(180)和歌山市 岩橋(いわせ)千塚古墳群
国の特別史跡で独特な石室が見どころ
岩橋(いわせ)千塚古墳群は、5世紀初頭から7世紀にかけて造られた古墳が岩橋山一帯の東西3㎞南北2.5㎞の範囲に850基存在する
特に注目されているのは、紀ノ川南岸の結晶片岩を使った岩橋型横穴式石室と名のついた独特な形状にある。
一般的な横穴式石室は、被葬者の眠る玄室の奥壁や側壁、天井は平面状で、床面に石棺を置くなどするが、岩橋型横穴式石室は、北九州や瀬戸内海周辺に特徴的な奥壁に石棚(石屋形)が付き、さらにこの地・紀の国独自の石梁(いしはり)が奥壁や頭上についている。
石梁は、一説には当時の紀の国の国造(こくぞう・くにのみやつこ)紀氏が今の紀伊半島周辺海域の統制権をもっており、それを象徴する船の床構造の梁(はり)を玄室に表したものとある。
玄室を船の底を直立させた状態でこしらえたと考えると確かに天井が異様に高く、その空間をわざと遮切るように岩の梁がいくつか貫通している例があるからそう見えなくもない。
しかし墓の被葬者が生前に、いくら船が権威の象徴とはいえ、船底の床を仰ぎ見るように遺体を置かれる玄室構造に、黄泉の国へのいざないを感じていたとはあまり思えない。
船の華やかなイメージは、他の古墳から出土する舟形埴輪にあるように、王の乗る船の象徴である衣笠(きぬがさ)や太刀が乗る外観にあるから。
となると船底の構造を採用したのは、石室をも頑強にするという船の構造力学が当時の墓の造営集団にはあったのかもしれない。
そうした特徴を見てみたいと思いたって訪ねたのが岩橋(いわせ)千塚古墳群。しかしこの古墳群は非常に広範囲で丸2日ないと回り切れないことがわかり、10地区あるうちの前山A地区のみ回ってみた。
今回訪れた前山A地区の4古墳
前山A46(円墳・直径27m・高さ8m)
東に開口する岩橋型横穴式石室がある。
玄室は、奥行き3.3m、幅2.1m、高さ3.2mで、
奥壁に石棚と
頭上に4枚の石梁がある。
玄門には化粧石が立てられる。
羨門は、床に板石が据えられ、側壁上部には板石が懸架される。
前方後円墳に匹敵する石室規模をもつ。
石室の入り口には巨大な板石で閉じられていた。
<右側に立てかけてあるのが閉塞の板石>
墳丘から朝鮮半島の新羅系の印花文(いんかもん)の施された有蓋高杯が出土していることから被葬者は朝鮮半島とつながりのあった人物だったよう。
築造はAD550年ごろ(6世紀中葉)
前山A13(円墳・直径18m・高さ3.6m)
西に開口する岩橋型横穴式石室がある。
玄門には化粧石が立てられている。
また玄門及び羨門には板石が床面に据えられる。
玄室は、奥行き2.6m、幅2m、高さ2.8mで、
奥壁に石棚、頭上に2枚の石梁がある。
<奥壁に向かって上が石だな><続く上の写真は頭上の2枚の石梁>
なお羨道には暗渠の排水溝が見つかっている。
ガラス玉や水晶製切子玉、馬具、鉄槍、須恵器が出土。
築造はAD550-600(6世紀中葉~後半)
前山A32(円墳・直径15m・高さ5m)
岩橋型の横穴式石室で、石室の全長は4.4m、玄室は奥行き2.4m、幅1.9m、高さ2.6m。
天井までは持ち送りで壁面が狭まり天井石は2枚。
床面は奥壁寄りに板石を立て区画を設け、区画の内側には板石を敷き屍床としている。
玄室からは人骨片と直刀1点・鉄鏃片(鉄のやじり)3点、羨道部から鉄片が発見されている。
築造時期は不明
前山A47(円墳・直径12m・高さ2.5m)
小型の竪穴式石室があり長さ2m、幅0.9m。
石室の床は板石が敷かれた上に玉石を敷いてあり、一部天井の石が残存。
調査時に人骨の左右の大腿骨等の一部が遣存していた。
築造年代は不明
参考資料;現地案内板・和歌山県立紀伊風土記の丘HP・石棚考<九州における横穴式石室内棚状施設の成立と展開>(著・藏冨士寛)