幻想郷はとても静かだった。
普段なら妖精が飛び交い夜でも淡い光りがそこかしこに漂っており、どこかで毎日のようにスペルカードによる弾幕戦闘が行われ、その美しい光りの線と輪を目にすることが出来た。
しかし、今日は空を飛ぶものは一つもなく、じっと息を潜めるように闇と静寂が幻想郷を覆っていた。
その要因は、博麗神社で起こった妖力集結とであることは間違いないだろう。
「師匠・・・今日は何だか変ですね・・・。」
竹林に囲まれた永遠亭の中庭で、八意永琳は博麗神社の方角を気にしながら月の兎の言葉を背にしていた。
建物と竹林によって、視界に博麗神社は見えないが、力の発生源は正確に把握出来き、方角は正確に博麗神社を向くことができる。
しばらくそうしていた永琳だが、振り返り心配そうなレイセンに表情を緩めて安心させると縁側に上がって腰を下ろす。
「博麗神社で何か起こっているわね・・・。」
「異変でも起こす気でしょうか?」
鈴仙・優曇華院・イナバという長いおかしな名前を持つ月の兎もまた、永琳同様に博麗神社方面の異様な気に気付いている。
「起こす?もう既に起こっているのではないかしら?」
怪しい妖気が立ちこめ、以後神社方面に大きな妖気が複数参集している様子を永琳は感じとっていた。
「何か起こすにしても、前触れとかもっと工夫すべきじゃないの?」
永琳とレイセンの会話に輝夜が割り込んでくる。
「私達はお呼びではない・・・ということでしょう。」
縁側に集まった永遠亭の面々、先程までいなかった因幡てゐもいつのまにかそこにいた。
「どれだけの人が今日起こっている事に気が付いているのかしら?」
「ほとんどの者は今日は日が悪い・・・程度にしか感じていないと思いますよ・・・でも、多少力のある者なら気になって今日は寝付けそうにないでしょう・・・。」
「睡眠薬の需要がでそうね。」
永琳と輝夜がとりとめもない話をしているその時だった。
「!」
「な、何これ・・・。」
博麗神社の方から、先程とは桁外れの妖気が突然発生したのを感じとった永遠亭の面々。
「・・・こっちに・・・向かってくるわ・・・。」
その妖気は少しの間同じ場所に止まっていたが程なく動き出し、直線的にではないが確かにこちらに近付いてきている。
永琳も輝夜も身動き一つせず、その妖気の接近に全神経を集中する。
永遠亭から北東の方角に博麗神社はある。四方を建物で囲まれている永遠亭の中庭で東側を向いている縁側が永琳たちの現在地である。
強い妖気は一旦南に。東向きの縁側から向かって左から右に移動して行き、ほぼ正面に来ると今度は真っ直ぐこちらに向かってくる。
「来る・・・。」
永琳は座ったまま鋭い視線を正面上空に向けた。
「この妖気、一体誰なの?」
輝夜は突然発生してそのままこちらに向かってくるこの妖気の持ち主に全く見覚えがない。
「妹紅じゃないの?ここに来るなんて・・・。」
危機感のまるでないてゐがぽつりとつぶやくが、それなりに根拠はある。結界で内側から外に出る気は抑えており、中の住人の存在を頼りに永遠亭を探し出すことは不可能であり、竹林の外から正確に永遠亭にたどり着けるのは土地感のある妹紅しかいないのだ。
「あいつがこんな大きな妖力もってるわけな・・・。」
近付いてくるとてつもなく大きな妖気にてゐの意見を完全に否定しようとした時、目の前に現れた見慣れた姿を見て輝夜は絶句した。
「藤原妹紅・・・いえ、姿は妹紅だけど、恐らく中身は別人ね・・・。」
外見も中身も妹紅本人で間違いはないが、知っている妹紅の妖気と今の妖気はあまりにも違い、その差が永琳の常識をはるかに超えていたため誤認する。
永遠亭の中庭を見下ろすその先に、見慣れた面々が顔を揃えている。
「お揃いか・・・。」
この位置に立つのは今回が初めてではない、永遠亭に勝負を挑む時はいつもここから見下ろし煽る。見下ろされるが嫌いな気位だけは高い永遠亭の面々を煽るのは簡単である。しかし、今回は誰も迎撃に来ない。
その様子から見ても自分の妖気が、永遠亭の面々を戸惑わせる程のとんでもない状態なのだろうと認識出来る。
自分ではどの程度なのかまったく分からない。相対的に判断出来る材料が欲しい。その為に永遠亭の面々に協力してもらおう。
ここにくればすぐに迎撃に飛んでくるレイセンとかうどんげやらと人によって呼び方の違う妖怪兎も今回は様子見のようだ。
妹紅はポケットに手を突っ込んだいつもの戦闘体勢のまま、しばらく様子を見た。
いつもと同じなのにいつもとは違う景色に見える。何故だろうと不思議に思う。
4人いる永遠亭の面々を順番に視線を巡らせ、レイセンの前で視線が止まる。
「たしか・・・あいつ・・・。」
月の話の中で永琳らによって作り出された妖怪兎を思い出し妹紅はレイセンを凝視した。
今まで兎にも角にも八意永琳を最も警戒してそこに全神経を集中していたわけだが、今は冷静に全体を見る事が出来る自分がいることに気付く。
自分が強くなった事で永琳との差がある程度は詰まったということだろう。しかし、妹紅的には妖力と強さは別の物という認識がある。幽香を倒した時も昔藍を倒した時もそうだが、妹紅は妖気を主に戦闘することは無い。術を呪符に込めて発動する時の起爆剤として妖力は用いるが、妖力そのものを頼りに戦闘する事はない。
永琳に対する恐怖感が薄れているのは、妖力上昇によって妹紅自身の感覚が少しおかしくなっている事と、蓬莱の薬の変質によって新しい再生能力を身につけたことで、永琳との戦闘にある程度目処が立ったという事も影響しているのだろう。
永琳を見る度に怖くて震える体が、今は危険だと警告を発しない。いや、もしかしたら警告は発しているが今の状態になって気付いていないだけかもしれない。
そのせいもあって今まで「おまけ」でしかなかったレイセンの顔を永琳を気にすることなくしっかりと見る事が出来る。
兎達の過去。それを作った永琳と輝夜。レイセンについては今まで永琳や輝夜の下僕とだけ見ていた妹紅だが、真実を知った後に見る彼女は不思議なものだった。
八意永琳は何を思ってレイセンをそばにおいているのだろうか?
妹紅は既に戦う気が失せていた。そして頭の中で月の事、兎の事、永琳をはじめ様々な神様とその親類縁者、月の子輝夜など様々な事を考えた。
妹紅はレイセンを無意識に見つめたまま思考だけが爆走していた。
いつもと違う様子は永琳や輝夜、そして当のレイセンも気付いた。
今まで気にも留められていなかった自分を妹紅は見ている。何故?レイセンは不思議に思う。
巨大な妖気の塊が静かにレイセンを見下ろす。その迫力に呑み込まれ妹紅の視線に吸い込まれるように惹き付けられるレイセン。
永琳は妹紅の変化を外側だけが同じで中身が何者かに入れ替わっていると断定していた。
その根拠は、人間にしろ妖怪にしろ変化の度合いには限界があるはずで、それを超えた変化は変異であるという積み上げた膨大な経験から導き出した判断である。
問題は何に変異しかたかである。
博麗神社から永遠亭まで直線ではないがまっすぐこちらに向かって来たということは、永遠亭の誰かに用事があるということで、今この現象を見るにあたり、目的はレイセンである。
事実はまったく違うのではあるが、妹紅が妹紅ではないという最初の誤認があるため、この様な判断になった。
永琳としては、では何故レイセンなのか?である。
得体の知れない何者かが真っ直ぐレイセンを見出したということは、レイセンもしくは月の兎を知っている人物と考えるのが妥当だ。
レイセンは月で生まれた兎であり、彼女の持つ特殊な力「狂気の瞳」によって優秀な兵士として月の管理者軍で活躍した経歴がある。
レイセンによって甚大な被害を出した月族が彼女一人の討伐に力を入れ出し、苦労の末レイセンの捕獲に成功する。これまで多大な損害を与えられたレイセンに対し、半永久的な拷問でもってその罪を償わせようとしたが苦痛に耐えきれず精神に異常を来し廃人となったため、そのまま死刑になるところを「貴重な標本サンプル」になるという建前で永琳と輝夜に拾われる。
永琳と輝夜の力で回復したレイセンは、永琳の親戚にあたる綿月家の私兵として預けられ永琳とレイセンの縁はそこで一旦途絶える。
その後永琳と輝夜が地上に出奔。その後に起こった月面戦争によって完全に永琳らの消息が途絶える。
だが、その後のアポロ計画という地上からの二度目の侵攻を受け、一回目の侵攻である八雲紫の引き起こした月面戦争勃発後、月の種族間抗争とは別に月自体の防衛を目的に発足した中立組織月面防衛庁でその任に就いていた綿月家が、兵士の敵前逃亡を装って永琳捜索の為に地上に配下を派遣した。それがレイセンである。
レイセンは、元は管理者側でその後月族に移籍していることになりこれは前例がない。更に敵前逃亡などと命令に逆らえないはずの月の兎としてこれまた前例のない事をしでかしたと言うことで、レイセンは月の兎では異端中の異端で、不名誉の代名詞のような存在となっている。
そのレイセンは地上に降りて長くそこで過ごしたため穢れによって寿命が発生し、もはや肉体的にも社会的にも月に戻る事は不可能となっていた。
そのレイセンを目標とするという事は、何らかの月の事情と関係があるのではないかと永琳は推測する。
しかし解せないのは博麗神社で妹紅が変異したことである。八雲紫達は妹紅という生け贄を捧げて月と何らかの密約を交わしたのではないだろうか?
月の民が地上で穢れ事を行うには、それを代行させるものが必要になる。妹紅はそれにうってつけだ。では、妹紅を差し出した代償はいったいどんなものだろうか?
永琳や輝夜が標的ではない様子からすると、月の情勢が変化し兎の扱いに変化があったからだろうと推測出来る。その扱い方の変化は兎そのものの存在を無くすというものだろう。
いつものようにレイセンをおびき出しそこで抹殺するという計画だろうが、中身が違い過ぎた事でレイセンも警戒し動かない。
永琳としては不幸中の幸いと感じていた。
永琳は視線を妹紅からレイセンに移した時、レイセンもまた妹紅に釘付けになっていることに気付いてゾっとする。
これはなんらかの情報伝達をしているのではないか?
月の兎は従順な性格で騙し易く洗脳なども簡単に出来る。
それを危険と感じだ永琳は目に力を込めて殺気で妹紅の気を引く。
妹紅はそれにすぐに我に返った様に反応し、そのまま振り返らず飛び去っていった。
「・・・」
何らかの情報がレイセンに送り込まれている可能性がある。調べてみる必要がある。
実際にはそのようなことはなく全て杞憂ではあるのだが、頭のいい永琳としては妹紅の変化をそう判断するのはやむを得ない。
永琳はレイセンを研究室に連れて行き調べようと声を掛けようとしたその時だった。
「か・・・かっ・・・。」
輝夜が突然呼吸を乱して苦しそうに伏せた。
「え、えい・・・りん・・・は、はじま・・・った!」
もがき苦しむように、永琳の足元に這い蹲る輝夜は振り絞るように何かを言う。
レイセンの耳には「永琳、始まった」と聞こえた。その輝夜は言い終えると白目をむいて口から泡を吹いて昏倒した。
レイセンとてゐは初めてみる輝夜のその様子に驚いて永琳に助けを求める。
「強制跳躍が始まったわ・・・。」
「きょうせいちょうやく?」
聞き慣れない言葉が永琳の口からもれる。
「姫が時間を操れる事は知ってるでしょ?」
「はい。」
「未来を見聞きして戻ってくる事が出来るのだけれど・・・その未来が存在しなかったら時空の迷子になってしまうわ。そうならないように、未来が消えた瞬間、姫は強制跳躍して未来消失の原因を突き止めに自分の意志とは無関係に飛んでしまうのよ。」
永琳は冷静にとんでもない事を口にする。
「未来がないって・・・それって・・・。」
「そう、世界が滅亡して未来が存在しなくなるということね。今まさに私達の未来が消滅したのよ。」
凄い事をさらりと言う永琳。
「もしかして妹紅の件とかもそれに関係する前兆ということですか?」
涙目になって訴えるレイセンとは裏腹に永琳は全く危機を感じている様子がなく、寧ろレイセンの反応を楽しむようにクスクスと笑う。
「姫は今、未来の消滅を目の当たりにしてここに戻ったの。何が要因でそうなるのかを知っている。」
「ということは、未来が消滅しないために今何をすべきかわかるのですね!」
「そういうこと。寧ろこの強制跳躍は未来を約束する知らせでもあるの。だから慌てる事はないわ。」
余裕の表情でそう語る永琳を見て、ほっと胸をなで下ろすレイセン。
永琳は気を失った輝夜を優しく抱きかかえ自室の方へ歩きだす。数歩進んだところで、その場で止まって見送っているレイセンとてゐに振り向き付いてくるように言う。
輝夜の件もそうだが、レイセンと妹紅のなんらかの交信も気になる。レイセンも調べなければならない。てゐは来るなといってもどうせついてくるだろう。
いずれにしても妹紅の変異が未来に大きな影響を与えたのは間違いないと言える。
永琳は研究室(ラボ)ではなく自室に入ると書棚の裏の隠し扉に奥に消える。慌てて付いていくレイセンとてゐは、間もなく下に続く階段に差しかかる。
「こ、こんなところがあったんですね・・・。」
恐る恐る永琳の後について感想をもらすレイセン。
「てゐはとっくに知っていたわよ。」
「え?そうなんですか?もうてゐったらダメじゃない!」
優等生的なセリフでてゐを叱るレイセン。
「レイセンは好奇心が無さすぎなのだ。」
知っていて当たり前的に胸を張り、自己正当化するてゐ。
「ホント、そうね。」
てゐの言葉に意外にも永琳は同意した。
「し、師匠まで・・・。」
月の兎は主人に対して従順でウソはつかないように創られた種族である。主人の部屋をあれこれ詮索するなど、悪戯好きのてゐにとっては普通の事でもレイセンにとっては絶対してはいけない事であった。
永琳はそんな従順なレイセンを可愛いと思う反面、死ねと命じれば本当に死んでしまいそうな兎に哀れみも覚えるのである。
それほど長くない木造の階段を下りると目の前に金属製の明らかに永遠亭の建物とは異質の扉が現れる。
月の兎であるレイセンにとって、金属製の自動開閉扉の方がいたって普通の扉に見えるわけで、てゐのワクワクした表情に比べレイセンの表情に感動はなかった。この先に月の技術を結集したような凄い部屋があるのだと容易に想像でき、そこは興味があり楽しみである。
永琳は扉の前に進むと上の方を見る。センサーが反応して個人を特定すると薄暗い通路に照明が入り、その僅かな光りに反応して通路の壁全体が淡い光りを発して4人を照らす。
スリープ状態の施設が起動し電子式の扉の機能が回復したのだと、レイセンは通路に伝わる僅かな振動で理解する。
永琳は扉の横のパネルにそっと触れると扉は音もなく開く。輝夜を抱えたまま永琳が開いた扉から中に入りてゐも及び腰で続く。扉前まではこっそり侵入した事はあってもその中は今回初めてのようである。
レイセンは許可もなく入って良いのだろうかと一瞬足を止める。それを察したように永琳はレイセンの入室を許可した。
「ここは、地上に降りてきた時に使った船の中よ。」
ここは永琳達が地上に降りて来た時に使った宇宙船の中枢部であり、永遠亭はその船の上にある。しかし、宇宙船を地上の大地に埋めてその上に建物を建てたというのではなく、竹林そのものと一体となっている宇宙船なのである。厳密には竹林限定ということではなく、その土地に合わせ物理的に同化するカモフラージュ機能で、幻想郷に来る以前に竹林にカモフラージュしており、その状態のままで幻想郷入りしたというわけである。
幻想郷には元々竹林はなく津波で流されてきたと言い伝えられているが、これは永淋達が幻想郷に移住した時にカモフラージュした竹林ごと幻想郷入りしたので外から流されてきたと当時の人に思われ、そう伝承されたのだ。
迷いの竹林に限らず地上の何処かで国や土地、建設物が忘れ去られて幻想になれば幻想郷に流されて来る可能性があり、過去にもそういう土地や建物はいくつも確認されている。
永琳の許可を得て恐る恐る扉をくぐるレイセンは目の前にいる人物を見て一瞬思考が停止した。
「・・・姫・・・様?」
レイセンの目の前にいたのは蓬莱山輝夜その人だった。
先程まで気を失って永琳に抱えられていた輝夜が今は何事もなかったかのように立っている。レイセンははっとなって永琳を見る。
「!」
永琳に抱えられていた輝夜は部屋の中央やや奥にあるベッドのような細長い台に今まさに永琳とてゐ二人がかりで寝かせようとしていたところであった。
「あ・・・あ・・・あれ?」
文字通り開いた口が塞がらないという表情で目の前にいる輝夜と永琳らによって寝かされようとする輝夜を交互に見るレイセン。
「どうしたの?そんな狐につままれたような顔をして・・・。」
目の前の輝夜がレイセンに話しかける。声も態度も自分の知っている輝夜姫そのものである。
レイセンは一旦後ろを向き考え込む。
「(これは、きっと私を驚かせるドッキリに違いないわ・・・うん、きっとそう!)」
いつもからかわれるレイセンはそう自分に言い聞かせて気を取り直して振り返る。きっと、てゐあたりが「なーんちゃって!」とか言ってテヘっと笑うはずだ。
しかし、振り返ったレイセンがみたものは何事もなく普通にしゃべっている輝夜と永琳とてゐの姿だった。
「いいの?永琳。イナバってば全然知らないみたいよ?何で連れてきたの?」
「今回はちょっとうどんげにも関係があるので・・・。」
永琳と輝夜がなにやら意味不明の会話をしていたが、最後に輝夜がレイセンに視線を向け目が合う。
「ど、どういうことなんですか?・・・わかった!クローンですね!クローン!」
レイセンは何故輝夜が2人いるのか質問しようとして急に閃いて決めつける。
昏睡し寝ている輝夜の回りで動いていた永琳は一度手を止めて振り向いた輝夜に目配せし、それを受けたもう一人の輝夜はレイセンの前に進み出る。
「私が時間を操れるのは知ってるわよね?」
「は、はい・・・と、言うことは別の時間軸のようなものがあって・・・。」
「まーだいたいそれであってるわ。」
「はぁ・・・。」
試しに理解したように言ってはみたものの、完全に納得出来ないレイセン。そこへ永琳もやってくる。
「月で兎を使った戦争が始まった時、姫の強制跳躍現象が初めて起こったの。」
月の兎の代理戦争は月の情勢に大きな変化を生み暴走の引き金となった。科学が進みすぎた月ではちょっとした間違いが全ての崩壊に繋がりやすく、実際に間違いを起こす選択をしていた。
この時初めて輝夜が強制跳躍をして崩壊の危機を予言出来る事がわかったが、強制跳躍による肉体的、精神的な負荷は凄まじく、奇跡的に命は取り留め助かったものの、何度も同じ事が起きると回復不可能になり崩壊の原因を突き止める事ができなくなってしまう恐れがあった。
その為、特定の時間をループさせた時間軸を形成し、輝夜の身に何かあった場合のスペアを保管する事を永琳が発明し輝夜が実行したのである。
「そんな事が可能なんですね・・・。」
「私達はそれぞれその時間では別の個体として生きているけど、全て繋がって誰かに危機が発生した場合には元いた場所を破棄して、この場所に来るようにしているの。」
輝夜が事情を説明する。幻想郷の住人、例えば霊夢などにこのことを説明しても、眉唾として話半分に聞くか、居眠りを始めるかであるが、月の住人だったレイセンとしてはそういう事は有り得ない事ではないと思える知識が予め備わっているので、説明する輝夜としては楽である。しかし、その説明に異議を唱える者がいた。
「・・・危機が発生した時だけだっけ?」
「ぎくっ!」
「どういうこと?」
「面白がって時々入れ替わって遊んでいるような・・・。」
「入れ替わって・・・って、あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっっっっ!」
その時突然レイセンは大声を上げた。輝夜の後ろで永琳はクスクスと笑い、輝夜はばつ悪そうに横を向いて舌を出す。
「そうか、そうだったのか・・・だから昨日言った事なのに初めて聞いたような顔していたり、何も言ってないのに知っていたり・・・。」
「頭のおかしい人だと思ったでしょ?」
てゐがすかさず合いの手の入れる。
「そうそう、絶対おかしいわよね・・・って、ちょっとてゐ!何言わせるのよ!」
「誰がおかしい人だって?」
「あ、いや、これは、その・・・ごめんなさい!」
「てゐは前から気付いていたようね。」
永琳がてゐの頭を撫でながら褒める。
「普通気付くでしょ?」
さも当たり前のように言うてゐ。
「ここは複数の時間を統合する場所でもあるの。」
「師匠は一人なんですよね?でも複数の時間があるということはこのことを知らない師匠がいるとかはないのですか?」
「この概念を構築したのが私だから、それ以前に姫が独自にループ世界を作り出していない限りそれはないわね。」
「あまりにも古い時間は孤立化させて凍結している。余りにも時代が変わると意識の統合がしずらいからばれるし。何かの時に使うかもしれないから残しているけど。」
例えば500年前と現代では言葉づかいなども考え方も違う。直近のループ空間との間で交替が行われないと不自然な言動や行動で別人とばれてしまう。
「なるほど・・・でも、やっぱりいまいち納得できないような・・・。」
「概念を教えて作らせたものの、私にも正確には把握出来ないわ。言葉や文章で説明出来る事には限界がある。でも、科学として成立させるにはどうしてもそれをしなければならないのだけれど・・・天才、つまり天から授かった才能を持つ人というのは、理屈抜きで出来ちゃうのよ。うどんげだってその瞳の力の原理や仕組みを言葉や文章で分かるように説明しろといっても難しいでしょ?」
「・・・確かに・・・でも・・・なんていえばいいのか・・・こういうのって何かしてはいけない事・・・みたいなルールがあるんですよね?」
永琳も全て理解しているわけではない輝夜の時間概念。その事に関してはレイセンと同レベルであるという永琳話しだが、これほどの力にはやはり反作用があるのではと心配なレイセン。
「別にやってはいけないことなんて基本的にはないわね。こんなの息してるのと同じですもの・・・でも、世界の崩壊を防ぐという意味でやっているこのループ保険を成立させるには一定の条件が必要ね。」
「条件?」
「今ここにいる私が世界に干渉しないこと。」
「それだけ・・・ですか?」
「ループを発生させたからといってその世界が独立した未来を持つ孤立した世界になるわけじゃないわ。あくまで未来は共有しているの。でも、私がそのループが発生した時の未来とは別の未来を作ってしまうと、ループが無効になるの。」
「・・・んー・・・。」
レイセンには輝夜のその説明ではすぐに理解できなかった。その状況を見て永琳が輝夜の代わりに説明する。
「ループを発生させた時、その現在と未来には藤原妹紅がライバルとして姫の前に存在しているとするわね。でも、後になって妹紅を殺した。こうなると、ループを作った時の未来と今現在の未来が別の物になってしまうわけね。」
「妹紅が死ぬというのは既に未来に織り込み済みでループの有無とは関係ないのではないですか?」
人の生き死に、つまり運命はある程度決まっていて、仮に妹紅が死ぬという現象は輝夜の選択に関係無しに運命に織り込まれており、ループとは関係ないのではないかというのがレイセンの主張であり、多少頭が回る者ならそう考えるはずである。
「うどんげの視点は世界に私達が従属するという意味で言っているとおもうけど、私達がしていることはそういう大それたことではなく、単純に保険が掛けられるかどうかを問題にしているの。」
「イナバの感覚だと世界の一定の流れに私らは干渉出来ないっていいたいんでしょ?」
「は、はい・・・。」
「妹紅が死ぬのことが想定されていて、私がやろうが他人がやろうが絶対死ぬんだからループの前も後も同じっていいたいんでしょ?」
「ええ、そうです。」
「前提がおかしいわね。」
永琳がどう説明すればいいのか思案する。
「妹紅が誰に殺されようが、姫がそれを知らずに引き籠もりを続けていれば、姫の世界では妹紅は存在してると思っているからループは成立したまま・・・ってことかな?」
今まできょとんと聞いていたてゐがぽつりとつぶやく。
その場にいる全員が意外な伏兵に注目して固まった。
「と、いうわけよ。解った?」
「ええ・・・てゐので良く解りました・・・。」
世界で起こっている事象とは関係なく、非常に狭い個人の周囲に起こる事象に変化が生じなければ過去のループと未来とが共有出来る。
世界に干渉してしまう輝夜の能力と輝夜が個人的に行っているループによる保険は、まったく無関係なのだが、前者のインパクトが強いため後者が従属しているように見えてしまう。レイセンはそこの区別が出来なかった。そして永琳達は頭で解っているものの、それを口で説明する事に苦慮した。てゐは、普段の輝夜の外の世界と干渉したがらない行動から逆算して出した答えだった。
「姫様って偉いんですね・・・。」
「今頃気付いたの?」
「でも、なんだか可哀想・・・。」
レイセンは、輝夜のしている事がとても重要で尊敬に値すると思ったと同時に、その為に自分の行動を制限している事に同情する。
しかし、この言葉は周囲を凍らせた。
「お、おい、レイセン、謝れ!」
輝夜の様子が変わったのにいち早く気付いたてゐが、輝夜に同情してしんみりしているレイセンのスカートの裾を引っ張って知らせる。
永琳はその場をそっと離れ中断した作業に戻る。
「はっ!」
可哀想な主人を想い心から同情をするならまだしも、レイセンの言い方はどこか他人事だった。それでも、レイセンは普段通りの言い方をしたつもりで、怒りを買うようなものではないと思った。
しかし、輝夜の恐ろしい形相には殺気があり、レイセンはすぐに考えを改め謝罪しようとしたが、その前に胸ぐらを掴まれそのままもの凄い力で身体ごと輝夜の顔面近くに引き寄せられた。
「言ってくれるじゃない、ペットの分際で。」
「す、すみません。そんなつもりではなかったんです。」
「はぁ?じゃーどんなつもりで言ったのよ?」
輝夜は胸ぐらを掴んだまま突き飛ばすように、レイセンを壁に叩きつける。一見華奢だが、本気を出せばレイセンなど片手でひねり潰すことが出来る輝夜。
壁に叩きつけられ床にそのまま尻餅をつくように落下したレイセンは、何故ここまで輝夜がキレているのか理解できなかった。最初の一瞬は何かの冗談かとも思ったが、自分の身に危険が迫っている事を本能的に察知して、逃れようとする。
しかし、それよりも早く輝夜の蹴りがレイセンの顔面を叩き潰す。
月の兎であるレイセンの肉体的な強度は人間の比ではなく、通常の蹴り程度物ともしないが、輝夜の渾身の蹴りの破壊力は凄まじくレイセンは頭蓋骨が軋む音を聞く。
「(殺される!)」
レイセンは咄嗟に死の接近を感じる。そして蹴りの一撃でレイセンの戦闘力も戦意も挫ける。
「姫!そのへんでカンベンしてあげて!」
てゐが慌てて輝夜の腰に巻きついて止めようとする。しかし、顔面を殴られてそのまま永琳の足元に吹き飛ばされる。
「師匠!止めて!レイセン死んでしまう!」
てゐは永琳に助けを求めた。
「うどんげは姫のペット。彼女をどうすかは姫次第よ。」
「そ、そんな・・・。」
「てゐ。あなたも通った道でしょ?」
因幡てゐと永遠亭の関係は初めから蜜月であったわけではない。元々てゐのテリトリーに輝夜達が侵入し、そこで抗争が繰り返された末に地上の兎が敗北し、その後和解して主従、師弟関係を組んだのである。
輝夜らの秘密を知った時は、今のレイセンの様にズタボロにされて命と引き替えに広言しない事を約束させられたものである。
完全な固体のコピーともいえるループ保険は、絶対に他人には知られてはいけない永遠亭の秘法であり、レイセンがここまで痛めつけられるのは、その重大な秘密を知っておきながら、他人事の様に振舞った事で輝夜の怒りを買ったからである。
その秘密の巨大さとそれを共有する覚悟の見えないレイセンは、輝夜にとってはもはや主従でもましてや家族とも思えない存在となってしまったのである。
「私が可哀想だって?それなら私もあんたに言ってやるわ。イナバも可哀想。月に居れば沢山敵を殺せたのに。勲章貰えて英雄になれたのに、私達に助けられ英雄として戦死もできず、廃人同様になってやりたくもないことを毎日毎日やらされ、ぐうたらな姫の面倒見させられて、あー可哀想、カワイソウ。」
レイセンは捕らえられて廃人になるまで拷問されたが、そのまま死刑になっていれば管理者の軍勢の中では英雄として扱われていただろう。
「そ、そんな事・・・思っていません!」
気持ちが既にくじけていたレイセンだが、自分を罵るようなその言葉に怒りを覚え反論する。
「ほんとかしらね・・・同じ失敗を何度もするし、言いつけも守れない。すぐにてゐのせいにして逃げて、永琳にはいつも怒られて・・・ほんとにやる気あるの?」
「そ、それは・・・。」
それを言われるとぐうの音の出ない。だが、レイセンとしては、月からの使いとして来ている半分お客様的に考えているとろもあり、不当に扱われているという思いもあるのだ。
「あんたはやることなすこと、全部気が入ってないのよ。」
輝夜はそういいながら何度もレイセンに本気の蹴りを入れている。てゐや永琳からみても明らかに殺しにかかっているように見えた。
「・・・。」
床に伏せたレイセンの左腕は輝夜の蹴りから腹部をガードしようとして骨折し不自然な方向に曲がっており、体中蹴られて内臓も破裂しもはや抵抗する力は残っていなかった。
あと一撃で殺せると見た輝夜は一度蹴るのをやめ、その場にかがんでレイセンの耳を無造作に掴んで無理やり頭を持ち上げる。
「イナバ。あんたに悪気がないってのは私も分かるわ。ポンコツの兎にそんな度胸がないことなんて分かってる。でも、何で私が怒っているかちゃんと分かってる?それすら分かってないでしょ?」
最初の蹴りで左目が潰れて開かないレイセンはかろうじて開く右目で輝夜を見る。先程の怒りの表情はなく、代わりに哀れみの目がそこにあった。それを見たレイセンはもうすぐ死ぬのだと覚悟を決め目を閉じる。
「どうやら最後までわからずか・・・しょーがない・・・永琳!」
ため息をついた輝夜がレイセンの耳を床に投げ捨てるように離すと立ち上がって永琳の名を呼ぶ。
「悪いけどレイセンは切るわね。これじゃ秘密を共有できる同士にはなれない。」
「・・・姫がそう決めたのなら致し方ありません。残念です。」
レイセンはその会話をどこか他人事のように聞いていた。自分が想像した以上にこの秘密は重要なのだと気づいた時はもう既に遅かった。輝夜が怒っていたのは、自分がペットではなく同士になれない存在と見極めたからだ。そして、輝夜は自分を同士に迎え入れる準備があった事を知り愕然とする。
主の期待に添えなかった自分に大きな憤りと悲しみが溢れ、レイセンの目から大量の涙が溢れる。
「可哀想だけど・・・これも飼い主の努め・・・。」
輝夜はレイセンの頭の前に立つと足を振り上げる。薬による安楽死という方法もあったが、そのような準備はしておらず、また、それでは輝夜の怒りも収まるものでもない。そう、この結果を望んでおらずそれを実行しなければならない輝夜は心の底から怒っていた。
「ドカッ!」
鈍い音が部屋に木霊した。
「てゐ!」
輝夜の振り下ろした足の先にいたのはレイセンの頭を全身で包んでガードし、その蹴りを背中にまともに喰らったてゐだった。
「ちょっと、何やってるのよ!」
輝夜の渾身の一撃を背中にもろに受けたてゐは、輝夜の驚きの問いに答えず、その場で力無くぐったりと床に崩れ落ちた。
「ちょっと、てゐ!」
てゐの予想外の行動に輝夜も狼狽える。永琳がすぐに駆けつけてゐを抱きかかえ様態を確認する。
「背骨が粉々ですけど・・・大丈夫、すぐに処置すれば助かります。」
永琳の言葉を聞いてほっと胸をなで下ろす輝夜だが、その時異様な妖気を感じた。
「よ、よく・・・も・・・てゐ・・・を・・・。」
振り向いた先にいたのは全身ボロボロで立てないほどの重症を負っていたにもかかわらず、立ち上がるレイセンだった。
輝夜と永琳は同時に驚き、そして恐怖を覚えた。
レイセンの開いている右目は白目も黒目もなく、内側から光が外に漏れ出すように不気味に赤黒く輝いていた。そして禍々しいオーラを全身から吹き出し、風見幽香ですら引きそうな残忍な表情をしていた。
肉体というのは自分の力で自分を破壊しないために無意識に力を抑えている。極限状態になるとその抑える力、リミッターが壊れ、通常では出ない力を出すことが出来る場合がある。レイセンの状態は正にその状態といえる。
てゐという存在を失ったと思い込んだ事によって、キレてこうなったわけである。
月の兎は反抗心など抑制されているため、キレないのが特徴といえる存在である。その為レイセンの今の状態は月の兎では有り得ない事であった。しかし、レイセンは過去に肉体的にも精神的にも一度壊れており、輝夜の言うところのポンコツ兎である。分類は月の兎だとしても、中身は別ものなのだ。
レイセンは折れた左腕をだらっと下げた状態で右腕だけを上げ、人指し指と親指を立て指で銃を模した独特の構えを取る。
「どうなってるの?」
色々な意味で有り得ない行動を取るレイセンに困惑する輝夜だが、永琳はその状態と行動をある程度理解できていた。
「輝夜、うどんげは本来、両目で波長を調整してるけど、それが片方になったことで自分に跳ね返ってしまっているわ。所謂自己暗示で自己限界を超えた潜在能力を引き出してしまっている・・・。」
永琳の口調が従者口調から所謂タメ口になった。これは2人だけのプライベートな時の話し方で、事実上レイセンとてゐが退場している状態なのでそうなったわけである。
「死に損ないの分際で・・・本気出すならもっと前に・・・。」
レイセンのターゲットが自分に向けられている事に気づいて思わず息を呑む。危険な刃の様なその深紅の瞳に輝夜は気圧された。
「輝夜、この状態で暴れられると厄介だわ。ここはうどんげに殺されて。」
「はぁ?」
「今のうどんげは一種の夢を見ている状態よ。一撃貰えばうどんげの目からは一矢報いたと思って怒りも収まるわ。」
「夢?だったら別に死ななくてもいいでしょ?」
「ええ、取りあえず逃げずに撃たれてあげて。」
重要な機器類があるこの部屋で暴れられるのは得策ではなかったので、輝夜は永琳の助言通り、動かずにその場でレイセンの行動を待った。
レイセンの人指し指に力が集中しそれがどんどん膨れあがる。最初は余裕でそれを見ていた輝夜だが強くなるその力に焦りの色が現れる。しょせんはイナバの力と思っていたがリミットオーバーした力は侮れない。
「ちょ、ちょっと永琳・・・永琳!た、助けて永琳!」
これをまともに喰らったら死ぬと悟った輝夜は永琳に助けを求めた瞬間、レイセンの指の銃身が跳ね上がる。
一瞬で輝夜は蒸発し、そこを中心に高熱が発生する。
永琳はそれを見た瞬間、輝夜ごとエネルギーフィールド、幻想郷で言うところの結界を張って濁流となったエネルギーを封じ込め、力が収まるまでやりすごす。結界の中でリザレクションを表す光が何度も点灯する。結界の中で輝夜が何度も何度も死んでは生き返りを繰り返しているのだ。
数分後にエネルギーが消滅し、同時に結界を解く永琳。
消えた結界の中からぽとりと輝夜が出来てきて尻餅をついた。
「ふー死ぬかと思った・・・それにしても永琳さん?姫の扱いがなってないのではなくて?」
立ち上がって永琳に不満げな表情を向け、わざとらしく上品にいやみを言う輝夜。
「永遠亭を救ったのですから大手柄ですよ。」
オホホと輝夜にあわせて上品に笑って見せる永琳を尻目に肩をすくめながら力尽きて倒れているレイセンのそばに歩み寄る輝夜。
「姫、どうかうどんげを助けてあげてください。」
2人だけのフランクな口調が一変し、輝夜に深く頭を下げる永琳。
「・・・わかってるわ。イナバを殺せば地上の兎を敵に回してしまうものね・・・まったく、まさかてゐがあんな行動とるなんて・・・。」
レイセンのそばに行った輝夜は彼女が息をしていることを確認してから、てゐの前に来て抱きかかえた。
「イナバより危険な状態だわ・・・さすが、私の蹴り・・・。」
本気とも冗談ともいえない事を言っててゐを永琳に渡す。
てゐを受け取った永琳は、ポケットから金属製の薄い板のようなものを取り出し、1枚に見えた板の面を2つに開き、間に挟まっていた紙の包みを取り出す。
取り出した紙の包みをカサカサと音を立てながら開き、中の粉を人差し指の第一間接全てに付着させるようにしばらくこね回した後、それをてゐの口の中に突っ込み口内の粘膜に塗りこむ様に指を回す。
胃や小腸から吸収させるのではなく、粘膜から直接体内に浸透させるその謎の薬は瀕死の状態から命を持たせる為の効果は強いが持続力の短い応急処置用の特効薬である。
薬の効果はすぐに現れてゐは息を吹き返す様に目を開ける。永琳はレイセンも同様に処置するために、てゐを輝夜に渡す。
「・・・レイセンは?」
「だいじょぶよ。あんたに免じて殺すのはやめてあげるわ。」
「よ、良かった・・・。」
てゐはそういうと大粒の涙を流しはじめ輝夜を驚かせる。普段の二人のやりとりを見ていてもそこまでレイセンを思っているようには見えなかったからだ。
調子の狂った輝夜はてゐをそっとレイセンの隣に寝かせるとそのまま、隣の部屋に立ち去ろうとした。
「先に行ってるわね。」
「ええ、あ、姫!万能薬2つと、あと何か食べるものを頼んでおいてもらえます?」
「・・・こんなことになって、保険が利いていると思ってるの?全部消えて無くなってるんじゃない?」
「姫はお優しい人ですから・・・。」
ニッコリと微笑んで見送る永琳。
「ふん!万が一残ってたらそうさせるわ。」
てゐには一瞬何の会話か分からなかったがすぐに理解できた。
「これでよしと・・・。」
てゐと同様に処置されたレイセンはてゐの横に寝かされた。てゐの時のようにすぐに目を覚まさないレイセンだが、顔の腫れ具合に反して表情は穏やかで、緩やかに規則正しい呼吸をしていることが確認でき、安心するてゐ。
「てゐ、もうすぐ万能薬が来るから少しの間だけ我慢してね。」
頷くてゐを一瞥して永琳も輝夜が出て行った扉に向かい奥に消える。部屋に2人だけになったてゐとレイセン。
てゐは兎としてはただ一人、突然変異的に超状的な力を身につけた妖怪兎である。そしてそのことはてゐを孤独にした。配下にたくさんの人型にまで変化した妖怪兎はいるものの、どれも自分の影響で兎がそう変化した存在で、仲間や僕であってもケンカをしたり甘えたりできる家族ではなかった。
永琳と輝夜に敗れ服従したてゐにとって、その後にやってきたレイセンは、同じにおいがする家族となりえる唯一の存在だと思っていたのだ。