聞く力
どこかの国の総理大臣の話ではありません。
相方は、とても聞き上手な人でした。その事に、どれだけ助けられたかわかりません。
●好奇心
相方の「聞き上手」がすごく発揮されたのは、経済関係の雑誌社に勤務した時です。
取材をし、それを記事にする記者でした。
取材相手は、たいてい米国の日本企業の現地法人トップもしくはそれに準じる人でした。
取材は、こちらからお願いして時間を取って話を聞かせてもらうわけですから、必ずしも歓待されているわけではありません。場合によっては、気難しい人や、なんでこんな若造相手に、とか、明らかに嫌そうな態度をされることもあります。
もちろん、取材ですから質問する上での予備知識、人物や会社のバックグラウンドをあらかじめ知っておくことは基本の「き」ですが、通り一遍の質問ではやはり通り一遍の答えしか得られません。
いわゆる「面白い話」や「他には話していない耳寄りな情報」が得られることは皆無といっていいでしょう。
ですが、一旦、取材が始まると、なぜか、みんな次々といろいろな話をしてくれるのです。
その秘訣は何かと、一度相方に問うたことがあります。しばらく考えた後、
「好奇心だな。特別な技はない」と答えました。
相方に言わせると、
「とにかく話が面白いから、ついついいろいろな事を聞きたくなるんだよ」
話を聞いていると、持ち前の好奇心がむらむらと湧いてきて、身を乗り出すようにして熱心に聞きながら、自分が疑問に思ったこと、どうしても聞きたいことが、次々と浮かんでくるので、それを相手にぶつけます。
取材相手も、ここまで一生懸命話を聞いて、理解し、さらに、自分が想定していないような事まで聞いてくるなんて、と、だんだんに心を開いてきます。
相方の聞く姿勢は、熱心なだけではありません。
ある時は、話の内容に感動し、ある時は感心し、またある時は驚いたり、取材相手の心に寄り添うような姿勢です。
だからと言って、それがわざとらしくなく、自然に、本当に心の底から興味をもって聞いているので、相手も積極的にいろいろな話をするようになります。
そのおかげで、思いもよらない裏話が聞けたり、戦後まもなく、アメリカにきて、商品を売る時にとても苦労した話などをしてくれたそうです。
当時はまだ、1ドル360円の時代で、日本から持ち出せる日本円に制限があったので、資金も潤沢ではなく、貧乏生活しながら、知名度がない日本製品の売り込みに必死だった話など、たくさん面白い花を聞かせてくれたそうです。
見かけはそんなに仕事が出来そうでない相方を見て、会社では、こう評していたそうです。
「あいつは取材力がある。でも、どうしてなんだ?」
●後輩たち
学生時代、学生運動に関わっていた相方には、たくさんの後輩がいました。
その時、参加を躊躇っている人や、いろいろな悩みごとを抱えている多くの後輩たちから、相談を受けることが多かったそうです。
その時、後輩から慕われた理由は、やはり話をよく聞いてくれたからだと思います。
相方の口癖は
「どんなに嫌いな相手でも、その人の言っていることが正しければ、その話を聞く。感情的な好き嫌いよりも、大事なことだ」
相方は、普段から、感情に左右されず、理性的に物事を考えようとしていましたが、人の話を聞く時も、その姿勢は変わらなかったと思います。
よく虚心坦懐に相手の話を聞く、と言いますが、まさに相方はそんな姿勢だったと思います。
●困りごと
相手のことを親身になって、考えることも大切にしていました。
後輩が、自分の家庭のことや子どもの教育について、自分たちでどうにも出来ない事があった時、相談がある度に、何度も何度も話を聞き、どうしたらいいかを一生懸命考えて、アドバイスをしていました。
とくに、子どもへの対応を間違えると、将来に影響するからと、朝早くだろうが、就寝時間だろうが、時を選ぶことなく、時間を作って、相談にのっていました。
その時も、とにかく、よく話を聞いていました。
自分の家庭では、あり得ないような事態が起こると、
「なぜなんだ? どうしてなんだ」
例の好奇心も手伝って、質問攻めのように、事情を聞きます。
そうやって、当の本人たちも気づいていない事やわからなかった事を、探り当てて、ありとあらゆる可能性を考えた上で、解決策を示すようにしていました。
●もっとたくさん
私も、たくさん話を聞いてもらってきたと思います。
もっともっとたくさん話を聞いて欲しかったです。
でも、逆に、今の自分は相方のように人の話を聞いているのか、自省しなければならないところもあると、感じながら、相方のことを思い出しています。
ここに引っ越してきた時、山の稜線が見えることと、ベランダ菜園がある
ことに感激し、とても嬉しそうでした。
「俺、ここを死に場所にするよ」
今、この景色を見てますか?