東方不死死 第57章 「不遇の王女」
これから夏に向かって暖かくなっていく時節にもかかわらず、冷気を放つ霧の湖のおかげで紅魔館周辺は朝晩かなり冷え込む。
その紅魔館のメイド長十六夜咲夜は、朝早くから珍客が来ていると門番の紅美鈴に呼ばれて、その応対の為館を出て肌寒い門前にその姿を現していた。
「あ、貴女がメイド長さんですか?はい、新聞でぇーす!」
「嘘八百新聞さん?あら?いつもの鴉天狗ではないのですね。」
客と言うから八雲紫の関係者が接触してきたと思い急いで来たのだが、誰かと思えば新聞屋の鴉天狗だった。しかし、いつも来る天狗と違う事に直ぐに気付き、面倒事を自分に押しつけた美鈴に一瞥入れて向き直る。
「あんな下品な新聞と一緒にしないでよ。これは私、姫海棠はたての新聞、『花果子念報』創刊号でっす!以後、お見知り置きをっと。」
そう言って、新聞と一緒に自分の似顔絵を描いたと思われる落書きの様な手書き風の名刺を手渡すはたて。
「かかしねんぽう?ぶんぶんなんとかの別冊か何かなのかしら?」
「だからぁー、あんな嘘八百新聞と一緒にしないでよ。新聞というのは起こった事件や事象を正確に伝えるものであって、そこに記者の主観は必要ないのです。この新聞は『文々。新聞』によって貶められた新聞イコール嘘というレッテルを打破するための清く正しい新聞なのです!」
チャラチャラした格好とは裏腹に一本筋の通った自分なのりの意見を力説する姫海棠はたてと名乗る鴉天狗を半ばしらけ顔で見る咲夜。咲夜は新聞という情報媒体は向こうの世界にいた時に見ているし、裏の世界の事情に関わり、新聞という媒体が彼女の言う綺麗事だけのものではないことを既に知っている。咲夜にしてみれば情報操作をするための最も効率的な手段が新聞であり、『文々。新聞』はそうした意図は感じられず、創作として読む分には楽しめているので、はたての言う綺麗事新聞にこそ胡散臭さを感じるのである。
妹紅に言われて紅魔館に対する八雲紫の接触を警戒していた咲夜だが、その事とは別にこのおかしな鴉天狗個人に対して別の警戒感が沸き起こる。
咲夜はいつもどおりの表情で対応しながら、鋭く姫海棠はたてを分析する。聞き慣れない口調は阿保っぽく聞こえ、少なくとも上流階級との接点が何一つ無い生活環境にいたことが理解出来る。丁寧に綺麗な言葉を使おうとして、ポロポロと方言が出る都会人ぶる田舎者と言った印象だ。
その一方でもう一人の文屋である『文々。新聞』発行者の射命丸文は、プライドが高く特に人間を見下す態度を取るが話し方やその態度から恐らく上流階級出身ではと思わせる何かがある。自分に対し絶対的な自信から醸し出る雰囲気が目の前の鴉天狗とは全く違う。
「一部頂けるのかしら?」
「もちろんです!」
「購読はしませんよ?」
「今回は号外なのでとりあえず契約はいいです。読んで面白そうなら契約してください。」
そう言って、新聞を入れてすぐに取り出せるように特別に作られたショルダーバックの新聞の束の中から一枚とって咲夜に渡し、只で配っている号外と知って横で物欲しそうに見ている門番の美鈴にも一枚渡す。
「ずいぶんと薄っぺらい新聞ですね。」
新聞は大きな一枚の紙を真ん中で折った4頁が基本で、それ以上の頁数になることもあるが、いずれにしても配る際はそれを更に何度か折り曲げて小さくするので手渡された時はそこそこの厚みを感じるのだが、今手渡された新聞はいつもの、つまり『文々。新聞』の半分以下という印象である。
「今回創刊号と同時に号外という扱いで、そんなわけだからメインの記事1こだけ。その分中身は濃いですから安心して。」
何を安心すればいいのか分からないが、取り敢えず読む事にする咲夜。
「号外ねぇ?」
気のない顔で面倒くさそうに新聞を広げる咲夜。この時、これが八雲紫のファーストコンタクトであることに気付いていなかった咲夜だったが、その号外の中身を見た時身体に電流が走る間隔を覚えた。
「!」
咲夜の表情が変わった事で興味を示してもらえたと満足そうに胸を張るはたて。
「中々面白そうな記事でしょう?」
咲夜は心情が一瞬表情に出た事を後悔しつつ、はたての様子を見て記事に関心を示した事に満足しているだけという雰囲気を読み取り安心する。彼女がもし八雲紫のエージェントであるなら、今の表情をどう捉えるだろうか・・・。
因幡てゐ重症という事件が単なる事件ではなく、これから起こるとされている異変の一環に含まれている事は、妹紅にネタを明かされた後なので容易に想像出来た。永遠亭と八雲紫が同盟しているのであれば、その永遠亭の配下である因幡てゐに起こった事件がその上位者らと無関係であるはずがない。
「因幡てゐは今どこで療養しているの?」
食い付いてガツガツ聞くと怪しまれるし、だからと言って無視するのもかえって変な印象を与えかねないので、素っ気なくだが一応心配しているふりをしててゐの近況を聞いてみる。
「さぁ?人間の里ですかね?」
「さぁって、この写真を撮ったのあなたなのでしょう?」
「草むらに隠してくれって頼まれちゃったから、そうしたんですよ。で、一応心配だったから新聞配りながらさっきそこに行ったらもういなかったし・・・私こっちの方はまだわからなくて、メイドさん方がわかるんじゃないですか?」
何となく敬語で話そうとする意志は伝わってくるが、言葉遣いがいつもどおりになっている様子のはたて。自分の立ち位置、例えば相手を客と扱っているのか自分が客なのかそのへんが定まってないようだ。
咲夜もレミリア・スカーレットを主と決める前は、言葉遣いはちゃんとしていても口調に敬意が感じられず、よく美鈴からたしなめられていた。自分がそうだったので、相手の心情をよく理解出来る。そう、この鴉天狗は明らかに慣れない事をしており、恐らく誰か別の依頼者、例えば八雲紫によってつい最近作り出されたエージェントなのだ。
「(この娘は、射命丸文と無関係なのかしら?いや、信用の無い文の代わりにこの娘を祭り上げたという線かしらね・・・ということはあの鴉天狗も既に紫に取り込まれている可能性もあるか・・・。そういえば最近見ないし・・・。)」
咲夜は少ない情報から様々な裏の事情が見えてきた。これも最初に妹紅が警告してくれていたおかげであり、それがなければこんな思考は働かなかったはずである。
根が正直そうで勘に触る口調が端々に出てくるが、どこか憎めないはたて。もしかしたらこの鴉天狗は事情を全く知らされていないまま利用されているのかもしれない。新聞というメディアで因幡てゐに関係する事件を報道する役目だけ与えられているなら全てを知る必要はない。
咲夜はそう分析したが、これは半分正解である。はたては何かの計略の一環のエージェントとして働いている自覚はあり、具体的に自分のやっている事の意味はわからないが、何も知らず騙されてやらされているわけでは決してない。
「因幡てゐは永遠亭のファミリーでしょう?永遠亭は医療所でもあるし、重症を負っていたら永遠亭に戻るでしょう普通・・・。」
「へーそうなんですか?で、その永遠亭ってどこにあるんですか?」
実は事前に文から聞いて東側の地理はおおよそ知っているはたてだが、あくまで東側は知らないという立場でいる為にとぼけてみせる。
「迷いの竹林よ。」
咲夜はこちらが何かに気付いて言葉を選んでいると思わせない為に、一般的な受け答えをする。
「それはどこ?」
「南の方よ。竹林なんだから空から見ればわかるでしょう?」
「なるほど、これ配り終わったら早速取材に行ってみよう!」
新聞記者らしく取材という言葉を口にするはたてだが、咲夜にしてみれば他人に言われて行動するようでは文には遠く及ばないだろうとつい余計な事を考えてしまう。
迷いの竹林が何故迷いの竹林なのかを知らなそうなはたてだが、咲夜はそれ以上の助言はしない事にした。
何にせよ、紫のシナリオは進行している。同じ計略に嵌るにしてもそれを事前に知っているかどうかでかなり気分的に楽になれる。妹紅に言われた時は少し心配だったが、あらゆる事象が手に取るように理解出来る事に一種の快感を覚えるほど思考がよく回る咲夜。
「続報は期待できますの?」
「もちろん!それでは!」
はたては元気良く返事をすると、例のVサインを目の横にあてるポーズをとってその場を飛び去っていった。また変なのが現れたと苦笑しながら見送る咲夜。
「いつも来る鴉天狗に比べるとかなり弱いですね。」
新聞を読んでいるフリをして様子を見ていた美鈴が飛び去ったはたての消えた上空を眺めている咲夜の後ろに立ってつぶやく。武人としての力量はかなり低いと美鈴らしい見解に苦笑する咲夜だが、その意見に異論はない。
「嘘八百新聞では情報ソースとして弱くなるから別の新聞を新たに作り出したのでしょう。」
「恐らくそうでしょう。に、してももっとマシな人材いなかったのかしらね。」
ふむと小首をかしげる咲夜。
「まーこういう事は小者の方がいいんですよ。切り捨てるのも簡単ですしね。」
「なるほど、確かにそうね。それにしても予め種あかしされてると状況は良く見えてくる・・・不思議なものね。」
「何となくシナリオは見えてきますけど・・・。咲夜・・・本当にこのまま罠にはまるつもりですか?」
「めーりん、単に罠にはまるだけでいいのなら、藤原妹紅は敢えて策に乗れと助言はしないわ。知らなければ恐らく私たちは八雲紫の計略にまんまと嵌ってしまうでしょうし。」
「まー確かに・・・。」
「助言をしたということは、私達にそれを知った上で好きに動けという事であり、そして、それ以上の事をしてみせろという挑戦状のようなものよ。」
「相手の置いたバナナの皮を踏んで盛大に転んで油断させてみせる・・・とか?」
「違うわ、めーりん。転んで頭を打った衝撃で、天井に吊してあるタライが八雲紫の頭に落ちるのよ。」
そう言ってクスクス笑う咲夜。
「ええ!それは流石にまずくないですか?」
「妹紅はそういうことを私達に期待しているのよ、きっと。八雲紫は紅魔館をなめてるのよ?だからこんな下らない策が成功すると素で思っている。紅魔館の今後を考えれば八雲紫に対して一目置かせるようにしていかなければならないわ。これは単に妹紅への恩返しではなく、既に私達自身の問題なの。」
「確かにそうですね。分かりました。もう何も言いませんよ。」
肩をすくめて強気に笑う成長した愛娘を心強く思う紅美鈴だった。
咲夜の助言通り、とりあえず迷いの竹林のある幻想郷南側へ向かって飛ぶはたて。
ふと右手に見える妖怪の山方面からキラキラと何かの合図の様な小さな閃光が目に付き、その場で停止する。
「椛の定期報告の催促か・・・報告するのすっかり忘れてた・・・。」
今回の仕事で重要なポイントはてゐの続報もだが、紅魔館に新聞を確実に配布する事だった。
はたては急いでメモを取りだし、そこに『紅魔館への配布終了』と書き、光の方向にそれをかざす。
「椛の千里眼って便利よねー。これが見えちゃうんだから。」
間もなく情報を受領した事を知らせる閃光が走り、猛烈なスピードで犬走椛が手を振りながらはたてに接近してくる。わざわざ離れた場所に待機していたのは、文の配下である椛が誰かに見つかって面倒な事にならないためである。
「これ残りお願いねー。」
はたてはそう言うと大量に残っている新聞をショルダーバッグごと椛の来る方向に投げる。椛はそれを空中で受け取るとそのまま、『頑張って下さい』と声援を残し、どこかに飛び去って行った。
スケジュール通りに進行していれば、椛は既に人間の里とその周辺に新聞をまき終えているはずで、その後は今受け取った新聞を関所跡やマヨヒガ方面にまく事になっている。
そして、新聞配達の仕事を椛に引き継がせたはたてには別の重要な仕事があった。
「さてと、あとは因幡てゐのいる博麗神社とやらに取材に行かないと・・・。」
先程、咲夜に因幡てゐの消息が分かっていないと言ったが、もちろんそれは嘘で、全て八雲紫のシナリオ通り順調に進んでいる。
台本が既にあるので、それに従って神社での様子を写真に収めるだけの簡単な仕事だが、前回写真の撮り方で失態をおかしているので、今度はちゃんとした絵がとれるように考えてやらなければと気を引き締める。
「昼までには戻らないと印刷ラインのみんなに迷惑かかるし・・・せっかく続報数回分の契約してもらったんだから、とにかくがんばるしかないわね。」
はたては、クロワンの仕事が単に一人だけのものではなく、大勢の関係者に影響を与える重要な仕事だと改めて認識し気を引き締めた。
因幡てゐ重症の最初の一報は幻想郷東側の住人にとって大事件とは言えないまでも、彼女の知名度はかなりあったのでそれなりに騒がれてももおかしくはなかったが、いくつかの事情が重なって最初の反応は静かなものだった。
そのいくつかの重なった事情とは、人間の里では酒蔵組合の監査とその後に催されると『噂』される酒祭りが話題の中心で、妖怪の間では傭兵募集の件が一番の関心事だったからである。
人間の里では相変わらず酒樽や荷台を作る槌の音が響きわたり、監査を終えた規程量外の酒が大量に積み出され、移転前の博麗神社が建っていた西側の広場に集められ厳重に保管されていた。
10年ほど前に酒屋や庄屋の蔵持で一斉に代替わりが起こり、蔵の帳簿が次代に譲られた際に生真面目な若旦那が帳尻の合わない酒量を問題にして監査を言い出すも結局有耶無耶になったが、里のご意見番であり守護神である上白沢慧音が以前の密造酒関連の責は問わないとして、この際完全に蔵の状態を綺麗さっぱり整理しようという話を突然打ち出して、この様な状況になっているのである。
何故今更と不思議に思う里の住人達も、余った酒で祭りを開催すると聞けば反対する野暮は誰も言い出さなかった。
話題の2番手にいた因幡てゐは、姫海棠はたてに見られた後は八雲紫の手によって速やかに博麗神社に移され静かに休養をとっていた。
「妖怪の回復力はほんとえげつないわよね。」
博麗神社の母屋の居間で布団に寝かしつけられている因幡てゐに、誰に言うわけでもなく独り言を呟く巫女。
顔の右側がかなり酷い状態で、濡らした手拭いを顔に乗せて冷やしている。
博麗霊夢は妖怪と見れば退治にかかり容赦ない事で有名だが、怪我人や困っている人には基本的に親切で妖怪でも怪我して戦える状態でなければ助けるという、良く解らない性格をしている。
今回の件は紫の計略の一環で、霊夢も因幡てゐも所謂グルと言うわけで、彼女を看病してやるのは当然とえば当然なのだが、そうした裏の事情がなくてもこの状態のてゐを見つけたり、誰かに運び込まれれば同じように看病したはずである。
いつも神社に悪戯に来る妖精も怪我をしたり困った事があると助けを求め、昨日その連中に酷い目にあっていたとしても嫌な顔をしつつも結局助けてしまうのが霊夢という人物である。そして、嫌々助けるので助けられた側も気分が悪く、霊夢に対してあまり感謝せず、この近辺の妖怪や妖精とは険悪な中立関係が維持されていた。
てゐの枕元に新聞紙を敷き、その上に冷たい井戸水を張った水桶を置いて、何度も何度も手拭いを冷やしててゐの顔に乗せる作業を繰り返す霊夢。
妖怪に効くかどうかもわからないので特に傷薬や飲み薬を与えてはいないが、目に見えて分かるスピードで外傷は回復していく。霊夢はそれをえげつない回復力と称するが、目を覚まさない現状から、見た目はともかく中身がまだ全然回復していないのだろうと推察出来た。こればかりは栄養と睡眠を十分にとらなければならないのだろう。
もう顔以外の目に見える傷は治っていると思われ、明日になればかろうじて立って歩くだけは出来るだろう。そして、その状態で次の仕事、紅魔館入りの交渉に入る事になっている。
大怪我をしているてゐが運び込まれる事は計画の範囲で予め教えられていたことだが、ここまでの怪我とは予想しておらず、また、どう考えても人為的にここまでの怪我をさせることに霊夢の中の常識が対応できず困惑したものである。ここまで痛めつける事が出来るなら、殺す事などもっと簡単に出来てしまうのだろう。
元々人種が違うと分かっていた蓬莱人だが、ここまで血も涙もない連中だとは流石の霊夢も想像できず、てゐを見る度に怒りが込み上げてくる。
「・・・まったく。」
看病しながら一人憤る霊夢。その時外に人の気配がして開け放っている縁側の外を見る。
「どうもー、花果子念報の者ですー。」
「あれ?文じゃないの?文屋が取材に来るって聞いていたからてっきり・・・。」
「文は、まー何ていうか、キレ過ぎて余計な事しかねないって首謀者の某若いご婦人さんに外されました。ザマー!って感じですけどね。」
そう言って例のポーズをとるはたて。また変なのが増えたと溜め息をつく霊夢。
「まー確かにこんな企み知ったらじっとしてないでしょうね、文の性格からすると・・・。」
そう言ってお茶の準備をしようと腰を上げる霊夢。
「ああー!お構いなく!そのままでいいですよ!原稿は既に上がってますし、写真とるだけですから。」
「写真ってあんたカメラないじゃない?」
「今時の写手はカメラなんて使わないんですよ。」
「ふーん。」
はたては冗談っぽく言って突っ込みを期待したが、霊夢はさもありなんという表情でスルーする。魔理沙と違い、霊夢はカメラを向けられるのが嫌いなのでむしろ無い方が都合がいいが、誤魔化す為の幾つかの文言を予め用意していたはたてにしてみれば見事な肩透かしとなった。
「で、どうすればいいの?」
「そのまま今まで通りで。後は勝手に撮るんで。」
「・・・そう。」
霊夢はそのままてゐの枕元で手拭いの交換を始める。
「・・・。」
そんな霊夢をはたては不思議そうに見る。初対面なのに特に緊張した様子もなく、他人行儀の言葉遣いもせず、特別仲が良いわけではないが、まるで昔からの知り合いのように接してくる人間に否応なしに興味が湧く。
文から東側の情報を事前に得ていたはたてだが、実際に東側に来てその土地に住まう人妖をこの目で見るのは初めてだったので、これが普通なのか異常なことなのかはっきり分からない。階級社会で上下関係が明確な天狗の世界で生きていたはたてとしては、どうしても身分を意識してしまい、自分が霊夢より上なのか下なのかを先に考えてしまう。
はたては比良山領で鴉天狗としてはかなり下に位置する身分で、上を望める様な能力を持ち合わせていないので、余り出世の事は考えず、身分についてもどうでもよかった。
だが、一旦天狗の社会から出てみると自分自身の身分を強く意識してしまう事に気付く。もしかしたら、自分の低い身分を見抜いて霊夢は無礼に振る舞っているのかなど、今まで考えたこともない様な余計な事をつい考えてしまう。
普段身分など考えないはたてであっても、人間を自動的に格下に見る鴉天狗の性が遺伝的に備わっている事を思い知ると同時に、自分の住んでいる世界がとても息苦しいところであることも認識した。
階級社会による厳しい上下関係もなく、大らかでのんびりとした雰囲気。禄を得る為に労働に殉ずるのはどこも同じだろうが、義務として上から任命されているわけではなく、継続する社会の中で自然に役割が分担されている。なりたい職があれば努力次第で何とかなるのだろうか?
天狗の社会で自分の裁量で仕事が出来る唯一の職業が新聞記者で、社会の歯車の一部になりたくない独立独歩な連中は皆この仕事に就く事を目指す。
はたては記者になりたいという漠然とした夢はあったが、文のように自由を得る為に身分を利用してまで新聞記者の職に就きたいと自ら積極的に行動してはいない。その能力に合った仕事に就きそこがたまたま印刷や報道関連の仕事だったから憧れたという感じで、文の新聞を見て自分ならこうするといったモチベーションが生まれてから、新聞記者という職業を明確な目標に置いたのである。
姫海棠はたては若干120歳の若い鴉天狗で、丁度博麗大結界が施行された年に生まれている。
向こうの世界は所謂幕末から明治維新を経て時代が急激に変わり沢山の新しい物が生まれると同時に古い物が忘れ去られ、それらが数多く幻想郷入りして双方の世界は色々な意味で活気があった時代である。
印刷に関係する当時としては近代的な技術も流入し、手書きから瓦版・木版と移り変わり、やがて一文字づつ刻まれた金属製の文字盤を組み替えて自由に文面をつくる活版に変わる。写真などもこの時流入して写手と呼ばれる所謂カメラマンという職業が生まれ大きな箱の様なカメラを担いであちこち跳び回っていた。
念写が出来たはたては、腐敗して失われていく古い資料を撮影して保管する作業に従事し、新聞報道が生まれ発展していく様子を傍らで眺め、やがて花形職業である新聞記者が登場するとそれに憧れる様になった。
新聞印刷部門は比較的最近出来たもので、新聞報道の前身である情報部門は各領地との連絡の為の手紙などを配達するだけの簡単な作業でしかなかった。代々射命丸家はそうした情報伝達を生業としており、その一門の文もその仕事に従事していた。
文ははたてよりだいぶ年上の約600歳で、幻想郷が隔離する前の『妖の狩人』の情報収集の為、山狩りに参加した経験もあり、幻想郷隔離直後の吸血鬼戦争では女性の前戦参加は禁じられていたので後方支援と各領地との間を行き来して最前線の情報を各地に伝達していた。
吸血鬼戦争の戦後処理が終わった直後に、潜伏する闇の勢力に囚われたかつての仲間達が領地に潜り込まないよう防御を固めるため鎖国状態となって、同じ天狗であっても自由に他領地へ入れなくなった。
比較的平和な時代になってから、瓦版による情報交換が密かに行われるようになり、それらが領内から領外に持ち出され始め、山に住む妖怪などを通じて広く流通し、現在の新聞報道の地盤が形成されていく。
鎖国状態は現在に至るまで未だに継続中だが、この瓦版の流通は各地の大天狗が必要事項と承認して正式に認められ、妖怪などを通して行われた配布作業も他領に入る事を特別に認められた現在のクロワンの前身となる報道業が誕生して彼らが配布業務に従事する事になったのである。
その後、新聞報道が生まれ自由に他領地に入り取材出来る新聞記者クロワンが誕生すると、文はそれに飛びつくも女性では試験すら受けられないので、名門射命丸の本家に頼み込んで推薦状を書いてもらい研修無しで強引に新聞記者になってしまったわけである。
はたては2人の様子を見ながら位置を変え、目に映る像を記憶に焼き付けていく。文に言われた通り、何度も何度も試行錯誤して紙面に載る事を考えてアングルを変える。はたてとしては沢山のシーンをカットとして記憶というフィルムに焼き付けてしまうと、写真という形に再構築する際に記憶の混濁が起こって現像が上手くはかどらなくなるという問題が発生してしまう為、なるべく少ないカットで済むように短時間の作業を心がけていた。
こうした写真の撮り方が前回の様な『記念写真』というわけで、そうしたはたての個人的事情が写真をつまらなくしている最大の原因となっていたのである。
その事を文に指摘され、今は面倒でも沢山のシーンを印象に残る様に集中して目と記憶に焼き付ける作業をしていた。
紅魔館地下にある魔法図書館に一人のメイドが訪れていた。
「これは?」
何も言わず差し出された新聞を手に取って何事かと尋ねる図書館の主パチュリー・ノーレッジは、先日自分の物となった幻想郷の詳細立体地図の研究を邪魔されて少し機嫌が悪い。
機嫌の悪い魔法使いには下手に言葉を掛けるのは得策ではない事を経験から知っている十六夜咲夜は、パチュリーの問いに微笑みだけで応え記事を見るように促す。
「これは・・・。」
すぐに大事と知って自分の机に着き、小さな文字がよく見えるよう今使っている眼鏡とは違う度の強いものと取り替え詳しく読み始める魔法使い。
「先程、見慣れない鴉天狗が来てこれを配って行きました。」
「花果子念報・・・創刊号でありながら号外とはなんとも怪しいわね・・・。」
「事前に情報を得ているからこそ気付きますが、普段なら見過ごしていたかもしれません。」
「因幡てゐが重症というだけでは妹紅の言う八雲紫の計略の一環なのか判断はしずらいけど。」
「ええ、でも、永遠亭と八雲紫は同盟しています。」
「そうね。やはりこれは八雲紫が動き出したと見るべきね。」
「この後、因幡てゐは恐らく紅魔館に入ろうとするでしょう。」
「妹紅はそれに乗れと言っていたわ。勿論それに異論はないけれど、でも、そこでハイそうですかと二つ返事したのでは、怪しまれるわね。」
「ここは一芝居打つべきでしょう。」
「ふふ、咲夜はどっちの役をやりたい?」
「パチュリー様にお任せします。」
「じゃー私は賛成役に回るわ。咲夜は反対役ね?」
「そうおっしゃると思っておりました。ある程度台本決めておきますか?」
「無用ね。」
「分かりました。」
「あ、待って。」
ここで話が終わったと見て踵を返す咲夜を引き留めるパチュリー。
「レミィは今夜型シフトでしょ?昼型に変えておいたら?」
「ああ、気付きませんでした。そのように致します。」
初めからそうするつもりだった咲夜だが、声に出してはその反対を言い、向き直って恭しく一礼するとその瞬間その場から姿を消した。
「妹紅がある程度永遠亭にも根回ししているとしたら・・・因幡てゐは二重スパイになるとも言えるわね。なるほど、私達がしくじってもちゃんと上手く行くようになっているというわけね。」
深慮遠謀とはこういう事を言うのだと改めて感心するパチュリー。魔法使いとしてレミリアの片腕としてこれからもやっていかなければならないわけだが、自分に足りないもの、そして身に付けていかなければならないことを、これから起こるであろう異変の中で見出さなければならない。
八雲紫と真っ向から戦って勝つ事は不可能だろう。恐らく向こうは自分など眼中にないはずである。だからこその今回の因幡てゐの件なのだろう。こちらが警戒するに値すると判断していれば、このような安易な作戦はしてこないだろう。
「向こうはこちらを何とも思ってないということ・・・。」
ルビーのいれた紅茶に口をつけたまま一瞬考える。藤原妹紅は誰からも警戒されない、ノーマークである事を最大限の武器として利用してきたらしい。ならば侮っている相手に意表をつくようなサプライズを見せる事が今の自分が出来る効果的な攻撃手段となるだろう。
「サプライズ・・・か。」
ふと、咲夜が来たので作業を中断してそのままにしていた起動中の魔法陣の上にある八雲藍の幻想郷地図を見る。
「!・・・これは使えそうだわ。」
自分で作ったものではないが、さも自分で作ったものの様に見せかければ八雲紫も驚くだろう。
この地図は明確な形としてではなく紫の頭の中に存在する漠然としたイメージを目に見える形に八雲藍が組み替えた代物である。これそのものは八雲紫は知らないはずで、制作者が誰かなど確かめる事も出来ない。紫と同じ様な幻想郷の座標値を一介の魔法使いも分析して解明していると知ったら、自分の頭の中を覗かれた様で、さぞ気持ち悪く感じるだろう。
極秘であるはずのこの地図を敢えて自分のものとして本当の持ち主本人の目の前で晒して見せる事で、それはその瞬間極秘ではなくなる。だが、自分の物であるという認識を相手に植え付ける事が出来ればもはや極秘にする必要もなく、公然と堂々と利用出来る事になる。
「ふふふ、楽しみだわ。」
パチュリー・ノーレッジも、そして十六夜咲夜も、これから起こる異変に対して積極的に挑む準備と覚悟が整っていた。
夜間に生活スタイルを合わせる為、太陽が出ている間睡眠を取っていたレミリア・スカーレットが目覚める時間は本来なら日没でなければならなかった。しかし、目を覚ましたのは陽が昇った後、つまり朝だったのである。
「咲夜、これはどういうこと?」
「お腹が空いていますでしょう?朝食の準備は整っております。」
「そんな答えを要求した覚えはないわ。何故今朝なのかをちゃんと分かるように説明して頂戴。」
「その件に関しては説明が長くなりそうなので、先に朝食を済ませた方が良いと思いまして・・・。」
カーテンは閉め切って部屋は暗いが、密閉しているわけでもないので朝の日差しが分厚いカーテン越しに透けてほとんどの物が判別出来るほどの十分な光が存在している。
陽光に弱い吸血鬼だが、純血種以下の吸血鬼ならともかく再生力と抵抗力の高い始祖族ともなれば直射日光をまともに浴びても直ちに灰になることはない。部屋の中など影の中に居れば日中でも問題なく活動出来、日傘だけで外を出歩く事も珍しくない。
「分かったわ。話は食事中に聞きましょう。」
レミリア、フランドールのスカーレット姉妹は、成長できない呪いによって子供の姿でいることを強制されている。吸血鬼といっても子供の間は肉体が成長するために十分な栄養と睡眠を取る必要があり、これは人間も妖怪もほとんどかわらないのである。
吸血鬼の始祖ヴェントルーとトレアドールを両親に持つスカーレット姉妹は子供でありながら、既に大きな力を持っており、成人ともなれば幻想郷のどの妖怪にも勝る存在となっていただろう。しかし、10歳の子供であらなければならない彼女達は、強大な力を持っているにもかかわらず常に十分な栄養と睡眠を取る必要に迫られ、一日の中で飲まず食わず、不眠不休でいることは出来ないのである。
「食事はどちらでなさいますか?」
「・・・フランは?」
「妹様は先程お休みになりました。」
フランドールに関してはシフト通りに寝起きさせていた咲夜。
「そう・・・なら一緒に食事をする必要はなさそうね。ここで済ませるわ。それと、フラン一人では可哀相だから、あの娘のシフトも私に合わせておいて、決して無理させないように。」
自分に無理を強いた事に対して嫌味を込めるレミリア。
「かしこまりました。」
恭しく頭を下げた咲夜は退室し、間もなく給仕係を伴ってレミリアの寝室に戻って来る。
当番の給仕が金属製の美しい装飾がなされたワゴンを押して咲夜の後を一礼してから入室し、レミリアの朝食の準備を始める。
普段朝は軽めに済ませるのだが、昨日の夕方に目覚めるところだったが丸一日寝ている事になり、その間何も食べていないのでかなりお腹が減ってるはずである。いつもより品数を増やして、お詫びの意味も込めて好物をたくさんメニューに盛り込んでいた。
未だベッドの中にいて上半身を起こし、着替える意志をみせていない不機嫌を隠そうとしないレミリアの様子を見て、ベッドを半分起こして背もたれをつくり、楽な姿勢で食事が出来る様に準備をする。少しでも機嫌が直る様にとのささやかな計らいだが、これは自分に対してというよりも給仕として連れてきたメイドを怖がらせない為の措置であった。
次にベッドの下にある隠し棚から2本の棒を両端で固定し立てて置ける様に四本の脚がついた木製の支柱をベッドの両側に置き、その上に天板を置いてテーブルにする。これらテーブルセットは後から取って付けたものではなく、豪華な天蓋付きベッドとセットのもので、いずれも美しい彫刻が施されている。
テーブルの準備が出来た咲夜は専用のテーブルクロスを敷き、毛布や衣服を汚さない為の大きなナプキンを綺麗に三角に折ってテーブルの上に立てて置く。
レミリアはすぐにそれをとって華麗な手付きで衣服と布団を大きく覆い食事の準備をし、いつの間にかテーブルに置かれているワイングラスに淹れられた蒸留水を手に取って喉に流し込み、空っぽの胃袋にこれから食事であるという合図を送る。
空腹で直ぐにでも食べ物に貪りつきたい衝動に駆られるレミリアだが、紅魔館で雇っている給仕メイドの仕事を咲夜が引き継いで退室させるまでおすましでじっと耐える。
10歳の子供がこれだけ長い時間食事を断つのは大変な苦痛だろう。それでも気丈に振る舞い、レディとしての面目を保ち続けるレミリア。
そんな生まれながらのレディであり、人前で決して弱音を吐かないレミリアを愛おしく思う咲夜は、すぐに給仕当番を下げさせ主の気分を楽にさせると同時に、必要な物を小さくまとめて配置したトレイの上の小さなキッチンで手早くスープを皿に注ぎ、レミリアの前にお気に入りのスプーンを添えてそっと差し出す。
空腹の為、もういっそのことスープ皿ごと胃に流し込みたい衝動に駆られ、咲夜の前ならそれも許されるかもしれないが、そこは必死に堪える本能よりも理性が勝ったレミリア。
少しずつ上品にスプーンを口に運ぶようやく食事にありつけたレミリアだが、心なしかいつもより口に運ぶスプーンが速く見える。
咲夜は主に分からないようにクスリを微笑み、空っぽの胃が早く落ち着きを取り戻す様、おかわりを促す。
二杯目のスープを飲み干したレミリアは、ようやくほっとした表情になり怒気も静まる。
吸血鬼は空腹になると獣性が表に出て野蛮になる傾向が他の妖怪などよりも強く、理性が本能を抑止出来ないとそこで化け物に変体してしまう。吸血鬼の各氏族の姿がかなり異なっているのはそうした理由があるからで、野蛮な種族ほど、異形の姿をしているのである。
ヴェントルーやトレアドールは、太古より姿が変わっていない種族であるが、人間や妖怪よりも空腹に対するストレスに弱いという吸血鬼の特性から逃れる事は出来ない。
これは逆に考えると、十分な食物が得られる環境が与えられれば吸血鬼は良き隣人となりえる種族でもあり、貴族と呼ばれるレミリアの父方の血筋であるヴェントルー族は、人間と同じように貴族として実際に領地を持ち安定した食糧を確保出来たので、多くの吸血鬼を養いつつも人間達と折り合って平和的に暮らせることができたのである。
一方母方のトレアドールは、他とほとんど交わらずに排他的に暮らしていた氏族で、太古のままの姿を保ち続けていると言われている。つまり、トレアドールの姿こそが本当の吸血鬼の姿であるといえる。
落ち着きを取り戻したレミリアは、今までにない変則的な睡眠時間と起床を強いられた理由を問うべく、給仕に忙しい咲夜に声を掛けようとしたが、まるでそれを見計らうかのように叩かれたノックの音に口をつぐまなざるを得なかった。
「・・・どうぞ。」
イラっとしたレミリアだが、ノックの特徴からすぐに誰か分かり入室を許可する。
「レミィ、朝食のところ悪いわね。」
扉を叩いたのは、レミリアの心友パチュリー・ノーレッジだった。
「構わないわパチェ。それより、何の用?」
「また、新聞が届いたわ。」
これは新聞についてすでにレミリアが周知しているという前提の台詞だったが、この時はまだ新聞についてレミリアは何も知らされていなかったので、当然疑問の声があがった。
「新聞?」
「あら、咲夜、まだ言ってなかったの?」
「先に何か食べてもらおうと思いまして・・・。」
「そう・・・。」
ルビーを従えて入室したパチュリーは、入り口付近で作業をしている咲夜の横を通り過ぎ、ベッドにいるレミリアから向かって右横の椅子に腰を下ろし、折り曲げて小さくなった2つの紙束をレミリアの横に置く。
「咲夜、カーテンを開けて頂戴。」
「かしこまりました。」
分厚い遮光カーテンが開かれると、薄いレースのカーテンごしに爽やかな朝の光が柔らかく部屋を照らす。カーテンを閉め切った仄暗い部屋の方が良かったレミリアだが、これだけ人が来ればその人たちに合わせるべきと大人の判断をしたのだ。
日差しが直接入ってきたわけではないが、その眩しさに一瞬目がくらむレミリア。だが、それにも直ぐに慣れて目を開ける。いつものように影の中になるように咲夜が立ち位置を調整している。目を瞑っている間に次の料理が既にテーブルに置かれているが、ひとまずお腹は落ち着いたので、パチュリーが持ってきた新聞を読むため題字を見る。しかし、直ぐに読めず硬直する。
「・・・。」
新聞を手にとって題字を読もうとしたがなんと読めばいいのか分からないレミリアに、パチュリーが素っ気なく独り言の様につぶやいてみせる。
「かかしねんぽう?嘘八百新聞とは違うの?」
「私がみたところでは、文々。新聞の射命丸文に対抗しようという意志があるようですが・・・。」
質問に答えた咲夜に一度向き直ったレミリアは、また新聞に目を戻す。
「・・・因幡てゐ重体?これがどうしたの?」
「私も最初これを読んだ時、レミィと同じ感想だったわ。でも・・・。」
「でも?」
「こっちを見て頂戴。」
レミリアの横にある2つあったうちのもう片方の新聞を指すパチュリー。
「・・・博麗神社で療養中・・・何故博麗神社?」
「さぁ・・・病院でもある永遠亭の因幡てゐが重体の身を博麗神社で癒すなんて、まるで永遠亭から追い出されたみたいよね。」
「確かに変かもしれないけれど・・・でも、そんな事だけで、私のシフトを無許可で替えたの?」
因幡てゐが永遠亭から追放されたからといって、レミリアとしては別に同情する義理もない。むしろあの性悪兎が懲らしめられて清々したと思っている。
「最近何やら幻想郷がきな臭いので・・・。」
「・・・それはつまり、近々異変が起こる・・・と咲夜は言いたいのね?」
「確証はありませんが、これは何らかの異変の前兆ではないかと。」
「永遠亭あたりで何かしこんでるのかしらね。私達とは関係ないとしても、寝ている間に異変が終われば、それはそれで嫌なんでしょ?レミィは。」
妖怪の山に新しい神様が来た時や博麗神社に間欠泉が出て温泉が湧いた時も、レミリアはシフトの関係で昼間は寝ており、その話を聞いた時は起床後の夜だったのである。口に出して何も言わなかったが、数日間不機嫌が取れなかった事から、次に何かありそうな時は叩き起こしてあげるとパチュリーは事前にレミリアに宣言していたのである。
「ふん!」
パチュリーに心の中を覗かれた様で面白くないレミリアは、大好きなアップルパイに八つ当たりをするかのようにむしゃむしゃと頬張る。サクサクのパイ生地がポロポロと下に落ちるが、それを想定して敷いてあるナプキンのお陰で寝具や衣服を汚す事はないが、行儀悪く褒められた行動ではなかった。
そんな子供っぽいレミリアの姿を見てパチュリーの目じりが下がる。
「ふふ、それにしても、こうしてレミィの寝室で私達が揃うのも久しぶりね・・・。」
そのパチュリーの懐かしそうな声に振り向いたレミリアだが、先程まで座っていた椅子に彼女の姿は無く、ベッド脇のチェストに上にある小さな本棚の前に移動していた。
手に分厚い本を持っており、それがすぐに予言書『亡き王女のための七重奏』だと、レミリアはすぐにわかった。
「レミィも私もフランもルビーも美鈴も、出会った頃と姿は変わらないけど・・・。」
それを受けてレミリアはベッドを挟んで反対側の窓に背を向けてこちらを見ている咲夜に向く。
「最初に会った時は、私とほとんど背丈は同じだったのに・・・いつの間にか追い抜かれてしまったわね・・・。」
どこかしんみりとした空気になるが、開いていた本を閉じるポンという音で空気を戻すパチュリー。
「私は・・・どうすればいいのかしらね・・・。」
「人間である以上、咲夜はいずれ死ぬわ。でも吸血鬼になれば私達と同じ時間を過ごす事が出来る。」
「でも・・・。」
「そう、子どもであるレミィには、咲夜を吸血鬼にする力はないわ。何れにしても予言書にある通り、レミィが大人にならなければならないこと。」
「子どもだから許されているのに、大人になんてなれないわ。」
「レミィが大人になりたくないのは、殺されるから?それとも子どものままの方が楽だから?ツェペッシュの末裔が聞いて呆れるわね。」
「パチュリー様、その話は前にも・・・。」
急に喧嘩腰になるパチュリーとレミリア。以前もこのような事が何度かあり、慌てて仲裁に入る咲夜。
レミリア・スカーレットは、自分の本当の両親が誰であるかまだ知らない。古い大戦の事もお伽話としてしか認識しておらず、自分がどれほどの重要な存在かわかっていない。現時点では、伝承として残る有名な吸血鬼の血筋であると漠然と信じているだけだった。
裏の真実は咲夜もパチュリーも先日知った事で、無意識に存在する漠然とした成長、変身願望が図らずも八雲紫の異変と重なって知らず知らずのうちに運命操作を行っており、異変の元凶が紅魔館の主だという事が分かっている。
それを知ったパチュリーとしては、その変身願望を促し運命を加速させるべきだという魅魔に同意し、今、その絶好のチャンスとみてレミリアを嗾けてみたのである。
咲夜はそのパチュリーの意図はすぐに理解できたが、いつも通りレミリア側に立って養護する。ここでパチュリーに迎合してレミリアを孤立させるのは得策ではないと判断したからである。
「レミィ・・・咲夜は貴女だけのものではなくてよ?死に別れるなんて私はご免だわ。」
「そんなこと分かってる!でも、どうすればいいの?」
「だから、こうしてレミィを起こしたのでしょ?」
「・・・どういう意味?」
「レミィが大人になることが許されるには、時世が変わらなければダメという事よ。」
「時世?」
「そう。これまでの常識が非常識になり、ルールが変わることよ。」
「つまり、幻想郷を今現在治めている八雲紫が失脚する・・・といったような事ですか?」
咲夜が意味深な仮説を呟く。
「それは分からないわ。でも強大な永遠亭になんらかの動きがあるようだし、正直、あの八雲紫に真正面から対抗出来る存在は彼らしかないと思うの。」
「・・・。」
ぎゅっとナプキンに握りうつむくレミリア。
「もしかしたら、次に起こるかもしれない異変に何かの糸口が見つかるかもしれないわ。レミィ、その事を覚えておいて。」
言うだけ言うとパチュリーは、ルビーを従えて部屋を出る。
「お嬢様・・・。」
「咲夜・・・私はどうすればいいの?」
「これが運命だとするなら、なるようにしかなりませんわ。でも大丈夫です。きっと、お嬢様は成人になれますよ。」
「そんなことは分かってる。私は当然大人になれる。でも、違うの!私が言いたいのは大人になった時、そばに咲夜がいるかどうかなの・・・。」
「お嬢様・・・。」
咲夜はナプキンをぎゅっと握ったまま涙を流すレミリアのベッドの傍らに跪き、その小さな細い手に自分の手を伸ばし重ね置く。
自分だけが成長し大きくなってしまった手を恨めしく思う。たった数年なのに、今まで気にも留めていなかったのに、自分だけが人間であるという事実をこの時否応なしに思い知らされる。
手が触れた瞬間、堰を切った様に倒れ込み咲夜に身を預けるレミリア。それを立ち上がって抱き留めそのままベッドに腰を置く咲夜。
「ずっとお嬢様のおそばにおります・・・。」
首に両の腕を回し抱きつくレミリアの耳元で囁き、安心させようとする咲夜も、ついもらい泣きしてしまう。
いつも気高く上品に振る舞い、特に妹であるフランドールの前では泣き言は絶対言わず、良き姉として振る舞い10歳の子供の自分を押し殺して我慢しているレミリアは、親友の魔法使いにも絶対見せない姿を咲夜にだけはさらす。
咲夜もまた、小さな主の信任が日増しに高まる事を身に染みて感じ、忠誠心を増幅させている自分に改めて気づく。先日賓客として招こうとしていた妹紅に対し魔が差した行動をしてしまったのも、この忠誠心が誤った方向に出てしまったせいでもある。
いっそのこと、妹紅や魅魔といった協力者が密かにレミリアの成長の為に動いている事実を教えて安心させてやれればどんなに楽になれる事だろうか。
しかし、今はまだそれは出来ない。ここでそのことを明かしてしまえば、安心して強い成長、変身願望が薄れてしまい、成人へのきっかけとなる異変そのものが頓挫してしまうかもしれないのだ。
異変を推し進めている力は、レミリアの不安定な心から生じ膨らんでいる強い成長願望なのである。今これを止める事は出来ない。
目覚めた時から傍らにあった予言書。それを読み続け不遇の王女という境遇がいつの間にか自分や仲間内の間で常識化していたが、自分が誰なのか何故自分は子供のままでいなければならないのか、本当のところは全くわからない。
真の王女は未だ真実を知らない。
これから夏に向かって暖かくなっていく時節にもかかわらず、冷気を放つ霧の湖のおかげで紅魔館周辺は朝晩かなり冷え込む。
その紅魔館のメイド長十六夜咲夜は、朝早くから珍客が来ていると門番の紅美鈴に呼ばれて、その応対の為館を出て肌寒い門前にその姿を現していた。
「あ、貴女がメイド長さんですか?はい、新聞でぇーす!」
「嘘八百新聞さん?あら?いつもの鴉天狗ではないのですね。」
客と言うから八雲紫の関係者が接触してきたと思い急いで来たのだが、誰かと思えば新聞屋の鴉天狗だった。しかし、いつも来る天狗と違う事に直ぐに気付き、面倒事を自分に押しつけた美鈴に一瞥入れて向き直る。
「あんな下品な新聞と一緒にしないでよ。これは私、姫海棠はたての新聞、『花果子念報』創刊号でっす!以後、お見知り置きをっと。」
そう言って、新聞と一緒に自分の似顔絵を描いたと思われる落書きの様な手書き風の名刺を手渡すはたて。
「かかしねんぽう?ぶんぶんなんとかの別冊か何かなのかしら?」
「だからぁー、あんな嘘八百新聞と一緒にしないでよ。新聞というのは起こった事件や事象を正確に伝えるものであって、そこに記者の主観は必要ないのです。この新聞は『文々。新聞』によって貶められた新聞イコール嘘というレッテルを打破するための清く正しい新聞なのです!」
チャラチャラした格好とは裏腹に一本筋の通った自分なのりの意見を力説する姫海棠はたてと名乗る鴉天狗を半ばしらけ顔で見る咲夜。咲夜は新聞という情報媒体は向こうの世界にいた時に見ているし、裏の世界の事情に関わり、新聞という媒体が彼女の言う綺麗事だけのものではないことを既に知っている。咲夜にしてみれば情報操作をするための最も効率的な手段が新聞であり、『文々。新聞』はそうした意図は感じられず、創作として読む分には楽しめているので、はたての言う綺麗事新聞にこそ胡散臭さを感じるのである。
妹紅に言われて紅魔館に対する八雲紫の接触を警戒していた咲夜だが、その事とは別にこのおかしな鴉天狗個人に対して別の警戒感が沸き起こる。
咲夜はいつもどおりの表情で対応しながら、鋭く姫海棠はたてを分析する。聞き慣れない口調は阿保っぽく聞こえ、少なくとも上流階級との接点が何一つ無い生活環境にいたことが理解出来る。丁寧に綺麗な言葉を使おうとして、ポロポロと方言が出る都会人ぶる田舎者と言った印象だ。
その一方でもう一人の文屋である『文々。新聞』発行者の射命丸文は、プライドが高く特に人間を見下す態度を取るが話し方やその態度から恐らく上流階級出身ではと思わせる何かがある。自分に対し絶対的な自信から醸し出る雰囲気が目の前の鴉天狗とは全く違う。
「一部頂けるのかしら?」
「もちろんです!」
「購読はしませんよ?」
「今回は号外なのでとりあえず契約はいいです。読んで面白そうなら契約してください。」
そう言って、新聞を入れてすぐに取り出せるように特別に作られたショルダーバックの新聞の束の中から一枚とって咲夜に渡し、只で配っている号外と知って横で物欲しそうに見ている門番の美鈴にも一枚渡す。
「ずいぶんと薄っぺらい新聞ですね。」
新聞は大きな一枚の紙を真ん中で折った4頁が基本で、それ以上の頁数になることもあるが、いずれにしても配る際はそれを更に何度か折り曲げて小さくするので手渡された時はそこそこの厚みを感じるのだが、今手渡された新聞はいつもの、つまり『文々。新聞』の半分以下という印象である。
「今回創刊号と同時に号外という扱いで、そんなわけだからメインの記事1こだけ。その分中身は濃いですから安心して。」
何を安心すればいいのか分からないが、取り敢えず読む事にする咲夜。
「号外ねぇ?」
気のない顔で面倒くさそうに新聞を広げる咲夜。この時、これが八雲紫のファーストコンタクトであることに気付いていなかった咲夜だったが、その号外の中身を見た時身体に電流が走る間隔を覚えた。
「!」
咲夜の表情が変わった事で興味を示してもらえたと満足そうに胸を張るはたて。
「中々面白そうな記事でしょう?」
咲夜は心情が一瞬表情に出た事を後悔しつつ、はたての様子を見て記事に関心を示した事に満足しているだけという雰囲気を読み取り安心する。彼女がもし八雲紫のエージェントであるなら、今の表情をどう捉えるだろうか・・・。
因幡てゐ重症という事件が単なる事件ではなく、これから起こるとされている異変の一環に含まれている事は、妹紅にネタを明かされた後なので容易に想像出来た。永遠亭と八雲紫が同盟しているのであれば、その永遠亭の配下である因幡てゐに起こった事件がその上位者らと無関係であるはずがない。
「因幡てゐは今どこで療養しているの?」
食い付いてガツガツ聞くと怪しまれるし、だからと言って無視するのもかえって変な印象を与えかねないので、素っ気なくだが一応心配しているふりをしててゐの近況を聞いてみる。
「さぁ?人間の里ですかね?」
「さぁって、この写真を撮ったのあなたなのでしょう?」
「草むらに隠してくれって頼まれちゃったから、そうしたんですよ。で、一応心配だったから新聞配りながらさっきそこに行ったらもういなかったし・・・私こっちの方はまだわからなくて、メイドさん方がわかるんじゃないですか?」
何となく敬語で話そうとする意志は伝わってくるが、言葉遣いがいつもどおりになっている様子のはたて。自分の立ち位置、例えば相手を客と扱っているのか自分が客なのかそのへんが定まってないようだ。
咲夜もレミリア・スカーレットを主と決める前は、言葉遣いはちゃんとしていても口調に敬意が感じられず、よく美鈴からたしなめられていた。自分がそうだったので、相手の心情をよく理解出来る。そう、この鴉天狗は明らかに慣れない事をしており、恐らく誰か別の依頼者、例えば八雲紫によってつい最近作り出されたエージェントなのだ。
「(この娘は、射命丸文と無関係なのかしら?いや、信用の無い文の代わりにこの娘を祭り上げたという線かしらね・・・ということはあの鴉天狗も既に紫に取り込まれている可能性もあるか・・・。そういえば最近見ないし・・・。)」
咲夜は少ない情報から様々な裏の事情が見えてきた。これも最初に妹紅が警告してくれていたおかげであり、それがなければこんな思考は働かなかったはずである。
根が正直そうで勘に触る口調が端々に出てくるが、どこか憎めないはたて。もしかしたらこの鴉天狗は事情を全く知らされていないまま利用されているのかもしれない。新聞というメディアで因幡てゐに関係する事件を報道する役目だけ与えられているなら全てを知る必要はない。
咲夜はそう分析したが、これは半分正解である。はたては何かの計略の一環のエージェントとして働いている自覚はあり、具体的に自分のやっている事の意味はわからないが、何も知らず騙されてやらされているわけでは決してない。
「因幡てゐは永遠亭のファミリーでしょう?永遠亭は医療所でもあるし、重症を負っていたら永遠亭に戻るでしょう普通・・・。」
「へーそうなんですか?で、その永遠亭ってどこにあるんですか?」
実は事前に文から聞いて東側の地理はおおよそ知っているはたてだが、あくまで東側は知らないという立場でいる為にとぼけてみせる。
「迷いの竹林よ。」
咲夜はこちらが何かに気付いて言葉を選んでいると思わせない為に、一般的な受け答えをする。
「それはどこ?」
「南の方よ。竹林なんだから空から見ればわかるでしょう?」
「なるほど、これ配り終わったら早速取材に行ってみよう!」
新聞記者らしく取材という言葉を口にするはたてだが、咲夜にしてみれば他人に言われて行動するようでは文には遠く及ばないだろうとつい余計な事を考えてしまう。
迷いの竹林が何故迷いの竹林なのかを知らなそうなはたてだが、咲夜はそれ以上の助言はしない事にした。
何にせよ、紫のシナリオは進行している。同じ計略に嵌るにしてもそれを事前に知っているかどうかでかなり気分的に楽になれる。妹紅に言われた時は少し心配だったが、あらゆる事象が手に取るように理解出来る事に一種の快感を覚えるほど思考がよく回る咲夜。
「続報は期待できますの?」
「もちろん!それでは!」
はたては元気良く返事をすると、例のVサインを目の横にあてるポーズをとってその場を飛び去っていった。また変なのが現れたと苦笑しながら見送る咲夜。
「いつも来る鴉天狗に比べるとかなり弱いですね。」
新聞を読んでいるフリをして様子を見ていた美鈴が飛び去ったはたての消えた上空を眺めている咲夜の後ろに立ってつぶやく。武人としての力量はかなり低いと美鈴らしい見解に苦笑する咲夜だが、その意見に異論はない。
「嘘八百新聞では情報ソースとして弱くなるから別の新聞を新たに作り出したのでしょう。」
「恐らくそうでしょう。に、してももっとマシな人材いなかったのかしらね。」
ふむと小首をかしげる咲夜。
「まーこういう事は小者の方がいいんですよ。切り捨てるのも簡単ですしね。」
「なるほど、確かにそうね。それにしても予め種あかしされてると状況は良く見えてくる・・・不思議なものね。」
「何となくシナリオは見えてきますけど・・・。咲夜・・・本当にこのまま罠にはまるつもりですか?」
「めーりん、単に罠にはまるだけでいいのなら、藤原妹紅は敢えて策に乗れと助言はしないわ。知らなければ恐らく私たちは八雲紫の計略にまんまと嵌ってしまうでしょうし。」
「まー確かに・・・。」
「助言をしたということは、私達にそれを知った上で好きに動けという事であり、そして、それ以上の事をしてみせろという挑戦状のようなものよ。」
「相手の置いたバナナの皮を踏んで盛大に転んで油断させてみせる・・・とか?」
「違うわ、めーりん。転んで頭を打った衝撃で、天井に吊してあるタライが八雲紫の頭に落ちるのよ。」
そう言ってクスクス笑う咲夜。
「ええ!それは流石にまずくないですか?」
「妹紅はそういうことを私達に期待しているのよ、きっと。八雲紫は紅魔館をなめてるのよ?だからこんな下らない策が成功すると素で思っている。紅魔館の今後を考えれば八雲紫に対して一目置かせるようにしていかなければならないわ。これは単に妹紅への恩返しではなく、既に私達自身の問題なの。」
「確かにそうですね。分かりました。もう何も言いませんよ。」
肩をすくめて強気に笑う成長した愛娘を心強く思う紅美鈴だった。
咲夜の助言通り、とりあえず迷いの竹林のある幻想郷南側へ向かって飛ぶはたて。
ふと右手に見える妖怪の山方面からキラキラと何かの合図の様な小さな閃光が目に付き、その場で停止する。
「椛の定期報告の催促か・・・報告するのすっかり忘れてた・・・。」
今回の仕事で重要なポイントはてゐの続報もだが、紅魔館に新聞を確実に配布する事だった。
はたては急いでメモを取りだし、そこに『紅魔館への配布終了』と書き、光の方向にそれをかざす。
「椛の千里眼って便利よねー。これが見えちゃうんだから。」
間もなく情報を受領した事を知らせる閃光が走り、猛烈なスピードで犬走椛が手を振りながらはたてに接近してくる。わざわざ離れた場所に待機していたのは、文の配下である椛が誰かに見つかって面倒な事にならないためである。
「これ残りお願いねー。」
はたてはそう言うと大量に残っている新聞をショルダーバッグごと椛の来る方向に投げる。椛はそれを空中で受け取るとそのまま、『頑張って下さい』と声援を残し、どこかに飛び去って行った。
スケジュール通りに進行していれば、椛は既に人間の里とその周辺に新聞をまき終えているはずで、その後は今受け取った新聞を関所跡やマヨヒガ方面にまく事になっている。
そして、新聞配達の仕事を椛に引き継がせたはたてには別の重要な仕事があった。
「さてと、あとは因幡てゐのいる博麗神社とやらに取材に行かないと・・・。」
先程、咲夜に因幡てゐの消息が分かっていないと言ったが、もちろんそれは嘘で、全て八雲紫のシナリオ通り順調に進んでいる。
台本が既にあるので、それに従って神社での様子を写真に収めるだけの簡単な仕事だが、前回写真の撮り方で失態をおかしているので、今度はちゃんとした絵がとれるように考えてやらなければと気を引き締める。
「昼までには戻らないと印刷ラインのみんなに迷惑かかるし・・・せっかく続報数回分の契約してもらったんだから、とにかくがんばるしかないわね。」
はたては、クロワンの仕事が単に一人だけのものではなく、大勢の関係者に影響を与える重要な仕事だと改めて認識し気を引き締めた。
因幡てゐ重症の最初の一報は幻想郷東側の住人にとって大事件とは言えないまでも、彼女の知名度はかなりあったのでそれなりに騒がれてももおかしくはなかったが、いくつかの事情が重なって最初の反応は静かなものだった。
そのいくつかの重なった事情とは、人間の里では酒蔵組合の監査とその後に催されると『噂』される酒祭りが話題の中心で、妖怪の間では傭兵募集の件が一番の関心事だったからである。
人間の里では相変わらず酒樽や荷台を作る槌の音が響きわたり、監査を終えた規程量外の酒が大量に積み出され、移転前の博麗神社が建っていた西側の広場に集められ厳重に保管されていた。
10年ほど前に酒屋や庄屋の蔵持で一斉に代替わりが起こり、蔵の帳簿が次代に譲られた際に生真面目な若旦那が帳尻の合わない酒量を問題にして監査を言い出すも結局有耶無耶になったが、里のご意見番であり守護神である上白沢慧音が以前の密造酒関連の責は問わないとして、この際完全に蔵の状態を綺麗さっぱり整理しようという話を突然打ち出して、この様な状況になっているのである。
何故今更と不思議に思う里の住人達も、余った酒で祭りを開催すると聞けば反対する野暮は誰も言い出さなかった。
話題の2番手にいた因幡てゐは、姫海棠はたてに見られた後は八雲紫の手によって速やかに博麗神社に移され静かに休養をとっていた。
「妖怪の回復力はほんとえげつないわよね。」
博麗神社の母屋の居間で布団に寝かしつけられている因幡てゐに、誰に言うわけでもなく独り言を呟く巫女。
顔の右側がかなり酷い状態で、濡らした手拭いを顔に乗せて冷やしている。
博麗霊夢は妖怪と見れば退治にかかり容赦ない事で有名だが、怪我人や困っている人には基本的に親切で妖怪でも怪我して戦える状態でなければ助けるという、良く解らない性格をしている。
今回の件は紫の計略の一環で、霊夢も因幡てゐも所謂グルと言うわけで、彼女を看病してやるのは当然とえば当然なのだが、そうした裏の事情がなくてもこの状態のてゐを見つけたり、誰かに運び込まれれば同じように看病したはずである。
いつも神社に悪戯に来る妖精も怪我をしたり困った事があると助けを求め、昨日その連中に酷い目にあっていたとしても嫌な顔をしつつも結局助けてしまうのが霊夢という人物である。そして、嫌々助けるので助けられた側も気分が悪く、霊夢に対してあまり感謝せず、この近辺の妖怪や妖精とは険悪な中立関係が維持されていた。
てゐの枕元に新聞紙を敷き、その上に冷たい井戸水を張った水桶を置いて、何度も何度も手拭いを冷やしててゐの顔に乗せる作業を繰り返す霊夢。
妖怪に効くかどうかもわからないので特に傷薬や飲み薬を与えてはいないが、目に見えて分かるスピードで外傷は回復していく。霊夢はそれをえげつない回復力と称するが、目を覚まさない現状から、見た目はともかく中身がまだ全然回復していないのだろうと推察出来た。こればかりは栄養と睡眠を十分にとらなければならないのだろう。
もう顔以外の目に見える傷は治っていると思われ、明日になればかろうじて立って歩くだけは出来るだろう。そして、その状態で次の仕事、紅魔館入りの交渉に入る事になっている。
大怪我をしているてゐが運び込まれる事は計画の範囲で予め教えられていたことだが、ここまでの怪我とは予想しておらず、また、どう考えても人為的にここまでの怪我をさせることに霊夢の中の常識が対応できず困惑したものである。ここまで痛めつける事が出来るなら、殺す事などもっと簡単に出来てしまうのだろう。
元々人種が違うと分かっていた蓬莱人だが、ここまで血も涙もない連中だとは流石の霊夢も想像できず、てゐを見る度に怒りが込み上げてくる。
「・・・まったく。」
看病しながら一人憤る霊夢。その時外に人の気配がして開け放っている縁側の外を見る。
「どうもー、花果子念報の者ですー。」
「あれ?文じゃないの?文屋が取材に来るって聞いていたからてっきり・・・。」
「文は、まー何ていうか、キレ過ぎて余計な事しかねないって首謀者の某若いご婦人さんに外されました。ザマー!って感じですけどね。」
そう言って例のポーズをとるはたて。また変なのが増えたと溜め息をつく霊夢。
「まー確かにこんな企み知ったらじっとしてないでしょうね、文の性格からすると・・・。」
そう言ってお茶の準備をしようと腰を上げる霊夢。
「ああー!お構いなく!そのままでいいですよ!原稿は既に上がってますし、写真とるだけですから。」
「写真ってあんたカメラないじゃない?」
「今時の写手はカメラなんて使わないんですよ。」
「ふーん。」
はたては冗談っぽく言って突っ込みを期待したが、霊夢はさもありなんという表情でスルーする。魔理沙と違い、霊夢はカメラを向けられるのが嫌いなのでむしろ無い方が都合がいいが、誤魔化す為の幾つかの文言を予め用意していたはたてにしてみれば見事な肩透かしとなった。
「で、どうすればいいの?」
「そのまま今まで通りで。後は勝手に撮るんで。」
「・・・そう。」
霊夢はそのままてゐの枕元で手拭いの交換を始める。
「・・・。」
そんな霊夢をはたては不思議そうに見る。初対面なのに特に緊張した様子もなく、他人行儀の言葉遣いもせず、特別仲が良いわけではないが、まるで昔からの知り合いのように接してくる人間に否応なしに興味が湧く。
文から東側の情報を事前に得ていたはたてだが、実際に東側に来てその土地に住まう人妖をこの目で見るのは初めてだったので、これが普通なのか異常なことなのかはっきり分からない。階級社会で上下関係が明確な天狗の世界で生きていたはたてとしては、どうしても身分を意識してしまい、自分が霊夢より上なのか下なのかを先に考えてしまう。
はたては比良山領で鴉天狗としてはかなり下に位置する身分で、上を望める様な能力を持ち合わせていないので、余り出世の事は考えず、身分についてもどうでもよかった。
だが、一旦天狗の社会から出てみると自分自身の身分を強く意識してしまう事に気付く。もしかしたら、自分の低い身分を見抜いて霊夢は無礼に振る舞っているのかなど、今まで考えたこともない様な余計な事をつい考えてしまう。
普段身分など考えないはたてであっても、人間を自動的に格下に見る鴉天狗の性が遺伝的に備わっている事を思い知ると同時に、自分の住んでいる世界がとても息苦しいところであることも認識した。
階級社会による厳しい上下関係もなく、大らかでのんびりとした雰囲気。禄を得る為に労働に殉ずるのはどこも同じだろうが、義務として上から任命されているわけではなく、継続する社会の中で自然に役割が分担されている。なりたい職があれば努力次第で何とかなるのだろうか?
天狗の社会で自分の裁量で仕事が出来る唯一の職業が新聞記者で、社会の歯車の一部になりたくない独立独歩な連中は皆この仕事に就く事を目指す。
はたては記者になりたいという漠然とした夢はあったが、文のように自由を得る為に身分を利用してまで新聞記者の職に就きたいと自ら積極的に行動してはいない。その能力に合った仕事に就きそこがたまたま印刷や報道関連の仕事だったから憧れたという感じで、文の新聞を見て自分ならこうするといったモチベーションが生まれてから、新聞記者という職業を明確な目標に置いたのである。
姫海棠はたては若干120歳の若い鴉天狗で、丁度博麗大結界が施行された年に生まれている。
向こうの世界は所謂幕末から明治維新を経て時代が急激に変わり沢山の新しい物が生まれると同時に古い物が忘れ去られ、それらが数多く幻想郷入りして双方の世界は色々な意味で活気があった時代である。
印刷に関係する当時としては近代的な技術も流入し、手書きから瓦版・木版と移り変わり、やがて一文字づつ刻まれた金属製の文字盤を組み替えて自由に文面をつくる活版に変わる。写真などもこの時流入して写手と呼ばれる所謂カメラマンという職業が生まれ大きな箱の様なカメラを担いであちこち跳び回っていた。
念写が出来たはたては、腐敗して失われていく古い資料を撮影して保管する作業に従事し、新聞報道が生まれ発展していく様子を傍らで眺め、やがて花形職業である新聞記者が登場するとそれに憧れる様になった。
新聞印刷部門は比較的最近出来たもので、新聞報道の前身である情報部門は各領地との連絡の為の手紙などを配達するだけの簡単な作業でしかなかった。代々射命丸家はそうした情報伝達を生業としており、その一門の文もその仕事に従事していた。
文ははたてよりだいぶ年上の約600歳で、幻想郷が隔離する前の『妖の狩人』の情報収集の為、山狩りに参加した経験もあり、幻想郷隔離直後の吸血鬼戦争では女性の前戦参加は禁じられていたので後方支援と各領地との間を行き来して最前線の情報を各地に伝達していた。
吸血鬼戦争の戦後処理が終わった直後に、潜伏する闇の勢力に囚われたかつての仲間達が領地に潜り込まないよう防御を固めるため鎖国状態となって、同じ天狗であっても自由に他領地へ入れなくなった。
比較的平和な時代になってから、瓦版による情報交換が密かに行われるようになり、それらが領内から領外に持ち出され始め、山に住む妖怪などを通じて広く流通し、現在の新聞報道の地盤が形成されていく。
鎖国状態は現在に至るまで未だに継続中だが、この瓦版の流通は各地の大天狗が必要事項と承認して正式に認められ、妖怪などを通して行われた配布作業も他領に入る事を特別に認められた現在のクロワンの前身となる報道業が誕生して彼らが配布業務に従事する事になったのである。
その後、新聞報道が生まれ自由に他領地に入り取材出来る新聞記者クロワンが誕生すると、文はそれに飛びつくも女性では試験すら受けられないので、名門射命丸の本家に頼み込んで推薦状を書いてもらい研修無しで強引に新聞記者になってしまったわけである。
はたては2人の様子を見ながら位置を変え、目に映る像を記憶に焼き付けていく。文に言われた通り、何度も何度も試行錯誤して紙面に載る事を考えてアングルを変える。はたてとしては沢山のシーンをカットとして記憶というフィルムに焼き付けてしまうと、写真という形に再構築する際に記憶の混濁が起こって現像が上手くはかどらなくなるという問題が発生してしまう為、なるべく少ないカットで済むように短時間の作業を心がけていた。
こうした写真の撮り方が前回の様な『記念写真』というわけで、そうしたはたての個人的事情が写真をつまらなくしている最大の原因となっていたのである。
その事を文に指摘され、今は面倒でも沢山のシーンを印象に残る様に集中して目と記憶に焼き付ける作業をしていた。
紅魔館地下にある魔法図書館に一人のメイドが訪れていた。
「これは?」
何も言わず差し出された新聞を手に取って何事かと尋ねる図書館の主パチュリー・ノーレッジは、先日自分の物となった幻想郷の詳細立体地図の研究を邪魔されて少し機嫌が悪い。
機嫌の悪い魔法使いには下手に言葉を掛けるのは得策ではない事を経験から知っている十六夜咲夜は、パチュリーの問いに微笑みだけで応え記事を見るように促す。
「これは・・・。」
すぐに大事と知って自分の机に着き、小さな文字がよく見えるよう今使っている眼鏡とは違う度の強いものと取り替え詳しく読み始める魔法使い。
「先程、見慣れない鴉天狗が来てこれを配って行きました。」
「花果子念報・・・創刊号でありながら号外とはなんとも怪しいわね・・・。」
「事前に情報を得ているからこそ気付きますが、普段なら見過ごしていたかもしれません。」
「因幡てゐが重症というだけでは妹紅の言う八雲紫の計略の一環なのか判断はしずらいけど。」
「ええ、でも、永遠亭と八雲紫は同盟しています。」
「そうね。やはりこれは八雲紫が動き出したと見るべきね。」
「この後、因幡てゐは恐らく紅魔館に入ろうとするでしょう。」
「妹紅はそれに乗れと言っていたわ。勿論それに異論はないけれど、でも、そこでハイそうですかと二つ返事したのでは、怪しまれるわね。」
「ここは一芝居打つべきでしょう。」
「ふふ、咲夜はどっちの役をやりたい?」
「パチュリー様にお任せします。」
「じゃー私は賛成役に回るわ。咲夜は反対役ね?」
「そうおっしゃると思っておりました。ある程度台本決めておきますか?」
「無用ね。」
「分かりました。」
「あ、待って。」
ここで話が終わったと見て踵を返す咲夜を引き留めるパチュリー。
「レミィは今夜型シフトでしょ?昼型に変えておいたら?」
「ああ、気付きませんでした。そのように致します。」
初めからそうするつもりだった咲夜だが、声に出してはその反対を言い、向き直って恭しく一礼するとその瞬間その場から姿を消した。
「妹紅がある程度永遠亭にも根回ししているとしたら・・・因幡てゐは二重スパイになるとも言えるわね。なるほど、私達がしくじってもちゃんと上手く行くようになっているというわけね。」
深慮遠謀とはこういう事を言うのだと改めて感心するパチュリー。魔法使いとしてレミリアの片腕としてこれからもやっていかなければならないわけだが、自分に足りないもの、そして身に付けていかなければならないことを、これから起こるであろう異変の中で見出さなければならない。
八雲紫と真っ向から戦って勝つ事は不可能だろう。恐らく向こうは自分など眼中にないはずである。だからこその今回の因幡てゐの件なのだろう。こちらが警戒するに値すると判断していれば、このような安易な作戦はしてこないだろう。
「向こうはこちらを何とも思ってないということ・・・。」
ルビーのいれた紅茶に口をつけたまま一瞬考える。藤原妹紅は誰からも警戒されない、ノーマークである事を最大限の武器として利用してきたらしい。ならば侮っている相手に意表をつくようなサプライズを見せる事が今の自分が出来る効果的な攻撃手段となるだろう。
「サプライズ・・・か。」
ふと、咲夜が来たので作業を中断してそのままにしていた起動中の魔法陣の上にある八雲藍の幻想郷地図を見る。
「!・・・これは使えそうだわ。」
自分で作ったものではないが、さも自分で作ったものの様に見せかければ八雲紫も驚くだろう。
この地図は明確な形としてではなく紫の頭の中に存在する漠然としたイメージを目に見える形に八雲藍が組み替えた代物である。これそのものは八雲紫は知らないはずで、制作者が誰かなど確かめる事も出来ない。紫と同じ様な幻想郷の座標値を一介の魔法使いも分析して解明していると知ったら、自分の頭の中を覗かれた様で、さぞ気持ち悪く感じるだろう。
極秘であるはずのこの地図を敢えて自分のものとして本当の持ち主本人の目の前で晒して見せる事で、それはその瞬間極秘ではなくなる。だが、自分の物であるという認識を相手に植え付ける事が出来ればもはや極秘にする必要もなく、公然と堂々と利用出来る事になる。
「ふふふ、楽しみだわ。」
パチュリー・ノーレッジも、そして十六夜咲夜も、これから起こる異変に対して積極的に挑む準備と覚悟が整っていた。
夜間に生活スタイルを合わせる為、太陽が出ている間睡眠を取っていたレミリア・スカーレットが目覚める時間は本来なら日没でなければならなかった。しかし、目を覚ましたのは陽が昇った後、つまり朝だったのである。
「咲夜、これはどういうこと?」
「お腹が空いていますでしょう?朝食の準備は整っております。」
「そんな答えを要求した覚えはないわ。何故今朝なのかをちゃんと分かるように説明して頂戴。」
「その件に関しては説明が長くなりそうなので、先に朝食を済ませた方が良いと思いまして・・・。」
カーテンは閉め切って部屋は暗いが、密閉しているわけでもないので朝の日差しが分厚いカーテン越しに透けてほとんどの物が判別出来るほどの十分な光が存在している。
陽光に弱い吸血鬼だが、純血種以下の吸血鬼ならともかく再生力と抵抗力の高い始祖族ともなれば直射日光をまともに浴びても直ちに灰になることはない。部屋の中など影の中に居れば日中でも問題なく活動出来、日傘だけで外を出歩く事も珍しくない。
「分かったわ。話は食事中に聞きましょう。」
レミリア、フランドールのスカーレット姉妹は、成長できない呪いによって子供の姿でいることを強制されている。吸血鬼といっても子供の間は肉体が成長するために十分な栄養と睡眠を取る必要があり、これは人間も妖怪もほとんどかわらないのである。
吸血鬼の始祖ヴェントルーとトレアドールを両親に持つスカーレット姉妹は子供でありながら、既に大きな力を持っており、成人ともなれば幻想郷のどの妖怪にも勝る存在となっていただろう。しかし、10歳の子供であらなければならない彼女達は、強大な力を持っているにもかかわらず常に十分な栄養と睡眠を取る必要に迫られ、一日の中で飲まず食わず、不眠不休でいることは出来ないのである。
「食事はどちらでなさいますか?」
「・・・フランは?」
「妹様は先程お休みになりました。」
フランドールに関してはシフト通りに寝起きさせていた咲夜。
「そう・・・なら一緒に食事をする必要はなさそうね。ここで済ませるわ。それと、フラン一人では可哀相だから、あの娘のシフトも私に合わせておいて、決して無理させないように。」
自分に無理を強いた事に対して嫌味を込めるレミリア。
「かしこまりました。」
恭しく頭を下げた咲夜は退室し、間もなく給仕係を伴ってレミリアの寝室に戻って来る。
当番の給仕が金属製の美しい装飾がなされたワゴンを押して咲夜の後を一礼してから入室し、レミリアの朝食の準備を始める。
普段朝は軽めに済ませるのだが、昨日の夕方に目覚めるところだったが丸一日寝ている事になり、その間何も食べていないのでかなりお腹が減ってるはずである。いつもより品数を増やして、お詫びの意味も込めて好物をたくさんメニューに盛り込んでいた。
未だベッドの中にいて上半身を起こし、着替える意志をみせていない不機嫌を隠そうとしないレミリアの様子を見て、ベッドを半分起こして背もたれをつくり、楽な姿勢で食事が出来る様に準備をする。少しでも機嫌が直る様にとのささやかな計らいだが、これは自分に対してというよりも給仕として連れてきたメイドを怖がらせない為の措置であった。
次にベッドの下にある隠し棚から2本の棒を両端で固定し立てて置ける様に四本の脚がついた木製の支柱をベッドの両側に置き、その上に天板を置いてテーブルにする。これらテーブルセットは後から取って付けたものではなく、豪華な天蓋付きベッドとセットのもので、いずれも美しい彫刻が施されている。
テーブルの準備が出来た咲夜は専用のテーブルクロスを敷き、毛布や衣服を汚さない為の大きなナプキンを綺麗に三角に折ってテーブルの上に立てて置く。
レミリアはすぐにそれをとって華麗な手付きで衣服と布団を大きく覆い食事の準備をし、いつの間にかテーブルに置かれているワイングラスに淹れられた蒸留水を手に取って喉に流し込み、空っぽの胃袋にこれから食事であるという合図を送る。
空腹で直ぐにでも食べ物に貪りつきたい衝動に駆られるレミリアだが、紅魔館で雇っている給仕メイドの仕事を咲夜が引き継いで退室させるまでおすましでじっと耐える。
10歳の子供がこれだけ長い時間食事を断つのは大変な苦痛だろう。それでも気丈に振る舞い、レディとしての面目を保ち続けるレミリア。
そんな生まれながらのレディであり、人前で決して弱音を吐かないレミリアを愛おしく思う咲夜は、すぐに給仕当番を下げさせ主の気分を楽にさせると同時に、必要な物を小さくまとめて配置したトレイの上の小さなキッチンで手早くスープを皿に注ぎ、レミリアの前にお気に入りのスプーンを添えてそっと差し出す。
空腹の為、もういっそのことスープ皿ごと胃に流し込みたい衝動に駆られ、咲夜の前ならそれも許されるかもしれないが、そこは必死に堪える本能よりも理性が勝ったレミリア。
少しずつ上品にスプーンを口に運ぶようやく食事にありつけたレミリアだが、心なしかいつもより口に運ぶスプーンが速く見える。
咲夜は主に分からないようにクスリを微笑み、空っぽの胃が早く落ち着きを取り戻す様、おかわりを促す。
二杯目のスープを飲み干したレミリアは、ようやくほっとした表情になり怒気も静まる。
吸血鬼は空腹になると獣性が表に出て野蛮になる傾向が他の妖怪などよりも強く、理性が本能を抑止出来ないとそこで化け物に変体してしまう。吸血鬼の各氏族の姿がかなり異なっているのはそうした理由があるからで、野蛮な種族ほど、異形の姿をしているのである。
ヴェントルーやトレアドールは、太古より姿が変わっていない種族であるが、人間や妖怪よりも空腹に対するストレスに弱いという吸血鬼の特性から逃れる事は出来ない。
これは逆に考えると、十分な食物が得られる環境が与えられれば吸血鬼は良き隣人となりえる種族でもあり、貴族と呼ばれるレミリアの父方の血筋であるヴェントルー族は、人間と同じように貴族として実際に領地を持ち安定した食糧を確保出来たので、多くの吸血鬼を養いつつも人間達と折り合って平和的に暮らせることができたのである。
一方母方のトレアドールは、他とほとんど交わらずに排他的に暮らしていた氏族で、太古のままの姿を保ち続けていると言われている。つまり、トレアドールの姿こそが本当の吸血鬼の姿であるといえる。
落ち着きを取り戻したレミリアは、今までにない変則的な睡眠時間と起床を強いられた理由を問うべく、給仕に忙しい咲夜に声を掛けようとしたが、まるでそれを見計らうかのように叩かれたノックの音に口をつぐまなざるを得なかった。
「・・・どうぞ。」
イラっとしたレミリアだが、ノックの特徴からすぐに誰か分かり入室を許可する。
「レミィ、朝食のところ悪いわね。」
扉を叩いたのは、レミリアの心友パチュリー・ノーレッジだった。
「構わないわパチェ。それより、何の用?」
「また、新聞が届いたわ。」
これは新聞についてすでにレミリアが周知しているという前提の台詞だったが、この時はまだ新聞についてレミリアは何も知らされていなかったので、当然疑問の声があがった。
「新聞?」
「あら、咲夜、まだ言ってなかったの?」
「先に何か食べてもらおうと思いまして・・・。」
「そう・・・。」
ルビーを従えて入室したパチュリーは、入り口付近で作業をしている咲夜の横を通り過ぎ、ベッドにいるレミリアから向かって右横の椅子に腰を下ろし、折り曲げて小さくなった2つの紙束をレミリアの横に置く。
「咲夜、カーテンを開けて頂戴。」
「かしこまりました。」
分厚い遮光カーテンが開かれると、薄いレースのカーテンごしに爽やかな朝の光が柔らかく部屋を照らす。カーテンを閉め切った仄暗い部屋の方が良かったレミリアだが、これだけ人が来ればその人たちに合わせるべきと大人の判断をしたのだ。
日差しが直接入ってきたわけではないが、その眩しさに一瞬目がくらむレミリア。だが、それにも直ぐに慣れて目を開ける。いつものように影の中になるように咲夜が立ち位置を調整している。目を瞑っている間に次の料理が既にテーブルに置かれているが、ひとまずお腹は落ち着いたので、パチュリーが持ってきた新聞を読むため題字を見る。しかし、直ぐに読めず硬直する。
「・・・。」
新聞を手にとって題字を読もうとしたがなんと読めばいいのか分からないレミリアに、パチュリーが素っ気なく独り言の様につぶやいてみせる。
「かかしねんぽう?嘘八百新聞とは違うの?」
「私がみたところでは、文々。新聞の射命丸文に対抗しようという意志があるようですが・・・。」
質問に答えた咲夜に一度向き直ったレミリアは、また新聞に目を戻す。
「・・・因幡てゐ重体?これがどうしたの?」
「私も最初これを読んだ時、レミィと同じ感想だったわ。でも・・・。」
「でも?」
「こっちを見て頂戴。」
レミリアの横にある2つあったうちのもう片方の新聞を指すパチュリー。
「・・・博麗神社で療養中・・・何故博麗神社?」
「さぁ・・・病院でもある永遠亭の因幡てゐが重体の身を博麗神社で癒すなんて、まるで永遠亭から追い出されたみたいよね。」
「確かに変かもしれないけれど・・・でも、そんな事だけで、私のシフトを無許可で替えたの?」
因幡てゐが永遠亭から追放されたからといって、レミリアとしては別に同情する義理もない。むしろあの性悪兎が懲らしめられて清々したと思っている。
「最近何やら幻想郷がきな臭いので・・・。」
「・・・それはつまり、近々異変が起こる・・・と咲夜は言いたいのね?」
「確証はありませんが、これは何らかの異変の前兆ではないかと。」
「永遠亭あたりで何かしこんでるのかしらね。私達とは関係ないとしても、寝ている間に異変が終われば、それはそれで嫌なんでしょ?レミィは。」
妖怪の山に新しい神様が来た時や博麗神社に間欠泉が出て温泉が湧いた時も、レミリアはシフトの関係で昼間は寝ており、その話を聞いた時は起床後の夜だったのである。口に出して何も言わなかったが、数日間不機嫌が取れなかった事から、次に何かありそうな時は叩き起こしてあげるとパチュリーは事前にレミリアに宣言していたのである。
「ふん!」
パチュリーに心の中を覗かれた様で面白くないレミリアは、大好きなアップルパイに八つ当たりをするかのようにむしゃむしゃと頬張る。サクサクのパイ生地がポロポロと下に落ちるが、それを想定して敷いてあるナプキンのお陰で寝具や衣服を汚す事はないが、行儀悪く褒められた行動ではなかった。
そんな子供っぽいレミリアの姿を見てパチュリーの目じりが下がる。
「ふふ、それにしても、こうしてレミィの寝室で私達が揃うのも久しぶりね・・・。」
そのパチュリーの懐かしそうな声に振り向いたレミリアだが、先程まで座っていた椅子に彼女の姿は無く、ベッド脇のチェストに上にある小さな本棚の前に移動していた。
手に分厚い本を持っており、それがすぐに予言書『亡き王女のための七重奏』だと、レミリアはすぐにわかった。
「レミィも私もフランもルビーも美鈴も、出会った頃と姿は変わらないけど・・・。」
それを受けてレミリアはベッドを挟んで反対側の窓に背を向けてこちらを見ている咲夜に向く。
「最初に会った時は、私とほとんど背丈は同じだったのに・・・いつの間にか追い抜かれてしまったわね・・・。」
どこかしんみりとした空気になるが、開いていた本を閉じるポンという音で空気を戻すパチュリー。
「私は・・・どうすればいいのかしらね・・・。」
「人間である以上、咲夜はいずれ死ぬわ。でも吸血鬼になれば私達と同じ時間を過ごす事が出来る。」
「でも・・・。」
「そう、子どもであるレミィには、咲夜を吸血鬼にする力はないわ。何れにしても予言書にある通り、レミィが大人にならなければならないこと。」
「子どもだから許されているのに、大人になんてなれないわ。」
「レミィが大人になりたくないのは、殺されるから?それとも子どものままの方が楽だから?ツェペッシュの末裔が聞いて呆れるわね。」
「パチュリー様、その話は前にも・・・。」
急に喧嘩腰になるパチュリーとレミリア。以前もこのような事が何度かあり、慌てて仲裁に入る咲夜。
レミリア・スカーレットは、自分の本当の両親が誰であるかまだ知らない。古い大戦の事もお伽話としてしか認識しておらず、自分がどれほどの重要な存在かわかっていない。現時点では、伝承として残る有名な吸血鬼の血筋であると漠然と信じているだけだった。
裏の真実は咲夜もパチュリーも先日知った事で、無意識に存在する漠然とした成長、変身願望が図らずも八雲紫の異変と重なって知らず知らずのうちに運命操作を行っており、異変の元凶が紅魔館の主だという事が分かっている。
それを知ったパチュリーとしては、その変身願望を促し運命を加速させるべきだという魅魔に同意し、今、その絶好のチャンスとみてレミリアを嗾けてみたのである。
咲夜はそのパチュリーの意図はすぐに理解できたが、いつも通りレミリア側に立って養護する。ここでパチュリーに迎合してレミリアを孤立させるのは得策ではないと判断したからである。
「レミィ・・・咲夜は貴女だけのものではなくてよ?死に別れるなんて私はご免だわ。」
「そんなこと分かってる!でも、どうすればいいの?」
「だから、こうしてレミィを起こしたのでしょ?」
「・・・どういう意味?」
「レミィが大人になることが許されるには、時世が変わらなければダメという事よ。」
「時世?」
「そう。これまでの常識が非常識になり、ルールが変わることよ。」
「つまり、幻想郷を今現在治めている八雲紫が失脚する・・・といったような事ですか?」
咲夜が意味深な仮説を呟く。
「それは分からないわ。でも強大な永遠亭になんらかの動きがあるようだし、正直、あの八雲紫に真正面から対抗出来る存在は彼らしかないと思うの。」
「・・・。」
ぎゅっとナプキンに握りうつむくレミリア。
「もしかしたら、次に起こるかもしれない異変に何かの糸口が見つかるかもしれないわ。レミィ、その事を覚えておいて。」
言うだけ言うとパチュリーは、ルビーを従えて部屋を出る。
「お嬢様・・・。」
「咲夜・・・私はどうすればいいの?」
「これが運命だとするなら、なるようにしかなりませんわ。でも大丈夫です。きっと、お嬢様は成人になれますよ。」
「そんなことは分かってる。私は当然大人になれる。でも、違うの!私が言いたいのは大人になった時、そばに咲夜がいるかどうかなの・・・。」
「お嬢様・・・。」
咲夜はナプキンをぎゅっと握ったまま涙を流すレミリアのベッドの傍らに跪き、その小さな細い手に自分の手を伸ばし重ね置く。
自分だけが成長し大きくなってしまった手を恨めしく思う。たった数年なのに、今まで気にも留めていなかったのに、自分だけが人間であるという事実をこの時否応なしに思い知らされる。
手が触れた瞬間、堰を切った様に倒れ込み咲夜に身を預けるレミリア。それを立ち上がって抱き留めそのままベッドに腰を置く咲夜。
「ずっとお嬢様のおそばにおります・・・。」
首に両の腕を回し抱きつくレミリアの耳元で囁き、安心させようとする咲夜も、ついもらい泣きしてしまう。
いつも気高く上品に振る舞い、特に妹であるフランドールの前では泣き言は絶対言わず、良き姉として振る舞い10歳の子供の自分を押し殺して我慢しているレミリアは、親友の魔法使いにも絶対見せない姿を咲夜にだけはさらす。
咲夜もまた、小さな主の信任が日増しに高まる事を身に染みて感じ、忠誠心を増幅させている自分に改めて気づく。先日賓客として招こうとしていた妹紅に対し魔が差した行動をしてしまったのも、この忠誠心が誤った方向に出てしまったせいでもある。
いっそのこと、妹紅や魅魔といった協力者が密かにレミリアの成長の為に動いている事実を教えて安心させてやれればどんなに楽になれる事だろうか。
しかし、今はまだそれは出来ない。ここでそのことを明かしてしまえば、安心して強い成長、変身願望が薄れてしまい、成人へのきっかけとなる異変そのものが頓挫してしまうかもしれないのだ。
異変を推し進めている力は、レミリアの不安定な心から生じ膨らんでいる強い成長願望なのである。今これを止める事は出来ない。
目覚めた時から傍らにあった予言書。それを読み続け不遇の王女という境遇がいつの間にか自分や仲間内の間で常識化していたが、自分が誰なのか何故自分は子供のままでいなければならないのか、本当のところは全くわからない。
真の王女は未だ真実を知らない。