(前回「「不安」がもたらす怯えと孤独」はこちら)

 

「人は痛みにお金を支払う」

コンサルタントをしている私の友人の言葉です。

どんな意味か、聞いたときは分からなかったけど、

最近、少しずつ分かってきた気がします。

 

もちろん、人は痛みを痛がり、

それを回避するためにお金を払う。

 

たとえば、ケガをしたら薬を買う。

おなかが空いたら食べ物を買う。

炊事の手間を省きたくて食洗器を買う。

ハゲを気にしてたら毛生え薬を買う。

瘦せたかったらスポーツジムに会費を払う。

 

痛みがあると、それをそのままにして

生活したくありません。

それを何とかしようとする心が働きます。

それが人間の性分です。

 

認知症の人も同じです。

「不安」からくる「怯え」、「孤独」という

心の痛みを解消したくて行動します。

 

その行動の矛先は2つ。

「自分」と「自分以外」とです。

 

「そんなに俺にばっかり怒るなよ」

「きちんと教えてくれないから」

「人が少ないのを何とかしてほしい」

自分の仕事のできなさを「自分以外」の

誰かのせいにして納得する。

 

「歳を取って物覚えが悪くなったから」

「転職したことが間違いだった」

「ふがいない、俺のせいだから」

いっぽうで、この現状を「自分」の

未熟さだと諦めて納得する。

 

どうにか、この辛い現実を理解し、

解消しようとして

怒ったり、ふてくされたり、

泣いたり、悲しんだり。

 

「自分以外」にむかう感情を「怒りの系」、

「自分」にむかう感情を「悲しみの系」

と言います。

 

このような感情の動きは

介護職に転職した私や

認知症の人にだけあるわけではなく、

学校でいじめられている生徒や

上司にパワハラされている会社員や

「成績が上がらないから」と言って、

受験生に刃をむけた高校生や

精神科クリニックを放火した男にも

当てはまるような気がします。

あれらはまさに「怒りの系」ですよね。

 

ああいう事件は、自分の痛みが永遠に続く、

という錯覚でも起こしているのでしょう。

「不安」、「怯え」、「孤独」といった痛みは

人間の精神をいとも簡単に

蝕ませていくのでしょう。

そういう中で生きている認知症の人に

対して、同情を禁じえません。

 

つづく