東方不死死 第61章 「決起」


 紅魔館と永遠亭の間で起きた抗争から思わぬ方向に発展した今回の異変。その対策作戦会議の会場にあてられた紅魔館に、幻想郷でも有数の顔ぶれが一堂に会している。

 異変解決に必要な人材の参集を呼びかけた新聞報道がなされた直後から要人らが集まりはじめ、正午に開かれる予定の作戦会議よりだいぶ早い午前9時頃には2名を除いてほぼ揃うかたちとなった。午前10時前には出欠の有無と出席予定者の居場所がほぼ確定したと判断されたことから博麗神社の巫女、博麗霊夢の提案を受けて主催の吸血鬼レミリア・スカーレットが正午から行われる会議を1時間前倒しする事を決める。

 会議の冒頭、必要人員に挙げられていた風見幽香の不参加の報告とその代理が決められ、もう一人の必要人員である最も重要な任務を請け負う藤原妹紅の居場所が既に判明したものの呼ぶ必要はないと主催の独断で会議を続行させ、事前の形式的な異変の説明を会議の参加者に対して行うことになった。
 こうした手続きを主催のレミリアが直接行うのは、吸血鬼レミリア・スカーレットの運命操作によって起こった異変であるということを幻想郷中に周知させる為で、表向きにはレミリアを持ち上げる為の一種の演出である。しかし、この異変を起こした真の主催の思惑は別に存在し、それはレミリアの活躍を脅威にすり替える事で天狗側の反発を誘い吸血鬼廃絶の世論の流れを作るというものだった。その為、花果子念報の姫海棠はたてに会議の取材をさせているのである。
 当然、レミリアはそんな裏のそのまた裏の事情を知る由もなかった。

 一通り前置きの説明が終わると、各自の役割を時系列で具体的に説明していき、風見幽香の代理を受けて意気揚々としている霧雨魔理沙にはスキマ砲の発案者である八雲藍から直々に仕組みと作業内容の説明を受ける。
 作戦開始時には博麗霊夢と守矢神社の二柱が博麗神社に移動し、起爆剤である藤原妹紅が上空にいる状態で結界を張り、天と地に境界を敷く事になる。
 藤原妹紅は結界が張られている事を確認し、任意に不死鳥転生による自爆を起こす。この爆発で永琳の棺桶という名で周知された防御要塞に深刻なダメージを与えトドメのスキマ砲を発射するという流れになる。
 スキマ砲自体は特にどこか特定の場所でやらなければならないという制約がないので、会議終了後も引き続き同じ部屋で作戦司令室を立ち上げ、そこでスキマ砲の操作を行う予定になっている。
 スキマ砲に関しては万全の準備をして、安全に確実に作業が行える環境を整えているが、不足の事態が発生しトドメの一撃が成功しない場合を考え、弾丸である魔理沙を直接結界内に送り込む用意もしていた。その際、魔理沙を誘導し脱出させる段取りも既に組んでおり、その場合、一時的に結界の内と外がスキマで繋がる為、自爆の熱気が大量に幻想郷側に流出するのを想定し、その被害を最小限に食い止め冷却できるように紅魔館の目の前の霧の湖の上空又は水中に魔理沙の脱出の為の出口を複数設定した。

 作戦開始時は、本部に残る紅魔館組と博麗神社に移動する神社組の二手に分かれる事になるが、神社に作戦本部を置かない理由は、この異変があくまで『吸血鬼の異変』であることにしたい為である。
 霊夢を自分のそばに置いておきたい八雲紫だったが、霊夢の陰陽師の力はともかく神道の力は神社においてこそ発揮されるものなので、作戦開始時に二手に分けなければならなくなったのである。
 これは上白沢慧音と守矢神社の内通作戦に都合が良く、会議に参加している守矢神社の二柱は素知らぬ顔で内心ほくそ笑んでいたのは言うまでもないだろう。
 今現在それぞれの思惑通り事が進んでいる。誰の思惑が外れて誰が脱落していくかは、この時点ではまだわからなかった。

 必要な段取りが割り振られると会議の場は一息入り、緊張感した空気がほんの少しほぐれる。
「藤原妹紅はまだやっているのかしら?」
 会議の前から地鳴りのような音と振動が外から伝わってきており、すぐに霊夢が遮音符を施したので外部から伝わってくるのは振動だけで音は聞こえてこない。その振動もいつのまにか止んでいる。
「さぁ?」
 素っ気なく知らないと答える霊夢。
 紅魔館の会議室にあてられた南南東向きの部屋の窓からは魔法の森が見え、樹影に隠れているがその先には人間の里が正面に見えるはずである。この時この会議に参加している守矢神社以外の面々は人間の存在を完全に忘れていた。これは最初から気にも留めていないということもあったが、実はこの時人間の里ではある企みが実行に移されている最中で、上白沢慧音の歴史食いによって『里に戸籍を置く人間』の歴史が消去されていたのである。

 里そのものは消さずに戸籍のある人間だけを消す。これによって他の人間と里自体は存在し続ける事になる。これが全ての人間に適用されれば霊夢や魔理沙にも効果を及ぼし、八雲紫など強者には通じなくても、多くの会議参加者が突然消える霊夢と魔理沙に困惑し、何かが起こっている事を察知して人間の里の企みがばれてしまうことになる。そして、そうならない為に慧音は『里に戸籍を置く人間』のみに対象を限定したわけである。

 最近里で傭兵が募集されていた事は周知の事実となっており、その傭兵団によるものと思われる攻撃が魔法の森の向こうに見える。東の人喰い妖怪の存在は認識しているが、この会議に参加する面々にとっては人間以上にどうでもよい相手であり、その光景を蟻同士の喧嘩でも見るように眺めていた。
 退屈した霊夢の気まぐれで一時間会議を前倒しにしたものの、永琳の棺桶の降下速度が速くなったわけではないので、スキマ砲の発射角度は当初の作戦立案時と変わらない。
 スキマ砲は弾丸である魔理沙を飛行させ何回もマスタースパークを打てるように同じ通路をループさせる『第1砲身』と妹紅が自爆した灼熱の結界内に弾を直接打ち込みトドメを刺す為の『第2砲身』、第1と第2の砲身を直接繋げると熱気が第1砲身に侵入し魔理沙を焼いてしまう為、間に熱気と弾丸がすれ違って互いの砲身が直接つながらないようにする『第3砲身』の3つの砲身を繋げて出来ている。
 基本的にスキマ砲の射角は調整可能だが、3つの砲身を連動して動かさなければならなくなるため、微調整程度ならともかく緊急かつ大幅な角度調整は不可能である。その為、落ちてくる永琳の棺桶を追いかけるのではなく、落下速度が変わらない事を前提に待ち伏せしてピンポイントで狙い撃つという方針をとっているのだ。

 作戦開始は午後1時で、各自持ち場に移動し順次それぞれの仕事を進めていく。スキマ砲の発射は午後1時半~2時の間を予定しており決着が付くのはその時である。
 レミリアとしては作戦の総指揮官として台本通りに人事を尽くしたので後は基本的に見ているだけよい。作戦立案に関して重要な情報提供を行う役割を請け負った永遠亭もこの後特に仕事はない。この異変の表向きの当事者はもはやこの時点ですることはなくなっていた。
 八意永琳は、付き添いで連れてきたレイセンの救急用具を詰め込んだ大きな荷物が大袈裟だと思ったものの彼女の好きにさせ、自身は会議に参加した面々を注意深く観察し、様々な幻想郷の種族・個人のデータベースの構築を行っていた。

 会議の場は待ち時間になり更に緊張が緩む。そんな中、先程大きな爆音を上げて会議を邪魔した藤原妹紅についてレミリアが何やら苦情を言い始めていた。
「いくら不死身とは言っても所詮は人間、妖怪も神様も宇宙人も手をこまねいている物に、何をしようというのかしら?」
 藤原妹紅の真の目的を知らないレミリアは、無駄と分かっていて攻撃に向かう妹紅の行為を愚かと決めつけ、そしてその人間性を野蛮で下劣な存在と断じて嘲笑う。
 そんなレミリアの不遜な態度は会議に参加した一同に不快感を与えた。
 藤原妹紅という存在を知る者にとって、主催のその口調や態度に傲慢さを感じずにはいられない。妹紅を知らない者でもやはりレミリアの態度は褒められるものではなく良い印象を受けない。当然のように場に微妙な空気が流れる。
 妹紅に対して好意的な十六夜咲夜や八雲紫は、そのレミリアの台詞に憤りを感じ、前者は立場上何も出来ず何かを堪える様に目を瞑って下を向き、後者は眉間に皺を寄せて不快感を隠さなかった。
「せっかく私が解決法を見いだして役割分担したというのに、それを知っていてこのような態度に出るのは、私を舐めているか、じゃなかったら野蛮人かただのバカね。つくづく人間というのは愚かな生き物だわ。」
 妹紅もまたこの企みに荷担するメンバーの一人であり当然作戦内容も知っているはずである。にもかかわらず紅魔館への召集を無視して勝手な行動を取る妹紅を作戦総指揮官の立場で考えればこれを面目を潰されたと捉えても仕方がない。その心情は会議の参加者も分からない事もないのだが、その指揮官の役目も与えられたもので自身の才覚とは全く関係ないので、レミリアの妹紅に対する苦言は明らかに筋違いだった。

 傅く忠実な僕の不満に気付かず、正面右に見える八雲紫の不快感を隠さないその様子を尻目に妹紅を嘲る事を止めないレミリアは、先程風見幽香の不参加を不意に知らされ予定を狂わされた事を根に持っており、ちょっとした仕返しという意味合いを込めた稚拙な行動を紫に対して行う。
 それは単に紫への仕返しだけではなく、異変解決に当たり強い自信と指導力を見せる事によって、自分の異変であり解決すれば手柄は全て自分の物である事を会議室の内外の第三者にアピールする狙いもあった。
 お膳立てされた立場に遠慮して殊勝に振る舞う程妖者は謙虚ではない。これを最大限に世界の変化という紅魔館独自の目的に利用しようと企むレミリアは、膨れあがる自尊心を止められず、それは危険水位まで上昇していた。
 そして、そうした裏の事情に関する諸々の駆け引き以前にレミリア個人は藤原妹紅という存在を以前から過小評価しており、その人物が今回の異変解決の中心的最重要の存在で、彼女の存在を起点にして異変解決のシナリオが構築されている事が気に入らず、出来れば別の方法、例えば自分や霊夢などが中心の作戦にシナリオを変更して欲しいと自身の立場を全く考慮していない身勝手な考えに支配されていた。

 不死人狩りが始まった当初レミリアは1戦して無意味な戦いと判断しその後妹とは対照的に不死人狩りから身を引いていた。この不死人狩りで妹紅に対する空気が変わる潮目を見ていないレミリアは、当時の極悪人という妹紅に与えられた誤ったレッテルを今もそのまま引きずっており、妹紅に対する評価が変わった幻想郷の住人との間に精神的なズレが生じている事に気付いていなかったのである。
 妹紅に対する中傷は世論の支持を取り付けている一般的な見解と勝手に判断している為、むしろ八雲紫の不満そうな態度が不思議であり面白可笑しくもあり世論からずれていると思い、そんな紫をバカにするために余計に妹紅を口撃してしまう結果を生んだわけである。

 図らずも召喚させられてしまった謎の球体への対処に苦慮しているところに今回の異変参加を持ちかけられ、これらが解決が約束された茶番であることと、自分は解決者側の筆頭として、又恐るべき物を召喚できる無双の強者であることを幻想郷中に知らしめられるという甘味な毒まんじゅうに飛びついてしまうレミリア・スカーレット。
 少女のままでは重すぎる重圧から解放されたレミリアは安心して気持ちが大きく緩み、最初に味わった異変に対する無力という名の屈辱から立ち直ろうとして、殊更自分を大きく見せて取り繕おうと必死になっている自分の姿を客観的に見れなくなっていた。
 その姿は裏の事情を知る者や真の強者からは滑稽に見えるだけで、レミリア自身に何の利も無くむしろ評価を著しく下げる結果しか得られなかった。
 
 この主の態度にある種の危機感を覚えたのは、従者の十六夜咲夜と会議前倒しを知らされてからレミリアの手前左の席に着いたパチュリー・ノーレッジである。
 まるで数日前の自分たちを見ている様で、藤原妹紅を見くびったそのしっぺ返しは必ずくるであろうと不安に駆られる。
 裏の事情を聞かされ妹紅に大きな恩を感じている2人は、知らない事とは言え主の為に骨を折ろうとしている彼女に対するこの様な振る舞いを残念に思うと同時に妹紅に対し申し訳ないと心の中で謝罪するしかなかった。


 その強者であることを誇示するレミリアの精神状態は、九尾の八雲藍にも当然良く見えており、レミリア・スカーレットが想像以上にお子様だということを知った。そして、その挑発に主の八雲紫が簡単に乗っているのも気掛かりだった。
 八雲紫は妹の魂と糾合して急激に力を高めていると同時に霊格も極端に上がっている。とある禁止ワードを言わない限り、ちょっとやそっとのことでは怒らない霊格高い彼女だが、レミリアの態度はその少ないケースに該当してしまう。自分に対する中傷は笑って済ませられても、自分の大切な者をバカにされることは許せないのである。

 不死身しか取り柄のない存在と妹紅を見くびり蔑み、永夜異変の後、不死人狩りを企てた当時の八雲紫なら、当時の状況から進歩していない今のレミリアと迎合していたかもしれないが今は明らかに当時とは状況が違う。ここで紫がキレてしまうと今後の展開に大きな影響を及ぼしかねないと藍は顔はキツネ顔のまま内心ハラハラしていた。
 そんな紫と藍の微妙の空気を読んだ当事者らに挟まれている博麗霊夢は、紫に対して不遜な態度で挑発するレミリアのいつもと違う態度が気になり話しを止めさせる為にポツリと呟く。
「一応私も人間なんだけど・・・。」
 一般的に考えて、人間のいる前で人間の悪口を言えば、それを聞く側の人間は不快になるだろう。人間の悪口を言われても特に何も感じない霊夢だったが、話しを止めさせるきっかけとして敢えてレミリアの態度に同じ人間という理由で彼女の言動に不満の意を持っているふりをしてみる。
「れ、霊夢は特別よ。あんなのと同じであるはずがないじゃない!」
 霊夢は藪をつついて飛び出したヘビに噛まれたと自覚し余計な事をしたと後悔した。咄嗟に妹紅を『あんなの』と言ってしまう大人の対応が出来ないお子様のレミリアが予想の斜め上を行っていたのだ。しかし、この霊夢の横やりは言い出した本人にとっては失敗と感じたものの八雲紫・藍側にとっては良い方向に結果が出た。
 予想の遙か上を行くレミリアの稚拙な態度は、紫の怒りを通り越して逆に静める結果になったのである。そう、呆れ果てて別の意味でぐうの音が出なくなってしまったのである。
 八雲紫はレミリアの反応を見て、捕るに足らない小物に大人げない態度を取ったと半ば自嘲気味に口元に笑みを浮かべそのままゆったりと背もたれに身を委ね静かに目を閉じた。そして最初からのキツネ顔のまま藍も内心ほっと胸をなで下ろす。
 レミリアは自分の口にした言葉の意味を理解しておらず、急に場が静かになったのは『霊夢が特別』という言葉が的を射ており、皆が自分の言動を支持したのだと思い込んでしまう。そして、満足げな表情で前屈みになった姿勢を正して腰を深く大きな椅子に落ち着ける。他者から見れば滑稽も滑稽で酷い笑い話である。
 主の後ろでうつむいて立っていたメイド長十六夜咲夜は恥ずかしさの余りどこかに隠れたい心境だった。異変を主催する側もその異変に組み込まれる側も、この表向きの中心人物の稚拙な行動に唖然とするしかなかった。

 そんな様子を静かに見ている黒い魔法使い霧雨魔理沙は、風見幽香の代理として正式にレギュラーメンバーに抜擢されたものの席は最初に座った来客用のままで霊夢との扱いの差に少し不満だったが、会議の場が何やら不穏な雰囲気で言い出し辛くテンションが下がっていた。
 飽きてきたのでアリスやニトリを誘いまたバルコニーに出る。呼ばなくても付いてくるチルノと4人で南東の空で繰り広げられる戦闘光跡を目で追いながら上空の永琳の棺桶を見る。
「もう諦めちゃったかな・・・妹紅。」
 上空の永琳の棺桶周辺に目立つような光跡は無く、今現在妹紅は攻撃をしていないようである。
 レミリアは妹紅の行為を愚かだと決めつけていたが、巨大な敵に真っ向から挑む妹紅を魔理沙はカッコイイと思うのだ。そして同時に、その棺桶に対して手を出さない会議の参加者に違和感を感じる。数時間前にこの状況を知ったばかりなので、既に様々な試みが為された後のその結果に基づいた作戦かもしれないので、余計な事は言わずに頭を切り換える為別の話題を探す。その時になってある事に気付いた。
「あれ?アリス!フランどこだ?」
「さっき外に出て行ったわよ。」
「え?いつ?全然気付かなかったゼ。」
「魔理沙がキツネと話してた時じゃない?」
 ニトリが思い出したかのように呟く。
「私も遊びに行きたいけど・・・やっぱ駄目だよな?」
「当たり前でしょ!何考えてるのよ!」
 与えられた重責に対して無責任な事を言う魔理沙に対してアリスが目を吊り上げる。
「幻想郷の運命は魔理沙にかかってるんだから!」
 ニトリが楽しそうに魔理沙をおだてて笑う。ニトリは数時間後、大好きなこの魔法使いの死を間近で触れる事になる。


 人間の里の住人は、早朝から何も食べずに商工会館に集まり会議を開いて異変の対策を講じていたが、その最中に敵襲を知らせる意味の火事を報せる時とは違う間隔の長い半鐘が鳴る。
 人間の里は騒然となるものの、一人の勇敢な少女の申し出によって住人の心は一つにまとまり里は一つの目的の為に動き出す。

『いざ博麗神社へ!』

 午前8時、里総出による炊き出しが行われ、朝飯をとっていない里の住人はここでようやく一息つく。
 里の人間達とは別に既に朝食を済ませていた妖酔乃瀧の主人妖酔率いる傭兵団が炊き出しの手を休めた里の大勢の見送りを受けて大通りを抜け出陣。東の砦門の外にいた風見幽香の見送りももらい街道を素早く東に進んだ後南東に進路を変え太陽の畑の手前まで進出し、午前9時半に布陣が完了した。
 見送りをした人間達は、炊き出しの朝飯を掻き込み妖怪達が陣立てするまでの間に出発の準備を進める。そして、傭兵団の攻撃を合図に慧音が里に戸籍を置く人間の歴史を消して全てが動き出す予定になっていた。

 人間の里の店蔵や酒蔵が建ち並ぶ大通りに、大量の荷物を積んだ数十台の荷台と大勢の人間達が隊列を組んで静かに待機していた。これだけ大勢の人間がひしめきあっていても、ざわついた様子もなく静かに整然と並んだままで、誰一人口を開かずに東の濁った凝視していた。
 一時的に里に戸籍を置いた魂魄妖夢だが、半人半霊である彼女は慧音の歴史操作からはみ出てしまうため、妖怪が人間を認識出来なくなる一方で、人間、妖怪どちらからも認識される特殊な立場になることが出来、慧音はこれを使って人間達を見る事が出来ない妖怪達との橋渡し役とした。
 妖夢の檄で奮い立った里の住人は、自分達の為に囮として出陣した妖怪達に対しても義理がありそれに報いる為にも、もう後に引く事が出来ず、皆腹をくくって武者震いをしていた。
 そんな中、人間達をそうさせた張本人の魂魄妖夢は人間達の紅潮した顔とは裏腹に青ざめて今にも倒れそうだった。
「(・・・胃がキリキリする・・・。)」
 妖夢は初陣前の幼年兵の様に緊張で体調がおかしくなりそうだった。
「おい!大丈夫か?」
 2時間程前にスケさんと命名された妖怪がそんな妖夢に声を掛ける。
「だ、大丈夫です!」
 その返答を見てカクさんという名を拝命した妖怪がクスリと笑う。
「まるで敵の大群とこれから剣を交えるかのような緊張ぶりですね。まぁ、気を落ち着けてこれを着なさい。その魂魄は結構目立ってしまいますからね。」
 そう言ってカクさんは地味なフード付きの妖夢の体に合わない大きな外套を手渡す。中に魂魄をしまっておけということだろう。妖夢はいそいそとそれを着て、魂魄が外套の中に閉じこめられている事を確認する。
「お前の役目は人間達を先導し、隊列の先頭に常にいることだ。消された後では我々には人間は見えなくなるからな。護衛するにもどこに人間がいるかわからなければ何もできん。」
 スケさんが妖夢のやるべき仕事を再確認させる。大任を任されそれに応えようとするのは立派だが、全てを背負おうとして気負っている感をひしひしと感じる。これでは上手く行くものも上手くいかない。
「出発して隊列の最後尾が里の門を抜けたら私に合図を下さい。私は最後尾の位置の目印となりながら護衛します。」
 カクさんが自分の役割を伝える。妖夢につけられた妖酔の両腕達は事前に自分達の役割を与えられていた。
「俺は先行して邪魔者がいれば排除する。お前の位置とカクさんの位置を目安にして人間達の位置を確認しながら、排除すべき者としなくてよい者を判断する。基本隠密だから避けられる戦闘は避ける。いいな?」
「は、はい!」
 妖夢は的確なアドバイスをくれるお供の妖怪を心強く思い少し気持ちが楽になる。何もかも全部自分でやらなければと気持ちだけがはやってどうしようもなかったが、妖夢は呼吸を大きく長くして気持ちを入れ替えた。
 スケさんとカクさんの装束はほぼ同じで、茶色の地味な外套と大きな笠を被り、怪しく光る赤い目だけが外套と笠の間からチラチラと見えるだけで素でどんな顔姿をしているのかは全くわからない。2人の大きな違いは体格で、スケさんの方は外套の下に重い金属製の鎧を着込んでいるようで、動くたびにカチャカチャと音がし、重い鎧を支えられる立派な体躯をしていると想像出来、実際の体形は鎧と外套で全くわからないが、野太い声の感じから予想は正しいだろう。
 カクさんの方は軽薄そうな心のない高い声で話し、頭は良さそうだが情には薄そうで、最初の印象とは変わりカクさんの方がある意味妖怪らしいと思えてきた。先程からこちらを気遣う態度を取るのはスケさんの方で、最初は自分が嫌いなタイプの典型的な妖怪と思っていたが今は一番頼りにしていた。
 カクさんの体形はスケさん同様全身をすっぽり包む外套で見えないが体重は軽そうで体の線も声の印象から華奢な印象を受ける。中に重い鎧を着込んでいる感じはなく足取りは常に軽い。スカしたしゃべり方で最初はそれが知的な印象を受けた妖夢だが、今はこのしゃべり方は好きではなくなっていた。
 見かけで判断してしまう妖夢としては色々と考えるところが多く反省ばかりである。
 
 東西に伸びる里の大通りをほぼ埋めつくした一団に向かって上白沢慧音が、マルキの店蔵の屋根の上に立って里の隅々まで届くような大声を張り上げる。いよいよ出立の時間である。
「皆、間もなく出立だ!出立の前に少し言っておく事があるから良く聞け!歴史を消せばお前達は妖怪から襲われる事はなくなるが、周辺の戦闘の流れ弾が隊列に飛び込む可能性はゼロではない。だが、怪我人が出ても隊を絶対に止めてはならん。前に進み必ず博麗神社にたどり着け!」
 ほんの少しどよめきが起こるが、慧音はそれを受けて吊り上げていた眉を下げて優しく諭す口調に変わる。
「怪我人が出る事も想定し、皆が出た後に救護の者に後を追わせるよって安心せよ。里の外には風見幽香殿、里は私が直々に守る。お前達が帰る場所は必ず残しておくからな。」
 不安気などよめきが収まり、周囲から静かに互いを励まし合う声が聞こえる。
「神様は妖怪やわしのような霊獣の話しは聞かん。人間のお前達でなければならない。くれぐれも失礼のないようにな。よし、では行くぞ!」
 幻想郷の歴史に置いて、単に妖怪の食糧に過ぎなかった人間が、幻想郷の未来に初めて関わろうとしていた。


 人間の里の正式な名称は『博麗の里』で、千年以上前の穢多の村だった当時からそこには入植した博麗の一族の博麗神社があり、それが里の名の由来である。
 約百年前の博麗大結界施行時、本陣山と呼ばれる幻想郷東端の山に神社が移設され里から神社がなくなって以降は『人間の里』或いは単に『里』と呼ばれるようになった。
 その人間の里から博麗神社までは直線距離で約10km弱、大人の足なら3時間かからない距離である。朝8時に家を出れば途中休憩をいれても昼前に余裕で着く距離である。しかし、問題は距離ではなく道中の危険性だった。
 人間の里の東にある砦門から真っ直ぐ東に伸びてそのまま本陣山の麓に続く道幅の広い街道は、北側に妖怪が寄りつかない魔法の森があり安全であるものの、東から南側にかけて見通しの良い平地が広がり、人が歩いていれば妖怪からすぐに発見されてしまう。人間が単独でこの街道を通る事は自殺行為であり、この道はあって無いような道だったのである。
 里の者が徒歩で博麗神社に行く際は、魔法の森を蛇行する獣道の様な細い隘路を通って東に進み、本陣山の西側に出て、獣道を辿って山を登り神社の裏の母屋側を回る事になる。この場合、大人の足でも半日かかる事になる。
 神様に参拝するという文化が失われた人間の里では、このような危険な旅をする理由が存在せず、今は薪業者が薪を採りに本陣山を訪れ、神隠しに遭わない様、安全祈願を兼ねて神社を参拝するくらいである。

 魂魄妖夢に先導された神社に向かう里の大人達の中で、薪業者に雇われた者以外で神社を参拝した経験のある者は一人もおらず、子供の頃から危険と教えられて近づかなかった街道を進むのもまた初めてで、全てが初体験であった。
 里の守護者、上白沢慧音は常々神社への参拝を口にしていたが、世代が替わる毎に神社との精神的な距離が離れていき完全に切れてしまうと誰も彼女の言う事に耳を傾けず、近年出回り始めた『文々。新聞』によって博麗神社の巫女の日頃の所業が歪められて報じられしまった為、神社は危険な場所で妖怪に乗っ取られたという認識が一般化してしまったのである。
 今回の異変のどさくさに紛れて里の人間と神様との絆を取り戻そうと画策する慧音の企みは今のところ順調で、このまま行けば神社は再び信仰を取り戻すだろう。

 神社の領域である本陣山から一歩外に出ると魔の領域であり、本陣山のすぐ南の小高い山は人喰い妖怪の総本山となっている。幻想郷で最も安全な聖域と、最も危険な魔の領域が隣り合って存在しているということである。
 神社への正しい道は、里から東に真っ直ぐ伸びた街道を進み、本陣山とその南側にある危険な妖怪の総本山の小高い名もない山との谷間を東に向かって抜け一旦山の反対側、幻想郷の東側の境界線に出る必要がある。
 神社は東側を向いて里に背を向けるように建っている為、神社の正面である東側に回り込まなければならないのだ。

 妖夢らの一行は、妖酔らが引き付けて人喰い妖怪が留守の東の魔の領域をかすめて神社の正面の階段を登って行くという計画を基に行動している。
 神社に来た事がある魂魄妖夢だが空を飛んでの事なので徒歩で来た事はない。しかし麓から神社の正面の階段を登るまでのルートは上空から見て覚えているので道案内は十分可能である。そうした道案内という意味でも魂魄妖夢は先導役として適していたと言える。
 実際に踏破する距離はこちらから見て山の反対側に回ることになるので10km以上になってしまうが、小走りで進んでいるため何事もなければ休憩を挟んでも約2時間の行程だろう。階段を登って荷物を全部上に上げる作業や、神様を祀る宴の準備諸々考えると全行程3時間というところだろうか?10時半の傭兵団の攻撃を合図に慧音が歴史操作をし神社行が出発したので、こちらの企みが開始されるのは12時半以降となるだろう。そして計画立案者の慧音は神様をもてなす宴の開催を午後1時と設定していた。



「ほ、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫、小傘は目立つとこに立ってればいいだけだから。」
 人間の里と太陽の畑の中間にある全方位に見通しの良い平地に陣取った人間の里の傭兵団は、赤や黄色の派手な陣幕を張り、同じく派手は旗を立て、更にドラや太鼓を打ち鳴らし人喰い妖怪達の注意を引き付けている。
 その陣の中心に簡単な木組みの櫓を立て、その上に緑色に髪の毛を染められ赤い派手な衣装に着替えさせられた化け傘の多々良小傘が立たされていた。側にお目付役の妖酔の部下のナジが腰を低くして目立たないように控え、おどおどしている小傘に対し彼女が恐怖で逃げ出さない様監視している。
「ほんとに効果あるんかねー。」
「さぁ?でも奴さん達あんまり近づいて来ないから一応効いてるんじゃない?」
 予想に反して敵の出足が鈍いが、慧音の力で人喰い妖怪達の目標が分散したという事もあり、『魔除け』作戦の成功は戦闘が始まったばかりの午前10時半時点ではまだ判断しずらかった。
「まーでも魔除けってのも案外本当なのかもな・・・。」
 成り行きで傭兵になってしまった地底の封印妖怪組の土蜘蛛のヤマメと橋姫のパルスィが、仲間内で一番弱い小傘の晴れ舞台を下から眺めながら戦況を話し合っていた。
 小傘の顔や髪型が、最強の妖怪風見幽香に似ていると気付いた彼女達の世話役里妖のナジがボスの妖酔に妙案を持ちかけてみたところ、意外にもその案が通りこんな事態になっているわけである。
 最初は嫌がっていた小傘だが、風見幽香の格好に変身させれてから周囲が感心と同時にかなり驚かれたせいで、小傘は畏れを貰い腹が満たされ気を良くしてこの大任を引き受けてしまったのである。しかし、いざ現場に担ぎ出されると味方の猛者達と敵の軍勢に囲まれた初めての戦場の雰囲気に完全に飲まれて心がくじけてしまった。それを何とか説得し仲間を見える位置に置くことでなんとかその場に留め作戦を続行する事が出来たというわけである。
 櫓の下の小傘から見える位置に特別に配置されたヤマメとパルスィは幸運にも戦闘に参加する必要がなくなった。仲間5人の内、もう2人のヌエとキスメは先陣を切って人喰い妖怪の大群に切り込み攪乱に成功し、隊長クラスの大物を戦闘開始早々に数名撃破して人喰い妖怪を混乱させていた。
 ヌエは攪乱戦が得意で弱い餓鬼達を互いに人間と認識させて共食いを誘い、それが見事にはまって各地で餓鬼同士で共食いが始まっていた。釣瓶落としのキスメはヤマメから蜘蛛の糸をもらいヌエに結び付け牽引されながら、ヌエの術から逃れた強めの妖怪を各個に撃破していた。
 妖酔の息がかかった直属の妖怪達は本陣を守りつつ、餓鬼が群れて黒く濁る空の一部に対し組織的な狙撃を行い、ヤマメらと同じ外部から傭兵として参加した強者達は5人一組の遊撃隊としてある程度自由に戦わせていた。本来ヌエ達はヤマメ、パルスィなどと一緒に遊撃隊として5人組でまとまって行動する事になっていたが、小傘の件があって攻撃はヌエとキスメだけで行っていたのである。

 本陣で指揮を執る妖酔は、やってもマイナスにはならないだろうと試しにやらせてみた偽風見幽香作戦、通称『魔除け作戦』が思いの外効いている事を確認していた。強い者はそれが偽者だと解るだろうが、弱い雑魚は風見幽香の記号ともいえる緑の髪と赤い派手な衣装に簡単に騙されてしまい、恐れて本陣を襲って来る様子がない。妖酔はこの戦いに於いて最も警戒していた点がその数で、雑魚といえども数百数千が一度に襲いかかってくれば被害が出るのは確実であり、そうなることを予め覚悟し部下に重装備をさせていたのだ。その一番問題にしていた雑魚の群がヌエの攪乱と小傘の偽幽香のおかげで、戦いは当初の予想に反して非常に有利に傾いていたのである。

 傭兵団本陣の北にあって東西に走る街道を今現在人間達が東進中であるが、戦況がこのまま推移すれば人間達の一行は何事もなく本陣山の麓まで辿り着けそうである。気になるのは『魔除け作戦』で偽風見幽香に恐れをなした雑魚の一部が後退して東側に引き戻っている事である。魔除け作戦の効かない強い妖怪は依然引き付けているが、人間達が麓から山の頂上にある博麗神社に向かう際に引き返した雑魚の一部と交戦になる可能性が高くなってきた。これは魂魄妖夢に付けた2人の猛者がいれば問題はないだろうと妖酔は判断する。
「順調だな・・・しかし。」
 今現在は上手く事が進んでいる。しかし、妖酔は全く油断はしていない。東側には吸血鬼の残党や死神がいる。彼らは今現在一応風見幽香の配下にあるとされており、彼らは東の人喰い妖怪の西進を妨げる堤防としての役割を果たす存在である。しかし、実際問題として人喰い妖怪がほぼ全軍西に移動しているのだ。
 つまりそれは彼らが本来の役目を果たしていない事を意味するのではないか?何れにしても彼らが今現味方ではない事だけは理解出来、不足の事態に対していつでも対応出来る様に準備だけはするつもりでいた。

「攻撃はこのまま続けさせろ。」
 妖酔は副官と思しき部下に攻撃続行を指示し、陣地中央の簡易櫓の下に移動して上にいる小傘の様子を見に行く。餓鬼共の畏れを食べて満たされたのだろうか?最初のおどおどとした様子はなく落ち着いてヤマメらに余裕の表情で手を振っている。この手の化け道具はあるきっかけで突然強くなったりするが、小傘にもその兆候が見られる。恐らく大勢の畏れを喰ってこの戦いが終わった頃には一端の妖怪になっているに違いない。
 妖酔は戦場のど真ん中の和な光景に一瞬仮面の下に隠された表情を緩めたが、その時、空が一瞬白く光り、僅かな間をおいて雷の様な轟音が鳴り地面が震えた。
 これは妹紅が防御要塞に対して攻撃を始めた事によるものである。
 前触れのない突然の爆音に皆思わず動きを止めて空を見上げ、しばらく上空で繰り広げられる火球の円舞に見入っていたが、誰かが声を上げると何事もなかったかのように各自割り当てられた仕事を再開し、以後顔は上げても手を休める者はいなかった。
 妖酔はそんな部下達の様子に満足し、この巨大な爆発を伴う攻撃を行っている何者かに思いを巡らせるが、炎から妹紅を容易に想像できた。

 時刻は午前11時を過ぎた。


「くそ!ダメだ!びくともしない。」
 妹紅は巨大な炎の玉を何度も何度も同じ場所に正確に叩き込み、要塞内部にダメージが蓄積するよう攻撃を与え続けていた。
 眼下には人間の里と周囲の様子がかなり小さく見える。下から見ると大きく間近に見えたので直ぐに要塞表面に近づけそうだと思ったが、実際に表面に辿り着くまでかなり高度を上げる必要があり、この要塞のとてつもない大きさを改めて実感する。多くの妖怪はそこまで高く跳べずに下から光弾を打ち込む程度に終わっているが、肉薄できる妖怪も妹紅が激しく攻撃をしかけたことで起こった激しい爆風を間近で受けて身の危険を感じ退散してしまい、今現在妹紅の周囲に誰もいない。
「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ!」
 自分以外誰もいなくなり遠慮する必要がなくなった妹紅は、自ら巨大な火の玉となって要塞の真下から激しく体当たりする。
 巨大な爆発を伴って直径200メートルもある六角形の鱗状装甲の1枚を蒸発させたが、直ぐに新しい装甲がせり出して失った装甲の穴を埋められてしまい振り出しに戻される。
 新しい装甲は内部の流体層に量子還元されて失った分を量子返還をして補っており、このまま継続して攻撃を続ければいずれは流体層の中に存在する装甲の素材が枯渇して内部の中枢部分が露出するはずである。しかし、このままのペースであればそれは100年後か1000年後の話である。
 強力な再生復元能力を持つこの要塞は、密閉機構の為構造状外部からの衝撃を内部に蓄積してしまい強固な装甲が仇となって内圧を外に逃がす事ができず中枢部が高い圧力に晒される。継続的に強力な攻撃を仕掛けることで理論的には内部の中枢機構を内圧で破壊することが出来るが、それを防止する為の機能がこの要塞には備わっており、それは一定の圧力が溜まると外殻装甲をパージして内部に溜まった圧力を逃がすことである。
 妹紅はそれを狙い、その外に逃げる力を利用して要塞の落下速度を微妙にずらそうと目論んでいた。こうすることでスキマ砲の発射角度がずれ、弾丸の役目を果たす魔理沙は直接灼熱地獄の結界内飛び込ませざる得なくなり、妹紅は魔理沙にその大役を果たした後脱出の際の事故として彼女を死なせる算段だった。
「しかし!」
 妹紅は再生された装甲に張り付いた状態で要塞に対してパージさせる程の圧力を生み出すダメージに全く足りていない事を自覚する。相当なエネルギーは内部に溜まっているはずだが、如何せん相手が大きすぎるのだ。まるで大地を蹴り飛ばしているだけようで、全く手応えがない。
「全然足りない!デカすぎるんだ!クソ!」
 42km、約十里と聞いて長さだけで物を判断しそれを立体にした大きさを考慮していなかった。と言うより想像が全く出来なかった。ある程度は通用するだろうと甘く見積もっていた。実際にそれを目の当たりにして要塞の表面に取り付いてみると、球体というよりもはや水平な面にしか捉えられない。自分の立っている大地が球体をしているなど知識として頭で分かっていてもそれを実感として捉えられないのと同様にこの要塞は建造物ではなく正に天体、星、人工の鉄の大地なのだ。
 下を見れば眼下に幻想郷、横に視線を向ければ水平線の見えない幻想郷の外縁部の山並の稜線とこの人工の大地の2枚の面に挟まれて空が狭く潰されているようだ。東の空が人喰い妖怪の群れで覆われているが、そんなものは今の妹紅にはどうでもよい事だった。
「ダメか・・・ならば次の手で・・・ん?!」
 妹紅は今のままの攻撃では時間が掛かりすぎる為、別の方法に切り換えようとした時だった。妹紅は不意に強烈な妖気の接近を感じ、咄嗟に要塞に張り付けていた肢体を離して滞空し周囲を警戒する。
「どこだ?」
 腹を上にして要塞に張り付いていた妹紅は咄嗟に反応して手を離し自由落下した為、一瞬平衡感覚を失い妖気の場所を見失うミスを犯してしまう。そして、高速で地表方向から何かを叫びながら近づいて来る妖気の塊への対処が遅れた。
「しまった!」
 鉛直推進飛行タイプの妹紅は常に重力の干渉を受けつつそれに逆らって飛んでいるので、地表方向から来る物体に対して重力加速度を利用できない横や天頂方向への敏捷性が低い。上や横からなら重力を利用して下に逃げればいいがそれが出来ず、避ける努力はしたものの高速で近づく赤い物体に衝突されてしがみつかれてしまう妹紅。
 ドンという衝撃と共に下から上に突き上げられ要塞に背中をぶつけて止まる妹紅。一瞬息が止まり気が遠くなったが死に至るような衝撃ではなく直ぐに持ち直してその物体を確認し処分にかかろうする。しかし、ここでその衝突した物体の意外な正体を確認して驚いて動きが止まった。
「お、お前は?」
 強い妖気は消え、同時に妹紅とその張り付いた物体は重力に引かれて数十メートル落下しそこで滞空する。
「もこうおおおおおおぉぉぉぉ!!」
 小さな身体、赤い服、白い帽子、そして特徴的な七色の羽根、そして自分の名前を呼ぶ泣き声。
「お前、フランド・・・いやフランか?」
 妹紅はフランドールと初めて出会った時、その付き添いで来ていた紫の魔法使いパチュリー・ノーレッジが呼ぶ彼女の愛称を使って暗示を掛け、当時は正しい本名は知らなかった。フランドールと妹紅の関係においてはフランと呼ぶのが正しいだろうと判断した妹紅は名前を言い直した。
 自分の愛称を呼ばれた吸血鬼の少女は、妹紅のお腹に埋めていた顔を上げて、涙でぐちゃぐちゃになった表情で妹紅を見上げる。
「あいだがっだよおおおぉぉぉ」
 会いたかったと言っているのは分かったが、ここまで大泣きする程大袈裟なことではないだろうとフランドール・スカーレットの過剰な態度に困惑し動揺する妹紅。最初は危険な妖気を出していたので捕まった時は殺されると覚悟していただけに、このフランドールの変化が尚更理解出来ないのだ。
 このタックルをされた状態では、いつ体をバラバラにされるか分からない妹紅は、腰低く丁重にフランドールを宥める。
「ほら、泣きやんで。あと、痛いから離れて・・・。」
 思いきりしがみつかれており、これで怪我をする事はないにしても尋常じゃない締め付けでかなり痛みを感じる。
「やだ!」
「やだって、ちょっと離して・・・。」
「だって、またすぐにいなくなっちゃうもん!」
 フランドールは彼女なりに妹紅の暗示で破壊衝動を抑えられた事に感謝しているようである。
 しかし、妹紅はそんなフランを意外に感じた。レミリアと同い年にしては幼稚過ぎる所があり他人に感謝するとか、それをずっと覚えているなど、この吸血鬼の奇形児の精神がそこまで成長しているようには思えなかったからである。
 実際問題としてフランドール・スカーレットは破壊衝動を抑えられない数年前までは妹紅の予測した通り、感情の起伏が激しく精神に致命的な疾患を持っている患者と同じだった。情緒不安定で常にイライラし、そのストレスから逃れる為に破壊して気を晴らすのだ。それが、妹紅に更生を施されてから1年もたたず精神が劇的に安定して良く笑う可愛らしい少女に生まれ変わったのである。
「もう逃げないから・・・ね?」
 妹紅は一晩中殺し続ける凶暴なフランドールしか覚えていない為、最初は疑心暗鬼だったが瞳の奥に純粋な子供の輝きを見つけ、ほっと安心して優しい言葉をかける。
「・・・ほんとう?」
 妹紅をがっちり掴んだまま涙目で見上げるフランドールだったが、妹紅の身体から強張った緊張感が解けたのを全身で感じ取った。
「本当よ、今このデカブツに用があるから・・・。」
「・・・これを壊せばいいの?」
「え?いや、それは・・・。」
 全てを破壊する力を持つフランドール・スカーレットなら或いはこれを消滅させることが出来るかもしれない。しかし、妹紅の目的はあくまでパージさせる為に内部に強い圧力を蓄積させる事で破壊したので意味がないのだ。それにこの要塞は無数の装甲を流体層に浮かせている構造で、連動して体系を構成している単一機能の物体ではない。全てのパーツが個別に機能している内部構造を熟知していなければまとめて破壊することは恐らく不可能である。

 妹紅はフランドールと戦い殺され続けた時、最初は物理的な方法、つまり手で触れたものを壊す能力だと思っていた。その後、フランドールが何度殺しても立ち上がる妹紅に恐怖を抱き逃げ腰になった時、触れられてもいないのに体を破壊されたことを受けて、その能力が意志で行えるものだと知った。だから、潜在意識を操作する催眠術が効くと判断し暗示を掛けて更生に成功したのである。
 以前、空にある隕石を破壊した経験があるフランなので、手で触らなくても物体を破壊出来る事は本人も当然知っているだろう。ならば隕石と同じ要領でこの要塞を破壊しようと考えるはずである。しかし、隕石の様な岩の塊と違い、複数の部品の集合体であるこの防御要塞は同じ方法では目に見える表面の部品を壊すだけで中枢機構は破壊できないだろう。
 妹紅はそう確信した上で、敢えて試験的にフランドールにそれをやらせてみる。
「・・・破壊出来るの?」
「簡単だよこんなの!隕石だって壊せたんだから!」
 そう言って手をかざすフランドールだが、妹紅の想像どおり鱗状装甲の数枚が霧散して、新たな装甲が下から押し出されて元に戻るだけだった。
「あれ?おかしいな・・・。」
 いつの間にか妹紅から離れて何度も破壊を繰り返すフランドールだが、全て結果は同じだった。
 妹紅は全て破壊出来なくとも内部に力が貫通するダメージを期待していたが、装甲が角砂糖を指で潰したように爆散して粒子に還元されるだけで力の貫通力が無い事を知って諦める。
「もういいわ。」
 時間が惜しい妹紅としてはこれ以上無駄な作業は無用とフランを止め、要塞に対して次の手段で攻撃をする準備に入る。
 しかしその時、またしても地表からの強い妖気を感じ振り向いて身構える妹紅。
「(何だってんだ!)」
 地表、人間の里の方に小さな閃光が見えた瞬間、妹紅は腹部に強烈な熱を感じ、肉眼で捉えられない程の超高速攻撃を受けた事を知り、腹に空いた小さな穴を手で触る。
「・・・これは?」
 妹紅はこの攻撃を受けるのは初めてではなかった。
「幽香か!フラン、そこで待ってろ!」
「やだ!」
 妹紅が攻撃を受けたことはフランドールも確認した。急に妹紅が恐ろしい表情になったので驚いたが、離れたくないので待てと言う命令を拒否する。
「勝手にしろ!」
 香霖堂の店主が藤原邸を訪ねてきたおり、香霖堂目指して飛行する妹紅に気付いた風見幽香はすれ違いにならないよう気付かせる為に今と同じ攻撃をした事がある。あの時も重要な臓器のある場所を避けて腹に風穴を空けられたが、今回も全く同じ場所立だった。だとすると彼女は何かを気付かせる、或いは何かを教える為に呼んでいるのだと判断した。何か重要な情報を伝える為に違いない。悪いがフランドールに構っている暇はないのだ。
 妹紅はついてくるフランドールを無視して急降下した。