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スチャラカでスーダラな日々

故・植木等氏の御冥福に因んでkeiのスーダラな日々を紹介します。故人の映画のようにスイスイと軽妙な人生を送りたいものです☆彡

2024年 吉幾三 立佞武多 熱唱

立佞武多 吉幾三2024年 立佞武多の最終日は吉幾三さんが2019年以来、5年ぶりに立佞武多会場で立佞武多の生歌を披露をしてくださいました。生歌を歌うだけで、これほどの集客力があります。

全国に知られている数少ない青森県出身の有名人目当てにものすごい人集りです。歌い終わっても2~3分はギュウギュウ詰めで動けないほど会場が混んでいました。超望遠レンズで撮ったのでカメラの手持ち映像では多少ブレています。

吉幾三ミュージアムにも事前に寄ったので、立佞武多の歌詞を展示していたのを撮らせていただきました。歌詞の最初に吉幾三さんが上手く歌えていなかったのですが、感動のあまり涙を流していたそうです。その間、お弟子さんの真田ナオキさんと吉永加世子さんが代役で歌いました。

吉幾三 立佞武多
吉幾三 立佞武多

立佞武多 歌詞
立佞武多 歌詞
真田ナオキ 吉幾三 吉永加世子
真田ナオキさん 吉幾三さん 吉永加世子さん

真田ナオキさん 吉幾三さん 吉幾三の立佞武多ハッピ 5年前の立佞武多は吉幾三さんが独唱していたのですが、2024年はお弟子さんを連れての登場です。お弟子さんのお名前すら分からなかったのですが、調べたら真田ナオキさんと吉永加世子さんと判明しました。

最初に五所川原市長の挨拶から始まって前フリが長かったのですが、10分後にやっと立佞武多の歌唱が始まりました。その様子は、明日のブログ記事でYouTubeの映像と共に紹介します。

一番下の写真は吉幾三さんが現れた時の会場の様子ですが、8月5日に立佞武多を見た時よりも3倍近くのヒトで埋まっていました。観客との間にスキマが無く、場所を移動するにもギュウギュウ詰めの状態です。

五所川原立佞武多に吉幾三 登場
五所川原立佞武多に吉幾三 登場
大型立佞武多 暫 近影
大型立佞武多 暫 近影

大型立佞武多 暫吉幾三ミュージアムを堪能してから場所取りを済ませて、お待ちかねの立佞武多会場前にある焼肉牛亭で舌鼓を打って英気を養います。

五所川原駅前に近い県道の交差点が立佞武多会場の起点となります。吉幾三さんが唄われる日は交差点を封鎖して立佞武多が三方に出陣して観光客と吉幾三さんとスタッフを見下ろします。

午前中から吉幾三さんを撮るために場所取りをしている強者もいるので、そう言った方々には適わないです。

すると大型立佞武多が交差点の前に3台も集まりました。18時近いのですが、真夏なのでまだ日が高く立佞武多にも夕陽が当たっています。

この間に3度も撮影場所を変更させられました。仕方がないので、Nikon Coolpix P1000の超望遠レンズで吉幾三さんを撮影します。

大型立佞武多 暫
大型立佞武多 暫

大型立佞武多 素戔嗚尊
大型立佞武多 素戔嗚尊

大型立佞武多 閻魔
大型立佞武多 閻魔

大型立佞武多 曳き手
大型立佞武多 曳き手
吉幾三ミュージアム ホール
吉幾三ミュージアム ホール

吉幾三ミュージアム 売店吉幾三 ステージ衣装吉幾三 使用済みギター2024年8月8日に五所川原駅からほど近い距離にある吉幾三ミュージアムへ行ってきました。最初に売店とホールに目が行きました。

売店は入場券も販売していて売店の小窓からスタッフが販売しています。ミュージアムの廊下で売店の小窓から入場券を買って中に入ります。展示物は自由に撮って良いそうです。

中央に中くらいのホールがあって、過去にTV出演された唄をビデオで紹介していました。ホールの右脇にはカラオケボックスがあって数人程度は入場できますが、そこで歌えるのは一人だけのようです。吉幾三が作詞作曲した立佞武多の唄がここでは良く唄われています。

一番目に付いたのは売店のお土産で、おら青森さ来ただクッキーを職場のお土産に買いました。クッキーには、吉幾三と横書きで焼いて印字されていました。

吉幾三ミュージアム 売店
吉幾三ミュージアム 売店

おら青森さ来ただクッキー
おら青森さ来ただクッキー

おら青森さ来ただクッキー 中身
おら青森さ来ただクッキー 中身
吉さんミュージアム新装オープン

吉幾三ミュージアム 入口前吉幾三ミュージアム 入口前吉幾三ミュージアム 正面青森県五所川原市金木町出身の歌手・吉幾三さん愛用のギターや衣装、芸能活動の記念の品々を集めた「吉幾三コレクションミュージアム」が2019年4月29日、本町に移転して新装オープン。

セレモニーには吉さんも駆け付け「五所川原の観光の起爆剤になればありがたい」と、多くの観光客が訪れることを期待していた。

同市大町の立佞武多の館向かいにある「Y・C・M吉幾三コレクションミュージアム」(半田秀美館長)が、同市本町の旧青森銀行五所川原支店跡地に移転した。広さや展示品が従来の倍となった。

同ミュージアムは2009年4月に同市広田に開設され、2016年7月に大町に移転。吉さんが紅白歌合戦で着用したステージ衣装やギター、直筆書などを展示しており、県内外から訪れるファンや観光客を楽しませている。

Y.C.M吉幾三コレクションミュージアム(外観)
2024年 陸奥鶴田駅を行き交う気動車

陸奥鶴田駅 正面 陸奥鶴田駅名標 YouTubeの映像は2024年8月8日に撮影した五能線の陸奥鶴田駅を行き交う気動車です。五所川原立佞武多会場に行こうと午後の早い時間帯に五所川原行きの普通列車を待っていました。

すると弘前行きの普通列車が先に来て、次にリゾートしらかみ 橅 編成で深緑色の列車が五所川原方面へ通過しました。動画の一番最後で五所川原行きの普通列車へ乗るところです。

右のサムネイル画像は、陸奥鶴田駅 正面と駅名標です。国鉄時代にも何度か利用していたのですが、一度も木造時代の駅舎の写真を撮ることがなかったです。現在の駅舎は鶴が羽を広げたような屋根になっています。真ん中の赤い色は丹頂鶴を意識したのでしょうか?

リゾートしらかみ 橅編成
リゾートしらかみ 橅編成

リゾートしらかみ 橅編成
リゾートしらかみ 橅編成
妖しげな踊り 弘前ねぷたに繰り出す女性

軽やかで妖しい踊りで弘前ねぷたまつりの観客を魅了した前田美代子さん前田美代子さん軽やかで妖しい踊りで弘前ねぷたまつりの観客を魅了した前田美代子さん松明を持った白塗りの踊り手とおどろおどろしいねぷたを引き連れ、かつて弘前ねぷたまつりに参加していた「劇団夜行館」(つがる市)。座員の前田美代子さん(70)=弘前市=は10年ほど前に同団が活動を休止した後も変わらぬ白塗り姿で踊り続けており「ねぷたの通る道が私の舞台。夜行館の魂を残すため、死ぬまで踊り続けたい」と今年もまつりに繰り出している。

夜行館はつがる市木造を拠点に演劇活動をするとともにねぷたも運行していた。人目を引く異様な風体と独特の運行スタイルで人気だった。

前田さんは2001年から座員として活動。笹原茂朱座長の体調不良により同団が活動休止となった後は、弘前市の城北ねぷた同好会などで踊ってきた。いつかまた夜行館としてまつりに出る日を夢見ていたが「夜行館そのものだった」という笹原座長が今年7月に亡くなった。

「私も座長に魅了された一人。あんなすごい人とは二度と巡り会えないと思う」と悼み、「座長からはたくさんの言葉をもらい、たくさんのことを教わった」と懐古する。その中でも、「踊るなら、その時にやり尽くせ」という言葉を今も忠実に守り、一回一回を全力で踊っている。

2025年8月3日の合同運行では、亀甲町町会のねぷたと一緒に出陣した。はやしの音色に合わせた即興の滑らかで妖しい舞踏で場を魅了。飛び入りの観客と一緒に踊る場面もあった。腰を90度以上のけぞらせて数秒間天を仰ぐ見せ場を何度もつくり、約1キロのコースを全力で踊りきった。

軽やかで妖しい踊りで弘前ねぷたまつりの観客を魅了した前田美代子さん
軽やかで妖しい踊りで弘前ねぷたまつりの観客を魅了した前田美代子さん
夜行館座長・笹原茂朱 死亡記事
劇団夜行館座長・笹原茂朱 死亡記事

シアター夜行館シアター夜行館劇団夜行館座長の笹原茂朱(ささはら・もしゅ、本名笹原茂峻=ささはら・しげたか)さんが2025年7月6日午前0時8分、急性心不全のため五所川原市内の病院で死去。87歳。通夜、葬儀は遺族と関係者で執り行った。自宅はつがる市木造清水31の8。喪主は長女の笹本佳野子(ささもと・かのこ)さん。

富山県出身。明治大学文学部演劇学科卒業後の1963年、大学同期の劇作家・唐十郎さんと共に状況劇場を創立し翌年退団。1968年に「シアター夜行館」を立ち上げた。1971年から現名称。

「日本人の芝居の原点は小屋掛け芝居である」を理念に1972年から各地を巡業。四国、本州を北上し恐山(むつ市)を経て津軽入り。この時の弘前ねぷたまつり参加をきっかけに、1974年から1982年まで劇団の拠点を弘前市に置いた。この間、劇団として祭りへの大型ねぷた出陣も果たした。

埼玉県狭山市を経て1998年に旧木造町(つがる市)に劇団の拠点を移し演劇、ねぷた運行と精力的に活動。晩年は病気療養に専念した。

著書「巡礼記/四国から津軽へ」「ねぷた祭り/明治・大正・昭和」。1997年9月から陸奥新報に「津軽の心 劇団夜行館復活への道」を連載。

ねぷた祭り 笹原茂朱 著
ねぷた祭り 笹原茂朱 著
2001.8.3 劇団夜行館 町印
2001.8.3 劇団夜行館 町印

2001.8.3 劇団夜行館 松明東京と青森県各地で公演をしている劇団夜行館の弘前ねぷたです。元々唐十郎と共に活動していた劇団ですが、方向性の違いから分裂。

ねぷたの謎解きに何年も掛かろうと津軽にとどまることを決意。劇団の拠点を弘前に置いた時期もありました。後に青森県西津軽郡木造町(つがる市)に拠点を置いた夜行館は、たまに東京でも公演を行っています。

劇団夜行館が弘前ねぷたを出したのは2000年~2013年まで。絵師は 前野 柵さんが描いていました。次のブログに続報があります。

2001.8.3 劇団夜行館 津軽女人往生伝 地吹雪菩薩
2001.8.3 劇団夜行館 鏡絵 津軽女人往生伝 地吹雪菩薩
2024年 七日日送り ねぷた点火

七日日送り 生首 ねぷた点火七日日送り 幻満舎 ねぷた点火直前弘前市長 櫻田 宏弘前ねぷた 七日日送り ねぷた点火に先立って、弘前市長 櫻田 宏さんの挨拶がありました。最初と最後にねぷたの掛け声である「ヤーヤドォー」を連呼してから弘前ねぷたまつりの締めを行いました。とても話し上手な方ですね。

確か樹木出身だそうです。櫻田 宏さんは桔梗野小学校と弘前四中出身なので、弊YouTube管理者と同じ地元中学の地元民です。

挨拶終了後、本日のメインイベントである弘前ねぷた 七日日送り ねぷた点火のセレモニーが行われました。火付け役の重鎮が松明を持っていて、その松明に火付けの方が右から順番にそれぞれの松明へ火を点けて回ります。

七日日送り会場ではコーンのすぐ手前の最前列に陣取っていたのですが、燃やすねぷたはコーンから30mほど離れていて超望遠レンズ付きのカメラで撮らないと無理な距離でした。

まず生首のハリボテが勢いよく燃えました。次に幻満舎の担ぎねぷたが燃え広がりました。ねぷた絵は和紙で出来ていてロウが塗られているので燃え方が早かったです。非常に尊い瞬間に立ち会えました。ねぷたの戻り囃子が焼失したねぷたの物悲しさを更に増幅させています。

七日日送り 幻満舎 ねぷた点火
幻満舎 ねぷた点火

七日日送り 幻満舎 ねぷた焼失
幻満舎 ねぷた焼失

2024年 七日日送り 弘前市長挨拶