生年金への加入義務を無視している事業所が全国で63,539社もある。未加入事業所は全体の「4%程度」などと記事は寛大な書きぶりだが、安心している場合ではない。件数にすれば、やはり侮れない数、つまりそれだけの金額がごまかされているのだ。

 その行為、その数値だけでも許しがたいというのに、社員の給与から「保険料」として天引した金額を横取りする事業所まであるという。

 いったいこの調査は、今回初めて行なわれたのか。今まで発覚しなかったのならば、杜撰もいいところである。わかっていながら、なんの対処もしてこなかったというならば、これまた怠慢である。なにゆえこんな犯罪が黙認されるのだ。官庁がこうやって甘やかすから、企業は調子に乗り、外道企業が増殖するのだ。

 とりあえず社保庁は、未加入事業所の責任者を呼び出すなり、戸別訪問するなりで、加入を促す方針らしい。それは結構だが、今まで未払いだった分は、(従業員ではなく)会社がきっちりと支払うべきである。それを拒んだ事業所には、きつい懲罰を与えるがよい。

 しかし、どうだろうね。そこまでは「できない」かもしれないねえ。仮にそうなったら、腹癒せに社員の給料から差っ引く事業所も出てくるかもしれないな。なにしろ、油断のならない悪徳企業が盛りだくさんだ。その辺もしっかり計算に入れてやってもらいたい。

・・・・・・以下記事より・・・・・・

厚生年金、6万3000事業所が未加入

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070524AT3S2302124052007.html  
 厚生年金への加入義務がある正社員を雇用しているにもかかわらず、全く制度に加入せず保険料も払っていない事業所が全国で63539に達することが社会保険庁の調査で分かった。
 このうち一部では社員の給与から「保険料」として天引きしながら、それを厚生年金に納めずに横取りする悪質事業所が含まれているもようだ。 厚生年金保険法は正社員を雇用するすべての法人に加入義務を課しており、現在160万以上の事業所が加入する。
 未加入の事業所は全体の4%程度で、社保庁は責任者を呼び出したり、戸別訪問するなどして加入を促す方針だ。 (「日本経済新聞社」より)

21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を図るため、教育の基本にさかのぼった改革を推進する」

 安倍首相の掲げる教育再生会議の謳い文句である。政治家だのエライ人だのは、こうした抽象的な表現が大好きだ。「21世紀の日本にふさわしい教育体制」、また「教育の基本」とは具体的にどういうものであると安倍首相は考えているのか、大いに気になるところである。

 そうして挙げられた内容は、次のとおりである。

1. 夏休みや土曜授業を活用して授業時間を1割

増やす。


2. すべての子どもにわかりやすく、魅力ある授

  業にするため、教科書の分量を増やし、IT

化などを推進する。


3. 徳育を教科化する。

 ネットを見渡すと、1の案に賛成する人は案外多い。そのほとんどが、現在小中学生の子を持つ親世代以上である。もちろん現役の子ども世代は反対しているらしいが、子ども以上に不満を並べている人達がいる。言うまでもなく、現役の教師達である。

「勉強時間を増やせばいいってものではない!」

「登校日を増やせばいいってものではない!」

「土曜日を復活させればいいってものではない!」


 いつもながら、「◎○すればいいってものではない!」という常套句が並ぶ。

 確かに、成績における上下格差が著しい現状は、時間数を増やした「だけ」ではどうにもならないだろう。そんなことは教師でなくても洞察できる。ならば教育のプロである教師達は、今までに何か対策を練ってきたのか。また、実行してきたのだろうか。少なくとも、「忙しい忙しい」を理由に、何もしない教師ばかりが目立っているが。むしろ、「忙しい」という言葉を伝家の宝刀のように使って怠けている教師達を、あちこちで目にする。

 教師達が本当に多忙であるならば、その無駄な労力を省くことからを検討すべきであろう。しかし平教員だけでなく、まず上にいる連中(中教審、教育委員会、校長、教頭、主任に至るまで)が融通利かないのだから、ことは重大だ。


 上記を踏まえた上で恐ろしい懸念を持たれるのが、3についてである。

 教科として扱うのはいい。徳育と呼ぼうが道徳と呼ぼうが、修身と呼ぼうが、これまたかまわない。日本人として、また人間としてのしつけ教育であることに変わりないからだ。問題は、これらをきちんと指導できる(まともな)教師が、果たしてどれほどいるかという点である。

 昨今目につく教師による犯罪を挙げるまでもなく、児童生徒の学力、気力の低迷、非行化、犯罪化を見ればそうした懸念は自ずと湧いてくる。むろん、生徒の不良化をすべて教師のせいにするつもりはない。

 しかし、保護者との意思伝達も満足にできない、他人の立場を慮れない、社会人としての常識(せめて他人を不快にさせないだけの基本的礼儀)すら弁えていない教師が、教員免許一枚を楯に存在していることは事実だ。ネット上の教員専用掲示板を見れば、教師による下品、不躾、倣岸、卑劣、陰湿な書き込みが満載である。

 教師のうち多くは、学校を出てすぐまた「学校」という狭い社会に所属し、これまた似たような上司や先輩、同僚に囲まれて特定のマニュアルに縛られて過ごす。同じ池で泳ぐ魚しか知らない世間知らずでは、見解も狭くなろうというものだ。最も始末の悪いことに、教師自身がその現実に気づいておらず、意識してもいない。

 なにしろ自分の無知世間知らずを自覚していないものだから、勉強会や研修なども嫌々投げやりの参加である。論文どころか作文のひとつもろくに書けない。そういう教師が何の指導も処分も受けることなく、安閑としているのだ。自主的に勉強している教師もいるのだろうが、おしなべてそういう人達は人知れず黙々と行うので、公にはなりづらい。

 かくして、教師全般に対する不信感はますます募り、現実にある多くの教師の体たらくは、現役の生徒や保護者によって証言される。

 しかたなく免許更新制度を提案すれば、これまでぐうたら寝ていた道楽息子が突然暴れだすかのごとくに、教師連が吠えはじめる。

「ただでさえ忙しい教師を追い込むな!」

「無駄な勉強が増えるだけだ!」

「更新すればいいってものではない!」

などなど、言っている本人達にとってはもっともな意見が「!」付きで出てくるが、実はどれもこれもまるで説得力がない。つまるところは、

「めんどくさい、やだ」

と言っているにすぎない。きちんと筋道立てて意見を述べるだけの理知もないのが、白日の下に曝されている。


 徳育を教科化することにより、国の思想を押し付けることになりはしないか、との声も聞こえるが、上記のような有名無実「教育者」の指導による弊害は、さらなる問題である。

・・・・・・以下Asahi.com記事より

教育再生会議―一から出直したらhttp://www.asahi.com/paper/editorial20070602.html

 昨秋発足した再生会議は、各界の有識者17人が起用された。学力と規範意識を高めるという狙いに、異論は少ないだろう。私たちは社説で、斬新で骨っぽい提言を求めた。

 だが、今年初めの1次報告書に続いて、今回もやはり期待はずれだった。長い議論を経て学校が週休2日制になったのは、ほんの5年前のことだ。学力が低下したから土曜授業で補う、というのは安易すぎないか。

 再生会議の席上、陰山英男・立命館小学校副校長は、土曜授業の復活に反対したといい、会議後、「何時間かけてこれをやらせれば、こんな風に学力が上がるとかそんなもんじゃない」と語った。現場を知る人の率直な思いだろう。

 学力をめぐる最大の問題は、できる子とできない子の格差が広がっていることだ。授業についていけない子を、時間数を増やすだけで救えるとは思えない。

 教科書を厚くしてIT化を進めれば、魅力的な授業になるというのも、いささか的はずれではないか。

 「道徳の時間」を徳育として教科化することにも疑問がある。検定教科書を使うことになれば、政府の考える価値観を教室で押しつけることになりかねない。

 規範意識で思い起こすのは、光熱水費問題などでの故松岡前農水相の説明と、かばい続けた首相の態度だ。子どもが規範を学ぶのは、教室だけではない。

 それにしても、名だたる有識者がそろいながら中身が薄っぺらになってしまったのはなぜだろう。会議の進め方とメンバー構成に問題がありはしないか。

 議事録を読む限り、委員は印象論や体験をもとに提言することが多い。だが、その提言の良しあしをデータに基づいて検証し、論議を深めている様子は伝わってこない。

 その例が「母乳で育児」を提言しようとした「親学」だろう。きちんと論議を詰めていないので、批判されると、あっさり引っ込めてしまった。

 再生会議はさらに論議を重ね、年末に3次報告を出すという。それなら、せめて二つの提案をしたい。会議を公開する。論議に緊張感が生まれ、国民の関心も呼びやすくなる。

 オブザーバーとして教育研究の専門家を置く。教育の歴史の中で、提言の良し悪しを検証することができるだろう

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 労災申請の手続きには、おおかた次のようなものがある。


1. 所轄の労働基準監督署で書類を受取る。

2. 必要事項を記入して会社と医師の判をもらい、同署に提出する。

3. 戸籍謄本など指定の必要書類を添える。

 会社が証明するのは、労働保険番号や給与の額であるから、これじたいは会社にとって不快なものではないはずだ。しかし、この段階で「労災申請するぞ」と宣告したことになるのだから、会社側としてはやはり穏やかであろうはずがない。

「ワガシャで労災が起きたなぞと世間に広まれば、不名誉この上ない」

とばかりに、必死こきまくって証拠物件を隠蔽、あるいは捏造しまくるであろう。ただでさえ役立たずの役所が重い腰を上げて、「よっこらしょ」と調査にやってくる前に。

 あまつさえ、必要書類の提供を拒否したり、被災労働者やその家族に対して嫌がらせをしたりという会社も珍しくない。


 まして、普段から労働保険料を支払っていない会社ならば、なおのことである。保険未加入がバレるのも不名誉、労災が起きたことが世間に知れるのも不名誉だ。しかも認定が下りれば、被災者に給付される金額の100%を会社が負担しなければならない。(平成17年11月より施行)これまで保険料を真面目に払っておらず急に全額支払うのだから、とてつもない支出額になる。

 会社側の慌てぶりは容易に想像できよう。もともと保険金を踏み倒すような会社だ、いかなる手段をもってしても、事実隠蔽工作を工夫するに違いない。まして、調査に入る役人(労働基準監督署の人間)のやることは、まったくもって本当に「お役所仕事」である。「ごっこ」と呼びたくなるほどのシロモノでさえある。

 事業主、他の労働者にそれぞれ事情聴取し、必要な書類を提出させる。ところが、会社側にとって都合の悪い物件は隠蔽されている。事情を尋ねられた(たいていは、社長や幹部などのいる前で)他の労働者は、お互いに牽制しあい、また自分の立場を危ぶんで、無難なことしか言えない。


 役人などは、そうしたところを洞察する気働きもなく、あるいはそれを察知していても追求する気構えもない。マニュアルどおりのことをしていれば、自分の給料は安泰なのだ。とっとと引き上げ、さっさと書類を作成して、すんなり片づけてしまう。事実なんかどうであろうが、彼らの知ったことではないのだ。

 さらに勘ぐれば、民間の保険会社同様、保険金の「出し渋り」もあるのかもしれない。

 上記のような状況も手伝って、労災認定が下りるのは非常に稀である。申請者の約1割だという。おまけに、結果はすぐに出ない。何年も経ってから、「不給付」とそっけなく宣告される。マスコミで採りあげられるそれらの件を見て諦めるという人も、多いに違いない。つまり、被災者及びその家族は、泣き寝入りを余儀なくされるわけだ。

 どこまでも労働者をないがしろにする現代日本は、体制を組んで農民を酷使虐待し続けた江戸時代と、根本は変わっていない。

 労働者が業務災害により負傷・疾病・死亡した場合、その労働者を雇用する事業主は、被災労働者(又はその遺族)に対して、療養補償・休業補償・障害補償・遺族補償などを行なわなければならない。(労働基準法の規定)


 これらの補償は、事業主の無過失責任であり、被災労働者が退職したからといって打ち切ることはできない。この費用は大きな額になるので、まともに払っていたのでは大変な負担になる。そのために事業主は労災保険(正式名称「労働者災害補償保険」)に加入し、万が一の場合に備えるべきなのだ。つまり、労災保険はそもそも「事業主の為の保険」なのである


 世の中にはこすからい事業主も多く、この保険に加入していないところもある。だからといって、労働者が泣き寝入りをすることはない。労災補償は国家が行なうもので、雇い主のいる労働者全員が給付対象となる。たとえ事業主が労働保険料を支払っていなくとも、その事業所で働く労働者には、労災認定を申請する権利があるのだ。

 過重・超過労働が原因で死亡する「過労死」も労働災害に含まれるが、それが業務によるものとして認定されることはめったにないというのが、現状である。

 近年、過労死がマスコミ等で採りあげられることが多くなったわりに、申請する人はそう増えていない。過労死じたいが減った証拠だ、などと脳天気な戯言をぬかす経営者もいるが、こんな馬鹿者に騙されてはならない。


 建設業や運送業など、比較的危険性の高い仕事に関わる労働者は、労災に関する意識が高いが、そうでない人々は、驚くほど低意識だ。自分には関係ないとさえ思っている、さらには、労災やその補償について知らないという人すら、少なくない。このような人々は、何も知らないまま、労災認定の時効(死亡と身体障害は5年、その他は2年)が過ぎてしまうことになりかねない。


 一方、なんとか労働基準監督署へ出向き、労裁申請の相談をしてみても、

「認定されることはめったにないですねえ」

などと冷淡に言われて、気力が失せるという人もいるだろう。

 私事だが、以前自分の身内が、勤務中事故にあった。明らかに会社側の杜撰な管理ゆえだったが、会社はそれを認めなかった。被災者の父と一緒に、地元の労働基準監督署に出向いたところ、窓口に出た役人は、

「監督署が入るのはいいですけど、こちらは杜撰な点をあれこれ指摘して、会社にああしなさい、これを直しなさい、と指導することしかできませんよ」

「会社が監督署に怒られることによって、腹癒せになるんなら、それでもいいですけど、それしかできないですよぉ?」

と言うだけだった。


 そのとき自分は若くて無知だったから、そんなものかとがっかりするだけだったが、今思うとムカムカしてくる。あの役人は、労災申請について何ひとつ説明しなかった。どうせ認定の望は薄いと勝手に決めたのか、そんな知識もなかったのかはわからない。単なる不親切か無知かはともかく、役所というのは、そういうところなのだ。


 確かに、あのとき窓口にいた役人は、学校を出たばかりと見える若造だった。まだまだ無知だったのかもしれない。

 しかし、そういう人間を窓口に出し、一人で客の応対をさせるじたい、役所が杜撰で不親切だということなのだ。こんな役所が、労災認定のためにどれほど働いてくれるというのだ。



 いったいいつの間に撤廃になったのかと思われるほど、労働基準法は企業に黙殺されている。労働者にの中には、この法律がどんなものであるかさえ知らない者がいそうだ。それぐらい日本の企業はあつかましく、労働者は意識が低い。


 近年、ネットの普及で情報が手軽に入手できるようになった。そうして労働者が知識を持つにつれ、不当な労働条件に立ち向かう者が出てきた。地域合同労働組合やNPOへの相談も増え、ようやくだが、労働者の権利と幸福の主張に目覚めてきたようだ。

 NPO法人「労働相談センター」のサイトでは、劣悪な労働条件、環境に悩む労働者の話が、たくさん紹介されている。


 紳士服販売の大手企業「コナカ」が社員約720人に対し、2年間の不払い残業代など(約9億円)を支払うことになったのは、実はこのサイトのおかげらしい。

 ある日、同社の不払い残業の実態を内部告発する手紙が「労働相談センター」に届いたのが発端である。同センターがサイトで呼びかけると、窮状を訴えるコナカ社員の証言が相次いだ。これをきっかけに、同社初の労働組合が誕生し、会社側との団体交渉に結びついたのだという。

 コナカが渋々でも支払いに応じたのは、社員が一丸となって要求に詰めかけたからであろう。確かに、一人や二人の訴えでは、このような快挙はとても望めまい。労働者同士の横のつながりが大切である。


 日本の労働者は、経営者に対して従順すぎるのが欠点である。その一方、仲間どうしが結束していないことが案外多い。ひどい場合には、お互いに足を引っ張り合ってさえいる。会社側は長時間労働を押しつけてよこす、仲間どうしで協力しないでは、労働条件が改善される望みがない。かくして、過労による精神的、肉体的な疾患、さらには死に至る労働者まで現れる。

 結束していない職場環境にいるとしても、自分の労働時間を、ひそかに記録しておくぐらいは一人でもできるし、しておいたほうがよい。その上で、先の労働相談センターや、各地域の労働局や労働基準監督署に相談することができる。単なる気休めにしかならない場合がほとんどだ(役所が役立たずのため)が、稀には有益なアドバイスを得られることもある。


 不払い残業など、会社側の勝手な都合に甘んじているのが、立派な社会人ということにはならない。大事にすべきは、自分という人間なのだ。労働者を人間扱いしない会社の下敷きになる必要が、どこにあろうか。日本の労働者は、まずそれを認識することから初めなくてはならない。


 NPO法人「労働相談センター」         http://www.rodosodan.org/