中学受験 合格への自信をなくしたとき
中学受験 合格への自信をなくしたとき
受験だけではなく、何かの目標に向かって努力しているとき、
すべて順調に物事はすすみませんよね。
だれでも、
つまずいたり一歩も前に進んでないと感じる状態になることあります。
そんな時、
僕ってもうダメかもしれない。私ってやっぱり才能無いのかな?
…と自信をなくしてしまいます。
そんな時はどのようか考え方をすればいいか?
また、それを払しょくする何か有効な手段があるのか?
親はお子さんに対してどんな態度で接すればいいのか?
お伝えしたいと思います。
中学受験は自信をなくしやすいもの
いきなりの質問ですが、「あなたは自信家ですか?」
…と聞かれたらどのように答えるでしょうか?
おそらくほとんどの方が「私は自信をもてることはありません」
…と答えることでしょう。
ほとんどの日本人はそうなんです。
大人の我々でさえそうそう自信なんてないのに、
小学生が「合格の自信満々!」と思うほうがオカシイのです。
自信のないのがあたりまえ。
「ボクは合格できるかな?」「私は合格できるかな?」
…このように思うのが普通なんです。
またご両親も、
「この子が出来るのかな?」…と感じることがあるかもしれません。
でも、その心配はまったく必要ありませんよ。
というか意味がないんです。
なぜなら、人間が経験・達成するいきさつを考えてみて下さい。
すべて、
●やろうとして、出来るようになったことばかりですよね。
赤ちゃんが初めて立っちするのも、歩けるようになるのも、
転びながら自転車に乗れるようになるのも、
泳げるようになるのも、
すべて、やろうとして出来るようになったことです。
最初から、出来ることなんて人間ひとつもないんです。
だから、自信ないなあ…と不安がる必要ありません。
人間はそのようにして、ひとつひとつクリアして、
成長していきます。
だから、何か「やろうとすること」があるということは幸せです。
また成長するチャンスがやって来たんですから。
「いやあ、また成長しちゃっていいんですか?」
…ぐらいの気持ちでいきましょう。
あまりピンとこない方、
じゃあ、もっと具体的にどんな感じか話しますね。
自転車が乗れるようになった時のこと思い出してみましょう。
最初は、上手くいかず転んだり泣き叫んだりしますよね。
でも、親はまったく不安にはならないでしょ?
「この子、できるかなあ?」って思いませんよね。
それは何故ですか?
●自転車は誰でも乗れるようになると「知っている」からですよね。
自転車は誰でも乗れるようになると「信じている」…ではないんです。
この違い分かりますか?
「知っている」と「信じている」とはまったく違います。
映画「マトリックス」で、モーフィアスはネオにこう言います。
「動こうと考えるな。動けると知れ!」(←ふかいです。観てください)
「自転車は乗れるもの」と親は知っている。
子供はそんな親の態度・表情を見て、
「ああ、自転車は乗れるんだ」と知って、練習に励みます。
だから、親の態度・表情・言葉はとっても重要なんです。
お子さんが塾のテキストを見て、
「うわあ、こんなに覚える事あるの?できるかなあ?」
…と不安がっても決して、
「そうねえ、あなた暗記が苦手だもんねえ」と同調しないこと。
きっぱりと、
「できるわよ。小さい頃ポケモンの名前、あれだけ覚える能力あったじゃない」
…と言われると、
子供は「そうかなあ…」と脳にインプットされます。
「私、算数の売買損益が苦手なの」…と嘆いても、
「ウチは代々、商売の家系だから得意にきまっているよ」とキッパリ。
面白いもんで、人は根拠がなくても「理由」をつけられると、
そうかなあ…と信じ込みやすいですよ。
だから、
お子さんの長所や昔の出来事をリストアップしておいて、
子供が何か不安がったら、
「大丈夫、あなたは○○だったでしょ」…と言えるようにしておいてくださいね。
「大丈夫なんだ」と子供を洗脳することも、
中学受験におけるご両親の役割ですよ。
最後までお読みいただきありがとうございました。