テーマ:境界線

 

前回は「ノー」と言って、

「自分の限度を示す」ことについて
触れた。

 

 

 

今回は同じ「ノー」でも、

「否認」を表す「ノー」について。

 

自分について、

「いいえ、違います」

「私はそうではありません」

と言うとこと。

 

 

書籍『境界線(バウンダリーズ)』によると、

適切な境界線を引くためには、

「自分がどういう人であるか」を

言葉によって明確にすることが重要

だという。

 

ただ、私にとって、

それはとても難しいことだった。

 

特に、誰かが自分について、

違うことを言っているときに、

それを否定できずに流してしまい、

後からモヤモヤすることが何度かあった。

 

 

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友達との記憶

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例えば中学生のとき、

私は友達と雑貨屋さんに入った。

 

お店を出るときに友達が、

「○○(私のこと)が入りたいって言うから」

と言った。

 

けれど、そのお店に入りたいと

言ったのは、友達の方だった。

 

今思うと、店員さんの前で、

何も買わずに店を出ることが

気まずかったのかもしれない。

 

 

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父との記憶

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同じようなことは父との間にもあった。

 

小学6年生のとき、

父が親戚の前でこんなことを言った。

 

「左利きを許してください、

と泣いて謝るから許してやった」

 

 

私は元々左利きなのだけれど、

小学1年生の時から右手を使うよう

言われていた。

 

ただ、右手ではどうにも書きづらく、

テストの時に間に合わないなど

支障があったので、

親のいないところでは左手を使っていた。

 

 

それがある日、左手で書いてるところを

父に目撃されてしまった。

 

そのとき父は私にこう言った。

「お前は一生左手でやっていくんだな」

 

私は怒られることを警戒しながらも、

ただ「うん」と頷いた。

 

父は何も言わなかった。

 

 

晴れて利き手で文字が書ける!

と喜んでいたのも束の間、

 

父が親戚の前で

「泣いて謝るから許してやった」と

事実無根の事を言ったのだった。

 

このときは、怒りよりも恥ずかしい

という気持ちがまさって何も言えなかった。

 

 

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似たようなことは繰り返す

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長い間、これらのことは

すっかり忘れていた。

 

思い出したのは、2年半前、

愛着障害のカウンセリングで、

「親との間にあった嫌な出来事を書く」

というワークに取り組み、

どうにかしぼり出したからだった。

 

つまり、数十年間、

なかったことになっていた。

 

 

けれど、そうやって葬り去っていた分、

まるでその課題を解決しなさいとでも

言うかのように、

 「言ってもいないことを

言ったかのように言ってくる人」

が現れた

 

そのときも何も言えなかった。

 

後になってから、

「そんなこと言ってないのに!」

という悔しさが募った。

 

 

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なぜ否定できなかったのか?

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なぜ、私はこれまで、

何も言えなかったのだろう?

 

真っ先に思い浮かんだのは、

「私が本当のことを言ったら、

相手の嘘をバラすことになる」、

ということだった。

 

それは「相手の顔を潰すこと」になり、

かわいそうだと感じた。

 

しかしそれを言ったら、相手の方こそ

私の顔を潰していたのではないだろうか。

 

 

父がなぜ、親戚の前であんなことを

言ったのかはわからない。

 

子どもが自分の言う通りに

ならなかったことを認めたくなくて、

「自分が許してやったんだ」

と思いたかったのかもしれない。

 

 

いずれにせよ、私が本当のことを言って、

彼らが嘘をついた、または、

とっさにおかしなことを言った、

ということが明るみになったとしても、

それは本人の責任じゃないだろうか。

 

私は自分を守ってこれなかったのと同時に

人に責任を負わせることをしてこなかった

のかもしれない。

 

 

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罪悪感と恐れで動いていた

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こんな風にじっくりと考えれば

対処できるのに、

いざというときに真っ先に働くのは

「罪悪感」や「恐れ」だった。

 

 

結局は、相手の反応が怖いのだ。

 

相手に都合の悪いことを言ったら、

逆ギレされたり、泣かれるかもしれない。

 

「恥をかかされた!」と憤慨し、

私のせいにされるかもしれない。

 

そうやって、

感情をぶつけられるのが怖かった。

罪悪感を刺激されるのが嫌だった。

 

そんなときに、どう対応すればいいのか、

わからなかったのだ。

 

 

けれど、今は思う。

 

ただ、「自分の事実」を伝えれば

いいだけじゃないだろうか。


「私、そんなこと言ってないよね?」

「なんで、違うことを言うの?」

 

「恥をかかせるつもりはないよ」

「私は本当のことを言っただけだよ」

 

 

そうやって、相手の感情との間に、

境界線を引くのだ。

 

 

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これまでのことを振り返ったら、

なぜだか気持ちが落ち着かなかった。

 

ただただ、

心を落ち着かせたいと思いながら、

色を塗った。

 

濃い青は心が鎮まる。

 

 

中心に小さな曼荼羅を描いた。

 

境界線のない中、丸腰でそこにいる。
どこにもリーチできていない感じ。

心が閉じている感じがする。

 

でも、後から見たら、

シンプルにただ「違う」ということを

言っているだけにも感じた。

 

多くはいらないんだ。

ただ、事実だけを言えばいいんだ。

 

 

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境界線について考えるきっかけになった本です

 

 

その本の紹介記事です

 

 

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ミカヅキ🌙さと子

 

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