去る今年1月のこと。

私たち夫婦は結婚25年、

銀婚式を迎えました。

 

銀婚式って、ある意味区切り的な

ところを感じたもので、

記念の何かを考えていました。

 

そういえば、結婚指輪も

傷がついて輝きもなくなったな…。

……私たちのように(苦笑)

 

ということで、記念の指輪を

購入することになりました、

 

結婚指輪を買ったお店は

廃業されていたので、

いくつかのお店を回って

3週間ぐらいかけて決めました。

 

そのせいで、結婚記念日には

間に合いませんでした(苦笑)

 

決め手は店員さんの

対応でした。

 

 

 

そこは自社ブランドのみを

販売・メンテするお店で

他ブランドは扱いません。

 

しかし、予算に限りがある私たちに

その店員さんはお買い得感のある

他ブランドを紹介してくれたのです、

自社の利益にはならないのに。

 

「お客様が喜ぶことが一番ですから」

と、その店員さんは言いました。

 

そんな店員さんの親切心に感動して

このお店で買いたいと思った私は、

ここではそのブランドは扱えないのか

尋ねたけど、扱えないと言われました。

 

いったんお店を後にした私たち夫婦は

二人で作戦会議(?)したあとで、

またそのお店に戻りました。

 

「やっぱりここでお世話してください」

「本当ですか?まさか、戻ってこられるとは

思ってもいませんでした。」

 

そんなにお金のない二人に見えたのかな

(↑いや、そうじゃないとおもう笑↑)

 

当初の予算はちょっぴり越えましたが、

気持ち的に大満足な買い物をしました。

 

 

 

今日、サイズ合わせが終わった

指輪を取りに行きました。

 

そのお店では、希望する人たちに

記念写真を撮ってくれます。

 

 

 

「今度、金婚式の時もお世話してくださいね」

 

全国に販売店があるこのお店。

店員さんも定期的に転勤があるそうで、

25年先もこのお店にいるはずがないですが、

「そうですね、縁があったらお手伝いさせてください」

と、にこやかに笑ってくれました。

 

良い記念になりました。

 

 

 

 

(前回「役割ができなくても、できる役割はある」はこちら)

 

長く続いた認知症シリーズも

今日で最終回です。

 

人と人とをつなぐ「役割」というものを

どうやって作っていけばよいでしょう。

 

ステップ その1

「残存能力の活用」です。

 

若い頃にはできていたことは

歳を取ってからも、ず~~っと

できるわけがありません。

寄る年波には勝てん、ですね。

 

ジャガイモの皮むきでも、

洗濯物たたみでも、

できることは長く続けていきましょう。

「役に立ってる感」が大事です。

 

ステップ その2

「心を通わせる仲間づくり」です。

言い方を変えると、

「関係的役割の構築」です。

 

デイサービスをこれのために

使ってもらってかまいません。

むしろそういう場であることが大切です。

人間は社会的動物。(一人じゃない)

と思ってもらうことが大切です。

 

ステップ その3

「スキンシップ」です。

仲間づくりが苦手な人もいます。

言葉がしゃべれなくて仲間づくり

できない寝たきりのような人もいます。

 

言葉を使ってのコミュニケーションが

できない人にも、体に触れるという行為で

感じる温かさ、ってものがあります。

 

母親が子供を産み、育てる時に

多量に分泌される「オキシトシン」

というホルモンがあるそうです。

 

このホルモンは(触れる)という行為で

たくさん分泌されるそうです。

このホルモンがふえるとき、

人はより安心感を感じるのだそうです。

 

不安な気持ちになったとき、

誰かに触れててもらうことで

落ち着きを取り戻したりすることが

できます。

 

それは、小さな子供でも、年寄りでも一緒。

 

昔、上司からこんなことを言われました。

「田中さん、歳を取るとだんだん

触ってもらえんようになるだで」。

 

上司のお母さんが、連れ合いの

訪問看護を受けていた時、

「看護師さんはおじいさんばかりかまって、

自分には全然かまってくれん」と言ったそうです。

 

おじいさんの訪問看護にきているのだから

それは当然のことなんでしょうけど、

おばあさんは嫉妬なのか、寂しかったのか。

 

赤ちゃんは両親、兄姉、祖父母、

親せき、近所、両親の友人、などなど

たくさんの人に抱っこさせて、と言われます。

幼児の頃も、大勢の年齢の子たちと

それこそ、密になって遊びまわります。

思春期以降も、彼・彼女ができたり、

結婚して子供ができれば、

また触れる機会は持続します。

しかし、やがて歳をとっていき、

子供たちは巣立ち、配偶者や友人とは死別し、

どんどん孤独を募らせていきます。

 

「触れる・触れられる」機会は

歳をとるごとにどんどん少なくなっていく。

ほんとうにそうだなあ、と思いました。

 

それだけ(触れる)ことを

ケアのひとつとして重視しても

よいと思います。

 

それではまとめです。

 

認知症は物忘れによって

不安な心理状態にある。

それを克服するのは役割である。

触れる、というケアを重視する。

 

ということで締めたいと思います。

ご清聴ありがとうございました^^v

 

(終わり)

(前回「認知症があっても「役割」があれば」はこちら)

 

しかし、歳を重ねると、

若い頃は簡単にできていたことも

できなくなってきます。

栄枯盛衰、いずれは生命の灯も

消えゆくのが生物の運命です。

ですから若い頃担っていた役割は

必ず後進に譲る時が来ます。

 

認知症になったら、

できないことも当然増えてきます。

 

では、どうすれば人生の最後まで

「役割」を担い、務め上げることが

できるでしょうか。

 

それは「役割」とはどういうものか、

というところから考えてみることにします。

 

前回の記事で、私は

家では「夫」であり、「父親」

職場では「介護士」であり、「課長」

と言いました。これらの役割には

例えば、家に対しては、

「お金を稼ぎ、生活を支える」という

期待があり、それを全うすることが

役割を果たすことであると書きました。

この役割を「作業的役割」と言います。

 

いっぽう、

作業的役割を果たさなくても

存在しているだけで良い、

という役割があります。

例えば、友人関係などです。

いると安心する、嬉しい、楽しい

落ち着く、といった気持ちに

ならせてくれる存在です。

 

これを「関係(情緒)的役割」と言います。

 

ALSの母親を介護する娘の

著書を読んだことがあります。

 

『もっとも重要な変化は、私が病人に

期待しなくなったことだ。治ればよいが

このまま治らなくても長く居てくれれば

よいと思えるようになり、そのころから

病身の母に私こそが「見守られている」

という感覚が生まれ、それは日に日に

重要な意味を持ちだしていた。』

(『逝かない身体ーALS的日常を生きる』川口有美子)

 

母親は一般的に言われる母親の役割を

果たしてはいないが、存在そのものが

娘に幸福感を与えていることで、それが

情緒的役割を果たしているのです。

娘の、この感情は、母親にも安寧な心を

与えているのだろうと想像します。

 

作業的役割が果たせなくなっても、

関係(情緒)的役割はつくることができる。

そのことを私たちは重視すべきだと思います。

 

(つづく)