※無明庵の中心技法について書きますが、私は全自我認定を受けたわけではありませんので、注意して下さい。


私は、「私はある」と唱えて意識を静かにしたあと、中心技法を行っている。


中心技法をしている際に気づくのは、やはり「思考の起こり」である。


そもそもの「中心点」や、「私」は、ただ目を瞑った暗闇を見ているだけである。


そこに、何かしらの刺激(これは、全ての刺激である。)が加わったときに、それに応じた、感情・思考が「刺激に関連付けされて」現れる。


例えば、鳥の鳴き声が聞こえ、朝を感じ、仕事が始まるぞ、やらなければいけないことがあるぞ、書類を作らなければ


という具合である。

全ては、「私」「中心点」から、何らかの刺激によって、「関連付けされて」、思考が始まる。


この「関連付け」は、「記憶」がその関連付けの道筋を作る。


先程の例であれば、朝、出社する(しないと給料が減らされる)サラリーマンの例であるが、これは、そのサラリーマンの記憶が、刺激によって彼の思考をまるで流れる水のように関連付けたのだ。

★記憶の道筋だけを明確にしたいのであれば、感心マップがふさわしい。アレは、何も外部からの刺激がない中で行うことによって、自分の感心の偏りがどのようにして起こるのかを捕捉する行為である。


中心技法は、トラウマ堀やAC人格の総仕上げというか、「私」に「私以外」の刺激が入り、(ここでいう「私以外」とは、体の痛みや、痒み、お腹の具合、肩こり、口内炎なども含む)、それが記憶と紐づけられ思考感情を生成するルートを観察する行為である。


いかに自分が、トラウマ記憶に紐づけられた思考を行っているか、トラウマ記憶で紐づけられたAC思考・AC人格・AC感情で人生が作られているか、客観的に見ることができる。


関心マップは、そのうちの記憶の関連によっておこる「関心」を図示して把握するものである。


いずれも、「私」「中心点」からは距離があることを観察すべきだ。


そして、トラウマ記憶に基づいた思考は、「断ち切ること」が必要である。

繰り返し繰り返し紐づいてしまう場合は、その部分を大量に噴出させてあげるのだ。「私」「中心点」に一番に近いところを出してあげるのだ。

それは、一番単純な感情である。


対人関係の記憶であるなら、「〜であるから」「〜であり、だからこうなってこれがトラウマになったのだ」などと分析してもあまり意味はないと思う。


「話聞いてくれよ!!」「無視すんな!!」「何その態度!?」


という、より「私」や「中心点」に近い感情を出してあげるのが良いと思う。