本四ルート橋の関連記事が続きますが・・・
みかん県今治市からうどん県坂出市へと
舞台は来島海峡より備讃瀬戸へと移っておりますので
そこンところヨロシク
;^_^A

お願い致します(笑)
今回の探訪の第1島めは与島
前回の元日の探訪では
岡山県側の児島駅前からアクセスした為に
与島は最後の島となって、探訪時間も1時間55分と、最も短かいものでしたが
今回は逆で、3時間34分の最も長い滞在時間になります
ふたつのGPSログを重ねてみると、こんな感じになりました
廻れるところは殆ど歩けたでしょうか?
※ジオグラフィカ(iPhone SE)によるGPSトラックログが路線バス乗車時に軌跡が乱れてカクカクしています(点から点に飛んでる感じ)
ガーミンコネクトの方はバス乗車時も正確に記録されているので、地理院地図でなく空中写真になりますが併用して記載していきたいと思います
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ご訪問頂きましてありがとうございます
前回の「瀬戸大橋の橋脚となった島々を再訪」から続きます
坂出駅 北口にある坂出駅前バス停 ①
琴参バスの路線バスは初乗車です



料金は坂出駅前からは坂出北ICに入る前なら170円
与島に上陸すると何処で降りても530円です
今回は終点の浦城まで乗車しましたので530円です
途中の両景橋のバス停から男女1名ずつ乗車して乗客は4名になりました
坂出北ICから瀬戸中央自動車道に流入します
このインターは岡山方面からの流出入のみしか出来ませんので
四国へ向かう場合は坂出ICから流入しなければなりません
瀬戸中央自動車道上り線に路線バスが合流します
前方に続くのは番の洲高架橋
1988(昭和63)年の瀬戸大橋ウォークでは
ここから海峡部までがかなり長かった思い出があります

路線バスとは雖も、ウォーキングとは比べるべくも無く
僅か19分後には与島PAへの流出線のループを下っております
与島で最初のバス停、与島PAで女性客が1名降車しました
途中から右折してゲートへ(一般車進入禁止です)
ゲートを潜るには特別な許可を受けたカードが必要です
岡山方面へは与島第二駐車場前で乗り継ぎますが
整理券にハンコを押して貰うのを忘れないように
ここでまた1名降りました
9:34 ⑥
バスは小高い丘を越えて与島の東岸を南へと向かい、
前方に鍋島と南・北備讃瀬戸大橋が見えてます
終点浦城バス停へ到着!
ここで私ともう一人の男性乗客が降りて
乗客は全部で4名、全運賃収入は僅か1,880円です
与島PAで降りられた方はPAの施設で働かれてる方かも
私を含めて他の3名は住民では無く、地元の方は乗られて無かったです
9:40 ⑦船舶のキャビンがバス停の傍にありますが
待合所か集会所にしているみたい
でも、錆でボロボロになってる
9:40 ⑦
乗って来た琴参バスは、9時45分発の回生病院行きの第3便となります
琴参バスの窓ガラスはフロントガラス以外はすべてグリーン色になっており
車窓の眺めは緑色に見えます

写真を撮る場合は注意が必要です
現在は利用されて無いのかな?
物置みたいになってる
9:43 ⑧すぐ近くの鍋島は元日に訪問済みなので
法輪寺の高台から辺りを眺めてみようかな
法輪寺の直ぐ手前にあるのはプール?
元日に与島小学校から鍋島灯台に向かう時に
すぐ隣を歩いたのに、まったく気が付きませんでした
法輪寺から見おろしたプールと鍋島
与島中学校と小学校跡にはプール設備は無かった様なので
小中学校ともに、このプールを利用してたのかな?(あくまで推測)
与島小・中学校ともに2008(平成20)年に廃校
与島中学校は瀬戸大橋開通後に現在の塩浜地区に新築移転されたので
それまでは現在の小学校の場所に併設されていたのかも知れない(これも推測)
天津神社へは与島小学校跡を起点にして
集落の中の小路を歩いて向かう事にします
坂出市立与島小学校&坂出市立与島幼稚園正門と北備讃瀬戸大橋北主塔2P
二宮金次郎さんと9ヶ月ぶりの再会

薪を背負って読書をしながら歩く少年の姿は
家の手伝いをしながらも学びを怠らない理想の姿として
全国各地の小学校には二宮尊徳像が建ってましたね~
立派な石積と階段は、
そこに住居があった事を教えてくれます
途中で坂を登ってみると県道274号線の与島小学校前のバス停に出ました
よく見るとグランドの脇に立つこの棒はトーテムポールだったのかな?
10:03 ⑯
陸軍大臣荒木貞夫の揮毫による忠魂碑もありました
ジオグラフィカ によるGPSトラックログ
与島小学校の東の路地を北へ向かい
三叉路を左へ登ると県道274号の与島小学校前バス停へ出ました
折り返して真っ直ぐに下ると右手に与島郵便局があります すぐ先は海岸線の県道に出るので、Uターンして途中の三叉路を北へ
その中に民宿与島の看板が・・・
この路地は天津神社に突き当たりますが
神社のすぐ手前に大きな銀杏の木と地蔵さまがありました
最上段に御本殿が鎮座しておられます
本殿のすぐ上には県道274号線が通っており、
境内を通って抜ける事が出来ます
その途中に瀬戸大橋架橋に際しての天津神社奉賛会による
・・・・・・・・
祈るところ備讃の海に与島の民衆に
新たなる興行殖産こよなき民福あらしめ給え
昭和五十七年十月吉日
と書かれた記念碑が建ってました
瀬戸大橋のルートとなった三つ子島と二面(にづら)島は
かつて神社の所有する島でした
与島の南側の三ツ子島は、島の半分が削り取られて北備讃瀬戸大橋の橋脚(3P)が立ち、
二面島は全島が南北備讃瀬戸大橋の共用橋台(4A)の下に消えました
「惜しみても余りある 美しの島 三ツ子島 二面島」
瀬戸大橋の起工式が一か月後に迫った昭和53年9月12日、
備讃瀬戸の真ん中にぽっかり浮かぶ二面島の磯で、
坂出市与島の氏神、天津神社の氏子が集まって、別れの奉告祭が行われました
「底つ岩根に固めたる橋台の破るることなく、並び建てつる橋脚の傾くことなく、引き延べたるつり綱のたわみ切るることなく 永久(とこひさ)に大橋を守らせたまえ」
神社所有の無人の島に対して祝詞が読み上げられました
旧三ツ子島東灯台は、現在さぬき浜街道のモニュメントとして
県道192号線の中央分離帯に移設して保存展示されています
近くで見ると結構大きくてびっくり
・・・しそう(; ̄ー ̄A ジツハマダミテナイノダ
10:17 ⑱
天津神社の本殿前からは
まっすぐに伸びる南北備讃瀬戸大橋が望めました
天津神社の本殿で折り返して与島東岸を走る県道274号線へ向かいます
ザクロの木と島独特の建築物
基礎の敷石が一直線に積まれてます
再び与島東岸に出ました
左端に鍋島灯台の建つ鍋島、中央に浦城バス停と法輪寺
北備讃瀬戸大橋をバックに秋の空の下の長閑な風景
小与島の北端には瀬戸大橋開業時に建てられた
リゾートホテルアクア小与島が建っており、当初はロープウェイで与島と繋ぐ予定であったとか
このホテルは展望台のある岡山県下津井のホテル ラ・レインボーと同じ系列らしく
瀬戸大橋の観光ブームは僅か数年で廃れてしまい、両ホテルもクローズしたままに・・・
浦城方面を振り返ると
巨大船が北備讃瀬戸大橋の下をまさに潜ろうとしているところ



対岸の小与島も採石の島でした
切り出した石を運ぶ為の港や民家、神社の鳥居が見えます
県道274号線はこのヘアピンカーブで折返して与島小学校前へ向かいますが
出来れば、このまま真っ直ぐに海岸線を歩きたいものです
踏み慣らされた未舗装の道が続いてますが・・・
近寄ってよく見てみると与島石材協同組合のものみたいですが
現在与島で営業している業者は無いはず(未確認ですが小与島に1社のみではないかと)
「採石場に付き発破及び車両の通行により危険です」と書いてある
これは30年以上前の営業中の砕石場の看板だと判断して
海岸線を進もうかと思いますが、現在の地図には道は表記されておりません
まぁ、時間は十分にあるので進んでみて
状況が悪ければ引き返すことにします
今回の移動区間は以下のとおり
途中でゲートを潜り、第二駐車場前を経由して浦城バス停⑦へ向かいます
路線バスの乗車区間は①-⑦のここまで



浦城バス停⑦からウォーキングによる散策開始です

今回の移動区間
路線バス ①-⑦
ウォーキング ⑦-F
今回もお立寄り頂きましてありがとうございました
次回も与島探訪が続きますが、後半は苦行の道?
次回も見てね

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