東方不死死 第54章 「女天狗の憂鬱」
白玉楼で魂魄妖夢に追い払われ退散したその晩、上白沢慧音の思惑を知り、親友を救うべく異変の傍観者から首謀者へと劇的な変化を遂げた藤原妹紅はその翌朝、異変の主導権を握るその手始めとして紅魔館を訪れていた。
それと同じ時間、賓客である藤原妹紅を追い払うなど度重なる不始末の責任と力不足を痛感した魂魄妖夢は、白玉楼を出奔し、その後死神小野塚小町の一宿一飯の恩に預かり、更に閻魔四季映姫の訪問を受けていた。
その藤原妹紅と魂魄妖夢の二人が再会したのはその日の夜の事である。
魂魄妖夢を得た事で妹紅の完全勝利が確定した運命のその日、異変のもう一人の首謀者とも言える完全敗者たる八雲紫は、この時点ではまだ自らの勝利を疑う事無く関係各位の根回しの為に行動し、八雲藍を守矢神社に派遣する一方で、自らは大天狗の一人比良山二郎坊の元を訪ねていた。
「お久しぶりですな、紫殿。」
「大戦以来・・・でしょうか?500年前と変わらず何よりでございます。」
大天狗比良山次郎坊は吸血鬼戦争において鞍馬山僧正坊と共に開戦時から参加し、幻想郷連合軍の主力の一翼を担った盟友で、戦後処理では吸血鬼廃絶を謳う八雲紫に同調し、魅魔に傾く天狗側の世論に最後まで抵抗した人物である。
激戦区にあって勢力を著しく低下させた、魅魔とは旧知でその正論演説に異を唱える事が出来なかった旧友の鞍馬山僧正坊に同情して、代わりに吸血鬼許すまじと大声を上げた義理と人情の人物である。今回の異変は、彼の注文でもあり、妖怪の山の未来の為に捨て駒になろうとする戦友を思って、八雲紫に相談の書状を送っており、それが今回の異変を大規模なものにする要因となったのである。
「直接お出で頂くとは思ってもみなかった。もてなしも出来ず面目ない。」
僧侶である大天狗とその弟子達の生活は、その下にいる鴉天狗らよりも質素で、大天狗にもかかわらず板張りの広いお堂の一区画に畳が敷かれ、そこにご本尊の様に鎮座するだけである。予め連絡しておけば紫の為に場を整えて準備していたのだが、急な来訪に対応できず次郎坊は謝罪の言葉しかなった。
「それには及びません。今回出向いたのは比良山様のお力をお借りしたく参上した次第ですので・・・。」
本来客として扱われる立場になるが、頼み事に来た自分が頭を下げる方だと謙遜する紫。大天狗は単に強い存在ではなく、菩薩と同等であるため、紫と言えど冗談など軽口は叩けない。
「ほう?私に何をしろと?」
お茶を持ってきた部下を尻目に、興味深そうに顎に手をあてる比良山次郎坊。
紫はお茶を出した者に深くお辞儀をするが、ここは高位の僧しか入れない特別な場所で、つまり彼は茶坊主などではなく高僧の一人というわけである。
「幻想郷全体を震撼させる異変の段取りは出来ましたが、その前に呼び水となる小さな異変を起こそうと思いまして、それに必要な人材お貸し願おうと参上した次第です。」
「ふむ?」
比良山は、自分が直接何かをするものと勘ぐっていたため、紫の申し出に対して少し期待はずれといった残念そうな表情をする。
天狗には良い噂と悪い噂があるが、その悪い噂の元になって世間に知れ渡ったのが、この比良山次郎坊で、俗世に干渉するにあたり、試練と称して火事など主に人々に被害が出る方向からアプローチしていたのである。
それに怒った人間の僧侶達が、彼の住む比叡山に攻め入って来たので潮時と引き下がって比良山に移住し、現在の比良山次郎坊になったというわけである。
次郎坊は常に騒動の最前線に身を置きたい性格なため、八雲紫の頼みとやらで自分も公然と動ける口実が出来ると思っていただけに落胆も大きい。
「して、その必要な人材とはどんなものだ?」
気を取り直して次郎坊は問う。
「文屋です。」
「文屋とな?」
比良山はそう聞き直した後、お茶を出してそのまま立ち去ろうとする弟子の高僧を呼び止める。そして情報部門を統括する長を呼んでくるように告げた。
「全体を統括はしているが、細かいところは全てその部署の長達に任せているよって、今、分かるものを連れてこさせる。しばし待たれよ。」
「恐れ入ります。」
八雲紫はかしこまってお辞儀をした。
ほぼ同時刻に八雲藍が守矢神社を訪れているが、八雲紫にとっては守矢よりも比良山の方がはるかに格上と捉えており、物の順番からして藍をこちらに派遣する事は出来なかった。
時間をずらして、それぞれを直接尋ねるのが筋というものだが、この時紫は藍に守矢神社への交渉を一任していた。これは守矢軽視と言える行為だが、こちらの出した条件をそのまま鵜呑みにしないだろうと予測しており、藍では手に負えない案件を後日自分が直接出向いて解決するという段取りが紫の頭にあった。しかし、守矢神社にも思惑が存在し、その計略の一環として紫の申し出を丸々了承して契約が成立してしまっており紫はそれを知らない。
現時点で守矢との交渉が上手く行った事を知らない紫は、ある意味ここが勝負の分かれ目だったと後日後悔することとなる。
数分後、情報部門を統括する局長を務める高僧の弟子が本堂に現れ、正対する比良山次郎坊と八雲紫の横に座り、それぞれが三角に向かい合う。
紫は必要な能力をピックアップした書類を予め用意していたので、それを局長に渡し精査してもらう。
一通り書面に目を通した局長は口を開き、その答えに紫は落胆した。
「文屋連中は、御上の命令で動くような輩ではありません。情報操作、しかも東部の企みに荷担する者はいないでしょうな。」
「わしの命でもか?」
「彼らは自らの仕事に誇りと文字通り命を賭けている者ばかりです。鴉天狗でありながら連中の玄人根性は他の職種の者とは明らかに異質なのです。」
大天狗がそれぞれに治める領地は、基本的に領地間の交流は全く無く、情報の伝達はそれぞれの領内の報道機関が独自に情報を収集して独自に報道している状況である。
情報部門には、外部から入る情報を精査する内部機関と他の領地の情報を集める外部機関に別れており、この外部機関が新聞報道の花形機関となっている。
新聞報道は誰もが自由に出来る事ではなく、報道事務所を開設して新聞を発行出来る権限を持っていなければならず、厳しい下積みと審査を経てようやく就ける職なのである。
新聞発行権を持つ者の証である黒い腕章、通称『クロワン』は、唯一他の領地に自由に入れる通行手形になっており、この権限によって他の領地の事件や話題を収集して報道する事が出来るというわけである。
大きな権限と自領の看板を背負う責任が課せられる職業柄か、『クロワン』持ちは皆この職に命を賭けており、八雲紫が求めるような言われた通りに動く人材はどこにもいないという事である。
鞍馬山領の射命丸文は家名で『クロワン』を得た様なもので、その為自力でこの職に就いた同業者からの風当たりが強く、更に天狗の世界ではそれだけで自動的に身分が低く扱われる女天狗であることから自領のみならず他の領地の報道機関からも爪弾きにされてしまっているだ。
八雲紫が求める人材に、その射命丸文が適任にも思われるが、彼女もまた報道に携わる者の誇りが強く、権力側に荷担して体制に都合の良い記事を捏造するのに抵抗を覚えるだろう。素で捏造記事を書くのに、命じられた通りに嘘を書くのは嫌なのだ。それに、文の性格からして言われた事だけやるようなタイプではなく、余計な事まで書いてしまうかもしれない。
更に文の発行する『文々。新聞』は、別名『嘘八百新聞』と呼ばれる程に信憑性がゼロの新聞で、ここに載る記事は全て事実を基にした文の創作という認識が既に幻想郷全体に知れ渡っており、情報による世論操作をしたい紫としては、誰にも相手にされない文の新聞は全く使い物にならないというわけである。
紫としては、信用出来る新聞でなければ世論操作にならないだろうと考えており、他の新聞に該当するものがなければ創刊させようという目論見だった。
「東部の事ならクロワン組ではなく、その下の者にやらせればいいのではないか?」
部下よりも融通が効く騒ぎが大好きな上司にあたる比良山次郎坊がそうアドバイスをする。
「東部と言えど新聞の発行権が無ければ新聞は刷れませぬ。不正の無いように日々努めよと言っている私の口からは何も言えませぬ・・・。」
渋る情報局長。これはもっともである。記事を作るのは文屋の仕事だが、それを刷って形にするのは印刷部門で、更に編集局長の直属である品質管理部門が厳しく検閲するのだ。新聞はいくつもの部署を通過するのでお目こぼしは出来ないし、これをやると新聞報道における信用性の根本がひっくり返ってしまう。
ちなみに、文の新聞は検閲によく引っかかり、そこで査問にかけられるのだ。
「では、然るべき者にクロワンの資格を与えればいい。」
「・・・確かにそうですが・・・うーむ。」
比良山の言は最もで考え込む局長。
「準資格者に心当たりはありませんか?」
このやり取りに対して紫がここで初めて口を開く。
「希望者は大勢おりますが、その能力に見合う者がいるかというと・・・。」
今現在、各部署の組織はほぼ固定化して新たな部署の新設や統廃合はされておらず、数百年も変わらない体制が続いているのが妖怪の山の現状である。
吸血鬼戦争の様な悲劇的な大戦は、損失も多いが様々な需要を生み出して活気が出るという副産物も出る。しかし、長い平和の日々は組織の緊張感を失い開拓心や向上心が失われるものである。そして今の自分の地位を守ろうと上を目指す者の頭を抑え、出る杭を打つという悪循環が生じるのだ。
文屋の業界は実力がものをいう世界で、野心的な者は既に目的を成就しているのが現状で、残った下の者からの突き上げが少ないため緊張感に欠けており、底辺の人材も出る杭は打たれないように今の生活を守るために息を潜めているのだ。
「射命丸家の小娘がなれるのだから何とでもなるじゃろう?」
文の名前は色々な意味で有名で、そもそも文を査問にかけて身動き出来ないように比良山に仕向けたのが紫で、比良山もその時文の名前を聞いてその存在を覚えていた。
「あれは、まー特殊な事例でして・・・。」
3人は一様に考え込み始める。これでは埒があかないので紫が情報を求める為に口を開く。
「黒腕章・・・クロワン持ちの女天狗(めてんぐ)は、現在射命丸文だけなのですね?」
「はい。業務の末端には女天狗が何人かおりますし、写植版下行程には多数おります。しかし、クロワン持ちは彼女だけです。」
制作行程は繊細な仕事で、女性が適している。
「よろしければ、候補者に成り得る人材の資料を見せてもらえないでしょうか?」
この申し出は内政干渉の様なもので無礼にあたるが敢えて紫は頼んでみる。驚いて顔を見合わせた比良山次郎坊と局長だが、頷いた上司の態度を受けて懐から何も描かれていない白紙を取り出すと、局長はその紙に手を置いて必要な情報をそこに映し出す。これは妹紅などが使う術と似ており、局長もまた高い能力を持った術者である事が理解できた。
実際問題として大天狗の下に連なる弟子は皆高僧で、高い神通力を持っている。そうした者達が各部署の長を努めて里の運営に当たるのである。
頭の中に記録している膨大な情報から必要な情報抜き出して紙媒体として形に表してみせた局長からその資料を受け取った紫は、クロワンを目指していると思しき候補数名の履歴を確認する。
「一人、女天狗がいますね?」
履歴書の中に女性を発見した紫。
「はい、姫海棠はたて、フリーの写手(カメラマン)です。」
「念写が使えるのね。」
「彼女の念写は記録情報の検索能力で、主に古い記事からの引用作業に駆り出される人材ですね。印刷の版はすぐに破棄されますが、一度閲覧している情報なら彼女の力で探しあてる事が出来ます。資料整理にはうってつけな人材です。」
ここで名案が浮かぶ紫。
「この女天狗を女性クロワン2号としてみるのはどうでしょう?」
「能力的に見てまだまだと・・・。」
「この際能力は関係なかろう?」
ここで比良山が紫の思惑を理解して同調する。
「比良山様と私が今この場で会見している理由が何であるか、局長殿はご存知かしら?」
「いえ、存じ上げませぬが・・・ふむ、なるほど・・・そういうことですか。」
理由は理解出来ないが、何か事を起こそうと2人が画策していることは理解出来る局長は、懐疑的だった表情から理解を示す表情に変わる。ここは彼らの望む答えを導き出せば良いのだ。
「射命丸文に次いで、女クロワンが誕生するというのは、中々にして面白い事でしょう?良い面も悪い面も含めて・・・。ただ、いきなりクロワン昇格は確かにやり過ぎですわよね?」
挑発するような怪しい表情で局長を刺激して、名案を引き出そうとする紫。一瞬目が合った局長は目を閉じて考え込む。
この2人が何かをしようとしていることは理解出来る。しかし、具体的に何をするかは教えないだろう。自分はその状況で何を提示すればよいのだろうか?
「彼女をクロワンに昇格させなくても新聞の発行が出来る方法が一応あります。」
「それは?」
「昇格試験を兼ねた研修をさせればいいのです。研修中は新聞の発行が公式に認められます故・・・ただ。」
「何れにしてもその理由付けが必要か・・・。」
比良山が難しい顔をする。
「そこで多少強引ではありますが、射命丸文をダシに使おうかと思います。」
「ほう?それで具体的にどうする?」
「問題の多い射命丸文は、女性唯一の記者という肩書きを持っております。この肩書きから『唯一』が取れるだけで、気分を良くする者は大勢おるでしょう。対抗馬と言いますか、比良山領からそれが出るというのなら世間的にも『有り』と見るのではないでしょうか?」
鞍馬山とは常に好敵手で旋風の比良山次郎坊ならやりかねない、他の奴ならともかく比良山がやるなら仕方がないだろうという世論の見方を考慮した部下の言葉に、思わず大笑いをする上司の次郎坊。確かにこんな馬鹿な対抗心は他の大天狗はやらないだろう。
文は現在、唯一人の女性記者という肩書きがある。彼女を良く思わない、つまり報道関係者全員がこのご大層な肩書きを良く思っていないわけで、天狗の社会では上下関係や役職などの肩書きが重要視される傾向になるので、尚更『気にくわない』のである。
仮に姫海棠はたてがクロワンを得て女性2番目の記者となれば、射命丸文から唯一人の女性記者という肩書きが無くなるというわけで、これによって実質何か得る物があるというわけではないが、気分を良くする者は大勢いるだろう。
はたてがいきなりクロワンを得るというのは同業や同胞からも問題視される可能性が高いが、それ以上に問題視されている異端の射命丸文の肩書きを減らせると言うのなら、むしろ姫海棠はたてを応援する輩も出て来るだろう。そして、この事が報道業界に活気を生み出す起爆剤とすれば、文の所属する鞍馬山側には申し訳ないが、比良山側にしてみれば何も失うものはなく、正に一石二鳥である。
「局長様、彼女をしばらく私に貸して頂けないでしょうか?」
紫の申し出を受けて、局長は上司を見る。それを受けて比良山次郎坊は面白そうに大きく頷き許可を与えた。
姫海棠はたてを呼ぶために一時席を立った局長は、半時経って一人の少女を伴って再び2人の前に現れた。
ここは、比良山次郎坊本人を本尊と祀るお寺の本堂。重役幹部しか入れない神聖な場所である。そこに連れてこられた家柄も何もない鴉女天狗は緊張と言うより恐怖心を隠せずに膝や顎がガタガタと震えていた。
「姫海棠はたてだな?」
「は、ハイ!」
畏れのあまり名を呼ばれた瞬間にその場に土下座するはたて。
八雲紫はその様子に思わずクスリとしてしまう。服装全体は射命丸文と似た感じで、紫色がワンポイントになっている。自分のトレードマークとも言える紫色がお気に入りのようで、少し良い印象を覚える八雲紫。
連れてきた局長はそんなはたてを見かねて背中に手を回して軽く叩いて気を入れる。緊張と恐怖で呼吸が上手くできなかったはたては、身体から力が抜けてほっとしてリラックスする。
「そなたに重要な任務を与える。ここにいる八雲紫殿にお前の身柄を一時預ける。彼女の命に従い行動せよ。」
「え?」
顔を上げたはたては、正対する大天狗様と自分を真横から見る様に座っている美しい金髪の女性の存在に気付く。微笑んで会釈するその女性をポカンと口を開けて見つめるはたて。局長に促されて比良山次郎坊に向き直って、ははーっとひれ伏して命令を受領する。
局長に連れて来られる間に粗方の事情を聞いていたのだろう、大天狗比良山次郎坊から辞令を受けて正式に任務についた姫海棠はたては、別室に案内されて紫と二人だけになってようやく素顔に戻って明らかに不満そうな表情に変わる。
大天狗やその弟子の高僧達はともかく、鴉天狗は天狗以外の者を下に見る傾向が強く、外から見ると文字通り天狗になっている様に見える。はたては鴉でも珍しくお高くとまらない質だが、どこの誰ともわからない紫に対しては、流石に愛想を良くする筋合いは無いと判断し、あからさまに態度を変える。
八雲紫は鴉天狗の習性を知っていたのではたての態度も特に気にならず、教育的指導をする気も無かったが、はたての最初に出した言葉でその考えが一瞬で変わった。
「ねぇ、おばさん?私ってば何すればいいわけ?」
紫も大天狗の前で猫を被っていた事もあり、はたての目からは優しそうなおばさんに見えたのだろう。それをそのまま直に口にしてしまったはたてはすぐに地獄を見る事になった。
突然目の前の優しそうなおばさんの雰囲気が変わり、そのやばそうな雰囲気から『おばさん』というキーワードが禁句だと理解したはたてはすぐに謝ろうとしたが、その時下腹がシクシクと不快感を訴えている事に気付き、口を開く前に酷い悪寒に襲われていた。自分の身に何かが起こっている。直接的な痛みがあるわけではないのだが、腹の中で何かが蠢いていると感じ、これは生命に関わる重大な危機だと直感する。
立っていられなくなったはたてはその場でうずくまって悶絶し、冷酷な表情で見下ろす紫を見上げる。見ると片方の手が裂けた空間の中に入っており、それが少しずつ外に出るのが見え、やがて完全にその手が外に出るとはたてはそこで信じられない物を見る。何かの内蔵、恐らく腸を掴んでおり、裂けた空間から引きずり出そうとしているのだ。そして、それが自分の腸だと直ぐに気付いた。
「丈夫な鴉天狗も、内臓は鍛えられないわよねぇ~。」
引きずり出したまだ生きている新鮮な腸を口元に引っ張り美味しそうにそれを見つめる紫。
「謝るなら今のうちよ?」
謝ろうにも声が出せないはたて。それを見てクスっと笑い、名残惜しそうにはたての腸を一舐めして手から離す。内蔵は有るべき場所に戻ろうと勝手にスキマの向こうに引き込まれていった。
術が解かれ身体の自由が戻ったはたては、ゼンマイを巻いたばかりのおもちゃの様に俊敏に動いて紫の足元に小さくなって土下座する。
上下関係を強く意識する鴉天狗の世界では、目上に対する無礼は今後の人生に大きく影響を及ぼす一大事で、謝る際は盛大に土下座をしてみせる事が礼儀作法になっている。
幻想郷の実質の支配者である八雲紫という存在すら全く知らなかったはたてとしては、別に悪気があっておばさんと言ったわけではなく、お姉さんではちょっとアレだと思って軽い気持ちで口にした言葉だった。まさかこんな目に遭うとは思わず、降参して完全従順を決める。
「あのー?えーと?何とお名前をお呼びすれば良いのでありますでか?いや、でしょうか?」
身分も低く育ちも良くないはたては、普段から口が綺麗ではなく、しかも位の高い者と接した事がほとんどないので敬語で話す事に慣れておらず、紫に対して服従する態度を示すもののどんな風に喋ってよいのかわからない。
「私の名前は聞いたでしょ?」
「八雲紫様?でしたっけ?んじゃ、えーと、八雲様?それとも紫様?」
句読点の様に疑問系を使う独特のしゃべり方。都会に憧れる田舎娘が時代遅れの流行に染まったままという痛々しさと無邪気さが感じられる。早口で雑なしゃべり方は学が無い事を暗に示しているが、酷い目に遭った後も卑屈になったり、露骨なゴマすりを使わない態度は好感が持てると思う紫。
「好きに呼んで頂戴。」
「じゃーぁー・・・、そうだ!ゆかりんなんてのはどうです?」
「はぁ?何でそうなるのよ?」
「だってぇー?その方が可愛いじゃん?」
ゆうかりんと呼ばれて満更でもない顔をしている幽香を馬鹿にしつつ内心羨ましいと思っている紫。思いがけず『ゆかりん』と呼ばれて鼻の穴が膨らみそうになったが、表情は冷静に保ち言い方を改めさせる。結局「紫さん」という何の変哲もない呼び方に決まり、少し残念に思う紫だった。
局長から頂いた縁に白い一本の線がある黒い腕章を左の細い腕に付けるはたては、感動と戸惑いが混ざり合った複雑な表情をしている。
お気楽なこれまでの仕事も悪くは無かったが、世間の噂を鵜呑みにして馬鹿にしていた射命丸文の『文々。新聞』の躍動感のある記事に一目惚れして、密かに購読していつかはこんな記事を自分も書きたいと思っていたはたてである。
大天狗様と八雲紫らの陰謀に巻き込まれて思わぬ出世話が舞い込んだわけだが、身分や実力を考えると一生かかってもなれる可能性がない文屋になれるチャンスは今だけである。これを逃したら恐らく二度とチャンスは来ないだろう。
身分相応の職に就く辛さは、文を見ていればわかるが、もしかしたらこの期に親密になれるかもしれない。隠れ文ファンであるはたてとしては、2重の意味でチャンスなのだ。
はたては紫との打ち合わせの席で、真剣な表情でその話を聞き、自分のすべきことを頭に入れるようと試みるが、話が思ったよりも多く記憶の整理がつかない。そこでメモを取ろうとあまり使っていない自作のメモ帳を取り出したが、予め段取りを書いた虎の巻を紫から貰う。
「私が今言った事は全てここに書かれているわ。記者の端くれならこれくらい直ぐに暗記できるでしょう?」
「こう見えても暗記は得意です。」
こう見えてもと言う事は、自分でも端から見て頭が悪そうに見えると自覚でもしているのだろうか?確かにチャラチャラして暗記などが最も苦手そうに見える。紫は記憶の中のはたての履歴書から業務内容を思い出して、確かに記憶力が重要な職だと理解出来た。
「今から文に会ってもらうけど、ここまで今日中に済ませて頂戴。」
「わかりました!ようするにすぐ行動しろってことですね?」
「そう、ここまでしっかりやってね。」
綿密なスケジュールが記されている虎の巻の羅列を指でなぞって示す紫。素直にハイハイと聞くはたては、話が終わると直ぐに取材という名の作戦を開始した。先ずは査問中で自宅謹慎中の射命丸文を訪ねる事である。
今現在の自分の身分は、新聞発行権を持つクロワン記者となる為の研修生で、事務所を開設する資格はないが取材の為の自由な行動が約束されている状況である。
試験はクロワンと同じ立場で取材をし、それを新聞として発行、その評判で結果を決めるというものであり、新聞の内容に関しては自由に決められる。はたては八雲紫の指示で唯一人の女性記者、射命丸文の特集記事を書くフリをする様に命じられていたが、例えフリでも日頃から文にお近づきになりたいはたてとしては、願ったり叶ったりだった。
「はてさて、ゆかさんの虎の巻によると、比良山領を出ると先ず犬走椛が接触してくるとあるけど・・・あっ!」
文と行動を共にする駒天狗の犬走椛ははたてもよく知っている。主人とは正反対で礼儀正しく自分も駒に欲しいとすら思ってしまういい子である。果たして紫の予想通り彼女が来るだろうかと疑問に思う間も無く虎の巻通りの展開にはたても思わず驚いてしまうはたてだった。
紫の指示通り行動を開始した仮の黒い腕章、『カリワン』を付けた姫海棠はたては比良山領から隣接する鞍馬山領に真っ直ぐ飛ぶ。そして紫の予想通り犬走椛が急接近して行く手を遮った。
「姫海棠はたて様ですね?ここからは鞍馬山領になります。すぐに引き返してください。」
藍を検問した時は行き先を聞いたが、他領地の鴉天狗は即刻追い返すのが規則である。
面識があるものの仕事中なので厳しく検問する椛に、はたては一瞬戸惑ったものの、今は伝家の宝刀がこちらにあることを思い出す。
「ねぇ椛ぃ?これが目に入らないのぉ~?」
「あ、それは・・・仮免許!もしかしてもうすぐ記者になれるのですか?文様も喜びますよ!」
検問する必要がない相手と知って素に戻って嬉しそうにはたての出世を喜ぶ椛。
「な、何で文が喜ぶのよ。」
「文様は口ではあー言ってますけど、はたて様の事をすごく気にかけてるんですよ。」
「へ?へぇ~、そ、そうなんだぁ・・・。」
意外な事実に嬉しいような困ったようなリアクションをするはたて。そんなはたての微妙な立場を知らず嬉しそうにニコニコする椛。身体も小さく可愛らしい声の見た目すごく弱そうな椛だが、種族的に駒最強クラスの白狼であり、この近辺ではナンバーワンの実力と検問実績を持つ。
出来の悪い主人を持つ優秀な椛を多くの者が同情して、主を替えるよう助言するが、実は一番辛いのは優秀な部下を持つ主の文であり、はたては彼女の方にこそ同情する。
姫海棠はたては貧しく身分の低い家の出で、自分以外の家族全員が鴉ではなく烏で、家は鴉社会では最下級に位置していた。
家族の中で唯一鴉として亡き父の血を引いたはたてだが、鴉天狗として目を見張るような能力を持たず、自分の能力を生かせる報道の仕事に携わる以外に食う道はなかった。事務所を開けるクロワンにでもならなければ、この職種は大変な割に実入りが少ない不人気な職で、腹を貸して見事に鴉天狗を生んで、その母となって良い生活にありつけた姉や妹の禄で家族は生計を立てており、鴉天狗として生まれたはたてではあったがフリーである為収入が安定せず、家族を養う事が出来きず肩身が狭かった。
烏として生まれた女性は、鴉天狗を生むために他の鴉の家に嫁ぐわけだが、そこで鴉天狗を生めば褒賞が与えられ、生んだ子どもにも面倒を見て貰えるので生活に困る事はない。身分も烏から鴉に格上げされる。ただし、身分上は鴉になっても中身は所詮烏、つまり人間であるため、寿命が短く50年も生きられない。その為はたての家族は既に全員寿命で亡くなっているのである。
既に他界している姉や妹は母親として立派に務めを果たした。鴉天狗として生まれる事はできなかったが優秀な鴉天狗を生んだ姉妹。そして優秀な弟達が出来て親戚が増えてしまい、否応なしに彼らと比較されるはたて。優秀な身内を持つ身の辛さは、はたても身を以て知っており、椛の存在に苦悩する文の心情も充分理解出来る事だった。
真の目的を知らず、文の特集記事を書くと知った椛は、主の悪い噂をぬぐい去れる絶好の機会と思い大喜びして、謹慎中の文の家への案内役を快く引き受けてくれた。
ここまで紫の思惑通りである。このままトントン拍子に行けば良いが、虎の巻によると別の検問を受けると予言のように書かれている。はたてはその時の対処法を思い出し心の準備をした。
椛に先導され鞍馬山領に入ったはたては、近付いて来てはすぐに離れていく他の駒天狗を見ながら、やがて里の結界に差し掛かる。
切り立った岩肌に石と木で出来た天然の要塞があり、まるで戦中の最前線基地といった様相である。吸血鬼戦争における最も熾烈な防衛戦が行われた場所の一つと聞いている。
大きな木製の朱色の門があり、ここが鞍馬山領の里の入り口である。資料にある写真や図解を見た事はあるが実際にこの目で見るのは初めてである。その巨大さに圧倒される。
「止まれ!誰だこいつは?」
駒天狗ではなくそれより格上の鴉天狗が多数この山門要塞に衛兵として警備にあたっており、椛と見慣れない女天狗を確認してすぐに数人が接近してはたて等を引き留める。椛はおとなしく止まってはたてにここは任せるように小声で助言して近付いてくる衛兵を待つ。
「椛か、見慣れない顔だが、こいつは誰だ?」
「比良山領の鴉天狗姫海棠はたて様です。クロワン取得の為の研修中で、こちらに取材したいとの事でお連れしました。」
「姫海棠?聞いた事ないな。研修ならうちじゃなくてもいいだろう?他をあたってくれ。どこの馬の骨ともとれぬ輩を通すわけにはいかない。」
正規のクロワン持ちは、他領はおろか自領も悠然と飛び回れる為、門番などから見れば煙たい存在で取り合いたくもないのに、研修生でしかも女天狗ならなおさらである。
「そ、そんな・・・。」
がっかりする椛。
「そうだな、椛が主を替えて俺の家に来るなら考えてやらなくもないぞ?」
「おいおい、どさくさにまぎれて勧誘するなよ?」
吸血鬼戦争当時、ここを死守して戦功を上げた由緒ある家柄の小せがれ鴉が、どさくさに紛れて椛を勧誘し、ずるいと言わんばかりに他のすかさず衛兵がたしなめる。椛の人気は高く、ここまで見事に紫の虎の巻通りの展開である。まるでこの状況を見てきた様であると、はたては内心感心する。
「そ、その話は前にもお断りしています!」
「なら、とっとと哨戒に戻れ。まだ上がりの時間じゃないだろ?」
ここで、はたてが前に出で、椛を下がらせ更に少し遠ざけ、後ろに下がった椛に振り返ってウインクをする。
「鞍馬領の門番?ずいぶんとケツの穴が小さいのね?大戦で勇敢に戦って死守したって聞いたけど、本当は門の奥に閉じこもってたんじゃないの?」
「何だと!我々を侮辱する気か?」
はたての挑発に瞬間沸騰していきり立つ衛兵達。
「今の勧誘の仕方はさぁ~?戦士のやることではないわ。違う?」
「そ、それは・・・。」
「だいたいさー、門番なら何の取材で来たのかくらい聞きなさいよ、マジで。」
礼儀知らずの門番達の非礼を殊更強調するはたて。もちろん八雲紫のマニュアル通りの対応だ。
「どうせろくでもない取材だろう?自分達の都合のいい記事しかかかないしな。」
「ふーん、だったら臆病な門番達の居る鞍馬領の深刻な人材不足と題して記事を書こうかしら?」
「貴様ぁ!これ以上ほざくとその首飛ぶぞ!」
「人材不足ってのは本当の話でしょ?こっちは正規に動いている研修生よ。その首はねたらあなただけじゃなくて、鞍馬様自身も責任をとらされるんじゃない?いいのぉ~?」
ほとんど台本通りだが、頭の悪そうなしゃべり方が余計に相手を苛立たせる事になる。
「くっ・・・何の取材だ、言って見ろ。」
来た!と内心冷や冷やのはたては筋書き通りの展開に歓喜した。はたてはこの時顔を寄せて敢えて椛に聞かれないような態度で小声で話し始める。
「実はね、射命丸文の取材に来たのよ。」
「あ?あいつの?」
途端にはたてを取り囲む門番達の雰囲気が変わる。
「どんな記事を書くんだ?」
一人が食いついてくる。
「どんな記事にするかは私のペン次第っしょ。実際どうなの?彼女の評判はさぁ?」
「家柄だけで実力もないただの成り上がりだ。とにかく女の癖に生意気なんだよ。」
女の前で言う台詞じゃないだろうと思うはたてだが、虎の巻にも書かれてあった通りの反応で思わず笑いたくなる。
「ホント、あいつムカつくよね?知ってたぁ?あいつ女からも嫌われてるって。」
はたては門番らに同調して本心とは逆の感想を述べる。耳の良い椛も後ろからでもそれが聞こえ内心穏やかではなかったが、はたての声が少しわざとらしいことと、先程の目配せから演技だと見抜き黙って見守る。
「だろ?もし、あいつを下げる記事書くってんなら、通してやってもいいぞ?」
射命丸文嫌いという共通認識が芽生え、部外者のはたての存在を大目に見るようになる門番達。
「マ、マジで?書く書く!超書くわよ!」
キャピキャピしながら嬉しそうに跳ねて見せるはたて。その品の無い無邪気な仕草は、気位だけは一人前の名家の小せがれ門番らの虚栄心を刺激しはたてに対する警戒心を解く結果となった。
鴉天狗としては底辺に位置するはたては、守るべき名誉など存在せず良い意味でプライドが無い。
頭の固い衛兵達をうまく丸め込むはたての様子を後ろで驚きながら見る椛だった。
門番らに快く通過を認められて山門をくぐり、駒天狗犬走椛に先導されて初めて他の領地に入るはたて。
比良山領は妖怪の山から少し離れた場所にあり、尖った山の形状から平地がほとんどなく、山を囲む用に螺旋状に外に張り出した木組みの土台の上に集落が建っており、居住区となる床面は人工的に作られた平らな面で、大地のある平らな地面はほとんどない場所である。
鞍馬山領だけでなく、他の大天狗の領地は山の中腹にあって、村落は段々畑の用に斜面に沿って建っている。大きな建物は太い丸太で足場を作ってその上に建っており、狭い領地の割に人口が多い比良山領とは違って土地を豊富にゆったり利用出来る。
文が時々来て比良山領の鶏小屋の様な集合住宅を呆れた顔で見ていた理由がようやくわかった。土地を有効利用するために部屋が狭くしかし密集して建つ比良山領の家々は正に鶏小屋だ。それと比べると断然鞍馬山領の方が良いと思うはたてである。
そして、このはたての他の領地の方が良いと思える感覚は自分たちが一番だと思っている誇り高い鴉天狗としては稀なのである。
天狗の世界では名家として知られる射命丸家。その家名に相応しく大きな屋敷を構えており、屋敷の中にはお寺も建っている。これは射命丸家の当主が鴉でありながら準僧正の位を持ち出家している為である。
鴉天狗の中で名家と呼ばれる家の当主はほとんどが修験者として修業し僧として出家しており、そうした鴉天狗は大鴉天狗と呼ばれ他の鴉よりも位が高い。その大鴉天狗の子弟等は在家のままで昔の様に山間修業はせず、親の優れた神通力を受け継いでその高い能力で僧兵として主に軍事に従事している。僧兵とは厳密には僧侶ではなく、寺院を守る為に雇われた軍人の事である。現代において寺社仏閣は武装しないが、昔は武装するのが当たり前だった。
過去の功績で射命丸家だけが特別に一族全て大鴉天狗の位が授けられており、分家筋である文もそれに漏れず他の鴉よりも格が一つ上だが、女性という事で世間的には格下扱いされる。そうした微妙な立場でありながら家の名前を利用して本来なら就けない職業に就いてしまったために、世間の風当たりは強く天狗の社会ではうだつが上がらない落ちこぼれとなったのだ。
そんな文は現在、親戚に気を遣ってか屋敷から出て独立し、駒である椛と二人暮らしをしている。
大天狗鞍馬山領は妖怪の山の東にあって、山頂付近の湖から流れ落ちる川が深い谷を形成しその谷を挟んで南西に愛宕山領、そしてその反対側に比良山次郎坊の領地がある。
東を向いたなだらかな斜面が領地の主で、大天狗の領地の中では最も住み良い場所であるが、山間修業には適さない。
領地の東端に紅魔館があり、幻想郷が隔離され今の形になった500年前に起こった吸血鬼戦争においては、当時存在した紅魔城の巨大な城塞都市の城壁が鞍馬山領内に深く浸透し、必然的にここが最前線となって、正式に吸血鬼戦争として始まった大戦前から小競り合いが絶えなかった場所だったのである。
今現在では麓に見える紅魔館が、吸血鬼戦争における唯一の名残として存在するが、天狗、特に鞍馬山領の天狗達はその小さな名残ですら忌々しく見えるのである。。
なだらかな山の斜面の森の一部を切り拓き、階段の様に段階的に平らな土地を造って小さな里を形成する鞍馬山領。大戦でたくさんの僧侶、僧兵を失い、他の大天狗の勢力に比べて、半減どこから三分の一以下に人口を減らしているが、平和的な妖怪の移住を認め、河川が領内にあることから河童の自治区として領地を分け与えている。東から来る新しい技術がそうした河童を経由して領内に入る為、他の領地に比べて技術力が高い。
文が使っているカメラも河童との交流を積極的に行っている事もあって幻想郷全体で見ても最も高度なものになっており、記事の文面はともかく記事に載る写真の美しさはナンバーワンの誉れ高い。そして、そうした事が余計に文と他の文屋との間の溝を大きくする結果となっているのだ。
射命丸文は川上の河童の自治区の近くに自宅があるが、事務所は里の印刷団地に構えている。現在文は中央の目の届く事務所の方で謹慎しており、部下の駒天狗、犬走椛は姫海棠はたてをそちらへと案内していた。
「流石に鴉は少ないわねー。」
大戦で激減した僧兵、つまり鴉天狗の補充は簡単に出来るものではない。同じく大戦を乗り越えた比良山だが、こちらは鞍馬山よりは被害が少なく領地が狭い事もあって鴉達の人口密度の差がはたての目からも顕著に見えた。
友好的な種族、特に河童がよく目につき、烏つまり人間も多い。天狗が密集して暮らす比良山領からほとんど出た事がないはたてとしては、広々とした土地で悠々と暮らす天狗達がとても羨ましく、別世界の不思議な光景に見えた。
文の事務所は印刷機の音が鳴り止まない大きな建物の一区画にあり、他のクロワン記者もその中に事務所を開設している。
新聞は寸法など仕様が決められており、基本的にページは見開き4頁か裏表2頁、片面1頁の何れかで色は墨一色である。
資金力が無い者や個人の発行部数の少ない自費出版物は原版になる台紙に手書きで記事を書き込み、写真等を貼って版下を作り、それをそのまま撮影して印刷用の刷版を作るが、事務所を開設しているクロワン記者は、文字数と段組が決められた新聞の仕様に則り、手書きの原稿や必要な写真を写植製版行程に回して綺麗な版下を作り、それを印刷工程に回す。新聞は出回るまでにそうしたいくつかの行程を経るので、印刷に関係する業者等は作業効率を良くする為に一箇所にまとまって印刷団地を形成するのである。
鞍馬山領では、文屋の数に反比例するように印刷設備が充実しており、他の領地の文屋の仕事も多く請け負っており、印刷団地は常にフル稼動なのである。
印刷所などの重要施設は結界がはられているので空から直接侵入は出来ない。文のいるクロワン事務所の集合棟、通称『クロ巣』の建物もこの印刷団地内にあるので、必ず敷地の門から入る事になる。
敷地に入る為には門の警備小屋の前を通らなければならず、そこに入って通行許可を得ようと椛が挨拶をした時、警備員の一人が白一本線が入った黒い腕章を付けたはたてに気付いて研修生と知り、珍しそうに声を掛けてきた。
「こんにちわー。」
「ああ、椛か・・・おや?そっちは研修生か?今時珍しい・・・どこの者だい?」
「比良山領の者です。あ、私、姫海棠はたてって言います!以後お見知りおきを!」
挨拶をして手作りの名刺を渡すはたて。
「晴れてクロワンになった曉には内の工場を是非使ってくれ。」
「はい!超ガンバリます!」
門の警備員は鴉天狗ではなくただの烏である。本来なら鴉天狗がなるべき職だが、鞍馬山領では鴉不足で各職業の重要ポストに充分な鴉がまわせないのが現状だった。
その身分が下の烏である警備員兼受付に身分が上である鴉天狗のはたては綺麗な言葉遣いではないが普通に挨拶をして受け答えをしている。鴉達に使役される駒の椛にも特に命令口調にならず気さくなはたてであるが、これは鴉天狗としてはかなりめずらしい性質である。
年中フル稼動している複数の印刷機から出る独特な騒音が工場に鳴り響いている。
昼間はほとんどの記者が出払っているため、『クロ巣』に人の気配はない。誰かいたとしても徹夜明けで寝ている者しかいないだろう。
工場の騒音を遮断する特殊は防音障壁のお陰で『クロ巣』は恐ろしいほど静かである。静か過ぎて気持ち悪いので各自音楽をかけるなどして思い思いに職場環境を構築していた。
そんな中、文は誰もいない自分の事務所で一人反省文を書いている。いつもの事なのでスラスラと心にもない綺麗言が自分でも感心するほど次から次へと頭の中に湧いて出て流れるようにペンが踊る。他の記事もこうだといいのだが、思いつかないとつい脚色を加えていって客観性に乏しい記事になってしまうのだ。
新聞は出来たら直ぐに印刷してもらえるわけではなく、予め発行予定日を決めて工場の方に少なくとも一週間前に印刷の予約を入れ、印刷機を空けてもらわなければならない。
新聞報道の先駆けとして射命丸家を要した鞍馬山領は、印刷技術、工場の規模においても妖怪の山でトップである。他の領には自前の印刷機がないところもあり、その為鞍馬領印刷所は常に仕事でスケジュールが一杯なのである。自領の者なら一週間から十日、他領の者なら2週間以上前から予約を入れないと印刷しようにもすぐには出来ないのである。
新聞に不適切な事が書かれていないか『クロワン』を統括する編集局長に版下を一度チェックされ、そこから手直しなどをする時間も含めると、ある程度スケジュール通りに記事を書かなければ予約の時間をオーバーしてしまう。印刷代金は公営なので事務所が払う必要はないが、出稿が遅れれば罰金、キャンセルでも罰金になるので必然的に締切厳守となる。
その為、記事を書いてから印刷依頼ではなく、発行日を決めて印刷を依頼してから企画や取材が始まるというのが一般的な新聞作りのやりかたになっているのである。
時にはスペースが埋まらない時もあり、更に編集局長のチェックで一部の記事がボツになる事もあり、その穴埋めとして姫海棠はたての能力が有効で、業界における代打要員として比良山領のみならず他領でもそこそこ仕事の依頼があり、業界でも顔は広い方である。
こうした印刷業界の事情があるために、外部ライターを雇っていない文は必然的に締切に追われる日々を送る事になり、切羽詰って記事の内容が一部事実と異なる想像や願望が挟み込まれてしまうのである。
創造力、というより妄想力といったほうが適切だろうか?仲間から小説でも書けと笑われる文だが、事実ではない空想を書く小説は、『小者が書く仮説』というのが本来の意味で、小説家などは物書きとしては最低の位置付けにあるというのが天狗の世界の一般的な認識である。
まだ現像していないフィルムを洗濯ばさみにはさんで紐に幾重にも吊し、お気に入りの未公開の写真の何枚かを壁に貼っており、文の事務所は文屋の部屋というより写手の部屋といった様相である。
部屋の角に集中して記事を書く為にと周囲を衝立で囲って外から見えない様にしているが、そこから出ると事務所の真ん中に新聞の原稿を作る大きな作業テーブルがあって、入り口前にも衝立を置いてその作業が入り口から見えないようにしている。
他の事務所の場合、クロワンが編集長としてその下に数名人を雇って事務所を動かしている。その為、複数の記者や写手と打ち合わせをするスペースと、作業をするスペース、クロワン編集長のスペースと大部屋を間仕切りしているが、文は椛と2人で作業をするので、打ち合わせ場所は無く、自分のブースと作業場と現像室しかない。現像室は協同で使える暗室が他に数部屋あったが、いやがらせを何度も受けて文は自分の事務所の中に自腹で暗室を作ったのである。
机の上にはたった今書き終えた完璧な小説、いや反省文の束が無造作に置かれ、書いた本人は椅子の背もたれによりかかって両手を頭の後ろにまわし、万年筆を鼻の下にはさんで口を尖らせながら天井をぼーっと眺めている。
最近幻想郷が何やらきな臭く、何か異変が起こる気配を感じていたが、その調査をしようとした矢先に査問会召集である。以前は新聞を発行した後に、その記事の内容について真偽を確かめる為に呼び出されていたが、今回は新聞発行とは関係なく、累積警告の様な感じで特にこれといった理由はなく反省文と業務停止だけであった。
「なーんか、いつもと違うのよねー・・・。」
この時何となく作為的なものを漠然と感じている文。その文の勘の良さと行動力とその速さを警戒した八雲紫の判断は正しいといえるが、流石の文もこの時自分を訪ねるある意外な人物の存在を予測することは不可能だった。
白玉楼で魂魄妖夢に追い払われ退散したその晩、上白沢慧音の思惑を知り、親友を救うべく異変の傍観者から首謀者へと劇的な変化を遂げた藤原妹紅はその翌朝、異変の主導権を握るその手始めとして紅魔館を訪れていた。
それと同じ時間、賓客である藤原妹紅を追い払うなど度重なる不始末の責任と力不足を痛感した魂魄妖夢は、白玉楼を出奔し、その後死神小野塚小町の一宿一飯の恩に預かり、更に閻魔四季映姫の訪問を受けていた。
その藤原妹紅と魂魄妖夢の二人が再会したのはその日の夜の事である。
魂魄妖夢を得た事で妹紅の完全勝利が確定した運命のその日、異変のもう一人の首謀者とも言える完全敗者たる八雲紫は、この時点ではまだ自らの勝利を疑う事無く関係各位の根回しの為に行動し、八雲藍を守矢神社に派遣する一方で、自らは大天狗の一人比良山二郎坊の元を訪ねていた。
「お久しぶりですな、紫殿。」
「大戦以来・・・でしょうか?500年前と変わらず何よりでございます。」
大天狗比良山次郎坊は吸血鬼戦争において鞍馬山僧正坊と共に開戦時から参加し、幻想郷連合軍の主力の一翼を担った盟友で、戦後処理では吸血鬼廃絶を謳う八雲紫に同調し、魅魔に傾く天狗側の世論に最後まで抵抗した人物である。
激戦区にあって勢力を著しく低下させた、魅魔とは旧知でその正論演説に異を唱える事が出来なかった旧友の鞍馬山僧正坊に同情して、代わりに吸血鬼許すまじと大声を上げた義理と人情の人物である。今回の異変は、彼の注文でもあり、妖怪の山の未来の為に捨て駒になろうとする戦友を思って、八雲紫に相談の書状を送っており、それが今回の異変を大規模なものにする要因となったのである。
「直接お出で頂くとは思ってもみなかった。もてなしも出来ず面目ない。」
僧侶である大天狗とその弟子達の生活は、その下にいる鴉天狗らよりも質素で、大天狗にもかかわらず板張りの広いお堂の一区画に畳が敷かれ、そこにご本尊の様に鎮座するだけである。予め連絡しておけば紫の為に場を整えて準備していたのだが、急な来訪に対応できず次郎坊は謝罪の言葉しかなった。
「それには及びません。今回出向いたのは比良山様のお力をお借りしたく参上した次第ですので・・・。」
本来客として扱われる立場になるが、頼み事に来た自分が頭を下げる方だと謙遜する紫。大天狗は単に強い存在ではなく、菩薩と同等であるため、紫と言えど冗談など軽口は叩けない。
「ほう?私に何をしろと?」
お茶を持ってきた部下を尻目に、興味深そうに顎に手をあてる比良山次郎坊。
紫はお茶を出した者に深くお辞儀をするが、ここは高位の僧しか入れない特別な場所で、つまり彼は茶坊主などではなく高僧の一人というわけである。
「幻想郷全体を震撼させる異変の段取りは出来ましたが、その前に呼び水となる小さな異変を起こそうと思いまして、それに必要な人材お貸し願おうと参上した次第です。」
「ふむ?」
比良山は、自分が直接何かをするものと勘ぐっていたため、紫の申し出に対して少し期待はずれといった残念そうな表情をする。
天狗には良い噂と悪い噂があるが、その悪い噂の元になって世間に知れ渡ったのが、この比良山次郎坊で、俗世に干渉するにあたり、試練と称して火事など主に人々に被害が出る方向からアプローチしていたのである。
それに怒った人間の僧侶達が、彼の住む比叡山に攻め入って来たので潮時と引き下がって比良山に移住し、現在の比良山次郎坊になったというわけである。
次郎坊は常に騒動の最前線に身を置きたい性格なため、八雲紫の頼みとやらで自分も公然と動ける口実が出来ると思っていただけに落胆も大きい。
「して、その必要な人材とはどんなものだ?」
気を取り直して次郎坊は問う。
「文屋です。」
「文屋とな?」
比良山はそう聞き直した後、お茶を出してそのまま立ち去ろうとする弟子の高僧を呼び止める。そして情報部門を統括する長を呼んでくるように告げた。
「全体を統括はしているが、細かいところは全てその部署の長達に任せているよって、今、分かるものを連れてこさせる。しばし待たれよ。」
「恐れ入ります。」
八雲紫はかしこまってお辞儀をした。
ほぼ同時刻に八雲藍が守矢神社を訪れているが、八雲紫にとっては守矢よりも比良山の方がはるかに格上と捉えており、物の順番からして藍をこちらに派遣する事は出来なかった。
時間をずらして、それぞれを直接尋ねるのが筋というものだが、この時紫は藍に守矢神社への交渉を一任していた。これは守矢軽視と言える行為だが、こちらの出した条件をそのまま鵜呑みにしないだろうと予測しており、藍では手に負えない案件を後日自分が直接出向いて解決するという段取りが紫の頭にあった。しかし、守矢神社にも思惑が存在し、その計略の一環として紫の申し出を丸々了承して契約が成立してしまっており紫はそれを知らない。
現時点で守矢との交渉が上手く行った事を知らない紫は、ある意味ここが勝負の分かれ目だったと後日後悔することとなる。
数分後、情報部門を統括する局長を務める高僧の弟子が本堂に現れ、正対する比良山次郎坊と八雲紫の横に座り、それぞれが三角に向かい合う。
紫は必要な能力をピックアップした書類を予め用意していたので、それを局長に渡し精査してもらう。
一通り書面に目を通した局長は口を開き、その答えに紫は落胆した。
「文屋連中は、御上の命令で動くような輩ではありません。情報操作、しかも東部の企みに荷担する者はいないでしょうな。」
「わしの命でもか?」
「彼らは自らの仕事に誇りと文字通り命を賭けている者ばかりです。鴉天狗でありながら連中の玄人根性は他の職種の者とは明らかに異質なのです。」
大天狗がそれぞれに治める領地は、基本的に領地間の交流は全く無く、情報の伝達はそれぞれの領内の報道機関が独自に情報を収集して独自に報道している状況である。
情報部門には、外部から入る情報を精査する内部機関と他の領地の情報を集める外部機関に別れており、この外部機関が新聞報道の花形機関となっている。
新聞報道は誰もが自由に出来る事ではなく、報道事務所を開設して新聞を発行出来る権限を持っていなければならず、厳しい下積みと審査を経てようやく就ける職なのである。
新聞発行権を持つ者の証である黒い腕章、通称『クロワン』は、唯一他の領地に自由に入れる通行手形になっており、この権限によって他の領地の事件や話題を収集して報道する事が出来るというわけである。
大きな権限と自領の看板を背負う責任が課せられる職業柄か、『クロワン』持ちは皆この職に命を賭けており、八雲紫が求めるような言われた通りに動く人材はどこにもいないという事である。
鞍馬山領の射命丸文は家名で『クロワン』を得た様なもので、その為自力でこの職に就いた同業者からの風当たりが強く、更に天狗の世界ではそれだけで自動的に身分が低く扱われる女天狗であることから自領のみならず他の領地の報道機関からも爪弾きにされてしまっているだ。
八雲紫が求める人材に、その射命丸文が適任にも思われるが、彼女もまた報道に携わる者の誇りが強く、権力側に荷担して体制に都合の良い記事を捏造するのに抵抗を覚えるだろう。素で捏造記事を書くのに、命じられた通りに嘘を書くのは嫌なのだ。それに、文の性格からして言われた事だけやるようなタイプではなく、余計な事まで書いてしまうかもしれない。
更に文の発行する『文々。新聞』は、別名『嘘八百新聞』と呼ばれる程に信憑性がゼロの新聞で、ここに載る記事は全て事実を基にした文の創作という認識が既に幻想郷全体に知れ渡っており、情報による世論操作をしたい紫としては、誰にも相手にされない文の新聞は全く使い物にならないというわけである。
紫としては、信用出来る新聞でなければ世論操作にならないだろうと考えており、他の新聞に該当するものがなければ創刊させようという目論見だった。
「東部の事ならクロワン組ではなく、その下の者にやらせればいいのではないか?」
部下よりも融通が効く騒ぎが大好きな上司にあたる比良山次郎坊がそうアドバイスをする。
「東部と言えど新聞の発行権が無ければ新聞は刷れませぬ。不正の無いように日々努めよと言っている私の口からは何も言えませぬ・・・。」
渋る情報局長。これはもっともである。記事を作るのは文屋の仕事だが、それを刷って形にするのは印刷部門で、更に編集局長の直属である品質管理部門が厳しく検閲するのだ。新聞はいくつもの部署を通過するのでお目こぼしは出来ないし、これをやると新聞報道における信用性の根本がひっくり返ってしまう。
ちなみに、文の新聞は検閲によく引っかかり、そこで査問にかけられるのだ。
「では、然るべき者にクロワンの資格を与えればいい。」
「・・・確かにそうですが・・・うーむ。」
比良山の言は最もで考え込む局長。
「準資格者に心当たりはありませんか?」
このやり取りに対して紫がここで初めて口を開く。
「希望者は大勢おりますが、その能力に見合う者がいるかというと・・・。」
今現在、各部署の組織はほぼ固定化して新たな部署の新設や統廃合はされておらず、数百年も変わらない体制が続いているのが妖怪の山の現状である。
吸血鬼戦争の様な悲劇的な大戦は、損失も多いが様々な需要を生み出して活気が出るという副産物も出る。しかし、長い平和の日々は組織の緊張感を失い開拓心や向上心が失われるものである。そして今の自分の地位を守ろうと上を目指す者の頭を抑え、出る杭を打つという悪循環が生じるのだ。
文屋の業界は実力がものをいう世界で、野心的な者は既に目的を成就しているのが現状で、残った下の者からの突き上げが少ないため緊張感に欠けており、底辺の人材も出る杭は打たれないように今の生活を守るために息を潜めているのだ。
「射命丸家の小娘がなれるのだから何とでもなるじゃろう?」
文の名前は色々な意味で有名で、そもそも文を査問にかけて身動き出来ないように比良山に仕向けたのが紫で、比良山もその時文の名前を聞いてその存在を覚えていた。
「あれは、まー特殊な事例でして・・・。」
3人は一様に考え込み始める。これでは埒があかないので紫が情報を求める為に口を開く。
「黒腕章・・・クロワン持ちの女天狗(めてんぐ)は、現在射命丸文だけなのですね?」
「はい。業務の末端には女天狗が何人かおりますし、写植版下行程には多数おります。しかし、クロワン持ちは彼女だけです。」
制作行程は繊細な仕事で、女性が適している。
「よろしければ、候補者に成り得る人材の資料を見せてもらえないでしょうか?」
この申し出は内政干渉の様なもので無礼にあたるが敢えて紫は頼んでみる。驚いて顔を見合わせた比良山次郎坊と局長だが、頷いた上司の態度を受けて懐から何も描かれていない白紙を取り出すと、局長はその紙に手を置いて必要な情報をそこに映し出す。これは妹紅などが使う術と似ており、局長もまた高い能力を持った術者である事が理解できた。
実際問題として大天狗の下に連なる弟子は皆高僧で、高い神通力を持っている。そうした者達が各部署の長を努めて里の運営に当たるのである。
頭の中に記録している膨大な情報から必要な情報抜き出して紙媒体として形に表してみせた局長からその資料を受け取った紫は、クロワンを目指していると思しき候補数名の履歴を確認する。
「一人、女天狗がいますね?」
履歴書の中に女性を発見した紫。
「はい、姫海棠はたて、フリーの写手(カメラマン)です。」
「念写が使えるのね。」
「彼女の念写は記録情報の検索能力で、主に古い記事からの引用作業に駆り出される人材ですね。印刷の版はすぐに破棄されますが、一度閲覧している情報なら彼女の力で探しあてる事が出来ます。資料整理にはうってつけな人材です。」
ここで名案が浮かぶ紫。
「この女天狗を女性クロワン2号としてみるのはどうでしょう?」
「能力的に見てまだまだと・・・。」
「この際能力は関係なかろう?」
ここで比良山が紫の思惑を理解して同調する。
「比良山様と私が今この場で会見している理由が何であるか、局長殿はご存知かしら?」
「いえ、存じ上げませぬが・・・ふむ、なるほど・・・そういうことですか。」
理由は理解出来ないが、何か事を起こそうと2人が画策していることは理解出来る局長は、懐疑的だった表情から理解を示す表情に変わる。ここは彼らの望む答えを導き出せば良いのだ。
「射命丸文に次いで、女クロワンが誕生するというのは、中々にして面白い事でしょう?良い面も悪い面も含めて・・・。ただ、いきなりクロワン昇格は確かにやり過ぎですわよね?」
挑発するような怪しい表情で局長を刺激して、名案を引き出そうとする紫。一瞬目が合った局長は目を閉じて考え込む。
この2人が何かをしようとしていることは理解出来る。しかし、具体的に何をするかは教えないだろう。自分はその状況で何を提示すればよいのだろうか?
「彼女をクロワンに昇格させなくても新聞の発行が出来る方法が一応あります。」
「それは?」
「昇格試験を兼ねた研修をさせればいいのです。研修中は新聞の発行が公式に認められます故・・・ただ。」
「何れにしてもその理由付けが必要か・・・。」
比良山が難しい顔をする。
「そこで多少強引ではありますが、射命丸文をダシに使おうかと思います。」
「ほう?それで具体的にどうする?」
「問題の多い射命丸文は、女性唯一の記者という肩書きを持っております。この肩書きから『唯一』が取れるだけで、気分を良くする者は大勢おるでしょう。対抗馬と言いますか、比良山領からそれが出るというのなら世間的にも『有り』と見るのではないでしょうか?」
鞍馬山とは常に好敵手で旋風の比良山次郎坊ならやりかねない、他の奴ならともかく比良山がやるなら仕方がないだろうという世論の見方を考慮した部下の言葉に、思わず大笑いをする上司の次郎坊。確かにこんな馬鹿な対抗心は他の大天狗はやらないだろう。
文は現在、唯一人の女性記者という肩書きがある。彼女を良く思わない、つまり報道関係者全員がこのご大層な肩書きを良く思っていないわけで、天狗の社会では上下関係や役職などの肩書きが重要視される傾向になるので、尚更『気にくわない』のである。
仮に姫海棠はたてがクロワンを得て女性2番目の記者となれば、射命丸文から唯一人の女性記者という肩書きが無くなるというわけで、これによって実質何か得る物があるというわけではないが、気分を良くする者は大勢いるだろう。
はたてがいきなりクロワンを得るというのは同業や同胞からも問題視される可能性が高いが、それ以上に問題視されている異端の射命丸文の肩書きを減らせると言うのなら、むしろ姫海棠はたてを応援する輩も出て来るだろう。そして、この事が報道業界に活気を生み出す起爆剤とすれば、文の所属する鞍馬山側には申し訳ないが、比良山側にしてみれば何も失うものはなく、正に一石二鳥である。
「局長様、彼女をしばらく私に貸して頂けないでしょうか?」
紫の申し出を受けて、局長は上司を見る。それを受けて比良山次郎坊は面白そうに大きく頷き許可を与えた。
姫海棠はたてを呼ぶために一時席を立った局長は、半時経って一人の少女を伴って再び2人の前に現れた。
ここは、比良山次郎坊本人を本尊と祀るお寺の本堂。重役幹部しか入れない神聖な場所である。そこに連れてこられた家柄も何もない鴉女天狗は緊張と言うより恐怖心を隠せずに膝や顎がガタガタと震えていた。
「姫海棠はたてだな?」
「は、ハイ!」
畏れのあまり名を呼ばれた瞬間にその場に土下座するはたて。
八雲紫はその様子に思わずクスリとしてしまう。服装全体は射命丸文と似た感じで、紫色がワンポイントになっている。自分のトレードマークとも言える紫色がお気に入りのようで、少し良い印象を覚える八雲紫。
連れてきた局長はそんなはたてを見かねて背中に手を回して軽く叩いて気を入れる。緊張と恐怖で呼吸が上手くできなかったはたては、身体から力が抜けてほっとしてリラックスする。
「そなたに重要な任務を与える。ここにいる八雲紫殿にお前の身柄を一時預ける。彼女の命に従い行動せよ。」
「え?」
顔を上げたはたては、正対する大天狗様と自分を真横から見る様に座っている美しい金髪の女性の存在に気付く。微笑んで会釈するその女性をポカンと口を開けて見つめるはたて。局長に促されて比良山次郎坊に向き直って、ははーっとひれ伏して命令を受領する。
局長に連れて来られる間に粗方の事情を聞いていたのだろう、大天狗比良山次郎坊から辞令を受けて正式に任務についた姫海棠はたては、別室に案内されて紫と二人だけになってようやく素顔に戻って明らかに不満そうな表情に変わる。
大天狗やその弟子の高僧達はともかく、鴉天狗は天狗以外の者を下に見る傾向が強く、外から見ると文字通り天狗になっている様に見える。はたては鴉でも珍しくお高くとまらない質だが、どこの誰ともわからない紫に対しては、流石に愛想を良くする筋合いは無いと判断し、あからさまに態度を変える。
八雲紫は鴉天狗の習性を知っていたのではたての態度も特に気にならず、教育的指導をする気も無かったが、はたての最初に出した言葉でその考えが一瞬で変わった。
「ねぇ、おばさん?私ってば何すればいいわけ?」
紫も大天狗の前で猫を被っていた事もあり、はたての目からは優しそうなおばさんに見えたのだろう。それをそのまま直に口にしてしまったはたてはすぐに地獄を見る事になった。
突然目の前の優しそうなおばさんの雰囲気が変わり、そのやばそうな雰囲気から『おばさん』というキーワードが禁句だと理解したはたてはすぐに謝ろうとしたが、その時下腹がシクシクと不快感を訴えている事に気付き、口を開く前に酷い悪寒に襲われていた。自分の身に何かが起こっている。直接的な痛みがあるわけではないのだが、腹の中で何かが蠢いていると感じ、これは生命に関わる重大な危機だと直感する。
立っていられなくなったはたてはその場でうずくまって悶絶し、冷酷な表情で見下ろす紫を見上げる。見ると片方の手が裂けた空間の中に入っており、それが少しずつ外に出るのが見え、やがて完全にその手が外に出るとはたてはそこで信じられない物を見る。何かの内蔵、恐らく腸を掴んでおり、裂けた空間から引きずり出そうとしているのだ。そして、それが自分の腸だと直ぐに気付いた。
「丈夫な鴉天狗も、内臓は鍛えられないわよねぇ~。」
引きずり出したまだ生きている新鮮な腸を口元に引っ張り美味しそうにそれを見つめる紫。
「謝るなら今のうちよ?」
謝ろうにも声が出せないはたて。それを見てクスっと笑い、名残惜しそうにはたての腸を一舐めして手から離す。内蔵は有るべき場所に戻ろうと勝手にスキマの向こうに引き込まれていった。
術が解かれ身体の自由が戻ったはたては、ゼンマイを巻いたばかりのおもちゃの様に俊敏に動いて紫の足元に小さくなって土下座する。
上下関係を強く意識する鴉天狗の世界では、目上に対する無礼は今後の人生に大きく影響を及ぼす一大事で、謝る際は盛大に土下座をしてみせる事が礼儀作法になっている。
幻想郷の実質の支配者である八雲紫という存在すら全く知らなかったはたてとしては、別に悪気があっておばさんと言ったわけではなく、お姉さんではちょっとアレだと思って軽い気持ちで口にした言葉だった。まさかこんな目に遭うとは思わず、降参して完全従順を決める。
「あのー?えーと?何とお名前をお呼びすれば良いのでありますでか?いや、でしょうか?」
身分も低く育ちも良くないはたては、普段から口が綺麗ではなく、しかも位の高い者と接した事がほとんどないので敬語で話す事に慣れておらず、紫に対して服従する態度を示すもののどんな風に喋ってよいのかわからない。
「私の名前は聞いたでしょ?」
「八雲紫様?でしたっけ?んじゃ、えーと、八雲様?それとも紫様?」
句読点の様に疑問系を使う独特のしゃべり方。都会に憧れる田舎娘が時代遅れの流行に染まったままという痛々しさと無邪気さが感じられる。早口で雑なしゃべり方は学が無い事を暗に示しているが、酷い目に遭った後も卑屈になったり、露骨なゴマすりを使わない態度は好感が持てると思う紫。
「好きに呼んで頂戴。」
「じゃーぁー・・・、そうだ!ゆかりんなんてのはどうです?」
「はぁ?何でそうなるのよ?」
「だってぇー?その方が可愛いじゃん?」
ゆうかりんと呼ばれて満更でもない顔をしている幽香を馬鹿にしつつ内心羨ましいと思っている紫。思いがけず『ゆかりん』と呼ばれて鼻の穴が膨らみそうになったが、表情は冷静に保ち言い方を改めさせる。結局「紫さん」という何の変哲もない呼び方に決まり、少し残念に思う紫だった。
局長から頂いた縁に白い一本の線がある黒い腕章を左の細い腕に付けるはたては、感動と戸惑いが混ざり合った複雑な表情をしている。
お気楽なこれまでの仕事も悪くは無かったが、世間の噂を鵜呑みにして馬鹿にしていた射命丸文の『文々。新聞』の躍動感のある記事に一目惚れして、密かに購読していつかはこんな記事を自分も書きたいと思っていたはたてである。
大天狗様と八雲紫らの陰謀に巻き込まれて思わぬ出世話が舞い込んだわけだが、身分や実力を考えると一生かかってもなれる可能性がない文屋になれるチャンスは今だけである。これを逃したら恐らく二度とチャンスは来ないだろう。
身分相応の職に就く辛さは、文を見ていればわかるが、もしかしたらこの期に親密になれるかもしれない。隠れ文ファンであるはたてとしては、2重の意味でチャンスなのだ。
はたては紫との打ち合わせの席で、真剣な表情でその話を聞き、自分のすべきことを頭に入れるようと試みるが、話が思ったよりも多く記憶の整理がつかない。そこでメモを取ろうとあまり使っていない自作のメモ帳を取り出したが、予め段取りを書いた虎の巻を紫から貰う。
「私が今言った事は全てここに書かれているわ。記者の端くれならこれくらい直ぐに暗記できるでしょう?」
「こう見えても暗記は得意です。」
こう見えてもと言う事は、自分でも端から見て頭が悪そうに見えると自覚でもしているのだろうか?確かにチャラチャラして暗記などが最も苦手そうに見える。紫は記憶の中のはたての履歴書から業務内容を思い出して、確かに記憶力が重要な職だと理解出来た。
「今から文に会ってもらうけど、ここまで今日中に済ませて頂戴。」
「わかりました!ようするにすぐ行動しろってことですね?」
「そう、ここまでしっかりやってね。」
綿密なスケジュールが記されている虎の巻の羅列を指でなぞって示す紫。素直にハイハイと聞くはたては、話が終わると直ぐに取材という名の作戦を開始した。先ずは査問中で自宅謹慎中の射命丸文を訪ねる事である。
今現在の自分の身分は、新聞発行権を持つクロワン記者となる為の研修生で、事務所を開設する資格はないが取材の為の自由な行動が約束されている状況である。
試験はクロワンと同じ立場で取材をし、それを新聞として発行、その評判で結果を決めるというものであり、新聞の内容に関しては自由に決められる。はたては八雲紫の指示で唯一人の女性記者、射命丸文の特集記事を書くフリをする様に命じられていたが、例えフリでも日頃から文にお近づきになりたいはたてとしては、願ったり叶ったりだった。
「はてさて、ゆかさんの虎の巻によると、比良山領を出ると先ず犬走椛が接触してくるとあるけど・・・あっ!」
文と行動を共にする駒天狗の犬走椛ははたてもよく知っている。主人とは正反対で礼儀正しく自分も駒に欲しいとすら思ってしまういい子である。果たして紫の予想通り彼女が来るだろうかと疑問に思う間も無く虎の巻通りの展開にはたても思わず驚いてしまうはたてだった。
紫の指示通り行動を開始した仮の黒い腕章、『カリワン』を付けた姫海棠はたては比良山領から隣接する鞍馬山領に真っ直ぐ飛ぶ。そして紫の予想通り犬走椛が急接近して行く手を遮った。
「姫海棠はたて様ですね?ここからは鞍馬山領になります。すぐに引き返してください。」
藍を検問した時は行き先を聞いたが、他領地の鴉天狗は即刻追い返すのが規則である。
面識があるものの仕事中なので厳しく検問する椛に、はたては一瞬戸惑ったものの、今は伝家の宝刀がこちらにあることを思い出す。
「ねぇ椛ぃ?これが目に入らないのぉ~?」
「あ、それは・・・仮免許!もしかしてもうすぐ記者になれるのですか?文様も喜びますよ!」
検問する必要がない相手と知って素に戻って嬉しそうにはたての出世を喜ぶ椛。
「な、何で文が喜ぶのよ。」
「文様は口ではあー言ってますけど、はたて様の事をすごく気にかけてるんですよ。」
「へ?へぇ~、そ、そうなんだぁ・・・。」
意外な事実に嬉しいような困ったようなリアクションをするはたて。そんなはたての微妙な立場を知らず嬉しそうにニコニコする椛。身体も小さく可愛らしい声の見た目すごく弱そうな椛だが、種族的に駒最強クラスの白狼であり、この近辺ではナンバーワンの実力と検問実績を持つ。
出来の悪い主人を持つ優秀な椛を多くの者が同情して、主を替えるよう助言するが、実は一番辛いのは優秀な部下を持つ主の文であり、はたては彼女の方にこそ同情する。
姫海棠はたては貧しく身分の低い家の出で、自分以外の家族全員が鴉ではなく烏で、家は鴉社会では最下級に位置していた。
家族の中で唯一鴉として亡き父の血を引いたはたてだが、鴉天狗として目を見張るような能力を持たず、自分の能力を生かせる報道の仕事に携わる以外に食う道はなかった。事務所を開けるクロワンにでもならなければ、この職種は大変な割に実入りが少ない不人気な職で、腹を貸して見事に鴉天狗を生んで、その母となって良い生活にありつけた姉や妹の禄で家族は生計を立てており、鴉天狗として生まれたはたてではあったがフリーである為収入が安定せず、家族を養う事が出来きず肩身が狭かった。
烏として生まれた女性は、鴉天狗を生むために他の鴉の家に嫁ぐわけだが、そこで鴉天狗を生めば褒賞が与えられ、生んだ子どもにも面倒を見て貰えるので生活に困る事はない。身分も烏から鴉に格上げされる。ただし、身分上は鴉になっても中身は所詮烏、つまり人間であるため、寿命が短く50年も生きられない。その為はたての家族は既に全員寿命で亡くなっているのである。
既に他界している姉や妹は母親として立派に務めを果たした。鴉天狗として生まれる事はできなかったが優秀な鴉天狗を生んだ姉妹。そして優秀な弟達が出来て親戚が増えてしまい、否応なしに彼らと比較されるはたて。優秀な身内を持つ身の辛さは、はたても身を以て知っており、椛の存在に苦悩する文の心情も充分理解出来る事だった。
真の目的を知らず、文の特集記事を書くと知った椛は、主の悪い噂をぬぐい去れる絶好の機会と思い大喜びして、謹慎中の文の家への案内役を快く引き受けてくれた。
ここまで紫の思惑通りである。このままトントン拍子に行けば良いが、虎の巻によると別の検問を受けると予言のように書かれている。はたてはその時の対処法を思い出し心の準備をした。
椛に先導され鞍馬山領に入ったはたては、近付いて来てはすぐに離れていく他の駒天狗を見ながら、やがて里の結界に差し掛かる。
切り立った岩肌に石と木で出来た天然の要塞があり、まるで戦中の最前線基地といった様相である。吸血鬼戦争における最も熾烈な防衛戦が行われた場所の一つと聞いている。
大きな木製の朱色の門があり、ここが鞍馬山領の里の入り口である。資料にある写真や図解を見た事はあるが実際にこの目で見るのは初めてである。その巨大さに圧倒される。
「止まれ!誰だこいつは?」
駒天狗ではなくそれより格上の鴉天狗が多数この山門要塞に衛兵として警備にあたっており、椛と見慣れない女天狗を確認してすぐに数人が接近してはたて等を引き留める。椛はおとなしく止まってはたてにここは任せるように小声で助言して近付いてくる衛兵を待つ。
「椛か、見慣れない顔だが、こいつは誰だ?」
「比良山領の鴉天狗姫海棠はたて様です。クロワン取得の為の研修中で、こちらに取材したいとの事でお連れしました。」
「姫海棠?聞いた事ないな。研修ならうちじゃなくてもいいだろう?他をあたってくれ。どこの馬の骨ともとれぬ輩を通すわけにはいかない。」
正規のクロワン持ちは、他領はおろか自領も悠然と飛び回れる為、門番などから見れば煙たい存在で取り合いたくもないのに、研修生でしかも女天狗ならなおさらである。
「そ、そんな・・・。」
がっかりする椛。
「そうだな、椛が主を替えて俺の家に来るなら考えてやらなくもないぞ?」
「おいおい、どさくさにまぎれて勧誘するなよ?」
吸血鬼戦争当時、ここを死守して戦功を上げた由緒ある家柄の小せがれ鴉が、どさくさに紛れて椛を勧誘し、ずるいと言わんばかりに他のすかさず衛兵がたしなめる。椛の人気は高く、ここまで見事に紫の虎の巻通りの展開である。まるでこの状況を見てきた様であると、はたては内心感心する。
「そ、その話は前にもお断りしています!」
「なら、とっとと哨戒に戻れ。まだ上がりの時間じゃないだろ?」
ここで、はたてが前に出で、椛を下がらせ更に少し遠ざけ、後ろに下がった椛に振り返ってウインクをする。
「鞍馬領の門番?ずいぶんとケツの穴が小さいのね?大戦で勇敢に戦って死守したって聞いたけど、本当は門の奥に閉じこもってたんじゃないの?」
「何だと!我々を侮辱する気か?」
はたての挑発に瞬間沸騰していきり立つ衛兵達。
「今の勧誘の仕方はさぁ~?戦士のやることではないわ。違う?」
「そ、それは・・・。」
「だいたいさー、門番なら何の取材で来たのかくらい聞きなさいよ、マジで。」
礼儀知らずの門番達の非礼を殊更強調するはたて。もちろん八雲紫のマニュアル通りの対応だ。
「どうせろくでもない取材だろう?自分達の都合のいい記事しかかかないしな。」
「ふーん、だったら臆病な門番達の居る鞍馬領の深刻な人材不足と題して記事を書こうかしら?」
「貴様ぁ!これ以上ほざくとその首飛ぶぞ!」
「人材不足ってのは本当の話でしょ?こっちは正規に動いている研修生よ。その首はねたらあなただけじゃなくて、鞍馬様自身も責任をとらされるんじゃない?いいのぉ~?」
ほとんど台本通りだが、頭の悪そうなしゃべり方が余計に相手を苛立たせる事になる。
「くっ・・・何の取材だ、言って見ろ。」
来た!と内心冷や冷やのはたては筋書き通りの展開に歓喜した。はたてはこの時顔を寄せて敢えて椛に聞かれないような態度で小声で話し始める。
「実はね、射命丸文の取材に来たのよ。」
「あ?あいつの?」
途端にはたてを取り囲む門番達の雰囲気が変わる。
「どんな記事を書くんだ?」
一人が食いついてくる。
「どんな記事にするかは私のペン次第っしょ。実際どうなの?彼女の評判はさぁ?」
「家柄だけで実力もないただの成り上がりだ。とにかく女の癖に生意気なんだよ。」
女の前で言う台詞じゃないだろうと思うはたてだが、虎の巻にも書かれてあった通りの反応で思わず笑いたくなる。
「ホント、あいつムカつくよね?知ってたぁ?あいつ女からも嫌われてるって。」
はたては門番らに同調して本心とは逆の感想を述べる。耳の良い椛も後ろからでもそれが聞こえ内心穏やかではなかったが、はたての声が少しわざとらしいことと、先程の目配せから演技だと見抜き黙って見守る。
「だろ?もし、あいつを下げる記事書くってんなら、通してやってもいいぞ?」
射命丸文嫌いという共通認識が芽生え、部外者のはたての存在を大目に見るようになる門番達。
「マ、マジで?書く書く!超書くわよ!」
キャピキャピしながら嬉しそうに跳ねて見せるはたて。その品の無い無邪気な仕草は、気位だけは一人前の名家の小せがれ門番らの虚栄心を刺激しはたてに対する警戒心を解く結果となった。
鴉天狗としては底辺に位置するはたては、守るべき名誉など存在せず良い意味でプライドが無い。
頭の固い衛兵達をうまく丸め込むはたての様子を後ろで驚きながら見る椛だった。
門番らに快く通過を認められて山門をくぐり、駒天狗犬走椛に先導されて初めて他の領地に入るはたて。
比良山領は妖怪の山から少し離れた場所にあり、尖った山の形状から平地がほとんどなく、山を囲む用に螺旋状に外に張り出した木組みの土台の上に集落が建っており、居住区となる床面は人工的に作られた平らな面で、大地のある平らな地面はほとんどない場所である。
鞍馬山領だけでなく、他の大天狗の領地は山の中腹にあって、村落は段々畑の用に斜面に沿って建っている。大きな建物は太い丸太で足場を作ってその上に建っており、狭い領地の割に人口が多い比良山領とは違って土地を豊富にゆったり利用出来る。
文が時々来て比良山領の鶏小屋の様な集合住宅を呆れた顔で見ていた理由がようやくわかった。土地を有効利用するために部屋が狭くしかし密集して建つ比良山領の家々は正に鶏小屋だ。それと比べると断然鞍馬山領の方が良いと思うはたてである。
そして、このはたての他の領地の方が良いと思える感覚は自分たちが一番だと思っている誇り高い鴉天狗としては稀なのである。
天狗の世界では名家として知られる射命丸家。その家名に相応しく大きな屋敷を構えており、屋敷の中にはお寺も建っている。これは射命丸家の当主が鴉でありながら準僧正の位を持ち出家している為である。
鴉天狗の中で名家と呼ばれる家の当主はほとんどが修験者として修業し僧として出家しており、そうした鴉天狗は大鴉天狗と呼ばれ他の鴉よりも位が高い。その大鴉天狗の子弟等は在家のままで昔の様に山間修業はせず、親の優れた神通力を受け継いでその高い能力で僧兵として主に軍事に従事している。僧兵とは厳密には僧侶ではなく、寺院を守る為に雇われた軍人の事である。現代において寺社仏閣は武装しないが、昔は武装するのが当たり前だった。
過去の功績で射命丸家だけが特別に一族全て大鴉天狗の位が授けられており、分家筋である文もそれに漏れず他の鴉よりも格が一つ上だが、女性という事で世間的には格下扱いされる。そうした微妙な立場でありながら家の名前を利用して本来なら就けない職業に就いてしまったために、世間の風当たりは強く天狗の社会ではうだつが上がらない落ちこぼれとなったのだ。
そんな文は現在、親戚に気を遣ってか屋敷から出て独立し、駒である椛と二人暮らしをしている。
大天狗鞍馬山領は妖怪の山の東にあって、山頂付近の湖から流れ落ちる川が深い谷を形成しその谷を挟んで南西に愛宕山領、そしてその反対側に比良山次郎坊の領地がある。
東を向いたなだらかな斜面が領地の主で、大天狗の領地の中では最も住み良い場所であるが、山間修業には適さない。
領地の東端に紅魔館があり、幻想郷が隔離され今の形になった500年前に起こった吸血鬼戦争においては、当時存在した紅魔城の巨大な城塞都市の城壁が鞍馬山領内に深く浸透し、必然的にここが最前線となって、正式に吸血鬼戦争として始まった大戦前から小競り合いが絶えなかった場所だったのである。
今現在では麓に見える紅魔館が、吸血鬼戦争における唯一の名残として存在するが、天狗、特に鞍馬山領の天狗達はその小さな名残ですら忌々しく見えるのである。。
なだらかな山の斜面の森の一部を切り拓き、階段の様に段階的に平らな土地を造って小さな里を形成する鞍馬山領。大戦でたくさんの僧侶、僧兵を失い、他の大天狗の勢力に比べて、半減どこから三分の一以下に人口を減らしているが、平和的な妖怪の移住を認め、河川が領内にあることから河童の自治区として領地を分け与えている。東から来る新しい技術がそうした河童を経由して領内に入る為、他の領地に比べて技術力が高い。
文が使っているカメラも河童との交流を積極的に行っている事もあって幻想郷全体で見ても最も高度なものになっており、記事の文面はともかく記事に載る写真の美しさはナンバーワンの誉れ高い。そして、そうした事が余計に文と他の文屋との間の溝を大きくする結果となっているのだ。
射命丸文は川上の河童の自治区の近くに自宅があるが、事務所は里の印刷団地に構えている。現在文は中央の目の届く事務所の方で謹慎しており、部下の駒天狗、犬走椛は姫海棠はたてをそちらへと案内していた。
「流石に鴉は少ないわねー。」
大戦で激減した僧兵、つまり鴉天狗の補充は簡単に出来るものではない。同じく大戦を乗り越えた比良山だが、こちらは鞍馬山よりは被害が少なく領地が狭い事もあって鴉達の人口密度の差がはたての目からも顕著に見えた。
友好的な種族、特に河童がよく目につき、烏つまり人間も多い。天狗が密集して暮らす比良山領からほとんど出た事がないはたてとしては、広々とした土地で悠々と暮らす天狗達がとても羨ましく、別世界の不思議な光景に見えた。
文の事務所は印刷機の音が鳴り止まない大きな建物の一区画にあり、他のクロワン記者もその中に事務所を開設している。
新聞は寸法など仕様が決められており、基本的にページは見開き4頁か裏表2頁、片面1頁の何れかで色は墨一色である。
資金力が無い者や個人の発行部数の少ない自費出版物は原版になる台紙に手書きで記事を書き込み、写真等を貼って版下を作り、それをそのまま撮影して印刷用の刷版を作るが、事務所を開設しているクロワン記者は、文字数と段組が決められた新聞の仕様に則り、手書きの原稿や必要な写真を写植製版行程に回して綺麗な版下を作り、それを印刷工程に回す。新聞は出回るまでにそうしたいくつかの行程を経るので、印刷に関係する業者等は作業効率を良くする為に一箇所にまとまって印刷団地を形成するのである。
鞍馬山領では、文屋の数に反比例するように印刷設備が充実しており、他の領地の文屋の仕事も多く請け負っており、印刷団地は常にフル稼動なのである。
印刷所などの重要施設は結界がはられているので空から直接侵入は出来ない。文のいるクロワン事務所の集合棟、通称『クロ巣』の建物もこの印刷団地内にあるので、必ず敷地の門から入る事になる。
敷地に入る為には門の警備小屋の前を通らなければならず、そこに入って通行許可を得ようと椛が挨拶をした時、警備員の一人が白一本線が入った黒い腕章を付けたはたてに気付いて研修生と知り、珍しそうに声を掛けてきた。
「こんにちわー。」
「ああ、椛か・・・おや?そっちは研修生か?今時珍しい・・・どこの者だい?」
「比良山領の者です。あ、私、姫海棠はたてって言います!以後お見知りおきを!」
挨拶をして手作りの名刺を渡すはたて。
「晴れてクロワンになった曉には内の工場を是非使ってくれ。」
「はい!超ガンバリます!」
門の警備員は鴉天狗ではなくただの烏である。本来なら鴉天狗がなるべき職だが、鞍馬山領では鴉不足で各職業の重要ポストに充分な鴉がまわせないのが現状だった。
その身分が下の烏である警備員兼受付に身分が上である鴉天狗のはたては綺麗な言葉遣いではないが普通に挨拶をして受け答えをしている。鴉達に使役される駒の椛にも特に命令口調にならず気さくなはたてであるが、これは鴉天狗としてはかなりめずらしい性質である。
年中フル稼動している複数の印刷機から出る独特な騒音が工場に鳴り響いている。
昼間はほとんどの記者が出払っているため、『クロ巣』に人の気配はない。誰かいたとしても徹夜明けで寝ている者しかいないだろう。
工場の騒音を遮断する特殊は防音障壁のお陰で『クロ巣』は恐ろしいほど静かである。静か過ぎて気持ち悪いので各自音楽をかけるなどして思い思いに職場環境を構築していた。
そんな中、文は誰もいない自分の事務所で一人反省文を書いている。いつもの事なのでスラスラと心にもない綺麗言が自分でも感心するほど次から次へと頭の中に湧いて出て流れるようにペンが踊る。他の記事もこうだといいのだが、思いつかないとつい脚色を加えていって客観性に乏しい記事になってしまうのだ。
新聞は出来たら直ぐに印刷してもらえるわけではなく、予め発行予定日を決めて工場の方に少なくとも一週間前に印刷の予約を入れ、印刷機を空けてもらわなければならない。
新聞報道の先駆けとして射命丸家を要した鞍馬山領は、印刷技術、工場の規模においても妖怪の山でトップである。他の領には自前の印刷機がないところもあり、その為鞍馬領印刷所は常に仕事でスケジュールが一杯なのである。自領の者なら一週間から十日、他領の者なら2週間以上前から予約を入れないと印刷しようにもすぐには出来ないのである。
新聞に不適切な事が書かれていないか『クロワン』を統括する編集局長に版下を一度チェックされ、そこから手直しなどをする時間も含めると、ある程度スケジュール通りに記事を書かなければ予約の時間をオーバーしてしまう。印刷代金は公営なので事務所が払う必要はないが、出稿が遅れれば罰金、キャンセルでも罰金になるので必然的に締切厳守となる。
その為、記事を書いてから印刷依頼ではなく、発行日を決めて印刷を依頼してから企画や取材が始まるというのが一般的な新聞作りのやりかたになっているのである。
時にはスペースが埋まらない時もあり、更に編集局長のチェックで一部の記事がボツになる事もあり、その穴埋めとして姫海棠はたての能力が有効で、業界における代打要員として比良山領のみならず他領でもそこそこ仕事の依頼があり、業界でも顔は広い方である。
こうした印刷業界の事情があるために、外部ライターを雇っていない文は必然的に締切に追われる日々を送る事になり、切羽詰って記事の内容が一部事実と異なる想像や願望が挟み込まれてしまうのである。
創造力、というより妄想力といったほうが適切だろうか?仲間から小説でも書けと笑われる文だが、事実ではない空想を書く小説は、『小者が書く仮説』というのが本来の意味で、小説家などは物書きとしては最低の位置付けにあるというのが天狗の世界の一般的な認識である。
まだ現像していないフィルムを洗濯ばさみにはさんで紐に幾重にも吊し、お気に入りの未公開の写真の何枚かを壁に貼っており、文の事務所は文屋の部屋というより写手の部屋といった様相である。
部屋の角に集中して記事を書く為にと周囲を衝立で囲って外から見えない様にしているが、そこから出ると事務所の真ん中に新聞の原稿を作る大きな作業テーブルがあって、入り口前にも衝立を置いてその作業が入り口から見えないようにしている。
他の事務所の場合、クロワンが編集長としてその下に数名人を雇って事務所を動かしている。その為、複数の記者や写手と打ち合わせをするスペースと、作業をするスペース、クロワン編集長のスペースと大部屋を間仕切りしているが、文は椛と2人で作業をするので、打ち合わせ場所は無く、自分のブースと作業場と現像室しかない。現像室は協同で使える暗室が他に数部屋あったが、いやがらせを何度も受けて文は自分の事務所の中に自腹で暗室を作ったのである。
机の上にはたった今書き終えた完璧な小説、いや反省文の束が無造作に置かれ、書いた本人は椅子の背もたれによりかかって両手を頭の後ろにまわし、万年筆を鼻の下にはさんで口を尖らせながら天井をぼーっと眺めている。
最近幻想郷が何やらきな臭く、何か異変が起こる気配を感じていたが、その調査をしようとした矢先に査問会召集である。以前は新聞を発行した後に、その記事の内容について真偽を確かめる為に呼び出されていたが、今回は新聞発行とは関係なく、累積警告の様な感じで特にこれといった理由はなく反省文と業務停止だけであった。
「なーんか、いつもと違うのよねー・・・。」
この時何となく作為的なものを漠然と感じている文。その文の勘の良さと行動力とその速さを警戒した八雲紫の判断は正しいといえるが、流石の文もこの時自分を訪ねるある意外な人物の存在を予測することは不可能だった。