きのうの夜Aさんとあうことになり、駅でまちあわせていた。で、Aさんに会えてやれやれと思っていたらそこで、Bさんにもばったりあった。
あれーと思ってしまった。というのは、数日前Bさんに、昨日の夜の会合にさそわれていた。
いってもよかったけれど、Aさんのとの先約があったので都合が悪いといってことわった。
Bさんはちょうどその会合に行く途中だったみたい。
しかし、その駅を利用するとは、思わなかった。
別に、問題はないことなのだが、よりによって、どうして、3人そろっちゃたのだろうと、思うと不思議な感じがした。
Bさんとは長い付き合いだがそんなところで会うことはない。
ばったりあう確率としたらものすごく低いと思うのだが。

そういえば、その前の日も、以前の職場の先輩に思いもかけないところでばったりあった。
その時もとってもびっくりした。
極端な話、もう一生あわないのでは、と思っていたくらいだったのに、わずか一年3ヵ月後にばったりあうなんて。

別にうしろめたいことはないからいいのだけれど・・・・
ふたりで、なつかしがることができた。
でも、どこで、誰に会うかはわからない。
本当にすっきりと生きておこうと思った。
ややこしいことにはしたくない。

まあ、自分にも相手にも正直に生きていれば問題ない話なのだ。
なんだ、アサーションだ。やっぱり基本は、
7月はまた、アサーションの講座が続く。
仕事をかけもちする充実感としんどさを両方味わっている。

「舞子Haaaan!」という映画をみてきました。
木更津キャッツアイシリーズですっかりファンになった宮藤官九郎の脚本で、阿部サダヲが主演の喜劇です。
これが、はんぱでない喜劇です。
ずっとテンションが高く、最初から最後までわらいっぱなし。
奇想天外、支離滅裂な話の展開としっとりした京都の祇園の風情が妙とけあって、不思議な世界につれていってくれました。
本当に声をあげてずっとわらっていました。
映画館の場内がそういうモードなので、笑うことがとても自然。みんな笑っていたのではと思ってしまうほどです。
内容はおいておいて、この映画は「身体で笑う」映画だなあと想いました。
こえを出してわらって、おなかで笑って、心地よい疲れさえ覚える映画です。
多分、ハチャめちゃなストーリーについていこうとしている頭やより、身体そのものが映画を観て感じておもしろがって、笑っている。阿部サダヲの演技は、「おれのことを理解しないでいい、笑ってくれ!」と叫んでいるようで。
「笑い」が免疫力をたかめるとよくいうけれど、これはこういう映画をみることか、とあらためておもわせてくれるような映画です。ほんと、身体のためになったと思います。
オススメ。

こうみえても、(どうみえる?)お笑い好きなのです。
若い芸人も沢山知っています。
でも、今日の映画ほど、笑い転げることは、最近なかったなあと思います。


宮藤官九郎はいっていました。
「映画をみても何の語る言葉もない映画を作りたかった。」 
私の感想も「映画をうけとめたのは、身体。」だから、そうですね。確かに「言葉」で語ることではないかもしれませんが。

おすすめですよ。

こういう喜劇をみていると、毎日の深刻なこともすこしおもしろがってみることができるかなあと ひそかに思っています。
今日は私の誕生日なのに、夜中に恐い恐い夢をみて飛び起きるという幕開けでした。

夢の内容は詳しくはかけないのですが、ホラー映画のような夢。
といってもそんな恐い映画恐がりの私はみたことはないのですが、予告編でみた「エルム街の殺人」とか、そんな感じの夢です。
追いかけられて逃げ回っていました。

目が覚めても恐怖感から身体が動かず、どきどきしていました。
今にも
だれかが来るのでないかと。

最近、恐い事件がたくさんあって、その影響もかもしれません。
余りの恐さのなかで覚えていましたが、ようやく、思ったことは、襲われたらたたかえばいい。
私だって死に物狂いなら戦える。などと、まだ夢の続きのような状態でした。

でも、そう思ったらちょっとおちつきこわごわおきあがり、水を飲みに行きました。

それで少し落ちついて色々考えました。
「すごく恐い夢だったけれど、これほどの恐怖体験はめったにない。自分は安全なところにいるだから、ホラー映画をみにいったつもりで、夢をすこしおもしろがれば 」ということです。

リアルな世界であんな目にあえばとんでもないけれど、夢の世界で体験できたのだから、これはすごい非日常の体験をできたと思えばよいのでは。ということです。

強引なこじつけですが、
お金をはらって、恐い映画やすごいジェットコースター、おばけ屋敷に行く人も多いのだから。そういう恐怖体験をしたと思えばいいのではと。

世の中は、色々な事件や戦争もあるように本当はけっこう恐い物がある世界。あるいは 目に見えない世界にも人の力や想像の及ばないとてつもないこともあるかもしれない。

でも、日常においては、そんなことにおびえていては、暮らしていけない。でも、まったく、そういうことをないことにしてふたをしてしまえば、どこかで、その恐いものが突然力をあらわすのかもしれない。

それで、恐い映画やおはなしなどで。時には恐怖の感覚もあじわい、恐いものの居場所もつくえいバランスをとっていく。そのためにわざわざ人は恐いことを作り出し、味わう。

だから、時には安全な場所で、恐怖体験することも必要なのかもしれない、

などなど強引な考えを思いついたところで、気もちも落ち着き
また眠ることができました。

しかし、恐かったあ。
大変な誕生日のまくあけ。
波乱万丈の一年になるのかしら。とちょっとまだ恐がっています。
今日は仕事はお昼までで終わり。
たまには外でランチをと思ってでかけた。
ちょっと離れた安売りスーパーやホームセンターのあるショッピングセンターにいって、目が?となった。
そこの1角にカラオケ屋さんができていた。

ランチタイムは1000円で、ドリンク、ランチ(4種類から選らぶ)サラダ、デザートつきで3時間歌い放題。
これはお得だと思った。
でも、余り行かない場所なので、会員になるものなるのも面倒と思って、きいてみたら、ランチタイムは会員にならなくてもOKとのこと。

カラオケ!ずーーといっていない、
本当にずーーと。記憶に無いくらい。
ちょっとオーバーだが1年くらいはいっていないと思った。
ランチとカラオケ2つ楽しめるなんていいなあと思った。
カラオケのランチなんて、いいかげんなものだと思ったら、
私のえらんだかに雑炊には結構かにがはいっていた。
サラダも豆腐サラダでごまだれ。
おつけものもついていた。
アイスティとデザートにはアイスクリーム。

はらごしらえをして、
さ、歌おう。
もう、ひさしぶりなので。
てあたりしだいに選曲した。
歌えなくても気になっていた最近の歌もどんどん選んで。
ラップの部分などの詞の意味がようやくわかった。
そういう歌だったんだ
で、さびの部分だけ歌う。
気持ちがわかくなる。

それから定番の、スピッツや、ブルーハーツ、などなどを歌う。小田和正、平原綾香、中島美嘉なんかも好き。


ずっと昔だが、カラオケ歌い始めた頃と選ぶ曲もずいぶんかわってきた。
そのころうたっていた歌はもう歌えない。
歌がふるいというより歌詞がうけつけなくなった。
メロディーは歌いやすいので、残念なのだが。

歌うことで、歌詞や曲が身体やこころにインプットされる。
暗いうた、というか自分を否定するようような歌をうたうと、
その気分が染み付いてしまうような気がしてしまう。

それくらい、歌って影響があるような気がする。

もっとも
暗い気持ちのときに暗い歌というのは還って慰められるようなときもあるのだが。
今日は、梅雨の合間のからっとした青空。
うたいなが、気持ちもからっとさせたかった。

で、しめくくりは、ザードの「負けないで」
この歌にはずいぶんはげまさされた。
「ありがとう」のおもいをこめて歌った。
(ただし、この歌はあまり上手ではないけれどあっかんべー

大変お得な日でした。
つきあってくれた友人とふたり、
たっぷり3時間うたいまくりました

のどが開いて、たまっていたものも開放されたような気持ちです。
歌は下手なんです。確かに、
でも声を出すのは確実に好きですよ。
今日は、病院にいってきました。ここ数回おこなってきた精密検査の最終回、そうして、結果説明の日。
私は、5年前に大きな手術をしている。
経過は順調だが、5年間は、毎日クスリを飲み続けて
そのために定期的に通院し、年に一度は、数種類の精密検査をうけている。
私の病気の場合は、5年というのはまだまだで、10年間はゆだんできないそうで、これからも検査は続く。
(しかし、再発率30パーセントといわれた予想はみごとはずれた。万歳わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)
今日の結果はなにも、どこもまったく問題はなかった。
5年間のんだお薬ともついにお別れすることができる。
経済的な負担も大きかったが、
このお薬、副作用で、太るんです。(個人差はあるでしょうが)
このお薬をのみだして、5年間でなんと5キロもふとってしまいました。
太ったね。とよくいわれ、自分でもあっさりみとめていたけれど、心のどこかで、だって、クスリの副作用といいたい気分にはしょっちゅうなっていました。
でも、そのことを話だすと、病気のことにも触れるので、まあいいかと思い「中年ぶとり」ということにしていました。

しかし、まあ、この「太ったね」という言葉は、ちょっぴり傷ついていました。
「好きで太ったんではないよ!」
といいたいけれど
でも、もちろん相手は事情をしらないのだからまったく悪気はないのです。
こころのなかのちいさなジレンマでした。
でも、正直、自分の中で、これをいいわけにしてもいました。
副作用ももちろんだけれど、食べすぎ、飲みすぎ、運動不足
そんな自己責任が多かったのも事実です。

本当に自分に甘い人間なのでクスリをたてにしていたのです。

今日は、とにかく第一次目標の5年を無事クリアしたことをしっかり歓びます。
5年長いなあと思ったのに、とうとう5年たちました。
ご心配いただいたり、いろいろサポートしてくれた皆様には本当に感謝しています。

それに、実は今となっては、病気そのものにも感謝しています。
本当につらい思いもしたけれど、病を得て、私は、大きく気づきをえることができました。
あのまま、健康だったら、突っ走るばかりの人間だったでしょう。
おおきなピンチから大きなチャンスをいただきました。

しかし、これからは、大きなサインをいただく前に
日々、心と身体の声に耳を傾けながら、自分を大切に、周囲の平和も願いながら、暮らしていこうと思っています。

病院の帰りに(これからは半年に一度の通院になりました。)
いつもよっていた、自然公園にいって、
公園の大きな木々にお礼をいってきました。
いつも、なぐさめてもらいました。
この公園では平日は人気もなくて泣くことも歌うことも、瞑想することもすべてOKだったでのす。

「ありがとう。無事に生きています。歓びの中に今日の日を迎えました。いつも見守ってくれていましたね。これからもよろしく。いつも私もあなたたちと一緒にいたいと思いあなたたちを大切に思っています。ひと時、ひと時をいつくしんで生きていきますね。」

これを読んでくださったみなさまにも
同じ言葉を送らせてくださいね。
運動続けています。週末だけだけれど、プールにいって水中ウォーキングか筋トレ、もう1ヶ月くらい続いています。
それでも体重ははかっていませんでした。
楽しみにしていたのです。

きっと、減っているのだろうと。
そろそろいいかなあと
ためしにのってみて、えええーーー
という感じ。
じつは、すこしだけ、みためは絞れたような気がしていので
余計期待していたのに。

なんと増えていたのです。
すこしだけれど

最近の人生では、ありえないくらい運動していたのに
この結果

かなりがくっとなりましたが
ちょっと反省すれば
やはり当然かもしれません。

だって、よく食べて、よく飲んでいました。

最近、ストレスや疲労のためにも
沢山エネルギーをとろうと遠慮なく食べていました。

いつもだと少しセーブするのに、
運動しているからだいじょうぶと
かえって、量がふえていました。


ビールおにぎりバースデーおにぎり
運動といってもたいしたことないのです。
消費エネルギーはわずかでしょう。
それなのに食べたり飲んだりはふえていたのだから

めげない、めげない
運動の効果もすぐにああらわれるわけではないのだから。
やっぱり続けます。
さあ、今からプールにレッツゴー
あっというまに5月が終わった。怒涛の2ヶ月も過ぎた。
いろいろあっても、月日はすぎていくものと不思議に感じた。

この年になって、新しい仕事、しかも長時間の仕事ににつくには、まず体力なんだと思い知らされた。
自分の体力のなさが、疲労をよび、疲労から緊張や不安をよぶという悪いパターンにおちいってしまっていたような気がした。

体重も増え続け、これでは本当にまずい。
ということで、また、思いつきで運動をはじめた。
今回の運動の大きな違いは
筋トレをはじめたこと。

といってもたいしたことないが、
腹筋とかスクワットとか、軽いダンベル体操の程度だが。
しかし、ウォーキングなどの有酸素運動に偏っていた私にしては画期的。

やせるためには、筋肉をつけて、基礎代謝をあげる必要があると教えてもらった。
それに、あまりに体力、気力の衰えていた自分にちょっと「渇」
という思いもあった。

結構楽しい。
すこしづつ、身体をしぼっていく。本当にすこしづつ。
かすかな希望がでてきた。
変わるかもしれない。私の身体。
そんなチャンスは今が最後かも知れない。

力がついていきたいな。すこしづつでも。

そうして、もう一つ思った。
身体と一緒にこころの筋肉もつけたい。
けっこう、繊細で、気になることも多い。
それが悪いことばかりではないが
もう少し、タフではありたい。
でも、心にかっちりしたよろいをきせると、
自由がうしなわれる。

やはりこころも筋トレして、心の力をつけてあげたい。
心の筋トレって?
やっぱり起きてくるいろいろなことを味わい、そのことがら気づきを得て自分のもにしていくことかしら。
まずは、物事に一喜一憂しないで、起きていることをありの
ままにうけとめつつも、いろいろな角度から考えていく。
そんなことくらいしか、今はみつからないけれど、

鍛えられるうちは、鍛えておこう。
身体も心も。

お、ずいぶん、ファイテイングポーズをとっている自分がみえる。
誰かと闘うのではもちろんありません。(念のため)
ただ、パワーを感じていたい自分です。
いろいろなことが水面下で動き出しています。
自分で言うのも何ですが
「穏やかな日々」とか『平穏な日常』
というのとは本当に縁のない人間です。
それを今まではマイナス思考でとらえてたいのですが(おちつかない、もっとゆったりしたら)
人にもいわれたり
「ええー!そんなに仕事変えているの!」
そうなんです。
転職人生、いくつ職場をてんてんとしたことか。

でも、最近ちょっとひらきなおり。
ほとんどいつも仕事という名のつくものはしていました。
子育て中の1年以外は、
内職だったり、アルバイトだったり、いろいろなことをした時期もありましたが、
でも、働いていました。
働くといことだけは、継続してきたから
表面のわたしの肩書きはしょっちゅう変わったかれど、
私の生きる道は意外とぶれていないのかもしれません。

落ち着いてじっくりひとつのことを継続してやりとおすのは大事な人生。
でも、私の人生も、次の瞬間何がおこるのかもよくわからないけれどその時、その時は一生懸命、生きることを味わっています。

まあ、どちらもあり
[みんなちがってみんないい]金子みすずさんの詩のとおりですね。
やはり。
私にしては、ちょっと過激なタイトルです。
テレビのドコモのCMのコピーです。
CMにしては豪華な出演人です。浅野忠信、妻夫木聡ら8人 ...テンポとストーリー性を感じて印象に残っています。

でも、携帯のことは全然わからないので、誰が、誰に対して、何で、どうやって反撃したいのかはさっぱりわかりません。
まあ、これからおいおいCMの中で展開していくのでしょう。

で、CMの中身はともかく
この「さて、そろそろ反撃してもいいですか」
というコピーには つよく惹かれます。


ここのところ、いろいろな状況に直面して
なんだか、すっかり受身の自分がいました。
自分のできることはたいしてないのではないか、
自分は、たいした力がないのではないか

と思うくせがだんだんついてきて。

無難になんとか時間はすぎていきました。
だから、それも意味があったのでしょう。
休養優先、そうして状況観察。

しかし、
それでは、なんだかものたりなくなってきた面もあったようです。
そんな私の気もちに
この「さて、そろそろ反撃してもいいですか」
という、キャッチコピーの言葉の雰囲気が妙にはまったようです。

でも、誤解のないように。
この反撃って、誰かや何かに反撃したい私のきもちではないんです。

自分の中のここのところ押さえていた部分、が、自分にいっていることばです。

「すこしおちついて、おとなしくして、自分をださずに、ゆっくり休んで、周囲との協調を大切に」そんなすこし消極的な部分がメインになっていたここしばらくでした。
それにたいして、私の中の別の部分、
「自分らしくありたい。自分の気持ちを優先したい。自由に振舞いたい。自分の力を発揮したい、納得できないことはしたくない」というすこし積極的な部分はすこし、表現することをひかえていました。

でもそれは、必要があったからと思います。
元気にふるまう余裕はここのところの私には、なかったです。
でも、時期をみていたもうひとつの私の部分(ちょっとパワフル)が、
「さて、そろそろと反撃してもいいですか。
もう、エネルギーをたくわえましたよ。あまりほっとかれると勝手にあばれますよ」
といってきたように思えます。

(これって、最近の日記でマイミクさんがいってくれた、
時期がきて次元がかわってきたということにも
つながっているかと思いますが。)

あ、どっちも大事な自分です。
静かに自分を控えている部分も、パワフルに自由に振舞う自分もどっちも大事です。
でも、片方ばかりが、力をもちすぎると偏った自分でいるようで、自分らしく生きれないのかもしれません。

でも、だいじょうぶ、。私の中のバランス感覚声にさえ耳をかたむけることができれば。
あるいは今回のように外からのサインできづくことかもしれません。

「さて、そろそろ反撃してもいいですか?」
「いいですよ。でも、おてやわらかにね。」
サウナが好きになったのはいつごろからだろうか。
数年前までは、熱くて苦手だった。
はいれても、我慢大会の気分で、もって、2,3分。
それが、今はかなり高温のサウナでも気持ちよく入っている。
汗がでるようになったせいだろうか。
自分の中のわるいものがどんどん出ていく感じがする。
熱いのはあついけれど、すっきりする感じ。
運動の汗とはちがうけれど、汗にはちがいない。

その後も以前なら絶対入れなかった水風呂にさっとつかる。
体中の細胞がびっくりして、
いれかわるようなそんな感じがする。

沢山、汗をかいて
つめたい水で肌をひきしめてl

自律神経にもいい。きっと。絶対。

身体がきもちいいということをもっと、もっと
やってあげたい。
こんなに長い間、もくもくとはたらいてくれている身体に
感謝の意味をこめて
からだを満足させてあげたい。・

ずっと優先順位をこころにおいていた。
あるいは、あたまでっかちだった
自分に最近、ようやく気づいた。

こころもからだも、みんな平等。
でも、今まで、ちょっとないがしろにしてきたから、
その分、身体を優先してあげたい。
もっと、身体にあまえていいよといってあげたい。

そうすれば、
こころとからだ、もっとなかよくなって、
もっとつながっていくだろう。

そんなことをお風呂屋さんのサウナでぼんやり考えていた。
よい週末。うれしい。