「21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、教育の再生を図るため、教育の基本にさかのぼった改革を推進する」
安倍首相の掲げる教育再生会議の謳い文句である。政治家だのエライ人だのは、こうした抽象的な表現が大好きだ。「21世紀の日本にふさわしい教育体制」、また「教育の基本」とは具体的にどういうものであると安倍首相は考えているのか、大いに気になるところである。
そうして挙げられた内容は、次のとおりである。
1. 夏休みや土曜授業を活用して授業時間を1割
増やす。
2. すべての子どもにわかりやすく、魅力ある授
業にするため、教科書の分量を増やし、IT
化などを推進する。
3. 徳育を教科化する。
ネットを見渡すと、1の案に賛成する人は案外多い。そのほとんどが、現在小中学生の子を持つ親世代以上である。もちろん現役の子ども世代は反対しているらしいが、子ども以上に不満を並べている人達がいる。言うまでもなく、現役の教師達である。
「勉強時間を増やせばいいってものではない!」
「登校日を増やせばいいってものではない!」
「土曜日を復活させればいいってものではない!」
いつもながら、「◎○すればいいってものではない!」という常套句が並ぶ。
確かに、成績における上下格差が著しい現状は、時間数を増やした「だけ」ではどうにもならないだろう。そんなことは教師でなくても洞察できる。ならば教育のプロである教師達は、今までに何か対策を練ってきたのか。また、実行してきたのだろうか。少なくとも、「忙しい忙しい」を理由に、何もしない教師ばかりが目立っているが。むしろ、「忙しい」という言葉を伝家の宝刀のように使って怠けている教師達を、あちこちで目にする。
教師達が本当に多忙であるならば、その無駄な労力を省くことからを検討すべきであろう。しかし平教員だけでなく、まず上にいる連中(中教審、教育委員会、校長、教頭、主任に至るまで)が融通利かないのだから、ことは重大だ。
上記を踏まえた上で恐ろしい懸念を持たれるのが、3についてである。
教科として扱うのはいい。徳育と呼ぼうが道徳と呼ぼうが、修身と呼ぼうが、これまたかまわない。日本人として、また人間としてのしつけ教育であることに変わりないからだ。問題は、これらをきちんと指導できる(まともな)教師が、果たしてどれほどいるかという点である。
昨今目につく教師による犯罪を挙げるまでもなく、児童生徒の学力、気力の低迷、非行化、犯罪化を見ればそうした懸念は自ずと湧いてくる。むろん、生徒の不良化をすべて教師のせいにするつもりはない。
しかし、保護者との意思伝達も満足にできない、他人の立場を慮れない、社会人としての常識(せめて他人を不快にさせないだけの基本的礼儀)すら弁えていない教師が、教員免許一枚を楯に存在していることは事実だ。ネット上の教員専用掲示板を見れば、教師による下品、不躾、倣岸、卑劣、陰湿な書き込みが満載である。
教師のうち多くは、学校を出てすぐまた「学校」という狭い社会に所属し、これまた似たような上司や先輩、同僚に囲まれて特定のマニュアルに縛られて過ごす。同じ池で泳ぐ魚しか知らない世間知らずでは、見解も狭くなろうというものだ。最も始末の悪いことに、教師自身がその現実に気づいておらず、意識してもいない。
なにしろ自分の無知世間知らずを自覚していないものだから、勉強会や研修なども嫌々投げやりの参加である。論文どころか作文のひとつもろくに書けない。そういう教師が何の指導も処分も受けることなく、安閑としているのだ。自主的に勉強している教師もいるのだろうが、おしなべてそういう人達は人知れず黙々と行うので、公にはなりづらい。
かくして、教師全般に対する不信感はますます募り、現実にある多くの教師の体たらくは、現役の生徒や保護者によって証言される。
しかたなく免許更新制度を提案すれば、これまでぐうたら寝ていた道楽息子が突然暴れだすかのごとくに、教師連が吠えはじめる。
「ただでさえ忙しい教師を追い込むな!」
「無駄な勉強が増えるだけだ!」
「更新すればいいってものではない!」
などなど、言っている本人達にとってはもっともな意見が「!」付きで出てくるが、実はどれもこれもまるで説得力がない。つまるところは、
「めんどくさい、やだ」
と言っているにすぎない。きちんと筋道立てて意見を述べるだけの理知もないのが、白日の下に曝されている。
徳育を教科化することにより、国の思想を押し付けることになりはしないか、との声も聞こえるが、上記のような有名無実「教育者」の指導による弊害は、さらなる問題である。
・・・・・・以下Asahi.com記事より
教育再生会議―一から出直したらhttp://www.asahi.com/paper/editorial20070602.html
昨秋発足した再生会議は、各界の有識者17人が起用された。学力と規範意識を高めるという狙いに、異論は少ないだろう。私たちは社説で、斬新で骨っぽい提言を求めた。
だが、今年初めの1次報告書に続いて、今回もやはり期待はずれだった。長い議論を経て学校が週休2日制になったのは、ほんの5年前のことだ。学力が低下したから土曜授業で補う、というのは安易すぎないか。
再生会議の席上、陰山英男・立命館小学校副校長は、土曜授業の復活に反対したといい、会議後、「何時間かけてこれをやらせれば、こんな風に学力が上がるとかそんなもんじゃない」と語った。現場を知る人の率直な思いだろう。
学力をめぐる最大の問題は、できる子とできない子の格差が広がっていることだ。授業についていけない子を、時間数を増やすだけで救えるとは思えない。
教科書を厚くしてIT化を進めれば、魅力的な授業になるというのも、いささか的はずれではないか。
「道徳の時間」を徳育として教科化することにも疑問がある。検定教科書を使うことになれば、政府の考える価値観を教室で押しつけることになりかねない。
規範意識で思い起こすのは、光熱水費問題などでの故松岡前農水相の説明と、かばい続けた首相の態度だ。子どもが規範を学ぶのは、教室だけではない。
それにしても、名だたる有識者がそろいながら中身が薄っぺらになってしまったのはなぜだろう。会議の進め方とメンバー構成に問題がありはしないか。
議事録を読む限り、委員は印象論や体験をもとに提言することが多い。だが、その提言の良しあしをデータに基づいて検証し、論議を深めている様子は伝わってこない。
その例が「母乳で育児」を提言しようとした「親学」だろう。きちんと論議を詰めていないので、批判されると、あっさり引っ込めてしまった。
再生会議はさらに論議を重ね、年末に3次報告を出すという。それなら、せめて二つの提案をしたい。会議を公開する。論議に緊張感が生まれ、国民の関心も呼びやすくなる。
オブザーバーとして教育研究の専門家を置く。教育の歴史の中で、提言の良し悪しを検証することができるだろう
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