大家さんの娘:「こんにちは。料理してるの?」

わたし:「こんにちは。そうだよ、夕飯の支度ね」

娘:「夕飯、なぁに?」

わたし:「今日はスパゲッティだよ」

娘:「スパゲッティも箸(
Dois paus2本の棒きれ)で食べるの?」

と、興味深そうに聞かれた。
私は
Pau(棒切れ)という単語を知らなかったので、
その時はなんとなく「
Sim.(はい)」と答えてしまったのだけれど、
その答えを聞いた娘は「そうなんだ~」とちょっと嬉しそうにしていたので、
気になって調べてみたら、そういうことだった。

ここモザンビークでは、公共のテレビ番組は
3チャンネルぐらいしかないが、
衛星放送(今のところ
DStvZap)に加入すれば、
映画や世界各国のニュースをはじめとする番組が視聴できる。

中国のテレビや映画チャンネルはいくつもあるし、
日本を題材にしたハリウッド映画などもたまーに放映されている。

モザンビークの人は箸を使う習慣はないが、
大家さんの娘はテレビなどでそのことを知り、
それを確かめてみたくて聞いてみたようであった。

ポルトガル語の家庭教師
Lurdes先生も、
中国文化とごちゃ混ぜになってこそすれ、
日本人の伝統的な衣服は着物であり、座る時は正座をする
ということを会ったときから、知っていたのである。

テレビのチカラは絶大なり。


NHKも見れていたのに・・・撤退してしまった

旦那さんが珍しく体調を少し崩した。
お昼休みに家に帰ってきた時、

お手伝いさん:「あら、ご主人お疲れ?」

旦那さん:「いえいえ、元気です」

わたし:「いやいや、具合悪いんです」

お手伝いさん:「あらァ、マラリア?」

旦那さん:「それはないと思います!」

こっちの人は「具合が悪い=マラリアかも」という認識です。
人には感染しないので、熱が高くなければ、仕事にも行きます。

いくらかかる度に免疫ができていくとは言え、
マラリアの種類と合併症などの処置が速やかに、
かつ適切に行われない場合には、大家さんのように
死に至ることも充分にあり得るのだけれど。

そんな中、「殺生は嫌だ」として断固ゴキブリも殺さない
(私が殺すと「なんで殺すの!?」と怒る。
本人が遭遇した場合、箒で家の外に掃き出す)
旦那さんも、蚊だけは容赦なく殺す。

蚊取り線香、電気の蚊撃退ラケットなどを駆使し、
自分の周辺に飛んでくる蚊の息の根はすかさず止める。

大家さんがマラリアで亡くなってからというもの、
蚊に対する警戒心もより高くなり、今では電気ラケットで
落とした蚊がシマ蚊かハマダラ蚊か私に聞いてきたりする。
いや、分かりませんし。

仕方がないので少し調べてみたところ、シマ蚊(ヤブ蚊)は
黒と白のはっきりとしたシマシマで、割とスマートな
姿かたちをしており、黄熱やデング熱などを媒介する。

一方ハマダラ蚊ははっきりとしたシマシマではなく
茶色っぽいマダラに近い細かいシマシマで、
シマ蚊に比べるとケバケバしており、マラリアなどを媒介する。

旦那さんは日頃から「蚊って絶滅したら誰か困るのかな」とこぼしているが、
ハマダラ蚊の学名(
Anopheles)はギリシア語のan(英語でnotの意)と
óphelos(「利益」の意)からきていて、「無益な」を意味するらしい。
Wikipediaより)

ちなみに蚊取り線香などの殺虫剤に長い間さらされると、
それに対する抵抗性が何世代かでつくらしいのだけれど、
通常生存期間が
12週間のという短いサイクルでの世代交代がされる蚊は、
すぐに抵抗性をつけてしまうので、殺虫剤の使用は限定的にするのが賢明であるらしい。

小さいけれど、手強いヤツです。

 
左:シマ蚊
右:ハマダラ蚊

最近は雨期なので、雨がよく降る。

朝からぐずぐずと降っている日もあれば、
ピーカンだったのに急に雨が降り始める日もある。

なぜか洗車するとすぐ雨に降られる気がする。
ピッカピカになった車体は雨に降られるともちろん濡れ、
道路は舗装されていないので、すぐに灼熱の太陽に乾かされた
砂が車体にまとわりつき、車はすぐに汚くなる。凹む。

とはいえ、慢性的な水不足を解消するためにも
雨にはたくさん降っていただきたい。

その水不足を解消するために、私の暮らす町ナカラと
州都ナンプラの間に、ダムが建設が進められていて、
近頃ダム自体は完成したらしいのだけれど、
ダムから町に水を引いてくる工事がまだ行われておらず、
ダムはまだ動いていない。この感じが途上国っぽい。

ナカラの町でも水道が引かれている地域と
まだ引かれていない地域があり、引かれている地域でも
経済的な理由から、水道を引いていない家庭もたくさんある。

これらの水供給システムの普及も、課題の一つとなっている
わけだけれども、気になるのは、町で漏水が非常に多いことである。

万年工事中の水道管などはなぜかよく破損し、そこから水が流れ出ている。
住民は普段、水を購入しなければならないが、漏水はタダなので、
修理工が来るまでの間、大人たちは我先にとその水を汲みに行き、
子どもたちはその水で体を洗う。

原因は分からないが、恐らく水道管自体の品質が
あまりよくないことや、技術屋が不足しているため
一か所に時間を割けず、とりあえずの応急処置で済ませること、
またその技術が低いためなどが挙げられるだろうか。

しかし漏水というのは、何もここナカラだけの話ではないらしい。
それは途上国に限らずどの都市にでも、水道管の劣化などによる
漏水というものがあるらしい。


世界主要都市別漏水率
(東京都くらしの統計より)


昔は
30%もの漏水率があった東京も現在のそれはわずか3%
パリで
5%、ソウルで6%、ロサンゼルスで9%、モスクワで15%
バンコクやロンドンでは
30%、ニューデリーで40%
マニラで
60%などとなっているようである。
ちなみにここモザンビークの首都マプトでは
50%であるらしい。

アフリカにも
60%を超える漏水率をたたき出している国も
あるようで、なんとももったいないと思うのである。
しかしあれだ、
60%もだだ漏れってすごいことだ。

出典:
African Development Bank Group ”Project Performance Evaluation Report for Mozambique: Maputo Water Supply Rehabilitation Project / Zambia: Central Province Water Supply and Sanitation Project -Approach Paper-”(2011) http://p.tl/PE4a

Asian Development Bank “Water in Asian Cities: Utilities Performance and Civil Society Views”(2004)  http://p.tl/C969

・東京都 くらしと統計
2013  http://p.tl/k6Wl

外を歩いていると「ニーハオ!」と、声をかけられることが多々ある。

あからさまにからかっているような不快なものと、友好的なものがあり、
こちらに暮らし始めた当初は無視をすることもあったが、
1年半も暮らしてみると、だんだんと前者は減ってきたように思う。

なので、場合によっては(色々面倒なため)ニーハオ!と返したりする。
そもそも日本の場所がどこにあるかも分からない人や
日本が一つの国だという認識を持っている人ばかりでもないので、
アジア人を見たら、とりあえず「中国人」だという判断をされる。
一度だけいきなり「フィリピン人?」と聞かれたことがあるが。

ちなみに、老若男女問わず皆カンフー映画(テレビでやっているのは
なぜか
30年前とかの古いものばかり)が大好きである。

先日、店の前でたむろしている若者に声をかけられた。

若者:「ニーハオ!」

わたし:「・・・ニーハオ。中国人じゃないけどね。」

若者:「え、じゃ何人なの?」

わたし:「日本人だよ」

と、いつものような流れで会話をしつつ、私は店内に入った。
そして店での用事が終わって、出てきたところ、

若者:「あの、さっきは本当にごめんなさい。
    中国人だと思ったから、ニーハオって言っただけで、
    ただ会話をしたかっただけなんだ。すみませんでした」

わたし:「えぇぇッ、全然気にしてないから、大丈夫です!大丈夫!」

今までにない展開に驚き、私の方が申し訳ない気持ちになった。

ナカラにはポルトガルや南アフリカ、ブラジル、中国などから
仕事で来ている外国人がどんどん増えていて、ずっとこの町に
暮らす人からすると、自分の町が日に日に国際的になっていくのが、
嬉しいのかもしれない。
そうでなくても、ここでは通りすがりに人と挨拶をかわすことは普通なので、
中国人と間違えられていちいち憤慨していたこちらが反省しなければと思った。

道すがら、行商のお兄さんや携帯電話のクレジット売り、
ただそこにいる人など、一言二言の会話をするだけで、
(東洋人は目立つし少数なので)次に会ったときにも
覚えていてくれたりする。

警察官が話しかけてきて知り合いになり、
検問で変ないちゃもんをつけられずに済んだこともあったし、
物乞いの人たちにも馴染みができたりする。

そんな、人との直接的な関わりが、楽しかったりもする。


雨期に入り雨がよく降るので、空が美しい

先日の私の誕生日に、旦那さんが「寿司にしよう!」と意気揚々と言い放った。

恐らく、私のためというよりも自分が食べたかったという方が
大きいような気がしたが、買い出しから握るまでを
全部やってくれたので、その辺は気にしないことにした。


日曜日だったためビーチは大混雑!
(ビーチの傍らで魚を売っている)


売り子に一応「マグロ」と言われた魚だが、マグロなのかは不明


一部は握りに


握りだけでは食べきれないので、
アボカドマグロ漬け丼とカマは煮た

骨や内臓などは犬たちが食べ、まさに余すところなく食しましたとさ。


私たちが旅行中に車にひかれて死んでしまった番犬その2

キリマンジャロ山の麓、標高1,400mとは言え、冷えたビールはうまいものです。


セレンゲティビール

今回はセレンゲティ国立公園、ンゴロンゴロ保全地域、
マニヤラ湖国立公園を
34日でまわるサファリに行ったのでした。

州都ナンプラの空港から、タンザニアのダルエスサラームまで
1時間(モザンビークのペンバ経由)、そこから国内線に
乗り換えてキリマンジャロ空港まで約
1時間。

意外と近いよ、タンザニア。

しかし待ち時間が長かったため、
キリマンジャロに着くまでには
12時間ほどかかりました。

双発機でいざ、キリマンジャロへ

アフリカ大陸最高峰キリマンジャロは標高5,895m

国立公園では、日頃から愛でてやまない
各種、ねこのみなさんと出逢ったり、

中型のねこ、サーバル

大型のねこ、ライオン(顔の黒い点は全部ハエ)

木登りバージョン

 大好きなキリンを首を長くして眺めたり、


実は3匹いるのです

大移動していないヌーの群れに遭遇したり、


列になって移動する


ヌーといつも一緒にいるのはシマウマ

もちろん他の動物たちもたくさんいました。









早朝バルーンサファリもできますよ


セレンゲティから望む、初日の出

キリマンジャロ登山はしなかったけれど、
コーヒー農園を見学して、収穫から焙煎まで体験させてもらったり、


コーヒーの木について説明してくれる農園のオーナー


段階的に豆の皮を除いていく


その場で焙煎し、粉にしてくれて


飲む


コーヒーの実、赤くなったら収穫


町の様子


もちろん帰りのダルエスサラームの空港での待ち時間には
町にくり出し、寿司を食べることも忘れません


旅行中一番の驚いたのは、
マサイのジャンプ力、半端ない。

年末年始は同じ東アフリカのモザンビークの北に位置する
お隣の国、タンザニアに行ってきました。

ナンプラからはまず、首都のダルエスサラームまで
1時間ほど飛び、
そこで国内線に乗り換えさらに
1時間ほどでキリマンジャロに着くのだが、
一筋縄でいかないのがこれアフリカ流。

出発
2日前に旅行会社から「国内線の時間が変更になりました」と連絡が入る。
せっかく乗り継ぎ
2時間ほどで、組んでいたのに!
その連絡によると待ち時間が
7時間ほどになってしまう。
そして、知らない国に行くのに到着が夜
10時。
あまりよろしくはない。

何はともあれ、当日飛行機は無事にナンプラをあとにし、一路タンザニアへ。

ダルエスサラームは沿岸に位置する良港を備える港町である。
港町かと思うと我々もナカラに住む身、非常に親近感がわくものである。

アラビア語で「平和な港」という意味のこの町はかつて、
アラブ系の人々が沿岸を貿易で利用し栄えたそうである。
そしてここダルエスサラームは、タンザニアの首都のような
機能を果たしているそうだが、法律上の首都はタンザニアの
中央部に位置するドドマという町であるという。

さて空港に無事降り立ち、
7時間もの待ち時間をまだ見ぬ空港で
どのように過ごそうかと意気揚々到着ゲートをくぐると、
そこはすでに外であった。

 
(写真左)他の人たちもひたすら座って待っている
(写真右)旅行会社のドアにはお台場の自由の女神の写真が


空港での待ち時間も、ドバイのように延々にショップが続くような
大きな空港だとウィンドウショッピングだけでも数時間を楽しく
過ごすことができるが、ここはまだ東アフリカ、
さすがにそういうわけにはいかないようである。

もはや外のため、否が応でも異国の空気を肌で感じながら、
空いているベンチを見つけ、座った。

ちょっと周りがどんな感じが偵察に行った旦那さんは
ものの
5分で戻ってくる始末。そして
「(見えている範囲の)ここ以外、何もないよ」
などと、これまた絶望的なことをおっしゃる。

それなら自分の目で確かめてこようとその見える(屋根の続く)
範囲をひと回りしてみたが、やはり
5分もあれば全貌がつかめてしまう。

我々は早々に諦め、キオスクでスナックを買い、
ベンチでただ待つことにしたのである。
されどここはタンザニア。
スナックやジュースなどの食料品や雑貨、土産物の種類は
モザンビークの比ではない。
10倍近くは豊富にある。

  

物が溢れています。自動販売機もあり先進的である


田舎くんだりから上がってきた身としては、それなりに楽しめたのである。
ぼーっとしながら、おもむろにキャッサバチップスを
ぼりぼりと食べていたら、話しかけられた。
日本人らしき方に英語で。もう一度言うが、英語で。

女性:「あの、すみません。地方に飛ぶ飛行機が急に
キャンセルになってしまいまして・・・(英語)」

わたし:「あ・・・あの、日本の方ですか?(日本語)」

女性:「えっ、アッ、日本の方ですか!?
すみません、飛行機が急にキャンセルになってしまいまして、
ダルエスサラームのホテル情報をお持ちでしたら、
教えていただきたいのですが」

と、言う。お気の毒である。

自分がそのような目に遭ったら困ると思い、念のため
ダルエスサラームのホテル情報も持ってきていたので、
いくつか教えて差し上げた。
まさかこんなに早い段階で役に立つとは思いもよらず。

暫くの後、その女性は
「なんとか今日泊まれそうなところが見つかりました」と去っていった。

出発
2日前のフライト時間変更に憤慨していたが、
当日急遽キャンセルとは上には上がいるものだなァ。
と思いながら、ダルエスサラームをあとにした。


搭乗ゲートがある出発ロビー。素敵な空港でした

タンザニアではキリマンジャロ空港に降り立ち、そこから西に
50kmに位置するアルーシャというサファリの玄関口になっている町と、
東に
50kmに位置するモシというキリマンジャロ登山の玄関口になっている町に行った。

事前にグーグルマップで町の様子を伺ったところ、
アルーシャには我らが憧れの南アフリカ系総合スーパーマーケットである
SHOPRITEが進出しており、モシにはケニア系総合スーパーマーケットである
NAKUMATTが進出しているようであった。

普段、ナカラの田舎くんだりに暮らしている我が身としては、
これらイオンのようなスーパーマーケットに行くことが、
この旅行のベスト
3に入るイベントであった。


 
砂埃など被っていない、食料雑貨から家電や衣料までが
整然と並べられる様子に、感動


レジも強固にガードされています


もう1つのイベントといえば、ナカラではお目にかかれない
中華料理、日本食を堪能することであった。
我々は目を皿のようにし、インフォメーションセンターで
手に入れた地図を穴が開くまで隅々まで眺め、
中華料理屋と日本食レストランを探したのであった。

 
上海の人がやっていた、上海飯店。中華、最高です


カツどーん!揚げだし豆腐!!和食、万歳!!!


ちなみにここではAjinomotoが入っていることた特記事項です
(ホテルのレストランにて)

 
たった200円ほどで食べれるBBQは
肉質がモザンビークより格段に良い

 
モシは陸路でケニアまで近く、
物資もそこから入ってくるため往来が頻繁
(バスターミナル)


外国人が多いため、商人根性もナカラ以上

 
タンザニアにもありましたよ、世界のAKIBA


博物館のプンバ(イボイノシシ)は
下半身をどこかに忘れてきてしまったよう


本来の姿はこちら

そうですよ、行きましたとも、サファリにも。つづく

あっさりと2014年になりました。
暑いからか、本当にあっさりと、ゆく年くる年。

モザンビークのナカラで暮らし始めてから
1年半が過ぎようとしています。

本当は年末に、大家さんと車検に行く約束をしていたのですが、
もう一緒に出掛けることもできなくなってしまったので、
旦那さんと二人で車検に行ってきました。

いざ、州都ナンプラへ!
実は私、ナカラに1年半暮らしながら、ナンプラの町には
行ったことが一度もなかったので、ちょっとした旅行気分。
実は我々は車検場の場所を知らない。ナカラの役所で聞いてみたが、
「そういうのはね、ナンプラに行ってから、ナンプラの人に聞いて!」
と、冷たく言われ、旦那さんも車検場の場所を知らないので
「まァ車検場まで行けなかったら、ドライブだと思って」などと言う始末。

ということでまずは、車検場を探す。ために、ラジオ税を払いに行き、そこで聞き込み。
こちらの人は適当なので、さらに近くの政府庁舎に行き、聞き込み。
どちらでも同じ場所を指しているようなので、いざ車検場へ。


言われたとおりの場所を探すと、ありました車検場


どきどきしながら、いざ車検


このハイテクそうな機械で



前輪の何かをチェックしたり


後輪の何かをチェックしたり

ものの5分であっさり車検終了。
車に積載しておかなければいけない物の確認などはされず、
「では次回は6か月後に来てください」と言われただけであった。
これにはいささか拍子抜けであった。

ん?6か月??

旦那さん:「あの、1年後じゃないんですか?」

係員:「君たちの車、古いでしょ?古い車は半年ごとなんですよ。じゃ、また半年後にね!」
と、爽やかに係員のお兄さんは言うのであった。
車検が半年ごとだなんて・・・


すぐ発行された車検証とラジオ税の納税証

ラジオ税などという謎の税制があるモザンビークを抜け出し、
年末年始はタンザニアに行っていました。その様子はまた次回。

1225日はクリスマスでもあるが、ここでは「家族の日」という国民の祝日でもある。
ムスリムが7割という感覚のここナカラでは、特に家族の日という感じが強い。

先日フライパンでシナモンロールパンを作ったら、家庭教師のLurdes先生が
それを気に入り、
1225日用にその前日の1224日に一緒に作ることになった

クリスマスイブの前日、当日授業開始時間を5分ほど過ぎてから、
お葬式が州都ナンプラであるので今日は授業に行けませんという連絡が先生からあった。

日本での感覚からすると、
授業前に連絡するのが適当だと思われるが、
残念ながらここはモザンビーク。同じ感覚など期待してはいけないのである。
連絡をくれたこと自体がすごいと思わなければいけない。

その次の日にはナカラに戻る言うので、それならパン作りは出来るなと
ひと安心し、次の日を迎えた。だが、私の読みは甘かった。
授業開始時間30分を過ぎてもいっこうに来ない。そして連絡もない。
何か事故にでもあったのかと少し心配し、連絡してみた。今日、来る?と。
すると返事がすぐに返ってきた。
いいえ、今日は行きません。なぜなら、お葬式は今日だったからです。

なぁにぃーーー!!!

だったら、そう連絡してよ!とは、私の勝手な感覚なので、そこは抑えて、
今日ナカラに戻るの?と聞くと、あとで戻ると言う。
あんなに楽しみにしていたので、じゃあパン届けるから、帰ったら連絡して?
と伝えると、帰ったら連絡すると先生は言った。というか、確かにそうメールに書いてあった。

が、その日連絡は来なかった・・・

手作りなので、パンといえど悪くなってしまっては嫌なので、
次の日、家族の日当日にまた連絡してみた。
あのー、パンとプレゼント渡したいんだけど、と。
すると、今は実家に来ているから無理ですと言う。

あーもータイミングが悪いな思いながら、じゃ、明日?と言うと、
じゃ、また明日という返事が返ってきた。この辺になるともう全然信憑性がない。
パンも最早届けることを諦め自分で食べる。

でも、家庭教師代の支払いもあるので、私も懲りずにメールする。今日15時に会える?
この返事は16時半を過ぎてももらえなかったのだけれど、
さすがに次の日から年明けまでナカラを離れてしまうので、電話した。

すると、普通に電話に出る先生。
開口一番、今返事しようと思ってたところなの!と言う。

絶対、うそだろーーー。

しかもまだ実家にいて、時間的に会えないねということになり、
結局家庭教師代は知り合いに託すことになった。

約束というものは守るためにするものであると思って今まで生きてきたけれども、
この国では一概にはそうも言えないということを改めて思い知らされた。

家族みんなが楽しみにし、盛大に、ご馳走を食べて過ごすこの日を目前にして、
大家さんは42年という早すぎる一生を終えることとなった。
元旦というめでたい日にこの世に生をうけ、家族の日を目前に亡くなってしまった。

今でも、朝ドアを開けたらそこにいて、いつものように「やぁ!」と
挨拶をする大家さんが居るような気がしてならない。