東方不死死 第19章  「連鎖の始まり」


 因幡てゐは横で泣いているレイセンを尻目に、何かを考えながらぼんやりと天井を見つめていた。色んな考えが頭を過ぎって一つの事を集中して考えられない。体が動かない分、頭がよく回り始めたのだろうと自己分析してみるが、最終的にどうなるのかというあたりが全く見えてこないので思考に一定方向のベクトルが働かない。
 しばらく悶々としていると誰かが部屋に入ってきた気配を感じ、そちらに意識を向けるが、永遠亭の施設の中なので誰が来るかは想像できたので、てゐは首を巡らせて誰かを確認するということはしなかった。そしてすぐ、そんなてゐの視界に見慣れた顔がひょっこりと現れた。
「あ、姫・・・。」
 現れたのは蓬莱山輝夜である。てゐもレイセンもそれが別のループ世界から来た輝夜だとすぐに理解出来た。
「こりゃまた、ずいぶんと派手にやったわね。」
 レイセンとてゐの有様を見た輝夜は呆れた表情で感想を述べる。その言い方からすると、レイセンやてゐに同情するというより、自分ではない他の自分のしでかした事への感想のようである。
 しばらく二人を面白そうに眺めて満足すると、てゐの頭の前に立って手に何かをつまんで上からてゐの口元に狙いをつけて、そのつまんでいる黒い飴玉のようなものを指から開放する。
 拘束から解き放たれた黒い玉は自由落下しててゐの額にカツンと音を立てて命中した。
「痛ッ!」
 口を狙ってハズしたその玉は、万能薬と呼んでいる身体の異常を完全に元通りにする永遠亭の秘薬である。
「あははは、ごめん、ごめん。」
 明らかにわざとハズした輝夜の本心ではない謝罪を受けたてゐは、不機嫌な顔のまま頭に当たって床に転がった秘薬を素早く拾い口の中に放り込む。
 岩の様に硬い丸い物体は口内の粘膜に触れると一瞬で粒子化して肉体に浸透し、てゐの肉体はあっと言う間に完治する。
 下半身が動き出したてゐはぴょんと飛び起きるとすぐにレイセンの前に跪き、輝夜にもう一つの万能薬を要求する。
 輝夜はそれに応じてもう一つの丸い物体を取り出しレイセンに飲ませようとした。しかし、そのレイセンの思慮深げな表情に気付き指を止めた。
「イナバ・・・あんた、その体と痛みを戒めとして取っておこうなんて、バカな事考えてない?」
 レイセンの決意に満ちた目を見た輝夜が察してたずねる。
「すみません、姫様・・・私・・・。」
 また謝るレイセンにてゐがそうじゃないだろという表情をしてレイセンを睨む。
「・・・ありがとうございます。姫様。」
「私に謝罪も礼を言ってもしょうがないでしょ?私は何もしてないし。」
 別のループ世界から来た保険である今ここにる輝夜は、レイセンに対して何かをしたという体験も記憶もない。現時点で複数存在する輝夜はそれぞれ独立した個体である。
「こんな事があったら、ループさせた保険はみんな消えてしまうはずです。でも姫様はここに居ます。きっとこうなることを想定してくれてたんです。だから、ここにいる姫様でいいんです。」
 レイセンの言葉に満足した表情をする輝夜。
「なるほど、少しは分かってきたみたいね。だったら、姫の命令よ。薬を飲みなさい。」
 しかしレイセンは口を開かなかった。
「そんな状態ではいつまでたっても私達の役に立てないでしょ?それとも何?仕事したくないって?」
「それは違います!」
「だったら飲みなさい。」
「でも・・・。」
 頑ななレイセン。それは重症を負い気が萎縮して消極的になっているせいでもあるだろうが、罪の意識が大きいという裏返しであり、その点では頼りになる存在になりうる資質が芽生えたことに輝夜は満足した。しかし、そんなレイセンにいつまでも付き合う必要はない。
 てゐが早く飲めとレイセンの鼻をつまみ無理矢理口を開かせようとしている様子を尻目に、輝夜は少し思案した後名案が浮かんだので実行に移す。
「ふーん・・・この薬はね、胃や腸から体に吸収される普通の薬じゃないのよね・・・粘膜から吸収されるから、口の粘膜がだめなら・・・。」
 輝夜は意味ありげな表情で妖しく微笑む。
「てゐ、口の粘膜がダメなら後はどこを使えばいいかしら?」
「・・・!・・・まさか座薬としても使える?!」
 意味ありげな輝夜の声にてゐが気づいて思わず大声を出す。
「てゐ!やれ!」
 輝夜がてゐに何かを命じるが具体的にどうしろとは言わない。
 てゐは一瞬何をすればいいかわからず間抜けな表情でレイセンを見下ろしていたが、輝夜の真意を察して急に邪悪な笑みを浮かべる。
 ウヒヒと笑いながら両手を上げて10本の指をいやらしく動かしレイセンにプレッシャーを与える。
 下半身の危機を察知したレイセンは逃れようと身体をくねらせるが激痛で全身が硬直する。
「ちょっとやめてください姫様!てゐもやめて!お願い!許して!」
 レイセンが抗議の為口を大きくあけた瞬間を見計らって、輝夜はそこに薬を投げ込む。
 勢いよく口に入ったその硬く丸い物体は、レイセンの食道まで一気に突き進んで一瞬息が止まったが、粘膜にふれて溶けあっという間にレイセンを完治させた。
 身体が突然軽くなる不思議な感覚に思わず上半身を上げて両手を交互に見て、その後体中をなで回すように触り痛みが無いことを確認する。
「すみません・・・いえ、ありがとうございました・・・。」
 体を起こし正座したまま申し訳なさそうに謝罪改め礼を言うレイセン。
「ま、お礼はあっちにいる私にいいなさい。すぐに口きいてもらえるかわからないけどね。」
 同じ自分の性格なので向こうにいる輝夜の今後取りうる態度はだいたい想像出来る今ここにいる輝夜である。
「あ、そうそう!」
 輝夜は何かに気付いて手をポンと叩く。
「そこに、ご飯あるから食べていいわよ。」
 輝夜が入ってきたと思われる別の入口の前に、トレイに乗った4つの丼がある。向こうにいる輝夜と永琳、そしてここにいるレイセンとてゐの合計4人分である。
 わーいと丼に駆け寄る兎達を尻目にゲップをする輝夜はそのまま入ってきた扉から「あとはよろしくね」と言って姿を消す。
 最後のセリフが気になったてゐとレイセンは、互いに見つめ合いハッとなって4つの丼の蓋を開ける。
「やられた!」
 てゐが地団駄を踏んで悔しがる。
 里の高級鰻飯店「藤重」の上鰻丼のウナギが4つの丼全てが蒲焼きだけ半分食べられた状態だった。
「ねぇ・・・もし、これを姫様達に差し出したらどうなると思う?」
「恩を仇で返したと、今度こそ殺されるだろうね。レイセンが。」
「だよね・・・。」
 現在の丼の中身は食い逃げ輝夜に食べられたウナギ2人前分を引いて、ご飯が4人前、ウナギが2人前である。
 この状態のまま戻ってきた輝夜と永琳にこれを差し出せば、レイセンとてゐの2人が半分食べたと疑われるのは必至である。
 そうならない為に必要な措置は、自分達の分のなけなしのウナギを輝夜と永琳の丼に移す事だけである。
「ま、どこぞの屋台のウナギと違って、藤重秘伝のタレだから、ご飯とタレだけでも美味しいんだけどね。」
 そう言ってウナギを永琳達の丼に移しもくもくと食べ始めるレイセン。
 いつものてゐならそのまま自分の分のウナギを食べてしまうところだが、今回はちょっと冗談ではすまされない可能性があったので、レイセン同様ウナギを移しタレだけのご飯を食べ始める。
 これだけでも意外と美味しいというのが逆に悲しみを増幅させ、2人は鰻なしの鰻丼を美味いといいながら食べ続けた。
 その時、薬と鰻丼を持ってきた輝夜が出ていった扉とは別の扉から永琳が出て来た。
 レイセンは先に箸を付けてしまった事を詫びようと立ち上がって永琳の出迎えに向かおうとして、そこで足を止めた。永琳の醸し出す重く黒いオーラがレイセンをそうさせたのである。
 てゐも思わず息を呑み、ご飯を喉につまらジタバタする。
「し、師匠?」
 永琳はヨロヨロとおぼつかない足取りでレイセンに近づくと、そのまま体を預けていっしょに倒れ込む。
 一瞬、向こうにいる輝夜の気が変わってやっぱり死刑になるのではないかと、身震いしてしまったがどうもそうではないらしい。
 レイセンは永琳が転んで怪我をしないように抱きかかえる様にゆっくり床に座る。
 酒に酔って寝てしまった永琳を寝所に運ぶ時も似たような事になったことがあるが、その時と違い永琳の様子は明らかに変だった。
「まさか・・・こんなことが・・・。」
 レイセンの耳元で永琳がボソボソと独り言のように呟いている。
「私が・・・幻想郷を亡ぼす事になるなんて・・・。」
 衝撃的な言葉がレイセンの耳に飛び込んできた。



 妹紅はがっくりと落ち込んだ。
 慧音と喧嘩別れをし気落ちしたからではない。先程慧音とやりあった後、そのまま戻った藤原邸の庭先に風見幽香の姿を見たからである。
「おかえりなさい。」
 日傘を差したまま中庭から座敷を眺めるように立っていた幽香が、妹紅の帰宅に気付いて振り向いて挨拶をする。
「はぁ~。」
 溜め息をつく妹紅。
「どうしたの?」
 自分を見てがっかりしているとは思ってもいない幽香。
「朝っぱらから何か用?」
「忘れ物よ。」
 幽香は妹紅の問いに対して綺麗な鶯色の風呂敷を差し出す。
「忘れ物?」
「剣とリボンよ。」
「・・・あー!」
 藍の世界から幻想郷に戻った妹紅は、早々に立ち去りたい衝動に駆られ、持ち物も確認せず飛び去ってしまっていた。それを思い出して思わず声を上げた。
「・・・あ、ありがと。」
 素直に風呂敷を受け取る妹紅を見た幽香は、明らかに妹紅が変わっている事に気づく。
 昨日まで近づけば眉をつり上げて睨み付け緊張する妹紅が、今は自然体で幽香の目の前に立っているのだ。
 幽香は実験がてら少し悪戯をしてみることにした。
「ん?な!ちょっと!」
 風呂敷を受け取った妹紅に幽香はそのまま抱きついてみた。
「むぐぅ!」
 幽香の豊満な胸の谷間に強制的に顔を埋めさせられた妹紅は、離れようにも手に荷物を持っている為手で払い退けることが出来ずもがく。しばらくそうしていると幽香はその結果に満足して妹紅を開放した。
「ちょっと!」
 妹紅は不機嫌になって苦情を言おうとしたが、クスクス笑っている幽香の態度が気になって急に怒気がおさまる。
「・・・。」
「あなた、気付いていないの?」
「何が?」
「昨日は、近づけばピリピリしていたのに、今全然じゃない?」
「・・・そういえば・・・。」
 妹紅は今になってようやく気付いた。幽香のそばにいてもまったく緊張も警戒心も出てこない。
「なんでだろ・・・。」
「強くなり過ぎちゃったんじゃない?」
「そう・・・なのかな・・・。」
 強くなり過ぎたという言葉に謙遜する様子もない妹紅を見た幽香は、本人が以前より強くなっているという自覚があることは理解できた。
 妹紅は取りあえず縁側から座敷に上がり幽香から受け取った風呂敷を広げる。
 風呂敷の中から紫色の厚地の布で包まれた岩老刀とおぼしき長い物が出てくる。妹紅はそれを見て丁寧な扱いだなと恐縮したが、剣に直に触るのを嫌がった妖怪達と霊夢の苦心の末の産物である。
 リボンは丁寧に丸めて筒状になっていた。妹紅はそれを手に取りいつものように頭に結ぶ。
 妹紅はもう一度お礼を言おうとそばにいるであろう幽香に声を掛けようとして座敷にいない事に気づく。見れば庭先に日傘を差したまま恨めしそうにこちらを見ている。
 しばらく見つめ合っていたが、幽香の視線の先にある物に気付いて、その原因が分かった妹紅。
「ああ、ごめん・・・。」
 妹紅は立ち上がろうと腰を上げながら謝り、その原因の所に近づく。
 幽香を不機嫌にさせていたのは、妖を抑える博麗のお札である。妹紅は昨晩お札を外したまま元に戻さず放置していたので、今現在家中妖で一杯になっているのだ。
 妖力に反応しまとわりつく家の中に蠢く妖は、妖力を完全に抑える事が出来ない妖怪や霊獣、獣人には不快感しか与えない存在である。しかも、重症を負っている幽香には肉体的にも苦痛が発生するのだ。
 妹紅はお札を拾い、元の位置に貼ると妖は一斉に天井に駆け上がっていく。目には見えないが明らかに空気が変わる。
 それを見て縁側から座敷に上がった幽香は妹紅を正面にして正座する。背筋が良く上品な仕草に見えるが、それは首の負傷で動作がままならない為の仕草で、寝違えて首が回らない時の動作に近い。
 妹紅は梁にお札を貼ったまま幽香の一連の行動を見下ろし、幽香が正面少し離れた所に座るのを見て声を掛ける。
「まだ痛むの?」
「まーね。」
 幽香は妹紅の問いに短く答え、そのまま視線だけ上げて何かを訴える様に妹紅を見つめる。
「・・・何か言いたい事がありそうね?」
「今日はなんだかとてもフレンドリーなのね?何かあったの?」
 昨日とまるで違う妹紅の様子に率直な意見を述べる幽香。
「友好的で何か問題あるの?」
「昨日の態度と比べたら変わりすぎて何だが気持ち悪いわ。」
 妹紅が強くなった理由やこれから起こるであろう異変など、問題にすべき所はそこだろうと思うのだが、目の前のフラワーマスターにはどうやら関係ないようだ。
「気に入らないなら自分の家に帰れば?」
 妹紅は面倒くさくなったので追っぱらう事にした。
「・・・。」
 妹紅の冷たい態度にジトっとした目で見上げる幽香。首が曲がらないので目だけが妹紅を追う。
 幽香は妹紅との対決後はずっと友好的な態度を取っている。気持ち悪いとのセリフも額面通りではないのは分かる。首がちゃんと治れば、もう会うこともないかもしれないが、気に入られたのだとしたら完治後も会う事になるかもしれないし、身体が自由になればその頻度も恐ろしく上がるかもしれない。
 幽香という個性は妹紅も嫌いではなく、むしろ好きであるが、妖の狩人という肩書きや、自身の固有の能力からしても妖怪と交わる事を良しとは思わない。出来れば関わりたくはない。
 恐らくこの幽香の傷は後遺症となって一生付きまとう事になるだろう。それはそれでおとなしくなるので良いが可哀想という思いもある。
 しばらく幽香の目を見ながら考えていた妹紅だがある決断をした。
「その傷治せるとしたら、どこまでリスクを負う覚悟がある?」
「!」
 突然の質問に幽香の目がカッと開く。
「治せるならどんなリスクも負うわ。」
 強い口調で即答する。
「死ぬかも知れないとしても?」
「その時はあなたが私の替わりに東方面の楔になるのよ?」
 幽香には公にされていない幻想郷における役割がある。様々なものが流入する幻想郷東側の秩序維持が幽香の役割である。
「私はある力を手に入れたの。」
「どんな?」
「自分の状態を任意に管理出来る力よ。」
「不死身のあなたになんの意味がある力なの?」
「死んだふりが出来る。」
「・・・死ぬと勝手に生き返ってしまうとすれば・・・それは結構大きな変化かもね。で、それが私の傷と何か関係あるの?」
「分かりやすく言うと、自分の身体だけに藍の力が使えるってこと。」
「!」
 幽香は藍という言葉に反応した。
「藍は死んでさえいなければ体の損傷を完璧に元に戻せたわ。他人の体でも・・・でも、妹紅にだけしか使えないなら・・・。」
「出来るかどうか実験してみたい。」
「実験体になる覚悟があるのかってこと?」
 妹紅は静かに頷く。
「分かったわ。その賭け乗るわ。」
 妹紅の予想に反して幽香は即答する。
「早いな・・・もっと悩むかと思ったのに・・・。」
「この傷、もう完全に治らないのでしょ?」
「永遠亭に行けば治せるかもよ?」
「医者なんて信用できないわ。」
 医者が好きなのは人間くらいなのかもしれない。妖怪達は等しく医者嫌いである。破壊力のあるパンチをまともに喰らう勇気はあっても、細い小さな金属の管を血管に挿したチクっとした痛みには耐える事が出来ないのが妖怪である。
「じゃーさっそく始めましょうか。」
「何か準備するものはないの?」
「準備?・・・そうね・・・全てを受け入れる心の準備だけかしらね。」
 そう言って妹紅は正座している幽香の前に片膝を立てた中腰で向かいあうと、右手を幽香の首の後ろに回し体を密着させる。
「こ、これは?」
 幽香は思わず呻く。首を折られた時の体勢に似ている。全身総毛立ち死の恐怖が過ぎる。しかし幽香は堪えた。
「幽香、私の体を両腕でしっかり掴んで。頭と体を結ぶ神経が一旦切れると思うから・・・。」
 幽香は言われた通り妹紅の華奢な体に両腕を絡め互いの手首を掴んでロックする。妹紅はそれを背中で感じると念を込めるように目を瞑る。
 幽香は何が起こるのかと恐怖と興味半々で密着している妹紅を全身で感じる。
 妹紅の髪の毛がざわざわと動き始めロックした幽香の両腕にからみつき離れない様に手錠の役割となる。
 下準備が整ったのを見て妹紅は右手を幽香の首の真後ろに添え、そのままズブズブと指先を首に差し込んで行く。
 首が燃えるように熱くなるのを感じた幽香は、自分の首が深刻な状態になっている事を自覚しそれは死に直結するものだと予感できたが、ここまで来たら妹紅を全面的に信用するだけである。
 妹紅は幽香の体内に自分の指を突き刺しその状態で指を燃やす。首の内部がどろどろに溶け自分の溶けた指と融合するのを感じながら、その深刻な傷の修復をイメージする。
 指は幽香の首の中で幽香と同化しているが、しっかりと指の感覚はある。その感覚だけの指で幽香の首の骨などの組織を再生していくが、どうも巧くいかない。
 造形されている首の組織は明らかに小さい。妹紅はすぐに自分の組織と同じものが幽香の首に造られている事が理解出来た。
 このままだと一応傷自体は治せるが首が若干短くなり違和感が生じるだろう。
「さて、どうしたものか・・・。」
 幽香は首から下の感覚は既に無く、されるがままに妹紅の行動を注視するしか出来なかったが、治療が上手くいっていない事を匂わせる言葉を聞いて不安になり妹紅を睨み付ける。
 それに気づいた妹紅だが、特にリアクションを取らず、じっとその目を見返しながら考える。
 他者の損傷を修復出来るという問題はクリアできたが、それはあくまで妹紅自身の肉体としてだ。他人の体に自分の身体の一部を提供するようなもので、命が取り留められるならという最悪の状態を回避するという場合はそれでもいいかもしれない。
 現状の幽香の首は、損傷部位が妹紅のそれになっているだけで、完全に元通りにはなっていない。
 完全に幽香の損傷部位を治すには妹紅が幽香になればよい。
「乗っ取るしかないか・・・。」
 妹紅は一時的に幽香の精神を乗っ取り、幽香自身に成り代わり自分自身を治す要領で治療するアイデアを思いつく。
「幽香、ちょっと失礼。」
 首だけの幽香に妹紅は詫びると、承諾を得ずに幽香と唇を重ねる。相手に入り込む一番簡単な方法は粘膜同士を接触させることである。
 驚いた幽香は抵抗しようにも首から上だけの感覚しかなく、妹紅にされるがままになる。
 妹紅は舌を入れようと試みるが幽香は歯を閉じたまま妹紅の侵入を拒む。これはある意味防衛本能のようなもので、体内に何かを侵入させられる事は妖怪にとって敗北に等しいもので、許せる行為ではない。
 生命の危機に怯え防御本能を見せる幽香に対し、妹紅は自分の舌で幽香の閉じた歯をコンコンとノックをする。
 幽香の視線からは妹紅の表情は見えなかったが、リラックスしている妹紅の雰囲気と、その合図に何かを感じとった幽香は妹紅に全てを委ねた。
 力を抜いた口の中に大量の何かが侵入してくるのを感じる。意識が薄れていき幽香は完全に妹紅に支配された。
 妹紅は閉じていた目を開く。目の前に自分がいる。
「(上手くいった・・・。)」
 幽香の目から自分を見ている事を確認したものの、肉体の感覚を残したまま頭だけすげ替えたような状態になっているため、全身の感覚が狂っている事も同時に認識する。
 頭の向きが逆さまなので、鏡を見ながら動くような感覚である。左右逆の感覚になれるため、体をもそもそと動かしてみる。
 しばらくそうした後、妹紅は幽香の治療にとりかかった。
 先程と同じ様に幽香の首の組織を一旦融解し再構築を試みる。一瞬で首の組織は元の形に戻り妹紅はその形状を確認する。子供の体である妹紅の首の骨と比べて大きくて頑丈な骨になっていることがわかり、それが幽香のものだと確信する。
 術を解いて再び自分自身の体に戻った妹紅は、幽香の首の後ろから突っ込んだ指をゆっくり引き抜くと、まだ気を失った状態の幽香をその場にそっと寝かせる。
 重ねた唇から溢れ出た唾液でお互い口の廻りが汚れていたので、妹紅はハンカチを出して幽香の口の周りを拭って綺麗にし、自分は袖で拭うだけですませた。
 心地よい花の香りが妹紅の鼻孔に残る。幽香の匂いだ。
 しばらく幽香を見下ろしながら、もしかしたらこのまま幽香は目が覚めないのではないかと心配になる。しかし、昏睡している幽香の顔色は良く、呼吸で膨らむ胸の動きも正常で健康であることが伺える。
 タヌキ寝入りでもしているのか?それとも怪我が治って気持ちよく熟睡しているだけか?
 妹紅はそこで一つの決断をする。
 幽香の頭の後ろに立った妹紅は右足を上げて幽香の顔面めがけて足を振り下ろす準備をする。そして、一瞬強い殺気を込めて、その足を思い切り振り下ろす。
 ドスっという畳を踏みつける鈍い音が座敷に木霊する。
「何をするの?」
 殺気に反応して目を覚まし身をひるがえして妹紅の足を回避した幽香は低く身構えて応戦の体勢をとる。
「どうやら実験は成功したようね。全快おめでとう、幽香。」
 それを聞いた幽香ははっとなって、その姿勢のまま恐る恐る首をまさぐる。全く痛みがなく、しかも首がまともに曲げられなかった状態であったにもかかわらず、今とっている姿勢が何の問題もなく出来ている。
 幽香はすくっと立ち上がった。
 妹紅は幽香の雰囲気が変わった事に気づいて反撃を恐れてすっと後ずさる。
 幽香の肩は怒ったように吊り上がって首は下を向いて全身がナワナワと震えていた。
 妹紅はやばいと思った瞬間、幽香が猛然と突進してくる。
「(治してやったのにそれはないでしょ!)」
 妹紅は心の中で叫んだが、首を折られた恨みは相当なものだろう。今までそれなりに友好的な関係になっていたと勘違いしていた。幽香は常に復讐の機会を狙っていたのだ。
 飛びかかる幽香の腕をかわし、そのまま背中を向けて、かわした腕を掴んで一本背負いで畳に投げつける。
 そして、そのまま腰を落として幽香の頭をほぼ垂直に畳に叩きつけた。
 大きな音と共に家が大きく振動し埃や塵が舞う。
「はっ!」
 幽香を最初に仕留めた時と全く同じ状態である事に気づいた妹紅は、反射的に動いてしまう自身の体を心の中で罵りながら仰向けに倒れている幽香の首を心配して顔を覗き込む。また、折れたかもしれない。
 幽香の目は閉じた状態で口が少し開き昏倒しているように見える。
「お、おい?」
 妹紅は呼びかけながら首の状態を確認しようと右手を幽香の首の後ろに入れた瞬間、幽香は目を開いて首を畳に押し付け妹紅の右手首をはさんでロックし、右手はそのまま妹紅の首を抱え込むように引き寄せ、左手は妹紅の左脇の下を通して抱え込んだ右手と組み合わせてがっちりとロックする。
「しまった!」
 幽香の死んだふりに気付かず不用意に近づいた妹紅は完全に幽香に絡み取られてしまう。
 相手の力を利用する妹紅の体術もこう組み付かれると為す術がない。単純な力比べでは不利であるが、抑えている妖力を出し切れば勝てるかもしれない。
 しかし、瞬発力のない人間の妖力は力を出すまで時間がかかる。その間に幽香の締めで体は潰されるだろう。不死身である妹紅は生存を賭けた勝負には負けはないだろうが、死という判定、つまりリザレクションした時点で勝負有りとなる。
 自分ごと体を燃やして幽香と家を同時に焼いてしまうという勝ち方もあるだろう。呪符を使った妖術を使うのも決して卑怯ではない。先程の治療と同じ要領で幽香の内部組織を破壊してしまうことも出来る。しかし、相手の土俵で勝つという妖の狩人としての自負が体術以外を使う事はその時点で敗北と同じだと結果ではなく過程にもこだわった。戦い生業とする者の救いようのない性である。
 左脇の下に幽香の腕を入れられた妹紅の左腕は空しく宙を舞い、右手は幽香の首の後ろにロックされている。
 幽香の右腕で首ごと体を密着させられている妹紅は、予備動作が取れず力が出せない。
 どうにかして右手を引き抜こうと力を込めた一瞬、幽香は首の力を抜いて妹紅の右手がスポッと抜け、妹紅の体勢が崩れた。
「(しまった!)」
 崩れた体制を利用され、くるっと体勢を入れ替える幽香。
 幽香は力はあるが不器用だと思っていた妹紅だが、戦闘能力だけはなく戦闘センスもずばぬけて高い事を思い知らされる。恐らく妹紅との一戦での敗戦以後、不自由な体になったにも関わらず勝つために考えながら戦術を練っていたのだろう。
 体が上になった瞬間、マウントポジションに移行した幽香。
「(あの時とまったく逆だ・・・。)」
 妹紅は先の戦闘にならって蹴り上げでもしようかと思ったが、大きく息を吐いて力を抜いて負けを認めた。
 幽香は妹紅の首にがっちりと両腕でからみつき左右どちらかにひねり上げれば首がいつでも折れる状況になっていた。その状態のまま固まって動かない幽香に妹紅は肩をポンポンと2回叩いて降参を示す合図を送る。しかし、それでも動かない幽香。
「・・・?」
 勝利の余韻に浸っているのかと妹紅は思って幽香が気の済むまでそうさせてやろうとしたが、その時幽香が小刻みに震えている事に気付く。
「泣いてるの?」
「・・・。」
 妹紅は、幽香が負傷した後に助けを求めに来たことを思い出す。
 戦国時代、大阪の陣で真田幸村が相対した伊達家家臣の片倉の陣営に家族を託し、その子孫が仙台真田として今も存続している。敵に家族を託すなど考えられない事ではあるが、直接刃を交えた敵と味方に生じる信頼関係がそんな奇跡を起こす。
 それと似たような事が妖怪にもあるのか妹紅は分からず、その時の幽香の行動は勝者への当て付けではないかと思っていた。
 幽香の一連の行動は自分の傷の完治状況を知る為と、一種の照れ隠しなのかもしれない。そして、完治した事によって込み上げる感情の大きさは、負傷したことの重大さの裏返しでもある。
 幽香の存在によって「人間を殺しすぎない」「妖怪同士で殺し合わない」という幻想郷の暗黙のルールが維持されているといってよい。しかし、このルールを全ての妖怪が快く思っているわけではなく、寧ろほとんどの妖怪はそのルールの存在を煙たがっている。ようするに好きにやりたいのだ。
 幽香が負傷し戦えない事が知れ渡れば幻想郷の反体制側にいる妖怪達が風見幽香の討伐に出る可能性がある。いや、間違いなくそうなるだろう。
 現状では幽香=倒せないという一種の刷り込みが妖怪達になされている。負傷した現在でもそれは有効であるし、今すぐに状況が変化することはないだろう。しかし、完治の見込みがない状況では何れ幽香の大人しさに様々な憶測が飛び交い、やがて幽香に友好的な周辺の妖怪から探りをいれられ包囲網が狭まってくるだろう。仲間の妖怪の被害に応戦しないことが分かれば幽香の異変は幽香討伐と発展していくだろう。
 幽香は負傷してからこれまで、先の好転が見込めない身の危険を味わって過ごしていたのである。
 そのストレスから開放された喜びが今の幽香の行動になっているのだろう。
「(しかし・・・。)」
 しかし、ずっとこの状態でいられても妹紅としては非常に迷惑なことである。
 妹紅は幽香の肩をポンポンと叩いて退くように合図するが、幽香は体を振ってイヤイヤをする。
「(ウソでしょ・・・。)」
 妹紅はゲッソリした。
 今まで見ていた幽香は負傷してパワーダウンしていた幽香であって、本当の幽香は里で喧嘩を売ってきた幽香である。変なのに因縁付けられてしまったと妹紅は心から後悔した。
 取りあえずこの状況を打開しようと思った妹紅は、既に自由になっている腕を伸ばしもんぺに貼り付けた空蝉の呪符を一枚剥がしてそれを一旦自分の顔の前に出して確認する。
 その後はその呪符を外に放り投げ幽香にからみつかれている本体と入れ替える予定であったが、ここで異常が現れた。
 顔の前に持ってきた呪符が発動と同時に腐敗し、砕けた煎餅の様になって自分の顔に破片が落ちてきたのだ。
「なっ!」
 妹紅は思わず大声を上げ、自分の世界に入っている幽香もそれに反応して顔を傾ける。
 呪符の破片は妹紅の顔だけではなく、幽香の肩や髪の毛にも降りかかり、ここでようやく異変に気付いて妹紅の拘束を緩めて上半身を上げる。
「ちょっと、どいて!」
 妹紅が事の重大性に気付いて、幽香に付き合ってられないという感じに乱暴に言い放つが、その態度が気に入らない幽香は「嫌」と言ってまた抱きつこうとする。
「はっ!」
 その時の恐ろしい妹紅の形相を見た幽香は、流石に悪のりしすぎと後悔してすごすごと妹紅から離れる。
 幽香が妹紅から離れ、少し離れた場所にちょんと正座するまで睨みつけた妹紅は、その後縁側から裸足のまま飛び降り、両手でお尻を2度ポンポンと叩き、3度目に大きくバンと勢いよく叩く。
 最初何をするのか分からなかった幽香だが、3度目でもんぺに貼り付けた呪符が一斉に飛び出したのを見て、全呪符の強制解除の為の動作であることがわかった。
「驚いたわね・・・。」
 その様子を正座して見ていた幽香は黙っていられず思わず口を開く。もんぺに貼り付けておく保管方とその解除方法ではなく、収納されていた呪符の量にである。
 妹紅のもんぺから開放された呪符の山は、地面に落ちると同時に腐敗してボロボロになり、その残骸が妹紅の周囲、膝位まで堆く積もっていた。
 一陣の風が呪符の残骸を持ち去った後に一人残された妹紅はがっくりと地面に膝を折り肩を落として両手を付いた。
 様々な効力を持つ各種大量の呪符をもんぺに貼り付けて持ち歩いていた妹紅。妖術使いとしていつでも活動出来るようにそうしていたわけであるがその全てが塵と消えた。
 500年積み重ねてきたものが一度に失われるその喪失感は想像以上に堪えるものがある。自分でも信じられない程落ち込んでいる事に気づく妹紅である。
 全快し気分が良い幽香であるが、庭先で一人暗いオーラを身に纏っている妹紅を見ていると負傷中のように陰気になってくる。
 幽香はどうしたものかと思案していると、妹紅がくるりとこちらを向き涙目で睨み付けてくる。
「え?ちょっと、私は関係ないでしょ!・・・ないわよね?」
 言い切った後に自信がなくなって尋ね返す幽香。治療した時に何か影響出たのかもしれない。
 ゆっくりと立ち上がり近づく妹紅に怯える幽香。また半殺しにされるかもしれない。
「ねぇ・・・。」
「は、はい?」
 妹紅はドスの効いた声で幽香に声をかけ、上擦った声で返事をする幽香。幻想郷最強と詠われる妖怪も形無しである。
「紙」
「かみ?」
「紙、手に入る所しらない?」
「かみって白くて文字を書いたり、鼻をかんだりするアレ?」
「お札に使えそうな和紙がいいわ。一から作り直すのよ。」
 不機嫌が服を着て歩いているような状態になっている妹紅はすっかりガラが悪くなって、同じくガラの悪さでは右に出る者はいないと言われている幽香ですら可愛く見えるほどである。
 幽香は里にはよく買い物に来るので何処に何が売っているかはだいたい把握しており、妹紅の希望の品も何処に売っているかはだいたいわかる。
「案内するわよ。」
 愛想良く案内を申し出る幽香だが、その態度が気に入らないのかプイっと横を向く妹紅。
「・・・やっぱりいいわ。自分で探すから。」
「気を使わなくていいわよ。」
「気なんか使ってないわよ。だいたい、治ったのならさっさと家に帰ればいいじゃない。」
 幽香としては首を治してもらったことに感謝をしているので、お礼の意味も込めての申し出であるのだが、機嫌が悪い妹紅にとっては、そうした気遣いは余計に癪に障る。
 妹紅の冷たい態度に思わず黙り込む幽香。
「あ・・・。」
 幽香の悔しげな複雑な表情を見て自分の大人げない態度にようやく気付いた妹紅。
「ご、ごめん・・・。」
 謝ってから自分に幻滅してまた落ち込む妹紅。
「案内するわ。」
「うん・・・。」
 裸足だった妹紅は縁側に戻って靴を履き、幽香の後についてとぼとぼと歩きだす。
 藤原邸の庭先は低い垣根に囲まれており、空を飛ぶなりしないと直接外に出ることは出来ないので家の東側にある里と竹林を結ぶ南北に伸びる道に出てそのまま里のある北に向かう。
 妹紅の行動範囲は狭いので普段長距離を移動する事が少なく竹林と里の行き来は徒歩で行う事が多い。
 意識せず飛べる妖怪などと違い、妹紅の飛行形態は羽ばたき型という重力に逆らって力を消費して飛ぶタイプなので、必要な時以外は基本的に足を使う。
 人間は天狗や仙人にでもならない限り空を飛ぶことは出来ない。妹紅が飛べるのは不死鳥を内包しているおかげである。霊夢は天狗や仙人と同等の格付けで、非常に特殊な人間であり「普通の人間」ではない。魔理沙は魔法の力でホウキという触媒を使い、妹紅と同じように重力に逆らって飛ぶタイプである。
 風見優香は典型的な妖怪であり重力に干渉されず無意識に飛行出来るタイプである。しかし、飛ぶスピードが遅いのと花の世話など地に足をつけた活動が好きな性格なため、特に急ぎの用でもなければ基本的に移動は徒歩である。
 2人は特に示し合わせたわけでもなく、自然に徒歩で歩き出し里へ向かった。


 里に入るとすぐ上白沢慧音の寺子屋があるが、妹紅はそれには目もくれずまるで意識的に無視するように下を向いたまま歩く。
 朝の妹紅と慧音のやりとりをしらない幽香は、妹紅の様子を不思議そうに横目で見ていたが、言葉には何も出さずに気に留めるだけにした。
 風見優香と藤原妹紅が並んで里の通りを歩く姿はとても珍しく注目になりそうであったが、不思議と誰も気を向ける様子がなかった。
「変よね。私達2人が通りを並んで歩くなんて初めての事なのに、誰も見向きもしないわ。」
 幽香は派手好きで、目立ちたがり屋でもある。服装が派手なのも目立ちたい注目されたいという思いの表れである。妹紅と2人で並んで歩けばいつもより目立って視線が集まるだろうと予想していた。
「みんな意識しないように無関心を装っているだけよ。ほんとはジロジロ見たいのよ。」
 妹紅は幽香にすれ違う人々の心を代弁する。
「人間って変よね。」
「まぁ触らぬ神に祟りなし・・・だと思うけど。」
 最近藤原妹紅が里の大通りに姿を見せた事、その後幽香と里の外に行った目撃情報が噂され、少なからず里の話題になって、その後どうなったかという事に里の人の関心があった。
 昨日の異様な雰囲気と併せてこの2人の間で何かがあったという予想がなされていたわけであるが、その渦中の2人が仲良く並んで里を歩くというのはこれまた更なる憶測を呼ぶことになる。そして、興味津々ではあるものの迂闊に踏み込めないというジレンマが里の人のよそよそしさに繋がっているというわけである。数人がよそよそしくしていれば気にもかけないのであるが、狭い里中に噂は広まっているため、すれ違う人ほぼ全員がよそよそしくなり、幽香と妹紅からはもの凄い違和感となって見えてしまうのである。
「ところで何処に向かってるの?」
「マルキよ。」
「まるき?」
「霧雨道具店のことよ。」
「霧雨道具店?」
 マルキとは「○」に霧雨の頭文字「キ」を入れた屋号であり、ほとんどの店はそうした屋号で呼ぶ。ちなみにカタカナの屋号は里ではマルキだけである。
「あなたほんとに里の事何も知らないのね。」
「店に用事がある生活してなかったし・・・。」
「その服はどうしたの?それ洋服でしょ?」
 下はもんぺだが上着はシャツである。そして、大きめのもんぺはサスペンダーで吊り上げている。
「慧音が揃えてくれた。」
「ふーん、それって慧音の趣味なのね。」
 服装には結構うるさい幽香である。シンプルだが紅白で非常に目立つ妹紅の服装は密かに気に入っている。
「その服、あなたの炎で燃えないの?」
 実に単純な疑問である。
「藍のリボンからほどいた糸を服の中に縫い込んでるから、完璧な状態維持が可能なのよ。」
「へー、それは便利ね。」
 藍のリボンは、妹紅が深い業によって羅刹化することを抑え、人間の姿を維持させるために必要な道具である。その性能を正確に理解すれば、これがどれほど素晴らしい能力を持っているか理解出来るだろう。正に秘宝、国宝にも等しい道具といえる。
 蓬莱の薬の中に藍が思念体となって溶け込んだ事で、妹紅の体はこのリボンと同じ性質になっており、強制的に回復する蓬莱の薬とは別に、自在に肉体の状態を操作出来る力を得た。
 そして、妖力が増大、つまり非常に強くなってしまったことで業の力を超え、それを完全に支配下におき、状態維持のリボンを必要としない体質に変化している。


 八雲藍を殺害したことによる喪失感から妹紅は廃人となり、肉体だけ生きたまま精神が死んだような状態になった。死者の魂が肉体に対する執着を消すための場所、黄泉帰りが出来る場所でもあるそれを妹紅は「選択の間」と呼んでいるが、そこに引き籠もって蛻の殻になっていた肉体を不死鳥に見つけられ奪われてしまう。
 奪った肉体を使い、この時既に変質していた不死鳥は浄化と称して多くの一向宗を殺し、妹紅は自分の意志とは関係なく深い業を背負わされてしまう。業の力で悪鬼羅刹と化した妹紅の肉体は不死鳥を逆支配したことで妹紅の意識は復活した。
 気付けば人の手では支えきれない深い業を背負わされていた妹紅である。
 藍に貰ったリボンによって人間のまま肉体を維持する事に成功した妹紅であるが、自分の肉体が非常に危険な状態になっている事に危機感を持ち、自分を完全に滅ぼす事の出来る方法、それが出来る存在を探す旅に出る。
 俗世の倣いから離れ、身なりも見窄らしく酷い匂いで周囲の迷惑も顧みず只ひたすら肉体が滅びる結果を追い求めた。
 妹紅は敢えて人に迷惑をかけ仕打ちを返される事を望みそれを自らの罪の償いの一部とすることを選んだ。しかし、世間はそんな妹紅に冷たくするどころか優しかった。
 もちろん石を投げられる事もあった。しかし、そんな乞食同然の身なりの妹紅に食べ物を恵んだり、住む場所を貸し与えたり、着る物を与えられたりもした。
 嬉しくもあり悲しくもある世間の有り様に妹紅は苦しみ、生きる事の重さに押し潰されそうだった。
 そんな時、ある歌を聞く。それは西行法師という偉大な歌人の歌だという。だが、それは妹紅がかつて妖術使いとして生きるきっかけを生んだ、ある男が口にした歌と同じだった。
 その男が西行法師と呼ばれる者であったことを知った妹紅は、何百年も前の事が連綿と続いて今に引き継がれている歴史の存在を知った。
 涙が出た。
 自分の身体に刻み込まれた歴史の存在は、失うには余りにも惜しいと思うようになった。
 生き続けようと妹紅は決意した。そして、滅びを探す旅から自分が生きていてもよい、居場所探し旅へと目的が変化していった。
 日本全国津々浦々を旅して周り、そして幻想郷入りした。上白沢慧音と出会って自分の歴史を全て見透かされた時とてつもない恐怖を感じた。しかし、それはすぐに安心へと変わった。
 自分が見聞きし体験してきた全ての歴史が形となって保存される。つまりそれは、自分はもう生き続けなくても良いという事だった。
 しかし、上白沢慧音は安心と同時に無気力に傾く妹紅の無限の時間の発端となった存在が同じく幻想郷に隠れ住んでいる事を知らせ、再び生きる目標を与えたのである。


 里の南北に伸びる道と東西に伸びる道の交差点のど真ん中で立ちつくしたまま一人考えにふけっていた妹紅は、すれ違う通行人の奇異の視線に気付いてはっとする。そして10歩ほど手前にいて立ち止まってこちらを訝しげに見ている幽香に気付く。
 幽香が10歩ほど歩いた僅かな時間から、いつまでそうしていたのだろうか。
 妹紅はごめんと謝りながら小走りで幽香の横に立つと、また元の様に並んでゆっくりと歩き出す。
 歩みは北から東へと移り、商店や酒蔵の並ぶ大通りに出る。
「ところで、あの呪符はどうしてあーなったの?」
「あーあれは・・・風化したのね。」
「風化?それってすごく時間が経過した事を言ってるの?」
「私は、あの剣を紫から抜く瞬間、別の世界にいたのよ。」
「・・・それ、似たようなこと萃香がいってたわね。」
「あの飲んだくれの鬼は相当出来るやつっぽいね。」
「そりゃー鬼だし。」
 鬼といえば能力的に大天狗に相当する力を持っている。何かあっても「相手が鬼じゃしょーがない」で片付いてしまう。
「何て言ってたの?」
「どこか別の場所で修業してきたって。」
「だいたい合ってる。ただ、修業はしてないわね。ただひたすら長い時間そこにいただけ。」
「それだけ?」
「それだけ。」
「ふーん。それってやっぱり藍と関係あること?」
「ええ。」
 お互い正面を向いたまま小声で会話をしている。幽香は、傷を治療したのが藍の力に関係することを妹紅の口から聞き、そして身を持って知った。その事や藍についてもっと知りたいと思う幽香だが、妹紅の醸し出す雰囲気がそれ以上の会話の継続を制した。
 幽香は妹紅との関係がかなり良好になった事に満足し、それ以上の追求はしないほうが良いと判断し、話題を替えようとしたが、その必要がない事に気付く。
「着いたわ。」
 ちょうどマルキの前だった。
 こじれた運命の連鎖と新しい出会いのきっかけが待つ霧雨道具店である。