テーマ:境界線

 

適切な境界線を引くためには、

「ノー」と言うことが大事だという。

 

例えば、

「やめてください」だったり、

「これ以上はダメです」だったり、

「私はそうしません」だったり。

 

そうやって、

自分の「限度」を設定し、

他者に示すことによって、

自分にとって悪いものから

自分を守るのだ。

 

 

調和を愛する日本人は、

「嫌われないように」

「相手を傷つけないように」

「ノー」と言うことを避けるという。

 

子どもであれば、

「親に怒られたくないから」

「悲しませたくないから」

といった理由かもしれない。

 

 

書籍『境界線(バウンダリー)』の著者は、

子どもには、怒り、悲しみ、喪失感といった

自分のネガティブな感情を感じ、

言葉で表現することを助けるように

と述べている。

 

意外なことだが、親が元気づけたり、

ネガティブな感情から脱出させたり、

聞いたことを軽く受け止めてはいけない

のだそうだ。

 

これによって子どもは、

自分の感じたことを素直に受け止め、

自分について適切に表現できるようになる

のだという。

 

 

ここで私は思った。
 

「ノー」と言うことによって
相手がどう思うかを心配する以前に、
自分の感じたことを素直に受け止め、
把握できるようになければ、
始まらないのだと。

 

 

泣き虫だった私は、父からよく

「我慢しろ!」と叱られてきた。

 

泣くというのは、

「いやだ」という気持ちの表現だ。

 

それを「我慢」し続けたことによって、

私は自分の感情がわからなくなった。

 

 

さらに、父からの

「泣いたからって許されると思うな!」

という言葉によって、

 

「いやだから泣く」という表現は、

ズルい手段ということになった。

 

 

もし、私の年齢がもっと高く、

「それは父という一個人の考えに過ぎない」

と思えるくらいに自我が育っていたら、

違ったかもしれない。

 

しかし当時の私はそれには幼く、

「鵜呑みにしてきた」というのが実情だ。

 

つまり、自分には我慢が足りなくて、

泣くのはズルいことなんだと、

自分の気持ちを見放したのだった。

 

 

加えて「裏表があってはいけない」

という教えがそれを助長した。

 

私は思っていること(裏)を

言動(表)に合わせた。

 

「ノー」が言えない状況だっただけでなく、

「ノー」と思ってはいけなかったのだ。

 

 

そうして、大人になる頃には、

 

・できないのはいけない

・自己保身はいけない

・証明しないといけない

 

などの制約が付け加わり、

ますます「ノー」と言うことがなくなった。

 

 

その結果、

 

依存しながら人のせいにする恋人だったり、

従業員が疲弊してやめていく会社だったり、

際限なく仕事を増やす上司だったりを

引き寄せ(もしくは作り出し)、

 

何度も休退職を必要とするまで、

心身をすり減らす結果となった。

 

 

これには後遺症もあった。

ふとしたときに記憶が蘇り、

いまだに強い怒りを感じるのだ。

 

その怒りは、相手に対してだけでなく、

自分自身に対しても向けられた。

 

 

しかし、

境界線を意識するようになってから、

それが少し変わってきた。

 

自分を守る方法を教わってこなかった。

そりゃ、そうなるよね。

 

と納得できるようになったのだ。

 

そう思うと、
不思議なことに、怒りがおさまった。

 

 

長年、怒りを感じてきたことも、

適切な境界線を引くために必要な

プロセスなんだと理解できるようになった。

過去へのタイムスリップ現象は、
怒りをちゃんと感じ、適切に表現できる
ようになることを学ばせてくれているのだ
とさえ思えた。
 

そして、

「もう何十年も前のことなのに・・・」

「いつまでも執念深いんじゃないか」

と、自分を責める感覚も薄らぎ、

自己受容ができるようになってきた。


 

この自己受容感、

「これでいい」という感覚のなさも、

自分に限度を設けることを妨げてきた

ように思う。
 

けれど今、私は

「自分の限度を設定して自分自身を守る」

という新しい考えを手に入れた。

 

自分を守るために、
「ノー」を言葉として表現するんだ。

 

 

 

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「ノー」と言うからといって、

激しい色にしなくていいよねと思い、

落ち着いた色を選んでみた。


穏やかに、しかし揺るぎなく、

自分の限度を表現する。

声高に「ノー」と言わなくていい。

 

×をつけたら光の帯になった。

 

×がつながって私というものの

輪郭が現れた。

 

ひとつ×になっても、

それ以外の道もある。

すべてが終わるわけではない。

 

 

多くを書き込むことなく、

完成させた。

 

「これで十分だ」と思えた。

 

 

境界線について考えるきっかけになった本です

 

 

その本の紹介記事です

 

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ミカヅキ🌙さと子

 

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