61-70枚目までのテーマ:子ども時代の気持ち

 

前回の探究の中で、

「無理なことは続かないのだ」

と書いた後、ハッとした。

 

 

 

「無理してほしい」という

それこそ「無理な願い」から

自分が解放されたように感じたからだ。

 

 

「無理してほしい」

 

私は過去2回、このとんでもなく

メ○ヘラチックな要求を

人様にしたことがある。

 

どちらも恋愛関係にあった人に

対してだった。

 

 

相手の反応は、

 

「『もっとがんばってよ』

と言うのならわかるけど・・・」

 

「無理をしろというのならできない」

 

という至極真っ当なものだった。

 

 

しかし、当時の私は、

それを受け入れるだけの余裕がなかった。

 

相手から拒絶されたという錯覚を

抱きながら、

 

「自分がおかしなことを言っている」

という理性的な部分と、

 

「言われるまで気づかないからだ」

と相手を責める部分と、

 

「自分からは何ひとつ求めたく

なかったのに」

と悔やむ気持ちとの間で立ち往生し、

引くに引けない状態になっていた。

 

そうして、散々、駄々をこねた後、

「そうだね、私がおかしかったね」

と言って、引き下がるのだった。

 

 

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無理難題を言うことが必要だった

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自分でも「何かがおかしい」と感じていた。

 

もし、本当に何かをしてほしいのであれば、

無理のない範囲でお願いした方が現実的だ。

 

 

実際、記憶の中にあるそのシーンでは、

相手から「別の日じゃダメなの?」

と代替案を提示されていたし、

 

どうしてもその日でなければいけない

理由もなかった。

 

相手が無理だという理由もわかっていた。

 

 

それでも、私は譲れなかった。

 

まるでわざと無理難題を押し付けて、

断られるのを望んでいるかのようだった。

 

 

そう「自分が無理難題を言ったからだ」と

思いたかった。

 

心の奥底からわきおこる声を抑え込むために、

「自分のせいにできる理由」が必要だった

のだ。

 

その声は、

「それくらいあってもいいんじゃないの?」

と言っていた。

 

それは、父に対して言いたかったことだった。

 

 

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父にやめてほしかったこと

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父はチェーンスモーカーだった。

多いときは1日2箱以上タバコを吸っていた。

 

私が子どもだったある日、

外でタバコを吸うよそのお父さんを見て、

父がこう言った。

 

「家長がホタル族なんてかわいそうや」

 

 

そのとき、私の中で、

ある想いにバッテンがついた。

 

「お父さんに我慢をさせるのは、

かわいそうだから」

 

そうして、タバコのことは長らく、

私の意識に上がることはなかった。

 

 

その封印が解けたのは、1年ほど前、

カウンセリング講座の学びの一環で、

幼少期の家族を再現したセッションを

受けているときのことだった。

 

不意に、

「家族の前でタバコを吸わないでほしい」

という言葉が口をついて出た。

 

これには自分でも驚いた。

 

父はもう他界していたし、

一緒に暮らしていない時間の方が

圧倒的に長くなっていたので、

タバコが嫌だったということ自体、

忘れていたからだ。

 

 

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父に言いたかったこと

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父が気分を害して、

「女3人で寄ってたかって」と

家族を悪く言う恐れや罪悪感から、

 

子ども時代の私は

父の嫌がりそうなことは言えなかったし、

そう思うことすら、自分に禁じていた。

 

家族の前でのタバコもそのひとつだった。

 

 

でも、嫌だという私の気持ちを伝えるのは

そんなにダメなことだったのだろうか?

 

「家族の前でタバコを吸わないでほしい」

 

私は心の中で、父への想いを言葉にしてみた。


 

「外に行くのが嫌なら換気扇の下だってある。

それも嫌だというなら、せめて、

家族にかからないようにしてほしい」

 

「本当は家の中がタバコ臭くなるのだって

嫌なんだよ」

 

 

それを遮るかのように、

頭の中で父の声がした。

 

「タバコをやめろって言うんか!?」

 

 

以前の私は、父から非難を受けると、

自分が悪いことを言ったんだと、

黙り込んでしまうのが常だった。

 

けれど、心について学んできたおかげか、

今回は違う見方ができた。

 

父の言っていることは論理の飛躍だし、

それによって恐れているだけだとわかった。

 

 

私は落ち着いて続けた。

 

「違うよ。タバコを吸わないでとも、

減らしてとも、言ってるわけじゃない。

ただ、家族のことも考えてほしいんだ。」

 

そう伝えた後、私は一番怖かった質問を

父に投げかけてみた。

 

「家族の健康のことは考えないの?」

 

 

答えは返ってこなかった。

 

それもそのはず、私は生まれてこの方、

こうした種類の問いを、まっすぐに

投げかけたことがなかったからだ。

 

「私のことは大切じゃないの?」

 

 

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不安を埋めるために

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「私は大切な存在じゃない」

 

この想いは子どもの頃からずっとあった。

 

それを感じないようにするために、

私の中では、出来事に対していろんな

「解釈」と「思い替え」とが発生していた。

 

 

「自分の父親が家族の前でタバコを吸う」

という「事実」を、

 

「家族の健康よりも自分のやりたいことを

優先している」と「解釈」し、

 

「それは家族が大切じゃないからだ」

という「理由」に結びつけた。

 

 

でも、それはつらいことなので、

 

「私がタバコを嫌がると、父に我慢させ、

無理を強いることになる」

 

と、自分側に問題を作り出した。

 

そうやって、自分のせいにすれば、

大切に思われていないからではなく、

私が無理を言ったからだ、と思えた。

 


一方で、

「家族の健康は考えられないの?」

という思いも健在だった。

 

それが、ずっと抑え込んでいた

「それくらいあってもいいんじゃないの?」

の正体だった。

 

 

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同じパターンを繰り返していた

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私が恋人に対して無理難題を

言っていたときも、同じだった。

 

頭の中にあったのは、それ以前にあった

「それくらいあってもいいんじゃないの?」

と感じたことについてだった。

 

 

一つひとつは小さなことだったと思う。

 

ただ、

 

「不平不満はいけない」

「人を悪く思ってはいけない」

「自分から言ってはいけない」

 

といった謎の禁止令を山ほど抱えていた

私には、それが言えなかった。

 

「自分が大切な存在じゃない」

ということが露呈しそうで、

怖かったというのもあった。

 

 

そうして父にしていたように、

「自分が無理な願いをしているんだ」

と思い替え、

「それくらいあってもいいんじゃないの?」

という想いを抑え込んだ。

 

そんなことを繰り返しているうちに、

私はいつしか、

「私のしてほしいことは、

相手のしたいことの邪魔をして困らせる」

と思うようになり、

さらに言えなくなっていった。

 

 

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無理難題で取り繕っていた

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すると、事態はどんどんおかしな方向に

進んでいった。

 

自分が「無理な願いをしている」と

思い替えてきたくせに、頭の中では、

まるで相手にそう言われているような

錯覚に陥ったのだ。

 

そして、なんでも無理だと言われ続けて

いるような気になり、

「無理なことばかりじゃないだろうに」

という不信感を募らせていった。

 

その一方で、

「自分はその程度の存在なんだから

仕方がない」と、あきらめてもいた。

 

 

そうして、積もりに積もった不信感が

何かの弾みで暴発したときに、

「無理難題を言う」という行為で取り繕った。

 

万が一、相手が無理をきいてくれたら、

それまでのことを帳消しにできるし、

 

そうでなければ、

「自分が無理難題を言ったせいだ」と

自分の言動のせいにして、

それまでのこともまとめて、

「お蔵入り」にできた。

 

そうやって、とにかく、

自分の中に押し込めようとしていた。

 

 

そう、「無理難題」は、

「それくらいあってもいいんじゃないの?」

という不満と、その奥にある

「私が大切な存在じゃないからだ」

という不安を隠すための

カモフラージュだったのだ。

 

 

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二次災害が発生

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しかし、「お蔵入り」にするのにも

限度があった。

 

押し込めようとした蔵はすでに

パンパンだったため、

それまで封じ込めてあった別の想いが

押し出され、二次災害が発生した。

 

 

無理難題と比較をして、

「それに比べたら簡単にできたよね」と

相手がこれまでしてこなかったことを言い、

「自分が軽んじられてきた」と嘆いた。

 

私は相手に「無理をさせないように」

我慢してきたのだから、せめて

「ごめん」か「ありがとう」くらい

あってもいいんじゃないの? と思った。

 

 

けれど、そうした想いも口にはせず、

蔵の中に押し込めようとしてははみ出し、

相手の前では変な形となってこぼれ落ちた。

 

そうして関係は次第に悪くなり、

一番感じたくなかった

「私は大切な存在じゃない」

が現実化していった。


 

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悲劇を演じていた

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こうして振り返ってみると、

彼らは「今」や「未来」について、

「できる・できない」で話していたのに、

 

私は「過去のこと」を考えながら、

その背景にある相手の気持ちを妄想し、

勝手に傷ついていた。

 

 

「大切であっても無理はできない」

「大切じゃなくてもできることはある」

といった可能性は一切考えず、

 

「大切だったら無理してでもできるけど、

そうじゃないから、何ひとつできない」

と決めつけていた。

 

そうして、

相手のことは、

「無力または不誠実な存在」

自分のことは、

「大切にされない無価値な存在」

と見なし、

思い込みの世界で悲劇を演じていた

 

 

書いていて力が抜けるくらい、

アホらしい感じがすると同時に、

彼らに対して申し訳ない気持ちになった。

 

多分、私は彼らに、父との関係を投影して

いたのだろう。

 

 

今なら、父に言えそうな気がする。

 

「家族の前でタバコを吸うのやめてほしい。

私たちが肺がんにでもなったらどうするの?

大事な家族でしょ。」

 

そうしたら、父はどうするだろう?

 

不服そうに、バツが悪そうに、

外に向かって煙を吐いている父の姿が見えた。

 

 

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アートについて

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錆びついた赤黒い怒りと恐れに包まれた

曼荼羅さんの頭がパカっと割れて、

青い世界が溢れ出した。

 

中に入っていたのは、封印していた

ネガティブな感情のはずなのに、

案外、キラキラとしている。

 

 

おかしくても、歪んでいても、

それは当時感じていた気持ちだった。

 

それを認めて光を当てたら、

ドロドロしていた自分の内部が、

冷たい水で清められていった。

 

 

脱皮をするように青い世界を広げながら、

曼荼羅さんはこう言った。

 

「自分が大切にされることをあきらめていると、

周りはなにもできなくなるんだよ。」

 

 

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ミカヅキ🌙さと子

 

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