51-60枚目までのテーマ:子ども時代の気持ち

 

子どもの頃の写真の中に、

胸の前で両方の拳を握り締め、

うつむいている姿がある。

 

記憶にはないが、写真から推測するに

3,4歳くらいのことだと思われる。

 

母の話によると、父から

「我慢しろ!」と叱られたときに、

私はこの「がまんのポーズ」をして、

自分に「がまん、がまん」と

言い聞かせていたのだという。

 

ポーズ名がついているくらいだから、

何度かあったのではないかと思うが、

不思議なくらいに覚えていない。

 

 

「やりたいことを我慢しているように見える」

 

大人になって何人かの友人から

そう言ってもらったときや、

 

無理がたたって心身を壊すことを

繰り返してきたとき、

母から聞いたこの話が脳裏をよぎった。

 

 

もしかしたら私は、何かのセンサーが

正常に機能していないのかもしれない。

 

小さな女の子が私の胸の前に立ち、

「がまんのポーズ」をとりながら、

「がまん、がまん」と言っている姿が

思い浮かんだ。
 

 

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我慢が影響を与えてきたこと

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今回、「我慢」を扱いたいと思ったのは、

これまでの探究の中で見つかった

「おかしな自分」や「謎の禁止令」に

影響を与えているように感じたからだ。

 

例えば、前回の「無理してほしい」は

我慢の反動だし、

 

 

 

その前の「逃げてはいけない」は

我慢して居続けることだった。

 

 

 

境界線問題を扱ったときの記事にも、

父の「我慢しろ!」という言葉を

鵜呑みにし、「我慢を正」としている

自分がいた。

 

 

 

 

「我慢してやり続けてきた」のは、

「ノーと言えない」からだと思っていた

のだけれど、

 

「我慢を正と思っていた」ことで、

「ノーを言わなかった」可能性も出てきた。

 

知らぬ間に、

自分で選択をしてきたのかと思うと、

空恐ろしく感じる。

 

 

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「我慢」を「免罪符」にしていた

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不思議なことに友人から

「我慢しているように見える」

と言われても自覚がなかったのに、

 

対人関係でストレス状態に陥ると、

「我慢してきたのに・・・」と

口走っている自分がいた。

 

こういうときだけ、

「我慢している」という感覚が

ニョキッと顔を出し、

まるで黄門様の印籠のように

自己主張を後押しした。

 

 

側から見たら、

自分の意向を押し通すために、

「我慢してきたこと」を持ち出した

ように見えていたかもしれない。

 

しかし私にとっては、

「我慢した」ということが

「免罪符」になるくらい

自己主張がダメなことだった。

 

「そこまでしないと」

「そこまでしてはじめて」

言えることのように感じていた。

 

それもそのはずだ。

我慢が正しいことだったのだから、

自己主張なんてできないのだ。

 

 

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我慢への「対価」を期待していた

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「我慢を正と思っていた」からだろうか。

 

いつの頃からか私は、

我慢したことへの「対価」を

求めるようになっていた。

 

 

他の人がやりたがらない仕事を

お願いされて引き受けた後、

上司からの

 

「うれしそうにやってくれている」

「成長のため」

「みんなにもやるといいよって言ってほしい」

 

といった言葉に、内心、強い怒りを感じた。

 

 

それは私が求めている「対価」とは

真逆だった。

 

ほしかったのは、こんな言葉だった。

 

「我慢をさせてごめんなさい」

「我慢してくれてありがとう」

「あなたが我慢してくれたおかげで、

助かった」

 

 

そして、暗黙のうちに、

こんな了解を得たかったのだ。

 

「だったらもう、これからは

我慢しなくていいよね?」

 

「もう十分だよね?」

 

 

我慢への「対価」は、

感謝と謝罪と免罪だったのだ。

 

 

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我慢したのだから・・・

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これまで我慢してきたんだから、

これからは我慢しなくていい。

 

どこかでずっと、そうなる日を願っていた。

 

けれど、実際は真逆だった。

 

 

高校3年生のとき、父の前で

「大学にいったら自由にできる」

と言ったとき、


「お前を遊ばせるために仕送りする

なんて嫌や!」と父が怒った。

 

 

言っている意味がわからなかった。

 

私は毎日図書館に通って勉強をしていたし、

進学クラスで真面目な高校生活を送ってきた。

家業の手伝いだってしていた。

 

そんな私のどこに遊ぶ要素があると

いうのだろう。


そもそも、

経済的な理由で国公立しかダメだと

言われていたことから、

仕送りなんて望めなかったし、

私自身、もらうつもりもなかった。

 

それ以外にも、親には極力、

お金を使わせないようにしてきた。

 

 

私からしたら事実無根のことだった。

 

これだけ真面目にやってきた私が、

なんでそんなことを言われないと

いけないのか。

 

仕送りなんて、

そもそもできないくせに。

するつもりもないくせに。

 

でも、そのことについて、

何ひとつ文句を言ってないよね?

 

 

そんな風に言語化できたのは、

ここ数年でのことだった。

 

当時は、父に対して微かに

モヤモヤしたものを感じながらも、

何も言えなかった。

 

 

それから十数年後、

親戚が大学生の息子に向けて、

「今のうちに遊んでおけよ」

と言っているのを聞いたとき、

私は衝撃を受けた。

 

「こんなことを言う人がいるのか」

と驚いた。

 

そして、なんとも言えない気持ちになった。

 

 

我慢が足りないから、

「我慢しろ」と言われるわけではない。

 

これまでの我慢を認められて、

「もういいよ」と言ってもらえるわけでもない。

 

「これまでがんばって勉強したんだから、

その分、大学では目一杯好きにやれ」

 

そんな言葉がくるわけではなかったのだ。

 

 

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父への不公平感

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「お前を遊ばせるために〜」という

父のあの発言には、経済的に余裕のない

親としての無力感があったのかもしれないし、

 

自分が大学にいけなかったため、

私に嫉妬していたのかもしれないし、

 

「我慢しろ!」と言ってきたこと自体、

私に「我慢できない自分」を

投影していたのではないかと思う。

 

そう、何より父自身が、

我慢のできない人だったのだ。

 

 

感情的で、威圧的。

不快感を露わにし、

思ったことをすぐ口にする。

 

そんな父のせいで、

周りの人が嫌な思いをしないかと、

私はいつも気にしていた。

 

 

そして、前回の探究で触れた

タバコのことをはじめとし、

私は父に我慢をさせないようにしてきた。

 

かわいそうだから。

文句を言われるから。

 

今思うと、なんて不公平なんだろう。

 

 

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呪縛から解き放つ

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私だって、父に我慢してほしかった。

 

しかし、それは叶わず、

前回の「無理してほしい」同様、

その未消化な感情は、その後、

いろんなところで噴出した。

 

仕事でも恋人に対してもそうだった。

 

 

さらに複雑なのは、

「我慢させるのはかわいそう」

という気持ちと、

「我慢してほしい/すべきだ」

という考えが、

入れ替わり立ち替わりしていた点だ。

 

自分が我慢してきた分、

最初は「かわいそうだから」と、

相手の好きにさせるのだけれど、

 

「我慢を正」としている私からは

ダメに見えることも多く、

ときには不公平感にもつながり、

後から厳しくなったりした。

 

でも、その想いは本来、

父に向けるものだったのだ。

 

 

私の胸の前で、がまんのポーズをしていた

女の子が顔を上げて言った。

 

「お父さん、人に我慢しろって言うんなら、

自分が我慢してほしい。

逆に私はこれまで我慢しすぎてきたから、

もう我慢しない。」

 

「我慢」の呪縛から解放された気がした。

 

 

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アートについて

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描いている最中、

不思議なくらい無心だった。

 

普段は、いろんな言葉が思い浮かぶのに。

 

曼荼羅さんの上に描いた丸が、

水滴のように見える。

 

流れるように自由な感じ。

 

ああ、本当に、我慢に囚われる世界から

抜け出せたんだな。

 

 

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ミカヅキ🌙さと子

 

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