今では使わないが、ヘアスプレーを使っていた時期があった。それが、車の運転席のヘッドレストに蓄積していたのだと思う。
夏の暑さのせいで、その蓄積したヘアスプレーが変質した。ヘッドレストに頭をつけると髪の毛がくっつく。とても不快なので、水で拭いてみた。そうしたら、ますますくっつくようになった。
改めてヘッドレストを観察してみた。ゴムのような被膜が形成されている。ガムが薄くくっついているような感じだ。
頭とヘッドレストの間にハンカチを挟むことで対応をしていたが、だんだんと腹が立ってきて、先週末にはヘッドレストを外して家に持ち帰ってきた。
最初は、シャンプーをかけて洗ってみた。あまり落ちなかったので、衣料用の洗剤も使ってみた。それでもあまり落ちなかった。
「ヘアスプレーは水溶性なのに、なんで落ちないんだろう?」
少し考えた後、熱いお湯をかけて、歯ブラシでこすってみた。簡単に落ちる。化学反応ではなく温度が問題だったようだ。
乾燥させた後、再び、ヘッドレストを車に持っていって差し込んだ。これでもう大丈夫。不快なことが1つ減ってよかった。
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ワールドカップで日本がベルギーに負けた。でも、もう戦術も試合への貢献も日本は突き詰めているように感じた。
あとは西島監督が言うように(本当に言ったかどうかは知らないけど)「もう5センチ身長を高くして、もう5キロ体重を増やす。」ことができれば、ワールドカップのベスト4には残れるレベルのように、サッカーは全然わからないけど、思った。
芸能も含めあらゆる業界で、世界のなかでの課題はフィジカル、と思うことが多い。フィギュア・スケートのように、真面目な日本がスタイルの悪さを克服し、逆転する日が来るのだろうか?
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唐突だが、木曜日の日に、何の用もないのに夏休みを取った。特に勉強する気もなく、無気力な自分をどこまで甘えさせられるかのチャレンジだった。考えてみたら、就職してから、何の目的もなく休みを取るのは初めてだった。
雨も降っていたし、ゴミ出し以外で外には一歩も出なかった。家の中で、ひたすら本を読んで映画を見ていた。夜はよく眠った。もう目を覚まさないんじゃないかと思ったくらいだった。目を覚ましたくない気持ちもわからんでもない。本当に職場が嫌いだ。
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週末は実家に帰った。2週間前に業者に漆喰壁の修理を頼んだら、もう終わったということで、完了検査をすることになった。
説明を受けながら家を見て回る。家はあちこちが壊れ始めていることがわかった。俺の家は2軒の家が廊下でつながっている。「この家、少なくとも1軒分は貸した方がいいんじゃないですか?」と言う。「やっぱり住まないと家は傷みが早まりますから。」
そうだろうなあ、とは思うけれど、いろいろ考えるとめんどくさい。
新たに見つかった浅い亀裂に補修をしてもらうことを追加で(無料で)依頼して、それで完了検査は終わりにした。
家は金がかかるなあ、とため息が出た。
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見城 徹の「たった一人の熱狂」(幻冬舎)を読み終わった。
角川映画が最も華やかで稼いでいたころ、社長の右腕だった人で、これまでにとてつもない金額を稼いでいる。今は幻冬舎の社長ということだ。
彼のなかには理想の自分があり、そこに追いつくために自分を追い込む。自分を切ってまでして戦って初めて世間は認めてくれるのだという。
つまりは、安全地帯にいる間は、成功も失敗もしないということで、それはそうだとも思うが、なかなか決断ができる話ではないし、そしてそんな機会もそうは転がっていない。そこまでしてきた彼をうらやましいと思うかも微妙だ。
ただ、一人の人の生きざまとして、こういうのもあるよな、と思う。俺もこういう人の部下だったら、感化されやすいから、ありえたかもしれない。
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姉小路 祐の「逆転法廷 有罪率99%の壁」も読み終わった。
会社の社長でもあり、恋人の父親でもある男を殺したとして、一人の若者が逮捕される。弁護士はやる気がなく、若者は恋人になじられて自白してしまう。
そこに、朝日という弁護士が現れて、彼を冤罪から救い出す。鮮やかなどんでん返しがあるわけではないが、なかなか読ませる小説で、つい夜更かしをしてしまった。面白かった。
そして、俺は人を見抜く目がないことを改めて自覚させられた。
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中山七里の「悪徳の輪舞曲」も読み終わった。
自身が中学時代に幼い少女を惨殺した経験を持つ弁護士が、それが原因で茨の道を歩かざるを得なかった自身の母親の弁護をする。
親子関係を、弁護士は断った気でいたが、母親はいつまでも彼を心配している。そう。以前、俺に、産科担当の看護師長が語ったように、お母さんにとって男の子は「いくつになっても、そして何をしたとしても、あなたは私の赤ちゃん」ということだ。
そして、弁護士は法廷では勝ち、母親を窮地から救い出すが、結局のところ、両親の愛情に負けてしまう。負けてないと強がっているが、誰の目から見ても負けだろう。いい本で、よくできていると思う。
こんなに本に逃げ込むのは現実からの逃避だとは思うが、おかげで、また夜更かししてしまった。
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何もかもがうまくいかないので、うんざりしていた。ふと、以前にある出版社の人から本を書くように言われていたことを思い出した。ちょっと技術的な本だが、俺はありふれたつまらない本にしたくなかった。新しい方向性を打ち立てたかった。
少し書き出してみたら、それなりには書けるような気がしてきた。でも、俺には何かが足りない。一番足りないのは、自分をさらけ出すことについての勇気だ。
高校時代に、俺は自分ではいっぱしの文章が書けているような気がしていた。高校卒業後に読み返してみてそれが幻想だったことに気が付くのだが、高校時代はそのように勘違いをしていた。
そして、高校時代に俺は「もし俺が将来本を書くときに、前に進まなかったら、椎名誠の「哀愁の街に霧が降るのだ」を全巻読め!」ということを、将来の自分のために思い込んでいた。
理解できないと思うが、SF好きの少年の考えることは随分と変わっているものだ。
それで、高校生の頃ぶりに椎名誠の「哀愁の街に霧が降るのだ」(小学館)を上下巻、一気に読んだ。

今は上下巻だが、俺が高校生の時は同じ分量で、上・中・下巻の3分冊だった。
読んでみて初めて、俺の文章は基本的には椎名流なんだということがわかった。赤面するほどに。
「椎名誠は、自分の経験を切り売りしているだけ。彼のSFは発想だけで科学がないし、発想も筒井康隆ほどすごみがない。何を書いてもいまいちなんだよねえ。」なんて偉そうに言っていたけど、ここまで文体が似てるとは。
高校時代は、この本に出てくるパリの街も天安門も知らなかった。靖国通りすら知らなかった。この本に出てくる、人生の焦りみたいなものも、何もわかってはいなかった。今はわかる。随分と遠くへ来た感じがする。
高校時代は勉強ができず、悩んでいた。今くらい英語ができれば、もっと明るい高校生活を送れたと思う。でも、基本的に、勉強そのものを俺はしていなかった。
そして今また、俺は人生に行き詰って悩んでいる。書く時期が来たのかなあ、とも思う。
前に進まなかったら「哀愁の街に霧が降るのだ」を全巻読めば、前に進めるようになるんだよな。所詮、高校生の浅知恵だが、高校時代の自分を思い出して、あんまり役に立たなかったけど、「ありがとよ。」と言ってやりたいような気分になった。
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リュック・ベッソン監督の「レオン」をまた見た。初めて見たのは、松本の映画館だった。
映画を見た後、一緒に見た女の子が感動したと言う。「本当だね。いい映画だったよね。」この映画、雑誌のニューズ・ウィークでは否定的なコメントが出されていたので、いい映画なのか俺は見るまでわからなかった。
「でも、最後にマチルダからの贈り物だ、といって渡したメガネのツルみたいのは何?」と聞いてきた。「手榴弾のピンだよ。」
俺は彼女がこの映画を本当にわかって見ていたのかちょっと疑問に思った。
でも、そんなことはどうでもいいことだった。俺は彼女と結婚してもよかった。今考えると幸せな時代で、俺はいろんな女の子と遊んでいた。その誰と結婚したって今より幸せだったと思う。
レオンをもう一度見て、レオンがかわいそうだったけれど、最後に流れるスティングの歌声を聴きながら(スティングだと今はわかるけど当時はわからなかったと思う)、俺も負けないくらいかわいそうだよなあ、と思うと胸が痛くなった。
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松浦亜弥主演の「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」という映画も見た。
最初からB級を狙って撮っているんだから、くだらないのは仕方がないよなあと思いながら最後まで見たけれど、この映画のシチュエーションをリアルな脚本で書いたら、相当にいい映画になりそうな気がした。
格闘技をしたことがないアイドルの女の子が主演をしているから、何もかもが不自然だけど、本当に強い女の子が主演を張って、もっとリアルなアクションシーンを盛り込んでいけば、いい映画になるようにも思った。妄想だけど。
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宮沢りえ主演の映画「紙の月」も見た。

女性銀行員が、今までしてこなかったことを、しようと決意する。そのお金は、銀行利用者の金を横領することで得る。
俺は、基本的にテレビを見ないので宮沢りえは七日間戦争のときのイメージしかなかった。今回見たときに、こんな弱くて、そしてふてぶてしい女性も演じられるのかと驚いた。全く違和感を感じなかった。
映画の中の彼女の夫はどうするんだろうなあ、と思った。そして浮気相手だった大学生もどうなるんだろうと思った。そして、この状況下でも、彼女はたくましく生きていくんだよなあ、ということも思った。そういう強さというのが、俺にはあまり理解ができない。自分のなかで問題だとも思っている。
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映画「魂萌え!」も見た。
夫に死なれた妻の元に、夫の浮気相手と思われる女性から連絡が来る。
「夫が浮気をしていた!」
妻はそれを機会に、自由に生き始める。
俺はこういう感覚が本当によくわからなくて、そもそも浮気されることにも浮気することにも俺はあまり抵抗がない。俺が浮気を嫌だと思うのは、単純に感染症が嫌だからだ。それと誰の子かわからなくなるというのも実際には困ると思う。不必要にお金がかかったり、子育てしなかったり、犯罪を犯したり、捨てられたりするのは困るけれど、最終的に普通に妻として戻ってくればそれでいいんじゃない?と思う。
それは、本当に女の人を好きになったことがないからだと、言われることが昔はよくあったが、そうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。俺にもそこのところはよくわからない。
この映画では、妻は子供たちにも苦しめられるが、克服していく。いろいろとおばさんも大変だ。でも、この映画が示すところは、女性が自由に生きるというのは、いろいろあるけれど不可能じゃないってことだ。
それから民法の基本的知識がないせいだとは思うけれど、不倫相手に対しては、もっと強気に出て大丈夫だと助言をしてあげたくなった。もちろん、何もかもがうまくはいかないけれど、それなりの自由は得られる。そして、自由になると、多くの人が応援もしてくれる。
映画としては、俺には面白くもなんともない映画だったけれど、こういう映画を見て、夫に死なれるよりも先に、自分の人生に目覚める女性が多くなればいいなあ、と思う。