前回の記事にも通じる話。
あるテレビ番組で紹介されていた”さかなくん”のコラム、「いじめられている君へ」が興味深いです。
広い海へ出てみよう。
魚はせまい場所で飼うとイジメが起きる。
可哀想だからイジメられてる魚を外に出すと、今度は別の魚がイジメられるそうです。
じゃあ今度はイジメてる魚を出すと、また別のイジメっ子が出来る。
ところが海ではそういうイジメはない。
つまり生き物の宿命というか、せまい閉ざされたところにいるとイジメは起きる。
そこでさかな君が言うのは、学校でイジメられてても外に出てごらんと。
小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。
今は一時的に学校にいるけど、これから外に出たら何て事ないから。
というお話でした。
せまい世界を一歩出て、広い世界に目を向ければあなたは受け入れられるかもしれない。
たまたまそのせまい世界で仲間うちで上手くいってる人はいいですが、仲間外れにされながら集う人は地獄でしょう。
コメンテーターに元AKBの須藤凜々花さんも出ていて、この話に共感していました。
私も学校からAKBに入って、学校せまかったと思いましたし、AKBやめてからもどうしてAKBはあんな総選挙の順位で泣いていたんだろうって。
せまかったなって思いました。
司会者が「中にいる時はわからないものですか?」と聞くと、
わからないです。
この世界のルールが絶対だと思ってました。
また橋下徹さんも番組に出ていて、
大学を出ていろいろ経験してみると、精神的に自分を強くしたり人間関係を学ぶために、別にイジメに耐えて我慢する必要なんてない。
他にいくらでも自分を強くする方法なんてある。
あえてややこしい人間関係の中で「もまれて来い!」なんて時代ではない。
私自身も今回取り上げたコメンテーターの意見にかなり共感します。
イジメや理不尽に耐えて自分を鍛えるというやり方で強くなる事もありますが、誰しもにそれが最適な方法ではない。
鍛えて強くするつもりが、一生残る心の傷やトラウマを増やすだけかもしれません。
そうすると「弱くなる」のです。
傷を負い、恐怖心が心を占め消極的になってしまいます。
例えばカキを食べて食中毒になった人がそれにもめげずにカキを食べることが出来る人もいますが、食中毒によって一生カキに恐怖心を持ってすごす人だっているんです。
それは当然、強くなった姿ではありません。
何となく日本人の美徳として、さきほどの「もまれて来い!」じゃないですが、理不尽に耐えるとか我慢・忍耐する事が美しいという考えはありますが、よくよく自分の心に聞いてどれくらいまでなら耐えられるか、耐えるべきか、心の傷にならないかを判断しなくてはいけません。
何でもいいから耐えるのが正しいんだという考えはかなり危険だと思います。
もちろん些細な事で逃げるクセをつけるのもダメなのですが、どうしても「逆境に耐える」という言葉によって限界を超えて耐えてしまったり、またそれを忍耐強く素晴らしいと捉えてしまう事が多いように思います。
他人の物差しを自分に当てはめる必要はありません。
自分の心と頭でしっかり判断するべきだと思います。
あるテレビ番組で紹介されていた”さかなくん”のコラム、「いじめられている君へ」が興味深いです。
広い海へ出てみよう。
魚はせまい場所で飼うとイジメが起きる。
可哀想だからイジメられてる魚を外に出すと、今度は別の魚がイジメられるそうです。
じゃあ今度はイジメてる魚を出すと、また別のイジメっ子が出来る。
ところが海ではそういうイジメはない。
つまり生き物の宿命というか、せまい閉ざされたところにいるとイジメは起きる。
そこでさかな君が言うのは、学校でイジメられてても外に出てごらんと。
小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。
今は一時的に学校にいるけど、これから外に出たら何て事ないから。
というお話でした。
せまい世界を一歩出て、広い世界に目を向ければあなたは受け入れられるかもしれない。
たまたまそのせまい世界で仲間うちで上手くいってる人はいいですが、仲間外れにされながら集う人は地獄でしょう。
コメンテーターに元AKBの須藤凜々花さんも出ていて、この話に共感していました。
私も学校からAKBに入って、学校せまかったと思いましたし、AKBやめてからもどうしてAKBはあんな総選挙の順位で泣いていたんだろうって。
せまかったなって思いました。
司会者が「中にいる時はわからないものですか?」と聞くと、
わからないです。
この世界のルールが絶対だと思ってました。
また橋下徹さんも番組に出ていて、
大学を出ていろいろ経験してみると、精神的に自分を強くしたり人間関係を学ぶために、別にイジメに耐えて我慢する必要なんてない。
他にいくらでも自分を強くする方法なんてある。
あえてややこしい人間関係の中で「もまれて来い!」なんて時代ではない。
私自身も今回取り上げたコメンテーターの意見にかなり共感します。
イジメや理不尽に耐えて自分を鍛えるというやり方で強くなる事もありますが、誰しもにそれが最適な方法ではない。
鍛えて強くするつもりが、一生残る心の傷やトラウマを増やすだけかもしれません。
そうすると「弱くなる」のです。
傷を負い、恐怖心が心を占め消極的になってしまいます。
例えばカキを食べて食中毒になった人がそれにもめげずにカキを食べることが出来る人もいますが、食中毒によって一生カキに恐怖心を持ってすごす人だっているんです。
それは当然、強くなった姿ではありません。
何となく日本人の美徳として、さきほどの「もまれて来い!」じゃないですが、理不尽に耐えるとか我慢・忍耐する事が美しいという考えはありますが、よくよく自分の心に聞いてどれくらいまでなら耐えられるか、耐えるべきか、心の傷にならないかを判断しなくてはいけません。
何でもいいから耐えるのが正しいんだという考えはかなり危険だと思います。
もちろん些細な事で逃げるクセをつけるのもダメなのですが、どうしても「逆境に耐える」という言葉によって限界を超えて耐えてしまったり、またそれを忍耐強く素晴らしいと捉えてしまう事が多いように思います。
他人の物差しを自分に当てはめる必要はありません。
自分の心と頭でしっかり判断するべきだと思います。