今現在、旦那は辛うじて歩くことは出来るが、

立ち上がりに介助が必要。

夜中も何度か起きて、

引っ張り起こしてあげなければならないが、

旦那の身体は大柄なので、かなりの重労働なのだ。

私が夜勤の時、その役を引き受けてくれているのは

中一の次男。

次男は小さい時から優しいところがあったのだが、

これは本当に感謝している。

(が、日頃は宿題すらしない次男についついお小言ばかり!!

夜だけではない。

夕方から夜にかけて、居間で椅子に座っていたり、

横になっていたりした旦那のことを、

次男は時々引っ張って、助け起こしてあげている。

その仕草はとても自然で

思わず感心してしまう。

あまりのタイミングの良さに

「お父さん、今“起こして”って言った?」

と疑問をぶつけた。

すると、次男は答えた。

「ううん、別に。

お父さんの胸のSOSタイマーが点滅してるから。」と。

偉いぞ、次男!! 旦那の表情の読み取りを

SOSタイマーに例えたのね!!

・・・と、いいふうに解釈してあげましょう。

そういえば、先日また思い立って髪を切った。

美容院に行くのではなく、自分で切るのだ。

すきカッターを使ってジョキ、ジョキっと。

「今度は縛れるほどの長さまで伸ばしてみようか。」

と思ってもみるのだが、

少し伸びてくるともうダメ、

どうしても鬱陶しくなってしまうのだ。


私が最後に美容院に行って10年は経つだろう。

それ以来、私は自分で髪をカットしている。

気に入っていた美容院の方が辞めてしまった後、

満足できる美容院をみつけられず、

折角カットしてもらっても、翌日には

自分で手直ししていた私。

気に入らないものにお金を払うのは勿体無い、

どうせなら初めから自分で切ってやろうじゃないの、

と切ってみたのが初めだが、

これはもう、“一度やったら止められない”だった。


仕上がりはおおむね好評で、

「自分で切ってるようには見えない!!

私も切ってよ。」

とよく言われる程。

経済的に苦しくなった今となると、

自分で切れるようになっていて本当に良かった。

だって、お金も時間も、ほ~ら、かなりの節約!!



が、そんな私だけど4・5年前、

一度失敗して切りすぎたことがあった。

その時も、仕事(その当時はショッピングセンター)に

行く前に、思い立ってすきカッターを手にしたのだが、

どんどん短くなってしまい、

側頭部近くの頭頂部付近の髪が

ピンピンと立ってしまった。

我ながら「これはヤバイ!!

と、ワックス等をつけて

飛び跳ねを落ち着かせようと試みるも失敗、

仕方なく行った仕事先で、

「カッパ!!

と呼ばれることになった。

(当時流行っていたCMキャラの「岩とびペンギン」

という声も上がったが、“裏番ヨーコちゃん”の一言で

カッパに定着してしまっのだ)

その後、前の職場にいる間ずっと、

仲の良い仲間からは

「カッパ、カッパ」と遊ばれたものだ。

(今だに彼女達は「カッパ元気~?」と

メールや電話で呼びかけてくる)


そして新しい職場で、「カッパ」と呼ばれることもなく

一年が経とうとしているが、

今でも誰かの、或いはテレビの中の

「カッパ」という単語に、

ついつい反応してしまう自分に苦笑い。






夜勤明けの昨日の午前中、家に帰る前に

地域の図書館に本の返却に立ち寄った。

そこで偶然、教師をしている友人ユキちゃんに出会い、

雪の中、30分ほど立ち話。

(彼女は中学時代の友人だったが、

数年前、彼女がこちらに引っ越してきてたので、

20年ぶりに再会していた)


聞けば、子供の通う地域のピアノ教室の先生が

突然亡くなってしまった、との連絡を受け、

葬儀の案内を張りに来たらしい。


亡くなれらた先生は44歳。

・・・というと、私達の歳とそんなに離れていないではないか。

先週まで元気だった人が、突然倒れてしまうなんて。

私はその先生を全く面識はないが、

やっぱりショックだ。

ユキちゃんに、

「先生も、家族の病気とかで忙しかったらしいたけど…

Mayoも自分の身体に気をつけてよ。」

と、念を押されたが、

「私はこの仕事に就いてから、体力ついて、

今まで以上に元気なったから大丈夫!!

と笑い飛ばした。



私は10代の頃、

「40歳か、45歳ほどで死にたいな。」

と思っていたっけ。

その当時の私からすると、その年代はかなりのおばさんで、

“死”に対して憧憬を抱いていた私は

そんな歳まで生きていたくない、と思っていたのだ。


“その年代”となってしまった今、思うのは、

「私達って、外見は確かにおばさんだが、

精神的にはまだまだ“気持ちは少女”!!ということ。


旦那が病気となり、

急遽、大黒柱(身体は太いが、経済力はか細い!!

となってしまった現在、

「定年になるまで、身体が動く間は、働かなくちゃ!!

と、覚悟している。

だもんで、

「45歳で死んでたまるか!!なのだ。

(尤も、引退したらすぐに死にたいけど.。)

最近、生真面目なコトばっかり書いているなぁ。

結構、社会派的なことも書いてるけど、

実際はかなりのおちょーし者な私。

もっと真剣に生活の事、考えなきゃならないのに、

面白サイトなどを見て、大喜びしてます。

先程も、あるブログので紹介されていた

『実写版ガンダム』『韓国版ガンダム』、

『韓流北斗の拳』『聖マッスル』などを見て大爆笑してました。

ま、これも気分転換ですって。

で、私のお気に入り、というか、

昨年はまって、今でも時々頭の中でリピートしている

いくつかを紹介しておきます。

そう、以前に、このブログで「面白かった」と書いてたやつです。

今流行っているから、知ってるかもしれないけど、

お勧めです。


「もすかう」本当にこう聞こえるから凄い!!

http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=16420

「ですかう」“もうこう”のデスノバージョン。これもウマイ!!

http://ranobe.sakura.ne.jp/updir/data/deathkau.swf

「日本のステキな都道府県」長いけど、是非最後まで。

暫くの間、「チバ・シガ・サガッ」と思わず口走ってました。

http://www2.b-dash.net/~train/flash/chiba.swf

「にこぷん」みじか~いフレーズだけど、強烈なインパクト。

http://storage.irofla.com/?name=niko&type=swf

昨日は長男の私立高校の入試だった。

都会と違い、私立はあくまで滑り止め。

県立高校の方が、あくまで本番なのだけど。

特に、経済的に問題を抱えた我が家では、

「私立だったら、行かせられないからね。」

(Д´)ノ彡コラーッ!

と強く言い放っていた。

が、それでも我が家の長男、奮起する姿が見られず、

かなりヤキモキさせられているが…

昨日も

「テストはどうだった?自信は?」

と聞いても

「う~ん、微妙・・・」( ̄。 ̄)ボ~~~~ッ

と言うだけで、一体どうなっているのやら。

そういえば先日、

チョコレートの好きな長男に、受験の縁起物と考え

「キットカット」を買ってきた。

それを横で見ていた旦那は一言、

「縁起悪い・・・」

「えっ?どうして?『きっと勝っと』って、縁起物だよ。」

と言うと、

「だって『きっとカットされる』だ。」

そう言われれば、確かに。

慌ててチョコを取り上げた。

瀬戸内寂聴さんの本を読んだ。

いろんな話に納得、感心させられたが、

その中に、特に印象深い法話があった。

それは「貧・瞋・痴(とん・じん・ち)」という

人の煩悩の“三毒”の説明。

「貧」とは、貪欲の貧。

あれも欲しい、これも欲しい。もっともっと欲しい

という物欲、権力欲、色欲などの欲望をむさぼる事

無限の欲望。

「瞋」とは、自分の意のままにならないことを怒り、

恨んだり嫉んだりする。あの人が憎いという、

その気持ち。

「痴」とは、愚かな事。

算数が出来ないとか、仕事が上手に出来ないとかではなく、

お釈迦様の教えを理解できないとか、

いくら人の道理を教えても、

これをしてはいけないと教えても、

悪いことをしてしまう人を。

う~ん、なるほど、人間の悪の部分は、

この三つに大別できるかもしれない。

欲がなければ、怒りがなければ

穏やかな気持ちで生きられるだろな。

勿論、私自身の心の中にも、この三毒は勿論ある。

「瞋」や「痴」は自分では少ないつもりではいるのだが、

「貧」の物欲と食欲はなかなか小さくならない…

で、この“三毒”の説明を読んで頭に浮かんだのは、

最近話題のヒューザーやライブドア。

ニュースで詳細を聞くに連れ

これって「貧・瞋・痴」の具現化じゃないの!!

と驚いてしまう。

それにしても、グルメで鳴らし、

六本木ヒルズの高みから

地上を見下ろしていたホリエモンの逮捕後の暮らしを、

ワイドショーでは監獄の食事や部屋のセットを作ったりして

解説していたらしい。

ホリエモンのお陰で、監獄に詳しい人が増えたんだなぁ、

と妙なことに感心してしまったわ。

一日の業務を終え、帰り支度のロッカーで、

外来の看護師さんから

「今日旦那さん来てなかったみたいね。」

と声を掛けられた。


今現在、旦那は

私の勤務する病院のリハビリに通っている。

雪が降って、ようやく運転を諦めた旦那は、

私の休み(或いは夜勤明け)の私の送迎か、

週に二日来る病院の送迎バスで

いそいそ病院に通っているのだが、


「旦那さん、ホント急激に都合悪そうになっていったね。

初め(一昨年)のうちは、まだ仕事にも行っている、

って言ってたのに。

『家でなにしてるの?』って聞いたら、

『テレビを観てる』って言ってたけど、本当?」

と聞かれた。


以前は暇さえあれば、家の裏に張ったネットで、

ゴルフの打ちっぱなしの練習をしたりして、

テレビっ子の私を馬鹿にしていたのに、

確かに、今では

一日の大半をテレビを観ているか、寝ているか…


「ホントあなたが大変だよねぇ。

あなたを見てると、もう可哀想になるわ。

まさかこんな病気になる、って分かっていたら、

結婚なんてしなかったのにねぇ…」

と同情されてしまった。


う~ん、確かに、今の現状が予測出来ていたら

私、やっぱり結婚してなかったかも…








今朝方、患者さんの一人が亡くなった。

心臓にペースメーカーを埋め込み、

片足も失っているお年寄りで、

暇つぶしのようにナースコールを押しては

「リモコン」「コーヒー」「(ベッドを)上げて、下げて」

といった単語を繰り返し、

私たちはからかわれている様な気になったものだ。

先週、容態が急変してから

毎日のようにご家族の方が見舞われていたので、

周囲の者たちもそれなりに覚悟していた。

そして、正直言って

「自分の夜勤の時に逝ったのではない」

という事に、心底ホッとした。

(それは私だけではなく、

皆、ロシアンルーレット的気分だった筈!!

昨年、私がこの仕事に就いてから、

この病棟では六人がお亡くなりになった。

こんなにも「死」というものを身近にしても、

私は全く泣いてないぞ、

私って、結構冷たいヤツ!? と一瞬思ったが、

多分、喋ることも殆ど出来ないその方達とは

心を通わせるような思い出が全くなかった、

という事実があるせいだと思う。

例えば、自分の担当部屋のAさんは

私の一番のお気に入りだ。

半身麻痺で喋ることは全く出来ないが、

とても上品なおばあちゃんで、いつもニコニコとしていて、

ジェスチャーで感謝を表してくれる。

(「夏祭り」の時など、私の私服姿を「かわいい」と、

大喜びして抱きしめてくれた)

もし、このAさんに万が一の事があったら、

きっと私はショックだと思う。

仕事で患者さんを差別、区別しては

いけない事は分かっている。

分かってはいるのだが……


同じ病棟に勤めるムーミンK君が

とうとうパパになった。

いや~、めでたい!!


「出産に立ち会った?」

う~ん、立ち会ったけど、途中でウトウトしたら

追い出されたぁ。

「どう?感動して泣いた?」

ちょっとね。

「名前は?」

まだ~。決まってない。


と、皆でついつい質問攻めにしてしまう。

まだ名前は決めていない、と聞くと、


「デンキチがいいと思う!!

「いや、イエヤスは?」

「ヘイジロウは?」

「セイシンって立派じゃない?」


等と、皆で病棟の患者さんの中でも

特徴のある(手のかかる)人の名前を

面白半分に挙げだした。

そして、皆でK君のことを「パパ、パパ」と呼んでいると、

そこへやって来た看護師さんの一人が

「K君、名前はノリ○○だったよね。じゃあノリパーだ。」

う~ん、これからは「ムーミンK君」改め、

「ノリパー」にしようっと。

ここ最近、夜勤があったり、

学校関係の役員会があったりで

ブログの更新をサボっていた。

書きたいことは幾つかあったが、

機を逸すると、「今更書いてもなぁ…」

と思ってしまったり、忘れてしまったり。

毎日更新している人達って、ホント偉いなぁ。

先日、あるニュースマガジンのアンケートで、

「『水からの伝言』を教材として使うことに

賛成か反対か?」というお題があった。

いろんな言葉や音楽を聞かせた水の結晶が

どのような形になるかを伝えたこの本

以前に読んだ事があった。

そこに掲載されている美しい(或いは醜く崩れた)

結晶の数々を見た時、いたく驚き、感動した私は、

勿論「賛成票」を投じた。

が、結果は、144票対213票で

反対票の大勝。

う~ん、そうか。

反対票のコメントの殆どは

『科学的根拠がない』『まるでオカルトだ』

といったものだが、

なんだかさびしい気がする。

いまだ科学で解明されていない事って、

全てが胡散臭いように見られてしまいがちだけど、

私はムー大陸やピラミッドパワー、オーパーツ等の

不思議は、昔から大好きだ。

私はこの本の内容を信じているが、

万が一、百歩譲ってこの実験に不備があったとしても、

子供達の凶悪事件が多発する現代において

優しさを推奨する内容を、学校で子供たちに教えることに、

何の不都合があるんだろう?と思ってしまう。

ま、こんな事を書くと、また

「意見の押し付けを書いて」と思われて

しまうかもしれないが、

『水からの伝言』を信じる人が増えることで、

もう少しマシな世の中になってくるような気がするんだけど…