東方不死死 第56章 「花果子念報創刊」


 目が霞む。意識が頻繁に遠のきかけ、その間隔が時間を追う毎に短くなる。
 全身に痛みが走る。痛くない場所が体のどこにも存在しない。痛みが常態となってまるで無痛のような錯覚を覚える。しかし、雷鳴の様に頭の中に響きわたる轟音が身体の痛みを代弁し命の危険を警告している。

 迷いの竹林から、一匹の妖怪兎が細い木の棒に縋り付く様にヨロヨロと北東に向かって足を引きずって歩いている。
 自分を辛うじて支えているこの棒を何時何処で拾ったのかも思い出せず、体重を掛けすぎれば折れてしまうかもしれないという、力の加減も判断力も既に失われていた。
 全身打撲と無数の骨折。重要な臓器はことごとく破裂破損し、右目は陥没し完全に失明状態である。ただ、それでも妖怪ならば再生可能で、このままどこかで静かに寝ていれば時間はかかるが完治させることが出来る。
 本能は一刻も早い休眠を要求して因幡てゐに警告を与えているが、本人はその警告を無視し必死にどこかに向かって歩いている。
 腰も頭も上がらず、木の棒の先端に掛けている手が自分の背丈の最も高い位置にある。
 下がった視線の先に自分の素足がスカートの裾から見え隠れしているが指先まで血で赤く染まっている。これは足から出血しているのもあるが、そのほとんどが体の何処からか出た血が足まで流れ落ちているせいである。
 どうしてこうなったのか断片的にしか思い出せず、とにかく神社の方向に歩けばいいと師匠である八意永琳から言われて、その通りただひたすらてゐは歩き続けていた。

 どのくらい歩いて、どこまで来たか全く分からなかったが、ここまで支えていた木の棒がとうとう折れて地面に投げ出された時点で、てゐはもう一歩も動く事が出来なかった。
 うつぶせに倒れてしばらく身動きが取れずにいたが、やがてまた手足を動かして這いずり出す。
 重症を負っているが、古参妖怪の恐るべき回復力がその傷を僅かだが少しずつ再生させている。しかし、無茶をして体を動かしているので、再生が追いつかずに徐々に傷は深くなっていく。
 ゆっくりと死出の坂道を下っている状態であるにもかかわらず、それと分かっているのに前に進もうとする事をやめない、やめられない。
 これは単に永遠亭という身内の事だけではなく、藤原妹紅という大切な友人に関わる事でもあり、これは何としても達成させなければならない事だった。だから、止められないのだ。
「(あれ?・・・何を達成させればいいんだっけ・・・。何でこんなことしてるんだろう・・・。)」
 ふと、これまであった体に重くのしかかる様な感覚がなくなり、頭の中がすっきりしはじめる。いよいよもってあの世に逝く時が来たのだろうか?
 どんな事があっても生き延びる事を優先してきたてゐ。ここで死んでなるものかと、冴える頭をフル稼動して、今の状況に至る経緯を思い出す。
 永遠亭を正面から撃ち破り、血も涙も無い蓬莱人の八意永琳に人としての心を呼び覚ましてくれた藤原妹紅に報いたい。それがてゐを動かしていた力の源だった。
 そして、それと同時に怒りが込み上げる。自分をここまで打ちのめした蓬莱山輝夜に対しての怒りである。手加減一つせず、ひたすら笑いながら命を削り取れる残虐な月の姫に復讐せずして死ぬ事は出来ない。
 永遠亭と紅魔館の対立を生み、抗争にまで発展させるという使命は、永琳に与えられたものでもなく、妹紅に対する義理によるものでもなく、いつの間にか純粋にてゐ自身の願望になっていた。
 輝夜を殺せるなら吸血鬼に魂を売ってもいいとさえ思え、沸々とした憤怒がてゐを動かす原動力にとってかわり始めた。
「(憎い・・・憎い・・・。)」
 黒いオーラが口や鼻、耳そして毛穴から吹き出し始める。
 このままてゐの心に黒い闇の感情が溢れ続けると、祟りになってしまうかもしれない。
「!」
 その時だった。
 てゐに照りつける日差しが一瞬遮られ、一瞬遅れて一陣の風が通り過ぎた。
 上空を舞う鳥の羽のような影が地面に映り、てゐはそれを見てはっとなって見えない空を見上げようと必死に体を捻る。
 指定場所と指定時間にいつのまにか到達していた重症を負ったてゐの最初の役目は一先ず達成した。
「(よかった・・・。)」
 てゐは安堵すると同時に黒い感情が消えて無くなった。
 そして、近づいてくる存在を確認しようともせず目を閉じた。
「うわっ!これは、ひどい!」
 ここに来るであろうと想像していた人物とはどうやら違う聞き慣れない声が、一仕事終わったと安心して意識が遠のくままに身を任せるてゐの耳に木霊していた。


「首尾はどう?」
「バッチリよ!」
 鞍馬山領印刷団地内にある編集部棟、通称『クロ巣』に戻った姫海棠はたては、八雲紫の虎の巻を参考にはたてに代わって新聞記事の原稿を起こしていた射命丸文に指でつくったVの字を目の横にあてる独特のポーズで応える。
 超が付く程地味なはたてがこんなチャラチャラしたスタイルにしてしまった文としては複雑な心境で苦笑いしか出ない。
「そっちこそどう?」
 今度ははたてが文に問う。
「チェックしてください、カリワン編集長どの?」
 文は研修中である事を示す、仮の黒腕章を略したカリワンという単語を殊更強調してはたてに自分が書いた原稿の束を手渡す。
 カリワンだろうがクロワンだろうがそんな事は置いておいて、編集長という言葉に気を良くしたはたてはニコニコしながら受け取った原稿を読み始める。
「んーどれどれ・・・。」
 読み始めたはたては、最初気分良さそうに鼻歌を歌っていたが、原稿用紙をめくるごとにどんどんとその表情が険しくなっていく。文としてはある程度こうなることは予測していたので、その様子を楽しそうに見る。
「こりゃダメね。」
「何でよ?」
 理由は分かっていたが一応その駄目な理由を尋ねる文。
「文色が出過ぎだっての!前にも言ったけどさぁ?『文々。新聞』を匂わせる要素は完全に消したいわけよ?」
 予想通りのその答えにやれやれという表情を見せる文は、ここで反論せずに後は自分で修正して原稿を上げるよう助言した。
「分かってるなら、それらしく書いてくれればいいのにぃぃ!」
 文の態度から駄目出しが来るのは承知の上で原稿を書いていた事を見抜いたはたては苦情を言う。
「だって私、あんたの新聞読んだ事ないもの。はたて風の文章なんて最初から無理よ。」
「主観を排除して、ありのままを正しい文章として組み上げればいいじゃん?」
「それって、言う程簡単じゃないわよ?」
「もぅいいわよ!この小説家!」
 小説家というのは、妖怪の山界隈では侮辱にあたる言葉であるが、聞き慣れた文としては相手がはたてでもあるのでそのまま笑って受け流す。
「で、写真のほうはどうなの?早く見せてよ。」
 ほとんど書く事が決まっている原稿を書き直すより、どんな写真が撮れたのかに興味がある文は、原稿についての話はここまでにして本題に入る。
「暗室使える?」
「いつでもどうぞ。」
 文は、写真がメインで記事がその補足のような紙面の作り方をするので、写真に関する全てに気を使っている。そんな文の一日の始まりは暗室の準備からであり、謹慎中であるにもかかわらず毎日暗室の準備だけはしていた。
 編集部棟には協同で使う暗室がいくつかあるが、文は自分の編集室を改造して部屋の中に暗室兼給湯室を作っている。協同部屋は誰でも入れるので現像中にわざと部屋を開けられるなど明らかにマナー違反の嫌がらせを何度も受けており、また、給湯室にある自分の湯呑みなどもしょっちゅう汚されたり割られたりするために、協同で使う施設や備品は使わず自前で用意したのである。
 文に案内されて暗室に入ったはたては、ドアから入る光を頼りに室内の様子を見て、必要な物がちゃんと揃っている事を確認する。
「いいもの使ってるわねー。やっぱ金持ちは違うわぁ~。」
 自分が使っている物と明らかに違う現像器材などを見て、感心すると共に羨ましさを隠そうとせず、率直に口にするはたて。他の者が言えば嫌味に聞こえるところだが、はたては思っている事を率直に素直に口にする性格で、そういう時は絶対嫌味を言わない事を比較的短い付き合いの中でも文はしっかりと見抜いて知っていた。
「別にお金だけの問題じゃないわよ。私の使う設備はほとんどが河童さん達の技術を取り入れて改造されたものなのよ。」
「河童さん?」
 河童にさん付けするなど文と河童の繋がりが強い事が理解出来るが、それは領内で上手くいっていない対人関係の裏返しではないかと心配になる。記者同士で仲が悪いのは致し方ないにしても、領内全体から総すかんを喰らっているとしたら同情の極みである。
「彼らの技術があるから印刷工場が滞りなく動いているわけよ。」
「なるほどねー、じゃー文のカメラもそうなの?」
「そうね。この辺で広まっている旧式のカメラとは性能が段違いよ。」
 会話しながら小さな赤色灯を点けて暗室のドアを締める文。
「それにしてもカメラもなしに写真が撮れるってのは、なんか勿体ない気もするわね。」
「え?何で?何が勿体ないわけ?」
 そこは羨ましいと言うべきじゃないかと思うはたて。
「道具を使いこなす!・・・何て言うか技術者としてのこだわりってものがあるでしょ?」
「まるで写手(カメラマン)みたいな言い方ね。新聞記者廃業したら?」
「あんたの肩書きはその写手でしょ?カメラもない写手に言われたくはないわよ。」
「ふっふ~ん、もうすぐ記者になるから!残念!」
 そんなとりとめもない会話をしながら、暗室の奥の印画紙を保管している小さな暗幕で隠した引き出し棚の前に移動する二人。
 感光しないように外側を黒く塗った油紙の中に厳重に保管している印画紙の束から、慣れた手つきで一枚を抜き取ったはたては、会話を続けながら入り口のドア付近の薬品を洗い流す『流し台』に移動する。
 写真の現像行程は、フィルムを現像しそれを印画紙に焼いて現像液と定着液に浸し、その後薬品を洗い流して乾かすという流れになる。
 最初のフィルム作成は専用の機械を通すだけなので簡単だが、プリント作業に関しては手作業でやるのが妖怪の山界隈の一般的なやり方である。
 版下として使う原版の写真のサイズは、台紙におおよそのあたりをつけ、縮尺を決めてから紙焼きするので手作業になるのは当然として、その後の現像行程も季節による気温や湿度の違いや、人為的に写真の雰囲気や効果を出すために微妙な時間調整が必要なので、これも手作業で行っているのである。
 はたては先ず流し底面に置いてある長方形の平皿、通称バットに溜まっている水に、流しの横に数本掛けてある手拭いを取ってそのバットの水に浸して軽く絞り、普通の流しなら正面に鏡がある場所に貼られている薄い鉄の板をその濡れた手拭いで拭く。当然鉄板は水に濡れる。
 現像が終わって薬品を洗い流した印画紙は、当然濡れているので乾かす必要がある。普通の紙よりも丈夫な印画紙でもそのまま直接拭いたのでは折れ曲がって写真をダメにしてしまう危険性がある。その為、拭きやすいように平らな面に貼り付けて片側づつ拭き取って水分を粗方取ってから、横に張った紐に洗濯バサミ等で挟んで洗濯物の様に吊して乾かすのである。この鉄板は、印画紙を貼り付けて拭くために都合が良くほとんどの暗室で備え付けられているのだ。

 洗って乾かす行程は現像の最終段階であり、はたては通常の現像作業を端折っていきなり最終地点に移動するので、はたて式写真現像を知らない文は驚いて思わず声を掛ける。
 しかし、『まぁ見てて』とはたては取り合わず、壁の鉄板に水平を整えて印画紙を貼り付ける。その後アングルを捉える為に、写手や絵師などがよくやる指をL字型にして互い違いにして両手で長方形のフレームを作って覗く動作を壁に貼った印画紙に対して行う。
 カメラのレンズを回してピントを合わせるのと同じ仕組みなのだろうか?手で作ったフレームを軽く前後させつつ30秒程で少し前屈みになっていた姿勢を正す。
「こんなもんかな。」
「え?それで終わり?えい!やぁ!とか念写したって分かる合図はないの?」
「何それ?」
 文の問いにキョトンとするはたては、それを無視して壁に貼った印画紙を剥がし、前行程に戻ってヒーターの上に乗せて適温を保っている現像液で満たされたバットにそれを浸す。後は普通の現像行程と同じで、文は浮かび上がる絵を見て思わず口笛を吹いて感心した。
「ほえー!ホントにカメラ使わないのね、あんた。」
「念写なんだから当然でしょ?」
「それにしても結構鮮明ね。確かに因幡てゐだわ・・・しかも凄い怪我・・・。」
 はたての念写で撮った写真は何度か見ているが、どれもピントが少し合っていないボケたものや、色褪せた古い写真のようなものばかりだったので、今見せられたカメラ無しで撮った鮮明な絵は正直少しショックを受けた。
 念写とは、カメラのシャッターを切らずに中のフィルムに何かを写し込む事を言い、具体的な何かを鮮明に映し出すというものでは必ずしもない。それらは簡単な図形や漠然としたイメージといったものばかりで、訓練した者であれば特定の人物とわかる程度の形にして写す事は可能であるが、基本的にそこまでである。
 はたての念写はそういうタイプのものではなく、一度見た事がある映像を記憶として保存し、それを機械などの外部装置を使わずに、その絵を再現出来る媒体に写すタイプの念写なのである。写真と同じ印画紙という媒体によって絵を再現しているが、絵を映せるものなら基本的に何でもよく、印刷出版の業界にいるので、その版下に使う印画紙を媒体にしているだけである。
 装置がなくても一度見たものを絵として再現出来る力は、戦時中なら偵察任務などで重宝される重要な能力となっていただろうが、平時には不要ともいえるものであった。

「数時間前に撮ったものだしね。鮮度が良ければ鮮明に写せるのは道理ってもんでしょ?でも、時間が経つといろいろ記憶もボケちゃって、他の似たような絵と混ざったりでさぁ、指定された絵をキレイに仕上げるまでこれが大変なのよ。」
 過去の事柄を引用で使う際にはたての能力は重宝がられているが、ほとんどが古い記事や写真なので、当然ながら出来た写真のクオリティも下がってしまう。
 現像してみないと出来の良し悪しが確認出来ないので、製品として依頼主に収められるレベルの写真にするまでに、今行っていたような現像作業を何度も繰り返し行い、注文を受けた絵と現像して出た絵の違いを見比べ記憶断片を再構築し正解の絵を導き出すという地味で無駄の多い作業を強いられる事になり、その過程で印画紙や薬品が大量に消費されるわけである。

 資料室の仕事の報酬は悪くはなく、必要経費が異様に高く収入効率が悪い状況でも生活するには特に問題はなかった。
 そんな中で文と運命的な出会を果たしてしまい、紆余曲折を経てイメージチェンジをしてしまい、ファッションに気を遣う様になった事で、これまでの収入ではまかない切れなくなってしまったわけである。
 その後のたては、資料室の仕事だけでは食べていけなくなり、人手が足りない印刷関係で雑用から専門分野の難しい事まで手を出し、お洒落の為に仕事を倍に増やしてお金を稼いでいるのである。
 この件についてそうさせた原因が自分にあると、文は多少なりとも責任を感じており、だからと言って金銭的な援助をするのは彼女の自尊心を傷を付けるのではないかと思い、金品を与えるような直接的な援助は気が引けて行えなかった。少なくとも自分がはたての立場ならそんな援助はいらないと思うわけで、何か別の方法ではたてに援助できないかと日頃考えていたところでもあり、給料の高いクロワンにすることは、はたてに対するささやかなお詫びになると文は思い至り、積極的に協力する気になったというわけである。

「一枚仕上げるのにどのくらいかかるの?」
「その時によってマチマチね~、最悪、印画紙一包みで済まなかった時もあったし。」
 印画紙は決して安くはない。製品として納める一枚の単価がかわからない文だが、一包み消費すれば完全な赤字だろうということは容易に想像できた。
「にしても・・・うーん。」
「何?何が気に入らないの?」
 写真を見ながら渋い顔をしている文にはたては率直にその理由を尋ねる。
「キレイ過ぎるのよね~。」
「現状をきちんと正確に写しているでしょ?」
「えーとね・・・スクープ写真としてはなんとも整い過ぎてるというか、まるで撮影会で撮影したみたいに見えるわね。」
「え?そう?」
「あんたさ、これ撮る時この写真と同じアングルの立ち位置にいたのよね?」
「もちろんそうよ。」
 目に映った絵がそのまま写真になるわけで、見ていないものを想像で自在に変える事は出来ない。
「アチャー!普通さ、アングルとか考えない?横からとか足の方からとか、後、カメラを回転させて斜めにするとか?それに何枚も撮るでしょ?普通・・・。」
「・・・全然そんな事考えてなかった・・・。」
 普段から記録写真や資料的価値を優先しがちな為、写真の取り方もその癖が出てしまったはたて。
「未熟ねー!それでクロワンになろうってんだから大したものだわ。これはボツよボツ!」
 腰に手をあてて呆れるポーズをする文。どうしようと、狼狽えるはたて。
「兎に角もう写真は撮り直せないんだから、これを使うしかないわね・・・。同じ物もう一回撮れる?」
「同じ物なら何度でも・・・。」
「慌てて撮った様に少しブラせる?出来なければ、ピントを手前か後ろの景色に合わせるとか?」
「や、やってみる。」
 すぐに作業にとりかかろうとするはたてだが、文はそれを制して話を続ける。
「待った待った!話は最後まで聞く!いい?後ね、もっと引いて撮って。被写体を枠一杯にするんじゃなく、周りの景色も入れるの。」
「何で引いて撮るの?どアップのが良くね?」
「写真を斜めにするだけで見た感じ変わるでしょ?ほら?」
 文はそう言って重症の因幡てゐが映っている写真を傾けて見せる。
「おお!確かに!」
「でも、新聞に載せる写真は基本的に角版でしょ?この被写体がフレームいっぱいの素人アングルじゃ斜めにしたとき何も写っていない角がでるでしょ?」
「うんうん!」
「だから、もっと引いて周囲まで収めていれば斜めにしても余白が出ない。トリミングで何とかする為にもっと引いて撮らないとだめなのよ。記念写真じゃないんだから。」
「な、なるほど!凄い、凄いよ!やっぱアヤヤは天才よ!」
 素直に文を賞賛するはたて。上級鴉天狗同士素直に誉めるなどまずないことで、誉めるはイコール皮肉と受け取るのが上級鴉天狗社会の常識である。そんな連中と肩を並べている文としては下級鴉天狗のはたての素直な態度に未だに慣れない。誉められて嬉しくないわけないのだが、くすぐったい気がしてとても居心地が悪く複雑な心境である。
「こ、こんな基本的な事も知らずに写手気取りとはね。」
 照れ隠しの為にやれやれと大袈裟に振る舞う文。
「だ、だってわたしぃ・・・外に出ないし・・・。」
「あんたの写真は全部資料的な写真で、魅せる写真じゃないのよ。記事に面白みが無くて写真も面白くなかったら、新聞発行を許可する部局長からOKはとれないわよ?あんたは例え見られなくても資料的価値があればとかなんとか言ってるけど、刷って貰えなければ資料もくそもないでしょーが!」
 八雲紫の台本通りとは言え、昨晩散々コケにされた手前もあり、仕返しだと言わんばかりに畳みかける文。はたては反論出来ずシュンとなって肩を落とし小さくなる。
「・・・。」
 文はちょっと言い過ぎたと反省し、直ぐに作業に戻るようにと尻を叩き、印画紙全体とてゐの身体の割合をどのくらいにすればいいかなど指示して撮影の基本を伝授する。
 気を取り直したはたては文に教えられた事をブツブツと口の中で反芻し、真剣な表情で作業にとりかかった。


「原稿上がった?」
「上がった!」
 写真撮影が終わり、文に駄目出しした八雲紫の原稿を元に書き起こした記事の直しを文に見せるはたて。
「相変わらずつまらない文章だけど・・・ま、私の新聞じゃないしね。次はこの記事と写真、新聞の叩き台のラフ原稿を工場長に見せにいくわよ。」
「え?何で工場長に?印刷部局長じゃないの?」
「いきなりトップに持っていってもそう簡単に会ってはもらえないわよ。だからその次に偉い工場長にねじ込んで上に掛け合ってもらうのよ。」
「なるほど!」
 八雲紫の根回しは、鞍馬山領にはなされていない。その鞍馬山領内におけるはたての立ち動きを文を使って行うというわけであり、文もその紫の意図を明確に理解してそれに荷担すべく立場を取った。
 文は、幻想郷の東部の記事を初めて書いた時、その題材は吸血鬼戦争で死んだとされていた因幡てゐの生存というスクープ級のものだった。因幡てゐの記事には文自身強い因縁を感じており、はたてを上手く導いて因幡てゐの重症という情報を世間に知らしめる事は、自分に不名誉なレッテルを貼り、未だに因幡てゐ生存説を否定する記者関係者達への復讐にもなるとも考えていた。だからこの件は自分の案件でもあり、はたてや八雲紫に一方的に奉仕するわけではないと自分に言い聞かせた。

 文は記者仲間とは険悪な関係だが、工場で働く者達とは良好な関係を築いている。部局長も工場長も新聞記事の質に関しては厳しかったが、だからといって記者個人を差別する事なく平等に扱っていた。
 だから今回も正規のスクープ記事として印刷ラインに割り込みが出来、八雲紫の注文通りの時間に新聞を発行出来るはずである。
 そんな文にとっての目下の悩みはこの姫海棠はたてである。研修生という名目なので仕方がないのだが、新聞を発行するにあたっての上位の取り決めは全く知らないので、そこをしっかり教えてやらなければならないのである。
「でもさ、どうせ見せるならキレイな版下出した方がよくない?」
 叩き台のラフ原稿を見せるより、すぐに完成できそうな版下原稿をそのまま見せた方が良いと判断する素人のはたて。だが、文はそれをすぐにたしなめる。
「あんたバカ?工場内の人達はこの企み事を知らないのよ?予め用意したような版下持っていったらやらせがすぐばれるでしょうが?」
「あ、それもそっか。」
「まったく・・・。今回は特殊なのよ?まーでも、スクープ記事が出来そうなら今日の事をしっかり覚えておくことね。」
 八雲紫が自分をはたての導師に選んだのは正解だと改めて納得する。そして、はたてが企み事に向いていない正直で素直なタイプであることも改めて確認できた。
「とにかく、ついてきて!」
 必要な原稿類の束を持たせたはたてを引き連れて文は部屋を出る。
 別館の様に工場の脇に建っている編集部棟から出た2人は、遮音結界で今まで聞こえていなかった印刷機の騒音の中、工場に向かって歩く。
 はたては、新聞の制作行程でアルバイトをして制作現場の事情は良く知っていたが、新聞を発行をするにあたり、上司から決裁を貰うといった上部の作業については知らず初めての経験になる。
「うわっ!」
 緊張してぎこちなく歩くはたては突然止まった前を歩いていた文の背中にぶつかる。
「あんた名刺とかある?」
 苦情を言おうとしたはたてを制して文は厳しい表情で問いかける。
「え?名刺?あるけど・・・研修生用のはまだ作ってないわよ。」
「しょうがないわね。ほらこれ、あんたが外に出ている間に作っておいたから。」
 そう言って文は胸のポケットから所属と身分と名前だけ入った簡単な名刺を10枚、両手が塞がっているはたての胸のポケットに押し込む。
「これ、ぜんぜん可愛くなーい!いやー!」
「贅沢言わない!」
 一瞬見せられたその名刺のデザインに苦情を言うはたてのおでこに軽くチョップをして、ぶーたれるはたてを置き去りにしてまた歩き出す文。
 編集部棟と工場を結ぶ踏み固められ下草がない細い道を進み、編集者専用の入り口から施設内に入る。
 守衛の姿が無いのに驚きを隠せないはたてだが、鞍馬山領は人口が他の領地よりかなり少なく慢性的な人手不足であることは知っていたし、印刷団地に入る際に会った警備員らの勤務状態からも理解出来るが、重要施設なら過剰な程の守衛が立っている比良山領との差がありすぎて気になって仕方がない。
「キョロキョロしてるといらない詮索されるから背筋伸ばして歩きなさい。」
 ソワソワしているはたてを見て冗談交じりに注意する文の言葉に、真顔で頷いてピンと背中を伸ばす健気なはたて。文は苦笑し先に進む。

「仕事中ごめん、工場長どこ?」
 はたてを後ろにして印刷ラインに入った文は、出入り口から一番近くにいた者に声を掛けて工場長の居場所を聞く。
 印刷機一台につき専属で数名が付いて作業をしているが、工場長や副工場長といった偉い立場の者は、周囲をウロウロしながら作業員に指導していたりするので、居場所が一定ではないのだ。
「おー文か、工場長ならたぶん休憩所じゃないかな?」
「邪魔して悪かったわね、ありがとね。」
 笑顔で手を上げてその場から離れる文の後ろで、軽く会釈してそそくさと追いかけるはたて。
 文は他の記者とはかなり険悪な状況にあって、一匹狼の様に孤立している感じにみえたが、それ以外の場所では良好な人間関係が出来ている様で、何故か身内の事のように嬉しく思ってしまうはたて。

 休憩所は工場の端にある給湯室に隣接しており、壁で仕切られた部屋ではなく工場内の一画にテーブルや椅子を並べているだけの場所である。給湯室がすぐ隣にあるので飲食にも都合が良く、自然発生的に出来た場所なのだろう。
 文は工場内の様子を観察しながら歩いているはたてを引き連れて休憩所に向かう。
 工場長というだけあって何となくゴツクて偉そうな者というイメージを持っていたはたてだが、その予想通りの強面で目立つ大男が数名の天狗と一緒に話をしながらお茶を飲んで休憩しているのが見えた。
 文が近づいて来た事に他の者が気付き、それに反応して工場長と思しき人物が振り向く。
「おう、文か?またスクープか?」
 また、と言うくらいだから頻繁に工場長の所に談判に来るのだろうと考えながらはたては後ろでその様子を見つめる。
「そうなんですよ!実はこんな写真が撮れたんです!」
 周囲から『またか』という笑いが起こるが、文はそれに構わず他人事の様にしていたはたての腕を掴んで工場長の前に投げるように突き出す。
「ん?何だおめーは?ん?お、これは、カリワンか!最近珍しいな。」
 はたての左腕にある白い一本線が入った黒い腕章にすぐに気付いた工場長は普通にしていても恐ろしい顔をはたてに近づけて値踏みする様にジロジロと見始める。
 工場長を務めているこの強面の鴉天狗は、修業経験のある『大鴉天狗』で一般的な鴉天狗より上位の立場である。領内の各組織の長は、僧正や大鴉天狗が務めるのが一般的で、印刷部局長は僧正クラスの天狗で、工場長と副工場長は大鴉天狗である。
 文も一応大鴉天狗という身分だが、これは射命丸家の一門に特別に与えられた階級で、本人の能力を評価されて得た階級ではなく、他の者は誰も文を大鴉天狗扱いはしていない。しかし、肩書きにうるさい連中は当然文を良く思わず実力もないのに重職を階級で買ったなどと後ろ指をさすわけである。
 幸いな事に、印刷関係者は文に関して一定の評価をしており、特に写真の美しさ、決定的な瞬間を捉える嗅覚は高く評価されているのである。

 修業経験のある大鴉天狗は、この工場長に限らず殆どが強面である。これは苦痛を伴う厳しい山間修業に耐えるうちに自然とそうなってしまうためで、これが天狗の顔が恐ろしいと言われる所以にもなっているわけであり、天狗の社会では顔を見ればだいたいの階級が分かってしまう。
「この娘、比良山の娘で、たまたま知り合いだったんです。研修生に選ばれたから研修手伝えって頼られて一応先輩クロワンとして指導者的な事をしてるんですよ。」
 文は工場長に話をする一方で、はたてを小突いて自己紹介するように促す。最初はあたふたとしていたはたてだが、文に貰った名刺の事を思い出し、それを差し出してぺこぺこしながら普段のしゃべり方にならないように辿々しく自己紹介を始めた。
「私の下に付いたということは私の活動エリアを使わせるというわけでして、そこで東側で何か面白いものを撮って来いって宿題を出したらこれを撮って来たんです。」
 文は立て板に水を流す様に少し早口でわざとらしく事情を説明する。この口調は工場長にスクープを持ち込む際のいつもの文の口調である。
「因幡てゐか・・・こりゃー死にそうだな。大変だ!」
 どこから見ても瀕死のその写真の中の因幡てゐを見て深刻な顔をする工場長。鞍馬山出身の僧正や元修験者は皆因幡てゐを知っている。文が因幡てゐ生存の記事をこの工場長にねじ込んだ時は、死者を冒涜するなと決めつけられて殴られたものである。そのくらい彼らにとって因幡てゐは近い存在だったのである。
 文の情報が真実と確認された時、工場長は文に土下座をして謝り、そしてこの報を持ってきてくれたことを心の底から感謝したのである。
 文にとって工場長は尊敬出来る数少ない人物であり、最も頼りにしている存在でもあるのだ。
「直ぐに人里に運んだから命に別状無いと思います。」
 はたては写真を撮っただけですぐにその場を離れており、この話は明らかに口からでまかせだった。
 文としてはその場を取り繕うために嘘を言ったのではなく、工場長がかなり心配した表情をしていた為で、安否を確かめるためにそのまま工場を飛び出してしまいかねいと判断したからである。
 その文の機転が効を奏したのか工場長はほっと胸をなで下ろし、手に取った写真を周囲の者に渡して回し見させる。
「文、これは何が起こったんだ?」
「私にもわかりません。私がこの場に居ればもっと詳しい事を探れたんですけど、この娘は東の事は何も知らないので、因幡てゐの重症が何を意味して何の影響があるかなんてわかりませんから・・・。」
「お前確か謹慎中か・・・。」
「続報は彼女に任せるしかないですね・・・。こんな時に謹慎だなんて!」
 少し演技臭い最後の台詞は、斜め上を見てその決定を下した何処の誰かに対してのものである。
「お前が普段から真面目にしてればいいだけだろうが。」
 工場長にげんこつを貰う文。
「あいた!何で私が・・・。」
「兎に角、これは上に当たってみる。恐らくスクープになるぞ。お前等もそのつもりでいろ。」
 休憩所の面々に緊張の色が走る。
「姫海棠はたて、とか言ったな?写真借りるぞ?それとそれは新聞の叩き台だな?それも渡せるか?」
「はい!喜んで!」
 裏返った声の聞き慣れない了承の仕方に周囲に笑いが入った。


 工場長が部局長の所に事情を説明しに行っている間、文とはたては工場長室に待機を命じられ居心地悪そうに立ち話をしていた。
「悔しいけど、全く持って八雲紫の計画通りよね。」
 腕組みをして片方の腕を上げて爪を噛む仕草をする文。
「ふー緊張したー。」
「お疲れさん。あの顔初めてみたらびびるわよね。でも、すごくいい人よ。」
 はたてのぐったりした様子を見て、厳しい表情を緩め苦笑しながら労いの言葉を掛ける文。
「なんか私、場違いな気がしてさぁー。」
「私も記者になりたての頃は緊張したわよ。とんでもないところに来てしまった・・・ってね。でもここは階級とかそういうものは関係ない実力の世界。良いものは良い。悪いものは悪いというはっきりした世界。自分に自信がなければやってけない世界よ。」
「文はやっぱ凄いわー。」
「あんたもクロワンになるんでしょ?だったらこのくらいで怖じ気づかない!」
 はたての小さくなった背中をバシバシ叩いて伸ばす文。
 間もなくして機嫌が良くても良くなさそうに見える工場長が戻ってくる。
「スクープ記事として明日の朝刊で行く事になった。しかも全領配布だ。」
「ええ!全領?」
 驚きの声を上げる文。
「ぜんりょう?って何?」
 意味が良く解っていないはたて。
「全領ってのは、妖怪の山の全部の領地にまくって事よ。」
「しかも、東側分も刷るから、7000部になる。」
「な、なななな、ななせんぶぅ?」
「そう、お前の去年の発行部数の実に4倍以上だ。今年の新聞大会の単一はこのカリワンが取りそうだな。」
 最後に豪快に笑う工場長。
「う、うそ・・・。」
 落ち込む文。状況が分からないはたては文を慰めようとして肩に手を置いた時、思いきり首を絞められる。
「な、なんであんたがー!」
「く、苦しい!ギブ!ギブ!」
「ぎゃ!」
 涙目になってはたての首を絞める文は、工場長から思いきり頭を殴られてその場で気絶してしまう。
 一つの領地につき千部が上限で、天狗の領地は現在六ヶ所あるので、一回の配布枚数の上限は六千部となる。そこに、東部や南部の人間や妖怪の集落に配布する分の千部を足して七千部という数字が、幻想郷における一回の配布枚数の限界という事になる。
 現在の印刷機なら七千部を刷るくらいわけもないのだが、幻想郷の印刷機の生産能力は低く、時間的に考えてもこの枚数が限界である。
 発行する枚数は制作者側と印刷部局側で話し合って決めるが、局長が決めた分の枚数は公費で賄い、編集者側に負担はない。但し、公共印刷として必要最低限しか認められないので、もっと広域に多数配布したい場合はその分は自腹となってしまう。
 発行部数を競う新聞大会ではそうした自費出版分の発行部数は換算されず、公的発行部数のみが対象になる。
 このままはたての新聞が発行されれば、この一回だけの発行で文を完全に置き去りにして上位入賞が可能な数字であり、一回の発行における過去最高記録の栄誉も賜る事が出来る。
 文にしてみれば今までの血の滲むような努力も、ぽっと出の新人に全てを持っていかれるようなもので、怒るのも無理はない事だった。
「文の気持ちもわからんでもないが・・・。」
 後輩に手柄を持って行かれた事になる文に同情の目を向ける工場長は、しばし、倒れている文を見ていた後、元々怖い顔をもっと怖くしてはたてに向き直る。
「姫海棠はたてだったな?お前は比良山の鴉だから、本来は比良山側の部局長の決裁を受けてここで印刷を代行するというのが筋だ。しかし、今回はスクープ扱いの所謂号外というやつで、スピードが命だ。わかるか?」
「は、はい?」
 言っている理屈は分かるが、ピンと来ないはたて。
「つまり、お前さんの記事はスクープとして発行する場合、時間が無いので自領の決裁が取れない。要するに比良山の記者の記事ではなく、鞍馬山の記事として世に出さなければならないということだ。発行した新聞には、比良山の領印ではなく、鞍馬山の印が付く。つまり手柄は鞍馬山になるわけだ。」
「はぁ・・・。」
 言われてみればなるほどだが、はたてとしては特に自領とか他領の手柄とかには興味がなかった。
「この条件で都合が悪ければ今回のスクープの件は無しで、後日通常印刷として予約を入れてもらうことになる。もっとも比良山で刷るならうちらは関係ないがな。」
「私の方は大丈夫です!スクープ扱いで刷ってもらえるなら、是非お願いします。」
 はたては、根本にある八雲紫の策略を思い出し、今すぐに刷ってもらわなければならない事を思い出し、ペコっと勢いよく頭を下げてお願いした。
 小さなツインテールの動きがでんでん太鼓を連想させ、一瞬頬が緩む工場長。
「うむ、では契約関係の手続きがあるから、お前が一人で部局長の所に行ってこい。」
「わ、私一人でですか?」
「これも研修のうちだ。なに、書類にサインするだけの簡単な作業だ。」
「わ、わかりました。んじゃ、行ってきます。」
 部局長の部屋までの道順を教えてもらい、はたては何故か敬礼をして部屋を出た。
「・・・おい、文。」
 既に気付いていた文は、はたてが部屋を出るまで死んだふりをしていたが、工場長に呼ばれて殴られた頭をさすりながら起き上がった。
「文、お前何を企んでいる?」
「何がですか?」
「とぼけるな。あんなのがカリワンになれるわけないだろ?」
「比良山様が鞍馬山に対抗して女性記者をたてようと無茶な事をしてるみたいです。」
「むぅ・・・比良山様か・・・まぁ、あのお方ならやりかねんが・・・それはまぁいいだろう。」
「・・・。」
 不機嫌さを隠す様子もない文。
「それから、もう一つ。あれはお前の何だ?」
 あれとは姫海棠はたての事である。
「ただの知り合いです。」
「ただの知り合いの為にこんな骨を折るのか?なるほど誰か別の者に頼まれて仕方なく手伝っているってことか?」
 強面てで一見すると肉体派で脳みそまで筋肉で出来ている様なイメージがある工場長だが、頭も相当切れるようで文達の裏の事情を見透かしているかの様な物言いである。
「はたては・・・はたては、私の大切な友達です。だから手伝うのは当然です。」
「なるほど。友達の頼みなら仕方がないな。」
 ニヤリと笑って文の肩をぽんぽんと叩き踵を返す工場長。
「(この人には敵わないな・・・。)」
 工場長に対して、単に一技術者としてだけではなく、一人の天狗としてその人柄まで顔以外全てを尊敬している文。てゐの重傷は何かの企みの一環と気付いているのだろう。それを知っていて敢えて好きにやらせてくれるというのだ。とてもありがたい事である。
「文、印刷ラインはスクープ記事に合わせる段取りを組む。お前はすぐに版下上げろ。それから、あのお嬢ちゃんの面倒は最後まで見るんだ。いいな?」
 部屋を出る工場長に深く丁寧に頭を下げる文は唇を噛みしめる。友人の出世を素直に喜べなかった自身の度量の狭さが悔やまれて仕方がなかった。


 鞍馬山で発刊するスクープ記事に、記者としてサインしたはたては誰もいない工場長室から涙目になって文を探し回り、右往左往した末にようやく編集者棟に辿り着き、なんだか中が騒がしい文の編集室を恐る恐る覗き込んだ。
「あ、帰ってきたわ。」
「遅い!何してたのよ!」
「す、すみません。ちょっと話が長くなって・・・って、この方達は?」
 文以外に数名の鴉女天狗がお茶を飲んで談笑しており、外行の口調で彼女達の事を尋ねるはたて。
「フィニッシュワークの人達よ。あんたも応援に呼ばれたりするでしょ?」
「おお!なるほど同業者の方達でしたかぁ!」
 先程の上司にあたる者と堅苦しい会話が続いたせいか、同業と知って途端に明るくなって馴れ馴れしくなるはたてだが、まだ口調が戻っていない。
「朝刊まで時間がないから応援を頼んでおいたのよ。独り立ちしたらこういうのもあんたが一人で手配するのよ?わかった?」
「へいへい。」
 この気のない返事を合図に、新聞の版下作成が始まった。


「文ぁー!お願いだから手伝わせてぇー!」
 普段文が籠もる編集長のブースからはたての泣きの入った声が編集室全体に響きわたる。
「新聞のタイトル出来たの?ちゃんと墨入れして仕上げてよ?それまでそこから出ちゃだめ。」
「あー悩むー!」
 そのはたての声から頭を抱えて悶えている様子が手に取るようにわかる文達。
 応援に駆け付けた文の知り合い達もそのやりとりを横目に苦笑しながらも手を休めず作業を続けている。
 写植行程に回した原稿は、指定された文字数と行数通りに印画紙に植字され、ラフ原稿のレイアウト通りに必要な行数分を切って、裏に糊付けして張り込んで行く。
 新聞のフォーマットは1頁分、つまり見開きの片面分に入る行と段数は決まっている。
 複数の記事を同じページに入れる場合は、見出しや写真の位置を考えて原稿を手配し、ライターは指定の行数に文章を収めなければならない。
 今回の号外は片面1頁分のボリュームなのでまだ決まっていない新聞のタイトルのスペースを空かせたまま、見出しのタイトルとリード文、そして大きな写真スペースで全体の約半分強が既に埋まり、残りのスペースに文章が入るレイアウトとなる。それだけだとつまらない紙面になるので、そうならない様に頭を捻る必要があった。
 文らは相談しながら空いたスペースをどう処理するか考え、創刊号にもなるので号外という表記は入れず、創刊号として記者の写真付きの紹介スペースと、今回の新聞の主役でもある因幡てゐの紹介スペースを本文の中に上手く差し込んで紙面に変化を付け、号外なので単調でもよかったが、それで満足できない文は試行錯誤して紙面を何とか取り繕った。

「編集長?そろそろ上げてもらわないと間に合わなくなりますよー。」
 編集長ブースの中で力を使い果たして白くなっているはたてに声をかける文。
「なるほど、結局それね。」
「だって、ぜん!ぜん!思いつかなかったんだもん!」
 このタイトルは、はたてが手作りで作っていた見るに耐えない素人新聞のタイトルと同じだった。
「だから、私さっき言ったじゃない。このタイトルにしたらって。そしたら、もっとカッコイイのにするって・・・。」
「それ中々いいんじゃないですか?」
 お手伝いの人たちもブースに入って来て、仕上がったタイトルを口々に批評する。概ね好評のようである。
「え?やっぱコレイイ?イイ?決めた!コレに決定!」
「ちょっと、何で私がイイって言った時は駄目で、他の人達がイイっていうと決定になるのよ!」
 一同から笑いがこぼれた。


 部局長に最終チェックをしてもらい、2、3直しを入れ校了となった『花果子念報』創刊号の版下は、製版行程に移り、印刷用の刷版となって印刷機の中に取り付けられた。
 新聞の発行責任者である姫海棠はたては、その各行程に立ち会って自分の新聞が作られる全行程をその目に焼き付けていた。
 複数の印刷機で刷るため刷版も複数枚作るが、最初の版を工場長が直々に印刷にかける。
 他の者は今行っている作業の手を休めて工場長の周囲に集まり、刷り出しのチェックに立ち会った。
「ほら、出たぞ。」
 輪転機の無い幻想郷では必然的に枚葉印刷となるので紙は一枚一枚刷り出される。印刷機の調子やインクの出具合を見るために最初にテスト刷りを行うが、その次々に刷り出される紙の束から一枚抜き取ってはたてに手渡す工場長。
「これが・・・私の新聞・・・。」
 いつの間にか工場で働く従業員がはたてを取り囲んでいる。
「あ、あれ、何だかボヤけてよく見えない・・・。」
 気付けば大粒の涙粒が頬を伝って新聞に落ち、乾いていないインクを滲ませ所々文字が読めなくなる。
「はたて、花果子念報創刊おめでとう。」
 必死に涙を堪えようとして失敗しているぐちゃぐちゃな顔のはたてに寄り添い声を掛ける文。次の瞬間わぁっと声を上げて新聞で顔を覆うはたて。
 周囲から次々に祝福の声が掛けられ、はたては感無量となって今度は文に抱きつく。しかし、生乾きの新聞に涙で濡れた顔を押しつけたはたての顔は当然まっ黒になっており、その顔で抱きつかれた文の顔や服も同じ色に染まる。
「うわっ!ちょっと、離れろはたて!」
 嫌がる文をもろともせず、がっちりと抱きついて離れず顔を文に擦りつけるはたて。
 周囲から祝福の声を同時に笑い声が起こり、そして部局長からのお祝いと表して祝い酒の樽が届けられると工場内は印刷機の騒音を打ち消す程の歓声に包まれた。
 これは最初に発行する新聞を直接手に取らせて新生クロワンを祝う鞍馬山の恒例の儀式であった。
「文も同じように顔をまっ黒にして泣いてたっけな・・・。」
 文もまた『文々。新聞』創刊の時、はたてと同じように感無量になって泣き叫んで新聞と抱擁していた事を思い出す工場長であった。