東方不死死 第53章 「選ばれし者」


 半身とも言える大切な剣を盗まれ、さらにそれを競売に掛けられ騙された妖夢。
 裏切りられた心はずだずたにされ絶望に打ちのめされても、世界は彼女を置き去りにして、何事もなかったかのように無常な営みを続けていく・・・。
「57!」
 競りはとうとう57貫文まで来る。
 57貫文という値が付いた事で2名で競っていた一方に諦めの表情が現れ、勝負の終わりが近い事を予感させる。
「57!57が出ました!さぁ、どうする?他におりませんか?・・・どうやらこれで勝負が付きそうです!」
 もう一声を期待する仲介人もそろそろ潮時と諦め競りのまとめに入る。60貫文まで引っ張りたいところであったが所詮は銭の無い武闘派妖怪、無い袖は振れない。300文で仕入れた物が57貫文になるのだから何も文句はない。
「さて、そろそろか・・・。」
 その時、妖夢に好きに抱かせてやり、一見すると羽交い締めにあっているように見えたてゐが、その戒めからするりと抜け出し、突然妖夢の膝の上で立ち上がる。一瞬の事でわけがわからず不安定なてゐの下半身を押さえてバランスを取る妖夢を尻目にてゐは片手を上げてその小さな手を大きく開いて叫ぶ。
「百貫文!」
 百貫文という大金の提示を受けて会場にどよめきが走り、それと同時に会場の全員がその声の主が誰かを探しはじめてざわめき出す。
 57貫文の値を付け落札を目前にしていた者とその仲間の集団が怒り心頭で罵声を上げて抗議し出し、競りをダシにして賭けに興じていた者や野次馬もそれ呼応して会場は騒然となった。
 競りは57貫文で決まることは誰の目にも明らかで、入札するにしてもわざわざ倍近い百貫文を提示しなくても、60貫文程度で済む話である。これは明らかに白熱した面白い競りに水を差す嫌がらせであり、そんな阿呆はどこのどいつだろうと会場の全員の目が妖夢の膝の上で仁王立ちしている小さな存在に注目する。
 怒気を含んだ棘の様な視線の集中砲火に妖夢は思わず自分が責められている様で目立たない様に下を向いて小さくなる。このままではてゐは会場の皆から罵声を浴び、それでは済まずに袋叩きにされるかもしれない。そして自分もそれに巻き込まれるのだ・・・。
 しかし、妖夢の予想に反し会場が急に静まっていくおかしな空気になり、妖夢は恐る恐る目を開いて状況を確認する。

 参加者や見物客が、競りを台無しにした『大馬鹿者』が誰かを確認した時、会場のどよめきが一瞬で静寂に変わり、周囲の熱気がさーっと潮が引くように冷める。妖夢はその空気の変わる一瞬がてゐを乗せた自分を中心に起こっている事を肌で感じ鳥肌が立った。
 仲介人もこの時初めて因幡てゐの存在に気付いて愕然とした表情で狼狽えている。
 『あの』因幡てゐが介入してきた意味を会場の者達の多くは理解しており、その意味が分からない者も周囲の空気を感じとって先に動いた者達に従って会場から姿を消し始める。
 妖夢は、数分で人気の無くなった会場の様子を呆気に取られながら眺めていた。あまりにも突然の事で沈んでいた気持ちも綺麗に切り替わってしまった。
 妖怪からの評判がすこぶる悪い因幡てゐのこの嫌がらせ的入札によって競売が台無しになったのは間違いないだろうが、その後の会場の様子からそれだけではない事が伺える。触らぬ神に祟りなしといった様子で、畏れをなして引き下がった感じだ。

 そんな妖夢を尻目に膝の上からぴょんと降りたてゐは、そのまま仲介人の前に進み出る。対する仲介人は明らかにてゐを恐れている様子で、縁側の司会用の台からずり落ちて、倒れたまま後ずさりを始める。
 てゐは懐から黄金色に輝く小判を取り出し、それを縁側にばら播いてニッコリと満面の作り笑いを浮かべる。
「一両小判25枚、丁度百貫文分だ。早くその剣をくれ。」
 てゐはそう言って剣を寄こせと手を出す。すると仲介人は悲鳴を上げてそのまま縁側から会場の中庭に飛び降りて、てゐの横で土下座を始める。
「ご友人様の剣とは知らずとんだご無礼を致しました!申し訳ありませぬ!」
 額を地面に擦りつける仲介人。ご友人とは自分の事だろうか?明かな勘違いであると思わず訂正したい衝動に駆られる妖夢。それにしても、仲介人のあの高慢な態度は見る影も無く、無様というより哀れである。
「ご友人?はて、誰の事だ?」
 てゐも妖夢と友人であることを否定する。仲介人としては妖夢の膝の上にいたてゐを見て、仲の良い友人と勘違いしたわけで、席の所で立って不思議そうにこちらを見ている妖夢とてゐを交互に見る。
「席が無いから座らせてもらっただけだ。別に友人でもなんでもないぞ。ささ、それより早くその剣をよこせ。」
「え?で、では、お、お咎めは?」
「お咎め?何か咎めを受ける罪でも犯したか?」
「そ、それは、その・・・。」
 要らぬ事を言って口ごもる仲介人。妖夢は何となく状況が理解出来た。てゐは仲介人の上司の様な存在で、その怖い上司が競りの監査に来たと勘違いし、妖夢に対して行った不正行為が暴かれたと思っているのだ。そして、てゐは競売に参加したただの通りすがりのように振る舞って、仲介人の口から不正の事実を尋問ではなく自供させたのである。
「心当たりがあるなら自ら申し出よ。隠し立てすれば、もう後はない身だ。分かるな?」
 最初は落札したことに満足してニコニコとしていた因幡てゐだが、犯罪の匂いを嗅ぎ当てると態度が豹変して仲介人を鋭く睨み付け詰問する。
「ひー!お許し下さい!二度と致しませぬ!」
 それを受けて仲介人はすぐに観念して謝罪を始める。どうやら不正は今回が初めてではなようだ。
「何をしたか知らぬが罪を許して欲しい時は何をすべきだ?」
 てゐは渡せと言ってもひれ伏したまま動こうとしない仲介人を尻目に、自ら縁側に上がって楼観剣を取り、満足そうに頷きながら仲介人を見ずに背中で問う。
「それは・・・その罪を謝罪しそれに見合う5倍の償いをする事・・・。」
 二人の間にそうした取り決めが予めなされていたと理解する妖夢。自分にした行為はやはりやってはいけない違反行為だったのだ。
「ならお前がすべき事は何だ?」
 しばらく土下座した状態のまま地面をじっと見つめていた仲介人は、てゐが縁側に散らばった百貫文分の小判を拾い集めてそれをそそくさと妖夢に渡そうとする。
「剣は私からお返しできませんが、これで買い戻してください。これでどうかご勘弁を!」
 騙した相手にばつ悪そうに大金を渡す仲介人。突然胸に突き出された小判の束を受け取れず身を引いて拒む状況がよく掴めていない妖夢。そこにすかさずてゐが横やりを入れる。
「安く仕入れて高く売るのが商売の鉄則。仕入れの五倍以上ではないと売る気はないなー。」
 仲介人が妖夢に言った台詞をそのまま返して皮肉り、償いは罪の五倍でなければならないことを改めて教えるてゐ。仕入れの五倍と言えば五百貫文という大金であり、そのような金がすぐに用立て出来るものではないだろう。

 楼観剣は百貫文で競り落とした因幡てゐが現在の所有者であり、百貫文で仕入れたてゐとしては買値で売るつもりは更々無い様子。
「で、では、110で?」
 それを聞いててゐの眉間にシワが寄る。
「・・・お主、自分の置かれている状況が分かってないようだな。お前の示す金額はお前の命の値段だ。」
 てゐのドスの効いた声に状況を理解した仲介人は、今回の不正、競売の競りに不当に介入して値を釣り上げた行為を完全に見抜かれ、その罪を問われている事を改めて知り、無駄な言い逃れが身を滅ぼすと全てを諦め保身に走る。
「で、では・・・ご、ご、五百貫文で・・・。」
 全財産の3倍近い金額を提示しがっくりと肩を落とした仲介人を見て満足したてゐは、剣をそのまま妖夢に放り投げる。
 仲介人が提示した金額は、全て妖夢に全額支払われる慰謝料であり、これで因幡てゐの楼観剣を買い取るという段取りが妖夢の意志とは関係無く進められてしまった。妖夢にとっては有り難い話だが、何だかキツネにつままれたような感じである。
「それとも、手に入る五百貫文でもっと立派な剣を買うか?私は別にそれでもかまわんぞ?この剣はなかなかの名刀だからな。」
 嘘とも本気とも取れる意地悪そうな顔で妖夢に笑いかける因幡てゐ。確かにこれだけの金額が手に入れば買い戻すよりも別の名刀を買った方が得かもしれない。しかし、妖夢の答えは決まっていたので首を横に振った。楼観剣はただの武器ではない。これは掛け替えのない友なのだ。
「ふむ、では、五百貫文は私が後でこいつから貰い受ける・・・で、いいな?」
 最後は仲介に向かってきつく言うてゐ。
「・・・はい・・・。」
 これまで貯めた財が一日で消え、更にその3倍の借金を負うハメになった仲介人の落胆は大きい。しかし、仲介人としての職を追われたわけではないので、返済のあてがありそれだけが仲介人にとっての唯一の希望だった。
「お前もこれでいいか?」
 妖夢にも確認するてゐ。
「え、ええ・・・でも・・・。」
「何か不満か?」
「いえ・・・でも何故私を助けてくれたのですか?」
「別にお前を助けたわけではないぞ?」
 妖夢は率直に疑問をぶつけたが、てゐはそれを否定する。しかし、妖夢は納得出来ない。自分はこれまで多くの人に支えられていたことを知った。今日の事も誰かの根回しによるものではないかと勘ぐりたくなる。そして、その根回しをした人物にもお礼がしたい。
「嘘です!」
 睨む妖夢に根負けしたかのように、肩をすくめるてゐ。
「この競売所は私が出資したもので、つまり私がオーナーと言うわけだ。そしてその運営をこの仲介人に任せている。こいつは、狡賢くて情が薄いから商売向きなんだ。」
 お人好しでは商売で儲ける事は出来ないという事だろうか?確かに客の懐を気にしてその都度値引きしていたら商売にならない。
「安く仕入れて高く売るというのは商売の鉄則、それはいい。しかし、競売の競りに関与して値段の引き上げをするような不正は絶対するなという規則を設けている。こいつはその規則を破ったのだ。」
「・・・。」
 因幡てゐがそれなりに凄い存在だということは、酒場の主人の話からも理解出来た。そして競売のオーナーである因幡てゐの競りへの参加は、監査が入り競売に待ったがかかった事を示し、それに気付いて皆が面倒毎に巻き込まれたくないと引き下がったのだ。この一連の状況を見ても因幡てゐがこの周辺一帯の実力者であることが理解できた。
 妖夢としては、てゐの言は充分理解出来き、不正を暴く一連の調査にたまたま自分が利用されたようにも取れるが、結局自分は誰かの計略に利用される存在なのだと思い知らされ、落胆よりも怒りが沸き起こった。
 立ち尽くしたまま、肩を怒らせている妖夢を見ててゐはまた肩をすくめる。先程まで絶望に打ちひしがれていた妖夢とは別人の様な変わり身に一先ず安心する。流石に先程までの妖夢は可哀相で見ていられなかった。
 しかし、このままでは自暴自棄にかられて良からぬ方向に行ってしまう恐れもあるのでそのフォローをする。
「・・・降参だ。白状しよう。不正を暴くのは妖夢を助けるついでのようなものだ。」
 てゐは観念して妖夢を助ける為の行動の一環であったことを白状する。
「や、やっぱり・・・でも、何故?」
 自分に憤っていた妖夢はてゐの言葉を聞いて、自分が利用されただけではないと知り、すぐに機嫌を戻す。
「何故だと思う?」
「そ、それは・・・私が半分人間だから?」
 酒場の主人が言っていた様に、因幡てゐは人間の味方である。半人である妖夢もその恩恵に預かれる立場にあるのではないだろうか?
「困っているお前を偶然見つけたら、確かに助けてやらんでもないな。その理由で・・・。」
「ということは、偶然ではなく、ずっと私を見張っていたのですか?」
「まぁね。」
 腕を頭の後ろに組んで楽しそうに答えるてゐ。
「つまり誰かに頼まれてそうしていたのですよね?」
「うむ。そのとおりだ。」
 因幡てゐは誰かに頼まれて自分を監視していた。恐らく世間知らずの自分が幻想郷に飛び出して巻き込まれる問題を事前に予測し、酷い目に遭わない、遭ってもその後始末をするように、誰かがてゐに頼んだのだ。
 妖夢が最初に浮かんだ顔は主の西行寺幽々子だが、永遠亭との交流は全くないし幽々子とは先程別れたばかりである。時間的に小野塚小町の家に行っている間に密かに根回ししていたのかもしれないが、白玉楼に戻った時の主は自分に『おかえり』と言い、旅立つ事を想定していなかったようだ。
 結論から言えば主の西行寺幽々子ではないだろう。 
 次に思い至ったのが八雲紫か、四季映姫、小野塚小町など比較的自分と関係が深い者達である。
 不死人を異常に敵視する自分の性質や未熟さを八雲紫にまんまと利用されたことは小町から聞いている。そのお詫び的な意味で紫が自分の面倒を見るという事も考えられない事もない。
 四季映姫は真っ先に自分の心配をして小町の家を尋ねて見舞ってくれた。彼女もそうした根回しをする可能性は大きい。
 しかし、問題はその相手である。因幡てゐと彼らの接点が全く見えないのだ。もし彼らが誰かに何かを頼むとしたら、それは信頼のおける別の人材を選ぶだろう。そもそも因幡てゐは妖怪からの評判が非常によろしくない。主にしても八雲紫、四季映姫にしても人間ではない妖怪のカテゴリーに入る連中である。人間の味方であるてゐとは恐らくそうした取引はしないだろうし、てゐも応じないはずだ。
 では一体誰なのだろうか?
 妖夢は考え込みながらチラっとてゐの顔を見る。素顔なのか作り笑顔なのかニコニコしている。
 自分が因幡てゐの立場ならどうするだろうか?
「(自分なら・・・最後まで白を切るな・・・。)」
 影で誰かを支援してくれと頼まれたら、その対象に気付かれないようにするし、気付かれそうならとぼけるだろう。しかし、てゐの様子を見るとむしろその影で支えている人物を自分に教えたがっているようにも見える。
 秘匿義務は特にないということだろうか?
「・・・分かりません。教えて下さい!」
 妖夢は降参しててゐに頭を下げる。何度考えてもその謎の依頼人の見当がつかなかったのだ。
「やれやれ・・・お前は本当に未熟だなー。一体誰に命を助けられたのか・・・。」
「え・・・ま、まさか!」
 妖夢は背筋が凍るような衝撃を受けた。全身が総毛立ち、頭髪がざわめいて重力に逆らう様な感覚を覚える。ずっと頭の中に置いて忘れない様にしたのに、完全にその存在を見落としていた。
「ふ、藤原の・・・妹紅・・・?」
「正解!」
「な、な、何で・・・。」
 妖夢は肩が震え出し理解出来ない自分の思考に様々なキーワードを与えて、その理由を探る。しかし、何も答えは出てこない。
「ありえない!」
 妖夢は声を絞り出して唇を噛んだ。
 殺されても文句が言えない門番の無礼を受ける立場になる永琳に対する根回しは、三賢者と永琳らとの友好的な対話を行う為に必要な事で、命を救われた妖夢はあくまでそうした計略の一環に含まれている事だった。
 藤原妹紅は、慈悲で以て自分を助けたのではなく、あくまで大義の為にそうしたのだろう。
 しかし、今回の件は三賢者会議とは全く関係ない私的な事で、ここで妹紅が介在する理由が見当たらない。

 妖夢は膝を落として地面を握りしめた。ここまで面倒見てくれる藤原妹紅は何を思ってそうしたのか?主である幽々子やその他自分に近い者達よりも自分の身を心配してくれる妹紅は一体何者なのだろうか?感謝を通り越して寒気がしてくる妖夢。
 そんな妖夢にてゐが声をかける。
「妹紅は白玉楼でお前に追い払われた後、師匠とすれ違ってお前の助命を懇願した。これはまぁー計略の一環だ。」
「ええ、それはわかります・・・でも!」
「妹紅は幻想郷に戻ったその足ですぐに私に会いに来てな、非礼の咎めを受ける門番が放免されるかもしれないし、そうなれば恐らく幻想郷に出てくる可能性が高いから、世間知らずな門番が酷い目に遭わないように便宜を図ってくれと頼まれたんだ。」
「何故、そこまでするのですか?私と妹紅さんは他人です。そんな情けや心配をされる筋合いはありません!」
 確かにその通りであるとてゐも頷く。
「妹紅がそこまでお前の面倒見る本当の理由は私にもわからん。ただ、どんな形であれお前を騙したことにはかわりがない。妖怪は騙された方が悪い・・・と、なるが、人間はそうではない。妹紅のことだから妖夢に対して償いたいと思っておるのだろう。」
「償う?償うのは私の方です!」
 妖夢は『償い』という言葉に反応して急に怒気を纏う。
「私は不死人狩りの時、極悪人と聞かされ、妹紅さんを問答無用で斬ってしまった。その後悪いのは永遠亭の方だと知って私は後悔しました。でも、悪人ではない人を斬った自分はただの人殺しになることを恐れて、ずっとずっと妹紅さんを悪人として決めつけて、それで・・・それで・・・。」
 それを引きずったせいぜ先日の三賢者会議にとんでもない失態を犯したのである。後悔と申し訳ないという念から涙を流し始める妖夢。
「あの時妹紅は、この辺の妖怪全てから連日殺されまくっていた。でも妹紅は一切彼らを傷つけなかった。何でだと思う?」
「・・・慈悲ですか?」
「そんなものではない。ただの打算だ。」
「打算?」
「反撃すれば本当の悪者に仕立て上げられるかもしれんだろ?どっちが悪いではない、売られた喧嘩は先に剣を抜いた方が負けなのだ。」
 てゐの話を聞いて、いつも先に剣を抜く自分を顧みて妹紅との差を痛感する。不当な罪人扱いに何の言い訳もせず、ただひたすら耐え抜き、そしてそれが罪悪感となって跳ね返り、多くの人妖が肉体ではなくその経歴に傷を負った。最後に勝者として君臨したのが妹紅であり、不死人狩りを謀った者、参加した者全てが敗者となったのだ。そう、自分も・・・。
「お前を助けるのも恐らくはそれが得に繋がるという打算に基づいての事だろうが・・・。」
「私はどうすれば・・・。」
「妹紅の役に立つことだろうな。肩書きなど捨てて、裸一貫、魂魄妖夢として妹紅の前に立てばいい。お前をどう料理するかは妹紅に任せればいい。お前は小賢しくも自分が何とかしなければと考え、何とか出来ると思っておる。それがいかんのだ。」
 がんばれば何とか出来る。修業だって上手くいって立派になった姿を幽々子に見せられると、本気で確信している。だが、そうではない。希望的観測と確実に達成出来る事には天と地の差がある。自分には確実に達成出来るという明確な根拠が何も存在しておらず、それに向けた準備や努力もしていないのである。
 志は確かに重要である。物事を始める動機になるからだ。しかし、志だけではどうにもならないのだ。
 自分と妹紅との差は、掲げた志を100%達成できるかの差であり、その為に必要なものをしっかりと身につけているかどうかなのだ。
 妖夢に何やらやる気が湧いてくる。
「お前は面白い奴だな。さっきまでこの世の終わりみたいな顔をしていたと思ったら、急に泣き出して後悔をはめて、今度はやるき満々か・・・。いろんな人間を見てきたがお前程の馬鹿は見た事がない。」
 てゐが地面に跪いたまま上体を上げて握り拳を作って天を見上げている妖夢の正面で面白そうに感想を述べる。
 それを受けて今日の様々な出来事が脳裏に蘇り、その都度どんな顔をしていたかを思い出して赤面する妖夢。
「お前は妹紅と同じ、人間なのだな・・・。」
「え?」
「妖怪は千年前と後でも同じだ。でも人間は不安定な生き物だ。常に変わり続ける。それが人間の強さであり弱さでもあり、それだけに見ていて面白い。お前が人の心を失わずにいるなら、私は人間である魂魄妖夢への援助は惜しまん。困った事があったら遠慮せずに相談してみるといい。借金なら無利子で応じるぞ?」
「あ、ありがとうございます!」
 思い掛けず意外な後ろ盾を得た妖夢は、お礼の言葉が素直に出る。てゐはこの辺りでは有名な実力者の一人であり、幻想郷で地に足を着けて暮らしていく上では、彼女の様な裏社会に顔が利く知り合いがいると何かと頼もしい。
 数時間前までは、因幡てゐを所詮は悪戯好きの雑魚のように見ていた妖夢だが、妹紅同様完全に評価がひっくり返ってしまった。妖夢は気位が高く上下関係を意識し過ぎるという欠点もあるが、ありのままの現実を素直に受けとめる事が出来、その序列をすぐに修正できるという長所がある。
「妹紅がお前を助ける理由の本当のところは私にもわからん。まー何においても妹紅と会ってちゃんと話してみることだな。」
「わかりました。今日は本当にありがとうございました。」
「その礼なら妹紅に言うのだな。私は思わず大金が舞い込んでしまった。むしろこっちが礼を言いたいくらいだ。」
 2人は笑い会った。
 

 陽もすっかり落ちて辺りは夜のとばりに覆われる。
 幻想郷の夜空は、妖怪や妖精、幽霊や弾幕の光で何かと明るく騒がしい。しかし、異変の兆しを感じとったのか勘の良い妖者が夜の幻想郷からめっきりと数を減らし、最近は闇夜になり星々が良く見える日が多い。
 真夜中の幻想郷を見慣れていない妖夢は、こんなに夜が暗かっただろうかと満月が続いた永夜異変の記憶を辿りながら冥界よりもかなり暗い周囲に戸惑いつつ、てゐに教えられた藤原邸までの道を徒歩で進む。
 人間の里と関所跡を結ぶ街道は人妖がよく通るせいか踏み固められてしっかりとした道が出来ており、夜目が利かない妖夢でも迷う事はないだろう。
 昼間の事もあり多少臆病になってしまって空を飛ぶ事を躊躇っているということもあるが、これから妹紅と会うにあたって何から話を始めようかなど心の準備の時間が欲しい。だから、敢えて時間がかかる徒歩を選択したのだ。
 考える時間が欲しいから時間のかかる作業を選ぶなど、今までの自分にはなかった発想だった。
 八雲紫が主の幽々子に特別な用事を持ってくる時は決まって階段を徒歩で登ってくる。スキマを使えば一瞬なのに何故こんな長い階段を徒歩で登ってくるのかいつも不思議に思っていた。それを本人に尋ねると運動不足だからなどとからかわれて相手にされなかったが、今なら彼女が何故そうするのか分かる気がした。その時間は無駄ではなく大切な時間なのだ。
 妖夢は一歩一歩地面を歩きながら、様々な思いが頭の中を駆け巡る事に戸惑い、心を悩まし、募る思いに溜め息が漏れた。そんな自分をはたと顧みてそれらが何れも初めての経験である事を知る。
「最初は謝るべきだろうか・・・それとも礼を言うべきだろうか・・・。」
 妖夢は妹紅と会った時に何から話を始めようかと頭の中でその状況を想定し練習をしてみる。
 里までは飛べばすぐだが歩けばかなりの距離がある。東に向かってどてくらい歩いたのか右手の竹林に向かう三叉路を過ぎると道がゆるく左に曲がり、やがて真っ直ぐ北に向かう。そこでようやく里の明かりが視界に入ってきた。
「たしか妹紅さんの家は・・・里の手前の一軒家・・・あ!あれか・・・。」
 里の建物群よりだいぶ手前に離れ小島のようにぽつんと建物らしきものが一軒建っており、里の繁華街から漏れる光を背景に黒い家影が前方やや左に浮かんで見える。
 家にいるかどうかは分からないと恩人の因幡てゐは言っていたが、家の前の道の真ん中に誰かいる事に気付き、瞬間的にそれが藤原妹紅だと感じて足が一瞬止まった。
 再び歩き出した妖夢は、鼓動が速くなる一方で足の動きは鈍く重くなってやがて根が張った様に動かなくなる。頭の中では早く行かなくてはと思うのに体が言う事を利かない。本能が恐怖を感じとって体を動かなくしているのだろうか?いや、以前の様に恐怖はない。自分の中では完全に藤原妹紅に敗北していると認めている。
 今朝の四季映姫の言葉が脳裏に蘇る。幽々子に会いたくないという思いを変えてくれた言葉。やりたくない事に敢えて立ち向かう事を修業の一環と捉えれば良いのだ。
 妖夢は意を決して足を前に出した。必死で足を動かした。肩に力を入れて足と共に手も大きく振って、のしのしと前で出た。
 その異様な気を放つこちらに気付いた前方の独特のシルエットの人物は後ろを振り返りこちらを見る。
 心臓が大きく弾み、先程まで色々と考えて頭の中で練習していた台詞が一瞬でどこかに飛んで行って真っ白になる。そして振り向いた影がこちらに一歩一歩近付いてくると、もはやどうしていいのか分からずすくみ上がったかのように呆然と立ち尽くしてしまった。
「魂魄妖夢か?」
 名前を呼ばれて、思わず『ハイ』と声が裏返った返事をする妖夢は、あのそのとしか言えずモジモジする。そんな妖夢に表情を緩め苦笑しながら妹紅の方から声を掛ける。
「この前は悪かったわね、だまし討ちのような事をしてしまって。」
 妖夢はその言葉を聞いて我に返った。先に謝ろうとして、逆に謝られてショックをうけた。
「妹紅さんは何も悪くありません!悪いのは私です。」
「自分の未熟が招いたってこと?」
「はい。」
「その未熟を利用したのは藍で、私は自分の都合でその策に乗っただけ。貴女の未熟と私の都合はなんの関係もないわ。」
「そ、それは・・・。」
 予め予想される返答を考えて会話の段取りをしていた妖夢だが、完全に想定外の返答が来てどう答えていいか分からず口ごもる。
 そんな妖夢に歩み寄って落とした肩をポンポンと叩いて元気付ける妹紅。

 自らの未熟が招いた不始末は自分には関係ない事と当人に言われてしまうと、自身の未熟を根拠とした言い訳が立たなくなり、これまで頭の中で描いてきたシナリオが全く無駄になった。
 妹紅としても妖夢が必要以上に自分を下げる態度が気になってわざとその論拠を潰して困らせてみたわけである。気位が高い者の謝罪は大抵このように卑屈になり、妖夢もそれに見事に当てはまっていた。
「私の中身のない言葉だけの許しで貴女の気持ちが楽になるのならそうするけど、貴女はそれで満足なの?」
「そ、それは・・・。」
 心を見透かされている事に気付いた妖夢は、必死に体裁を取り繕っている自分に気付く。因幡てゐは裸一貫で妹紅と向き合えと言ったのは、小細工が通じる相手ではないという意味でもあったのだ。
 心から感謝しよう。心から謝罪しよう。そう思ってもいざとなると頭を下げる言い訳を考えていた。そしてそれを完全に見抜かれた。自分が卑怯者に見えて嫌になってくる。何で素直に謝れないのか?何で素直にお礼を言えないのか?これはこんなにも難しい事だったのだろうか?
「心から謝ったりお礼をしたりって、実はとても難しい事なのよ。家族、友達、社会の中でその難しさを学び、その過程でそれが言える相手と本当の絆が育まれる。長く生きていると見えてくる事だけど、妖夢は社会と呼べる世界との繋がりがなかったのだから仕方がないわね。」
「うぅ・・・。」
 妖夢は自然に膝が折れ、地面に手をついた。
「冥界の住人である貴女が、全てを捨ててここに来た。それだけで貴女の気持ちはもう分かったし、伝わったわ。ありがとう妖夢。」
 それを聞いてわぁと泣き崩れる妖夢。
 妹紅は今日何人泣かせてしまったのだろうかと、紅魔館の出来事も踏まえて思わず苦笑する。風見幽香が言ったように様々な事象が自分に向かって引き寄せられており、そしてそれら全てをすくい取ってやらなければならない。難しい事に思えるが実は簡単なのだ。自分の思った通りにすればいいだけなのだ。公の為とか、大義の為とかそんな格好付けたものではなく、全て個人の問題として取り組めばいいだけなのだ。
 しかし、妹紅に吸い寄せられる因子には、恐らくこの異変における何かの役割があるはずだ。藍の計略に乗った時点で妖夢はその因子に含まれ、何らかの役割が与えられているはずである。それは何か?見極めるか、それとも自分が与えてやればいいのだろうか?

 妹紅の優しい言葉に感無量となって涙が止まらない妖夢。悪い憑き物がとれる様に心が軽くなって泣く程に気持ちが楽になっていく。しばらくそうさせてやるしかないと思い妹紅は妖夢の背中を優しくさすってやった。
 しばらくして妖夢も落ち着きを取り戻し上体を上げて妹紅に礼を言う。
「私・・・不死人狩りからずっと妹紅さんを悪人と決めつけて人斬りを正当化していました。白玉楼での件以降は妹紅さんは悪人ではないと知り、そして今わかりました。妹紅さんはとても優しい人だってことが・・・。」
 涙に潤んだ瞳でにっこりと笑う妖夢に思わずドキッとする妹紅。面と向かってこんな恥ずかしい台詞を言える者は自分の知る限り妖夢で二人目である。勿論その一人目は上白沢慧音だ。
 思いはちゃんと口になければ伝わらない、だから隠し事はせず何でも話すようにと主人である幽々子にそう言われてこれまで過ごしてきた。だが、藤原妹紅はここまで辿り着いた自分の苦労を全て汲み取った上で、ここに来てくれただけで充分だと礼まで言ってくれた。妖夢はこんなにも優しい言葉を掛けられた経験がこれまでなかった。
 妹紅としては特に気を利かせた分けでもない台詞だったのだが今の妖夢にとって百億の言葉に勝る一言だった。
「優しくするのは相手が人間か、人間を好きなやつだけよ。」
「てゐさんも同じ様な事を言ってました。」
 てゐの言葉が出た時、妖夢はこれまでの経緯を妹紅に語って聞かせる。
「大冒険だったわね。でも、てゐに気に入られるなんて滅多な事ではないわ。1万の軍勢が味方に付くよりてゐ一人味方に付く方が頼もしいわ。」
「そうですね。それを身を以て知りました。」
 泣いた後の赤い目をしながら苦笑いするどこか放っておけない独特の雰囲気がある妖夢。
 半人半霊、人間と幽霊のハーフなどと聞くが、混ざり合って実体が不明瞭な存在というわけではなく、人間と幽霊が独立して存在しそれが繋がっているのだ。50+50で100の存在ではなく、100+0なのだ。そしてその0に誰かの魂を入れて結魂し、100+100の超人的存在になれるのが本来の半人半霊なのである。
 妖夢の魂魄には未だ何も存在せず、彼女は一人の人間である。しかし、完全な人間ではない。妖夢は、人間でありながら人間ではなく、妖でありながら妖でもないという両方の性質を同時に合わせ持つ特殊な存在なのだ。

 白玉楼や西行寺幽々子といった自分の下支えになっていたものから精神的に脱却し、一人の少女に戻った妖夢は、色々な事を止めどなく妹紅に話し始める。魔理沙の時もそうだったが、話し始めたら止まらない、聞いて欲しくて仕方がない妖夢は、九天の滝の如く言葉が次から次へと滝となって流れ落ちる。
 そんな妖夢を尻目に、ほとんどがたわいもない話だったので、妹紅は聞き流しながら彼女をどう扱おうか検討する。
「(人間と妖の二つの要素を同時に兼ね備えている魂魄妖夢には使い道がある。)」
 この異変の成否、いや成否に関しては成功するとは既に確約されていることである。問題は、より完璧な成功である。妖夢はそのより完全な成功を達成させる上での切り札になるだろう。
 妹紅は自らの企みに確信を得て満足そうな笑みを浮かべる。それに気付いた妖夢が考え込んで心ここにあらずの妹紅の名を数回呼ぶ。四回目で我に返った妹紅は、話し続けて困らせた事を詫びる妖夢を立たせて、その肩に手を置いて真顔で見つめる。
「妖夢、一つ頼まれてみない?」
 妹紅の突然の申し出に一瞬戸惑う妖夢だがすぐに大きく頷く。恩人の妹紅に恩を返せるというのなら何でもする覚悟があった。
「今里で傭兵を募集しているのは知っているわよね?」
「はい、マヨヒガとかあの辺に沢山集結してます。あっ、もしかして私も傭兵に参加しろと?」
「いや、そういう話しじゃなくて、里に暫く滞在して欲しいの。慧音の寺子屋に厄介になるといいわ。私の紹介と言えば邪険にはしないでしょうし、今里は人手不足だから働き口はいくらでもあるわ。」
 妹紅は話しながら妖夢の表情が少し曇っている事に気付く。頭が良いだけに物事をすぐに打算的に考えてしまい、その意味や意義を模索し、そこで自分にメリットがあるかどうかを先に考えてしまうのだ。
 この表情には既視感があった。昼間のパチュリー・ノーレッジと同じで、口では大きな事を言っても実際に行動する時に成否や損得の勘定から始めてしまい、立場上先に了承すべき事を後回しにして答えを渋るという、頭の良い者にありがちなパターンを妖夢も見せた。
 妖夢は妹紅に対するわだかまりが消えたものの、信頼関係が成立しているわけではなく、それ以前に敵味方の立場も形成されていない。この状態で相手にものを頼む事自体が本来無謀なことなのだが、妖夢と妹紅のありのままの今の関係を正確に見る上で、この突然の申し出は役に立ったと思う妹紅。
 妖夢としては、具体的に何かを取ってくるとか、何かの作業を手伝うといった結果がはっきるわかるものなら二つ返事で引き受けようとは思ったが、里に滞在しその滞在場所まで指定してくる妹紅の頼み方には何か裏があるようで勘ぐってしまう。
 妹紅の構想する妖夢の使い道は、本人に説明しても分からないだろうし、理解して貰うためには異変の最初から説明しなければならない。そしてそこまで説明したとしても了解してもらえるとも限らない。それに不満を持ったまま妹紅の頼みを引き受けても良い結果にならないだろう。
 そこで妹紅は、妖夢を自発的に行動させる為に一計を講じた。
「あっ、やっぱりいいわ。今の無し無し。」
 苦笑いしつつ両の掌をヒラヒラさせて前言撤回をする妹紅。
 言っている意味がわからず何となく嫌な感じがしていた妖夢は、前言撤回をされた事で逆にその話に興味が湧いてしまう。不思議なもので、頼まれると嫌なのに、断られるのはもっと嫌なのだ。妹紅はその心理を上手くついたのである。
 何か重要な任務を託そうとしたにもかかわらず、自分のやる気の無い態度に気付いて話を止めたのではないだろうかと勘ぐった妖夢は、妹紅に誘導された事を知らずに俄然やる気を出して断ろうとする妹紅に食い下がる。
 しめしめと思う一方で妹紅は敢えて厳しく突っぱねた。
「いい?今の話は無し。私と妖夢との間にプライベートな事を頼める信頼関係はまだなかったってこと。」
「いえ、妹紅さんの頼みなら何でも引き受けますよ!」
「うそばっかり、さっき微妙な顔してたくせに。」
「そ、それは・・・その、あまりに突然だったので・・・つい。」
「いいから、今のは忘れて。くれぐれも慧音の所に行ったりしないでね。」
 妹紅はそう釘を刺したが、これは慧音を強く印象に持たせ、自然と足を運ばせようとする暗示であり、嫌よ嫌よも好きのうち、行くな行くなは行けである作戦である。
 しょんぼりする妖夢を励ますように肩をポンポンと叩く妹紅。
「泊まるところがなければそこの家を自由に使っていいわ。何も無いから食べ物とかは自分で調達して来てね。」
 そう言って妹紅は踵を返す。
「あ、あの、どちらへ?」
「ん?どこだっていいでしょ?」
 敢えて素っ気なく答え妖夢を突き放す妹紅だが、顔はそっぽを向いたまま、ぺろっと舌を出す。
 竹林の方へ飛び去った妹紅を追おうと一歩踏みだして留まる妖夢は、妹紅の姿が見えなくなってから身体全体で大きく溜め息をつく。
「はぁ~。」
 妹紅に対するわだかまりが消え、妹紅と友好関係が築けようかとした矢先、送られてきたシグナルを上手く受信出来ず思いがすれ違ってしまった。別れ際の態度も完全にこちらを他人扱いしていたし、物凄く心証を悪くしたようだ。後悔の溜め息が止まらない。
 それにしても妹紅が何を頼もうとしていたのか気になる妖夢。上白沢慧音の所に行けばわかるのだろうか?しかし、行くのを止められている。でも気になる。
 これからどうすべきだろうか?家を使ってよいと言われたが、食べ物はないとの事。夕食は関所跡の酒場で済ませているの早急に食料が必要なわけではないが、朝食、その後の食事の事を考えれば、早急に腰を落ち着けて暮らしていける環境を作らなければならない。妹紅にはこれ以上世話になれないし、住む所くらいは自分で探すべきだろう。今夜は里の宿屋にでも泊まろうと決める妖夢。
「本当に、ありがとうございました。」
 妖夢は妹紅が消えた空に一礼して、里に向かって歩き出した。


 里の南門周辺の家々は既に寝静まって灯りが無く薄暗い。どのくらい時間が経過したのか全くわからない妖夢は、周辺の様子から夜がだいぶ更けている事を知る。
 この辺りは農村部よりも少し裕福な庶民の家が建ち並ぶ少し広い通りとなり、そのまま北に向かえば大通りと交わる交差点に出て、更に北に向かうと妖怪のたむろする繁華街に出る。ここからでもその煌びやか灯りが目に入り、そこだけ別世界の様で興味と同時にある種の畏れを感じる。里に来るのがほとんど昼間であった妖夢は、初めて目にする繁華街の賑やかさに驚きながら、今晩の宿をどうするかを頭の端に置きながら光に吸い寄せられる夏の羽虫の様にゆっくりと北に歩き出す。

 遠くの灯りに気を取られてしまい、前方に人影を発見するのが少し遅れた妖夢。人影はこちらを、つまり南の方を向いて立っていた様子で、何者かの接近に気付いてこちらに注意を向けてくるのがわかった。
 妖夢の位置からは逆光の為、黒い影でしかその人物を確認できないが、独特の形をした帽子を被っているそのシルエットからすぐにそれが誰かわかった。
「(上白沢慧音!)」
 先程妹紅から話を振られて出た人物が目の前にいる。その話はすぐに無かった事にされ、さらに余計な事はするなと念を押されている。気になったので明日にでもそれとなく慧音に接近してみようと思ったりもしたのだが、まさかここで会うとは思わず狼狽えてしまった。
「お前は・・・確か、白玉楼の・・・。」
「こ、こんばんは。」
 狼狽えた表情を誤魔化すように引きつった愛想笑いで挨拶をする妖夢。
 慧音は怪しいと思ってすぐに妖夢の直近の歴史を探る。妖夢にしっかりとした洞察力と勘が働いていれば慧音の一瞬の視線の変化に気付いて情報が盗られている事に気付いただろうが、この時の妖夢にはまだそんな能力はなかった。
「(なるほど、妹紅の差し金か・・・。それにしても何故?)」
 慧音はすぐに妹紅の策を見破り、妖夢が妹紅に派遣されて来た事を知る。その妹紅とは現在離別中で、むしろ敵対しているといっても過言ではなく、妖夢の到来を警戒しその意味を探る。
 一瞬スパイかとも思ったが、歴史喰いが出来て相手の情報を知り得る自分にスパイを送っても直ぐにばれてしまうだろうし、妹紅もその事も充分承知しているはずである。承知していてなお、それをするという事はスパイではないか、或いはスパイだとしてもばれても問題ないという事である。
 妹紅が妖夢を派遣した本当のところは何だろうか?諜報、攪乱、妨害工作の為ではないだろう。妹紅は妖夢に何も指示をしていない。妖夢を派遣したという正にそのことでこちらを混乱させようとしているのだろうか?或いは、妹紅はこちらの計略に気付いて援軍を寄こしたとは考えられないだろうか?
 慧音は曲げた腰に手をあてて妖夢に顔を寄せてマジマジと見つめ、思わず後ろに引いて顔を逸らす妖夢の顔を強引に前を向かせて、まるで不正を問い詰めるかの如くにじり寄ってくる。
「うーむ。まさかのー・・・。」
 妖夢の歴史ビジョンに映る妹紅の様子から、援軍と捉えるのが自然に思える慧音。しかし、一人では何も出来ないこの白玉楼の小姓に何が出来るのだろうか?
「あ、あの・・・。」
 顔を左右から両手でがっちりと掴まれてしまった妖夢は、身動き出来ず手足をジタバタさせて消極的な抗議の声を上げる。
「あーすまん、すまん。」
 まるで寺子屋の子ども達を相手にするように妖夢をあしらう慧音だが、その妖夢もいつのまにか慧音の生徒になったかのように逆らえず、されるがままになる。
「今日は色々災難だったな。労を多としよう。」
「え?」
 慧音に肩をポンと叩かれ何故か労をねぎらわれる妖夢。最初はきょとんとしていたが、慧音の能力に今更気付いて愕然とし、後ろに引いて身構える妖夢。
「そう身構えるな。だいたい、いつ盗られたかも分からぬのじゃろ?お前の負けじゃ。」
 それを聞いて肩を落とす妖夢。今日何度負けた事か・・・。
「わしは人の為に存在する霊獣だ。人の歴史を盗ってそれを悪事に用いる事はせぬよ。でも、一つ分かった事がある。妖夢は一応人間なのだな。」
「人間?どういう意味ですか?」
「私は人間の為の存在、歴史喰いも寿命の短い人間の知識の保存と伝達に必要な力なのだ。よってその力は人間に対してのみ有効なのじゃ。」
「なるほど・・・私にその力が通るという事は・・・。」
 人間以外を人間と呼ぶ行為は、幻想郷ではある意味侮辱とも取れるが、冥界の住人であり幽霊を相手にしている妖夢としては自分もまた人間のカテゴリーに入ると漠然と考えていたので、慧音に人間と言われても特に嫌な気はしなかった。
 幽霊とは基本人間の別の形で、妖怪は幽霊にならないのである。そもそも死んであの世に行って来世に輪廻するという文化を持たなければこの仕組みには入れないのである。逆にその文化圏内にいる妖怪なら人間同様に幽霊になるし、冥界で暮らすようになるのだ。
「種族としての妖怪と人間の区別は簡単なのだが、私としてはそう単純ではない。歴史を持つのが人間で、持たないのが妖怪と捉えておる。里の妖怪も里の文化圏内にいれば人間であり、私の力も及ぶようになるのだ。逆に人間の中には妖怪に近付き過ぎて歴史が見えなくなり、私からは妖怪になってしまう者もいる。例えばそう博麗の巫女や霧雨魔理沙のようにな。」
「え?あの二人が?」
「うむ。まー私の力は自分よりも遙かに強い相手には通じないからな、単に力量の差で見えないだけかもしれん。まー何にしてもあの二人は人間の里には近付かないし、里の文化圏内からは遠い存在なのは事実じゃろ?このまま放置すれば、あの二人は間違いなく人として死ぬ前に妖怪化するじゃろーなー。」
「確かに・・・あの二人はちょっと他の人間とは違う気がします・・・。」
「何にせよ、人間は常に変化するからいくらでも更生可能だがな。」
「そうか・・・私も人間・・・か。」
「妖夢の場合、人間と幽霊が混ざりあって1個の存在となっているわけではなく、人間と霊の2つの存在が独立しつつも一つにまとまっているという特異な存在なのだ。む、そうか、そういう事か!」
 いつもの癖で知識を伝達する慧音は、その説明の途中で妖夢の特殊な体質を口にして何故妹紅が妖夢を派遣したか、その理由を理解した。この人間と妖の2つを兼ね備えている妖夢がいれば自身の歴史を操る力を十二分に発揮出来るではないか!
「え?あの・・・。」
 わけがわからずキョトンとする妖夢。
「なぁ妖夢?妹紅の頼みを聞く気があるなら、わし達に協力せぬか?」
「え?妹紅さんは・・・あ、あれ?」
 妖夢はここで頭が混乱した。慧音は妹紅と自分とのやりとりはその能力で知っているはずであり、ならばあの話は無かった事になったと知っているはずである。
「気付いておらんのか?」
「まさか!」
「そう、お前は妹紅の計にはまってまんまと私に会わせられたのじゃ。」
「ま、またしても・・・。」
 妖夢はまた膝を折って地面に手をついた。もう膝は泥だらけである。
 突然話を無しにして邪険に扱ったのは自分の足を里に向かせる為で、通り端にある寺子屋の慧音と出会い易い状況を予め知っていたのだ。実際先程偶然慧音と出会ってしまったが、このまま会わずに宿が見つかれば明日にでもこちらから寺子屋を尋ねようとしていた。これは自発的にそうしようと思ったのだが、その前に無意識に妹紅にそうしむけられていたのだ。
「妹紅は今ノリにのっている。異変の中心点に位置する妹紅が積極的に動き出し、私のしようとしていることを見抜いて支援しようとしているのだ。」
「?」
 慧音の言葉の意味は異変の本質を知らない妖夢には全く理解出来ない。
「今はわからんでいい。歴史は結果でしかないが、作る者がいなければ歴史は生まれない。妖夢よ、お前は歴史を作りたくはないか?」
「私が・・・歴史を?」
 妖夢は慧音に煽られている事を自覚しながらもその言葉に熱いものが込み上げている自分を静める事ができないでいた。
「どうだ?妖夢。」
「妹紅さんの頼みとあれば、聞かないわけにはいきません。どうか私を使って下さい。」
 妖夢は自ら決意した。例え誰かに利用されようとも、これから起こる異変の外ではなく内側に身を置くことを・・・。