滝ノ入城(長野県小布施町・高山村・中野市境) | えいきの修学旅行(令和編)

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 頸城の友達との2021山城納め。

 二十端城から続きます。

 

 

 

二十端城から登ってきて、跳ね返されそうになる

しばし睨んで闘志を貯めようとしたが、抜けていく…。

 

左に獣道を伝いトラバース

北尾根に取付く。

 

作戦成功

北尾根から滝ノ入城へ登頂。

石積が郭の縁辺壁面を造作している。

 

 

滝ノ入城主郭

頸城の友達、自分ちみたい。

 

東尾根筋

 この尾根筋は、弘治3年(1557)の第三回川中島合戦において、その舞台となった桝形城(山田城)、大熊峠、間山古峠(沼ノ入城)へと至る。そのためか、石による壁面造作と二本の堀切を入れ、警護を強く固めている。

 ということは、二十端や雁田の詰めの城でいうよりも、両城の背後を固めるという構想か。

 

2015謙信道2・山田城(枡形城)(長野県高山村中山馬場) | えいきの修学旅行(令和編) (ameblo.jp)

2017謙信道4・沼ノ入城(長野県中野市・高山村境) | えいきの修学旅行(令和編) (ameblo.jp)

東の堀切は、私が代表して(単独行動)視認、撮影。

 

一本目の堀切上部

石により城側壁面が強化されている。

 

一本目堀切

 

外から

 

一旦おいて

 

一郭を置く

その先に二本目堀切。

 

ニ本目堀切

ここも城側壁面が石による強化されている。

斜から

 

もう一枚

 雁田城、二十端城でも信じ難かったが、高梨氏が、このような石の普請をしていたという事実を受け止めなければならない。

 

千僧坊曲輪へ

 

西に並立する千僧坊曲輪

 

西尾根(稜線)は2段の平場を置く

 

岩場を降ると稜線の左(南)は一段低く細長い平場がある

 

 宮坂先生は「平場を、北風を避けた居住区であろうか。少し狭いようだが、安全地帯ではある。」としている(※)。

    ※宮坂武男(2014)『信濃の山城と館』第8巻、戎光祥出版、p.247

 

ピークが千僧坊曲輪

 

千僧坊曲輪

 

二重端、滝ノ入主郭は雑木に遮られていたが、ここは眺望が開ける

 

信濃の国を心の中で絶唱

 

南尾根口は石による出入口造作がある

 

石による出入口造作

 

西尾根

雁田城・岩松院へと下る。

 こちらは遊歩道が整備されており(登ってきた二十端方面はない)、降りつつ、ミッキーマウスと信濃の国を口ずさんでしまった。

 

 二十端城経由、滝ノ入城主郭まで2時間14分。

 千僧坊曲輪から岩松院まで約1時間。

 

 

登り口は前記事・二十端城に掲載

 

2014作成記事

雁田城1岩松院・小城(長野県小布施町雁田・都住むぐ) | えいきの修学旅行(令和編) (ameblo.jp)

雁田城2 大城 | えいきの修学旅行(令和編) (ameblo.jp)