雁田城1岩松院・小城(長野県小布施町雁田・都住むぐ) | えいきの修学旅行(令和編)

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雁田城
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 麓の岩松院が根小屋と考えられ、傍らに聳える岩山に、石垣と岩盤、堀切を設け、小ぶりだが堅固に築かれている。
 
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少し引いて
 岩松院から小城を経て大城に至るルートが大手、岩松院奥の沢筋から大城背後の尾根に至るルートもあり搦手であろう。さらに後背の峰続きに千僧坊ー滝ノ入城ー二十端城と連なり、一連の城塞を成していたものと思われる。
 
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岩松院は永享二庚戌年(1420)年荻野備後守常倫の開基とされる。
  駐車場多あり
 
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奥には福島正則の霊廟が在る。
 
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福島正則霊廟
 
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岩松院奥は岩松院古墳群で、古来有力者が拠ったであろう。
この沢筋から大城背後の尾根に至るルートがある。物資の搬入路であろうか。
私は搦手で降りてきましたが、なかなかに霊感ありました。よ
ほど興味のある以外は小城経由の大手で往復されることをお勧めします。
 

 
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で、大手
 岩松院北(奥に向かって左)より登山道が整備されています。
期待感↑
 
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クーさんに来訪を告げ、登城!
 
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奥の尾根が小城から北に降る尾根筋で、岩場を利用した門のある堀アとイ、ウ三本の堀切がある。
右上方に小城。
堀名・郭番号は、宮坂武男『信濃の山城と館8』命名を用います。
 
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頭上に小城
 
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期待通り(馬念さんがアップしてましたので)
 
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大きくしちゃいます 
 
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石組で南西隅に登路が入る
西面(左)との回り込みを阻止するかのような大石
 
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西面
三段普請
 
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南面
四段普請
 
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小城への入口
 
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小城(郭6)
単郭で、後方大城側に石積の塁と堀エを設けている。
 登山道登り口から私の足で6分。
 
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登路を見下ろす
 
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先ほどの南面四段普請
 
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西面三段普請
 
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郭6北隅
北は尾根続きで麓に降るため、三本の堀切を設けている。
 
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北隅直下堀ウ
 
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堀ウ先北尾根
 
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堀イ
 
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その先岩があり、岩先に堀ア、岩左わきに門
 
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左(西)わき 一段あり
 
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その先堀ア
 
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堀アから門
                                             
郭6へ戻ります

 


 
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郭6大城側(東)
石組の塁と堀エ
 
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堀エの先は大城へ至る
(大城作成は来週になると思います)
城もいいですが、この道、私的には凄くいい。
 
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堀エ南
 
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堀エ北
 
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堀エこしに郭6
 
雁田城は、岩松院開基とされる荻野氏、また苅田氏の城と伝わるが、裏付ける史料はない。
宮坂先生は、「現在見るような姿に造りあげたのは、高梨氏であろうことは ほぼ間違いないであろう。しかし、高梨氏以前に在地土豪層の要害城としてこの山に砦が築かれたことは考えられよう」としている。
 
参考文献 宮坂武男(2014)『信濃の山城と館8』、戎光祥出版