東方不死死 第19章  「連鎖の始まり」


 因幡てゐは横で泣いているレイセンを尻目に、何かを考えながらぼんやりと天井を見つめていた。色んな考えが頭を過ぎって一つの事を集中して考えられない。体が動かない分、頭がよく回り始めたのだろうと自己分析してみるが、最終的にどうなるのかというあたりが全く見えてこないので思考に一定方向のベクトルが働かない。
 しばらく悶々としていると誰かが部屋に入ってきた気配を感じ、そちらに意識を向けるが、永遠亭の施設の中なので誰が来るかは想像できたので、てゐは首を巡らせて誰かを確認するということはしなかった。そしてすぐ、そんなてゐの視界に見慣れた顔がひょっこりと現れた。
「あ、姫・・・。」
 現れたのは蓬莱山輝夜である。てゐもレイセンもそれが別のループ世界から来た輝夜だとすぐに理解出来た。
「こりゃまた、ずいぶんと派手にやったわね。」
 レイセンとてゐの有様を見た輝夜は呆れた表情で感想を述べる。その言い方からすると、レイセンやてゐに同情するというより、自分ではない他の自分のしでかした事への感想のようである。
 しばらく二人を面白そうに眺めて満足すると、てゐの頭の前に立って手に何かをつまんで上からてゐの口元に狙いをつけて、そのつまんでいる黒い飴玉のようなものを指から開放する。
 拘束から解き放たれた黒い玉は自由落下しててゐの額にカツンと音を立てて命中した。
「痛ッ!」
 口を狙ってハズしたその玉は、万能薬と呼んでいる身体の異常を完全に元通りにする永遠亭の秘薬である。
「あははは、ごめん、ごめん。」
 明らかにわざとハズした輝夜の本心ではない謝罪を受けたてゐは、不機嫌な顔のまま頭に当たって床に転がった秘薬を素早く拾い口の中に放り込む。
 岩の様に硬い丸い物体は口内の粘膜に触れると一瞬で粒子化して肉体に浸透し、てゐの肉体はあっと言う間に完治する。
 下半身が動き出したてゐはぴょんと飛び起きるとすぐにレイセンの前に跪き、輝夜にもう一つの万能薬を要求する。
 輝夜はそれに応じてもう一つの丸い物体を取り出しレイセンに飲ませようとした。しかし、そのレイセンの思慮深げな表情に気付き指を止めた。
「イナバ・・・あんた、その体と痛みを戒めとして取っておこうなんて、バカな事考えてない?」
 レイセンの決意に満ちた目を見た輝夜が察してたずねる。
「すみません、姫様・・・私・・・。」
 また謝るレイセンにてゐがそうじゃないだろという表情をしてレイセンを睨む。
「・・・ありがとうございます。姫様。」
「私に謝罪も礼を言ってもしょうがないでしょ?私は何もしてないし。」
 別のループ世界から来た保険である今ここにる輝夜は、レイセンに対して何かをしたという体験も記憶もない。現時点で複数存在する輝夜はそれぞれ独立した個体である。
「こんな事があったら、ループさせた保険はみんな消えてしまうはずです。でも姫様はここに居ます。きっとこうなることを想定してくれてたんです。だから、ここにいる姫様でいいんです。」
 レイセンの言葉に満足した表情をする輝夜。
「なるほど、少しは分かってきたみたいね。だったら、姫の命令よ。薬を飲みなさい。」
 しかしレイセンは口を開かなかった。
「そんな状態ではいつまでたっても私達の役に立てないでしょ?それとも何?仕事したくないって?」
「それは違います!」
「だったら飲みなさい。」
「でも・・・。」
 頑ななレイセン。それは重症を負い気が萎縮して消極的になっているせいでもあるだろうが、罪の意識が大きいという裏返しであり、その点では頼りになる存在になりうる資質が芽生えたことに輝夜は満足した。しかし、そんなレイセンにいつまでも付き合う必要はない。
 てゐが早く飲めとレイセンの鼻をつまみ無理矢理口を開かせようとしている様子を尻目に、輝夜は少し思案した後名案が浮かんだので実行に移す。
「ふーん・・・この薬はね、胃や腸から体に吸収される普通の薬じゃないのよね・・・粘膜から吸収されるから、口の粘膜がだめなら・・・。」
 輝夜は意味ありげな表情で妖しく微笑む。
「てゐ、口の粘膜がダメなら後はどこを使えばいいかしら?」
「・・・!・・・まさか座薬としても使える?!」
 意味ありげな輝夜の声にてゐが気づいて思わず大声を出す。
「てゐ!やれ!」
 輝夜がてゐに何かを命じるが具体的にどうしろとは言わない。
 てゐは一瞬何をすればいいかわからず間抜けな表情でレイセンを見下ろしていたが、輝夜の真意を察して急に邪悪な笑みを浮かべる。
 ウヒヒと笑いながら両手を上げて10本の指をいやらしく動かしレイセンにプレッシャーを与える。
 下半身の危機を察知したレイセンは逃れようと身体をくねらせるが激痛で全身が硬直する。
「ちょっとやめてください姫様!てゐもやめて!お願い!許して!」
 レイセンが抗議の為口を大きくあけた瞬間を見計らって、輝夜はそこに薬を投げ込む。
 勢いよく口に入ったその硬く丸い物体は、レイセンの食道まで一気に突き進んで一瞬息が止まったが、粘膜にふれて溶けあっという間にレイセンを完治させた。
 身体が突然軽くなる不思議な感覚に思わず上半身を上げて両手を交互に見て、その後体中をなで回すように触り痛みが無いことを確認する。
「すみません・・・いえ、ありがとうございました・・・。」
 体を起こし正座したまま申し訳なさそうに謝罪改め礼を言うレイセン。
「ま、お礼はあっちにいる私にいいなさい。すぐに口きいてもらえるかわからないけどね。」
 同じ自分の性格なので向こうにいる輝夜の今後取りうる態度はだいたい想像出来る今ここにいる輝夜である。
「あ、そうそう!」
 輝夜は何かに気付いて手をポンと叩く。
「そこに、ご飯あるから食べていいわよ。」
 輝夜が入ってきたと思われる別の入口の前に、トレイに乗った4つの丼がある。向こうにいる輝夜と永琳、そしてここにいるレイセンとてゐの合計4人分である。
 わーいと丼に駆け寄る兎達を尻目にゲップをする輝夜はそのまま入ってきた扉から「あとはよろしくね」と言って姿を消す。
 最後のセリフが気になったてゐとレイセンは、互いに見つめ合いハッとなって4つの丼の蓋を開ける。
「やられた!」
 てゐが地団駄を踏んで悔しがる。
 里の高級鰻飯店「藤重」の上鰻丼のウナギが4つの丼全てが蒲焼きだけ半分食べられた状態だった。
「ねぇ・・・もし、これを姫様達に差し出したらどうなると思う?」
「恩を仇で返したと、今度こそ殺されるだろうね。レイセンが。」
「だよね・・・。」
 現在の丼の中身は食い逃げ輝夜に食べられたウナギ2人前分を引いて、ご飯が4人前、ウナギが2人前である。
 この状態のまま戻ってきた輝夜と永琳にこれを差し出せば、レイセンとてゐの2人が半分食べたと疑われるのは必至である。
 そうならない為に必要な措置は、自分達の分のなけなしのウナギを輝夜と永琳の丼に移す事だけである。
「ま、どこぞの屋台のウナギと違って、藤重秘伝のタレだから、ご飯とタレだけでも美味しいんだけどね。」
 そう言ってウナギを永琳達の丼に移しもくもくと食べ始めるレイセン。
 いつものてゐならそのまま自分の分のウナギを食べてしまうところだが、今回はちょっと冗談ではすまされない可能性があったので、レイセン同様ウナギを移しタレだけのご飯を食べ始める。
 これだけでも意外と美味しいというのが逆に悲しみを増幅させ、2人は鰻なしの鰻丼を美味いといいながら食べ続けた。
 その時、薬と鰻丼を持ってきた輝夜が出ていった扉とは別の扉から永琳が出て来た。
 レイセンは先に箸を付けてしまった事を詫びようと立ち上がって永琳の出迎えに向かおうとして、そこで足を止めた。永琳の醸し出す重く黒いオーラがレイセンをそうさせたのである。
 てゐも思わず息を呑み、ご飯を喉につまらジタバタする。
「し、師匠?」
 永琳はヨロヨロとおぼつかない足取りでレイセンに近づくと、そのまま体を預けていっしょに倒れ込む。
 一瞬、向こうにいる輝夜の気が変わってやっぱり死刑になるのではないかと、身震いしてしまったがどうもそうではないらしい。
 レイセンは永琳が転んで怪我をしないように抱きかかえる様にゆっくり床に座る。
 酒に酔って寝てしまった永琳を寝所に運ぶ時も似たような事になったことがあるが、その時と違い永琳の様子は明らかに変だった。
「まさか・・・こんなことが・・・。」
 レイセンの耳元で永琳がボソボソと独り言のように呟いている。
「私が・・・幻想郷を亡ぼす事になるなんて・・・。」
 衝撃的な言葉がレイセンの耳に飛び込んできた。



 妹紅はがっくりと落ち込んだ。
 慧音と喧嘩別れをし気落ちしたからではない。先程慧音とやりあった後、そのまま戻った藤原邸の庭先に風見幽香の姿を見たからである。
「おかえりなさい。」
 日傘を差したまま中庭から座敷を眺めるように立っていた幽香が、妹紅の帰宅に気付いて振り向いて挨拶をする。
「はぁ~。」
 溜め息をつく妹紅。
「どうしたの?」
 自分を見てがっかりしているとは思ってもいない幽香。
「朝っぱらから何か用?」
「忘れ物よ。」
 幽香は妹紅の問いに対して綺麗な鶯色の風呂敷を差し出す。
「忘れ物?」
「剣とリボンよ。」
「・・・あー!」
 藍の世界から幻想郷に戻った妹紅は、早々に立ち去りたい衝動に駆られ、持ち物も確認せず飛び去ってしまっていた。それを思い出して思わず声を上げた。
「・・・あ、ありがと。」
 素直に風呂敷を受け取る妹紅を見た幽香は、明らかに妹紅が変わっている事に気づく。
 昨日まで近づけば眉をつり上げて睨み付け緊張する妹紅が、今は自然体で幽香の目の前に立っているのだ。
 幽香は実験がてら少し悪戯をしてみることにした。
「ん?な!ちょっと!」
 風呂敷を受け取った妹紅に幽香はそのまま抱きついてみた。
「むぐぅ!」
 幽香の豊満な胸の谷間に強制的に顔を埋めさせられた妹紅は、離れようにも手に荷物を持っている為手で払い退けることが出来ずもがく。しばらくそうしていると幽香はその結果に満足して妹紅を開放した。
「ちょっと!」
 妹紅は不機嫌になって苦情を言おうとしたが、クスクス笑っている幽香の態度が気になって急に怒気がおさまる。
「・・・。」
「あなた、気付いていないの?」
「何が?」
「昨日は、近づけばピリピリしていたのに、今全然じゃない?」
「・・・そういえば・・・。」
 妹紅は今になってようやく気付いた。幽香のそばにいてもまったく緊張も警戒心も出てこない。
「なんでだろ・・・。」
「強くなり過ぎちゃったんじゃない?」
「そう・・・なのかな・・・。」
 強くなり過ぎたという言葉に謙遜する様子もない妹紅を見た幽香は、本人が以前より強くなっているという自覚があることは理解できた。
 妹紅は取りあえず縁側から座敷に上がり幽香から受け取った風呂敷を広げる。
 風呂敷の中から紫色の厚地の布で包まれた岩老刀とおぼしき長い物が出てくる。妹紅はそれを見て丁寧な扱いだなと恐縮したが、剣に直に触るのを嫌がった妖怪達と霊夢の苦心の末の産物である。
 リボンは丁寧に丸めて筒状になっていた。妹紅はそれを手に取りいつものように頭に結ぶ。
 妹紅はもう一度お礼を言おうとそばにいるであろう幽香に声を掛けようとして座敷にいない事に気づく。見れば庭先に日傘を差したまま恨めしそうにこちらを見ている。
 しばらく見つめ合っていたが、幽香の視線の先にある物に気付いて、その原因が分かった妹紅。
「ああ、ごめん・・・。」
 妹紅は立ち上がろうと腰を上げながら謝り、その原因の所に近づく。
 幽香を不機嫌にさせていたのは、妖を抑える博麗のお札である。妹紅は昨晩お札を外したまま元に戻さず放置していたので、今現在家中妖で一杯になっているのだ。
 妖力に反応しまとわりつく家の中に蠢く妖は、妖力を完全に抑える事が出来ない妖怪や霊獣、獣人には不快感しか与えない存在である。しかも、重症を負っている幽香には肉体的にも苦痛が発生するのだ。
 妹紅はお札を拾い、元の位置に貼ると妖は一斉に天井に駆け上がっていく。目には見えないが明らかに空気が変わる。
 それを見て縁側から座敷に上がった幽香は妹紅を正面にして正座する。背筋が良く上品な仕草に見えるが、それは首の負傷で動作がままならない為の仕草で、寝違えて首が回らない時の動作に近い。
 妹紅は梁にお札を貼ったまま幽香の一連の行動を見下ろし、幽香が正面少し離れた所に座るのを見て声を掛ける。
「まだ痛むの?」
「まーね。」
 幽香は妹紅の問いに短く答え、そのまま視線だけ上げて何かを訴える様に妹紅を見つめる。
「・・・何か言いたい事がありそうね?」
「今日はなんだかとてもフレンドリーなのね?何かあったの?」
 昨日とまるで違う妹紅の様子に率直な意見を述べる幽香。
「友好的で何か問題あるの?」
「昨日の態度と比べたら変わりすぎて何だが気持ち悪いわ。」
 妹紅が強くなった理由やこれから起こるであろう異変など、問題にすべき所はそこだろうと思うのだが、目の前のフラワーマスターにはどうやら関係ないようだ。
「気に入らないなら自分の家に帰れば?」
 妹紅は面倒くさくなったので追っぱらう事にした。
「・・・。」
 妹紅の冷たい態度にジトっとした目で見上げる幽香。首が曲がらないので目だけが妹紅を追う。
 幽香は妹紅との対決後はずっと友好的な態度を取っている。気持ち悪いとのセリフも額面通りではないのは分かる。首がちゃんと治れば、もう会うこともないかもしれないが、気に入られたのだとしたら完治後も会う事になるかもしれないし、身体が自由になればその頻度も恐ろしく上がるかもしれない。
 幽香という個性は妹紅も嫌いではなく、むしろ好きであるが、妖の狩人という肩書きや、自身の固有の能力からしても妖怪と交わる事を良しとは思わない。出来れば関わりたくはない。
 恐らくこの幽香の傷は後遺症となって一生付きまとう事になるだろう。それはそれでおとなしくなるので良いが可哀想という思いもある。
 しばらく幽香の目を見ながら考えていた妹紅だがある決断をした。
「その傷治せるとしたら、どこまでリスクを負う覚悟がある?」
「!」
 突然の質問に幽香の目がカッと開く。
「治せるならどんなリスクも負うわ。」
 強い口調で即答する。
「死ぬかも知れないとしても?」
「その時はあなたが私の替わりに東方面の楔になるのよ?」
 幽香には公にされていない幻想郷における役割がある。様々なものが流入する幻想郷東側の秩序維持が幽香の役割である。
「私はある力を手に入れたの。」
「どんな?」
「自分の状態を任意に管理出来る力よ。」
「不死身のあなたになんの意味がある力なの?」
「死んだふりが出来る。」
「・・・死ぬと勝手に生き返ってしまうとすれば・・・それは結構大きな変化かもね。で、それが私の傷と何か関係あるの?」
「分かりやすく言うと、自分の身体だけに藍の力が使えるってこと。」
「!」
 幽香は藍という言葉に反応した。
「藍は死んでさえいなければ体の損傷を完璧に元に戻せたわ。他人の体でも・・・でも、妹紅にだけしか使えないなら・・・。」
「出来るかどうか実験してみたい。」
「実験体になる覚悟があるのかってこと?」
 妹紅は静かに頷く。
「分かったわ。その賭け乗るわ。」
 妹紅の予想に反して幽香は即答する。
「早いな・・・もっと悩むかと思ったのに・・・。」
「この傷、もう完全に治らないのでしょ?」
「永遠亭に行けば治せるかもよ?」
「医者なんて信用できないわ。」
 医者が好きなのは人間くらいなのかもしれない。妖怪達は等しく医者嫌いである。破壊力のあるパンチをまともに喰らう勇気はあっても、細い小さな金属の管を血管に挿したチクっとした痛みには耐える事が出来ないのが妖怪である。
「じゃーさっそく始めましょうか。」
「何か準備するものはないの?」
「準備?・・・そうね・・・全てを受け入れる心の準備だけかしらね。」
 そう言って妹紅は正座している幽香の前に片膝を立てた中腰で向かいあうと、右手を幽香の首の後ろに回し体を密着させる。
「こ、これは?」
 幽香は思わず呻く。首を折られた時の体勢に似ている。全身総毛立ち死の恐怖が過ぎる。しかし幽香は堪えた。
「幽香、私の体を両腕でしっかり掴んで。頭と体を結ぶ神経が一旦切れると思うから・・・。」
 幽香は言われた通り妹紅の華奢な体に両腕を絡め互いの手首を掴んでロックする。妹紅はそれを背中で感じると念を込めるように目を瞑る。
 幽香は何が起こるのかと恐怖と興味半々で密着している妹紅を全身で感じる。
 妹紅の髪の毛がざわざわと動き始めロックした幽香の両腕にからみつき離れない様に手錠の役割となる。
 下準備が整ったのを見て妹紅は右手を幽香の首の真後ろに添え、そのままズブズブと指先を首に差し込んで行く。
 首が燃えるように熱くなるのを感じた幽香は、自分の首が深刻な状態になっている事を自覚しそれは死に直結するものだと予感できたが、ここまで来たら妹紅を全面的に信用するだけである。
 妹紅は幽香の体内に自分の指を突き刺しその状態で指を燃やす。首の内部がどろどろに溶け自分の溶けた指と融合するのを感じながら、その深刻な傷の修復をイメージする。
 指は幽香の首の中で幽香と同化しているが、しっかりと指の感覚はある。その感覚だけの指で幽香の首の骨などの組織を再生していくが、どうも巧くいかない。
 造形されている首の組織は明らかに小さい。妹紅はすぐに自分の組織と同じものが幽香の首に造られている事が理解出来た。
 このままだと一応傷自体は治せるが首が若干短くなり違和感が生じるだろう。
「さて、どうしたものか・・・。」
 幽香は首から下の感覚は既に無く、されるがままに妹紅の行動を注視するしか出来なかったが、治療が上手くいっていない事を匂わせる言葉を聞いて不安になり妹紅を睨み付ける。
 それに気づいた妹紅だが、特にリアクションを取らず、じっとその目を見返しながら考える。
 他者の損傷を修復出来るという問題はクリアできたが、それはあくまで妹紅自身の肉体としてだ。他人の体に自分の身体の一部を提供するようなもので、命が取り留められるならという最悪の状態を回避するという場合はそれでもいいかもしれない。
 現状の幽香の首は、損傷部位が妹紅のそれになっているだけで、完全に元通りにはなっていない。
 完全に幽香の損傷部位を治すには妹紅が幽香になればよい。
「乗っ取るしかないか・・・。」
 妹紅は一時的に幽香の精神を乗っ取り、幽香自身に成り代わり自分自身を治す要領で治療するアイデアを思いつく。
「幽香、ちょっと失礼。」
 首だけの幽香に妹紅は詫びると、承諾を得ずに幽香と唇を重ねる。相手に入り込む一番簡単な方法は粘膜同士を接触させることである。
 驚いた幽香は抵抗しようにも首から上だけの感覚しかなく、妹紅にされるがままになる。
 妹紅は舌を入れようと試みるが幽香は歯を閉じたまま妹紅の侵入を拒む。これはある意味防衛本能のようなもので、体内に何かを侵入させられる事は妖怪にとって敗北に等しいもので、許せる行為ではない。
 生命の危機に怯え防御本能を見せる幽香に対し、妹紅は自分の舌で幽香の閉じた歯をコンコンとノックをする。
 幽香の視線からは妹紅の表情は見えなかったが、リラックスしている妹紅の雰囲気と、その合図に何かを感じとった幽香は妹紅に全てを委ねた。
 力を抜いた口の中に大量の何かが侵入してくるのを感じる。意識が薄れていき幽香は完全に妹紅に支配された。
 妹紅は閉じていた目を開く。目の前に自分がいる。
「(上手くいった・・・。)」
 幽香の目から自分を見ている事を確認したものの、肉体の感覚を残したまま頭だけすげ替えたような状態になっているため、全身の感覚が狂っている事も同時に認識する。
 頭の向きが逆さまなので、鏡を見ながら動くような感覚である。左右逆の感覚になれるため、体をもそもそと動かしてみる。
 しばらくそうした後、妹紅は幽香の治療にとりかかった。
 先程と同じ様に幽香の首の組織を一旦融解し再構築を試みる。一瞬で首の組織は元の形に戻り妹紅はその形状を確認する。子供の体である妹紅の首の骨と比べて大きくて頑丈な骨になっていることがわかり、それが幽香のものだと確信する。
 術を解いて再び自分自身の体に戻った妹紅は、幽香の首の後ろから突っ込んだ指をゆっくり引き抜くと、まだ気を失った状態の幽香をその場にそっと寝かせる。
 重ねた唇から溢れ出た唾液でお互い口の廻りが汚れていたので、妹紅はハンカチを出して幽香の口の周りを拭って綺麗にし、自分は袖で拭うだけですませた。
 心地よい花の香りが妹紅の鼻孔に残る。幽香の匂いだ。
 しばらく幽香を見下ろしながら、もしかしたらこのまま幽香は目が覚めないのではないかと心配になる。しかし、昏睡している幽香の顔色は良く、呼吸で膨らむ胸の動きも正常で健康であることが伺える。
 タヌキ寝入りでもしているのか?それとも怪我が治って気持ちよく熟睡しているだけか?
 妹紅はそこで一つの決断をする。
 幽香の頭の後ろに立った妹紅は右足を上げて幽香の顔面めがけて足を振り下ろす準備をする。そして、一瞬強い殺気を込めて、その足を思い切り振り下ろす。
 ドスっという畳を踏みつける鈍い音が座敷に木霊する。
「何をするの?」
 殺気に反応して目を覚まし身をひるがえして妹紅の足を回避した幽香は低く身構えて応戦の体勢をとる。
「どうやら実験は成功したようね。全快おめでとう、幽香。」
 それを聞いた幽香ははっとなって、その姿勢のまま恐る恐る首をまさぐる。全く痛みがなく、しかも首がまともに曲げられなかった状態であったにもかかわらず、今とっている姿勢が何の問題もなく出来ている。
 幽香はすくっと立ち上がった。
 妹紅は幽香の雰囲気が変わった事に気づいて反撃を恐れてすっと後ずさる。
 幽香の肩は怒ったように吊り上がって首は下を向いて全身がナワナワと震えていた。
 妹紅はやばいと思った瞬間、幽香が猛然と突進してくる。
「(治してやったのにそれはないでしょ!)」
 妹紅は心の中で叫んだが、首を折られた恨みは相当なものだろう。今までそれなりに友好的な関係になっていたと勘違いしていた。幽香は常に復讐の機会を狙っていたのだ。
 飛びかかる幽香の腕をかわし、そのまま背中を向けて、かわした腕を掴んで一本背負いで畳に投げつける。
 そして、そのまま腰を落として幽香の頭をほぼ垂直に畳に叩きつけた。
 大きな音と共に家が大きく振動し埃や塵が舞う。
「はっ!」
 幽香を最初に仕留めた時と全く同じ状態である事に気づいた妹紅は、反射的に動いてしまう自身の体を心の中で罵りながら仰向けに倒れている幽香の首を心配して顔を覗き込む。また、折れたかもしれない。
 幽香の目は閉じた状態で口が少し開き昏倒しているように見える。
「お、おい?」
 妹紅は呼びかけながら首の状態を確認しようと右手を幽香の首の後ろに入れた瞬間、幽香は目を開いて首を畳に押し付け妹紅の右手首をはさんでロックし、右手はそのまま妹紅の首を抱え込むように引き寄せ、左手は妹紅の左脇の下を通して抱え込んだ右手と組み合わせてがっちりとロックする。
「しまった!」
 幽香の死んだふりに気付かず不用意に近づいた妹紅は完全に幽香に絡み取られてしまう。
 相手の力を利用する妹紅の体術もこう組み付かれると為す術がない。単純な力比べでは不利であるが、抑えている妖力を出し切れば勝てるかもしれない。
 しかし、瞬発力のない人間の妖力は力を出すまで時間がかかる。その間に幽香の締めで体は潰されるだろう。不死身である妹紅は生存を賭けた勝負には負けはないだろうが、死という判定、つまりリザレクションした時点で勝負有りとなる。
 自分ごと体を燃やして幽香と家を同時に焼いてしまうという勝ち方もあるだろう。呪符を使った妖術を使うのも決して卑怯ではない。先程の治療と同じ要領で幽香の内部組織を破壊してしまうことも出来る。しかし、相手の土俵で勝つという妖の狩人としての自負が体術以外を使う事はその時点で敗北と同じだと結果ではなく過程にもこだわった。戦い生業とする者の救いようのない性である。
 左脇の下に幽香の腕を入れられた妹紅の左腕は空しく宙を舞い、右手は幽香の首の後ろにロックされている。
 幽香の右腕で首ごと体を密着させられている妹紅は、予備動作が取れず力が出せない。
 どうにかして右手を引き抜こうと力を込めた一瞬、幽香は首の力を抜いて妹紅の右手がスポッと抜け、妹紅の体勢が崩れた。
「(しまった!)」
 崩れた体制を利用され、くるっと体勢を入れ替える幽香。
 幽香は力はあるが不器用だと思っていた妹紅だが、戦闘能力だけはなく戦闘センスもずばぬけて高い事を思い知らされる。恐らく妹紅との一戦での敗戦以後、不自由な体になったにも関わらず勝つために考えながら戦術を練っていたのだろう。
 体が上になった瞬間、マウントポジションに移行した幽香。
「(あの時とまったく逆だ・・・。)」
 妹紅は先の戦闘にならって蹴り上げでもしようかと思ったが、大きく息を吐いて力を抜いて負けを認めた。
 幽香は妹紅の首にがっちりと両腕でからみつき左右どちらかにひねり上げれば首がいつでも折れる状況になっていた。その状態のまま固まって動かない幽香に妹紅は肩をポンポンと2回叩いて降参を示す合図を送る。しかし、それでも動かない幽香。
「・・・?」
 勝利の余韻に浸っているのかと妹紅は思って幽香が気の済むまでそうさせてやろうとしたが、その時幽香が小刻みに震えている事に気付く。
「泣いてるの?」
「・・・。」
 妹紅は、幽香が負傷した後に助けを求めに来たことを思い出す。
 戦国時代、大阪の陣で真田幸村が相対した伊達家家臣の片倉の陣営に家族を託し、その子孫が仙台真田として今も存続している。敵に家族を託すなど考えられない事ではあるが、直接刃を交えた敵と味方に生じる信頼関係がそんな奇跡を起こす。
 それと似たような事が妖怪にもあるのか妹紅は分からず、その時の幽香の行動は勝者への当て付けではないかと思っていた。
 幽香の一連の行動は自分の傷の完治状況を知る為と、一種の照れ隠しなのかもしれない。そして、完治した事によって込み上げる感情の大きさは、負傷したことの重大さの裏返しでもある。
 幽香の存在によって「人間を殺しすぎない」「妖怪同士で殺し合わない」という幻想郷の暗黙のルールが維持されているといってよい。しかし、このルールを全ての妖怪が快く思っているわけではなく、寧ろほとんどの妖怪はそのルールの存在を煙たがっている。ようするに好きにやりたいのだ。
 幽香が負傷し戦えない事が知れ渡れば幻想郷の反体制側にいる妖怪達が風見幽香の討伐に出る可能性がある。いや、間違いなくそうなるだろう。
 現状では幽香=倒せないという一種の刷り込みが妖怪達になされている。負傷した現在でもそれは有効であるし、今すぐに状況が変化することはないだろう。しかし、完治の見込みがない状況では何れ幽香の大人しさに様々な憶測が飛び交い、やがて幽香に友好的な周辺の妖怪から探りをいれられ包囲網が狭まってくるだろう。仲間の妖怪の被害に応戦しないことが分かれば幽香の異変は幽香討伐と発展していくだろう。
 幽香は負傷してからこれまで、先の好転が見込めない身の危険を味わって過ごしていたのである。
 そのストレスから開放された喜びが今の幽香の行動になっているのだろう。
「(しかし・・・。)」
 しかし、ずっとこの状態でいられても妹紅としては非常に迷惑なことである。
 妹紅は幽香の肩をポンポンと叩いて退くように合図するが、幽香は体を振ってイヤイヤをする。
「(ウソでしょ・・・。)」
 妹紅はゲッソリした。
 今まで見ていた幽香は負傷してパワーダウンしていた幽香であって、本当の幽香は里で喧嘩を売ってきた幽香である。変なのに因縁付けられてしまったと妹紅は心から後悔した。
 取りあえずこの状況を打開しようと思った妹紅は、既に自由になっている腕を伸ばしもんぺに貼り付けた空蝉の呪符を一枚剥がしてそれを一旦自分の顔の前に出して確認する。
 その後はその呪符を外に放り投げ幽香にからみつかれている本体と入れ替える予定であったが、ここで異常が現れた。
 顔の前に持ってきた呪符が発動と同時に腐敗し、砕けた煎餅の様になって自分の顔に破片が落ちてきたのだ。
「なっ!」
 妹紅は思わず大声を上げ、自分の世界に入っている幽香もそれに反応して顔を傾ける。
 呪符の破片は妹紅の顔だけではなく、幽香の肩や髪の毛にも降りかかり、ここでようやく異変に気付いて妹紅の拘束を緩めて上半身を上げる。
「ちょっと、どいて!」
 妹紅が事の重大性に気付いて、幽香に付き合ってられないという感じに乱暴に言い放つが、その態度が気に入らない幽香は「嫌」と言ってまた抱きつこうとする。
「はっ!」
 その時の恐ろしい妹紅の形相を見た幽香は、流石に悪のりしすぎと後悔してすごすごと妹紅から離れる。
 幽香が妹紅から離れ、少し離れた場所にちょんと正座するまで睨みつけた妹紅は、その後縁側から裸足のまま飛び降り、両手でお尻を2度ポンポンと叩き、3度目に大きくバンと勢いよく叩く。
 最初何をするのか分からなかった幽香だが、3度目でもんぺに貼り付けた呪符が一斉に飛び出したのを見て、全呪符の強制解除の為の動作であることがわかった。
「驚いたわね・・・。」
 その様子を正座して見ていた幽香は黙っていられず思わず口を開く。もんぺに貼り付けておく保管方とその解除方法ではなく、収納されていた呪符の量にである。
 妹紅のもんぺから開放された呪符の山は、地面に落ちると同時に腐敗してボロボロになり、その残骸が妹紅の周囲、膝位まで堆く積もっていた。
 一陣の風が呪符の残骸を持ち去った後に一人残された妹紅はがっくりと地面に膝を折り肩を落として両手を付いた。
 様々な効力を持つ各種大量の呪符をもんぺに貼り付けて持ち歩いていた妹紅。妖術使いとしていつでも活動出来るようにそうしていたわけであるがその全てが塵と消えた。
 500年積み重ねてきたものが一度に失われるその喪失感は想像以上に堪えるものがある。自分でも信じられない程落ち込んでいる事に気づく妹紅である。
 全快し気分が良い幽香であるが、庭先で一人暗いオーラを身に纏っている妹紅を見ていると負傷中のように陰気になってくる。
 幽香はどうしたものかと思案していると、妹紅がくるりとこちらを向き涙目で睨み付けてくる。
「え?ちょっと、私は関係ないでしょ!・・・ないわよね?」
 言い切った後に自信がなくなって尋ね返す幽香。治療した時に何か影響出たのかもしれない。
 ゆっくりと立ち上がり近づく妹紅に怯える幽香。また半殺しにされるかもしれない。
「ねぇ・・・。」
「は、はい?」
 妹紅はドスの効いた声で幽香に声をかけ、上擦った声で返事をする幽香。幻想郷最強と詠われる妖怪も形無しである。
「紙」
「かみ?」
「紙、手に入る所しらない?」
「かみって白くて文字を書いたり、鼻をかんだりするアレ?」
「お札に使えそうな和紙がいいわ。一から作り直すのよ。」
 不機嫌が服を着て歩いているような状態になっている妹紅はすっかりガラが悪くなって、同じくガラの悪さでは右に出る者はいないと言われている幽香ですら可愛く見えるほどである。
 幽香は里にはよく買い物に来るので何処に何が売っているかはだいたい把握しており、妹紅の希望の品も何処に売っているかはだいたいわかる。
「案内するわよ。」
 愛想良く案内を申し出る幽香だが、その態度が気に入らないのかプイっと横を向く妹紅。
「・・・やっぱりいいわ。自分で探すから。」
「気を使わなくていいわよ。」
「気なんか使ってないわよ。だいたい、治ったのならさっさと家に帰ればいいじゃない。」
 幽香としては首を治してもらったことに感謝をしているので、お礼の意味も込めての申し出であるのだが、機嫌が悪い妹紅にとっては、そうした気遣いは余計に癪に障る。
 妹紅の冷たい態度に思わず黙り込む幽香。
「あ・・・。」
 幽香の悔しげな複雑な表情を見て自分の大人げない態度にようやく気付いた妹紅。
「ご、ごめん・・・。」
 謝ってから自分に幻滅してまた落ち込む妹紅。
「案内するわ。」
「うん・・・。」
 裸足だった妹紅は縁側に戻って靴を履き、幽香の後についてとぼとぼと歩きだす。
 藤原邸の庭先は低い垣根に囲まれており、空を飛ぶなりしないと直接外に出ることは出来ないので家の東側にある里と竹林を結ぶ南北に伸びる道に出てそのまま里のある北に向かう。
 妹紅の行動範囲は狭いので普段長距離を移動する事が少なく竹林と里の行き来は徒歩で行う事が多い。
 意識せず飛べる妖怪などと違い、妹紅の飛行形態は羽ばたき型という重力に逆らって力を消費して飛ぶタイプなので、必要な時以外は基本的に足を使う。
 人間は天狗や仙人にでもならない限り空を飛ぶことは出来ない。妹紅が飛べるのは不死鳥を内包しているおかげである。霊夢は天狗や仙人と同等の格付けで、非常に特殊な人間であり「普通の人間」ではない。魔理沙は魔法の力でホウキという触媒を使い、妹紅と同じように重力に逆らって飛ぶタイプである。
 風見優香は典型的な妖怪であり重力に干渉されず無意識に飛行出来るタイプである。しかし、飛ぶスピードが遅いのと花の世話など地に足をつけた活動が好きな性格なため、特に急ぎの用でもなければ基本的に移動は徒歩である。
 2人は特に示し合わせたわけでもなく、自然に徒歩で歩き出し里へ向かった。


 里に入るとすぐ上白沢慧音の寺子屋があるが、妹紅はそれには目もくれずまるで意識的に無視するように下を向いたまま歩く。
 朝の妹紅と慧音のやりとりをしらない幽香は、妹紅の様子を不思議そうに横目で見ていたが、言葉には何も出さずに気に留めるだけにした。
 風見優香と藤原妹紅が並んで里の通りを歩く姿はとても珍しく注目になりそうであったが、不思議と誰も気を向ける様子がなかった。
「変よね。私達2人が通りを並んで歩くなんて初めての事なのに、誰も見向きもしないわ。」
 幽香は派手好きで、目立ちたがり屋でもある。服装が派手なのも目立ちたい注目されたいという思いの表れである。妹紅と2人で並んで歩けばいつもより目立って視線が集まるだろうと予想していた。
「みんな意識しないように無関心を装っているだけよ。ほんとはジロジロ見たいのよ。」
 妹紅は幽香にすれ違う人々の心を代弁する。
「人間って変よね。」
「まぁ触らぬ神に祟りなし・・・だと思うけど。」
 最近藤原妹紅が里の大通りに姿を見せた事、その後幽香と里の外に行った目撃情報が噂され、少なからず里の話題になって、その後どうなったかという事に里の人の関心があった。
 昨日の異様な雰囲気と併せてこの2人の間で何かがあったという予想がなされていたわけであるが、その渦中の2人が仲良く並んで里を歩くというのはこれまた更なる憶測を呼ぶことになる。そして、興味津々ではあるものの迂闊に踏み込めないというジレンマが里の人のよそよそしさに繋がっているというわけである。数人がよそよそしくしていれば気にもかけないのであるが、狭い里中に噂は広まっているため、すれ違う人ほぼ全員がよそよそしくなり、幽香と妹紅からはもの凄い違和感となって見えてしまうのである。
「ところで何処に向かってるの?」
「マルキよ。」
「まるき?」
「霧雨道具店のことよ。」
「霧雨道具店?」
 マルキとは「○」に霧雨の頭文字「キ」を入れた屋号であり、ほとんどの店はそうした屋号で呼ぶ。ちなみにカタカナの屋号は里ではマルキだけである。
「あなたほんとに里の事何も知らないのね。」
「店に用事がある生活してなかったし・・・。」
「その服はどうしたの?それ洋服でしょ?」
 下はもんぺだが上着はシャツである。そして、大きめのもんぺはサスペンダーで吊り上げている。
「慧音が揃えてくれた。」
「ふーん、それって慧音の趣味なのね。」
 服装には結構うるさい幽香である。シンプルだが紅白で非常に目立つ妹紅の服装は密かに気に入っている。
「その服、あなたの炎で燃えないの?」
 実に単純な疑問である。
「藍のリボンからほどいた糸を服の中に縫い込んでるから、完璧な状態維持が可能なのよ。」
「へー、それは便利ね。」
 藍のリボンは、妹紅が深い業によって羅刹化することを抑え、人間の姿を維持させるために必要な道具である。その性能を正確に理解すれば、これがどれほど素晴らしい能力を持っているか理解出来るだろう。正に秘宝、国宝にも等しい道具といえる。
 蓬莱の薬の中に藍が思念体となって溶け込んだ事で、妹紅の体はこのリボンと同じ性質になっており、強制的に回復する蓬莱の薬とは別に、自在に肉体の状態を操作出来る力を得た。
 そして、妖力が増大、つまり非常に強くなってしまったことで業の力を超え、それを完全に支配下におき、状態維持のリボンを必要としない体質に変化している。


 八雲藍を殺害したことによる喪失感から妹紅は廃人となり、肉体だけ生きたまま精神が死んだような状態になった。死者の魂が肉体に対する執着を消すための場所、黄泉帰りが出来る場所でもあるそれを妹紅は「選択の間」と呼んでいるが、そこに引き籠もって蛻の殻になっていた肉体を不死鳥に見つけられ奪われてしまう。
 奪った肉体を使い、この時既に変質していた不死鳥は浄化と称して多くの一向宗を殺し、妹紅は自分の意志とは関係なく深い業を背負わされてしまう。業の力で悪鬼羅刹と化した妹紅の肉体は不死鳥を逆支配したことで妹紅の意識は復活した。
 気付けば人の手では支えきれない深い業を背負わされていた妹紅である。
 藍に貰ったリボンによって人間のまま肉体を維持する事に成功した妹紅であるが、自分の肉体が非常に危険な状態になっている事に危機感を持ち、自分を完全に滅ぼす事の出来る方法、それが出来る存在を探す旅に出る。
 俗世の倣いから離れ、身なりも見窄らしく酷い匂いで周囲の迷惑も顧みず只ひたすら肉体が滅びる結果を追い求めた。
 妹紅は敢えて人に迷惑をかけ仕打ちを返される事を望みそれを自らの罪の償いの一部とすることを選んだ。しかし、世間はそんな妹紅に冷たくするどころか優しかった。
 もちろん石を投げられる事もあった。しかし、そんな乞食同然の身なりの妹紅に食べ物を恵んだり、住む場所を貸し与えたり、着る物を与えられたりもした。
 嬉しくもあり悲しくもある世間の有り様に妹紅は苦しみ、生きる事の重さに押し潰されそうだった。
 そんな時、ある歌を聞く。それは西行法師という偉大な歌人の歌だという。だが、それは妹紅がかつて妖術使いとして生きるきっかけを生んだ、ある男が口にした歌と同じだった。
 その男が西行法師と呼ばれる者であったことを知った妹紅は、何百年も前の事が連綿と続いて今に引き継がれている歴史の存在を知った。
 涙が出た。
 自分の身体に刻み込まれた歴史の存在は、失うには余りにも惜しいと思うようになった。
 生き続けようと妹紅は決意した。そして、滅びを探す旅から自分が生きていてもよい、居場所探し旅へと目的が変化していった。
 日本全国津々浦々を旅して周り、そして幻想郷入りした。上白沢慧音と出会って自分の歴史を全て見透かされた時とてつもない恐怖を感じた。しかし、それはすぐに安心へと変わった。
 自分が見聞きし体験してきた全ての歴史が形となって保存される。つまりそれは、自分はもう生き続けなくても良いという事だった。
 しかし、上白沢慧音は安心と同時に無気力に傾く妹紅の無限の時間の発端となった存在が同じく幻想郷に隠れ住んでいる事を知らせ、再び生きる目標を与えたのである。


 里の南北に伸びる道と東西に伸びる道の交差点のど真ん中で立ちつくしたまま一人考えにふけっていた妹紅は、すれ違う通行人の奇異の視線に気付いてはっとする。そして10歩ほど手前にいて立ち止まってこちらを訝しげに見ている幽香に気付く。
 幽香が10歩ほど歩いた僅かな時間から、いつまでそうしていたのだろうか。
 妹紅はごめんと謝りながら小走りで幽香の横に立つと、また元の様に並んでゆっくりと歩き出す。
 歩みは北から東へと移り、商店や酒蔵の並ぶ大通りに出る。
「ところで、あの呪符はどうしてあーなったの?」
「あーあれは・・・風化したのね。」
「風化?それってすごく時間が経過した事を言ってるの?」
「私は、あの剣を紫から抜く瞬間、別の世界にいたのよ。」
「・・・それ、似たようなこと萃香がいってたわね。」
「あの飲んだくれの鬼は相当出来るやつっぽいね。」
「そりゃー鬼だし。」
 鬼といえば能力的に大天狗に相当する力を持っている。何かあっても「相手が鬼じゃしょーがない」で片付いてしまう。
「何て言ってたの?」
「どこか別の場所で修業してきたって。」
「だいたい合ってる。ただ、修業はしてないわね。ただひたすら長い時間そこにいただけ。」
「それだけ?」
「それだけ。」
「ふーん。それってやっぱり藍と関係あること?」
「ええ。」
 お互い正面を向いたまま小声で会話をしている。幽香は、傷を治療したのが藍の力に関係することを妹紅の口から聞き、そして身を持って知った。その事や藍についてもっと知りたいと思う幽香だが、妹紅の醸し出す雰囲気がそれ以上の会話の継続を制した。
 幽香は妹紅との関係がかなり良好になった事に満足し、それ以上の追求はしないほうが良いと判断し、話題を替えようとしたが、その必要がない事に気付く。
「着いたわ。」
 ちょうどマルキの前だった。
 こじれた運命の連鎖と新しい出会いのきっかけが待つ霧雨道具店である。

東方不死死 第18章 「疑念」


 博麗神社から逃げるように飛び去った藤原妹紅は、自らの妖力の上昇に戸惑っていた。
 何故妖力が上昇したのかは理解している。単純に歳をとり自然上昇しただけである。
 これらは、時間の流れのまったく異なる空間で起きた事で、その時は妖力上昇の自覚が無かった。
 いくら力を抑えても収まらない。どこまで抑えれば底が見えてくるのかまったく分からない。
 どの位の年月が過ぎたのかそれだけでも分かれば元の歳と比較しそこから上昇量を割り出せる。つまり抑える量も分かる。
 幻想郷における唯一の友人でもある上白沢慧音に聞くのが一番なのだが、何故か妹紅は今、彼女に会いたくないという思いが沸き上がっている。困った時は慧音のところに行けば大抵の事は解決出来た。しかし、今はそう思わない。
「なぜ?」
 妹紅は自問したが、明確な答えは返ってこない。
 これまで無知であった事が慧音に頼るという単純な行動原理を作っていた。しかし、藍から聞いた月の真実、紫や藍の生まれた秘密を知って、これまでの慧音の言動と真実とがかみ合っていないことに気付いてしまった。
 無知である自分に適当な事を言ってその場をごまかしていたのではないか?
 いや、それは違うと思う。ただ慧音は全知全能ではなく、過去に起こった事象についてならともかく、未来や自分の知らない場所で起こった事については、妹紅や他の者と同様に無知なのだ。
 聞かれた質問に対し、分かる範囲で考え答えを出していたに過ぎない。
 しかし、慧音に聞けば間違いないと自分で勝手に思い込んでいた事が間違いだと気付いた。
 だが、その事は自体は問題ではない。ただ、今回の紫の起こそうとする異変について、慧音は紫に協力すべしという結論を妹紅に与えた。紫に対して同情を誘う様な言い方をしていた。
「慧音は基本的に八雲紫のやることに対していつも否定的だったはずだ・・・。」
 この場合、慧音が、というより双方がお互いを敵視している。これは霊獣と妖怪という種族柄の問題もあるが、力に頼らず知略を是とする性格が互いをライバル視させているのだろうか。しかし、力の差は歴然で八雲紫に慧音が敵うはずがなく、慧音はともかく八雲紫が慧音を敵視する理由が妹紅には分からなかった。
 しかし、藍との対話で紫の行動の原理に過去の記録や記憶を元に出来ない事が判明した。膨大な過去の蓄積を持つ慧音に対し、それがまったくない紫としては、そこに無意識の嫉妬に似た感情を持っていたとしてもおかしくはない。敵対する時のもっとも単純な感情「気に入らない」だ。
 幽香も言っているが、長命な妖怪は過去も今も地続きで歴史感そのものが存在しない。その必要性を感じた時は既に過去の膨大な歴史は忘却の彼方へ飛び去っている。歴史とはただ長く生きたから持てるものではなく、過去の事象に現在を照らし合わせて比較したり反省したりする意識がなければ生まれない。紫にしても幽香にしても知識はともかく必要性を感じて記録として残っている歴史はたかだか1000年々程度のものしか持っていないのだ。
 幽香に関してはそれでいいだろう。しかし、幻想郷の創造主でもある紫にとって過去の経験や記録や記憶がないのは心許なく危険でもある。幸い紫は周囲に博麗神社や仲間の妖怪が常に寄り添ってアドバイスをしてくれている。
 その意味で幻想郷という土地を作ったのは紫であっても構想は博麗神社になる。そして紫個人のオリジナルの世界は幻想郷というサンプルを踏み台にして今後構築されていく事だろう。


 今まで見えなかったものが妹紅に見え始めた。
 慧音は頼れる友人であるが、この表面に現れない慧音と紫の敵対関係が、この異変に影響を与えているのではないか?妹紅はその危険性を感じ、慧音にある種の警戒感が生まれていた。
 不死鳥を自爆させ、世界の秩序を維持するというそれぞれに共通の目的があり、紫はそれをもう一つの目的の為に利用しようとしている。妹紅もまた不死鳥と対面し不死鳥を妹紅から切り離し、火の鳥などの問題も同時に解決しようと目論んでいる。
 今まではその妹紅の目的は慧音の目的でもあると信用していた。
 しかし、それに疑念が生じた。慧音は慧音で自分だけのなんらかの目的の為にこの不死鳥の自爆、つまり妹紅を利用しているのではないか?
 慧音はハクタクだ。ハクタクは大陸の霊獣だ。大陸の思想は簡単に言えば独裁だ。無能な人間による独裁は危険だが、優秀な者が独裁する世界は必ずしも悪ではない。
 しかし、その独裁の欠点は一人の優れた個性は永遠ではなくいつかは死に、優れた者の統治期間は非常に短いということだ。その資質の誕生ですらある意味奇跡なに、それが二代、三代と続くなど不可能に近いのだ。
 寿命の短い人間の世界では優れた指導者が現れても長くは続かない。その優れた指導者が永遠に生きれば独裁はむしろ理想だ。大陸の王が常に不老不死を求めるのはそれは欲望からではなく、非常に崇高な公的精神からくるものなのだ。
「永遠の命を持つ人間・・・。」
 妹紅はポツリとつぶやき、そして背筋が凍った。
 大陸の霊獣である慧音の理想は一人の指導者による世界の独占であり、その指導者は不老不死が望ましい。その理想の存在に必要な要素の一つを持っているのが藤原妹紅だ。
 ハクタクはあくまで人間の王に付き添う。人間の王が存在しない幻想郷は慧音にとっての理想郷ではない。
 自分に王としての資質などないことは妹紅自身承知している。しかし、王となった者全てがその資質があるわけではなく、優れた代理人によるいわゆる傀儡としての王が存在している事も天皇家の裏事をしていた妹紅は知っている。
 自分を傀儡にして世界の統治。これが慧音の最終的な理想郷なのではないだろうか?会った時から慧音は妹紅に友好的だった。最初はそれが怖かったが、その好意が本物と分かると妹紅は全面的に慧音を信頼した。
 しかし、慧音が好意を寄せていたのは妹紅という個人ではなく、不死身という体質だったのではないか?
 王となる資質を持つ者が現れた時、掌を返されて肉体だけ奪い去られるのではないか?
 考えれば考える程、様々な思考の枝葉が無限に広がって、しかも良い方にではなく悪い方向へと妹紅の脳を沸騰させている。
 自分は世界の中でその調和の一部であるに過ぎないと思っていたが、自分と世界の在り方が単なる従属関係ではなく、ある程度思いのままに世界に影響を及ぼせる存在になれてしまうという知識を得てしまった。
 自爆などまさにそれだ。敵対する勢力の直中で行えば敵性勢力を亡ぼすなど造作もない。そしてその力を公然と見せつければ反撃の抑止となり世界は一人にひれ伏す。
 自分を利用しようとしている存在は紫だけだと思っていた。しかし、今はその中に慧音も含まれており、その慧音の思惑の方が紫よりも危険かもしれないのだ。
 妹紅は自分自身が恐ろしくなってきた。自分を誰かに利用されたら世界が終わる。自分は誰にも利用されないための強い存在でなけれなならない。ただ強いだけではなく、何者にも騙されない知能も必要だ。
 そして、不死鳥を絶対に自分から引き剥がさなければならない。例えそれが自分を亡ぼす事になってもだ。


 妹紅は必死に考えた。誰に相談すればいいか?いや、自分で考えなければならない。
 ひとまず妹紅が最初にしなければならないのは自分の今現在の強さを知り、力を抑える為の目安を見つける事である。
 手っ取り早いのは慧音に会って自分の年齢を聞けばいいのだが、慧音に対する疑念に満たされた今の妹紅としては、彼女に会うという選択が既に無くなっており、ならば、ここは誰かと一戦交えてその中で自分の力を知るのが良いと考える。
 相手を殺さずにそれが出来るのは同じく不死身である八意永琳か蓬莱山輝夜だろう。
「連中の世話になるか・・・。」
 藍に聞いた月の話を思い出しながら慧音と会うために里へ向かう進路を南に修正し里を大きく迂回するように迷いの竹林の中にある永遠亭を目指した。


 上白沢慧音は、寺子屋で世話をしている子供達を寝かせつけた後、外に出て空を見上げた。
「星しか見えない・・・こんな事は初めてだ・・・。」
 見事な星空がそこにあったが、慧音は幻想郷にきてはじめて星しか見えない空を知った。
 妖精や妖怪、蟲、幽霊、その他諸々が空を飛び交い、戦闘光跡も含め、夜の幻想郷は昼の数十倍の賑やかさがある。
 しかし今日はご覧の有様である。
 その事情を知る数少ない存在である慧音は、妹紅が一旦戻った後、夕方発生した強い妖気で再び博麗神社に幽香らと共に向かったのを目撃している。
 その後は安定しているようだが完全に妖気は収まっていない。満月でハクタク化し固体能力が上昇した状態ならともかく人型の慧音のままでは、その妖気を細かく分析することは出来ない。
「上手くやっているだろうか・・・。」
 争いの痕跡を感じる。紫の計画に乗るように妹紅を誘導してみた慧音だが、上手くいってないのかもしれないと不安になる。
 今日の出来事は里の者も勘付いている。異変の前兆と知れば慧音の指示に里の者達も従うだろう。
「問題は私のやることに妹紅が首を突っ込まないことだが・・・。」
 慧音には慧音で今回の異変でやりたい事があった。人間にとって必要な事である。しかし、これは妖怪にとって必ずしもプラスにはならない。紫にこの計画を知られれば阻止されるだろう。
 妹紅に紫の計画に乗れと言ったが、これは紫と妹紅の距離を縮める事になる。慧音が考えている事が紫にとって面白くない事だとすると、その紫に近づいた妹紅は複雑な立場になる。
「ここは一旦妹紅と距離をおかねばな・・・。」
 そこが大きな問題である。急に冷たい態度を取って遠ざけたとして、その理由を伺いに余計に干渉されやすくなるだろう。妹紅が察して距離を置いてくれれば・・・。
「無理だろうな・・・。」
 妹紅にそれを期待するのは少しムシが良すぎると、慧音は首を振ってやれやれという仕草をする。
 妹紅は今までなんらかの判断が必要な時は全て慧音に任せていた。それは考える能力がないからではなく、その判断に責任を持てる立場ではないと自分を過小評価しているからである。
 今回の異変も八雲紫の提案にぶら下がるという形でそれに応じている。自ら積極的に幻想郷に干渉することはなく、むしろしないように努めている。
 今更妹紅が幻想郷の為、人間や妖怪の為に表舞台に出る事はないだろうし、その妹紅の立場を尊重し表舞台に出ない様に妹紅自身を隠し通してきたのが慧音でもある。


 博麗神社で起こっている出来事を具体的に知る者は里の住人にはいないだろう。しかし、その目に見えない異様な雰囲気は伝わっているらしく、慧音の寺子屋ある通りのずっと北にある商店街は早々に店じまいをして明かりが少なく人通りもまばらだ。
「今日は日が悪い・・・という感じだろうか・・・。」
 慧音は里の様子を見ようと大通りに向かうため通りを北に向かって歩き出したその時だった。
「な、なんだ?」
 博麗神社の方に先程の凄まじい妖気よりもはるかに大きな妖気が発生し慧音を驚かせる。
 この妖気は妹紅の妖気であるが、その時の慧音には分からなかった。
 慧音はそのまま走って里の大通りまで進み、その妖気の所有者が里に来た時は応戦するつもりでいた。
 しかし、その妖気の塊は里を避けるように里の東南の空を飛行しそのまま南へと去った。虹色に輝くその飛翔体を目撃した慧音だが、妖怪や妖精のように視力が良くないため、それが妹紅である事はわからなかった。
「あれはいったい・・・。」
 慧音はしばらく空を見上げながらこれからの事を考える。
 強い妖気は南の竹林の方に留まっていたが、やがて里の方へと近づきそこで消えた。
「・・・妹紅・・・なのか・・・。」
 場所的に藤原邸で間違いないだろう・・・しかし・・・。



 永遠亭を飛び去った妹紅は、進路を北にとった。その方向には里がある。
 しかし、妹紅は里には行かず途中の藤原邸に駆け込む。
 煮えたぎるように沸き立つ妖力を必死に抑えながら家に閉じこもる為に雨戸を閉める。真っ暗なはずの座敷の中は淡く虹色に照らされている。光源が自分である事に気づき、改めて自身の状態がとんでもない事になっていることを確認する。
 妹紅は座敷に入ると梁に貼ってある妖を封じる博麗のお札を剥がす。
 天井から音もなく大量の妖が落ちてきて妹紅を包みこむ。
 慧音と重要な話をする際に以前から利用しているこの家は、大量の妖によって外部から感知、侵入が出来ない。外部からの干渉が遮断出来るなら内部からの力も外に出ないだろうと永遠亭を飛び去る際に思いついた。
 今の妹紅にとって問題の優先順位は力をどうにかする事よりも、この力が外部に悪影響を与え、いらぬ疑いや争いが起こらない様にする事であった。
 その為、藤原邸の本来の機能を回復させ、引き籠もる事で一番の懸念を解消し、じっくり腰を据えて次の妖力の抑制の問題に当たろうとした。
 藤原邸の妖は妹紅から吹き出る妖気を嫌い離れるかと思ったが、その逆で妹紅に大蛇の様にからみついてくる。力の無い者には干渉せず、力に反応してすり寄ってくる感じだ。
 妹紅はまとわりつく妖の不快感に耐えながら、腰に巻いた自分の髪の毛の帯を部屋の脇に放り投げると部屋の中央で正座し背筋を伸ばし両手の拳を太腿にそっと乗せ瞑想する。
 力の発生源を探り当てるように静かに着実にそして迅速に力を押し止めていく。その一方で脳は肉体とは別のところで活発に活動する。考えずにはいられない。考える事を止める事が出来ない。
 幻想郷ではたった一日の事だが、妹紅は何千、何万という歳月を過ごした事になっている。
 月の創世と八雲紫との関係。途方もない現実に今まで「有り得ない」と思っていた事のほとんどが有り得てしまうのだ。全てが可能性に満ち、不可能な事など何もないというお伽話のような事が妹紅の中で確かなものとなって現れた時思考は無限に広がりを見せる。
 結論という最終到達点がない議論は無意味だと思っていた妹紅だが、終わりがないこの身体に結論ありきで議論する事にこそ意味がないのだという結論に達する。


 妹紅はふと閉じた目を開ける。
 気付くと外から雀の鳴き声が聞こえる。夜が明けてしまったのだ。
「ほんの数分目を閉じていただけかと思ったのに・・・。」
 妹紅は誰もいない藤原邸で誰かに言い訳をするかのようにポツリとつぶやく。
「そういえば・・・。」
 妹紅は雀の鳴き声を聞いた時、昨日藍の世界から幻想郷に戻り、その後博麗神社から永遠亭、藤原邸と移動した中で、生き物の鳴き声がまったく耳に入って来なかった事に気付く。
「聞こえなかったのか・・・何も鳴いていないだけなのか・・・。」
 雨戸の隙間から光が差し込み、光と影の美しい幻想的なコントラストが妹紅の気を和らげる。
 両の掌を見つめ自分の力の具合を確かめる。おさまっているかどうかは見てわかるものではなかったが、妖が自分を無視するように対流している様子や外の雀の何時も通りの鳴き声を聞いて力がおさまっている事を確信する。
 妹紅は雨戸を開け朝の清々しい空気を家の中に入れる。
 妖避けのお札は外した状態のままだったが、今の妹紅は妖の存在をまったく認識していなかったので貼り直すのを忘れてしまう。
 いつもの朝だが、いつもと何故か違う朝。朝は何も変わらない。自分が変わったのだと漠然と思う妹紅。しかし、何がどう具体的に変わったかを説明する事は出来ない。実際、肉体的な面では何も変化はしてない。物事に対する接し方や考え方が変わったから世界が変わって見えるのである。
「しかし・・・。」
 変わったからこそ、見えてくる現実もある。
「まずは・・・慧音だな。」
 慧音と会って話をしなければならない。今までの妹紅なら慧音とまともな議論などできようはずがない。しかし、今は大丈夫だ。
「・・・私は今まで慧音と対等に話をしたことがなかったのかもしれない。」
 妹紅はそうつぶやいて縁側を降り里の方へ歩きだした。


 人間の里と呼ばれる集落は、正式には博麗の里と言う。
 しかし、この里以外にほとんど人間がいない幻想郷の住人にとっては、単純に「人間の里」もしくは「里」で通じるので、ほとんどの者は「博麗の里」とは呼んおらず、今現在では「博麗の里」と呼ばれていた事を知っている者はほとんどいない。
 しかも、里の名前にもなっている肝心の博麗神社が本陣山に移動した為、もはや博麗とは無関係の里になってしまっている。
 ちなみに、本陣山(ほんじんやま)は吸血鬼戦争の際に幻想郷連合軍の本陣がおかれていた山だったので妖怪達の間でそう呼ばれる様になったが、博麗神社が移ってからは、単に博麗神社と言えば本陣山も含まれる。


 里の朝は早く陽が昇る頃が朝食の時間だ。
 上白沢慧音は、預かっている3人の子供と朝食をとり、寺子屋を開く時間まで里の通りを見回りがてら散歩をする。
 北に進み大通りにさしかかると通りに沿って東に向かうのがいつものルートだが、妹紅と八雲紫との会談の結果が気になり、自然と妹紅の家のある南のへと足が進む。
 昨日の重苦しい空気がウソのような気持ちの良い朝だった。
 慧音は周囲の様子を伺いながら里の南門を抜け里と外の境界を示す道祖神の結界を超える。
「ん?」
 しばらく進み藤原邸が遠目に見える位置に差しかかった頃、前方に人影を見る。
 その独特のシルエットからすぐに藤原妹紅とわかり手を振って駆け寄る。
「おーい!もこーう!」
 いつものように名前を呼び近づくが、近づくにつれいつもと違う様子に思わず足を止める。
 その後は妹紅の歩く速さに合わせて歩きやがて正対してお互いに歩みを止める。
「おはよう。妹紅。」
「おはよう。」
 普通に挨拶を交わした2人。
「・・・八雲紫との・・・。」
「その前にちょっと話したいことがある。」
 慧音は昨日行われたと思われる妹紅と紫の会談の結果を聞こうと声を掛けた時、それを遮るように妹紅が口を開く。その口調は妖怪などと対峙する際の男口調だった。
「なんだ?」
 いつもと違う妹紅の気配に警戒感を強める慧音。
「紫みたいに回りくどい事好きじゃないから単刀直入に聞くけど、慧音は紫の起こそうとしている異変に便乗して何か企んでいるのではないの?」
 妹紅はいきなり確信を付く質問をした。戦闘でもそうだが最初から一気に攻めると咄嗟の対応の中に相手の素の表情が見える事がある。知者に対し舌戦の先手を打つには心の準備をする前が最も効果的だろうと判断し、そうしたのだ。
「・・・何故・・・そう思う?」
 慧音は思いもよらない妹紅の質問に一瞬呆気にとられた表情をし、その表情が元に戻る瞬間の目の色がいつもと違う事に気付き、予想の一つが当たっている事を確信する。
「紫達と話をして・・・連中は連中なりに不死鳥の自爆に託けて何かをやろうとしている。それはある程度想像出来たわけだけど・・・。でも、それは紫だけではなく、私もそして慧音も同じ事が言えると分かったの。」
「私と妹紅のやろうとしている事は同じはずだ。」
「それはどうだろう。私は慧音じゃないから慧音の考えている事は分からない。」
「私を疑うのか?それとも・・・紫に何か入れ知恵されて来たのか?」
 最後の言葉を発したと同時に慧音は目に力を込め語気を強めた。
 ポケットに手を突っ込んだいつもの姿勢の妹紅だが、背筋を伸ばしているかどうかで緊張状態は長年の付き合いで分かる。今は少し背を丸めている。明らかに緊張状態、もしくは臨戦態勢である。
 昨日までの妹紅はそこにはなく、明らかに中身が入れ替わっているような感じだ。しかも、今まで見えていた妹紅の歴史がまったく見えない。八雲紫などの古の妖怪、いわゆる古妖(こよう)クラスになると、流石の慧音も歴史を見透かす能力が使えない。今までなら妹紅の歴史はたやすく見ることが出来、妹紅が経験してきた様々な事が言葉を交わさなくても知ることが出来た。これに関しては妹紅も承知しており話す手間が省けて良いとすら思っているようであった。
 妹紅の歴史が見えない理由は2つある。心を閉ざしているか、慧音の力が及ばないほど妹紅との間に格差が生じたか。前者であっても慧音が格上ならこじ開ける事は可能だが、その試みは完全に失敗に終わっている。つまり後者か、その両方ということだ。
 たった一日で全てが変化した。人間以外では有り得ない変わり方である。そう、人間離れしている妹紅は確かに人間なのだ。
 昨日博麗神社で何かが起こった。そして妹紅の身にも何かが起こっている。慧音は今目の前にいる妹紅を別人ではないかと警戒した。


「そうかもね。」
 慧音は妹紅の変化を紫らの影響と考え、揺さぶりを掛けるつもりで入れ知恵を疑ったが妹紅は特に動揺した様子もなく、むしろそれを肯定するように軽く答える。
 慧音は困惑した。入れ知恵をされた者に対してそれを指摘すると大抵はそこで動揺を見せる。教師をしていて付け焼き刃の知識か、しっかり身に付いている知識かはその態度でだいたいわかる。妹紅のそれは、入れ知恵をされた者の態度ではなかった。
「今回やろうとしている紫の異変は、どうやら紫の個人的なしかも根元的なところに影響しているみたいなの。」
「根元的?」
「だいぶ昔の因縁にかかわる事だから、関係する者に広く影響を与える可能性がある。慧音が良からぬ事を企んでいた場合、それは単なる慧音の個人的な事だけでは済まない可能性がある。」
「たいそうな事だが生憎私は妹紅に話した以上の事は考えていない。」
「確か慧音は、私に終焉が来るなら世界を亡ぼすのも選択肢の一つと言ったわよね?」
 妹紅の目がギラリと慧音を睨む。慧音と妹紅の企みは最終的に八雲紫に協力するというところに落ち着いたわけだが、その過程で妹紅の永遠が終わるならそれも良しという話は既にしていた。つまり、妹紅に話した事の中にはその事が含まれており、慧音の言葉に確かに偽りは無い。
「いったいどうしたのだ妹紅?まるで別人のようだ・・・。」
 慧音は図星をつかれ少し狼狽える。
「別人になったとするなら、私や紫のせいではなく慧音のせいよ。」
「私が?」
「最初は紫に積極的に協力する意志は無かった。でも慧音が紫に協力するという選択肢を与えた。それが、こんな結果を生み出すなんて、慧音自身も思っていなかったでしょうけど・・・。兎に角事は単純にはいかなくなったのよ。あらゆる事に気を配り警戒しなければならない。それは例え慧音であってもよ。」
 妹紅の説明だけだと慧音にはわからない所が多いが、それを含めて慧音の反応を見るために敢えて説明を穴あきにする。
「つまり、妹紅は私が幻想郷を亡ぼす計画を進めていると?」
 直接的には言ってはいないが妹紅の言葉を総括するとそうとしか取れない慧音は、意味不明の部分を流して要点だけ尋ねる。
「・・・。」
 妹紅は慧音の質問に沈黙で答えた。
「私は人間の繁栄を願っている。しかし、現在の英雄不在、つまり不死鳥と火の鳥の混同によって生じた輪廻不全の情勢においては何をどうしても前に進まぬ。だからこそ、不死鳥を転生させる必要がある。」
「そして、不死鳥が転生し輪廻が正常に廻り始めたら幻想郷は用済みとなる・・・。」
「妹紅・・・。」
 妹紅は明らかに慧音を疑っており既に確信している状態だと判断できた。
 慧音は顔面蒼白になった。信じていた者に裏切られた。そんな顔である。
 妹紅は言い過ぎた事を少し後悔するが、表情を緩めず敢えて慧音を睨みつけ慧音の心意を更に問う。
「妹紅にとって幻想郷は住みやすい隠れ家のようなものかもしれん。しかし、大陸を捨てた私にとって幻想郷は故郷なのだ。それを焼き払うなど・・・。」
 妹紅は先の慧音との対話の中で妹紅に死が訪れるのならそれも有りだというニュアンスで語っている。これは幻想郷に対する執着が余りない事を意味するのではないか。だとすれば以前に言っている事と、今言っている事は明らかに食い違っている。
 幻想郷を亡ぼすかどうかは別として、慧音は明らかに何かを隠しているようだ。それを探らなければならない。
「慧音。私は先日までの私とは違う。今まではこんな命はいらないと思っていた。死ねるなら死にたいと思っていた。でも、今は違う。生きたい。命が惜しい。幻想郷を残したい。だから、もし慧音が幻想郷を亡ぼすというシナリオを影で進めているなら止めて欲しいの。」
 妹紅は表情を緩め、慧音のそばに歩み寄り手を差し延べる。慧音なら分かってくれる。そう思っていた。
「触るな!」
 しかし、慧音はその妹紅の手を払い退けた。
「黙って聞いておれば、勝手なことばかりぬかしおって。」
 今現在の妹紅は今回の紫の起こそうとしている異変や月の件などでかなりの知識を得ている。しかし、客観的に見れば自分の都合の良い事ばかり言っている様に慧音からは見える。
 このことはキレるに十分な理由だと慧音は判断した。そして、自分の計画を進める為、妹紅と一旦手を切る口実に使えると思い態度を急変し妹紅と敵対した。
「慧音・・・。」
 予想外の慧音の態度に妹紅は一瞬頭の中が真っ白になった。妹紅のシナリオではここで慧音から全てを打ち明けられるはずであった。しかし、それは甘かった。
「妹紅、これまでの私と妹紅の関係はこれで終いだ。」
「・・・。」
 慧音の宣告に妹紅は逆に覚悟がついた。もともと喧嘩上等で慧音と対決するつもりでいた。今までの自分なら慧音に与えられた世界の中で平穏に暮らせば良いだけだったが、全てを知った今の妹紅には今まで通りの生活はもはやできない。
「妹紅のほうこそ、怖じ気づいていざという時に逃げるのではないか?逃げない確証があるのか?」
「それは慧音次第だ。幻想郷を亡ぼさないと約束しろ!」
 慧音の凄まじい怒気に気圧される様子もなく言い返す妹紅。
「300年もの間、散々幻想郷を無視してきたのに、のこのこ今になって幻想郷を守りたいなど誰が信用出来る?寝言は寝て言え!」
「なるほど、新参に大きな顔されたくないということは、古参意識はあるわけね?それは幻想郷が大事だからという裏返しになる。」
「・・・。」
 妹紅を新参扱いにするということは、幻想郷にそれなりの思い入れがあるという裏返しとも考えられる。つまり、慧音は幻想郷を亡ぼす気はないという意思表示でもあると妹紅は深読みしてそれを口にした。
 返答に窮した慧音を見て妹紅は慧音に幻想郷を亡ぼす意志はないとひとまず判断した。
 その後慧音と妹紅との間でしばしの睨み合いになる。
「どうしても言えないのか?」
「だから、何も隠してなどいない。いい加減にしろよ妹紅!」
 慧音は明らかに何かを隠している。しかし、頑なにそれを言おうとしない。
 八雲紫と接触した直後に話をした時は、どちらかというと紫の言いなりになる必要はないという本来の慧音の立場に乗っ取ったニュアンスの会話だった。それが先日の話し合いでは一転して紫に協力するように態度を軟化させた。
 元々慧音は妖怪とは敵対的中立の姿勢で里を中心に人間の保護に努めている。
 八雲紫に関しては黒幕的に霊夢に肩入れするその姿勢を非難しており、幻想郷の運営、特に博麗神社、博麗霊夢に対するやりかたは間違っていると公言している。
 一緒に酒を飲むと一人酔っぱらう慧音はいつも幻想郷の在り方や八雲紫批判になる。
 その事を考えるとやはり慧音が幻想郷を亡ぼす事はまずないだろうが、違うとするなら八雲紫に関する事だろうか。
 もし、そうだとすれば、かなりヤバイ橋を渡ろうとしているのではないだろうか・・・。
「(・・・もしかして・・・。)」
 妹紅は唐突に閃く。
 この異変の混乱を利用して慧音の理想とする博麗の在り方を指し示し、紫の考え方を改めさせるか、強硬手段に出ようとしているのか・・・。
 妹紅と紫の最初の接触で幻想郷に異変が起こる事を知った慧音は、そこで何らかの秘策を思いつき、その後、態度を改め事が紫の思惑通りに進ませるために妹紅に対して紫の案に乗れと導いたのだろう。
 妹紅は完全に慧音に利用されたのだ。
 しかし、その企みについて妹紅を排除しようとしている理由は何だろうか?自分が頼りないからか?
 慧音の計画が妹紅にとって都合が悪いから教えない。という理由は最も簡単に導き出せる答えだ。妹紅は最初その都合が悪い部分を幻想郷を亡ぼす事と前提して話を進めていた。
 しかし、慧音と論争をしている内にどうやらそう単純なものではないと思い始めていた。
 大きな問題点は八雲紫だ。
 博麗霊夢は今現在、里に来ることはほとんどなく、巫女という存在自体が忘れられているし、霊夢自身も巫女としての自覚が皆無である。
 更に博麗神社は妖怪の巣と噂されており、博麗神社に対する信仰心は完全に失われている。
 霊夢が力を行使出来るのは外の世界にいる神主がその世界にあった新しいやり方で間接的に信仰を集めているからである。それすらも知らず霊夢は日々を無為に過ごしているのだ。
 幻想郷単体では既に博麗の信仰はゼロなのに霊夢はそれに無自覚なのだ。
 紫の肩入れで霊夢が活躍し、里で評判になってもそれは「異変を解決する妖怪博麗霊夢」という認識が生まれるだけである。
 このことは慧音との議論の中で度々聞かされていた事だった。それまでの妹紅は話し半分でそれを聞き流していたが、今それを思うとかなり現実味のある話であり幻想郷は別の意味で危険な状況になっているとわかる。
 幻想郷は基本的に八雲紫によって運営維持されており、彼女が事実上の支配者であるのは間違いない。しかし、紫は幻想郷を好きにする事は出来ない。
 物事の取り決めの際は必ず博麗神社の神主及び巫女の承認を得なければならない。
 強い力を働かせる為に、大きなリスクを負う必要があり、それが月であれば、穢れと言霊の関係であり、幻想郷では決定権の譲渡である。
 全てを行使出来る力を他者に抑止させることで、通常より大きな力を生み出す根拠とした。
 スペルカードルールといった通常では作り出せないルールもその力によって生み出された。そしてそれは、八雲紫考案によるもので、博麗霊夢の承認よって実現されたのだ。
 例えば、八雲紫が藍の魂を吸収して事実上能力が倍になり、今まで出来なかった事が出来るようになったとしても、博麗霊夢に巫女としての資格が失われれば幻想郷では何も取り決める事が出来なくなるのだ。
 力を持てあました紫が、新天地を求めるのはある意味必然だろう。そうなった時幻想郷は用無しどころか足かせにしかならない。
 紫がこのまま霊夢だけに肩入れしてそれが結局間違いだったと気付けば幻想郷はそこで終わる。
 そして八雲紫は、幻想郷という足かせから解放されるために、幻想郷を焼き払うかもしれない。


 幻想郷を憂う人材としては魅魔が最有力であるが彼女はもういない。慧音は誰もやろうとしない、あるいは出来ない紫と霊夢の関係に一石を投じようとしているのではないか?
 だが、それは結果の善し悪しに関係なく八雲紫を怒らせるだろう。結果が良ければ良い程、その怒りは増すかもしれない。そして、自分がそれに関わっていればその責任を自分も負う必要がある。
 妹紅はここにきて慧音が何をしようとし、そして何故それを妹紅に教えないか理解出来た気がした。
「・・・慧音、お前もしかして・・・。」
「それ以上しゃべるな!」
「死ぬ気か?」
「しゃべるな!頼む、察してくれ。」
 知らなければウソをついたことにはならない。口に出さなければ災いの責を負う事もない。全て自分が被るという慧音のメッセージだった。
 どうすればいい?妹紅は自問したが答えが見つからない。
「妹紅、余計な事を知れば、尾びれがついてまたおかしな因縁を引き当ててしまう。事が収まるまで会うのをやめよう。寺子屋にも来るな。」
「・・・わかった。」
 妹紅は慧音の提案を了承した。元からそうするつもりで慧音に会いに来たのだから文句はない。
「(しかし・・・)」
 正しい答えは見つからない。そもそも自分が考えている事自体が妄想で間違っている可能性もある。
 異変にキャスティングされた者は紫、妹紅、慧音だけではないかもしれない。もう少し様子を見よう。
 妹紅はひとまずそれで納得し、慧音に一歩近づいて右手を差し出した。
「健闘を祈る。」
 慧音は一瞬躊躇したが、握手に応じた。
「これは私からの餞別だ。受け取ってくれ。」
 妹紅はそう言って、閉ざしていた心を慧音に開く。
「な!」
 その瞬間、見えなかった妹紅の歴史が慧音の視界いっぱいに広がる。
 妹紅の持つ藍の歴史のシーンが無数に羅列され、それが慧音の視界全面に埋めつくされた。
 慧音の歴史喰いは人物の後ろにサムネイルのようにシーンが抽出されて見え、それを注視することで詳しく知ることが出来る。それが歴史を喰らうということである。
 普通の人間ならほんの僅かのカットしか見えないのだが、妹紅のそれを見た時、目の前の妹紅以外の全ての景色が藍の歴史のカットで埋めつくされた。
 慧音にとっても初めての体験で思わず度肝を抜かれた。
 それは一瞬の出来事だったが、慧音に生きる勇気を与えた。どんな形であれ生き残ればこんなご褒美にありつけるぞ!という妹紅の有り難いメッセージと受け取った。
 慧音は一瞬トリップしたように立ちつくし気が付くと妹紅はだいぶ離れた所にいた。
「・・・恩に着る。」
 慧音は呟くように妹紅に礼を言った。それが聞こえたわけではないだろうが、妹紅は後ろ姿のまま一度手を上げて別れを告げた。
「人間とは決まった姿のままでいることを、何故こうも拒む生き物なのか・・・。」
 それ故に歴史を動かす事が出来る唯一の生き物なのだと慧音は思う。そして歴史を喰らう事が慧音の役目でありだからこそ慧音は人と共にある。
 慧音は妹紅の姿が見えなくなってもしばらくそこに立ちつくしていた。



 永遠亭中枢部。
 地上部の木造建築と違い地下の中枢部は金属の様な光沢を持つ未来的な構造をしている。
 その一室、レイセンと因幡てゐは重症を負ったその身体を床に預けていた。
 2人がその様な状態になった原因はレイセンにあった。
 幻想郷の滅びの予兆を察知し強制跳躍した蓬莱山輝夜の重大な秘密を知ったレイセンだったが、事の重要性に気付かず他人事を決め込んだ態度が輝夜の逆鱗に触れ、秘密保持の口封じの為にレイセンは処分、つまり殺害されようとしていた。
 そのレイセンの危機を因幡てゐが身を挺して庇い深刻な肉体的損傷を負う。
 この状況を目の当たりにしたレイセンは輝夜の行動とふがいない自分自身に怒り自己制御を失い暴走する。
 永琳の機転によって永遠亭中枢部の被害は免れたが、ここでレイセンとてゐの深い関係が明るみになる。
 地上の兎の事実上の支配者であるてゐと友好的な状態を保つ為にはレイセンは必要な人材であること判断した永琳はレイセンの助命を懇願し、輝夜もそれを受け入れた。
 ひとまず応急処置で命だけは取り留めたレイセンとてゐだが、レイセンは全身打撲と内臓破裂、左目失明、数十箇所の骨折。てゐも脊椎損傷で下半身が麻痺しており共に瀕死の重体だった。
 万能薬と呼ばれる永遠亭の秘薬があればたちどころに傷は治るが、強力な薬で有るため厳重に保管しており今すぐにそれを使う事は出来なかった。
 永琳は、隣室に下がる際に万能薬を誰かに持ってこさせるよう手配しておりもうじき届くだろう。


 意識を取り戻している因幡てゐは、未だ昏睡しているレイセンの横に寝かされていた。
 下半身は動かないが上半身は普通に動かせる。腕の力だけで部屋中を移動出来る事には出来るが、この部屋からは出られそうにないし、何より今はレイセンの隣にいるほうが良かった。
 横で寝ているレイセンの手にそっと触れその指を握るてゐ。


 約500年程昔、幻想郷に移住してすぐに起こった吸血鬼戦争の際に、博麗の里の南に広がる森と大きな湖のある平野に配下の兎達と共に移住した因幡てゐは、直接戦争には参加しなかったが里の南側に勢力を築いて里を間接的に守っていた。
 因幡てゐは人々に幸運をもたらす兎として人間と友好な関係にあった。
 その直後に移住してきた永遠亭の竹林がてゐら兎の住処の森と湖を丸ごと呑み込んで居座り、そこで永遠亭と因幡てゐ率いる兎達との間で小規模な戦争状態となった。
 たった2人の月人に敗北した因幡てゐは里に手を出さない事を条件に永遠亭に全面降伏し以後配下となった。
 幻想郷全域に分布する兎を情報収集に使う為、それを行える因幡てゐを永遠亭は重要人物と認定し永遠亭に同居する事を薦めたが、てゐは兎を利用することには同意したが同居を拒否して連絡用の伝書兎を少数永遠亭に残しそのまま竹林に隠れた。
 その200年後、藤原妹紅が幻想郷入りし、吸血鬼戦争を無視していた永遠亭が積極的に藤原妹紅討伐に動き出すと因幡てゐも駆り出され、不毛な戦闘の中で本来人々に幸せをもたらすてゐが人間である妹紅と無理矢理戦わされ次第にやさぐれていく。
 100年程続いた妹紅との抗争はその後次第に沈静化していき、それと共に永遠亭と因幡てゐの関係も冷え込み、人間には一切手を出さず、かわりに周辺の妖怪らに山賊まがいな行動を取るようになっていた。
 妹紅との抗争は散発的になりつつも継続されたが、今から40年程前に起こったアポロ計画が因幡てゐの転機となった。
 この計画を利用して地上に偽装逃亡したレイセンが永遠亭入りすると月の兎に興味を持った因幡てゐも同時期に永遠亭入りし八意永琳の弟子となった。
 レイセンという同類、仲間、家族と呼べる存在を得て孤独から開放された因幡てゐは、度重なる戦闘で荒んだ心も癒えて本来の自分に戻っていった。
 レイセンに対しては普段悪戯ばかりのてゐだが、それは好意の裏返しのようなものである。


 てゐは横に寝ているレイセンの手を握りながら昔の事やレイセンと出会った時の事を思い出す。
 様々な感情が駆けめぐり、ついレイセンの手を強く握ってしまう。
「う・・・ん・・・?」
 どうやらレイセンを起こしてしまったようだ。てゐは慌てて手を離しあたふたとするが立ち上がれずその場で腕だけジタバタする。
 レイセンは目が覚めしばらくぼーっと天井を眺めていた。頭の中で状況の整理がついたのか急に身体を起こそうとして全身に激痛が走りその場でまたぐったりする。
 それを見たてゐはあわててレイセンの手を握る。
「ん?・・・てゐ?」
 ぐったりしたレイセンだが気を失ったわけではなく、誰かに手を握られて隣に誰かが居ることに気付く。
 レイセンの右側に寝かされていたてゐは、呼びかけに応えて手を握ったまま少しだけ首を傾けてこちらを向くレイセンににっこりと微笑んだ。
「ここは・・・もしかしてあの世というところ?」
「うんにゃ、ここは永遠亭の秘密の部屋。」
「そうか・・・私・・・。」
 レイセンは記憶を辿ってこの状況になる敬意を思い出し、そこで気付いて大きな声を上げる。
「てゐ!身体・・・大丈夫なの?」
 声は大きめだったが、いつものような元気で張りのある声ではなく、身体の痛みで曇った声だった。
「背骨がポッキリ逝って下半身が動かないけど大丈夫。もうすぐ万能薬が来るから。」
「ごめんね・・・。」
 てゐの大怪我を引き起こしたのは自分のせいだと、レイセンはてゐに謝罪した。しかし、レイセンの謝罪の言葉を聞いたてゐは急に不機嫌になって頬を膨らませ握っていた手を突き放した。
 レイセンはすぐにその理由がわかった。
「・・・ありがとね、てゐ。」
 てゐはレイセンの感謝の言葉を聞いて機嫌を戻すとニッコリと微笑みを返して再び手を握って来た。
 レイセンも思わず顔がほころんだが、潰れた顔左半分の筋肉が動き激痛が走る。それと同時にレイセンの開いている右目から大粒の涙が溢れてきた。
 自分のふがいなさ、てゐへの感謝の気持ちと申し訳ない気持ち、輝夜の気持ちを無下にした自分自身の怒り。永遠亭の皆が自分に対して様々なシグナルを送っていたのに、それに気付かず一人で勝手に孤独になっていた自分自身の情けなさ。様々な思いが涙となって溢れだしていた。
 てゐはそれを見て声はかけず、レイセンの手を握ったまま天井を見た。
「(空っぽの器にようやく心が入ったか・・・。)」
 月の民も兎も基本的に万能で完璧な生き物である。しかし、それ故に他者の支援が必要にはならず、その為月には他人を思いやるという概念そのものがない。
 輝夜と永琳はそれを地上に降りてから学び、そして月への望郷の念が完全に消えた。
 因果応報。他者に快く接すればそれはそのまま自分に返り、そしてその逆も然り。
 藤原妹紅の父親達にした行為の報いは藤原妹紅という怨念を生み永久に永遠亭に付きまとうだろう。しかしそれは甘んじて受けなければならない。
 様々な問題を抱えているレイセンであるが、永琳も輝夜も皆同じである。
 輝夜達が月の民から地上の民へと変わっていったように、月の兎から地上の兎へとレイセンも変わろうとしている。

 幻想郷はとても静かだった。
 普段なら妖精が飛び交い夜でも淡い光りがそこかしこに漂っており、どこかで毎日のようにスペルカードによる弾幕戦闘が行われ、その美しい光りの線と輪を目にすることが出来た。
 しかし、今日は空を飛ぶものは一つもなく、じっと息を潜めるように闇と静寂が幻想郷を覆っていた。
 その要因は、博麗神社で起こった妖力集結とであることは間違いないだろう。


「師匠・・・今日は何だか変ですね・・・。」
 竹林に囲まれた永遠亭の中庭で、八意永琳は博麗神社の方角を気にしながら月の兎の言葉を背にしていた。
 建物と竹林によって、視界に博麗神社は見えないが、力の発生源は正確に把握出来き、方角は正確に博麗神社を向くことができる。
 しばらくそうしていた永琳だが、振り返り心配そうなレイセンに表情を緩めて安心させると縁側に上がって腰を下ろす。
「博麗神社で何か起こっているわね・・・。」
「異変でも起こす気でしょうか?」
 鈴仙・優曇華院・イナバという長いおかしな名前を持つ月の兎もまた、永琳同様に博麗神社方面の異様な気に気付いている。
「起こす?もう既に起こっているのではないかしら?」
 怪しい妖気が立ちこめ、以後神社方面に大きな妖気が複数参集している様子を永琳は感じとっていた。
「何か起こすにしても、前触れとかもっと工夫すべきじゃないの?」
 永琳とレイセンの会話に輝夜が割り込んでくる。
「私達はお呼びではない・・・ということでしょう。」
 縁側に集まった永遠亭の面々、先程までいなかった因幡てゐもいつのまにかそこにいた。
「どれだけの人が今日起こっている事に気が付いているのかしら?」
「ほとんどの者は今日は日が悪い・・・程度にしか感じていないと思いますよ・・・でも、多少力のある者なら気になって今日は寝付けそうにないでしょう・・・。」
「睡眠薬の需要がでそうね。」
 永琳と輝夜がとりとめもない話をしているその時だった。
「!」
「な、何これ・・・。」
 博麗神社の方から、先程とは桁外れの妖気が突然発生したのを感じとった永遠亭の面々。
「・・・こっちに・・・向かってくるわ・・・。」
 その妖気は少しの間同じ場所に止まっていたが程なく動き出し、直線的にではないが確かにこちらに近付いてきている。
 永琳も輝夜も身動き一つせず、その妖気の接近に全神経を集中する。
 永遠亭から北東の方角に博麗神社はある。四方を建物で囲まれている永遠亭の中庭で東側を向いている縁側が永琳たちの現在地である。
 強い妖気は一旦南に。東向きの縁側から向かって左から右に移動して行き、ほぼ正面に来ると今度は真っ直ぐこちらに向かってくる。
「来る・・・。」
 永琳は座ったまま鋭い視線を正面上空に向けた。
「この妖気、一体誰なの?」
 輝夜は突然発生してそのままこちらに向かってくるこの妖気の持ち主に全く見覚えがない。
「妹紅じゃないの?ここに来るなんて・・・。」
 危機感のまるでないてゐがぽつりとつぶやくが、それなりに根拠はある。結界で内側から外に出る気は抑えており、中の住人の存在を頼りに永遠亭を探し出すことは不可能であり、竹林の外から正確に永遠亭にたどり着けるのは土地感のある妹紅しかいないのだ。
「あいつがこんな大きな妖力もってるわけな・・・。」
 近付いてくるとてつもなく大きな妖気にてゐの意見を完全に否定しようとした時、目の前に現れた見慣れた姿を見て輝夜は絶句した。
「藤原妹紅・・・いえ、姿は妹紅だけど、恐らく中身は別人ね・・・。」
 外見も中身も妹紅本人で間違いはないが、知っている妹紅の妖気と今の妖気はあまりにも違い、その差が永琳の常識をはるかに超えていたため誤認する。


 永遠亭の中庭を見下ろすその先に、見慣れた面々が顔を揃えている。
「お揃いか・・・。」
 この位置に立つのは今回が初めてではない、永遠亭に勝負を挑む時はいつもここから見下ろし煽る。見下ろされるが嫌いな気位だけは高い永遠亭の面々を煽るのは簡単である。しかし、今回は誰も迎撃に来ない。
 その様子から見ても自分の妖気が、永遠亭の面々を戸惑わせる程のとんでもない状態なのだろうと認識出来る。
 自分ではどの程度なのかまったく分からない。相対的に判断出来る材料が欲しい。その為に永遠亭の面々に協力してもらおう。
 ここにくればすぐに迎撃に飛んでくるレイセンとかうどんげやらと人によって呼び方の違う妖怪兎も今回は様子見のようだ。
 妹紅はポケットに手を突っ込んだいつもの戦闘体勢のまま、しばらく様子を見た。
 いつもと同じなのにいつもとは違う景色に見える。何故だろうと不思議に思う。
 4人いる永遠亭の面々を順番に視線を巡らせ、レイセンの前で視線が止まる。
「たしか・・・あいつ・・・。」
 月の話の中で永琳らによって作り出された妖怪兎を思い出し妹紅はレイセンを凝視した。
 今まで兎にも角にも八意永琳を最も警戒してそこに全神経を集中していたわけだが、今は冷静に全体を見る事が出来る自分がいることに気付く。
 自分が強くなった事で永琳との差がある程度は詰まったということだろう。しかし、妹紅的には妖力と強さは別の物という認識がある。幽香を倒した時も昔藍を倒した時もそうだが、妹紅は妖気を主に戦闘することは無い。術を呪符に込めて発動する時の起爆剤として妖力は用いるが、妖力そのものを頼りに戦闘する事はない。
 永琳に対する恐怖感が薄れているのは、妖力上昇によって妹紅自身の感覚が少しおかしくなっている事と、蓬莱の薬の変質によって新しい再生能力を身につけたことで、永琳との戦闘にある程度目処が立ったという事も影響しているのだろう。
 永琳を見る度に怖くて震える体が、今は危険だと警告を発しない。いや、もしかしたら警告は発しているが今の状態になって気付いていないだけかもしれない。
 そのせいもあって今まで「おまけ」でしかなかったレイセンの顔を永琳を気にすることなくしっかりと見る事が出来る。
 兎達の過去。それを作った永琳と輝夜。レイセンについては今まで永琳や輝夜の下僕とだけ見ていた妹紅だが、真実を知った後に見る彼女は不思議なものだった。
 八意永琳は何を思ってレイセンをそばにおいているのだろうか?
 妹紅は既に戦う気が失せていた。そして頭の中で月の事、兎の事、永琳をはじめ様々な神様とその親類縁者、月の子輝夜など様々な事を考えた。
 妹紅はレイセンを無意識に見つめたまま思考だけが爆走していた。


 いつもと違う様子は永琳や輝夜、そして当のレイセンも気付いた。
 今まで気にも留められていなかった自分を妹紅は見ている。何故?レイセンは不思議に思う。
 巨大な妖気の塊が静かにレイセンを見下ろす。その迫力に呑み込まれ妹紅の視線に吸い込まれるように惹き付けられるレイセン。
 永琳は妹紅の変化を外側だけが同じで中身が何者かに入れ替わっていると断定していた。
 その根拠は、人間にしろ妖怪にしろ変化の度合いには限界があるはずで、それを超えた変化は変異であるという積み上げた膨大な経験から導き出した判断である。
 問題は何に変異しかたかである。
 博麗神社から永遠亭まで直線ではないがまっすぐこちらに向かって来たということは、永遠亭の誰かに用事があるということで、今この現象を見るにあたり、目的はレイセンである。
 事実はまったく違うのではあるが、妹紅が妹紅ではないという最初の誤認があるため、この様な判断になった。
 永琳としては、では何故レイセンなのか?である。
 得体の知れない何者かが真っ直ぐレイセンを見出したということは、レイセンもしくは月の兎を知っている人物と考えるのが妥当だ。


 レイセンは月で生まれた兎であり、彼女の持つ特殊な力「狂気の瞳」によって優秀な兵士として月の管理者軍で活躍した経歴がある。
 レイセンによって甚大な被害を出した月族が彼女一人の討伐に力を入れ出し、苦労の末レイセンの捕獲に成功する。これまで多大な損害を与えられたレイセンに対し、半永久的な拷問でもってその罪を償わせようとしたが苦痛に耐えきれず精神に異常を来し廃人となったため、そのまま死刑になるところを「貴重な標本サンプル」になるという建前で永琳と輝夜に拾われる。
 永琳と輝夜の力で回復したレイセンは、永琳の親戚にあたる綿月家の私兵として預けられ永琳とレイセンの縁はそこで一旦途絶える。
 その後永琳と輝夜が地上に出奔。その後に起こった月面戦争によって完全に永琳らの消息が途絶える。
 だが、その後のアポロ計画という地上からの二度目の侵攻を受け、一回目の侵攻である八雲紫の引き起こした月面戦争勃発後、月の種族間抗争とは別に月自体の防衛を目的に発足した中立組織月面防衛庁でその任に就いていた綿月家が、兵士の敵前逃亡を装って永琳捜索の為に地上に配下を派遣した。それがレイセンである。
 レイセンは、元は管理者側でその後月族に移籍していることになりこれは前例がない。更に敵前逃亡などと命令に逆らえないはずの月の兎としてこれまた前例のない事をしでかしたと言うことで、レイセンは月の兎では異端中の異端で、不名誉の代名詞のような存在となっている。
 そのレイセンは地上に降りて長くそこで過ごしたため穢れによって寿命が発生し、もはや肉体的にも社会的にも月に戻る事は不可能となっていた。


 そのレイセンを目標とするという事は、何らかの月の事情と関係があるのではないかと永琳は推測する。
 しかし解せないのは博麗神社で妹紅が変異したことである。八雲紫達は妹紅という生け贄を捧げて月と何らかの密約を交わしたのではないだろうか?
 月の民が地上で穢れ事を行うには、それを代行させるものが必要になる。妹紅はそれにうってつけだ。では、妹紅を差し出した代償はいったいどんなものだろうか?
 永琳や輝夜が標的ではない様子からすると、月の情勢が変化し兎の扱いに変化があったからだろうと推測出来る。その扱い方の変化は兎そのものの存在を無くすというものだろう。
 いつものようにレイセンをおびき出しそこで抹殺するという計画だろうが、中身が違い過ぎた事でレイセンも警戒し動かない。
 永琳としては不幸中の幸いと感じていた。


 永琳は視線を妹紅からレイセンに移した時、レイセンもまた妹紅に釘付けになっていることに気付いてゾっとする。
 これはなんらかの情報伝達をしているのではないか?
 月の兎は従順な性格で騙し易く洗脳なども簡単に出来る。
 それを危険と感じだ永琳は目に力を込めて殺気で妹紅の気を引く。
 妹紅はそれにすぐに我に返った様に反応し、そのまま振り返らず飛び去っていった。
「・・・」
 何らかの情報がレイセンに送り込まれている可能性がある。調べてみる必要がある。


 実際にはそのようなことはなく全て杞憂ではあるのだが、頭のいい永琳としては妹紅の変化をそう判断するのはやむを得ない。
 永琳はレイセンを研究室に連れて行き調べようと声を掛けようとしたその時だった。
「か・・・かっ・・・。」
 輝夜が突然呼吸を乱して苦しそうに伏せた。
「え、えい・・・りん・・・は、はじま・・・った!」
 もがき苦しむように、永琳の足元に這い蹲る輝夜は振り絞るように何かを言う。
 レイセンの耳には「永琳、始まった」と聞こえた。その輝夜は言い終えると白目をむいて口から泡を吹いて昏倒した。
 レイセンとてゐは初めてみる輝夜のその様子に驚いて永琳に助けを求める。
「強制跳躍が始まったわ・・・。」
「きょうせいちょうやく?」
 聞き慣れない言葉が永琳の口からもれる。
「姫が時間を操れる事は知ってるでしょ?」
「はい。」
「未来を見聞きして戻ってくる事が出来るのだけれど・・・その未来が存在しなかったら時空の迷子になってしまうわ。そうならないように、未来が消えた瞬間、姫は強制跳躍して未来消失の原因を突き止めに自分の意志とは無関係に飛んでしまうのよ。」
 永琳は冷静にとんでもない事を口にする。
「未来がないって・・・それって・・・。」
「そう、世界が滅亡して未来が存在しなくなるということね。今まさに私達の未来が消滅したのよ。」
 凄い事をさらりと言う永琳。
「もしかして妹紅の件とかもそれに関係する前兆ということですか?」
 涙目になって訴えるレイセンとは裏腹に永琳は全く危機を感じている様子がなく、寧ろレイセンの反応を楽しむようにクスクスと笑う。
「姫は今、未来の消滅を目の当たりにしてここに戻ったの。何が要因でそうなるのかを知っている。」
「ということは、未来が消滅しないために今何をすべきかわかるのですね!」
「そういうこと。寧ろこの強制跳躍は未来を約束する知らせでもあるの。だから慌てる事はないわ。」
 余裕の表情でそう語る永琳を見て、ほっと胸をなで下ろすレイセン。
 永琳は気を失った輝夜を優しく抱きかかえ自室の方へ歩きだす。数歩進んだところで、その場で止まって見送っているレイセンとてゐに振り向き付いてくるように言う。
 輝夜の件もそうだが、レイセンと妹紅のなんらかの交信も気になる。レイセンも調べなければならない。てゐは来るなといってもどうせついてくるだろう。
 いずれにしても妹紅の変異が未来に大きな影響を与えたのは間違いないと言える。


 永琳は研究室(ラボ)ではなく自室に入ると書棚の裏の隠し扉に奥に消える。慌てて付いていくレイセンとてゐは、間もなく下に続く階段に差しかかる。
「こ、こんなところがあったんですね・・・。」
 恐る恐る永琳の後について感想をもらすレイセン。
「てゐはとっくに知っていたわよ。」
「え?そうなんですか?もうてゐったらダメじゃない!」
 優等生的なセリフでてゐを叱るレイセン。
「レイセンは好奇心が無さすぎなのだ。」
 知っていて当たり前的に胸を張り、自己正当化するてゐ。
「ホント、そうね。」
 てゐの言葉に意外にも永琳は同意した。
「し、師匠まで・・・。」
 月の兎は主人に対して従順でウソはつかないように創られた種族である。主人の部屋をあれこれ詮索するなど、悪戯好きのてゐにとっては普通の事でもレイセンにとっては絶対してはいけない事であった。
 永琳はそんな従順なレイセンを可愛いと思う反面、死ねと命じれば本当に死んでしまいそうな兎に哀れみも覚えるのである。


 それほど長くない木造の階段を下りると目の前に金属製の明らかに永遠亭の建物とは異質の扉が現れる。
 月の兎であるレイセンにとって、金属製の自動開閉扉の方がいたって普通の扉に見えるわけで、てゐのワクワクした表情に比べレイセンの表情に感動はなかった。この先に月の技術を結集したような凄い部屋があるのだと容易に想像でき、そこは興味があり楽しみである。
 永琳は扉の前に進むと上の方を見る。センサーが反応して個人を特定すると薄暗い通路に照明が入り、その僅かな光りに反応して通路の壁全体が淡い光りを発して4人を照らす。
 スリープ状態の施設が起動し電子式の扉の機能が回復したのだと、レイセンは通路に伝わる僅かな振動で理解する。
 永琳は扉の横のパネルにそっと触れると扉は音もなく開く。輝夜を抱えたまま永琳が開いた扉から中に入りてゐも及び腰で続く。扉前まではこっそり侵入した事はあってもその中は今回初めてのようである。
 レイセンは許可もなく入って良いのだろうかと一瞬足を止める。それを察したように永琳はレイセンの入室を許可した。
「ここは、地上に降りてきた時に使った船の中よ。」
 ここは永琳達が地上に降りて来た時に使った宇宙船の中枢部であり、永遠亭はその船の上にある。しかし、宇宙船を地上の大地に埋めてその上に建物を建てたというのではなく、竹林そのものと一体となっている宇宙船なのである。厳密には竹林限定ということではなく、その土地に合わせ物理的に同化するカモフラージュ機能で、幻想郷に来る以前に竹林にカモフラージュしており、その状態のままで幻想郷入りしたというわけである。
 幻想郷には元々竹林はなく津波で流されてきたと言い伝えられているが、これは永淋達が幻想郷に移住した時にカモフラージュした竹林ごと幻想郷入りしたので外から流されてきたと当時の人に思われ、そう伝承されたのだ。
 迷いの竹林に限らず地上の何処かで国や土地、建設物が忘れ去られて幻想になれば幻想郷に流されて来る可能性があり、過去にもそういう土地や建物はいくつも確認されている。


 永琳の許可を得て恐る恐る扉をくぐるレイセンは目の前にいる人物を見て一瞬思考が停止した。
「・・・姫・・・様?」
 レイセンの目の前にいたのは蓬莱山輝夜その人だった。
 先程まで気を失って永琳に抱えられていた輝夜が今は何事もなかったかのように立っている。レイセンははっとなって永琳を見る。
「!」
 永琳に抱えられていた輝夜は部屋の中央やや奥にあるベッドのような細長い台に今まさに永琳とてゐ二人がかりで寝かせようとしていたところであった。
「あ・・・あ・・・あれ?」
 文字通り開いた口が塞がらないという表情で目の前にいる輝夜と永琳らによって寝かされようとする輝夜を交互に見るレイセン。
「どうしたの?そんな狐につままれたような顔をして・・・。」
 目の前の輝夜がレイセンに話しかける。声も態度も自分の知っている輝夜姫そのものである。
 レイセンは一旦後ろを向き考え込む。
「(これは、きっと私を驚かせるドッキリに違いないわ・・・うん、きっとそう!)」
 いつもからかわれるレイセンはそう自分に言い聞かせて気を取り直して振り返る。きっと、てゐあたりが「なーんちゃって!」とか言ってテヘっと笑うはずだ。
 しかし、振り返ったレイセンがみたものは何事もなく普通にしゃべっている輝夜と永琳とてゐの姿だった。
「いいの?永琳。イナバってば全然知らないみたいよ?何で連れてきたの?」
「今回はちょっとうどんげにも関係があるので・・・。」
 永琳と輝夜がなにやら意味不明の会話をしていたが、最後に輝夜がレイセンに視線を向け目が合う。
「ど、どういうことなんですか?・・・わかった!クローンですね!クローン!」
 レイセンは何故輝夜が2人いるのか質問しようとして急に閃いて決めつける。
 昏睡し寝ている輝夜の回りで動いていた永琳は一度手を止めて振り向いた輝夜に目配せし、それを受けたもう一人の輝夜はレイセンの前に進み出る。
「私が時間を操れるのは知ってるわよね?」
「は、はい・・・と、言うことは別の時間軸のようなものがあって・・・。」
「まーだいたいそれであってるわ。」
「はぁ・・・。」
 試しに理解したように言ってはみたものの、完全に納得出来ないレイセン。そこへ永琳もやってくる。
「月で兎を使った戦争が始まった時、姫の強制跳躍現象が初めて起こったの。」
 月の兎の代理戦争は月の情勢に大きな変化を生み暴走の引き金となった。科学が進みすぎた月ではちょっとした間違いが全ての崩壊に繋がりやすく、実際に間違いを起こす選択をしていた。
 この時初めて輝夜が強制跳躍をして崩壊の危機を予言出来る事がわかったが、強制跳躍による肉体的、精神的な負荷は凄まじく、奇跡的に命は取り留め助かったものの、何度も同じ事が起きると回復不可能になり崩壊の原因を突き止める事ができなくなってしまう恐れがあった。
 その為、特定の時間をループさせた時間軸を形成し、輝夜の身に何かあった場合のスペアを保管する事を永琳が発明し輝夜が実行したのである。


「そんな事が可能なんですね・・・。」
「私達はそれぞれその時間では別の個体として生きているけど、全て繋がって誰かに危機が発生した場合には元いた場所を破棄して、この場所に来るようにしているの。」
 輝夜が事情を説明する。幻想郷の住人、例えば霊夢などにこのことを説明しても、眉唾として話半分に聞くか、居眠りを始めるかであるが、月の住人だったレイセンとしてはそういう事は有り得ない事ではないと思える知識が予め備わっているので、説明する輝夜としては楽である。しかし、その説明に異議を唱える者がいた。
「・・・危機が発生した時だけだっけ?」
「ぎくっ!」
「どういうこと?」
「面白がって時々入れ替わって遊んでいるような・・・。」
「入れ替わって・・・って、あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
 その時突然レイセンは大声を上げた。輝夜の後ろで永琳はクスクスと笑い、輝夜はばつ悪そうに横を向いて舌を出す。
「そうか、そうだったのか・・・だから昨日言った事なのに初めて聞いたような顔していたり、何も言ってないのに知っていたり・・・。」
「頭のおかしい人だと思ったでしょ?」
 てゐがすかさず合いの手の入れる。
「そうそう、絶対おかしいわよね・・・って、ちょっとてゐ!何言わせるのよ!」
「誰がおかしい人だって?」
「あ、いや、これは、その・・・ごめんなさい!」
「てゐは前から気付いていたようね。」
 永琳がてゐの頭を撫でながら褒める。
「普通気付くでしょ?」
 さも当たり前のように言うてゐ。
「ここは複数の時間を統合する場所でもあるの。」
「師匠は一人なんですよね?でも複数の時間があるということはこのことを知らない師匠がいるとかはないのですか?」
「この概念を構築したのが私だから、それ以前に姫が独自にループ世界を作り出していない限りそれはないわね。」
「あまりにも古い時間は孤立化させて凍結している。余りにも時代が変わると意識の統合がしずらいからばれるし。何かの時に使うかもしれないから残しているけど。」
 例えば500年前と現代では言葉づかいなども考え方も違う。直近のループ空間との間で交替が行われないと不自然な言動や行動で別人とばれてしまう。
「なるほど・・・でも、やっぱりいまいち納得できないような・・・。」
「概念を教えて作らせたものの、私にも正確には把握出来ないわ。言葉や文章で説明出来る事には限界がある。でも、科学として成立させるにはどうしてもそれをしなければならないのだけれど・・・天才、つまり天から授かった才能を持つ人というのは、理屈抜きで出来ちゃうのよ。うどんげだってその瞳の力の原理や仕組みを言葉や文章で分かるように説明しろといっても難しいでしょ?」
「・・・確かに・・・でも・・・なんていえばいいのか・・・こういうのって何かしてはいけない事・・・みたいなルールがあるんですよね?」
 永琳も全て理解しているわけではない輝夜の時間概念。その事に関してはレイセンと同レベルであるという永琳話しだが、これほどの力にはやはり反作用があるのではと心配なレイセン。
「別にやってはいけないことなんて基本的にはないわね。こんなの息してるのと同じですもの・・・でも、世界の崩壊を防ぐという意味でやっているこのループ保険を成立させるには一定の条件が必要ね。」
「条件?」
「今ここにいる私が世界に干渉しないこと。」
「それだけ・・・ですか?」
「ループを発生させたからといってその世界が独立した未来を持つ孤立した世界になるわけじゃないわ。あくまで未来は共有しているの。でも、私がそのループが発生した時の未来とは別の未来を作ってしまうと、ループが無効になるの。」
「・・・んー・・・。」
 レイセンには輝夜のその説明ではすぐに理解できなかった。その状況を見て永琳が輝夜の代わりに説明する。
「ループを発生させた時、その現在と未来には藤原妹紅がライバルとして姫の前に存在しているとするわね。でも、後になって妹紅を殺した。こうなると、ループを作った時の未来と今現在の未来が別の物になってしまうわけね。」
「妹紅が死ぬというのは既に未来に織り込み済みでループの有無とは関係ないのではないですか?」
 人の生き死に、つまり運命はある程度決まっていて、仮に妹紅が死ぬという現象は輝夜の選択に関係無しに運命に織り込まれており、ループとは関係ないのではないかというのがレイセンの主張であり、多少頭が回る者ならそう考えるはずである。
「うどんげの視点は世界に私達が従属するという意味で言っているとおもうけど、私達がしていることはそういう大それたことではなく、単純に保険が掛けられるかどうかを問題にしているの。」
「イナバの感覚だと世界の一定の流れに私らは干渉出来ないっていいたいんでしょ?」
「は、はい・・・。」
「妹紅が死ぬのことが想定されていて、私がやろうが他人がやろうが絶対死ぬんだからループの前も後も同じっていいたいんでしょ?」
「ええ、そうです。」
「前提がおかしいわね。」
 永琳がどう説明すればいいのか思案する。
「妹紅が誰に殺されようが、姫がそれを知らずに引き籠もりを続けていれば、姫の世界では妹紅は存在してると思っているからループは成立したまま・・・ってことかな?」
 今まできょとんと聞いていたてゐがぽつりとつぶやく。
 その場にいる全員が意外な伏兵に注目して固まった。
「と、いうわけよ。解った?」
「ええ・・・てゐので良く解りました・・・。」
 世界で起こっている事象とは関係なく、非常に狭い個人の周囲に起こる事象に変化が生じなければ過去のループと未来とが共有出来る。
 世界に干渉してしまう輝夜の能力と輝夜が個人的に行っているループによる保険は、まったく無関係なのだが、前者のインパクトが強いため後者が従属しているように見えてしまう。レイセンはそこの区別が出来なかった。そして永琳達は頭で解っているものの、それを口で説明する事に苦慮した。てゐは、普段の輝夜の外の世界と干渉したがらない行動から逆算して出した答えだった。
「姫様って偉いんですね・・・。」
「今頃気付いたの?」
「でも、なんだか可哀想・・・。」
 レイセンは、輝夜のしている事がとても重要で尊敬に値すると思ったと同時に、その為に自分の行動を制限している事に同情する。
 しかし、この言葉は周囲を凍らせた。
「お、おい、レイセン、謝れ!」
 輝夜の様子が変わったのにいち早く気付いたてゐが、輝夜に同情してしんみりしているレイセンのスカートの裾を引っ張って知らせる。
 永琳はその場をそっと離れ中断した作業に戻る。
「はっ!」
 可哀想な主人を想い心から同情をするならまだしも、レイセンの言い方はどこか他人事だった。それでも、レイセンは普段通りの言い方をしたつもりで、怒りを買うようなものではないと思った。
 しかし、輝夜の恐ろしい形相には殺気があり、レイセンはすぐに考えを改め謝罪しようとしたが、その前に胸ぐらを掴まれそのままもの凄い力で身体ごと輝夜の顔面近くに引き寄せられた。
「言ってくれるじゃない、ペットの分際で。」
「す、すみません。そんなつもりではなかったんです。」
「はぁ?じゃーどんなつもりで言ったのよ?」
 輝夜は胸ぐらを掴んだまま突き飛ばすように、レイセンを壁に叩きつける。一見華奢だが、本気を出せばレイセンなど片手でひねり潰すことが出来る輝夜。
 壁に叩きつけられ床にそのまま尻餅をつくように落下したレイセンは、何故ここまで輝夜がキレているのか理解できなかった。最初の一瞬は何かの冗談かとも思ったが、自分の身に危険が迫っている事を本能的に察知して、逃れようとする。
 しかし、それよりも早く輝夜の蹴りがレイセンの顔面を叩き潰す。
 月の兎であるレイセンの肉体的な強度は人間の比ではなく、通常の蹴り程度物ともしないが、輝夜の渾身の蹴りの破壊力は凄まじくレイセンは頭蓋骨が軋む音を聞く。
「(殺される!)」
 レイセンは咄嗟に死の接近を感じる。そして蹴りの一撃でレイセンの戦闘力も戦意も挫ける。
「姫!そのへんでカンベンしてあげて!」
 てゐが慌てて輝夜の腰に巻きついて止めようとする。しかし、顔面を殴られてそのまま永琳の足元に吹き飛ばされる。
「師匠!止めて!レイセン死んでしまう!」
 てゐは永琳に助けを求めた。
「うどんげは姫のペット。彼女をどうすかは姫次第よ。」
「そ、そんな・・・。」
「てゐ。あなたも通った道でしょ?」
 因幡てゐと永遠亭の関係は初めから蜜月であったわけではない。元々てゐのテリトリーに輝夜達が侵入し、そこで抗争が繰り返された末に地上の兎が敗北し、その後和解して主従、師弟関係を組んだのである。
 輝夜らの秘密を知った時は、今のレイセンの様にズタボロにされて命と引き替えに広言しない事を約束させられたものである。
 完全な固体のコピーともいえるループ保険は、絶対に他人には知られてはいけない永遠亭の秘法であり、レイセンがここまで痛めつけられるのは、その重大な秘密を知っておきながら、他人事の様に振舞った事で輝夜の怒りを買ったからである。
 その秘密の巨大さとそれを共有する覚悟の見えないレイセンは、輝夜にとってはもはや主従でもましてや家族とも思えない存在となってしまったのである。
「私が可哀想だって?それなら私もあんたに言ってやるわ。イナバも可哀想。月に居れば沢山敵を殺せたのに。勲章貰えて英雄になれたのに、私達に助けられ英雄として戦死もできず、廃人同様になってやりたくもないことを毎日毎日やらされ、ぐうたらな姫の面倒見させられて、あー可哀想、カワイソウ。」
 レイセンは捕らえられて廃人になるまで拷問されたが、そのまま死刑になっていれば管理者の軍勢の中では英雄として扱われていただろう。
「そ、そんな事・・・思っていません!」
 気持ちが既にくじけていたレイセンだが、自分を罵るようなその言葉に怒りを覚え反論する。
「ほんとかしらね・・・同じ失敗を何度もするし、言いつけも守れない。すぐにてゐのせいにして逃げて、永琳にはいつも怒られて・・・ほんとにやる気あるの?」
「そ、それは・・・。」
 それを言われるとぐうの音の出ない。だが、レイセンとしては、月からの使いとして来ている半分お客様的に考えているとろもあり、不当に扱われているという思いもあるのだ。
「あんたはやることなすこと、全部気が入ってないのよ。」
 輝夜はそういいながら何度もレイセンに本気の蹴りを入れている。てゐや永琳からみても明らかに殺しにかかっているように見えた。
「・・・。」
 床に伏せたレイセンの左腕は輝夜の蹴りから腹部をガードしようとして骨折し不自然な方向に曲がっており、体中蹴られて内臓も破裂しもはや抵抗する力は残っていなかった。
 あと一撃で殺せると見た輝夜は一度蹴るのをやめ、その場にかがんでレイセンの耳を無造作に掴んで無理やり頭を持ち上げる。
「イナバ。あんたに悪気がないってのは私も分かるわ。ポンコツの兎にそんな度胸がないことなんて分かってる。でも、何で私が怒っているかちゃんと分かってる?それすら分かってないでしょ?」
 最初の蹴りで左目が潰れて開かないレイセンはかろうじて開く右目で輝夜を見る。先程の怒りの表情はなく、代わりに哀れみの目がそこにあった。それを見たレイセンはもうすぐ死ぬのだと覚悟を決め目を閉じる。
「どうやら最後までわからずか・・・しょーがない・・・永琳!」
 ため息をついた輝夜がレイセンの耳を床に投げ捨てるように離すと立ち上がって永琳の名を呼ぶ。
「悪いけどレイセンは切るわね。これじゃ秘密を共有できる同士にはなれない。」
「・・・姫がそう決めたのなら致し方ありません。残念です。」
 レイセンはその会話をどこか他人事のように聞いていた。自分が想像した以上にこの秘密は重要なのだと気づいた時はもう既に遅かった。輝夜が怒っていたのは、自分がペットではなく同士になれない存在と見極めたからだ。そして、輝夜は自分を同士に迎え入れる準備があった事を知り愕然とする。
 主の期待に添えなかった自分に大きな憤りと悲しみが溢れ、レイセンの目から大量の涙が溢れる。
「可哀想だけど・・・これも飼い主の努め・・・。」
 輝夜はレイセンの頭の前に立つと足を振り上げる。薬による安楽死という方法もあったが、そのような準備はしておらず、また、それでは輝夜の怒りも収まるものでもない。そう、この結果を望んでおらずそれを実行しなければならない輝夜は心の底から怒っていた。
「ドカッ!」
 鈍い音が部屋に木霊した。
「てゐ!」
 輝夜の振り下ろした足の先にいたのはレイセンの頭を全身で包んでガードし、その蹴りを背中にまともに喰らったてゐだった。
「ちょっと、何やってるのよ!」
 輝夜の渾身の一撃を背中にもろに受けたてゐは、輝夜の驚きの問いに答えず、その場で力無くぐったりと床に崩れ落ちた。
「ちょっと、てゐ!」
 てゐの予想外の行動に輝夜も狼狽える。永琳がすぐに駆けつけてゐを抱きかかえ様態を確認する。
「背骨が粉々ですけど・・・大丈夫、すぐに処置すれば助かります。」
 永琳の言葉を聞いてほっと胸をなで下ろす輝夜だが、その時異様な妖気を感じた。
「よ、よく・・・も・・・てゐ・・・を・・・。」
 振り向いた先にいたのは全身ボロボロで立てないほどの重症を負っていたにもかかわらず、立ち上がるレイセンだった。
 輝夜と永琳は同時に驚き、そして恐怖を覚えた。
 レイセンの開いている右目は白目も黒目もなく、内側から光が外に漏れ出すように不気味に赤黒く輝いていた。そして禍々しいオーラを全身から吹き出し、風見幽香ですら引きそうな残忍な表情をしていた。
 肉体というのは自分の力で自分を破壊しないために無意識に力を抑えている。極限状態になるとその抑える力、リミッターが壊れ、通常では出ない力を出すことが出来る場合がある。レイセンの状態は正にその状態といえる。
 てゐという存在を失ったと思い込んだ事によって、キレてこうなったわけである。
 月の兎は反抗心など抑制されているため、キレないのが特徴といえる存在である。その為レイセンの今の状態は月の兎では有り得ない事であった。しかし、レイセンは過去に肉体的にも精神的にも一度壊れており、輝夜の言うところのポンコツ兎である。分類は月の兎だとしても、中身は別ものなのだ。
 レイセンは折れた左腕をだらっと下げた状態で右腕だけを上げ、人指し指と親指を立て指で銃を模した独特の構えを取る。
「どうなってるの?」
 色々な意味で有り得ない行動を取るレイセンに困惑する輝夜だが、永琳はその状態と行動をある程度理解できていた。
「輝夜、うどんげは本来、両目で波長を調整してるけど、それが片方になったことで自分に跳ね返ってしまっているわ。所謂自己暗示で自己限界を超えた潜在能力を引き出してしまっている・・・。」
 永琳の口調が従者口調から所謂タメ口になった。これは2人だけのプライベートな時の話し方で、事実上レイセンとてゐが退場している状態なのでそうなったわけである。
「死に損ないの分際で・・・本気出すならもっと前に・・・。」
 レイセンのターゲットが自分に向けられている事に気づいて思わず息を呑む。危険な刃の様なその深紅の瞳に輝夜は気圧された。
「輝夜、この状態で暴れられると厄介だわ。ここはうどんげに殺されて。」
「はぁ?」
「今のうどんげは一種の夢を見ている状態よ。一撃貰えばうどんげの目からは一矢報いたと思って怒りも収まるわ。」
「夢?だったら別に死ななくてもいいでしょ?」
「ええ、取りあえず逃げずに撃たれてあげて。」
 重要な機器類があるこの部屋で暴れられるのは得策ではなかったので、輝夜は永琳の助言通り、動かずにその場でレイセンの行動を待った。
 レイセンの人指し指に力が集中しそれがどんどん膨れあがる。最初は余裕でそれを見ていた輝夜だが強くなるその力に焦りの色が現れる。しょせんはイナバの力と思っていたがリミットオーバーした力は侮れない。
「ちょ、ちょっと永琳・・・永琳!た、助けて永琳!」
 これをまともに喰らったら死ぬと悟った輝夜は永琳に助けを求めた瞬間、レイセンの指の銃身が跳ね上がる。
 一瞬で輝夜は蒸発し、そこを中心に高熱が発生する。
 永琳はそれを見た瞬間、輝夜ごとエネルギーフィールド、幻想郷で言うところの結界を張って濁流となったエネルギーを封じ込め、力が収まるまでやりすごす。結界の中でリザレクションを表す光が何度も点灯する。結界の中で輝夜が何度も何度も死んでは生き返りを繰り返しているのだ。
 数分後にエネルギーが消滅し、同時に結界を解く永琳。
 消えた結界の中からぽとりと輝夜が出来てきて尻餅をついた。
「ふー死ぬかと思った・・・それにしても永琳さん?姫の扱いがなってないのではなくて?」
 立ち上がって永琳に不満げな表情を向け、わざとらしく上品にいやみを言う輝夜。
「永遠亭を救ったのですから大手柄ですよ。」
 オホホと輝夜にあわせて上品に笑って見せる永琳を尻目に肩をすくめながら力尽きて倒れているレイセンのそばに歩み寄る輝夜。
「姫、どうかうどんげを助けてあげてください。」
 2人だけのフランクな口調が一変し、輝夜に深く頭を下げる永琳。
「・・・わかってるわ。イナバを殺せば地上の兎を敵に回してしまうものね・・・まったく、まさかてゐがあんな行動とるなんて・・・。」
 レイセンのそばに行った輝夜は彼女が息をしていることを確認してから、てゐの前に来て抱きかかえた。
「イナバより危険な状態だわ・・・さすが、私の蹴り・・・。」
 本気とも冗談ともいえない事を言っててゐを永琳に渡す。
 てゐを受け取った永琳は、ポケットから金属製の薄い板のようなものを取り出し、1枚に見えた板の面を2つに開き、間に挟まっていた紙の包みを取り出す。
 取り出した紙の包みをカサカサと音を立てながら開き、中の粉を人差し指の第一間接全てに付着させるようにしばらくこね回した後、それをてゐの口の中に突っ込み口内の粘膜に塗りこむ様に指を回す。
 胃や小腸から吸収させるのではなく、粘膜から直接体内に浸透させるその謎の薬は瀕死の状態から命を持たせる為の効果は強いが持続力の短い応急処置用の特効薬である。
 薬の効果はすぐに現れてゐは息を吹き返す様に目を開ける。永琳はレイセンも同様に処置するために、てゐを輝夜に渡す。
「・・・レイセンは?」
「だいじょぶよ。あんたに免じて殺すのはやめてあげるわ。」
「よ、良かった・・・。」
 てゐはそういうと大粒の涙を流しはじめ輝夜を驚かせる。普段の二人のやりとりを見ていてもそこまでレイセンを思っているようには見えなかったからだ。
 調子の狂った輝夜はてゐをそっとレイセンの隣に寝かせるとそのまま、隣の部屋に立ち去ろうとした。
「先に行ってるわね。」
「ええ、あ、姫!万能薬2つと、あと何か食べるものを頼んでおいてもらえます?」
「・・・こんなことになって、保険が利いていると思ってるの?全部消えて無くなってるんじゃない?」
「姫はお優しい人ですから・・・。」
 ニッコリと微笑んで見送る永琳。
「ふん!万が一残ってたらそうさせるわ。」
 てゐには一瞬何の会話か分からなかったがすぐに理解できた。
「これでよしと・・・。」
 てゐと同様に処置されたレイセンはてゐの横に寝かされた。てゐの時のようにすぐに目を覚まさないレイセンだが、顔の腫れ具合に反して表情は穏やかで、緩やかに規則正しい呼吸をしていることが確認でき、安心するてゐ。
「てゐ、もうすぐ万能薬が来るから少しの間だけ我慢してね。」
 頷くてゐを一瞥して永琳も輝夜が出て行った扉に向かい奥に消える。部屋に2人だけになったてゐとレイセン。
 てゐは兎としてはただ一人、突然変異的に超状的な力を身につけた妖怪兎である。そしてそのことはてゐを孤独にした。配下にたくさんの人型にまで変化した妖怪兎はいるものの、どれも自分の影響で兎がそう変化した存在で、仲間や僕であってもケンカをしたり甘えたりできる家族ではなかった。
 永琳と輝夜に敗れ服従したてゐにとって、その後にやってきたレイセンは、同じにおいがする家族となりえる唯一の存在だと思っていたのだ。

東方不死死 第16章 「八雲会議」


 妹紅は目を瞑ったまま世界が閉じる瞬間を待っていた。
 この世界で起こった事を思い出しながら、それまでの自分の人生も振り返る。
 生まれてから幻想郷に来るまでの千年。幻想郷に来てからの300年。そしてそこから今日までの、膨大な年月。
 考えてみると、この閉じようとする藍の世界が人生に於いて最も長い時間を過ごした場所かもしれない。そう考えると名残惜しくもある。


 閉じていく世界の壁が自分とぶつかるが押し潰される事はなく、一瞬、肉体が無に還元されたかのように感覚を失い、その後に押し寄せる情報の波の中で、自分という存在が構成されていくのを感じる。
 その情報の波は幻想郷に戻ったことを示していた。
 藍の世界は、世界そのものに循環という概念が存在しない不動空間だった。
 その空間から幻想郷に戻った時、最初に感じたのは五感を刺激するありとあらゆる情報の存在だった。
 目に見えない大気の中にとてつもない量の原始的な生命の息吹を感じる。
 幻想郷という器に入りきれないその命の息吹は、その器からこぼれ落ち、滴となって弾け、それが自然を具現化している妖精という姿となって循環しているのだろうと妹紅は直感的に感じる事が出来た。
 呼吸し体内に入り込む空気の重みと厚み、温もり、そして匂い。髪の毛の間をすり抜けていく僅かな空気の流れ。衣服と肌の間の僅かな空間。その内と外で違う温度。
 今まで無意識に通過してきた当たり前の現象が今はとても新鮮で刺激的だった。


 自分しか居なかった藍の世界では、比較対照が無く自分の存在を確かなものと認識する手段が無かった。
 幻想郷に戻った時、ありとあらゆる情報が妹紅に押し寄せ、途切れて久しい世界との関わりを久しぶりに感じる事が出来た。
 しかし、それと同時に大きな違和感を持つ。自分自身が幻想郷の異分子になっていると感じたのだ。
 その不思議な違和感の理由はすぐにわかった。


「はわわわ!」
 妹紅の目の前で突然変な声を上げてその場に尻餅を付く霊夢がいた。
 紫を支えていた手を離し畳に尻餅をついて妹紅から遠ざかろうと後ずさりをする。
 妹紅は紫から剣を抜いた状況から藍の空間に飛び、そして全く同じ時間場所に戻った事を理解する。
 世界がおかしいのではなく自分がおかしいことはすぐに理解出来たが、どうやって居住まいを正せばいいのか判断できなかった。一ついえることは怯える霊夢から遠ざかってやることだ。
 妹紅は剣を置き紫をその場に寝かせ立ち上がり霊夢を見下ろす。
 霊夢がひどく怯えているが、その原因が自分自身だとすぐにわかった。
 妹紅は藍の世界で千年とも万年とも思える膨大な時間を過ごしたせいで、年齢と共に妖力が自然増加してしまい、それを知らずに霊夢の前に現れてしまったのである。
 妖力というのは、生き物に限らず人の手を加えた造形物や、人の念が籠もった存在、自然物にも宿る。それらは極々僅かな力であるが、年月を経ると次第に力が強まっていく。
 他者との関連性が途切れ、妖力上昇に無自覚だった藍の世界からそのまま幻想郷に戻った事で、妖力がのむき出しの状態で霊夢の前に突然現れたわけである。霊夢の視点で見れば、今まで普通だった妹紅が、何の前触れもなく妖力が爆発的に上昇したように見えたわけであり、驚くなという方が無理というものである。
 抑えないむき出しの妖力は他者に対するネガティブな行動、例えば威圧や警告、攻撃を意味するもので、人間で言えば殺意のようなものである。つまり、霊夢は突然妹紅から殺意を向けられた様に感じたのだ。


「な、何よ、突然!」
 妹紅の変化に瞬間的に後ずさった霊夢は、すぐに冷静になって問い質す。気圧されずに持ち直したのは霊夢だからこそといえよう。
 抑えようにも底なしに沸き上がる妖力に戸惑う妹紅は、後ろの妖怪達も刺激しいらぬ疑いをかけられかねないと思い、この場は退散したほうがいいと判断する。
「霊夢・・・。」
「は、はい!」
 いつもなら名前を呼ばれても気のない返事をする霊夢だったが、妹紅に名を呼ばれかしこまって引きつった返事をする。それだけ今の妹紅を恐ろしく感じているのだ。
「もうすぐ目を覚ます・・・私帰るから、あと宜しくね。」
「はい!」
 妹紅は静かに言ったつもりだが、全開の妖力が醸し出す迫力に気圧され霊夢は裏返った声で返事をする。
 そんな霊夢を尻目に踵を返して縁側に進んだ妹紅は、外にいた3人の妖怪の視線の集中砲火を浴びる。
 3人は困惑と警戒と恐怖の入り混じった表情で妹紅を見つめ、その妹紅は縁側に立って静かにその3人を見下ろす。
 数秒ほどそのまま動きが止まったが、幽香が何か言おうと口を開こうとした瞬間、それを制すように妹紅は顎を傾け自分の後ろにいる紫と霊夢の方に注意を向けさせる。
 3人の注意が紫に向いたその瞬間を見計らって妹紅は縁側を飛び出し空高く舞い上がる。
 虹色に輝く極彩色の炎の翼を纏った妹紅が一瞬で遠ざかるのを呆気にとられた表情で振り返る3人。
 今まで赤と橙と黄色だけだった妹紅の燃えるような炎の翼は、青や緑色の炎も混ざり炎を纏うというより、それそのものが激しく燃焼しているようだった。
「な、何よあれ・・・。」
 一番最初に口を開いたのは幽香だった。
「一瞬で変わった・・・あれは、もはや中身が変わっている。藤原妹紅ではない・・・。」
 幽香の言葉に九尾の藍が応える。そう考えるのも無理はない。実際には数千、数万と時間を掛けて変化した妹紅だが、ここにいる霊夢や妖怪達からは、一瞬で変化したようにしか見えないのだ。
「でも、匂いというか雰囲気は妹紅だと思うがのー・・・。」
 遠くに見える妹紅の光点を見送りながら藍の意見に同意しない萃香。そしてその萃香の意見に賛同する幽香。
「どうかしたの?」
 その時、妹紅の飛び去った方向を見ながら論議する3人の妖怪に誰かが声をかける。
「あ、紫!」
 萃香がすぐにその声に気付いて喜びの声を上げる。
「あの、妖気・・・本当に妹紅なの?」
 ついさっき現状に復帰したばかりの紫は前後の話の繋がりは見えてこないが、遠くに感じる凄まじい妖気は当然気になるところである。
 妹紅のインパクトが強過ぎたため、紫の復帰に対する感動が薄れている妖怪達であったが、紫も妹紅が気になる様子で感動の再会という雰囲気ではない。
「もう!なんなのよあれ!死ぬかと思ったわ!」
 妹紅に圧倒されて惚けていた霊夢であったが、目を覚ました紫に肩を叩かれ正気に戻っていた。正気に戻ればいつもの霊夢であり、不意打ちで不覚を取りみっともなく無様な姿を晒してしまった反動で怒りが込み上げる。
 そんな霊夢を尻目に、外にいた3人の妖怪は座敷に上がり、萃香がちゃぶ台を元に位置に戻すと他の者達は当たり前のようにちゃぶ台を囲むように着席する。それに気づいた霊夢は条件反射的にお茶の用意をし出す。
 皆、紫の復帰よりも妹紅の様子が気になってピリピリしていた。
 霊夢は紫から貰った「お湯の冷めずらい魔法瓶と教えられた入れ物」から昼過ぎに入れて流石に少しぬるくなってお茶をたてるにはちょうど良い温度となったお湯を急須に注ぎつつ、紫ら何れも幻想郷最強クラスの妖怪の面々を順番に見ながら人数分用意した湯飲みにお茶を入れる。
 霊夢と紫の湯飲みは専用の物が決まっており他の物のは来客用である。萃香はいつも神社にいるが、基本的にお茶は飲まないので萃香の分はない。藍は紫と同伴かたまに紫のお使いで一人で神社に来る程度なので専用の湯飲みは用意されていない。幽香に関しては座敷に上がった姿を見たのは今日が初めてかもしれない。
 妹紅を目の当たりにした3人は、目を瞑ってその時の状況を思い出しながら何故そうなったのかをそれぞれの考え得る範囲の中で考察していた。
「時間が止まっていた形跡は?」
 目を閉じたまま口を開く藍に、萃香は即答した。
「なかった。」
 それを受けて霊夢が何故そういえるのか理由を尋ねる。
「空間密度の伸縮がみられないからね。」
「何それ?」
「時間を止めるといっても、本当に停止しているわけじゃない。その空間だけ時間の流れが極端に遅くなっているに過ぎない。術が切れて元に戻る際に、その遅くなった空間で行動した形跡が空間密度の変化として必ず残るんだよ。」
「簡単に言ってるけど、それが見えるのは萃香だけだけどね。」
 霊夢に対して萃香が説明をした後に、幽香が付け足す。
「じゃー咲夜もそうなの?」
「咲夜に関しては少し違うわね。何て言えばいいのかしら?2つの異なる時間軸を入れ替えている・・・そんな感じかしら?」
「ぜん!ぜん!意味分からないんだけど?」
 霊夢の質問に答えたのは紫で、その説明を受けて霊夢はより一層疑問が膨らむ。
「又聞きだから私にもよくわからないわ。」
「ようするに、咲夜は2つの時間を持っているということだ。」
 紫に替わって藍が答える。
「あんたら妖怪は、そういう事普通に言うけどさぁ・・・ま、いっか。」
 そんな能力は普通に反則に思える霊夢であるが、対する妖怪達はさもそれが当然のごとくシレっと話して霊夢の苛立ちにまったく共感する様子がない。これもまたいつもの事なので、それ以上突っ込まない事にする。
「はー・・・それにしても、次から次へと・・・。」
 既にとっぷりと陽が落ちすっかり夜となってしまった幻想郷。夕飯の時間はとっくに過ぎているのだが、今日一日色々ありすぎて空腹すら忘れている状態でる。余り裕福とは言えない台所事情の博麗神社としては、一食抜くくらいは平気だったが・・・。
「何か変なスイッチが入っちゃったみたいね。」
「まったく・・・でも、今後どうするの?」
 何かを必死に考えている妖怪達を尻目に霊夢と紫は会話を始める。
「取りあえず妹紅が落ち着くまで待ちましょう。その後具体的な段取りを決めましょう。」
「妹紅ではなくなってるって言ってるのもいるけど・・・。」
 瞑想するかのように目を閉じている藍に視線を向ける霊夢。
「・・・霊夢はどう思う?間近で見たのでしょ?あれは妹紅とは別の存在だった?」
 紫にそう問われた霊夢は、改めてじっくり考え込む。それを見て紫は思考判断の手助けになればよいと、改めて自分がどんな状況になっているかを独り言のように話し始める。それは単純に霊夢一人に宛てたものではなく、他3人の妖怪達にも言い聞かせている意味も含まれていた。
「私と藍の魂が融合し元に戻った・・・でも、それはあくまで能力的なものね。」
「性格は変わってないのよね?」
「ええ、人格は変わってないわね。」
「でも、紫って覚醒した時に性格が変わったのでしょ?」
「それはちょっと違うかなー・・・正確に言うと、最初の状態に個人を確定するような性格、つまり精神が無かったのね。」
「それって本能だけで動いていた?」
「性格、人格というのは精神というカテゴリに含まれる肉体を動かす制御プログラムみたいなもので、本能とは魂というカテゴリに含まれ、生命が生きる上で絶対的に必要な欲望を制御するプログラムなの。」
「うーん。」
 紫の難しい言葉に思わず考え込む霊夢。
「輪廻というのがいつ生まれたのか分からないけど、魂というのは命という存在が永遠に存在するために必要なもので、肉体が滅んでもその種が消失しないように次の世代に様々な情報を受け渡す機能を持っているのよ。」
「・・・精神というのは現状においてどう動くかってことを判断するもので、魂というは種全体を意識した長期的な視点で行動させるもの・・・と言うこと?」
「だいたいそれで合ってるわ。感覚的な所が多いから口で説明できる情報量だけでは正しい表現を見つけるのが難しいけど・・・。」
 言葉の意味を正確に知る事よりも感覚では分かれば良いということだろうと霊夢は納得する。
「魂は輪廻を経て成長しやがて御霊になる。御霊となった魂はさらなる成長で輪廻の終焉を迎え天人となる。」
「天人様か・・・そういえばなんかそんなの名乗る変なのがいたわね・・・。」
「天人となった御霊はやがて、無痛の快楽に飽きて、再び輪廻に下る。これを天下りというのだけれど・・・。」
「天下り?」
「その天下り先が妖怪や鬼といった優れた生命体であることが多く、人間の世界では天皇家や霊夢達博麗の一族といった特別な血筋もそれに含まれるの。」
「へーそうなんだ・・・じゃー私の魂もそれなりに凄いってことね。」
「無自覚だったのね・・・何故妹紅が私達に怯えて、あなたが怯えないか・・・だいたいその理由がわるでしょ?」
「そっか・・・妹紅の魂はまだ成長段階でまだ全然修業が足りてないってことね。」
「まーそういうことだけど、悲しいかな妹紅は死なないから輪廻もしない。つまり魂も成長出来ない。」
 それは妖怪達と妹紅との関係性は永遠に変わらないともいえる。
「肉体、精神、魂・・・三位一体・・・か。」
「肉体はハッキリいってしまうと、いくらでも換えがきくわ。妖怪の中には現在の肉体が滅んだ時にすぐに転生できるように、予め寄り代となる肉体を用意していたりするしね。」
「それってある意味不死身よね?」
「妖怪は不死身、不滅、無敵!・・・なーんて事を信じて疑わなかった時代も確かにあったわね。」
 紫は途中まで真顔で言いつつ、最後は両手を広げてお手上げのポーズを取っておどけて見せた。
「妖の狩人・・・藤原妹紅の登場でその神話は全て崩壊した。」
 紫と霊夢の会話に九尾の藍が口を挟んだ。その刺のある言い方からして九尾と妹紅は今後も犬猿の仲になりそうである。
「なるほど・・・妹紅の存在って、当時の妖怪からしたらものすごいインパクトがあったのね。」
 霊夢の言葉にここにいる妖怪全員がうなずいた。


「精神か・・・妹紅の変化が紫の変化と関連づけられるとしたら・・・例えば、藍の精神が妹紅と融合した。というのはどう?」
「精神や魂は、そう簡単にくっついたり、離れたりはしないわ。」
「でも、紫は実際そうなったでしょ?」
「こういう言い方はどうかと思うけど・・・私は特別なの。」
「そう、紫様は特別なのだ。」
 自身を特別などと人間が言うなら全力で噛みつきそうな妖怪2人が、声を揃えて自慢しているのは、霊夢としてもむかつくところであるが、藍や幽香、萃香とは違う明らかに特別なものを紫からは感じる事は否定できない。
「元々特別な存在として特別に扱ったのが当時の博麗の神主、つまり霊夢のご先祖様なんだけど、それについてその子孫ともいえる霊夢はどう思っているのかしらね・・・。」
 紫と藍の自慢にうんざりした表情の霊夢に幽香が博麗の立場を教える。
「ふ~ん。ご先祖様ねー・・・紫の交友関係・・・例えばこの中で知り合った順番って?」
 昔の事に話が逸れる。
「幽香、藍、萃香、魅魔かしらね。」
 魅魔はこの輪の中にはいないが一応八雲一家ということで名前を上げる紫。
 魅魔の消失が霊夢に一種のトラウマを生じさせている事を先程妹紅と霊夢のやりとりを見て知っている紫以外の3人は、その名前が出た時内心ドキっとした。しかし、霊夢は特に表情を変える事無く話を聞いたままだった。
 内に秘めた感情を表に出さない霊夢と感情むき出しで喜怒哀楽の激しい霊夢。どれが本当の霊夢なのか妖怪達も計りかねる。
 人間である妹紅は、同じ人間として霊夢の心の内を分析出来るが、ある意味単純な思考で物事を考える妖怪にとっては、霊夢の二重人格ぶりは扱いに困ることがある。
 そしてもう一つ困ったことがある。紫がかなり饒舌になっている点である。自分の事をほとんど話さない紫が霊夢に聞かれるがままに答えている。聞かれて困る事はないのであるが、どうみても力が増加して気が大きくなっている。余計な事をしゃべらないか心配である。
「へー幽香が先なのね・・・。」
「それより今は妹紅の事について聞くべきじゃないのか?」
 出会いの時の話を根ほり葉ほりと聞かれるのも嫌だと感じた妖怪達は全力で話を逸らせようとする。
「・・・妹紅の変化の要因だっけ・・・。」
「そうそう。」
 話し込んで既に湯飲みが空になっていたところに酒を注ぎながら議論の方向修正の手伝いをする萃香。
「精神や魂は基本的にくっつかない。でも紫は元々を2つに分けた存在。だからもう一度くっつけた・・・。精神まで融合したらどうなるの?」
「それは・・・オリジナルに戻るということじゃない?」
「オリジナル?そうか、そうなったら紫じゃなくなるんだ・・・。」
「そうならないか心配して泣いていたのは誰だっけ?」
 妹紅と霊夢の会話を盗聴してその辺の事情を知っている幽香がその事をすっかり忘れている霊夢に思い出させる。
「べ、別に泣いてなんかないわよ!」
 3人はニヤニヤしながら心の中で「泣いてました!」と笑う。
「え?え?霊夢ってば私の為に泣いてくれたの?ね?ね?」
 酒が入って陽気なった紫がどこかのおばさんのように霊夢に詰め寄る。
 先程まで真面目な話が続いていたが、萃香の気の利いた行動で場が宴会になりつつあった。


 今日一日色々あって疲れたのだろう。霊夢は酒が入りいつもよりだいぶ早く酔いつぶれて寝てしまった。
 紫と藍は隣の霊夢の寝室に布団を敷き寝かせる。
 萃香も既に大の字で寝ており、ちゃぶ台には紫と藍そして幽香が萃香の瓢箪を回して手酌で酒を飲みながら議論を続けていた。
「ねえ、紫、このまま続けるの?」
「朝まで飲む?私はかまわないけど・・・。」
「いや、そういう話じゃなくて・・・何かやらかそうとしてるんでしょ?」
「今更止められるかしらね・・・私といい妹紅といい、これ程の変化が生じたということは、何かの運命が発動して順調に事が進んでいる状態だと思うけれど・・・。」
「無責任な言い方ね・・・。」
「幽香はどこまで理解している?」
 他人事の様に言う紫を尻目に、藍が幽香がどのあたりまで確信に迫っているかを問う。
「妹紅を使って何かするってことでしょ?少なくともあなた達が妹紅に教えた事以上の事は私は知らないはずだけど・・・。」
 ほとんど知らないと分かり、幽香に肩をすくめて見せる藍。
「幽香に知らせていないのは、別に意地悪をしているわけではないわ。関わる人数を極限まで減らしたかっただけ。」
「でも、幻想郷の大異変として演出するつもりなのでしょ?なら、嫌でも大勢関わるんじゃない?」
「結果としてそうはなるけど、事前に多くの人を共犯させると、運命をこじらせる恐れがあるから・・・。」
「運命をこじらせる?」
 幽香としては初めて聞く表現であるが言わんとしていることは何故かはっきりとわかった。
「知らなければ運命は連鎖しないが、何かを知ってしまうことで運命の連鎖に巻き込まれる。それだけで済めばいいが、幽香から他の者にそれが広がり多くの者が運命を共有してしまうということにもなりかねない。そうなると手がつけられない。」
 藍がそう説明するが、意味はおおよそ理解出来るが具体的にどうなるかがわからない幽香。
「具体的に説明して。」
「世界が滅びるような凄まじい力の発生を今は妹紅を使って起こそうとしている。そして、その過程で紫様と妹紅の間に因縁が生まれたとする。そこに例えば幽香という新しい因縁が発生し関係が複雑になる。そして幽香は別の凄まじい力を引き出す手段を知っていたとする。さらに妹紅の不死鳥と、幽香の知っている何らかの力が、実は裏で関係していたとすると、我々が予測し対策を立てた防護策を超えた力を持ってしまうという可能性が出てくる。簡単に言うとそういうことになる。」
「なるほど・・・関わる人が多くなれば、計画する側の知らない、手の届かない所に別の因縁が生じて、まったく感知しない所におかしな力が生まれてしまう。確かに未知の力は制御できないわね。」
 紫と藍が同時に頷く。
「幽香は、私達と妹紅との間に因縁が生じる前に、妹紅との因縁を作ってしまい、そこから私達に派生して今が生じている。私達は既に最初から計画にズレが生じてしまった。関わる人間を最小限に留めておきたい理由は今の幽香ならわかるでしょ?」
「ええ、まぁ・・・でも、そんな状況なら尚更計画を先送りしたほうが・・・。」
「もう、事は進んでいるはずよ・・・私と妹紅との間で生まれる因縁、不死鳥より上位の因縁が存在していたのだから・・・。」
「藍ね?」
「この因縁が生まれた後に初めて妹紅と不死鳥に関係が生じている。私はその後の関係を利用しようとしていた。でも実はそれは下位の関係で、私は上位位置からコントロールする立場から外れてしまったというわけね。」
「そうか・・・もうこれは紫の起こす異変ではなく、妹紅の起こす異変になってしまった・・・ってこと?」
「恐らく・・・。」
 紫と幽香が同時に溜め息をつく。
「しかも、今回の件で私も、萃香も、紫様も、妹紅も大きな力を出してしまい、幻想郷に対して大きなインパクトを与えてしまった。少なからず因縁の輪は拡がっただろう。」
 藍は外を眺めながらそう言った。
「夜なのに誰もいないなんておかしいわよね・・・。」
 幽香も藍にならって外を眺める。人間中心の社会と違い、妖怪や妖精などの妖の存在が主である幻想郷では、夜こそが最も騒がしい時間である。にもかかわらず空に星以外の光点が存在せず、皆、息を潜めている様子である。
「幻想郷に住む者達は、既になんらかの危険な予感をその身に感じているでしょう・・・。」
「それって、因縁がより一層広まって複雑になるってこと?」
「ええ、妹紅との因縁でいえば、慧音や宇宙人とも繋がってるでしょ?紅魔館の連中だって霊夢を経由すれば私達とも繋がるわ。今日の事は詳細は知らないにしても、皆博麗神社で何かが起こっている事に気づいているわ。もし、紅魔館と永遠亭が裏で繋がっていたら・・・私達にはまったく感知できない事が起こりえるかもしれない。」
 敵の敵は味方ということもある。確かに事を広げると関係が複雑になり幽香も思わず唸って考え込む。
「これを止められるか、先送り出来るのは妹紅だけかと思うけど、妹紅と話が出来るとしたら幽香だけね。」
 意味深な表情で幽香をじっと見つめる紫。藍は複雑な表情だった。
「・・・そうして欲しいと言うなら、言ってみるけど?」
 その時、別の方向から声が聞こえた。萃香である。
「妹紅が上位存在としてこの異変の中心になった理由がわかったよ。今日最初の出来事を思い出して見ろ。紫が交渉する前に妹紅は紫の計画に全面的に協力すると自ら申し込んできただろ?」
 1時間もしないうちに酔いが醒めて起き出した萃香は、瓢箪の酒を求めてちゃぶ台の議論に参戦してきた。
「・・・そういえば・・・。」
 藍が少し首を捻った時、紫が急に顔色をかえた。
「そうか・・・わかったわ・・・。」
「何がわかったの?」
 すぐにその理由を尋ねる何も理解できない幽香だが、その問いに答えたのは萃香だった。
「そう、紫の計画に便乗して、不死鳥の転生を妹紅は個人的な事に利用しようとしているのだろう。」
「紫を逆に利用しようと?」
 それを聞いて妖怪達はまさかと疑い顔を見合わせる。妹紅にはそんな能力や資質などない・・・と。しかし、そう考えた一瞬で頭が切り替わる。
 妹紅は、その魂の小ささから妖怪達は過小評価してしまう傾向にある。妖の狩人をしていた時代からも、恐らくそれで能力を見誤り冷静さを欠く結果を生んだのだろうと想像出来るし、現に目の前にいる幽香は正にそれによって重い怪我を負ったと言っても過言ではない。
 頭では妹紅は優れた人材だと分かっているのに、それを体、本能が受け付けようとしない。そんな不思議でもどかしい感覚に陥る妖怪達。
 魂の大きさと強さがほぼ比例する妖怪にとって、相手の力量を中身で判断するのが一般的だが、妹紅に限って言うなら中身で判断してはいけないということになる。
 ここにいる妖怪の中で、幽香がそれを身を持って知っており、その為、他の妖怪とは違って妹紅の実力を正当に評価している。
「不死鳥の自爆の力を得る為に爆心つまり妹紅を利用しようとした。この時点では紫様が状況をコントロール出来る立場だな・・・。」
「しかし、その爆心である妹紅が自らの意志でそれを積極的に行おうとした・・・。」
「その時点で状況が妹紅に移り、私にコントロール出来る状況ではなくなった・・・。」
 藍、幽香、紫の順に萃香の言った言葉をまとめる。
「でも紫、それはちょっと違うと思うぞ。妹紅という爆弾にスイッチを紫が付けたが、爆弾は自分の意志で爆発する事が出来る様になり、スイッチの意味が無くなったのは事実。しかし、爆弾はスイッチを紫に持たせたままだ。」
 萃香の言葉に紫は顔をあげた。
「紫様に協力すると言ってましたね。」
「・・・。」
「と、言うことは・・・つまりどういうこと?」
 幽香は最初の妹紅と紫とのやりとりを知らないので少し話しに付いていけない。
「紫様の計画によって妹紅が損しないという立場、つまり中立なら、こちらがお願いをして協力を求めるのが筋だ。しかし、望んで協力すると言うことは、自爆する事に何らかのメリットを見出している。と考えるのが自然だな。」
「何のメリットがあるというの?」
 こういう議論ではいつも疑問を出す側になる幽香。
「それがわかれば苦労はしない・・・が、スイッチが未だに紫に預けたままだということは、タイミング的な事に関しては興味はなさそうだな・・・。」
「大局で物を見ている紫様に対して、妹紅は個人的なメリットの為に動いているということか・・・。」
 萃香や藍の話を聞きながら何かを考えている様子だった紫が口を開く。
「この件については、上白沢慧音の入れ知恵もあるでしょうね。」
 本来ならそれが真っ先に思いつく案件だろうが、紫と妹紅の変化によるインパクトが大きすぎて基本的な事を忘れていた紫達。そもそも最初の紫と妹紅の接触は、慧音に繋げるための作業でもあった。妹紅には頭脳がないから慧音に考えさせるつもりだったのだ。もちろん、今は妹紅に頭脳が無いなどとは思っていない。


「・・・紫が言いたいのは、妹紅が素直に紫の爆弾になることをアドバイスしたのが上白沢慧音ということ?」
「その可能性はなくもない・・・というより、そっちのほうが事実だろう。」
 紫の言葉に刺があったのを見て、幽香は妹紅が慧音の傀儡として動いている事を示唆し、藍も同意する。
「あくまでも可能性だけど・・・あの二人の関係はどういう感じなのかしらね・・・。」
「妹紅を過小評価するなら、そうなるだろうが・・・そもそもハクタクは優れた王の前に現れるのであって、王を傀儡にするような存在ではないしなー。」
 萃香は妹紅を過小評価しておらず、さらにハクタクの習性から紫や藍の意見には賛同出来ない様子である。
「優れた王か・・・ふん!」
 藍が妹紅にその資質がないと決めつける。しかし、妹紅は妖術使いの里では実質トップの座に君臨し、仲の悪い一族同士の仲立ちをして里を取りまとめ、里の全盛期を築いた実績がある。一国の王となれる器かどうかは未知数であるが、少なくとも凡庸ではない。
「私もそう思うけど、でも、何らかの意向は妹紅に伝わっていると思うわ。」
「ヤツは霊獣だからな・・・基本的に妖怪の敵であり人間の味方だ。油断はできない。」
 藍はあくまで妹紅を信用しないというスタンスのようである。


 上白沢慧音は大陸出身の霊獣である。大陸では一人の優れた王が世界を統治するのが望ましいという思想で、ハクタクはその優れた王に様々な助言をし、より良い統治をさせるという完全に人間寄りの存在である。
 大陸の王は常に不老不死を求めるが、これは統治者は最も徳の高い者がすべきで、その治世は長く永遠に続くことが最も望ましいという考えが下地にあるためである。
 不死鳥を初めとする四方鎮守の神獣は、世界を維持する存在であり、その世界に仇をなす危険性のある人間を抑止するの役目を持つのが妖怪や鬼のような上位生命体である。その上位生命体から人間を守るために生まれたのが霊獣といえる。
 不死鳥と火の鳥は前者が神獣であるのに対し後者は霊獣である。火の鳥は輪廻を操り、人類の危機的状況の中でそれを打開する個性を必要とする時代に転生させる役割を持っている。火の鳥は、ハクタクと同様に人間のためだけにその力を発揮する。
 上白沢慧音は、不死鳥と火の鳥は、同じ鳥という混同しやすい形状によって同一の存在として信仰されたことで民意が反映され融合してしまったと考えている。
 それぞれの役割が曖昧になり、世界を維持するための力も輪廻を正常に回す力も一つの存在で賄おうとして中途半端になっており、それが続けばやがて世界を動かす仕組みが破綻してしまうのではないか。つまりゆっくりではあるが、確実に滅びの道を進んでいるのではないか?これが慧音の考えである。
 本来輪廻に無関係ななずの不死鳥が妹紅の体を使ってそれらを肩代わりさせようとしたが、冷静に考えればこれはかなりおかしな現象である。それを身を持って体験した妹紅は、その慧音の考えを全面的に支持している。
 慧音と妹紅はその事を是正しようと考えており、これは紫達の想像のはるか上を行っているものである。
 具体的にどうするかは決まっていないし分からない。しかし、自爆後に内包する不死鳥との再会があると考えており、妹紅はそこに活路を見出し紫の計画に便乗しているのである。


「どちらにせよ、紫は紫で自らの計画を進めるべきだろう。詮索が過ぎればそれこそ運命をこじらせるぞ。」
 萃香が紫にアドバイスする。
「ねぇ、その計画って具体的にはどうするの?」
「幽香には全部説明してなかったわね。もう隠すこともないし話しておくわ。まず、最初に不死鳥を転生させるというのが第一の目的ね。第二として、その火力を使って隙間爆弾を消去すること。」
 紫が要点を説明をする。
「不死鳥の転生?」
 隙間爆弾とは、月面戦争の敗戦後紫が作った報復のための月と地球との境界を破壊する目的で作った、本人すら効果がわからない危険な爆弾で、作成後冷静になって使用を取りやめ、その後、次元の狭間に隔離して封印している爆弾である。この存在は幽香もしっていたが、この件についてより不死鳥と言うキーワードの方に興味があった。
「不死鳥は定期的に生と死を繰り返し、死によって世界を揺り動かし万物を流動させるのよ。それがここ500年程大きな世界の流動が起こらず計らずして人間に予想外の繁栄をもたらしていると考えられるの。」
「永夜事件の後、妹紅の出現によってヤツに不死鳥が内包されていることが分かり、我々はこの計画を考えはじめたのだ。」
「不死鳥が転生しなくなると何か問題があるの?」
「不死鳥が転生しなくなることなど今まで一度もなかった。だから放置していてその後どうなるかははっきりとわからない。でも、世界が流動しなくなる事で人間は急速に発展していると言う事実がある。良い傾向とは思えないな。」
「ここで言う人間の発展とはつまり、新しいものが次々に生まれることを意味し、それは物事が早く忘れ去られる事を同時に意味しているわ。」
「生まれたものがすぐに幻想になってここに流れてくる・・・ということね。」
 その場で全員が頷く。
「新しい物を生み出すということは、より多くの物を消費することでもあるわね。不死鳥が寿命で死ぬ事で世界が崩壊するかどうかはわからないけど、このまま向こうの世界を放置しておくことは危険ね。世界の再生スピードを超えた消費、つまり破壊が進めば、どのみち滅びるわ。」
「幻想郷はその世界が外部と完全に孤立した単一の世界ではない。向こうが滅べばこっちも滅びる。」
 紫、藍が交互に幽香に話して聞かせていたが、萃香は別の角度から切り込む。
「上白沢慧音はその時代の変化・・・いや、変化しないという変化に気付いており、紫の妹紅へのアプローチをそのことと関連づけてるのだと思う。」
 普段おちゃらけている萃香だが、彼女もまた賢者である。萃香の言葉は正に核心をついた。
「歴史は繰り返す・・・はずが、繰り返さない・・・。紫が妹紅の前に現れたのはその警告・・・と?」
 幽香がそう口にして紫を見やる。が、紫は薄い笑いを浮かべるだけで明確に返答しなかった。
「大きな戦争や災害は定期的に起きている。その点だけで見れば繰り返しているのだが・・・そのわりに人口は減らない・・・。」
 紫の返答を期待したが、口を開いたのは藍だった。
「先進的な国は発展の上限域に達して人口は下降線に向かっているけれど、代わりに未発達の国が台頭して人口と消費を増やしている。消費を落ち込ませて世界に回復の機会を与える隙間もなく、エネルギーは消費し続ける。精神的な革命の土台となる天変地異が起こらない事で人は精神的に成長しないままハイペースに消費し続ける事になる。精神的な革命によって生き方を変える事が出来れば、世界と調和するか新しい世界に進出するという選択も出来るけど・・・。」
 紫は向こうの世界を知っており、その状況を大まかに説明した。
「私達が思っている以上に向こうはやばい状況なの?」
「やばくはないわ。でも、それがかえって問題を先送りさせてしまう事になっているの。何せ人間の寿命は短いから、問題を先送り出来る時間的有余があるなら今という時間、生きていられる時間だけを優先し、後世の事などまったく考えない。向こうは今そんな状況ね。」
 一同から溜め息がもれる。
「歴史を知る慧音の目には、我々よりも状況が良く見えているのかもしれんなー。」
 萃香がぽつりと呟く。
「神主は向こうで何をしているの?」
 博麗神社の神主は現在向こうの世界にいる。そうした状況で神主が何をしているのか興味がある幽香。
「失われつつある博麗神社の信仰を集めるために、実に向こうの世界らしいやり方で信仰を集めているわ。幻想郷だけに限って言えば博麗神社の信仰はほぼゼロだけど、向こうにいる神主のお陰で信仰はかなり持ち直しているわね。」
「霊夢が何もしていないのに力が使えるのはそのためさ。」
 紫の言葉の後に藍が隣で寝ている霊夢に聞こえない様に声のトーンを低くして言う。
 それに気付いて幽香は霊夢が寝ている部屋の襖を見る。
「私や妹紅の目的を達成させるだけであるなら、誰にも気付かれずこっそりやればいいのだけれど・・・事を大げさにするのには幾つかの理由があるの。」
「霊夢のこと?」
 少し声のトーンを落とした紫の言葉に幽香が尋ねる。
「ええ。今まで霊夢の解決した異変はたくさんあったけれど、それはほとんど人間達には知られていないし、宣伝もしていない。」
「慧音が教えているようだけど・・・。」
「誰も眉唾と思って信じていないわ。でも、今回の起こす異変は否応なしに幻想郷全体の影響するわ。妹紅の起こす巨大な火の玉を霊夢が封印してみせれば霊夢の強いては博麗の復権は間違いないでしょう。」
「でも、そんな大事天狗が見逃さないでしょ?」
 紫と幽香の問答に藍が口をはさむ。
「実は、この大きな異変というのは天狗側から要請が来ている案件でもあるんだ。」
 意外な事実が判明する。
「天狗から?」
「天狗の社会も長い平和で歪みが出ているのよ。この要請は比良山様から来たものなんだけど・・・」
「比良山って確か吸血鬼戦争で鞍馬と幻想郷連合に協力してくれた?」
「ええ・・・比良山様によると鞍馬は天狗の社会に波風立てて変化を生もうと自ら汚れ役を買おうとしているらしいの。鞍馬は他の大天狗を幻想郷に呼び込んだ責任を感じているのか天狗社会全体に対して心を痛めているらしくてね。」
「比良山様は鞍馬山様と共に吸血鬼戦争の最前線で肩を並べた戦友だ。戦友が犠牲になるのを黙って見過ごすことができないのだろう。」
 八大天狗の内、六大天狗が幻想郷入りしている。その内、鞍馬山僧正坊と比良山次郎坊は吸血鬼が本拠地にした現在の紅魔館周辺地域に領地が近く、吸血鬼の脅威に直接さらされていた。
 この戦争で大きな被害を出した幻想郷連合軍は、当然この二大天狗も同じで、六大天狗の中では特に鞍馬山勢が著しく勢力が落ち込んでいる。その最も勢力のない鞍馬が幻想郷入りの手助けをしたということで六大天狗の筆頭格に挙げられている。
 大天狗同士はつまらない領地争いをする事はないが、その下の者はそうもいかない。一人の大天狗は一国の主であるため、妖怪の山は群雄割拠の状況でもある。
 ちなみに、射命丸家は鞍馬山の配下で、その高速飛行の特技で全国に散らばる大天狗同士の連絡役を努めていたため六大天狗すべてに顔が効く。人間の里周辺に現れる射命丸文が、鴉女天狗(からすめてんぐ)でありながら文屋になれたのは家柄のお陰である。天狗の社会での女性の地位は低く家柄がよくなければ到底つけない職業である。
 しかし、その特例によって文屋業界では爪弾きにされ、活動場所が妖怪の山ではなく、東の人間の里中心となってしまっている。この事実は幻想郷東部には伝わっていないので、東側の者は文についてはそれなりにすごい天狗という認識になっており、天狗といえば文と勘違いしているものも多い。


「鞍馬一人ならともかく、鞍馬に比良山様が荷担すれば、妖怪の山はかなり大規模な内乱状態になるかもしれないわね。」
「地形的に比良山領は妖怪の山の外にある。比良山の前に鞍馬山がある以上の戦力を鞍馬山に集結させれば守りやすい。仮に4対2になっても籠城戦なら互角に渡り合えるだろう。」
「比良山様はそうならないように、別の場所に波風をたてられないかと言ってきたのよ。」
 紫と藍は天狗側の事情を説明をする。
「納得できないわね・・・それじゃー妹紅が一人悪者になるじゃない?」
 妹紅が幻想郷に被害を出す恐れのある自爆をし、霊夢がそれを押さえ、天狗までグルになっているということは、妹紅一人が悪者になってしまう。これには納得がいかない幽香である。
「だから、そうならないようにこれからシナリオを作ろうとしていたのよ。」
「今日はまず、妹紅にその約束を取り付ける目的で会おうとしていただけだったんだがな・・・。」
 紫と藍が同時にはぁと溜め息をつく。そう、今日はあくまでも妹紅と紫との間で話し合いを行うだけであった。
「妹紅はきっと自分一人悪者になって収まるなら、その役目喜んで引き受けるだろうな。」
 萃香は妹紅の人となりを見てそう予言する。
 妹紅の交友関係は非常に狭く、実質慧音だけといえる。悪者に仕立てる上では都合が良いとも言える。
「妹紅を悪者にしないというなら、誰を悪者にするの?それとも、誰も悪者にしない?」
「そこが悩ましいところなのよね・・・誰かを悪者にするなら吸血鬼で決まりなのだけど・・・。」
「あんた、まだ根に持ってるの?」
「幽香達以外の幻想郷のほとんどは吸血鬼に対して良いイメージなんてもってないわ。」
 幻想郷が隔離され移住が始まった当初に起こった約500年前の吸血鬼戦争は幻想郷全体を巻き込む大規模な戦争となり、一時、幻想郷連合軍は吸血鬼勢に敗北寸前まで追い込まれた時期があった。
 その戦況を挽回するきっかけを作ったのが、吸血鬼勢の中の権力闘争に敗れ粛正から逃れた一部の吸血鬼の血族を味方にした幽香であり、今でも幽香の配下には吸血鬼がいる。
 この戦争にかろうじて勝利した幻想郷側は吸血鬼に対して厳罰を持って挑み、特に戦争の首謀者である王家は完全にこの世から消そうといていた。
 吸血鬼戦争における幻想郷東部連合の大将であった魅魔の計らいで分家筋の王女姉妹の助命が、ほとぼりが冷めるまで500年の冬眠、強力な力を得られないようにするための永遠の子供の呪い、更に幻想郷追放という重い罰と引き替えに叶う。
 そしてさらに敗走し闇に紛れ込んだ吸血鬼達は指名手配されるなど幻想郷では吸血鬼の廃絶がすすめられていた。


「レミリア・スカーレットには運命を操る能力があるわ。あれはとても危険な能力よ。排除できるなら異変のどさくさに紛れてやってしまったほうがいいわ。」
 レミリア・スカーレットを異変の首謀者にすることは簡単である。運命を操作したと濡れ衣を着せれば、元々吸血鬼に対してネガティブな幻想郷の住民は、今度こそ王家の廃絶に全力で乗り出すだろう。
 しかし、その余波は幽香に従う吸血鬼の血族にも及ぶおそれがある。紫としてはくるみ達、親幻想郷派を巻き込みたくはない。
「魅魔がいればそんなこと許さないでしょうね。」
 幽香は吐き捨てるように紫の考えを否定する。
「・・・確かに、魅魔がいればもっと良い方法を考えてくれたでしょうね・・・でも、魅魔はいないのよ?」
「ったく!そもそも隙間爆弾なんての作らなければよかったのよ!」
「はぁ?負け犬にでもなれっていうの?」
「不死鳥を自爆させるか、爆弾を消去させるか、どっちか一つにしなさいよ!」
「そんなのめんどくさいでしょーが!一石二鳥よ!」
「二兎追うものは一兎も得ずってね!」
 紫と幽香の間に険悪な空気が漂うが、このメンバーで酒を飲めばいつもこの二人は喧嘩をする。いつものことである。
 藍も萃香も二人を止めようともせず、むしろ関わりあって怪我をしたくないのか他人事を決め込む。
「誰も傷つかない方法はないものかのー。」
 そんな二人を尻目に萃香はごろりとその場に仰向けになると、そう呟いた。


 一つは、不死鳥の転生。一つは、隙間爆弾の消去。一つは、天狗の要請。幾つかの要因が重なり合っている。
 レミリア・スカーレットの暗殺とも言える紫の発言だが、これは本気ではないだろう。しかし、そのレミリア・スカーレットの運命を操る力があれば、封印した隙間爆弾を機動させてしまう可能性もゼロではない。その可能性をゼロにするには、爆弾そのものをこの世から消し去るか、レミリア・スカーレットを抹殺するしかない。
 吸血鬼が成人になれば肉体的な強さは幻想郷でもトップレベルになる。それを恐れて成人にさせない呪いをかけた。しかし、レミリア・スカーレットの力は年齢にまったく依存しないのだ。むしろ子供であることが、冷静な判断をさせず感情に任せて運命をこじらせるかもしれない。
 運命がそう簡単にいじりまわせるものではないにせよ、危険な要素は利用されないように極力この世から消した方がよい。不死鳥の自爆による巨大な力はそれを行うのに最も都合がよいのである。


「で?その隙間爆弾はどこにあるのよ?」
「え?・・・それは・・・。」
「もう!カンベンしてよ・・・。」
 自分でも手の届かない場所に封印してしまい、しかも千年も前のことですっかり忘れている事に今ようやく気づいた紫。
「こ、これは・・・運命を使うしかないわね・・・。」


 妹紅との紫の間にそれぞれの思惑があるにせよ、同じ目的を共有する共犯関係が成立した。
 後は、その異変をどう演出するかである。
 その後、運命がこじれ、状況が二点三点するが、現時点では知りようがなかった。

東方不死死 第15章 「蓬莱の薬」


 白地に墨絵で描かれた世界が目の前の藍ごと砕け散ると、その破片が光りの粒となって妹紅になだれ込んでくる。
 雷に打たれたように立ったまま全身が痙攣し、頭の中に膨大な知識が濁流となってなだれ込む。
 その膨大な知識は妹紅という体を通過しているに過ぎず、イメージだけが脳裏を過ぎるだけであった。
 しかし、その通過していく知識は妹紅に大きな影響を与え、妹紅の脳は焼き切れるような激しい思考の波に侵される。
 考える必要がないのに、自分の意志とは関係なく誰かに強制的に脳を動かされている。そんな状態であった。
 どれくらいそうした時間が過ぎたか分からないが、痙攣が止み何かが自分の身体に吸収されたと漠然と理解できた。
「これで終わりなのか・・・まさかね・・・。」
 こんなものでは済まないと思っていた妹紅だったが、確かに藍が自分の中に入ったという実感がある。
 数千年苦しむ可能性があるなどというのはウソだったのだろうか・・・。それとも、一瞬に思えたこの時間で既にそれだけの年月が過ぎてしまっているのだろうか。
 妹紅は両手を交互に見つめながら自分の身に何か変化が起こったかを確かめる。どこも変化は見られない。
 しかし、見つめた手から視線を戻した時だった。突然不快な嘔吐感に襲われる。
「来た!拒絶反応だ・・・。」
 妹紅は今からが始まりであり、これからが地獄だと思った矢先、込み上げる嘔吐感に絶えきれず四つんばいになって胃の中の物をはき出す。今日は何も食べていなかったので、透明で酸味のある液体しか出てこない。
 全身に鳥肌が立ち悪寒がしたかと思うと一瞬で全身が沸騰するかのように熱くなり妹紅の体が風船の様に膨張する。
 あっと言う間の出来事だった。妹紅の肉体は破裂し粉々に砕け散ってしまった。
 体内に入った異物を浄化処理しようとして失敗した蓬莱の薬が、藍という異物を肉体の外へ強制的に追い出す為の反応だと思われたが、なんとも乱暴なやり方だ。
 妹紅は吐き気などの苦痛が長時間続く薬物の禁断症状のようなものを予想していたが、そんな簡単な事では済まないのだと自分の認識の甘さを悔やみ、藍の脅しにも似た危険の提唱は事実だったと理解した。
 すぐに再生が始まり文字通り霧散した肉体が再構築される。
 破裂した肉体は塵と消え、その破裂の中心に妹紅という形となって再構築されたが、妹紅の中に入り込んだ光りの粒子は霧散した妹紅の肉体と共に外側に取り残され、放射状にそのまま空中に漂っている。
 身体が戻った妹紅は落ちるように自然に四つんばいに倒れ込むと大きく息を吐き出す。
 そして間髪入れず光りの粒子がまた妹紅になだれ込み、先程の様に雷に打たれたように痙攣を始める。
 妹紅は頭の中でちょっと待ってくれと誰かに頼みたい衝動にかられるが、なだれ込む藍の知識にそれも叶わずひたすら脳が勝手に沸騰する。
 これを成功するまで機械的に繰り返すのか?拒絶反応が凄まじく、成功する可能性などゼロではないのだろうかと、改めて分が悪い賭けだと思い知らされる。
「くそ!不死身だからといって・・・ぐあああああ!」
 連続して行われる一連の拒絶反応。妹紅に何かを自由に出来る時間は全く存在していなかった。
 肉体的には自爆だけに見えるが、藍を構成する膨大な情報がそのつど出たり入ったりを繰り返す。再構築されると体はベストなコンディションになってしまうため肉体的な疲労はないが、精神的な苦痛そのまま蓄積され脳の疲労は想像を絶するものだった。
 気を失いそうになりながらも藍の為と踏ん張りながら絶え続ける妹紅。
 そうやって何百、いや何千、何万という繰り返しの中で肉体の機能に若干の変化が生じている事に気づく。
 耳が聞こえない。他の場所にもなんらかの影響は出ていると思われるがこの状況で自覚出来たのは聴覚障害だけだった。
 いつそうなったかは覚えていない。しかし、気付いたらそうなっていた。
 肉体的な損傷が戻らないのは、つまり、肉体と魂の結束が弱くなっているということではないか?だとしたらこのまま続けていけばいずれ無限と思われていた蓬莱の薬の力が尽きるのではないか?行き着く先は死か?背筋が凍る妹紅。
 気を失っては痛みで無理矢理目を覚まさせられるという繰り返しが続き、心身ともにボロ雑巾のようになる妹紅。
 さらにこれを数万回と繰り返すうちに、何も聞こえなくなったはずの妹紅の耳に何故か声が聞こえてくる。声というより悲鳴だ・・・。
 藍の声だろうか?いや、これは藍の声ではない。一人ではなく複数にも聞こえてくる。
「(なんだ?助けてくれ・・・だと?私の声か?いや、ちがう・・・誰の声だ?)」
 助けを求める声は脳に直接響いてくるようだった。
「(お前は誰だ?)」
「(痛い!助けてくれ!)」
「(何でこんな目にあわなければいけないんだ!)」
「(怖い!助けて!)」
 様々な声が全身のあちこちから聞こえて来るようだった。
「(誰なんだ?)」
「(私はお前だ!)」
「(お前だ!)」
「(お前だよ!)」
 妹紅は唐突に理解した。
 この声は蓬莱の薬の声だ。
 蓬莱の薬は体内に存在し続けている生き物だが薬だから意志はない。しかし、藍の介入がその性質を変化させているのかもしれない。何万回と繰り返すこの破壊と再生によって蓬莱の薬もダメージを負って力が弱くなっているのだろう。
 原理は理解できない。この声は恐らく幻聴に違いない。しかし、それが空耳であっても一旦妹紅に薬の声だという認識が生まれると、その考えを否定する事ができなくなってくる。
 妹紅は涙が出た。
「そうか、そうだったのか・・・私の命が一回失われる毎に、お前等は辛い思いをしていたのか・・・。」
 死なない体を手に入れた妹紅は、死のうとして何度も体を殺し続けてきた。不死身の身体を利用して自爆も何度もやってきた。その度に蓬莱の薬は体の中で泣き叫んでいたのだ。
 自分自身を殺す。それは殺人だ。例え自分の身体であっても軽はずみでやるべきではないのだ。
 巨大な業を背負い化け物となり藍からもらったリボンがなければ人間として維持出来ない身になった。それは不死鳥に操られ何十万という人間を殺してきたせいであり、けれど、それは自分の意志ではない。だから自分は悪くないと思ってきた。
 何て事はない、自殺という罪を自ら犯し続けてきた文字通り自業自得だったのだ・・・。
 蓬莱の薬を奪い飲んだ罪を未だに引きずっていながら、何故自分自身の命を奪う罪を責めなかったのか。
 生き返るのは蓬莱の薬のせいだから、それは自分の罪ではない。本当は死にたいのに死なせてくれない。生き返らす薬が悪いという責任転嫁。そうやって罪から逃れ何も反省していなかった。
 妹紅は今まで殺し続けてきた自分の体に謝罪した。許されるかどうかの問題ではなく、ただひたすら謝りたかった。
 妹紅は肉体が破壊されるごとに自分自身を「すまない、許せ!」と念仏のように唱えた。
 どれだけの時間そうしていただろう。明らかに再生から破壊までの時間が長くなっていた。この様なデタラメな破壊と再生を繰り返せば、生きているものであればどこかに不具合が生じる。蓬莱の薬という人知の及ばない存在にも限界があるということだろう。
 考えてみれば当たり前なのかもしれない。不変などありえない。
 絶対などというものはない。どこかに抜け道がある。無ければ風穴を開けてしまえばいい。
 蓬莱の薬の対となる黄泉の薬の効果、魂と肉体の隔絶する力もクローンを使いオリジナルという概念を消して終えば元に戻す事も出来る。
 蓬莱の薬は魂と肉体を強制的に繋ぐ力がある。これは薬が記憶した肉体の情報を元に肉体の変化を察知してすぐに修復するという力だ。生命が維持出来なくなる、つまり修復が出来ない状況になったときは、最初から作り直す。これが不死身の身体の正体である。
 藍が蓬莱の薬に直接アクセスする場合、薬との間で藍に対して直に拒絶反応が起こってしまう。仮にその反応で藍が排除されればそれで終わりである。しかし、妹紅という不死身の肉体を踏み台にすれば破壊されるのは妹紅の肉体だけに留める事が出来る。
 蓬莱の薬に意志があれば、あるいは説得出来たかもしれない。しかし薬はただ決められた法則に従い頑なに再生作業を行う。
 蓬莱の薬とはつまり麻薬だ。それらは有害物質として肉体は拒絶するが、この状態が長く続くとそれが通常と肉体が誤認してしまう。つまり中毒ということだ。妹紅は文字通り蓬莱の薬の中毒状態なのだ。
 この中毒状態を直すためには、それ以上薬を体に置かないことである。しかし、中毒状態が常態と体が認識していれば、肉体はその薬が排除される事を拒絶する。そして蓬莱の薬の反応は通常の麻薬と違い猛烈に変化を嫌い、それらの動きを察知した途端に排除してしまい、排除出来ない場合は肉体を破壊してリセットしてしまう。
 これ程までに強力な中毒症状を改善もしくは変質させるには、体に付け入る隙を作る必要がある。その為の連続肉体爆破である。
 この一連の肉体破壊活動は肉体と薬の分離するわずかな時間を継続して引き起こす事を意味し、その状態を常態と肉体に刷り込ませていくという事だろう。


 肉体が破壊されるまでだいぶ時間がかかるようになってきた。蓬莱の薬に対し何かをするためには少しでもこの状態を長びかせる必要がある。
 妹紅は肉体が爆発する力が弱まったのを見て、内側から膨張する破壊の力に対して、全身に力を込めてその爆発を抑えようと試みる。
 それは、まさに地獄の苦しみだった。
 内側から内臓や骨格が破壊される激痛に絶えながらそれを押さえ込む。抑えれば抑える程、時間を引き延ばせば延ばすほど激痛が全身を襲う。
 外へ向かう圧力は押さえ込まれ、肉体の柔らかい方向へと力はその出口を求める。口、鼻、耳、更には下の方までそれは及ぶ。
 妹紅は必死に堪えながら、さらにそれを数百、数千と繰り返す。再生速度が極端に弱まり妹紅は生傷が癒えぬまま全身血みどろになって激痛を耐えた。失神することすら許されない。地獄ですらこのような拷問はしないだろうという痛みに耐え続けた。


 もう少しで抑えられる。


 もう、このような残酷な死を繰り返す事に絶えられない。体の内側で泣き叫ぶ蓬莱の薬をもう休ませてやりたいという思いが芽生える。
 自分はどうなっても構わない。この酷い連鎖を少しでも早く終わらせてやりたい。
 妹紅は、激痛に耐えながら雄叫びを上げ、今まで土下座するように地に額を擦り合わせていた体を持ち上げると、膝立ちしてそのまま腰を上げた。
 落ちてくる大岩を受け止め空に放り返すように重力に逆らって上へ上へと体を持ち上げる。
 膨張する体をねじ伏せ、体を直立させたと同時に妹紅の体は砕けた。
 しかし、先程までの肉体が完全に霧散するような爆発ではなく、肢体が千切れ肉片が周囲に散乱するだけに留まっていた。
 爆発を抑える動きは半分は成功した。
 妹紅は体がバラバラになった痛みに絶えながら、再生が始まらない自分の身体に恐怖した。
 肉体が命を支えられない程の損傷を受けるとそこでリザレクション、つまり再構築し、肉体が単なる損傷だけなら再生が行われるが、今はそのどちらも起こらない。
 今現在の妹紅の傷は内臓の一部も破損し、周囲が血の海の状態。通常なら意識を失う重体で、しかもあと数分の命といったところである。
 妹紅の脳裏に死が過ぎる。
「私は・・・死ぬのか・・・。」
 妹紅は声に出してそう言ったと思っているが、ほとんど声になっていなかった。
 何故こんなことをしたのか自分でもわからなかった。ただ終わらせたい一心で爆発を堪えたのだ。やりかたを間違えたのだろうか?妹紅は弱気になってしまう。
 うつぶせになった状態で血溜まりに顔を横に向けている妹紅は、その先に自分の左右どちらかの腕があるのが見えた。
 不思議だ。今まで肉体がバラバラになってもそれを気に留めたこともなかった。しかし、かすんでいく視界の中に自分の肉体の一部を見た時、それがとても掛け替えのないもののように思えた。
 妹紅は動かない体を必死で動かそうとした。元の位置に戻せばくっついて治るはずだと本気で考えた。
 今まで何度も死にたいと思っていた妹紅だったが、今は生きたいという絶叫に近い衝動に駆られていた。
「(・・・ここで終わり・・・なのか?)」
 妹紅はもう動かない体に絶望感が込み上げる。
 藍にも蓬莱の薬にも申し訳ないという気持ちで一杯になる。体を貸すと藍に豪語しておきながらこの体たらくである。妹紅は何度も何度も心の中で謝った。


 もう終わりだと妹紅は諦めかけたその時だった。聞き覚えのある声が自分を呼んだ気がして、ハッとなって視線を変えた。
 かすんでよく見えない視線の先、自分の腕より更に向こうに誰かが立っているのが見えた様な気がした。
「ら・・・ん・・・か?」
 妹紅は最後の力を振り絞り、その影のシルエットの持ち主の名前を口にした。


 その時、妹紅の中で何かが閃いた。


 妹紅の褪せた目に再び光りが宿る。
「藍、この体を繋げ!」
 かすれた声でそう叫ぶ妹紅。
 妹紅は藍の繋ぐ能力を思い出した。バラバラになった肉体を瞬時に戻したあの力を。
 妹紅の声に反応するかのように散らばった肉体の各部位が逆再生のように胴体に戻り、同じく飛散した血液も自分の中に戻り再び循環を始める。
「出来た!」
 一瞬で傷が癒えた妹紅は立ち上がって思わずそう叫んだ。
 蓬莱の薬が弱まった事で藍の力が前に出ていると思い、ならばその力を行使出来ないかと、あのかすかに見えた藍の幻を見て咄嗟に思いついたアイデアだった。
「藍?藍?どこだ?」
 妹紅は周囲を見渡して藍の姿を探したが暗闇と静寂だけがそこにあった。
 妹紅は少し肩を落とし落胆の仕草をとったが、すぐに気を取り直し顔を上げ藍に感謝の意を表す。
 藍がリボンに命を繋ぎ止めたアイデアは、死ぬ間際の妹紅の呼びかけを聞いたからだと藍は言った。
 妹紅はその藍の声で自らの命を取り留めるアイデアを思いついた。
「・・・ありがとう・・・藍。」
 確かに受け取った。忘れていた命の有り難さを・・・。


 妹紅はその後すぐに仰向けに寝ころび何も見えない天を見上げる。
 蓬莱の薬の力が極端に弱くなっている。早く回復させなければならない。
「今度は私が助けてやる番だな・・・。」
 藍の力を手にいれたとするなら、肉体を自在に再構築できるということである。それはつまり、新たな不死身の力を手に入れたと言うことであり、蓬莱の薬から開放されたといえる。
 しかし、今の妹紅にとって蓬莱の薬は、長年付き添った仲間であり友であり家族であるという認識が生まれていた。
 具体的にどうすれば助けられるかは分からなかったが、体の中にいる存在であるなら、宿主となる本体からエネルギーを吸い出すなどして回復を図ると思われる。
 今の自分に出来る最大の事は、体を休め体力を回復させることだと妹紅は判断した。
 妹紅は目を瞑った。このまま睡眠を取るのもいいだろうが、今は興奮していてすぐに眠れそうにはなかった。
 何もしていないと余計な事を考えてしまう。
 ふと背中に違和感を感じる妹紅。髪の毛を背中にしてその上に寝ている状態だが、いつもより髪の毛が邪魔に感じる。
 身体の大きさに比べ髪の毛のボリュームが多い妹紅であるが、以前に増して髪の毛の量が増えている事に気づく。
 頭部を中心に放射状に髪の毛が拡がっているが、右手のそばにある髪の毛の束をとり自分の顔の近くに持ってくる。
「ずいぶん伸びたわね・・・。」
 前髪以外特に切りそろえているわけではない。地面につく辺りは自然にこすれてそれ以上長くはならないのでそのままにしている。
 この場所に来てからどのくらい時間が経ったのか見当もつかないが、髪の毛の長さが時間の経過を物語っている。
 とりあえず、肉体の苦痛は抜けた。蓬莱の薬が復活すればまた同じ事の繰り返しになるかもしれないが、恐らくそうはならないだろうという漠然とした確信がある。
 藍の力が使えたが、たまたまかもしれないし、この世界限定のことかもしれない。
「・・・かもしれない・・・か。」
 いくら確信があっても、結局それは可能性でしかない。確かなものが何もない。
 それにしても、何もかも解らない世界であるにもかかわらず何故こんなにも落ち着いていられるのだろうか・・・。
「藍・・・。」
 どうしてこんなにも藍を想うのか・・・。理屈ではない何かがそう思わせているのだろう。そしてその藍の存在が身近にあることで、妹紅の精神の安定が図られていると考える。
 本当に何も支えがない孤独の状態で、人は耐え続ける事が出来るのだろうか。さっきも最後は自分ではなく誰かの為と、それが力になったのである。


 創主は理屈に合わない事はどう解決していったのだろうか?妹紅はふと孤独という言葉から創主という存在を連想してしまう。月を創ったという創主は、孤独だからそうしたのだろうと妹紅は漠然と考える。孤独ではなく幸福なら、そんな世界を創ろうとは想わないのではないか。
 何も考えずとも全て計算通りにいく存在だったのかもしれない。だから意外性というものに興味を持ったのだろう。
 頭の中がすっきりと冴え渡り様々な思考が連鎖して膨れあがっていく。しかし、その膨大な思考の波に脳も疲れ果て、やがて妹紅は睡魔に抗えず闇に落ちた。


 どれくらい時間が経ったかは解らない。
 妹紅が目を覚ましたのは、とてつもない乾きによる不快感からである。
「ここは?」
 目を開けるとそこは相変わらず何もない空間であったが、夜が明けたように周囲は明るく感じた。
 暑いわけではないが異様に喉が渇く。
 腕を上げようとしたが、身体が鉛のように重く、力を込めてようやく肘を曲げることに成功した。
「!」
 視線の先に自分の右手を見た時妹紅はその目を疑う。
「なんだこれは・・・?」
 喉がカラカラに乾いているため、声を出しているつもりだがまったく出ていない。
 妹紅の視界にある右腕はミイラのように干からびていた。
「まいったわね・・・。」
 腕を下ろし文字通り天を仰ぎ見た妹紅は、この猛烈な乾きの意味を考えた。
 肉体が変化して弱っているにもかかわらず再生活動は行われていないということは、蓬莱の薬はまだその力を取り戻しているわけではないということは判断出来る。しかし、ミイラの様に干からびている状態にもかかわらず命を繋いでいるということは微弱ながら薬の効能が出ているという証だろう。藍の力を使おうにも体は一応全部繋がっているようだ。
「まー焦らずゆっくりでいいさ・・・。」
 そうは言うものの、この異常な乾きの感覚は、肉体を痛めつけられるのとは別の次元の辛さがある。
 妹紅はそうした乾きと戦いながら無限ともいえる終わり無き時間を過ごした。


 ある時急に身体が楽になって思わず腕を上げた。そしてギョッとする。
 上げた左腕が完全に白骨化しており、しかも上げた瞬間に手首から先が砂の様に崩れ落ちたのだ。
「うわぁ!」
 妹紅は思わず声を上げたが、頭も白骨化しており当然声は出ない。そればかりか口が開いた事で顎が崩れ落ち砕け散る。
「どうしよう・・・。」
 非常に危険な状態にもかかわらず、やはり妹紅は落ち着いていた。
 肉体が究極に脆くなっていたが、自分の意志で動かすことが出来た。風化したような肉体と連動しているということは生きているのだろう。
 数千年砂漠で放置された様な妹紅の姿。
「まさかミイラになるとはなー・・・。」
 目が見えることは眼球は大丈夫なんだろうか?まるで他人事の様に冷静に分析する妹紅だが、霊体のようになってこのミイラに癒着しているだけなのだろうと断定する。
「寝るか・・・。」
 怖いものなしの妹紅は諦めて寝ることにした。


 さらにどれくらいの時間が経ったのだろうか。妹紅はまた不快感で目を覚ました。
 咄嗟に腕を上げようとしたが、今度は全く身体が動かなかった。
「・・・寒い。」
 妹紅を起こした不快感は猛烈な寒さであった。
 吹雪に置き去りにされて凍えているような状態である。そして、妹紅はこの感覚に見覚えがあった。
 肉体と精神を分離させる幽体離脱の術があるが、人間であれば特殊な薬で仮死状態にして幽体離脱するわけだが、妹紅の場合、状態を変化させる薬が効かないので、岩老刀を心臓に突き刺し強制的に肉体と魂を分離させ精神を自由にして相手の内側に潜り込むという方法を幽体離脱の代用としていた。
 しかし、この妹紅のアレンジは肉体と魂を強制的に分離してしまうため、その間肉体は仮死状態ではなく完全に死亡している状態になる。そして、その作業をしている間にどんどん死後硬直してしまうのである。
 5分程の実験で肉体に戻った妹紅は身体が冷たく固くなっていることに気付き、熱を加えて戻そうとしたものの中々元に戻らなかったという経験がある。
 原因は引き離した魂が既に死後硬直にしている状態の身体に戻った事で、これを常態と誤認してしまい、この状態を維持しようという作用が働いた為である。
 陽光などの自然熱は蓬莱の薬からも悪とみなされなかったため、そのまま数年かけて人間の平熱に戻す事は成功し事なきを得たが、完全に肉体が死んで冷たくなっていたら生きながら身動きが出来ない事実上死んでいる状態のままだったかもしれない。戻すにしても数百、数千年の時間が必要かもしれない。そうなると、どこかに安置して穴にでも埋め、数千年後に発掘されるという事態になるかもしれない。それはそれで面白そうだと思う妹紅。
 妹紅は今置かれている状態がその時の状態を更に悪化させた状態、つまり数千年後に発掘されるレベルに思えたのである。
「困ったな・・・。」
 眼球も上手く動かせないが、限りある視界の情報から干からびた肉体は無事に元に戻っているようである。
「でも・・・。」
 昔の失敗の時とは違う感覚があった。身体の表面がほんのり温かく、熱が外側から内側に少しずつ浸透していく感覚があった。
 妹紅はなぜそのようになったかを考えていた。風化した肉体からこのような形に戻った経緯がまったくわからないが、蓬莱の薬がある時期から復活し身体を元に戻したということだろうか?
 この感覚に見覚えがあるが、これは肉体と魂が分離した事で起こった現象である。ということは、知らない間に妹紅の肉体と魂は離れていたということだ。
「うーん。」
 頭の中は相変わらず冴えている。これは明らかに肉体だけに起こっている問題だ。
「つまり、蓬莱の薬とは別の力で肉体が作り替えられたということか・・・。」
 あの風化現象は古い肉体情報を破棄処分していたということなのだろうか。
 蓬莱の薬は肉体と魂を強力に繋げる作用がある。そう簡単に別の肉体に引き継げるようなものではないだろう。出来るとすれば・・・。
「藍の介入か・・・。」
 藍が蓬莱の薬と同化し、蓬莱の薬の本質が変化したことで、融通が利くようになったのかもしれない。というよりそれしか考えられない。
「元の私の肉体は蓬莱の薬用に最適化されていた。その古い肉体は破棄され、藍と結合した新しい蓬莱の薬に合うように肉体を最調整し直していた。という事かな・・・。」
 新しい蓬莱の薬に最適化された肉体が完成したものの魂や精神などの中身が一時的に離れていたので、体温がほとんどない状態になってしまった。そこに中身が戻ったので今の凍えた状態が平熱として扱われているということだろう。
 急激に変化させようとすると蓬莱の薬は瞬間的に反応するが、自然に身を任せることで変化を認識させないようには出来る。熱を取り戻すという作業は薬にとっても決して害悪ではない。ただ急な加熱は火傷という怪我を生じさせ、体にとって害悪と見なされる。
 おとなしく熱が戻るまでこのまま待つしかない。


 散々痛めつけ弱った蓬莱の薬を助けるという形で藍は薬に浸透した。そして蓬莱の薬は生まれ変わった。
 兎にも角にもうまくいったと言うことだろう。
「・・・。」
 しかし、こうなると自然に平熱に戻るまで待たなければならない。完全に冷え切っている為、戻るまで数年どころのはなしではないだろう。100年?いやもっとかかるだろうか。
「はぁ~。」
 妹紅は動かない体の中で溜め息をつく。しかし、もう少しで終わるという見通しが立つ。体温が人間の平熱に戻りさえすれば自由に動くことが出来る。
「藍もこれで生き続ける事が出来る。蓬莱の薬も・・・。」
 こんなに嬉しい事はない。
 身体の表面がほんのりと温かく、日向ぼっこをしている感じだ。
 妹紅は心地よい気分になりいつのまにか眠ってしまった。


 また、どれくらいの時間が経ったのかわからないが、妹紅は再び目を覚ます。
 唐突に目が覚めそのまま勢いで上半身を起こす。
 今回はこれまでの様に肉体的な変調はなく、そのまますんなり飛び起きる事が出来た。
 上半身だけ起こした妹紅はそのまま自分の両手を見る。特に変わった感じはしない。
 肉体的な変化はいまのところないようだが、明らかに変わっている部分がある。髪の毛だ。
「これは・・・。」
 妹紅は髪の毛は前髪以外は時に切りそろえておらず、あとはそのまま伸び放題にしている。視界を遮りそうな横髪は小さなリボンで束ねて後ろに流し、後ろ髪は藍に貰ったリボンで纏めてから自然に髪の毛のなりたいようにさせておく。
 地面にまで届く髪の毛は普通に生活しているうちに擦れてすり減りそれ以上は伸びない。
 不死身で肉体的な変化が起こらない妹紅だが、髪の毛は勝手に伸びる。どうせなら髪の毛もそのまま維持できればいいが、そううまくはいかないらしい。
 髪の毛は死後も伸び続けるというように、肉体とは独立した成長の仕組みがあるようだ。
 妹紅は自分の異様に伸びた髪の毛をなでながら、立ち上がり髪の毛の全体像を見る。
 自分を中心に座敷一杯に髪の毛が拡がり、先端部がどこかまったくわからなかった。そして、全体を見てここが博麗神社の母屋だということがわかった。
 母屋とはいっても藍が作った世界の母屋で縁側に3人の妖怪が絵のように存在したまま最初と変わらない。霊夢と紫、そして自分の存在も確認できたが、相変わらず霊夢の顔がへのへのもへじだった。
「還ってきたんだな・・・。」
 どのくらいの時間をこちら側で過ごしてきたのだろうか?これがお伽話なら向こうの世界に戻るとそれだけの時間のツケが還ってきて年老いて死ぬというのが定番というところだろう。
 座敷中に拡がる自分の髪の毛も気になるが、向こうの世界に戻るにはどうすればいいのか妹紅にはわからないことが最も大きな気掛かりである。世界を作った本人に聞きたいがところだが、心の中でどう念じてもその答えは返ってこない。
 もしかしたら置き手紙でもあるのかと思い畳を上を探そうとして自分の髪の毛の草原をかき分ける。
 大量の髪の毛が邪魔で、埒があかないと、妹紅は首の後ろで髪の毛を両手で束ねそこから焼き切る。
 髪の毛を焼く独特で不快な臭いがする。
「・・・切ったはいいけど、どこに捨てようかしら・・・。」
 部屋一面の髪の毛の処分に困った妹紅は、髪の毛は妖術の触媒として使えるので一部を三つ編みのように編み込んで1本の太い紐にしてそれを腹に巻く。そして、髪の毛の一部を束ねていた小さいリボンを髪の毛の草原から探して拾い集め、残りの髪を縁側に捨てる。
 藍から貰った大きなリボンがいくら探しても見つからず困惑したが、絵になっている自分を見た時、その姿にリボンが見て取れたので、向こうの世界にもどれば返ってくると思い捜索をやめる。
「でも、変ね・・・。」
 綺麗になった部屋を縁側から見渡しながら、リボンがないのに変化が起きない自分を不思議に思う妹紅。


 気を取り直し、妹紅は部屋に何か藍の痕跡がないか見渡したがそれらしいものは見つからなかった。
 縁側の妖怪達のそばに寄った妹紅はしばらくその下手な絵になってしまった彼らの姿をぼーっと眺める。
「どうしよう・・・。」
 ここでまた長い時間を過ごさなければならないのかと思うとさすがに青ざめる。
 縁側に足を投げ出してそのまま仰向けに寝ころび天を仰ぐ。天井の造形も適当ではあるが線で描かれているのに気付く。
 空気の流れも匂いも肌触りもない。ここには自分一人しか居らず、自分を客観的に判断出来る基準が存在しない。
 苦痛と乾き、そして凍え。先程までいた向こうの世界では、自分を相対的に見れる他者の存在があった。蓬莱の薬や藍だ。しかし、完全に妹紅の身体となったそれらは、もはや自分を相対的に比べる他者にはなっていなかった。
 誰もいない一人の世界は寂しい。孤独が好きだと妹紅は思っていたが、その孤独は常に自分の存在を決定付ける他者があったからであり、大勢がいいか一人がいいかという選択肢を選んでいるに過ぎなかった。
 選択肢のない孤独は孤独とは言わない。この状態が特殊なのではなく基準なのだから、孤独という概念もないのだ。
 しかし、記憶というものの中にその価値基準は存在する。それと相対させて今の状況を孤独と判断できる。
 妹紅はとりとめもなくそんな事を考えていたが、月を創造する時に好きな仕組みを選べるとしたらどんな世界がいいかと藍と話をしたことを思い出した。
 今いるこの場所は自分が作った世界ではないが、自分が望むならどんな世界がいいだろうか?
「お腹が減る世界の方が・・・いいわよね。」
 その時、ぐぐぅーっと妹紅の腹の虫が鳴る。不死身ではあるが腹は減る妹紅にとって空腹感は当たり前に存在する生存の為の生理現象だが、空腹を満たさなくても死ぬことはないので我慢出来るし空腹には慣れている。
 でも、自分が一人の人間であるなら、体の為にもちゃんと食べてやらないとダメだとも思い始めている自分がいる。
 それにしても、そう願った時に、いいタイミングでお腹が鳴ったので思わず吹き出した。
「そういえば・・・。」
 妹紅の肉体がバラバラになったまま、戻らなくなった時、藍の事を思い出して身体を繋げと命じたらそうなったことを思い出した。
「あれって、どんな仕組みでそうなったのかしら?」
 念じれば藍の力が行使できるというなら、戻れと念じれば戻れるかもしれない。
 妹紅は寝ころんで天井を仰ぎ見ていた上半身を起こすとあぐらを組んで手を合わせ、目をぎゅっと瞑って叫んだ。
「戻れ!」
 妹紅は固く目を閉じ、身体も硬直した状態で暫く感覚だけで周囲を伺った。
「・・・はっ!」
 息を止めていた口をバッと開いて息を吐き出すと同時に目もカッと開く。
「・・・ダメか。」
 周囲の様子は何も変わらずそのままだった。
 妹紅はまた寝ころんでさっきと同じ姿勢になる。
「藍の力とは関係なかったか・・・。」
 藍の力の源となる魂は紫に戻された。正確に言うと戻る直前にこの世界が藍の力によって作られた。つまりこの世界を作り出している藍の力はまだ紫には届いていない。
 しかし、藍の力はまだこちら側にあるが、その力は使えない。存在するが妹紅からは行使出来ないのだ。
「でも、それなら何故、あの時身体が戻ったのかしら・・・。」
 妹紅は考え込んだ。
 あれは命令に応じて藍が行ったわけではないのか?では自分の意志?
「!」
 妹紅はあることに気付いてまた上半身を持ち上げた。
「あれは私がやったんだ・・・。」
 身体が再生しなくなった時、蓬莱の薬は蓬莱の薬では無くなった。あの時は既に藍がプラスされた別の薬になっていたのだ。
 変質した蓬莱の薬は今までの自分の意志とは関係なく発動する自動再生ではなく、自分の意志で自由自在に再生できるようになったのではないか?
 藍が自分の意志で肉体を任意に修復したように、妹紅も傷や病気は任意に回復させるようになったのではないか?
 とても重要な事だ。これがもし事実で、その事実に気が付かなかったら自分の意志で生き返る事を知らずにそのまま死体のまま生き続ける事になるかもしれない。
 妹紅は今まで傷の回復や蘇生に対して特に考えたり念じたりはしていなかった。呼吸するのに一々横隔膜に命令をしないのと同じように再生もほぼ無意識だった。
「・・・試してみるか・・・。」
 妹紅は傷を付ける刃物のようなものを探したがここに岩老刀はない。絵の妹紅が岩老刀と思しきものを持っているように見える。確かではないのは絵が下手で判別できない。ただ、状況からいって絵の妹紅の手と紫の胸を繋いでいる線の様なものは岩老刀に間違いないだろう。
「あれが向こうにあることでこちらとの繋がりになっているのかな・・・あ、わかった!」
 妹紅は唐突に理解出来た。あの絵に正確に重なればきっと戻れる。
 確証はないが何故か確信する妹紅。だが、それを試す前に蓬莱の薬の効用がどんなものかを確認しておくほうが先だと判断する。
 幻想郷に戻れば時間はまた進み出すだろう。そうなる前に確かめたい事は全てこちらで解決してからにしたほうがいいだろう。
 妹紅にとっては今回のこの件は過去の清算と未来の投資という大きなイベントであり節目であるが、幻想郷ではまだ状況すら始まっていない。
「どうするか・・・。」
 妹紅は右手を見る。爪で傷付けるか・・・それとも指を噛みきるか・・・。
 今回の件を経て身体を大切にしようと思うようになった妹紅は少しだけそれを躊躇う。
「でも、びびっていてもしかたないわね。」
 意を決めると妹紅は右手の人指し指と中指を揃え、それを一気に右目に突っ込んだ。
 なんらかの術で視力を奪われた時に目を潰して術をリセットさせるなど、自己破壊は慣れている。しかし、慣れているといっても痛いものは痛い。
「許せ!」
 妹紅は今までになかった心境が生まれており、破壊する身体に許しを請う。
 えぐり出した目玉を握り潰す。
 一向に傷が回復しない様子を見て、痛みで冷や汗をかく妹紅はある確信を持って口元に笑みをこぼす。
 そして間髪入れず今度は左手の指で左目をくり抜く。
 両目を完全に失った妹紅は激しい痛みに耐えながらえぐった右目のあった場所に右手を当てる。
「治れ!」
 妹紅はそう叫ぶと右目の辺りが熱くなり眼球が再生されていく。
「よし!」
 えぐった左目を瞑りながら再生した右目を開いて周囲を見渡す。
「・・・。」
 今度は左目を治そうと、口には出さず頭だけでイメージする。
 左手の中にある左目が消えると同時に左目が復活する。
「そういうことか。」
 今まで自動的に行われた再生活動は、妹紅の予想通り任意再生になっている。
 傷の治りや部位、タイミングまで任意に行えるということは、死んだふりも出来るだろうし、それ以外にもかなり応用が利く。
 妹紅は様々な状況を考えそれに対応した今までとは違う術の方式が考察され頭の中でそれらが組上がっていく。
 妹紅の傷の治り方は、生物の持っている自然治癒能力を活性化させて「治す」のではなく、壊れた道具を修理して元通りの機能に回復させるという意味の「直す」である。
 藍はその能力を他者にも行使出来るのだろうが、果たして妹紅はどうだろうか?
「・・・。」
 考えにふけりながら頭を掻いて髪の毛がかなり減っている事に改めて気付く。
「切りすぎたか・・・戻ってこの髪型だとみんな驚くな・・・。」
 向こうの世界はそのままである。そこに今の髪の毛が短くなった妹紅が現れたらどうなるだろうか。
「戻せるか・・・。」
 妹紅は頭の中で自分の髪型をイメージする。
 すると、髪の毛の先端の断面が光ると、そのまま糸を引くように伸びていき髪の毛が再生する。
「ふむ・・・。」
 やはり、自分の肉体に関しては戻せるようだ。
 妹紅は次に髪の毛を一本抜き、それを短く焼き切る。掌に乗る程度に短くした髪の毛をそのまま見つめ、イメージを送る。しかし、その髪の毛は何も変化しなかった。
「自分と繋がっていないとダメか・・・。」
 髪の毛が自在に操れればかなりの術に用いる事が出来ると期待したがそこまで都合良くはいかなかった。
 髪の毛は自己情報を移し付与させる上で最も都合のいい触媒であり、幻影分身や実体分身など幅広く応用出来る触媒である。
 妹紅は自爆機能付きの実体分身を多用する。分身を物体化させる上で肉体の元となる組織を動物などから抽出し分身の術の基本となる素符(すっぷ)を作成し、そこに自分と同じ容姿にするための個人情報の伝達を髪の毛で行う。
 幻影分身はそのまま髪に術を吹き込めば極短時間ではあるが相手を騙す事が出来るが、気配で追うある程度レベルの高い相手には通用しない。
 実体分身は気配が完全に施主に一致し、量感もあるためほとんどばれる事はない非常に高度な術である。


 結論として、自分の身体は自在に修復が可能で不死身という体質は完全に継承されており、髪の毛なども体と繋がっていれば修復可能だということがわかった。
 妖の狩人としての血が騒ぎ、ついつい戦いに活用する事を先に考えてしまう妹紅。戦い以外でも様々な応用はあるが、それは後で考えるとして次は幻想郷に戻る事を考えなければならない。
 妹紅は3人の大物妖怪の絵の前から立ち上がって、紫と霊夢、そして自分のいる場所まで移動する。
 自分の絵に重なれば恐らく戻れるはず。それ以外にはまったく思いつかない。
 妹紅は自分の後ろ姿と紫、霊夢と順に見て振り向き、縁側の外の妖怪をもう1度振り向く。
 こんな世界でもこれが最後だと思うと名残惜しい。しかし、藍はもうこの世界にはいない。自分の中にいる。
 妹紅はいつのまにかポケットに両手を突っ込むいつものスタイルをとっていた。
「さて・・・還るか・・・。」
 無意識にそうする自分自身に対し苦笑する妹紅は自分の絵に重なり同じ格好をする。絵の紫の肩を支えるように腕を回し、胸元の剣の柄あたりに静かに手を伸ばす。
 妹紅は目を瞑り、もう遠い昔にも感じる幻想郷のこの場所、この瞬間をイメージする。
 絵の筈の岩老刀を握る感触がしたかと思うと、ゴゴーっという耳鳴りを聞く。
 咄嗟に目を開いた妹紅は周囲の白い世界の四方八方から光りの壁が自分に向かって迫っているのを見た。
 振り向いて縁側を見たが、そこにいた妖怪達の姿は既に迫る壁に飲まれていた。次に霊夢を見る。霊夢もまさに光りの壁に呑み込まれるところだった。
「世界が閉じる・・・。」
 妹紅はまた目を瞑り、静かに藍の世界が閉ざされる瞬間を待った。