テーマ:境界線

 

前回の探求では、

「悪いこと」に対する強い怒りと、

その怒りを抑え込んできたことが、

誤解に対して何も言えない状況を

作り出していたことがわかった。

 

 

 

その怒りには、ベースとなる

「ある考え」があった。

 

今日はそれに気づくきっかけとなった

本をご紹介したい。

 

 

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とんでもないことが書いてあった

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半年前、『プロカウンセラーが教える

他人の言葉をスルーする技術』

という本を読んだ。

 

 

 

 

 

著者について調べてみたら、

トラウマケアや愛着障害を扱う

カウンセラーさんとのことだったので、

 

優しい口調で励ましてくれるような

本だろうと想像していたのだが、

予想に反してとても刺激的な内容だった。

 

 

著者によると、

人はすぐおかしくなる生き物であり、

特に私的な場だとその傾向が強くなる。

 

そのため、人の言葉は吟味検証が必要

なのだそうだ。

 

 

人の言葉は戯言」と言い切ってしまう

ところに不安を感じなくもなかったが、

 

車に乗ると性格が変わる人や、

DVや虐待が起こる現場、

言ってることが変わる上司など、

いろんな事例を様々な角度から

検証した解説には説得力があった。

 

 

何より、

 

「人間は理性的な生き物である」と思い、

「人の言葉はちゃんと聞かなければいけない」

と信じていると、人の言葉に振り回される。

 

という言葉が刺さった。

 

まさに、私自身がそう信じていたからだ。

 

 

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人の言葉をそのまま取り込んでいた

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そして、以前、似たようなことを
聞いたなと思い出した。

 

「さと子ちゃんは、

人の言葉をそのまま自分の中に

入れてしまっているんだね」

 

思い出し怒りで苦しくなっているときに

話を聞いてくれた先輩の言葉だった。

 

その人は、

誰かの言葉を受け入れられないときは、

ゴミ箱に捨てるか、ポジティブな内容に

変換すればいいんだよ

とも教えてくれた。

 

 

今思うと、

「悪いものを取り込まない」という

境界線の働きを機能させるように

教えてくれていたんだと思う。

 

けれどそのときは、

それは都合が良すぎるように感じたし、

 

何よりも

「相手が私のことを正しく理解して、

おかしなことを言わなければいいんだ」

と思っていた。

 

 

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それは無理な話?

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けれど、この本にある

 

「人は理性的な生き物ではない」

「人の言葉は戯言である」

 

という言説を前にしたら、

 

「相手が私のことを正しく見る」ことも、

「おかしなことを言わない」ことも、

そもそも無理な話のように思えてきた。

 

 

そして、この

「人は理性的な生き物である(べきだ)」

という考えこそが、

「悪いこと」や「正しくないこと」

に対する怒りのベースになっている

のではないかと気づいた。

 

この考えがあったからこそ、

「言ってもいないことを

言ったかのように言う人」や

 

「その場の勢いや思い込みで

人を悪く言う人」に対して、

強い怒りを感じたのではないか。

 

 

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自分もだった・・・

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考えてみれば、私だって、

「相手のことを正しく見れているのか? 」

ときかれたら、首を縦には振れない。

 

それでも、

「もしかしたら違うかもしれない」

という余地は残している。

 

そこまで考えて、

「人が私について言ったことは、

どうあっても覆しようがない絶対的なもの」

だと思っている自分がいることに気づいた。

 

 

そんな風に人の言葉を絶対視していたから、

「正しく思ってもらうこと」や

「悪く思わないでもらうこと」を

必要としていたのか。

 

けれど、そうならない(と思っている)から

不安やあきらめや怒りを感じてきたのか。

 

悪く思われることへの強い怒りは、

人の言葉を絶対視しすぎていたことが

原因だった。

 

 

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自他の未熟さを認める

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「人は理性的であるはず」という考えから

人の言葉を取り込みすぎて、

おかしなことを言われても、

否定することもスルーすることも

できなかった。

 

それによって苦しみ、

相手や自分自身に怒りを感じていた。

 

 

思えば、思い出し怒りに登場するのは、

これまで出会った人の中で

ほんの一握りの人たちだった。

 

父親、恋人、上司など、

関係性はまちまちだったが、

どの人も親との間に痛みを抱えた人だった。

 

もちろんそれだけで判断してはいけないが、

親子関係が情緒的な安定に影響を

及ぼすことを考えれば、

より「おかしくなりやすい状況」に

あったと言える。

 

今思うと、私に誰かを転移していたり、

投影をしていたんだろうなと思う場面も

あった。

 

 

それは、私自身にも言えることだ。

 

相手がおかしなことを言った時に、

誤解である可能性は考えず、

 

「嘘をついている」

「責任転嫁しようとしている」

と、相手の中にズルさを見出していた。


そうでなければ、    

「自分がおかしいんじゃないか」

と思っていた。

 

人が一時的に「おかしくなっている」

可能性なんて、考えも及ばなかったのだ。

 

 

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私にできること

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もし、彼らが不安や疑念や罪悪感によって

おかしな状態になっていたのであれば、

 

私にできることは、

冷静に自分の事実を伝え、

安心させてあげること

だったのかもしれない。

 

 

境界線がしっかりしていれば、

そのように誤解を解くという

行動を起こすこともできるだろうし、

 

「その人がそう思っただけ」と、

相手の領域の問題にしておくことも

できるだろう。

 

 

相手を正しいものだと思いすぎないことは、

不要なストレスから自分を守ることに

なるのかもしれない。

 

自分も他人も未熟である可能性を認めよう。

 

 

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アートについて

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言葉を出しきったら、

頭の中に渦巻いていたものは、

境界線の外に出ていった。

 

思考を手にとって俯瞰し、

感情を感じきったら、

断固として変わらないように見えた

それらは、自然と流れていった。


そして、自分でもびっくりするくらい、

清らかな慈愛の気持ちが生まれてきた。

 

そんな思いの中、ただただ気持ちよく描いた。


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境界線について考えるきっかけになった本です

 

 

 

その本の紹介記事です

 

 

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ミカヅキ🌙さと子

 

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