経営コンサルタントの読書備忘録 -2ページ目

白ゆき姫殺人事件(集英社文庫)

白ゆき姫殺人事件 (集英社文庫)/集英社
¥648
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湊かなえさんの推理小説。

映画化でヒットしているのか、ヒットしているから映画化したのかわからないが、帯には70万部突破との表記。

すごい。


やるな、と思った小説だった。

作者の工夫の勝利だと思う。

ネタバレにならないようにまとめれば、視点を工夫し、シーンを喋りかけられる場面と呼んでいる場面と回顧する場面に限定することで、客観的な描写の場面を無くし、読者に真実と第三者の解釈を混同させることで意外性を生み出している。


経営コンサルタントの観点からこの「視点」を考えてみたい。

ビジネスにおいてもこの「視点」を変えることで気付きを得られることは多い。

逆に言うと、「視点」を制約されると、もったいないことが起きることが多い。

例えば、プレゼンをするときに相手に「話す」や「伝える」という話者の視点で考えていると、どんなに頑張ってもピントが外れることがあるであろう。

プレゼンで大事なのは話者は聞き手の立場に視点を移し、聞き手がプレゼンの後に「更に他者に話す」ことをイメージし、聞き手がどのような目的で誰に「話す」のかを考えることが大事だ。

例えば、営業のプレゼンであれば、そのプレゼンの聞き手はもしその営業されたものに興味を持って購入したいと思ったら、次は上司なり関係部署に購入の稟議を上げなくてはいけなくなるはずだ。

視点を移すことでそこまで考えられたら、営業のプレゼンは「自分が喋りたいことを喋る」のではなく、自ずと「聞き手が次に稟議を挙げる際に説得力を増す情報を話す」ことが大事だと気付けるであろう。

視点を目先から解放し、目先の更に先や周辺に移すことで気付くことは多い。

視点というのは面白い。


この本はとにかく視点とそれを視野狭窄にする文筆力がすごい。

この作者の本は次も購入するな。


経営センスの論理(新潮新書)

経営センスの論理 (新潮新書)/新潮社
¥799
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昨年か一昨年あたりの一橋大学教授による新書。

著者はその前に「ストーリーとしての競争戦略」をヒットさせている。


要は、経営ってセンスでやるものであって、著者は学者だけれども経営に理屈はほとんど通じないと認めている。

実証なんてありえないと。

あとは、社会科学者の本にありがちな先輩の著名学者への「よいしょ」が目立つかな。


これを経営コンサルティングの視点から考えてみる。

このような考え方は、経営コンサルタントでもその流派の人はいるのだが、経営コンサルタント界隈でのいわゆる「右脳サイコー!」派に近いような気がする。

そういう経営コンサルタントは得てしてパートナークラス、もっと言えば、年配のパートナーに多い。

一昔前のパートナーと言ってもいい。

「経営はアートだ!」「経営はセンスだ!」という感覚をもっていてそう公言する。

また企業でも古い企業の年功序列で上がってきた年配の経営者には同じようなことを言う人が多い。

そして、そこで共通するのは、自分にはそのアート能力やセンスがあると匂わせていることかな。

基本、ものごとを「アート」や「センス」と言ってしまうのは逃げだと思うな。

楽だもの。そういっとけば。そして、そういっとけば、反証できないから、自分のポジションは安泰だし。

企業は、「アート」や「センス」と言われているところをいかに形式知化し、それを技術として導入して生産性を高めていくというのが競争を左右するのはないだろうか。

学者は、「アート」や「センス」と言われているところを法則性を見出し、その再現性の論理を世の中に新たに提示するのが仕事ではないだろうか。


要は、「アート」や「センス」という気持ちはわかるが、それを言ったらおしまいよ。

というか、それを言う人はもう一定の成功をおさめていて、もう安定に入った“あがった”人だと思うな。

未来ある人は、「アート」や「センス」と言われているものの中になにがあるかを見出すことに力を注ぐべきだと思うね。



とまらない(新潮新書)

とまらない (新潮新書)/新潮社
¥734
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キング・カズの最新新書。エッセイのまとめ。

40代の孤高のサッカー選手ならではのコメントがまとまっている。

この本のキーワードは「成長」じゃないかな。

何歳になろうとも、ベテランと呼ばれようとも(本書の中でカズはベテランと呼ばれることに戸惑っているシーンがあるのも面白い)、成長は可能であり、成長は大事であるというのが本書のメッセージだろう。

個人的には、カズが自らが所属する横浜FCの山口監督(現役時代は日本代表の後輩)と自分を比較しているくだりがとても面白い。

特にカズは自分を監督に向かない人間、経営をするのがムリな人間と定義している。

4-4-2や4-3-3-などのいわゆるフォーメーションとかはよくわからないとのこと。

日本を代表するフットボール選手のカズが自分を監督には向かないと自覚している。

多くの著名なフットボール選手はその栄光を保ったまま監督になるのにもかかわらず。

カズがこのように選手と監督に求められる知識や能力が異なることや、それへの自分の向き不向きを論じているのは面白かった。

これを経営コンサルタントの視点から捉えると、日本企業の経営陣の属性を考えてしまう。

日本企業の経営陣は、本当に経営のプロなのだろうか。

多くの日本企業では、答えはNoであろう。

日本企業の経営陣は、それぞれ、営業や技術や人事などのプロであって、経営のプロではない。

これは、日本企業の経営陣のポスト、たとえば取締役ポストなどが、過去の頑張りのご褒美的なものだから。

つまり、未来に向かってのものではなく、過去の結果のものなのだからだ。

日本企業の経営陣は、経営陣になってはじめて経営をする。

しかも、経営者に向いていたから経営陣に選ばれたのではなく、営業や技術を頑張ったから選ばれた人ばかり。

営業や技術の現場の人たちも自分に経営の適性があるかなんて考えずに、「いつかは役員」とご褒美に向かって出世争いをしていたりする。

これでは、経営のプロを雇っている企業には勝てないよな。

カズのように、営業のプロが、自らを「営業は上手いが、経営をするのはムリ」と言い切るのが理想であろう。

営業のプロは営業を、技術のプロは技術を、経営のプロは経営をと役割分担をし、それぞれがその分野で成長し、そして互いにリスペクトし合える企業が日本にも増えることを願う。

現代語訳 学問のすすめ(ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)/筑摩書房
¥864
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福沢諭吉の学問のすすめの現代語訳。とても読みやすい。


学問のすすめは、明治時代に書かれたとは思えないほど、現代にも通じることが書かれていると思う。

なので、この本は今日久々に読み直したが、これまでに4、5回は読み直している気がする。


この本はいろいろと面白い見出しが多い。

その中に、この現代語訳の小見出しとして「ひどい政府は愚かな民がつくる」というものがある。

そのようにならないためにも、学問が必要で、学問が民を賢くし、そのような民の上にまともな政府ができると説いている。

福沢諭吉はそこまでは説いてはいないが、この命題を真とすれば、ひどい政府があると思ったら自分たちの学識の低さを疑った方がよいとも捉えることができるであろう。


これを経営コンサルタントの視点で考えると、経営者と中堅・若手社員の嘆きの関係に通じる気がする。

経営陣が「うちの若手はなかなかですよ」と誇り、中堅・若手社員が「うちの経営陣はやるときはやりますよ」という会社がある。

一方で、経営陣が「最近のうちの若手はひどい・・・」と嘆き、中堅・若手社員が「うちの経営陣はなにも決められない・・・」と嘆く会社がある。

これって、福沢諭吉の説く「ひどい政府は愚かな民がつくる」ならぬ、「ひどい経営陣はひどい社員がつくる」に近いような気がするな。

この「ひどい」の相互作用は「自責」による学習でしか克服できない気がする。

経営陣は自社の中堅・若手社員がダメだと思ったら、自分の至らなさを考えて学習した方がよい。

中堅・若手社員は自社の経営陣がダメだと思ったら、自分の至らなさを考えて学習した方がよい。


経営陣と中堅・若手社員が「他責」をしている限り、組織はダメになる一方だし、互いに「自責」になると組織はよくなる一方だと思うよ、ほんと。


領域を超える経営学(ダイヤモンド社)

領域を超える経営学 グローバル経営の本質を「知の系譜」で読み解く/ダイヤモンド社
¥2,592
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元経営コンサルタントで現在は大学教員の琴坂さんの経営学本。

経営学の置かれている近況をまとめている。


とても面白かった。

経営学は得てして「これが経営だ」と言い切って実務家から批判を浴びる。

または、よくわからない精神論を経営学と言って反証不能で偉そうで気持ち悪い。

この本はそうではなく、経営学を内省的に捉えて、経営学の可能性と限界を述べている。


特に個人的に面白かったのは、経営学は権威主義(誰が言ったか)から脱却し、内容勝負(何が言われているか)をしなくてはいけないという主張はごもっともと思った。

社会主義の論文は、権威主義が鼻につくのは間違いない。そして、それは気持ち悪いよね。


経営コンサルタントの観点から権威主義を考えると、権威主義がはびこる企業は競合がいなかったり、競合が弱かったりと、競争がぬるい業界の企業が多いと思う。規制産業の企業とか。

たいして競争が激しくないので、社員が結果で評価されず、過去の実績やどこどこのエリート部署出身であることや、更には数順年前の杵柄である学歴を持ち出したりしてそれで評価が行われたりする。そして、そのような評価が企業をガバナンスしていることがある。

別に結果を出せる優秀な人を出世させなくても別に潰れないから。競争ないから。

それよりも、そんな中でガバナンスを利かすものがないとカオスになるために、ガバナンスを利かすために、なにかしらの正統性が必要で、それが権威だったりするんだよな。それが企業の権威主義。

官僚のキャリア官僚という仕組もそう。大学卒業時代の区分けがなんで中年になっても続くのか。権威主義以外のなにものでもない。


自分の組織が権威主義だなと思ったら、競争がぬるい業界にいる可能性が高いよ。

だけど、競争がずっとぬるい業界って少ないから、周りの環境に身を任せずに自ら能力を鍛えておかないとあとあと厳しい未来が待っているかもしれない。

そう考えると、社会科学の世界もどうなんだろうね。