テーマ:境界線

 

前回は、自分を明確にするために、

「言っていないことは否認する」

ということについて書いた。

 

 

 

今回はその続き。

 

 

そもそも私が

「自分の事実と他者が言うこととの乖離」

という観点から境界線問題を見ていこう

と思ったのは、

 

私自身が「思い出し怒り」

という問題を抱えていたからだ。

 

 

過去に人から言われた言葉が蘇り、

今現在は何も起こっていないにも関わらず

そのことで頭の中がいっぱいになって

しまう。

 

まるでその場にタイムスリップしたような

感覚に陥る。

 

特に、相手からの怒りや敵意を感じる

シーンは、再生頻度が高かった。

 

 

こうした現象は、

思考が作り出しているものなのだ

ということはわかっている。

 

師匠の言葉を借りるなら、

「自分内劇場」だ。

 

それがわかっていながらも

繰り返し起こるのは、

 

「このままではいけないよ」

「必要なことを学びなさい」

 

というメッセージなのでは

ないかと思う。

 

 

あのとき必要だったのは、

 

「私はそんなことは思ってない」

「そんなつもりじゃない」

と否認することや、

 

「そういう言い方はないんじゃない?」

「冷静になってほしい」

と相手をたしなめることだった。

 

場合によっては

「あなたがそんな状態だったら

話はできない」

と「ノー」を突きつけることも

必要だったかもしれない。

 

それが境界線を引くということだ。

 

 

なぜ、それができなかったのだろう。

 

 

今、聞こえてくる言葉は、

 

「自己弁護はいけない」

 

「自分がわかっていないだけで、

 正しいのは相手の方かもしれない」

 

「そんな風に思われるのは仕方がない」

 

といった「当時考えていたであろうこと」だ。

 

 

しかし、そのどれも、後から付け足した

「理由づけ」のように感じた。

 

 

もう一度、その瞬間を感じてみる。

 

あの瞬間、

自分の中で何が起こっていたのか。

 

 

胸は杭が打たれたように

凍りついていた。

 

頭は真っ白になっていた。

 

 

怒りを向けられた瞬間、

感じるのは「怖い」という感情だ。

 

そして、問答無用で

自分が悪いような気がしてくる。

 

きっと「怒られる方が悪い」という

論理が染み付いてしまっているのだろう。

 

しかし一方で、「弱いのはいけない」

という考えも同居しているため、

恐れを表に出すことはできない。

負けてはいけないのだ。

 

 

だから、そんな内面を取り繕うかのように、

先ほどの言葉たちが続く。

 

「自己弁護はいけない」というのは、

相手の怒りに反応して自動発生する

「自分が悪い」という考えのせい

かもしれないし、

 

(悪いのだから、自己弁護しては

いけないのだ)

 

「言い返される恐れ」のために

言えないだけかもしれない。

 

 

そういった罪悪感や恐れがあるから、

 

「正しいのは相手の方かもしれない」

「そんな風に思われるのは仕方がない」

 

「言わないこと」への理由づけを強化する。

 

 

けれど、相手はいつも怒りを

向けてきたのだろうか?

 

笑いながらの冗談めかした言葉も

あったのではないか?

 

それに、必ず言い返されるのだろうか?

 

そもそも、言い返されたらいけない

のだろうか?

 

 

「人を悪く思ってはいけないから」

 

自問自答の末に出てきたのは、

そんな言葉だった。

 

「寛大でなければいけないから」

という言葉がそれに続いた。

 

 

どういうことだろう? と考え、

そして気づいた。

 

私は怒っていたのだ。

 

頭が真っ白になるのは、

向けられた怒りへの防衛だけではなく、

自分の中にある怒りを抑え込んできた

からなんじゃないか。

 

 

これまで心の学びの場で、

「怒りを抑圧しているように見える」と

教えてもらったことが何度かあった。

 

エニアグラムという性格タイプ診断でも、

私のタイプは「怒り」に囚われながらも、

その怒り自体をダメだと思っている傾向が

あるのだそうだ。

 

ここにきて、それらの知識や体験が、

一気につながった。

 

 

すると、怒りの輪郭がはっきりと

見えてきた。

 

いくつかの怒りポイントはあるものの、

誰かから

「悪い」「ズルい」「間違っている」

かのように扱われるとき、

その怒りは最高潮に達する。

 

つまり、悪いものと同一視されることが、

私の怒りのスイッチを入れるようだった。

 

 

その怒りを、

「人を悪く思ってはいけない」

といった言葉で、抑え込む。

 

それくらい「人を悪く思う」ということは、

私にとってはダメなことで、

だからこそ、強い怒りを呼び起こすと共に、

強大な抑止力にもなっているようだった。

 

 

つい自分のせいにしてしまうのも、

怒りを抑えるための反応かもしれない。

 

そして、

「自分が悪いから」という考えによって

余計に言えない状況を作り出したり、

 

ひどいときには自暴自棄になって、

「そんな風に言うならその通りになってやる!」
と思うときもあった。

 

 

これでは相手の誤解を解くどころではない。

 

 

適切な境界線を引くためには、

それを妨げている自分の要因

 ー 恐れによる反応や思いグセ、

信じ込んでいるものなどー を

解放することが先なのだとわかった。

 

私にとってそれは、

怒りに対する恐れと、

「悪いこと」「正しくないこと」に

対する嫌悪なのだろう。

 

(それはエニアグラムタイプ1の

宿命なのかもしれないけれど・・・)

 

 

 

 

 

表に出せない怒りを感じながら、

色を塗った。

 

ハートの形はそぐわないかなと思ったけれど、

怒りを感じるのはハートだから、

無関係ではないよね、と思い直した。

 

 

ハートに杭が刺さって、

外界を威嚇している感じがする。

 

怒りにNGを出しながらも、

怒りのエネルギーは外に広がっている。

 

 

周辺にモヤモヤをたくさん入れたら、

外からの怒りが怖くなくなった。

 

こうやって、いろんなものを作り出して、

感じたくない感情を遮断してきたのだろう。

 

 

それがわかったら、少し、光が見えた。

 

 

(境界線の探究はもう少し続きます。)

 

ーーー

 

境界線について考えるきっかけになった本です

 

 

 

その本の紹介記事です

 

 

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ミカヅキ🌙さと子

 

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