(前回「不安を解消する反応「悲しみ」と「怒り」」はこちら)

 

不安からくる怯えや孤独を

解消しようとして、

「悲しみ」を自分に向けても

自分の殻に閉じこもることになり、

「怒り」を相手に向けても

相手は自分から遠ざかるだけで

どちらも関係を悪化させるだけに

終わる可能性が高いです。

 

周囲の状況や相手との関係を

良くさせる方法のひとつとして

提案したいのが「役割」という方法です。

 

人と人とをつなぐのが「役割」関係です。

私は家では「夫」あるいは「父親」、

職場では「介護士」であり、「課長」です。

 

私は介護の仕事を生業とし、

お金を稼ぐ役割を果たせているために

「夫」「父親」と認めてもらっています。

遊んでいてお金を稼いでこなければ、

「夫」や「父親」と認めてもらうことができません。

 

職場では「課長」の役割があります。

課長の役割を果たせなければ、

部下はついて来ません。

「課長」と認めてもらえないのです。

 

デイサービスに入ったばかりの私は、

「介護士」の仕事ができなかったので

つまり、役割を果たしてなかったから

他の職員との関係が作れなかったのです。

 

このように、「役割」というのは、

人と人との関係をつなぐものとして

とても有効な方法だと思います。

 

人は社会的動物である、と言われる通り、

自分以外の誰かとつながっていることで

安定します。

 

老親を介護していた男が

医師たちを逆恨みして

殺人事件を起こしたニュースが

先週ありました。推測ですが、

この男には世の中につながれる他人が

老親しかいなかったのではないか、

と思います。

ニュースの詳細を調べれば調べるほど

孤立した男の姿が想像されます。

(つながる人がいないこと)は、それほど

人を異常な精神状態に追い詰めてしまう

のだろうとニュースを見て思いました。

 

お年寄りがよく「役に立たなくなった」と

愚痴をこぼすことがあります。

これは「役割の変化・消失・消滅」と

言い換えることができるのではないか。

とくに勤勉な日本人の国民性からすると、

役割がなくなることは大きな喪失感となる

だろうと思います。

 

「死ぬまで現役」を貫くことで

認知症になっても幸福感を感じながら

生きることができるだろうと思います。

 

(つづく)

(前回「「不安」がもたらす怯えと孤独」はこちら)

 

「人は痛みにお金を支払う」

コンサルタントをしている私の友人の言葉です。

どんな意味か、聞いたときは分からなかったけど、

最近、少しずつ分かってきた気がします。

 

もちろん、人は痛みを痛がり、

それを回避するためにお金を払う。

 

たとえば、ケガをしたら薬を買う。

おなかが空いたら食べ物を買う。

炊事の手間を省きたくて食洗器を買う。

ハゲを気にしてたら毛生え薬を買う。

瘦せたかったらスポーツジムに会費を払う。

 

痛みがあると、それをそのままにして

生活したくありません。

それを何とかしようとする心が働きます。

それが人間の性分です。

 

認知症の人も同じです。

「不安」からくる「怯え」、「孤独」という

心の痛みを解消したくて行動します。

 

その行動の矛先は2つ。

「自分」と「自分以外」とです。

 

「そんなに俺にばっかり怒るなよ」

「きちんと教えてくれないから」

「人が少ないのを何とかしてほしい」

自分の仕事のできなさを「自分以外」の

誰かのせいにして納得する。

 

「歳を取って物覚えが悪くなったから」

「転職したことが間違いだった」

「ふがいない、俺のせいだから」

いっぽうで、この現状を「自分」の

未熟さだと諦めて納得する。

 

どうにか、この辛い現実を理解し、

解消しようとして

怒ったり、ふてくされたり、

泣いたり、悲しんだり。

 

「自分以外」にむかう感情を「怒りの系」、

「自分」にむかう感情を「悲しみの系」

と言います。

 

このような感情の動きは

介護職に転職した私や

認知症の人にだけあるわけではなく、

学校でいじめられている生徒や

上司にパワハラされている会社員や

「成績が上がらないから」と言って、

受験生に刃をむけた高校生や

精神科クリニックを放火した男にも

当てはまるような気がします。

あれらはまさに「怒りの系」ですよね。

 

ああいう事件は、自分の痛みが永遠に続く、

という錯覚でも起こしているのでしょう。

「不安」、「怯え」、「孤独」といった痛みは

人間の精神をいとも簡単に

蝕ませていくのでしょう。

そういう中で生きている認知症の人に

対して、同情を禁じえません。

 

つづく

(前回「混乱から生じてくる心理は「不安」」こちら)

 

ふたたび話を私の体験談に戻しますが、

排泄介助はもちろん、他の業務も満足に

できない日々が続きました。

失敗したことに対して、その間違いを指摘されることは

当然のことですが、それは私に「怯え」と「孤独」という

心理状態をもたらしました。

 

次に失敗したら、何を言われるだろう?

また(怒られる)(呆れられる)(笑われる)

これは私のプライドを大きく傷つけます。

50歳にもなって一人前として扱ってもらえない。

自分の仕事ぶりをみれば当然のことだけれども、

17年もケアマネジャーをやってきた。

大学院で講演したこともある。

県の研修講師もしている。

ブログでは「先生」とまで呼ばれている(苦笑)

…しかし、介護の世界では全くど素人。

「できない人間」というレッテルを

貼られる恐怖。これが「怯え」る心理。

 

「孤独」とは、この組織の先輩たちは

阿吽の呼吸で業務を流している。

そこにまったく乗れていない私。

あっちのほうで利用者さんの健康状態のことや

家族の状況なんかを話していたり、

業務の少し空いた時間で世間話をしていたり。

それにまったく乗れていない私。

誰かに話しかけてほしいと思うけど、

かまってくれる時間なんてないんだよなあ。

 

どんどん萎縮して、自分だけが置き去りに

されているような感じ。「不安」がマイナスを

おびき寄せ、底なし沼にはまってしまう感じ。

ここから抜け出すのは、誰かの助けを

借りないと出られないと感じる。

 

こんな心理状態をずっと続けていたら

精神おかしくなってしまうだろうと直感する。

 

認知症の人って時間の観念が

曖昧になっていくから、こんな気持ちを

ずっと持ち続けていくんだろうな、と。

それはそれは、辛い時間を

過ごすことになるだろう、と。

 

つづく