51-60枚目までのテーマ:子ども時代の気持ち

 

前回、前々回の探究で出てきた

「我慢しろ!」「あつかましい」に

匹敵する父の言葉に、

「許されると思うな」がある。

 

 

 

 

私はこの3つを「呪いの言葉」だと

思っていたのだけれど、

 

こうして取り組んできたおかげか、

先の2つについては、

「へ〜、そうなんだ」と思うくらいにまで

無効化されている。

 

なので、この最後の砦も

サクッと見ていこうと思う。

 

 

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許す立場と許される立場

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実は、この「許されると思うな」は、

これまでにも何度か話題にしてきた。

 

元々は、父に叱られて泣いたときに、

「泣いたからって許されると思うな!」

とさらに叱られたというエピソードが

きっかけだ。

 

 

 

また、小学6年生だった私が

「左利きのままでいく宣言」をした後、

 

父が親戚の前で、

「『左利きを許してください』

と泣いて謝るから許してやった」

 

と事実無根のことを言ったときも、

「許す」という言葉が出てきた。

 

 

 

こうして見てみると、どうやら父は、

自分を「許してやる立場」、

娘である私を「許してもらう立場」に

置きたかったらしい。

 

そして、私自身が無自覚のうちに

「許してもらう立場」に

自分を置いていたことが、

苦しい現実を作り出していたのだと思う。

 

 

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軸を変えてみる

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私は私の意志で、自分の利き手を

優先する選択をしただけ。

 

そもそも親だからといって、

「許す・許さない」とジャッジする

ような話ではない。

 

 

以前の私だったら、このように
「私」を軸にして話すのではなく、

「相手」のやり方や考え方を批判していた。

 

今回であれば、

「作り話をしてまで優位になりたいのか」

というように。

 

そして、そんな相手に憤りを、
それを止めることができない自分に、
怒りと無力感とを感じていた。

 

 

けれど、今はもう、その必要はない。

 

「私は誰かから許されなければならない

立場ではない」という感覚があるからだ。

 

 

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相手の立場を考えてみる

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父の生い立ちを考慮すると、

「我慢しろ!」と同様、

この「許されると思うな」も、

 

親から虐待に近い躾を受けた父が、

私に幼少期の自分を重ね合わせ、

間接的に弱い自分を責めたのでは

ないかと思う。


そうしたら、「許してもらう」立場から

「許してやる」立場に自分を格上げできる。

 

自分ばかりが「やられる立場」に

ならなくてすむ。

 

 

そうなるのは理解できる。

 

ただ、それは私には関係ない。

 

娘である私が父の痛みを肩代わりする

ことはないのだ。

 

これが、現時点での私の見解だ。

 

 

しかし、そうやって境界線を

引けるようになるまでは、

同じようなことが人生の中で

繰り返し起こっていた。

 

 

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裁かれる自分

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社会人になりたての頃、

勤めていた会社の社長から、

電話越しに

「お前、一生、覚えてろよ!」

と怒鳴られたことがある。

 

何かのことでお説教を受けていて、

最後に社長が「いいっすか?」と言ったとき、

私は「はい」という返事と共に、

フッと笑ってしまったのだ。
 

それまで怒っていた社長が、

急にフランクな話し方になったことが、

ちょっとおかしかったというのもあるが、

それ以上に、緊張の糸が解れた安堵の笑い

だった。

 

しかし、社長からしたら、

自分の話を軽く扱われたように

感じたのだろう。

 

「一生覚えてろよ!」と怒鳴って、

社長は電話をきった。

 

 

あの時、笑ってしまったのは、

良くなかったとは思うけれど、

決して話を軽く聞いていたわけではなく、

むしろその逆で、
極度の緊張感があったからだった。

 

それだけ、自分を「裁かれる立場」に

置いていたのだろう。

 

そうすると、実際に相手が怒ったときに

「怒られた」と感じ、必要以上に

傷ついたり、ショック受けるのだ。

 

私も長らく、このことを引きずっていた。

 

 

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視点を変えてみる

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けれどもし、

「相手が勘違いをして勝手に怒っているだけ」

と捉えたとしたら、どうなるだろう?

 

「自分はそんなつもりじゃないのに、

怒りを向けられるなんて、はた迷惑だ」

と思うかもしれないが、

 

少なくとも、

「許す/許される」「怒る/怒られる」

といった関係性からは離れられる。

 

 

そもそも、感情は本人の持ち物だ。

 

 

 

けれど、以前は、

「相手が勝手に怒っている」なんてことは

不遜な考えだと思っていたし、

 

そんなことを言う人は、

「自分の非を認めない我の強い人」だと

少し軽蔑すらしていた。

 

 

しかしそれは、

「相手の意図を勘違いして怒っている」

というケースは考慮していない。

 

つまり、

 

怒られる=非がある=(認めないのは)悪い

 

という公式が私の中にあったことがわかる。

 

 

そんな考えを持ちながら

怒りっぽい親の元で育つということは、

非を認めて「罪人」になるか、

認めないで「悪人」になるかの

どちらかだ。

 

そして長らく、私は「罪人」の方を

選んできた。

 

それが謙虚なことだとすら思っていた。

 

 

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疑われる自分

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「疑われること」にも、

「許す/許さない」と同様の匂いを感じる。

 

「泣いたからって許されると思うな!」

と父から言われたとき、

「許しを乞うために嘘泣きをしている」

と「疑われた」と感じた。

 

その感覚は、

「ズルい人間だと思われないように」

という対策を作り、自分に向けて常に

「自分はズルい人間なのではないか?」

という嫌疑をかけてきた。
 

 

また、以前にも書いた

「お前を遊ばせるために仕送りなんて

したくない」という言葉からは、

 

「遊んでいると思われないように」

という対策と、

「自分は遊んでいるのではないか」

という嫌疑とを作り出した。

 

 

 

この「自分で自分に嫌疑をかける」

ということ。

 

以前はそういった姿勢を

「ストイックであること」

「自分を甘やかさないこと」

のように「良いこと」だと思っていた。

 

 

でも、それは大間違いだった。

 

自分への疑いは、「自己信頼」を妨げる。

「自己信頼」の欠如は、世界を怖いものにする。

 

そう気づいたのだ。

 

 

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身体と心がボイコットした

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裁かれる自分は、自分で自分を裁く自分を

疑われる自分は、自分で自分を疑う自分を

作り出し、自己信頼を邪魔してきた。

 

そりゃそうだろう。

 

悪くないのに裁いてくる相手や、

やたら疑ってくる相手に対して、

人は信頼を寄せない。

 

 

人生の途中から、

自分の思うように動けなくなって、

堕落なのか、老化なのかと思ったことも

あったけれど、

 

それは自分の身体と心が、

「こんなにつらくて大変な思いをさせる

あなたの判断は信じられない」

と、ボイコットを起こしたのだと、

今では思う。

 

 

前にも書いたけれど、改めて

人の言葉をむやみに自分と結びつけるのは

危険だということがわかった。

 

 

 

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「許される立場」をおりてみたら

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私は誰かから「許されなければならない立場」
ではない。

 

そう自覚し始めたら、

ずっとあった「自己弁護はいけない」

という考えが、揺らぎ始めた。

 

 

これはもともと、「裁く父」に、

心から賛同しなければいけないという

ものだった。

 

怒られる=非がある=(認めないのは)悪い

と思っていたのだから、

「怒られても自己弁護はいけない」と

なるのは当然だろう。

 

だからこそ、自分が怒っているときに

誰かが何かを言おうとすると、

「言い訳だ」と不快に感じていた。

 

でも、それは違う。

 


弁護しなければならないような

自分なんて、そもそもいない。

 

私は「許されなければいけない立場」

ではないのだから。

 

 

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アートについて

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出てきた言葉は、聡明さ。

 

相手にのまれないでいること。

 

自分はただそこにいるということ。

 

いろんな刺激によって

影響を受けることはあっても、

 

誰にも侵されない場所はある。

 

 

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ミカヅキ🌙さと子

 

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