51-60枚目までのテーマ:子ども時代の気持ち

 

「わしは親からしてもらえなかったから、

自分の子どもたちにもこれくらいでいい」

 

子どもの頃、父が私と妹にそう言った。

 

何についての話かは覚えていないから

きっと大したことではなかったと思う。

 

その時は何も言えず、

数十年間、その言葉は

私の胸に刺さったままになっていた。

 

 

けれど、このブログの中で、

「世間体や批判を恐れずに

親に言えなかったことを書く」

ということを繰り返していたら、

 

自分の気持ちを感じて言葉にする

スピードが速くなった。

 

 

冒頭の父の言葉に対しても、

 

「自分がしてもらえなかった分、

子どもにはそんな思いはさせたくない

とは思わないの?」

 

と、返せた。

 

若干、非難がましいかなと思いつつも、

それが素直な気持ちだった。

 

当時よりも、数十年経った今の方が、

当時の気持ちと繋がっているように

感じるのは不思議な気がする。

 

 

~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~

無価値感を受け取ってきた

~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~

 

でも、大事なのはここからだ。

 

「言えてスッキリ」することが目的ではなく、

父のあの言葉から、

自分がどんなメッセージを受け取ってきたか、

それが今の自分にどんな影響を与えているか

 

それを解明するのがこの探求の目的だ。

 

 

「自分の子どもたちにもこれくらいでいい」

という言葉をじっくり味わってみる。

 

すると、それは私の中で、

次の言葉に変換されていった。

 

「お前にはこの程度でいい」

「お前はその程度だ」

 

 

人とうまくいかないときに出てくる

「私はその程度の存在だろうから」

という考えの根っこはこれだったのか!

 

と、世紀の大発見をしたような気に

なりながらも、気持ちは沈み、

体はずしんと重くなった。

 

 

一言でいえば「無価値感」。

 

自分がとるに足らないものだと

思われているような感じがする。

 

かといって、

人から求められる価値のある人間に

なろうという気にもならない。

 

 

「なんでだろう? 」

 

自分にそう問いかけてみたら、

 

「そんなことをしたって無理」

「そんなのうわべだけ」

 

という言葉が返ってきた。

 

拭い去れないくらいに

自分の「存在」と「無価値」が

結びついてしまっているのだと感じた。

 

 

~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~

「あつかましい」の影響

~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~

 

価値のない自分。
 

そう考えたとき、父の別の言葉が

心に思い浮かんだ。

 

「あつかましい」

 

思い返したのは、TVを見ていた父が

どこかの女性のことを指して言った

ところだったけれど、

他にもあったかもしれない。

 

「女はズルい」という言葉と共に、

父の女性に対する悪口レパートリーの

ひとつだったからだ。

 

 

「ズルい」も「あつかましい」も、

私に向けて言われたことではなかった。

 

けれども「女性」という自分の属性に

対して向けられた言葉だったので、

私は「そう言われないように」と、

逃げず、求めず、遠慮するよう努めた。

 

また、そう言われそうな女性に対しては、

「あなたみたな人がいるから・・・」と、

内心、迷惑だと思っていた。

 

 

その結果、私が父からそう言われることは

なかったけれど、

 

「ズルい」「あつかましい」という言葉を

脳内で意識し続けたことで、

まるで自分が「強欲な存在」のような

気がしてきた。

 

そのために、

「求めてはいけない」という禁止令が作られ、

「強欲」になることへの恐れを守った。

 

 

~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~

強欲への恐れ

~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~

 

その結果、自分が何がしたくて、

何がほしいかもわからなくなり、

「正しい」と言われるものにあわせ、

さらに自分がなくなっていった

 

 

自己実現のセッションで、

「お願いして、受け取って、感謝したら、

もっと手に入って幸せになるよ」

 

と言ってもらったときに抵抗を感じたのも、

この「強欲への恐れ」があったからだろう。

 

想像しようとすると、

「あつかましい」という声が顔を出し、

私はイメージすることをやめる。
 

 

でも、そんな人生のどこに

「喜び」があるんだろう?

 

ああ、そういえば、

「喜ぶ」「楽しむ」

ということにも抵抗があった。

 

そこにも、「強欲」への恐れが

影響しているように感じた。

 

 

~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~

根っこを断ち切る

~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~

 

自分のことをこんなにも

「無価値で強欲な存在」

「受け取る価値のない存在」

だと思っていたなんて、

 

正直ショックだったけれど、

いろんなことが腑に落ちた。

 

そして、うんざりするくらい

根っこに絡みついてたそれを、

断ち切りたいと思った。

 

 

「『あつかましい』なんて、失礼だよ。

私はそんなに低い存在じゃない。」

 

そう、これは以前、

ビリーフリセットの公開セッションで、

教えてもらった考えだった。

 

 

 

しかし、

自分を低くない立場に置こうとすると、

例の「あつかましい」が発動する。

 

でも、そしたらまた、

「私はそんなに低い存在じゃない。」

をくり返せばいいのではないか。
 

 

結局は、自己価値感。

 

つまり、

自分が自分のことをどう見ているか、

自分の中にあるどの声を信じているか

なのだろう。

 

謙虚であることと、

自分を低い立場に置くことは

同じではないんだ。

 

 

~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~

アートについて

~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~

 

 

 

オレンジ系の色をいくつか手にとったとき、

一瞬、ためらいがあった。

 

喜びの色。

それを全面に使うことを自分に許可する。

 

そこに黄色を加える。

自己主張を表す色。

「自分というもの」の色。

 

 

描いていたら、

「精一杯してよ」という声がした。

 

「この程度でいい」という言葉に対し、

インナーチャイルドがそう主張していた。

 

そうだよね。

あなたは強欲なんかじゃない。

それだけの価値があるんだって、

そう思ってもいいよね。

 

 

~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~*~~ 

 

ヒーリング曼荼羅アートを

描いてみたいという方へ。
体験会のご案内です 🔽

 

ミカヅキ🌙さと子

 

読んでいただきありがとうございました💖

 

 

よかったら、⏬の「いいね」ボタンを

押していただけると、励み💓になりますので、
よろしくお願いします😊