんたはまだ若いからね・・・少なくとも千年以上生きている連中ならみんな知ってる名前よ。」
「ふーん、そーいえばさぁ?あの新聞の反響は凄かったじゃん?」
「思い出したくもないわ。」
 因幡てゐ生存の報は、妖怪の山で大きな騒動となった。
 吸血鬼戦争中に謎の津波に呑み込まれて死んだとされていた、死後仙人兎と敬意を持って呼ばれた因幡てゐの名は天狗の世界でも有名で、彼女の不幸な死は通説として既に常識になっており、これが覆る事は歴史資料や教科書などにも影響する大事だったのである。
 クロワンの資格を家名で買った文は当時、新聞業界から嫌われており、彼女の記事は眉唾と業界が総力を挙げて彼女の記事の信憑性を疑うキャンペーンを貼って封殺しようとしたのである。
「局長様はああなることが分かっててあの記事を出させたってこと?やーらしぃ!」
 はたてが文を失脚させるために局長が一計を図ったと疑う。しかし、文はそれを否定した。
「局長様は、鴉天狗じゃなく歴とした天狗様よ僧正よ?鴉みたいな小賢しい事はしないわ。それに私の記事だからっていちゃもんつけたりしないし、みんな公平に扱ってくれるわ。じゃなければ、新聞なんて出させてもらえないわよ。」
 天狗様とは修業をしている僧正以上の者を言う。鴉も駒も天狗とは銘打っているが、僧侶ではないので厳密にいえば天狗様ではない。
「んじゃー局長はもしかしたら因幡てゐと知り合いだったとか?」
「知り合い?・・・ああ・・・。」
 はたての問いに文は一瞬顔を上げて、その後顎に手をあてて考え込む。
 鞍馬山領の大天狗、鞍馬山僧正坊は幻想郷事業に早くから賛同し、鞍馬は個人的にも幻想郷に一時期指南役で山から降りて滞在していたこともあるくらいである。その配下である天狗達も当然幻想郷の住人や事業賛同者とは面識があってもおかしくはない。
 因幡てゐは幻想郷には入らなかったが、事業には真っ先に賛同して協力妖怪組合の筆頭格に名を連ねていた。つまり鞍馬とその配下とは同じ組合員同士ということになる。
 開始当時はほとんどの妖怪から見向きもされなかった幻想事業なので、その当時の賛同者は少なく面通ししていればそれなりに親密になっていてもおかしくはない。つまり、印刷部門の局長はそれなりに因幡てゐと親密で、その為その生存を心から喜び、記事をスクープ扱いしたのではないだろうか?
 文の結論に、はたても納得した様子で頷くが口に出してはこんなことを言う。
「当時はちゃんとした記事書いていたのにねー、周囲のいやがらせで今ではこんなにやさぐれて・・・。」
「みっともないイメチェン女に言われたくはないわよ。」
「でも、だとしたらこの記事もスクープとして号外扱いにならない?」
「間違いなくなるわ!って、ああ、そういうことか・・・。」
 ここで何かに気づく文。
「どうしたの?あやや?」
「あややはヤメ!」
 前髪で隠しているが以外と広く、少し気にしているはたての額に軽くチョップをして黙らせ、ここまで全部、幻想郷事業の創始者の八雲紫が分かっていて仕組んだものだと肩をすくめる文。
「なるほどねー。あのおば・・・おねぇさまはとんでもない策略家なのねー。」
「そのまま原稿に使えそうな新聞記事の草案も既に虎の巻に書いてある。まだ確認してないけど、って今から明日起こる出来事の記事についての是非を局長様には問えないけど、恐らくスクープとしてすぐに刷って貰える算段もついた。後は写真を撮って、実際の紙面の構成と版下作成ね。ほとんどやることないじゃない?」
 つまらなそうにお手上げの仕草をする文。
「紙面を飾る写真は重要よ。決定的瞬間を撮らないと。」
「対象が現れる日時と場所までご丁寧に指定されてるのに決定的なも何もないでしょ?」
「あるっしょ?臨場感とかぁ?説得力とかぁ?」
「・・・というか、あんたカメラはあるの?」
「そんなものはないわよ。」
「んじゃ、私の貸そうか?あんたの念写よりずっと鮮明に撮れるわよ?」
「遠慮しておくわ。」
「はぁ?今、写真は大事だっていってたでしょ?あんたのボケボケの念写なんかじゃ何が何だかわからなくなるのは必至よ。」
「この目で直接見た印象的な映像は、すぐに消える事はないからそれなりに出来るわよ。それよりも文のカメラ使えばかなり綺麗な写真になえうだろうし、その方が問題よ。」
「はぁ?そのどこが問題なのよ?」
「文、読者を甘く見ないほうがいいわよぉ?写真見れば誰が写したかとかすぐにわかるんだから。」
「え?そ、そうなの?」
「いい?この新聞に文を匂わせる物は一つも入れちゃダメだめなの。それが見抜かれた時点でこの事件が胡散臭くなるのよ。」
 悔しいが言い返せない文。しかし、写真1枚で誰が撮影したかを読者はちゃんと見抜ける事を教えてもらった事はある意味収穫と言えた。
 とはいえ協力した痕跡は極力消さなければならないというのは目立ちたがり屋の文としてはかなり苦痛なことである。
「まぁ、いいわ。今回だけは特別あんたの言う通りにしてあげるわ。がんばってね編集長さん」
「へ、編集長?・・・きゃあああああー!なんか照れるぅー!もっと言って言って!」
 迂闊な事を言って後悔する文は、まとわりつくはたてを振り払うのにしばらく苦労させられることになる。

東方不死死 第54章 「女天狗の憂鬱」


 白玉楼で魂魄妖夢に追い払われ退散したその晩、上白沢慧音の思惑を知り、親友を救うべく異変の傍観者から首謀者へと劇的な変化を遂げた藤原妹紅はその翌朝、異変の主導権を握るその手始めとして紅魔館を訪れていた。
 それと同じ時間、賓客である藤原妹紅を追い払うなど度重なる不始末の責任と力不足を痛感した魂魄妖夢は、白玉楼を出奔し、その後死神小野塚小町の一宿一飯の恩に預かり、更に閻魔四季映姫の訪問を受けていた。
 その藤原妹紅と魂魄妖夢の二人が再会したのはその日の夜の事である。
 魂魄妖夢を得た事で妹紅の完全勝利が確定した運命のその日、異変のもう一人の首謀者とも言える完全敗者たる八雲紫は、この時点ではまだ自らの勝利を疑う事無く関係各位の根回しの為に行動し、八雲藍を守矢神社に派遣する一方で、自らは大天狗の一人比良山二郎坊の元を訪ねていた。

「お久しぶりですな、紫殿。」
「大戦以来・・・でしょうか?500年前と変わらず何よりでございます。」
 大天狗比良山次郎坊は吸血鬼戦争において鞍馬山僧正坊と共に開戦時から参加し、幻想郷連合軍の主力の一翼を担った盟友で、戦後処理では吸血鬼廃絶を謳う八雲紫に同調し、魅魔に傾く天狗側の世論に最後まで抵抗した人物である。
 激戦区にあって勢力を著しく低下させた、魅魔とは旧知でその正論演説に異を唱える事が出来なかった旧友の鞍馬山僧正坊に同情して、代わりに吸血鬼許すまじと大声を上げた義理と人情の人物である。今回の異変は、彼の注文でもあり、妖怪の山の未来の為に捨て駒になろうとする戦友を思って、八雲紫に相談の書状を送っており、それが今回の異変を大規模なものにする要因となったのである。
「直接お出で頂くとは思ってもみなかった。もてなしも出来ず面目ない。」
 僧侶である大天狗とその弟子達の生活は、その下にいる鴉天狗らよりも質素で、大天狗にもかかわらず板張りの広いお堂の一区画に畳が敷かれ、そこにご本尊の様に鎮座するだけである。予め連絡しておけば紫の為に場を整えて準備していたのだが、急な来訪に対応できず次郎坊は謝罪の言葉しかなった。
「それには及びません。今回出向いたのは比良山様のお力をお借りしたく参上した次第ですので・・・。」
 本来客として扱われる立場になるが、頼み事に来た自分が頭を下げる方だと謙遜する紫。大天狗は単に強い存在ではなく、菩薩と同等であるため、紫と言えど冗談など軽口は叩けない。
「ほう?私に何をしろと?」
 お茶を持ってきた部下を尻目に、興味深そうに顎に手をあてる比良山次郎坊。
 紫はお茶を出した者に深くお辞儀をするが、ここは高位の僧しか入れない特別な場所で、つまり彼は茶坊主などではなく高僧の一人というわけである。
「幻想郷全体を震撼させる異変の段取りは出来ましたが、その前に呼び水となる小さな異変を起こそうと思いまして、それに必要な人材お貸し願おうと参上した次第です。」
「ふむ?」
 比良山は、自分が直接何かをするものと勘ぐっていたため、紫の申し出に対して少し期待はずれといった残念そうな表情をする。
 天狗には良い噂と悪い噂があるが、その悪い噂の元になって世間に知れ渡ったのが、この比良山次郎坊で、俗世に干渉するにあたり、試練と称して火事など主に人々に被害が出る方向からアプローチしていたのである。
 それに怒った人間の僧侶達が、彼の住む比叡山に攻め入って来たので潮時と引き下がって比良山に移住し、現在の比良山次郎坊になったというわけである。
 次郎坊は常に騒動の最前線に身を置きたい性格なため、八雲紫の頼みとやらで自分も公然と動ける口実が出来ると思っていただけに落胆も大きい。
「して、その必要な人材とはどんなものだ?」
 気を取り直して次郎坊は問う。
「文屋です。」
「文屋とな?」
 比良山はそう聞き直した後、お茶を出してそのまま立ち去ろうとする弟子の高僧を呼び止める。そして情報部門を統括する長を呼んでくるように告げた。
「全体を統括はしているが、細かいところは全てその部署の長達に任せているよって、今、分かるものを連れてこさせる。しばし待たれよ。」
「恐れ入ります。」
 八雲紫はかしこまってお辞儀をした。

 ほぼ同時刻に八雲藍が守矢神社を訪れているが、八雲紫にとっては守矢よりも比良山の方がはるかに格上と捉えており、物の順番からして藍をこちらに派遣する事は出来なかった。
 時間をずらして、それぞれを直接尋ねるのが筋というものだが、この時紫は藍に守矢神社への交渉を一任していた。これは守矢軽視と言える行為だが、こちらの出した条件をそのまま鵜呑みにしないだろうと予測しており、藍では手に負えない案件を後日自分が直接出向いて解決するという段取りが紫の頭にあった。しかし、守矢神社にも思惑が存在し、その計略の一環として紫の申し出を丸々了承して契約が成立してしまっており紫はそれを知らない。
 現時点で守矢との交渉が上手く行った事を知らない紫は、ある意味ここが勝負の分かれ目だったと後日後悔することとなる。

 数分後、情報部門を統括する局長を務める高僧の弟子が本堂に現れ、正対する比良山次郎坊と八雲紫の横に座り、それぞれが三角に向かい合う。
 紫は必要な能力をピックアップした書類を予め用意していたので、それを局長に渡し精査してもらう。
 一通り書面に目を通した局長は口を開き、その答えに紫は落胆した。
「文屋連中は、御上の命令で動くような輩ではありません。情報操作、しかも東部の企みに荷担する者はいないでしょうな。」
「わしの命でもか?」
「彼らは自らの仕事に誇りと文字通り命を賭けている者ばかりです。鴉天狗でありながら連中の玄人根性は他の職種の者とは明らかに異質なのです。」
 大天狗がそれぞれに治める領地は、基本的に領地間の交流は全く無く、情報の伝達はそれぞれの領内の報道機関が独自に情報を収集して独自に報道している状況である。
 情報部門には、外部から入る情報を精査する内部機関と他の領地の情報を集める外部機関に別れており、この外部機関が新聞報道の花形機関となっている。
 新聞報道は誰もが自由に出来る事ではなく、報道事務所を開設して新聞を発行出来る権限を持っていなければならず、厳しい下積みと審査を経てようやく就ける職なのである。
 新聞発行権を持つ者の証である黒い腕章、通称『クロワン』は、唯一他の領地に自由に入れる通行手形になっており、この権限によって他の領地の事件や話題を収集して報道する事が出来るというわけである。
 大きな権限と自領の看板を背負う責任が課せられる職業柄か、『クロワン』持ちは皆この職に命を賭けており、八雲紫が求めるような言われた通りに動く人材はどこにもいないという事である。

 鞍馬山領の射命丸文は家名で『クロワン』を得た様なもので、その為自力でこの職に就いた同業者からの風当たりが強く、更に天狗の世界ではそれだけで自動的に身分が低く扱われる女天狗であることから自領のみならず他の領地の報道機関からも爪弾きにされてしまっているだ。
 八雲紫が求める人材に、その射命丸文が適任にも思われるが、彼女もまた報道に携わる者の誇りが強く、権力側に荷担して体制に都合の良い記事を捏造するのに抵抗を覚えるだろう。素で捏造記事を書くのに、命じられた通りに嘘を書くのは嫌なのだ。それに、文の性格からして言われた事だけやるようなタイプではなく、余計な事まで書いてしまうかもしれない。
 更に文の発行する『文々。新聞』は、別名『嘘八百新聞』と呼ばれる程に信憑性がゼロの新聞で、ここに載る記事は全て事実を基にした文の創作という認識が既に幻想郷全体に知れ渡っており、情報による世論操作をしたい紫としては、誰にも相手にされない文の新聞は全く使い物にならないというわけである。
 紫としては、信用出来る新聞でなければ世論操作にならないだろうと考えており、他の新聞に該当するものがなければ創刊させようという目論見だった。

「東部の事ならクロワン組ではなく、その下の者にやらせればいいのではないか?」
 部下よりも融通が効く騒ぎが大好きな上司にあたる比良山次郎坊がそうアドバイスをする。
「東部と言えど新聞の発行権が無ければ新聞は刷れませぬ。不正の無いように日々努めよと言っている私の口からは何も言えませぬ・・・。」
 渋る情報局長。これはもっともである。記事を作るのは文屋の仕事だが、それを刷って形にするのは印刷部門で、更に編集局長の直属である品質管理部門が厳しく検閲するのだ。新聞はいくつもの部署を通過するのでお目こぼしは出来ないし、これをやると新聞報道における信用性の根本がひっくり返ってしまう。
 ちなみに、文の新聞は検閲によく引っかかり、そこで査問にかけられるのだ。
「では、然るべき者にクロワンの資格を与えればいい。」
「・・・確かにそうですが・・・うーむ。」
 比良山の言は最もで考え込む局長。
「準資格者に心当たりはありませんか?」
 このやり取りに対して紫がここで初めて口を開く。
「希望者は大勢おりますが、その能力に見合う者がいるかというと・・・。」
 今現在、各部署の組織はほぼ固定化して新たな部署の新設や統廃合はされておらず、数百年も変わらない体制が続いているのが妖怪の山の現状である。
 吸血鬼戦争の様な悲劇的な大戦は、損失も多いが様々な需要を生み出して活気が出るという副産物も出る。しかし、長い平和の日々は組織の緊張感を失い開拓心や向上心が失われるものである。そして今の自分の地位を守ろうと上を目指す者の頭を抑え、出る杭を打つという悪循環が生じるのだ。
 文屋の業界は実力がものをいう世界で、野心的な者は既に目的を成就しているのが現状で、残った下の者からの突き上げが少ないため緊張感に欠けており、底辺の人材も出る杭は打たれないように今の生活を守るために息を潜めているのだ。
「射命丸家の小娘がなれるのだから何とでもなるじゃろう?」
 文の名前は色々な意味で有名で、そもそも文を査問にかけて身動き出来ないように比良山に仕向けたのが紫で、比良山もその時文の名前を聞いてその存在を覚えていた。
「あれは、まー特殊な事例でして・・・。」
 3人は一様に考え込み始める。これでは埒があかないので紫が情報を求める為に口を開く。
「黒腕章・・・クロワン持ちの女天狗(めてんぐ)は、現在射命丸文だけなのですね?」
「はい。業務の末端には女天狗が何人かおりますし、写植版下行程には多数おります。しかし、クロワン持ちは彼女だけです。」
 制作行程は繊細な仕事で、女性が適している。
「よろしければ、候補者に成り得る人材の資料を見せてもらえないでしょうか?」
 この申し出は内政干渉の様なもので無礼にあたるが敢えて紫は頼んでみる。驚いて顔を見合わせた比良山次郎坊と局長だが、頷いた上司の態度を受けて懐から何も描かれていない白紙を取り出すと、局長はその紙に手を置いて必要な情報をそこに映し出す。これは妹紅などが使う術と似ており、局長もまた高い能力を持った術者である事が理解できた。
 実際問題として大天狗の下に連なる弟子は皆高僧で、高い神通力を持っている。そうした者達が各部署の長を努めて里の運営に当たるのである。

 頭の中に記録している膨大な情報から必要な情報抜き出して紙媒体として形に表してみせた局長からその資料を受け取った紫は、クロワンを目指していると思しき候補数名の履歴を確認する。
「一人、女天狗がいますね?」
 履歴書の中に女性を発見した紫。
「はい、姫海棠はたて、フリーの写手(カメラマン)です。」
「念写が使えるのね。」
「彼女の念写は記録情報の検索能力で、主に古い記事からの引用作業に駆り出される人材ですね。印刷の版はすぐに破棄されますが、一度閲覧している情報なら彼女の力で探しあてる事が出来ます。資料整理にはうってつけな人材です。」
 ここで名案が浮かぶ紫。
「この女天狗を女性クロワン2号としてみるのはどうでしょう?」
「能力的に見てまだまだと・・・。」
「この際能力は関係なかろう?」
 ここで比良山が紫の思惑を理解して同調する。
「比良山様と私が今この場で会見している理由が何であるか、局長殿はご存知かしら?」
「いえ、存じ上げませぬが・・・ふむ、なるほど・・・そういうことですか。」
 理由は理解出来ないが、何か事を起こそうと2人が画策していることは理解出来る局長は、懐疑的だった表情から理解を示す表情に変わる。ここは彼らの望む答えを導き出せば良いのだ。
「射命丸文に次いで、女クロワンが誕生するというのは、中々にして面白い事でしょう?良い面も悪い面も含めて・・・。ただ、いきなりクロワン昇格は確かにやり過ぎですわよね?」
 挑発するような怪しい表情で局長を刺激して、名案を引き出そうとする紫。一瞬目が合った局長は目を閉じて考え込む。
 この2人が何かをしようとしていることは理解出来る。しかし、具体的に何をするかは教えないだろう。自分はその状況で何を提示すればよいのだろうか?
「彼女をクロワンに昇格させなくても新聞の発行が出来る方法が一応あります。」
「それは?」
「昇格試験を兼ねた研修をさせればいいのです。研修中は新聞の発行が公式に認められます故・・・ただ。」
「何れにしてもその理由付けが必要か・・・。」
 比良山が難しい顔をする。
「そこで多少強引ではありますが、射命丸文をダシに使おうかと思います。」
「ほう?それで具体的にどうする?」
「問題の多い射命丸文は、女性唯一の記者という肩書きを持っております。この肩書きから『唯一』が取れるだけで、気分を良くする者は大勢おるでしょう。対抗馬と言いますか、比良山領からそれが出るというのなら世間的にも『有り』と見るのではないでしょうか?」
 鞍馬山とは常に好敵手で旋風の比良山次郎坊ならやりかねない、他の奴ならともかく比良山がやるなら仕方がないだろうという世論の見方を考慮した部下の言葉に、思わず大笑いをする上司の次郎坊。確かにこんな馬鹿な対抗心は他の大天狗はやらないだろう。
 文は現在、唯一人の女性記者という肩書きがある。彼女を良く思わない、つまり報道関係者全員がこのご大層な肩書きを良く思っていないわけで、天狗の社会では上下関係や役職などの肩書きが重要視される傾向になるので、尚更『気にくわない』のである。
 仮に姫海棠はたてがクロワンを得て女性2番目の記者となれば、射命丸文から唯一人の女性記者という肩書きが無くなるというわけで、これによって実質何か得る物があるというわけではないが、気分を良くする者は大勢いるだろう。
 はたてがいきなりクロワンを得るというのは同業や同胞からも問題視される可能性が高いが、それ以上に問題視されている異端の射命丸文の肩書きを減らせると言うのなら、むしろ姫海棠はたてを応援する輩も出て来るだろう。そして、この事が報道業界に活気を生み出す起爆剤とすれば、文の所属する鞍馬山側には申し訳ないが、比良山側にしてみれば何も失うものはなく、正に一石二鳥である。
「局長様、彼女をしばらく私に貸して頂けないでしょうか?」
 紫の申し出を受けて、局長は上司を見る。それを受けて比良山次郎坊は面白そうに大きく頷き許可を与えた。


 姫海棠はたてを呼ぶために一時席を立った局長は、半時経って一人の少女を伴って再び2人の前に現れた。
 ここは、比良山次郎坊本人を本尊と祀るお寺の本堂。重役幹部しか入れない神聖な場所である。そこに連れてこられた家柄も何もない鴉女天狗は緊張と言うより恐怖心を隠せずに膝や顎がガタガタと震えていた。
「姫海棠はたてだな?」
「は、ハイ!」
 畏れのあまり名を呼ばれた瞬間にその場に土下座するはたて。
 八雲紫はその様子に思わずクスリとしてしまう。服装全体は射命丸文と似た感じで、紫色がワンポイントになっている。自分のトレードマークとも言える紫色がお気に入りのようで、少し良い印象を覚える八雲紫。
 連れてきた局長はそんなはたてを見かねて背中に手を回して軽く叩いて気を入れる。緊張と恐怖で呼吸が上手くできなかったはたては、身体から力が抜けてほっとしてリラックスする。
「そなたに重要な任務を与える。ここにいる八雲紫殿にお前の身柄を一時預ける。彼女の命に従い行動せよ。」
「え?」
 顔を上げたはたては、正対する大天狗様と自分を真横から見る様に座っている美しい金髪の女性の存在に気付く。微笑んで会釈するその女性をポカンと口を開けて見つめるはたて。局長に促されて比良山次郎坊に向き直って、ははーっとひれ伏して命令を受領する。

 局長に連れて来られる間に粗方の事情を聞いていたのだろう、大天狗比良山次郎坊から辞令を受けて正式に任務についた姫海棠はたては、別室に案内されて紫と二人だけになってようやく素顔に戻って明らかに不満そうな表情に変わる。
 大天狗やその弟子の高僧達はともかく、鴉天狗は天狗以外の者を下に見る傾向が強く、外から見ると文字通り天狗になっている様に見える。はたては鴉でも珍しくお高くとまらない質だが、どこの誰ともわからない紫に対しては、流石に愛想を良くする筋合いは無いと判断し、あからさまに態度を変える。
 八雲紫は鴉天狗の習性を知っていたのではたての態度も特に気にならず、教育的指導をする気も無かったが、はたての最初に出した言葉でその考えが一瞬で変わった。
「ねぇ、おばさん?私ってば何すればいいわけ?」
 紫も大天狗の前で猫を被っていた事もあり、はたての目からは優しそうなおばさんに見えたのだろう。それをそのまま直に口にしてしまったはたてはすぐに地獄を見る事になった。
 突然目の前の優しそうなおばさんの雰囲気が変わり、そのやばそうな雰囲気から『おばさん』というキーワードが禁句だと理解したはたてはすぐに謝ろうとしたが、その時下腹がシクシクと不快感を訴えている事に気付き、口を開く前に酷い悪寒に襲われていた。自分の身に何かが起こっている。直接的な痛みがあるわけではないのだが、腹の中で何かが蠢いていると感じ、これは生命に関わる重大な危機だと直感する。
 立っていられなくなったはたてはその場でうずくまって悶絶し、冷酷な表情で見下ろす紫を見上げる。見ると片方の手が裂けた空間の中に入っており、それが少しずつ外に出るのが見え、やがて完全にその手が外に出るとはたてはそこで信じられない物を見る。何かの内蔵、恐らく腸を掴んでおり、裂けた空間から引きずり出そうとしているのだ。そして、それが自分の腸だと直ぐに気付いた。
「丈夫な鴉天狗も、内臓は鍛えられないわよねぇ~。」
 引きずり出したまだ生きている新鮮な腸を口元に引っ張り美味しそうにそれを見つめる紫。
「謝るなら今のうちよ?」
 謝ろうにも声が出せないはたて。それを見てクスっと笑い、名残惜しそうにはたての腸を一舐めして手から離す。内蔵は有るべき場所に戻ろうと勝手にスキマの向こうに引き込まれていった。
 術が解かれ身体の自由が戻ったはたては、ゼンマイを巻いたばかりのおもちゃの様に俊敏に動いて紫の足元に小さくなって土下座する。
 上下関係を強く意識する鴉天狗の世界では、目上に対する無礼は今後の人生に大きく影響を及ぼす一大事で、謝る際は盛大に土下座をしてみせる事が礼儀作法になっている。
 幻想郷の実質の支配者である八雲紫という存在すら全く知らなかったはたてとしては、別に悪気があっておばさんと言ったわけではなく、お姉さんではちょっとアレだと思って軽い気持ちで口にした言葉だった。まさかこんな目に遭うとは思わず、降参して完全従順を決める。
「あのー?えーと?何とお名前をお呼びすれば良いのでありますでか?いや、でしょうか?」
 身分も低く育ちも良くないはたては、普段から口が綺麗ではなく、しかも位の高い者と接した事がほとんどないので敬語で話す事に慣れておらず、紫に対して服従する態度を示すもののどんな風に喋ってよいのかわからない。
「私の名前は聞いたでしょ?」
「八雲紫様?でしたっけ?んじゃ、えーと、八雲様?それとも紫様?」
 句読点の様に疑問系を使う独特のしゃべり方。都会に憧れる田舎娘が時代遅れの流行に染まったままという痛々しさと無邪気さが感じられる。早口で雑なしゃべり方は学が無い事を暗に示しているが、酷い目に遭った後も卑屈になったり、露骨なゴマすりを使わない態度は好感が持てると思う紫。
「好きに呼んで頂戴。」
「じゃーぁー・・・、そうだ!ゆかりんなんてのはどうです?」
「はぁ?何でそうなるのよ?」
「だってぇー?その方が可愛いじゃん?」
 ゆうかりんと呼ばれて満更でもない顔をしている幽香を馬鹿にしつつ内心羨ましいと思っている紫。思いがけず『ゆかりん』と呼ばれて鼻の穴が膨らみそうになったが、表情は冷静に保ち言い方を改めさせる。結局「紫さん」という何の変哲もない呼び方に決まり、少し残念に思う紫だった。


 局長から頂いた縁に白い一本の線がある黒い腕章を左の細い腕に付けるはたては、感動と戸惑いが混ざり合った複雑な表情をしている。
 お気楽なこれまでの仕事も悪くは無かったが、世間の噂を鵜呑みにして馬鹿にしていた射命丸文の『文々。新聞』の躍動感のある記事に一目惚れして、密かに購読していつかはこんな記事を自分も書きたいと思っていたはたてである。
 大天狗様と八雲紫らの陰謀に巻き込まれて思わぬ出世話が舞い込んだわけだが、身分や実力を考えると一生かかってもなれる可能性がない文屋になれるチャンスは今だけである。これを逃したら恐らく二度とチャンスは来ないだろう。
 身分相応の職に就く辛さは、文を見ていればわかるが、もしかしたらこの期に親密になれるかもしれない。隠れ文ファンであるはたてとしては、2重の意味でチャンスなのだ。

 はたては紫との打ち合わせの席で、真剣な表情でその話を聞き、自分のすべきことを頭に入れるようと試みるが、話が思ったよりも多く記憶の整理がつかない。そこでメモを取ろうとあまり使っていない自作のメモ帳を取り出したが、予め段取りを書いた虎の巻を紫から貰う。
「私が今言った事は全てここに書かれているわ。記者の端くれならこれくらい直ぐに暗記できるでしょう?」
「こう見えても暗記は得意です。」
 こう見えてもと言う事は、自分でも端から見て頭が悪そうに見えると自覚でもしているのだろうか?確かにチャラチャラして暗記などが最も苦手そうに見える。紫は記憶の中のはたての履歴書から業務内容を思い出して、確かに記憶力が重要な職だと理解出来た。
「今から文に会ってもらうけど、ここまで今日中に済ませて頂戴。」
「わかりました!ようするにすぐ行動しろってことですね?」
「そう、ここまでしっかりやってね。」
 綿密なスケジュールが記されている虎の巻の羅列を指でなぞって示す紫。素直にハイハイと聞くはたては、話が終わると直ぐに取材という名の作戦を開始した。先ずは査問中で自宅謹慎中の射命丸文を訪ねる事である。

 今現在の自分の身分は、新聞発行権を持つクロワン記者となる為の研修生で、事務所を開設する資格はないが取材の為の自由な行動が約束されている状況である。
 試験はクロワンと同じ立場で取材をし、それを新聞として発行、その評判で結果を決めるというものであり、新聞の内容に関しては自由に決められる。はたては八雲紫の指示で唯一人の女性記者、射命丸文の特集記事を書くフリをする様に命じられていたが、例えフリでも日頃から文にお近づきになりたいはたてとしては、願ったり叶ったりだった。
「はてさて、ゆかさんの虎の巻によると、比良山領を出ると先ず犬走椛が接触してくるとあるけど・・・あっ!」
 文と行動を共にする駒天狗の犬走椛ははたてもよく知っている。主人とは正反対で礼儀正しく自分も駒に欲しいとすら思ってしまういい子である。果たして紫の予想通り彼女が来るだろうかと疑問に思う間も無く虎の巻通りの展開にはたても思わず驚いてしまうはたてだった。


 紫の指示通り行動を開始した仮の黒い腕章、『カリワン』を付けた姫海棠はたては比良山領から隣接する鞍馬山領に真っ直ぐ飛ぶ。そして紫の予想通り犬走椛が急接近して行く手を遮った。
「姫海棠はたて様ですね?ここからは鞍馬山領になります。すぐに引き返してください。」
 藍を検問した時は行き先を聞いたが、他領地の鴉天狗は即刻追い返すのが規則である。
 面識があるものの仕事中なので厳しく検問する椛に、はたては一瞬戸惑ったものの、今は伝家の宝刀がこちらにあることを思い出す。
「ねぇ椛ぃ?これが目に入らないのぉ~?」
「あ、それは・・・仮免許!もしかしてもうすぐ記者になれるのですか?文様も喜びますよ!」
 検問する必要がない相手と知って素に戻って嬉しそうにはたての出世を喜ぶ椛。
「な、何で文が喜ぶのよ。」
「文様は口ではあー言ってますけど、はたて様の事をすごく気にかけてるんですよ。」
「へ?へぇ~、そ、そうなんだぁ・・・。」
 意外な事実に嬉しいような困ったようなリアクションをするはたて。そんなはたての微妙な立場を知らず嬉しそうにニコニコする椛。身体も小さく可愛らしい声の見た目すごく弱そうな椛だが、種族的に駒最強クラスの白狼であり、この近辺ではナンバーワンの実力と検問実績を持つ。
 出来の悪い主人を持つ優秀な椛を多くの者が同情して、主を替えるよう助言するが、実は一番辛いのは優秀な部下を持つ主の文であり、はたては彼女の方にこそ同情する。

 姫海棠はたては貧しく身分の低い家の出で、自分以外の家族全員が鴉ではなく烏で、家は鴉社会では最下級に位置していた。
 家族の中で唯一鴉として亡き父の血を引いたはたてだが、鴉天狗として目を見張るような能力を持たず、自分の能力を生かせる報道の仕事に携わる以外に食う道はなかった。事務所を開けるクロワンにでもならなければ、この職種は大変な割に実入りが少ない不人気な職で、腹を貸して見事に鴉天狗を生んで、その母となって良い生活にありつけた姉や妹の禄で家族は生計を立てており、鴉天狗として生まれたはたてではあったがフリーである為収入が安定せず、家族を養う事が出来きず肩身が狭かった。
 烏として生まれた女性は、鴉天狗を生むために他の鴉の家に嫁ぐわけだが、そこで鴉天狗を生めば褒賞が与えられ、生んだ子どもにも面倒を見て貰えるので生活に困る事はない。身分も烏から鴉に格上げされる。ただし、身分上は鴉になっても中身は所詮烏、つまり人間であるため、寿命が短く50年も生きられない。その為はたての家族は既に全員寿命で亡くなっているのである。
 既に他界している姉や妹は母親として立派に務めを果たした。鴉天狗として生まれる事はできなかったが優秀な鴉天狗を生んだ姉妹。そして優秀な弟達が出来て親戚が増えてしまい、否応なしに彼らと比較されるはたて。優秀な身内を持つ身の辛さは、はたても身を以て知っており、椛の存在に苦悩する文の心情も充分理解出来る事だった。

 真の目的を知らず、文の特集記事を書くと知った椛は、主の悪い噂をぬぐい去れる絶好の機会と思い大喜びして、謹慎中の文の家への案内役を快く引き受けてくれた。
 ここまで紫の思惑通りである。このままトントン拍子に行けば良いが、虎の巻によると別の検問を受けると予言のように書かれている。はたてはその時の対処法を思い出し心の準備をした。
 椛に先導され鞍馬山領に入ったはたては、近付いて来てはすぐに離れていく他の駒天狗を見ながら、やがて里の結界に差し掛かる。
 切り立った岩肌に石と木で出来た天然の要塞があり、まるで戦中の最前線基地といった様相である。吸血鬼戦争における最も熾烈な防衛戦が行われた場所の一つと聞いている。
 大きな木製の朱色の門があり、ここが鞍馬山領の里の入り口である。資料にある写真や図解を見た事はあるが実際にこの目で見るのは初めてである。その巨大さに圧倒される。
「止まれ!誰だこいつは?」
 駒天狗ではなくそれより格上の鴉天狗が多数この山門要塞に衛兵として警備にあたっており、椛と見慣れない女天狗を確認してすぐに数人が接近してはたて等を引き留める。椛はおとなしく止まってはたてにここは任せるように小声で助言して近付いてくる衛兵を待つ。
「椛か、見慣れない顔だが、こいつは誰だ?」
「比良山領の鴉天狗姫海棠はたて様です。クロワン取得の為の研修中で、こちらに取材したいとの事でお連れしました。」
「姫海棠?聞いた事ないな。研修ならうちじゃなくてもいいだろう?他をあたってくれ。どこの馬の骨ともとれぬ輩を通すわけにはいかない。」
 正規のクロワン持ちは、他領はおろか自領も悠然と飛び回れる為、門番などから見れば煙たい存在で取り合いたくもないのに、研修生でしかも女天狗ならなおさらである。
「そ、そんな・・・。」
 がっかりする椛。
「そうだな、椛が主を替えて俺の家に来るなら考えてやらなくもないぞ?」
「おいおい、どさくさにまぎれて勧誘するなよ?」
 吸血鬼戦争当時、ここを死守して戦功を上げた由緒ある家柄の小せがれ鴉が、どさくさに紛れて椛を勧誘し、ずるいと言わんばかりに他のすかさず衛兵がたしなめる。椛の人気は高く、ここまで見事に紫の虎の巻通りの展開である。まるでこの状況を見てきた様であると、はたては内心感心する。
「そ、その話は前にもお断りしています!」
「なら、とっとと哨戒に戻れ。まだ上がりの時間じゃないだろ?」
 ここで、はたてが前に出で、椛を下がらせ更に少し遠ざけ、後ろに下がった椛に振り返ってウインクをする。
「鞍馬領の門番?ずいぶんとケツの穴が小さいのね?大戦で勇敢に戦って死守したって聞いたけど、本当は門の奥に閉じこもってたんじゃないの?」
「何だと!我々を侮辱する気か?」
 はたての挑発に瞬間沸騰していきり立つ衛兵達。
「今の勧誘の仕方はさぁ~?戦士のやることではないわ。違う?」
「そ、それは・・・。」
「だいたいさー、門番なら何の取材で来たのかくらい聞きなさいよ、マジで。」
 礼儀知らずの門番達の非礼を殊更強調するはたて。もちろん八雲紫のマニュアル通りの対応だ。
「どうせろくでもない取材だろう?自分達の都合のいい記事しかかかないしな。」
「ふーん、だったら臆病な門番達の居る鞍馬領の深刻な人材不足と題して記事を書こうかしら?」
「貴様ぁ!これ以上ほざくとその首飛ぶぞ!」
「人材不足ってのは本当の話でしょ?こっちは正規に動いている研修生よ。その首はねたらあなただけじゃなくて、鞍馬様自身も責任をとらされるんじゃない?いいのぉ~?」
 ほとんど台本通りだが、頭の悪そうなしゃべり方が余計に相手を苛立たせる事になる。
「くっ・・・何の取材だ、言って見ろ。」
 来た!と内心冷や冷やのはたては筋書き通りの展開に歓喜した。はたてはこの時顔を寄せて敢えて椛に聞かれないような態度で小声で話し始める。
「実はね、射命丸文の取材に来たのよ。」
「あ?あいつの?」
 途端にはたてを取り囲む門番達の雰囲気が変わる。
「どんな記事を書くんだ?」
 一人が食いついてくる。
「どんな記事にするかは私のペン次第っしょ。実際どうなの?彼女の評判はさぁ?」
「家柄だけで実力もないただの成り上がりだ。とにかく女の癖に生意気なんだよ。」
 女の前で言う台詞じゃないだろうと思うはたてだが、虎の巻にも書かれてあった通りの反応で思わず笑いたくなる。
「ホント、あいつムカつくよね?知ってたぁ?あいつ女からも嫌われてるって。」
 はたては門番らに同調して本心とは逆の感想を述べる。耳の良い椛も後ろからでもそれが聞こえ内心穏やかではなかったが、はたての声が少しわざとらしいことと、先程の目配せから演技だと見抜き黙って見守る。
「だろ?もし、あいつを下げる記事書くってんなら、通してやってもいいぞ?」
 射命丸文嫌いという共通認識が芽生え、部外者のはたての存在を大目に見るようになる門番達。
「マ、マジで?書く書く!超書くわよ!」
 キャピキャピしながら嬉しそうに跳ねて見せるはたて。その品の無い無邪気な仕草は、気位だけは一人前の名家の小せがれ門番らの虚栄心を刺激しはたてに対する警戒心を解く結果となった。
 鴉天狗としては底辺に位置するはたては、守るべき名誉など存在せず良い意味でプライドが無い。
 頭の固い衛兵達をうまく丸め込むはたての様子を後ろで驚きながら見る椛だった。


 門番らに快く通過を認められて山門をくぐり、駒天狗犬走椛に先導されて初めて他の領地に入るはたて。
 比良山領は妖怪の山から少し離れた場所にあり、尖った山の形状から平地がほとんどなく、山を囲む用に螺旋状に外に張り出した木組みの土台の上に集落が建っており、居住区となる床面は人工的に作られた平らな面で、大地のある平らな地面はほとんどない場所である。
 鞍馬山領だけでなく、他の大天狗の領地は山の中腹にあって、村落は段々畑の用に斜面に沿って建っている。大きな建物は太い丸太で足場を作ってその上に建っており、狭い領地の割に人口が多い比良山領とは違って土地を豊富にゆったり利用出来る。
 文が時々来て比良山領の鶏小屋の様な集合住宅を呆れた顔で見ていた理由がようやくわかった。土地を有効利用するために部屋が狭くしかし密集して建つ比良山領の家々は正に鶏小屋だ。それと比べると断然鞍馬山領の方が良いと思うはたてである。
 そして、このはたての他の領地の方が良いと思える感覚は自分たちが一番だと思っている誇り高い鴉天狗としては稀なのである。

 天狗の世界では名家として知られる射命丸家。その家名に相応しく大きな屋敷を構えており、屋敷の中にはお寺も建っている。これは射命丸家の当主が鴉でありながら準僧正の位を持ち出家している為である。
 鴉天狗の中で名家と呼ばれる家の当主はほとんどが修験者として修業し僧として出家しており、そうした鴉天狗は大鴉天狗と呼ばれ他の鴉よりも位が高い。その大鴉天狗の子弟等は在家のままで昔の様に山間修業はせず、親の優れた神通力を受け継いでその高い能力で僧兵として主に軍事に従事している。僧兵とは厳密には僧侶ではなく、寺院を守る為に雇われた軍人の事である。現代において寺社仏閣は武装しないが、昔は武装するのが当たり前だった。
 過去の功績で射命丸家だけが特別に一族全て大鴉天狗の位が授けられており、分家筋である文もそれに漏れず他の鴉よりも格が一つ上だが、女性という事で世間的には格下扱いされる。そうした微妙な立場でありながら家の名前を利用して本来なら就けない職業に就いてしまったために、世間の風当たりは強く天狗の社会ではうだつが上がらない落ちこぼれとなったのだ。
 そんな文は現在、親戚に気を遣ってか屋敷から出て独立し、駒である椛と二人暮らしをしている。

 大天狗鞍馬山領は妖怪の山の東にあって、山頂付近の湖から流れ落ちる川が深い谷を形成しその谷を挟んで南西に愛宕山領、そしてその反対側に比良山次郎坊の領地がある。
 東を向いたなだらかな斜面が領地の主で、大天狗の領地の中では最も住み良い場所であるが、山間修業には適さない。
 領地の東端に紅魔館があり、幻想郷が隔離され今の形になった500年前に起こった吸血鬼戦争においては、当時存在した紅魔城の巨大な城塞都市の城壁が鞍馬山領内に深く浸透し、必然的にここが最前線となって、正式に吸血鬼戦争として始まった大戦前から小競り合いが絶えなかった場所だったのである。
 今現在では麓に見える紅魔館が、吸血鬼戦争における唯一の名残として存在するが、天狗、特に鞍馬山領の天狗達はその小さな名残ですら忌々しく見えるのである。。

 なだらかな山の斜面の森の一部を切り拓き、階段の様に段階的に平らな土地を造って小さな里を形成する鞍馬山領。大戦でたくさんの僧侶、僧兵を失い、他の大天狗の勢力に比べて、半減どこから三分の一以下に人口を減らしているが、平和的な妖怪の移住を認め、河川が領内にあることから河童の自治区として領地を分け与えている。東から来る新しい技術がそうした河童を経由して領内に入る為、他の領地に比べて技術力が高い。
 文が使っているカメラも河童との交流を積極的に行っている事もあって幻想郷全体で見ても最も高度なものになっており、記事の文面はともかく記事に載る写真の美しさはナンバーワンの誉れ高い。そして、そうした事が余計に文と他の文屋との間の溝を大きくする結果となっているのだ。
 射命丸文は川上の河童の自治区の近くに自宅があるが、事務所は里の印刷団地に構えている。現在文は中央の目の届く事務所の方で謹慎しており、部下の駒天狗、犬走椛は姫海棠はたてをそちらへと案内していた。

「流石に鴉は少ないわねー。」
 大戦で激減した僧兵、つまり鴉天狗の補充は簡単に出来るものではない。同じく大戦を乗り越えた比良山だが、こちらは鞍馬山よりは被害が少なく領地が狭い事もあって鴉達の人口密度の差がはたての目からも顕著に見えた。
 友好的な種族、特に河童がよく目につき、烏つまり人間も多い。天狗が密集して暮らす比良山領からほとんど出た事がないはたてとしては、広々とした土地で悠々と暮らす天狗達がとても羨ましく、別世界の不思議な光景に見えた。
 文の事務所は印刷機の音が鳴り止まない大きな建物の一区画にあり、他のクロワン記者もその中に事務所を開設している。
 新聞は寸法など仕様が決められており、基本的にページは見開き4頁か裏表2頁、片面1頁の何れかで色は墨一色である。
 資金力が無い者や個人の発行部数の少ない自費出版物は原版になる台紙に手書きで記事を書き込み、写真等を貼って版下を作り、それをそのまま撮影して印刷用の刷版を作るが、事務所を開設しているクロワン記者は、文字数と段組が決められた新聞の仕様に則り、手書きの原稿や必要な写真を写植製版行程に回して綺麗な版下を作り、それを印刷工程に回す。新聞は出回るまでにそうしたいくつかの行程を経るので、印刷に関係する業者等は作業効率を良くする為に一箇所にまとまって印刷団地を形成するのである。
 鞍馬山領では、文屋の数に反比例するように印刷設備が充実しており、他の領地の文屋の仕事も多く請け負っており、印刷団地は常にフル稼動なのである。

 印刷所などの重要施設は結界がはられているので空から直接侵入は出来ない。文のいるクロワン事務所の集合棟、通称『クロ巣』の建物もこの印刷団地内にあるので、必ず敷地の門から入る事になる。
 敷地に入る為には門の警備小屋の前を通らなければならず、そこに入って通行許可を得ようと椛が挨拶をした時、警備員の一人が白一本線が入った黒い腕章を付けたはたてに気付いて研修生と知り、珍しそうに声を掛けてきた。
「こんにちわー。」
「ああ、椛か・・・おや?そっちは研修生か?今時珍しい・・・どこの者だい?」
「比良山領の者です。あ、私、姫海棠はたてって言います!以後お見知りおきを!」
 挨拶をして手作りの名刺を渡すはたて。
「晴れてクロワンになった曉には内の工場を是非使ってくれ。」
「はい!超ガンバリます!」
 門の警備員は鴉天狗ではなくただの烏である。本来なら鴉天狗がなるべき職だが、鞍馬山領では鴉不足で各職業の重要ポストに充分な鴉がまわせないのが現状だった。
 その身分が下の烏である警備員兼受付に身分が上である鴉天狗のはたては綺麗な言葉遣いではないが普通に挨拶をして受け答えをしている。鴉達に使役される駒の椛にも特に命令口調にならず気さくなはたてであるが、これは鴉天狗としてはかなりめずらしい性質である。

 年中フル稼動している複数の印刷機から出る独特な騒音が工場に鳴り響いている。
 昼間はほとんどの記者が出払っているため、『クロ巣』に人の気配はない。誰かいたとしても徹夜明けで寝ている者しかいないだろう。
 工場の騒音を遮断する特殊は防音障壁のお陰で『クロ巣』は恐ろしいほど静かである。静か過ぎて気持ち悪いので各自音楽をかけるなどして思い思いに職場環境を構築していた。
 そんな中、文は誰もいない自分の事務所で一人反省文を書いている。いつもの事なのでスラスラと心にもない綺麗言が自分でも感心するほど次から次へと頭の中に湧いて出て流れるようにペンが踊る。他の記事もこうだといいのだが、思いつかないとつい脚色を加えていって客観性に乏しい記事になってしまうのだ。

 新聞は出来たら直ぐに印刷してもらえるわけではなく、予め発行予定日を決めて工場の方に少なくとも一週間前に印刷の予約を入れ、印刷機を空けてもらわなければならない。
 新聞報道の先駆けとして射命丸家を要した鞍馬山領は、印刷技術、工場の規模においても妖怪の山でトップである。他の領には自前の印刷機がないところもあり、その為鞍馬領印刷所は常に仕事でスケジュールが一杯なのである。自領の者なら一週間から十日、他領の者なら2週間以上前から予約を入れないと印刷しようにもすぐには出来ないのである。
 新聞に不適切な事が書かれていないか『クロワン』を統括する編集局長に版下を一度チェックされ、そこから手直しなどをする時間も含めると、ある程度スケジュール通りに記事を書かなければ予約の時間をオーバーしてしまう。印刷代金は公営なので事務所が払う必要はないが、出稿が遅れれば罰金、キャンセルでも罰金になるので必然的に締切厳守となる。
 その為、記事を書いてから印刷依頼ではなく、発行日を決めて印刷を依頼してから企画や取材が始まるというのが一般的な新聞作りのやりかたになっているのである。
 時にはスペースが埋まらない時もあり、更に編集局長のチェックで一部の記事がボツになる事もあり、その穴埋めとして姫海棠はたての能力が有効で、業界における代打要員として比良山領のみならず他領でもそこそこ仕事の依頼があり、業界でも顔は広い方である。
 こうした印刷業界の事情があるために、外部ライターを雇っていない文は必然的に締切に追われる日々を送る事になり、切羽詰って記事の内容が一部事実と異なる想像や願望が挟み込まれてしまうのである。
 創造力、というより妄想力といったほうが適切だろうか?仲間から小説でも書けと笑われる文だが、事実ではない空想を書く小説は、『小者が書く仮説』というのが本来の意味で、小説家などは物書きとしては最低の位置付けにあるというのが天狗の世界の一般的な認識である。

 まだ現像していないフィルムを洗濯ばさみにはさんで紐に幾重にも吊し、お気に入りの未公開の写真の何枚かを壁に貼っており、文の事務所は文屋の部屋というより写手の部屋といった様相である。
 部屋の角に集中して記事を書く為にと周囲を衝立で囲って外から見えない様にしているが、そこから出ると事務所の真ん中に新聞の原稿を作る大きな作業テーブルがあって、入り口前にも衝立を置いてその作業が入り口から見えないようにしている。
 他の事務所の場合、クロワンが編集長としてその下に数名人を雇って事務所を動かしている。その為、複数の記者や写手と打ち合わせをするスペースと、作業をするスペース、クロワン編集長のスペースと大部屋を間仕切りしているが、文は椛と2人で作業をするので、打ち合わせ場所は無く、自分のブースと作業場と現像室しかない。現像室は協同で使える暗室が他に数部屋あったが、いやがらせを何度も受けて文は自分の事務所の中に自腹で暗室を作ったのである。

 机の上にはたった今書き終えた完璧な小説、いや反省文の束が無造作に置かれ、書いた本人は椅子の背もたれによりかかって両手を頭の後ろにまわし、万年筆を鼻の下にはさんで口を尖らせながら天井をぼーっと眺めている。
 最近幻想郷が何やらきな臭く、何か異変が起こる気配を感じていたが、その調査をしようとした矢先に査問会召集である。以前は新聞を発行した後に、その記事の内容について真偽を確かめる為に呼び出されていたが、今回は新聞発行とは関係なく、累積警告の様な感じで特にこれといった理由はなく反省文と業務停止だけであった。
「なーんか、いつもと違うのよねー・・・。」
 この時何となく作為的なものを漠然と感じている文。その文の勘の良さと行動力とその速さを警戒した八雲紫の判断は正しいといえるが、流石の文もこの時自分を訪ねるある意外な人物の存在を予測することは不可能だった。
東方不死死 第53章 「選ばれし者」


 半身とも言える大切な剣を盗まれ、さらにそれを競売に掛けられ騙された妖夢。
 裏切りられた心はずだずたにされ絶望に打ちのめされても、世界は彼女を置き去りにして、何事もなかったかのように無常な営みを続けていく・・・。
「57!」
 競りはとうとう57貫文まで来る。
 57貫文という値が付いた事で2名で競っていた一方に諦めの表情が現れ、勝負の終わりが近い事を予感させる。
「57!57が出ました!さぁ、どうする?他におりませんか?・・・どうやらこれで勝負が付きそうです!」
 もう一声を期待する仲介人もそろそろ潮時と諦め競りのまとめに入る。60貫文まで引っ張りたいところであったが所詮は銭の無い武闘派妖怪、無い袖は振れない。300文で仕入れた物が57貫文になるのだから何も文句はない。
「さて、そろそろか・・・。」
 その時、妖夢に好きに抱かせてやり、一見すると羽交い締めにあっているように見えたてゐが、その戒めからするりと抜け出し、突然妖夢の膝の上で立ち上がる。一瞬の事でわけがわからず不安定なてゐの下半身を押さえてバランスを取る妖夢を尻目にてゐは片手を上げてその小さな手を大きく開いて叫ぶ。
「百貫文!」
 百貫文という大金の提示を受けて会場にどよめきが走り、それと同時に会場の全員がその声の主が誰かを探しはじめてざわめき出す。
 57貫文の値を付け落札を目前にしていた者とその仲間の集団が怒り心頭で罵声を上げて抗議し出し、競りをダシにして賭けに興じていた者や野次馬もそれ呼応して会場は騒然となった。
 競りは57貫文で決まることは誰の目にも明らかで、入札するにしてもわざわざ倍近い百貫文を提示しなくても、60貫文程度で済む話である。これは明らかに白熱した面白い競りに水を差す嫌がらせであり、そんな阿呆はどこのどいつだろうと会場の全員の目が妖夢の膝の上で仁王立ちしている小さな存在に注目する。
 怒気を含んだ棘の様な視線の集中砲火に妖夢は思わず自分が責められている様で目立たない様に下を向いて小さくなる。このままではてゐは会場の皆から罵声を浴び、それでは済まずに袋叩きにされるかもしれない。そして自分もそれに巻き込まれるのだ・・・。
 しかし、妖夢の予想に反し会場が急に静まっていくおかしな空気になり、妖夢は恐る恐る目を開いて状況を確認する。

 参加者や見物客が、競りを台無しにした『大馬鹿者』が誰かを確認した時、会場のどよめきが一瞬で静寂に変わり、周囲の熱気がさーっと潮が引くように冷める。妖夢はその空気の変わる一瞬がてゐを乗せた自分を中心に起こっている事を肌で感じ鳥肌が立った。
 仲介人もこの時初めて因幡てゐの存在に気付いて愕然とした表情で狼狽えている。
 『あの』因幡てゐが介入してきた意味を会場の者達の多くは理解しており、その意味が分からない者も周囲の空気を感じとって先に動いた者達に従って会場から姿を消し始める。
 妖夢は、数分で人気の無くなった会場の様子を呆気に取られながら眺めていた。あまりにも突然の事で沈んでいた気持ちも綺麗に切り替わってしまった。
 妖怪からの評判がすこぶる悪い因幡てゐのこの嫌がらせ的入札によって競売が台無しになったのは間違いないだろうが、その後の会場の様子からそれだけではない事が伺える。触らぬ神に祟りなしといった様子で、畏れをなして引き下がった感じだ。

 そんな妖夢を尻目に膝の上からぴょんと降りたてゐは、そのまま仲介人の前に進み出る。対する仲介人は明らかにてゐを恐れている様子で、縁側の司会用の台からずり落ちて、倒れたまま後ずさりを始める。
 てゐは懐から黄金色に輝く小判を取り出し、それを縁側にばら播いてニッコリと満面の作り笑いを浮かべる。
「一両小判25枚、丁度百貫文分だ。早くその剣をくれ。」
 てゐはそう言って剣を寄こせと手を出す。すると仲介人は悲鳴を上げてそのまま縁側から会場の中庭に飛び降りて、てゐの横で土下座を始める。
「ご友人様の剣とは知らずとんだご無礼を致しました!申し訳ありませぬ!」
 額を地面に擦りつける仲介人。ご友人とは自分の事だろうか?明かな勘違いであると思わず訂正したい衝動に駆られる妖夢。それにしても、仲介人のあの高慢な態度は見る影も無く、無様というより哀れである。
「ご友人?はて、誰の事だ?」
 てゐも妖夢と友人であることを否定する。仲介人としては妖夢の膝の上にいたてゐを見て、仲の良い友人と勘違いしたわけで、席の所で立って不思議そうにこちらを見ている妖夢とてゐを交互に見る。
「席が無いから座らせてもらっただけだ。別に友人でもなんでもないぞ。ささ、それより早くその剣をよこせ。」
「え?で、では、お、お咎めは?」
「お咎め?何か咎めを受ける罪でも犯したか?」
「そ、それは、その・・・。」
 要らぬ事を言って口ごもる仲介人。妖夢は何となく状況が理解出来た。てゐは仲介人の上司の様な存在で、その怖い上司が競りの監査に来たと勘違いし、妖夢に対して行った不正行為が暴かれたと思っているのだ。そして、てゐは競売に参加したただの通りすがりのように振る舞って、仲介人の口から不正の事実を尋問ではなく自供させたのである。
「心当たりがあるなら自ら申し出よ。隠し立てすれば、もう後はない身だ。分かるな?」
 最初は落札したことに満足してニコニコとしていた因幡てゐだが、犯罪の匂いを嗅ぎ当てると態度が豹変して仲介人を鋭く睨み付け詰問する。
「ひー!お許し下さい!二度と致しませぬ!」
 それを受けて仲介人はすぐに観念して謝罪を始める。どうやら不正は今回が初めてではなようだ。
「何をしたか知らぬが罪を許して欲しい時は何をすべきだ?」
 てゐは渡せと言ってもひれ伏したまま動こうとしない仲介人を尻目に、自ら縁側に上がって楼観剣を取り、満足そうに頷きながら仲介人を見ずに背中で問う。
「それは・・・その罪を謝罪しそれに見合う5倍の償いをする事・・・。」
 二人の間にそうした取り決めが予めなされていたと理解する妖夢。自分にした行為はやはりやってはいけない違反行為だったのだ。
「ならお前がすべき事は何だ?」
 しばらく土下座した状態のまま地面をじっと見つめていた仲介人は、てゐが縁側に散らばった百貫文分の小判を拾い集めてそれをそそくさと妖夢に渡そうとする。
「剣は私からお返しできませんが、これで買い戻してください。これでどうかご勘弁を!」
 騙した相手にばつ悪そうに大金を渡す仲介人。突然胸に突き出された小判の束を受け取れず身を引いて拒む状況がよく掴めていない妖夢。そこにすかさずてゐが横やりを入れる。
「安く仕入れて高く売るのが商売の鉄則。仕入れの五倍以上ではないと売る気はないなー。」
 仲介人が妖夢に言った台詞をそのまま返して皮肉り、償いは罪の五倍でなければならないことを改めて教えるてゐ。仕入れの五倍と言えば五百貫文という大金であり、そのような金がすぐに用立て出来るものではないだろう。

 楼観剣は百貫文で競り落とした因幡てゐが現在の所有者であり、百貫文で仕入れたてゐとしては買値で売るつもりは更々無い様子。
「で、では、110で?」
 それを聞いててゐの眉間にシワが寄る。
「・・・お主、自分の置かれている状況が分かってないようだな。お前の示す金額はお前の命の値段だ。」
 てゐのドスの効いた声に状況を理解した仲介人は、今回の不正、競売の競りに不当に介入して値を釣り上げた行為を完全に見抜かれ、その罪を問われている事を改めて知り、無駄な言い逃れが身を滅ぼすと全てを諦め保身に走る。
「で、では・・・ご、ご、五百貫文で・・・。」
 全財産の3倍近い金額を提示しがっくりと肩を落とした仲介人を見て満足したてゐは、剣をそのまま妖夢に放り投げる。
 仲介人が提示した金額は、全て妖夢に全額支払われる慰謝料であり、これで因幡てゐの楼観剣を買い取るという段取りが妖夢の意志とは関係無く進められてしまった。妖夢にとっては有り難い話だが、何だかキツネにつままれたような感じである。
「それとも、手に入る五百貫文でもっと立派な剣を買うか?私は別にそれでもかまわんぞ?この剣はなかなかの名刀だからな。」
 嘘とも本気とも取れる意地悪そうな顔で妖夢に笑いかける因幡てゐ。確かにこれだけの金額が手に入れば買い戻すよりも別の名刀を買った方が得かもしれない。しかし、妖夢の答えは決まっていたので首を横に振った。楼観剣はただの武器ではない。これは掛け替えのない友なのだ。
「ふむ、では、五百貫文は私が後でこいつから貰い受ける・・・で、いいな?」
 最後は仲介に向かってきつく言うてゐ。
「・・・はい・・・。」
 これまで貯めた財が一日で消え、更にその3倍の借金を負うハメになった仲介人の落胆は大きい。しかし、仲介人としての職を追われたわけではないので、返済のあてがありそれだけが仲介人にとっての唯一の希望だった。
「お前もこれでいいか?」
 妖夢にも確認するてゐ。
「え、ええ・・・でも・・・。」
「何か不満か?」
「いえ・・・でも何故私を助けてくれたのですか?」
「別にお前を助けたわけではないぞ?」
 妖夢は率直に疑問をぶつけたが、てゐはそれを否定する。しかし、妖夢は納得出来ない。自分はこれまで多くの人に支えられていたことを知った。今日の事も誰かの根回しによるものではないかと勘ぐりたくなる。そして、その根回しをした人物にもお礼がしたい。
「嘘です!」
 睨む妖夢に根負けしたかのように、肩をすくめるてゐ。
「この競売所は私が出資したもので、つまり私がオーナーと言うわけだ。そしてその運営をこの仲介人に任せている。こいつは、狡賢くて情が薄いから商売向きなんだ。」
 お人好しでは商売で儲ける事は出来ないという事だろうか?確かに客の懐を気にしてその都度値引きしていたら商売にならない。
「安く仕入れて高く売るというのは商売の鉄則、それはいい。しかし、競売の競りに関与して値段の引き上げをするような不正は絶対するなという規則を設けている。こいつはその規則を破ったのだ。」
「・・・。」
 因幡てゐがそれなりに凄い存在だということは、酒場の主人の話からも理解出来た。そして競売のオーナーである因幡てゐの競りへの参加は、監査が入り競売に待ったがかかった事を示し、それに気付いて皆が面倒毎に巻き込まれたくないと引き下がったのだ。この一連の状況を見ても因幡てゐがこの周辺一帯の実力者であることが理解できた。
 妖夢としては、てゐの言は充分理解出来き、不正を暴く一連の調査にたまたま自分が利用されたようにも取れるが、結局自分は誰かの計略に利用される存在なのだと思い知らされ、落胆よりも怒りが沸き起こった。
 立ち尽くしたまま、肩を怒らせている妖夢を見ててゐはまた肩をすくめる。先程まで絶望に打ちひしがれていた妖夢とは別人の様な変わり身に一先ず安心する。流石に先程までの妖夢は可哀相で見ていられなかった。
 しかし、このままでは自暴自棄にかられて良からぬ方向に行ってしまう恐れもあるのでそのフォローをする。
「・・・降参だ。白状しよう。不正を暴くのは妖夢を助けるついでのようなものだ。」
 てゐは観念して妖夢を助ける為の行動の一環であったことを白状する。
「や、やっぱり・・・でも、何故?」
 自分に憤っていた妖夢はてゐの言葉を聞いて、自分が利用されただけではないと知り、すぐに機嫌を戻す。
「何故だと思う?」
「そ、それは・・・私が半分人間だから?」
 酒場の主人が言っていた様に、因幡てゐは人間の味方である。半人である妖夢もその恩恵に預かれる立場にあるのではないだろうか?
「困っているお前を偶然見つけたら、確かに助けてやらんでもないな。その理由で・・・。」
「ということは、偶然ではなく、ずっと私を見張っていたのですか?」
「まぁね。」
 腕を頭の後ろに組んで楽しそうに答えるてゐ。
「つまり誰かに頼まれてそうしていたのですよね?」
「うむ。そのとおりだ。」
 因幡てゐは誰かに頼まれて自分を監視していた。恐らく世間知らずの自分が幻想郷に飛び出して巻き込まれる問題を事前に予測し、酷い目に遭わない、遭ってもその後始末をするように、誰かがてゐに頼んだのだ。
 妖夢が最初に浮かんだ顔は主の西行寺幽々子だが、永遠亭との交流は全くないし幽々子とは先程別れたばかりである。時間的に小野塚小町の家に行っている間に密かに根回ししていたのかもしれないが、白玉楼に戻った時の主は自分に『おかえり』と言い、旅立つ事を想定していなかったようだ。
 結論から言えば主の西行寺幽々子ではないだろう。 
 次に思い至ったのが八雲紫か、四季映姫、小野塚小町など比較的自分と関係が深い者達である。
 不死人を異常に敵視する自分の性質や未熟さを八雲紫にまんまと利用されたことは小町から聞いている。そのお詫び的な意味で紫が自分の面倒を見るという事も考えられない事もない。
 四季映姫は真っ先に自分の心配をして小町の家を尋ねて見舞ってくれた。彼女もそうした根回しをする可能性は大きい。
 しかし、問題はその相手である。因幡てゐと彼らの接点が全く見えないのだ。もし彼らが誰かに何かを頼むとしたら、それは信頼のおける別の人材を選ぶだろう。そもそも因幡てゐは妖怪からの評判が非常によろしくない。主にしても八雲紫、四季映姫にしても人間ではない妖怪のカテゴリーに入る連中である。人間の味方であるてゐとは恐らくそうした取引はしないだろうし、てゐも応じないはずだ。
 では一体誰なのだろうか?
 妖夢は考え込みながらチラっとてゐの顔を見る。素顔なのか作り笑顔なのかニコニコしている。
 自分が因幡てゐの立場ならどうするだろうか?
「(自分なら・・・最後まで白を切るな・・・。)」
 影で誰かを支援してくれと頼まれたら、その対象に気付かれないようにするし、気付かれそうならとぼけるだろう。しかし、てゐの様子を見るとむしろその影で支えている人物を自分に教えたがっているようにも見える。
 秘匿義務は特にないということだろうか?
「・・・分かりません。教えて下さい!」
 妖夢は降参しててゐに頭を下げる。何度考えてもその謎の依頼人の見当がつかなかったのだ。
「やれやれ・・・お前は本当に未熟だなー。一体誰に命を助けられたのか・・・。」
「え・・・ま、まさか!」
 妖夢は背筋が凍るような衝撃を受けた。全身が総毛立ち、頭髪がざわめいて重力に逆らう様な感覚を覚える。ずっと頭の中に置いて忘れない様にしたのに、完全にその存在を見落としていた。
「ふ、藤原の・・・妹紅・・・?」
「正解!」
「な、な、何で・・・。」
 妖夢は肩が震え出し理解出来ない自分の思考に様々なキーワードを与えて、その理由を探る。しかし、何も答えは出てこない。
「ありえない!」
 妖夢は声を絞り出して唇を噛んだ。
 殺されても文句が言えない門番の無礼を受ける立場になる永琳に対する根回しは、三賢者と永琳らとの友好的な対話を行う為に必要な事で、命を救われた妖夢はあくまでそうした計略の一環に含まれている事だった。
 藤原妹紅は、慈悲で以て自分を助けたのではなく、あくまで大義の為にそうしたのだろう。
 しかし、今回の件は三賢者会議とは全く関係ない私的な事で、ここで妹紅が介在する理由が見当たらない。

 妖夢は膝を落として地面を握りしめた。ここまで面倒見てくれる藤原妹紅は何を思ってそうしたのか?主である幽々子やその他自分に近い者達よりも自分の身を心配してくれる妹紅は一体何者なのだろうか?感謝を通り越して寒気がしてくる妖夢。
 そんな妖夢にてゐが声をかける。
「妹紅は白玉楼でお前に追い払われた後、師匠とすれ違ってお前の助命を懇願した。これはまぁー計略の一環だ。」
「ええ、それはわかります・・・でも!」
「妹紅は幻想郷に戻ったその足ですぐに私に会いに来てな、非礼の咎めを受ける門番が放免されるかもしれないし、そうなれば恐らく幻想郷に出てくる可能性が高いから、世間知らずな門番が酷い目に遭わないように便宜を図ってくれと頼まれたんだ。」
「何故、そこまでするのですか?私と妹紅さんは他人です。そんな情けや心配をされる筋合いはありません!」
 確かにその通りであるとてゐも頷く。
「妹紅がそこまでお前の面倒見る本当の理由は私にもわからん。ただ、どんな形であれお前を騙したことにはかわりがない。妖怪は騙された方が悪い・・・と、なるが、人間はそうではない。妹紅のことだから妖夢に対して償いたいと思っておるのだろう。」
「償う?償うのは私の方です!」
 妖夢は『償い』という言葉に反応して急に怒気を纏う。
「私は不死人狩りの時、極悪人と聞かされ、妹紅さんを問答無用で斬ってしまった。その後悪いのは永遠亭の方だと知って私は後悔しました。でも、悪人ではない人を斬った自分はただの人殺しになることを恐れて、ずっとずっと妹紅さんを悪人として決めつけて、それで・・・それで・・・。」
 それを引きずったせいぜ先日の三賢者会議にとんでもない失態を犯したのである。後悔と申し訳ないという念から涙を流し始める妖夢。
「あの時妹紅は、この辺の妖怪全てから連日殺されまくっていた。でも妹紅は一切彼らを傷つけなかった。何でだと思う?」
「・・・慈悲ですか?」
「そんなものではない。ただの打算だ。」
「打算?」
「反撃すれば本当の悪者に仕立て上げられるかもしれんだろ?どっちが悪いではない、売られた喧嘩は先に剣を抜いた方が負けなのだ。」
 てゐの話を聞いて、いつも先に剣を抜く自分を顧みて妹紅との差を痛感する。不当な罪人扱いに何の言い訳もせず、ただひたすら耐え抜き、そしてそれが罪悪感となって跳ね返り、多くの人妖が肉体ではなくその経歴に傷を負った。最後に勝者として君臨したのが妹紅であり、不死人狩りを謀った者、参加した者全てが敗者となったのだ。そう、自分も・・・。
「お前を助けるのも恐らくはそれが得に繋がるという打算に基づいての事だろうが・・・。」
「私はどうすれば・・・。」
「妹紅の役に立つことだろうな。肩書きなど捨てて、裸一貫、魂魄妖夢として妹紅の前に立てばいい。お前をどう料理するかは妹紅に任せればいい。お前は小賢しくも自分が何とかしなければと考え、何とか出来ると思っておる。それがいかんのだ。」
 がんばれば何とか出来る。修業だって上手くいって立派になった姿を幽々子に見せられると、本気で確信している。だが、そうではない。希望的観測と確実に達成出来る事には天と地の差がある。自分には確実に達成出来るという明確な根拠が何も存在しておらず、それに向けた準備や努力もしていないのである。
 志は確かに重要である。物事を始める動機になるからだ。しかし、志だけではどうにもならないのだ。
 自分と妹紅との差は、掲げた志を100%達成できるかの差であり、その為に必要なものをしっかりと身につけているかどうかなのだ。
 妖夢に何やらやる気が湧いてくる。
「お前は面白い奴だな。さっきまでこの世の終わりみたいな顔をしていたと思ったら、急に泣き出して後悔をはめて、今度はやるき満々か・・・。いろんな人間を見てきたがお前程の馬鹿は見た事がない。」
 てゐが地面に跪いたまま上体を上げて握り拳を作って天を見上げている妖夢の正面で面白そうに感想を述べる。
 それを受けて今日の様々な出来事が脳裏に蘇り、その都度どんな顔をしていたかを思い出して赤面する妖夢。
「お前は妹紅と同じ、人間なのだな・・・。」
「え?」
「妖怪は千年前と後でも同じだ。でも人間は不安定な生き物だ。常に変わり続ける。それが人間の強さであり弱さでもあり、それだけに見ていて面白い。お前が人の心を失わずにいるなら、私は人間である魂魄妖夢への援助は惜しまん。困った事があったら遠慮せずに相談してみるといい。借金なら無利子で応じるぞ?」
「あ、ありがとうございます!」
 思い掛けず意外な後ろ盾を得た妖夢は、お礼の言葉が素直に出る。てゐはこの辺りでは有名な実力者の一人であり、幻想郷で地に足を着けて暮らしていく上では、彼女の様な裏社会に顔が利く知り合いがいると何かと頼もしい。
 数時間前までは、因幡てゐを所詮は悪戯好きの雑魚のように見ていた妖夢だが、妹紅同様完全に評価がひっくり返ってしまった。妖夢は気位が高く上下関係を意識し過ぎるという欠点もあるが、ありのままの現実を素直に受けとめる事が出来、その序列をすぐに修正できるという長所がある。
「妹紅がお前を助ける理由の本当のところは私にもわからん。まー何においても妹紅と会ってちゃんと話してみることだな。」
「わかりました。今日は本当にありがとうございました。」
「その礼なら妹紅に言うのだな。私は思わず大金が舞い込んでしまった。むしろこっちが礼を言いたいくらいだ。」
 2人は笑い会った。
 

 陽もすっかり落ちて辺りは夜のとばりに覆われる。
 幻想郷の夜空は、妖怪や妖精、幽霊や弾幕の光で何かと明るく騒がしい。しかし、異変の兆しを感じとったのか勘の良い妖者が夜の幻想郷からめっきりと数を減らし、最近は闇夜になり星々が良く見える日が多い。
 真夜中の幻想郷を見慣れていない妖夢は、こんなに夜が暗かっただろうかと満月が続いた永夜異変の記憶を辿りながら冥界よりもかなり暗い周囲に戸惑いつつ、てゐに教えられた藤原邸までの道を徒歩で進む。
 人間の里と関所跡を結ぶ街道は人妖がよく通るせいか踏み固められてしっかりとした道が出来ており、夜目が利かない妖夢でも迷う事はないだろう。
 昼間の事もあり多少臆病になってしまって空を飛ぶ事を躊躇っているということもあるが、これから妹紅と会うにあたって何から話を始めようかなど心の準備の時間が欲しい。だから、敢えて時間がかかる徒歩を選択したのだ。
 考える時間が欲しいから時間のかかる作業を選ぶなど、今までの自分にはなかった発想だった。
 八雲紫が主の幽々子に特別な用事を持ってくる時は決まって階段を徒歩で登ってくる。スキマを使えば一瞬なのに何故こんな長い階段を徒歩で登ってくるのかいつも不思議に思っていた。それを本人に尋ねると運動不足だからなどとからかわれて相手にされなかったが、今なら彼女が何故そうするのか分かる気がした。その時間は無駄ではなく大切な時間なのだ。
 妖夢は一歩一歩地面を歩きながら、様々な思いが頭の中を駆け巡る事に戸惑い、心を悩まし、募る思いに溜め息が漏れた。そんな自分をはたと顧みてそれらが何れも初めての経験である事を知る。
「最初は謝るべきだろうか・・・それとも礼を言うべきだろうか・・・。」
 妖夢は妹紅と会った時に何から話を始めようかと頭の中でその状況を想定し練習をしてみる。
 里までは飛べばすぐだが歩けばかなりの距離がある。東に向かってどてくらい歩いたのか右手の竹林に向かう三叉路を過ぎると道がゆるく左に曲がり、やがて真っ直ぐ北に向かう。そこでようやく里の明かりが視界に入ってきた。
「たしか妹紅さんの家は・・・里の手前の一軒家・・・あ!あれか・・・。」
 里の建物群よりだいぶ手前に離れ小島のようにぽつんと建物らしきものが一軒建っており、里の繁華街から漏れる光を背景に黒い家影が前方やや左に浮かんで見える。
 家にいるかどうかは分からないと恩人の因幡てゐは言っていたが、家の前の道の真ん中に誰かいる事に気付き、瞬間的にそれが藤原妹紅だと感じて足が一瞬止まった。
 再び歩き出した妖夢は、鼓動が速くなる一方で足の動きは鈍く重くなってやがて根が張った様に動かなくなる。頭の中では早く行かなくてはと思うのに体が言う事を利かない。本能が恐怖を感じとって体を動かなくしているのだろうか?いや、以前の様に恐怖はない。自分の中では完全に藤原妹紅に敗北していると認めている。
 今朝の四季映姫の言葉が脳裏に蘇る。幽々子に会いたくないという思いを変えてくれた言葉。やりたくない事に敢えて立ち向かう事を修業の一環と捉えれば良いのだ。
 妖夢は意を決して足を前に出した。必死で足を動かした。肩に力を入れて足と共に手も大きく振って、のしのしと前で出た。
 その異様な気を放つこちらに気付いた前方の独特のシルエットの人物は後ろを振り返りこちらを見る。
 心臓が大きく弾み、先程まで色々と考えて頭の中で練習していた台詞が一瞬でどこかに飛んで行って真っ白になる。そして振り向いた影がこちらに一歩一歩近付いてくると、もはやどうしていいのか分からずすくみ上がったかのように呆然と立ち尽くしてしまった。
「魂魄妖夢か?」
 名前を呼ばれて、思わず『ハイ』と声が裏返った返事をする妖夢は、あのそのとしか言えずモジモジする。そんな妖夢に表情を緩め苦笑しながら妹紅の方から声を掛ける。
「この前は悪かったわね、だまし討ちのような事をしてしまって。」
 妖夢はその言葉を聞いて我に返った。先に謝ろうとして、逆に謝られてショックをうけた。
「妹紅さんは何も悪くありません!悪いのは私です。」
「自分の未熟が招いたってこと?」
「はい。」
「その未熟を利用したのは藍で、私は自分の都合でその策に乗っただけ。貴女の未熟と私の都合はなんの関係もないわ。」
「そ、それは・・・。」
 予め予想される返答を考えて会話の段取りをしていた妖夢だが、完全に想定外の返答が来てどう答えていいか分からず口ごもる。
 そんな妖夢に歩み寄って落とした肩をポンポンと叩いて元気付ける妹紅。

 自らの未熟が招いた不始末は自分には関係ない事と当人に言われてしまうと、自身の未熟を根拠とした言い訳が立たなくなり、これまで頭の中で描いてきたシナリオが全く無駄になった。
 妹紅としても妖夢が必要以上に自分を下げる態度が気になってわざとその論拠を潰して困らせてみたわけである。気位が高い者の謝罪は大抵このように卑屈になり、妖夢もそれに見事に当てはまっていた。
「私の中身のない言葉だけの許しで貴女の気持ちが楽になるのならそうするけど、貴女はそれで満足なの?」
「そ、それは・・・。」
 心を見透かされている事に気付いた妖夢は、必死に体裁を取り繕っている自分に気付く。因幡てゐは裸一貫で妹紅と向き合えと言ったのは、小細工が通じる相手ではないという意味でもあったのだ。
 心から感謝しよう。心から謝罪しよう。そう思ってもいざとなると頭を下げる言い訳を考えていた。そしてそれを完全に見抜かれた。自分が卑怯者に見えて嫌になってくる。何で素直に謝れないのか?何で素直にお礼を言えないのか?これはこんなにも難しい事だったのだろうか?
「心から謝ったりお礼をしたりって、実はとても難しい事なのよ。家族、友達、社会の中でその難しさを学び、その過程でそれが言える相手と本当の絆が育まれる。長く生きていると見えてくる事だけど、妖夢は社会と呼べる世界との繋がりがなかったのだから仕方がないわね。」
「うぅ・・・。」
 妖夢は自然に膝が折れ、地面に手をついた。
「冥界の住人である貴女が、全てを捨ててここに来た。それだけで貴女の気持ちはもう分かったし、伝わったわ。ありがとう妖夢。」
 それを聞いてわぁと泣き崩れる妖夢。
 妹紅は今日何人泣かせてしまったのだろうかと、紅魔館の出来事も踏まえて思わず苦笑する。風見幽香が言ったように様々な事象が自分に向かって引き寄せられており、そしてそれら全てをすくい取ってやらなければならない。難しい事に思えるが実は簡単なのだ。自分の思った通りにすればいいだけなのだ。公の為とか、大義の為とかそんな格好付けたものではなく、全て個人の問題として取り組めばいいだけなのだ。
 しかし、妹紅に吸い寄せられる因子には、恐らくこの異変における何かの役割があるはずだ。藍の計略に乗った時点で妖夢はその因子に含まれ、何らかの役割が与えられているはずである。それは何か?見極めるか、それとも自分が与えてやればいいのだろうか?

 妹紅の優しい言葉に感無量となって涙が止まらない妖夢。悪い憑き物がとれる様に心が軽くなって泣く程に気持ちが楽になっていく。しばらくそうさせてやるしかないと思い妹紅は妖夢の背中を優しくさすってやった。
 しばらくして妖夢も落ち着きを取り戻し上体を上げて妹紅に礼を言う。
「私・・・不死人狩りからずっと妹紅さんを悪人と決めつけて人斬りを正当化していました。白玉楼での件以降は妹紅さんは悪人ではないと知り、そして今わかりました。妹紅さんはとても優しい人だってことが・・・。」
 涙に潤んだ瞳でにっこりと笑う妖夢に思わずドキッとする妹紅。面と向かってこんな恥ずかしい台詞を言える者は自分の知る限り妖夢で二人目である。勿論その一人目は上白沢慧音だ。
 思いはちゃんと口になければ伝わらない、だから隠し事はせず何でも話すようにと主人である幽々子にそう言われてこれまで過ごしてきた。だが、藤原妹紅はここまで辿り着いた自分の苦労を全て汲み取った上で、ここに来てくれただけで充分だと礼まで言ってくれた。妖夢はこんなにも優しい言葉を掛けられた経験がこれまでなかった。
 妹紅としては特に気を利かせた分けでもない台詞だったのだが今の妖夢にとって百億の言葉に勝る一言だった。
「優しくするのは相手が人間か、人間を好きなやつだけよ。」
「てゐさんも同じ様な事を言ってました。」
 てゐの言葉が出た時、妖夢はこれまでの経緯を妹紅に語って聞かせる。
「大冒険だったわね。でも、てゐに気に入られるなんて滅多な事ではないわ。1万の軍勢が味方に付くよりてゐ一人味方に付く方が頼もしいわ。」
「そうですね。それを身を以て知りました。」
 泣いた後の赤い目をしながら苦笑いするどこか放っておけない独特の雰囲気がある妖夢。
 半人半霊、人間と幽霊のハーフなどと聞くが、混ざり合って実体が不明瞭な存在というわけではなく、人間と幽霊が独立して存在しそれが繋がっているのだ。50+50で100の存在ではなく、100+0なのだ。そしてその0に誰かの魂を入れて結魂し、100+100の超人的存在になれるのが本来の半人半霊なのである。
 妖夢の魂魄には未だ何も存在せず、彼女は一人の人間である。しかし、完全な人間ではない。妖夢は、人間でありながら人間ではなく、妖でありながら妖でもないという両方の性質を同時に合わせ持つ特殊な存在なのだ。

 白玉楼や西行寺幽々子といった自分の下支えになっていたものから精神的に脱却し、一人の少女に戻った妖夢は、色々な事を止めどなく妹紅に話し始める。魔理沙の時もそうだったが、話し始めたら止まらない、聞いて欲しくて仕方がない妖夢は、九天の滝の如く言葉が次から次へと滝となって流れ落ちる。
 そんな妖夢を尻目に、ほとんどがたわいもない話だったので、妹紅は聞き流しながら彼女をどう扱おうか検討する。
「(人間と妖の二つの要素を同時に兼ね備えている魂魄妖夢には使い道がある。)」
 この異変の成否、いや成否に関しては成功するとは既に確約されていることである。問題は、より完璧な成功である。妖夢はそのより完全な成功を達成させる上での切り札になるだろう。
 妹紅は自らの企みに確信を得て満足そうな笑みを浮かべる。それに気付いた妖夢が考え込んで心ここにあらずの妹紅の名を数回呼ぶ。四回目で我に返った妹紅は、話し続けて困らせた事を詫びる妖夢を立たせて、その肩に手を置いて真顔で見つめる。
「妖夢、一つ頼まれてみない?」
 妹紅の突然の申し出に一瞬戸惑う妖夢だがすぐに大きく頷く。恩人の妹紅に恩を返せるというのなら何でもする覚悟があった。
「今里で傭兵を募集しているのは知っているわよね?」
「はい、マヨヒガとかあの辺に沢山集結してます。あっ、もしかして私も傭兵に参加しろと?」
「いや、そういう話しじゃなくて、里に暫く滞在して欲しいの。慧音の寺子屋に厄介になるといいわ。私の紹介と言えば邪険にはしないでしょうし、今里は人手不足だから働き口はいくらでもあるわ。」
 妹紅は話しながら妖夢の表情が少し曇っている事に気付く。頭が良いだけに物事をすぐに打算的に考えてしまい、その意味や意義を模索し、そこで自分にメリットがあるかどうかを先に考えてしまうのだ。
 この表情には既視感があった。昼間のパチュリー・ノーレッジと同じで、口では大きな事を言っても実際に行動する時に成否や損得の勘定から始めてしまい、立場上先に了承すべき事を後回しにして答えを渋るという、頭の良い者にありがちなパターンを妖夢も見せた。
 妖夢は妹紅に対するわだかまりが消えたものの、信頼関係が成立しているわけではなく、それ以前に敵味方の立場も形成されていない。この状態で相手にものを頼む事自体が本来無謀なことなのだが、妖夢と妹紅のありのままの今の関係を正確に見る上で、この突然の申し出は役に立ったと思う妹紅。
 妖夢としては、具体的に何かを取ってくるとか、何かの作業を手伝うといった結果がはっきるわかるものなら二つ返事で引き受けようとは思ったが、里に滞在しその滞在場所まで指定してくる妹紅の頼み方には何か裏があるようで勘ぐってしまう。
 妹紅の構想する妖夢の使い道は、本人に説明しても分からないだろうし、理解して貰うためには異変の最初から説明しなければならない。そしてそこまで説明したとしても了解してもらえるとも限らない。それに不満を持ったまま妹紅の頼みを引き受けても良い結果にならないだろう。
 そこで妹紅は、妖夢を自発的に行動させる為に一計を講じた。
「あっ、やっぱりいいわ。今の無し無し。」
 苦笑いしつつ両の掌をヒラヒラさせて前言撤回をする妹紅。
 言っている意味がわからず何となく嫌な感じがしていた妖夢は、前言撤回をされた事で逆にその話に興味が湧いてしまう。不思議なもので、頼まれると嫌なのに、断られるのはもっと嫌なのだ。妹紅はその心理を上手くついたのである。
 何か重要な任務を託そうとしたにもかかわらず、自分のやる気の無い態度に気付いて話を止めたのではないだろうかと勘ぐった妖夢は、妹紅に誘導された事を知らずに俄然やる気を出して断ろうとする妹紅に食い下がる。
 しめしめと思う一方で妹紅は敢えて厳しく突っぱねた。
「いい?今の話は無し。私と妖夢との間にプライベートな事を頼める信頼関係はまだなかったってこと。」
「いえ、妹紅さんの頼みなら何でも引き受けますよ!」
「うそばっかり、さっき微妙な顔してたくせに。」
「そ、それは・・・その、あまりに突然だったので・・・つい。」
「いいから、今のは忘れて。くれぐれも慧音の所に行ったりしないでね。」
 妹紅はそう釘を刺したが、これは慧音を強く印象に持たせ、自然と足を運ばせようとする暗示であり、嫌よ嫌よも好きのうち、行くな行くなは行けである作戦である。
 しょんぼりする妖夢を励ますように肩をポンポンと叩く妹紅。
「泊まるところがなければそこの家を自由に使っていいわ。何も無いから食べ物とかは自分で調達して来てね。」
 そう言って妹紅は踵を返す。
「あ、あの、どちらへ?」
「ん?どこだっていいでしょ?」
 敢えて素っ気なく答え妖夢を突き放す妹紅だが、顔はそっぽを向いたまま、ぺろっと舌を出す。
 竹林の方へ飛び去った妹紅を追おうと一歩踏みだして留まる妖夢は、妹紅の姿が見えなくなってから身体全体で大きく溜め息をつく。
「はぁ~。」
 妹紅に対するわだかまりが消え、妹紅と友好関係が築けようかとした矢先、送られてきたシグナルを上手く受信出来ず思いがすれ違ってしまった。別れ際の態度も完全にこちらを他人扱いしていたし、物凄く心証を悪くしたようだ。後悔の溜め息が止まらない。
 それにしても妹紅が何を頼もうとしていたのか気になる妖夢。上白沢慧音の所に行けばわかるのだろうか?しかし、行くのを止められている。でも気になる。
 これからどうすべきだろうか?家を使ってよいと言われたが、食べ物はないとの事。夕食は関所跡の酒場で済ませているの早急に食料が必要なわけではないが、朝食、その後の食事の事を考えれば、早急に腰を落ち着けて暮らしていける環境を作らなければならない。妹紅にはこれ以上世話になれないし、住む所くらいは自分で探すべきだろう。今夜は里の宿屋にでも泊まろうと決める妖夢。
「本当に、ありがとうございました。」
 妖夢は妹紅が消えた空に一礼して、里に向かって歩き出した。


 里の南門周辺の家々は既に寝静まって灯りが無く薄暗い。どのくらい時間が経過したのか全くわからない妖夢は、周辺の様子から夜がだいぶ更けている事を知る。
 この辺りは農村部よりも少し裕福な庶民の家が建ち並ぶ少し広い通りとなり、そのまま北に向かえば大通りと交わる交差点に出て、更に北に向かうと妖怪のたむろする繁華街に出る。ここからでもその煌びやか灯りが目に入り、そこだけ別世界の様で興味と同時にある種の畏れを感じる。里に来るのがほとんど昼間であった妖夢は、初めて目にする繁華街の賑やかさに驚きながら、今晩の宿をどうするかを頭の端に置きながら光に吸い寄せられる夏の羽虫の様にゆっくりと北に歩き出す。

 遠くの灯りに気を取られてしまい、前方に人影を発見するのが少し遅れた妖夢。人影はこちらを、つまり南の方を向いて立っていた様子で、何者かの接近に気付いてこちらに注意を向けてくるのがわかった。
 妖夢の位置からは逆光の為、黒い影でしかその人物を確認できないが、独特の形をした帽子を被っているそのシルエットからすぐにそれが誰かわかった。
「(上白沢慧音!)」
 先程妹紅から話を振られて出た人物が目の前にいる。その話はすぐに無かった事にされ、さらに余計な事はするなと念を押されている。気になったので明日にでもそれとなく慧音に接近してみようと思ったりもしたのだが、まさかここで会うとは思わず狼狽えてしまった。
「お前は・・・確か、白玉楼の・・・。」
「こ、こんばんは。」
 狼狽えた表情を誤魔化すように引きつった愛想笑いで挨拶をする妖夢。
 慧音は怪しいと思ってすぐに妖夢の直近の歴史を探る。妖夢にしっかりとした洞察力と勘が働いていれば慧音の一瞬の視線の変化に気付いて情報が盗られている事に気付いただろうが、この時の妖夢にはまだそんな能力はなかった。
「(なるほど、妹紅の差し金か・・・。それにしても何故?)」
 慧音はすぐに妹紅の策を見破り、妖夢が妹紅に派遣されて来た事を知る。その妹紅とは現在離別中で、むしろ敵対しているといっても過言ではなく、妖夢の到来を警戒しその意味を探る。
 一瞬スパイかとも思ったが、歴史喰いが出来て相手の情報を知り得る自分にスパイを送っても直ぐにばれてしまうだろうし、妹紅もその事も充分承知しているはずである。承知していてなお、それをするという事はスパイではないか、或いはスパイだとしてもばれても問題ないという事である。
 妹紅が妖夢を派遣した本当のところは何だろうか?諜報、攪乱、妨害工作の為ではないだろう。妹紅は妖夢に何も指示をしていない。妖夢を派遣したという正にそのことでこちらを混乱させようとしているのだろうか?或いは、妹紅はこちらの計略に気付いて援軍を寄こしたとは考えられないだろうか?
 慧音は曲げた腰に手をあてて妖夢に顔を寄せてマジマジと見つめ、思わず後ろに引いて顔を逸らす妖夢の顔を強引に前を向かせて、まるで不正を問い詰めるかの如くにじり寄ってくる。
「うーむ。まさかのー・・・。」
 妖夢の歴史ビジョンに映る妹紅の様子から、援軍と捉えるのが自然に思える慧音。しかし、一人では何も出来ないこの白玉楼の小姓に何が出来るのだろうか?
「あ、あの・・・。」
 顔を左右から両手でがっちりと掴まれてしまった妖夢は、身動き出来ず手足をジタバタさせて消極的な抗議の声を上げる。
「あーすまん、すまん。」
 まるで寺子屋の子ども達を相手にするように妖夢をあしらう慧音だが、その妖夢もいつのまにか慧音の生徒になったかのように逆らえず、されるがままになる。
「今日は色々災難だったな。労を多としよう。」
「え?」
 慧音に肩をポンと叩かれ何故か労をねぎらわれる妖夢。最初はきょとんとしていたが、慧音の能力に今更気付いて愕然とし、後ろに引いて身構える妖夢。
「そう身構えるな。だいたい、いつ盗られたかも分からぬのじゃろ?お前の負けじゃ。」
 それを聞いて肩を落とす妖夢。今日何度負けた事か・・・。
「わしは人の為に存在する霊獣だ。人の歴史を盗ってそれを悪事に用いる事はせぬよ。でも、一つ分かった事がある。妖夢は一応人間なのだな。」
「人間?どういう意味ですか?」
「私は人間の為の存在、歴史喰いも寿命の短い人間の知識の保存と伝達に必要な力なのだ。よってその力は人間に対してのみ有効なのじゃ。」
「なるほど・・・私にその力が通るという事は・・・。」
 人間以外を人間と呼ぶ行為は、幻想郷ではある意味侮辱とも取れるが、冥界の住人であり幽霊を相手にしている妖夢としては自分もまた人間のカテゴリーに入ると漠然と考えていたので、慧音に人間と言われても特に嫌な気はしなかった。
 幽霊とは基本人間の別の形で、妖怪は幽霊にならないのである。そもそも死んであの世に行って来世に輪廻するという文化を持たなければこの仕組みには入れないのである。逆にその文化圏内にいる妖怪なら人間同様に幽霊になるし、冥界で暮らすようになるのだ。
「種族としての妖怪と人間の区別は簡単なのだが、私としてはそう単純ではない。歴史を持つのが人間で、持たないのが妖怪と捉えておる。里の妖怪も里の文化圏内にいれば人間であり、私の力も及ぶようになるのだ。逆に人間の中には妖怪に近付き過ぎて歴史が見えなくなり、私からは妖怪になってしまう者もいる。例えばそう博麗の巫女や霧雨魔理沙のようにな。」
「え?あの二人が?」
「うむ。まー私の力は自分よりも遙かに強い相手には通じないからな、単に力量の差で見えないだけかもしれん。まー何にしてもあの二人は人間の里には近付かないし、里の文化圏内からは遠い存在なのは事実じゃろ?このまま放置すれば、あの二人は間違いなく人として死ぬ前に妖怪化するじゃろーなー。」
「確かに・・・あの二人はちょっと他の人間とは違う気がします・・・。」
「何にせよ、人間は常に変化するからいくらでも更生可能だがな。」
「そうか・・・私も人間・・・か。」
「妖夢の場合、人間と幽霊が混ざりあって1個の存在となっているわけではなく、人間と霊の2つの存在が独立しつつも一つにまとまっているという特異な存在なのだ。む、そうか、そういう事か!」
 いつもの癖で知識を伝達する慧音は、その説明の途中で妖夢の特殊な体質を口にして何故妹紅が妖夢を派遣したか、その理由を理解した。この人間と妖の2つを兼ね備えている妖夢がいれば自身の歴史を操る力を十二分に発揮出来るではないか!
「え?あの・・・。」
 わけがわからずキョトンとする妖夢。
「なぁ妖夢?妹紅の頼みを聞く気があるなら、わし達に協力せぬか?」
「え?妹紅さんは・・・あ、あれ?」
 妖夢はここで頭が混乱した。慧音は妹紅と自分とのやりとりはその能力で知っているはずであり、ならばあの話は無かった事になったと知っているはずである。
「気付いておらんのか?」
「まさか!」
「そう、お前は妹紅の計にはまってまんまと私に会わせられたのじゃ。」
「ま、またしても・・・。」
 妖夢はまた膝を折って地面に手をついた。もう膝は泥だらけである。
 突然話を無しにして邪険に扱ったのは自分の足を里に向かせる為で、通り端にある寺子屋の慧音と出会い易い状況を予め知っていたのだ。実際先程偶然慧音と出会ってしまったが、このまま会わずに宿が見つかれば明日にでもこちらから寺子屋を尋ねようとしていた。これは自発的にそうしようと思ったのだが、その前に無意識に妹紅にそうしむけられていたのだ。
「妹紅は今ノリにのっている。異変の中心点に位置する妹紅が積極的に動き出し、私のしようとしていることを見抜いて支援しようとしているのだ。」
「?」
 慧音の言葉の意味は異変の本質を知らない妖夢には全く理解出来ない。
「今はわからんでいい。歴史は結果でしかないが、作る者がいなければ歴史は生まれない。妖夢よ、お前は歴史を作りたくはないか?」
「私が・・・歴史を?」
 妖夢は慧音に煽られている事を自覚しながらもその言葉に熱いものが込み上げている自分を静める事ができないでいた。
「どうだ?妖夢。」
「妹紅さんの頼みとあれば、聞かないわけにはいきません。どうか私を使って下さい。」
 妖夢は自ら決意した。例え誰かに利用されようとも、これから起こる異変の外ではなく内側に身を置くことを・・・。