(前回「認知の大変さを想像してみた」はこちら)
『混乱はそれだけでは収まらない。すでに述べたように直面する状況は次々に姿を変えて現れる。混乱は、状況と自分との意味関係の覚知に失敗することであった。なぜいま自分がここにいるのか、その意味が分からないことで生じている。意味関係は、すでに述べたように自己の存在(身体・精神・社会的な)に一方の端を持っている。意味関係が分からないことは、状況そのものの意味が分からないのと同時に、「自分」がなぜここにいるのか、もっといえば「自分というものの存在」がわからない、あるいは不確かなものになっていくことを示している。このときに浮上してくる心理こそ「不安」である。つまり、自己の存在そのものが、不確かなものになったとき不安が生まれてくる。(中略)さらにいえば、いまの自分は、これまでの人生の歴史からつくり出されたものであり、確かな固有性をもっている。今の自分が不確かになることは、同時にこれまでの自分が(その固有性や存在の確実性)危うくなる。』(竹内孝仁著『認知症のケア』年友企画)
認知症の人が陥る「不安」という感情が
うまく説明できないので、少し長いですが
引用しました。
人は現在の状況を目の前にして、
過去の記憶を手掛かりに、
状況に対してふるまおうとします。
しかし、記憶がうまく取り出せないと
現在の状況に対して間違った振舞い
をしてしまうことになります。
あるいは、振舞うことすらできなくなります。
「え?え?え?え?え?」
「あれ?あれ?あれ?あれ?あれ?」
みたいなことです。
状況は海岸に寄せる波のように
常に自分の目の前にやってきて
私たちに認知(理解・判断)を迫ってきます、
私が排泄介助している時のように。
しかし、介護という新しい世界に
混乱していた自分でしたが、
「ここは職場である」
「私は労働者である」
「介護という仕事をしている」
「夕方には帰れる」
といった認知はたしかでしたし、
混乱の原因は分かっていましたから
「不安」という感情までは起きませんでした。
それが認知症のある人たちの場合、
混乱の原因さえ掴むことができず、
そういった混乱がいつまで続くのか
分からない状態に追いやられていく。
そういった状況に置かれた場合、
どんな人でも心の中に「不安」というものが
広がっていくのだろうと思います。
いみじくも、長谷川先生がTVのドキュメンタリーで
繰り返していた「確かさがない」という発言と
竹内先生の著書の「不確かな」という言葉が
まったくピッタリ、認知症の人の心を
言い当てているのではないか、と思いました。
そのような「不安」を抱えた状態で
生きていかなければならない辛さ、
みなさんはどのように思うでしょうか。
そういう不安な心理状態を
人は甘受し続けることは
できないと思います。
では、どのような対処を
していくのでしょう。