東方不死死 第55章 「嘘の代償」


 藤原妹紅が紅魔館の関係者と密約を交わし、魂魄妖夢が紆余曲折を経て人間の里に入る。
 その日は表向き静かな一日だったが、局所的に節目と呼べる小さな事件が相継ぎ、そしてそれは、八雲紫が異変の呼び水となる別の異変を画策し具体的な行動に出た時と丁度重なり、図らずも異変開始の合図となったわけである。

 妹紅の頼みで妖夢を導いた一方で、今度は八意永琳が提案した企みに協力しようとする妖怪兎・因幡てゐは、その翌朝重要な任務に赴く為の準備に挑むところであった。
「それじゃーてゐ、よろしく頼むわね?」
「ま、任せといて。」
 永遠亭の居間に住人4人全てが集合し、とある重要な任務を請け負った因幡てゐを送り出す予餞会が行われ、味がいまいちなのはいつも通りとしても品数だけは豪華な朝食が無駄に広いテーブルを狭くしていた。
 因幡てゐは、今日から数日間永遠亭を離れる事になるが、てゐの不在を残念に思って催された会ではないことは言うまでもなく、これからてゐに降りかかる、いや、人為的に降りかける不幸に対するお詫びの意味が主だった。言うなれば、『最期の晩餐』である。
「それじゃー・・・うどんげ。後はお願いね。」
 普段後片付けなどしない永琳が、空の食器をトレイに重ねながら、弟子でありペットのレイセンに告げそそくさと居間から遠ざかろうとする。
「え?ちょっ!ちょっと待ってください!そういうのは師匠が得意でしょう?」
「私は息の根を止めるのは得意だけど、半殺しは苦手なの。」
「て、手加減してくださいよ!」
「あなたが思いっきりやれば、ちょうどいいくらいじゃないの?」
「あんたら、何の話をしてるの?」
 ここで何やら意味不明の会話に疑問を持った蓬莱山輝夜が割ってはいる。
 蓬莱山輝夜は、異変に関わらない事を決めて部屋に引き籠もって何やらやっていたせいで、永琳と紫らが画策している作戦を知らないのである。
「あ!姫様!そうだ!姫様が適任ですよ!」
「そうねー、姫に頼もうかしらねぇ?」
 そう言いつつ永琳はてゐを見る。そのてゐは既に食事を済ませて居間に面して襖を開け放した隣の部屋に移動してその真ん中にちょこんと正座して、何やら悟ったかのように佇んでいた。
「だから何の話しなのよ!」

 因幡てゐに課せられたある任務とは、永遠亭と紅魔館の確執を創り出す事で、その前段階として、永遠亭と不仲になった古参妖怪の因幡てゐが復讐の為に後ろ盾を探し、紅魔館に白羽の矢を宛ててゐを入館させようとする作戦である。
 永琳と鈴仙が交わしていた意味不明の会話は、不仲を演出する為に抗争が行われた事を既成事実にする為、派手に因幡てゐを痛めつけて何処から見ても演技に見えない程の重症を負わせる為に誰が適任かという話しだったのだ。
 永琳の考えたシナリオはこうである。
 藤原妹紅に敗北した永遠亭を見限った因幡てゐは、藤原妹紅側につくかつかないかを自身の待遇改善の交渉の駆け引きに利用し、それに激怒した永遠亭側からきつい制裁を受け、因幡てゐはそんな永遠亭を見限って離脱して報復をするというものである。そこで起こる抗争に紅魔館を巻き込み、騙されててゐに協力したレミリア・スカーレットが運命操作を誤って、妹紅や紫らが画策する真の異変が発動するという流れである。
 強大な力を持ちながら不死身というデタラメな存在である宇宙人を殺すには、通常のやり方では無理だろう。そこで逆らえない死の運命を与える事で宇宙人を滅却しようという考えた因幡てゐは、報復の為の後ろ盾を得るという理由で『運命操作』が出来るといわれるレミリア・スカーレットを頼って紅魔館に下るという作戦である。
 蓬莱人を殺す事は不可能だが、存在を維持できる空間を破壊してしまえば消滅させる事が出来る。これを意図的に発動させ、その滅亡因子である永琳の防御要塞を幻想郷に召喚させようとしており、事件の前後関係からこの異変は、永琳でも八雲紫でもなくレミリア・スカーレットが犯行以外の何者でもないという状況に追い込むわけである。これによって八雲紫が援軍と称して表に出ても疑われずに済み、レミリアに協力しつつ影で実権を握り異変を安全に確実にリードし、最終的にこの罪を吸血鬼に着せるつもりなのである。

 レミリア個人を騙す事は容易だと思われるが、問題は紅魔館にどうやって入るかである。入るもっともな理由が必要で彼らを信用させるには、少なくとも永遠亭と因幡てゐの対立構造をしっかりと見せなければならない。この2つが争って、後者が勝つ可能性はゼロだということは東側の住人なら誰しもそう思うわけだが、これが復讐に発展する進捗状況を大勢の住人が認知していれば、敗者に手を差し延べる紅魔館に悪い評判にはならないだろう。
 この部分を認知させる理由は、八雲紫がレミリア・スカーレットを助け、共に異変に取り組む構図を自然な流れとして作り出す為である。もしこれが、永遠亭とてゐが喧嘩をした。次に、てゐが紅魔館を頼った。そして、異変が起きた。八雲紫が出て来た。という要点だけが先に広がると、目聡い者でなくてもすぐに『胡散臭い』と感じるはずである。ここは八雲紫とは関係なく、あくまで永遠亭と紅魔館の単独の抗争として事態が進行しなければならないのだ。
 その前準備が今永遠亭で行われている騒動という事であり、その事件を素早く世間に伝達させる為に八雲紫が専属で動かせる文屋を雇ったわけである。

「なるほど、そういうことなら私が一肌脱ぎましょう。」
 事情を理解して自ら名乗り出て、言葉では少し嫌そうにしながらも、顔は嬉しそうで肩を回しながら腕まくりをする輝夜。
「姫、くれぐれも・・・。」
「分かってるわ。半分息の根を止めればいいんでしょ?私の一番得意とするところよ!」
 半分息の根を止めるというのがどういうことか良くわからないが、自分もよく半殺しにされていたので輝夜の技能は疑わないレイセン。
「てゐ、心の準備は出来ているようね。」
「・・・。」
 ちょーんと正座をして少しうつむいて目を瞑っていたてゐは、輝夜に呼ばれて静かに顔を上げる。涙目になって何かを懇願している様子だが、相手がお人好しで騙されやすいレイセンならともかく輝夜にそれが通じるわけがない。
 そんな輝夜の後ろからレイセンが近付いて来て、カプセルに入った小さな薬とてゐの湯呑みにぬるま湯を入れて持って来る。これは痛み止めの薬で、せめて苦しまずに逝けるようにとの永琳の心遣いである。その永琳は最近人が変わってしまい以前ならこんな気遣いは絶対しなかっただろう。
 しかし、そんなささやかな心遣いも輝夜は無常にもそれを奪い取って全部飲み干してしまう。
「痛み止めなんて邪道よ。怪我人のフリをするんじゃなく、本当の怪我人になってこその人柱よ。」
 人でなしと泣き叫ぶレイセンを足蹴にして黙らせる輝夜。
 痛み止めを飲んだからといって怪我が治るわけではなく、痛くないから自由に体が動くというわけでもないので怪我に本当も嘘もないのだが、リアルさを求めるなら自然なままありのままの重症のほうが良いという輝夜の有り難い配慮である。
 藤原妹紅に完膚無きまで叩きのめされぐうの音も出せなかったストレス最高潮の輝夜の恨みのはけ口の矛先となった因幡てゐに、明日はあるのだろうか・・・。


 鞍馬山領の印刷団地と呼ばれる工場群の片隅に2階建ての大きな木造施設がある。集合住宅の様に各事務所が並ぶ新聞記者の住処、黒い腕章持ちのクロワンの巣、通称『クロ巣』と呼ばれる建物で、その二階の一番奥に射命丸文の事務所があった。
 その事務所の中の一画に間仕切りされた小さなブースがあり、そこにある窓を開けて鮮やかな薄紅色の空を見あげる女編集長がいた。
 その女編集長射命丸文は空の色に見とれるわけでもなく、ボケっとした表情で机に頬杖を付いていた。
 別に美しい物や景色に関心がないというわけではない。印刷機の音を防ぐ遮音結界で外の自然な音が全く聞こえてこず、情緒もないので目に映る景色もまるで人工物の様に色褪せて感動が起きないのだ。
 ここは、自然界と隔絶された機械化された区域なのである。

 調子に乗って書いた反省文が便箋20枚にもなってしまい流石に飽きてくる文。早く椛が務めから帰ってこないかと思いつつ、謹慎明けに何をするかと模索する。
 明確な根拠はないのだが恐らく異変か事件が起こるはずである。先日感じた神社方面における複数の妖気の爆発はその前触れに違いない。自由の身なら神社付近に張り込むのだが・・・。
 何故こんな重要な時期に査問にかけられるのか、かけた奴を見つけだしてスキャンダル記事でも書いてやろうかと意地悪く考えるが、そこでふとある事に思い至る。
 今回の査問は何時もと違う。普通は特定の記事に倒して真偽を問う為に、印刷関係者の理事役員等のお歴々の前で問答をするものである。しかし、今回は具体的な罪状があるわけでもなく謹慎だけである。
 これは自分を異変に関わらせない為に幻想郷東部から遠ざける何かの策略の一環なのではないだろうか?
「・・・まさか・・・ねぇ・・・。」
 そう考えて直ぐにそれを否定して首を振った。大天狗や局長クラスが動く程自分は大きな存在ではない。いくら自尊心が強くとも身の程位はわきまえているつもりで、これは自惚れた考えだと流石の文も赤面した。
「そんな大物になれたらねー。」
 いつか果たそうと思っている夢をぽつりと呟く文。今は一介の新聞記者として事件を追う立場だが、行く行くは新聞記者達から後を追われる様な存在になりたい。この際悪い方で追われてもいい。
 そんなことを考えてムフフと頬杖を付きながら窓の外に阿保面を晒していた文だが、この時事務所のドアの直ぐ外に人の気配を感じ、だらしなく座っていた姿勢を正した。
「たぶん居ますよ。」
 聞き慣れた可愛らしい声。持ち駒の白狼天狗、犬走椛の声だ。査問官でも来たのかと思って正していた姿勢を崩し席を立つ文。
 入り口のドアは衝立で遮っているので声の主は見えないので状況がよくわからなかったが、椛の話しぶりからして一人ではなく他に誰か居そうである。しゃべり方から緊張している様子はなく、知り合いでも連れてきたかの印象で、上司と一緒ではない事は確信がもてた。
「(はて?誰だろう?)」
 文や椛と親しい間柄というと妖怪の山近辺では河童あたりで、同業の鴉天狗らには心当たりはない。ただ、印刷工程の末端で働いている下級鴉や烏などの労働階級とは記者同士の確執は関係なく仕事の面で無理を聞いて貰う事も度々なので仲良くしようと心がけており、事実印刷工場の従業員には評判がいい文。従業員の何人かは締切前の追い込み時に事務所に来て手伝ってもらったりもしている。
 交友のある者は、文が謹慎中でも休憩時間等に時々事務所に冷やかしに来てくれるので、今日も恐らくそんな流れだろうと思う文。しかし、時間はまだ就業時間中である。
 24時間稼動する印刷工場は三交代制で、昼勤の終業時間は午後5時で基本的に残業は無い。今はまだ5時前で、従業員どころかそもそも哨戒任務中の椛も来れる時間帯ではない。
 不思議に思う文は椅子の横に立ったまま様子を伺い、そこに居てはならない者が入って来たのを見て驚愕した。
「!」
「おっじゃっまっしまース!」
 入り口のドアから入室して衝立を挟んだ向側に椛と他1名。その椛とは明らかに違う聞き覚えのあるバカっぽい女性の声の主が衝立の横から顔だけ出して挨拶をした。
「な!あ、あんたは!」
「文、ひっさしぶりー!元気してたぁ?」
 人指し指を指しながら何かを言おうとして咄嗟に適切な言葉が出せない文を尻目に、物珍しそうに周囲を見ながら敬意の欠片もない敬礼を2度3度しながら近付いてくる姫海棠はたて。
「ひ、姫海棠はたて!何であんたがここにいるのよ!」
 名前を呼ばれて、右手の人指し指と中指でVの字を作って、それを右目の横にあててポーズを決めるはたて。以前貸した香霖堂で手に入れた向こうの世界の雑誌に載っていたモデルと同じポーズで、見ている方が恥ずかしくなる。

 文とはたての出会いはそれほど昔の事ではなく、西側でうだつが上がらない射命丸文が、東の様子を新聞記事に取り上げ始めた数年前のつい最近の事である。
 最初は『文々。新聞』を東側には配っておらず、西の妖怪の山周辺に配って反応を伺っていた。天狗以外の妖怪達には新聞と言うよりも読み物として概ね好評だったが、天狗からは東の話題は不評で、特に記者仲間からは管轄外で誰も関心もなく地理もない土地のネタを新聞にとりあげるなど文屋としての敗北だとさえ言われた。
 未知の素材を取り上げる事は別に悪い事ではない。ただ、天狗側にとって東の土地は不干渉領域であり、特に軍事面ではそれが規則として明文化され罰則規定までもあった。
 報道分野に関しては明確な規則はなかったが、東に関わらないというのは天狗全体の暗黙のルールのようなもので、皆それに則って東側は無視していたのである。
 東エリアの記事を書いたとしても誰もその土地の事情が分からないので検証のしようがながく、記事の内容に真偽がつけられない。情報の正確性を重視する西の判断基準において、文のしていることは創作と同義だったのである。
 そうした理由から文は査問に掛けられる事度々であったが、むしろ公の場で正式に言い訳が出来るので査問は大歓迎であり、自分に都合の良い資料を用意し記事に嘘はない事をその都度証明して査問官を煙に巻いていた。文としてはそうした議論のやりとりが好きで本人に自覚はないが、ペンより弁の方が立ち、そしてそれが得意でもあった。
 反骨精神旺盛な文は、何気なく始めた東側の取材も咎められると逆に燃えてエスカレートし発行部数を増やすために東にも新聞を配り始めたのである。

 はたてと出会ったのは、東に活動の比重を移し始めた頃である。
 特に取材に来たという訳でもなくぶらりと寄っただけの比良山領で独特の建物群を眺めて歩き回っていた時、ちょっとした事件が起こった。
 面白い事件に出くわさないかとただブラブラしていた文は、パッとしない地味な格好をした一人の鴉を何気なく横目で見ながらすれ違いざまに目が合い一瞬の止まってしまった。何故立ち止まってしまったかといえば、向こうがこちらを凝視していたからで、その凝視のしかたが尋常ではなく、まるで親の仇でも見つけてしまったかの様な表情だったからである。
 その後その鴉は何かに気づいたかのようにそのまま回れ右をして走り去ってしまったのである。
 文としてはその鴉に全く見覚えが無かったが、向こうはこちらを知っているような感じで、何事かと思いつつしばし呆然と立ち尽くしていた。この時既に鴉天狗の界隈で悪い噂しか立っていなかった文だったので、どうせ悪い方の噂を知っていて関わりたくないと思って逃げ出したのだろうと考えていた。
 よくある事で、あの鴉とはもう二度と会う事はないだろうと、文は気を取り直して歩き出す。
 しかし、文の予想に反して走り去った鴉が新聞の束を両手に抱えて文の前に戻って来たのである。
 古新聞の引取業者と間違われたのかと思いつつ、関わりたくないのでその場を去ろうとしたが、持っているのが自分が発行している『文々。新聞』だとすぐに気付いて動きを止める文。こういう時は決まって『ゴミを出すな!』等それと類似する罵声といっしょに新聞を投げ返されるパターンになるだろうと容易に想像出来、今回もそうなのだろうと内心落ち込みながら表にはそれをみせずやれやれと肩をすくめるだけだった。
 しかし、その時は違った。新聞記事を書いた本人の目の前でその新聞を広げて見せながら、素晴らしい写真なのに記事が全てを台無しにしている。写真が真実をありのままに訴えているのに、主観的な文面が写真の真実と逆行している事が多々で、しかも意図的に記事を面白く見せようとして壮絶に滑っている。願望や主観を減らしてもう少し客観的な記事を書くべきだと甲高い声でまくしたてたのである。
 自慢の写真を誉めて持ち上げてくれるのは嬉しいが、記事の内容はボロクソに酷評され、そしてそれが余りにも的確で反論に窮した文は、やり場のない怒りの衝動を抑えられず手を出してしまったのである。

 その鴉は貧しい層が着る支給品の粗末な衣服を着ており、黒髪は煤けて灰を被った鳥の巣のようにぼさぼさで、ビンの底のような大きな丸い眼鏡を付け外見だけでは性別が分からないほど見窄らしかった。
 瞬間沸騰して思わず滅多打ちにしてしまった文は、正気を取り戻すまで相手が女性であることに全く気づいていなかった。
 手加減したつもり・・・というより元より本気は出さない文だが、相手は想像の範囲を超えた撃たれ弱さで、あと数回殴っていたらそのまま昇天していたかもしれない。
 文は名門射命丸家の一門として、分家ではあるが受け継いだ基礎能力が本家並みに高く、他の鴉天狗と比べても数段強いのだ。
 そんな男相手でも負けない文のブチキレ攻撃に晒され為す術もなく完全に意識を失い虫の息になった女鴉天狗は、我に返って青ざめた加害者である文に担がれて医療所に運び込まれ全治一ヶ月の重症と診断された。体の丈夫な鴉天狗で全治一ヶ月は相当な怪我である。

 一通りの治療を終え命を取り留めた寝台に横たわっている昏睡状態の女鴉を看病しながら猛省する文。
 看病の合間に、治療中に回収していたもう少しで遺品になってしまうところだった『彼女の文々。新聞』を広げて見ると、紙面に付箋や赤ペンで要所に印を付けたり、校正漏れの誤字脱字のチェックを入れたり、記事を添削して赤字で修正が入れられている事に気づいた。
 穴が開く程熱心に記事を読んだ形跡と、その校正の専門的な手際から見て報道印刷業界で働く者であることが伺えた。そして、業界の中でも文屋という最高の高見を目指している事が、その細かい分析内容から理解できた。
 彼女の苦言は自分をこき下ろす中傷ではなく、記者としてはとても大切な批評だったのだ。自分の新聞に対する反響を初めて肌身に感じと同時に待望の愛読者を見つけた事に感動した。それなのにとんでもないことをしてしまったと落ち込み泣き崩れる文だった。

 その後、身元が分からないこの女鴉の家や家族を探そうとした文だが、彼女が新聞出版関係者と容易に判断できたのその方面に聞き込みして身元を割り出し、姫海棠はたてという家族のない独り身の下級鴉天狗だと知るが、同時に文は大きな問題を抱える事になった。
 ここでもし姫海棠はたてが文から受けた暴行によって亡くなるような事にでもあれば殺人事件として大事になっただろうし、死亡していなくてもこれは立派な傷害事件である。本人の訴えがあれば文は間違いなく罪人になってしまうだろうし、他領地で起こした事件であるため、有力な家柄である射命丸家の力でもどうすることもできない。
 事件を犯した文は射命丸家から追放され、クロワンの資格どころか神通力を封印され鴉天狗から烏に格下げされる事も必至であが、回復した被害者のはたては被害届を出さず示談で事を穏便に済ませてくれたのである。
 この件で不問とり自由の身になった文だが、その後も比良山領に滞在して足繁くはたてを見舞い、最初は加害者として被害者であるはたてに対して丁重に扱っていたが、次第に打ち解けて退院間近となる頃には、かなりきつい冗談や皮肉も言い合える親しい間柄になっていた。

 しかし親しい間柄になれても心の中をさらけ出して運命を共にする様な間柄にはなれなかった。その理由はお互い記者としての目指す方向や主義主張に相異があったためである。
 『新聞は読まれてこそ価値がある。いくら正確に状況を書き記し情報としての価値を高めても読まれなければただの紙だ』というのが文の主張で、『読まれる為に情報を都合良く変化させたのでは、それは嘘であり嘘は害悪である。つまらなく例えその時は読まれずとも、当時の貴重な資料として後に価値が生まれる事もある。だから情報は正確であるべきだ』と言うのがはたての主張で、考え方の違いで双方は常に対立していたのである。
 仕事上の身分では、クロワンである文ははたてより上になるが、他の同業者はともかく文ははたてに対しては常に対等に立って一記者として議論を戦わせた。
 文ははたてに妥協して公私に渡って仲良くなる事は十分に可能だった。しかし、仕事に関して主義主張を真っ向からぶつけ合えるライバルは得難く、文は役職的には全く釣り合わないがはたてを対等の相手として捉え、仕事仇として付き合う事を決めたのである。

 主義主張の違いから会えばすぐ口論となり大怪我して入院しているはたてに対しても容赦ない文だが、流石に大怪我を負わせた引け目があり最初は手加減をしていた。
 毎日喧嘩になるとは分かっていても、むしろその口論がある意味楽しいというのもあって、毎日の様に議論をしたが、やがて適当な所で切り上げ仕事とは関係のない話をするようになっていた。
 そんなたわいのない世間話からはたての運命が変わったのである。

 ある日、仕事とは関係ない低レベルな口論で身なりの問題に話題が逸れ、そこでもまた口論となった。
 見るからに印刷関係者を匂わせるインク臭い小汚い姿と、更に仕事以外でも着飾ろうともしないはたてに対して、女性なのだからもっと綺麗にすべきだと文は苦言を呈するが当人は気にする様子もない。だいたい食べるのに精一杯でそれ以外に金が回らないのだから、その点については放っておいて欲しいというのがはたての率直な意見だった。
 クロワンというだけで高い給料を貰え、しかも家からも禄が出る裕福な文としては、お金の事を出されると言葉に詰まるところだが、せめてその鳥の巣頭はなんとかならないかと、文が自らスタイリストになって髪型や服装を弄ろうと画策するものの、ここで思った程に自分にセンスが無い事を痛感する。自分はストレートの髪でどうにでも弄れるのだが、はたては超のつく癖毛で、素人ではどうにもならなかったのである。
 負けず嫌いの文は、なんとかはたての身なりを整えようと躍起になり、香霖堂から向こうの世界の主のファッション関係の比較的最近の雑誌や本を自腹で手に入れはたてに与えてみたのである。
 はたては最初、まるで実物がそこにいるようなフルカラーの美しい紙面に驚いて食い付いたが、その後、雑誌を隅々まで読みまくり、そこに載っているモデルらの煌びやかな姿に目を奪われ、文の予想を超えてハマってしまい、そして完全に『かぶれ』てしまったのである。
 今のチャラチャラした言動と姿格好の『都会に憧れた痛い田舎娘』の完成である。
 そんなはたてに肩書きを与えるとするなら、『妖怪の山最初のイメチェン女』となるのだろうか?昔に比べればだいぶマシだとは思うがかなり変わり過ぎたはたてを見て、彼女のご先祖様に対して少し申し訳なく思う文だった。

「何で一介鴉無勢のよそ者が、ここに来れるのよ!」
 天狗の社会は閉鎖的で他領地同士の交流は基本的に行われていない。その唯一の交流手段として存在するのが新聞報道であり、外部情報に飢えている天狗にとって新聞は最大にして唯一の情報源であり、新聞を通して行われる領内外の交流が一種の娯楽にもなっているのである。
「ふっふっふ、これが見えないの?」
 文の虎の巻通りの問いに対して、それには直接答えず腰に手を当て、左腕の『カリワン』を強調する様に胸を張るはたて。胸なら自分の方が大きいだろうと思いつつ、貧相なはたてが何を偉そうにしているのか瞬時に理解できなかった文だが、隣の椛がニコニコしながらはたての左腕の黒い腕章をチョイチョイと指で示している事に気付く。
「それがどうしたの?腕章を黒く塗ったからってクロワンにはなれないのよ?というか、それやったら怒られるでしょ?」
「はぁ~、文ってほんとにクロワンを権力で買ったのね~。マジで信じられない・・・。」
「な、何よ?それどういう意味?」
 事実、家名で買ったのだから言い訳は出来ないが、はたての言い方が勘にさわって眉を吊り上げる文。
「黒い腕章の縁に細い白い線がありますけど、これはクロワン候補生である事を示しているんですよ。」
 はたての代わりに椛が説明する。
「候補生?ってことは今研修中ってこと?」
「研修を受けた事がないクロワンなんて文くらいなもんよ。」
 腰にあてていた手を胸の前で組んでエヘンと威張るはたて。この時、左手に手帳の様な小さな帳面を持っているのに気づいた文だが、文屋なら誰でも持っているだろうと特に気に留めず話を続ける。
「そりゃー私は正規の研修受けた事ないけどさ・・・でもよりにもよって何ではたてがぁ?あんたの前に他になれそうなのがいるでしょう?」
 具体的に誰とは言えないが、恐らくクロワン候補は他にもっといるはずだと予想する文。
「そう!順番から言えばさぁ?私はもっと後だと思うわけよ。でも、違う。何でだと思う?」
 口調はいつも通りだが、普段こんな謎掛けの様な捻った言い方はしないはたて。明らかにおかしいと眉をひそめる文。
 頭のよろしくないはたては、難しい事を言われるとすぐにムキになって頭から湯気を出すが、今日は何だか何時もと違う。まるでこちらの言動を予め予測して対応している様に感じ、なんだがとても頭が良さそうに見える。
「・・・何でよ?」
 賢い文はそんなはたてに何か裏があるだろうと勘ぐるも、いずれ墓穴を掘るだろうと予測し尻尾を出すまでしばらく受け身になって様子を伺おうと話を聞く態度に切り換える。
「実はねぇ、文の謹慎と私がここに来た事は偶然ではないのよ。」
「ふーん・・・それで?」
 内心かなり驚いて思考を総動員してその意味を考えたが、それを表情には出さずに関心なさそうに振る舞う文。そして、先程この謹慎は何らかの策謀の一環ではないかと自身を過大評価して自嘲していたことを思い出す。
「比良山次郎坊様と八雲紫という美人で見た目超若い女妖怪が何かを企んでてさぁ、とある事件を早急に世間に広めるために文屋が必要となったわけよ?」
 八雲紫の事を殊更若いと強調するはたてだが、冗談ではなく真顔でそう言っているのが気になるところだが、この八雲紫の名前を聞いて自分がおかれている現状や今後の事が朧気ながら見えてくる。しかし、何故はたてが選ばれたのかも含めて、漠然とし過ぎていて具体的には全く分からない。もっと情報を引き出さなければならない。
「それであんたが?文屋なら別にはたてである必要はないでしょ?」
「ぶっちゃけ私だってそう思うわけよ。何であたしぃ?みたいなぁ?でもさ、大天狗様にやれって言われたらやるっきゃないっしょ?」
「・・・他の文屋がやりたくない案件であると同時に、後で簡単に口封じ出来る雑魚に白羽の矢があたったってわけね。」
「さっすが、文!」
「何喜んでるのよ。あんたは都合良く利用されてるのよ?最悪消されるわよ?」
「利用されるなんて結構な事じゃない?上手くいけばこのままクロワンになれるかもしれないのよ?」
「上手くいくわけないでしょ!それに、まぐれでクロワンになっても絶対に続かないわ。」
「続くか続かないかは、私次第だから文はそこまで心配することないわ。」
「誰も心配なんかしてないわよ!所詮は女って舐められて、こっちまでとばっちり受けるのが嫌なのよ!」
「女天狗の評判を地に堕とした張本人がそれを言う?マジで信じられない!」
 この台詞で文はキレた。これまで、はたてが手に持っている手帳をチラ見して、台本通りに喋っている事は知っており、好きな様にやらせていたが我慢の限界である。
「ったく!台本見てしゃべってる奴に言われたくないわよ!さっきから・・・。」
「あ!」
 素早く前に出た文に反応出来ずに胸の前で組んでいる左の手に持っていた手帳の形をした虎の巻を簡単に奪われるはたて。
 文は得意気にその手帳の頁をパラパラと適当にめくりながらはたての顔を見る。その悔しそうな顔にどんな言葉を投げかけてやろうかと意地悪な顔になる。しかし、文が予想していた顔はそこにはなく、ニヤニヤして予めこうなることを予測していたような顔をしているはたてがそこにいた。
「52頁、我慢出来なくなった文が手帳を奪う。」
 はたてがそう言って、顎で文の手にある手帳を指す。文は血の気が引いていく耳には聞こえない音を聞きながら52頁をめくる。
「・・・ま、まさか・・・そんな!」
 文はこの手帳が受け答えの仕方を記した回答集の様なものだと想像していた。しかし、これは今交わしている会話を含めた全てが事細かく書かれた台本その物だった。文は数頁戻って確認してみたが、はたてと文の会話の内容は一字一句同じではないにしてもほぼ同じだった。
「私の今日のノルマはこれでお終い。今後の事は取り敢えず文次第ってことで。それ読んで答えを決めて。」
 文は頭の整理がつかず、様々な感情が入り乱れた状態のまましばらく手に取った手帳を眺め、やがて最初の頁からめくり始める。
 何かが起こる事はすでに確信めいたものを感じていた文だが、既に状況が進行しており、その中に自分が含まれていることを知った。いや、正確に言うなら含ませないための根回しをされていたことを知ったのだ。
 文屋として第三者の立場で起こった状況を新聞のネタにして有名になる事しか頭に無かった文としては、非常にショックな事だった。何故なら文屋とは権力とは離れた場所でそれを監視するという役割もあり、その職に就いている者は基本的に権力を監視するという義務感を持っている。それは当然文にもあった。
 しかしこの件は、比良山次郎坊という権力者側が八雲紫と結託して行っている『何か』の一環に自分が既に取り込まれているわけで、それを知らずに状況に引きずられている事は文屋としての矜持をいたく傷つけるものだった。一応その権力側の策謀に荷担する是非はこちらで決められそうだが、こうなっては後に引けそうにない。
「(・・・しかし、これは・・・。)」
 文は手帳を読みながら紫等の思惑の一環の片棒を担がせられる事に憤りを感じるものの、その具体的な内容を目にして心惹かれるものがあり、胸を躍らせている自分に気付く。
 元々騒ぎが無ければ起こせばいいというタイプなので、予め起こる『事実』をより効果的に『演出』するという八雲紫のシナリオは魅力的だった。自分が紫の立場なら恐らく同じ様な事を考えるはずである。

 はたてが紫と話をしていた時、彼女は文をこう評した。文は広報より諜報工作向きで、それは、能力的にも性格的もそちらのほうが合っていると。更に報道のようなチマチマした仕事ではなくもっと大きな企画運営を任せた方が上手くいくとも言った。そして、同時に上下関係の厳しい天狗の社会の中ではそれは不可能な事だとも付け加えた。
 はたては虎の巻を食い入るように見ながら不機嫌そうにしていた表情が次第に紅潮していく文の様子を見て、紫の言った事は正しいと納得出来た。同時に自分は文屋が限界であるが、文にとっては文屋は単なる通過点なのだとも理解出来た。
「(ま、それもまた良し・・・か。)」
 一生背中しか見る事しか出来ないだろうが、それでも良いと素直に納得出来たはたては肩の荷が一つ下りた気になり一息つきたくなった。


「もみもみ!給湯室どこ?」
「給湯室?それなら暗室に・・・あ、スミマセン!気が付きませんでした。今お茶にします!」
 二人のやりとりを固唾を呑んで見守っていた犬走椛は、お茶を欲して右往左往するはたてに気づいて慌ただしく動きだす。
「ありがとねー!やっぱ、もみもみはイイ娘だわー。」
 本来なら気の利かない駒を叱っても良い状況だが、はたては全くそんな様子は無く皮肉ではなく素直に椛の機敏な動きを賞賛する。
 駒を飼うにしても衣食住、装備などの維持費がかかるわけで貧乏な鴉天狗には高嶺の花である。
 従える駒の数でその鴉天狗の経済的な強さも知る事も出来、大きな家は沢山の駒を飼い一種の軍閥と化していたりもする。
 主人に忠実な犬は駒に打って付けの動物だが、誇り高い狼は簡単に駒には出来ない。狼を駒に従える事は、鴉天狗の中でも極僅かで、その一人が射命丸文であり、その事が一層の嫉妬を呼び、文に対して良くない感情を持たせる要因の沢山のうちの一つになっているだ。
 権力や財とは無縁のはたては、鴉天狗も烏天狗も駒天狗も関係なく付き合い、どんな手伝いも喜んでやるので比良山領の新聞印刷業界では評判が良く、万が一文がこの企みに参加しないとすれば、比良山の小さな印刷所で新聞を刷る事になるだろう。
 しかし、比良山の印刷関連の設備と人員の規模は小さく、そもそも24時間体制ではないので今日の出来事を次の日の朝刊に出す事はまず不可能である。
 紫は文が断ると思って居らず、それははたても同じで、予想通りの乗り気の文の興奮した様子から、事は思惑通り進むだろうと確信できた。

「はたて。」
 お茶をすすりお茶菓子を食べながら椛と世間話をして幸せな一時を満喫していたはたての側に何時の間に立つ文。
「ん?決まった?どうする?」
「どうするも、こうするも、やるしかないんでしょ?」
「文の事ボロクソかいてたけど、それでも引き受けるの?」
 嘘八百新聞の異名を持つ『文々。新聞』の名では発行できないという痛烈なメッセージを受け、さぞ憤慨の極みにいるだろう文に、一応そのことを聞いてみるはたて。
「あれ、あんたが前から言ってた事と同じよね。」
「正確な情報は積み重ねる事で信用が得られる?自業自得ね。」
 虎の巻には『文々。新聞』では誰も信じないので、別の新聞、つまりはたての出す新聞を利用するという旨がはたて宛てに率直かつ痛烈に書かれていた。しかし、虎の巻ははたて用に作られている一方で、それを文が奪い取り読む事を想定してもいるので、そこに書かれている内容ははたてと同時に文宛てでもある。
 文にしてみれば八雲紫から新聞について直接的に駄目出しを貰った事になる。それには大きな憤りを感じるが、率直な感想は文にとっては有り難くもあり、はたての時は手を出してしまったがそれで免疫がついたのか怒気は直ぐにおさまった。
「そう、それ。それはまー確かにそう。分かってる。でも、『文々。新聞』という新聞が東側に出回って新聞という物の認知が進んでいなければ、今回のアイディアもないわけよ?」
「なるほど~物は言いようね~。でもさぁ?嘘があるから真実に価値があると言うのは違うと思うけどぉ?」
「嘘も方便ってことよ。ありのままだけでは時代は動かない。時代ってのは人為的に動かすもなのよ。」
 はたてはただの文屋でよかった。それだけでよかった。しかし、文は実は文屋ではなく、革命家になりたいのではないか?女として生まれた不幸を受け入れるのではなく、戦って道を切り開こうとしているのではないか?腕力では到底男には勝てないこの天狗の世界で、ペンという新しい力でそれに対抗しようとしているのではないか?革命とまではいかなくとも少なくとも現状を替えたいという思いが文の行動力の源になっているのは確かだ。
 はたては、文の言葉に目指す場所が自分とやはり違っている事を確信する。
「嘘も方便か・・・言葉ってのは便利よねぇ~。」
「はたての考え方では、新しい言葉は生まれないわ。その貴女のスタイルも猿まねであって自分で見つけたオリジナルではないでしょ?」
「・・・。」
 はたては、これ以上の議論に意味はないと見てここで黙って文の主張を一先ず受け入れた。
「私は取り敢えず、クロワンになるためにこの異変とやらを利用させて貰う。私にとって最初にして最後のチャンスだしね。文は文でこの異変を自分の為に利用すればいいわ。」
 いつの間にか文の正面に立って顔を近づけて話していたはたては肩の力を抜く。
「ええ、今回だけはお互いに協力しましょう。まー協力と言っても、はたては新聞のタイトルだけ貸して貰えればいいだけで後は全部私がやってやるわ。」
「好き勝手はさせないわ。私の新聞なんだから全部目を通して文が関わった痕跡は完全に消すから。」
「どうぞお好きに。文章の出来にかかわらず、今回はネタだけでみんな食い付くでしょうし。」
 互いに挑発するような好戦的な顔になっていたが目は何故か楽しそうに笑っていた。
 

 複数の大天狗が幻想郷入りしそれぞれが妖怪の山を囲むように領地を分散させているというのが幻想郷の西側の事情である。しかし、幻想郷の東側の住人はこの事をほとんど知らず、それほど広くない幻想郷でも東と西は完全に違う文化圏となっている。そして、6人の大天狗によって分かれている6つの領地毎でも基本的に鎖国状態なので、それぞれに独自の文化が形成されているのだ。
 文化が違うと言っても、文明の進歩状況は東西にかかわらず幻想郷内はほぼ同じレベルで、神通力、魔力、妖力といった力によって局地的な強いエネルギーを用いる事は出来るが、現代の様に常時安定供給できるエネルギーは存在せず夜を昼に変える事はまだ出来ない。
 夜ともなれば人間の里も天狗の里も一様に光は限定されるが、局地的には様々な方法で夜を昼のように明るくする事は出来、その代表的な例が人間の里の繁華街であり、天狗の里では印刷工場という事になる。

 鞍馬山領は、新聞報道の先駆け的位置付けにあり、印刷設備が他の領に比べて突出しており、局地的に電気を起こして工場内の印刷機の動力として供給出来るようになっていた。
 これは、河童の自治区を領地内に認めた代償として彼らの高い技術を供与されて実現したものである。
 一部近代化された印刷機によって、大量の印刷物を短時間で刷る事が出来るようになり、新聞の発行は以前に比べて短いスパンで実現出来るようなり、新聞業界に発行部数を競う競争性が生まれる結果となった。
 これらは、ここ十年前後の事で局地的に鞍馬山の印刷所だけが奇形的に発展したと言える。

 様々な力、例えば法力、神通力、妖力、霊力、魔力、自然の力などを電気に替え、それを印刷団地に供給する。これによって、単に工場施設だけではなく、編集制作施設もその恩恵が得られ、夜にもかかわらず印刷団地の施設内は昼の様に明るい。
 その恩恵にある射命丸文の編集室で、2人の女鴉天狗が角付き合わせる様に、明後日発行する新聞について議論を重ねていた。
「新聞はそんなに簡単に発行できないわ。ここじゃ、少なくとも数日前に予約いれないと!」
「んーなことわかるつーっの!そこを曲げるのが文の仕事でしょ?」
 24時間常にスケジュールが埋まっている印刷ラインに仕事を挟み込む事は出来ない。但し条件によっては可能である。
「・・・緊急を要する事、或いはより大勢に素早く知らせたい主にお目出度い事や訃報・・・。」
「つまり、スクープ記事!号外!」
「そうね・・・因幡てゐの大怪我がそれに該当すれば・・・。」
「因幡てゐって言えば、文が最初に東側の記事書いた時のネタよね?」
「そんなことよく覚えているわね・・・確かに、吸血鬼戦争中謎の津波に巻き込まれて死んだってのが定説だったけど、永遠亭に隷属して生存していたのよね。」
「その永遠亭ってのがいまいちわからないけど、因幡てゐが生きていた事はスクープ扱いだったわよね?」
「・・・そういえばあの新聞、スクープ記事としてライン止めて挟んでくれたんだっけ・・・新聞局長様があの記事でよく認めてくれたもんね・・・。」
 当時をしみじみと思い出す文。因幡てゐ生存に局長が食い付いたのを良く覚えている。当時は自分の新聞がスクープ扱いになったのがただ嬉しくてそのことを深く詮索しなかったが、今思い出すと不思議である。
「因幡てゐって有名なん?」
「あんたはまだ若いからね・・・少なくとも千年以上生きている連中ならみんな知ってる名前よ。」
「ふーん、そーいえばさぁ?あの新聞の反響は凄かったじゃん?」
「思い出したくもないわ。」
 因幡てゐ生存の報は、妖怪の山で大きな騒動となった。
 吸血鬼戦争中に謎の津波に呑み込まれて死んだとされていた、死後仙人兎と敬意を持って呼ばれた因幡てゐの名は天狗の世界でも有名で、彼女の不幸な死は通説として既に常識になっており、これが覆る事は歴史資料や教科書などにも影響する大事だったのである。
 クロワンの資格を家名で買った文は当時、新聞業界から嫌われており、彼女の記事は眉唾と業界が総力を挙げて彼女の記事の信憑性を疑うキャンペーンを貼って封殺しようとしたのである。
「局長様はああなることが分かっててあの記事を出させたってこと?やーらしぃ!」
 はたてが文を失脚させるために局長が一計を図ったと疑う。しかし、文はそれを否定した。
「局長様は、鴉天狗じゃなく歴とした天狗様よ僧正よ?鴉みたいな小賢しい事はしないわ。それに私の記事だからっていちゃもんつけたりしないし、みんな公平に扱ってくれるわ。じゃなければ、新聞なんて出させてもらえないわよ。」
 天狗様とは修業をしている僧正以上の者を言う。鴉も駒も天狗とは銘打っているが、僧侶ではないので厳密にいえば天狗様ではない。
「んじゃー局長はもしかしたら因幡てゐと知り合いだったとか?」
「知り合い?・・・ああ・・・。」
 はたての問いに文は一瞬顔を上げて、その後顎に手をあてて考え込む。
 鞍馬山領の大天狗、鞍馬山僧正坊は幻想郷事業に早くから賛同し、鞍馬は個人的にも幻想郷に一時期指南役で山から降りて滞在していたこともあるくらいである。その配下である天狗達も当然幻想郷の住人や事業賛同者とは面識があってもおかしくはない。
 因幡てゐは幻想郷には入らなかったが、事業には真っ先に賛同して協力妖怪組合の筆頭格に名を連ねていた。つまり鞍馬とその配下とは同じ組合員同士ということになる。
 開始当時はほとんどの妖怪から見向きもされなかった幻想事業なので、その当時の賛同者は少なく面通ししていればそれなりに親密になっていてもおかしくはない。つまり、印刷部門の局長はそれなりに因幡てゐと親密で、その為その生存を心から喜び、記事をスクープ扱いしたのではないだろうか?
 文の結論に、はたても納得した様子で頷くが口に出してはこんなことを言う。
「当時はちゃんとした記事書いていたのにねー、周囲のいやがらせで今ではこんなにやさぐれて・・・。」
「みっともないイメチェン女に言われたくはないわよ。」
「でも、だとしたらこの記事もスクープとして号外扱いにならない?」
「間違いなくなるわ!って、ああ、そういうことか・・・。」
 ここで何かに気づく文。
「どうしたの?あやや?」
「あややはヤメ!」
 前髪で隠しているが以外と広く、少し気にしているはたての額に軽くチョップをして黙らせ、ここまで全部、幻想郷事業の創始者の八雲紫が分かっていて仕組んだものだと肩をすくめる文。
「なるほどねー。あのおば・・・おねぇさまはとんでもない策略家なのねー。」
「そのまま原稿に使えそうな新聞記事の草案も既に虎の巻に書いてある。まだ確認してないけど、って今から明日起こる出来事の記事についての是非を局長様には問えないけど、恐らくスクープとしてすぐに刷って貰える算段もついた。後は写真を撮って、実際の紙面の構成と版下作成ね。ほとんどやることないじゃない?」
 つまらなそうにお手上げの仕草をする文。
「紙面を飾る写真は重要よ。決定的瞬間を撮らないと。」
「対象が現れる日時と場所までご丁寧に指定されてるのに決定的なも何もないでしょ?」
「あるっしょ?臨場感とかぁ?説得力とかぁ?」
「・・・というか、あんたカメラはあるの?」
「そんなものはないわよ。」
「んじゃ、私の貸そうか?あんたの念写よりずっと鮮明に撮れるわよ?」
「遠慮しておくわ。」
「はぁ?今、写真は大事だっていってたでしょ?あんたのボケボケの念写なんかじゃ何が何だかわからなくなるのは必至よ。」
「この目で直接見た印象的な映像は、すぐに消える事はないからそれなりに出来るわよ。それよりも文のカメラ使えばかなり綺麗な写真になえうだろうし、その方が問題よ。」
「はぁ?そのどこが問題なのよ?」
「文、読者を甘く見ないほうがいいわよぉ?写真見れば誰が写したかとかすぐにわかるんだから。」
「え?そ、そうなの?」
「いい?この新聞に文を匂わせる物は一つも入れちゃダメだめなの。それが見抜かれた時点でこの事件が胡散臭くなるのよ。」
 悔しいが言い返せない文。しかし、写真1枚で誰が撮影したかを読者はちゃんと見抜ける事を教えてもらった事はある意味収穫と言えた。
 とはいえ協力した痕跡は極力消さなければならないというのは目立ちたがり屋の文としてはかなり苦痛なことである。
「まぁ、いいわ。今回だけは特別あんたの言う通りにしてあげるわ。がんばってね編集長さん」
「へ、編集長?・・・きゃあああああー!なんか照れるぅー!もっと言って言って!」
 迂闊な事を言って後悔する文は、まとわりつくはたてを振り払うのにしばらく苦労させられることになる。